★南京虐殺を否定する学者は皆無という事実★

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799名無的発言者
中国政府は南京大虐殺を捏造して賠償金をせしめようとしている!
→中国政府は1972年に日中共同声明で請求権を放棄しており、請求した事実はありません。
個人的に求めた中国人はいますが、個人に賠償請求権はないという判例が出ています。

虐殺数30万人説には信憑性が無い!
→日本の主流的な説では犠牲者十数万です。30万説を唱えているわけではありません。

当時の南京の人口は20万だったんだ!30万も殺せるはずが無い!
→20万は南京全体ではなく、南京安全区という狭い地域の、それも推定人口に過ぎません。
後に25万に訂正されていますし、そもそも人口には虐殺された兵士が含まれません。
また安全区の外に、市民が実際に数多く残っていた記録があります。
この理屈では30万虐殺説すら反証できないのです。
http://www.geocities.jp/yu77799/jinkou.html

虐殺どころか南京の治安は急速に回復していた。その証拠に、20万だった南京人口が5万人も回復している!
→上記の「安全区」推定人口の訂正を、人口が増えたと曲解しているだけです。
そもそも本当に治安が回復していたら、難民区から人々が帰還して難民区人口は減るはずですが、
実際には日本軍の凶行を怖れて出て行こうとしなかったことを安全区委員会は記録しています。
http://www.geocities.jp/yu77799/tian.html

とにかく!人口が激減していないのだから10万単位の虐殺は無かったはずだ!
→南京はもともと百万都市です。日本軍が南京に向かい始めると富裕層をはじめかなりの数が避難し、
陥落直前には40〜60数万であったとされています。兵士は含んでいません。
これが、市来義道編『南京』 に掲載の人口統計(警察庁及市政府調査)によれば、
1938年8月には30万ほどになってしまうのです。激減していると言えます。

数日でそんなに殺せるものか!
→二ヶ月です(初期の1〜2週間にかなりが集中していましたが)。
800名無的発言者:05/03/13 23:45:02
もし被害者が数万人程度だったとしたら、虐殺と言えるほどの事件ではない!
→歴史上、虐殺と通称される事件の犠牲者数を挙げてみると……
カチンの森の大虐殺は2万人、オラドゥール・スゥル・グランヌ村大虐殺642人、
ソンミ村虐殺事件504人、アムリトサルの大虐殺397人、ボストン虐殺事件に至っては5人。
「虐殺」はもちろん、「大」虐殺さえ数百人規模の事件名に使われているのです。

南京大虐殺の物証(死体)は全く出ていない!
→南京大屠殺記念館は死体が埋まっている場所に立っており、埋まったままの姿を展示しています。
歴史修正主義者の言う「○○がないのはおかしい」は、大概その○○が実際にはあります。

それらは文革で殺された人の骨を、南京虐殺の遺骨だと言い張っているのだ!
→色んな本やスレを読んだのですが、この話のソースを見たことがありません。

まあ一回その骨を科学的に鑑定すればわかる話だがね。いつの時代のものかw
→はい。科学的測定が行われており、確かに当時のものであると結果が出ています。

十万単位の人を、核兵器を使わずに通常兵器で殺せるはずが無い!そんな弾薬があるか!
→例:ルワンダの大虐殺では3ヶ月で100万殺されています。凶器はナタ、スコップ、棒きれなどです。
旧日本軍では歩兵1人が、120発の弾丸を携行していました。南京攻略軍を7万としても840万発。
もちろん他にも機関銃や刀などの武器がありました。物理的に可能かというと可能としか言えません。

遺体を日本軍だけで処理するのは不可能!
→全ての遺体を日本軍が処理しきれた、なんて誰が言ったのでしょうか。
南京で日本軍が処理した死体は多数(一説では15万)ですが、別の団体も埋葬しています。
宗善堂11万2267、紅卍字会4万3123、赤十字会南京分会2万2683、南京維新政府約6000、同善堂7000余、
埋葬組約7000、回民埋葬隊400余、等々と日本軍と合計すれば軽く30万を超えます。
ただし、戦死者が含まれたり、浅く埋めすぎたものを再埋葬したものがあるので、イコール虐殺数ではありません。
801名無的発言者:05/03/13 23:45:28
中国政府は日本側の現地調査の申し入れを拒絶し続けている。極めて怪しい!
→これもネットではよく言われるのですが、元ネタが分かりません。いつ誰がどのような形で申し入れて
拒否されたのでしょう? ちなみに、少なくとも南京事件調査研究会は現地に複数回行っているはずです。

