○○○○○○ 金庸 武侠小説 ○○○○○○

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1○ 東邪 ○
 金庸の作品について。全作品は以下の通りです。

《書剣恩仇録》《碧血剣》《雪山飛狐》《射G英雄傳》《神G侠侶》
《飛狐外傳》《倚天屠龍記》《白馬嘯西風》《鴛鴦刀》《天龍八部》
《連城訣》《侠客行》《笑傲江湖》《鹿鼎記》《越女剣》
2名無しさん@1周年:2000/06/23(金) 21:44
《書剣恩仇録》
一巻の途中で挫折。
戦闘シーン多すぎ。
3名無しさん@1周年:2000/06/23(金) 22:10
《神G侠侶》はVCDで見ました。
台湾のドラマは面白いですね。
4 名無しさん@1周年:2000/06/24(土) 11:16
日本語翻訳の進行具合が分かります。
http://www.tokuma.com/tfc/kinyo/index.html


5 名無しさん@1周年 :2000/06/24(土) 12:01
大陸よりも台湾・香港・シンガポール辺りの方が有名ですよね。
ドラマなんかよくあってました。
私なんか、中国語が聞き取れないから、字幕を追ってばかりでしたけど。
6笑傲江湖:2000/06/24(土) 14:43
飛雪連天射白鹿、笑書神侠倚碧鴛。

金大侠がすごい。
7九指神丐:2000/06/24(土) 14:57
>1
降龍十八掌之見龍在田、は!
8○ 東邪 ○:2000/06/25(日) 11:13
>2
実は私も《書剣恩仇録》は半分で挫折。
確かに戦闘場面が多すぎ。
そしてくどい。
>6
その順番は確か大陸の中国人から聞いた様な。
手帳が今ないので今度確かめてみます。
9九指神丐:2000/06/25(日) 14:09
>8
これは順番ではなく、「対聯」と言うの。いかし、何という素晴らしい「対聯」だね!金大侠がすごい。
10○ 東邪 ○:2000/06/26(月) 09:50
>9:九指神丐

>飛雪連天射白鹿
>笑書神侠倚碧鴛
確かにこの順序でした。<對聯>だったとは・・・!!
意味は何て言うんですか?
11 名無しさん@1周年:2000/06/26(月) 10:49
>1
すると、ここの順序はどうなっているのですか?
12九指神丐:2000/06/26(月) 14:25
>10: ○ 東邪 ○

雪吹雪の天気で、狩に行き、白い鹿を射る。
微笑みをしながら、神侠の物語を書き、碧鴛が側にいる。

この訳があまりにも下手で、金大侠に大変失礼しました。

><對聯>だったとは・・・!!
一種伝統文学であり、形式が厳しい。例えば、「射と倚」は対であり、
同じ動詞(形容詞も、名詞も)で、同じとこにある。「白と碧」、「鹿と鴛」もそうだし。
説明が下手かなぁ?ごめん。

この對聯は金大侠の偉大な智慧によって、生まれて、金大侠の
書斎を飾っている(書道作品)、形式が綺麗で、内容も浪漫なるものである。

そして、俺らの読者にとって、金大侠の全作品が憶えやすくになった。
それは順番ではないわけである。
13○ 東邪 ○:2000/06/26(月) 19:03
>12:九指神丐
詳しいご説明、ありがとうございました。
私の場合、正月・縁起モノの<對聯>でさえ、
意味が分からない程度ですから。

だから《飛狐外傳》が正傳の《雪山飛狐》と、
内容的に齟齬を来していた訳ですか。
<對聯>形式を、念頭に措いていたのですね。

了解。
14○ 東邪 ○:2000/06/26(月) 19:06
>11
一応、作品の<発表順序>に従っております。
15メルトダウン:2000/06/27(火) 00:54
東方不敗が変態おさげじじぃではなく、変態おかまじじぃだったのが
ちょっと不満・・。
16九指神丐:2000/06/27(火) 14:54
金大侠の全作品の勝手な分類:

偉大な傑作:《鹿鼎記》

傑作:《射G英雄傳》

面白い作品:《天龍八部》《笑傲江湖》《倚天屠龍記》

まま面白い作品:《碧血剣》《神G侠侶》 《雪山飛狐》

読まなくていい作品:
《書剣恩仇録》《飛狐外傳》《白馬嘯西風》《鴛鴦刀》《連城訣》《侠客行》《越女剣》
17九指神丐:2000/06/27(火) 15:01
>メルトダウン さん
変態ではなく、変性である。
18 ○ 東邪 ○:2000/06/28(水) 17:48
じゃ、私も・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

☆好きな作品:@《笑傲江湖》、A《射G英雄傳》、B《侠客行》

☆嫌いな作品:@《書剣恩仇録》、A《飛狐外傳》

☆他はどうでもよい。

☆読んだことのない作品:《鹿鼎記》《天龍八部》《倚天屠龍記》長いから。
19名無しさん@1周年:2000/06/28(水) 22:37
おお!金庸のスレがある。
台北に行ったら、下町の橋のたもとのホテルの前に仁我行という名前の会社が
あってびっくりしたっけ。
20九指神丐:2000/06/29(木) 18:23
>19
素人か?「任我行」だろう?日本の漢字が可笑しくなったね!
21九指神丐:2000/06/29(木) 18:27
> ○ 東邪 ○

>☆他はどうでもよい。

失礼しちゃうよ!

>☆読んだことのない作品:《鹿鼎記》《天龍八部》《倚天屠龍記》長いから。

絶対読まなきゃいけない作品なあのに!こら!!!

22 ○ 東邪 ○:2000/06/29(木) 19:28
>21:九指神丐

>☆他はどうでもよい。
月並みな作品、程度の意味でございます。

《鹿鼎記》《天龍八部》《倚天屠龍記》
本当にくどいんだって。
23○ 東邪 ○:2000/06/29(木) 19:34
私は最初、《碧血剣》を日本語訳で読んで、
それから原文(?)の漢語で読み始めたんですけどね。

大体の作品はボチボチ読めないこともなかった。

しかし《書剣恩仇録》は第一作だけあって、くど過ぎ。
途中で挫折し、日本語訳で読み通した。

最近、最後に読んだのが、《雪山飛狐》。
発表順に読んではいない。
24九指神丐:2000/06/30(金) 12:05
>○ 東邪 ○
黄老邪!お前は「上知天文、下知地理、陰陽五行、暦算八卦......」、無所不知だろう?
《鹿鼎記》《天龍八部》《倚天屠龍記》 が読みにくくても、努力すれば、出来るでしょう?
《鹿鼎記》は金大侠の大の得意の作品だよ!

今、国際金学も成立したので、日本の研究者になって、ほんとの「東邪」になろうよ!

降龍十八掌之龍戦於野、は!

25 ○ 東邪 ○ :2000/06/30(金) 19:49
>24:九指神丐

                    哈哈哈哈哈哈哈哈!!!。
そんなこと言われましてもねぇ、洪七公。
わしは自分の研究で結構忙しいねん。
それに《鹿鼎記》《天龍八部》《倚天屠龍記》は、
知り合いの中華人も、欠本としてしか持ってないんだよ。
やはり持って来日するには「邪魔」になるからではないだろうか?
今度わしがあちらの中華圏に行けるのは、いつの日だろうか・・・・・・。
まぁいずれは読もうとは想っとるが、最近はどうもなぁ。

確か《鹿鼎記》には《碧血剣》の阿九と何タ手が再登場するとか。
《碧血剣》で「予告」されていたはずだけど。

しかし気持ちは<東邪>だよ、わしは。
26名無しさん@1周年 :2000/07/01(土) 11:23
金庸の本って、Book offで売ってるけど、
一巻しかないよ。
買ったのはいいけど、
一巻で厭きちゃうんじゃないですか?

どうよ?
27九指神丐 :2000/07/01(土) 18:37
> ○ 東邪 ○
>確か《鹿鼎記》には《碧血剣》の阿九と何タ手が再登場するとか。
《碧血剣》で「予告」されていたはずだけど。

《鹿鼎記》には《碧血剣》の阿九が 再登場したけど、何タ手が登場する場面は僅かです。

《鹿鼎記》は他の作品と明らかに違う作品だから、薦めたいです。

降龍十八掌之飛龍在天、は!
28○ 東邪 ○:2000/07/02(日) 15:45
>27:九指神丐

いつもお返事ありがとうございます。          多謝了。

ところで七公は何所の版で金庸を読んだんでしょうか?
私はバラバラです。
香港・臺湾の版もあれば、三聯書店の版もあります。

私の実感としては、<縦書>と<繁體字>で書かれた、
香港・臺湾の版の方が読み易いですな、やはり(?)。

お奨めは≪鹿鼎記≫ですな・・・・・・・・・・了解。
29○ 東邪 ○:2000/07/02(日) 15:51
>26

 >どうよ?

 等といわれましても・・・

 確かに張戎『ワイルド・スワン(鴻)』は、
 前編・後編、揃ってますな。
(でも一冊百円だったりする。)
 第一、
『書剣恩仇録』等と、
 仰々しい題が付いていたら、
 大概は尻込みすると想いますな。

 そんな具合
30名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 10:40
東邪さんというのは、昔どっかの金庸BBSで、金庸死亡の誤報を流して
自粛退去した東邪氏ですか?
どうしてああいうところに書き込む中国人(または原作を読んでるような
日本人のマニア)って、作品読んでる自慢とか、「○○最高」「××つまらん」
みたいな決め付けばっかなの?
31九指神丐:2000/07/03(月) 16:33
>ところで七公は何所の版で金庸を読んだんでしょうか?
私はバラバラです。

わしもバラバラです。

>私の実感としては、<縦書>と<繁體字>で書かれた、
香港・臺湾の版の方が読み易いですな、やはり(?)。

わかるわかる、その気持は。簡体字横書きの本を無理矢理に読まなくても結構じゃないか?
文化の違いだけさ。黄島主は伝統の中国語好きみたいね!わしもそう。

32九指神丐:2000/07/03(月) 16:39
>30

>作品読んでる自慢とか、「○○最高」「××つまらん」
みたいな決め付けばっかなの?

自慢しちゃいけないのか?

決め付けしちゃいけないなの?

わしはただ自分の好き嫌いを言ってるだけで、気に入らないなら、見ないて!


33名無しさん@1周年:2000/07/04(火) 11:41
>32

>気に入らないなら、見ないて!
「見ないで」といいたかったの?ここのことじゃありませんよ。
ファンページにあるBBSの話。紛らわしい書き方してすみません。

でも、つまらなくないですか?自慢&決め付けだけの書き込みって。
「ワシは金庸を全部読んだ!」「あ、そう。だから何?」
「Aは傑作、Bは駄作」「それはあなたがそう思うだけでしょ」

あと、自分がストーリー知ってるのをいいことに、和訳しか読めない人
の多いような場所で、堂々とネタばらしたりとかさ。
(いるんだよ、そういう奴)

好き嫌いだけ声高に主張されても、うざいだけなのよ。
どうせなら、どういうところが好きなのか、どんな点が嫌いなのか、
きっちり語ってもらえれば、意見の合わない人だって面白く読めるし、
話も広がっていくのにな、と思うんだけど?

べつに、この場所にはそこまで期待してませんけどね。


34>29 東邪 :2000/07/04(火) 11:49
26

《書剣恩仇録》ってどういう意味なんですか?
35李莫愁:2000/07/04(火) 15:25
>30,32
なぜ自慢と決め付けばかりなのか?思うにその答えは……
(1)日本語が不自由で中身のある文が書けないから
(2)もともと語るべき中身が何もないから
(3)他人の反応など頭にない、ただの自慰垂れ流し厨房
気の毒なので、(1)は生暖かく見守ってあげましょう。
(2)(3)はどこにでもいる困ったちゃんなので、諦めましょう……

>九指神丐
どんなものでも、いきなり「嫌い」とか「駄作」と決め付けたら、
それを好きな人が、気分を悪くすることもあるでしょ?
そんなことに気を使わず、自分の言いたいことだけ言ってればいい、
という考えなら、他人にそうされて怒るのは、筋違いじゃないの?
36李莫愁:2000/07/04(火) 15:39
>34
東邪ではないけど、
だいたい「コーランと短剣、愛と憎しみの記録」みたいな意味らしいよ。
37○ 東邪 ○:2000/07/04(火) 18:28
冷房の当り過ぎで倒れている間に、来訪者が多くて嬉しい限りです。

                 ≪華山論剣≫の日は近い!!!
かも知れない。
38○ 東邪 ○:2000/07/04(火) 18:41
>30の老蝦蟇サンへ

>東邪さんというのは、昔どっかの金庸BBSで、金庸死亡の誤報を流して
>自粛退去した東邪氏ですか?

いきなりそんなことを言われましても、何のことだか分かりません。
かなりの高い確率で私ではないことは確かでしょう。
その<假東邪>と私は文章の書き方でも似てたのでしょうか?
取り敢えず、知りません。

>どうしてああいうところに書き込む中国人
>(または原作を読んでるような日本人のマニア)

何処のBBSなのでしょうか?

>作品読んでる自慢とか、
>「○○最高」「××つまらん」みたいな決め付けばっかなの?

作品を読んでいる自慢は、頂けませんな。
しかし感想としての発言なら、「可以」ではありませんか?
私はそこ(BBS)でどういう「決め付け」が行われていたのか、
知りません故、何とも言いようがないですね。
39○ 東邪 ○:2000/07/04(火) 18:58
33の老蛤蟆サンへ
横からの突っ込みで申し訳ないですが、二言三言。

>でも、つまらなくないですか?自慢&決め付けだけの書き込みって。
>「ワシは金庸を全部読んだ!」「あ、そう。だから何?」
>「Aは傑作、Bは駄作」「それはあなたがそう思うだけでしょ」

結構戦闘的なんですね。
まぁ別に害になる訳でもないですし、そっとししておくべきですな。

>好き嫌いだけ声高に主張されても、うざいだけなのよ。
>どうせなら、どういうところが好きなのか、どんな点が嫌いなのか、
>きっちり語ってもらえれば、意見の合わない人だって面白く読めるし、
>話も広がっていくのにな、と思うんだけど?

その為にも、ここにもっと参加者が必要ですな。

>べつに、この場所にはそこまで期待してませんけどね。

そんなに投げ遣りになられなくてもいいではありませんか。
折角お越しになられたからには、それなりの関心があってのことでしょう。
<来る者は拒まず、去る者は追わず>
お待ち致しております。
40○ 東邪 ○:2000/07/04(火) 19:04
36:李莫愁サンへ

この老邪に代っての回答、ありがとうございます。
よって東邪門下に加えて進ぜましょう。

名付けて <李秋風> というのはいかがですか?
41九指神丐 :2000/07/04(火) 19:34
>40

><李秋風>
李秋風って、聞いたことないなぁ!

中国語には「打秋風」という言葉がある。

>≪華山論剣≫の日は近い!!!

まさか、何労島主動手、与鼠輩論剣?

李秋風を使って、十分じゃないの?

42李莫愁:2000/07/04(火) 23:54
>40
黄島主、おかえりなさいませ。冷房病ですか?お大事に。
お申し出はありがたいけれど、あなたはこの赤練仙子李莫愁の
師父としてふさわしい功夫をお持ちかしら?ホホホ!
……というのは冗談、江湖の同道としてどうぞよろしく。

>41
おやおや、堂々たる丐幇幇主がご自分を「鼠輩」呼ばわり?
またずいぶんとご謙遜なのね。

》李秋風を使って、十分じゃないの?
上の書き込みもよく分らないけど、これは特に意味不明。
筋の通る日本語で説明ぷりーず。
4330=33:2000/07/05(水) 18:44
>東邪

お返事ありがとう。すいません、同HNの人違いだったようですね。
BBSにいた東邪氏なら、そっちの事情には詳しいと思ったもんですから、
懐かしさ半分で声をかけてしまいました。ご存じないなら、忘れてください。
金庸の話が出るBBSはいくつかあったけど、その東邪氏がいた場所は、
移ったか閉鎖されたみたいです(URLを張ろうとしたら死んでたよ)

オレとしても、決め付けが全部駄目とは思ってません。
ただ、「好き」「嫌い」てな単語を並べただけのカキコばかり見せられると、
何じゃいこりゃあ、せめて小学生並みの感想文にでも仕上げてみろや!と、
いい加減うんざりするんですよ。

もっとも、2chはファンサイトじゃないし、特にこの板は、まあ仕方ないかな、
と思ったから、期待してないと言ったわけ。
自慢、決め付けが自由なら、それをつまらんと言うのも自由でしょ?
まともなカキコを読ませて貰えるんなら、そりゃあ嬉しいに決ってますよ!
どうぞがんがん語っちゃってください。
4430=33:2000/07/05(水) 18:47
>東邪

お返事ありがとう。すいません、同HNの人違いだったようですね。
BBSにいた東邪氏なら、そっちの事情には詳しいと思ったもんですから、
懐かしさ半分で声をかけてしまいました。ご存じないなら、忘れてください。
金庸の話が出るBBSはいくつかあったけど、その東邪氏がいた場所は、
移ったか閉鎖されたみたいです(URLを張ろうとしたら死んでたよ)

オレとしても、決め付けが全部駄目とは思ってません。
ただ、「好き」「嫌い」てな単語を並べただけのカキコばかり見せられると、
何じゃいこりゃあ、せめて小学生並みの感想文にでも仕上げてみろや!と、
いい加減うんざりするんですよ。

もっとも、2chはファンサイトじゃないし、特にこの板は、まあ仕方ないかな、
と思ったから、期待してないと言ったわけ。
自慢、決め付けが自由なら、それをつまらんと言うのも自由でしょ?
まともなカキコを読ませて貰えるんなら、そりゃあ嬉しいに決ってますよ!
どうぞがんがん語っちゃってください。
45○ 東邪 ○:2000/07/05(水) 18:50
>41:九指神丐

李秋風については、まぁ措くとして、
東邪門下には昔≪四大弟子≫というのが居りました。

               陳玄風:体が硬い。
               梅超風:技が華麗。
               曲靈風:軽功が上手。
               陸乘風:知識がある。
加えて、
               馮默風:半人前。
               程 英:同上。
その他にも、
               武天風:?不明。
なる輩が居るらしいです。
香港臺湾版を読んでいると、
時時、名前だけ出てきます。
この武天風とは一体誰でしょうか?

陳玄風といい梅超風といい、
勝手なことを仕出かす弟子が多いのは不肖の至りでしょう。

ではでは
4630=33:2000/07/05(水) 19:02
>東邪

お返事ありがとう。すいません、同HNの人違いだったようですね。
BBSにいた東邪氏なら、そっちの事情には詳しいと思ったもんですから、
つい声をかけてしまいました。ご存じないなら、忘れてください。
金庸話のBBSはいくつかあったけど、その東邪氏がいた場所は、
移ったか閉鎖されたみたいです(URLを張ろうとしたら死んでたよ)

オレとしても、決め付けが全部駄目とは思ってません。
ただ、「好き」「嫌い」てな単語を並べただけのカキコばかり見せられると、
何じゃいこりゃあ、せめて小学生並みの感想文にでも仕上げてみろや!と、
いい加減うんざりするんですよ。

もっとも、2chはファンサイトじゃないし、特にこの板は、まあ仕方ないかな、
と思ったから、期待してないと言ったわけ。
自慢、決め付けが自由なら、それをつまらんと言うのも自由でしょ?
まともなカキコを読ませて貰えるんなら、そりゃあ嬉しいに決ってますよ!
どうぞがんがん語っちゃってください。
47○ 東邪 ○:2000/07/05(水) 19:04
43(44)の老毒物サンへ

まぁ、ここも始めて少ししか日日が経ってないことですしね。
その内「せめて小学生並みの感想文」が出て来ることを期待してますよ。

実は最初の所、みんな金庸なんて知らんのやないか、と想ってましたな。
しかし日語訳が出ている分だけ、
《梁羽生》や《古龍》よりは、幾分マシであると、分かりました。
そんな具合です。
48○ 東邪 ○:2000/07/05(水) 19:14
42:李莫愁

わしの内功は、空調には勝てなかった模様で、どうも面目ない。
やはり紅毛碧眼大鼻子の機械には勝てん様だ。

>李秋風を使って、十分じゃないの?
わしもこの言葉の意味がよく解らんかった。

取り敢えず・・・・・・・・・・・・・・・・以后請多多関照。
49○ 東邪 ○:2000/07/05(水) 19:18
何故46にも?
5030=33:2000/07/05(水) 19:23
多重カキコすまんです。荒らすつもりじゃなかったです。

>李莫愁
2か3でしょ。中国語のサイトでも、そういう奴混じってんの見たことあるもの。
同胞にはかまってもらえないから、日本人相手に威張ってみたいのかな?と
ここ読んでいてふと思いました。
言葉が不自由だか頭が不自由だか知らんけど、喧嘩腰でからんだり、
意味もなく相手を見下す奴なんて、どこにいてもクズ。
楊康だって漢奸かどうかに関係なく、根性腐ってたわけだしね。

>47東邪
古龍は日語訳出てますがな。
ところで、老蝦蟇サンだの老毒物サンだの、
オレを西毒扱いしてくれてるのかな?光栄です。
次来るときは西毒を名乗ってこようかな。
51○ 東邪 ○:2000/07/05(水) 19:48
>50=30=33

いやいや、<老蛤蟆>は特に意味はないよ。
ただ、上で、九指神丐と、やり合っていた模様なので。

古龍の翻訳なら、一冊だけ、目にしたことがあるよ。
しかしあの表紙と挿絵は、一体どういうことだろうな。

わしが読んだことがあるのは、
《有情剣客無情剣》だったかな。
文章が好きになれなかったな。
それでは
52九指神丐:2000/07/05(水) 19:53
>48番の東邪

殺鶏焉用牛刀、有事弟子服其労。打秋風は弟子じゃないか?

除了南帝、老毒物、有誰値得叫島主与老叫化動手?
53>36 李莫愁:2000/07/06(木) 10:02
26

ありがとうございます。
「書」は『コーラン』だったんですね。
世界史で習った様な気がします。
「左手にコーラン、右手に剣」だった様な・・・

ところで李莫愁さんって女性の方なんですか?
42を見ると、何だかハマってますね。

>29 東邪
クーラーには気を付けて下さい。
54○ 東邪 ○:2000/07/06(木) 19:26
52:九指神丐

成る程、李秋風を使って≪華山論剣≫をやれ、ということですな。
ところで、45の武天風は如何ですかな?

取り敢えず、李秋風を使いにやってみましょうか。

李莫愁さん、知ってます、武天風?
55○ 東邪 ○:2000/07/06(木) 19:33
>53

いやいや、お役に立てなくて申し訳なかったです。
代りに我が桃花島にある≪試剣亭≫の對聯でも教示しましょうか。

                      桃花影落飛神剣
                      碧海潮生按玉簫

意味は何か・・・等と尋ねないで下さい。
ではでは
56○ 東邪 ○:2000/07/07(金) 19:14

《侠客行》には、こんな言葉がある。

武林人士大都甚是好名,一箇成人物給別人打傷了,倒也没什ム。
但如果敗在別人的手下,往往比死還要難過。
因此比武較量之時,最好給人留有余地。

これは阿繍が、石破天=狗雑種に、
<旁敲側撃>の功夫を、教えている場面です。
この功夫は、≪保全面子≫の要諦である。
聞く所によると、
中国人は、非常に「面子」に、こだわるそうだ。
ひとたび中国人の面子を傷つける様なことがあれば、
後々まで深く怨まれる結果になることを覚悟すべきです。
「十八代後の子孫にまで祟る」という言葉がある位です。

つづく
57西毒:2000/07/08(土) 12:49
>51東邪
古龍の訳は、
小学館文庫から《楚留香蝙蝠伝奇》《陸小鳳伝奇》《辺城浪子》
エニックスから《聖白虎伝》(白玉老虎)
学研から《歓楽英雄》
が出ています。小学館の表紙は濃いめのCGで、エニックスのはギャルゲー調、
学研のはバロン吉元みたいなレトロ劇画調だったな。
どれも癖があるけど、オレはみんな悪くはないと思った。
ところで、金庸日語版の李志清はどうよ?

あと、オレは"九指神丐"とやり合ったつもりはないですよ。
做賊心虚的狗,翹起尾巴来乱咬人、不足掛歯!

どうでもいいが、<旁敲側撃>というのは、
元々「当てこすり」って意味だよな。
58岳不群:2000/07/08(土) 20:44
http://www.goldnets.com/
ここに行けば名家の名作は大体見れます。
武侠の大家と言えば、金よう、古龍だが(リャン羽生はつまらない)、
しょう逸、司馬令もいいっすよ。
金庸は新聞の連載の形式で小説を書いている。
それも書き溜めじゃなくて、ちょっとずつ書いていくらしい。
笑傲江湖はベトナム戦争前の南ベトナムでも連載されていて、
大人気だったらしい。国会で議員が相手を罵るとき、おまえは
「岳不群」、「左冷禅」だと使ってたそうだ。
古龍に詳しい方いますか?面白さではある意味金庸を上回ってると思いますが。
59李莫愁:2000/07/09(日) 12:52
昨夜は入れなかったよー

>53
漢語の「書剣」は、本来「文武両道」的な意味なんだけどね。
この場合は物語中のアイテムだという説があるんですよ。
陳家洛が奪回したコーランと、ホチントンが贈った短剣ね。
なんの解説書だったかな?黄島主、フォローお願い。

>54
李秋風って一体だれよ(笑?まあいいや。
陸曲武風の武については、《射G英雄伝》で陸乗風が、
「武師弟已去世多年了」と言ってるだけだったと思うけど。
ただ、こちらだと名前は武眠風。《神G侠侶》では武天風。
細かい箇所なんで、金大侠、うっかりミスったんでしょうね。

>58
蕭逸や司馬令羽、評判は聞くけど、港台の新刊書店では、
あまり見たことないなあ。大陸では売れてるの?
おすすめ作品があれば教えてください。
古龍は、一応下の方にスレッド立ってます(笑
60名無しさん@1周年:2000/07/09(日) 17:24
>58

するとあちらはガキの喧嘩で「オマエは田帰農だ」とか
「それは欧陽鳳じゃないか」とか言ったりするんだろうか?
面白いな。
61岳不群:2000/07/09(日) 20:46
>59
http://www.goldnets.com/book/16/101552.html
http://www.goldnets.com/book/16/101568.html
http://www.goldnets.com/book/16/101572.html
http://www.goldnets.com/book/13/101296.html

↑これはお勧めです。
本屋であまり置いてないのは二人とももう過去の人だからです。
司馬はもう死んでるし。
62李莫愁:2000/07/10(月) 00:20
>61
ご教示ありがとうございます。蕭逸の三作は、名前は知ってたけど、
司馬レイの方は初耳でした。(ていうかこの人、作品数多いから)
小説は紙媒体の方が性に合うから、蕭逸は大陸版で探すことにして、
司馬レイは古本屋でも当たってみよう。

ところで梁羽生、つまらなかったですか?
あのスローで真っ正面な展開、歴史小説が好きな人なんかには、
意外と受けるんじゃないかと思うけど。
戦闘シーンも少ないしね(笑
63○ 東邪 ○:2000/07/10(月) 08:51
>56:つづき

しかしながら<旁敲側撃>の功夫は、
「正面きって語らず、しれっと婉曲にほのめかす」ことだが、
ほのめかす内容を間違えたなら、
却って相手の面子を潰すことにも成りかねない。
それは日本に於いて、日常生活上の経験から謂っても、
困難であることと、同様である。
大抵の人は、しばしば相手の「こころ」を量り間違える。
この功夫にはもう一つ、
<揣摩臆測>の技が必要とされるのではないだろうか。

それが仮令、読書人ではなく、江湖の人であっても、必要である。

つづく
64○ 東邪 ○:2000/07/10(月) 09:24
>57
わしの見た古龍の日訳は、題を忘れて仕舞った。
絵が、確か、見てて恥ずかしくなる様な絵だったな。
何故こんな絵を?と想った記憶がある。
わしには「ギャルゲー調」「レトロ劇画調」が分からん。

金庸日語版の李志清についてですけど、
《書剣恩仇録》《碧血剣》の挿絵は「很好」だと想う。
しかし、それ意外は少少「漫画的」ではあるな。
どうしてあんな風に崩れて来たんだろう。

ところで<旁敲側撃>の意味は、
「正面きってではなく、それとなく遠回しに言う」でした。
「あてこすり」は<指鷄罵狗>ではなかったでしょうか。
確か他に「木」を使った言葉があった様な。
ではでは
65○ 東邪 ○:2000/07/10(月) 09:55
>59:李莫愁ヘ

いきなりワシに振られて貰っても困るな。
しかし剣については内容に係わる故、
言わなくともよいのではないだろうか。

「左手にコーラン、右手に剣」は、
ちと考え過ぎの様な、気がする。

>陸曲武風の武については、《射G英雄伝》で陸乗風が、
>「武師弟已去世多年了」と言ってるだけだったと思うけど。
>ただ、こちらだと名前は武眠風。《神G侠侶》では武天風。
>細かい箇所なんで、金大侠、うっかりミスったんでしょうね。

  謝謝合作。
ワシ、《射G英雄伝》は、三聯書店版で読んだので、
そこには<武眠風>が削られていた様な、なかった様な。
もしかすると、読み飛ばしていたかも知れません。
やはり既に死んでいたのですか。
すっきりしました。

しかし<眠風>って何でしょう。
66○ 東邪 ○:2000/07/10(月) 09:59

金庸
古龍
梁羽生
司馬令
蕭逸

段段と増えて来ましたなぁ。
67岳不群:2000/07/10(月) 19:39
>李莫愁

しょう逸は叙情的で、武侠小説と言うよりもロマン小説として読んだ方がいいかも。
僕は好きです。
リャン羽生はだらたらと長いだけで、劇的な展開がないからつまらないと思う。
まあ、人の趣味によるけど。
「ピン跡侠影」「雲海玉弓縁」はまあまあ面白かった。
ところで、金庸の超名作「天龍八部」が話題になってないけど、読んだ方います?
68名無しさん@1周年:2000/07/11(火) 11:15
26

>65
> 「左手にコーラン、右手に剣」は、
> ちと考え過ぎの様な、気がする。

ホチトンはイスラム教徒なんでしょ。
だったら正しいのではないですか。

>55
對聯って何ですか?

>61
文字化けしていて読めません。
どうすればいいのですか?
Exploreでもダメみたいです・
69:2000/07/11(火) 11:29
ごめんなさい。

Internet Explorer 5
のことです・

ああ・恥かしい。。。。。。
70○ 東邪 ○:2000/07/11(火) 19:25
>68
すみませんでした。中文研究室から紅い『日中大辭典』を借りて来ました。
要するに、<對聯>:対句。対になっている文句を二つに書き分けていること。
新年用を特に<春聯>というらしいです。大概、紅紙に墨で書かれてますね。

それと『書剣恩仇録』は、あまりイスラム色が少ないでしょう。

>57
「あてこすり」は<指桑罵槐><指槐罵柳><指桑説槐>とあります。
<旁敲側撃>は「それとなくほのめかしたり、なぞめいた言葉で暗示する」。

>59
<眠風>についてですけど、
金庸はどういう意図で<眠風>なんてつけたのでしょう。
この辭典には、「眠」は自動詞的な意味しかないです。

ではでは
71名無しさん@1周年:2000/07/12(水) 10:22

あ〜金庸だ〜
72○ 東邪 ○:2000/07/12(水) 19:42
>63:つづき

しかし、そもそも<揣摩臆測>が、どうして可能なのであろうか?
人は、他人の心を、見たことがありません、、、、、そうでしょ。

可能なのは、≪生活の在り方≫が、みな同じであるからなのです。
それ故、そもそも金庸の小説が日訳され得、日本人はそれを理解可能なのです。
他人の心が読めるのも、<揣摩臆測>が可能なのも、
そもそも≪生活の在り方≫が同じであるからなのです。

それでは、≪保全面子≫が日本人にも理解可能である、ということは、
日本人も中国人もその生活の在り方が、同じであるということになります。

日本人にも分かる武侠の心、
しかしそれは、≪生活の在り方≫に全面的に依拠した理解であるに過ぎません。
それ故、金庸の作品は<心>の描写が不得手であるのです。
武侠小説には難しい問題であるとは想いますが。

おわり
73李莫愁:2000/07/12(水) 23:56
>67
梁羽生は、慣れるとあのまったり感がよいのです。
日本人が読むなら、明清ものより《大唐遊侠伝》みたいな、
背景になじみのある作品の方がとっつきやすいかも。
なんちゃって、実は私も、サクサクと進んでくれる古龍の方が、
読みやすくって好きさ。

《天龍八部》、読んでます。群像劇だから、ストーリー全体の
インパクトは今一つなぶん、読み返すたびに印象が変わって、
なかなか奥深く楽しめますね。人物もわりとよく描けてるし。

>68
61のリンク先は簡体字中国語(GB)のページです。
IEならツールバーの「フォント」でGBを選べば見られるはず。
蕭逸《馬鳴風蕭蕭》《飲馬流花河》《無憂公主》、
司馬翎《剣海鷹揚》です、念のため。

>70
眠風……黄島主、何やらこだわっておられますな(笑
「風に眠る」なんですかね、やっぱり。
超風=「風を超える」と同じく、動詞+賓語なのでは。
そういえば、たしか最近の画家で、林風眠という人がいたなあ。
74 ○ 東邪 ○:2000/07/13(木) 19:39
〉73:李莫愁

やはり気になるでしょう。

武眠風はこの辺りでしょうかねぇ。
http://www.0335.net/sxbook/wuxia/jy/sdyxz/hero14.html
75○ 東邪 ○:2000/07/13(木) 19:51
>45でも示した通り、「眠風」って何かかっこ悪くないでしょうか?
しかしワシがいつも読んでて気になるのが、人の名前である。
華人の名前の付け方は、どうもよく判らないです。
誰か、そっちの方面で詳しい方が居れば、教えて下さい。

因みに、ワシ<東邪>は<黄藥師>であるが、
これは(多分)「号」であろう。
郭靖や楊過、それに黄蓉・郭芙の名前も何となく判る。
そんな具合
76○ 東邪 :2000/07/14(金) 18:07

ところでわし、明日、表兄の結婚披露宴に行かなければならない。
とても面倒くさい。
先月、長袍をクリーニングに出していたのだが、
そのことが媽媽に知られる所となった。
家族で反対された。
折角わしが表兄の披露宴に、張り切って行こうとしとったのに。

仕方がないので、一見、礼服っぽい<中山装>で出席することにする。

感到非常麻煩了,明白!
77名無しさん@1周年:2000/07/16(日) 10:58

中国の結婚式といえば、映画で見るような、伝統的なモノを思い浮かべるけど、
今の中国は「一〇〇組で結婚式を挙げよう!」とか言って、
どこかの統一教会みたいなことをやってる。

あれは一体何なんだろう。
人が多いからか?
78名無しさん@1周年:2000/07/16(日) 11:33
>77
結婚式が華美になりすぎてエスカレートしてきたので
引き締め策なのです
79○ 東邪 ○:2000/07/17(月) 19:28

      <行事怪僻,常説世上禮法規矩都是狗屁。>

ということで、実際の所、ワシは世間一般を嫌っておる。
しかしながら、哀しい哉、自活出来ていない故、
親兄妹・親類縁者・近所・隣人の意見に、
耳を貸さなければならない。
現在の所、自己の生をまっとうする為に、
孤獨を囲うこともままならない。

いっそ桃花島にでも隠棲したいものだよ、本當。
まるで酒鬼薔薇聖斗クンと同じ心境だよ、全く。
ではでは
80名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 11:13
26

>70
中国の農村を撮った写真なんかで見たことがあったと思います。
<對聯>って、出入り口に三ヶ所はってある、あの赤い紙のことですね。
でも、上の短い紙って、対句ではないでしょ。何なのでしょうか?

>73
見ることが出来ました。でも中国語があまり出来ませんので、読めません。
お手数をお掛けしましてありがとうございました。
皆さんと違って、才能がなくてヘタレですみません。

中国の結婚式って素敵ですよね、映画でみたことしかないんですけど。
新婦って、輿に乗って来て、赤い布を頭から掛けているんですよね。
式場も色トリドリで明るくて、よし結婚するぞーって感じで素敵です。
今の中国はあんな感じなのが百人くらいの大勢が一斉に集まって結婚するんですか?
楽しそうです。新郎新婦が誰か分からなくなってたりして、面白そう。
でも、会場ってどこなんでしょう。百人くらいが一度に集える場所なんてあるんですか?
親類縁者や友人学友が、しかも百組くらい集まったら、大変な数じゃないですか?
よく考えてみれば、大変というか、少し変ですね。中国人って。
詳しいことを知りたいです。

私も結婚披露宴にチャイナドレスを着て行きたいです。いつか。
でも姉妹や親類の式では、ちょっと遠慮したい。。。
81名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 08:40
温瑞安や臥龍生は、誰も読まないのか?
82 ○ 東邪 ○ :2000/07/19(水) 19:06
最近、ネタが切れて来た气がする。今度仕入れて来るとするか。
別にあるんですけど、余り气乗りしない故。
ひょっとするともう<中暑>して仕舞ったのかも知れない。

>80
上に貼ってあるものは・・・何でしょう?
きっと補足的な説明だと想う、多分きっと。
今度、調べて見ます。
83名無しさん@1周年:2000/07/20(木) 17:31
>56
日本人は、中国人の≪面子≫という言葉を、理解し難い様だが、
中国人も、日本人の≪体面≫という概念を、理解し難いのでは?

例えば、「世間体を気にする」とかいった、
日本人特有の<恥>の意識は、どう理解されるのだろう?
その辺りは
?如何如何?
84苗人鳳:2000/07/20(木) 17:34

名前を忘れてた。
金面仏、ということで。
85名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 12:45

電波男Ψ(´д`)Ψ 年齢不詳、が来たらヨロシク。
御高説をのたまって頂けるそうだ。
でも奴が荒らしたらゴメンネ。
先に謝っとく。(多分来れないと思う、脳味噌壊れてるから。)
86名無しさん@1周年:2000/07/22(土) 15:20
85
あんたよっぽど電波男嫌ってるんだね。すごいよその努力。


ヘンだよあんた。


87名無しさん@1周年:2000/07/23(日) 11:31
>86

おまえもヘンだぞ
88○ 東邪 ○:2000/07/24(月) 19:24
うむ、ちょっと目を離した隙にどうなったのだ?
まぁいい。ネタは入らなかったけどね。

ところでこの>電波男Ψ(´д`)Ψはいつ来訪するのでしょうか?
出没する箇所を見たが、なかなか面白そうではあるな。
でも拒否反応を示す人も多いいであろう。
わし西日本系であるから関西系はOKであるよ。

来るものは拒まず、去るものは追わず

 好きにして欲しくはある。
(確かに85も86もヘンと言えば、変である。)
89○ 東邪 ○:2000/07/24(月) 19:31
>83:(金面佛)苗人鳳サン

 ナカナカ難しい問題でありますな。
≪面子≫と≪体面≫についてですか・・・

 面子は「潰れる」し、体面は「傷つけられる」。
「傷つく」より「潰れる」方が痛そうではありますな。

 こんな回答ではやはり駄目?
 考えときます。ではでは。
90李莫愁:2000/07/25(火) 02:45
ふむ。面子も体面も、似たようなものかと思ったけどな。
日中で異なるのは、その立て方なり保ち方なんでは?
日本だと、恩を着せるのは申し訳ない、という発想があるから、
「つまらないものですが」とか「ちょっと寄りました」とか、
自分の行為を卑下するのが、相手を立てることにつながる。
でも、中国人ならむしろ、「いかにあなたのために心を砕いたか」
をアピールして、相手を持ち上げるもんじゃないかしら。

ところで、前にイラストの話が出ていたけど、
港台版で金庸を読んだ方々、あの挿絵ってどう思います?
射G3部作や鹿鼎記を描いてる人の絵、ちょっと苦手なんだけど。
中国的には上手なのかな?
91電波男Ψ(´д`)Ψ:2000/07/25(火) 10:30
皆様誠に申し訳ありません。
ハクチの85が大変お騒がせ致しております。サナトリウムに連れ戻し
ますので、ご寛恕のほどを、、、。

このスレッドの方たちは一味違いますね。ぼくちゃんみたいにオツム
逝っちゃってる人はいないみたいだし。Ψ(`д´)Ψウキャキャキャキャー

>○ 東邪 ○さん
おなじ関西ですよ。ここで披露しているのは2ch人格でありまして、Nifty
ではまた一味もふた味も違う人格を曝け出しております。
実社会での抑圧された部分をネット人格に移転しているだけですけど自覚的、
確信犯的にしている分、どこかで歪が出てしまうのかもしれません。

でも、これが「地の大阪人」かも。

Ψ(`д´)Ψウキャキャキャキャー
92名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 10:40
> 電波男Ψ(´д`)Ψ
逝ってよ、おまえ、糞ボケ。
93電波男Ψ(´д`)Ψ:2000/07/25(火) 10:52
>92
85発見!
空襲警報発令!!
ハクチが感染するので伏せてください!!!
94名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 13:51
26

何だか楽しいことになってますね。
上の電波男Ψ(´д`)Ψさんって、もちろん金庸の作品とは関係ないんですよ、ね?
でも、私は翻訳でも作品を全部読んでいる訳ではないので、心配。
最近は《神G侠侶》を読んでます(題は『神G剣侠』になってますけど)。
挿絵については、ちょっと雑かな、と思います。未だ三巻はいつごろになるんでしょう。
でも夏は時間が出来るんですけど、暑くて読む気がしません、やっぱり。

ところで、8月の下旬に友達と旅行に行こうかどうしようか相談してます。
いまのところ、香港かハワイということで考えてます。
もし香港になったら、何か情報持ってたら、教えてください。

あと上の話題ですが「面目」って言葉もありますよね。
「面目丸潰れ」とか「面目を失う」とかあるんですけど、「面子」とは違うんでしょうか?
難しい話はちょっと苦手なのでこのあたりで失礼します。
9592:2000/07/25(火) 13:55
> 電波男Ψ(´д`)Ψ
ガハハ!85は俺じゃねーよ。

お前を糞ボケだという人間はたった1人だけだと信じたいんだな(笑)
お前の妄想で作られた、たった1人の見えない敵と戦ってなさい。
アホ丸出し(爆笑)
96名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 14:02
26

突然質問なんですが、電波男Ψ(´д`)Ψさんが他の場所で騒いでた問題、
「任我行」って何ですか?
ここの19と20でも、ちょっと話題にのぼってましたけど、金庸の作中に出てくる人名なんですか?
だとしたら何に出てきますか? 気になるので教えてください。何か意味があるんですか?
あと「任我来」もよく分かりません。「譲我来」って、「私にさせて」って意味だったですよね。
私の能力だとその程度です。よろしくご教示のホド。。。
97名無しさん@1周年:2000/07/25(火) 14:10
26

ここの私って、名前がないんですよね。つまらないですよね。
名乗るなら霍青桐か黄蓉ですよね、やっぱり。
でもどうしましょうか。
黄島主さん考えて。それとも親子になります?
98電波男Ψ(´д`)Ψ:2000/07/25(火) 14:40
>95
匿名ネットだからコテハン使ってない奴はひと括りしてるんだよ。
確信的にオツム逝っちゃってる振りして遊んでいるだけ。文句言う
ならコテハン使え。それに踊らされているのはハクチの証拠。

>94
ごめんなさいね。しみじみと金庸お話している場所を荒らすつもりは
無かったのですが、ハクチが場所を弁えず噛みついてくるので少々遊
んでやらないと可愛そうですから。
ぼくちゃんは現代のものは勿論読みますがあまり語るのは好きではあ
りません。陳式太極拳を無理矢理幼少から叩き込まれてきた物として
は特にその手の小説や映画には拒絶反応があるのです。

専門は古典ですがそれとは関係無いで、個人的趣味としては明代のもの
が多いです。
99李莫愁:2000/07/26(水) 00:14
>96、97
>名乗るなら霍青桐か黄蓉ですよね、やっぱり。
霍青桐か黄蓉なみの美女だからってこと?ほほーう。
(李莫愁らしくチョット意地悪してみました。ゴメンゴメン)

「任我行/じん・がこう」は《笑傲江湖》の登場人物で魔教の教主。
意味は大体「ワシのやりたいようにやる」という感じです。
それから「面子」と「面目」は、ほとんど同じだと思う。
面目のほうが、多少書面語っぽいかも。

>電波男Ψ(´д`)Ψ
はじめまして、本物の武術家でおいでですか。小女子這廂有礼了。
拒絶反応とは残念ですが、気が向いたらお話聞かせてくださいな。

ところで、かなり前に質問が出ていた、対聯の上にある小さな紙、
調べてみたら「横批」というそうです。
上聯と下聯の橋渡しみたいな役目があるらしい。
100電波男Ψ(´д`)Ψ:2000/07/26(水) 01:05
>99さん
始めまして。武術家じゃないですよ。無理矢理幼少からしごかれて
きただけで私本人は余り好きじゃないのです。ネットで晒している
好戦的な態度とは裏腹に実物は穏やかなのです。(笑)
101電波男Ψ(´д`)Ψ:2000/07/26(水) 01:07
李莫愁さま
お名前をお出しになっているのに発言番号でコメント致しました
非礼をお詫び致します。お許し下さい。
102名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 01:18
>「任我来」もよく分かりません。
不成意義。

>「譲我来」って、「私にさせて」
対了。但与「任我行」風馬牛不相干。
103名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 01:25
>「風に眠る」なんですかね、やっぱり。
もうまんたい。
104名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 05:43
>小女子這廂有礼了。
這個老女子!
105名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 13:46
>104
連謙稱也不知道,沒教養!哈哈!
106苗人鳳:2000/07/26(水) 16:03
うい〜っす、都市は暑くていかんな。
皆さん考えてますな、真面目に。
>89@`90@`94@`99

「面子」=「面目」として、それと「体面」とはどうやったら比較可能なんだろう。
先(83)に「日本人特有の恥の意識」と書いたが、勿論中国人にも恥の意識はあるであろう。
しかし両者の意識は等質なのか?両者を「比較」出来ないから、私はちょっと頭がこんがらがっている。
自分の問題は其処にある。
李莫愁の指摘(90)では、日中間で「恥」とする意識は同じである、と見て、
ただ>日中で異なるのは、その立て方なり保ち方なんでは?となる訳だ。
しかし私の心の中では、中国人等、外国人には理解到達困難な、日本人特有の<恥>の意識があるように思える。
この気持ちは自分だけの勝手な思い込みなんだろうか?

こんなことを考えると言葉に出来ない思いが胸につかえてるようだ。巧く言えない、よく分かんね〜です。
107名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 16:38
>105
老妖精謙称小女子?悪心死了!滾!
108名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 17:07
>沒教養!哈哈!
教養一般指的是しつけ 不是文化修養
109○ 東邪 ○:2000/07/26(水) 19:40

 !祝賀! ついにやっと100を超えましたね。よかったよかった。 !祝賀!

 >97
 ナルホド、ワシ東邪にGod-fatherになってくれ、ということですな。

 李莫愁の語る様に、
 )>名乗るなら霍青桐か黄蓉ですよね、やっぱり。
 )霍青桐か黄蓉なみの美女だからってこと?ほほーう。
 ということを考慮しなければならんのだろうか?
 そしたら難しーな、やはり・・・・・・・・

 いきなりだが <某麗風> というのはどうであろう?

「某」には自分本人の名前を一字入れて下さい。(ワシの場合だと黄麗風になる)。
 実は最初に想い付いたのが<無風>である・・・・・・でも辞めにした。
 他にも<戯風>や<情風>というのも考えたが、まぁ好きな通りにして下さい。
 何はともあれ、祝100回到達ということで、オメデタイことですな。

 名付について、73を、103が異議申し立てをしている模様であるが、
 <眠風>が「風に眠る」ではなく「眠る風」だと言いたいのであろうか?
 ワシとしては、この李秋風の意見が個人的には好きなのだが、
 取り敢えず、もっと発言して欲しい、とは想う。

 それでは麗風、以后請多多關照。
110○ 東邪 ○:2000/07/26(水) 19:49
>83・106:(金面佛)苗人鳳

ワシも少少考えたよ。大凡李莫愁と見解はいっしょですな。
人は心中の「恥」を取り出して比べられない。
よって行為や態度を以って心と為さねばならないであろう。
問題の核心は、≪対処方法≫であるよ。
だから保全面子の一方法として、<旁敲側撃>の功夫がある。
別の表現を借りれば、
《体面》は上げなければならないし、
《面子》は下げてはいけないのである。
麻将の面子は「欠いて」はいけないのはそのためである。

これでいい?
111○ 東邪 ○:2000/07/26(水) 19:51
>李莫愁

謝謝合作

到了時間,后会有機!
112名無しさん@1周年:2000/07/26(水) 20:02
到時間了,后会有期!

>103が異議申し立てをしている模様
もう無まん問たい題
113李莫愁:2000/07/27(木) 02:20
そろそろ波が高くなってきたな(笑

>101 電波男Ψ(´д`)Ψさま
ご丁寧にいたみいります。
こちらこそ、前のレスでは呼び捨てですみませんでした。
でも、2ちゃんで「さま」付けって、何だか照れくさいですね。

>105、107
老妖精とは金庸キャラの<李莫愁>、それともここでの李莫愁?
まあ、どっちにしろここじゃ年寄りの部類に入るんだろうから、
いいけどね。(でも「妖精」は日本人相手だとインパクト弱いよ)

ところで、中国の文化では長上を敬うというわりに、「老太婆」が
罵人話として成立するのは、ちょっと不可解。
「老頭児」も呼びかけに使ったらかなり失礼ですよね。

>110 黄島主
だーかーらー、だれが李秋風だって?
あと、美女がどうこう云うのは冗談なので、気にしないでください。

麗風小姐、以後請多多関照。
114西麗風:2000/07/27(木) 12:02

名前の一つを取って「西麗風」にしました。「西」なら「風」に合いますから>109

>99
>霍青桐か黄蓉なみの美女だからってこと?ほほーう。
>李莫愁らしくチョット意地悪してみました。ゴメンゴメン)
ちょっとイジワル。。。

「任我行」って《笑傲江湖》の登場人物だったんですね。まだ読んでませんでした。
「任我来」って「不成意義」ということは、意味をなしてない、ということなんですか?
「譲我来」って「私にさせて」ということでよかったんですね。
「任我行」風馬牛不相干の意味がよく分かりません。「不相干」って「関係ない」でしたよね。
すると「任我来」の意味が「ワシのやりたいようにやる」であって、「譲我来」の意味が「私にさせて」ということ、
二つは「風馬牛不相干」=「没関係」ということが、そのココロになりますね。。。でも「風馬牛」って何です?
もしかして「風」がキーワードになってるんでしょうか? 私にも、もっと説明が欲しい。

対聯の上にある小さな紙は「横批」というのでしたか。
上聯と下聯が一つの対聯をなしていて、それを橋渡しする役目なんですね。
例えば、どんな橋渡し方があるんでしょうか?(自分で調べろって言われそうですね)。
でも李莫愁さんって何でもよく知ってますね。専門家なんでしょうか?すごいです。。。
私なんか比較の対象にすらなりません。相手して頂ける時にはお手柔らかにお願いいたします。

電波男Ψ(´д`)Ψさんも何だかすごそうですね。優しく色色と教示して下さい。
115西麗風:2000/07/27(木) 12:17

それと「面子」と「体面」の話題なんですけど、大体意味は同じだと思ってました。
ただ、言葉を使う場面が違うだけ、なのではないですか?
心の問題に入って行くのは考え過ぎのような気がします。


 大哥、大姐! 以後請多関照!
116○ 東邪 ○:2000/07/27(木) 19:34
>李莫愁

>前にイラストの話が出ていたけど、
>港台版で金庸を読んだ方々、あの挿絵ってどう思います?
>射G3部作や鹿鼎記を描いてる人の絵、ちょっと苦手なんだけど。
>中国的には上手なのかな?

うむ、あの絵なら<中の上>程度ですな、無可無不可、そんな具合。
しかし中心人物の顔がみんな同じであるのは、どうにかして欲しかったりもする。
比較的には《笑傲江湖》《雪山飛狐・外傳》等の画よりは良いのではないだろうか。
あと、明河出版と三聯書店版とは、画は同じでしょう(比較してはいないけれど)。

李莫愁はどういった絵が好みなのでしょう?
以前73で、林風眠なる画家について言及してたけど、絵の世界には詳しいのですか?

