【^▽^】隋・唐は漢民族王朝か?それとも征服王朝か?【^▽^】
1 :
【^▽^】日本帝【^▽^】:
中国共産党が、「純粋な漢民族王朝」として必死に喧伝している
隋・唐の両王朝…。
特に唐は、シルクロード経営で名を馳せる中華王朝の代表的王朝だ。
しかし、漢民族の風俗を採用したという理由だけで、
隋や唐を純粋な漢民族王朝と評価させてしまっていいのだろうか?
何故なら隋も唐も、初期の皇帝たちは皆、万里の長城の外の出身である。
(現在の内蒙古自治区・当時の武川鎮の出身)
又、その苗字も怪しい。
例えば、隋の皇帝家である楊氏は、元々の性を「普六茹」といった。
これは明らかに胡姓である。
中国風の「楊」に変更するのは、隋を建国する直前になってからである。
(因みに楊堅の皇后は独孤皇后といい、鮮卑族の名門出身である。煬帝の母)
(又、唐の初代皇帝李淵は独孤皇后の妹の子供。又、元々の姓は「大野」)
科挙制度を確立し、律令システムを生み出した隋。
シルクロード経営を通して、その威光を中東にまで知らしめた唐。
そして、史上空前規模の支配領域を誇った清…
中国における偉大な王朝は、常に異民族により建国された王朝であった。
プライドの高い中国人にとって、それが辛いものであることはわかる。
だけど、真実を認めようよ…?
隋・唐は征服王朝である。
2 :
名無しさん:2000/03/25(土) 22:15
>1
賛成。
3 :
名無しさん:2000/03/25(土) 23:57
歴史ものもこういう視点が入ると面白いね
純粋に漢民族の大帝国といえば漢、宋、明くらいかな
そういう見方をするとだいぶ中国の捉え方も変わりそうだね
4 :
名無しさん:2000/03/26(日) 01:00
中共もそうじゃん。
5 :
>2:2000/03/26(日) 01:47
短絡君発見!
純粋な漢族王朝ではないが、元や清とは同レベルではない。
それに宋王朝も偉大だぞ。
6 :
名無しさん:2000/03/26(日) 02:34
袁世凱の民国も漢族王朝といえるんじゃない?
皇帝とも名乗ったわけだしさ。
7 :
名無しさん:2000/03/26(日) 03:11
ヤフーに転載したら効果抜群!
8 :
名無しさん:2000/03/26(日) 07:14
歴史学者宮崎市定氏は、秦漢を古典古代統一王朝に分類し、
隋唐を(古典古代がいまだ復活しない分裂した)中世に分類し、
宋を民族意識の目覚めによる(古典古代復活としての)近世として
歴史を捉えていたけど、そういう視点から見ても、1氏の見解は
ある程度面白いね。
9 :
名無しさん:2000/03/27(月) 15:40
元々、隋も唐も五胡十六国時代の騎馬民族王朝の延長。
だから日本的発想にたち、皇帝の血筋だけをみるなら征服王朝といってもいい。
しかし隋や唐の皇帝たちには、自分達が騎馬民族だという意識は希薄だった。
その証拠に、唐の文書では騎馬民族を“夷狄”と呼んで蔑んでいる。
つまり、自分たちは漢民族だという立場にたっている。
中共が評価しているのはこのへんでしょうね。
10 :
名無しさん:2000/03/27(月) 19:40
皇帝の血筋だけなら、日本も朝鮮人の制服王朝。
それから、清は元とはかなり違う。
満州族の漢民族化がかなり進んでた。
ちなみに、康シー皇帝の母は漢人八旗の出身。
11 :
>10:2000/03/27(月) 21:03
>皇帝の血筋だけなら、日本も朝鮮人の制服王朝
めちゃくちゃ言うな(笑)
12 :
>10:2000/03/27(月) 21:16
>清は元とはかなり違う。
>満州族の漢民族化がかなり進んでた。
これは
「清は元より中国人に血統的に近いから、征服王朝とはいえない」
という主旨の発言かな?
因みに中国人は、「異民族の漢民族への帰属」の認否を
血統の近さなどからではなく、
中華文明への帰依の度合で判断するのよ。
つまり、満州族の風俗を棄てようとしなかった清は、
中国から見れば元と全く同じ程度の存在です。
民族的血統の近親度をみて「清と元は違う」と感じてしまうのは、
血統至上主義の日本人の感性に過ぎない。
夷狄の習俗を棄てなかった清は、
中国人からみれば全く元と同じ存在です。
13 :
名無しさん:2000/03/28(火) 07:31
「中華文明への帰依の度合で判断する」のはその通りだが、血統至上主義、は、日本にはありませんよ。
血統至上主義は 、むしろ古代中国と、ヨーロッパにあって、天皇を「万世一系」とする神話は、ヨーロッパとの対抗上明治期に作られたもので、武家社会も農民社会も、養子縁組で日本は継続してました。
清と元は中華文明への帰依の度合いはだいぶ異なります。元は原則的に中華文明を無視しましたが、清は中華文明の優秀な婿養子、とされてます。
ところで中共政府は自分の国家を「多民族国家」と定義しているので、やはり多民族国家でかつ漢民族が被支配階級ではなかった唐を宣伝するのは、戦略的にはわからんでない。いい悪いは別として。
14 :
名無しさん:2000/03/28(火) 07:42
>康シー皇帝の母は漢人八旗の出身。
細川護熙で出ました。
15 :
10:2000/03/28(火) 10:35
私の言ってるのは文明の帰属度。
清後期には満州族語を話せる満州族が少なくなってたと聞いたことある。
16 :
>13:2000/03/28(火) 16:10
違うよん。
血統至上主義というのは、民族レベルでの血統。
即ち、民族的血統主義のことでし。
プライベートにおいては、日本人は自己の所属している組織主義で
むしろ反血縁主義でし。
以上。
17 :
10:2000/03/28(火) 16:35
征服王朝か否かはその政権の中枢をどの民族が占めてるかで決まるじゃないかな。
唐と隋は大臣や武将がほとんど漢民族で、たまたま皇帝が漢族に帰化した
人であるだけだ。清は中間的で、半々かな。
18 :
2だけど:2000/03/28(火) 22:44
>17
>唐と隋は大臣や武将がほとんど漢民族
勉強しなさい。
隋は北周の関隴集団の一族が戦力の基盤だったし、
唐も中期まではその勢力を引き継いでる。
>清は中間的で、半々
たぶん、各部署の責任者などが漢満両人で分けられてることを
さしてるんでしょ?でもそんなのは政策的な目くらましにすぎない。
満族の風俗を漢族に押しつけてるんだから十分に征服王朝と呼べるよ。
太平天国の乱などが何故起こされたかとか考えましょう。
19 :
【^▽^】1でし【^▽^】:2000/03/29(水) 00:01
今世紀初頭、孫文が辛亥革命で清朝打倒を呼びかける際、
その理由の筆頭に「清朝の皇帝たちが満州族出身」であることを挙げている。
これは、孫文はじめ当時の中国の民族運動の指導者たちが、
清を明瞭に征服王朝と認識していたことを意味する。
満州族を“中華民族”の中に包括するようになったのは、
