天安門の虐殺について教えてください

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932名無的発言者:2008/05/14(水) 23:27:50
昔、公開された天安門のドキュメンタリー映画観れば戦車だしたくなる気持ちが分るぞw あと民主化遅らせた張本人はあの学生どもだ
933名無的発言者:2008/05/14(水) 23:49:26
>>932
犯罪者集団中国共産党がまともな政府なら学生も騒がないんじゃね?

大躍進政策w 文化大革命w

お前論点ずれてるよw
工作するならもっと勉強しろアフォww
934名無的発言者:2008/05/15(木) 00:34:14
アンカー付けずに TO番号 でカキコしてるのは昨日からの新人工作員ですw
優しくして下さいv
935名無的発言者:2008/05/15(木) 02:27:08
>>934
あい
わかりまちた!
936名無的発言者:2008/05/15(木) 08:20:34
>>933
ゴルビーが来日する前に天安門をなんとかしたいから、学生達の出していた
要求にたいする大幅な譲歩案をだしてたんだよ。
でも学生達はそれほ受け入れず、リーダー達は運動の主導権争いをしてた。
で、結局、あの騒ぎの中、ゴルビーが来て中国の面子丸つぶれw
937名無的発言者:2008/05/15(木) 09:21:54
>>936
結局、支那人っていつの時代も天下を取りたいだけじゃん。
これじゃあいつまで経っても民主化なんて無理だな。
ってか民主主義を永遠に理解できないんだろうな…。
938名無的発言者:2008/05/15(木) 12:27:26
あと、共産党内部にも一気に民主化は中国では不可能だから、
地方の田舎の長とかを選挙で選ばせるようにとかで、少しずつ緩やかに
民主化をしていこうと考えていた人達もいたけど、この事件のせいで
民主化派は墨に追いやられてしまいましたとさ。
939名無的発言者:2008/05/15(木) 23:34:14
中国共産党ww
940名無的発言者:2008/05/16(金) 06:31:25
【正論】「胡訪日」以後 評論家・鳥居民2008.5.16 03:46
 ■反日デモが中国に教えたもの
 胡錦濤国家主席が訪日したのを機会に、中国共産党が日本にどのような態度をとってきたかを振り返ってみたい。9月3日は中国では抗日戦争記念日である。その日を10年ごとに見ることにしよう。
 1955年の9月3日、中国の新聞はいずれも「今日は抗日戦争勝利10周年記念日である」と社説の最初に掲げた。中国共産党が政権を握って6年目だった。日本の首相はそのとき鳩山一郎だった。社説はいずれも、
鳩山政府をアメリカの走狗(そうく)と非難し、日本国民は中国の友人だと持ち上げてみせ、いまや郷愁さえ覚える共産党常套(じょうとう)の戦術を展開していた。
 だが、そのとき毛沢東主席は農業共同化の計画に没頭していた。地上の楽園となる人民公社の建設にまで発展する大運動を開始しようと懸命であり、日本のことなどかれの頭脳の片隅にもなかった。
 1965年の9月3日はどうであったか。「人民日報」は、そのとき国防部長だった林彪の大論文「人民戦争の勝利万歳」を載せた。「中国人民の抗日戦争勝利20周年を記念して」の副題がついていた。
 世界革命への中国共産党の戦略と戦術を明らかにしたものだと海外では論じられた。本当はアメリカや日本のことなど中国共産党の幹部たちの頭にはまったくなかった。毛沢東の人民公社は3000万人以上の死者をだす空前絶後の悲劇で終わり、
毛の部下たちが中国の立て直しに取り組んでいた。
 ところが、1965年、毛はその部下たちを粛清しようとする構えだった。それを察した部下たちは中国を取り囲む国際状況はまことに剣呑(けんのん)だと力説することで、
内輪で争う余裕はないと毛をして思い直させようとしていた。

