『蒋介石秘録』12
日中全面戦争 第一章 全面戦争に突入 その12 南京大虐殺の悲劇 P69−70
全世界を震え上がらせた蛮行
日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、
長江(揚子江)岸に整列させ、これに機銃掃射を浴びせてみな殺しにした。
虐殺の対象は軍隊だけでなく、一般の婦女子にも及んだ。金陵女子大学内に
設置された国際難民委員会の婦女収容所にいた七千余人の婦人が大型トラックで
運び出され、暴行のあと、殺害された。
日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬りを競い合ったというニュースが、
日本の新聞に大きく報道された。
虐殺の手段もますます残酷になった。下半身を地中に埋め、軍用犬に
襲いかからせる‘犬食の刑’、鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる
‘鯉釣り’、鉄製のベッドに縛りつけ、ベッドごと炭火の中に放りこむ
‘豚焼き’―など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行された。
こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ。
犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。
『蒋介石秘録』12 日中全面戦争 著者サンケイ新聞社 発行所サンケイ出版
昭和51年6月11日〜7月31日まで2年間に渡り『産経新聞に連載された分』を収録
「正論」昭和56年12月号
蒋経国(中華民国総統、蒋介石の長男)と鹿内信隆(サンケイ新聞社長)との対談
鹿内
私はそういうことの一助にもと思いまして、サンケイ新聞で「蒋介石秘録」という
ものを二年半にわたって連載したのです。その蒋介石秘録の単行本は全十五冊に
なったのですが、これを日本の若い人々、将来の人たちのために、中華民国の
ご恩を忘れないように残しておきたいと考え、秘録を中心にして、箱根に中正堂を
つくりました。いま閣下がいわれたように、日本の若い人にそのことを残したい
と思ってやったことなんです。