文化的御都合主義者(=覇権主義者)である毛沢東が政権を握ってからです。
それまでは、万里の長城の外の人間を漢族に含める発想はありませんでした。
その証拠に、伝統的中華文明の信奉者であった孫文にいたっては、
日本との取引を有利に展開するために、
日本に対して満州の放棄を臭わせた文書が発見されています。
(発見当時、中共は例によって贋作を主張したが、追認した模様)
思うに、清はあの髪型を漢族に強制したのがまずかったと思うね。
例えば、元も髪型は清と同じく辮髪だったけど、他の民族には使わせなかった。
現在のチベットにあった国(名前は失念。西夏だっけか?)が、
元に対して自民族に辮髪を採用する許可を求めたことがあった。
しかし、元の当代の皇帝(これも失念)はこれを許可しなかった。
それに比べ、清は漢族に辮髪を強要した…
それに隋・唐と清ではスタンス(立場)が違うよ。
隋・唐は騎馬民族を夷狄と呼んで蔑視した。
つまり、自己の立場を漢民族に置いている。
それに比べ清は、自王朝を「夷狄」と呼ぶ漢族の学者を多数処刑している。
要するに、清は自己を異民族だと認めている。
この違いは大きいよ。
その統治に漢族を加えるという程度の妥協では補いきれない。
因みに、王朝を挙げて漢族に帰依した北魏などは、何故か征服王朝とされている。
やはりボクから見ると、隋・唐を漢族扱いするのは、
隋・唐のスティタスから必要性が生じているからとしか思えんのだが…
(もし隋・唐が短命王朝なら、絶対に征服王朝の烙印を押されたと思いまし。
20 :
清朝のもう一つの顔(中華王朝のみにあらず):2000/03/29(水) 02:02
788 件中 768 件目
仏教思想を背景とした国際関係の理念と清朝1
Dalaibaatur
6-18世紀にかけて、東アジア西部のチベット仏教圏諸国では、仏教と仏教の世界観が、漢字文化圏における儒教・中華思想のそれと同様、国際関係を律する理念として機能しました。ひとつの時代ごとに一対の「仏」と「転輪聖王」が出現し、相携えて仏教をもって世界を安寧に導くというものです。具体的には「仏」にはダライラマが、「転輪聖王」にはモンゴル高原の覇者たちや、後には清朝皇帝たちがあてられました。この理念における「転輪聖王」の位置づけは、正しい仏法の広宣に勤める「仏」への奉仕者というもので、中華思想における「天子」とはまったく別物です。
18世紀後半までにチベット仏教圏諸国のほとんどが、軍事・行政など世俗面では清国に征服・吸収されましたが、その後も清朝皇帝は仏法に奉仕する「転輪聖王」のとしての役割を果たし続けました。20世紀初頭、清朝がこの理念を放棄し、漢人に施行していた理念・制度でもって全版図を再編しようと図った時、チベット・モンゴルの離反が開始し、ほどなく清国は滅亡します。
Yahooより転載
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.7a.12.835209&topicid=340m00&msgid=8ahg08$fho$2@m00.yahoo.co.jp
21 :
ダライバートル:2000/03/29(水) 02:03
仏教思想を背景とした国際関係の理念と清朝 2
Dalaibaatur
この理念においては、ダライラマを中心・頂点とする宗教的ヒエラルヒーに、転輪聖王を筆頭とする俗人権力者(清朝皇帝、チベット・グシハン王朝の皇族たち、その他のモンゴル人領主たち等)が、奉仕(法を聴く・寺院や宗教的権威に寄進する・自身や領民のための法要を行って貰うための費用を寄付)するという図式が見られます。18世紀に入り、チベット仏教圏諸国が次々と解体・再編され、その俗人権力者たちが清朝皇帝に臣属するという現象が進行しますが、皇帝をはじめとする俗人権力者たちによる、この宗教的ヒエラルヒーへの奉仕という図式は揺るぎません。グシハン朝チベット=ハン国に対する1723-24年の征服、解体という事件にしても、ダライラマ領に限ってみるならば、奉仕者がグシハン王朝から清朝に交代しただけ、とみること可能です。ケサンギャムツォが1720年にダライラマとしてラサで即位するにあたり清朝が極めて大きな役割を果たし、また八世以降のダライラマの即位や転生者の認定に深く関与したことは事実ですが、これを「チベットが中国の一部となった」とか「チベットが「中国」に臣属」したいう観点からのみ見るのは、まったく一面的といえましょう。
原載
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.7a.12.835209&topicid=340m00&msgid=8ahlcs$qvv$3@m00.yahoo.co.jp
22 :
20の訂正:2000/03/29(水) 02:10
4行目(文頭)
6−18世紀 → 16−18世紀
23 :
ヒロヒト(総SCSI・WindowsNT5.0) :2000/10/20(金) 21:44
ac-net.jp0
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37 :
名無的発言者 :2000/10/21(土) 00:02
隋・唐の両王朝が征服王朝で漢民族のものでないのは、日本で東洋史を勉強したものならだれでも知ってます。
何をいまさら。
38 :
名無的発言者 :2000/10/21(土) 00:02
隋・唐の両王朝が征服王朝で漢民族のものでないのは、日本で東洋史を勉強したものならだれでも知ってます。
何をいまさら。
39 :
名無的発言者 :2000/10/21(土) 02:19
東洋史勉強した事なかったから知らなかったよ。
面白いね。
40 :
清朝のもう一つの顔(中華王朝のみにあらず) :2000/10/21(土) 03:22
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仏教思想を背景とした国際関係の理念と清朝1
Dalaibaatur
16-18世紀にかけて、東アジア西部のチベット仏教圏諸国では、仏教と仏教の世界観が、漢字文化圏における儒教・中華思想のそれと同様、国際関係を律する理念として機能しました。ひとつの時代ごとに一対の「仏」と「転輪聖王」が出現し、相携えて仏教をもって世界を安寧に導くというものです。具体的には「仏」にはダライラマが、「転輪聖王」にはモンゴル高原の覇者たちや、後には清朝皇帝たちがあてられました。この理念における「転輪聖王」の位置づけは、正しい仏法の広宣に勤める「仏」への奉仕者というもので、中華思想における「天子」とはまったく別物です。
18世紀後半までにチベット仏教圏諸国のほとんどが、軍事・行政など世俗面では清国に征服・吸収されましたが、その後も清朝皇帝は仏法に奉仕する「転輪聖王」のとしての役割を果たし続けました。20世紀初頭、清朝がこの理念を放棄し、漢人に施行していた理念・制度でもって全版図を再編しようと図った時、チベット・モンゴルの離反が開始し、ほどなく清国は滅亡