 
941名無的発言者:2008/05/16(金) 06:33:18
≪国民に憎悪を植え込む≫
 林彪は毛の側にいた。かれの9月3日の論文は中国が帝国主義勢力を恐れる必要はないのだと説くことによって、毛に大粛清をはじめさせようとするものだった。
 30周年の1975年はどうであったか。「人民日報」はトップに「偉大なる指導者毛主席の指示により」といった書き出しで、水滸伝の主人公、宋江を批判する「重大な闘争」をおこなうと宣言していた。
 毛の復讐(ふくしゅう)はずるずるとつづき、かれの後継者に定められたはずの林彪もすでに死んでしまっていた。
 「色の黒い小男で、容貌(ようぼう)は醜く、才能もない」と宋江にたいする攻撃は、復活させたトウ小平を再び葬り去ろうとするものだった。
 トウにとって幸運だったのは、その翌年に毛が没してしまったことだった。
 40周年の1985年の9月3日はどうであったか。中国と日本のマスメディアは報道しなかったが、その3日あとから学生たちの反日運動が吹き荒れるようになった。
それでも記しておかなければならないのは、両国の努力があって、両国民のあいだで善意が通じ合っていたのである。
 そのデモから4年、それは全国にひろがる民主化運動に発展したのだが、天安門広場の弾圧となって終わった。
 50周年の1995年9月3日は、日本を敵に仕立て、日本憎悪を国民に植え込む7月からつづいていた大運動のピークとなる一日だった。
 民主化を求めた胡耀邦、つづいて趙紫陽が失脚し、トウ小平に選ばれた党総書記の江沢民がはじめた運動だった。

 
942名無的発言者:2008/05/16(金) 06:35:21
≪変化する「怒りの対象」≫
 60周年の2005年9月3日はどうだったか。じつはこの年は4月に反日デモが起きた。日本が国連安保常任理事国になるのを反対させる国民運動をやらせたのがはじまりだった。デモ隊が日本の外交公館を襲い、やがて街路を占拠する暴動になるのが目に見えるようになって、
党は反日デモを押さえ込むのに懸命となった。
 さて、最後に記すのは2015年9月の予測ではなく今年4月にチベット人の反乱からはじまった中国人の外国に向けての愛国主義の怒りの大波である。世界の人びとを驚かせたその怒りこそ、
外国にスケープゴートを求めた愛国主義教育の成果であった。だが、中国首脳陣は喜んではいまい。1985年と2005年の反日デモが教えたことは、だれもが怒りの目標を容易に変えるということだ。
 僅(わず)か20年足らずのあいだに世界の工場へとのし上がった中国国内の矛盾と悪は、それまた非常に大きく、国民の怒りの対象も多い。
 そして多くの中国観察者が懸念しているのは、中国の「権力を握った貴族階層」がまずは自分たちの利益を図るのをさきにしていることなのである。(とりい たみ)
943名無的発言者:2008/05/16(金) 11:07:20

>1 : :03/07/03 19:47

古いスレだな。化石スレか?
944名無的発言者:2008/05/17(土) 10:44:26
>>936
中国では自由を要求する事を主権争いと言うんですか?
945名無的発言者:2008/05/18(日) 11:10:41
ももこさんには担当医がいるんですね。(笑)

>>910さんがそうなんですか?
946名無的発言者:2008/05/18(日) 22:46:04
近いうちにまた大虐殺が起きるだろうな
947名無的発言者:2008/05/18(日) 22:48:39
中凶に国際放送止められても
何にも言わない売国犬H系
http://jp.youtube.com/watch?v=fABsFgREtwc


948名無的発言者:2008/05/18(日) 23:53:44
〜騙されてはいけない!! 中国人ってこんなやつら〜

実録・長野市突撃録 (もう聖火リレーってレベルじゃねーぞwww)

DLパスは全て sage で共通です。


マスコミが決して報道しない聖火リレーの裏側・暴徒の群れ
ttp://toku.xdisc.net/1/download/1211105610.zip

愛国無罪による治外法権化のお知らせ
ttp://toku.xdisc.net/Sn/5/eww/bh2831.zip.html

局の前で暴動が起きているというのに朝日ときたら
ttp://toku.xdisc.net/u/download/1211114542.zip

聖火リレーなのに五輪の旗が見えない件について
ttp://heppoko.fam.cx/ : henachoko1606.zip

子供連れで言論封殺・全世代が覇権主義・帝国主義に染まってます
ttp://kissho6.xii.jp/14/src/1yon10173.bin.html

この俺が 嫌いなやつは 皆右翼
ttp://toku.xdisc.net/Sn2/up3/www/re2277.zip.html

※コピペしていろんなスレに貼り付けてください。
  誰でも自由に転載・再うpして、ニコ動やよつべにうpってもかまいません。
949名無的発言者:2008/05/20(火) 10:04:51
>>946

