1 :
名無的発言者:
人生、幻花に似たり、
終に 当に空無に帰すべし
2 :
名無的発言者:04/12/01 10:18:29
意味不明
陶淵明を語れるような教養人は、
この中国板には居らんよ。
カトチャン、ペッ
今日、用が無い。
6 :
名無的発言者:04/12/01 12:03:13
帰りなん いざ 田園まさに荒れんとす
7 :
名無的発言者:04/12/01 19:51:38
桃源郷
8 :
名無的発言者:04/12/01 19:55:08
菊を採る東籬の下、悠然として南山を見る。
9 :
名無的発言者:04/12/01 19:57:56
宮仕えはつらいよう。でもおいらにゃ帰る所があるのさ。
一人でなにやってる?
五柳先生伝、だったか。
たしか高校の教科書に載っていた。
先公のゴタクは聞かず、ただただその内容に陶酔していたのを、
思い出すのう。
「たまたま銘酒あり…」だっけか。
五柳先生は、のんべえだから、酒が入ったよ、おいでよと、
誘われると、のこのこ出かけて行くんだ。
でも、泥酔することは決してない。
きれいに酔う。
ほどほどに酔って、ちゃんと礼儀をわきまえて、
辞して家に帰ってくる。
そうやって漢文を勉強していたお陰で、
ぼくは、これまで、酒の席で、酔って、人様にご迷惑をおかけした、
そういうことが、ない。
五柳先生のお蔭だ。
11 :
三柳先生:04/12/08 22:46:57
私は五柳先生に倣い、五斗米の為に腰を折るのが嫌になり会社を辞めた。
その後、世界一周旅行を2回、中国へ数回の旅行を終え、今は隠者の生活に入った。
書物を肴に酒壷を傾ける日々を過ごしている。
充実した毎日である。
2ちゃんねるなんかに入り浸るなよ。
五柳先生からの伝言だ。
>>11 「吾不能爲五斗米折腰」の意味取り違えてない?
東晋〜劉宋ってや腐敗貴族政治の時代で、いくら陶潛のように能力と野心があ
っても平民ではどーしよーもなかった訳。
現代日本に居てそれは只の逃避ではないでしょうか?
まぁ充実してんなら良いけど。
15 :
三柳先生:04/12/10 00:50:07
決して逃避などではないと自分では考えている。
五柳先生のように街中に居を構え、コミュニティーの世話役や
無償で某施設の相談役なども引き受けている。わずかな給与を
もらって拘束されるのが嫌だからだ。
充分に蓄えもあるのし、これ以上働く必要もないので・・・
明日、死んでも悔いのないよう今日を楽しんでいるが、体の衰え
だけはどうしようもない。キリマンジャロ登頂だけは夢で終わりそう。
16 :
名無的発言者:04/12/10 10:15:32
引き蘢りも又宜しかろう。
世捨て人の歴史は古い。
先立つものがなければできない話だ。
19 :
名無的発言者:
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。