します。
Yahooより転載
41 :
名無的発言者 :2000/10/21(土) 03:23
この理念においては、ダライラマを中心・頂点とする宗教的ヒエラルヒーに、転輪聖王を筆頭とする俗人権力者(清朝皇帝、チベット・グシハン王朝の皇族たち、その他のモンゴル人領主たち等)が、奉仕(法を聴く・寺院や宗教的権威に寄進する・自身や領民のための法要を行って貰うための費用を寄付)するという図式が見られます。18世紀に入り、チベット仏教圏諸国が次々と解体・再編され、その俗人権力者たちが清朝皇帝に臣属するという現象が進行しますが、皇帝をはじめとする俗人権力者たちによる、この宗教的ヒエラルヒーへの奉仕という図式は揺るぎません。グシハン朝チベット=ハン国に対する1723-24年の征服、解体という事件にしても、ダライラマ領に限ってみるならば、奉仕者がグシハン王朝から清朝に交代しただけ、とみること可能です。ケサンギャムツォが1720年にダライラマとしてラサで即位するにあたり清朝が極めて大きな役割を果たし、また八世以降のダライラマの即位や転生者の認定に深く関与したことは事実ですが、これを「チベットが中国の一部となった」とか「チベットが「中国」に臣属」したいう観点からのみ見るのは、まったく一面的といえましょう。
/~⌒~⌒⌒~ヽ、
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( ξ 、 , |ノ |
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ヽ ) ‥ ) \________
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/\ \ニ二\ノ/ ヽ ゝ |
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65 :
名無的発言者 :2000/10/21(土) 05:13
66 :
名無的発言者 :2000/10/21(土) 06:01
>しかし隋や唐の皇帝たちには、自分達が騎馬民族だという意識は希薄だった。
>その証拠に、唐の文書では騎馬民族を“夷狄”と呼んで蔑んでいる
何となくスターリンを思い出した。
67 :
熱烈なるリクエストに答えて :2000/10/22(日) 07:27
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仏教思想を背景とした国際関係の理念と清朝1
Dalaibaatur
16-18世紀にかけて、東アジア西部のチベット仏教圏諸国では、仏教と仏教の世界観が、漢字文化圏における儒教・中華思想のそれと同様、国際関係を律する理念として機能しました。ひとつの時代ごとに一対の「仏」と「転輪聖王」が出現し、相携えて仏教をもって世界を安寧に導くというものです。具体的には「仏」にはダライラマが、「転輪聖王」にはモンゴル高原の覇者たちや、後には清朝皇帝たちがあてられました。この理念における「転輪聖王」の位置づけは、正しい仏法の広宣に勤める「仏」への奉仕者というもので、中華思想における「天子」とはまったく別物です。
18世紀後半までにチベット仏教圏諸国のほとんどが、軍事・行政など世俗面では清国に征服・吸収されましたが、その後も清 朝皇帝は仏法に奉仕する「転輪聖王」のとしての役割を果たし続けました。20世紀初頭、清朝がこの理念を放棄し、漢人に施行していた理念・制度でもって全版図を再編しようと図った時、チベット・モンゴルの離反が開始し、ほどなく清国は滅亡 します。
Yahooより転載
68 :
>64 熱烈なるリクエストに答えて2 :2000/10/22(日) 07:28
この理念においては、ダライラマを中心・頂点とする宗教的ヒエラルヒーに、転輪聖王を筆頭とする俗人権力者(清朝皇帝、チベット・グシハン王朝の皇族たち、その他のモンゴル人領主たち等)が、奉仕(法を聴く・寺院や宗教的権威に寄進する・自身や領民のための法要を行って貰うための費用を寄付)するという図式が見られます。18世紀に入り、チベット仏教圏諸国が次々と解体・再編され、その俗人権力者たちが清朝皇帝に臣属するという現象が進行しますが、皇帝をはじめとする俗人権力者たちによる、この宗教的ヒエラルヒーへの奉仕という図式は揺るぎません。グシハン朝チベット=ハン国に対する1723-24年の征服、解体という事件にしても、ダライラマ領に限ってみるならば、奉仕者がグシハン王朝から清朝に交代しただけ、とみること可能です。ケサンギャムツォが1720年にダライラマとしてラサで即位するにあたり清朝が極めて大きな役割を果たし、また八世以降のダライラマの即位や転生者の認定に深く関与したことは事実ですが、これを「チベットが中国の一部となった」とか「チベットが「中国」に臣属」したいう観点からのみ見るのは、まったく一面的といえましょう。
69 :
名無的発言者:2001/03/28(水) 16:16
そもそもシナにまともな民族王朝なんて建ったことあるのか?
宋と明だけじゃん、どっちもまぬけなドキュン王朝。それ以前は民族ちがうし。
70 :
:2001/03/29(木) 03:43
岡田英弘なんかは五湖十六国時代に漢民族の人口が激減して北方民族と混じり、それ以後は漢民族といってもそれ以前とはそうとう違っていると言ってるね。そういう華北王朝の流れから出てきた統一王朝が隋や唐のわけだね。
ただ中国政府としては以前から中国人(漢民族)はみな黄帝の子孫だと言ってきたし、共産主義イデオロギーに頼れなくなって民族主義に依存している折りだから、漢民族のイメージに傷がつくのは避けたいところだろう。
>>69 宋の後の金朝支配下の華北で、高麗人・女真人・渤海人・契丹人の混血がおこり現在の中国人ができた。
したがって中国の民族王朝は明だけで、宋とは民族がちがっている。
72 :
名無的発言者:2001/03/29(木) 17:52
これを下げたかったのか?
73 :
名無しさん:2001/03/29(木) 20:03
民族って文化的特徴、特に言語によって決まるんだよね。 DNAがどうであれ母語として中国語をしゃべる人間は漢民族、って理解でいいんでは。 もっとも中国語といっても地域差、特に南北の差が大きいだろうし、時代とともに大きく変化してるだろうけど。
以下、根拠のない単なる「感じ」です。
周を建国した人々は、中国語の祖語みたいな言語をしゃべってたんでは? で、この連中は殷の時代は大部分奴隷みたいなものだった? すると、殷の支配者の言語は? ひょっとしたら、黄河文明を築いたのも漢字を発明したのも(言語的に)漢民族の祖先と呼べるような人々ではなかったのでは?
