中国にトヨタや松下レベルの企業できるのか

このエントリーをはてなブックマークに追加
302名無的発言者
石田(旧姓:澤田)退三
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E9%80%80%E4%B8%89

現在の愛知県知多郡小鈴谷村(現:常滑市)生まれ。
父親を早くになくし、進学できず丁稚奉公に出されるところに遠戚に当たる
児玉一造(豊田佐吉と親交があり、弟は佐吉の婿養子となる豊田利三郎)の支援で
滋賀県立第一中学校(現滋賀県立彦根東高等学校)を卒業し、しばらくは代用教員として働く。
最初の勤め先である西洋家具屋で商才を身につける。
結婚を機に退職(養子縁組をしてこのときに姓を石田に改める。夫人を紹介したのは児玉である)上京して
呉服問屋に勤めるも退職。
児玉の紹介で「服部商店」(現興和)に入社し、上海駐在中に豊田佐吉と出会う。

社長時代の石田はムダをとことん嫌い、無駄なお金を一切使わなかったといわれる。
これはトヨタの危機の際に累積赤字が蓄積し銀行に融資を断られたという苦い思い出があり、
「自分の城は自分で守れ」と、内部留保をとことん増やして自前で必要な機械などを買うというやり方を行っていた。
この方針は現在でも受け継がれ、トヨタは内部留保を多く持っている。

また生前、石田は1958年9月に日本経済新聞朝刊連載記事『私の履歴書』に寄稿している。