三國志スレッドです。

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1阿斗
三國志について語り合いましょう。
2名無しさん:2000/01/25(火) 12:30
吉川三国志?それとも正史の方?
3ベる:2000/01/25(火) 22:45
中国史は詳しく知らないんですけど、正史三国志は史書としての
評価は高いんですか?個人的には政治家、軍人、官僚、皇族の列伝
だけで「表」とかが無くて中途半端だと思うんですが。

劉徽のような人物について全然書かれていないのも不満です。
4大賢良師:2000/01/26(水) 01:29
正史と演義に分けてもよいがの。
5西戎:2000/01/26(水) 08:50
阿斗さん、このスレッドはどっちにするつもりですか?
6皆さんへ:2000/01/27(木) 15:44
 ゲームの三国志シリーズはここの板でしてもいいですか?
 それともゲーム板の方がいいと思われますか?
7皆さんへ2:2000/01/27(木) 15:49
>4さん
>正史と演義に分けてもよいがの。
 それどころか吉川三国志だけでスレッド一つとか。

 小説は多いから、それぞれの感想・おすすめなどあったら教えていただきたいです。
 個人的には吉川版が、日本人の琴線に触れている感じがして好きです。
 
8名無しさん:2000/01/27(木) 16:40
横山光輝の漫画って吉川の小説に沿って書かれてるんでしょ?
9大賢良師:2000/01/28(金) 00:12
>7
ぬぬぬ・・・。
そのような贅沢な使い方など、思い付きもしなかったぞえ。
さてはお主、権門の子弟じゃな!!
余は貧乏性がぬけぬ・・・。
10>6:2000/01/28(金) 02:53
ここの状況を見る限り別にスレッド立てればゲームも漫画も人形劇も
ありだと思います
でも俺的に人形劇は許せん
11名無しさん:2000/01/28(金) 06:44
吉川版って、ここに適しているのか?
日本の小説だろ?
126=7:2000/01/28(金) 23:57
>大賢良師さま
>そのような贅沢な使い方など、思い付きもしなかったぞえ。
 いや、まだスレッドも少ないし・・・。

 ちなみに大賢良師さまはどこら辺から三国志に入りましたか?

 自分の場合は、演義→ゲーム→吉川&マンガ@横光、です。
(正史はさすがに読んでません。)

 北方謙三など、読まれた皆さんの感想はいかがですか?
13東方不敗:2000/01/29(土) 00:29
北方謙三が出た頃のは自分の中のブームが一段落してからでした。

ちなみに俺の入り口は水曜ロードショーだかなんだかで放映された
アニメでした。子供心に衝撃だった、孔明のアイシャドウは(笑)。
14東方不敗:2000/01/29(土) 00:29
北方謙三のが出たのは自分の中のブームが一段落してからでした。

ちなみに俺の入り口は水曜ロードショーだかなんだかで放映された
アニメでした。子供心に衝撃だった、孔明のアイシャドウは(笑)。
15東方不敗:2000/01/29(土) 00:30
やっちゃった・・。失礼。
16大賢良師:2000/01/29(土) 02:24
>6=7殿
そう、あれは雨の降っている日じゃった・・・。
試験の結果が悪く、落ち込んでいるときに友の家に行ったのじゃ。
そう、友の家の本棚に燦然と輝く横山光輝三国志が!
貪る様に読了した後はお定まりのコース・・・。
ゲーム、小説、多少難しい本(学術的とまで行かぬが)など・・・。
・・・
・・・
・・・漫画から三国志入り・・・格好悪いの・・・。
17大賢良師:2000/01/29(土) 02:28
行かぬが→いかぬが
ああ、余はもうダメじゃ・・・。
18名無しさん:2000/01/29(土) 02:34
「中国の文化と歴史のお勉強」と掲示板に書かれているので、
@歴史三国志スレッド……「正史」だけでなく、小説でも部分的に自分が事実だと
            思うなら、そこからの引用も可。歴史としての三国志を
            みんなで想像し、勉強するスレッド
A文学三国志スレッド……演義と他の小説・漫画を分けると、日本の小説・漫画が
            「中国の文化と歴史のお勉強」というのに該当しなくな
            るので一緒にしてしまおうというスレッド