74 :
名無的発言者:2001/03/30(金) 06:10
>>73 だめだよ。
中国の場合、言語を基準にしたら「漢民族」というひとつの民族は存在しないことになってしまう。
上海民族、福建民族、広東民族… という具合にばらばらになってしまう。
75 :
名無的発言者:2001/03/30(金) 06:48
>>1隋・唐は征服王朝である。
隋・唐は征服王朝じゃないのでは。
征服王朝といえば、庶民は隋・唐の支配層(鮮卑族)とちがう漢人なのか? ちがうだろ。
漢人はその前に絶滅して、隋・唐王朝ができるよりずっと前に
五胡が民族移動してはいってきてるわけだから。
つまり隋・唐国家は支配層も庶民も「漢化した鮮卑族」でしょ。
76 :
Miss名無しさん:2001/03/30(金) 10:25
上海民族にはワラタ
77 :
名無的発言者:2001/03/30(金) 11:50
自分が雑種だからといって、人を雑種にするな。
漢民族は相対的に雑種じゃない民族だ。
北の少数民族が入ってきた時、
1遊牧民族が自らのアイデンティティを保つために混血を拒んだ
2漢族の人口が圧倒的多かった
3少数民族政権が倒れたとき、少数民族を追い出すか、民族浄化することが多かった。
例外は北魏の鮮卑族だけど、人口は100万人ちょっとしかなかったでしょ。
その北魏でさえ、皇帝が漢族化をすすめる時に物凄い抵抗にあっていた。
タダでさえ、少数派の遊牧民族は漢民族に囲まれる中で常に自民族の伝統を守ろうとしていた。
もし、本当の漢民族が絶滅していたら遊牧民族の漢族化はあり得なかっただろ。
まったく、雑種倭人は
78 :
名無的発言者:2001/03/30(金) 13:22
>>77 こらこら。
具体的にいつの時代のこと逝ってるのか曖昧なままで抽象的な反論してもだめだよ。
しかもその後、例外を認めちゃあねえ。1回でも混血したら、混血じゃん。
最早方言の域をこえてるぐらいに言語はバラバラだし、歴史的経緯をみても、
身体形質でも地域差が大きいし、漢民族はどっからみても明らかに混血だろ。
北魏の鮮卑人口100万なんてそんな少ないわけないと思うが、百歩譲って100万だとしても
華北の漢人人口200万くらい(せいぜい300万)とみて、十分混血といえるわな。
漢族化への抵抗なんてのは途中経過の話で無意味。しかも北魏の初期には遊牧民と農耕民の
比率がほぼ半々で、この農耕民もたぶん定住化した鮮卑だろ。そしてこの時期を境に
発音も秦漢上古音からアルタイ語で発音しにくい音がぬけて隋唐中古音になった。
さらに詳しくは『魏晋南北朝時代の民族問題』(川本 芳昭 汲古書院,1998年)を参照。
あとついでに岡田英弘の著作も忘れずにね。
>タダでさえ、少数派の遊牧民族は漢民族に囲まれる中で常に自民族の伝統を守ろうとしていた。
うそをつけ。デタラメも極まれり。
79 :
名無的発言者:2001/03/30(金) 13:24
どうでもいいんじゃないか。
隋唐中国人がなんだろうと、そのあとまた混血してるんだから関係ないじゃん。
80 :
>78:2001/03/30(金) 14:38
岡田某を出す時点であほ。やっぽりあのウヨの信者だ。
>しかもその後、例外を認めちゃあねえ。1回でも混血したら、混血じゃん。
>最早方言の域をこえてるぐらいに言語はバラバラだし、歴史的経緯をみても、
>身体形質でも地域差が大きいし、漢民族はどっからみても明らかに混血だろ。
相対的に雑種じゃない一つってんじゃん。倭人の癖に倭人語読めないの?
純粋な純血民族なんてあるわけないだろ。漢民族はまだ雑種の度合いが少ない方。
方言どうのこうと倭人に言われたくないね。基本的には発音が主だろ。
身体形質は確かに南北の差が大きい。
それは南方人がベトナム系などと混血度が高いからだ。
あんたの言ってる北方人は混血度が少ない。
広東の当たりの地方は歴史上辺鄙な地として見られ、漢民族の主流は常に江南地方より北だ。
>北魏の鮮卑人口100万なんてそんな少ないわけないと思うが
、百歩譲って100万だとしても 華北の漢人人口200万くらい
(せいぜい300万)とみて、十分混血といえるわな。
馬鹿だね。華北の漢人人口は数千万は下らない。
大体そう簡単に数千万から数百万に減ると思う?
もしそうだったら、漢族が鮮卑化しただろう。
遊牧民族の鮮卑の人口が100万あっただけですごいことだと思うよ。
>>タダでさえ、少数派の遊牧民族は漢民族に囲まれる中で常に自民族の伝統を守ろうとしていた。
>うそをつけ。デタラメも極まれり。
北魏の漢族化政策がどれだけ貴族の抵抗にあってるのか知らないだな
81 :
名無的発言者:2001/03/30(金) 15:11
>馬鹿だね。華北の漢人人口は数千万は下らない。
だからいつの時代よ。曹魏の人口300万として晋もたいして変わらないだろう、
しかも戦乱で南に逃げるやつもいた、数千万なわけないでしょうが。
>大体そう簡単に数千万から数百万に減ると思う?
漢帝国の全盛期の数千万からすれば激減という事態に至ったことは認めるが、
簡単に減ったとは言えないだろう。俺もそんなこと一言もいってないし。
>もしそうだったら、漢族が鮮卑化しただろう。
そうだよ。だから「隋唐文化=漢人文化+鮮卑文化」だね。
>遊牧民族の鮮卑の人口が100万あっただけですごいことだと思うよ。
そう思うよ。すごいねえ。
>北魏の漢族化政策がどれだけ貴族の抵抗にあってるのか知らないだな
あ、それぐらい良く知ってるよ。
でも途中経過の話はこの際どうでもいい。結果的に両者が融合したってことが重要。
82 :
名無的発言者:2001/03/30(金) 15:12
>方言どうのこうと倭人に言われたくないね。基本的には発音が主だろ。
中国の方言は、発音の違いなんてレベルじゃないですね。
江南はもともとタイ語系の土着語に北方の漢語がかぶさってできたと考えられている。
>身体形質は確かに南北の差が大きい。
それだけでも十分だと思うが?
>あんたの言ってる北方人は混血度が少ない。
そんなことないよ。いったいいつの段階の話?
4世紀の話? 現代の話? その間にも長い歴史があるわけなんだけど。
83 :
名無的発言者:2001/03/30(金) 15:13
>岡田某を出す時点であほ。やっぽりあのウヨの信者だ。
しょうがねえやつだな。「ついでに」っていったのに。川本芳昭は読んだか?
>相対的に雑種じゃない一つってんじゃん。倭人の癖に倭人語読めないの?
>純粋な純血民族なんてあるわけないだろ。漢民族はまだ雑種の度合いが少ない方。
えーっ!?