>57:西毒で語っていた古龍の日語訳だが、
以前ワシが目にしたのは学研の《歓楽英雄》であった。
あれが「レトロ劇畫調」というやつだったんだな。
ああいった調子の画はダメです。何故かは知らない。
皇なつきは、何か金庸作品の絵を担当したことがあるのだろうか?
以前知り合いの留学生が平凡だったか、《笑傲江湖》の絵を見せてくれた。
ああいった感じなら《神G侠侶》や《鴛鴦刀》の絵を描かせてもいいのではないだろうか。
そんな具合である。

中国的に上手かどうか? それは知らない。
金庸も求めている通り、中国人は挿絵に気を使わないそうだ。
117○ 東邪 ○:2000/07/27(木) 19:39
>電波男Ψ(´д`)Ψ:98

陳式太極拳の武功はどの程度あるのでしょうか?
それと明代の作品で何か「これぞ」という作品があれば教えて欲しくはある。
118○ 東邪 ○:2000/07/27(木) 19:49
>112:殷素素

伏兵的に出没しては色色発言してゆかれるのですね。
<后会有期>は我ながら間抜けな間違いであった。
機のjiと期のqiとは、音が似てないだろうか?と想う。

「風に眠る」は没問題だった模様ですな。めでたしめでたしと。

>107の“老妖精謙称小女子?”についてではあるが、
113で李莫愁が語る通り、日本では印象が軟らかいですな。
以前、H系のビデオで「妖精〜」というのがあった。
大陸系中国人(女孩子)がその表紙を見て、
「何故この人は妖精なんです?」と聞いてきたことがあった。
今思えば懐かしい気もする。
119○ 東邪 ○:2000/07/27(木) 19:51
>114:西麗風

気に入って頂けましたか? わしも嬉しく想う。

到時間了,后会有期!
120対聯“困窮”を表現す:2000/07/28(金) 09:21


            北南
          六    二
          七    三
          八    四
          九    五

          「南北」  横批
          「二三四五」上聯
          「六七八九」下聯
121○ 東邪 ○:2000/07/28(金) 19:37
>114:西麗風

詞典に据れば“風馬牛不相及”で「関係ないこと」である。
中国人の常言である“没関係”と同じであろう。
しかしこの「風」は何であろうか?ワシには解からん。

>120
上の<對聯>であるが、どこかで読んだことがある。
確か“東西南北”の“東西”がない、
つまり「物がない」という意味であったな。
だから“貧窮”であるのだろう。
しかし肝要の双聯の解釈が出来ない。
誰かよろしく。
ではでは
122李莫愁:2000/07/29(土) 00:45
>114 西麗風小姐(好名字!)
ごめんなさい、美女の件はちょっと冗談きつかったかしら。
悪気は全然ないのです。どうかお許し下さい。
本当の物知りや専門家は、ここには沢山いるはずだけど、能ある鷹は爪隠す。
私が出しゃばりなだけですね。能あるふりしてない爪かざす(笑

で、風馬牛の「風」は、さかりがつくこと。
本来は「風する馬牛も相及ばず」で、遠く離れていることを意味したが、
転じて無関係という意味になった、と小型の漢和辞典にも説明があるよ。

殷素素さん?関連のカキコを一通り和訳してみようかな。
 102:>「任我来」/ 意味になってない。
    >「譲我来」/その通り。でも「任我行」とは無関係。
 103:>「風に眠る」/ノープロブレム。
 104:>小娘ですがどうぞよろしく/このババア!
 105:>104/謙譲語も知らないの、だっさー!アハハ!
 107:>105/色気ババアが謙遜して小娘か?オエー!逝ってよし!
 108:>沒教養/中国語の教養は普通「しつけ」で、文化的修養とは違う
大体こんなとこ?
123李莫愁:2000/07/29(土) 00:46
>116 黄島主
イラストや漫画は興味があるけど、ファインアートはさっぱりです。
金庸の原書では《笑傲江湖》《天龍八部》の画家がまあまあ。
島主とは好みが分かれましたね(笑
皇なつきは、古龍の《陸小鳳伝奇》を担当していたけれど、
彼女としては不出来だったように思う。武侠があまり好きでないのかも。
平凡はたしかに上手ですが、美男美女しか描けないようだし、
奇人変人も多い金庸キャラをちゃんとこなせるのかな?
《東周英雄伝》の鄭問なら、きっと凄いものを描くと思いますが。
李志清は仰せの通り、本によって差がありますね。
《笑傲江湖》はどう見ても手抜きでしょ。

そういえば、香港か台湾のアイドルが来日したとき、
「妖精」「小悪魔」と書かれた紹介記事を見て怒ったという話があった。
悪口でないと分っても、字面を見ると不愉快なんだろうな。
124名無しさん@1周年:2000/07/29(土) 16:40

「チャイナパブ」と、ここ「金庸」の両スレッドが、一番ほのぼのしてますね。
125名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 07:50
それは前々から私も思っていました。
後はどれもおんなじ。
電波がいるかちんころがいるかのでれか。
126名無しさん@1周年:2000/07/30(日) 11:01
金庸の作品は何故今頃になって翻訳され始めたのでしょう?
他の国ではとっくの昔に紹介されていると聞きますけど。
発起人が居なかったワケ?

確かに他は罵倒ネタが多過ぎ、、、って言うか略すべて>125
127 ○ 東邪 ○ :2000/07/31(月) 19:34
>李莫愁:祝!123!祝:

確かに好みが分かれましたな。しかし李莫愁は色色なかなか詳しいですな。
平凡は陳某と合作をやっている様であるが、確かに美男美女尽くしであるな。
奇人変人とまでは至らずとも、一筋縄ではゆかない人物達は描けそうにはないな。
鄭問に関してだが、或る意味、彼なら正宗な畫を描くことが出来るであろう。

しかし何だな、鄭問の『秦始皇』に出て来る宰相<李斯>、
あの筋肉質にワシはは驚いた・・・・・・・・・・・・・・・ごっつ過ぎる。
李斯は、本当に荀子の弟子であるかどうかは措くとして、
文字(隷書)や度量衡の統一等、第一級の仕事を上げておる。
見所のある人物ではある、と常常想っていた(人生には誤ったが)。

皇なつきは、古龍《陸小鳳伝奇》小学館文庫を担当していたとは知らなかった。
知らない間に、こつこつ仕事をしているのですな。

最後に李志清であったが、実は《笑傲江湖》は表紙しか見たことがない。
日語訳自体を、ワシは余り読まないからではある。
《射G英雄傳》の何巻だったか、欧陽鳳と黄藥師の畫は非常によろしいと想う。
128○ 東邪 ○:2000/07/31(月) 19:46

欧陽鳳と黄藥師で想い出したが、四五年前だったか、
未だワシが大学生であった時候、香港映画≪西毒東邪≫を観たことがあった。
張國榮の演じる西毒は、ニヒリストでなかなか格好よかった記憶がある。
北乞も出て来るが科白が渋かったな。(東邪は余り活躍しないんだけどね。)
誰か他に観た人は居ない?ワシの記憶は曖昧なのだが。
李莫愁は如何?

最後に「風」に「盛りがつく」意味があったとは、学習不足であった。
謝謝合作。
129○ 東邪 ○:2000/07/31(月) 19:49
>124・125

ここに目を通している人が他にも居たとは驚きでした。
殆んどワシの戯言と化している感のあるここではあるが。
少々恥かしくは、ある。
気が向いたら、何か信息でも知らせてくれると、
ありがたかったりもする。

ではでは
130○ 東邪 ○:2000/08/02(水) 16:52

 風馬牛
:(a)省略。(b)放し飼いの牛は風を背に進み、馬は風に向かって進むこと。
 例「風馬牛的事」何も関係ないこと.

 西風
:(a)指秋風。(b)指西洋風俗。(c)比喩日趨没落的腐朽勢力。

今日は「風」について色色こだわって仕舞った。
よくよく考えてみると、「風」とは不思議な位置を占めていることが判る。
例えば、「風景」とか「風土」とかいった、
一見「風」とは関係なさそうな言葉がある。
北宋の徽宗皇帝は、所謂≪風流天子≫であった。
余談であるが、台北の故宮博物院には、彼の畫がある。

ついでに「西風」を調べてみたが、
意外な意味もあるものである。
西方といえば「天竺」=「西方浄土」のある方角である。
「去了西天」=「送了命」とも理解される。
少少气にならないこともない>122
131李莫愁:2000/08/03(木) 01:20
>126
ここを見る限り、他言語への翻訳も、そんなにあるとは思えないけど。
http://www.jinyong.com.hk/translate.html

詳しい事情は知りませんが、他国で紹介されているといっても、
たぶん、当地の華字紙に連載されたとかで、翻訳とは違うんじゃないかな。

和訳の場合は、当て推量ですが、
(1)翻訳者がいなかった
(2)出しても売れる見込みがなかった
のどっちかだと思う。

>128、130 黄島主
はいはい、見ておりますよ《東邪西毒》。
日本では《楽園の瑕》というショボい題名で公開されていた。
洪七はたしかに渋かったというか、
あのまま原作の北丐に直でリンクしてゆく感じ。
梁朝偉の演じた武士もニヒルでよかった。
でも金庸っぽいキャラクターではないですね。むしろ古龍風?

同じキャストで撮ったパロディの《東成西就》(大英雄)も、
別の意味で面白いので、未見でしたらお勧めです。
こちらでは張國榮が東邪、梁朝偉が西毒ですが、
やはり東邪より西毒の方がインパクトが強いのはなぜだろう。

大漢語詞典を引いてみると、「風」の字義は26種、うひゃー。
「風馬牛不相及」に関しては、
「牝牡相誘謂之風……此言風馬牛、謂馬牛風逸、牝牡相誘、
蓋是末界之微事、言此事不相及、故以取喩不相干也」
「一説:風、放逸、走失。謂斉楚両地相離甚遠、馬牛不会走失至対方地界」
とある。
ふむ、すると、島主の引いた
>牛は風を背に進み、馬は風に向かって進む
は、一体どこから来た解釈なのでしょうね?
132名無しさん@1周年:2000/08/03(木) 08:30
>130
人都喜歓風月情!
133 西麗風 :2000/08/03(木) 12:53

>122:李莫愁 大姐
別に気にはしてませんよ、本当。ただ、99の文が、ツッコミ欲しそうみたいなーと感じましたので。。。
>西麗風小姐(好名字!)と褒めてもらってうれしいです。
李莫愁さんが、能ある爪を隠さないお蔭で、私は助かってますよ。(何かニホンゴが変?)
ここではよく中国語が出てきますけど、私には、何だか漢字が並んでる。。。ってカンジで実は困ってます。
いつもいつも訊ねてばかりいるのも、すまないかなーと思ってました。そういう訳で、これからも、どうかよろしくお願します。
ところで、チョビチョビ現われるあの殷素素さん?って、そんなこといってたんですか。コッソリひどい人だったんですね。
それにしても李莫愁さんって何でもよく知ってるんですね。漫画とか、イラストの話だとかも詳しいし。見習いたいものです。。。
皇なつきくらいなら私も持ってます。でも黄島主がチェックしてるってちょっと変。私は絵心がありませんから。
でも語学って、コツコツやっていかなくちゃいけないんですよね。私はコツコツ頭を使うのはニガテなんです。ダメな性格ですよね。
映画なんか見てると、字幕を見ないで言葉が分かったらいいだろうなー、、、とか思うんですけど、見終わるとスグに忘れます。
上にある《東邪西毒》や《東成西就》って知らなかったです。レンタルでも目にしたことないんですけど。
でも金城武の映画やビデオなら全部チェックしてますよ。彼は香港や台湾ではお笑いの路線でやっているんですね。
ほとんどの映画って広東語なんで、けっきょく私には字幕が必要なんですね。。。泪。。。

時代モノのオススメは、《覇王別姫》〜さらば我が愛〜ですよね。京劇の世界ってステキで好き!!!
李莫愁さんはどうでしたか?見てますよね。鞏俐、張豐毅、そしてレスリー=チャンといったあの豪華な顔ぶれ。
何かで「どんな綺麗な女の人でも、綺麗な男にはかなわない」って聞いたことがあるけど、そのとおりですよね。。。うんうん
時代背景とか難しけど、十分楽しめる作品です。「弁髪」で気合入ってますし。
134 西麗風 :2000/08/03(木) 13:19

>○ 東邪 ○
案外、漫画好きなんですね。もしかして諸星大二郎とか「蒼天航路」とかも読んでませんか?
皇なつきの漫画はどうでした? 私としては筋がどうかな、と思います。中国関係で、私が好きなのは、ちょっと極秘です。

>130
漢字の「西」には暗いイメージがありますよね。私も西枕では寝ません。北枕も。
あと「風」の言葉って案外、面白いですよね。《風水》とか中国的じゃないですか?

ちょっと力尽きました
135○ 東邪 ○:2000/08/03(木) 16:43
>131:李莫愁

原題は《東邪西毒》であったかな、孰れにせよ昔の話である。
確かに邦題は「楽園の瑕」であったような気がする。
ワシはVideoで観たのである。
しかし《東成西就》というパロディーがあったとは、初耳だ。
李莫愁は「その道」に通暁しておる模様であるな。

全然関係ないが、ワシはパロディーが好きである。(コメディーではないぞ)。
日本人もかなり昔なら、
≪本歌取り≫といった一種のパロディーに長けておった。今はダメであるな。
英国人ならシェークスピアの台詞ならよく知ってて、
洒落た言い回しでもするところである。あれもパロディーである。
ワシの好きなパロディーの書といえば、ニーチェであろう。
《ツァラトゥストラは斯く語った》、これは『聖書』のパロディーである。
パロディーと一口に言っても、えらく神妙ではあるな。
そんな具合。

大漢語詞典を引き合いに出すとは。ワシが見たのは、紅い「日中大辞典」である。
しかしその辞典における解釈の大本は一体何であったのだろう。
想像するに、唐詩か宋詞、或いは故事からのパロディーである(根拠はない)。

謝謝合作
136○ 東邪 ○:2000/08/03(木) 16:48

中国で「風」と言えば《風水》ともう一つ《整風》であろう。
中国共産党のお家芸である。
彼の<文化大革命>も、或る一つの<整風運動>である。
そういう意見もある。
しかしこれは難しい問題でもあるな。
137○ 東邪 ○:2000/08/03(木) 16:50
>134:西麗風

《覇王別姫》はワシも有意思だと想う。

 縁水長流,後会有期.
138 西麗風 :2000/08/08(火) 12:17

映画《覇王別姫》のことでえらいこと言ったんですが、実はまだ京劇を見たことないんです。
みなさんは、金庸を読んでいる、ということで、京劇に限らず、中国の古典芸能ってよく知ってたりするんですか?
やっぱり武侠小説と申せば、日本の時代劇になるんじゃないでしょうか。だったら当らずとも遠からず、ということになるんですよね。
中国の時代劇って、清の時代が中心になるんでしょうか? 日本の時代劇も江戸時代のばっかりですから。大河ドラマは知らないけど。
清時代ってみんな弁髪ですよね、同じ時代の日本の江戸時代も髷を結ってますし、なにか共通性というものを感じますわ。
その前の時代ってやっぱり弁髪なかったんですよね。みんな長髪だったんでしょうか?服装もチャイナドレスじゃなかったみたいですし。
金庸では《書剣恩仇録》と《雪山飛狐》が清時代の話で、みんな弁髪で気合が入ってたんでしょ。
そんなこと考えると、時代背景とか知ってたほうが数倍楽しめそうですよね。私でもうーんと文化の奥深さを感じますわ。。。
それはそうと京劇の台詞って、あれ本当に中国語なんでしょうか?それも京劇だからして北京語?
実は中国語の歌を聴いても、すぐには普通語なのか違うのか分かりません。よく聞くと分かります。広東語は分かりません。
あれって本当に普通語で歌っているんですよね。。。四声なんて歌いながらどうやっているんでしょう?
京劇だって劇を演じながら、あの中国語を発声しているんですよね。中国語はやはり奥深いですわ。

>132
私も知ってますよ。人都想念巫山雲霧!でしょ!。。。多分

昨日が「立秋」、もう秋なんですよ。みなさん知ってました?残暑に気をつけて下さい。
風花雪月 それでは再見再見再見!!
139八路軍:2000/08/08(火) 15:32
金庸は非常によい!
日本人もさらに理解できるようなった。
140↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑:2000/08/08(火) 15:43
あ〜あ、やっちゃったね。
せっかく盛り上がってたスレッドなのに、あんたのレスで台無しだよ。
なんでここで、そんなレスしかできないわけ?
空気読めないの?
死ね
だから君は駄目な奴だって言われてるんだよ。
わかってるの?
それにしても、もったいないなあ、せっかくここまで育ったスレッドなのに。
ここまででおしまいかよ。
まあ、しかしやっちゃったものをしょがない。
これからはもうちょっとマシなレスするように心がけろよ。
141○ 東邪 ○:2000/08/08(火) 16:44
亦何か起こって来ている模様ですな。
取り敢えず、<来者不拒,去者不追>の气持ちではある。

しかし最近、暑暇に入っているせいか、
突然現れて盛り上げては、流星さながら、
去って逝く者が出て来た气もしないではないな。
それは少少寂しくもある。

寂しいといえば、西麗風の報告に据ると、もう秋天だとか。
秋天と云えば<愁>の季節ではないですかな李莫愁?
宋詞にワシの好きな、優れた作品があったのだが、
細かい所が想い出せない。
今度皆様にお知らせしましょう。
142○ 東邪 ○:2000/08/08(火) 16:56
>138:西麗風

>巫山雲霧
半分、正しくもある。巫山の仙女のことであるな。
而し<雲雨>だけでも意味は通じるので今度使ってみなされ。
そういえば雲霧茶という茶があったな。
あれは緑茶だったか、それとも白茶だったか、多分緑茶であろう。
ワシは龍井茶の<獅峰龍井>が最も好きである。
全然関係ないが最近<苦丁茶>という茶を飲んだ。
最初は苦くてたまらんが、徐徐に舌が慣れて、甘く感じる様になる。
内臓によろしい、と小姐は申しておった。
西麗風は茶が好きであるか?あと酒も。

漫画については、ワシはそんなに詳しくはないぞ>134
143○ 東邪 ○:2000/08/08(火) 16:59
>135
実はワシ、金庸の作品は《紅樓夢》を随所に散りばめた、
一種のパロディーではないか?と想っておる。
今天は時間がないのでこの位にするが、
皆様は如何想われるだろうか?

  ではでは
144李莫愁:2000/08/09(水) 01:24
>138 西麗風小姐
京劇は昔、NHKで時々放映していたけど、最近はあまり見ないですね。
台詞はいわゆる北京語ではなくて、少し古い時代の発音だったと思う。
日本人のファンも多いようだけど、伝統芸能だけあって、
サイトを見ていると、難しい薀蓄がいっぱいで面倒くさそう。

ところで弁髪が「気合入ってる」というのはなぜ?剃ってるから?
そういえば、チョウ・ユンファが新しい映画で「気合入れて」ます。
しかも原作は武侠小説。日本でもやるといいんだけど。

>141、143 黄島主

問君能有幾多愁(李U)
少年不知愁滋味(辛棄疾)
這次第怎一箇愁字了得(李清照)

このくらいしか思いつかない。慙愧!
雲霧茶は盧山のお茶でしたっけ。
台湾で天霧茶というのを飲みました。甘い香りで、美味しかった。

>金庸の作品は《紅樓夢》を随所に散りばめた、
>一種のパロディーではないか?

そのこころは?というか、どうして《紅樓夢》なんでしょうか。

各々方、"秋老虎"には気をつけて。

145○ 東邪 ○:2000/08/09(水) 16:31


             書博山道中壁
                辛棄疾

            少年不知愁滋味
            愛上層樓
            愛上層樓
            爲賦新詞強説愁

            而今識盡愁滋味
            欲説還休
            欲説還休
            却道天凉好个秋

146○ 東邪 ○:2000/08/09(水) 16:53

意味もなくageて仕舞ったが、抗金英雄・辛棄疾の宋詞である。

詩は翻訳出来ない、と或る人が書いていたが、その通りであると想う。
上田敏や小林秀雄等の所謂「名訳」も確かにあることはある。
而し原語を読めば气付く通り、どこか興醒めを覚えないこともない。
詩は原文主義に限る、ということである。
従って、上の詞は訳さない故、各位愉しんで頂ければ幸いである。

小説の翻訳もそうではないだろうか。
確かにワシも金庸は《碧血剣》を日語で読んだのがきっかけであった。>23
翻訳を読まずに原典に挑んで、途中で投げ出して仕舞うのは損である。
だがその読み易さに安穏としてはいけない、かも知れない。
原文を読めば、何か物足りなさ、隔靴掻痒を覚えるに違いなかろう。
幸い、中文は日本人には、目で読んで分かる可能性がある。
馴染み易いのではなかろうか。
原典で読むことを薦める次第であります。

実はワシの好きな作品は『罪と罰』である。原典では読めない。
147 ○ 東邪 ○:2000/08/09(水) 16:59
>144:李莫愁

その心は・・・ただの想い付きである。失礼了。
と申すか帰宅して、《紅樓夢》を紐解いてみると、
金庸と比較するのが恐ろしく面倒に感じてしまった次第ではある。

宋詞はワシもそれくらいしか知らぬ。

一江春水向東流(李U)
畳字のものであるな。(李清照)
148 西麗風 :2000/08/10(木) 11:56

142の黄島主
>西麗風は茶が好きであるか?あと酒も。

そうですね、中国の「お茶」と言えば、やっぱり【茉莉花茶】ではないでしょうか。私はあの香りが好きです、あっさりしてて。旅行中よく飲んでましたよ。
感じたのが、ホテルのパック茶より、店で出される茶の方が、格段に香りが佳いですし、味もおいしいです。品質の違いなんでしょうね、きっと。
でも謎なのが、メニューにお茶のない食堂があることです。そういう時は仕方なしにビールか椰子汁(!)、又はスプライトを飲みます(コーラは駄目)。
何で中国なのに、ご飯を食べるところにお茶がないんでしょう?店の小姐にあっさりと「没有」って言われると、ちょっと残念に思ってました。。。
あと他には、あの甘〜い【菊花茶】とか、料理の時以外で飲むとおいし〜ですよ。知ってました?プーアル茶は漢方薬の匂いがして好きじゃないです。
私はお茶に詳しくないので、それくらいでしょうか。
黄島主の好きなのは龍井茶の<獅峰龍井>茶なのですか?初めて聞きました。どんな味がするんですか?って、飲まないと分かりませんね。。。

お酒はですね、これもほとんど知らないです。中国のお酒では【茅台酒】【紹興酒】【桂花清酒】というのが有名ですね。でも飲んだことないです。
でもビールはたくさん飲みました(量のことです)。青島ビール、北京ビール、燕京ビール、タイガービール、こんな感じです。
私はビールの味にこだわりませんでしたけど、日本のビールと比べると味の方はどうなんでしょうね?瓶は太いし厚かったのは憶えてます。
それくらいですかね、お酒については。(日本ではカクテルばかり飲んでます。)

雲雨の指摘ありがとうございました。でも使うことはないと思います。

それと月末に海外旅行することが決まりました。ハワイ〜です!!!!!!!!!!
今週末に実家へ帰りますから、次ここに来るのは来月あたりです。サゲ過ぎないよう奮闘しててくださいね。
149 西麗風 :2000/08/10(木) 12:27

>144:李莫愁 大姐
京劇はビデオで何度か観賞したことがあります。「白蛇伝」って京劇にありましたっけ?詳しくはないです。
そうですね、京劇だけじゃなく伝統芸能って≪観賞方法≫みたいのがあるように思います。
見方を知らないと十分に楽しめないんですよね。
そういえば私、しっかり日本人やってますけど、歌舞伎とか浄瑠璃、それに能楽なんて見たことないです。
あれもよくテレビなんかでチラリと目にすることがあるけど、何を喋っているの分かりませんよね。
これと同じことが京劇でも中国人に起こっているんですね。伝統危うし。。。

そう!弁髪の気合なんですけど、見てて「あ〜気合」って感じませんか?弁髪のあの爽快感と見た目の威喝さ。
騎馬民族ってやっぱりああやって頭を剃ってるから強いんではないでしょうか。少林寺のお坊さんも頭剃ってますし。
ヨーロッパのネオナチとか、見てて思うんですけど、気合入ってて恐い!です。
だから気合入れるには、頭を剃ることから始めなければならないと思うんです。弁髪を見てていつも思います。
日本の武士だって髷を結ってて、月代を剃ってたのはやっぱり気合入れるためだと思うんです。
合戦とか生きるか死ぬかの世界でしょ。気合の入れ方ひとつで生死が別れるなら、頭を剃っといた方がいいです。。
でも弁髪は侍の髷と違って、長いし編めるし、色々遊べて面白くて好きです。気合も入ってて恐いですけど。。。

それではまた、各位請多保重・再見!!!
150 ○ 東邪 ○ :2000/08/10(木) 16:58
>148:西麗風

Hawaiiですか・・・羨ましい限りである。ワシは未だUSA領に行ったことがない。
食べ物の量が多いとか、生活費が安いとか、噂を耳にする程度である。
住み心地はどうなのであろうか? 少少气になる国ではあるなUSAは!
暑暇の期間中は、多分下がると想われる。

爾し149の辮髪の話は面白いぞ。頭を剃るのは<闘争心>の顕れであるのだな。
ワシも中学時代は坊主頭であったが、そんなに<闘争心>はなかったと想う。
却って高校時代の方が溢れておった。多分鬱積していたのであろう、納得がいく。
カトリックの修道僧らも、頭の毛を抜いて居ったそうだ。
(日本に伝道しに来た、F・ザビエルの頭が河童なのも、そのせいである。)
奴等の<宗教的情熱>も、性欲を抑え、毛を抜いて、高められておったのだな!

ところで、ワシも【茅台酒】と【桂花陳酒】は飲んだことがない。
本当に美味しいのであろうか? 白酒と変らない様な气がしてならない。
誰か知っている人が居たら教えて欲しくはある。
茅台酒と紹興酒は、年代物になると美味であると聞く。本当であろうか?

ワシが奨めるとすれば、<剣南春>という四川省あたりの酒である。
口當りが大変よろしい。他にも、<竹葉青酒>というのもある。

茶の話は続くと想う。
151 ○ 東邪 ○ :2000/08/10(木) 16:58
>李莫愁

"秋老虎"の意味が分かりました。
遅ればせながら、暑中お見舞い申し上げます。

李清照の疊字のヤツであったが、《聲聲慢》であったな。
尋尋覓覓冷冷清清凄凄惨惨戚戚

それと「風馬牛」は『左伝・僖公四年』に基くそうである。
意味は「盛のついた牛馬でも行けない程、遠く隔たった距離」だそうだ。

茶についてであったが、天霧茶のことは知らなかった。
台湾と言えば、ワシが想い出すのは、<凍頂烏龍茶><高山茶>である。
別にどうということはなかった、そんな記憶がある。

ところで<紅袍>という茶をのんだことがあるでしょうか?
値段としては、白茶の<銀針>や緑茶の<獅峰龍井茶>と同じ位である。
气になる茶である。ではでは
152五十嵐秀雄:2000/08/10(木) 19:53

            和辛棄疾(東京感懐)
               

            少年不知操滋味
            愛上操樓
            愛上操樓
            爲操新婦強説愁

            而今識盡操滋味
            欲操還休
            欲操還休
            却道天凉好个球
153 估客行 :2000/08/11(金) 14:46

   海客乗天風
   将船運行役
   譬如雲中鳥
   一去無蹤跡
154名無しさん@1周年:2000/08/11(金) 15:42
>153
ばか!これは近体詞にならね!
役、跡は第4声でおかしいよ。
勉強不足、やめる。ボケ。

155 ○ 東邪 ○ :2000/08/11(金) 16:46

さて、茶の話であったが、
有名所を挙げると、次の通りになるそうだ。

緑茶:<廬山雲霧茶><太湖碧螺春><黄山毛峰><西湖龍井>
烏龍茶:<安渓鉄観音><武夷水仙><凍頂烏龍茶>

中でもワシは、龍井茶が好きである。
【聞香、喝茶、食葉】
と三度も味わえるという優れものでもある。

普通、茶を堪能する際、
「色、香、味」を≪みる≫そうだが、
龍井茶は、すべてよいぞ。
他の茶については各位、味わって欲しい。

<海南苦丁茶>は、色が悪い、見た目も悪い、香なし、味は苦い。
156李莫愁:2000/08/12(土) 01:03
>148 西麗風小姐
弁髪で思い出したけど、気合入りまくった男の小説がありました。
長い弁髪を振り回し、敵をしばき倒すのが得意技で、ついた渾名が"神鞭"。
でもある日敵の銃弾で、自慢の弁髪を撃ち落されてしまう。
そこから一念発起して射撃を習い、とうとう銃の名手になりました、という話。
一応これも武侠小説なのかな?

白蛇伝の話は京劇にも地方劇にも色々あります。昔テレビで川劇のを見ました。
白素貞には武侠の女剣客の風情がありますね。人間じゃないけど。

旅行、いいですね。楽しんできて下さい。一路平安!

>黄島主
天霧茶は高山茶の一種だったと思います。
大紅袍は岩茶の王様でしたよね?原木が2、3本しかないという。
東京の専門店で飲めるそうですが、試したことはありません。
龍井は保存が難しいですね。少量買って、密閉容器で冷蔵庫に保管し、
早めに飲みきるようにしています。島主は如何されていますか?

桂花陳酒は甘口のワインです。最近はコンビニでもたまに見かける。
杏露酒とか王攵瑰露とか、あの類。茅台は白酒の一種じゃないの?

紹興酒は、女児紅の話が有名ですよね。
女の子が生まれると甕を庭に埋め、嫁入りの時に掘り出すというやつ。
古龍の小説にはよく名前が出てくる。当時の台湾では本物は飲めなかったろうに。
金庸は、料理は色々凝ったのを出すけど、そういえば酒ではあまり印象がない。
何か銘酒の出てくるエピソード、ありましたっけ?
157名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 07:36
>役、跡は第4声でおかしいよ。
何が言いたいのだ?詞でこの押韻はいいんじゃないの。
北京語だって両方第四声で合う。

将船運行役 って、船で労役夫たちを運ぶってこと?
なんでそんなに沢山運ぶの?
158李莫愁:2000/08/14(月) 02:03
>157
153は詞ではなく楽府でした。古体詩だから仄声の韻も当然OK。
作者はなんと李白だよ(笑 筑摩の古典全集に武部利男の和訳あり。
   旅商人は天風に乗じて
   船で遠くに出かける
   まるで雲の中へ飛び立った鳥のようだ
   行ったきり とんとゆくえがわからない
注によれば、[行役]とは用事で旅行すること だそうです。
159名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 05:38
運は? >158
160名無しさん@1周年:2000/08/14(月) 12:44
hee
161名無しさん@1周年:2000/08/15(火) 06:14
尋尋覓覓冷冷清清凄凄惨惨戚戚
162名無しさん@1周年:2000/08/15(火) 20:49
沒有女人冷冷CC,有了女人鷄犬不寧。
163 ○ 東邪 ○ :2000/08/15(火) 23:56

何とかつながった。どうもワシは電腦に疎くて結構困ったぞ。
何だな、昨夜と今夜は<月>が綺麗ではあるな。
皆の所は如何でしょうか?明月幾時有?

何故?か漢詩の話になっておるな。ワシとしては嬉しいぞ。
しかしながらワシは漢詩には詳しくはない。
以前『漢詩入門』を読んだが、「平仄」等、全然分からなかった。
ワシは、韻が踏めておれば漢詩だと想う種類の人ではある。
話についていけなくて、少少申し訳ないことではあるな。死罪死罪。

確か《侠客行》も李白の詩ではなかったろうか?
あれは長い詩ではあったな。

ところで、話ついでではあるが、こんなことがある。
皆は「李白」を何と呼んでいるだろうか?
大方の人は“Li Bai”と呼んではいないだろうか?
“Li Bo”という読み方があるそうだ。
本当だろうか? 誰かご存知であれば教えて欲しい。
164 ○ 東邪 ○ :2000/08/16(水) 00:54
>156:李莫愁

龍井茶の取り扱い・・・は硝子瓶に小分けして保存しています。
冷蔵庫では保存しません。本棚の書籍の間とか、そこに重ねている。
半斤単位で購入する故、いい加減半年もすれば、確かに味が変化します。
白茶の<銀針>を一両、大切に飲んでいたが、徐徐に味は堕ちていたな。

岩茶の<大紅袍>である。
ワシが贔屓にしている上海の某茶屋、そこの老板が申しておったことだが、
ワシらの飲める大紅袍は、苗木で増殖させたものだそうだ。
だから龍井や銀針と同等の値段で飲むことが出来るのだ、と。
本物は、、、周恩来やケ小平なんかが、飲んでいたのかのぅ。

紹興酒の<女児紅>についてであったが、ワシはその眞假の程は分からない。
知り会いに、金華近郊の中国人女性が居たが、「有名です」とだけ申しておった。
話すことには、大多数の家庭では、もう醸造させてない模様であった。
(若しくは、ちゃんと作っているのだが他人には教えない、のかも知れない)。

金庸における銘酒の話、ということであったが、
《侠客行》で張三と李四が飲んでいた毒酒の話、程度しか想い出せない。

常言道:酒逢知己千杯少,話不投機半句多。
165 ○ 東邪 ○ :2000/08/16(水) 01:20

話は、153の李白?の詩についてである。
158で李莫愁が訳を載せているが、商人の行(うた)の様ではある。

周知の通り、司馬遷『史記』は<刺客列傳>がある。
荊軻を筆頭とした六人の刺客の話である。
(又、同時代の任侠の徒を扱ったものもあったはず)。
そして更に<貨殖列傳>というのもあったな。

本題:
金庸の小説は「武侠小説」であるからして、≪貨殖≫を扱う作品はなかった。
何故ないのだろうか?とワシは想う。
金庸は、確か、何か出版社を経営していた、という話を聞いたことがある。
よって≪武侠≫と≪貨殖≫の両作品を江湖に問うてもよいはずだ。
ワシは唐朱公の話は好きであるぞ。生活の智慧を垣間見せてくれる。

それとも他人に商売の骨を教える様な間抜けは居ないということであろうか?
166名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 05:27
>唐朱公
陶朱公toujugung
167 ○ 東邪 ○ :2000/08/16(水) 22:43
>166:謝謝合作!

賈誼《過秦論》の「陶朱猗頓之富」という言葉がある筈だ。
越の臣・范蠡が、陶に住み、朱公と稱した、話であったな。

さて、上述=165に於ける問題の心象ではあるが、
簡潔であって、「中國人は商売が上手」ということである。
これが本當かどうかは分からない・・・・・・・・・本當。
そういうのも、聞く所に据ると、
世界で最も商売上手であるのは【印度人】だそうである。
彼の猶太人でさえ驅逐して仕舞う程の腕前だそうだ。
中國人の腕前はこれに劣るであろう・・・多分きっと。

そんな商売好きな(?)中國人であるから、
≪武侠≫があるなら≪貨殖≫があっても少しも可笑くはないぞ。
そんな气がする。皆はどうであるか?
168 ○ 東邪 ○ :2000/08/18(金) 02:19

ところで、ワシは現在、実家に帰省しておる。
田舎なので、ナカナカ星空が綺麗ではあるな。

時折、想う譯だが、所謂「お盆」は中國にもあるのだろうか?
と云うのも、中國語圏には≪春節≫というのがある。
大体、二月の中旬頃であるな。
この春節は、「舊正月」ということで、
日本では祝われてはいない(極稀に祝う地方もあるという。)
それなら「お盆」はどうなるのであろうか?

小さな謎ではある。
169 ○ 東邪 ○ :2000/08/18(金) 02:20

宋代の詩人:李Uの≪一江春水向東流≫という詞がある。>144、147

そして≪一江春水向東流≫という電影があるのをご存知だろうか?
戦後の間もない時期に撮影された、3〜4時間もの長い作品である。
ワシの知り合いの中國人は老いも若きも皆、この電影を知っておった。
(知名度は日本に於ける「羅生門」程度であろうか?)謎ではある。
疑問に想うのが、
電影の題に、何故この詞の一節が使われたのか、ということである。
皆さんも一度ご鑑賞あれ。

張國榮と鞏俐の共演する≪風月≫という電影もある。1996年の作品。
富豪のPeng家と関係することによって忠良が堕落して逝く話である。
つまらない作品ではあるが≪一江春水向東流≫のパロディーであるぞ。
ではでは
170名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 03:13
盂蘭盆会,自然有。俗称鬼節者是也
171名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 22:27
>170
本当?
中国人はみんな故郷へ帰るの?
172名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 01:16
本当如此,懐疑甚麼?
173名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 22:12
中国人がお盆に帰省するって、私も聞いたことありません。
大学の留学生も、春節には帰るけど、お盆には帰らないよ。
本当に、本当なの? 嘘ついてない?
174名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 22:55
中秋月餅はやっぱり売れてるぞ。
オレは濃すぎて食べられないが未だにポピュラーだ。
共産党が旧癖を撲滅しようとしても、こう言う物は
消えないのですよ。
175名無しさん@1周年:2000/08/20(日) 00:48
>中国人がお盆に帰省するって、
這個当然没有。鬼節怎麼會没有!
176 ○ 東邪 ○ :2000/08/20(日) 02:22

以前、小学館『日中辞典』で「お盆」を調べたが、
確かに「盂蘭盆会」であった様な气がしないでもない。
それを「鬼節」と俗に云うのは、初めて聞きました。
やはり舊暦の8月15日「中秋」の方は有名ですな。

爾し中國人は、所謂「墓参り」を、するのだろうか?
まぁ年二回、実家に歸ることがあるのも、好い事ではある。
ワシの知り合いの中國人も、お盆は全然歸省しないぞ。
177 ○ 東邪 ○ :2000/08/20(日) 02:31
>174

【月餅】と謂えば、何だったかな、
 上海の外灘から、そう遠く離れていない場所に、
【月餅】の専門店があった、そんな記憶がある。
 ワシは偶偶そこを見付けたのだが、
 結構有名な店だ、という話ではあった气がする。

 爾しながら【月餅】と謂えば、
 粤語圏の品が、比較的、美味しいと想われる。
 破壞して食べなければ、手に負えないがな。
178名無しさん@1周年:2000/08/20(日) 05:26
清明掃墓
179 ○ 東邪 ○ :2000/08/21(月) 16:42
>153

 確かに李白の作品でありました。
 大野實之助「李太白詩歌全解」。
 それに据ると次の通りでした。

 絶句
 役・跡(陌韻)
「行役」行商
 入声十一陌の韻字

 そんな具合
180 ○ 東邪 ○ :2000/08/21(月) 16:54
陽暦の二月頃、農暦の正月=春節に一年の始まりを祝い、
陽暦の四月頃、清明節にご先祖様の墓を掃除し、>178
陽暦の九月頃、中秋に盂蘭盆会で何かをお祭りする、のであるな。>174

わしの幼い頃、田舎では「盆と正月が一緒に来た」等と申して、
メデタイことを楽しんでいた記憶がないでもない。
そんな心象がある故、
盆と正月とは、隔たっていなければならない、と想っておった。

當の大陸系中國人は、春節にしか回家しないでもないがな。>173
もしかするとこっそり歸っているのかも知れない。
わしもこっそり歸って来たのである。
181>177:2000/08/21(月) 19:29
それは上海福州路の「杏花楼」でしょう。
ここは中秋節には長蛇の列ができる有名店です。
確かにうまかった。また食べたい。
182名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 00:14
>「行役」行商
行商を運ぶ?行商人を運ぶ?「海客」も行商人みたいなもんでしょ。
有名な先生でも結構解釈に苦しむ個所なのかもね。
杏花楼ツアーで立ち寄ったけどまずかった
183名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 00:19
>陽暦の九月頃、中秋に盂蘭盆会で何かをお祭りする、
中元節是一歳之中。農暦七月十五日。
中秋節是秋季之中。農暦8月十五日。
184名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 13:41

《杏花楼》的月餅
《培羅蒙》的西衣
《功徳林》的精進料理
和《藍棠》的皮鞋
聞名的。
185名無しさん@1周年:2000/08/22(火) 13:43

于上海來講>184
186 〇 東邪 ○ :2000/08/22(火) 16:49

165でワシは、
>司馬遷『史記』は<刺客列傳>がある。
>荊軻を筆頭とした六人の刺客の話である。
と書いたが、
改めて『史記』刺客列傳二十六(史記巻八十六)を読だ。
そこには「自曹沫至荊軻五人」と書いてある。

ワシは、曹沫・専諸・予讓・聶政・荊軻・高漸離の六人を念頭に措いていた。
高漸離は、刺客に含めないのであるな。惜しいことである。

遊侠・侠客・任侠・豪侠を収めたのは、遊侠列傳六十四であった。
そして司馬遷と同時代の遊侠は、郭解であったという。
(郭姓の侠客と言えば、郭靖であるな。)
187 〇 東邪 ○ :2000/08/22(火) 16:54
>182
ワシが大野實之助「李太白詩歌全解」で調べたことだと、

       海客乗天風
      将船遠行役
      譬如雲中鳥
      一去無蹤跡

となっておった。
遠くへ商売をしに行く、
程度の意味ではないだろうか。

爾し何ではある。
153も152も何を目論んでいたのであろうか。
少少气にならないこともない。
188 〇 東邪 ○ :2000/08/22(火) 16:56

>181・182・183・184・185

謝謝合作。
189丁不二:2000/08/23(水) 13:50
皆さんからの問い合わせ

台湾の人も御盆に帰省したりお墓参りをするのでしょうか?
八月十五日は、戦争が終結した日ですが、お祝をするのでしょうか?

台湾では
7月7日 蘆溝橋事件の始まりが中国8年抗戦です。
この日が日本との開戦です。
このころから、日本戦争映画がTVで放映されます。
8月15日は八年抗戦中国勝利日です。
特に記念式典はありません。

お彼岸にはお墓の清掃をいたします。
4月5日です。

夏は、幽霊の出てくる季節です。
祖先がやってきて現世の様子を見に着ます。
このときには鬼に出会う機会が多いので
家を買うこと、結婚をすることはしません。

http://homepage1.nifty.com/MYO/
ここからの引用でした。みなさん同じ様な疑問を抱いてるのですね。
ここでの「鬼」とは所謂「霊魂」と同様の扱いのはずです。
190名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 03:52
イ尓們日本人春分掃墓。我們支那人和台湾人都是清明掃墓。四月五日是清明節。
中元節就是鬼節,多値三伏天気,所以有人説夏季是鬼季。
191 ○ 東邪 ○ :2000/08/24(木) 16:40
 >189
 http://homepage1.nifty.com/MYO/
「謝小姐の臺灣日記」であるな。
 何を隠そう、ワシも配信記事を受けておる。
《壹拾圓でございます》は痛く感動させて貰った。
 感想を送ったら、
 愛想のない返答が返って来て、
 少少がっかりもしたぞ。
 どうでもいいのだがな。

 謝謝合作
192 ○ 東邪 ○ :2000/08/24(木) 16:50
 >190

<盂蘭盆会>の話を伸ばし過ぎて恐縮なのであるが、
 中華圏の人は、
 所謂《御中元》或は《御歳暮》を贈り合うものだろうか?

 無論、ワシは贈ったことも頂いたこともないのであるが、
 以前、こういう話があったと耳にする。
 某人が「情人節」に贈り物を貰ったそうである。
 その方は感謝して、後日何か返礼をしようとしたそうだ。
 ところが贈った方は、贈り物の交換が原則(?)ということで、
 その足で一緒に御返しを買いに行ったそうである。

 文化によって約束事が違うと、困ることがあるかも知れない、
 そういう話であった。
193名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 09:39
194名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 11:14
195名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 13:46
196 ○ 東邪 ○  :2000/08/25(金) 16:50

 紹介して頂き、ありがとうございます。ご苦労様でした。>194・195
 日本でも、コツコツ人气が出ている模様ですな、本當に。
 ワシが武侠小説に出会ったのは、大凡四年前であった。
 着実に中華圏の作品が紹介されていて、精神生活上、大変よろしい。
 また何かあればお願いします。

 爾し193は一体全体どういう意味があるのであろうか?
 もしかして送り違いか?
197 ○ 東邪 ○  :2000/08/25(金) 16:56

 192の話題であるが、中午に瀋陽の方に質問してみた。
《御中元》も《御歳暮》もないそうである。
 春節に贈り物をするそうであるが、その際、
 石鹸、洗剤、食品、食用油、御菓子、等、
 日本で一般的な贈答品はまず贈らないそうだ。
 何故か?
 その様な物品を贈られる程、
 生活に困窮していない、とのことだ。
 主に、
 金銭、健康食品、文化的文物(書画)を贈る。

 ワシの中国語能力に問題に問題がなければそんな具合である。
 ではでは
198名無しさん@1周年 :2000/08/26(土) 14:59
199都職員 :2000/08/26(土) 15:09
  どうでもいいけれど、日本の友人は、台湾だ。
  政府は、台湾とも国交を樹立すべきだ。
200西毒 :2000/08/27(日) 03:07
194は老舗だな。195は194を荒らして追い出されたおばはんが対抗して作ったやつ(w
197の主は大学の中文教師で、上2つの掲示板でもよく見かける。
「いま出ている武侠の翻訳は女がやっているから駄目」だそうだ。
そんなら自分がやれ。
201 ○ 東邪 ○  :2000/08/28(月) 16:48
>西毒:祝!200

          !祝賀! 200を越えましたね !祝賀! 案外早かった !祝賀!

取り敢えず皆さん「人に歴史あり」ということでしょうか。
老毒物は色色とご存知ですなぁ。

爾し198の大学中文教諭が“fiction”を「ヒクション」というのは何故だろう。
つい失笑して仕舞った。うふふふふ・・・

そんな具合ではある。いやいや
202 ○ 東邪 ○  :2000/08/28(月) 16:58
>>116
ここでの金庸と挿絵の話であったが、
ワシは《三十三剣客図》を念頭に措いていた。
作品水準と挿絵との間は差がある、ということだ。

因に《三十三剣客図》とは、
《越女剣》の続編(?)として企画された作品だそうだ。
港台版では《侠客行》の後に収容されている。
ではでは
203名無しさん@1周年 :2000/08/29(火) 09:21

>202
収容>収録
204苗人鳳 :2000/08/29(火) 14:27
うぃーっす、ご無沙汰ご無沙汰。まだ夏は終わらず、都会は暑いさかりです。

竹内実「新版 中国の思想」NHKブックス
つい最近読んだこの本に、「面子」のことが触れられてたんで、紹介します。

:148〜151ページ(第7章「生活の思想」から抜粋)
「面子」とは「顔」の意味であり、それは日本の社会で使われる「顔を立てる」とか、顔を「つぶされた」とかの「顔」であるが、
日本人の「顔」よりは複雑で、広い。「体面」ともいってよいが、「体面」だけに終らない場合がある。

:事例
@旧中国で使用人を叱るとき、他の使用人の前で殴ってはならなかった。殴られた使用人の「面子」を潰すからである。
A友人の知っている料理店に行けば、友人に払わせないと、友人の「面子」がなくなる。
B争いがあって仲裁人が出てくれば、その仲裁人の「面子」に対して、争っていた双方は手を引かなければならない。
−仲裁人はまた双方の「面子」が立つような和解の方式を考えなければならない。

竹内氏の解説によると、この「面子」は中国人の「自尊心」を根拠としている。
且つ「面子」は「形式主義的」であって、「受け身的」でさえある。
それは他者に侵害されない限り、「面子」は問題とならず、形式さえ守れば、「面子」を立てたことになるとか。

自分がよく分かんないのが、どうやると面子を潰し、どうやると面子を立てることになるか、ということ。
そのハウ・ツーが疑問だった訳。
自分は「苗人鳳」ということから、少々怒っぽいんだが、
これは面子の問題に触れたからだろうか、と思ったこともある。
自分の自尊心はどこにあるんだろうか。ちょくちょく考える。
中国人はどうだろうか?
205 ○ 東邪 ○  :2000/08/29(火) 16:49

謝謝合作 >203

時間がなくて申し訳ない。
青山不改,縁水長流,後會有期!
206名無しさん@1周年 :2000/08/30(水) 16:28


♪ 問世間 ♪ 情是何物? 直教生死相許?♪
207名無しさん@1周年 :2000/08/31(木) 10:12
便利でしたので紹介。

http://www.google.com/intl/ja/
208御節介人 :2000/09/02(土) 11:26

>>56
祖宗十八代壞事做得太多,以致貽禍子孫了。
or
十八代祖宗不積徳的楊過。

以上、《神G侠侶》から。
209名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 13:37

本当にどうでもイイね>199
210名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 13:49
 
211神武不殺 :2000/09/03(日) 15:49

世上鶏先有,還是蛋先有?
212名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 16:10

裘千丈:長兄
裘千仞:鐵掌幇幇主鐵掌水水上飄
裘千尺:鐵掌蓮花

《尺貫法》でこの兄弟の関係を説明して下さい。お願いします。
213名無しさん@1周年 :2000/09/03(日) 17:01
 
214名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 07:22
  
215 謝煙客   :2000/09/04(月) 08:13

當然鷄先有。>211
216☆ 西麗風 ☆ :2000/09/05(火) 14:10

皆さんお久し振りです。黄島主、李莫愁さん、夏はどう過ごされましたか?黄島主は実家に帰省されたみたいですね。
私は実家のことはトモカクとして、ハワイはとてもとても佳い場所でした。皆さんも一度はご堪能あれ!(言葉に不自由はしませんから。)

>156:李莫愁 大姐
その武侠小説(?)の話って、気合入ってそうで、でもその主人公って何か勘違してません?でも、その努力は認めてもいいかも。。。
やっぱり“神鞭”から「射撃」への飛躍って、はっきり言って力技では?でも何だか、東洋(弁髪)の西洋(拳銃)に対する敗北って感じもします。

白蛇伝は地方劇の題目にもあるのですね。
すると「覇王別姫」の川劇、晋劇、越劇、なんていうのも実際あるんでしょうか?でも方言で演じられても、もっと理解できませんね。

>黄島主へ
150から215まで読むだけでも時間がかかってしまいました。
感想はまた後日
217 ○ 東邪 ○  :2000/09/05(火) 19:27
 最近は何だか厭に忙しい。もう205から一週間も経って仕舞ったとは!
(因に「忙」は「心ヲ亡ス」というのがそのココロらしいのだが。)

 西麗風,好久没見了。
 ご旅行はボチボチであった模様であるな。

>204:苗人鳳
>212
 ちょっと待ってて下さい。

>211
 鶏先有!

 ではでは
218 ○ 東邪 ○  :2000/09/06(水) 19:06
>212

丈=十尺
仭=八尺
尺=30.303cm

千丈=一万尺=3km30m30cm
千仞=八千尺=2km424m24cm
千尺=0.3km(303m)

よって裘千丈が長兄となる。

質問で言わんとされたことが、
よく掴めないのであるが、
こんな具合であろうか?
219 ○ 東邪 ○  :2000/09/06(水) 19:19
>204:苗人鳳

事例の最後が、「面子」の立つ様にしなければならない、と言及されてはいるが、
大凡の枠組としては「面子」を潰してはいかん、ということがもんだいであるな。
何故なら「面子」というものの性質上、「受身」であるからだ、という。

爾しワシの判らないと申すか、理解出来ないのが、「自尊心」ということであるぞ。
ワシは時折、自分には世間の人様が喧しく声高に要求して憚らない、
所謂「誇り(pride)」と申す概念がよく判らないで居ることに气付くのだ。
だからワシは「面子」にも「體面」にも拘らない。
その反面、人様の「自尊心」を傷付けることもないではない。
爾し余り气にしてはいないのだがな。

よってワシが想うに、自己の自尊心に敏感な者は誰でも、
人様の面子を考える、ということではないだろうか。
そんな具合ではある。
220 ○ 東邪 ○  :2000/09/06(水) 19:25
いやいや、問題は中国人の場合であったな。
よく分かりません。爾しこんな経験がある。
一度中国人に「先生(xiansheng)」を連発したことがある。
相手は無茶苦茶嬉しそうであったぞ。
一度試してみるのも有意思ではあろう。
221 ○ 東邪 ○  :2000/09/06(水) 19:28
>218補足

一尺=十寸
一寸=3.03cm
一間=六尺

以上、木匠の使用する曲尺の尺貫であった。

和裁用の鯨尺という尺貫もあるそうだ。
一尺=曲尺の一尺二寸五分=37.88cm也
222李莫愁 :2000/09/06(水) 23:10
みなさま、お久しぶりです。黄島主、麗風小妹子、別来無恙麼?
暑い南方でだらだら過ごしながら、《射G英雄伝》の和訳を読んでいました。
で、少々気になったのが、第3巻で東邪黄薬師が敵に股くぐりをさせる場面なんですけど、
何かそれって、もろに急所を敵の間近にさらけ出してるわけでしょ。
攻撃されたらどうするのかしら?それとも武芸の達人なら、そういう心配はないのかな?
どうかご教示くださいませ。
223名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 23:16
age
224名無しさん@1周年 :2000/09/06(水) 23:17
225 西麗風  :2000/09/07(木) 15:25

今年の「中秋の明月」は9月12日のようです。(でもそれって「十五夜」のことですよね。)
実は、まだ月餅を食べたことありません。見たことも、、、ないと思います。それって何なんですか?
上海に2回程行きましたけど、それにもかかわらず有名店という《杏花楼》の月餅って初めて聞きます。
超有名な観光地しか行かないからでしょうか? 代りに上海蟹はちゃんと食べましたよ。。。

でも秋の月夜って佳いですよね。金庸の作品中でも欠かせない(?)場面設定ではありませんか?
例えば、《碧血剣》で青青と承志が温家荘で語り合ったり、黄蓉と郭靖が小舟で会ったりしましたよね。
(勘違いしてたらゴメンナサイ。記憶に自信ありません)。
「秋」と言えば、大部分の日本人は「夕方」と答えるそうですが、皆さんはどうですか?
聞く所によると、それは『枕草子』から始まったそうです。「夏は夜、秋は夕暮れ」でしたよね。
それ以前は「秋」と言えば「夜」でした。何故なら、月が綺麗だから。
ですから『枕草子』の洗礼を受けてない中国の方なんかだと、秋と言えば夜になるんでしょうね。。
実は私の誕生日は今月なんです。だから名前も中秋の明月にちなんでつけられた、と母親が言ってました。
確かにそう言われるとそうかもしれないなぁ、、、と思いますけど、やっぱり普通は分かりません。

>李莫愁大姐
【桂花陳酒】をディスカウント酒店で見ました(600円前後)。
甘口ワインだそうですけど、味の方は美味しいんでしょうか?こんど友人と試してみます。

中国人の喧嘩と言えば、やっぱり股くぐりですよね。ジャッキー・チェンの映画でも観ますし、韓信の逸話なんかでも。
でも何で股くぐり?っていつも思います。あれって勝利の気分を謳歌できるんですかね?
226 西麗風  :2000/09/07(木) 15:28

何だか取り留めのない話になってしまいましたね。
次回は金庸ネタの話を持ってきますよ。黄島主、楽しみにしてて下さい。
227李莫愁 :2000/09/08(金) 03:32
>202 黄島主
≪三十三剣客図≫の絵って、明代の版画でしょ。小説の挿絵とは違いますよね。
金庸はもともと、これを基にして33人の剣客全員の物語を書くつもりだったけど、
第1作の≪越女剣≫だけで力尽きたと説明してます。

>204 苗大侠
この事例@〜Bなんですが、@Bはまんま日本人にも当てはまるんじゃないですか?
Aだってデートの時なんか、男が払うのが当たり前みたいな雰囲気はあるでしょ。
あれも一種の面子じゃないの?
そうすると、日本人の「顔」と中国人の「面子」ではっきり違いが出る場合って、
一体どんな時なのでしょう?なにかいい例はありませんか?