こういうようなスレッドがいいと思いますが、いかがでしょう?
19>16:2000/01/29(土) 02:35
つーか、あんた当事者でしょ
20名無しさん:2000/01/30(日) 00:19
何か議題はないのか?
21>20:2000/01/30(日) 16:52
とりあえず、何人かがどの辺から三国志に入ったか語っているのでそれを議題ということにしたら?
22ら・缶チュー:2000/01/30(日) 17:44
23大賢良師:2000/02/01(火) 02:12
>22
妖術がどうとか・・・。
これが本場もんなんじゃのう・・・。
一年間程度の第U外国語では、挨拶もできぬわ!
でも雰囲気は楽しいのう。
24名無しさん:2000/02/01(火) 23:08
阿斗!!早くこのスレッドの趣旨を明確にしてくれ!!
みんな盛り上げろー!!!!!
25伊(−人偏)黙:2000/02/02(水) 02:38
>1
私の教育が悪かったのか・・・
26大賢良師:2000/02/02(水) 03:40
最近面白かった三国志ものを挙げてみるとかのう・・・。
>22・25
御名前、ご苦労じゃのう。
余は簡単じゃぞ!
27阿斗早く出て来い!:2000/02/02(水) 23:41
28:2000/02/03(木) 23:21
誰かここに行って質問に答えてやってくれ
29名無しさん:2000/02/07(月) 03:26
盛り上がんねーな。度重なる引越しが原因か?
馬超さんとかもう現れないのかな?
30町費:2000/02/07(月) 05:30
ネタをふるぞ。かなり長いけど、二日徹夜して頑張った。
以前のスレッドで考えていたんだが、話題が魏延から離れたので、中断していた。
例の「魏延の悲劇」についてなんだが、少々思うところがある。
これは、「出る杭は打たれる」という言葉と、蜀という国の性質の二つが絡んでいる。必ずしも相性の問題ではないと思うんだな。

多分、蜀には二つの立場の利害があったはず。
A:劉備・孔明の立場で、「健全な」三国鼎立状態、そして将来的には漢朝復興を目指すという、全中国を視野に入れた長期的展望によるもの。
 穏健=漸次拡張派(劉備・孔明、上級官僚の一部、軍の一部)。
 急進=対魏決戦派(軍のごく一部)。
B:益州の政治的安定を望む地元豪族の立場。
 積極=国力増強派(上級官僚の一部、軍の一部)。
 消極=現状維持派(上級官僚の一部、下級官僚の大多数)。
そして、Aライン穏健派とBライン積極派が合体したのが中枢部。

劉備・孔明ラインにとって、三国鼎立は、あくまで将来の全土統一に向けての第一段階にすぎない。
対外的には、このような遠大な目標をよく理解して行動できなければならない。外への積極姿勢が重要で、保守・消極では自滅に繋がると考える。安定志向のBライン消極派対策が必要。
同時に、小国であるために、大規模な軍事行動が失敗すると、一挙にすべてを失う危険性がある。軍部が発言権を増しては危険なのである。軍部急進派対策が必要。
(続く)
31町費:2000/02/07(月) 05:36
しまった!
「張飛」にするつもりが・・・。
ま、いいか。

(続き)
要するに、蜀政府にとって、外交的には積極性、軍事的には慎重さが必要。
劉備・孔明の存命中は軍部急進派に睨みが効くが、死後が問題だ。

歴史上よくあることだが、飛び抜けた力のある自信満々の積極的人物というのは、軍人に限らず、また状況がどうあれ、政府にとっては危険人物なのである。魏延の場合、人材豊富な魏にいれば、特に危険視はされなかっただろう。
魏延は、孔明派、特に楊儀との確執(三成vs正則・清正etcに似ている)を実力行使に訴えようとして(またはそう仕向けられて)敗れたのであって、反乱を起こしたわけではないという見方が強いが、オレもそう思う。本人もそんな意識はなかっただろう。
孔明死後は、自分が全軍を指揮して魏と戦うつもりでいた。他に誰がいる?
で、その後の展開を想像してみたい。
後に姜維が、小孔明的かつ小魏延的な軍事行動を連発して国力を消耗させたが、魏延が権力闘争に勝っていたら、もっと早く蜀は滅亡していた可能性が高い。例えば・・・
(続く)
32町費:2000/02/07(月) 05:52
(続き)
五丈原での孔明陣没の直後、
(1)楊儀ら従軍中の孔明派粛正が簡単に終わらない場合は、ヘタをすると内戦。国内は疲弊。ドサクサに魏・呉が侵入か。呉の傀儡政権? 両者の分割統治? 蜀滅亡?