かなり無理があるように思うのですが。
「相対的に雑種だ」ってならともかく…。
>広東の当たりの地方は歴史上辺鄙な地として見られ、漢民族の主流は常に江南地方より北だ。
少し曖昧な表現だね。近世以降は中国人の主体は長江流域(華中、中支)に移ってるね。
>>>タダでさえ、少数派の遊牧民族は漢民族に囲まれる中で常に自民族の伝統を守ろうとしていた。
>>うそをつけ。デタラメも極まれり。
あ、それは撤回する。レスを読み間違えてた。
http://www.littera.waseda.ac.jp/appendix/China/kawamoto.htm 魏晋南北朝時代には中国内地に多数の非漢民族が流入したが、それらの民族は中国移住後、急速に、
あるいは一定時間の経過後、漢民族の中に同化・吸収されていったとする理解がある(所謂漢化)。しかし、こうした理解は一面的理解であって、諸民族の流入によって漢民族自体が変化したという点にも注目すべきである。従来の研究にもこうした変化を、風俗習慣の変化、たとえば乗馬の風の盛行、女性の力の強さなどの点から指摘するものがあるが、先の報告では一歩進んで、そうした変化の裾野が従来考えられているよりもさらに広大であることを指摘した。
また、先の報告では、こうした北方における変容に比べて勝るとも劣らない規模の変容が長江以南
の地域にあっても、南方非漢民族との交流によって生じてきていたことを指摘した。その際、蛮漢
雑居地や蛮地における入植者の存在形態、中国南部地域における社会風俗にみる非漢族的習俗の問題
を取り上げながらこれを論じ、当該時代の北部中国において生じた「胡化」と同様に、南部中国では
「蛮化」の現象がみられたことを指摘し、さらに、当該時代にはこうした、胡化、蛮化、漢化が同時
に進行しながら秦漢時代とも異なる新たな「中華」世界が形成されていったとした。(以下略)
85 :
名無しさん:2001/03/30(金) 15:25
73だけど。
「漢民族」という言い方がまずければ「シナ・チベット語族シナ語派の人たち」と言い直してもいい。 長すぎるから「シナ語派族」と呼ぼう。 民族じゃないけど、ある歴史的結合力を持った言語集団にはちがいない。
アルタイ系などの民族の流入は、シナ語派族のDNAにも発音体系にも大きな影響を与えただろう。 しかしシナ語派の言語の持つ基本的特徴が変化しただろうか。 単語は基本的に一音節で、声調言語で、語順はSVO。 どれもアルタイ系の言語にはない特徴で、それが失われていない。
庶民の大多数がシナ語派族だというのは、漢あたりから一貫してると思っていいんでは?
ただし73にも書いたけど、黄河文明発生の時からずっとそうだった、というのはあやしいと思うな。
「シナ・チベット語族」という分類はものすごく古くなっちゃって
最近の言語学ではまったく使われてないそうです。
俺も知らずに最近ニフで詳しい奴に教えてもらった。
北京語も広東語も同じ一つのシナ語族というのは無理。シナ語系諸族ならOK。
∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ 中\ < 確かに食人の風習は漢代から続いているシナー、同一民族と考えられるね。
( `ハ´) \____________
( ))) )
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(__)_)
88 :
85:2001/03/30(金) 17:43
英語とヒンディー語は同じ語族でいいけど北京語と広東語は駄目だっていうのも無理がないかな?
まあ、呼び方なんて「語族」だろうと「語派」だろうと「諸語」だろうと、どうでもいい。
85で指摘したことは「呼び方」には関係ないと思うけど。
89 :
名無的発言者:2001/03/30(金) 17:58
>81
北魏の時代の漢族の人口は1千から2千万だ。
鮮卑族は大体100万かそれよりちょっと多い程度。
だから、漢民族の純血度は80〜90%。相対的に純血だと言える。
>中国の方言は、発音の違いなんてレベルじゃないですね。
>江南はもともとタイ語系の土着語に北方の漢語がかぶさってできたと考えられている。
基本的な語彙や文法は同じだろ。
貴方、何処の地方の言葉を具体的に知ってる?
そう言い切ってるからには貴方は言語学の専門家か何か?
じゃあ、言語学的にどう根本的に違うの?この素人にも分かるようにお願いします。
>>広東の当たりの地方は歴史上辺鄙な地として見られ、漢民族の主流は常に江南地方より北だ。
>少し曖昧な表現だね。近世以降は中国人の主体は長江流域(華中、中支)に移ってるね。
華中より北の漢民族の主流の純血度は相対的に高いのである。
広東、広西は50%ぐらいだと思われる。全体的に見ても、相対的に雑種ではないと言える。
言語学に興味は持ってるけど、素人です。
素人に読めるレベルの本で徐朝龍「長江文明の発見」というのがあって、南方起源の言葉と北方起源の言葉が比較されている。 たとえば「河」と「江」、「口」と「嘴」、「歯」と「牙」、「目」と「眼」など。
体の部位を表す言葉は特に基本的らしいから、そのレベルの語彙が違うとすれば、やはり南北の言語的な違いは大きいと見るべきだろう。 同系統の言語ではあるが南方語は異質な要素を多く含んでるって言えば、OKかな?
しかしこのスレッドの趣旨からすれば、話を北方に限るべきでは? 南方語がいかに異質でも、「随・唐は漢民族王朝か?」って話に関係ないと思うけど。
91 :
名無的発言者:2001/04/02(月) 10:30
>>89 >北魏の時代の漢族の人口は1千から2千万だ。
それは北魏の全盛期じゃないの。その漢族がすでに「漢化した鮮卑」だよ。
同化っていうのは一元的に同時におこるわけじゃない。
>鮮卑族は大体100万かそれよりちょっと多い程度。
それはその段階でまだ漢化してない連中だけど、結局そいつらも同化吸収されちゃった。
>>中国の方言は、発音の違いなんてレベルじゃないですね。
>基本的な語彙や文法は同じだろ。
>じゃあ、言語学的にどう根本的に違うの?この素人にも分かるようにお願いします。
いや、ちがいますよ。
南北で共通しいてるのは政治用語とか抽象概念を表す単語が多く
これは中国の共通コミュニケーションツールだった古典漢文(正格漢文)からの借用語。
だから
>>江南はもともとタイ語系の土着語に北方の漢語がかぶさってできたと考えられている。
といったとおり。
>広東、広西は50%ぐらいだと思われる。全体的に見ても、相対的に雑種ではないと言える。
50%なら明らかにハーフじゃん。脳みそ腐ってない?
>華中より北の漢民族の主流の純血度は相対的に高いのである。
>だから、漢民族の純血度は80〜90%。相対的に純血だと言える。
河北方言は、確かに江南方言ほどの極端なバラツキはない。
が、これは通説ではモンゴル帝国の政策によるものと言われている。
河北諸方言の地方偏差が江南諸方言より少ないのは、
言語学的には河北方言が新しい起源をもつことを暗示する。
それだけ急激な混血がおこったということだ。ただしこの場合は近世中国語(宋代)の話で
隋唐だの鮮卑だのとは直接関係はない。
つまり(現在の)漢民族の主流の純血度は相対的に低く、相対的に純血だとは言えない。
>>88 名前の問題ねえ。なるほど。
ベトナム、ビルマ、チベットまでふくむような広い語族のことをいってるのなら
それでいいと思いますよ。
でもそんなゆるゆるの広さの分類の中に北京語と広東語を入れて
「ハイ同じ語族です」といっても、両者の遠近親疎の距離感はつかみにくいんじゃないの?
ちょっと論旨からは的外れな感じがしたので言ったんだけど、
呼び方の問題に矮小化するつもりはなかった。
-------------------------------
ところで、
身体特徴(人種)の話と、言語系統を主とする文化(習俗)の話と、
支配層の政治的継承関係や庶民の政治的帰属意識の問題は、
それぞれ分けて議論すべきだろう。
もちろん中国の南部と北部はきっちりわけた上で、
またいつの時代のことなのかもきっちりわけた上で。
∧∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ 中\ < 抵抗力あってしぶといのは混血の雑種だからだシナー?
( `ハ´) \____________
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95 :
名無的発言者:2001/04/03(火) 02:47
>それは北魏の全盛期じゃないの。その漢族がすでに「漢化した鮮卑」だよ。
同化っていうのは一元的に同時におこるわけじゃない。
「漢化した鮮卑」ってそのうち鮮卑の血がどのぐらい?