同一の事件に対する複数の証言がまったくないのは不自然だ!
→李秀英事件、夏淑琴事件、幕府山事件など証言・記録が複数ある事件は幾つもあります。

お前らが言う虐殺の証言ってのは、又聞きしかないんかい!
→虐殺を「直接目撃した」「自分がやった」証言・記録が数多あります。
『私が見た南京事件』、『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』、『南京大虐殺の証明』などをどうぞ。

当時南京には外国人ジャーナリストがいたが、海外の新聞やメディアがまるっきり虐殺を報じていない!
南京大虐殺という虚構が主張され始めたのは、1946年の東京裁判が最初なのだ!
→最もよくある大嘘のひとつ。1937年当時からスクープされています。
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/nakkin_faq_ans16.html

アメリカは日本を仮想敵国にしていたから、公正ではない!ダーディンらの記事も中国寄りのものだ!
→「蒋介石総統のおそまつな戦術、指揮官の逃亡首都陥落を招く」という見出しの記事も中国寄りですか?

ダーディンの記事には、日本兵が持っているはずのない拳銃を撃つ場面が出てくる!
→軽機関銃部隊はピストル装備。それ以外でも敵から奪って所持していた日本兵が相当いました。

被害者である中国側が、当時はまったく南京虐殺を糾弾していない。虐殺が後世の捏造である証拠だ!
→こんなに糾弾しています。
http://www.geocities.jp/yu77799/chuugoku.html
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/gunshu.html

虐殺があったのなら、国際連盟で非難されたはずだ!だがそんな記録は皆無!
→1938年2月1日付『国際連盟理事会第六会議議事録』 に載っています。すぐ上のリンク参照。
802名無的発言者:05/03/13 23:46:29
外国の外交文書に南京事件に関する記述がない!
→ドイツだけで『資料・ドイツ外交官の見た南京事件』という本が一冊できてしまうほどあるのです。
また1994年にアメリカが公開した当時の文書にも南京事件関連のものが確認されています。

相当の悪臭が漂うはずだが、誰も死臭に言及していない!
→死臭に言及した証言なんて沢山あります。鈴木二郎元記者『私はあの"南京の悲劇"を目撃した』など。

レイプが多発したと言うが、それなら大量の混血児が確認されていないのはおかしい!
→おかしくありません。レイプされた結果受胎した胎児が、堕胎も間引きもされずに育てられ、
レイプで生まれた子供だということが公表される事例なんてどれほどありますか。
日本人と中国人の混血なんて黙っていれば分かりゃしないんですから。

東京裁判で南京虐殺が取り上げられなかったのはおかしい!(こう言った人は本当にいます)
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/ts-mokuji.htm

東京裁判の南京虐殺の証拠は、魯甦という人物が5万7418人の虐殺を見たという怪しい証言だけである!
→どこがですか?(上リンク参照)
魯甦証言には確かに不明な点が多いですが、これが唯一の証言でも何でもありません。
なお、日本で虐殺派と呼ばれる研究者もこの5万7418人を入れて十数万と言っているわけではありません。
不確実なものとして最初から除外されているので、否定しても変わりありません。
803名無的発言者:05/03/13 23:46:51
東京裁判でパール判事は、日本無罪説を唱えている!
→パール判事が無罪説を唱えたのは、東京裁判が事後法による事と戦勝国の一方的な裁きだからで、
虐殺はなかったなどと思ったからではありません。実際、以下のように述べています。
「証拠に対して悪く言うことの出来る事柄をすべて考慮に入れても、南京における日本兵の行動は凶暴であり、かつ
ベイツ博士が証言したように、残虐はほとんど3週間にわたって惨烈なものであり、合計6週間にわたって、続いて深刻
であったことは疑いない。事態に顕著な改善が見えたのは、ようやく2月6日あるいは7日過ぎてからである」
「提出された証拠に対し言い得るすべてのことを念頭に置いて、宣伝と誇張を出来得る限り斟酌しても、なお残虐行為は
日本軍そのものが占領したある地域の一般民衆、はたまた戦時捕虜に対し犯したものであるという証拠は圧倒的である」
http://www.freeml.com/ctrl/html/MessageForm/[email protected]/1576