どうでもいいけど、中国に割り勘の慣習がないなんて、嘘だよね。
(AA制って言うんでしょ)

>211
原来是小雛児先有。(因為它可愛、所以上帝首先創造了它)
というネタが吉田戦車の漫画にあった。

>216 西麗風小姐
気合入った小説についてなんですが、中国語では名射撃手を「神槍手」というので、
「神鞭」変じて「神槍」になりました、という何だかよく分からない落ちでした。
覇王別姫は地方劇にもあるようです。
だいたい京劇自体、あちこちの地方劇が合流してできたものらしいので、
演目のダブりはよくあるみたいです。
228李莫愁 :2000/09/08(金) 03:33

>219 黄島主
>自己の自尊心に敏感な者は誰でも、
>人様の面子を考える
ふーむ、そういうもんでしょうか?私の経験ではむしろ反対だったな。
何かっていうとすぐ「気持ちを無視されたー!」と逆ギレしたり、
やれ噛まれたの傷ついたの、キイキイ喚き立てる奴に限って、
他人の気持ちは思いっきり平気で踏みにじりまくって、
後足で砂かけてましたけどねえ。
(ごめん、ちょっと私怨入っちゃった・笑)

>225 西麗風小妹 〜祝 イ尓 生誕快楽〜
月餅はいちおうスーパーでも中村屋のやつが売ってますよ。
「あん」と「たね」があって、「たね」の方がそれっぽい。
でも中華街なんかで売ってる本場の巨大なやつには敵いません。
こないだ香港のお土産に貰った月餅は、蓮の実をすりつぶした餡に、
塩玉子の黄身が2つ入ってました。この塩玉子がうまいのよ。

上海の月餅の思い出といえば、腹ぺこでタクシーに乗ってぐったりしていたら、
運ちゃんが哀れんで自分用らしい月餅を恵んでくれたことがある。
氷砂糖が入ってて美味しかった。おかげで一食助かりました。

桂花陳酒は甘口が大丈夫ならお勧めです。私はわりと好き。
金木犀の花で香りがつけてあるから、今の季節にぴったりですよね。
お月見のお伴にでもいかが?
229 ○ 東邪 ○  :2000/09/08(金) 19:42
>222:李莫愁
臨安府・牛家荘に在る曲靈風の酒屋での逸話であったな。
確かに股くぐりは、力量の差が歴然としてないと無理だな。
金的を相手にさらす訳だし、その後、背中を見せる訳だろ。
多分きっと、デューク・東郷なら、そんなことはしないな。
(過分な自信家ではないそうだから。)
それは演義物の“定番”程度の理解でよいと、ワシは解釈しておる。如何?

>227:李莫愁
金庸は《三十三剣客図》の説明箇所で、
中国に於ける挿絵の伝統について、言及していた気がする。
大体に於いて小説作品とその挿絵とでは、差があり過ぎる、と。
(無論、優れた挿絵の作品も、伝統上、稀に見られるそうだがな。)

>228:李莫愁
いやいや、ワシとしては「自尊心」は深いものだと想っておる。
軽い「気持ち」とかではないぞ。(別に洒落という訳でもない)。
ワシの個人的な実感からすると、
日本人は「自尊心」というか、「信念」一般というものに、拘泥しない様だ。
(と申すか、これはワシ自身のこと、ただそれだけのことかも知れない。)
その方は气分屋なだけかも知れんぞ、、、とワシは想うのである。如何?
230 ○ 東邪 ○  :2000/09/08(金) 19:46
>225:西麗風

今年の十五夜は、九月十二日だそうだが、満月は十五日の様だ。
今年は閏年(だったかな?)であるから、そうなるのであろうか?
ワシも日本では月餅を食べた記憶がないぞ。
ただし月餅と思しき食品なら食べなかった訳でもない。
取り敢えず、「秋の夜長」ではあるな。

個人的な話になって申し訳ないが、西麗風小姐の“名字”というのは、
十五夜の明月 ⇒ 明子:であろうか?(まさか月美ではあるまい)。
でも「普通はわからない」と申しておるからな・・・まぁいいです。

ネタを待っておるぞ。ではでは
231李莫愁 :2000/09/09(土) 02:16
>229 黄島主

>金庸は《三十三剣客図》の説明箇所で、
>中国に於ける挿絵の伝統について、言及していた気がする。
>大体に於いて小説作品とその挿絵とでは、差があり過ぎる、と。

その通りでしたね。ちょっと勘違いしてました、すみません。
金庸小説とその挿絵の話かと思った。

>ワシとしては「自尊心」は深いものだと想っておる。
>軽い「気持ち」とかではないぞ。

いや、ちょっと私怨入ったせいで話がずれちゃったけど、
自分の持ち物を大事にする人間が、他人のそれも尊重するかといえば、
必ずしもそうではないだろうってことを言いたかったのです。
その持ち物が深い「自尊心」か、軽い「気持ち」かに関わらずね。

で、島主のいう「自尊心」や「信念」ですが、
これってかなり個人的なもののような気がします。
他人や社会とぜんぜん関係ない、あくまで自分だけの規範って感じ。
その点、ここで言われてきた「面子」や「顔」「体面」とは、
少し違うんじゃないかと思うのですが、如何でしょう?
232名無的発言者 :2000/09/09(土) 13:42

>230
的確来講:自十四日晩上 至十五日早上 就是“明月”。
233無名的提言者 :2000/09/09(土) 17:45

212 >>218:黄島主
有り難うございます!
これで裘千尺の台詞「丈夫、丈夫と言うけれど〜云々」という意味が分かりました。
裘千尺の両親が千尺と名付けたので、
旦那(丈夫)と千尺=百丈=303mも離れてしょうがない!ということになるのですね。
面倒臭がりで済みませんでした。>>212
再見。
234神武不殺 :2000/09/10(日) 14:33
>>211

>>215:謝煙客
>>217:東邪
>>227:李莫愁

 謝謝回答。不過実在不満意。満意的答復就是李莫愁的。
 下次有機会,大家可能加以仔細地説明一下,好不好?
 而西麗風小妹干甚麼?
235《白馬嘯西風》 :2000/09/11(月) 08:21

李文秀:"白馬李三"と"金銀小剣三娘子"上官虹との間の一人娘。
計爺爺:回疆で孤児となった李文秀を育てる。

回疆哈薩克族(Kazak):一个哈薩克人,抵得一百个懦夫;一百个哈薩克人,就可横行回疆。
蘇普:哈薩克族で、文秀の幼馴染み。
蘇魯克:その父。妻と長男とを殺され、漢人を憎む。
阿曼:哈薩克族の少女。
車尓庫:その父。雅麗仙(故人)の夫。蘇魯克の好敵手。桑斯儿と"駱駝"の師。

華輝:回疆に住み、文秀に武功を授ける。"一指震江南"。
瓦耳拉斉:或る理由から一族を追放された哈薩克族。
馬家駿:瓦耳拉斉の弟子。
"呂梁三傑":文秀の持ち去った"高昌迷宮的地図"を探す。
老大"神刀震關西"霍元龍、老二"梅花槍"史仲俊、老三"青蟒剣"陳達海

<白首相知猶按剣 朱門早達笑弾冠>
236 ○ 東邪 ○  :2000/09/11(月) 19:32
>231:李莫愁

>自分の持ち物を大事にする人間が、他人のそれも尊重するかといえば、
>必ずしもそうではないだろうってことを言いたかったのです。

その差異というのは、「自分の」持ち物であるか、「他人の」持ち物であるか、
に基づくのではないだろうか。それが自分の物なら、自然と大事にするぞ。
「物」の取り扱いに自尊心は関係するのであるか?やはり「气持ち」の問題であるぞ。

>で、島主のいう「自尊心」や「信念」ですが、
>これってかなり個人的なもののような気がします。
>他人や社会とぜんぜん関係ない、あくまで自分だけの規範って感じ。
>その点、ここで言われてきた「面子」や「顔」「体面」とは、
>少し違うんじゃないかと思うのですが、如何でしょう?

ワシの云う「信念」や「自尊心」は、少しも個人的・内面的なものではないぞ。
そもそも人は(馬克斯曰:)社会的存在者ではあるな。
社会的・文化的なもの、それは唯「形式」として示され、与えられるのだが、
人はこれを自己の行動規範としなければならないのだ。即ち「社会化」であるな。
そういった社会的・文化的・歴史的な枠組みを離れて、
全くの個人的な何かに抽象して仕舞うと、≪獨我論≫に陥って仕舞うぞ。
自尊心や信念と雖も、社会的・文化的な関係によって支えられる必要があろう。
そしてワシの意見は、「形式」の部分で、緩く面子の話とつながっておるのだ。
李莫愁のその知人は、「形式」を視野の外に置くのであるな、多分きっと。
如何如何?
237 ○ 東邪 ○  :2000/09/11(月) 19:48
>232
謝謝合作。但愿人長久,千里共看嬋娟。

>233
うむ、何でも質問してよいぞ。でも簡単なものを頼むぞ。
それは確か裘千尺が娘の公孫緑萼に言った言葉であったかな?

>234
質問自体が簡単なのに、その要求は、ちと割に合わぬぞ。
以前、「一休さん」を観た時のこと、その頓知小僧が申しておった。
「それは卵です。何故なら『二は鳥』ですから」と。
これでどうかな?爾し中国語では答えられんな、これは。怎麼様?

>235
何であるか?これからここで翻訳でも始めるのか?
楽しみにして居るぞ(既に知っておるのだがな)。
238>234 :2000/09/12(火) 03:52
座懐乱れずの柳下恵の場合は?
239 西麗風 :2000/09/12(火) 11:23

>227:李莫愁 大姐
>気合入った小説についてなんですが、中国語では名射撃手を「神槍手」というので、
>「神鞭」変じて「神槍」になりました、という何だかよく分からない落ちでした。

気に入った小説って、156の武侠?小説の話でのことすか? 紹介から受けた感じだと、余り面白くなさそうな。。。
金庸の作品も力技がないこともないんですけどね。その作品の日本語訳なんて出てないんでしょうか?

>覇王別姫は地方劇にもあるようです。
>だいたい京劇自体、あちこちの地方劇が合流してできたものらしいので、
>演目のダブりはよくあるみたいです。

中国の文化は、様々な支流が一つになることで、大きな成果を上げている、と聞いたことがあります。
京劇も、その原則に漏れず、よいところを兼ね揃えているのでしょうね。大陸文化という感じですわ。

>西麗風小妹 〜祝 イ尓生誕快楽〜

感謝大姐的関懐! でもまだちょっと先のことなんですけどね。
中華街ですか、、、まだ横浜、神戸、長崎、どの中華街にも足を運んだことがありません。勿論、本場の香港にも。
李莫愁大姐の説明を読んでいると、何だかオイシソウに思えて来ました。その塩玉子って、餡子に適いそうですね。
日本のものって、日本風中華料理もそうですけど、本場モノと比べると、味が薄いし、量が少ないし、やる気が感じられません。
でもそれって海外で日本料理を食べるのと同じなんですよね。高いし、味がイマイチだしって。
月餅ってやっぱり季節モノ?ですから、時期を逃せば、現地に行っても入手出来ないんでしょうか?(専門店以外では。)
上海の出租汽車の運転手って、何だか無愛想じゃありません???そう感じるのは私だけでしょうか?

桂花陳酒って金木犀の香りが附いているんですか。お茶もそうですけど、花が好きなんですね、ホント。
240 西麗風 :2000/09/12(火) 11:26

金庸ネタ、というのは、ハワイに行った時のことに始まるんです。

街で【台湾式足の裏マッサージ】というのを体験しました。6$ちょっとのコースを、台湾とは関係ないハワイで。
そのマッサージの痛いの痛くないのって、体中響いて来ますって感じなんですよ。。。あぁ痛い。。。
ちょっとアヤシイ日本語を使うおばちゃん(台北出身、と言ってたが、本当かどうか分からない)から、
「お姉さん疲れてます」とか「腸の働きが悪い」とか「姿勢を直したほうがいい」とか、色々言われました。
何故、足の裏をマッサージしてて、そんな事が分かるの? それよりもこの痛さは何?
そんなことを考えてたら、あることがひらめいたんです。それは【経絡秘孔】なんです。
あれって金庸の小説中に出てくる【点穴法】と何か関係あるんでしょうか?私は関係あると思ったんですけど。。。

詞典で調べてみるとちゃんと載ってました。「経絡:漢方医学における気血の流れ。人体を循るが、血管とは異なる」と。
更に「経絡は【十二正経】【任脈】【督脈】と区分され、その上に650の【経穴】が通る」とあるではありませんか。
金庸の小説や北斗の拳って、本当の所があるんですね。ちょっと見直しました。。。
目下読んでます《神G侠侶》で「霊台穴、霊台を損なえば経脈を全て失う」とありましたけど、大変なことなんですね。
小説中、内功がどうのこうのでよく血を吐いてますけど、私もあれ以上やられてたら血を吐いてたかも。。。

でも、気とか内功とか秘孔とかって、本当の所、どうなんでしょう???私はちょっと信じました。

体験したことあります?李莫愁大姐に黄島主は?一度はやってみて下さい。どうせなら本場で。
241西麗風 :2000/09/12(火) 11:34

面子や自尊心ですか。
私は気にしたことがないですけど、気にする人は気にするんでしょうね。
金庸の作品中では、ほとんど登場人物が自分の面子を重んじますけど、
他人の面子のことなんか知ったこっちゃない、って感じなんじゃないですか?
黄島主のいいたいのは、「人格的に出来た人」のことであって、
それは作品中の「好漢」にしか当てはまらないんだと思います。
私の感想としてはそんなトコですかね。

>230:黄島主
ハズレです。でも「月美」ってそのママって感じじゃぁ。。。
最初、見た感じ、誰でも気付くことはないですよ。多分ね。

>234:神武不殺さん
何かありましたか?
242神武不殺 :2000/09/13(水) 14:04

>241:西麗風小妹
世上鶏先有,還是蛋先有?

>237:東邪大哥
謝謝答復。可是曾經看過,我也知道了。
243 ○ 東邪 ○  :2000/09/13(水) 19:06
>240:西麗風小姐

台湾式の足裏マッサージであるか。(本場モノかどうかは知らないのであるが。)
ワシは一般的なもの(が存在するかどうかは知らないが)も経験したことはないぞ。
確かに、日本にも「ツボ」という、合理的な説明を依然受け付けない概念があるな。
針灸という治療法も(多分)この「ツボ」を刺激することで健康になるのであるな。
しかしどうなのであろうか、点穴というのは実在している、といっても良いのかな?
ワシはそういったことについては「气功」同様、眉唾ものだと想っておったのだが、
足裏マッサージの話から持って来られると、どうなのであろうか?
(ところで、その足裏マッサージとやらで、本当に疲れは取れたのであるか?)
しばし待たれよ・・・今度調べておく故。

爾し何故「北斗の拳」を知っておるのだ?もしかして文庫本で読んだのであるか?
【経絡秘孔】などと、久し振りに耳にするぞ・・・・・まぁそれはいいとしよう。

ではでは
244 ○ 東邪 ○  :2000/09/13(水) 19:11
>241:西麗風小姐

多分きっと、ワシは所謂<性善説>という立場から、
理念として話をしていたのだと想うぞ。「人は斯くあるべし」と。

やはり名子は明子でも月美でもなかったか。
しかし昨夜も今夜も曇り空で月亮は見えないぞ。真可惜!
みなの処はどうであるか?
245 西麗風 :2000/09/14(木) 17:29

昨夜の月は奇麗でしたよ。今日はテストが三つもあって疲れました。。。累死了。。。

>242
その問題ですか。中国語で答えなきゃいけないんでしょうか?待ってて下さい。

>243
私は日本のツボ治療法を試したことがないですね。あれも中国が本場なんでしょうか。やっぱり。
足の裏マッサージで疲れがとれたかどうか???
どうなんでしょうねぇ、実際のところは?

帰って寝よ。。。
246 ○ 東邪 ○  :2000/09/14(木) 19:13

ワシの住む場所も今夜は晴れそうではある。
西麗風はテスト期間中であるのか。
ワシも見回りや教室変更のお知らせ等で忙しいぞ。
お蔭で研究がはかどらなくて仕方がない。
ワシも帰って酒でも飲むとするか・・・ではでは
247無名的発言者 :2000/09/15(金) 11:46

>225:西麗風
>秋の月夜って佳いですよね。金庸の作品中でも欠かせない(?)場面設定ではありませんか?
>例えば、《碧血剣》で青青と承志が温家荘で語り合ったり、黄蓉と郭靖が小舟で会ったりしましたよね。
>勘違いしてたらゴメンナサイ。記憶に自信ありません)。

在《碧血剣》上来説:“月色溶溶 花香幽幽”,床前如水銀鋪地。
在《射G英雄傳》的話,我不知道。
248神武不殺 :2000/09/18(月) 10:07

>>227
“AA制”:聚餐會帳時,各人平攤出錢或各人算各人的帳的做法。

>>248
“DNA”:脱Yang核糖核酸。deoxyribonucleic acid.
(※「yang」=「气+羊」:酸素のこと。)
249 ○ 東邪 ○  :2000/09/18(月) 19:23
>247
成る程。
その「床前如水銀鋪地」という表現は、
漢詩でよく詠まれる情景ではありますな。

《射G英雄傳》の(恐らく)その場面で、
黄蓉が「辛棄疾」の詩をどうのこうのと申しておった様な・・・
我已經忘掉了。下次一定找找。

爾しこのバイトは割に合わん様ではあるぞ。ハァ〜
250李莫愁 :2000/09/19(火) 00:54
>225:西麗風小妹 247:無名的発言者
 249:黄島主
黄蓉と郭靖が小舟で会ったのは、雪の夕方だったみたいです。
  眼見暮色四合、漸漸的白雪、湖水、梅花
  都化成了朦朦朧朧的一片(第8回)

>248:神武不殺
謝謝合作。
「AA制」的意思我当然知道、就是日語的「割り勘」ロ巴、
実在不明白的是、為何称它為“AA”?
251 ○ 東邪 ○  :2000/09/19(火) 19:22
>西麗風
先日、桂花陳酒を飲んだぞ。確かに甘口ワインであった。
何かと一緒にでははく、單獨で飲む分には旨い酒である様に想うぞ。
そちらは如何であったか?試験が終ってから試してみて下さい。

>250:李莫愁
夕方であったか。確かその後、王府へ押し入って乱闘になるのであったな。
ふむふむ・・・謝謝合作。

以前、小学館『日中辞典』で問題の「割り勘」を調べたことがあった。
確か「分担費用」と「大家均攤」であった様な、なかった様な。
取り敢えず、直訳的で、そのまんまやんかーと想った記憶がある。
「AA制」って最近の言葉なんだろうな。爾し“AA”って何ぞや?“阿阿”?
それまで華人には「割り勘」の観念が無かったとか・・・

(英語の語彙中に“go to Dutch”や“Dutch account”と、
 「割り勘」の概念を荷蘭人が持ち込んだのと同様に。)
252無名的發言人 :2000/09/20(水) 09:38

在≪連城訣≫中也有一塲月亮的情景呀。


 三、人淡如菊

丁典和凌霜華,他們倆手挽手走下樓來,忽然在月光之下,
看見花圃中多了幾盆顔色特別嬌艷的黄花。

狄雲以爲:月光之下,與心上人携手同遊,觀賞奇花,
     當眞是天上神仙也比不上了!

這些花(就是“金波旬花”)的花瓣黄得像金子一様,
閃閃發亮花朶的様子很像荷花,只是没荷花那麼大。
253 ○ 東邪 ○  :2000/09/20(水) 19:33
>252:謝謝合作!

《連城訣》の話は久し振りに耳にしました。
爾し確か血刀老祖の血刀宝刀が、
滿月に他人の血を必要としていた様な無かった様な・・・

丁典は菊の種類に通暁しておったな、確か。
作品中の菊花は、実在するのであろうか?緑菊なんか・・・
そういえば昔、洛陽を訪れた折、
洛陽は<牡丹城>という名で親しまれて居ったな。
全然関係ないが。
ではでは
254>251 :2000/09/20(水) 23:57
桂花陳酒に氷とジンジャエールをいれるとおいしい。
俗称ケイチンバック。
255名無しさん :2000/09/21(木) 01:22
雪山飛狐、神G侠侶、天龍八部、鹿鼎記
これらは香港のテレビドラマで見ました。
「雪山飛狐」は男気をビシビシ感じるいい物語でした!
でもドラマの中でオルゴールを開けるシーンがあって、
その曲がユーミンの「守ってあげたい」なのにはずっこけました。
せっかくの感動が…。
256名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/21(木) 01:28
《雪山飛狐》《神G侠侶》《天龍八部》《鹿鼎記》
これらは香港のテレビドラマで見ました。
特に「雪山…」は男気をビシバシ感じるいい物語でした。
でもドラマの中でオルゴールを開けるシーンがあり、
その曲がユーミンの「守ってあげたい」なのにはズッコケました。
せっかくの感動が…。
257名無しさん@お腹いっぱい。 :2000/09/21(木) 01:34
2重かきこでした。請多多包涵〜。
258無名的發言人 :2000/09/21(木) 09:44

 六、血刀老祖

狄雲以為:月光之下,但見這刀的刃鋒上全是暗紅之色,血光隠隠,極是可怖。

第四代掌教血刀老祖道:
這柄寶刀毎逢月圓之夜,須割人頭相祭,否則鋒鋭便減,於刀主不利。
汝見月亮正圓,寶刀寶刀,今晩汝可以飽餐一頓人血了。

黄老邪説得不錯!>253
而且成都也有外号,作叫“芙蓉城”。知不知道?
259 西麗風 :2000/09/21(木) 11:07

>247
>249:黄島主
>250:李莫愁大姐

ありがとうございます。

>252:258:無名的發言人

《連城訣》って、主人公の痛い、あの作品ですよねぇ。
私は狄雲が「鈴剣双侠」に脚の骨を折られた箇所で読むのを断念しました。かなり虐め過ぎ。。。
最初の指を切り落とされた箇所で読むのを止めようかと思ったけど、我慢して読み続けたんです。
でも肩に鎖を繋がれたり、打たれたり、丁典は毒に中たるし、凌霜花は顔を斬るで、かなりブルーが入りました。
あんまり気持ちいい作品ではありませんね。最後はハッピーエンド?を迎えたのでしょうか?うぅ〜ん
260西麗風 :2000/09/21(木) 11:24

>251:黄島主
>254:
「ケイチンバック」ですか。ご指示通り、試してみます。
関係ないけど、先日、【粉酒】なる中国酒を飲みました。
かなりキツイ(50度?)。でも喉ごしスッキリ、後味悪し、でしたけどね。
皆様は如何ですか?

>255
オルゴールを開けたら、曲がユーミンの「守ってあげたい」って、、、
香港の製作者の趣味が、きっとそうなんでしょうね。でもかなり変。

>227・250:李莫愁大姐
>248:神武不殺さん
>251:黄島主
中国語で「割り勘」って、“AA制”っていうんですか。
でも中国人が割り勘するって、聞いたことないですよ。
香港とか台湾で流行した言葉なんじゃないでしょうか?

明天是我的生日。
そういう訳で、あとは午後の試験を乗り切るだけです。
皆様も佳い年をお送り下さいね。ではまた来週。
261 ○ 東邪 ○  :2000/09/21(木) 19:02
>254
謝謝合作。コーラやスプライトと混ぜるのはどうであったか?

>255、256、257
不要謝。爾し當の香港人は感動するのであろうか?ユーミンで・・・
雪山飛狐、神G侠侶、天龍八部、鹿鼎記。
主役を張っていた有名人は誰であろうか?(下、参考の程)。
http://cf.net/asiastar/
爾しワシは依然、TVで金庸の作品を看たことがないぞ。
香港にも往ったことがないし・・・残念なことではある。

>258
ふむふむ、やはりワシの記憶は正しかった様だ。謝謝合作。
成都の別名は“蓉城”ではなかったか?
そして湖南省の別名が“芙蓉國”であったはず。
多分きっと。
ちなみに広州は別名“羊城”ではあるな。
間違ってたら失禮。http://www.frelax.com/sc/service/pinyin/
262 ○ 東邪 ○  :2000/09/21(木) 19:16
>260:西麗風小姐

わしは中國のキツイ酒はお湯割で飲まないと駄目である。
そのままだとキツイのは當然。よくやらないことではある。

               !祝賀西麗風小姐的生日!

お互いこの一年、好い年であるといいな。

>259:同上

確かに狄雲は好きな様に痛めつけられる。
穿了“琵琶骨”,一身功夫都廃了。等等。

話しついでに、登場人物中、南四奇こと“落花流水”の四人が出て来る。
中國語の意味としては、
元元は“春景衰敗”であったが、現在は“惨敗”の比喩であると謂う。
“like fallen flowers carried away by the flowing water”
ではでは
263 ○ 東邪 ○  :2000/09/22(金) 19:36

《連城訣》の感想であるが、「結局、人が一番怖い」ということであるな。
特にワシ、人を食べる云云という場面描写が、最高に厭であった。鳥肌が立つぞ。
血刀老祖もそうであるが、社会的な抑圧という箍が外れ、なりふり構わぬ花鉄幹、
こいつに薄ら寒いものを感じる。
人は結局そうなるのであろうか。『羅生門』の主題を感じないでもなかったがな。

狄雲の師、戚長發、こやつも別の意味で奥深い人間臭さを感じるのであった・・・
(气が向けば、續くかも知れない)
ではでは
264名無しさん@1周年 :2000/09/23(土) 14:01
金庸の射周鳥英雄傳(しゃちょうえいゆうでん)
PSでゲーム化されてます。(マジ)
ゲームショーで貰ってきた、SCEのパンフに載ってました。
格闘アクションゲームだよ。
265無名的發言人 :2000/09/23(土) 14:29
>>240

人体正面
:任脈(上→下)
承漿穴(唇の下)→廉泉→天突→Xuanji→華蓋→紫宮→玉堂→Shan中→中庭→鳩尾→巨闕→
三院[經上→經中→經下]→水分→神厥→氣海→石門→関元→中極→曲骨→會陰穴(前陰与後陰之間)

脊椎
:督脈(上→下)
頂門穴→百會→後頂→強間→腦戸→風府→痾門→大椎→陶道→身柱→神道→
霊臺→至陽→筋縮→中枢→脊中→懸枢→命門→陽関→腰兪→長強穴(脊椎末端)


問題だった足の裏については分かりません。
266 ○ 東邪 ○  :2000/09/25(月) 19:05
>264
謝謝合作。
爾しワシ、PSを持っておらん故、余りピンとは来ないぞ。
面白いのであろうか?と申すより、知って居る人の少ない様な。

>265
謝謝合作。
よく調べられましたな。
ワシ、243で「調べとく」云云と申したが、
簡単に調べの附くモノではなかった。
西麗風の調べた所に据ると、經穴は<650箇所>ある故、
265での諸穴は、その一部になる訳であるな。
ふむふむ、ご苦労でありました。

ではでは
267264 :2000/09/26(火) 13:32
すまん、RPGゲームだった。
ああ、自分がやになった....氏のう。
268>267 :2000/09/26(火) 18:58

四七くてもいいよ。
269無名的發言人 :2000/09/27(水) 09:37

最近、≪連城訣≫ネタでお世話になってる者ですが、先日やっと港台版で読み終えました。
一つのことをやり遂げると何だか爽快な気持ちになります。
ところで、問題があるのですが、、、(質問がある、かな?)

私は中国語で金庸が読める、といっても自分の語学力に大して自信がありません。
ですから日本語の翻訳と併せて読む様にしてます。
[最初に中国語で読む。→一章読んだら日本語訳でその一章を読む。→確認する。]
こんな具合に読んでみると、日本語訳は省略が多いので、早く読めます。

問題というのも、日本語訳についてなのです。(別に細かいことは措いておく。)
270 無名的發言人 :2000/09/27(水) 10:00

【原文】(明河出版)[257頁]
 八、羽衣 (部分)
「身子站直,只是右腿斷了,「Aiyo」一聲,俯跌下去,他右手忙在地下一?,單憑左腿站了起來,〜。」

【日本語訳】[下巻57頁]
 第八章 羽衣
「体勢を建て直したものの、折れた左脚のせいで、「うわっ」と叫ぶと、前のめりに倒れた。
 慌てて右手を突いて、右脚だけで立ち上がると、〜。」


以上の様に、「あし」の部分が、左右逆になって訳出されています。
そういった左右逆の場面は他にもある訳で、試しに折られた箇所を見てみましょう。

【原文】(明河出版)[173頁]
「他慢慢轉頭,只見右腿?脚上全是鮮血,一条腿?得向前彎轉。」
「突然左腰一陣激痛〜。」
:この様に「右脚」が折られてますし、痛みを感じるのは「左腰」です。

それが日本語訳になると、[上巻219頁]
「左足」が折られていることになっているのに、痛んでいるのは「左腰」なのです。

どうして「あし」以外の部分はそのまま訳出しているのに、「あし」だと左右逆なんでしょうか?
つまらないかも知れませんが、私にとっては大きな疑問です。ど〜して左右逆なの???
皆さんはどうでしょうか?
271李莫愁 :2000/09/27(水) 23:13
>260:西麗風小妹
こんどこそ生日快樂!
汾酒のストレートは強烈だったでしょう。
白酒系統は平気で60度とかいうのがあるから、怖い。
銘柄なのかどうか知らないけど、
≪焼刀子≫(焼けたナイフ)という呼び名がぴったりだと思った。
高粱酒は、物によってはすごくいい香りがしますよ。

>262:黄島主
「落花流水兮−水流花落!」と叫びながら出てくる連中ですな。
この名乗り、読むたびに笑ってしまうんだけど、
当人たちは格好良いつもりなんだろうか。

>265:
足裏面のツボは、
膀胱経(小指先→踵)至陰→足通谷→束骨→金門→申脈→僕参
腎経(中指根→土踏まず)湧泉→然谷
脾経(親指側側面)太白→公孫
ということです。健康グッズの店で、最近よく図解が売ってますね。
272李莫愁 :2000/09/27(水) 23:15
>264=267:
どう違うんですか?

>270:
ちょい古めの遠流版で確認したら、ご指摘のとおりでした。
ページ数も同じだった。ということは、その明河版も最新版じゃないですね。
よって、可能性としては

(1)最新版では「左腿」になっている。
(2)訳者が「左腰を蹴られたんだから、折れたのも左足だろう」とでも
判断して、訳文を修正した。

のどちらかだと思う。
どうしても気になるなら、徳間書店に問い合わせてみれば?
http://www.tokuma.com/tfc/kinyo/index.html
273 ○ 東邪 ○  :2000/09/28(木) 19:52
いやはや、ボケボケ過ごしている内に三日も過ぎて仕舞ったとは・・・

>269・270
>皆さんはどうでしょうか?
等と申されても、、、はぁ、どうでしょうねぇ。と言うのは措いといて。
わしも李莫愁と同様、理由を考えてみた。

@役者:阿部敦子女史は「右足コンプレックス」がある。
A狄雲は右手指を切り落とされていた。よってバランスを採って左足に変えた。

如何であろうか。(徳間書店にメールで尋ねてみるよろし。)


>271:李莫愁
<落花流水>、一見「春の移ろい行く情景」=「風流」と想えて仕舞うが、
その実、この言葉には、余り良い意味はなかったりもする。

              嗚呼!他們走過去真的“落花流水”的末路。

ではでは
274無名的發言人 :2000/09/29(金) 10:40

了解了解!
近い内にメールで問い合わせてみます。
早い話、訳者がここを見てたら楽なんですけど。

お〜ぃ、もしも〜し、ど〜してなんだ〜〜〜!!!

あと、狄雲の師匠である戚長発。
彼の外号「鉄鎖横江」が「鉄鎖横行」と訳し直されてました。
(細かいことだが)何故だ?

足裏面のツボは、
:膀胱経(小指先→踵)至陰→足通谷→束骨→金門→申脈→僕参
:腎経(中指根→土踏まず)湧泉→然谷
:脾経(親指側側面)太白→公孫

ありがとうございました。参考にさせて頂きます。
でもしかし、「ちょい古めの遠流版」、この「遠流版」って何ですか?
275 ○ 東邪 ○  :2000/09/29(金) 19:18
その足裏面のツボ、
:膀胱経(小指先→踵)至陰→足通谷→束骨→金門→申脈→僕参
:腎経(中指根→土踏まず)湧泉→然谷
:脾経(親指側側面)太白→公孫
指圧することで、それぞれ膀胱、腎臓、脾臓に効果?アリなのだろうか?
わしは風呂に入って居る折、取り合えず指先の指圧をして居る。
指の点穴法を、誰か知っておったら、ご教示願いたい。

「鉄鎖横行」って、意味は解りそうだが、何か変ではあるな。
わしも「遠流版」のことは知りません。李莫愁嬢、教えてたもれ。


とことでわし、今夜から学会準備がある故、
ちょっとの間、ここへ来れません。
季節の変り目、皆様は各各、ご自愛の程。

ではでは
276 ○ 東邪 ○  :2000/09/29(金) 19:19

それと、訳者への問い合わせについてではあるが、
判明したら、わしらにも知らせて欲しくはあるぞ。
277李莫愁 :2000/09/30(土) 00:13
>274
「鉄鎖横行」は単なる誤植じゃないの?ちゃんと「横江」になってるところもあるし。
(上巻10頁、38頁など)これって元々は三国志の故事ですよね。
遠流出版は、台湾で金庸小説集を出している所です。http://jinyong.ylib.com.tw

>275 黄島主
ご苦労様です。学会って、連休のあれですか。ひょっとして開催校?
278張無忌 :2000/10/01(日) 00:12

質問!
次回の日本語訳は何でしょうか?
やはり《倚天屠龍記》?
それとも順当にいって《飛狐外傳》?
279>278 :2000/10/01(日) 00:32
280張無忌 :2000/10/02(月) 00:49

當の返事が来ませんでした。
全てに返答するのは無理だそうです>279

だれか教えて、、、お願い。
281名無的発言者 :2000/10/02(月) 01:16
≪神G剣侠≫最終巻の奥付の前のページを見てみ。
次刊予告はいつもその位置にある。
282張無忌 :2000/10/03(火) 00:08

目下、トアル事情から私、その「奥付の前」を見れない状況下に居るのです。
誰か知ってたら教えて、、、多少気になる。

あと、関係ないけど「ケイチンバック」は旨くなかったぞ!

>高粱酒は、物によってはすごくいい香りがしますよ。
未だ嘗て、そんな高粱酒とはお会いしたことがありません。
安物は駄目みたいですね。
283無名的發言人 :2000/10/03(火) 09:53
>278、279、280、各位
徳間書店の返答は以下の様でした。(「いただき」を連発。)

>東情風 様
>
>TOKUMA.COMをご利用いただきありがとうございます。
>
>いただきました、貴重なご意見・ご質問等は関係部署で検討させていただき、
>今後の運営に役立てさせていただきます。
>
>多数のご意見・ご質問等をいただいておりますため、すべてにご返事を差し
>上げることができません。申し訳ございませんが、予めご了承ください。
>
>今後とも弊社サイトをよろしくお願いいたします。
>
>TOKUMA.COM担当
>[email protected]

仮名として東島主の>>109案を利用させてもらいました。(ngで押韻)

>277
そうでした?
日本語訳は図書館へ返却したので、現在、確認できません。
その「『三国志』の故事」というのは、何なのでしょうか?

「明河:香港」「遠流:台湾」「三聯:大陸」ということですね。
284 西麗風  :2000/10/03(火) 16:10

神無月になりましたね。試験を終えたら、最近どうもだらけ気味です。
気が付いたら『神G剣侠』の日本語訳が完結しているではありませんか!。今急いで三巻読んでます。
この『神G剣侠』の次はどの訳になるんでしょうね(話の流からゆけば《倚天屠龍記》なの?>278:張無忌さん

>262:黄島主
>271:李莫愁 大姐
感謝大家的関懐! シッカリ者になりたいと思います。でももう先月のことなんですよねぇ(しみじみ。。。

>265:無名的發言人さん
>271:李莫愁 大姐
経絡上の【経穴】は【650箇】あるそうなので、分からない部分の方がまだまだ多いですね。
腸の具合や背筋を足の裏マッサージしながら指摘するんですから、その辺りの経絡も足の裏に存在するのでは?

>283:無名的發言人さん
「情風」なんて、よくご存知でしたね。「東」と併せて「とんちんほん」!。
285 西麗風  :2000/10/03(火) 16:11

さて、【汾酒】に続いて、【紹興酒】と【桂花陳酒】も先日、飲んでみました。
【紹興酒】は流通モノ(大量販売)だったからか、期待していたよりは美味しくなかったです。
アルコール度数も低かったし、ちょっと苦味があったのも、私的には及第点には達しなかったですね。
「ケイチンバック」では試さなかったですけど、【桂花陳酒】はそれなりに美味しかったです。可!
友達の家に残してある【汾酒】は、一体いつ飲み終えるんでしょう、、、ちょっと気掛りですわ。

あとは【茅台酒】と【月餅】ですね。期待ハズレでなければいいんですけど、、、ねぇ。
286李莫愁 :2000/10/03(火) 22:46
>282 張教主
>>未だ嘗て、そんな高粱酒とはお会いしたことがありません。
安物は駄目みたいですね。

うーん、そうですか。私もそれほど上等なのは飲んだことがないですが、
まあ好みの問題もありますから。

>283
>>そうでした?
日本語訳は図書館へ返却したので、現在、確認できません。
その「『三国志』の故事」というのは、何なのでしょうか?

そうですか?
じゃ、確認もせずに印象だけで「訳し直されてる」と決め打ちしてたわけね。
何だかなあ……律儀に調べてちょっと損した気分。
三国時代、呉の国は敵船の侵入を防ぐため、鉄鎖を長江に張り渡した。
金庸の訳をやるほどの人間なら、当然知っているはずの故事だから、
「横江」と「横行」を間違えるわけがないってことです。

それにしても、木で鼻をくくったようなメールですな。
張教主のところに来た文面もこんな風だったのでしょうか。
尤も「すべてにお返事を差し上げることができません。予めご了承下さい」
云々という下りは、案件によっては後日回答すると読めないこともない。
お二人とも今暫く待ってみては如何でしょう?

>285 西麗風小妹
月餅は多少大変でも、中華街まで行って買うのがおすすめです。
横浜だと私の一押しは華正楼。重慶飯店のも好評です。
287張無忌 :2000/10/04(水) 00:55

>286 李仙姑
徳間書店のメールは>>283のモノと(名前以外は)同様です。
これくらいスグ回答してくれても……と感じてます。
暫く待つ甲斐があるんでしょうか???
自分的には《倚天屠龍記》を希望。

誰でもいいから情報。

>麗風小姐
紹興酒は私も期待ハズレでした。
汾酒はキツ過ぎて呑めません……鼻にツ〜ンと来て堪えられない。
それを喉ごしスッキリ後味悪しと表現するあなたって、、、酒に強いの?
《射G英雄傳》⇒《神G侠侶》⇒《倚天屠龍記》は三部作なのです。

あと、これらの作品に登場するモンゴル人はみんな「辮髪」のはず。
よって気合充分だから宋を滅ぼし得た……のではないでしょうか。
288名無的発言者 :2000/10/05(木) 00:52
紹興酒っで黄酒?黄酒なら生姜と氷砂糖を入れて燗して飲むと
大部おいしくなる。
289李莫愁 :2000/10/05(木) 23:36
>285 西麗風小妹・287 張教主
紹興酒といってもピンキリみたいですからねえ。400円ぐらいで
売ってるのには、さすがに味は期待できない。もっぱら料理用。
≪古越龍山≫とかのブランド物になると、苦いってことはないけど、
味は好みが分かれるかも。とろんとして、ちょっと重い感じ。
たまに中国物産展とかで計り売りしてる甕出しの紹興酒は、
口当たりがよくて美味しいです。試飲もさせてくれるよ。
今年の春に東武が輸入してた沈永和酒廠の甕出しは良かったな。

>288
私は話梅を入れるのが好きです。日本では無印良品の干し梅で代用してる。
これを焼酎に入れてお湯割にするのも可。
でも、美味しい紹興酒は、そのままでぬる燗が一番だと思う。
ついでに上海蟹があれば最高。
290李莫愁 :2000/10/05(木) 23:36
>285 西麗風小妹・287 張教主
紹興酒といってもピンキリみたいですからねえ。400円ぐらいで
売ってるのには、さすがに味は期待できない。もっぱら料理用。
≪古越龍山≫とかのブランド物になると、苦いってことはないけど、
味は好みが分かれるかも。とろんとして、ちょっと重い感じ。
たまに中国物産展とかで計り売りしてる甕出しの紹興酒は、
口当たりがよくて美味しいです。試飲もさせてくれるよ。
今年の春に東武が輸入してた沈永和酒廠の甕出しは良かったな。

>288
私は話梅を入れるのが好きです。日本では無印良品の干し梅で代用してる。
これを焼酎に入れてお湯割にするのも可。
でも、美味しい紹興酒は、そのままでぬる燗が一番だと思う。
ついでに上海蟹があれば最高。
291李莫愁 :2000/10/05(木) 23:38
ダブった。對不起!
292無名的發言人 :2000/10/06(金) 09:18
>>286
>じゃ、確認もせずに印象だけで「訳し直されてる」と決め打ちしてたわけね。
>何だかなあ………律儀に調べてちょっと損した気分。
>三国時代、呉の国は敵船の侵入を防ぐため、鉄鎖を長江に張り渡した。
>金庸の訳をやる程の人なら、当然知っているはずの故事だから、
>「横江」と「横行」を間違えるわけがないってことです。
>
確認の詰を怠ってて失礼しました。真的添麻煩大姐了、、、死罪死罪。
しかし訳者を買い被り過ぎのような気がします。(私には)少々不満な訳もちらほらあったり。

例えば、九「梁山泊、祝英臺」で、狄雲が郷里にある師父戚長発の家に帰った折、
そこが大邸宅になってましたが、裏門で屋人と話すこんな場面があります。

「狄雲便道:“請問頭儿,戚師父在家麼?”……。
 那人哼了一声,道:“什麼七師父、八師父的,這里没有。”……“這里主人不姓戚,也不姓八、姓九、姓十。”」

「七師父も八師父知もここには居ない。云々。戚ではないし、八だか九だか十だか知らない。云々。」
日本語訳ではこんな具合に訳出されてたはずです。(今回も確認出来ない。)

読者は、狄雲の師父・戚長発の姓「戚」と、数字の「七」とが、同じ音「qi」であることを知らない限り、
この言い回しで笑えない(?)と、(少なくとも私は)心配しています。皆さんもそう思いませんか?
せめてルビで「チー」と振るか、思い切って「戚だか席だか知らない、云々」と意訳して欲しかった。

他にも幾つか気になる箇所があったのですが、思い出せないので、これくらいで許してやって下さい。
取り合えず、訳全体の雰囲気からして、「鉄鎖横江」と「鉄鎖横行」とが、(日本人読者の弁をはかってか)、
訳し直されているのではなかろうか(?)と、(私としては)感じた訳ですよ。
(ここでは「訳全体の雰囲気」というのが重要な箇所ね。)

関係ないけど、昨日の昼間は、ここ金庸スレには入れなかったけど何故だろう?
293無名的發言人 :2000/10/06(金) 09:25
ところで皆さん、酒の話で盛り上ってますね。
私は中国酒はビール程度しか飲んだことがありません。
中国酒は日本の焼酎と同じである、
と聞きますが、本当なのでしょうか?
だったら飲まなくてもいいな。
294李莫愁 :2000/10/06(金) 22:59
>292
金庸の訳で不満な箇所は私にだって色々ありますよ。
≪連城訣≫では原文の「我是荊門人,是武林世家」が、
訳では「武林の名門・荊門の人間」になっているとか。
≪笑傲江湖≫では、具体的な場所はちょっと忘れたけど、
「英雄>狗熊」というよくある駄洒落の後半が、
字は「狗熊」のままでルビだけ「くゆう」と振ってあったとか。
確かに「雄」も「熊」も日本語読みは「ユウ」だけど、
「狗熊」なんて言葉、普通の日本人にはピンと来ないでしょう。
そりゃまあ大漢和辞典全12巻を引けば、一応「熊の一種」と出ているけどさ。

しかし「狗熊」にしろ「戚ではないし、八だか九だか」にしろ、
物語の本筋を損なうような誤訳ではないですからね。
もちろん無いに越したことはないけど、そういう枝葉の部分を一々あげつらって
訳者を責め咎められるほど、こっちも偉いわけじゃない。
前に黄島主も言っていたと思うけど、文学作品は基本的に翻訳不能なんだから、
言葉ができる奴はぐだぐだ言わずに原書を読めというのが私の考えです。
如何でしょう?

>293
中国酒には醸造の黄酒と蒸留の白酒があって、白酒は確かに焼酎やウォッカに近いです。
しかしウィスキーやブランデーに近いともいえる。
その伝で言うと、紹興酒とかの黄酒はワインや日本酒みたいなもんですね。
後から効いてくる所もよく似ている。
295名無的発言者 :2000/10/08(日) 15:24

次の翻訳は《倚天屠龍記》全五回だそうです。
希望どおりでよかったですね。>>287

ところで日本語訳の担当は、阿部敦子さんと林久之さんだそうです。
そして監修は岡崎由美さん。(この「監修」っていったい何じゃらほい。)
269以下の討論を見る限り、訳者の作業もそうなんですが、
監修も問題とされてよろしいんじゃぁないでしょうか。
何らかの意味があって「監修」と添記しているのですから、
責任の一端はあるハズでしょう。

私の意見としては、
「戚師父」と「七師父」との間にある音のつながり、
「英雄>狗熊」の意味なんか、
今の今まで知りませんでしたし、気付きもしませんでした。
もっと指摘して欲しいところです。
296名無的発言者 :2000/10/08(日) 23:04
297>295 :2000/10/08(日) 23:07
298KANA :2000/10/09(月) 17:22

  たくさんのインタビューをありがとうございました。
ところで、金庸作品集の「監修」 というのは何をするんでしょうか。
こいつはいったい何なんだ、と首をひねっておいでの方もいらっしゃるかもしれませんので、
まず簡単に監修の仕事をご紹介致したいと思います。

  一言で言えば、プロデューサーに近いでしょうか。
金庸作品は初めから全集で刊行することになっておりました。
徳間書店さんから、私のところに翻訳のオファーがきたと き、とても一人で翻訳できるものではなかったので、
翻訳チームを作ることにし、僭越ながら私が全体のとりまとめをすることとなりました。
翻訳スタッフを集め、編集さんと作品刊行の順番や巻数を決め、刊行日程を打ち合わせ、
翻訳スタッフの希望とスケジ ュールに合わせて、担当する作品の割り振りをします。
挿絵は、私と土屋文子さんとで、李志清さんにお願いしたい旨の要望を出したところ、
李志清さんには快く引き受けて頂き、とても感謝しています。訳稿は、入稿の段階か校正刷りが出た段階で、
原文と突き合わせながら読みます。
訳文について、朱筆を加えることもあります。
これは、翻訳担当者にも再検討してもらいます。
訳語については、最初にだいたいの方針は打ち合わせましたが、
コンピューターの専門用語を訳すのとは違うので、杓子定規な統一はしていません。
文脈の流れで訳が 変わることもあるし、むしろこれから定着していく類のものですから、
いろいろ実験があって、その中で、残るものが残っていけばいいのではないかとも思っています。

  中国武侠小説の本格的な翻訳紹介は、金庸作品集が本邦初ですので、未開の処女地を前に試行錯誤、暗中模索の毎日です。

  これからも、ご意見、ご感想をお寄せいただければ幸いに存じます。

  2000年8月 岡崎由美
299KANA :2000/10/09(月) 17:36

きっと参考にされたのではないでしょうか。
300296 :2000/10/09(月) 20:21
あり?二重になってるぞ。スマン。

>KANA
わざわざコピペありがとうよ。眞愛多管閑事!
そんな閑あったらもっと日本語勉強しろよな。
301無名的發言人 :2000/10/10(火) 10:09
>>294
>物語の本筋を損なうような誤訳ではないですからね。
>もちろん無いに越したことはないけど、そういう枝葉の部分を一々あげつらって
>訳者を責め咎められるほど、こっちも偉いわけじゃない。
>
何はともあれ、一応「プロ」なんですし、更に加えて「監修」まで控えてるではありませんか(笑。
だったら「狗熊」や「戚師父、七師父、、、八だか九だか」程度の理解は持ってて欲しいと私なら感じるわけです。
>>298の引用(?)にもある通り、「いろいろ実験があって、その中で、残るものが残っていけばいいのではないか」
ということで、私の些細な疑問>>270>>292等が「実験」になれば、(本当になるのか?)いいです。
でも>>295によると阿部敦子さんは次の翻訳で多忙なご様子ですし……
私の意見としてはそんな感じです。

>前に黄島主も言っていたと思うけど、文学作品は基本的に翻訳不能なんだから、
>言葉ができる奴はぐだぐだ言わずに原書を読めというのが私の考えです。
>
それは>>146での話題ですね。
しかしながら、、、と感じるわけです。言葉が出来ない奴は知らないまま逝って仕舞うんですな。
確かに日本語訳を読むことで「きっかけ」になれば、そこから世界が広がる(大袈裟?)可能性があります。
でも言葉の出来ない人間は、暇がないとか色んな理由から、いつまでたっても言葉が出来ないのです。
(経験上そのような事例が数多い、というか全て。

>>294
「醸造:黄酒」紹興酒、高粱酒、日本の清酒に近い。
「蒸留:白酒」汾酒、茅台酒、日本の焼酎に近い。
こんな感じで宜しいでしょうか?
302名無的発言者 :2000/10/10(火) 12:18
alge
303 西麗風 :2000/10/10(火) 19:49



>292:無名的發言人さん
私も先週の木曜日10月5日はここに入れませんでした。立ち直ってくれたみたいで、よかったすね。

>286、289:李莫愁 大姐
>横浜だと私の一押しは華正楼。重慶飯店のも好評です。
私にとって横浜って、かなり遠い距離です。でもしっかりメモを取っておきます。いつか行く日もあるはずですから。
「地球の歩き方」で見つけました【杏花楼】:福州路343号、だそうです。福州路と言えば書店が多かった、気がします。
そして上海蟹と言えば、これまた福州路603号【王宝和酒家】で食事した記憶があります。上海蟹一杯180元でした、時価?
高い、、、と思いつつも、此処まで来たからには食べないでどうする、と決断して、友人と二人で一杯づつ頼みました。
その時、偽物だったらどうしよう、と思ったので小姐に「請給我看看上海蟹!」って言ったら、
男性の服務員が<舌打ち>して厨房から藁で縛っている現物を見せてくれました。
その後「我們要両个。」って言ったから、怒ったのではないでしょうか。でも中国人の店員さんって愛想がないですよね。
でも李莫愁大姐って、お酒に凝ってますよね。<甕出し>なんて、、、う〜ん、試しに頼むには勇気が要るような気が。。。

>287:張無忌さん
お酒は特に強いという訳ではありません。色々と試してみるのは好きです。
確かに蒙古人は弁髪でしたね。教科書に出てくるフビライの頭も弁髪っぽかった様な、でもただの禿だったのかも知れない。
やっぱり頭をそれなりに剃ると、強くなることは確実ですよね。すると囚人の頭を剃るのは結構逆効果になるのでは。
次の翻訳は《倚天屠龍記》だそうで、希望どおりで好かったですね。
《射G英雄傳》⇒《神G侠侶》⇒《倚天屠龍記》と三部作、通して読めますから。
でも282で、
>目下、トアル事情から私、その「奥付の前」を見れない状況下に居るのです。
というのが気になります。どこに居るのですか?