大地震の影で大虐殺が起きてたりして・・・・・
950名無的発言者:2008/05/21(水) 08:15:23

天安門事件の日にもやれよ。
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1211302481/
951名無的発言者:2008/05/21(水) 21:06:34

【中国】 規制の厳しい天安門周辺で、2000人が異例のデモ…

「頑張れ中国」と行進
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1211360981/
952名無的発言者:2008/05/21(水) 23:51:33
地震被害の関連で中国が認める事になった四川省の核施設とは、
軍事専門家の間では周知の、中国軍の戦略核ミサイルの地下格納
サイロの事である。
チベット侵略鉄道=青蔵鉄道は、内陸部に続々と建設される軍事
施設の建設資材搬入用でもあるのだ。
953名無的発言者:2008/05/22(木) 10:38:54
中国は上に政策あり、下に対策あり、同情は不要 2008/05/22 10:26
成都市の野宿はこれはもしかすると大変大きな問題に繋がっているかも知れない。
神である共産党政権がどの様に対応するかである。・・・・・・・・これは動乱への余震であるかも知れない。
であるなら多くの犠牲を払った四川大地震は中国の天下を揺るがすことになるかも知れない。中国は常にその不安を抱えている。
何故か。
成都市は四川省の省都であること。つまり、都市であることだ。都市での不安は必ず政権を揺るがす。
しかも6月4日の天安門事件の日が近づいていることだ。
一方的一面的に人民を圧迫する政治システムは何時かある時、一挙に雪崩の如く崩壊するからだ。
共産党政権の危機であるかも知れない。胡錦涛政権の正念場かも知れない。

954名無的発言者:2008/05/22(木) 11:15:01

はいはい 
      内政干渉
955名無的発言者:2008/05/24(土) 21:31:39
近いうちにまた天安門事件が起きるだろうな
956:2008/05/24(土) 21:35:34
ここにいるシナ人は王丹や柴玲、ウーアルカイシ達の事をどう思ってるんだよ
957名無的発言者:2008/05/25(日) 01:04:12
>>1
天安門事件で何千人か殺されたらしいのは間違いないようだけど、
それすら氷山の一角だよ。いまさらだけど、こんな本があるよ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4434116274/
中国の民衆殺戮 義和団事変から天安門事件までのジェノサイドと大量殺戮
日本語版への序 前書き 謝辞
第1章 序及び概説 I部 変容と民族主義闘争の時代 1900年 ~ 1949年9月
第2章 犠牲者10万5,000人:清王朝・民国時代の中国
第3章 犠牲者63万2,000人:軍閥の中国
第4章 犠牲者272万4,000人:国民党時代
第5章 犠牲者1,021万6,000人:日中戦争
第6章 犠牲者394万9,000人:中国における日本軍の大量殺戮
第7章 犠牲者496万8,000人:国共内戦
II部 中華人民共和国
第8章 中華人民共和国:概説 第9章 犠牲者842万7,000人:全体主義化の時代
第10章 犠牲者747万7,000人:協同化と「大躍進」
第11章 犠牲者1,072万9,000人:大飢饉と調整期
第12章 犠牲者773万1,000人:「文化革命」
第13章 犠牲者87万4,000人:自由化
この本だと日本が殺したのが400万人で、共産党は最初からずっと殺し続けてて、
3-4000万人くらいになるらしい(控えめな数字)。
日本の戦争犯罪のことを中国人が言っても、
「お宅の政府はその10倍殺してるんじゃないの?」と聞いてみたくなった。
(昔は知らなかったから謝ってたorz)
この過疎スレが関連スレな>中国の民衆殺戮http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/china/1209275852/l50
958名無的発言者:2008/05/25(日) 08:38:46

四川でも不満分子が虐殺されるかも・・・・・

【四川大地震】 「子供返せ」 学校倒壊の“手抜き工事” 