裁判では、一旦「証拠採用」されたものは裁判官は正しいものとして判断しなければならない。
この証拠は捏造だなどと裁判官一人では決められないので、パール判事の事実認定は歪んでいる!
→いいえ。証拠採用とは、正しいと前提するという意味ではありません。判断材料として検討するという意味です。
事実、「証拠に対して悪く言うことの出来る事柄をすべて考慮に入れ」「宣伝と誇張を出来得る限り斟酌」したと
パール判事は自らその「判決書」の中で明言しています。
そもそも、弁護側すら残虐行為の事実を否認せず、単に誇張されていたことを訴えていたのです。

弁護側が否認しなかったのは、天皇が訴追されないようにするためには仕方なかったのだ!
→南京虐殺を否認するとなぜ天皇が訴追される確率が高まるのか?意味不明です。

原爆の死亡者は30万人だから、アメリカは東京裁判で南京も30万と捏造し原爆投下を正当化したのだ!
→東京裁判判決は20万です。また原爆の死者は、東京裁判の時点では10万とされていたので、全く関係ありません。
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/nakkin_faq_ans5.html
804名無的発言者:05/03/13 23:47:12
じゃあ何で戦後になるまで、長い間日本人が誰一人知らなかったんだ!?
→報道管制のため庶民(現場にいた日本軍兵士は別として)は知りませんでしたが、
外交官や高級軍人の中には知っていた人がいくらもいます。石射猪太郎外務省東亜局長、重光葵駐ソ連大使、
法眼晋作外交官、滝川政次郎外交官、岡村寧次大将、真崎甚三大将、阿南惟幾陸軍省人事局長、徳川義寛侍従長、
そしてもちろん松井石根大将など。
また、戦後に報道管制が解け、当時の目撃を証言した日本人ジャーナリストは大勢居ます。

南京大虐殺の証拠写真は、みな捏造が暴かれている!
→写真捏造論の多くは、「NASAの月着陸写真は捏造」レベルのトンデモ説です。
http://www.nextftp.com/tarari/Matsuo/zanshu_hen.htm

南京虐殺の写真には、いつ誰が撮ったのかはっきりしているのが一枚も無い!
→目黒輜重連隊兵站自動車第17中隊の村瀬守保氏、13師団第2野戦病院の佐々木周一軍医、
アメリカ聖公会伝導団のジョン・マギー牧師の写真や映画など、たくさんあります。

それらの写真にも南京大虐殺の全体が映っているわけではない!
→はい。写真は単なる参考資料に過ぎません。
目に見える範囲の一瞬の場面しか映らない写真では、南京大虐殺という大規模・長期間にわたる事件の
証拠にならないのは当然です。肯定派の歴史学者も、別に写真から論証しているわけではありません。
「写真では証拠にならない」というのは歴史修正主義者の勝手な一人相撲です。

安全区委員会の「日本軍の暴行記録」によると、南京での殺人の総数は49件である!
→これは総数でもなんでもなく、挙げられた事例を数えただけに過ぎません。
国際委員会が、これ以外の文書でも犠牲者を報告していることからも明らかです。
委員長のラーベはヒトラー宛ての書簡で、犠牲者を5〜6万と推測していました。
なお、49人というのは板倉由明氏の数え違いですが、彼もそれが総数だなどと馬鹿は言ってません。
http://www.geocities.jp/yu77799/49nin.html
805名無的発言者:05/03/13 23:47:36
南京国際安全区委員会は反日的な連中の集まりだった。発言は信用できない!
→一体、安全区委員会の誰が、どういう根拠で反日だったというのでしょうか?
ベイツ教授などは息子を神戸のカナディアン・アカデミーに遊学させていた親日家だったのですが。
また、マギー牧師は弁護士の質問に「自分で目撃した殺人は一件だけ」と、日本軍に有利になる
証言でも正直に話しています。この場面は否定派がよく持ち出しますが、彼が嘘つきだとすると
逆にこの場面の説明がつかなくなってしまいます。さらに、虐殺を記した彼の日記が死後に発見されました。
発表しなかった日記に嘘を書いたとでも言うのでしょうか?