(2)通常は総大将が死ねば撤退する。特に孔明のような人物の死は軍の動揺が激しい。楊儀らの粛正が簡単に終わった場合でも、動揺は増幅する。そのまま対仲達戦を続行すれば、負ける可能性大。
仲達は勝つ必要はなく、大敗しなければいいのだが、本来は戦争の天才だ。蜀軍の動揺を利用した離反作戦や、蜀本国や呉と連絡をとって魏延を手玉に取る様子も目に浮かぶ。たぶん魏延大敗。
ただ、仲達は一気に蜀攻略まではやらんだろう。そんな大手柄を立てたら自分の身が危ない。本来の任務は防衛だ。病と称して総司令官を辞任。別人が蜀を攻略。蒋エン・費イが健在なので簡単ではないが、主力軍を失っている蜀は圧倒的に不利。呉の動向も剣呑。
(続きを書き直すので、また後刻。疲れた。)
33>町費:2000/02/07(月) 22:33
続きはまだか。
34東方不敗:2000/02/07(月) 23:50
あっしも読みたいでやんす。
35町費:2000/02/08(火) 02:56
(続き)
(3)しかし、魏延も馬鹿じゃないから撤退する可能性は高い。本国の孔明派はまだ健在で、内戦発生なら(1)。武力を背景に孔明派を粛正できれば、魏延の軍事独裁政権が誕生。持論の長安奇襲作戦を実行する。孔明存命中ならまだしも、死後なら、多分長安で孤立。占領軍壊滅後、または壊滅前に、魏軍が蜀になだれ込む。蜀では人材が粛正されているから対抗できず。
さらに、魏延政権に見切りをつけた呉が、隙を狙って兵を送るか。

(4)しかもだ、長安奇襲を実行しようがしまいが、魏延の北伐中に、Bライン地元豪族たちが蜂起するかも。そして魏延との対抗上、呉軍を招き入れる。
いや、それだと孤立した魏延が魏に降る可能性がある。蜂起側にしてみれば、魏延が主力軍を手中にしている北伐中は避けた方がいいか。
どっちにせよ、オレが孫権・陸遜なら、密かに根回ししてBラインにクーデターを促す。情勢から観て、成功の可能性は高いと思う。呉軍が入り、大した戦闘もなく呉の傀儡政権誕生。領土割譲。Bライン豪族は安泰。内戦に発展しても、地元豪族+呉の連合軍が優勢。長引くと魏が介入して大混乱。

孔明は(中枢部たちも)こんな可能性まで考えていたと思うんだな。だから、自分の死後すぐに魏延を粛正する計画を綿密に立てていたかもしれない。

結論:
孔明死後の権力闘争に勝っても負けても、魏延の悲劇はあった。相性の良し悪しにかかわらず、突出した猛将魏延を抑えることのできる劉備・孔明がいなくなったことと、AB両ラインの均衡の上で成り立っていた小国蜀の国情、この二つが魏延の悲劇なのである。

かなり強引だが、このくらいの方が突っ込みやすいでしょ? どうよ。
36>町費さん:2000/02/08(火) 03:47
魏延の粛正したかった孔明派って、費緯、蒋エン、董允なんかは入っているんでしょうか?
37町費:2000/02/08(火) 23:54
>36
楊儀とは犬猿の仲だったらしいが、費、蒋、董についてはわからない。
楊儀は、朝鮮出兵時の石田三成のような役割を果たしていたらしいので、ことあるごとに魏延と衝突したのだろう。
ただ、費、蒋、董らも魏延を危険人物と視ていたと思う(反逆者として危険視したのではなく)。根拠は上に述べたとおり。
魏延が権力を握ろうとすれば、彼らは対抗するか、不気味な沈黙モードに入る。多分前者。
38>町費さん(このままいくのか?HN):2000/02/09(水) 06:28
魏延が権力闘争に勝った場合について、少し言わせてもらう。

魏延の軍事独裁政権つーのは考えにくいんじゃないだろうか?
孔明派粛正に成功したとしても、費緯、蒋エン等が顕在なら独裁を簡単には許さないだろう。
あと、魏延自身がそこまでの権力を欲しがるかどうかも疑問。
彼は将軍。自らの戦での経験からくる戦術眼には自信も持ってようが、政治面は畑違い。
政治面で、孔明らに反発したこともなければ、意見を述べたことも皆無。
国家的戦略として北伐しないことが決まれば、案外それに従うんじゃないだろうか?
孔明の夢を引き継いだつもりのキョウ維に比べれば、国家戦略に口出すことも少ないと思う。
政治面に口出すことがない、あるいは口出しても決定されたことに従順であれば、
そんなには危険視されないと思う。
つーことで、権力闘争に勝った場合は、必ずしも悲劇があったとはいえないんじゃないだろうか?