今日は【双十節】でしたね。大陸は兎も角、台湾ではお祭りなのでしょうか?
これから新しいバイトです。今日は何だか昼からやる気が起きない。。。鬱?
304李莫愁 :2000/10/10(火) 23:32
>301
なるほど、正論ですね。
一応「プロ」の仕事である以上、どう批判しようと勿論自由なんですが、
「その程度の理解」も持ってないというのはどうかなあ。
「狗熊」の小島瑞紀さんは台湾人だから、それこそ意味を知らないはずがない。
結局その理解を、訳文に反映できているかの問題だと思うんだな。

要するに「狗熊」や「七師父」は、単にジョークを日本語に消化し切れてないだけで、
誤訳の範疇には入らないと思う。私にとって許せない誤訳というのは、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=magazin&key=969490071&ls=50
で話題になってたようなレベルのやつです。
あと「いろいろ実験があって」云々てのは、たとえば「丐幇」をそのまま使うか、
「乞食党」と訳するかみたいな、翻訳スタッフの中での話じゃない?

>>言葉が出来ない奴は知らないまま逝って仕舞うんですな。

それは仕方ないでしょう。翻訳はしょせん翻訳。何を期待しているの?
どんな国の文学でも、ジョークや隠喩の類まで完璧に理解しようと思ったら、
自分で言葉や文化背景を勉強して、原文にあたるしかないのは当然のこと。

念の為に言っておくけど、別に金庸の訳者を弁護するつもりはありません。
翻訳というものに最初から多くを期待していないだけ。
でも、岡目八目で重箱の隅つつき回してああだこうだ言うのにも、
確かにそれなりの楽しさはあるよね。ある意味2ちゃんらしいかも。
その点では《香港電影バラエティブック》で東山鈴鹿さんが書いてる字幕の話なんか、
えらく面白いし勉強にもなるから、301さんぜひ読んでみて。
《008皇帝ミッション》で、主人公が花満楼にとんでもない暴言吐くシーンとか、
やっぱり字幕しか読めない人には全然分からないようになってるらしいよ。
305李莫愁 :2000/10/10(火) 23:49
テレホタイムは接続に時間がかかってかなわん。

>303 西麗風小妹
上海蟹、本場では180元ですか。大陸に行ってたころは貧乏で食べられなかったです。
下手すると1日の食費が1元て感じだったからなあ。
今はなんとか手が届くようになったけど、日本だと一杯3000円は取られるよ。

中国人の店員ってたしかに愛想は悪いけど、意外に親切だったりしません?
特に仏頂面したおじさんなんか、怒ってるのかと思ったら、
その顔のままで色々と世話を焼いてくれたりする。
おばさんで愛想が悪いのはだめだけど。

甕出しのお酒は、だいたいマネキンが呼び込みやってるから、
前をうろうろしてたら向こうから勧めてくれますよ。

ところで麗風小妹のお住まいは横浜から遠いのですか。うーん残念。
あと私が知ってるのは神戸の南京町ぐらいだけど、
あそこはそもそも月餅を揃えてる店自体たしか1軒しかなかったような。
306無名的發言人 :2000/10/11(水) 11:41
>>304
引用された古龍スレッドを見ました。確かに困った事態になってる様子。
それと比べると、「監修」の控えてる金庸の翻訳作業は大したものです。
(しかし一つの出版社から出ているのに表紙が不統一なのは何故だろう?

自分>>269でも語った通り、
>私は中国語で金庸が読める、といっても自分の語学力に大して自信がありません。
>ですから日本語の翻訳と併せて読む様にしてます。
>最初に中国語で読む。→一章読んだら日本語訳でその一章を読む。→確認する。
読み方なもので、最後の「確認」で納得したかったのです。
きっと私のこの作業が翻訳に過大な期待をしていた原因なんでしょう。
黄島主も語ってる通り、日本語訳と中国語の原文を読み比べると、
>原文を読めば、何か物足りなさ、隔靴掻痒を覚えるに違いなかろう。
というのは、なるほど正論ですね。(でも隔靴掻痒とは……

話は替って、ライトノベル板にも金庸スレッドがあるのですね。
この片仮名言葉↑を知らなかったので全然気づきませんでした。
他の人の弁を図って引用しておきます。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=magazin&key=964485900

すべて(含む:ネタバレ《神G侠侶》)に目を通しました。
何だかココの金庸スレッドって話題と一人一人文章が長いです。
そして純粋に金庸作品と関係ない話題もあって、また別の面白さを楽しめます。
中国文化の背景を確認しつつ金庸を話題とするのは必要ではないでしょうか。

あと一つ、李莫愁さんには色々と手間ひまをお掛けしまして感激の極みです。
でもちょっとだけ言い方がキツイです。西麗風さんみたいにやんわりとしたのがいい。
これはただの私的な感想です。忘れて結構。
307李莫愁 :2000/10/11(水) 22:47
>306
>>でもちょっとだけ言い方がキツイです。

それはね、ここが2chで私が「李莫愁」だからですよ(笑
308名無的発言者> :2000/10/12(木) 12:10
優良スレまだ荒らしてごめんなさい!
309 西麗風 :2000/10/12(木) 13:53

>308〜323:名無的発言者>
>優良スレまで荒らしてごめんなさい!
謝るくらいなら、どうしてもっと早く気付かなかったんですか!ここを荒らすなんて信じられません。
いくら私でも怒りますよ。削除依頼を出しておきました。もう金輪際やらないで下さい。見境がないですよ・

>305:李莫愁 大姐
一日の食事が一元って、旅行中、体力の方は大丈夫だったんですか?苦労されたんですね、泪。。。
ひょっとすると【全聚徳】のペキンダックも食べられたことがないのでしょうか?あれは幾らだったか。
取り敢えず私の感想だと、愛想がない=不親切、になってるんですけど。
親切な方は、愛想なんか関係なく、本当に親切です。でもそんな人って、若い方ばかりだった記憶が。。。
やっぱり生活なんかに余裕が出来て来ると、心にも優しさの芽が出て来るのではないでしょうか。
<衣食足りて礼節を知る>って言いますしね。
火車で柔臥を利用した時なんか、同室者は皆親切でしたね。お金があるから心に余裕があるのだと思います。
でも、硬坐でヒマワリの種を分けてくれた前座席のおばちゃんは、無表情でしたけど親切だったかなぁ?

翻訳の話ですけど、私が最近気付いたのは《碧血剣》の英題です。
よく覚えてないんですけど、多分“green-blood sword”だったでしょうか。
でも「日中辞典」で調べてみたら、「碧血:身の潔白な象徴」(「荘子」外物篇)となってます。
これは袁承志の父親=冤罪で処刑された袁崇煥、並びに李岩を暗示しているのではないでしょうか。
そうすると、この英題って「碧血」のニュアンスが全然でてません。
私が勝手に解釈するに、“innocent sword”なんかが適当なのではないでしょうか。

ちなみに私は、金蛇郎君の「金蛇剣」は、いつか「碧血剣」と命名されるんだ、と思ってました。
でも「碧血」という言葉に一度も触れないで終わって仕舞ったんで、碧血って何だったの?状態です。
今年に入ってやっと(辞書にあることに)気付いて、一人で納得出来たんですけどね。
《碧血剣》を読んで、この「碧血」の意味が分かっている人は、全国で何人居るんだろう?
そんなことを考えると楽しいです。(英訳を読んでいる人はきっと永遠に分からないんだろうな。)


今日は秋晴れで爽やかな気分だったのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃィもぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
スッキリした
310 西麗風 :2000/10/12(木) 14:01

そう言えば《書剣恩仇録》も最後辺りに「碧血」の章があった様な、、、
でもあれは香香公主の身が潔白だったってことになるんでしょうか?
311 神武不殺  :2000/10/12(木) 18:59

小妹,請不要發它的怒。大多数中国人就是這種人一般的。在吾経験上来説,好人真少。


碧血:萇弘死于蜀,藏其血,三年而化為碧。
   後多用“碧血”指為正義事業而流的血。
312李莫愁 :2000/10/13(金) 00:07
最近、台湾から出てる≪転覆金庸≫という本を読みました。
金庸作品の揚げ足を取って楽しもう!というお遊び企画のシリーズ。
射G英雄伝で黄蓉の年齢を計算すると、郭靖よりも年上になる!とか、
連城訣の梁の元帝はなぜ400年も後の唐詩を使って暗号が作れたのか?とか。
どれもこれもなかなか笑えて面白いんだけど、
惜しむらくはほとんど揚げ足を取ったらそれで終わりで、
ホームズを研究するシャーロッキアンみたいに、
自分なりの爆笑推理を展開したりはしないのが、ちょっぴり不満。
やっぱお国柄の違いかな。

>324@`325 西麗風小妹
神武不殺さんも書いてるけど、「碧血」の由来は、無実の罪で殺された人の血が、
地中で碧玉になったとかいう話でしたよね、確か。

で、≪碧血剣≫の英題は The Sword Stained with Royal Blood でした。
これは徳間が勝手につけたものではなく、原書の奥付にも載ってるんですが、
なんでまた、「碧」が Royal に??
たぶん高貴の血= blue blood からの連想じゃないかと思うんだけど、
これって、誤訳……ですよねえ(ぼそ)
313無名的發言人 :2000/10/13(金) 10:31
>>309で麗風小姐は何をそんなに怒ってたの?荒らし?
「308〜323」ってあるから、きっと荒らされた箇所は既に削除されたんだろうね(自分のは313だし。

《書剣恩仇録》:文と武、恩と仇の記録
《碧血剣》:正義の為に流される血の剣
《雪山飛狐》:雪山にいる胡斐?
《射G英雄傳》:Gを射る英雄の伝記(或いは列伝
《神G侠侶》:神G侠とその伴侶の話
《飛狐外傳》:雪山にいる胡斐の外伝
《倚天屠龍記》:倚天剣と屠龍刀とにまつわる記録
《天龍八部》:?(仏教説話と関係があるのか?
《連城訣》:連城に値する宝物の在処を示す秘訣
《侠客行》:李白の詩『侠客行』にまつわる話
《笑傲江湖》:江湖(世間)を笑う
《鹿鼎記》:鹿鼎公の記録

こんな感じになるんでしょうか。
しかし「飛雪連天射白鹿、笑書神侠倚碧鴛」の対聯に落ち着くよう、
意図的に題名を作っている感が否めない。(《素心剣》→《連城訣》なんか。

>>307
>それはね、ここが2chで私が「李莫愁」だからですよ(笑
苦笑
314名無的発言者 :2000/10/13(金) 19:11

>>312
≪碧血剣≫“The Sword Stained with Royal Blood”,這不一定錯翻的。


:第18回
崇禎道:“把剣給我。”
接過阿九手中那柄金蛇宝剣,長嘆一声,説道:“阿九,為甚麼生我家里……。”
忽地手起剣落,烏光一閃,宝剣向阿九頭頂直斬下去。……。
袁承志……回頭看阿九時,只看阿九昏倒在血泊之中,左臂被歇断。


阿九這人是公主,即王族。明白了没有?
315 ○ 東邪 ○  :2000/10/13(金) 19:50

 皆さんお元気ですか?今宵は明月であるぞ!では亦。

 青山不改,縁水長流,後會有期!
316李莫愁 :2000/10/14(土) 00:01
麗風小妹、削除人様:お手数おかけしました。ありがとうございます。

>313
書剣恩仇録:過去ログ参照。
笑傲江湖:誇り高い「傲」の字を忘れちゃいかんでしょう。
天龍八部:三教九流的な意味だったような。
鹿鼎記:あら?鹿鼎ってのは元々山の名じゃなかった?
もちろん逐鹿中原&問鼎のダブルミーニングもあるはず。
書剣とか侠客行もそうじゃないかと思うけど。

>314
原来如此!那段情節我也記得、却忘掉了崇禎用的竟是金蛇剣。多謝指点!

>315 黄島主
おかえりなさいまし。またよろしく。
317 314  :2000/10/14(土) 11:04

>>316
多謝指点!、、、などと言われるほど、大した意味はないでしょ(笑
揚げ足取りの積りで引用したのに、そんなこと言われると意外に恥ずかしいです。
(まさか、それを気付いてて大袈裟に反応したのでしょうか?だったら一枚上手!)

僕自身も、「碧血」を“royal blood”なんて訳すのは誤訳、、、だと感じます。
でも「神G」を“giant eagle”と訳している位だから僕の指摘も強ち間違いでもないのでは。
318 314  :2000/10/14(土) 11:13

今日的一縷英魂、昨日的万里長城!

これは袁承志と李岩が北京城中で耳にした、盲目の老人が歌う歌の一節です。
後にこの一節は、袁承志の心情と深く関係するのですが、
一体この一節は何を語っているのでしょうか?僕には意味が分からない。

今日の英雄の魂、昨日の万里の長城、、、???

誰か親切な方、優しく教えて。
319李莫愁 :2000/10/14(土) 22:52
>317
いえいえ、嫌味などではありませんよ。
本来は誤訳だとしても、解釈として十分に成り立ちますし、
なにより着眼点が面白いじゃないですか。
こちらはそこまで読み込んでなかったんで、一本取られた!てなところです。

神G侠侶、確かに The Giant Eagle and It's Companion でしたね。
てことは、「大きなワシとその伴侶である侠客」なのか。楊過の立場は……

>>今日的一縷英魂、昨日的万里長城!

字面だけ見ると、
「今日哀れにも英魂と化したのは、昨日まで国土を防衛していた好漢なのだ」
てな意味に取れますが、何か出典があるのかしら?
320 314  :2000/10/15(日) 11:41

今日的一縷英魂、昨日的万里長城!

>>319
なるほど、呉三桂はさておくとして(笑、
袁崇煥らは、昨日まで異民族から国土を防衛していた「万里長城」であった。
しかし今では、ただの英霊と成り果ててしまったよ……ということですね。
僕も出典は知りません。作者金庸の単なる創作では?たった二節だけだし。

これが後に袁承志や李岩をして、自分の昨日までやってきたこと、
現在の状況等を、内省させる重要な契機となる訳でしょう。
きっと彼らは「無常」を感じざるを得なかったに違いありません。
けれど中国人も(我々日本人が感じるような)無常を感じるのでしょうか?

多謝,不管是李莫愁這人也這麼懇切!光栄之至。(但不要拍馬屁罷。)
これで明日からまた心置きなく仕事が出来るというものです。ではまたいつか。
321 西麗風 :2000/10/17(火) 10:14

>312:李莫愁
≪碧血剣≫の英題って、手が込んでたんですね“The Sword Stained with Royal Blood”って。
>314、>317、>319、での話を見ていると、これって意訳になるんでしょうか?
いったい誰が、どんな理由で、そうしたた英題を附けているんでしょう?(編集者?)

>311神武不殺
ありがとうございました。
322 !西麗風的英訳解題! :2000/10/17(火) 10:47


《書剣恩仇録》:the Document for the Koran-Sword and the Love-Enmity
《碧血剣》:the Sword for Self-sacrifice
《雪山飛狐》:the Flying Fox in the Snow Capped Mountain
《射G英雄傳》:the Biography of the Eagle-shooting Hero
《神G侠侶》:the Miracle Eagle Hero and his partner
《飛狐外傳》:unofficial Biography of Flying Fox
《倚天屠龍記》:the Story of the Heaven-helps Sword and the Dragon-slaughter Saber
《白馬嘯西風》:the White Horse neighs west wind
《鴛鴦刀》:the Knife of Mandarin Duck
《天龍八部》:the Heaven and the Dragon in the Eight units
《連城訣》:the Rhymed Formula to the Greatest Treasure
《侠客行》:the Poem about Assassins
《笑傲江湖》:Smile and Pride Society
《鹿鼎記》:?


そういうことで試みに英題を附けてみました。どうでしょうか?
皆様、ご指摘よろしくお願いします。(でもイジメないで下さいね。)
323 西麗風 :2000/10/17(火) 10:59

《天龍八部》を辞書で調べてみると「仏法を守る八部衆の内、天と龍」とありました。
そして特に「天龍八部衆」と呼び習わされているようですね。
316で李莫愁大姐が「三教九流的な意味だったような。」と言ってますけど、
これは「様々な種類の人々が登場する」といった理解でよいでしょうか?取り敢えず、直訳的にしてみました。

《鹿鼎記》無名的發言人さんの313を参照すれば、“the Story of Ludinggong”で済むんですけど、
「逐鹿中原&問鼎のダブルミーニング」とする316での大姐の意見を考慮すると、ちょっと私の手に負えません。。。
(でも http://www.tokuma.com/tfc/kinyo/chr_10.html に「鹿鼎公」ってありますよ。)

《神G侠侶》は“the Giant Eagle and It's Companion”だそうですが、確かにこれだと、楊過の立場って。。。
私は当初、《神G侠侶》の「侶」は「伴侶」を意味してて、神G侠=楊過の伴侶、
つまりG兄と小龍女を含ませているんだと思ってましたけど、この理解って駄目なんでしょうか?
日本語訳が「神G剣侠」となっているのは、この「侶」の解釈で困ったからだと思います。
(だって一巻末の解説って要領が掴めないんですから。)

そんな感じですかね・
324 ○ 東邪 ○  :2000/10/17(火) 19:49

 大家,隔了長久没見了,身体好不好? !祝賀!三〇〇回!祝賀!

 何と半月も経って仕舞いました。
 開催校だと、準備と接待もしなくてはならない故、非常に忙しいのであった。

 さて、わしが不在の間、酒や翻訳の話題で色色と盛り上っていた様子であるな。
 嬉しく想う反面、寂しくもあったりもするぞ。
 差し当って皆さんは、自分の力で中国語の原典に、当って欲しい限りであるぞ。
 翻訳はどこまで往っても翻訳でしかないのであるから。

>>18で語った通り、
 わしは《鹿鼎記》《天龍八部》《倚天屠龍記》の三作を読み残して居るのです。
 順調に《射G英雄傳》→《神G侠侶》→《倚天屠龍記》と読むハズであったが、
 奈何せん《神G侠侶》の三巻末周辺から、段段と厭きて来たのであった。
 何とか《倚天屠龍記》の二巻まで辿り着いたものの、現在まで放棄しておる。
 次の翻訳は、その《倚天屠龍記》であるそうだな。
 爾し日訳を読む積りはない故、日訳の方が先に出ても、气にはしないぞ。

 323の西麗風小姐や、313でも作品の題を解釈して居るが、
 漢字の並んだ題名は渋い感じがするのだが、日題や英題だと何か抜けてる気がする。
 これが世によく言われる漢字コンプレックスというものかも知れないな。

 細かい話、「鴛鴦」って“Mandarin Duck”と言うのであったのか。
 学習になりました。
 ではでは
325李莫愁 :2000/10/17(火) 23:23
ご参考までに、正式英題一覧。碧血剣以外にも「?」な題名がちらほら……

書剣恩仇録:Romance of the Book and the Sword
碧血剣:The Sword Stained with Royal Blood
雪山飛狐:Flying Fox of Snowy Mountain
飛狐外伝:Flying Fox: Outside Stories
射G英雄伝:The Eagle-shooting Heroes
神G侠侶:The Giant Eagle and It's Companion
倚天屠龍記:Heaven's Sword and Dragonslayer Sabre
白馬嘯西風:White Horse Neighing in the West Wind
連城訣:Requeim of Lian Cheng
鴛鴦刀:Yuen Yang Swords
天龍八部:The Semi-gods and the Semi-devils
侠客行:Ode to the Gallanty
越女剣:Sword of the Yueh Maiden
笑傲江湖:The Smiling@` Proud Wanderer
鹿鼎記:The Story of the Deer and the Cauldron

あとどこで見たか忘れたけど、神G侠侶には Divine Eagle and the Xia Lovers、
笑傲江湖には Laughing Proudly at the World という英題もあったような気がする。
326李莫愁 :2000/10/17(火) 23:25
>323 西麗風小妹
≪天龍八部≫については金庸の前書きに、
「天龍八部…雖是人間之外的衆生,卻也有塵世的歡喜和悲苦。
這部小説裏沒有~道演,只是借用這個佛經名詞,以象徴一些現世人物」
とあるから、たぶん「様々な種類の人々」みたいな感じなんだと思います。

それから≪鹿鼎記≫ですけど、たしか鹿鼎山という場所になんか重大な秘密があって、
それで韋小宝がその秘密をどうにかして「鹿鼎公」という爵位を貰うのです。
(ネタバレになるんでわざと曖昧に書いてます。ていうか細かい点は忘れちゃった)

≪神G侠侶≫に関しては、私も麗風小妹と大体同じふうに考えていました。
他にも同じ意見の人は多いんじゃないかな。
和訳が≪剣侠≫になった理由だけど、1巻末の解説はたぶん言い訳で、
実際は「侶」の字が新聞とかで使えないせいじゃないかと私は睨んでいる。
どうよ?>徳間書店
327李莫愁 :2000/10/17(火) 23:48
>>325
あ、間違えた。連城訣の英題は A Deadly Secret でした。

>324 黄島主

お疲れ様です。あれ、>>315 は偽者でした?

そういえば“Mandarina Duck”というブランドがあるけど、
あれは「鴛鴦」ブランドなわけか。結構粋なネーミングかも。
328 ○ 東邪 ○  :2000/10/18(水) 19:38
>>324の西麗風と>>と326の李莫愁へ

日本語訳の題名が『神G剣侠』になっているのは、
出版社側の所謂「自主規制」ということなのであろうか。
わしはその一巻の後書を読んではいない故、何とも言い様がないのであるがな。
爾し
>>322での「!西麗風的英訳解題!」と>>325の「正式英題一覧」とを比較すると、
わしとしては西麗風小姐の方が好きであるぞ。(日本人の感覚だからであろうか?)

>327の李莫愁へ

315は偽者ではありません。月亮が出ていたので皆様にお伝えしただけなのです。
明月幾時有、把酒問晴天、不知天上宮闕、今夕是何年?、という蘇軾の詞が確かあったな。

                    人有悲歓離合
                    月有陰晴圓欠
                    此事古難全
                    但願人長久
                    千里共看嬋娟
ではでは
329 ○ 東邪 ○  :2000/10/18(水) 19:48

そう言えばワシ、哈爾濱で買った<雅鹿牌>というブランド?の上着を持ってます。
後にも先にもこの一着しか見たことがないのであるが。長い間、气になっていたりする。
誰か知らぬか?

その<鴛鴦牌>こと“Mandarina Duck”なるブランド?って何処にあるのでしょうか?
ワシは見たことがないぞ。
330無名的發言人 :2000/10/19(木) 09:30
>>322
>>325
香港の出版社「明河社」1995年モノだと、
倚天屠龍記は“The Heaven Sword and the Dragon Sabre”となってます。
李莫愁さんの英題って「明河:香港」「遠流:台湾」「三聯:大陸」でいくと遠流版ではないですか?
明河版で「刀」が“sabre”になっているのが、英国植民地の雰囲気なんかを出してます。(米:saber)

西麗風さんの英訳以外は「倚天屠龍記」の「天に倚り、龍を屠る」という意味が出てなくて駄目。
そう言えばどこかで、「天」は人民、「龍」はモンゴル皇帝、つまり人民と共に元の皇帝を屠る、
そんな(どこかの国の御用学者が解説していそうな)解題を読んだことがある。
何か胡散臭い気がするが、いかにも中国人が好きそうな解釈だったな。

武林至尊、寶刀屠龍、号令天下、莫敢不従、倚天不出、誰与争鋒!

ところで>>316での李莫愁の指摘、
>笑傲江湖:誇り高い「傲」の字を忘れちゃいかんでしょう。
を考慮したら、「世間を笑い奢る」と言う分かるようで分からない題になりませんかねえ?

「倚天屠龍記」に登場する張君寶こと張三×、名前の「×」って何て読むのですか?
見た感じ、簡体字で書かれた「豊」という字に似ているのですが。
331 西麗風 :2000/10/19(木) 10:57

>324:黄島主
お帰りなさいませ!大兄回来了!接待って大変ですよね、ご苦労様です。

>326:李莫愁 大姐
もしかして「侶」って差別用語だったのですか?
そう言われると「子供」は「子ども」と(「こども」は「供え物」ではないという理由で)表記されてますし、
「夫婦」は「夫ふ」と(「婦」は「掃除をする女」ということで女性の役割を決め付けているから)となってます。
その巻き添えに遭って≪神G侠侶≫は「神G剣侠」になってしまった、ということなんでしょうか。
どうよ?>徳間書店 (取笑
「障害」も最近だと「障がい」とか「障碍」(碍手碍脚の碍)となってますしね。う〜ん、それでいいのか?

325の正式英題って、実は余り手が込んでいないんですね。
鴛鴦刀→Yuen Yang Swords
天龍八部→The Semi-gods and the Semi-devils
何だか、本当に「?」って感じです。
(でも書剣恩仇録を“Romance”で始めているところなんか Good ですね。

>330:無名的發言人さん
「中国歴代人名辞典」だと「チャン・サンフォン」って書いてありましたけど、きっと“Zhang Sanfeng”なんでしょうね。
:名は全、又は君寶、号三○。遼東出身。湖北の武当山を中心に遊歴。
張君寶って道師に出世するみたいですね。
332 西麗風  :2000/10/19(木) 11:05

>328:黄島主
その詩って王菲の“但願人長久”という歌になってませんでした?

私も“Mandarina Duck”という「鴛鴦牌」はお目にかかったことがありません。
又「雅鹿牌」も知りません。それって何かの偽物なのではありませんか?
333 ○ 東邪 ○  :2000/10/19(木) 19:36
 張君寶が後に道士となった際の名前だったかな。
 関係ない話、以前、《神G侠侶》を読んでいた折、
「郭襄」の「襄」を「譲」からの連想で“rang”と読んでおった。
 ある時、詞典を調べたのだが、正確には“xiang”なのであるな。
 ものぐさはいかん、と想った次第である。

 王菲の“但願人長久”だったかな、これはケ麗君の元歌でもある、多分。

<鴛鴦>の話だが、李莫愁の言っていた“mandarina duck”であるが、
 検索した結果、確かにありました→http://www.mandarinaduck.com/
 意語であるな。ちなみに、徳語では die "Mandarinente" だそうだ。

 次はワシの<雅鹿牌>の番であるかな・・・、ではでは
334李莫愁 :2000/10/20(金) 00:25
>329@`333 黄島主
マンダリナダック、シンボルマークはちゃんと鴛鴦でしたね。
私もブランドには疎いのですが、そこそこ有名なとこみたいです。
Infoseek で検索したら、御殿場のアウトレットモールにも店があるらしい。

>>但願人長久、千里共嬋娟
蘇軾の≪水調歌頭≫でしたね。ケ麗君の元歌は≪淡淡幽情≫というアルバムに入ってました。
歌詞を全部唐宋詞から取ったやつ。

>330
>>香港の出版社「明河社」1995年モノだと、
>>倚天屠龍記は“The Heaven Sword and the Dragon Sabre”となってます。

そうでした?
じゃ、上の引用が間違ってると思います。すんまそん、訂正しといて下さい。
遠流版に英題はついてません。(三聯版は知らない)
明河社版は手元にないので、上のは海外の金庸サイトからコピペしました。
直せるやつは直したんだけど、まだ見落としがあったのか。

>>>笑傲江湖:誇り高い「傲」の字を忘れちゃいかんでしょう。
>>を考慮したら、「世間を笑い奢る」と言う分かるようで分からない題になりませんかねえ?
だーかーらー(笑、「傲」は Proud つまり「誇り高い」なんですってば。
てなわけで英訳としては“Laughing Proudly at the World”が、私には一番しっくりくる。
ただ、作品をまともに読めばすぐ分かることだと思うけど、
武侠の「江湖」は一般的な World つまり「世間」とは明らかに異質の世界でしょう。
日本語にするなら「江湖に誇り高く笑う」みたいな感じでは如何?

そういえば「……かねえ?」って言い方、スレの上の方で挙がってた掲示板を見た時も、
やたら挑発的に連発してる人がいて面白かった(笑 ここで見るとちょっと萌え〜
335李莫愁 :2000/10/20(金) 00:27
>330(続き)
>>「天」は人民、「龍」はモンゴル皇帝、つまり人民と共に元の皇帝を屠る

少々ネタバレになるけど、結局この解釈はかなり的を射ているのです。
ただ龍はモンゴル皇帝とは限らないんだけどね。

張三丰 <見えるかな?
张三丰 <こっちが簡体字。

>331 西麗風小妹
「侶」は別に差別用語じゃないと思いますが、新聞では「伴りょ」とか「僧りょ」に
されちゃってますね。マスコミなんかで使える漢字の数には制限があるらしいから、
単にそこからはみ出してるんじゃないでしょうか。
少なくとも「障碍」の「碍」はそれで「害」に書き換えられて、
そしたら今度は「害とはなんだ!差別だ!」てことで問題になったようです。
それでとうとう「障がい」にまで流れ着いたのか。何だかなあ(苦笑

>>鴛鴦刀→Yuen Yang Swords
これって確かに笑えますよね。まんまやん!て感じで。
でもテレビ局が武侠ドラマにつける英題はもっといい加減です。
昔見た≪侠客行≫の英題なんて確か“Hap Hak Hang”でした。
漢字の広東語読みをそのままアルファベットに直しただけ(笑
336 ○ 東邪 ○  :2000/10/20(金) 19:52
商標の鴛鴦は、ちゃんと二羽のつがいにして欲しくはある>333の引用。

>ケ麗君の元歌は≪淡淡幽情≫というアルバムに入ってました。
>歌詞を全部唐宋詞から取ったやつ。
参考になりました。今度試しに聞いてみたくなったぞ。

さて、本題?であるが、
わしも西麗風小姐と同様、「侶」が出版業界の自主規制対象となっとる、そう捉えておった。
何故なら《神G侠侶》の「G」があるし、《侠客行》の「侠」も繁体字になっておるからです。
多分「侶」も、或る特定の人から見た場合、きっと不都合な意味でもあるのではないか、
等と、わしは密かに想っておる次第である。
(誰か徳間書店に問い質してたもれ・・・ただしまっとうな回答はないと想うがな。)

どうやら無理の様であったな「張三?」の表記は。コード規制に遭っておるのだな。

わしの持っておる三聯書店版《笑傲江湖》に英題は載ってません。
気付いたのだが、三聯書店版は左開きである故、明河版と挿絵の左右が逆なのであるな。
ではでは
337名無的発言者 :2000/10/21(土) 18:38
出し遅れだが、金庸小説中のダブルミーニングと翻訳について。

http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9611/paper/1121/book.html
338 胡桂南  :2000/10/22(日) 11:41

吾上禮拝來的314,昨天找不到這个金庸版!真怪的呀!妙極!妙極!

我試試推奨在≪碧血剣≫裡有的這塲景観。大家覺得怎様?


華山派神剣仙猿穆人對袁承志來説:
剣爲百兵之祖,最是難學。
本派剣法更是博大精深,加之自歴代祖師以降,毎一代都有増益。
別派武功,師父常常留一手看家本領,以致一代不如一代,越傳到後來精妙之着越少,
本派却非如此,選弟子之時極爲巌格,選中之後,却是傾嚢相傳。
單以剣法而論,毎一代便都能青出于藍。


日本語で語らせて頂けるなら、こういうことになります。
武林の各掌門は、弟子が自分を越えない様に<必殺之手>を自らの死ぬ間際まで弟子に教えず、
そして横死することが多かった爲に、あらたその手を墓塲まで持って行くことになったせいで、
段々と自分の属している派が衰退する遠因を作ってゆくこととなる(弟子も同じことをする故)。
現在の中国で粗方武術が衰えているのも、これが最大の原因だと言われています。

歴史の教訓:弟子を育てる時は、採用時に悩むこと。技はすべて傳授すること。

この失敗例が≪連城訣≫の鉄骨墨蕚こと梅念笙の一黨ですね。≪碧血剣≫の華山派と對極!
339 胡桂南  :2000/10/22(日) 11:59

>>336的東邪・桃花島島主

僕の蔵書にある≪笑傲江湖≫の挿絵は全部まともでしたよ。
あなたのは乱丁本ではないでしょうか。
だがですね、蔵書中の≪碧血剣≫を調べてみたところ、ありました!

三聯書店版≪碧血剣・下≫をお持ちなら、599頁の挿絵を看て下さい。
話の内容では、左腕を斬ることになっている(日語訳も同様)のですが、
挿絵だと、崇禎帝は阿九の右腕を肩から斬ってます。
そして阿九の着ている服が、「左前」なのです。
しかも崇禎帝は金蛇剣を左手に持って阿九を斬り付けている。(左利き?

三聯書店版上下二巻の内、そこだけ話と画とが合っていません。
重要な塲面なのに、何故なんでしょう?困ったものです。
340無名的發言人 :2000/10/23(月) 09:06

>>331
わざわざ辞典で調べてくれてありがとう。
張三豊って、本当に?実在した人だったんですね。

>>334
>>335
上海の金庸サイトって、実はいい加減なサイトじゃないですか?
大陸の住人といえば自己中が多いので自分で勝手に名前を付けている可能性がある。
よって>>325の英題は手間がかかっているんでしょうが、ことごとく間違っているのでは?

>作品をまともに読めばすぐ分かることだと思うけど、
>武侠の「江湖」は一般的な World つまり「世間」とは明らかに異質の世界でしょう。
>日本語にするなら「江湖に誇り高く笑う」みたいな感じでは如何?
上の「まともに」という言葉がキになるところですが、さておいて、
>>313で「江湖(世間)」としたのは、日本語で「仁侠=渡世人」という言葉があるからでした。
歴史作家の司馬遼太郎氏が、ある対談の中で
「自分はずっと世間という得体の知れないもを、作品の中で尋ねているのです」
みたいなことを語っていました。
ですから李莫愁さんは>一般的な World つまり「世間」、等と単純に考えている様ですが、
世間とはようとしてあるようでないもの、雰囲気っぽい存在ではないんでしょうかねえ?
(何だか虎の威を仮って説明したみたいですが、力量不足なもので、諒解の程。)
笑傲江湖=世間を笑い飛ばす、こんな具合で如何でしょうか?

>>335
少々でもネタバレっぽかったですか、、、
皆さん御免なさい。
341 ○ 東邪 ○ :2000/10/23(月) 19:33
>>337:謝謝合作!
この加地伸行老師は日訳から原文の解釈を行って居るのであるな。
広範囲に亙る知識と、雰囲気を掴む洞察力とが必要なのであるな。
たいしたものではある、感心、感心。
わしもこれくらいになるまで学習しなければならぬとも想うぞ。

取り敢えずは、原典を当れ、ということであるな、何はともあれ。

>>339:胡桂南
乱丁本(?)の可能性は、確かにありますぞ。
爾し、抛って置いても、問題はない故、どうでもいいのだがな。
わしも三聯書店版《碧血剣》を所有して居るので、帰って看てみます。
確かに、お互い困ったものではあるな。

ところで<胡桂南>って何処の誰の名前なのであるか?
ではでは
342 ○ 東邪 ○ :2000/10/23(月) 19:37
>>340
渡世人、、、清水次郎長や木枯し紋次郎の世界であるなぁ。

「あっしにはかかわりのねぇこってす、ごめんなすって」

渋いのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ。
343 張無忌 :2000/10/24(火) 00:15

>>295
Thanks your help from my sweet heart! Ilove you@` my honey!
半ば諦めかけてました。早く人里に降りたい気もする今日この頃,,,

しばらく来なかったので話題が多岐に渡っててついていけません。
ですが,ここは確かに優良スレッドですね。

私が日本語役の次回予告を気にしていたのも,中国語で読んでいたのが,
《射G英雄傳》⇒《神G侠侶》⇒× で stop してたからです。
日本で買うと大凡「三倍」の値段が付きますよって,少々癪なんですわ。

原文で読まれている皆さんはどうやって入手されているのでしょうか?
私は三部作なのを知らずに《射G英雄傳》《神G侠侶》だけ集めてました。
他にも,港台版《書剣恩仇録》や《侠客行》を旅行中買った程度です。

それじゃぁぁぁご免なすってぇぇぇおひかえなすっっって。
344李莫愁:2000/10/24(火) 00:37
>338@`339 胡大侠
聖手神偸もいよいよ固定ハン組参入ですか。恭喜賀喜!今後ともよろしく。

>>毎一代便都能青出于藍。
うろ覚えだけど、確かこれの口語版で
「長江後浪推前浪、一代還比一代強」とかいう成語がありましたよね。
初めて聞いた時は結構感動した。

写真の裏焼きというのは時々あるけど、挿絵の製版だか印刷過程でも、
そういうことってあるんでしょうか?
しかし左利きの崇禎帝はともかく、いやしくも明朝の公主が左袵ってのは絶対まずいでしょう。

>340
>>上海の金庸サイトって
上海ではなく確か米国のサイトでした。ていうか、どこから出てきたのよ上海って……(笑
サイトがいい加減というより、保存する時に映画やドラマ版の英題とごっちゃにしちゃった
んですよね(それってコピペとは言わない?御尤も)。だからその辺は私のミスですけど、

>>手間がかかっているんでしょうが、ことごとく間違っているのでは?
って、なんかもう糞も味噌も一緒というか、坊主憎けりゃ袈裟憎しというか……(苦笑
手元に明河社版があるんなら、見比べてみればいいんじゃない?

>>ですから李莫愁さんは>一般的な World つまり「世間」、等と単純に考えている様ですが、
>>世間とはようとしてあるようでないもの、雰囲気っぽい存在ではないんでしょうかねえ?
はいはい、なるほどねえ。
何だかこれ自体分かるようで分からない説明ですが(雰囲気っぽい存在ってねえ…)、
大体>>335で最初に「武侠の」と断った部分は都合よく無視して、
司馬遼なんか得意気に持って来られても、悪いけど「はあ?」って感じですねえ。
その論理でいくと≪笑傲江湖≫で劉正風が江湖引退の儀を行ったのも、
本人「世間から身を引く」つもりだったってことですかねえ?(爆
まあ確かに結局は人生から引退しちゃったけどねえ。嗚呼哀哉!

>342 黄島主
>>「あっしにはかかわりのねぇこってす、ごめんなすって」

中文だと「不管吾事、請了」てとこでしょうか。
たしか≪ストームライダーズ≫の郭富城が似たような台詞を吐いてたけど、
中国の侠客はやっぱり「路見不平、抜刀相助」が基本だから、
本質的には「愛管閑事」ですよね。まあ紋次郎の台詞も装模作様ではあるわけですが。

それはそうと、社会構造が根本的に異なる日本と中国では、侠客の性格も生活環境も、
外面的には似ていても全く異質の物ではないでしょうか。
だから金庸の和訳でも、たとえ「丐幇」を「乞食党」と意訳したって、
「江湖」はあくまで「江湖」、「武林」は「武林」なんだと思うのですが如何でしょう?
345李莫愁:2000/10/24(火) 01:03
あらら、長すぎたか。黄島主へのコメントが省略されちゃったよ。
それにしても夜中は本当に入りにくい、ここ。

>343 張教主
原書は現地で買いました。
でも日本で泣く泣く大枚はたいて買ったやつもあります。
当時はネット書店なんてなかったからなあ(泣
346 西麗風 :2000/10/24(火) 11:30

>>333:黄島主
"鴛鴦牌"の"mandarina duck"ってあったんですね、けっこう値が張りそう。。。
ケ麗君の≪淡淡幽情≫、私も初耳です。代りに王菲の≪但願人長久≫にありました。
(そこでは「把酒問青天」になってました)。

>>335:李莫愁大姐
侠侶の「侶」は、本当のところ、どうなんでしょうね?う〜ん。
聞くところだと、香港、シンガポールの映画やテレビって、
漢語が母国語でない人たちのために、必ず英語の字幕を付けるって言いますよね。
でもそういう人たちって圧倒的に少数だから、そのままの訳になってるんでしょうか。
例子:《剣客行》"Hap Hak Hang"、《鴛鴦刀》"Yuen Yang Swords"

私は粤語を知らないし、普通語も達者でありませんから質問するんですが、
「剣客行」の“行”の“hang”って、普通語で“行”って“xing”ですよね?
辞書には「hang2、hang4、heng2、xing2」と4つもあって説明も不親切です。
黄島主の「郭襄」の間違いとは違いますが、ちょっと心配。。。
347西麗風:2000/10/24(火) 11:42

>343:張無忌さん
お久し振りですね。どこか僻地にでも隠棲されてるご様子ですね。
日本で中国の書籍を購入すると「三倍」するんですか?CDも二倍近いですよね。

ところで、木枯し紋次郎って何なんですか?時代劇っぽいんですけど。
348 ○ 東邪 ○ :2000/10/24(火) 19:40
>339:胡桂南
わしの《碧血剣》でも阿九は右腕を斬られて、着物も左前でした。
上海(だったか?)で《笑傲江湖》と共に買ったのであるが、どうしてだろう。
だがこのいい加減さが、わしは結構好きであったりもする。

>343:張無忌
三聯書店版《笑傲江湖》だと四冊まとめて、77元左右であったかな。
[一人民幣=14日円]だとすると、1100円くらいであろうか?(安い!
明河版だと大体、一冊40〜50港幣ではなかったであろうか?
[一港幣=14日円]とすれば、550〜700円ではないだろうか。(でも安い!
そもそも日本は物価が高すぎるぞ。その代わり質の方はよろしいのであるが。
あと、わしも旅行中に買う人である。荷物が重くなると郵送します。
日本では買う気がせぬぞ。(CDもな。
349 ○ 東邪 ○ :2000/10/24(火) 19:56
>344:李莫愁へ

 そう申せば日本の渡世人と大陸の侠客との違いについて考えたことはないな。
 どうなのであろうか。
 亜細亜史の硯学、宮崎市定老師(故)が、何かに書いていた覚えがある。
 それによると(多分)大陸と大河を渡る運送業と深い関係にあるそうだな。
(記憶が正しければ、経済的な要因が強く働いている、ということである。
 よってその後に社会構造上の影響が人人の意識に作用して来るといくことだ。)
 その辺の事情を察しなければ駄目なのであろうな。

 旅行して大陸を体験してみるのも必要だ、とわしは想う。

 関係ないが<四人幇>を「四人組」としたのは凄まじい誤訳だと想うぞ。
 爾し<幇>などと言っても分からぬであろうからな。
(だったら「四人党」なら大丈夫なのかや?)

>347:西麗風へ
木枯し紋次郎を知らぬのか?最近の若い者は、、、まったく。
350李莫愁:2000/10/24(火) 23:37
>346 西麗風小妹
侠客行の「行」は xing2 で大丈夫ですよ。
私は一応チャイ語屋のくせに語法が不得手なんであまり偉そうな事は言えませんが、
「行」の発音はとりあえずxing2、hang2 の2つだけ押さえとけばいいんじゃないでしょうか。
hang4 と heng2 は熟語だけに出る特殊な読みですよね。
実は他に xing4 て読みもあるんですが、これは前に黄島主が挙げていた李白の「白 bo2」と
同じで、旧読ってやつだと思います。
で、粤語では普通話の xing2 は hang4(陽平)、hang2 は hong4 になるってわけです。
(粤語の表記は色々あるのでこれはほんの一例ね。)

>348 黄島主
遠流の袖珍版金庸小説集は、原価が1冊65元。当時のレートだと300円位ですかね。
同じものが日本だと7〜800円しました。大体ノベルスと同じ位かな。
でも日本で生活してて、ノベルス1冊と金庸1冊を中身で比べたら、
この値段でも決して高くはないと思えてきてしまうんですよね。

それはそうと、日本の博徒や渡世人は所謂「無宿」つまり士農工商の身分制度から
弾き出された連中が、幕末にかけて凶悪化したものだと聞いてます。
中国にも門閥はあるし賎民もいたけど、全体的に見れば少なくとも建前としては
もっと風通しのいい社会だったはず。
侠客だって戦国時代からいたみたいだし、≪史記≫には遊侠列伝まであって、
扱いからして全然違うような気がします。
351 張無忌 :2000/10/25(水) 01:38
>>347:西麗風
極秘の調査活動をしているので人里離れているのです(冗談ね)。

>>345:李莫愁
「当時」ってキーワードなんでしょうか?(笑
なかなか思いっきりがいいんですな。自分だとそうはいきません。

>>348:黄島主
詳しい数字は知りません。
やはり現地でそれだけ安いんですから、日本では買いたくないですよね。
何だか「ボラれた」感じがして、癪に思えるんですわ。
李莫愁は「チャイ語屋」と言っているよって、必用品なんでしょう。
だったら買うしかないです、と言うか、しのごの言ってられません。

そうですよね「四人組」は誤訳でしょう(何やら四人の仲が良さそう。
かと言って「四人幇」だと(大多数の日本人は)意味が分からない。
「丐幇」も同様に「幇会」の「幇」の解釈で悩んだのではないかと、、、
すると「丐幇」を日本語訳で「乞食党」とする理由が今一つ分からない。
「四人組」という伝統?があるんだから、素直?に「乞食組」にすれば良いのに。
やったら日本の「渡世人」とか「無宿者」から理解が助かるのにな。
ex:紅花組、乞食組、鉄掌組、etc... 「××組」って現代日本にもあるでしょ。

はよ寝よっと。
352 ○ 東邪 ○ :2000/10/25(水) 19:56
>350:李莫愁へ
確かに台湾の物価は、比較的高い方であるからのぉ。
爾し書籍について言えば、大陸でも高価な部類に入るとは、わしでも想う。

大陸での侠客と、日本の渡世人・無宿者との「扱れ方」の比較であったな。
大陸も日本と同様、時代が下れば下る程、支配体制が強固になって来ている訳です。
反清復明を掲げる輩が辮髪をしていたりと、自由度が減少しております。(胡斐は除く)
これを指して<伝統社会の完成>とは誰の言であったか・・・
さて、
食客の華やかな戦国時代さえも、秦の統一で一応は区切られておる。
そういった自由な時代を回顧する記録が≪史記≫遊侠列伝として結実しておるのではないだろうか。
司馬遷も、そうした時代と自らの時代とを比べて、嘆いて居ったはずだ。

時間がない。

取り敢えずは、島国日本と大陸とで比較するのは「無謀」であるとは、お互い一致した見解だと信じておる。

そうであるのだが、支配者による社会体制に組み込まれず、
己の才覚一つ(徹頭徹尾では無論ない)で生きてゆく人が、
どの文化、どの社会、どの時代にも存在した、
という事実?は、ワシには非常に興味深く感じられるぞ。
353 ○ 東邪 ○ :2000/10/25(水) 19:58
>351:張無忌へ

後会有期、ではでは
354李莫愁:2000/10/25(水) 23:29
>351 張教主
>>「当時」ってキーワードなんでしょうか?(笑
え?どういう意味でしょうか。ここでよく使ってるってこと?
具体的に言うと90〜92年頃です。
インターネットはあったんだろうけど、研究室のぼろいPC98機で
DBASEをぼつぼつ打ってるような私にはまだ縁遠い存在だった。

あと幾ら何でも金庸は必用品じゃなかったですよ(笑
色々あって現地にしばらく行けなかった時期に、
同じ金を出すなら日本のぬるいノベルスよりは武侠を買う方が良かっただけの話。
店にない本までオンラインで読める今日からすると隔世の感があります。

「乞食組」はナイス訳語ですね。
すると幇主は「組長」か。うん、「党首」なんかより余程ぴったり。
そういえば「幇」も今や使えない字ですよね。「ほう助」なんて書いてあるからなあ。

>352 黄島主
>>支配者による社会体制に組み込まれず、
>>己の才覚一つ(徹頭徹尾では無論ない)で生きてゆく人

劉慶一郎の(ていうか網野善彦の)「道々の輩」とか「公界往来人」という奴ですな。
前に知人が武侠の「江湖」の概念もこれで説明できないか挑戦したけど、
上手くいかなかったことがあります。
何て言うか、現象的には非常に相通じるものがあるんだけど、
成り立ちの根本が異なっているという感じ。
中世的自由がやがて近世的な支配構造に抑圧されるってのが網野史観みたいだけど、
中国では現実はさておき、言葉としての「江湖」自体に
すでに官界に対するアンチテーゼとして架構された一面がありますからね。
何だか自分でもよく整理できてない話ですみません。

>>島国日本と大陸とで比較するのは「無謀」である
とりあえずはこの御意見に同意です。
355 西麗風 :2000/10/26(木) 12:54

>>350:李莫愁 大姐
ありがとうございます。辞書で改めて調べると沢山あって困ったんですけど、
「行」の発音は「行政」「行李」「不行」とかの“xing2”、「銀行」の“hang2”くらいしか使ったことがありません。
「普通話 → 粤語」でいくと「xing2 → hang4(陽平)」、「hang2 → hong4」になるんですね。
参考になりました。広東語って、映画や音楽で耳にするんですが、弾く音、詰る音が多くて、少し明るい感じがします。
大姐は粤語もできるんですね。う〜んスゴイです。。。

>>351:張無忌さん
最近とっても活発になってる地震の調査とかですか?(冗談です)
映画「覇王別姫」の最初、主役の二人に体育館職員が言いますよね、「四人幇閙的,明白!」って。
(その後「可不。。。」って答えるんですけどね。)もしかして話題に付いていけてません、よね。。。

>>「当時」ってキーワードなんでしょうか?(笑
そうですよね、>>345>>350でも何だか気になる言葉になってます。「当時は〜」とか「あの頃は〜」って何だか。。。
以前にも「私が上海に行ってた時は〜」って、私なんか、いつの時代の話なんだろう?って感じてしまいます。
基本的に大姐って、本をいっぱい読んでて、だから知識があって、更に経験も広そうですから、
う〜ん、この方は一体どういう経歴を持っているんだろう、って私なんか思わずにはいられません。
島主は少し奇妙そうですが、大姐は何だかすごそうです。私なんかの若輩者では適いそうにない貫禄がありますよ。
(気に障られたらごめんなさい。小妹の人物観察と報告でした。)
これからもよろしくお願いします。

≪ストームライダーズ≫、見逃してしまいました。(確か原題は“風雲”でした?)

>>349:黄島主
知らないんですけど、、、笹沢左保?の小説が原作みたいですね。昔はテレビ放映してたんですか?
356神武不殺:2000/10/26(木) 17:54

幇會:舊社會民間秘密組織的總稱。(青幇、洪幇、天地會、等。

江湖:舊時指各處流浪靠賣藝、賣藥等生活的人。也意味着這種人所従事的行業。
  :舊時泛指四方各處。(江湖流浪。

武林:指武術界。非儒林。(武林高手。

丐:<書>(1)乞求。(2)乞丐。

>不管吾事、請了。
在吾來講:“和吾不相干,随汝的便罷。”

>長江後浪推前浪、一代還比一代強
真有意思!青出于藍,而勝于藍。

隆慶一郎,這位冩<一夢庵風流記>。
這本書就是「花の慶次」的原作。大家都知通曉的,明白。
似侠客的主角前田慶次,這條好漢正是<傾き者>的。
357 ○ 東邪 ○ :2000/10/26(木) 19:29
>351:張無忌へ

 確かに、チャイ語屋って言えば、何はともあれ買わなきゃいかんだろう。同感、同感。
「××党」だと大組織で政治色があり、
「××組」だとその道ではあるが小組織な感じがする。
(爾し「甘党」って何だろう?大組織でもないし、政治色もないな・・・)
 やはり乞食組でいいです。

 すると356:神武不殺である様な、「青幇」はどの様に紹介されているのだろうか。
 安能務「八股馬虎」だと、そのまま「青幇」だった様な気もする。
(まさか青党や青組では、ないだろうな。)

 その様な具合であるぞ。ではでは
358 ○ 東邪 ○ :2000/10/26(木) 19:54
>354:李莫愁へ

 昨天は失禮しました。わしも早く自分の計算機が欲しくはありますな。
『花の慶次』の原作者としての隆慶一郎氏(故)は知らぬでもないが、
 そもそも、わしは歴史小説を読まないのです(讀んだ記憶がないぞ)。
 故に網野善彦氏も司馬遼太郎氏(故)についてもよくは分かりません。
 その「中世的自由」という概念はどういった内容を持つのであろうか?
 それはさておき、
 352で、わしが想定していた<自由>は、少少ハバが広すぎたと想う。
 そこで領域限定するに、規則・掟・秩序・法・決り等からの自由である。
 時代が下がる(現代に近づく)程、支配秩序は強化されておるな。
(民主主義とは申せ、これも一つの約束事ではある。)
 その様な、今自分の生活しておる現実の拘束から逃れる自由を、
 過去の時代に、回顧的に想定して居るのだと、わしは考えたのじゃ。

 日本では違うであろう。
 明治時代以前は<封建時代>として、凡そ現代人の考える様な
 自由はなかったのであるから(そう見なされている、という意味で)。

 やはり大陸と島国とでは情況が根本的に違うのである。
(続くか?)
 ではでは
359神武不殺:2000/10/26(木) 23:04

隆慶一郎,有這位作家冩得聞名書,就是《一夢庵風流記》的。
這本書就是日本漫画『花の慶次』的原作,只不過這是衆所周知的事呀。
(大家都知曉的,是不是?)
主角前田慶次郎利益是<傾き者>的,正是一條英雄好漢。

吾偶尓把這个東瀛的<かぶきもの>視爲中華的<遊侠>或<侠客>。
相比之下雙方之間相同之處許多許多了。不以爲兩者之間本質差別。

(壹)爲了守約相依爲命。只不過各尽所能靠著自己的力量。
(貳)抱著既百折不撓的精神又有求必應的義氣、豪氣。
(参)他們不是將計就計的機靈,就是誠朴質。
等等。
如何如何?