『南京の真実』を書いたラーベは軍需産業ジーメンスの南京支社長で、中国に兵器を輸出していた。
中国の敵国である日本がドイツと接近すると、中国への武器輸出への道が絶たれ儲けがなくなるので、
ラーベはヒトラーに虚偽の虐殺を報告し続けたのだ!
→大嘘です。http://www.geocities.jp/yu77799/rabe3.html

いずれにせよラーベは相手によって、報告する犠牲者数をコロコロ変えている。信用できない奴だ!
→別に相手によって変えているわけではありません。まだ虐殺事件の途中であった1938年1月にラーベは
被害者を数千人程度と推測したが、半年の間に様々な情報が集まり、5〜6万という見解になったというだけです。
http://www.geocities.jp/yu77799/rabe.html

虐殺が無かった証拠に、安全区の委員長ラーベは日本軍にその感謝状を贈っている!
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/rabe.html
一読して分かるようにこれは単なる要請書です。歴史修正主義者たちは、冒頭の
外交辞令を強弁して無理矢理「ラーベの感謝状」と呼称しているのです。
しかも1937年12月14日(南京陥落の翌日)のものなので虐殺の否定材料にはなりえません。

厳正なる軍紀で知られた皇軍が虐殺などするものか!
→軍紀の頽廃を嘆く声は軍内部にもいくらでもありました。松井石根・岡村寧次両大将さえ言っています。
http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html
806名無的発言者:05/03/13 23:48:31
凶行は中国軍の仕業だ(その1)!米副領事エスピーの報告書に、中国軍の略奪が書かれている!
→エスピー報告書によっても、中国兵の略奪があったのは陥落直前のみで、その後の日本軍は遥かに酷かった
と書かれています。また、中国軍の市民殺害は「殺人をも行いしなるべし」と推量に過ぎません。
http://www5.tok2.com/home/JOHNVOID/nakkin_faq_ans8.html

凶行は中国軍の仕業だ(その2)!東中野修道氏が指摘する、ニューヨーク・タイムズの
「元支那軍将校が避難民の中に―大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに」という記事が証拠だ!
→本当とすれば、国際的非難に苦しんでいた日本軍にとって格好の宣伝材料だったはずですが、
そのような宣伝もなく、当時の日本軍要人らの記録にもなく、続報もありません。
否定派の板倉氏ですらガセネタ認定を行い東中野説を批判していると言うシロモノです。
http://www.geocities.jp/yu77799/higasinakano126.html

凶行は難民の仕業だ!『侵華日軍南京大屠殺史料』で中国軍人・郭岐が難民の略奪を記している!
「夜の間は(略)人々は難民区外の大企業、大店舗、大邸宅を好きなだけ物色した」と書かれているのだ!
→そういうのは空き巣といいます。犯罪ですが、凶行とか残虐行為とは言いません。

凶行は朝鮮人の仕業だ!日本に併合されていた朝鮮人の兵士がやったのだ!
→朝鮮人の徴兵は1944年開始。志願兵制すら1938年に入ってから決定されました。

虐殺を証言した日本軍兵士は、中国の「撫順戦犯管理所」で洗脳されたのだ!
→南京虐殺を証言した日本軍兵士には、一度も中国の捕虜になったことのない人が大勢います。
リアルタイムで(つまり捕まる前から)残されていた日誌類も数多くあります。

陣中日誌や戦闘詳報などといっても、「伝聞証拠」なので刑事裁判では証拠にならない!
→別に裁判やってるわけじゃないんですけれどね。刑事訴訟法323条をご覧下さい。
仮に現行法の証拠法則を適用しても、証拠採用は十分可能。日記が証拠になった事件なぞいくらでもあります。
http://www.houko.com/00/01/S23/131A.HTM#323
807名無的発言者:05/03/13 23:48:55
日記が証拠になるなら、俺が日記に30万殺したって書けば大虐殺だぜ!
→国も立場も多種多様な人々が、日記以外にも様々な資料に同種の事態を記しています。
『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』という382頁もある本でさえ、それらの氷山の一角に過ぎません。
執筆者の死後に発見された日記も沢山あります。それらに匹敵する量と質の日記を、書けるものなら書いてください。

日記が信用ならない事は、「東裁判」で裁判所が判断している!
→「東日記」と呼ばれるその資料は、そう呼ばれているだけで日記原本は残っていません。後から書いたメモです。
東裁判では日記が信用ならないのではなく、日記の原本がないからこそ信頼性が薄いと見なされたのです。

戦闘詳報は大本営発表のソースなのだから信用できない!
→大本営発表が大ウソなのは戦闘詳報が元だからではなく、それを歪めて発表したからです。

南京の記録とされているものが、口語体で書かれている!戦後に書かれたことは明白だ!
→口語体は1920年代には普及しています。てか夏目漱石って知ってます?