鮮卑が中原に入る前の人口が多くても40万ぐらいだろ、
それが短い間に1000万以上に増えたりするわけないだろ。
4,5百年がないと無理だ。
何れにしても、北魏の最盛期の人口が1000万人以上あるということは
そのうちの大部分が漢族であることを証明してる。
>>広東、広西は50%ぐらいだと思われる。全体的に見ても、相対的に雑種ではないと言える。
>50%なら明らかにハーフじゃん。脳みそ腐ってない?
まあ、俺の書き方が悪かったけど。広東人は確かにハーフである。
しかし、中国全体の漢民族で見た場合、漢民族全体は相対的に雑種ではないと言える。
広東当たりは辺鄙の地で主流ではないと言った筈だ。
五胡十六国時代以後の漢族ってのが北方蛮族と混血して血の上では既にそれ以前の漢族とはかなり違ったものになって閉まったわけでしょう。
97 :
李密:2001/04/03(火) 04:24
隋唐が異民族王朝かどうか、ということを話す場合、
隋の楊氏と唐の李氏の血流を考慮に入れつつ、
その王朝の指向を考えれば良いのではないでしょうか?
元王朝は人口的には漢人や南人が主要民族でしたけど
異民族王朝ということには変わりませんし、
被支配者層の割合は気にせずとも良いのでは?
98 :
李密:2001/04/03(火) 04:29
……って、ここまで盛り上がってる話題に茶々を入れるのも
野暮な話ですな。失礼いたしました。
99 :
:2001/04/03(火) 10:37
でもそう。征服王朝とか異民族王朝ってのは多数の原住民を少数の侵入者が支配してる場合だから97が正しい。
100 :
名無的発言者:2001/04/03(火) 11:48
ところで純潔とか雑種とか、語感以上の意味or価値あるの?
マジメに議論しているところに悪いけどさ。
>岡田某を出す時点であほ。やっぽりあのウヨの信者だ。
無茶苦茶言う人だな。誰が言ったかだけで正誤を決めちゃうのか。
この手の発言はなぜかほとんど「ウヨ」非難と組み合わされてるな。
102 :
名無的発言者:2001/04/05(木) 15:00
>鮮卑が中原に入る前の人口が多くても40万ぐらいだろ、
いや、100万くらいだよ。どうも遊牧民がそんなにいるわけないって、かたくなな先入観をお持ちのようだね。
>それが短い間に1000万以上に増えたりするわけないだろ。4,5百年がないと無理だ。
んなことはない。漢人300万プラス鮮卑100万で400万。鮮卑の人口爆発は2世紀には始まってる。
その400万の混血が結果的に1000万までいくのは無理じゃない。
>何れにしても、北魏の最盛期の人口が1000万人以上あるということは
>そのうちの大部分が漢族であることを証明してる。
その1000万がすでに混血です。
しかしなんだ、
漢民族ってのは、異民族を同化しながら拡大してきたって、中国人自身が言ってるよなあ。
中国ってのは、大昔からいろんな民族が入り乱れて興亡を繰り返してきた国。
混血してて当たり前だと思うが、「比較的、雑種とはいえない」ってどういう神経?
隋の楊氏は普六茹氏、唐の李氏は拓跋氏。
どっちも漢人としての姓と鮮卑としての姓を両方もってる。
どっちも北方六鎮の出身の軍閥だね。
あのへんは早くから漢人と鮮卑が混住してて、すでに両者は相互に融合してた。
ふつうは
「隋の楊氏(普六茹氏)は鮮卑化した漢人、
唐の李氏(拓跋氏)は漢化した鮮卑」
といわれるが、そんな区別はまったく無意味な状態だった。
ただ、五胡十六国の乱以降、大規模な混血がおこって最終的に隋唐帝国になるわけだが、
なにもそれが現在の中国人(漢民族)に直結しているわけではぜんぜんない。
その後から現在に至るまでの歴史が、これまた長くて、激動もあったわけだから。
106 :
名無的発言者:2001/04/05(木) 15:46
どうでもいいじゃん。
チャンコロはチャンコロ。
どこからどうみても下等民族。
107 :
名無的発言者:2001/04/05(木) 18:12
>>106 だから、秦漢時代の中国人や、隋唐時代の中国人は、
今の中国人とちがうってことじゃないの?
俺もよくわからんが。
108 :
非公開@個人情報保護のため:2001/04/05(木) 23:41
三国時代に古代中国人はほとんど絶滅した。
唐末から元初にかけて中世中国人はほとんど絶滅した。
110 :
名無的発言者:2001/04/06(金) 00:31
現代中国人はいつ絶滅するのでしょうか?
111 :
名無的発言者:2001/04/06(金) 03:42
日本人が南京で大虐殺をしなかったのは、
後世の歴史家から「人類史上最大の愚行」として批難の的になるであろう。
どうすんだよ、10億人も。全地球的な大問題だぞ。
112 :
112:2001/04/06(金) 14:35
蒙古民族は既に中原を侵食す!!
日テレ水滸伝の高廉は元匈奴!!
蒼き狼は突厥の聖獣!!
マンホールチルドレンを作るな!!
だから北方系の奴にろくなのがいない!!
113 :
112:2001/04/06(金) 14:51
北韓経由で高句麗、百済、渤海、高麗、李朝、統一教会が成立!
南韓は新羅を建てた。古代朝鮮人は太白山にやってきた。
しかしこの太白山は北の白頭山に非ず!!
慶尚道の山の名だ!!
114 :
112:2001/04/06(金) 14:58
韓正〇?あの眼鏡女か。
日本語喋れんスッチーやホテルマンばかり揃ってない?
スリ連中に悩まされて困ってたんだ!!
台湾人見習えよ!!
115 :
名無的発言者:2001/04/06(金) 16:38
>95 102
補足です。
五胡十六国の時代、
西晋末からの八王の乱や永嘉の乱などの戦乱で元の漢族は激減し
(後漢中期の10分の1程度ー約200万以下?)、ここに
匈奴・羯族・ていが侵入して、前趙、後趙、前秦などを建国しているので、
この時点で華北ではすでに大幅な混血が行なわれたと推測されます。
これに加えて、さらに北魏の時代に約100万の鮮卑族が侵入して
混血が行なわれたとすれば、
華北の元の漢民族の血は半分以下しか残っていないと言う計算になります。
116 :
名無的発言者:2001/04/06(金) 19:13
>>108 >三国時代に古代中国人はほとんど絶滅した。
>>109 >唐末から元初にかけて中世中国人はほとんど絶滅した。
とりあえず大昔のことはわかったから、
今逝きてる虫獄人はいつ頃どっから、わいて出たの?