一人っ子の親たちが追及
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1211579780/
959名無的発言者:2008/06/01(日) 14:30:37
六・四天安門事件の、中国語発音と英語発音を教えてもらえませんか?
960名無的発言者:2008/06/01(日) 20:07:39
石平(せき・へい)氏は、1980年に北京大学に入学した。そ
こで人生最大のショックに打ちのめされた。物心ついて以来、
「人民の幸福を願う慈悲の救世主である毛主席」の小戦士とし
て育てられてきたのに、その毛主席がどんな悪事でも平気でや
り通す権力亡者だ、と非難する人が大学には大勢いたのである。

 石少年の学んだ四川省成都市の中学校は「思想教育の重点模
範校」に指定されていて、「毛沢東思想の徹底した教育によっ
て毛主席の忠実な戦士を作ること」を基本方針としていた。

 学校の玄関から入ったところには、毛沢東の石像が聳え立ち、
至る所に毛沢東語録を書いた看板が立てられていた。毎朝一時
限目の授業では、クラスの全員が起立していて毛沢東の顔写真
に敬礼した後、さらに3人の生徒を立たせて、毛沢東思想を勉
強したことによる「収穫」を述べさせるのが日課であった。

 担任の女性教師は、教室の中で毛主席や共産党の「温情の深
さ」を語る時、いつも喉を詰まらせながら泣き出してしまうの
だった。そして毎週一度、生徒全員が「毛主席への決心書」を
書かされるのだが、石少年は文章が上手だったので、時々模範
文に指定され、クラス全員の前で朗読させられた。その一つは
「敬愛なる毛主席は私たちの心の中の赤い太陽」というタイト
ルだった。
961名無的発言者:2008/06/01(日) 20:09:10
ところが、北京大学のキャンパスには、敬愛する毛主席を非
難する人間がたくさんいた。誤った大躍進政策で数千万の人民
を餓死させ、自分の地位が危うくなると文化大革命という争乱
状態を作り出して、多くの罪もない人びとを死に至らしめた独
裁者だった、と彼らはいう[a,b]。

 最初は勿論、絶対に信じたくはなかった。私は小柄であ
るにもかかわらず、「毛主席の悪口を言うやつ」に対して
は、何度も食ってかかって、殴り合いの喧嘩をした。しか
し、徐々に信じざるを得なくなった。示された根拠は、あ
まりにも説得力のあるものであり、被害者とその家族たち
の訴えは、あまりにも切実であった。

 大学の学生寮で同じ部屋に住むC君は、お祖父さんが無
実の罪で処刑されたのも、お父さんが無実の密告で自殺に
追い込まれたのも、お母さんがそれで気が狂って精神病院
に入っていることも、C君自身は帰る家もなく夏休みも冬
休みもずっと、この学生寮で暮らしていたことも、紛れも
ない事実であった。[1,p32]

962名無的発言者:2008/06/01(日) 20:10:35
そう言えば、と石氏は思い出した。中学生の頃、近所に乞食
のお婆さんがいた。通りかかる生徒たちにいつも笑顔で「勉強
がんばってね」と声をかけてくれた。そのお婆さんが、トラッ
クで市中を引き回された後に、処刑場で銃殺されたのである。
その罪は、毛主席の顔写真が掲載されている新聞紙を使って、
拾った大根を包んだ事だという。今になって思えば、これこそ
毛沢東政治の狂気と残虐性を示す一例だったのだ。

 自分が子供の頃から完全に騙されて育ってきた、と知ったの
は、19歳の青年にとっては、あまりにも過酷な体験であった。

 石氏はやり場のない怒りに、毛沢東の肖像を何度もずたずた
に引き裂いて、両足で力一杯踏みつけた。一人、大学構内の雑
木林の中に入って、狂ったように木を蹴ったり、揺すったりし
た。天に向かって「馬鹿やろう!」と大きな声で叫んだ。
963名無的発言者:2008/06/01(日) 20:12:21
このような苦しみを味わったのは、石氏だけではなかった。
程度の差こそあれ、周りの同級生たちも、皆このような受難を
味わっていた。学生寮の狭い部屋で、安酒を酌み交わしながら、
一緒に涙を流した。その中から、連帯感が生まれてきた。
 冷静になって考えてみると、毛沢東一人に怒りをぶつけてい
れば済む問題ではない。確かに毛沢東は自分一人の権力欲のた
めに、国家と人民とを地獄に陥れた。しかし、国全体がなす術
もなく、一人の人間の横暴と狂気を十数年も許してきたのは、
一体なぜなのだろうか。
 結局、中国共産党の一党独裁体制そのものが問題の根源なの
だ。毛沢東のような暴君が二度と現れてこないようにするため
にも、一党独裁の政治体制を打破し、国家の法制を整備して、
人民に民主主義的権利を与えなければならない。