あと、蜀の地元豪族ってそんなに国事に関わってたんだろうか?
蜀の中枢のほとんどは荊州出身組で構成されてると思ってたんだけど…。
39町費(HNは、ま、いいでしょう。):2000/02/10(木) 02:51
>38
参った。あっさり言われてしまった。

>魏延自身がそこまでの権力を欲しがるかどうかも疑問。
実は、これは同感。(^^;
ただ、魏延のみが突出した軍部はやはり危険。
実際に危険人物ではなくとも、誰かが危険視する。
誰かが危険視すれば、今度は魏延の周囲が魏延に防衛体制をとるように勧める。
魏延がそういう動きを示せば、別の誰かがまた危険視する。
こういう悲劇的なイタチゴッコってよくあるでしょ?
お互い、身を守るために他を倒して権力を握らざるを得なくなるっていう・・・。
前漢の韓信(失敗または謀殺)、唐の李世民(成功)、・・・・・

>あと、蜀の地元豪族ってそんなに国事に関わってたんだろうか?
生前の孔明が苦労して、益州組も積極的に活用していたはず(と、聞いたことがある)。
中枢部での割合は知らない。
4038です:2000/02/10(木) 23:28
>39

>ただ、魏延のみが突出した軍部はやはり危険。
>実際に危険人物ではなくとも、誰かが危険視する。
>誰かが危険視すれば、今度は魏延の周囲が魏延に防衛体制をとるように勧める。
>魏延がそういう動きを示せば、別の誰かがまた危険視する。
>こういう悲劇的なイタチゴッコってよくあるでしょ?
>お互い、身を守るために他を倒して権力を握らざるを得なくなるっていう・・・。
ごもっともですね。
結果をみると、魏延としてはもっと処世術を身につけとかなけりゃいけなかったということか…。
組織の中での存在が大きくなると、より己の身が危なくなるということかな?
トウガイなんかもその不幸な例だな。あと、韓信を出し抜こうとした外交官とか…。
処世術では、楊儀の方が一枚上手だったということだな。
蜀が人材不足だったらそんな処世術なんかいらなかったという意味では、まー運命か。


4140:2000/02/10(木) 23:33
訂正
人材不足だったら → 人材不足じゃなかったら

大賢良師さんら三国志好きの皆さんの意見も聞きたいなー。
発言してくれんかのぉ。
42名無しさん:2000/02/12(土) 03:12
みんな大澤良貴の「真実の三国志」読んでみるといいと思う。
すごく面白いよ。
特にこういう話題を面白いと思う人は。
宝島新書で10日に出たばっかりだけど。
43猿2001:2000/02/12(土) 16:04

夭折した曹操の長男の曹昂がカッコよくて好き
44>43:2000/02/12(土) 22:01
俺も好きだ
45>45:2000/02/15(火) 00:13
いいよね、曹昂
46名無しさん:2000/02/15(火) 18:53
大澤はバカだ。
読むと脳が腐るぞ。鬼っコめ。
47>46:2000/02/15(火) 20:27
大澤って? 大澤真幸?
48大賢良師:2000/02/17(木) 00:04
最期の砦・・・。
時間がなくて手助けできぬ、許してたも。
49>42:2000/02/17(木) 01:15
どこに行っても置いてないよー
50>49:2000/02/17(木) 10:47
だから買うなって言ってるだろうが!
51今更ながら:2000/02/19(土) 14:58
>3
史書としての評価は低くはないのではないでしょうか。内容よりも文としての美しさのほうが高く評価されているようですが。
何で志が無い三国の歴史が三国志なんでしょうね。