117 :
名無的発言者:2001/04/06(金) 23:59
>いや、100万くらいだよ。どうも遊牧民がそんなにいるわけないって、かたくなな先入観をお持ちのようだね。
陰山山脈の裏でひそひそ暮らしていた鮮卑が100万もいる訳ないだろ。
しかも、鮮卑はモンゴル高原の遊牧民族の中でも弱小部族だった。
40万あればいい方だ。
>「隋の楊氏(普六茹氏)は鮮卑化した漢人、
唐の李氏(拓跋氏)は漢化した鮮卑」
李氏の家系も確か漢の高官の末裔だったはずだが。
118 :
名無的発言者:2001/04/07(土) 01:00
>陰山山脈の裏でひそひそ暮らしていた鮮卑が100万もいる訳ないだろ。
>しかも、鮮卑はモンゴル高原の遊牧民族の中でも弱小部族だった。
初めはね。歴史ってのは時間とともに情況が変化することだろ。少し考えたら?
>李氏の家系も確か漢の高官の末裔だったはずだが。
ぷ。何も知らないんだね〜
119 :
日本@名無史さん:2001/04/07(土) 01:10
唐の李氏の本姓は大野氏です。
鮮卑族であることは否定できません。
120 :
日本@名無史さん:2001/04/07(土) 02:30
要するに「漢民族」自体が幻想に過ぎない
121 :
↑:2001/04/07(土) 05:45
「日本単一民族」と同様のことだね。
「純粋なるゲルマン民族」も上に同じ。
122 :
名無的発言者:2001/04/07(土) 11:24
>>119 唐の李氏の本姓は大野氏じゃなくて拓跋氏です。
(唐の李氏を大野氏とする説自体存在しないので何かの思い違いでしょうけど)
まあ鮮卑族であることにかわりないが。
>>120,
>>121 そうじゃない。どの民族が幻想だって話じゃなくて「民族」って概念が政治的な仮構ってことだろ。
>>116 今の中国人がどうやってできたかというと、
唐の時代に今の河北省で挙兵して反乱を起こした安禄山が中央アジア出身のソグト人(白人系)だったように、
唐は国際色豊かな多民族帝国でした。唐末に王朝政府の力が弱まると、
北方の押さえもきかなくなり、徐々に各種の異民族が入ってきました。
唐が滅亡したあと五つの王朝が興亡しましたがそのうつ三つはトルコ系人種の王朝であり
また、そのうちに河北の一部(燕雲十六州)がモンゴル系の契丹族が建てた遼帝国のものになるなど、
民族の混合がすすみつつありましたが、
さらにツングース系の女真族が建てた金帝国が1126年に中国の北半分を征服。
ここで諸民族の大混合がおこりました。
【「漢人」「カタイ」】
その結果、どうなったかというと、元の時代(13世紀)の人口調査によると、
漢人(中国の北半分の住人。南半分は「南人」という)は「漢八種」とされ、
それらは高麗(朝鮮系)、契丹(モンゴル系)、女真(ツングース系)、トルコ系など
様々な民族がふくまれていましたが、
唐以来の漢人(鮮卑が漢化したもの)が存在せず、これらの8種にばらばらに同化され
消滅してしまったものと思われます。したがってこの時代の「漢人」というのは
「漢化した諸民族」と意味なのです。この「漢人」(華北)を当時の
モンゴルや世界では「カタイ(契丹)」とよびましたが、
これは「漢八種」のひとつである契丹に代表させて呼んでいるわけです。
【「南人」「マンジ」】
南北朝時代の南朝は北中国からの亡命政権で、
支配者は秦漢以来の古代中国人の生き残りでしたが、今の南京と武漢の
2都市にすんでいたくらいで、当時の江南はまだ南蛮諸族
(タイ系、ベトナム系、チベット系など)の異民族の地でした。
中世中国人の主体となった鮮卑は、もともと北方の遊牧民だったせいか
気候のなれない江南地方には案外入っていかなかった模様です。
唐の時代を通じてこれらの異民族が次第に漢化した様子は
前掲書『魏晋南北朝時代の民族問題』に詳しい。
したがって宋の頃の南中国人は血統的には南蛮の子孫と思われ、
モンゴル時代に「マンジ(蛮子)」とよばれたわけも同じです。
(「〜子」というのは餃子や帽子の「子」と同じく意味はない)
>>116 >>三国時代に古代中国人はほとんど絶滅した。
>>唐末から元初にかけて中世中国人はほとんど絶滅した。
>とりあえず大昔のことはわかったから、
>今逝きてる虫獄人はいつ頃どっから、わいて出たの?
黄河流域(華北、北支)は背がたかく面長な顔が多く
長江流域(華中、中支)と珠江流域(華南、南支)は背が低く丸顔が多い。
他にも言語や習俗や性格に大きな違いがみられ、
もともと系統のちがう人々だったと考えられています。
以上のべたとおり、この現在の中国人はモンゴル時代にできたもので、当時は
黄河流域(華北、北支)は「漢人」「カタイ(契丹)」とよばれ、
長江流域(華中、中支)と珠江流域(華南、南支)は
「南人」「マンジ(蛮子)」とよばれていました。
127 :
名無的発言者:2001/04/09(月) 02:34
>>124 つまり、東欧やロシアが虫獄を「カタイ」と呼ぶのは、
「中国」や「支那」よりも、ある意味正しい名称ってことだな。
128 :
名無的発言者:2001/04/10(火) 05:07
漢民族ってのは、異民族を同化しながら拡大してきたって、中国人自身が言ってるよなあ。
中国ってのは、大昔からいろんな民族が入り乱れて興亡を繰り返してきた国。
考えてみりゃ古代から文明の中心だったんだから
あちこちからいろんな連中が入ってきてんのは当たり前。
混血をくりかえしてできた雑種ってこった。
129 :
名無的発言者:2001/04/14(土) 17:56
清代、シナ全土が満州の植民地になった。シナ人は「清は中華帝国の最も輝ける時代」とほざいているが、全くの妄想だ。
130 :
名無的発言者:2001/05/08(火) 14:04
中華の文化に多少なりとも触れれば、それで、中華。日本人でも、本気で、中国を統治する気があったら、
その時点で、中華。民族の違いを飲み込むのが、中華のすごさ。日本人は、今まで多民族を飲み込んだことがないから、
こういう議論に、花が咲くのかな??
131 :
名無的発言者:2001/05/08(火) 21:33
>>130 バカじゃないの。
チャンコロはその調子で「だからモンゴルもベトナムも朝鮮も中国の領土だ」っていってるのに。
おまえみたいのが中華思想にのみこまれて事大主義から小中華へ、最後はあのうすきたない種族に
同化されて貧乏な癖にホラばかりふくハメになっちゃうのさ。
こっちからは哀れにしか見えないのにプライドばかりでかい連中に「中華のすごさ」だって。
笑わせるぜ。
>中華の文化に多少なりとも触れれば、それで、中華。
ずいぶん粗雑な議論だね。ベトナムも朝鮮も日本も中華なんだね。あほちゃうか!
133 :
名無しさんの主張:2001/05/09(水) 01:18
日本人は他民族の文化をガバガバ飲み込むけど
中華ってどうなの?
文化の違いは飲み込むの?
民族を飲み込んでも文化を飲み込まないならそれは
違った意味ですごいんだけど。
134 :
7C:2001/05/09(水) 03:15
抵抗は無意味だ。
135 :
名無的発言者:2001/05/09(水) 03:29
少なくとも、馬、胡、鉄、金、全、白 は、胡姓だろ?