 吾認爲:所有的江湖人都懷著不怕官只怕管的心情。
360李莫愁:2000/10/27(金) 00:11
>355 西麗風小妹
>>「当時は〜」とか「あの頃は〜」って何だか。。。
ふがふが、すまんのう。
ばばは年じゃで、若い者と話しておると、つい昔を懐かしんでしまうのじゃ。
ばばが上海に行ったのは、埔東がまだ平地だった頃じゃ。≪大地の子≫の時代じゃな。

≪ストームライダーズ≫の原題は≪風雲 雄覇天下≫でした。派手で面白かったですよ。
ビデオが出るといいんですけどね。

>356 神武不殺
金庸の和訳には初めのうち用語解説がついていました。それに拠ると「江湖」とは、
>>語源は、長江と洞庭湖を以て、「官」に対する「野」、「民間」を代表させたもの。
>>一般には、旅役者、大道武芸者…中略…など香具師的社会を指す。武侠小説では、
>>中でも在野の英雄好漢、侠客の世界が強調される。
だそうです。

>358 黄島主
「中世的自由」というのは大体>>352で島主の言われた
>>支配者による社会体制に組み込まれず、
>>己の才覚一つ(徹頭徹尾では無論ない)で生きてゆく
ことだと私は解釈しています。日本史には暗いので誤解があるかもしれませんが、
放逐された者の吹き溜まる「公界」は同時に芸能者や漂泊民の自立した世界でもあり、
そこには彼らなりの自由と誇りがあった、みたいな感じかな?
これって神武不殺さんが>>356で引いた「江湖」の定義と一見かぶる面がありますよね。

>359 神武不殺
<かぶきもの>跟中華的<遊侠>、看来相同之処的確不少。
但是我還是覚得両者之間的懸隔也相当大、相当多。
中華遊侠基本上是“好漢不問出身低”、反而かぶきもの一般都是武士階級成員、
這也是理由之一。
361李莫愁:2000/10/27(金) 00:14
>359 省略されてないよん。
神武不殺さんへのレス、ちょっと「是」が多すぎてうざかった。
362 張無忌 :2000/10/27(金) 00:30
>>355:西麗風
今度霊峰富士が噴火しそうなので仮設の山小屋で調査中なのです。(冗談だよ)
「そうだね」という賛同の意味で“可不是”と言いますよね、可不・・・。

>>354:李莫愁
「当時」の話ですが、西麗風小妹(355)同様、どのくらい前だろうと思わせる。
麗風小妹が言う様に読書家なんですな。自分は大方図書館の本で済ませてます。
確かに、技術の進歩は特に“日新月異”と形容される程ですからね。
さて人間の心はどうでしょう?“日久見人心”、変わり易いのでしょうか?
(十年後といえば、一体どうなっているんだろう。自分は髪が薄くなってそう。)
本当に「乞食組」はナイスでしたか?
だとすると、丐幇幇主黄蓉は、乞食組組長黄蓉に、、、組長って、、、

>>357:黄島主
杜月笙の青幇ですな。中国社会を見る場合、幇会は欠かせない要素ですな。
(詳しくはないですが)黄金榮の“老板儿”も、青幇の杜月笙と同輩であったとか。

>>359:神武不殺
「傾奇者」とは久しぶり、十年振りか、に聞く言葉だね。
「傾奇者は義を重んじる。義とは我を美しくする。」だったかな。
“一言既出駟馬難追”、自分は自分の言葉に責任を持ちたい(これは理想ね。)
363 張無忌 :2000/10/27(金) 00:48

>360:李仙姑

>>354で語ってる「中世的自由」とは、
黄島主の>>352での意味を狭く採っているのでは?
どうしてかと言えば、

>どの文化、どの社会、どの時代にも存在した、

この普遍性に一歩言及しているからです。
それが本当に、普遍的に存在していたかどうかは、別でしょうけど。

ま、横から見た私の感想なんですが。
364無名的發言人:2000/10/27(金) 09:23

>>344
>手元に明河社版があるんなら、見比べてみればいいんじゃない?
先日まで手元にあった明河社版は、市の図書館に返却中でして、
私も試みに日本語翻訳ナシで挑戦してみようと思い立ったのです。
それで《倚天屠龍記》を借りてみました。
豈図らんや世の中に同じ様なことを考えている人は多い様でして、
一人で継続して借りる訳にもいかないみたいです。

明河社版は、質が粗いのか、それとも読む中国人らの扱いが酷いのか、
ぼろぼろで何故かタバコと汗の臭いがします。人民元なみに汚い!

司馬遼太郎を得意気になんか引用してませんよ。
国民的作家と言われる程の方でも漠然としてしか捕らえられなかった、
そういう曖昧な雰囲気みたいな世間を示してみたかっただけです。

>大体>>335で最初に「武侠の」と断った部分
どこのことなんでしょうか?
>劉正風が江湖引退の儀を行ったのも「世間から身を引く」積もりだった、
のではありませんか?
別に世間から身を引いても、人生から身を引くことにはならないでしょう。
「世間様に顔向け出来ない」といっても家族には顔向け出来るわけですし。

>>341
胡桂南は《碧血剣》登場のぬ盗人の名前です。

>>344
日本の漫画が欧米や中国に紹介される時なんかは、全て裏焼でしょ。
365 ○ 東邪 ○ :2000/10/27(金) 19:41
>359:神武不殺へ

えらく詳しいのぉ、ひょっとして原哲夫フアンであるか?『北斗の拳』はどうであった?
爾し挙げた(壹)(貳)(参)は、洋の東西を問わず、當て嵌まる气もしないではないぞ。
(訂正)所有的華人都懷著不怕官只怕管的心情。ではでは。

>360:李莫愁へ

わしも日本史はよく分からぬ。受験も世界史だったもんんでのぉ(受験教育の弊害じゃて。
(日語訳での説明は、神武不殺の辞書的な“江湖”の説明に、付け足した气がするぞ。
その「中世的自由」は方向が決まっておる様であるぞ。才覚=藝能といった具合だな。
世間からあぶれた者らが自活する為に能樂といった藝能を発達させたのであろう。
それに、その「公界」の内にも当然「決り」や「掟」が存在していたはずである。
358で述べた通り、わしは「規則・掟・秩序・法・等からの自由」を重視しておる。
東邪の“邪”は“常説世上禮法規矩都是狗屁”を表現しておるのであるからな。

人は世の中で否応なしに他者と関係しつつ生活していかなければならない。
それ故、世の中を住み易くする為に、社会の秩序=「きまり」を作ったのであろう。
爾しこの人が作ったきまりが、今度は逆に人を規定する様になったのだ。
馬克思はそれを<疎外>(Entfremdung)と呼んだそうである。(漢語では何であろう?
この疎外を克服するには、何よりも先ずそれから自由であることが必要であるな。
わしはこの自由、伝統の形成に逆行する自由を見出したのが≪史記≫であり、
将来に見出そうとしたのが馬克思、黒格儿による哲学である、と時折想う次第である。
どうでしょう?

>中国では現実はさておき、言葉としての「江湖」自体に、
>既に官界に対するアンチテーゼとして架構された一面がありますからね。
爾しこの箇所が、少少气になっていたりもするぞ。大陸の特色であると想う。
ではでは
366 ○ 東邪 ○ :2000/10/27(金) 19:58
>362:張無忌

大陸の歴史において、“幇会”等の、
秘密結社(?これも誤訳か)が姓易革命の原動力となってたり、
宗教団体がそれを支えていたりよくしますからな。
(でも史料が少ないのが問題だったりするそうだ。)

確かに「当時は云云」と語られると、
言外に「現在からだと想像もつかないんだけど」といった
意味合いや何かが込められていますな。

それが現在の、
中国の(資本主義的)特色有る社会主義の成果と見るか、
ただ単に昔過ぎると見るかの違いであるな。
それともその両方であろうか?

>人間の心はどうでしょう?
回答は

367神武不殺:2000/10/27(金) 23:14

真没有意思的事,傾奇者(謝謝張無忌的指教)跟侠客或遊侠是風馬牛不相及。
兩者之間有本質差別。吾卻敢中国的英雄好漢跟東瀛的聯係起來了。
吾也已經理解了這些理所當然的道理,中国的事就是中国的、東瀛的事就是東瀛的。
只不過這是“同義反復”的,即没有意思的。
試説:我是我、月亮是月亮、猫是猫、風趣是風趣味。因爲當然的事,真没有意思!
有意思的話這様的:“松隆子是胡蝶,吾是一朶花。到吾上随它的便。”
大家都不要説:“松隆子是人,新武不殺也是人。”
這是一箇有意思的説法、即用比喩講述的、明白。

>361
多用“是”字的事,吾感到真不好意思。
但文章中偶見“是”字的話,覺得安穏点儿。

>365
當然看過。島主説的對得一点,吾對雙方之間更要好好儿想想罷。
但是那些英雄好漢的条件多半在東方世界上特有的。
因爲對西欧世界的英雄來説:上帝或精霊幇助他的活動。
只有託他們的福,西欧的英雄才能成功了,明白。
他們缺乏条件‘壹’中的“只不過各尽所能靠著自己的力量”的部分。

這兩天做了長文,感到累死了不好。以後和吾不相干,随君們的便罷。下次再見!
368李莫愁:2000/10/28(土) 00:23
>362@`363 張教主
何だか物議を醸している様子の「当時」ですが(笑)、
当人は何気に「昔は」程度のつもりで使っておりました。
でも考えてみれば>>366で黄島主が指摘した通り、
「現在の状況とは違うことよ」という滄海桑田的感慨もあるかもしれない。

>>乞食組組長黄蓉
そういえば≪方世玉≫の日本語字幕で陳家洛は紅花会の「会長」にされてました。

>>354で語ってる「中世的自由」とは、
>>黄島主の>>352での意味を狭く採っているのでは?
ご心配有難うございます。でもそういう訳ではないと思います。
私の引いた「中世的自由」の意味は島主の挙げた語義の中に含まれるというつもりでした。
369李莫愁:2000/10/28(土) 00:24
>364
>>先日まで手元にあった明河社版は、市の図書館に返却中でして、
>>それで《倚天屠龍記》を借りてみました。
じゃ、たまたま見た≪倚天屠龍記≫の英題が違ってたというだけで、またまた確認もせず、
鬼の首でも取ったみたいに「ことごとく」なんて言い方をしたわけですか。

>>>大体>>335で最初に「武侠の」と断った部分
>>どこのことなんでしょうか?
あのねえ、ちゃんと発言番号にリンク張ってあるんだから、そのくらい自分で探せば?
教えてちゃんはどこへ行っても嫌われるよ。

>>劉正風が江湖引退の儀を行ったのも「世間から身を引く」積もりだった、
>>のではありませんか?
>>別に世間から身を引いても、人生から身を引くことにはならないでしょう。
≪笑傲江湖≫は読みました?

>>日本の漫画が欧米や中国に紹介される時なんかは、全て裏焼でしょ。
漫画はコマ割りの関係でそうせざるを得ないんだろうけど、
だからといって小説の挿絵を裏焼き(?)にする必然性はないですよね。
370李莫愁:2000/10/28(土) 00:37
>365 黄島主
>>日語訳での説明は、神武不殺の辞書的な“江湖”の説明に、付け足した气がするぞ。
いや、あの解説の肝は「武侠小説では」以下の部分でしょう。
辞書的な説明というのはどうしても普遍的かつ表層的なものになりがちだから、
特定ジャンルに絞り込んだ場合の定義となると、そこから偏差が生じてくる。
ジャンル初の和訳として、その辺を押さえとく必要があったんでしょうね。

あと私の説明が悪かったですが、中世日本の自由民には、
芸能者だけでなく山人・海人、宗教者や傭兵の類まで含まれたようです。勿論傾奇者も。
その中には無論彼らなりの掟があったでしょうが、
それを言えば中国の侠客も江湖の恩仇や武林の規矩から自由ではないですね。
≪史記≫刺客列伝でさえ、聶政や田光の死はそれに殉じた結果のように見えます。
たとえ世間の規範から自由であっても、江湖には江湖の掟がある。
まさしく、
>>人は世の中で否応なしに他者と関係しつつ生活していかなければならない
わけで、
他者との関係がある以上、そこには何らかの規範が生じてしまうわけですね。
してみると社会と「公界」ないし世間と江湖の差異は、
規範の有無ではなく、それが自主的に選び取ったものか否かに帰するのでは、
と思うのですが如何でしょうか?

>367 神武不殺
哇!対不起、譲イ尓誤会了。発言裡多用「是」字的是我、
那是自咎的話呀。請千万不要介意。真的不好意思!
371李莫愁:2000/10/28(土) 01:24
>364
おっと、すみません。>>344

>>大体>>335で最初に「武侠の」と断った部分

というのは間違いでした。正しくは>>334ね。
まあお隣の発言ではあるのですが、こちらのミスはミス。
この点に関しては369発言は言い過ぎでした。お詫び致します。
372神武不殺:2000/10/28(土) 17:29

>>368(訂正)

>有意思的話這様的:“松隆子是一只胡蝶,吾是一朶花。到吾上來不來随它的便。”
>大家不要説:“松隆子是人,神武不殺也是人。”

吾打的漢語打的弄巧成拙,覺得自己力不従心。讓大家看拙文,抱歉得很。

>>370
是罷。那也是可以。

下次再見!
373神武不殺:2000/10/28(土) 18:01

参考
http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/6084/seken.htm

天若有情天亦老
人間正道是滄桑
           毛沢東<人民解放軍占領南京> 一九四九年四月
374張無忌:2000/10/28(土) 23:34

>>368:李莫愁
>「現在の状況とは違うことよ」という滄海桑田的感慨もあるかもしれない。
そうでしょう。何か遠くを見ている、そんな感覚を受け取りました。

>私の引いた「中世的自由」の意味は島主の挙げた語義の中に含まれる
了解了,私はどうやら同じことを別の言い方で繰り返していた様です。

>>人間の心はどうでしょう?
>回答は
>>366:黄島主、どうしました?
375張無忌:2000/10/28(土) 23:49
>>乞食組組長黄蓉
>そういえば≪方世玉≫の日本語字幕で陳家洛は紅花会の「会長」にされてました。
党首よりは「それらしい」訳になっていると感じます。賛同。

その彼、陳家洛の場合、確か「舵主」という“尊称”がありましたね。
中国語だと、他にも「領導」とか「領袖」といった表現があるはずです。
尚“地上の楽園”の支配者は直接「領袖」と紹介されていましたな。
「舵手?」や「領袖」と言った言葉は普通なら使いませんが、理解に問題ないはずです。

しかしながら「領導」や「幇主」といった言葉は日本語にないから困る。
(朱鎔基総理なんかを指す際の「領導」はどう訳されているんでしょう?)
「幇主」を「党首」と訳すか「組長」と訳すか、はたまた「会長」とするか、
思いきって現代的にしたなら、「丐幇幇主洪七公」は大方、
「乞食組合最高責任者洪七公」とした色気のないものになります。
「四人組」と同様、「四人幇」と学校教育で刷り込むのが一番でしょう。
>どうよ文部省?(それとも教育科学技術庁か?

あと、最近ここで話題になってる「江湖」も、確かに問題です。
なまじ日本語で「我が作品を江湖に問う」などという表現がありますよって、
中国語学習暦にない日本人でも、たいした違和感を覚えないはずだから。
しかしその言葉の“背景”に控えている文化というか生活というか、
(李莫愁さんと東島主が言われる通り、)
大陸と島嶼とでは「何か」が全く違うもんで、見掛け以上に問題なんでしょ。

独断的な結論ではありますが、お二方の意見は何ら矛盾や対立するものではなく、
<江湖>を各々の仕方で説明しているのだと思います。
ただそれが、群盲象を撫る“瞎子摸象”ことになってるだけなのでは?
人は「神、人間、自然、歴史、社会」について説明し切れない、といいます。
(これは本の知識ね)。「江湖」も社会と同様に説明し切れない概念でしょう。
これらのシロモノは、人間が造り出したんだけれども、
何やら人間の手に負えなくなってしまったものになってしまってますな。
(これがマルクスの「疎外」概念なのでしょうか?>>365:黄島主)

失礼、何やら傍から見ていたハズが、ハマってしまったな(笑。
376 張無忌 :2000/10/28(土) 23:54

あら、消えてる。
377 胡桂南 :2000/10/29(日) 12:37
やはり一週間空けるとレスが多いですね。

>>344李莫愁
こちらこそ、よろしくお願いします。
「長江後浪推前浪、一代還比一代強」この成語は初めてお目にかかりました。ご紹介ありがとうございます。
所謂「出藍の誉れ」は学問を修める者の理想ではないでしょうか。
挿絵の製版はどうなっているのでしょう。私も知りません。

>>348桃花島島主
やはりそうでしたか。どうしたものでしょうか。
378 胡桂南 :2000/10/29(日) 12:39

《神雕侠侶》の後記で作者金庸が語っていることを参考にしてみます。


:企図通過楊過這个角色,抒写世間礼法習俗対心霊和行為的拘束。
礼法習俗都是暫時性的,但當其存在之時,却有巨大的社会力量。
 (略1:)
我們今日認為「天経地義」的許許多多規矩習俗,数百年後是不是也大有可能被人認為毫無意義?
道徳規範、行動準則、風俗習慣等等社会的行為模式,経常随着時代而改変,然而人的性格和感情,変動却十分緩慢。
 (略2:)
我个人始終覚得,在小説中,人的性格和感情,比社会意義具有更大的重要性。
武侠小説的故事不免有過分的離奇和巧合。我一直希望做到,武功可以事実上不可能,人的性格總応当可能的。

(略1:昔は師弟での結婚(楊過と小龍女)は許されていなかったが、現代ではナンセンスであるという例。)
(略2:《詩経》で歌われた内容は現代でも充分通用するという例。)
379 胡桂南 :2000/10/29(日) 12:46

  僕なりにまとめてみるとこうなります。
政治理論、経済制度、社会改革、宗教信仰、といったもの詰り「きまり」や「掟」ですよね。
これらは確かに社会生活を営む上で守らなければならないのですが、普遍性を有していないません。
それよりも友情、愛情、正義感、同情心、といった人の感情は、
遥か昔より存在し、これからも存在し続けてゆくであろうものです。

一見、絶対的な真理(天経地義)の様に受け取られる「きまり」は、実は相対的な時代の産物でしかありません。
しかしながら一見、あやふやに思える人の感情の方が、却って普遍的に存在し続けている当のものであるのです。
暫時的だが巨大な拘束力を持つ社会の中に居ても、自分の感情を大切にしなければならないということです。

  問題である日本と中国との差異は、規則の有無、規則の選択、等ではなく、
規則を生み出す文化的なダイナミクスに求めた方がいいのではないでしょうか。
差し詰め、東邪さんの看法が「きまりからの自由」=“freedom from ”だとすると、
自分の意見だと“freedom to”になるのだと考えられます。
この両者は決して対立するものではなく「自由」なる同一のコインの表裏を表現しています。
そして李莫愁さんの例に出された「中世的自由」は“freedom from ”に内包されれいるのです。
ですから内包されるモノから内包するモノ全部は説明できないわけです。(何故なら部分でしかないから。)
380 胡桂南 :2000/10/29(日) 12:53
しかし偉そうに
「暫時的だが巨大な拘束力を持つ社会の中に居ても、
 自分の感情を大切にしなければならないとい」
等と偉そうに言ってみたものの、そう簡単にはいかないのが世の中です。

自分の歳になると曾ての同級生らがちらほら結婚しています。
そういった話を耳にすると自分も少々胸騒ぎを覚えないでもない。
これは確かに自分の感情ですよね。
しかしこれは社会的(というより世間か?)価値に拘束されてることの証左でしょう。
日本人にとって世間の目というのはやはり大きな存在です。

すると独り愛を貫いた楊過は、やはりすごいのか?でも小説の話だし、
と悩みつつ休日出勤した職場で、ひとり2chしてる僕って一体、、、
381李莫愁:2000/10/29(日) 23:49
何だか面白くなってきましたね。
最初は一般名詞と小説世界に特化した用語との差異にしか目が行かなかったのですが、
段々と話が広がってきてあれこれ考えさせられます。

>373 神武不殺
多謝介紹。満有意思的。

>375 張教主
「領袖」は≪笑傲江湖≫では「掌門」の訳語として使われていました。
「領導」は「指導者」でしょうかね。

黄島主と私の意見は別に対立するものではないと私も思います。
所謂網野史観を持ち出したのは島主の示した定義への比較対象としてであって、
些か不適当なのは承知の上でしたが、思うにこれが余計な混乱を招いたかもしれません。

そうそう、最近見た香港武侠映画の字幕では、江湖を「武侠世界」と訳してました。
色気はないけど明快で良いですね。
遠流の金庸作品集台湾版序によれば、金庸の武侠小説とは登場人物の
「特定的武侠環境(古代的、没有法治的、以武力来解決争端的社会)」
における遭遇を描いたものだとのことです。
“武侠の「江湖」”の定義としては、このあたりが一番妥当ではないでしょうか。
382李莫愁:2000/10/29(日) 23:51
>376 胡大侠
>>問題である日本と中国との差異は、規則の有無、規則の選択、等ではなく、
>>規則を生み出す文化的なダイナミクスに求めた方がいいのではないでしょうか。

いや、規範云々というのは日中ではなく、社会/世間と「江湖」の差異のつもりでした。
>>370の繰り返しめいたことになりますが、
「江湖」は本来社会の規範から解き放たれた侠客のアジールであったはずだが、
人の集まる場所である以上、やはりそこにも独自の規範が生じてしまう。
ただしそれは否応なしに負わされる社会的規範とは異なり、
あくまで江湖に入るという自らの選択の結果として引き受けたものなのだ、てな感じ。
この想定は中国の場合で、日本のことはよく分りません。
劉慶一郎の小説ではやはり社会/世間との断絶と引き換えに自由を獲得した人々として
傾奇者や道々の輩を描いてますが、実際はそんな綺麗事ばかりでなかった気もするし。
383 東邪 @お腹一杯:2000/10/30(月) 19:23

皆様!ここのところ文章量が多過ぎやしませんか?

わしとしては嬉しくはあるが、量を幾分減しましょう。
384 ○ 東邪 ○ :2000/10/30(月) 19:31
>>374:張無忌へ

失礼、時間が来て仕舞ったものでな。

“任歳月如流,物換星移動,而永不改変的是友情”

“世易時移,人心多変,本是自然規律”

これは>>362の回答となっておる。
>>378>>379:胡桂南と併せて考えれば、
「人の心はどうであるか?」という問題は、
回答困難であるの。
385 ○ 東邪 ○ :2000/10/30(月) 19:54
皆様のご協力のお蔭で、理解が進んだと想われます。
わしは日本の「中世的自由」と大陸の「江湖」との比較にずるずると拘泥していた模様だ。
仮令、現象が似ていようとも根元が異なれば、同一視してはいかん、ということではあるな。

確かに「江湖」は所謂“outlaw”の世界ではある。爾し大陸と島国とでは異なっておった。
嘗て岩波文化人が申しておった「日本の場合『上から』の改革という形で社会変化が起こる」と。
武家政権然り明治維新然りであるな。この点を考慮すれば「中世的自由」という代物は世間という
枠組を大きく外れるものでは無かった、ということが出来るであろう。(方向があるのだ。)
爾しそれも大陸との比較の上で有効な話でしかないことに注意が必要ではあるな。
大陸には、世の中の枠組さえ変える<革命>がある故。日本よりは一歩踏み出た自由であるな。
但しその自由も“易姓革命”という点からすれば、西欧社会の自由よりは「革命的」ではない。
すると島国も大陸も“freedom from”に留まり続けた、ということになる。
(この喩でゆくと西欧が“freedom to”となるが如何?>>379:胡桂南)。
大陸には社会の枠組を打破し、変革する自由が存在する。その自由を言いたかった訳だ、わしは。
日本は「上から」の改革故、その点での自由はないな。
386 ○ 東邪 ○ :2000/10/30(月) 19:57
>>367:神武不殺へ

『カムイ傳』においてはどうであろう。
やはり封建社会の軋轢「から」自由になる話ではなかったかな?
わしはもう忘れてしまったもので、失礼。
387名無的発言者:2000/10/31(火) 04:49

“物不換星不移”
388 西麗風 :2000/10/31(火) 10:42

>>360:李莫愁 大姐
大姐最高!おもしろ過ぎです。周囲の目を気にせず思わず笑ってしまいましたよ。

>埔東がまだ平地だった頃
>具体的に言うと90〜92年頃
やっぱりかなり昔のことだったんですね。十年ひと昔って言いますし。

>≪ストームライダーズ≫の原題は≪風雲 雄覇天下≫
雑誌なんかで目にしたのだと、CGを使いまくりって感じでしたね。

>>362:張無忌さん
色々とたいへんそうですね。最近は朝晩と寒くなっているので気をつけて下さい。

>>364:無名的發言人さん
こつこつやり通して下さい。

>>380:胡桂南さん
>すると独り愛を貫いた楊過は、やはりすごいのか?でも小説の話だし、
《神G侠侶》を話題にしつつ現実に引き戻されてますね。
余り気にしない方がいいですよ。人は人、自分は自分なんですから。(私も偉そう?

>>384:黄島主
人間の感情って変り易いですよね。
あんなに一生懸命だったのに醒めてしまうと、
あれ?何であんなに萌えてたんだろう?って感じです。
でもそんなあついところなんかが、
時代を越え、普遍的に存在するのではないでしょうか。
389 西麗風 :2000/10/31(火) 10:46

  海内存知己
  天涯若比隣
        −王勃


友情は大切にした方が佳いと思う今日この頃でした。ではでは。。。
390李莫愁:2000/11/01(水) 00:15
>383 黄島主
うむ、我ながら少々長文が続き過ぎだとは思ったのですが、
なかなか一語道破できるような話題ではないですからな。

同一視は無論まずいですが、本質的な差異の存在を念頭に置いていさえすれば、
その上であれこれと比較するのは有りかと思います。

>390 西麗風小妹
看那所有舊名字改變了幾番 相貌變改可見亦頻繁
在空間 人面對而成為習慣 心隨人轉淡 熱的都變冷
為何仍在遠方的你彷彿都知道 我在這刻極需知心傾訴
偶然覺得失去氣力幹勁全無 及時扶助我 情誼伴溫暖送到

人の外見も心も移り変わってゆくけれど、
友を思いやる心は永遠に変わらないでいてほしい、
という香港の歌手陳百強(Danny Chan、故人)の唄でした。
391 張無忌 → 何足道 :2000/11/01(水) 00:49

>>384:黄島主
謝謝合作。しかしそれは回答と言うより、単なる紹介なのでは???

>>388:西麗風
その点でいくと麗風小妹の方が見解としては出来てると思いますよ。
人の心は変り易いが、その変り易い心に在る感情に、永遠性があるということでしょうか。
>>378:胡桂南の見方を考慮すれば、当たらずとも遠からず、ということになりますか。

「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される、意地を通せば窮屈だ、
 兎角に人の世は住みにくい」(夏目漱石『草枕』)
正にこの人の世と申すやつですね。

ところで、これよりコテハンを張無忌改め何足道とすることにしました。
とぼけた感じが自分らしくて丁度よいからです。ご贔屓のほど、宜しゅう。
http://goldnets.myrice.com/author/2/20102.html←ココは大変便利ですな。
感謝君子剣岳大侠!
392 何足道 :2000/11/01(水) 01:22

>>381:李莫愁
質問なのですが、李仙姑は江湖をどう位置付けしているのでしょう?
図式的に表現してみました。「中世的自由」は混乱をもたらした様ですね。

(1)世間=官界+江湖(江湖>中世的自由の領域)
(2)世間=官界 VS 江湖(含む公界)
(3)世間≧江湖 VS 官界

やはり江湖に「武力闘争」は外せないのでしょう。
(それが“武侠”の江湖だからでしょうか。)

「領導」は「指導者」、英語だと“leader”なんでしょうね。
「領袖」につては、ニュアンスが「この世に唯一の指導者」らしいです。
従って“地上の楽園”の指導者「あなたがいなければ祖国もない〜♪」が、
正しくこの「領袖」に相当すると聞きます。
文革中、林彪がまだ健在であった頃“偉大なる主席”がこの「領袖」だそうです。
すると≪笑傲江湖≫では「掌門」の訳語だそうですが、勝手に想像するに、
任我行か東方不敗くらいしか「領袖」の名に相応しい人が居ないんですけど。
393 何足道 :2000/11/01(水) 01:37

>>385:黄島主
西欧では“out-law”は、ローマ教会による裁判対象外の人を指していたそうです。
特に「破門」された人ですな。(例えば、カノッサ屈辱のハインリヒ何世やルター等等。
この意味で正に自由な“江湖”を指しているのではないでしょうか、どうでしょう。

レスの量ですが、馬馬虎虎でいきませんか?
394神武不殺:2000/11/01(水) 17:37

給大家介紹一下。
http://www.e-net.or.jp/user/karuma/eiketu/keiji.htm

幇主:幇会或幇派的首領。
領導:率領併引導朝一定方向前進。担任領導的人。
領袖:国家、政治団体、群衆組織等領導人。

天經地義:指非常正確不容置疑的道理。
物換星移:景物改変了,星辰的位置也移動了。
     指節令変化,時間推移。也説星移物換。
馬馬虎虎:随随便便。或勉強。
官界→官場:指官吏階層及其活動範囲。

  海内存知己
  天涯若比隣
  無為在岐路
  兒女共沾巾
        −王勃

>386:是,説対呀。
>391:何足道有什麼意思?
395 ○ 東邪 ○ :2000/11/01(水) 19:58
>390:李莫愁へ

 いやいや、文章が長かったのは全員のこと也。
 総量が増えている故、収拾が附かなくなって仕舞いそうな气がした哉。
 確かに、一言で語り尽くせれば、それに越したことはないのだがな。

 爾し「本質的」な差異、という言葉が气になたりもするぞ。
 わしとしては差異の起源の方に関心があるのだがな。
 即ち、経済的基盤がその根拠となっている、ということではある。
(現象同士なら幾らでも比較可能であるからな。)

>388:西麗風へ

 そうかも知れないな。

>391:何足道へ

 その通りです。安易に答えを出すのも如何なものかと想ってのぉ。
 琴聖・棋聖・劍聖と、崑崙派の開祖であったかな、何足道は。
 馬馬虎虎でよろしいでしょう。

 ではでは
396李莫愁:2000/11/01(水) 23:22
>392 何三聖
>>李仙姑は江湖をどう位置付けしているのでしょう?

ご質問の「江湖」とは一般名詞、それとも武侠小説用語の方でしょうか?
私はこの2つは全くの別物だと考えています。
さらに一般名詞の江湖にも複数の意味合いがあり、まとめると大体次のような感じです。

一般名詞の場合 概念:官界 VS 江湖(無位無官の世界)
        現実:官界 VS 庶民(農民・都市定住民)≧江湖(非定住民)

武侠小説の場合 官界≧武林(正派・白道)≧江湖(正邪・白黒)、ただし官界≠江湖

※世間=これ以外の人々(兵士・賎民・異民族・外国人など)も含めた人間世界全体
397李莫愁:2000/11/01(水) 23:26

概念の江湖と現実の江湖の違いは、黄島主のコメントとも関係してきますけど、
つまり官界を構成する文人層には古くから隠逸思想というものがあり、
その目的地とされるのが「山林」または「江湖」であった。
つまり堅苦しい役人生活の正反対にある自由気ままな憧れの世界だったわけです。
詩文に登場する「江湖」がこれで、いわば文人の現実逃避の対象ですね。
一方現実の江湖というのは、例えば≪水滸伝≫に描かれるような庶民の世界。
庶民といっても地に足の着いた堅気ではない、芸人や雲水など流れ暮らしの人々です。
(この辺が中世日本の「道々の輩」にかなり近いと思ったわけです。)
で、この江湖の構成員から武芸者だけをクローズアップして作り上げた、
一種のファンタジー的な世界が武侠小説の「江湖」だというのが私の理解です。
如何でしょうか?

さて、改めて考えてみると日本語の「世間」は、(私も気軽に使ってましたが)
そもそも「官界」や「江湖」と同列には扱えない、異質の概念のような気がします。
中国語の「世間」(=人世、人間)とも若干意味がずれるようだし、
敢えて他の訳語を探すなら、「世人」か第三人称の「人家」あたりが近いかな?

>黄島主、神武不殺、麗風小妹、その他の皆様
とりあえず、私の意見としてはこんな感じです。如何なものでしょう。
398 ○ 東邪 ○ :2000/11/02(木) 19:55
>397:李莫愁へ

<隠逸思想>であるか?再び話が込み入って來そうではありますな。
確か「小隠隠林沢、大隠隠市井」という詩が有ったかも知れない。
朱亥と侯猿(だったかな?)は信陵君の住む都・大梁に居たはずである。
それに運送を請け負っていた<[金票]局>は堅気ではないのであろうか?
別に揚げ足を採る訳ではないが、
「江湖」も「庶民の世界」と大分ダブっていた様に想える。
(線引きが困難である、ということであるな。)
よって「官界≠江湖」というのも、<平穏>な時代には言えるかも知れない。
「乱世」次の日訳《倚天屠龍記》の舞台となる元末明初は、<革命>の時代故、
官界も江湖も庶民の世界も流動しておる様だ。
前の《射G英雄傳》《神G侠侶》等は宋末元初に当たるな。
そういう時代に小説の舞台を設定する故、金庸の作品は面白いのかも知れない。
(わしは詳しくはないのだが、その他の武侠小説の作家らはどんな感じであろう?)
傾奇者の活躍可能なのも乱世ではあるな。

確かに、「世間」は難しい概念である。
その意味で、>373:神武不殺の紹介はなかなか有意思であったぞ。謝謝合作!

ではでは
399神武不殺:2000/11/02(木) 22:01

>>397
吾專門没有自己看法呀。

世間:社会上;人間。(世間的事没有一成不変的。
世人:世界上的人;一般人。
世上:世界上。(世上難事,只怕有心人。

人世:世間;人間。
人事:(1)人的離合、境遇、存亡等情況。(2)指人与人之間的関係。(3)事理人情。
人家:(1)指自己或某人以外的人;別人。(2)指“我”。

>>398
>小隠隠林沢、大隠隠市井
我不知道這節詞呀,黄老邪在做夢着打字的呀?

改修>>394

  送杜少府之任蜀州  ー王勃

 城關輔三秦 風煙望五律
 與君離別意 同是宦遊人
 海内存知己 天涯若比隣
 無為在岐路 兒女共沾巾
400李莫愁:2000/11/03(金) 00:18
>398 黄島主
>>確か「小隠隠林沢、大隠隠市井」という詩が有ったかも知れない。
>>朱亥と侯猿(だったかな?)は信陵君の住む都・大梁に居たはずである。

むむむ……江湖が隠逸の場所云々というのは文人の幻想に過ぎないと思いますので、
実際の侠客がどうだったかと言われるとちょっと困ってしまいます。
この場合の「江湖」は本当に江や湖という意味ですね。「林沢」で言うと「沢」の方。

>>それに運送を請け負っていた<[金票]局>は堅気ではないのであろうか?
>>別に揚げ足を採る訳ではないが、
>>「江湖」も「庶民の世界」と大分ダブっていた様に想える。
>>(線引きが困難である、ということであるな。)

いえ、江湖は庶民の世界でしょう。「官」に対する「野」なわけですから。
ただそうは言っても農民や町の住人などは、やっぱり江湖の範疇には入らないと思います。
>>397でも書きましたが、基本的にどこか流れ者のイメージがあるようですね。
だから長距離を買い付けに回る商人や運送業者は、一応「堅気」ではありますが、
江湖の一員とも言えるかもしれません。
ていうか、そもそも「江湖」という言葉にこういうニュアンスが出来たのは、
貨物の長距離輸送に水路を用いていたからなのでは?
どっちにしろ線引きは確かに困難ですね。
401李莫愁:2000/11/03(金) 00:21
>>その他の武侠小説の作家らはどんな感じであろう?

梁羽生の作品は唐代・北宋・明清代が主な舞台。
全部は読んでませんが、基本的には王朝交代や内乱など激動の時代が多いみたいです。
温瑞安は北宋末期や明代など官僚政治の腐敗した時代が多い気がする。
古龍の作品には時代背景はほとんど出てきません。
彼だけでなく、台湾の武侠小説は政治的原因から大体そうだったらしいです。
蕭逸はどうなんでしょう?

私見ですが、本格的な戦乱の時代は社会の枠組み自体が崩れてしまうので、
江湖の線引きも意味をなさなくなり、武侠小説が成立しにくいような気がする。
現に有名作家の武侠小説で三国時代を扱ったものはほとんどないようだし。
一般に武侠小説の侠客は、江湖の中で覇権を争っても、外の世界の政治には
あまり関わらないのが普通らしく、せいぜい暴君や悪代官を懲らしめる程度。
郭靖のように「侠之大者、為国為民」と国難に正面から立ち向かう者は少数派のようです。
その辺は「いくさ人」が本来の姿であった傾奇者とは大きく異なりますね。
402李莫愁:2000/11/03(金) 00:48
>399 神武不殺

小隱隱陵藪
大隱隱朝市
     −王康[王居]≪反招隱詩≫

也看過“大隱隱於市”、却一時記不起来在[口那]里。
403名無的発言者:2000/11/03(金) 12:02

【PCゲーム「笑傲江湖」c泉国際社(台湾)】

オマケ付きの「限定版」もあるそうです。
日本にいながら、どうやって購入することができるのでしょうか。
割高になっても構いません。教えて下さい。お願いします。
404 何足道 :2000/11/04(土) 00:41

>>396 李莫愁
>ご質問の「江湖」とは一般名詞、それとも武侠小説用語の方でしょうか?
勿論、武侠世界としての「江湖」のことです。

“武侠小説”の「江湖」
:官界 ≧ 武林(正派・白道)≧ 江湖(正邪・白黒)ただし官界 ≠ 江湖

これを見た感じ、江湖の範囲に収まらない武林の領域があるようです。
それは官の世界にも武芸が行われていた、ということだからでしょうか?
でも「武‘林’」と言うくらいですから、官界とは距離を置いているのでは?
武林はあくまでも民間の領域に留まり続けなければならない性質のものでしょう。
自分としては、やはり“文”と“武”は峻別されなければならないと思うからです。
《書剣恩仇録》の張召重にしろ、武林の人物が招かれて官界に身を投じた、という形になってます。
官界と江湖とがそうであるように、官界と武林とは歴然?と区別されなければならないでしょう。
それでは武林と江湖とではどうか?と言うと、
自分は詳しくないのですが、その運送業が江湖の語源になるのであれば、
武林よりも江湖の方が、カバーする領域が広いわけでしょ?
従って(強引に)こう↓なります。

:世間 >(官界 vs 江湖 ≧ 武林)

うぅぅぅ…既に自分の手に負えなくなってます。難しい問題です。
ヘタレで申し訳ありません。

人間到處有青山、、、若い頃に好きな一節でした。
巷では三連休だとか‥‥‥羨ましいものです。
405名無的発言者:2000/11/04(土) 00:46

>>403
最寄りの中国書店へ行くか、台湾旅行のついでに買う。
或いは台湾に行く予定のある知り合いに頼んでおく。
どうでしょうか?
406 何足道 :2000/11/04(土) 01:06

>>398 黄島主
>乱世時代に小説の舞台を設定する故、金庸の作品は面白いのかも知れない。

これは趣味の問題では?
平時の江湖の物語りが好きな者も居れば、
乱世の江湖の物語りが好きな人も居る、ということでしょう。
自分は後者なんですが。
前者が好きな人なんかは、《笑傲江湖》なんかが好きなのでは?
407名無的発言者:2000/11/04(土) 11:49
乱世の江湖の武侠小説に一票。
408無名的發言人:2000/11/06(月) 09:33
>>369 李莫愁
>じゃ、たまたま見た≪倚天屠龍記≫の英題が違ってたというだけで、またまた確認もせず、
>鬼の首でも取ったみたいに「ことごとく」なんて言い方をしたわけですか。
大抵のことは推測可能だということです。WandererやOdeといった妙な言葉もありますから。

>劉正風が江湖引退の儀を行ったのも「世間から身を引く」積もりだった、
これはあくまでも言葉上の問題として扱ってたわけで、
実際どうだったかということは問題にしてませんでした。

上で問題になっているのは、やはり「世間」という曖昧模糊とした概念を、
色んな角度からとらえようとする試みだと考えられます。
司馬遼太郎が成功しなかったように、たいへん困難な問題ではありませんか。
409名無的発言者:2000/11/06(月) 14:53
良質スレage
410名無的発言者:2000/11/06(月) 19:17
「笑傲江湖」に一票
411 ○ 東邪 ○ :2000/11/06(月) 19:28
       小隱隱陵藪
       大隱隱朝市
            ―王康[王居]≪反招隱詩≫
>399:神武不殺
わしのうろ覚えで、失礼。
>402・401:李莫愁
謝謝合作。いつもフォローして頂きお手数をお掛けしますな。

412 ○ 東邪 ○ :2000/11/06(月) 19:53
>400:李莫愁へ
                  !祝賀! 四〇〇超えました !祝賀!
さて、
問題は、わしが<江湖>の理念と実際とを混同している、ということであるな。
確かに、わしらが通常考える様な江湖とは、
謂わば「文人の視点」から語られたものに過ぎない、ということになるかな?
陶淵明然り、文人の幻想は、山野に遊び、晴耕雨読の生活を送ることである、
この様に理念としては想定されておる。(これは文人の独りよがりになるな。
そして現実の方は、侠客はどこにでも居て、徒その名が知られぬに過ぎない。
≪隠姓埋名≫というやつであったかな?

>>365でわしが問題とした>>354での李莫愁の言、
>>中国では現実はさておき、言葉としての「江湖」自体に、
>>既に官界に対するアンチテーゼとして架構された一面がありますからね。
>爾しこの箇所が、少少气になっていたりもするぞ。
と云うのがあったな。詰り「官」の視点から「野」を見ておる、ということだ。
官吏登用試験の<科挙>を受ける資格が有るか無いかで差別があったと謂う。
よって文人の視点が散見されるのであろうな。

(あと信陵の飲は、朱亥と侯贏に訂正して下さい。大家失礼了。)
413 ○ 東邪 ○ :2000/11/06(月) 19:56
>404:何足道へ
ちょっと待っとくれ。

>403
李莫愁に面倒を見て貰って下さい。
414李莫愁:2000/11/06(月) 23:19
>404 何三聖
>>それは官の世界にも武芸が行われていた、ということだからでしょうか?
>>でも「武‘林’」と言うくらいですから、官界とは距離を置いているのでは?
>>武林はあくまでも民間の領域に留まり続けなければならない性質のものでしょう。
>>自分としては、やはり“文”と“武”は峻別されなければならないと思うからです。

いや、一口に「官」と言っても文官と武官があるわけですからね。
≪水滸伝≫で武官の林冲が荒くれ坊主の魯智深と友達になったように、武芸者の間では
「官」と「野」に大した隔てはなく、流動や交流は結構活発です。(魯智深も元は武官)
また侠義小説≪三侠五義≫や、温瑞安の武侠小説≪四大名捕≫の主人公たちも、
官職を持ちながら侠客としても武林に受け入れられています。
(和訳があるもので言うと古龍の『楚留香蝙蝠伝奇』に出てくる捕快もそうですね)
よって、
>>官界と武林とは歴然?と区別されなければならない
というわけでは必ずしもないのが現状のようです。
もっとも彼らの交際範囲は、主に正義の名門大派、所謂「白道」に限られるのですが、
白道の連中は後ろ暗いところがないので、彼らと堂々と付き合う一方、
叩けば埃の出るような普通の江湖人に対しては、そこはかとない優越感を持っているし、
邪派や魔教など一旦「悪」と見なした相手は、情け容赦なく攻撃する。
この辺の差別意識は次に出る≪倚天屠龍記≫や、梁羽生の≪白髪魔女伝≫あたりにも
詳しく描かれています。
(≪笑傲江湖≫の場合は武林の重鎮である五岳剣派が、裏では正義の旗手にあるまじき
卑劣な陰謀を企んでいる点が、作者の痛烈な皮肉になっているわけです。)
要するに「武林」とは、江湖から突出したエリート武芸者集団(官民問わず)なのだ
というのが私の認識なんですが、如何なものでしょうか?
415李莫愁:2000/11/06(月) 23:22

>408
>>大抵のことは推測可能だということです。WandererやOdeといった妙な言葉もありますから。
なるほど、やっぱりお得意の思い込みによる根拠レスな決め付けだったわけですね。
つくづく懲りない人だなあ(笑
残念ながら、侠客行:Ode to the Gallantry  笑傲江湖:The Smiling@` Proud Wanderer
はどちらも明河社の正式題名として確認済みですよ。てことはLouis Cha氏直々のお墨付き。
一日本人風情が「妙」と感じようが感じまいが、向こうは知ったこっちゃないでしょうな。

>>>劉正風が江湖引退の儀を行ったのも「世間から身を引く」積もりだった、
>>これはあくまでも言葉上の問題として扱ってたわけで、
>>実際どうだったかということは問題にしてませんでした。
この一文が何を言わんとしているのかどうもよく分からないんですが、
言葉が実際の小説中でどう扱われているかという最も基本的な事を無視して(爆
これまたお得意の思い込みだけで机上の空論を展開してみたってことですか?

>>上で問題になっているのは、やはり「世間」という曖昧模糊とした概念を、
>>色んな角度からとらえようとする試みだと考えられます。
>>司馬遼太郎が成功しなかったように、たいへん困難な問題ではありませんか。
おおおーそうだったんですかー!!するとつまり、皆様が熱く語っていたのは、
実はことごとく日本の「世間」についての話だったわけですね!(爆
私はまた、その問題はとっくに「比較するのは無謀」ってことで決着がついて、
今は中国の「江湖」の話をしているものとばかり思い込んでいましたよ!
いやー場が読めないってのは怖いもんですね(笑
416李莫愁:2000/11/06(月) 23:25
>412 黄島主
>>わしらが通常考える様な江湖とは、
>>謂わば「文人の視点」から語られたものに過ぎない
少なくとも辞書的な意味においてはそうでしょうね。辞書に収録されるのは
所詮主流文化的な定義、すなわち文人または「官」の視点でしかないわけですから。
(繰り返しになりますが、だから非主流文化や特定ジャンルにおいては、
それとは異なる定義付けが必要になってくるわけですよね)
「野」の視点が拾い上げられない問題については、司馬遷が既に≪史記≫遊侠列伝で
  「至如閭巷之侠,脩行砥名,聲施於天下,莫不稱賢,是為難耳。
   然儒、墨皆排擯不載。自秦以前,匹夫之侠,湮滅不見,余甚恨之。」
と嘆いている通りで、ある意味仕方のないことなのかもしれません。

>403
PC GAMEの事はよく知りませんが、秋葉原に輸入ソフトを売ってる店があると聞きました。
あと通販のサイトもありますが、中華物を扱っているかどうかは不明。
役に立たなくてすんまそん。ていうか、それ系の板に行って聞いた方が早いのでは?
417李莫愁:2000/11/06(月) 23:38
正確を期して事故レス。>>415

×言葉が実際の小説中で
○概念が実際の小説中で
418李莫愁:2000/11/06(月) 23:49
>>415 より正確を期して一応自己レス。

×言葉が小説中で
○概念が小説中で


419李莫愁:2000/11/07(火) 00:04
おっと、送信されてたか。二重投稿スマソ。
420 西麗風 :2000/11/07(火) 12:51

>>397:李莫愁 大姐
私に振られてもちょっと困るんですけど。。。でもさっき講議中に知恵を搾ってみました。

中国社会の主流は官僚だと言います(中国も「官尊民卑」であったかどうかは知りませんけど。
知事を三年勤めただけで、子孫三代に残しても猶、使い切れない程の財産を得られたそうです。
更に後世に詩文を残し、青史に名を残すのも、その殆どが官僚や役人でした。
そうだからこそ民衆は、幼い頃より四書五経を暗記し、詩文の作成に心血を注いだと聞きます。

さて「人の幸せは本当に立身出世にあるのだろうか?−−否それとは別のところにある」
といったことが、文学作品なんかのテーマとして扱われますよね。
単純に表現すると「立身出世したが、大事な何かを失った。それは何か?」になります。
よくある回答が「自由」とか「普段の何気ない生活」や「小さな幸せ」とかみたいな。

社会的に見た最大の価値とは、「社会の主流になること」ではないでしょうか?
(一番のものは、乱世が皇帝になることで、平和な時が宰相の地位にまで登り詰めること。)
でも、文学作品なんかは、そういった見方にアンチテーゼを立てているのです。

例えば、(元ネタは、多分トルストイの短編だったと思いますが)《射G英雄傳》の最後で、
「死んだ後、埋葬するのにどれだけの土地が必要か」と郭靖がチンギス=ハーンに言いましたよね。
ここで郭靖は、歴史の主流(=領土の拡大)とは別の「世の中の見方」を立てているわけです。

こんな感じで「社会の主流に対峙する物語」を、ひとまとめにして「江湖の物語」があって、
そして主人公たちが独特な世の見方を持って懸命に生きる、その姿を描いているのではないでしょうか?
それが自分の力量に頼らなければならないから、勢い「力関係の世界」になってるんでしょうね。
私としては「江湖」が文人による仮構の世界であっても現実に存在しなくても、どうでもいいと思います。

拙い意見ですみません。。。
>>379:胡桂南さんの見解なんかをだいぶ参考にさせてもらいました。
大きな拘束力を持つ社会の中にあっても自分の感情を大事にする、
これは大切なことだけど、困難の伴う問題だと思います。必要なのは力だけではないんですよね。
421 ○ 東邪 ○ :2000/11/07(火) 19:38
>>406:何足道へ

趣味、と云って仕舞えば何でも説明が附きそうではあるが、まぁ好い。
《三国志演義》だと、曹操は「平世の能臣、乱世の奸雄」と看られたそうだが、
即ち、どの時代でも己の才覚一つで渉って行ける力量があった、
ということではないだろうか。

わしは>>352でも語った通り、
支配者による社会体制に組み込まれず、己の才覚一つで生きてゆく人が、
どの文化、どの社会、どの時代にも存在した、という事実を重視しているのです。
このことを根本に据えて現象を考えて欲しくはある。
422 ○ 東邪 ○ :2000/11/07(火) 19:55
>416:李莫愁へ

李莫愁の401に於ける私見であるが、
>本格的な戦乱の時代は社会の枠組み自体が崩れてしまうので、
>江湖の線引きも意味をなさなくなり、武侠小説が成立しにくい
と謂うのがあった。
大陸に於いては第一義的に社会の枠組みの存在が重視されねばならん、
ということではないかな?(革命が不徹底なのもそれ故であるぞ。)
江湖にしても社会の枠組みと、
その秩序を維持する朝廷の存在に依拠している、ということではないだろうか?
(何かこう表現すると「世に政府先にありき」の様な歪んだ見方に想えるが。)
「官」が主流になるのは、安定と秩序とに深く関係しているからであろう。
これは現在でも<安定>重視で政治が行れていることに現れているかも知れない。
<江湖>の定義付けが微妙に変化するのも、
政治との絡みで考えなければならない、とすればどうであろう?