劉徽は実在の一個人なんでしょうか?私はこの人物についてほとんど知りません、数学者のようですが…
伝説上の人物ということは無いのでしょうか。
52>51:2000/02/19(土) 22:09
志=誌で、「書き記す」という意味があるそうです。
53大賢良師:2000/02/25(金) 06:07
鄭飛石の三国志はおもしろいぞ・・・。
余も「ロショク」のような人物に師事したかったものよのう・・・。
54>53:2000/02/26(土) 02:41
ロショクって黄巾党討伐のトップじゃなかった?
敵に師事したかったのか?
55大賢良師:2000/02/26(土) 05:34
>54
いや、現世での指導教官がのう・・・。
察してたも。
56名無しさん:2000/02/26(土) 22:54
とりあえず、町費さんにレス返そうよ。
57名無しさん:2000/03/02(木) 03:10
みんなゲームばっかりやってないでこっちに書き込めよ!!
町費さんにリアクションしたの俺だけじゃねーか。
冷たすぎるぞ!!つーか、お願いしますよ。書き込んでよ。
58名無しさん:2000/03/02(木) 04:31
ところで、似たような時代がいくらでもある中国の歴史において、
なぜ三国時代がこうも注目を浴びてるのでしょうか?
59>58:2000/03/02(木) 05:43
羅貫中のおかげ
60名無しさん:2000/03/03(金) 02:59
ここが三国志のスレッドか・・・・
馬岱について。奴の正体はアサシンだったと思う。
馬氏一族は流浪の末、蜀に落ち着けたが
政治的能力が無い奴らには馬超亡き後、
超戦闘集団として生きていくとしか無かったかも知れない。
蜀の将軍なのに字も生没年も不明な謎の男馬岱。
アサシンだったら説明がつく・・・かな?
楊儀を自殺に見せかけて殺し、費イを暗殺したのも
こいつかも知れない。
61>60:2000/03/03(金) 16:47
おもちろい説だが費ネ韋殺しの動機も書いてくれればもっと面白い。
62もう一度昔のスレッドを読み返そう:2000/03/04(土) 04:58
63ソードマスター馬岱:2000/03/04(土) 14:34
蜀と魏のダブルスパイ・・・だったりして。
武田信玄の山本勘助みたく。
馬氏一門って忠誠とは無縁っぽい。
魏の降将カクジュンをけしかけた理由は
西涼に帰りたかった・・・とか。
(浅学ですなー、私)
64名無しさん:2000/03/05(日) 03:09
65沙魔可参戦:2000/03/07(火) 21:39
町費(変換で一発でこれが出るのもいかがなものか)さんに対するレス
(タイミングずれますが)としてはやはり38さんに尽きるような気が
する。

私の意見はあくまでも吉川三国志がベースですのでよろしく。
孔明は劉備の軍師=軍略担当としてキャリアを出発させたが、彼は優秀な
政略家でもあった。劉備一団が拠点となる荊州を得、蜀を得て国家として
の体裁を整えた時に孔明は軍人(誤解招きそうな表現だが)出身であり
ながら丞相として行政のトップに立つことになった。少し前のインドネシ
アのウィラント将軍に近いのかな(彼はトップではないが)。

そして、当時の蜀においては軍事と行政の一致が絶対必要であったことが
魏延や姜維も含めた蜀の悲劇につながったのではないかと思う。鼎の一足を
占めるとはいえ、建国して日も浅く、人材の数でも他の2国に劣る蜀は軍事と
行政(政治かな)を一体のものとして運営しなければならなかった。蜀にお
いては攻めるにも守るにも政治=軍事だったのだと思う。この辺うまく説明
できないが、漢の天使を擁して大義名分をふりかざせる魏、長江の天険に
守られた呉とは政略一つ考えるにもまず軍事的側面から考えざるを得なかっ
たのではないか。孔明はその構造に必要不可欠の人材であり、彼がいたから
こそ蜀はしばらく命脈を保ったのであると考える。(続く)

66沙魔可:2000/03/07(火) 21:41
孔明は姜維を見出した際にいみじくも「自分の軍略を継ぐのはおまえしか
いないっす」というようなことを言い、臨終の際には自分の後任の丞相とし
て蒋宛(字が違う)を指名した。姜維は政治までは見られないし、蒋宛は軍
事には明るくない。一体でなければならない機能がここで分離した。後の
衰亡はご存知の通り。

孔明亡き後に蜀の国を隆盛に導くことができる人間は孔明ほどでなくても
いから政治力と軍事的センスのバランスのとれた人間だったが、そんな人間
がいなかったことが蜀の滅亡の最大に要因なのではないか。魏延に対する思
い入れは私にはないが、彼の武力を強調すればするほど、彼の軍団長として
の能力を強調すればするほど、政治力のなさが浮き彫りになっていく。

