中国の人肉食文化について

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768ジャップは鬼だ!
人肉を食べた兵隊

 検閲を終えた初年兵は、翌日から陣地構築の作業に駆り立てられました。鉄のタガネとロームの工具だけで、10日ほど底なしの岩盤と格闘すると、ようやく人一人が立って歩ける幅で、約20メートルの通路ができました。次は米軍の砲弾に耐えられる天蓋作りです。部落の家の扉が持ち出され、部落の川原の見事な楊柳がことごとく切り倒されてしまいました。又わが初年兵小隊は、肉体労働による空腹を満たすために、特に「糧秣剔抉班」(りょうまつてっけつ=地下などに隠された兵隊や馬の食糧を掘りだすための組)を組織して部落部落をめぐり歩いたが、小麦粉20キロのほかは、牛や豚などの上物にはついぞありつけませんでした。

 その頃のことです。「ある中隊では人の肉を食べた」という噂が流れてきました。この噂の張本人であるE曹長は、後に撫順戦犯管理所でこの事実を告白しています。それによれば事実はこうです。この索格荘を占拠していた第111大隊は、逃げ遅れた中国人男女40名程を、「捕虜」として確保していましたが、男30余名は先の初年兵検閲のための「実的」として処分されていましたが、女性10名ほどが残されていました。中でも若い女性の何人かが、兵隊の目をはばかってか、丸坊主にされ男装させられて、大隊長や中隊長たちの「慰安婦」とされ、残りの女性もいくつかの中隊に程よく分配されたというのです。E曹長もその「恩恵」に浴した一人でした。

 この彼は、鶏や豚肉にありつけなかったある日、若い中隊長I少尉と共謀して、慰めものとしていた17、8歳の中国人女性を殺害し、そのもも肉をスライスして、油で炒めてしまった。中隊長は、各小隊の炊事員を集めて事もなげにこう言った。「今日は大隊本部から特別に肉の配給があったから、各小隊に配ることにした」と