到了時間。

>西麗風へ
拙い意見等では全然ないぞ。参考になります。

ではでは
423李莫愁:2000/11/07(火) 22:56
>420 西麗風小妹
>>私に振られてもちょっと困るんですけど。。。
あ、すみませんでした。別に回答を無理強いするつもりはなかったんですが、
負担に感じられたのでしたらごめんなさい。

>>「人の幸せは本当に立身出世にあるのだろうか?−−否それとは別のところにある」
「身を立て名を揚げ」が官製の価値観だとすれば、これもまた一つの「野の視点」でしょうね。
だから「江湖の物語」が本来「社会の主流に対峙する物語」であるというのは、
全くその通りだと思います。

ただその本筋からは少々離れた枝葉の問題になりますけど、
今の武侠小説ではこの「江湖」の世界観があまりにも確立されすぎて、
それ自体が大きな拘束力を持ち「社会」の役割を果たすようになってるみたいなんですよね。
世間の規範や社会の法に代わって、江湖の掟や武林の序列が人々を縛り、
「江湖で名を揚げる」「武林の主流になる」ことが最大の価値になったため、
今度は「人の幸せは江湖とは別のところにもあるはずだ」という、
いわば「江湖に対峙する物語」が生まれてしまう。
≪笑傲江湖≫が正にそうですし、≪神G侠侶≫や未訳の≪倚天屠龍記≫にも
その傾向が見られます。
まあこうした逆手の取り方が、金庸の上手いところなんだろうなとは思うのですが。
424李莫愁:2000/11/07(火) 22:58

>422 黄島主
>>江湖にしても社会の枠組みと、
>>その秩序を維持する朝廷の存在に依拠している

そういうことになりますね。
江湖=非定住民と考えた場合、治世ではある程度定住民との棲み分けができているが、
乱世では農民が流民化してこの棲み分けが崩れてしまう、つまり社会そのものが江湖化する
とも言えるのでは。

ただ>>401で私が言ったのは、そういう乱世の状況を舞台にして武侠小説を書くのは
難しいんじゃないかということです。
(423で述べたように今の武侠小説は「江湖」という既成の世界観に安住する傾向が
あるように見えるので。
あと≪鹿鼎記≫なんかにも言えることですが、あまり話の舞台を拡大しすぎると、
もはや「武侠」小説ではなくなってしまうんですよね。)
あくまで創作というか虚構レベルの話。だから、

>><江湖>の定義付けが微妙に変化するのも、
>>政治との絡みで考えなければならない、とすればどうであろう?

ていうのとはまたちょっと違った問題になりますね。
425 何足道 :2000/11/08(水) 02:16

>>414李仙姑
なるほど、随分と具体的で丁寧な解説、ありがとうございます。
>>423での麗風小妹への回答と併せて考えると分かりやすいと思います。
官界と武林とは別々のものでありながらも、社会において二重写しの関係にある、ということになるでしょうか?
官界は社会の中では主流に位置し、武林は江湖の中での主流に位置しているのです。
世の中、社会の隅々まで政府の支配が行き届くわけではなく、自然とそこからはみ出る領域としての江湖がある。
政府の目の届く領域では官僚がエリートであり、その外にある江湖では武林がエリートとなっている。
(同じエリート意識を持つ者同士、気が合うということだろうか?)
すると>>422にて黄島主の言ってることを用いると、社会体制(社会秩序)を江湖に持ち込んでいるんでしょうね。
(発生的には江湖の方が先でしょうが)社会の「秩序」があってこそ、江湖の「しきたり」も無事に行われる、と。

何だか他人の意見の切り張り細工みたいになったみたいです。みんな大目に見てやって下さい(笑。

最後に武官についてですが、これは「官」を冠していますが、身分はかなり低かった模様です。
科挙が整備されてくると、官界の中でも落ち零れになっている様ですよ。
≪水滸伝≫の宋代なんかは特に(すると今度は社会の落ち零れ同士で仲が良くなっているのだろうか?
426神武不殺:2000/11/08(水) 17:07
>>402
謝謝指教!黄老邪真的包涵〜。

>>404

 男児立志出郷關 學若無成不復還
 埋骨何期墳墓地 人間到處有青山
                ー月照

 孩子立志出郷關 學不成名誓不還
 埋骨何須桑梓地 人生無處不青山
                ー毛沢東≪留呈父親≫一九一〇年秋天
427 ○ 東邪 ○ :2000/11/08(水) 19:43
>424:李莫愁へ

社会全体が総江湖化するのであるか、譬えとしてはスゴイものがありますな。
そうなるとワザワザ江湖を取り上げる意味がなくなり、
単なる歴史小説と化して仕舞うから、乱世は武侠小説の舞台になり難いのだな。

西麗風の語る通り、社会に普通に通用している価値に対し、
アンチテーゼを立てる意味から、先行する安定した平穏な社会が必要、
ということになるのであろう。

「政治との絡み」についてであるが、やはり近代化の到来と前後して、
武侠小説の舞台となる様な江湖も消滅して仕舞ったのではないだろうか?
何処かで読んだのだが、西欧からの<鉄道>の到来が運送業を壊滅させ、
それ故、[金票]局も、そして江湖も、武林も消滅して仕舞ったと謂う。
政治的な変革(封建社会⇒市民社会)ではなく、経済的な要因によって、
武侠が終焉を迎えた例として、ワシには納得のゆく話ではあった。

ではでは
428 ○ 東邪 ○ :2000/11/08(水) 19:55
>425:何足道へ

官界と武林とは社会に於て重ね合わせである、ということであるな。
ナカナカ有意思な看法であるぞ。
政治的支配の領域を「世間」とすると、
江湖は「プチ世間」ということになるだろうか?
ふむふむ。


>426:神武不殺へ

わしも若い頃はその月照の詩を气に入っておった。
爾し大学に入って、わしも随分と道徳的に丸くなって仕舞った様だ。
歳をとっても青雲之志というものを忘れたくはないものであるな!

ではでは
429李莫愁:2000/11/08(水) 22:39
>425 何三聖
宋代に武官の地位が低かったのは、趙匡胤が軍閥化を警戒した結果でしたっけ?
でもその割に民間では武芸が流行していたようで、武術の愛好団体があったり、
社寺の祭りで武術大会が催された記録もありますね。まさに≪水滸伝≫の世界。
但し「武林」という概念は多分、近代以降に武侠小説家が創作したものでしょうから、
官界と武林が峻別されるべきか否かというのは、現実レベルではあまり意味がないかも。

それはそれとして、武侠小説に出てくる武官は「武」によって武林、
「官」によって官界の片隅に引っかかっている、善く言えば二つの世界の橋渡し、
悪く言えば蝙蝠的な存在に見えます。

さらにそれとは別問題として、文人にも江湖や侠客への根強い憧れが何所かにあって、
それが物語中では≪三侠五義≫の包公のような侠客たちを束ねる名裁判官となり、
現実世界では侠義小説だの武侠小説だのを生み出す原動力となったと思うのですよ。
430李莫愁:2000/11/08(水) 22:41
>427@`428 黄島主
なるほど、流通の革命が江湖を滅ぼしたというわけですか。
確かに説得力のある説ですね。
今も細々と各地を放浪している乞食とか「[足包]江湖」の類は、
さしずめその生き残りなのでしょう。あと銃や麻薬の流通を手に入れた黒社会も。
考えてみると映画≪黄飛鴻≫(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ)シリーズは、
丁度この江湖の終焉期に立ち会った武侠の物語なわけですね。

>>政治的支配の領域を「世間」とすると

揚げ足を取るつもりはないのですが、これはむしろ「社会」では?
「世間」とは政治的支配とは関わりない、民衆の視点から見た世界であるような気がします。
でも「江湖=プチ世間」説には私も一票。いわゆる一種の small world ってことで。
431 西麗風 :2000/11/09(木) 11:13

>423:李莫愁 大姐
別に負担だとは思ってません。私なんかが話に入って大丈夫なんでしょうかって思ってただけです。
2chなんですけど、ここではちょっと及び腰になって仕舞いますね。問題?かも。。。

大姐の洞察は本当に深いですね。。。私なんか正に【目からウロコ】って気分ですよ、ホントに。
普通の武侠小説が「社会の主流に対峙する物語としての江湖」を主題としているなら、
金庸の武侠小説は「その江湖の主流に対峙する物語」となるわけですね、深〜い世界です。
私なんか金庸の武侠小説を、単純に「主流⇔反主流」の二項対立として理解してただけですから。
最初に私が朧げ乍ら思ってた「反主流としての江湖」は、
その内にも更に「主流⇔反主流」を内包させているんですね、社会の縮図ということでしょうか?

当然なことなんでしょうけど、私達が普通に暮らしている社会にも、
善い人や悪い人、そして普通の人がいるように、同様に江湖にもそんな人がいるわけでしょ。
それでも普通の人からすれば、江湖を横行する人たちって、全員危ない人にしか見えませんよね。
それは私達が「○○組」の人たちを見る目と同じことだと思います。(危険なことは確かです。)
ですから普通の社会から江湖に足を踏み入れる場合には、
「江湖の掟(渡世術?)」と「武功」とを身につける必要があります。
そうすれば以前は危険だと思っていた江湖も、案外(?)過ごし易くなるのではないでしょうか?

前の話とは全く関係ないんですけど“once upon a time in China”って《黄飛鴻》なんですね。
「黄昏れに飛ぶ鴻」といった意味になるんでしょうか?
ここの話題からすると「江湖の正に終わろうとする時代に輝く侠客」ということでしょうか。
432 西麗風 :2000/11/09(木) 11:30

一昨日に夢を視ました。
王重陽が主宰した第一回「華山論剣」がありますよね。天下五絶を決めた集いです。
東邪:黄薬師、西毒:欧陽鳳、南帝:段皇帝、北乞:洪七公、中神通:王重陽って。
私のイメージだと当初、武道に一家言をもった人物が華山に集まって話し合いをしたイメージでした。
実際のところだと、和気藹々ではなく、第二次華山論剣みたいに闘ったんでしょうけど。

私の夢の話だと、「風流」を競い合うことで勝敗をつけてたんです。
東邪:黄薬師は、水墨画で達磨大師の絵を描くことで風流を表現し、
西毒:欧陽鳳は、二胡か何かを弾くことで、
南帝:段皇帝は、何だかの本の注釈書を著すことで、
北乞:洪七公は、打狗棒で京劇みたいな舞踏を舞い、
最後に中神通:王重陽は、それらの達人らを漢詩で評するのでした。
それで「『天下風流第一』は王重陽である」と決まりました。
判定したのは黄蓉なんですけどね。。。

その詩でかろうじて覚えている一節が「雨下休竹林」というものでした。
「雨が降れば竹林に憩う」そんな感じですかね。皆さんも佳い夢を視れると好いですね。
433名無的発言者:2000/11/09(木) 15:11

【PCゲーム「笑傲江湖」c泉国際社(台湾)】

403の者です。
405の方、416の李莫愁さんありがとうございまっす。
早速秋葉原に行って見て参ります。
434神武不殺:2000/11/09(木) 22:37

[金票]局:保[金票]的営業機構。
[足包]江湖:指以賣藝、算卦、相面等爲職業,来往各地謀求生活。
人間:人類社會,世間。(春満人間。

風流:(1)有功績而有文采的。指有才学而不拘禮法。(2)指跟男女間情愛有關的。

>>428
真正的!吾也依然懷著跟黄老邪同様的感覚。

>>432
「目から鱗」就是“恍惚大悟”的。
小妹,知曉“夜長梦多”的没有?

>>399(訂正)
“小隠隠陵藪、大隠隠朝市”
我不曉得這節詞呀,黄老邪在做著梦打字的呀?
435李莫愁:2000/11/10(金) 01:22
>432@`433 西麗風小妹
「黄飛鴻」は単なる人名です。日本語字幕だと「ウォン・フェイホン」かな?
映画好きの友人から聞き齧った話ですけど、≪黄飛鴻≫の映画は戦争直後から
ずっと作られている人気シリーズで、ただ初代の黄飛鴻は辮髪じゃなかったし、
ポパイ vs ブルートみたいにレギュラーの悪役がいて、話も小じんまりしてたらしい。
≪ワンチャイ≫シリーズで辮髪の黄飛鴻が汽車に乗ったり西洋人の手先と戦ったりするのは、
“侠客 meets 近代西洋”を意図した演出なんでしょう。孫文が出る話もありましたよね。

ところで麗風小妹の洞察には、こちらこそ頭が下がりますよ。
私なんかが本を読みまくり、長いことかかってやっと考え付いたようなことを、
すっと掴み当ててしまうんだものなあ。後生畏るべしというか、私がとろいというか……
黄島主や何足道さんや胡桂南さんが、それぞれの角度から論を立てておられるのにも、
すごく啓発されますし、神武不殺さんのワンポイント・レッスンも為になる。
ここに来るたび私も目からウロコを落としたり、膝を叩いたりと毎日忙しいです。
といっても別に、ここで正しい結論を出すのだ!みたいな目的があるわけじゃなし、
所詮お気楽な雑談なんだから、各々が思うところをマターリと語り合っていれば
それで充分なんでは?と思いますけど。

華山論剣ならぬ論風流というのは、えらくゴージャスな夢ですね。
しかも詩まで……かっこよすぎ。香港のへっぽこドラマでもいいから映像で見てみたいです。

>434
ご健闘を祈ります。うまく見つかるといいですね。
436 ○ 東邪 ○ :2000/11/10(金) 19:26
>430:李莫愁へ

そうであるな。
わしも427を書いておった折、どの言葉を使うのが適切であるか迷って居った。
取り敢えず当り障りの無さそうな「世間」にしといたのだが「社会」であるな。
爾し社会にしろ世間にしろひどく曖昧なもので、何とでも言えそうではあるな。

そう云えば、>416で語っておった、
>「至如閭巷之侠,脩行砥名,聲施於天下,莫不稱賢,是為難耳。
> 然儒、墨皆排擯不載。自秦以前,匹夫之侠,湮滅不見,余甚恨之。」
という司馬遷≪史記≫遊侠列伝は、果たして「野」の視点なのであろうか?
それとも「官」の視点なのであろうか?わしは>>352で語った通り、
≪史記≫とは司馬遷が回顧的に理想を見出した「官」の視点からの記録であると想う。
「野」の視点からは、そんなこと知ったことではない、と云う具合ではなかろうか?
現代の「黒社会」について、わしは余りよく知らない故、何とも判断附きかねるな。

>435
こちらこそいつも学ばせて貰っております。
読書量の豊富さ、思考の強靭さには、敬服致しますぞ!
437 ○ 東邪 ○ :2000/11/10(金) 19:46
>431、432:西麗風へ

なかなか楽しい夢を看て居るのだな。羨ましくもあるぞ。
下の句?を考えたぞ「雨下休竹林、雨上遊武林」というのはどうであろう?

爾し「天下風流第一」とは何か何処かで目にしたことがある一節ではあるな。

わしも李莫愁が申す通り、
ここで正しい結論を出すのだ!みたいな目的がある訳でもない故、
お气楽な雑談として、各々が思うところをマッタリ〜と語り合うので充分
だと想っておるぞ。(所詮ここは2chなのであるからな。哈哈哈!)
話題と全く関係ないことでも語るの憚るものなど何も無いぞ。

これは誰にでも言えることであるが、中華圏関係なら何でも“可以”です。
<來者不拒、去者不追>のココロであるぞ。

大家都愉愉快快地去桃花島!ではでは
438神武不殺:2000/11/10(金) 22:29

>>435
吾也情不自禁感嘆,令吾十足欽佩欽佩莫愁大姐!

>>437
在吾來講:“雨下休竹林、雨停遊武林”,行不行?
大家都到花花世界的桃花島一起去玩儿罷!
439神武不殺:2000/11/10(金) 23:23

>>473>>432
麗風小妹做夢的“天下風流第一”,
在≪侠客行≫裏找得着類似的部分。

古往今來天下劔法第一、
拳脚第一、
内功第一、
暗噐第一的大英雄、
大豪傑、
大侠士、
大宗帥!
440李莫愁:2000/11/10(金) 23:59
>437 黄島主
>>司馬遷≪史記≫遊侠列伝は、果たして「野」の視点なのであろうか?
>>それとも「官」の視点なのであろうか?

基本的には島主の仰る通り「官」の視点だと思います。但しポイントは彼が遊侠や刺客に
>>回顧的に理想を見出した
という点で、この姿勢は≪漢書≫以下の正史には受け継がれなかったものですよね。
武侠のモットーは「路見不平、抜刀相助」ですが、世の「不平」を思い切り嘗めた司馬遷は、
並みの文人以上に彼らへの憧憬が強かったとしても不思議ではないと思う。

>>「野」の視点からは、そんなこと知ったことではない、と云う具合ではなかろうか?

武侠自体はあくまで行動者であり語られる側の存在であって、
それを記録し語り伝えるのは文人を始めとする第三者だということですね。

>438 神武不殺
太過奨了!

“雨下休竹林”這節詞実在很難想出下聯呀。勉強地対上一句:
“月霽酔花苑”
441 何足道 :2000/11/11(土) 07:38

>>426 神武不殺
毛沢東の本歌取り???

>>429 李仙姑
歴史に関しては、自分はそんなに詳しくはありません。ただ先に話したのは、東洋史専攻の友人から聞いたものでした。
宋代に軍隊が振わなかった理由は、現在でも通説というのはないみたいですね(不思議なことに。
太祖趙匡胤の個人的な性格に帰結させる様な解釈も、かなり昔はあったみたいですが、現在では実弟の太宗趙匡義の政策(?)ではないか、と見られているそうです。(これは聞き齧りの情報です。
そして軍官の地位が他の時代と比べて低い理由も未だ定説はないみたいです。
十年以上前くらいだと、宋代は経済活動が活発となり、失業対策としての貧民救済策=軍隊の役割が相対的に低下した、こんな感じの経済要因説が巾を聞かせていたと言います。(これは本で読んだ。
ま〜歴史(文学も?)なんかだと、固定された唯一の見方=客観や真理といったものを想定出来ないところが、自分的には好きなんですけどね。
(宋代に庶民間で行われた祭の武術大会といっても、村相撲ていどのものに止まるものではないのでしょうか?)
現実(?)として、官界と武林の峻別に意味はなさそうです。

>>436@`>>440
李莫愁さんと黄島主の話を見てて気付いたんですが、“武林”や“江湖”は官の立場から見られた仮設的な領域である、ということなんですね。
そして現実に存在したであろう「武林」や「江湖」を素材として武侠小説が描かれて行った、と。
“官”の幻想としての“武林”や“江湖”“と、「野」の生活領域としての「江湖」や「武林」の間には自ずとギャップが存在することになります。
この事態が<江湖>の概念を捉え難いものとしている当のものではないでしょうか?
小説を書く人間は文人が多そうですし、庶民は自分達の生活している場のことに注意を払わなかったから、「官」の視点に立つものが多くなるのは当然なのでしょう。
如何でしょうか?

>>428 黄島主
「プチ世間」ですか、、、すると江湖は本世間に“寄生”していると看做してもいいのでしょうか?

>>435
あと西麗風小妹は“黄飛鴻”について、ダブルミーニングのことを言っているのでありませんか?主人公の黄飛鴻は、江湖の正に終わろうとする時代に輝く侠客である、といった具合に。(多分ね。

>>432 西麗風
浪漫情緒ある夢ですね〜。自分も【目からウロコ】でしたよ、李莫愁さんの見方には。
442 何足道 :2000/11/11(土) 07:40

消えてないですよ〜
443 胡桂南 :2000/11/12(日) 14:17

三聯書店版の金庸著作集「序」にはこんなことが記されています。
(大意訳ですが、もし訳中で本質的に不都合な箇所がるなら御指摘下さい。)

「私金庸が初期に書いた小説では、漢人王朝の正統性を強く意識してました。
後期になると基調は、“中華民族”各々を一視同仁に見做すことに変化しています。
これは私の歴史観が幾らか進歩したからです。
それは特に《天龍八部》、《白馬嘯西風》、《鹿鼎記》では明らかです。
(中略)
一つの種族毎、一つの宗教毎、或る一つの職業毎、それらの中にも“好人”や“壊人”がいます。
例えば、よい皇帝もいれば悪い皇帝もいるし、悪徳役人もいれば人民を慈しむ役人もいるのです。
作品中の漢人、女真族、契丹人、蒙古人、西藏人、それらの中にも善人悪人はいます。
和尚、道士、ラマ僧、書生、武人の中にも、彼等は各人各様の個性と性格を有しているのです。
読者の中には、作品中の登場人物を、善人悪人の二つに分けるのが好きな人がいます。
しかしながら、その個人を善悪と二分した後、その人の属する集団へと善悪を推し拡げるのであれば、
これは作者である私金庸の本意とするところではありません。」
(“”は訳者による強調部分。)
444 胡桂南 :2000/11/12(日) 14:24

だいぶ意見も出尽くして来た様ですし、議論も煮詰まったみたいですね。
前回も引用し、今回も引用した箇所は、金庸の武侠小説での中心テーマを示しています。
即“道徳規範、行動準則、風俗習慣等等社会的理念時時変化,人的性格和感情却変動極少”也。

  おそらくここで一致しているであろう皆さん意見は、大凡の所だと、
李莫愁さんが提示し、西麗風さんが上手くまとめている様に、
>普通の武侠小説が「社会の主流に対峙する物語としての江湖」を主題としているなら、
> 金庸の武侠小説は「その江湖の主流に対峙する物語」となるわけですね、深〜い世界です。
ということではないでしょうか。
これは更に“個人を越えた何か”と“個人”との対立という風に図式化可能ですね。
ならば何故この様になるのか?黄島主はその原因を、
>人は世の中で否応なしに他者と関係しつつ生活していかなければならない。
>それ故、世の中を住み易くする為に、社会の秩序=「きまり」を作ったのであろう。
>爾しこの人が作ったきまりが、今度は逆に人を規定する様になったのだ。
>馬克思はそれを<疎外>(Entfremdung)と呼んだそうである。
>この疎外を克服するには、何よりも先ずそれから自由であることが必要であるな。
等と表現してましたけど(ルカーチの表現する所だと“物象化”に相当するでしょうか?
世間や社会の束縛をのがれ、自由に生きる道を選び取った遊侠たちは、
江湖に足を踏み入れた途端、江湖の束縛によって囚われたのでしょう。
それでも止むことなく自由を稀求し続けた者こそ(小説中では)“真”の侠客になるのです。
しつこい様ですが、この真侠客こそ、己自身の“freedom to”を実現する者となります。

>大きな拘束力を持つ社会の中にあっても自分の感情を大事にする、
>これは大切なことだけど、困難の伴う問題だと思います。必要なのは力だけではないんですよね。
西麗風さんはみんなの見解をよくまとめて自分の意見にしていると感じます。

>こんな感じで「社会の主流に対峙する物語」を、ひとまとめにして「江湖の物語」があって、
>そして主人公たちが独特な世の見方を持って懸命に生きる、その姿を描いているのではないでしょうか?
>それが自分の力量に頼らなければならないから、勢い「力関係の世界」になってるんでしょうね。
>私としては「江湖」が文人による仮構の世界であっても現実に存在しなくても、どうでもいいと思います。
確かに、日本と中国との対比は、現実と小説との比較以上に意味がありませんね。
445 胡桂南 :2000/11/12(日) 14:29
あっ、↑四四四だ!

>李莫愁さん
問題は、世間、或いは社会から選択的に江湖に入って行ったにもかかわらず、
曾て自分の属していた集団の決り事を引き摺っている、ということになりますね。
社会と江湖の線引きが困難な理由の一つでもある様な気がします。
文人が江湖を隠遁の場所と見做しても、
その実、現下の社会規範を持ち込むから意味がないのかも知れません。

>何足道さん
現実の歴史を武侠小説中に用いるのは、背景として知っておくには有用かも知れませんが、
現実の世界を杓子定規に小説中に用いることは、意味がある様には余り思えません。
それは上で何足道さんの言うとおりだと思いますよ。

私も長い間ロマンチックな夢を見てませんね。若いっていいですわ、本当!
そう言えば昨夜は満月だったのでしょうか?
446神武不殺:2000/11/13(月) 22:07

昨夜過得去中國旅行但吾感冒了,這不是做夢做吾娘的清秋大夢的麼!

>>440
没有什麼。但願吾們都各顯神通聊天儿自己看法罷。
“月霽酔花苑”這節上句也好極了。

>>441
僧月照(自1813至1858)。
偉大的毛主席冩≪留呈父親≫詩時一九一〇年秋天。
必定毛澤東取得他漢詩的詩義呀。

>>444
胡桂南這人把個人的存在価値重視,是不是講“存在主義”的人性観?
447 西麗風 :2000/11/14(火) 13:04

>>435:李莫愁 大姐
褒め過ぎですよ〜大姐。。。でもありがとうございます。
ホントに私の考えなんて未だ未だ底が浅いですし、
皆さんの意見の良いとこばっかり取り出しているだけです。
そうですよね、皆さんとマターリとお喋りみたいな感じで。
何だか気負っていたみたいでした。これからもご指南お願いします。

>“月霽酔花苑”
“雨下休竹林”なんていう私の夢には永遠に出て来そうにない一句ですね。。。
それと黄飛鴻って確か「少林寺」の Jet Lee でしたよね?最近だと「ロミオ〜」だった様な。

>>434:神武不殺さん
>小妹,知曉“夜長梦多”的没有?
“夜長梦多”見た感じ、「夜が長いと夢を多く視れる」という意味ではないでしょうか〜って言うのは冗談です。
ちゃんと意味は知ってますよ。「長引かせると長引かせるだけ困ったことになる」ということですね。
448 西麗風 :2000/11/14(火) 13:10

>444:胡桂南さん
いろいろと解説していただきありがとうございます。
でもそんなにされると何だかとってもおもはゆいですね。

金庸の言わんとすることって、個人を重視しなさい、ということになるんでしょうか。
仮令、善い個人、悪い個人がいたとしても、その個人が属している集団まで善し悪しを付けてはダメということですよね。
でもこれって当り前のようで、それでナカナカけっこう難しいことだと思います。
ここ中国版での他のスレッドなんかを見てると特にそう感じますね(主に「中国」の罵倒が多かったりしてますし。
人は誰でも個人的な付き合いから、その相手がいい人であるか悪い人であるか、具体的に知っていくんですけど、それが集団にまで発展したら、何だか得体の知れないものに変ってしまうみたいです。
私の今いる大学は理系もあるんで、中近東系の外国人が割合大勢います。
個人的に付き合いがないだけ、その人たちが集団で集まってたりなんかすると、(ちょっと)恐い感じがあります。
テレビなんかでも「○○人が〜〜」って言いますし、私なんかも海外に行ったら「日本人」って見られるんですよね。
こういった場合だと「個人」が先に来てるんじゃはなくて、「集団」が先に来てる証拠だと思います。
本当は(多分)そうじゃないって(多分)みんな頭では分かっているんですよね。
これって個人から集団への【疎外】になるんでしょうか?難しい問題です。。。

>黄島主
マッタリ〜のココロですよね!我們都愉愉快快地去桃花島!

最近は日ごとに寒くなって来てますけど、皆さんも体調には気を付けて下さい。
449 ○ 東邪 ○ :2000/11/14(火) 19:51
>440:李莫愁へ

司馬遷は遊侠の輩に、果たして憧憬を抱いていたのであろうか?
確かに《漢書》以下の正史には司馬遷の視点は受け継がれることはなかったな。
だがわしは《史記》の列傳が「伯夷叔斉」で始まっていることを重視する一人である。
政治的な理想を冀求し、遂に首陽山で餓死した彼らに、自らを投影したと見るのだな。
わしはこの話を政治的・社会的な文脈の中で理解しようとしておるのだ。
確か列傳で有名な「子胥」や「屈原」も政治的な文脈で語られてはいなかったろうか。
屈原が放浪した折「衆人皆酔,我獨醒」(だったかな?神武不殺殿フォローよろしく)
と云ったそうだが、漁師がそれに対して↓と歌って返したそうだ。
「水が清ければ冠の紐を洗い、濁っていれば足でも洗え」
わしはその人を食った様な態度に<江湖>を垣間見た想いであるぞ、如何?

武侠のモットーは「路見不平、抜刀相助」なのであるか?
まるで水戸の御老公様みたいであるな。(お節介・・・という具合で。)

>438・439:神武不殺へ
いつもご苦労様です。

>441:何足道へ
その通り、寄生しておるのだ。

>胡桂南・西麗風、また今度ということで。
450李莫愁:2000/11/14(火) 23:33
>441 何三聖
>>“官”の幻想としての“武林”や“江湖”“と、「野」の生活領域としての「江湖」や「武林」の
>>間には自ずとギャップが存在することになります。
>>この事態が<江湖>の概念を捉え難いものとしている当のものではないでしょうか?

正にその通りだと思います。
ただ、江湖についての記録は歴史的に見ると勿論文人のものが圧倒的に多いわけですが、
口承文芸や芝居の芸人たちも現実には江湖の一員だったわけですから、
彼らによるより「野」に近い視点からの伝承というのも多分存在していたはずで、
とりわけ明清以後の稗史伝承にはそういった成分が混入してきて、
それが今の“江湖”という概念を一層複雑にしているのではと思われます。

>444 胡大侠
>>世間や社会の束縛をのがれ、自由に生きる道を選び取った遊侠たちは、
>>江湖に足を踏み入れた途端、江湖の束縛によって囚われたのでしょう。
>>それでも止むことなく自由を稀求し続けた者こそ(小説中では)“真”の侠客になるのです。

なるほど、納得です。これで黄島主の>>352

>>支配者による社会体制に組み込まれず、
>>己の才覚一つ(徹頭徹尾では無論ない)で生きてゆく人が、
>>どの文化、どの社会、どの時代にも存在した、

とも上手くリンクしますね。素晴らしい!
451李莫愁:2000/11/14(火) 23:35
>448 西麗風小妹
>>これって個人から集団への【疎外】になるんでしょうか?

うーん、これはよく言われる“「われわれ」vs「かれら」”の問題じゃないか
という気がするんですが。自己の属する集団と他集団との間に境界線を引いちゃうやつね。
“「わたし」vs「かれ(ら)」”という意識を持てるのは相当に強い自我を確立した、
それこそ一人で主流に対峙できるような人なんじゃないかと。
違ってたら御免なさい。

>449 黄島主
≪遊侠列伝≫では、同時代の侠客郭解に対しては司馬遷の見方はかなりシビアです。
しかし古の侠客については懐旧的で理想化された書き方をしていて、
そのことを後に班彪から批判されてもいる。
≪伯夷叔斉列伝≫には「天道是耶非耶」という有名な問いかけがありますが、
司馬遷が「替天行道」の理想を侠客に見ていた可能性は考えられないでしょうか。
452 ○ 東邪 ○ :2000/11/15(水) 19:41
>444:胡桂南へ

正に己の道を歩み続ける者は、世間からは理解不可能な所がありますな。
他人の目に囚われることなく一人逍遥遊する者こそ真の自由人でしょう。
爾し多くは、それ故に人に知られることなく臨終を迎えたと想われます。
人に知られることも理解されることも無かった己の自由に生きた人たち、
これを救済する試みが司馬遷の《史記》であったと、わしは想うのです。

「物象化」も「疎外」の一形態ではなかったでしょうか。


>448:西麗風へ

それは【疎外】ではなく、「『ウチ』と外」の問題では?
確かに?何故「内と外」が生じるのか、
原因を辿れば、いつかは疎外の概念に往き付くのかも知れませんな。
ただ、疎外とは一般に、自分が作り出したものであるにもかかわらず、
それが自分を超えた力を持つようになって仕舞うこと、と見なされておる。

例えば、自分らの創り出した神に、いつしか支配される様になった、
という文学や映画等の主題の形で知られているのではないだろうか?
453 ○ 東邪 ○ :2000/11/15(水) 19:56
>451:李莫愁へ

司馬遷が「替天行道」の理想を侠客に見ていた可能性というのは、考えられぬのお。
わしはその道の研究者ではない故、明確にはこたえられないのであるが、
司馬遷は「天」というものを価値的に「零」である、
その様な普遍の法則(=道)と見做していたのではないだろうか?
(司馬遷の時代は董仲舒が居たとはいえ、老荘思想の華やかな時代だったと謂う。
 且つ《漢書》の時代は儒教が国教となって居ったな。
 班昭なんかは、儒家の立場から司馬遷を批評した、とも耳にするぞ。)
取り敢えず、人には推し量れない存在者としての道ではあるな。
この天に換って道を行うのは、ちと無理かと想われるぞ。

そう云えば、列傳の描写は、史書を参考にするよりも巷で流行っておった、
演劇や講話なんかを採り入れておった、と故宮崎市定の著作にあった气がする。
つまり司馬遷は「官」の視点に立ってはいたものの、
《史記》を著す際に「野」の視点を採り入れて居った、ということであるかな?

450ではあるが、
わしの意見(352)は李莫愁の看法(423)の一歩手前で止まっておる様だぞ。
ではでは
454 西麗風 :2000/11/16(木) 12:27

>451:李莫愁 大姐
>452:黄島主
ご指摘ありがとうございます。
やっぱり別の問題みたいですね。
慣れない言葉を使うもんじゃないです。

でもそれなら何故「内と外」の境界附け?って起きるんでしょう。
全然関係ないかも知れないんですけど、中国語には【我們】と【zan們】の区別がありますよね。
この区別って【我們】=「話し手を含む」【zan們】=「聞き手を含む」だったはずです。
【我們】を使う時、実は暗に境界線が張られているって聞いたことがあります。
例えば、誰かが「我們一起去吃飯ba。」と言うとしたら、
自分も【我們】の中に入っているんだろうか?ってちょっと考えないといけないんでしょ。
何て冷たい言葉【我們】って思ってましたけど、実際どうなんでしょう?
教科書や新聞、雑誌なんかの文章だと【我們】が多いですよね。会話文では【zan們】が少々。
武侠小説中では、江湖の仲間内だと【我們】って区別しているんでしょうか?
455 ○ 東邪 ○ :2000/11/16(木) 19:45
>454:西麗風へ

何故「『ウチ』と外」とは出来るのであろうか?謎ではありますな。
さて「我們」と「ロ自們」の区別であるが、
わしは「zanmen派」ではあるな。余り「我們」とは云わない。
何故であろうか???深く考えたことがないぞ。
金庸の武侠小説ではどうなのであろうか?
以後、气を附けてみたくはあるな。


宮崎市定全集:12巻「水滸伝」、5巻「史記」遊侠に就いて
過去に読んだ故、余り詳しくは内容を憶えてはおらぬな。

ではでは
456 神武不殺 :2000/11/16(木) 22:07

>>454
wo們:代詞,稱包括自己在内的若干人。
zan們:代詞,(1)總稱己方(我和我們)和對方(ni和ni們)。
[注意]包括談話的對方用‘zan們’,不包括談話的對方用‘我們’,如我們明天参加義務労働,ni要是没事,zan們一塊儿去。不過説‘我們’也可以包括談話的對方。
(2)借指我或ni。


参照《現代漢語辞典》


>>449

  擧世混濁 而我獨清
  衆人皆酔 而我獨醒
457神武不殺:2000/11/18(土) 13:59

例文:ni們是香港人,我們是北京人,zan們是中国人。

大家最近看不看電影“臥虎藏龍”?有甚麼看法?
458 胡桂南 :2000/11/19(日) 15:44

何とか「江湖」について方向性が見出せたようですね。
僕など、学生時代に感心のあった話だったせいか、大変興味深くもあり、
また今更乍らに、自分自身の問題としても、少なからず考えさせて頂きました。
西麗風さんの自分や身近な事柄に即して考えようとする態度は、後生恐る…なのでしょうね。
所謂「社会」に出ると、実生活から離れた事柄など、酒の席での話題にすらなりませんから。
その点、学生の方々が羨ましくもあり、また同時に懐かしくもあります。


何だかしんみりした話になって仕舞いましたが、
ここも皆さんも変ってて面白いので、次は自分も何かネタでも提供させて頂きます。
一緒に考えて貰えると嬉しいです。

ではまた再び、来週あたりに。
459 胡桂南 :2000/11/19(日) 15:48

忘れてました、“臥虎藏龍”つまり「green destiny」だったでしょうか?
僕としては面白い作品でしたよ。
不得不看、とまではいきませんが、値得一看、といったところでしょうか。
460名無的発言者:2000/11/19(日) 21:30
映画板のほうで、『グリーン・デスティニー』スレ建ってるよ。

http://cocoa.2ch.net/test/read.cgi?bbs=movie&key=973005141
461名無しさん@1周年:2000/11/20(月) 01:49
>【我們】=「話し手を含む」【zan們】=「聞き手を含む」

これは嘘。単にzan們だと親しみがこもってるから相手を含む感じを与えるだけ。
462李慕白 :2000/11/20(月) 01:58
さっき観て、今帰って来たとこです。
最近の中国はイロイロあって嫌いですが、
こういう文化的なものは好きだな。
このレスを見てたお陰でケッコゥ話の筋についていけてた。

挨拶で交わされてた、何ていうか、てを組み合わせるヤツ、
あれって何か決まりでもあるの?
左手を開いて右手こぶしの上に重ねなきゃいけない、とか?
ちょっと疑問になったもんで。
463名無的発言者:2000/11/20(月) 03:23
>461
嘘な訳ないだろ。語学に対する感覚ってものが欠如してるんだな。
何故その「zan們」という表現だと「親しみがこもっている」んだ?
且つ「親しみがこもる」と「相手を含む感じ」を与えるのか?
全くお話しすらになってないぞ。
上の>>456でも引用さてる通りだ(そもそも読んたのか?見ろ。
正しくは「対話の相手を含んでいるから、親しみがこもっている」だ。
まぁいいんだけどさぁ、深夜にマジレス御免
464 ○ 東邪 ○ :2000/11/20(月) 18:57
>456:神武不殺
謝謝合作!

>458:胡桂南へ
いぇいぇ、こちらこそ何のお構いも致しませんで。
わしも胡桂南のネタを待っておりますぞ。

爾しわしとしては、官の支配する領域=社会と江湖の関係が、
依然として、恰も理解の途上にある様なものでしょう。
どの様にすれば、大陸の実状に即しつつ理解可能であるのか、
亦、同時に武侠小説の江湖を了解-解釈し得るのか、謎の儘であります。
まぁこれは、わし自身の<課題>ということにしておきますがな。
ではでは
465 ○ 東邪 ○ :2000/11/20(月) 19:30
>460:謝謝合作!
爾し《臥虎藏龍》の邦題がショボ過ぎなのは何故であろう?
《臥虎藏龍》王度廬の小説だそうであるが、わしとしては両方とも初耳ではあるな。
監督の李安ではあるが、わしとしては《喜筵》だったか?の作品が面白かったぞ。

そう申せば過去>>144に李莫愁が語っておったあの、
>ところで弁髪が「気合入ってる」というのはなぜ?剃ってるから?
>そういえば、チョウ・ユンファ(周潤發)が新しい映画で「気合入れて」ます。
>しかも原作は武侠小説。日本でもやるといいんだけど。
のことであるな!李莫愁は、なかなかの情報通ではあるな。
爾しわしは映画をほとんど観ぬ故、役者等の名前には殆ど疎いのぉ・・・
(ジャッキー=チェン、ブルース=リー、サモハンキンポー程度の知識しかないぞ。)


>462:李慕白
その挨拶は、武式の作法であると聞いたことがある。
官式の作法は、左の平手を右の平手の上に重ねるやつだと謂う。
通常は長い袖に隠れて見えないのではあるがな。

こちらこそお役に立てて嬉しい限りではあります。
(間違いがなければよいのですが。)
ではでは
466映画板住人:2000/11/21(火) 00:16
映画板からやってきました。中国板はさっと見たところ荒れ気味な感じを受けましたが、
ここは違いますね。専門的なお話が多いようですが、中国人の方も書き込みされているの
でしょうか。
李慕白(リー・ムーバイですよね)さん、手を合わせる動作は、三国志漫画の『蒼天航路』でよく
見たので、中国の人はみなああいう挨拶をするのかと思っていました。東邪さんの説明によれば、
武と官の世界の挨拶なのですね。
映画はおもしろかったですね。登場人物たちの配置や話の進み方、アクションなど、
非常にバランスの取れていた映画だと思いました。
467 西麗風 :2000/11/21(火) 15:42

わたしも観ましたよ「グリーン ディスティニー」。現題の《臥虎藏龍》の方が、カッコイイんですけどね、わたしとしては。
格闘の場面なんかが特に素晴らしかったです。でもその分、物語の構成がイマイチだったような。。。
前半部で秀蓮と嬌龍とが青冥剣を奪い合って屋根の上を走り回る場面とか最高でしたし、
後半部でも慕白と嬌龍とが竹林で闘う?場面なんかも、すごく斬新で佳かったです。値得一看!ですよ、ホント。
それまでの【軽功】のイメージが覆された、って感じです(それまでだとネズミ小僧が屋根を走る姿を想像。。。
合成の場面はちょっと頂けませんでしたけど。他に武器をこれでもか〜って使うの場面は勉強になりました。
でも女侠の活躍する姿ってかっこいいですよね。
高級そうな服や、ほんの少し鮮やかさの入った服とかもいいんですけど、
わたしとしては最初の質素な服の時が気にいってました。内に意志的な何かを秘めているようで素敵です。
自分としてはストーリーとしてはイマイチ、だったので映画版に譲りますね。
でも、李慕白と秀蓮の熟年者の恋も渋くて好かったです(大団円を希望してたのに。。。

祝事に“恭喜恭喜”と言ってる時も手を組んでますけど、あの組方って黄島主の言う【武式】なんでしょうか?
清朝の映画では大臣クラスは肘と腕が水平になってましたけど、あれが【官式】なんですね。あと、【武式】で、
男性と女性とでは手の組方って違うんでしょうか?同じなんでしょうか?わたしとしては違ってたと思います。

>李莫愁 大姐
確かにチョウ・ユンファは気合入ってました!一方で張震は気が抜けた感じでしたね、見るからに弱そうです。
468 西麗風 :2000/11/21(火) 15:47

>455:黄島主
何故なんでしょうね。わたし自身は【我們派】ですよ。授業でこればっかりでしたから。

>456:神武不殺さん
何だか難しそうですね、両者の区別って。461と463でも応答があってたみたいですし。

>458胡桂南さん
冬に入るこの時期は誰でもココロがしんみりするものですね。
わたしは紅葉した街路樹が散るのを見ても何だか寂しくなったりします。冬ですねぇ。
学生のうちは、自分のアタマに馴染んでない言葉をどんどん使いますしね。
だからいい加減で無責任なことも言えるんだと思います。
色々とご指摘して頂いてこちらこそありがとうございました。
469神武不殺:2000/11/21(火) 22:21

>>459
>>460
>>467
感謝至極!大家的説法使吾欲看。那麼下个月必定去看看!
470李莫愁:2000/11/22(水) 01:41
“我們”と“zan們”の違いは、神武不殺さんの>>456の解説通りだと思いますが、
>>454で麗風小妹が指摘しているように、“我們”には囲い込む意識がありますよね。
学生時代に読んだ小説に、好きな異性から「我們〜〜ba」と言われたのが凄く嬉しい、
という描写があって「なるほどなー」と思ったことがある。

手を組み合わせる挨拶は確か“拱手”。武芸者の場合は“抱拳”というらしいです。
映画なんかで見ていると幾つかパターンがあるようで、
「恭喜恭喜」の時は胸の前でゆるく拳を握って上下に振るし、
時代劇の武将や文官は肘を張って手を顔の辺りまで持ち上げているし、
武芸者は拳の握り方が固くて胸が反り、上半身全体に力が入っているように見える。
どれが“拱手”でどれが“抱拳”なのかはよく分りません。請指教!
右手が上か左手が上かは文武で違うのでしょうか?
昔どこかで読んだ話だと元々は左が上で、反清復明を志す武芸者が
仲間同士の符牒として左右を逆にした(左拳が“日”右掌が“月”を表し、
合わせると“明”の字になる)ということでした。
眉唾ものの説だけど私は結構気に入っています。
あと女性の挨拶は“万福”といって組んだ手を腰の脇に持っていきます>467 麗風小妹

≪臥虎藏龍≫は夏休みに見ましたが、ここや映画版の書き込みを読んでいると、
もう一度見たいなという気になってきますね。私的には近年最高の武侠映画でした。
王度廬の原作は昔読みました。あまり内容は覚えてませんが、大筋はほぼあんな感じ。
ただ李慕白はほとんど出てこなくて、映画でお笑い担当みたいな役だった
劉とかいう人がずっと出張ってた記憶がある。(あの捕方の娘とも結婚するし)
張震の羅小虎は原作でも結構ダメダメな奴でしたが、彼は玉嬌龍にとってのfantasyなので、
わざと非現実的なキャラクターにしたと監督が語っていたそうです。
471 ○ 東邪 ○ :2000/11/22(水) 19:56
みなさん電影が好きなのであるな。わしが余り観ないのは何故であろうか?

>466:映画板住人へ
武人と文人とでは電影中でも挨拶の作法は違っておったとは想うのであるが。
爾しわし自身、その様な挨拶を交わしたことがない故、詳しくは知りません。

>西麗風へ
屋根の上を追い駆け合うと言えば、袁承志と何鉄手との殺り取りを想い出すのぉ。
はて、“恭喜恭喜”の時、手を組むのは何であろうか?
「官―武」の区別はこの際、関係ない様な气もするぞ。
【武式】の挨拶で男女の違いであるか・・・可能であるなら調べてみます。
最近は早朝が冷えるのぉ、わしは寒いのは苦手じゃよ。

>470:李莫愁へ
わしが“抱拳”を想起するといえば、劇画調の《三國志演義》ではある。
張飛の“抱拳”が一番サマになっておると感じるぞ。
爾し文官はその“抱拳”を作法とするのであろうか?
文官の作法は、皇帝に平伏する、という意味で腕を組む仕草ではなかろうか。
(反清復明の意味付けは面白いな。


実は昨日、こっそり歯医者へ往っていたのだが、
昔の人は虫歯になったらどうしていたのだろう?と想った。
ではでは
472名無的発言者:2000/11/23(木) 00:54

ココ↓ココで中国関連の書籍・商品が購入可能です。
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以前「笑傲江湖」を求められていた方、ご利用あれ。
473 ○ 東邪 ○ :2000/11/24(金) 19:52
>472:謝謝合作!

爾し「笑傲江湖」は、わしでは見附けられなかったぞ。
確かに≪東邪西毒≫のパロディー、≪射G英雄傅之東成西就≫がある。
ほとんどの商品が三五〇〇円であるのか。

到了時間、ではでは。
474神武不殺:2000/11/24(金) 23:41

抱拳:舊時的一種禮法,右手握拳,左手抱着拳頭,閉合在胸前。
拱手:兩手在胸前相抱表示恭敬。
萬福:舊時婦女行的敬禮,兩手在松松抱拳重疊在胸前右下側上下移動,同時略做鞠躬的姿勢。


[註]鞠躬:<書>小心謹慎的様子。
(鞠躬尽瘁:貢献出全部精力。《三国志・諸葛亮伝》“鞠躬尽力,死而後已”。

 曾經朱總理講過這様:
“不管前面是地雷陣,還是萬丈深淵,都將一往無前,義無返顧,鞠躬尽力,死而後已”
475李慕白 :2000/11/26(日) 01:13
お〜〜、皆様の御返答ありがとうございます。
やはり中国。
細かなしきたりが、いたるところにあるんですね。
そういった文化的なことに関して知識があれば、
映画も又、今迄以上に興味深く鑑賞できるというもの。

その意味で、小説のダブルミ〜ニングと同じでしょう。
奥深い世界の一端を垣間見せてもらった感じであります。

お邪魔しました。
自分はまた草葉の陰から見守らせて頂きます。
それでは再びマタ〜リと聊天を続けて下さい(^o^)/~~
476 胡桂南 :2000/11/27(月) 23:21
予定していたのですが、昨日は会社の接続不良の為、本日お送りします。

長い間、疑問に感じていたことなんですが、中国の僧侶は何故“武功”を持っているのでしょうか。
日本人である我々の眼から見れば、僧侶と言えば“読経”と“葬祭”の役回りのはずです。
例えば、嵩山少林寺(しか知らないんですが)ですが、“修行”で所謂“拳法”を使うのはどうしてでしょう。
中国と日本とで差異があるのは、何に根拠を有し、社会的な何によって特徴付けられるのでしょうか。

僕としては、朧げ乍らに考えた結果、次の様な理由が挙げられます。

(1)中国では異民族の侵入が著しく、“佛法”を廝守する為に実力行使する必要性に駆られたから。
(2)健康の為の“体術”が“武術”へと発展した。
(3)僧侶は“出家”した人、つまり“世捨て人”にも等しい存在です。
  中国では「世」を離れれば「江湖」に入る、というこのスレの規則に従い(笑、
  江湖を渡るの技術としての武功を身に附けなければならなくなった。
(4)その他の特別な理由。

如何なものでしょう?

日本の場合だと、
(1)“佛法”の守護者は天皇であったと謂います。よって武功は不要。
(2)武術は飽くまでも武士(もののふ)の仕事である。分業が明瞭。
(3)一応、日本にも“僧兵”が存在しました。
  これは“公議”に要求をのませる為の或種の公の抗議行動のはずです。
  日本人の無宗教性と相俟って、世俗的な社会的活動と化していた。

こんな具合でしょうかね。
皆さんはどうでしょうか?
477 通 :2000/11/27(月) 23:44

http://us.yesasia.com
ここでもイロイロと検索、購入が可能です。ご利用下さい。

http://us.yesasia.com/prdDept.asp?section=games&code=a&did=686&lang=en&pid=1000017420

PC-Game《笑傲江湖之日月神教》(どうやら“Sword Man”という名前が馴染んでいるらしい。)
US$27.99:かなりお手頃な価格ではないでしょうか?どうでしょう。
http://us.yesasia.com/prdDept.asp?section=games&code=a&did=686&lang=en&pid=1000015773

《笑傲江湖攻略秘笈》
US$17.99:攻略本とゲーム本体との価格差がUS$10とは如何?
http://us.yesasia.com/prdDept.asp?section=games&code=a&did=686&lang=en&pid=1000022060

参考に、金庸《笑傲江湖》袖珍第6〜8册:US$14.99:もあるみたい(文庫本です。
表紙は天野喜孝みたく好い雰囲気でした。値段は一冊?それとも一共?
(解説)正未必正,邪亦非邪,豈能尽如人意,但求無愧我心而已,本書也是没有任何歴史背景。

ついでに目に止まった商品。
鹿鼎記II(Episode II)?“Episode I” ってあるのでしょうか?
http://us.yesasia.com/prdDept.asp?section=games&code=a&did=686&lang=en&pid=1000002223

金庸群侠伝(?)
http://us.yesasia.com/prdDept.asp?section=games&code=a&did=686&lang=en&pid=1000002030
478 通 :2000/11/27(月) 23:48
>>472>>477
失礼致しました。
479 何足道 :2000/11/28(火) 00:53
難しい問題ですね〜、悄々ご無沙汰になってました。

  自分も疑問なんですが、、、
少林寺の開祖(仮)達磨大師が伝えたとされる《楞伽經》内の《九陽眞經》でしたが、
この《九陽眞經》なるネーミングは一体どこからやって来たのでしょう。
そもそも物語として《九陽眞經》に先立つ《九陰眞經》を著したのが北宋の〜誰でしたっけ?
彼は何を思って《九陰眞經》という題を命名したのでしょうか。
《九陽眞經》から名前を転用していたのであれば、王重陽も黄藥師も知ってて当然でしょう。
謎だ。これは《倚天屠龍記》中で明かにされるんだろうか?
それとも《転覆金庸》で揚げ足採られているんでしょうか?>李莫愁

まぁ所謂“少林寺拳法”自体、戦後1947年頃、某日本人拳法家が創始したらしい。
それ故、武侠小説中の少林寺派は、どういった背景を踏まえているんでしょう。
ずっと昔から少林寺拳法を使っているみたいに感じられるんですけどね。
第一、一般的な意味での“武侠小説”自体さえ、ごく最近、
第二次世界大戦後の時期に、その体裁を整えた模様ですし。
世界的に有名な“空手”(Karate)でさえ日本発祥だと聞きます。
(因にヌンチャクは琉球武術の武器ね。)
なかなか結構それで伝統が浅かったりするんですが、それはそれで興味深いことです。
“伝統”なんてそんなもんでしょう。
可笑しなものです、“伝統”“伝統”って、そうでしょう?>黄島主

  次の邦訳《倚天屠龍記》だと、、、
張君寶こと張三fengが創始して“武當派”が発生したろいうことになってます。
映画版の「グリーン=デスティニー」スレでは張三fengと太極拳を関係づけてましたが、
確か太極拳って宋代に発祥したはずですから、元末明初の張三fengとは関係ないはずです。
しかしですね、、、みんな映画を観れて羨ましいです。
480西毒欧陽:2000/11/28(火) 01:49
へー、金庸の著作って結構日本でも読まれてるんですね〜。
初めてこの板にきたのですが、差別的なスレが多い中、
素直に、中国文化を楽しむ方もいらっしゃるんですね。
僕も機会があって、何作か読みました。とても面白かったです。
印象的なのはこれですけどね。<<射G英雄傅>>
481西麗風:2000/11/28(火) 14:36

>>470:李莫愁 大姐
もう既に夏に≪臥虎藏龍≫を観てたんですか大姐は?現地とかで。
そういえば先日、図書館で《三侠五義》をちょっとだけ手に取ってみたんです。
中国語でしたけど、すごい分量じゃないですか。大姐はこれも読んでるんですよね。
何だか私のずっと前を走っている感じですよね、本当に。

「囲いから排除される方」にとっては>>454で語ったみたいに「冷たい」感じになるけど、
「囲い込まれる方」からすると親密さを感じさせるんですね。何だか物事の奥深さを感じさせますよね。
たいへん勉強になりました。私はまだまだ修行が足りませんよね、やっぱり。
物事を色んな角度や視点から眺めてみる態度がなってませんから。本当に「なるほど〜」ですよ。

“万福”みたいに身振り手振りも文化なんですよね。
私が使える中国の身振りって、数字の1〜6迄でしょうか。
“拱手”や“万福”なんて人前では恥ずかしくて出来ないし。
他に何か身振りってあるんでしょうか?ジェスチャーみたいなのが>皆様?