んげー混血しているはずだ。
136 :
名無的発言者:2001/05/09(水) 05:25
劉(匈奴系)も李(鮮卑系)も今じゃ胡姓だよ。
大昔の劉氏や李氏の子孫なんていないよ。
>>134 警報!ボーグ発見!って..確かに中獄はボーグに近いかもしれない。
漢民族が同化力強いなんて幻想だよ。漢字がなけりゃバラバラの多民族集団。
139 :
名無的発言者:2001/05/09(水) 23:54
遊牧民の支配者を同化したのと、
遊牧民の支配者に同化されたのと、
どこに違いがあったんだろう?
140 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 03:59
>>122 >唐の李氏の本姓は大野氏じゃなくて拓跋氏です。 まあ鮮卑族であることにかわりないが。
大野氏も拓跋氏もどちらも正解。大野氏は拓跋氏の分流。
拓跋氏というのは北魏の皇室の本姓(旧姓)で、拓跋部族出身はみな拓跋氏。
数があんまり多いから、拓跋氏の中でまたいろいろな姓に分かれた。
141 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 04:01
世界史思い出すな。青木の。
142 :
!:2001/06/17(日) 04:04
アルプスいちまんじゃくで覚えたよねぇ。
143 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 15:53
そもそも、始皇帝の秦だって、周から周末期にようやく諸侯に認められた中華外の民族。
楚も、呉も、越も、異民族だった。
それで、戦国・楚漢戦争で混ざりに混ざったと。
よって、中国人は日本人のような純潔民族ではない。
まぁ、混血でない民族なんて珍しいのか。。。
144 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 15:57
日本人は南方古モンゴル系民族種と北方新モンゴル系民族種の
混血ですよ?日本人なのにそれも知らないのですか?低学歴ですか?
145 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 16:00
大和朝廷以前なんて興味なし
147 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 16:02
>>145 日本人の頭ではそこまでさかのぼるので精一杯なのでしょう。
知的好奇心も希薄なようですしね。かわいそうです。
148 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 16:17
14歳なんです。勘弁して下さい(藁
149 :
新日本古代史日本国家の起源 :2001/06/17(日) 16:23
BC5世紀ごろになると朝鮮半島から北方系民族、
江南地方から南方系民族が列島に移住ちてきて、縄文人と混血を繰り返ちながら
列島全土に広がっていったでちゅ。
なお、日本語と朝鮮語の語彙の違いなどからこの北方系民族は現在の朝鮮民族の
主要な祖先とはあまり共通ちないものとおもわれるでちゅ。
また、近年の遺伝子調査により、より江南系の影響が強いものとおもわれるでちゅ。
中国の歴史書に「倭人は呉の太伯の子孫と自称ちゅる」との記述があり、
文化面で倭と江南地方との共通性を指摘ちゅる史書が多く、目に付くが
周王朝下での春秋、戦国時代の避難民が弥生時代人の主力民族であった
可能性は高いでちゅ。ちょちて、稲作、鉄器文明をたずちゃえた彼らは各地で小部族国家を建てたでちゅ。
後漢書によるとBC1には100余の国にわかれていたと言うでちゅ。
これらの小国家は徐々に征服や連合により統合ちていったでちゅ。
AD57年には奴国の王が漢に使節を派遣ち「漢委奴国王」の印綬を受けているでちゅ。
また、2世紀初頭には帥升という王が倭の面土王とちて中国に朝貢ちているでちゅ。
150 :
新日本古代史日本国家の起源2:2001/06/17(日) 16:24
AD3Cは有名な邪馬台国の時代であり、日本国家の起源を
語るときに避けてはとおれないでちゅ。
魏志によるともともと邪馬台国には男王がいたが国が治まらなかったので
卑弥呼を女王に立てたというでちゅ。
卑弥呼の即位は2世紀末と推定ちゃれるでちゅ。
邪馬台国は伊都国、奴国ら30余国を従えていたというでちゅ。
この邪馬台国の所在地をを九州と見るか畿内と見るかによって
国家の起源がかなり変わってくるが、近年の考古学的成果
(初期前方後円墳の築造期が3C初頭にまでちゃかのぼること、
纏向遺跡の発掘)や魏志では邪馬台国は7万余戸の人口をもちゅ事
ちゃらにはちょもちょも邪馬台国は「ヤマト国」と発音ちゅること
などから畿内説のほうが有力とおもわれるでちゅ。
151 :
新日本古代史日本国家の起源3:2001/06/17(日) 16:24
弥生時代に入り、建国ちゃれた各地の部族小国家は戦乱を経て
AD3世紀ごろにはヤマト国を中心に緩やかに統合ちゃれていったといえるだろうでちゅ。
3世紀以降、統一の企画性を持って全国で築造ちゃれた巨大前方後円墳は
ヤマト国連合=倭国の統合の証といえるでちゅ。
また、魏志に出てくる「大率」などの役職は後の大和王権の
職制の前進となったものであろうでちゅ。
152 :
新日本古代史日本国家の起源4:2001/06/17(日) 16:24
畿内発祥の前方後円墳体制に注目すると、最古級の纏向石塚古墳は年輪年代によると200年頃で、
この頃には頭角を現していたと言えるでしょう。
近年、卑弥呼の墓説が有力視される箸墓古墳は、吉備発祥の特殊器台(埴輪の原型)を並べ、
畿内と吉備との連合を示唆し、250年頃にはかなり強大な王権になったと見られます。
この当時は、東海発祥の前方後方墳体制(狗奴国か)が、関東や東北南部にも広がっていたのが、
その後に一気に前方後円墳に代わっており、徹底的な抗争にまで至らず、畿内王権が
東日本にも勢力圏を広げたことが窺えます。
古墳時代中期〜後期(5〜6世紀)には、朝鮮半島南部にも、埴輪を並べた前方後円墳が
幾つも発見されており、倭国の勢力圏の拡大振りが、文献のみならず考古資料でも分かります。
大雑把に言って、こんな感じではないでしょうか?
153 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 16:27
へー
アンチ巨人が巨人のことすげー詳しいのと同じかな。
154 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 17:17
非常に詳しい説明ですね。勉強になりました。
155 :
名無的発言者:2001/06/17(日) 20:06
日本人が混血なのは常識だが、それはそれ。このスレのテーマじゃないだろ。
関係ない話すんなよ。
中国板でテーマに沿った話してる奴がいるかよ。(藁
157 :
差別的発言者:2001/06/17(日) 23:36
日本人
江南ー>夷州ー>琉球ー>九州ーーーー:南方系(ほりが深い)
ロシアー>シベリアー>北海道ー>秋田:欧州系(らしいね)
モンゴルー>朝鮮ー>:モンゴル系(のっぺらぼーにちかい)
あとは、南洋系なんかも
言葉的には、ポリネシアとかの単語に近い言葉もあるようだ。
158 :
名無的発言者:2001/06/18(月) 04:59
諸説あるねえ。
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名無的発言者:2001/07/14(土) 14:22
ひさしぶりに来てみれば・・・荒れなんだなあ・・・
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