『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて』は捏造本だ!自称元兵士・鬼頭久ニの年齢を計算すると当時11歳になる。
他にも大量の嘘を、阿羅健一氏が『正論』平成14年11月号において指摘している。
→年齢は誰が見ても単なる誤植に過ぎません。阿羅氏の文章は大量の嘘を、以下で指摘されています。
細かいミスを曲解して「捏造」に仕立て上げて宣伝するのも歴史修正主義者の常套手段です。
http://www.nextftp.com/tarari/arazatsubun.htm

便衣兵を殺すのは、国際法違反者への合法的な処刑である!
兵士が一般市民を装うのは、ハーグ陸戦協定条約附屬書23条で禁じられた「背信の行為」に当たるからだ!
→実は23条には「敵國又ハ敵軍ニ屬スル者ヲ背信ノ行爲ヲ以テ殺傷スルコト」とあります。
背信の行為を使って「殺傷スルコト」を禁じているのであり、単に平服を着ることを禁じているのではありません。
また、たとえ国際法違反者であっても処刑には裁判を必要とします。
808名無的発言者:05/03/13 23:49:24
便衣兵に対しては国際法で裁判の必要が無い!便衣兵には捕虜資格が無いのだ!
→捕虜資格がなくなるのは、便衣で戦闘行為を行った者であり、単に平服だった者ではありません。
そもそも捕虜資格があろうが無かろうが、捕らえた相手を裁判無しで殺していいわけではありません。
捕虜資格があるのなら軍法会議、無いのならば軍律会議になるだけです。

そんな規定は空文に過ぎない!世界中どこの軍隊も軍律会議なんてやっちゃいなかった!
→軍律会議は慣習化されていましたし、日本軍も他地域でこの慣習を実行しています。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/aandv/ilow01_04.htm
また旧日本海軍の公式文書『戦時国際法規綱要』でも認めています。
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/data/syobatu.htm

便衣兵であろうが無かろうが、兵士が中立地帯の安全区にいたこと自体が国際法上の犯罪である!
→国際法上、中立地帯というものは両軍の合意によって成立しますが、日本軍は安全区の承認を拒絶しました。
そもそも掃討のためや強姦などの犯罪行為を行うために、日本兵も安全区に入りまくっています。

拒絶したのは日本軍だけで、中国側は合意していたのだから、中国兵が入るのは犯罪だ!殺してもいい!
→中国軍も合意せず、民間人に過ぎないラーベら委員会の要望を無視し、別途「難民区」を設定しています。

日本軍がやったのは敗残兵の掃討だ!残敵掃討は国際法でも認められている!
→捕まえた相手の裁判無しの処刑や、「命を助けてやるから」と騙して連行した人々の虐殺は明白な犯罪です。
残敵掃討自体は合法ですが、もともと違法な行為が残敵掃討中なら合法になるわけではありません。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/simin.html

捕虜虐殺も、戦闘直後の興奮状態で行われたのなら、責任が阻却される!
→そんな法規がどこにありますか。

万を超えるゲリラを裁判などしていられるものか!
→万を越えるゲリラなどいません。南京のいわゆる便衣兵はゲリラ(平服で戦う者)ではなく、
平服で隠れていただけです。人数によって裁判の義務を免れるなどという規定はありません。
809名無的発言者:05/03/13 23:49:59
軍律審判は非公開なのだから、記録に残っていないだけで本当は行ったのだ!
→審判自体が非公開であることと審判した記録を残さないことは全然別の話です。
1937年7月〜38年の1年半の間に(南京に限らず)陸軍の軍律審判で処分された総数が487人しかいません。
また、虐殺自体の日本側証言や記録、中国人幸存者証言が多数残っているのに裁判を行ったという記載が
まるっきり無いのは、裁判を行わずに殺戮したとしか考えられません。

日本軍は妥当な方法で、市民と便衣兵を分けていた!
→実際には選別の基準は「家族がいない」「荷物を担いだ跡がある」「帽子をかぶっていた跡がある」
「靴ずれがある」「面タコがある」「姿勢がいい」「目つきが鋭い」「青壮年だ」などというものでした。

南京は防守都市だったから、たとえ無差別殺戮をしても国際法違反ではなかった!
それを自制した日本軍は賞賛こそされ、非難される筋合いはない!
→自制?無差別攻撃などしたらハーグ協定23条の2と7、27条、46条、55条、56条と違反のオンパレードです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B0%E9%99%B8%E6%88%A6%E5%8D%94%E5%AE%9A

中国だって日本人を、通州事件で虐殺していたじゃないか!
→通州事件を起こしたのは、国民政府でも共産党軍でもありません。
日本の傀儡政権である「冀東防共自治政府」の保安隊がやったことです。