尖閣諸島は琉球王国固有の領土だろ、糞日本人

このエントリーをはてなブックマークに追加
356名無的発言者
沖縄戦<日本軍による殺害の証言その1>


石原昌家によると沖縄戦で日本軍は住民を守るという考え方はなかった、
戦闘開始以前から「軍官民共生共死の一体化」が指揮官から唱えられ、
日本軍の劣勢が明確になった時点でも住民も共に死ぬまで最後まで抵抗するという方針が与えられたとする(1945年3月日本軍資料「秘密戦に関する書類」および5月5日の牛島司令官の命令、
石原昌家の記述による)(例えば証言http://www.csmonitor.com/2007/1023/p04s01-wosc.html)。
加えて住民が米軍に投降するのはスパイ行為だとして、投降者、投降を進める者、なんらかの形で接触した者を殺害することがあった。
また壕追い出しや食料を奪うこと、悪性マラリア地帯に強制疎開させることで死に追いやる多くの例がある。
それぞれの被害者数は住民が死亡しているためあくまで推定だが、
大田昌秀は多くの証言を調べ、壕追い出しで100人以上、食料強奪で60人以上、住民虐殺が290人という数字をだしている(総史・沖縄戦および家永教科書裁判での証言)。

357名無的発言者:2010/11/21(日) 15:52:05
沖縄戦<日本軍による殺害の証言その2>


日本兵自身が安全な壕内に避難するため、
「我々はお国のために闘っているのだ」という口実によって先に避難していた住民を追い出す例が多くある(ひめゆりの塔で知られる陸軍病院伊原第三外科壕や他の第一・第二外科壕、本部壕なども「追い出し壕」とされている)。
ガマの中で泣き止まない赤ん坊を黙らせるために殺害した事例も報告されている。また、民間人に対するアメリカ軍の人道的扱いを期待した日本兵が、意図的に民間人の避難先に潜り込んでゲリラ活動を展開したという話も残っており、
それが米軍を「馬乗り攻撃」に踏みきらせたとも言われている。その一方で、日本軍は沖縄住民のスパイ活動を警戒して方言の使用禁止を命じ、方言を使った住民をスパイ容疑で処刑したこともあったという。
また米軍から住民に配給された食糧を狙って飢えた敗残兵が襲撃を行うなど、
軍民の信頼関係は著しく損なわれたとする説もある(総史・沖縄戦)。

358名無的発言者:2010/11/21(日) 15:54:55
沖縄戦<日本軍による殺害の証言その3>



生存者の中には「日本兵のほうがアメリカ兵より怖かった」「捕まったら強姦されるか殺されると聞いていたのに優しくしてもらえて驚いた」などと証言する者が多くいる
(例えば証言http://hb4.seikyou.ne.jp/home/okinawasennokioku/okinawasennosyougen/syougen29.htmlまた「総史・沖縄戦」など)。
南部に現存する轟の壕では、「泣き声で敵に発見される」という理由で壕内で幼児を虐殺するなどをしたうえ、投降を警戒した兵士が住民を奥に追いやって監視をしたため大量の餓死者が発生し、
また危険が迫ると逆に住民を入口付近において盾にした挙げ句馬乗り攻撃で多数の犠牲が出た。
そのため、投降した住民がアメリカ軍に「日本の兵隊を生かしますか?」と問われて「殺せ!」と答えたという<ref>石原昌家「沖縄の旅・アブチラガマと轟の壕」集英社新書</ref>。
大宜味村渡野喜屋(現・同村白浜)では、山中に潜んでいた日本兵がアメリカ軍保護下の住民をスパイと見なし、
食糧を奪って海辺に連れ出し35人を虐殺するという事件があった<ref>NHKスペシャル「沖縄 よみがえる戦場」(2005年6月18日放送)</ref>。

359名無的発言者:2010/11/21(日) 15:55:50
沖縄戦<日本軍による殺害の証言その4>


また、久米島では米軍の大兵力による上陸こそ無かったものの、日本軍軍属の鹿山正?久米島守備隊長(兵曹長)の疑心暗鬼によって、
郵便局員とその家族など20名の住民がスパイ容疑等で虐殺される事件('''久米島守備隊住民虐殺事件?''')がおこっている。
この時の経緯は本人が1972年にサンデー毎日の紙面で事実であると認めたが、本人は「誇り高き大日本帝国軍人として正しい事をしたから良心の呵責はない」との主旨を主張した。