沙魔可疲れた・・・知力低いんだから。

67名無しさん:2000/03/08(水) 00:25
だれかこのビデオ見た人いますか。
レンタルビデオにも無いみたいだし
http://homepage1.nifty.com/kokubun/index.html
68>:2000/03/08(水) 05:51
69>67:2000/03/08(水) 17:41
出た当時は評判に上がってたよ。BS弐でやってた奴でしょ?
しかしそのVideo、Hifiモノラルって…
70謝安石:2000/03/09(木) 03:34
>沙摩柯さん
はじめまして。レスらせてもらいますね。

>孔明亡き後に蜀の国を隆盛に導くことができる人間は孔明ほどでなくても
>いから政治力と軍事的センスのバランスのとれた人間だったが、そんな人間
>がいなかったことが蜀の滅亡の最大に要因なのではないか。

んーー、沙摩柯さんの意見は諸葛亮独裁政権のような状態が
諸葛亮死後も存続し続けるべきだったということですか?
私的には逆に考えてしまうのです。

諸葛亮のように家臣でありながら軍政両面に強力な
権力を発動しつづけていくというのは国に危険を呼ぶと思うのです。
(なぜかはわかりますよね?)

むしろ、蜀という国にとっては蒋[王宛]・費[示韋]時代のほうが
よほど国として安定してきていたのではないかと思います。
なぜなら軍・政権力の分割と協和が実にきれいな形で
行われていたと思うからです。

ただ、後主の周りを固めることができなかったことと
蒋[王宛]・費[示韋]の死が早すぎたのが蜀滅亡の
大きな原因の一つだと思っています。

魏延みたいな輩にはあまり興味がないのでこういうところに
レスしてみました。
いかがでしょう?
71沙魔可:2000/03/09(木) 09:14
>謝安石殿

私も一般論としては国家が安定的に存続するには貴殿の意見
(政軍分離)があてはまるべきと考えています。諸葛亮のような
権力を持ったポストに変な人材が入るとひどい惨禍を引き起こす
ことは目に見えていますし、歴史の上でこのような例は枚挙に暇
がないのも事実です。

ただ、当時の蜀がおかれた状況(個人的には3国の中で軍事力
でも政治力でも国家としては最も弱かったと思います)では軍事
に軸足を置いた政治であらざるを得ず、しかもそれを高確率で成
功に導く諸葛亮のような指導者が必要だったのではないかと考え
ています。当然魏延などもっての他で、姜維も蒋エンも費イもそ
の任には足りなかったのだと思います。事実、蜀末期には蒋エン
も費イも姜維の征魏論に歯止めをかけられず、全くチェック機能
を果たせなかった様に思います(姜維は全てわかった上で暴走し
た風はありますが)。

当時の国家の在り方を考えれば広義の政治のうちの相当部分が
軍事で占められると思われ、諸葛亮のように軍出身(?)で軍に
抑えの利く人物がトップにいることで危ういながらもバランスが
取れていたのではないでしょうか。

いずれにせよこのように仕組みではなく個人の能力に頼らざる
を得ないところに問題があるのは間違いないと思ってます。
72名無しさん:2000/03/09(木) 15:33
あげ
73>:2000/03/09(木) 16:54
age
74謝安石:2000/03/10(金) 00:44
>沙魔可さん(70では漢字間違えてましたね。すみません)

レスありがとうございます。
では私も返答をば。
(ちょっと長くなってしまいました。
許してくださいませ。)

>事実、蜀末期には蒋エンも費イも姜維の征魏論に歯止めをかけられず、
>全くチェック機能を果たせなかった様に思います
>(姜維は全てわかった上で暴走した風はありますが)。

ええっと、まず最初に、、、
蒋[王宛]と費[示韋]は征魏論をよく押さえていたと
思いますよ??