>>479:何足道さん
少林寺拳法って日本人が作ったんですか?本当なんですか?
私も今度、調べてみますけど、本当だったら映画「少林寺」ってあの世界は一体。。。
あと《九陰眞經》ですけど、私もちょっと疑問でした。「陰」って何?と思ってましたし。

>>476:胡桂南さん
そうですよね、改めて言われると謎ですね。でも格闘坊主って何だか中国っぽくありません?私だけ?

>神武不殺さん
映画はどうでした?
482名無的発言者:2000/11/28(火) 15:12
【我們】と【zan們】の違いですが。
>>461が言ってることが正しいです。
【私たち】、と【俺ら】という風に使われる程度です。
意味的な違いは有りません。
483名無的発言者:2000/11/28(火) 15:15
聞き手を含むかどうかなんて、
その話の前後で判別するくらいでしょう。
日本でも同じですよ。
484名無的発言者:2000/11/28(火) 19:47
昨日、475:李慕白の後にレスを附けていたハズなんだが、無いのは何故だろうか?

>476:胡桂南へ
>中国では「世」を離れれば「江湖」に入る
いつのまにやら<規則>が出来て仕舞った模様であるな。
そう申せば、春秋戦國時代の≪墨家≫教團も、
<非攻兼愛>の口號を實力行使で達成しようとしてたそうだ。
“力の伴わない正義は無力である、正義の伴わない力は暴虐である”
とは法國の思想家パスカルの言葉ではあるな。
(漫画に『墨攻』と謂うのがあった記憶もある。)
日本では、大陸に見られる様な過酷な環境が無い故、
差が生じたのであろうな。多分きっと。

爾し僧兵や一向宗なんかは結構過激であったみたいだな。
その点……宗教と武力集團……では、幇會と邪教との関係で、
大陸の状況と島國のそれとではかなり類似している様に見得るな。
(だがそれも世界中で見られる現象とも想えなくも無かったりする。
その関係については明日にでも説明したい。

ではでは
485 ○ 東邪 ○ :2000/11/28(火) 20:16
あれ?上↑のレスはワシのである。機械の調子がよろしくないな。
過了時間、ではでは。
486岳川:2000/11/28(火) 22:07

>482=483
どこがどう正しいのか説明して欲しい。
>>456で神武不殺氏が《現代漢語辞典》を引用されてるにも拘らず、
それに対する反証が全く為されていないのは何故だろうか?
確かに、詞典や文法書が総ての基準である、とは毫毛思ってない。
しかし、だからといって全くそれから離れるのも如何なものか?

しかも意味的な違いがないにもかかわらず、使い方が分かるのはこれ如何?
己の個人的な空想だけからトンデモ解説してはならないだろう。
文法書を一度は紐解いて見ることこそ、責任ある態度ではないだろうか?
487名無的発言者:2000/11/29(水) 07:28
掌を開いて下へ向け、
中指だけを伸ばしたまま、
他の四本の指を下に向けて曲げます。
(四本指を更に動かせばヨロシイ。)

意味するところは、“亀”。
488 胡桂南 :2000/11/29(水) 08:59
 千秋萬載 一統江湖

官の統治する「社会」の対概念としての、所謂「裏社会」があります。
マフィアや秘密結社の支配する領域です。

この「裏社会」も「江湖」の範疇に含まれるのでしょうか?
含まれるとすれば、
官の社会から溢れた領域という“消極的”な意味から、
より“積極的”な意味付けを与えることが可能なのではないでしょうか?
例えば、
489 ○ 東邪 ○ :2000/11/29(水) 19:39
↑胡桂南、どうかしました?もしかして職場からとか?气を附けて下され。

問題は、現代でも同様であるが、
「裏社会」と申しても、官の領域と異なり、
影響下にある範囲が、比較的狭いのではないだろうか?
(組織力、伝達系統、媒体手段、等等、時代的な制約があっただろうから。)
だがその分、民衆の生活に深く根を下ろしているのだろうがな。

爾し、<世間>知らずで申し訳ないのだが、
世の中、どうして「裏社会」が必要なのだろうか?
それと共産主義圏に裏社会が無かったというのも本當だろうか?

誰か詳しい方が居れば、宜しく。
490 ○ 東邪 ○ :2000/11/29(水) 19:52
>479:何足道へ
多分>>352周辺の話を視野に入れて聞かれたのであろうな。
確かに“伝統”とは難しい概念ではあると想うぞ。
現にわし等もその“伝統”の上に立って話をしている訳だ。
つまりわし等は今立っている所の當の足元の話をする、
何やら循環的な問題設定にならざるを得ないのであるな。

>480:西毒欧陽へ
時折、忘れた頃に出没する<西毒>が居る。
                           年年歳歳花相似
                           歳歳年年人不同
ではあるな、ふむふむ。
491 ○ 東邪 ○ :2000/11/29(水) 19:55
>481:西麗風へ

《三侠五義》は確か抄訳が出てた筈であるぞ。
どこの図書館にでも置いてある様な種類の本だ。
少しは読みやすいのではないだろうか?

“拱手”や“万福”、なかなか資料がないものであるな。

 ではでは
492名無的発言者:2000/11/29(水) 21:32
493李莫愁:2000/11/29(水) 21:50
>>476 胡大侠

中国の僧が武術を使う理由ですが、

>>(1)中国では異民族の侵入が著しく、“佛法”を廝守する為に実力行使する必要性に駆られたから。
>>(2)健康の為の“体術”が“武術”へと発展した。
>>(3)僧侶は“出家”した人、つまり“世捨て人”にも等しい存在です。
>>  中国では「世」を離れれば「江湖」に入る、というこのスレの規則に従い(笑、
>>  江湖を渡るの技術としての武功を身に附けなければならなくなった。

この3つがすべて当てはまると思います。
“中国では「世」を離れれば「江湖」に入る”というのは正にその通りでして、
《水滸伝》で、客を殺す→死体で肉まんを作る→次の客に食わせる→また殺すという
マッチポンプ?な追い剥ぎ宿屋を経営する張青・孫二娘夫妻でさえ

>>三等人不可壞他:第一是云游僧道,他不曾受用過分了,又是出家的人…
>>第二是江湖上行院妓女之人,他們是沖州撞府,逢場作戲,陪了多少小心得來的錢物?…
>>第三是各處犯罪流配的人,中間多有好漢在里頭,切不可壞他。’

と言って「僧侶・道士」と「旅芸人」「囚人」には原則として手を出さない。
つまりは“広義の江湖”の成員として一種の同類と認めているわけでしょう。
494李莫愁:2000/11/29(水) 21:51
少林寺と武当山について。

ものの本によると少林寺の開基は西暦492年。
527年に達摩大師がインドから北上、(葦の葉に乗って長江を渡ったと言われる)
ここで面壁修行して禅宗を広めた。
7世紀初頭に李世民が王世充を討った時、少林寺武僧が力を貸した。
これによって少林寺は李世民の保護と広大な寺領を得、名声を高める。
李連杰のデビュー作《少林寺》はこの話を元に作られたもの。

一方、武当派の開祖とされる張三豐(<字が出ないのでこれで代用)の生世には
北宋説と元末明初説があり、《倚天屠龍記》が拠っているのは勿論後者。
ただし太極拳を発明したというのは後世の仮託らしく、資料に出るのは清の乾隆年間。
武当山は実際にも道教の聖地だが、武当派という呼び名は清代、少林派に対抗して
内家拳や太極拳など道教色のある拳法を総称したのが初まりらしい。
要するに武侠小説の武当派は相当フィクションが入っていると考えた方がよさそう。

この辺の実情については武術板あたりに詳しい人がいそうですね。
495李莫愁:2000/11/29(水) 21:52
>>479 何三聖、>>481 麗風小妹

《九陽眞經》と《九陰眞經》の関係は非常にややこしくて、私も最初に読んだ時は
混乱しまくりでした。
まず《陰》については《射G英雄伝》第16章に説明があります。
北宋の徽宗期に《万寿道蔵》の編纂を命じられた黄裳なる人物が、
道教経典を読み込むうちに会得した武術を著したものだとのこと。
「九陰」という語は葛玄《道徳経序》に見えるそうで、《道徳経》=《老子》ですから、
道教の祖・老子に敬意を表しての名称かと思われます。

一方《陽》の由来が語られるのは《神G侠侶》の第40章です。
和訳はこの部分かなり文章を端折っているので、以下に原文を引用しておきます。

>>覺遠微一沈吟,道:"…這部《楞伽經》中的夾縫之中,ling4有
>>達摩祖師親手所冩的一部經書,稱爲《九陽眞經》。"
>>此言一出,衆人矍然而驚。當年武學之士爲了爭奪《九陰眞經》,
>>鬧到輾轉殺戮,流血天下…那想到除了《九陰眞經》之外,達摩祖師
>>還著有一部《九陽眞經》。這經書的名字人人都是第一次聽見,
>>但《九陰眞經》的名頭實在太響…是以一聽之下,登時群情聳動。

要するにこちらは達摩祖師が著したもので、《楞伽經》に挟まれたまま
少林寺蔵経閣に人知れず秘蔵されていたということです。
これで見る限り名前の類似は単なる偶然の一致のようです。

>491 黄島主
《三侠五義》の抄訳は平凡社の中国古典文学大系ですね。私も最初はこれを読んだ。
大修館書店の《中国語図解辞典》ボディランゲージの項に「拱手」のイラストがありました。
496 西麗風 :2000/11/30(木) 12:56

【少林寺】(Shao4 lin2 si4)
:河南省封県少屋山北麓の五乳峰下。
 北魏の孝文帝(在位471〜500)の代、496年(太和20年)に跋陀禅師の為に創建。
 禅宗の始祖、【菩提達磨】が面壁した、と伝えられる。

【達磨大師】(生没年未詳)Bodhidarma(梵)の音訳。
:禅宗の始祖。伝承では印度に生まれ、般若多羅の教えを受け、
 520年頃、中国に渡り、嵩山の少林寺で九年間の「面壁座禅」を行い、
 また法(Dharma)を慧可に伝えたという。
(当時の中国は南北朝時代で、北朝=北魏、南朝=梁は武帝の時代。
 この梁の武帝と達磨の「問答」が確かあったと思います。勘違いでしたらスミマセン。)
《洗髄経》《易筋経》を、【肉体鍛練】の為に著したそうです。
(尚、両書は未詳で、達磨の実在同様、「史実」としては疑わしいとのことでした。)

【少林寺拳法】
:宗道臣(1911〜80)大戦中、嵩山少林寺で拳法を学び、
 帰国後、1947年に「少林寺拳法」として創始、現在に至る。

【拳法】
中国拳法:広東・福建に盛んな「南派拳術」、河北・山東に盛んな「北派拳術」とに大別される。

外家拳=剛拳:少林寺、洪拳、六合拳、等。
内家拳=柔拳:太極拳、形意拳、八卦拳、等。

この両者は、剛拳→柔拳、柔拳→剛拳、と至ることで完成すると言われる。
(必ずしも、南派=内家、北派=外家ではないということです。)
拳法は、道教の不老長寿、神仙思想と結びつき、【養生術】として発達。

(平凡社刊『世界大百科事典』等を参照。)
497 西麗風 :2000/11/30(木) 12:58

あと、《九陽真経》の出所とされる《楞伽経》についてですが、
:大乗仏教の教典の一つ。漢訳は三種。
 如来思想と【阿頼耶識】思想の融合をはかったものといわれ、
 特に禅宗で重視された。

【阿頼耶識】alaya-vijnana(梵)の音訳。
:仏教の唯識で説く、八識のの内の第八識。
 心の働きのよりどころとなる、もっとも根本的なもので、
 他の七識が生じるための基盤となる。
※八識:眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識。
(末那識は煩悩に対応し、我執を生じさせる。)

(講談社『日本語大辞典』第二版を参照)


見た感じ、《楞伽経》と《九陽真経》とは本当に関係ないみたいですね。
《九陰真経》とも関係ないとすれば、「陰」と「陽」との対応関係って一体。。。

金庸が《九陰真経》が【道教】に基づき、《九陽真経》が【佛教】に基づく、
この対応関係に仕立てたんでしょうね。
498 西麗風 :2000/11/30(木) 13:09

《三侠五義》平凡社,中国古典文学大系48。

確かにありました。
これなら私でも読めそうです。
さっそく借りて仕舞いました。

嵩山少林寺で「本当に」拳法が行われていたか?
謎ですね。。。調べが着きません。

武當山と張三豊についてはまた調べておきますね。
>496はギリギリ入ってます。下箇月再見!!!
499神武不殺:2000/11/30(木) 22:36

有一天吾才看得着《臥虎藏龍》。
以爲真的値得一看電影。
果然好莱塢資本的呀!!
那様電影,最近罕見,善哉,善哉。
(実在稍過会儿錯過的呀。)

大家知曉得没有?:

  六一公公看見我,便停了楫,笑道,“請客?−這是應該的”。
于是對我説,“迅哥儿,昨天的戯可好麼”。
 我点一点頭,説道,“好”。
“豆可中吃ne?”
 我又点一点頭,説道,“很好”。
 不料六一公公竟非常感激起來,将大拇指一翹,得意的説道,
“這真是大市鎮裡出来的讀過書的人才識貨!……。”
                   −魯迅《社戯》1922@`10.
還有一場情節:

  石清對謝煙客道:“江湖上英雄好漢説起玄鐡令主人,
無不翹起大拇指讃一聲‘好!’端的是人人欽服。
想那背信違誓之行,豈是大名鼎鼎的摩天居士之所爲?”
                  −金庸《侠客行》十八章1965.
500名無的発言者:2000/12/01(金) 01:00
501名無的発言者:2000/12/01(金) 01:04
502 左冷禅 :2000/12/01(金) 01:59
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=budou&key=969538390
「中国武術について」

http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=budou&key=969517765
「少林寺拳法」
ざっと見た感じだと、
「少林拳(本場)と少林寺拳法(日本)とを区別しなさい」ということです。
少林拳:長拳・黒虎拳・査拳・羅漢拳・等の門派がある。
少林寺拳法の創始者は、宗道臣、本名:中野理男(なかのみちを)。
But
“少林寺拳法”は開祖が中国で学んだと言われていますが、
最近の一般的な説では“不遷流柔術”と“八光柔術”が元になったと言われています。
“不遷流”は“拳骨和尚”と呼ばれた当身の名人のお坊さんが開祖だそうです。
現在は広島に本部のある団体で伝承されております。
“八光流”は約六〇年前に作られた流派で、合気道や大東流柔術に似た武術です。
日本の柔術は正座が基本ですが、中国人は習慣的に正座が出来る人はホトンドいません。
つまり「中腰の立ち技」が基本になることが多いです。
“少林寺拳法”の基本技はどちらかというと「座り技」になります。
つまり基本が既に違います。ただこれも真実はわかりません。
事実を知っている人たちがドンドン亡くなっていっているので闇の中です。

よって“少林寺拳法”は歴とした日本の武術であります。伝統最高!!!
503苗人鳳:2000/12/01(金) 15:07

「中国の世界遺産」武當山も其の一つ也。
http://www.alachugoku.com/travel/whchalist.htm
「中国国家観光局」
http://www.china.co.jp/cnta/
「張三豊」ただのオマケね。
http://www.catnet.ne.jp/buto/Introduction/butoken.html

参考「本虫」中国書
http://www.frelax.com/sc/
504 ○ 東邪 ○ :2000/12/01(金) 19:49
>495:李莫愁へ
機会があれば書店で見て見ます。
平凡社・中国古典文学大系には《三侠五義》と《兒女英雄伝》があった記憶が。

>西麗風へ
調査、ご苦労様です。わしは結構、面倒くさがりなのでいかんですわ。
《九陰真経》には意味と背景があるが、《九陽真経》には無いということだな。

日本と大陸との差異は、【養生術】という思想的な背景に根拠を持つ、
そうわしには感じられたのであるが、どうであろう?・・・ただの想い附きね。
505 ○ 東邪 ○ :2000/12/01(金) 19:56

     !祝賀! 500回 !祝賀!

>神武不殺
讀んだ感じ、親指を立てる動作であったかな?
欧米人が“Good!”とかやってるアレだな。
それは中華起源なのであろうか?
越南人がやっているのを以前わしは目にしたことがある。
詳しい方、比較文化論をやられている方、宜しく。

>左冷禅・苗人鳳:謝謝合作!

ではでは
506 何足道 :2000/12/02(土) 01:33

打てば返す様な反応、皆様ありがとうございます。やはり“伝統”が重要な概念になってますよ。
見た所、日本が“少林寺拳法”で、中国が“少林拳”だったとは、、、
自分はごッちャになってました、聞かぬは一生の恥、とは正にこのことですね。
感謝、感謝。
しかも“少林寺拳法”は“不遷流柔術”と“浅山一伝流”を元にしたとか。
何事に就けても以外と深〜い理由があったのですね。
自分の表面的な知識を披瀝して仕舞って、、、真対大家不起ですなぁぁぁ……

張三豐と“太極拳”とは後付けの話以外に大した関係なさそうですね。
張三豐の“武當派”は《九陽眞經》を教えているみたいですけど、《倚天屠龍記》では。

《九陰眞經》と名付けたのは、北宋の徽宗期に《万寿道蔵》を編纂した“黄裳”でしたか。
《射G英雄伝》《神G侠侶》は深く読み込んでいないので気付きませんでした。
偶然にしては《九陰眞經》と《九陽眞經》は出来過ぎているようです。
自分としても、麗風小妹の意見に賛同ということで(もっとヒネリが欲しかった。

>>:黄島主
官の社会が万能で且つ公平であるわけではない、という理由ではどうですか?

↓これは勉強になりました。
八大門派:嵩山少林寺、武當派、峨嵋派、崑崙派、華山派、點蒼派、空同派、青城派。(+雪山派)
(出典《飛燕驚龍》臥龍生)
507 胡桂南 :2000/12/03(日) 17:54

少林寺の事例を挙げて考えてみるのも、端的に特徴を捉えることが出来ていいですね。
そもそも>>476で僕が疑問に感じていたことは、
日中間の文化的な差異は“江湖”を中心として、どの様に特徴づけられるか?
或いは、どの様に区別することが出来るであろうか?ということでした。

黄島主さんはよく経済的な原因を挙げられますが、それはそれで説得力を持ちます。
僕自身としては、その次の段階、経済なら経済、生産活動なら生産活動によって、
培われた気質(文化的気質、民族的気質、等)を考察したいのです。

中国では何故、ここで話題にされる様な事態が生じるのでしょうか?
如何でしょう?


何だか最近は調子が悪いみたいです、自分の。
>>488はよい事例が浮かばなかっただけでした。失礼。
508映画板住人:2000/12/03(日) 21:09
初めて金庸を読みました。『碧血剣』から入ったのですが、とても面白いですね。
読みやすい上に、多数の登場人物があちらこちらで関係しているし、格闘場面と共に
目が回りそうです。新鮮だったのは、主人公が敵方に対しても礼を尽くそうとしている
所ですね。敵陣に乗り込んでも挨拶を交わすあたりなど妙にペースがのんびりしている
ので、これが大陸風なのかな、と・・
特に印象に残った部分としては、主人公の師兄が神拳無敵と呼ばれる達人にも関わらず横暴な
振る舞いをしたり、師の教えが弟子に受け継がれるにつれ、失われていく様だとか、
最後、主人公が中国に幻滅して新天地を求めるあたりなど、現実的で苦々しく、武侠
小説という言葉の持つロマン的な印象からは遠いところにあたる描写でした。
この辺、『臥虎藏龍』とはちょっと趣が違いましたね。
次は『書剣恩仇録』を読もうと思います。
509左冷禅:2000/12/04(月) 01:45
馬光佐滿頭鮮血淋漓,走到楊過身前,挺起大姆指道:“小兄弟,真有ni的!”
楊過道:“馬大哥,ni這些同伴都是存心不良之輩,ni跟他們混在一起,
定要吃虧,不如辞別忽必烈王爺,回身己老家去罷!”
馬光佐道:“小兄弟説得是。”
                       《神雕侠侶》第二十七章
“挺起大姆指”
自分としては中国のジェスチャーだと思ってるんだが。
510 ○ 東邪 ○ :2000/12/04(月) 19:29
>506:何足道へ

何やらテンションが高めですな。
確かに、
>官の社会が万能で且つ公平である訳ではない
という理由もあるな。
「法の下の平等」とはよく云うが、
その適用が恣意的であったりする訳だな。
そこで出て来るのが<慣習法>である、と。

現在でも慣習法?として
「以眼還眼,以牙還牙」が
念頭に措かれていると想う。
殺人犯には死刑を以って「報應!」
ということではあるな。
511 ○ 東邪 ○ :2000/12/04(月) 19:36
>507:胡桂南へ

以前、李莫愁が申して居った、
本質を把握した上で、現象を考える
ということだったかな?

この場合、その本質を探る為に、
江湖を枢軸として考えてみよう、
ということだったと想う。

わしは504で【養生術】を挙げてみた。どうであろう?
ということで、養生されることですな。ではでは。
512 ○ 東邪 ○ :2000/12/04(月) 19:56
>508:映画板住人へ

わしも>>23で語った通り、《碧血剣》から始めた者です。
個性的(一筋縄ではいかないとも謂う)な登場人物が、
縦横無尽に活躍し、多くの伏線が張られている故、
讀んでいて飽きさせない作品であるぞ、殊金庸の武侠小説は。
(爾しそれはそれで、クドイ感じを与えることもあるがな。)

味讀であるが《鹿鼎記》‘韋小寶’以外の主人公は、
みんな人格が出来て居る。禮儀正しいぞ。
「稔る程、頭を垂れる稲穂かな」ということである。
でも武士や騎士も侠客と同様、敵にも礼儀を尽すのではないかな?

>>338で胡桂南が、師匠と弟子との関係について、少し述べてある。
神券無敵の横暴は、未だ許容範囲内ではあるかな。
江湖は生き馬の目を抜く世界(中華圏も)である故、
強くなくては生きていけないのである。
爾しそれでいて金庸の武侠小説はどこか楽観的ですらあると想ふ。
詳しくは機会のある時に、ではでは
513 西麗風 :2000/12/05(火) 12:37

【武當山】(Wu3 dang1 shan1)
:湖北省は西北部、漢水の南岸にある道教の名山。
 一名を“太和山”“謝羅山”とも呼ぶ。
 標高1000m前後。主峰は天柱峰(紫霄峰、太和山)1652m。
 山上に“紫霄宮”“太清宮”“玉虚宮”がある。
 詳しくは>>を見て下さい。
:尚、武當派の拳法は“内家拳”として有名、だそうです。
(少林拳は“外家拳”みたい。)

【張三×】(Zhang1 San1feng1)
:14〜15世紀の人物。明初の道士。
 名は“全一”或いは“君寶”、号して“三feng1”。
(麗風的査後感)張三fengについて、「物の本」が全然ないですね。


日本で【武道】は、柔道、剣道、薙刀、空手、相撲、等。
514 西麗風 :2000/12/05(火) 12:40

中国みたいな養生術、身体鍛練術が、日本で発達しなかったのは、何故でしょう?
そうですね、胡桂南さんの上げた理由も納得出来ますけど、
私としては「命や生に対する執着」が中心的な理由ではないか、と思うんですけと。
日本では何だかんだと言っても、【無常観】が常識みたいになってそうですし。。。
当然、【不老不死】への要求はあったと思いますが、ちょっと淡白そうです。
中国の皇帝みたいに仙丹?を服用して中毒死したりしてたみたいですけど(李世民とか、
でも日本の天皇ってそういう話しは聞きませんよね(私が寡聞なだけかも。。。)
トニカク【神仙思想】が中国みたいに育たなかった、ということではどうでしょう?

それに引き換え、大陸文化は現実主義的で、生存に力がはいってますよね。
心に残ってる言葉で、【寧做太平狗,毋做乱世民】
(平和な世に犬として生きた方が、戦国の世に人として生きるよりましである。)
と『ワイルド・スワン』だったかにありましたけと、何だか深〜い言葉ですよね。
何やらこう【治乱興亡】の長〜い伝統というか歴史?に醸し出された感じがします。

他にも謝晉1987年の映画《芙蓉鎮》で、二番目の夫=秦書田が下放される時、
主人公=胡玉音に「泥水をすすってでも生きろ」って言い残しますよね(佳い映画です。
もし日本なら即【心中】になったりするんじゃないんでしょか?
(それはそれで感動したりするんですけどね。難しい問題ですわ。)

黄島主が【養生術】を上げるなら、私は【生への執着】でしょうか?
自分はどうかは分かりませんけど、
「日本人は自殺を受け入れる文化である」って言いますよね、本当の所どうなんでしょか?
でも【酔生夢死】という言葉にあるように、
「美しく散ってこそ花」みたいな見方は確かにあると思う今日この頃でした。

花って桜かな?
515 西麗風 :2000/12/05(火) 15:19

>映画版住人さん
次は《書剣恩仇録》を読まれるんですか。
登場人物の李元止?と《臥虎藏龍》の玉嬌龍とが似ているんですけど、どうでしょう。

例えば、(1)貴族(旗人)か、高位高官の生まれ。
(2)それにもかかわらず、なかなかの武術の腕前。
(3)跳ねっ返りで、我侭な性格。
(4)そのため、自分の意中の人と思い通りにゆかない。
(5)その上、周囲の人の仲までぶち壊しにしてしまう。
(6)男装をする。ナドナド。

箱入娘みたいで、一見「箸より重い物を持ったことがない」みたいで、
実は凄い武術を持っている、みたいなのは武侠小説のパターンなんでしょうか?
他の映画でも、いつもはヘラヘラしてて、昼行灯がピッタリくる人が、
実は×××だった、みたいなのはよくありますよね、仕事人の中村主水とか。

ところで、金庸の小説に出て来る主人公たちは、あくまでも前向きですよね。
516神武不殺:2000/12/05(火) 22:18

>>509:左冷禅
吾找不着的!還有別的没有???

【寧做太平狗,毋做乱世民】
真有意思!
517( ´∀`)さん:2000/12/06(水) 12:04
役立てるにゃ〜
http://www.weipa.net/dic.html
http://www.weipa.net/translate.html
便利なので紹介するにゃ〜
518 ○ 東邪 ○ :2000/12/06(水) 19:54
>514:西麗風へ
>黄島主が【養生術】を上げるなら、私は【生への執着】でしょうか?

 よく考えてみると、麗風小姐の申した通りではあるな。
 物事の順序から見て、
【生への執着】があるからこそ【養生術】が発達すると云ふものだ。
 この点からして、日本人は<生>に何やら淡白ではあるな。

【養生術】と申せば、《莊子》内篇に「養生編」があった記憶が。
 更に《莊子》と申せば、陳家洛が迷宮で新たな武功を身に付けたのも、
《莊子》に拠っていた様な。

【老荘思想⇒道教⇒養生⇒拳法】という関係があるのだろうか?
 と想った今日この頃・・・


>517:( ´∀`)さん
謝謝合作!
519神武不殺:2000/12/06(水) 23:17
在《書劍恩仇録》第十七章有黄老邪講>>518的情節。
>陳家洛拾取了起来,見是《庄子》第三篇《養生主》中‘庖丁解牛’那一段,……
>霍青桐忽問:“那篇《庄子》説些甚麼?”
>陳家洛道:“説一个屠夫殺牛的本事很好,他肩和手的伸縮,脚與膝的進退,
>      刀割的声音,无不因便施巧,合于音樂節拍,舉動就如跳舞一般。”
>香香公主拍手笑道:“那一定很好看。”
>霍青桐道:“臨敵殺人也能這樣就好。”
是這様罷:《莊子》就是“書”,他的武功相當于“劍”,一共表達“書劍”。
也許意味著“‘書’通用于‘劍’,即‘文’通用于‘武’,反之亦然。”

還有箇例子:在《倚天屠龍記》第四章中有這様情節。
> 張三豐寫了几遍,長長嘆了口气,歩到中庭,沈吟半×,伸出手指,又寫起字来
> 這一次寫的字体又自不同。張翠山順着他手指的走勢看去,但看第一字是个“武”字,
> 第二个寫了个“林”字,一路寫下来,共是二十四字,正是適才提到過的那几句話:
> “武林至尊、宝刀屠龍。号令天下,莫敢不从。倚天不出,誰與争鋒?”
> 想是張三豐正自琢磨這二十四个字中所含的深意,推想兪岱岩因何受傷?
> 此事與倚天劍、屠龍刀這兩件傳説中的神兵利器到底有甚麼關連?
> 只見他寫了一遍又是一遍,那二十四个字翻来覆去的書寫,
> 筆劃越来越長,手勢却越来越慢,到后来縱横開闔,宛如施展拳脚一般。
>張翠山凝神觀看,心下又驚又喜,師父所寫的二十四个字合在一起,
>分明是套極高明的武功,毎一字包含数招,便有数般變化。
這些節跟“蘭亭詩序帖”,“十七帖”同様的罷,也是‘書’通用于‘武’的。

《臥虎藏龍》中也有這様情節:
秀蓮對嬌龍道:大致“筆法通用于劍法,運劍通用于運筆。”等等。

一辺“武”和“文”有関係,一辺“書”和“劍”有関係。
大家有甚麼看法???
520 ○ 東邪 ○ :2000/12/07(木) 19:55
>神武不殺へ

真添麻煩,感謝合作!
爾し《養生主》という題だったかな?

取り敢えず、書は剣に通じ、文は武に通じる、ということであるし、
且つ、剣は書に通じ、武も文に通じる、ということではあるな。
聊か図式的ではあるが、見事な構図ではある、と想うぞ、わしは。

爾しこれは文武両道という意味では決してないのであるな。
文と武は斉一、と云ふことではある。
ではでは
521 ○ 東邪 ○ :2000/12/08(金) 19:39

そう云えば、<邪教>と<秘密結社>の関係を説明するはずであったが、
ネタ小册を忘れて来て仕舞った………失礼する。
爾し最近、寒い所為か、
わしのレスには誤字脱字が多い气がしないでもない。

青山不改,縁水長流,後會有期。ではでは
522 胡桂南 :2000/12/10(日) 13:16

先日「裏社会」を“江湖”の領域に含めるか否か?ということを提起しました。
この提起の意図する所は、官の社会から溢れた消極的な領域としての“江湖”を、
より積極的に評価することにあります。どの様にしてそれが可能であるのか?

金庸の講演録に次の様な発言(回答)があります。


 問:請問 小説中的武侠人物是如何賺錢過生活的?

 答:有些武侠人物當[金票]客賺錢,這是比較下等的,有些門派是地主,
像武當派,可以自己過生活的,但有些派別比較窮,像華山派的令狐冲,
如果師父不給錢,他連酒也買不起,大致上,這些侠客都是窮的居多。
因爲經濟活動不是武侠小説的主要題材,所以常常略過不提。
523 胡桂南 :2000/12/10(日) 13:18

この様に武侠小説では経済が重視されていません。それは≪水滸傳≫なんかと同様。
しかしながら重視されていないとはいえ、経済生活は不可欠です。
そこで経済活動を出来るだけ表に出さずに、武侠世界を構築しなければなりません。

(1)
そうすると、経済環境そのものが破綻を来す乱世はどうなるのか?
経済環境の破綻に当って、官の支配する社会も当然、崩壊し始めます、革命ですね。
李莫愁さんの言われる「乱世に武侠小説が成り立たなくなる」理由の一つです。
江湖が「裏社会」であるなら、「表社会」の崩壊と同じ運命を辿ることになるからです。

(2)
他方で、官の社会から変革が起るのではなく、民の世間から変革が起るとすれば、
黄島主の言われた「流通革命が江湖を滅ぼす」という事態に陥ることになります。
江湖が「近代化の到来」と共に廃れて仕舞った理由の一つです。
これは江湖が、民の「世間」に起る経済生活に依存する「プチ世間」だからです。

「プチ世間」としての“江湖”(1)、「裏社会」としての“江湖”(2)。
結果、この様に両義性を具えた存在(1-2)として“江湖”が評価可能となるのです。
(“江湖”が一見、民の世間とダブって見える>>398黄島主のも、この両義性の為であり、
 両義性であるが故に、官・江湖・民は歴然と区別されてはなりません>>404何足道)
如何でしょうか、皆様?

最後に、この時、官の理想としての“隠逸思想”と
万人の理想としての“自由”の問題はどうなるんでしょうね。
524映画板住人:2000/12/10(日) 16:25
>東邪さん
先日、『書剣恩仇録』を読み終わりました。『碧血剣』との比較でいえば、あちらの
作品は、主人公袁承志の存在自体がロマン的なものだと思いました。
英雄の遺児で、幼少から格別な環境で英才教育を施され、人柄も謙虚で引き際を心得て
相手の面子をつぶさないよう心がける。やや完璧過ぎるくらいの描かれ方ですが、江湖の
理想的な人物像が投影されているのでしょうか。
武侠の徒、かくあるべしといえる袁承志の存在があったために兄弟子、神拳無敵の横暴が
目についたのかもしれません。力あるものは力を振るう、彼のような人間像が現実なのでしょうね。

『書剣』は、ダイナミズムにあふれた作品という印象です。やや暗めに感じるのは、主人公の
恋愛の前途が暗いからかもしれない(笑 『碧血剣』では、主人公は歴史のサポート役といった
感があり、袁承志の出世話と道中記といった印象を受けましたが、陳家洛は当初から結社活動の
親玉。背負っているものが余計重いですよね。途中、インディ・ジョーンズばりの探検記でしたが、
ホチントン、香香公主と美女ふたりがいても悲恋の先行きでは、読みながらしみじみとした気分でした。

>西麗風さん、
李元止(正しい漢字は表示できないようですね)はたしかに玉嬌龍と共通してますね。家内に実は江湖の
師がいたところもそうですね。『書剣』、『碧血』とも、男装は、恋愛沙汰をややこしくするためによく
利用されていますが、そんなに都合よく見破れないなんてことあるのかな、と素朴な疑問です。もっとも
らしい理屈がいつもついて回るところも面白いですね。復讐に夢中だったとか、第一印象が悪かったので
あまり顔を見ないようにしていた、とか。誰か教えてやれよと思いながら読んでいます。

登場人物の性格ですが、前向きというか転んでも只ではおきないというか、向こうの人は日本人よりも
そもそも生命力が強いのかと時々感じます。競争が激しい社会なのかなあ・・・
525李莫愁:2000/12/11(月) 00:56
>513 西麗風小妹
平河出版社『道教事典』に“張三ホウ”の項目がありました。

>>生没年不明。または張三峯。元末明初の道士、武当拳、太極拳の創始者ともされている。
>>在世年代も宋代説、金代説、元代、または元末明初説と多数あり、その実在さえ疑う説や
>>複数の人物であったとする説もある。出身地も不明であるが、遼東懿州(遼寧黒山県境)と
>>する説が有力。名字・別号にも多数の説があり、その全部を列挙することは困難。
(中略)
>>伝説は多く残されているが、行跡に関して明初に数名の弟子とともに武当山に入り、元末
>>の兵火で破壊された諸宮観を修復し、弟子にその諸宮観を住持させたことだけ確認ができ
>>る。(後略)

だそうです。要するに謎だらけの人物のようで、これでは本にも書きにくかろう。

>518 黄島主
【生への執着】は確かに大事な要素だと思いますが、
かといって別に死の美学が中国になかったわけではなく、
厳しい社会環境の中で、生に強く執着する者だけが生き延びてきた結果なのでは?
(淘汰というか、適者生存というか)うかつに比較するのは無謀でしょうが、
民間人が町ぐるみ殺戮されるような事態は日本ではかなり稀だったような気がする。
526李莫愁:2000/12/11(月) 00:58
>522 胡大侠
江湖での経済活動は、ご引用下さった金庸のコメントや映画版のスレでも指摘があったように
大概“言わぬが花”的扱いをされるようですが、中には和訳もある古龍『歓楽英雄』の如く、
それを逆手にとって金策に駆け回る侠客の貧乏暮らしを面白おかしく描いた話もあります。

>>官の理想としての“隠逸思想”と
>>万人の理想としての“自由”の問題

ですが、古代中国社会の一般民衆に果たして“自由”への希求はあったのでしょうか?

>523 映画版住人さん
ライトノベル板の金庸スレでは陳家洛の評判はあまり芳しくなかったようです。
確かに幇会の首領としては少々覇気がなさすぎて歯痒い感じですね。
あの優柔不断さはむしろ中国のインテリの特徴に見えます。(彼は科挙の合格者だし)
映画でいうと『半生縁』の黎明みたいなタイプ。
ところでアン・ホイが撮った映画版『書剣』はご覧になりましたか?
あれも文芸物メインの監督が手がけた武侠片という点で『臥虎藏龍』と共通しますね。
527 ○ 東邪 ○ :2000/12/11(月) 19:53

秘密結社の成立は、政府の専売制と関係が深い。
政府が価格を統制すれば、それよりも安く売ることで利益が上がる。
政府が弾圧をすれば、結社内の結束を強化しなければならない。
結社の団結を保つ為には、宗教的な契機付けが有効である。
それに採用されるのが、これまた政府の弾圧する邪教が便利。

邪教と秘密結社との関係は、こんな具合であったと記憶している。
《書剣恩仇録》で紅花會は、邪教と関係を持たなかった。代りに「仕置人」が居た。
《碧血剣》では袁崇煥をして宗教的に結び付けていた。
《笑傲江湖》では言わずもがな、日月教がある。
528 ○ 東邪 ○ :2000/12/11(月) 19:55
>525:李莫愁へ

わしは別に美学云云とは申して居らぬのだが?
到了時間!ではでは
529李莫愁:2000/12/12(火) 00:51
>528 黄島主
確かに死の“美学”とまで言えるかどうかは分りませんが、
侠客や戦士に「生を輕んずる」という観念が美意識として存在していたことは
次のような唐詩からも見て取れます。

重義輕生一劍知,白虹貫日報讎歸。(沈彬≪結客少年場行≫)

殺人不迴頭,輕生如暫別。(孟郊≪遊侠行≫)

「花は桜木、人は武士」という感覚に通じるものがあるでしょうか。
530 西麗風 :2000/12/12(火) 11:07
昨夜は「二〇世紀最後の満月○」だったそうです。みなさんご覧になりましたか?私はワザワザ海まで行って観ました。綺麗でしたよ。

>525:李莫愁 大姐
最近見ませんでしたけどお元気でした?
>525も>529も何だか私の>514にレス付けられているような。。。それとも黄島主さんに話を持っていかれたのかも。
私だと中国の一般民衆と言えば「しぶとさ」を思い浮かべますね。江湖の人間は、また別の価値意識をもっていたのでしょうか?
日本の場合だと、「武士の道徳」であるはずの【死の賛美】を、広く日本人全員に適応させてしまったために、
先の大戦の集団自決みたいな悲劇が生まれたって本で読んだことがありますけど、それと同じことなんでしょうね。

張三fengって、どうやら業績は後から付けられたって感じですよね。実在した当人はそんなこと全然やってない、みたいな。

>524:映画板住人さん
読み終えるのが早いですね。次は《射G英雄傳》をオススメしますよ。
分量も倍になってますし、読み応え十分です。また感想なんかをお聞かせ下さいね。

>誰か教えてやれよと思いながら読んでいます。
金庸の小説って↑のが本当に多いです。誤解が誤解を生んで取り返しの付かない事態へ。。。こんな具合に話を盛り上げてくれます。
誰か教えてやれよって言うより、ちょっとみんなで落ち着いて話し合って、みたいな感じですよ。何でも問答無用なのは止て欲しい。
李莫愁大姐が>525で言うように、基本的に強くなければ生きていけないって部分があるからではないでしょうか。
二師兄の神拳無敵が横暴に見えたのも、それくらい強くなければ江湖でやっていけなかったからだと思いますよ、妻子持ちですし。

あと、どうして男装が見破れないか?というのはナカナカ難しい問題ですね。あちらの人はそうなんだろう、って私は思ってますけど。
でも中国の民話でそんな男装モノって多そうですよ、『花木蘭』とか『梁山泊と祝英台』とか男装してなかったら話になってません。
531憂国之師:2000/12/12(火) 11:31
《射G英雄傳》は面白かった。
でも表紙がちょっと恥ずかしい。
カバーを掛けないと、
公共の場では読めません。
532 ○ 東邪 ○ :2000/12/12(火) 19:45
>>522:胡桂南へ
なるほど!よく判りましたぞ。
その様に説明されると大変理解し易いです。
爾し(1)と(2)が逆になっている様な。

>529:李莫愁へ
いやいや、昨晩失礼了。
司馬遷も「死有重于泰山、死有輕鴻毛」と申しておったな。
義の爲に「生きる」者は、義の爲に「死ぬ」こともある。
名を惜しみ一命を懸けてこそ、不朽の業績を残すというものだ。

爾しそれが日本の武士に見られる「美意識」とは隔っておるのでは?
確かに中華の義について「義は我を美しくすること」だとは謂う。
ただそれが大陸の場合だと、<美>には向わなかった様に想えるのだ。
島国と大陸で何を<美>として捉えるかの違いと申せばそれまでだが。

ふむ・・・わしにとって<美>の問題は難しいのぉ。
李莫愁と麗風小姐はどう見る?
533 ○ 東邪 ○ :2000/12/12(火) 19:56
>>524:映画板住人へ
《書剣恩仇録》の陳家洛は李莫愁の申すとおりではあるな。
 爾し紅花會の総舵首であることを考えれば、慎重と見るべきか?
《碧血剣》袁承志はかなり理想が入って居るな。
 優秀な主人公は却って問題ではあるぞ。
 それに袁承志の様に一朝一夕に武功は揚るものではない。
 それこそ十何年かかるものだ、多分きっとな。
 その点《射G英雄傳》だと主角=郭靖の成長過程を描いており、
《碧血剣》袁承志

>530:西麗風へ
あっ、到了時間。ではでは
534神武不殺:2000/12/13(水) 21:15
儒教有“六藝”即:禮、樂、射、御、書、數。
孔夫子所能所爲的。
535ala:2000/12/13(水) 21:41
様々な中国関連の情報交換掲示板

 http://www.alachugoku.com/
536 何足道 :2000/12/13(水) 23:47

“世界史版”で横行しておられる“あやめ”女史に質問をしてみました。
丁寧な回答が返されましたので、
余所者にも親切なあやめ女史に感謝しつつ、ここにお知らせコピぺします。
537あやめ(代:何足道):2000/12/13(水) 23:51
「江湖」が各時代でどのような態様で存在したか?裏社会のことで確実な
把握は困難です。正史では「史記」に「游侠傳」が立てられていますが、町
中で固まって公然活動してる連中で、江湖の遊客というのとは違うよう
な感じです。唐代の「剣侠傳」などの傳奇に出てくる紅線や崑崙奴など一
匹狼みたいなのは、清代や現代の武侠小説のキャラの源流というべきも
のでしょうが、ロマンティックに脚色されていて歴史上の現実の人物と
は遠いのではないかと思われます。
「江湖」が一般社会からどのように受け止められていたか?安直ですが辞
書を引いちゃいましょう。「辭海」(台湾中華書局刊)の「江湖」の項下には
 @朝廷に対して隠士の居る所を言う、「史記」の「貨殖傳」に「范蠡は扁
 舟に乗りて江湖に浮かぶ」とあるのが多分この単語の初見であろう、
 「南史」の「隠逸傳」に「或いは跡を江湖の上に遁る」
 A俗に住所を定めず諸方で食いつないでいる者を江湖に走ると言う、
 キャリアを積んだ者は老江湖と呼ばれる、転じて専ら詐術で財を集め
 るのを業としている者の称とされる、江湖術士とか江湖醫生といった
 類である。
「中日大辭典」(愛知大学中日大辭典編纂処編、大安書店刊)の「江湖」の項
 @河と湖A世間、[走江湖]世間を渡り歩く[吃江湖飯]世間を渡り歩い
 て生活するB[江湖派]世間をよく知っている、世間ずれしている[他
 很江湖]同前[老江湖]海千山千の人、世事にたけた人Cはったりをい
 う、ほらを吹く[他説得很江湖]かれのいうことは相当はったりだ[江
 湖話]遊び人などの符牒語や特殊なことば
「中日大辭典」には他に「江湖大夫=江湖郎中」正式な資格を持たない民間
医「江湖客=江湖人」世間を渡り歩いている生活している人、香具師ある
いは芸人など「江湖口」上手な駆け引き口上「江湖上的好漢」侠客、無頼漢
といった熟語も収録されています。
どうも一般社会からは胡散臭い世界として「江湖」は認識されていたよう
です。
538あやめ(代:何足道):2000/12/13(水) 23:52
あやめ的には「江湖」という言葉から想起されるのは、「荘子」の「大宗師」
篇に2箇所出ている「江湖」の句です。前記「辭海」には「貨殖傳」が初見例
として挙げられていますが、どうもこちらの用例を失検しているのでは
ないかと思われます。
a 泉涸れて魚相與もに陸に處る、相ク(フォントなし、口偏に句、口か
  ら水を吐く)して以って濕ほし、相瀉そぐに沫を以ってす、江湖に相
  忘るるに如かず。其の堯を譽めて桀を非しるよりは、兩つながら忘
れて其の道に化するに如かず。
b 魚は水に相造たり、人は道に相造たる。水に相造たる者は池を穿ち
  て養給し、道に相造たる者は無事にして生足る。故に曰く:魚は江湖
  に相忘れ、人は道術に相忘ると。
aは「真人」(本来の生を実現し得ている人)が生死という人間の運命に対
し、どのようにこれを受容しているかというテーマを語った部分に挿入
された句で、その前後の文章との意味上の連接に唐突なところがあり、
私見ではbの前に在るべきものではないかと考えています。bは世間的
常識に縛られずに行動している「方の外に遊ぶ者」の生き方を羨ましく思
いながらも、現実の礼俗に従わざるを得ないで日常を送っている孔子が、
弟子の子貢の「それなら我々にはどのような道がありうるのか」という質
問に答える部分に出てくる文章です。abを続けて読むと大意は次のよ
うになります。
干上がった泉で魚が水を注ぎかけあって急場を助け合う。しかしそうし
たシーンで親交を深めるより、魚にとっては広い江湖で互いに忘れあっ
て生きる方が、その本来の生命を全うする所以ではないだろうか。人も
通俗的規範を捨て天真に逆らわない「道術」を体する生き方こそが望まし
い。これが荘子の基本的立場から出てくる処世哲学です。
機縁を得れば助け合い事が済めば広い世間で忘れ合って流離するという、
江湖の魚のような生涯といったものが後世の遊侠者流の理想なのでしょ
う。
539あやめ(代:何足道):2000/12/13(水) 23:53
支那においては民間にあって相互扶助的ネットワークを形成している組
織の発達が著しいことはよく知られています。こうした集団の特徴とし
ては反権力的色彩が濃厚である場合が多いことです。官方が禁止してい
る商売の従事者の自衛ギルドといったものです。例えば専売品である塩
の私販業の組織が典型的なものでしょう。これほどヤバクなくても危険
を伴う商売に関連して成立しているもの−遠距離間の移動における警備
保障業、「ヒョウ(フォントなし、金偏に票)局」というのはそういった方
面のお仕事です。「保ヒョウ」とも言いますが「保」というのは仲介とか請
負といったニュアンスの、また「ヒョウ」というのは一種の手裏剣のこと
を表す字です。保ヒョウを請負う業者がヒョウ局というわけで、実際の
業務を遂行する専門家は「ヒョウ師」「ヒョウ客」と呼びます。ヒョウ局の
主人が武芸に優れた太っ腹の親分肌の人物であるのは言うまでもありま
せん。クライアントが費用を納めると局からヒョウ師が派遣されてきま
す。目的地に行く道中ではヒョウ車の上に昼間はヒョウ旗を立て、夜間
はヒョウ灯を点じてどこのヒョウ局か明示します。到るところの土地で
はそこの顔役に挨拶し「ヒョウ帖」を提出しておきます。途上で盗賊に遭
遇した際は先ず下手に出て了解を求め、往々にして兄弟の盃を取り交わ
したりしますが、聴きいれが得られなければ当然にタイマン張ることに
なります。ここで負けて旅客や貨物を分捕られることになるのは「失ヒョ
ウ」といって大変に面目ない話です。その場合は直ちに局に報告しておく
と一段レヴェルの高いヒョウ師が相手と試合して取戻します。或いは高
名な武芸者を雇うとか業界の大物にお願いするとか、盗首と交渉しても
らい「放ヒョウ」に成功するといったケースもあります。こういうヒョウ
局は清代には北方に多かったということです。こういう商売ですから表
向き合法な存在といっても裏社会とツーツーなのは常識でしょう。
つい数年前も河南省で列車が匪賊に襲撃されたという記事を新聞で見か
けました。マラッカ海峡の海賊話はよく聞きますが匪賊も現代に生息し
てるんですね。馬賊なんて懐かしい連中も夕日の向うにいるのかも。
540あやめ(代:何足道):2000/12/13(水) 23:55
支那においては民間にあって相互扶助的ネットワークを形成している組
織の発達が著しいことはよく知られています。こうした集団の特徴とし
ては反権力的色彩が濃厚である場合が多いことです。官方が禁止してい
る商売の従事者の自衛ギルドといったものです。例えば専売品である塩
の私販業の組織が典型的なものでしょう。これほどヤバクなくても危険
を伴う商売に関連して成立しているもの−遠距離間の移動における警備
保障業、「ヒョウ(フォントなし、金偏に票)局」というのはそういった方
面のお仕事です。「保ヒョウ」とも言いますが「保」というのは仲介とか請
負といったニュアンスの、また「ヒョウ」というのは一種の手裏剣のこと
を表す字です。保ヒョウを請負う業者がヒョウ局というわけで、実際の
業務を遂行する専門家は「ヒョウ師」「ヒョウ客」と呼びます。ヒョウ局の
主人が武芸に優れた太っ腹の親分肌の人物であるのは言うまでもありま
せん。クライアントが費用を納めると局からヒョウ師が派遣されてきま
す。目的地に行く道中ではヒョウ車の上に昼間はヒョウ旗を立て、夜間
はヒョウ灯を点じてどこのヒョウ局か明示します。到るところの土地で
はそこの顔役に挨拶し「ヒョウ帖」を提出しておきます。途上で盗賊に遭
遇した際は先ず下手に出て了解を求め、往々にして兄弟の盃を取り交わ
したりしますが、聴きいれが得られなければ当然にタイマン張ることに
なります。ここで負けて旅客や貨物を分捕られることになるのは「失ヒョ
ウ」といって大変に面目ない話です。その場合は直ちに局に報告しておく
と一段レヴェルの高いヒョウ師が相手と試合して取戻します。或いは高
名な武芸者を雇うとか業界の大物にお願いするとか、盗首と交渉しても
らい「放ヒョウ」に成功するといったケースもあります。こういうヒョウ
局は清代には北方に多かったということです。こういう商売ですから表
向き合法な存在といっても裏社会とツーツーなのは常識でしょう。
つい数年前も河南省で列車が匪賊に襲撃されたという記事を新聞で見か
けました。マラッカ海峡の海賊話はよく聞きますが匪賊も現代に生息し
てるんですね。馬賊なんて懐かしい連中も夕日の向うにいるのかも。
541 西麗風 :2000/12/14(木) 14:35

>536:何足道さん
ご苦労様でした。世界史板へはよく行かれるんですか?ここ中国板と違って結構「学問的」な場所ですね。
引用元を探したら。。。すごいお方なんですね「☆あやめファンクラブ☆」って、私も頑張ればいつの日か?

