南京大虐殺は捏造だけど

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弘文堂『歴史学事典 第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐
殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。
一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もとも
と参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行
で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副
長となった拡大派の武藤章大佐らであった。上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養
も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵
愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。
十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京
の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以
前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が
残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲
滅(皆殺し)作戦を実施した。同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵ある
いは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。一般民衆も敵対行動、不審行動をする「
敵国民」と判断された場合は殺害された。