日中戦争の実態

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184名無的発言者
 
大叔父は若いときに招集されて、中国大陸で戦闘に明け暮れた。
敗戦後、復員し、思い出したように当時のことを話した。
そのひとつ。
 
功を焦って、無謀な作戦を企てる上官がいると、全滅を恐れる部下が密かに始末した。
そこはよくしたもので、大抵どこの部隊本部にもベテランの事務担当がいて、
てなれたやりかたで、「名誉の戦死」にしたてて、内地へ報告した。
 
「どこそこの部隊で上官が戦死」といううわさは、展開する各地の部隊にただちに伝わり、
「さては、やられたな」と兵士同士でささやきあうものだった。
 
軍隊の裏のしきたりをよく知った上官は、無謀な戦闘は極力避けた。
強い敵には、遭遇せぬよう迂回し、
もっぱら、弱い敵だけを襲わせ、後方に戦果を誇大報告した。
 
中国大陸の戦史で「一部隊全滅(玉砕)」という事例が少ないのはこういう事情による。