 そういう理念を確立し、信ずべき道を定めたことによって、
石氏らの世代は、心の再生を味わい、未来への希望を得た。彼
らは民主化運動の推進に、青春の情熱を傾けるようになった。
964名無的発言者:2008/06/01(日) 20:13:52
石氏は大学卒業後、地元四川省の大学講師となり、学生寮に
入り浸っては、自由と民主化について、学生たちと語り合った。
しかし、そうした活動が、共産党支部から「厳重注意」を受け
た。教授からも、「僕の立場もあるから、もっと研究に専念し
て欲しい」と言われた。

 こうして石氏の活動が封じ込めらているうちに、北京で政変
が起こった。若者たちの民主化運動に一定の理解を示し、共産
党内の開明派の代表格であった胡耀邦が党総書記を解任された
のだった。それによって、民主化運動も低調期に入った。

 そんな時に、一通の手紙が日本から届いた。学生時代に民主
化の理想を語り合った親友が、政府派遣の留学生として日本に
渡り、石氏にも「日本に来ないか」と誘ってくれたのである。

 石氏は心を動かした。民主化を志す者として、実際の民主主
義国家とは一体どういうものであるかを、自分の目で見てみた
かった。また、どうしてアジアの中で日本だけが近代化に成功
したのか、という問題には以前から興味を持っていた。

965名無的発言者:2008/06/01(日) 20:16:15
こうして1988年、石氏は日本にやってきた。1年間、居酒屋
で皿洗いのバイトをしながら、日本語学校に通い、「あいうえ
お」から勉強した。そして翌年、神戸大学の大学院に入った。
 大学院に入って、指導教官のゼミが始まった4月15日、胡
耀邦前総書記の死去のニュースが祖国から伝わった。それを機
に、民主化運動は一気に蘇った。北京の仲間たちから、「今度
こそ、いっせいに立ち上がって長年の夢を実現するぞ」という
檄文が寄せられた。  石氏も京阪神地方の中国人留学生の連帯組織を立ち上げて、
日本において、中国国内の民主化運動に呼応する活動を開始し
た。やがて、あの運命の6月4日がやってきた。[c]  そして、毛沢東時代ですら見たことのない恐ろしい光景
が現実のものとなった。共産党が、中華人民共和国政府が、
兵隊と戦車を出動させて自らの首都を「占領」して、丸腰
の学生や市民に手当たり次第に銃撃を浴びせ、次から次へ
と倒していった。[1p49]
966名無的発言者:2008/06/01(日) 20:17:27
あの日に、トウ小平の凶弾に倒れて、若い生命と青春の
夢を無残に奪われたのは、自分たちの同志であり、自分た
ちの仲間なのだ。後で知ったことだが、自分がかつて一緒
に飲んで、一緒に語り合ったことのある仲間の数名が、そ
の犠牲者のリストに含まれていた。