>>537->>539:あやめさん
たいへん勉強になりました。世間一般や社会から捉えた「江湖の世界」というのもすごく面白い視点ですよね。
小説を読む分だけでは江湖が「一般社会からは胡散臭い世界として認識されていた」なんて分かりませんから。
それでもカタギから見れば危ない世界である、くらいのことは何となく分かるのですが。
Biao局のお仕事は、塩の私販売業や危険を伴う遠距離間の警備保証業ということでしたが、
これってその当時では流通業の主流に当たるのでしょうか?それにしては商人がほとんど登場しませんけど。
裏社会と言っても警備、運送、保証の仕事と関係するトコロなんかは、日本と中国との大きな違いですね。
《臥虎藏龍》の女侠兪秀蓮は、この「保biao」の「Biao師」に相当するんでしょうね。

思想的なことは難しくて分からないのですが、遊侠者流の理想というものが、
「機縁を得れば助け合い事が済めば広い世間で忘れ合って流離するという、江湖の魚のような生涯」とすれば、
大部分の人は胡散臭くないけど、天真?に逆らった通俗的規範を身に付ける不自由な生き方をしている?
ということになるんでしょうか。それも【処世術】の一つではありますね。

>マラッカ海峡の海賊話はよく聞きますが匪賊も現代に生息してるんですね。
>馬賊なんて懐かしい連中も夕日の向うにいるのかも。
何だかロマンチックですね、実際はトモカクとして。地平線の彼方、夕日に霞む姿を想像しちゃいます。

>532:黄島主
どうなんでしょうね。私には【死の美学】なんて、たいそうなものなんてありませんし。
でも綺麗に死にたい、とは思いますけど、これって関係ないですよねぇ?
誰かの為、何かの為に死んでもいいって思ったこともありませんし。。。これって私に美学がないということ?
542あぼーん:あぼーん
あぼーん
543あぼーん:あぼーん
あぼーん
544あぼーん:あぼーん
あぼーん
545神武不殺:2000/12/14(木) 22:03

二流子再來了!
真不像話龜孫,
弄得乱七八糟,
没好死的壞人,
狗膽子這麼大,
連命也不要了!

  請別再來。
546李莫愁:2000/12/15(金) 01:44

>>530 西麗風小妹、>>532 黄島主
中国に限らず一般の人間には「しぶとさ」というか「生への執着」が本能的にあると思います。
実際、そうでないと生き残れないことが多いわけですし。
ただ、そうであるからこそ余計に「輕生」とか「視死如歸」とかいう対極的な態度が
格好良く感じられるという面はあるんじゃないでしょうか。
「美学」「美意識」と言ってしまうと確かにちょっとズレるかもしれない。
己の現実の処世ではなく、あくまで遠い理想なわけですからね、普通は。
それを実現できる少数の者が即ち「義士」「侠客」として称えられるのでは?

満月は見逃しました。というよりここを見るまで失念してましたよ。残念!
547李莫愁:2000/12/15(金) 01:46
>>536 何三聖
面白いご紹介ありがとうございます。とても勉強になりました。
世界史版を覗いてきましたが、博識なだけでなく大変真摯で熱心な方のようですね。
かくありたいものです。
(しかしここで「武侠小説内で、なるだけ解釈を済ませようとして」たのは、
私一人なんでは? 他の方々はもっと歴史や経済寄りの視点だったような……)
それにしてもあやめさんの御説は、アプローチとしては全く異なりながら、
菲才私めが武侠小説から読み取った概念とすり合わせても全く違和感が感じられません。
ここで江湖論議が始まった発端を想起すれば、正に「山外有山、天外有人」の感慨があります。
特に≪荘子≫の用例は盲点でした。
遊び半分で前四史から「江湖」の用例を抜き出してみたことがありますが、
最初は単なる江と湖、あるいは「扁舟に乗り」的なニュアンス(>>397あたりで述べたような)
だったのが、やはり時代が下るにつれ徐々に胡散臭い雰囲気を漂わせてきたように思う。

そういえば徳間書店の≪きわめつき武侠小説指南≫にもこんな一節がありました。
「大多数の農民や都市住民にとって、江湖の人々は狡猾で世故に長け、
異質な言葉や思想をもつ、畏怖すべきまれびとであったろう。(中略)
武侠小説は、そうした既成のイメージを利用しつつ(中略)
半ば架空の世界を造り上げていったのである」

>>541 西麗風小妹
横レスですみませんが、兪秀蓮は「Biao局」のトップですから、
「biao頭」乃至「総biao頭」と呼ばれるはずです。確か≪書剣≫にも出てきたような?
548胡桂南:2000/12/17(日) 12:47

先日、図書館へ往った折、《金庸茶館》(壹)〜(陸)中国友誼出版公司を見付けました。
こんな書物があったとは。
内容としては粗筋を追ってる様で、今一つといったところでしょうか。

 江湖を構成する単位とも見做すべき団体が挙げられてます。
《金庸茶館》(貮)“金庸的武侠社会”126頁

 学武之人包括:
一、名門正派:如少林寺,武當派,五大劍派(嵩山派、泰山派、華山派、衡山派、恒山派),
       青山派,[山空][山同派],峨嵋派,等。
二、草莽幇會:如巨鯨幇,海沙派,飛魚幇,丐幇,等。
三、教、社:如明教,朝陽神教,神龍教,天地會,等。
四、[金票]局:如福威[金票]局,龍門[金票]局,等。
五、官府捕快、朝廷侍衛:如張召重,多隆,白振,汪鉄鶚,等。
六、武館拳師:如周仲英,馬博仁,等。
七、緑林盗賊。
八、其他游離箇體:如桃花島之黄島主,天地怪侠袁士霄,姑蘇慕容世家,
         後半生的楊過,司徒千鐘,欧陽牧之等。

見た所、確かにみんな“胡散臭い”雰囲気を漂わせてますね。
 
549胡桂南:2000/12/17(日) 13:01

ところで、徳間書店刊の和訳にざっと目を通したのですが、
僕が>>378で訳した《神G侠侶》の作者後記も訳されているではありませんか。
知ってたらわざわざ原文を引用する手間が省けたのに。

  問世間,情是何物,直教生死相許?
  天南地北雙飛客,老翅幾囘寒暑?
  歡樂趣,離別苦,就中更有痴儿女。
  君應有語,渺万里層雲,千山暮雪,只影向誰去?

            −《金庸茶館》(参)62頁

《神G侠侶》で李莫愁がよく唱っていたのですが、これには何か題とかあるんでしょうか?出典も。
 目を通した限りだと《金庸茶館》(参)には示されてませんでしたが。
《碧血剣》の“今日的一縷英魂、昨日的万里長城”も、実は出典があるのかも知れませんね。
 あやめさんなんかは結構ご存知なのではないでしょうか?

>>526 李莫愁さん
西欧の某思想家は、自由の欠如した歴史とは、歴史なき歴史である、
そんなことを騙ってますが、やはりどの社会、どの文化にも具わる、
普遍的な価値こそ“自由”であると思います。
ただ、その達成に関係する環境や条件が、時代、文化、社会によって
それぞれ異なるのです。
550胡桂南:2000/12/17(日) 13:03

若しかすると、ここを訪れるのも今年はこれが最後になるかも知れません。
ですから今の内に皆さんに年末年始の挨拶を済ませておきたいと思います。
少ない参加でしたが、楽しませて頂きました。来年も宜しくお願いします。

  人和事和萬事和
  天泰地泰三陽泰

  祝  萬事如意
     二〇〇一年元旦 胡桂南
551映画板住人:2000/12/17(日) 14:35
>526、李莫愁さん、
金庸スレがライトノベルにあるとは驚きです。見てきましたけど、あちらはもうちょっと気軽に
小説を楽しむ雰囲気のようですね。古龍という作家もポピュラーなようですから、いずれ挑戦したい
です。
陳家洛の話題ですけど、満清の中の漢人皇帝の立場と荒くれぞろいの紅花会のなかの陳家洛の立場とが
対比されていたように思います。片や、出自を知っても皇帝の地位に安住しようとする兄と、片や、漢
王朝を再建しようとする弟の生き方も含めて。
反政府組織の親玉にしては、性格的な迫力が足りないという指摘は当たっているとは思いますが、
物語の核心や構成を考えると、納得のいく設定ではないかと思うのです。
映画の『書剣』は、すごく見てみたいですね。すぐには見れないでしょうから、とりあえず、公開中の
『決戦・紫禁城』を見にいこうと思っています。これ、古龍原作でしたっけ。

>530、西麗風さん、
『書剣』をパラパラ読みなおしていますが、本当に血気にはやる人間だらけですね。徐天宏のような
ブレーキ役が一人いないと話がいつまでも止まらない(陳家洛も止め役ですね)。この展開のスピード感も
金庸の魅力と最近思うのです。こんなにダイナミックな力にあふれた小説はなかなかないですよね。
『射G英雄傳』がお薦めなんですか。たしか、全五巻? また夜更かしか・・・

>533、東邪さん、
『碧血剣』は、あれが私の金庸初体験でしたけど、『書剣』を読んだ後の感想としては、
非常にすっきり(しすぎている?)しているといえるかもしれません。主人公が清廉潔白で
好感が持てる人物だと、回りがいくら悪辣だとしても、それに救われるというところがあると思います。
『書剣』のように、自らが本気で政府転覆を狙う主人公たちだと、目的達成のために是も非もないです
よね。私としては、『書剣』は血も涙も飲みこんで目的の為に生きていく人達を描く作品で、
『碧血剣』は、力あるものの理想像を描いた作品ではないかと考えています。より刺激的だったのは『書剣』
ですけどね。この先、他の金庸作品を読めば、見方が変わってくるかもしれませんが。
552映画板住人:2000/12/17(日) 14:38
改行がへたくそで、読みにくくてすいません・・・
553李莫愁:2000/12/18(月) 00:52
>>549 胡大侠
  問世間,情是何物,直教生死相許?
(和訳:教えておくれ 何が情けか 死ぬも生きるも委ねてか
 天の限り地の限りに 双つながらに飛ぶ鳥よ 季節をいくたび送ったか
 よろこびも、かなしみも、忘れ難き多情の子よ
 連なる雲のいずこにか、雪をいただく山の果てにか、誰を求めて独りゆく)

これは金代の詩人元好問の≪邁陂塘・雁丘≫という詞の前半です。
伴侶を失って悲しみのあまり投身(?)自殺を遂げた雁の至情に
感銘を受けて詠んだものとのこと。
後半部分は以下の通りです。(孫引きなので誤字があったら御勘弁を。)

  [シ分]路,寂寞當年簫鼓,荒煙依舊平楚。
  招魂楚些何嗟及,山鬼暗啼風雨。
  天也妬,未信與,鶯兒燕子倶黄土。
  千秋萬古,爲留待騒人,狂歌痛飮,來訪雁丘處。
(莫愁試訳:河のほとりに 楽も絶え 荒れ野に霞うちなびく
 呼べど還らぬたましいよ 風雨にむせぶ山女神
 天も妬もう 春の鳥 すべて黄土に朽ちようと
 とこしえに留めん 旅人の 歌をたむける 雁の墓)

>>551 映画版住人さん
こんなのを見つけました。ご参考までに。
http://www.d1.dion.ne.jp/~nakatan/kinyo/data/index.html
554 何足道 :2000/12/18(月) 00:55

麗風小妹>>541
世界史版には、時折ゆきます。歴史には以前から興味がありましたから。
麗風小妹も努力次第ではあやめ大姐を超えることだって可能!かも知れませんよ。

子曰:後生可畏也、焉知來者之不如今也、四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已矣。

李仙姑>>547
本当に、学を求めて已む処なし、といった感じではないでしょうか。
あやかりたいものです。
>武侠小説内で、なるだけ解釈を済ませようとしていた
これは方便というものでして(汗)、あやめさんに現実的な問題で話を振った場合に、
“班門弄斧”になるのではないかと感じて、勝手に言葉を付け加えさせてもらいました。

あと、武侠小説においての“江湖”の概念を、
>“江湖”は官に対する“民間”であるのと同時に、官によって維持される“秩序”と、
> その秩序を基礎づける“伝統”とに対峙する形で想定された“自由を主体とする世界”
等と、これまた勝手に皆様との“合作”にして仕舞いましたが、寛恕の程お願いします。

さて、やはり“江湖”は裏社会、堅気の人間の棲む世界とは別の領域ですから、
>江湖の人々は狡猾で世故に長け、異質な言葉や思想をもつ、畏怖すべきまれびと、
でなければならない、と思いますね。しょっちゅうやって来られるのでは困るし、
かといって、堅気の生活を小説で描いても“司空見慣”で単調過ぎているから、
面白くないこと請け合いでしょう。現実的にはやはり胡散臭いものになりますかな。

胡大侠>550
気が早い、、、と思いきや、もうそんな時期なんですね。こちらこそ宜しく。
555あやめ(代:何足道):2000/12/18(月) 01:07
金庸の小説って実はあんまり読んでないんです。ってゆうか武侠小説そ
のものが詳しくないです。「射G三部作」は確か元から明にかけての大
河ドラマ的小説ですよね。あやめ的には「天龍八部」なんか読んでみた
いなとか思ってます。実際に読んだのは「笑傲江湖」だけです。これは
最初はテレヴィで偶々見たのが、これを原作にした香港映画で邦題は忘
れちゃいましたが、ブリジット-リン扮する東方不敗がヒーロー(ヒロイ
ン?)って作りでした。その続編も放映されてましたが原作と全く接点の
ないストーリーになってました。あやめがこの映画に興味を覚えたのは
主角が女装の剣豪だった点です。日本人はどういうわけか女装バイオレ
ンス物が大好きみたいです。日本武尊から始まって井筒女之介・犬坂毛野
・弁天小僧・中村雪之丞と枚挙に遑なしです。荒くれ男どもをバッタバッ
タと倒すのが艶めかしい美女、この倒錯的エロティシズムをもう一つ屈
折させて刺激を強める。女装バイオレンスって男性女性を問わず観客(読
者)にとって堪らないものがあるんでしょうね。ところが支那の小説には
こういったキャラは全くと言ってよいほど見当たりません。女侠キャラ
の方は出てこない作品はないくらいメッチャ好きな癖にですよ。国民性
の相異というか男が女の形なんかするのを潔しとしない意識の差なんで
しょうか。日本の場合はそういう抵抗感が文化伝統として存在しないん
ですね。明代の小説「好逑傳」の主人公の鐡中玉は美女のようなルック
スで腕が立つ、日本の作家だったら絶対に女装で立ち回りさせちゃうと
こでしょうが、あちらでは少なくとも男性読者には受けないみたいです。
と思ってたら東方不敗が出現したので原作ではどうなってるのか知りた
くなってしまったわけです。ところが「笑傲江湖」ではナッカナカ東方
不敗は登場してきません。何かよほど大物らしいなという仄めかしは随
所に出てはいるんだけど、本人は相当気を持たせてからやっと奥の院み
たいなとこに潜んでるのを発見される。と思ったらあっけなく殺されち
ゃうんでガックリ来てしまいました。しかもその容姿の描写も格別に妖
艶さを強調されてもいませんし、愛人になってる男も詰まんない奴なの
よね。映画と大違い幻滅。金庸自身も映画の性格設定には不満だったみ
たい。でも映画でこういう女装キャラが受けたのは画期的です。
556 ○ 東邪 ○ :2000/12/18(月) 19:25
先週の後半は大学の機械が不調であった。どうにかして欲しいものではあったな。
さて、レスが大量に来ておるのぉ。ふむふむ・・・

>>536:何足道へ
謝謝合作!世界史のあやめさんはなかなかのお方ではありますな。
皆も賛同する通り、特に>>538での《莊子》の分析など、見事なものである。うむ。
やはり何か、>>518で語った様に、《莊子》や老荘思想、道教、養生術、拳法とは、
大陸の文化において深く関係しあっている模様ではあるな。とても興味深いぞ!

>>546:李莫愁へ
ふむ、そもそも「生への執着」が本能であるかどうかということと、
自然淘汰的に生き残った者に「生への執着」本能がはたらいたのか否かということ、
このことは「確かめ様が無い」ということで、問題とはならない、わしはそう想う。
(若し假に、偶偶偶然に生き残った者に対して、生本能が働いた成果である!等と
 申したところで、それは確認する迄もない。「正しい」としか答え様がない訳だ。
確かに生存本能が(假に)存在するとして、理性の働きによってその本能を乗り越
えたとすれば、それは理知的、理想的であるし、又かっこ良く感じられるであろう。
李莫愁はこの場面を捉えて美と理想とを見出したのではないだろうか?如何?

爾し生存本能を越えるのは何も理性の働きからだけではないのである。
《葉隠》という書物には「武士道は死と見付けたり」だったか、という言葉がある。
武士の生き方や奉公にとって「死に物狂い」ということが必要であると云ふのだ。
名誉や成功、それに損得や打算を考慮して行動するのでは駄目だというのだな。
色色と考慮するのは理性が働くからではあるな。故に理性ではない<狂>の感情の
赴く侭に行為することこそ、武士にとって賞賛されるに値する行動であると云う。
そこでは凡そかっこ良さや美意識とは遠く隔たった、理性では捉えられない世界の
出来事ではあるな。普通の感覚では捉えられない故、理想にもない得ないのである。
爾し理性によって捉えられないからこそ、<美>と関係するのだと、わしは想う。
557 ○ 東邪 ○ :2000/12/18(月) 19:49
さて、まだレスが残っておるのぉ。

>>548-550:胡桂南へ
《金庸茶館》は確か大陸の出版社であった気がする。
台湾のHP《金庸茶館》とは何か関係あるのだろうか?
李莫愁に拠ると、元好問≪邁陂塘・雁丘≫ということであるが、

       問世間,情是何物,直教生死相許?

《神G侠侶》ではこの部分くらいしか見なかった気もしないではない。
<自由>と江湖の関係も、依然難しい問題ではありますな・・・
 こちらこそ明年二〇〇一年も宜しくお願い致しますれば・・・

>>554:何足道へ
合作のことは气にしないで下され。しっかりとまとめられておりましたぞ。
これからも又、信息をよろしゅう。あやめさんにもよろしくお願いします。

>>555:あやめ(代:何足道)
改めて考え直してみれば、その通りでありますな。
女装や宦官の武功とは、興味深い着眼点であります。
特に、男が女装することによって、
倒錯的エロティシズムをもう一つ屈折させて刺激を強める、
という分析はナカナカ見つけ出せないものであるぞ。
東方不敗、強いものはしぶといとは限りませんからな。
人はだれしも弱いところを持ち、そこを衝かれれば呆気ないものです。
盈盈はその点を衝いたのであるな・・・ではでは
558 ○ 東邪 ○ :2000/12/19(火) 19:49
>>551:映画板住人へ

何だか発言が初初しくて非常によろしいのぉ。
さて、映画板住人さんは話全体から個個の人格を捉えるのであるな。
登場人物は物語り全体を構成する単位となって居るということになる。
わしは却って個個の人格を中心にして讀んでおる。
よって物語自体は個個の人格によって豫定調和的に完結していると見るのだ。
話の流れに大して関係ない人間が出て来てもそんなに气にはならないし、
主人公が卑劣で悪党でも、強烈な人格であるなら、それはそれで好いのだ。
まぁ、これはわしの<看法>に過ぎないのではあるがな。


金庸茶館は:http://www.jinyong.com.hk/index.htmlであった。ではでは
559 あやめ(代:何足道) :2000/12/21(木) 01:40

東方不敗が女性化しちゃうのは「葵花寶典」の秘伝をマジウケして、自
宮という非常手段を決行しちゃった結果ですが、「葵花寶典」が宦官の
間に伝えられていた剣術の虎の巻というのは興味を引きます。宦官と剣
術はちょっと結びつきにくい発想ですが、意外と香港映画では前例が無
いわけでもないんですね。ツイハーク(徐克)監督で歴史的大ヒットした
「龍門客桟」(邦題は龍門の宿)に出てくるのが、実在の明代の宦官であ
る曹吉祥で映画ではムチャクチャに強いんです。彼のことは「明史」の
「宦官傳」に乗ってますが軍務に従事していたため、軍人くずれを手下
にしてたり武器を密かに集めていたりしてたらしいのですが、本人が武
術に長けてたなんてことは全くありません。野史なんかにでも伝えられ
てることなんでしょうか。ツイハークはその後も「侠女」という映画で
も曹吉祥に大暴れさせてます。


この時間帯はいつも重いですね。
>>555の後にコピぺした積りでしたが、
失敗してたみたいです。最近はキツイ。
560 西麗風 :2000/12/21(木) 11:10

>547:李莫愁大姐
>兪秀蓮は「Biao局」のトップですから、
>「biao頭」乃至「総biao頭」と呼ばれるはずです。
>確か≪書剣≫にも出てきたような?

そうなんですか?だとすると陳家洛の「総舵手」と「総biao頭」はどう違うのでしょうか?

今週は冷汗が出るホド忙しです〜このスレを読むダケで時間がなくなりました。大量!
550の胡桂南さんみたいにはならないと思いますのでまた来週、レスを付けます。

でも一応、来年もヨロシクお願いしますね。デハデハ
561 ○ 東邪 ○ :2000/12/22(金) 20:02

みなさん、多忙な御様子ですな。
わしもそのヒソミに倣って忙しい振りをしてみた。

ではでは
562映画板住人:2000/12/22(金) 22:38
>553、李莫愁さん
金庸のディスコグラフィのサイトですね。どうもありがとうございました!
三作目の『雪山飛狐』を買ってしまいました。これは速く読めそうです。

>558、東邪さん
そうですか、初々しいですか(^^)
そういえば、おっしゃるとおり、私は登場人物、作中イベントなどを物語り全体を
構成するパズルのピースのように捉えているかもしれません。その人物、イベントなりが
どのような効果を期待されて出てくるのか、を気にしながら読んでいるかもしれませんね。
東邪さんは人物の個性に注目してらっしゃるようですが、『書剣恩仇録』、『碧血剣』では、
どの人物が特に印象に残っていますか? 私は、『書剣』では紅花会の中では余魚同、徐天宏
あたりと、敵方では、張召重が特にしっかりと描かれていたと思います。
金庸茶館、これから行ってみます。ありがとうございます。

映画板住人らしく、映画の話題を。前回書きこみで書いた古龍原作の『決戦・紫禁城』
ですが、かなりバカバカしく笑える映画でした。空を飛んだり、絶技を出すにも程が
あるだろう!と突っ込みたくなることうけあい。まー、映画のレベルとしてはそんなに
高くないですけど、武侠の世界の雰囲気を感じることはできるかも・・・
比べてしまうと、『グリーン・デスティニー』の完成度はアクション、ストーリー、世界観
など、どれをとっても突出していると思いしらされたましたね。
563李莫愁:2000/12/23(土) 01:20
>>556 黄島主
生存本能というか死への恐怖は生き物なら普遍的に持っているものだと私は思うんですが……
(卑近な例で言えば絶壁の上で足がすくむとか、追われたら逃げるとか)
それは措くとして、その本能を乗り越えさせるのが「理性の働き」か、
「死に物狂い」の感情であるかは、あまり重要ではないんじゃないでしょうか。
理由の如何に拘らず、凡人は自分に出来ないことを成し遂げる人間に、
畏怖や憧れを感じる面があるのでは?

>>559 あやめ(代:何足道)さん
細かいことで恐縮ですが、≪龍門客棧≫と≪侠女≫を監督したのは
ツイ・ハークではなくキン・フー(胡金銓)です。
564李莫愁:2000/12/23(土) 01:22
>>560 西麗風小妹
どうも言い方が紛らわしかったようですみません。
兪秀蓮が属しているのは「Biao局」つまり運送代行+保安業ですが、
陳家洛の「紅花会」は“幇会”と呼ばれる秘密結社の類で、組織の種類が違います。
大きな幇会には「分舵」つまり支部があって、それを取り仕切るのが「舵主」。
対して本部は「総舵」と呼ばれ、そのリーダーが「総舵主」なわけです。
で≪書剣恩仇録≫には、それとは別に「鎮遠biao局」というのが出てきて、
「総biao頭」なる呼び名もそこで使われているんですよ。

>>563 映画板住人さん
≪決戦・紫禁城≫がバカ映画になったのは、演出と脚本もさりながら
西門吹雪役の貫禄不足にも問題があったと思います。原作だともっと浮世離れした、
何と言うか≪ルパン3世≫の石川五右衛門みたいなタイプの人物なんですけどね。
原作は第1部≪陸小鳳伝奇≫の部分だけ和訳が小学館文庫から出ていますので、
よろしければ読んで雰囲気を比べてみて下さい。

さて、年の瀬も間近ですね。私もそろそろ帰省と年越しの準備です。
胡大侠に倣って、一寸早めですがご挨拶を。

一元二氣三陽泰
四時五福六合春          祝大家諸事順遂 −−李莫愁

皆さんと楽しく有意義なお話が出来て良かったです。来年もどうぞ宜しく。
565蕭峯:2000/12/24(日) 08:14

 ☆☆☆聖誕節快楽☆☆☆

村上もとかの『龍』で、ていが武侠活劇を撮るそうだ。
何の脈絡もないところを見ると、流行りに乗ッかっているみたいだ。
566成吉思汗:2000/12/25(月) 19:32
567神武不殺:2000/12/25(月) 22:23

☆聖誕節快楽☆・・・今天快完了。

由自己工作吾也忙得很。今年中必定再会!
568 西麗風 :2000/12/26(火) 18:17

>何足道さん
《倚天屠龍記》第一巻が発売されたみたいですね。
読まれましたか?昔、気にされてたみたいですけど。
今回のは何だか重量感がありましたよ、見た感じ。

>>564:李莫愁大姐
兪秀蓮女侠って「Biao師」よりも上の「保biao」を治める「Biao頭」「総biao師」なんですか。
これって>>で胡桂南さんの引いている『四』になりますよね。
で、陳家洛の方は紅花会だから『二』である、と。この理解でよろしいでしょうか?
あと、「死」と「美」の関係とかは難しい問題ですけど、
死を恐れないというのは「理想」の姿ではあると私も思いますけど。。。

>>562:映画板住人さん
『決戦、紫禁城』って、コテコテの邦題ですよね。
私は古龍の原作を読んでないのですが、≪陸小鳳伝奇≫ から離れ過ぎてますよ。
569 西麗風:2000/12/26(火) 18:19

横からですけど、私だと『書剣恩仇録』はダンゼン霍青桐になりますね。金笛秀才余魚同は次の次くらい。
頭が切れる(悪い意味ではない)し、堅い決意とか意志を持っているトコロなんかが魅力です。
それでその性格というか強い意志みたいなのが災わいして、一人で出て行ったり、とか、
自分を疑った心硯をナカナカ許さなかったり、とか、“白璧微瑕”で人間味がありますよね。
それに比べると香香公主や《神G侠侶》の小龍女なんかは精神薄弱っぽい感じがして、
ナカナカ感情移入し難くかったりします。トキドキ「ハァ?何なの?」とか思ったりしますし。
それから張召重って何だか悪役を一身に背負わされ過ぎているって感じで、何だか可哀想でした。
おっしゃるような「しっかり描かれている」みたいなのではなくて、金庸のやり過ぎですよね。
そうは思いませんでした?私は読んでてそう感じましたけど。。。
餓狼穴に陸菲青が入って来た時、死の瀬戸際に立たされたことで最後の最後に改悛するか、と思いきや、
、、、あれだと救われないですよね、張召重も陸菲青もどちらも。う〜ん。
張召重は死んで当り前って、金庸はやりたかったんだろ〜な、とは思いますけど、、、
陸菲青が回想する、修行時代に張召重が泣いてた話なんて佳ったのに(これも白璧微瑕?

それから『碧血剣』 だと五毒教の何教主でしょうか。
花山派以外では袁承志の次くらいに武功が強く、性格も“辣手”なんですけど、
茶目っ気があるトコロなんかが、私は好きです。青青みたいに我侭ではないですしね。


これから私は忘年会です。それでは皆様よい年を送られて下さいね。
今年はイロイロと勉強させて頂きました。また来年も宜しくお願いします。

  謹祝大家: 恭賀新禧 萬事如意 −−−西麗風妹:2000
570 ○ 東邪 ○ :2000/12/26(火) 19:56
皆さん、陸續と年末体勢に入って居る模様であるな。
わしも忘年会は済ませましたぞ、歸省するかは未定ではあるがな。

>562:映画板住人へ
 ふむふむ、わしの气に入った個性じゃな。
《書剣恩仇録》は<天地怪侠袁士霄>であろうか。
 孤高之士というのは、わしの理想ではある。
 あと頑固で澀い、老いて益益盛な爺というのも理想じゃ。
 爾し<康煕帝弘歴>というのも捨て難いのぉといった所。
 風流を自認しつつも俗っぽさの抜けない所なんか好いぞ。
《碧血剣》は<金蛇郎君夏雪宜>であるかな。
 非情に徹することの出來る人というのは長所であるぞ。
 爾し腕の立つ侠客であるのに既に世に居ない、というのは
 金庸の好む人物像である气もする。
 金蛇郎君も獨孤求敗も隠姓埋名の人であるな。

 到了時間,後会有期,ではでは
571名無的発言者:2000/12/26(火) 20:47
東邪さん、
金庸茶館、行ってみましたが、中国語のフォントがないと見られないのですね。我が家の
回線は貧弱なので、CATV接続を果たしたらあらためて行ってみたいと思います。教えて
いただいたのにすいません。

李莫愁さん、
李莫愁さんも『決戦・紫禁城』をご覧になられたんですね。かなり笑えましたが、いかがでしょうね。
中国語の「前後呼応」や「氷棒」には笑いが止まりませんでした。西門吹雪は、あまり
はっきりしたキャラクターとして描かれていませんでしたね。古龍は『楚留香』を買ってみたので、
近いうちに読むつもりです。
572神武不殺:2000/12/26(火) 21:10

哈哈哈!!!黄老邪認錯了!!!可惜可惜。

×康煕帝弘歴
○高宗乾隆弘歴(或○聖祖康煕玄[火華])
573映画板住人:2000/12/27(水) 00:21
すいません、571は私です。名前を入れるのを忘れておりました。で、書きこんでみたら
いくつかレスをいただいておりますので、

>568、西麗風さん
『陸小鳳伝奇』は存じませんが、小学館文庫から出ているのでしょうか。古龍は大きな
書店に行かないと置いてないようですね。
霍青桐は、ホチントンのことですよね? こういう漢字なんですか。香香公主のおかげで
割りを食らう気の毒な役柄で、しっかり者の長女はおいしい所を天真爛漫次女に取られて
しまうという、現実の生活でもありそうな役回りでしたね。でも、ホチントンみたいな人が
いないと世の中動かないんでしょうね。実質的な性格に好感を持ちました。
張召重は、悪役にもかかわらず、なぜかいつも強がりを言っている印象があるのはなぜでしょうか。
江湖のはみ出し者という自覚があるせいか、開き直りもやや自身喪失気味に見えたのは私だけかな?
あまり頭の回転が良くないあたりもいまいち凄みが感じられない理由かもしれません。
陸菲青は、いかにも英雄好漢の人物像でしたね。
何鉄手は良いですよね。敵方として非常に嫌らしく感じられたものです。主人公側についてからは、
嫌味な部分も愛嬌に見えてくるからおもしろい。彼女の性格は妙にリアルではないですか?

>東邪さん、
袁士霄、金蛇郎君とは、かなり個性の強い二人をお好きなんですね。袁士霄は金蛇が長生きしていたら
こうなった、というモデルになりませんかね? 陳家洛をどう育てたのか、という描写があれば、なお
良かったのですが。
574 ○ 東邪 ○ :2000/12/27(水) 19:52
>563:李莫愁へ

恐くは「生存本能」と「死への恐怖」は別次元のものでしょう。
何故なら我們人類も生物も生存している内は<死>を経験しないからだ。
つまり<死>(正確には自己の死)を知らない訳であるな。
我們が知っている<死>とは、観察から得ることの可能な、
他人の死に過ぎない、ということだ。
自己の死に対する恐怖と云ふのは単なる想像の産物に過ぎない。
よって死は案外樂しいモノかも知れない、
と莊子先生もおっしゃって居る《斉物篇》。
孔夫子も季路に答えて「未知生焉知死」と語って居る《先進十一》。
我們は生存中の経験も充分でないのに、死については尚更である。
さて、
問題は侠客における死生観(死に対する態度)であった。
侠客とは、<江湖>と同様、或る理想の対象であるに過ぎない。
(江湖とは、「不自由だがそこで生活せざるを得ない我們から
 見た理想的な自由の領域」として、ここでは想定させて貰う。)
我們の日常生活とは離れた領域の話としてのみ有用な訳だな。

文士が隠遁隠棲の場として江湖を見る様に、
死を軽んずる勇気を持つ人物として侠客を見る、ということだ。
ここで問題なのは、理想を持つ人にとって、
江湖も侠客も経験されてはならない、ということだ。
理想が崩れてしまうからのぉ。如何なものであろうか?
575 ○ 東邪 ○ :2000/12/27(水) 19:53
>映画板住人へ

>袁士霄は金蛇が長生きしていたらこうなった、
>というモデルになりませんかね?

それは無いと想うぞ。

>神武不殺へ
謝謝合作!いつも済まぬのぉ。

それでは皆さん、
ここ桃花島を来訪して頂き、
慎に恐悦至極でございます。
好い年を送られて下され。

  歳歳平安 年年康安
  学業発達 闔家幸福
       
  ・・・桃花島島主東邪黄藥師(假)
576何足道:2000/12/30(土) 01:31

おぉ〜みなさんもう既に正月モ〜ドですな〜(ひょっとして死語?
自分はカッコイイ挨拶言葉を知らないんで日本語で、、、

今年はイロイロとアリガトウございました。
良い年を送られて下さい。また来年も宜しくお願い致します。
                       −−−何足道

>>568 西麗風小妹
本当?早いですね、飜譯作業が。

>>572 神武不殺同志
高宗乾隆帝って名は“弘暦”じゃなかった?
577神武不殺:2000/12/31(日) 06:02

>>576
眞的呀?下次試找。大家必定再会!!!
578あやめ:2000/12/31(日) 23:32
>576
「弘暦」ですね、お陰で清代には「暦」という字が使えず、こよみのことは「時憲書」
と呼んでいました。「時憲暦」なんて書いてる人を偶に見かけますが「暦」の字がタ
ブーだった意味を判ってないんでしょうね。満洲国でも当然やはり「時憲書」が公用
されてました。

今年は余所板のあやめに声かけてくださって感謝に堪えません。そこまで迫った親世
紀にも御厚誼をいただけたら嬉しいです。
よいお年をお迎えください。
579名無しより愛をこめて:2001/01/01(月) 02:31
>あやめさん
>妙に強い宦官
「マスター・オブ・リアル・カンフー 大地無限」という張三豊が主人公の映画でも悪役の宦官は無茶苦茶強かったです。
香港映画の中では強い宦官はまだまだいるかもしれません

>李莫愁
>>559 あやめ(代:何足道)さん
>細かいことで恐縮ですが、≪龍門客棧≫と≪侠女≫を監督したのは
>ツイ・ハークではなくキン・フー(胡金銓)です。
私はキン・フーの「龍門客棧」は未見ですが、あやめさんが言おうと思ったのはおそらく
「龍門客棧」のリメイク「ドラゴン・イン」(原題「龍門客棧2」だったかな)ではないかと
監督は徐克で悪宦官役はドニー・イェンでした
580あやめ:2001/01/01(月) 11:18
愛をこめた御教示どうもありがとうございました
「龍門客棧」のリメイクで飛び出す映画っていうか、立体映画のもあった
ような気がします、短剣が観客の方に飛んでくるので思わずよけちゃうとか

あけましておめでとうございます
今年も宜しく
581神武不殺:2001/01/02(火) 22:03

大家!新年好!今年這世紀也請多多關照!
582 何足道 :2001/01/06(土) 00:29

Happy New Century!! 新年開けまして御目出度ぅ!
前世紀はお世話になりました、今世紀もご贔屓に!!

あやめ女史>>578
ワザワザこんな中国板までおこし頂けるとは、、、
記憶だけが頼りなので、余り自信がありませんでしたが、
やはり“高宗乾隆帝弘暦”でしたか〜ヨカッタヨカッタ。

しかし「御厚誼」だなんて、イキナリそちらの板へ
厚かましくも突然質問を持って行ったにもかかわらず、
普通であれば迷惑に思いこそすれ、
却って親切な返事を頂きまして、
あやめさんの本当の「御厚誼」にお礼の言葉もありません。
私の方こそ、まさに“何足道”といったところ、、、

  向あやめ女史謝天謝地。

勝手乍ら金庸スレを代表して感謝の言葉を、
そして、今年と言わず、今世紀も、これからも、宜しくお願い致します。
583映画板住人:2001/01/06(土) 00:48
遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。今年はより深く金庸を味わう
年にしたいものです。

>575、東邪さん、
あはは、金蛇と袁士霄の比較はあっさり否定されてしまいましたね。引き合いに出す人物が
少ないもので、ご勘弁を。

『雪山飛狐』を読みました。ミステリー仕立ての小説になっているとはかなり意外な
感じを受けました。登場人物たちも謀ばかりの小人たちばかりで、中盤まで爽快さはあまりありません
でしたが、胡一刀、苗人鳳らの交わりと胡斐の生い立ちにおもしろさがあるといえるのではない
でしょうか。みな、事実を断片的にしか知らないという点を生かして、局面をもっと二転三転させて
くれたら、よかったのに。ちょっと物足りなかったようにも思います。
あ、ラストは気に入りましたよ。あとがきを読んだら、中途半端と感じた人が多かったようですが、
あれこれ考えさせられるラストの方が印象に残ります(でも、気になる・・・)。
584李莫愁:2001/01/07(日) 00:31
恭賀新禧!請大家多多關照。
皆様はどんな正月を過ごされましたか?私はネットからも離れ実家でごろごろしてました。
今年も何卒宜しくお願い致します。

>>568 西麗風小妹
>>で、陳家洛の方は紅花会だから『二』である、と。この理解でよろしいでしょうか?

胡大侠の>>548では、
>>二、草莽幇會:如巨鯨幇,海沙派,飛魚幇,丐幇,等。
>>三、教、社:如明教,朝陽神教,神龍教,天地會,等。
だそうなので、陳家洛の紅花会は『三』だと思います。紅花会のモデルと思われる天地会も
同じカテゴリーに分類されてますし。でもまあどっちにしろ、biao局とはカテゴリーが違う
という点では変わりないですよね。

>>574 黄島主
>>我們が知っている<死>とは、観察から得ることの可能な、
>>他人の死に過ぎない、ということだ。
>>自己の死に対する恐怖と云ふのは単なる想像の産物に過ぎない。

いや、人は未知の領域に対して恐怖するものだから、自己の死についても
それが未知であるが故にこそ恐怖を感じるのではないか……と思うのですが。
尤も未知の領域は恐怖と同時に畏敬の対象でもありますから、
そのために江湖と侠客は、鏡花水月の如く永遠に手の届かぬ存在であるべきなのだ
とは言えないものでしょうか?
585李莫愁:2001/01/07(日) 00:34
>>578 あやめ女侠
久仰久仰!わざわざ御足労頂き恐縮です。女侠の造詣にはひたすら敬服致しております。
こちらこそ、今後ともどうか宜しくご教示賜りますよう。

>>579
胡金銓の≪龍門客棧≫は邦題「残酷ドラゴン 血斗竜門の宿」、
白鷹演じる宦官は「曹吉祥」で主人公達が守るのは忠臣「于謙」の遺児。
一方、徐克のリメイク版は原題≪新龍門客棧≫、邦題「ドラゴン・イン」。
甄子丹演じる宦官の名は「曹少欽」、忠臣の名は「楊宇軒」になってます。

ところで>>580であやめ女侠が言及しておられる立体映画は、
ジャッキー・チェン(成龍)、ジェームズ・ティエン(田俊)出演の
≪飛渡捲雲山≫、邦題「ジャッキー・チェンの(飛龍)神拳」かと思われます。
脚本を書いたのはなんと古龍で、筋立ては≪龍門客棧≫とかなり違いますが、
腕利きの侠客達が重要人物を護衛して危険な旅をする点が似てるといえるかも。
586名無的発言者:2001/01/07(日) 05:48

神武不殺!
Miss 松隆子 is mine! She's MY butterfly now!
She said she love me and hate you! Is she telling the turth?
Hahahaha!
587あやめ:2001/01/07(日) 19:38
582>向あやめ女史謝天謝地
そんなそんなー、オーヴァーですよ
ところで「あやめ」が平仮名表記なんで御不便かけてます。
あやめは漢字表記のHNは「屬文」で「さっか あやめ」と読ませてい
ます。「屬」は律令時代の四等官の第4等官のことで当時は「さかん」
と読んでいました。「次官」の朝鮮語読音から来てるんだそうです。営
繕関係のお役所で一番偉いのが大工で「内匠頭」なのに対し、壁塗りの
担当者は最下級の屬のランク付けであったので、そこから「さかん」と
いうのが左官屋さんの通称になったのだとか。お役所で屬に任官してた
人の子孫が「さかん」という苗字を称するようになり、それが更に訛っ
て「さっか」という読み方になったようです。戦前では「屬啓成」とい
う音楽評論家、現存の人では京都府警本部長が「屬」姓の方です。
「文」の「あやめ」は解っていただけると思いますが模様の筋目という
意味です。漢字ではまともに読んでもらえないので仮名書きで通してい
るってわけです。
588あやめ:2001/01/07(日) 19:39
それじゃ何でHNを「屬文」としたかっていうと文人の伝記などによく
「年甫じめて八歳にして能く文を屬す」といった記述を見かけます。つ
まりやっと8歳になったばかりなのに文章が書けたといった趣旨ですが、
漢文というのは日常語とは全く異なる構造を持ち(日本の現代語と古文が
語彙は違っていても構造の基本は同じなのと比較してください)、8歳で
漢文の文章が作れるのは日本の小学1年生が日記を綴れるのとは、根本的
な相違があり同日には語れません。では8歳児が作った文章は立派なもの
だったかと言えばそうとは限りません。多分たいしたもんじゃなかったと
思いますが「文章が綴れる(屬文)」子供ってことで評判になったんでしょ
うね。今だったら小学生がBASICなどで初歩的コーディングができて、
そっち方面に疎い大人が感心しちゃったってとこかしら。自然言語ではな
いってとこが漢文とコンピュータ言語は似てると言えるかもしれません。
要するにあやめはやっと子供並の文が書けるようになったということなん
です。
あやめが嘗って最下級の公務員してて今もその関係のモノ書き内職で生活
してるという含意も入っています。
589あやめ:2001/01/07(日) 19:40
序でながら姓・名と来れば次は字・号ですよね。
字は「昌君」としました。最初はあやめに因んで「菖蒲」を省画して「昌
甫」としてみたんですが、「甫」は男性の字に用いる文字なので女性らし
く「君」の方にしてみました。更に色気を求めて別字を「昌裙」としまし
た。少しは好い女っぽく想ってもらえるかな?
号は「懸圃潅婦」略して「懸圃」です。これは「楚辞」の「天問」から採
りました。あやめとしては深いニュアンスを篭めたつもりなんだけど今は
秘密。そのうちにね。
なーんかえらそ(笑)
漢字で呼ぶときは昌裙でお願いね。
590あやめ:2001/01/07(日) 19:50
>585
李莫愁さん多謝です。
「曹少欽」は曹吉祥の養子の「曹欽」から取ったものかと想います。
また電影電視の関係いろいろ教えてくださいね。
591做夢的中華人:2001/01/07(日) 20:21

神武不殺!
出來和我打架!我搶了爾的松隆子小姐,爾不生氣麼?
彼女現在是我的蝴蝶了!
KKKK!
592神武不殺:2001/01/09(火) 21:14

阿〜吾出來了。乖乖給吾有甚麼用?
>>591
>神武不殺!
>出來和我打架!我搶了爾的松隆子小姐,爾不生氣麼?
>彼女現在是我的蝴蝶了!
>KKKK!
>
哈哈哈!連這麼簡単的中文也不十足,眞取笑的,吾笑死了!
小朋友的中文挺差,辭不達意。没人看,重新做起再来罷。阿〜還有一件呀、、、
>
>Miss 松隆子 is mine! She's MY butterfly now!
>She said she love me and hate you! Is she telling the turth?
>Hahahaha!
>
What's??? Tell me what happened to you@` please.
Then you are very poor at English... young Singaporean or 厨房???
Cite just one example: “butterfly” sometimes means wanton or fickle.
小弟知道了没有,王菲唱的歌《胡蝶》裡有這節:“一雙胡蝶來得快也去得快”。
嗚呼!乖乖的“胡蝶”是“朝三暮四”的,明白。這很可能,善哉,善哉!
可縱令乖乖跟松隆子相思相愛的關係而松隆子眞討厭吾,
也和吾有任何狗屁用???妙極〜妙極〜
And try to poke your nose...
>
>Ms. 松隆子 is my honey and treasure at present!
>She said she loved me and hated you! Did she tell me the truth?
>Heihei@` heihei!
再好好兒学習英語以及漢語罷!然後告訴吾眞心話,好不好?
取笑的,哈哈哈哈哈!!!
593神武不殺:2001/01/09(火) 21:15

>>589
昌裙女史,姓是屬,名是文,稱于屬文。
而字做昌君,別叫做昌裙,號是懸圃灌婦,簡稱懸圃。

甫:古代加在男子名字下面的美稱。
  如“孔丘字仲尼,也稱尼甫”,後來指人的表字。

(確以甫字爲男字。

吾試試猜“懸圃灌婦”之深意。
在《楚辭》天問篇、第三段有“崑崙縣圃,其居安住”。
“縣圃”表達“上帝住在的地方”,就是怎様?
但吾不了解“灌婦”的意思。
(是否“養婦”,就算意味著“啓發婦女們”???)

昌裙知曉得没有?將昌裙招聘的那郎何足道。
其實叫做“崑崙三聖何足道”,
而昌裙的外號“(崑崙)縣圃”跟他有甚麼縁故?
只不過偶尓遇上的呀?妙極〜妙極〜
594神武不殺:2001/01/09(火) 21:17

【乾隆帝】[1711(康煕五〇年)〜99(嘉慶四年);在位1736(丙辰)〜96(丙辰)]
:世宗雍正帝胤[示眞]之第四子。
 確是名做“弘暦”、諡稱于純皇帝、廟號是高宗、號叫做十全老人。

【時憲書】
:即民用暦書。清代因避高宗(乾隆帝)弘暦諱,改稱《時憲書》。

 但是世上《時憲暦》也有這様↓(于《辭海》1979版・上海辭書出版社)。
【時憲暦】
:制定于明末,清順治二年(1695年)頒行。正式採用‘定氣’。
 這是我國暦法史上第五次(即最後一次)大改革。

 昌裙女史,試試査自己的‘《辭海》臺灣中華書局刊’呀,好不好。
595 西麗風 :2001/01/11(木) 10:14

新年好!各位朋友們、同学們、来客們、大家好!今世紀請致意一下!

>李莫愁大姐
本年も昨年と同様よろしくお願いします。
そうですね〜、私は中学高校時代の友だちと各々会ってましたよ。
それから二三人で近くの神社にお参りに行ったりとか。

>二、草莽幇會:如巨鯨幇,海沙派,飛魚幇,丐幇,等。
>三、教、社:如明教,朝陽神教,神龍教,天地會,等。
この両者ってどう違うんでしょうか。改めて考えると良く分からないです。
少なくとも「三」には、宗教が絡んでいる、ということでしょうか?
でも紅花会はそんな記述はなかったみたいですし、
以前、黄島主が書いていたことも加味すると難しくなりますよね。


>黄島主
面白い見方ですよね、「死ぬ」ことを経験して仕舞うと「死ぬ」んですから。
「葉公好龍」という言葉があるみたいに、
世の人って、いつもは憧れている事でも、いざ自分が行動するとなると、
尻込みするそうですけど、これを乗り越えた人こそ侠客に値するんでしょうね。
幻滅とか抜きにして、それでも〜敢えて〜行為するところとか。
596 西麗風 :2001/01/11(木) 10:15

>何足道さん
やっと「何足道」の意味が解りました。
「何ぞ道う(説く)に足らんや」→「語るのに充分であろうか、否、充分ではない」ですね。
こんな深い?意味があるなんて思いませんでしたよ。

>あやめさん
佳い意味での「もの書き」って感じですよね、何となくですけど。。。そのコダワリが凄いです。
でも呼称ってナカナカ難しいですよね。

例えば、《三国志》の昭烈帝劉備玄徳の場合だと、
姓は劉、名は備(諱も備)、字は玄徳、諡は昭烈、ということですよね。
劉備は生前に親兄弟からは劉備、その他の人からは字の劉玄徳で呼ばれてたんでしょ。
これをあやめさんに当てはめると、
姓は屬、名は文、字は昌君・昌裙、号は懸圃灌婦、略して懸圃、
ですから、字の昌裙(昌君)呼ばれる方がいいことになりますよね?(ちょっと不安。。。
でも号の懸圃灌婦(略して懸圃)って誰用の呼称になるんでしょうか?自称ですか?

話しを少し変えて、《神G侠侶》の神G侠こと楊過は、
姓は楊、名は過、字が改之、外号は神G侠・西狂ということでしたけど、
結局、誰一人として楊過を字で呼んでなかったですよね。
彼の字を無駄に感じたのは私一人ではないはず。
597 西麗風 :2001/01/11(木) 10:17

>映画板住人さん
>しっかり者の長女はおいしい所を天真爛漫次女に取られてしまうという、
>現実の生活でもありそうな役回りでしたね。
映画板住人さんの説明を見ると、改めて霍青桐って可哀想に思えてきました(含泪。。。
《書剣恩仇録》だと陳家洛が主役であるの自信喪失気味だったで、釣り合いを取るように、
張召重も悪役の割には自信喪失気味でいまいち凄みの欠ていたのではないでしょうか。
でも私としては張召重の開き直りというのも、江湖のはみ出し者の自覚ということだけではなく、
苟も【獨立不羈】を旨とする江湖の住人が、立身出世のために官の狗になったことからくる、
後ろめたさに原因があるのだと感じましたけど、どうでしょう?(一文が長くてごめんなさい。

何教主は、敵だった時も袁承志を困らせ、味方になっても困らせている、
青青とは違った意味で主人公を振り回す役だったのが気に入ってます。
「棘には毒がありますから気を付けて〜」なんて、サラリと言ったりして、
愛嬌(愛想)?を振りまくところなんか、性格的に余裕が感じられて好きでしたよ。

http://www.tokuma.com/tfc/kinyo/index.html
霍青桐についてですが、私はここ↑の人物紹介を参照しました。


>神武不殺さん
何だか絡まれてますね。水面下で何かあったのでしょうか?

次のオメデタイ日は【春節】ですね。いつだったか。。。
598 ∞∽ 桃花島 ∽∞ :2001/01/12(金) 19:12

 武侠小説について、文化的な背景を含め、マタリと語らいましょう。

              <飛雪連天射白鹿・笑書神侠倚碧鴛>

《書劍恩仇録》《碧血劍》《雪山飛狐》《射G英雄傳》《神G侠侶》
《飛狐外傳》《倚天屠龍記》《白馬嘯西風》《鴛鴦刀》《天龍八部》
《連城訣》《侠客行》《笑傲江湖》《鹿鼎記》、金庸之十四作品。


 尚、武侠小説では、金庸・古龍・梁羽生の三大家が有名です。
599 ○ 東邪 ○ :2001/01/12(金) 19:41

皆様、開けましておめでとうございます。今世紀もよろしゅぅ。
さて、いきなりではありますが、
このスレッドも最後の時を迎えようとしている模様です。
(過去ログが開けないし読めないのです・・・)
つきましては、新たにスレッドを建てようとしましたが、
「エラ〜スレッドの立て過ぎです」とのこと。
誰か親切な方、、、お願いです。
天に代って何とかスレッドを建てて下さい、お願いします。

題して:「 ○○○ 武侠小説 ○○○ 」
名前:『 ∞∽ 桃花島 ∽∞ 』
内容:[>>598]をコピ〜&ぺ〜ストして下さい。

お願いします。
600小朋友:2001/01/12(金) 19:50
>>592
哈哈哈哈!謝謝!我只是“投石探路”。
601 ○ 東邪 ○ :2001/01/12(金) 19:58

おっと、气が付けば、祝六〇〇回!好朋友!

しかし事態は好転しておらぬのぉ。
わしは新年会疲れであるぞ、ではでは
602名無的発言者:2001/01/12(金) 20:39

看到君等的討論,恕我多口插一句,失禮了。
縣圃,>在《楚辭》天問篇、第三段有“崑崙縣圃,其居安住”。
“縣圃”表達“上帝住在的地方”,就是怎様? < O.K.
但我還想到巴比倫的空中花園?
灌婦,自謙語,意思如同“我不過是花園裏面替花澆水的僕婦而已”。但,這個花園不簡單,是“上帝住在的地方”,所以自謙中又帶有傲意。春秋時的楚國,對中原諸侯自稱“我蠻夷也!”也是類似的情況。中國人,乃至東亞人,常常這樣的。
603神武不殺:2001/01/12(金) 21:07

黄島主,没有問題呀!>>599
604神武不殺:2001/01/12(金) 21:11

黄島主,關于>>599没有問題呀!
605神武不殺:2001/01/12(金) 21:14

眞包涵!
606神武不殺