蒋[王宛]が大将軍・録尚書事に就任していたときは
征魏計画を練ってはいましたが、周りの意見をよく採り入れて
いたずらに兵を起こすようなまねはしていません。
(病気のためでもありますが、、、)
姜維もこの時代は比較的おとなしかったです。

費[示韋]が政権に就いたとき、蜀に魏を征服する力がないことを
よく心得ていたからひたすら内政に励み、他国への攻略を戒めていました。
姜維は軍を起こすことをよく勧めてましたけど、費[示韋]は
いつも姜維に一万以上の兵を預けるようなことはしていません。

というふうに、、、
蒋[王宛]・費[示韋]の時代は常に国の安定と持続を主として
国家運営を行っていったと思います。
そして姜維のこともよく押さえていたと思います。

以下続く
75謝安石:2000/03/10(金) 00:52
続きです

さて、次は三国時代という特殊な時代において
蜀にとって国家の持続と安定がどれほどに大切か
ということに関わってくると思います。

>当時の蜀がおかれた状況(個人的には3国の中で
>軍事力でも政治力でも国家としては最も弱かったと思います)
>では軍事 に軸足を置いた政治であらざるを得ず、
>しかもそれを高確率で成功に導く諸葛亮のような指導者が
>必要だったのではないかと考えています。

ええっと、以下はあくまで私の考え方ですが、、、

三国鼎立時代の特徴ということを一度振り返ってみてください。
魏・呉・蜀の三国があって、この中で魏が最も強く、
次に呉、蜀というふうに国力の順番になってます。
このままばらばらに戦っていたのでは魏が一番有利なのは間違いないことです。
そこで諸葛亮や魯粛・孫権は魏vs呉蜀という構図を作り上げていきました。

この構図の一番注目すべきところ、、それは
「魏は一国で呉・蜀二国相手に同時に戦い続けることができない。
しかも、呉・蜀は協力しても容易には魏をたおすことができない。」
ということだと思います。

だから、それぞれの国が安定し続けていく限りこの三国の均衡は
簡単にやぶれることはないのです。
すなわち三国鼎立の時代では
「長期の均衡を国家の安定と持続で長らえ、他の国にほころびがでたところで
攻めるべし」
が必勝の策だと私は思うのです。

以下また続きます。
76謝安石:2000/03/10(金) 01:01
そこで国家の持続とはいかなる手段で成し遂げることが
できるかということについて、、

その答えに私は国家の組織力に求めるのです。

たしかに諸葛亮の如き巨大なカリスマが独裁で統治する国家では
国が強くなります。しかし、そのようなカリスマに頼った政治は
お世辞にも長期に物をみた考え方とは言い難いと思うのです。
(三国時代における長期的政権安定がいかに大事かは
前に述べたとおり。)

特に、、国主でもない人間に巨大な権力を渡すというのは
非常に危険な事なのです。
三国の中で一番最初に滅びた国の事を考えてみてもよいかも?

ということで私の独裁政権反対論でした〜。

ごめんなさい、めちゃくちゃ長くなっちゃいました。
上の二つとも一覧に表示しきれてないし、、、
これで少しはこのスレッドも盛り上がるかなぁ??
反論お待ちしています。
77名無しさん:2000/03/10(金) 12:19
>67さん

大手のレンタルに行けばあるはず。TSUTAYAとか。
最近は総集編も出ました。1本3900円くらいのです。
渋谷のTSUTAYAは新しいせいか、総集編しか置いてなかったけど。
ここでは大河ドラマコーナーに、NHK大河と並んで置いてあった。

78名無しさん:2000/03/12(日) 21:07
ドーデも良いですが、三国時代以降、士大夫に最も慕われていたのは
諸葛亮にほかなりません。岳飛ではナイッス。岳飛人気は判官贔屓のような物。
79沙魔可:2000/03/13(月) 19:54
>謝安石殿 : 遅レス申し訳ありません。拙者、心身鍛練のために
10日〜12日の3日間、北海道に行っておったためです。尤も鍛練した
のは胃袋のみですが。

>ええっと、まず最初に、、、
>蒋[王宛]と費[示韋]は征魏論をよく押さえていたと
>思いますよ??

すいません。この辺は情けない話ですが私が思い込みで発言していた
ようです。自分の頭の中で蜀の滅亡は姜維の暴走と軌を一にしている
と整理していたものですから。再度読み直してみます。反応を保留さ
せてください。

次に貴殿の「独裁権力反対論」および「組織の力を重視する考え方」
ですが、私も総論賛成です。特に後者は自分の個人的な体験に置き換
えて考えても多いに肯んずるところです。71にて下のようなコメント
を発したのですが、前との整合性に注意しなかったためうまく伝わっ
ていなかったかもしれません。
===============================
いずれにせよこのように仕組みではなく個人の能力に頼らざる
を得ないところに問題があるのは間違いないと思ってます。
===============================
以下続く
80沙魔可:2000/03/13(月) 20:27
(続きでございます)
>たしかに諸葛亮の如き巨大なカリスマが独裁で統治する国家では
>国が強くなります。しかし、そのようなカリスマに頼った政治は
>お世辞にも長期に物をみた考え方とは言い難いと思うのです。