 彼らはかつて、この私の目の前に座っていて、この私に
向かって夢と理想を語り、この私に、青春の笑顔の明るさ
と、男同士の握手の力強さを感じさせた。彼らは確かに生
きていて、存在していた。
 そしてあの日突然、彼らは殺された。[1,p47]
967名無的発言者:2008/06/01(日) 20:20:37
この時になって、石氏は、自分がもう一度騙されていた事を
知った。★7、8年前に毛沢東時代の洗脳教育から覚めた時でも、>>ここが重要 在日留学生君
トウ小平と彼の率いる党内改革派によって、共産党も生まれ変
わっていくだろうと、信じて疑わなかった。
 しかし、民主化運動が共産党の独裁体制を脅かすような事態
になると、トウ小平も共産党も、すぐさまその本性を剥き出し
にした。そこには主義も哲学もない、法律も道理もない。ある
のはただ、共産党が自らの独占的権力を何としても守りたい、
という赤裸々な党利党略と、そのためには、手段を選ばない卑
劣さと残酷さであった。  ここまできて、私自身は完全に目が覚めた。自分の心の
中で、中国共産党と中華人民共和国に決別を告げたのであ
る。・・・  この中華人民共和国にも、もはや用がない。何の愛着も
義理もない、共産党の党利党略のための道具と成り下がっ
たこの「共和国」は、もはや「私たちの国」ではない。そ
れはただの「北京政府」であって、ただの「あの国」となっ たのだ。[1,p50]
968名無的発言者:2008/06/01(日) 20:22:31
石氏はその後、6年間の大学院生活を終えて、日本の民間研
究所に就職した。そこでは中国国内の大学や研究所と学術的交
流を進めていたので、石氏も頻繁に中国に出張するようになっ
た。

 久しぶりに見た中国社会で衝撃を受けたのは、すさまじい反
日感情が蔓延しているということだった。食事の場などでも、
かならず「原子爆弾でも使って、日本を地球上から抹殺すべき
だ」「いや恨みを晴らすには一人ずつ殺した方がいい。東京大
虐殺だ」などと、日本への罵倒合戦が始まる。

 石氏は何でこんなに中国人が反日になったのか、理解できな
かった。自分が学生だった80年代の「改革開放」時代には、
官民を挙げて日本との交流を全面的に推進することが国策とな
り、「日中友好」「日本に学ぼう」が合い言葉として流行って
いた。高倉健や山口百恵などは、中国人にとっての「国民的」
アイドルになっていた。
969名無的発言者:2008/06/01(日) 20:24:49
90年代の「反日青年たち」は、日本を憎むのは、過去の日
本軍の「無道」や「虐殺」に原因があるというが、それなら、
戦争の記憶がより鮮明な80年代の私たちの方が、もっと日本
を憎んでいるはずだ。しかし、事実は正反対で、私たちの世代
は日本に対して好感と親しみを持っていた。おかしいではない
か、と石氏は思った。  そのナゾがやっと解けたのは、2000年8月に夏休みを利用し
て、四川省の実家に帰省した時である。大学1年生の甥が遊び
に来ていたので、小遣いをやろうとした。しかし、甥は「要ら
ない」と断った。「おじさんのお金は、日本人から貰った給料
だろう。そんな金、僕は要らない!」ときっぱりした口調で言っ
た。  そして「今度、日本が攻めてきたら、僕は最前線へ行って、
小日本を徹底的にやっつけるのだ」と気迫を込めて言った。石
氏は「もう一人の反日青年の誕生か」と心の中で呟いた。

970名無的発言者:2008/06/01(日) 20:29:07
略 終わりに>
人を馬鹿にするにもほどがある。子供時代の私たちを洗
脳した時と同じ手口を使って、もう一度人を騙そうとする
のか。私たちの世代だけでなく、私の甥の世代までもこの
ような洗脳教育の犠牲者にする気なのか。そうはいかない、
と思った。  そして何よりも許せないのは、中国共産党政権はまさに、
この反日教育という名の汚いマジックを用いることによっ
て、私たちの世代の起こした、民主化運動への記憶を抹殺
して、私たちの仲間に対する、彼らの殺人的犯罪を覆い隠
したことである。[1,p89]

 石氏は、殺された同志のためにも、将来の中国のためにも、
「反日」という世紀の大ペテンを打ち破らなければならない、
と決心した。ここから『日中宿命』などの力作が次々と生み出
されていく。
971名無的発言者:2008/06/01(日) 20:31:13
私は「毛主席の小戦士」だった―ある中国人哲学者の告白 (単行本)
石 平 (著) より

972名無的発言者:2008/06/01(日) 20:32:51
今では「親日・反中国政府」的中国人論者の代表格として活躍し
ている著者は、ここに至るまでの自らの魂の受難歴を語った衝撃な一冊!
在日年数十八年も及び、日本の伝統文化と美学に古き良きわが祖国の姿を発見し
た中国人哲学者からの、清冽な日本文化論。

内容(「BOOK」データベースより)
失意を抱いて留学した日本で彼が出会ったものは、祖国から消えうせた「論語」であり、「礼節」であり、「江南の春」の風景であった。
自分たちがゴミのように投げ捨てたものが日本には息づいていた…。共産党政権に洗脳され、騙され続けた知識人の慟哭と、祖国への決別の手記。
973名無的発言者:2008/06/01(日) 20:39:10
1980年代に中国の民主化を願うを大学生であった著者は天安門事件で絶望の底に突き落とされる。
 彼は90年代に中国共産党がおこなった「愛国主義教育」が毛沢東の行った洗脳教育と同じであることを見抜き
 日本でその危険性を訴える為に言論活動を始めた。
 そこにいたる著者の気持ちがこの本にはよくまとめられている。
 とくに天安門事件でニヒリストになりかかっていた
 時、祖父から幼少の時に習った『論語』を日本で再発見するさまは感動ものである。
974名無的発言者:2008/06/03(火) 23:07:22
もうすぐ天安門事件19周年だね。

中国の民衆殺戮 義和団事変から天安門事件までのジェノサイドと大量殺戮
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この本の表紙はあの時弾圧に向かう戦車隊の前に立ちはだかった
男性の写真が使われてるけど 、あの人どうなったんだろうね?
元気なのかな、それとも・・・。

975名無的発言者:2008/06/04(水) 14:46:38
今日ですな。
976名無的発言者:2008/06/04(水) 15:58:54
一人の人民でも戦車の隊列を止める事が出来る

中国は外圧でなく中国人の手で変えるべきだろう

それが子々孫々が自慢出来る歴史・国となるだろう

6・4 天安門 

勇気ある先人達の死を無駄にするな!

愛する家族・人・国家の為 立ち上がれ!!

命を惜しむな 名こそ惜しめ

977名無的発言者:2008/06/04(水) 16:04:05
 東トルキスタン・イスラム党、ついに中国に“ジハード”を宣言
  北京五輪直前、中国でさらに凶悪事件の前兆

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 5月21日に東トルキスタン・イスラム党(イスラム原理主義過激派)が、
北京へのジハードを宣言していたことがわかった。

 従来、イスラム過激派は「シオニスト」と「帝国主義」を敵と公言してテロ活動
を展開してきたが、名指しで中国をあげたのは初めてである。
 以下に宣言がなされている。
 
「異端の中国人占領者は軍人、役人、政治家、経済人の如何を問わず、非合法の
存在であり、ジハードの攻撃対象であると信じる…この声明は、彼等に対する
宣戦布告である。従って彼等は東トルキスタンから直ちに撤退しなければならない」
ここでは「中国人占領者」と定義付けがおこなわれ、東トルキスタン(すなわち中国
がいう「新彊ウィグル自治区のこと」から出て行けと要求している。
「軍人、政治家、役人、ビジネスマンをとわず 、非合法」と決めつけている。

また宣言はこうも言う。

「東トルキスタンに居住する中国人移住者を非合法の存在とみなす。彼等こそ、
中国による占領を最も端的に具象化した存在である。彼等はトルキスタンから引揚げ、
元の所へ戻らなければならない。この声明は、最初にして最後の警告である」
「最後の警告」というのは、つぎは北京五輪直前になにかをやらかすという宣言かも
知れない。

そして「非イスラムの民族主義シンボルをすべて拒否する」としている。中華民族
主義はかれらの明らかな敵ということである。
978名無的発言者:2008/06/04(水) 16:16:39
沖縄の虐殺について教えてください
979名無的発言者:2008/06/04(水) 17:53:04
戦時と平時を混同するつもりか?
指揮系統が混乱している戦時と
指揮系統がしかっりしている平時

で 比べてみるのかい?

天安門は国家の指示ありきなのだよ
沖縄は指揮系統を失った一下士官の判断
一緒だと??
980名無的発言者:2008/06/04(水) 18:05:11
長野で日本人の老人や女性を狙って暴行してた中国人を見て
こいつらマジで野蛮人だと思ったよ。
連中を日本からたたき出さなきゃマジで日本はやばいことになる。
981名無的発言者
天安門の虐殺についてもっと詳しく知りたいです!
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