これにも賛成(一体なんなんだ・・・)。

貴殿と会話しているうちに私の考え方も少しこなれてきました。
そうなんです。一人の傑出した人材でないと運営できない国家。

ここからが最後まで反対のままの部分なんでしょうが、当時の蜀
が単独で魏ないし呉に伍するためにはそうせざるを得なかった。
少なくとも組織で回せる国になる前にそのステップをふまなけれ
ばならなかったのではないかと。ここが蜀の限界なんじゃないか
なと思ってるんです。その個人の資質は軍出身者で軍に押えが利
き、なおかつ政治家として一流であることが必要条件だと私は考
えます。

うーん、ただ、ヒイ−ショウエンラインと姜維の間にチェック&
バランスのメカニズムが働いていたのであればそれなりに組織力
で国家運営ができていたことになり、私の論は完全なる破綻を来
たします。この辺は前述の通り再度読み直します!

今後とも色々ご教示ください。
81学歴板:2000/03/20(月) 00:11
吉川三国志オタクや司馬遼ファンと思われる人物たちが頑張っております。特に横浜攻防戦をお楽しみあれ。

http://www.ohayou.com/2ch/test/read.cgi?bbs=school&key=951044707

82謝安石:2000/03/20(月) 03:26
>沙魔可さん
ちょっと最近掲示板に書き込むのがおっくうになってたので
遅レスになりました。すみません。

>ヒイ−ショウエンラインと姜維の間にチェック&
>バランスのメカニズムが働いていたのであればそれなりに組織力
>で国家運営ができていたことになり、私の論は完全なる破綻を来
>たします。この辺は前述の通り再度読み直します!

是非是非、読み返してくださいませ。
ただ演義と正史ではここら辺の記述が微妙にくみ変わっています。
ちょっぴり説明すると、、
まず、『三国志演義』で、司馬懿が曹爽にクーデターを起こし
夏侯覇が蜀に下ったとき、姜維は大軍を動かします
(この戦いでは姜維よりも陳泰のほうがかっこいい)。
このときはまだ費[示韋]が反対したにもかかわらず、
姜維が独断で軍を(後主に)ださせてます。
ちなみに『三国志演義』の第107回です。
しかし、正史においては姜維が大軍を動かそうとすると
費[示韋]に止められて大きな軍は与えられいません。

だから私も沙摩柯さんも両方とも正しいかもしれないです。

私は蜀嫌いだけど費[示韋]・蒋[王宛]・董允だけは好きなのですよ。
83名無しさん:2000/04/27(木) 17:02
あげ
84ビワハヤヒデ:2000/05/20(土) 14:49
演義と正史がかなり違うのに気づいた。
馬超と曹操の話なんかかんべんしてほしいほどちゃうわ
85>84:2000/05/20(土) 15:13
でもそれで演義を罵倒したらドキュンだよ
86ビワハヤヒデ:2000/05/20(土) 18:49
俺は単に呂布好きなだけ>85
87>86:2000/05/20(土) 20:01
それなら、そんなに変わらないと思う。
88ビワハヤヒデ:2000/05/21(日) 07:06
呂布は好き嫌いがはっきりわかれる。
丁原とは親子の契はむすんでなかったとか>正史
89>88:2000/05/21(日) 16:12
キャラはそんなに変わらない感じだよね。
90ビワハヤヒデ:2000/05/22(月) 12:34
不思議と優秀な部下をひきいてるとこが
おもしろい>呂布
91:2000/05/27(土) 03:27
BS2中国ドラマ・三国志再放送記念あげ。
みんなビデオ録ったかな〜?
(毎金16:30-18:00)
92名無しさん:2000/05/28(日) 05:00
マジか?
そりゃとっておかねばならんな。
けど、三国志も良いけど隋唐演義とかやってくれんかなぁ。
中国じゃやってるのに。。。
93ミルク:2000/05/28(日) 22:09
孫子は
いまだ巧の久しきに
賭けざるなりと読み下すのが
正しいのではないだろうかhttp://union-jp.net/home/ysngmilk.html
94クルミ
ここは人気ないね