中国軍の戦時犯罪

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299名無的発言者
>>298
じゃあ、今から100年前に日本人で初めてチベットへ行った僧侶の記録。
チベットの農民の悲惨さと、腐敗した寺院の様子が同じように報告されてるよ。
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【ダライ・ラマが統治していた頃のチベット】
実にチベットは残酷な制度で、貧民はますます貧に陥って苦しまなければならぬ。
その貧民の苦しき状態は僧侶の苦学生よりもなお苦しいです。俗人の貧乏人は女房がある。
そこに子供でもできたらそれこそ大変です。どんなにその子供を育てても多少の金はかかる。
 その金はどこから借りるかといえば、地主から借りる他ない。借りたところで滅多に返せる
ものではない。返す見込みのない金をどうして地主(華族)が貸すかといいますと、その子が大きく
なった時に、その家の奴隷にするのです。それを見込みに金を貸してやるのです。
 というたところで、そうせ沢山の金は貸さない。むろん少しずつ貸して十円位になり、
その子供が十歳位になると、その十円のために15年も20年もただ使いをするという訳です。
ですから貧乏人の子供は「生まれながらの奴隷」で誠に可哀相なものです。

〜1904年 河口慧海『西蔵旅行記』より〜
300名無的発言者:04/03/31 00:32
【ダライ・ラマが統治していた頃のチベット】
なお華族に属しつつまた政府から幾分の税金を徴収されるのです。
ですから人民は二重の税金を払わなくてはならん。人頭税まで混ぜますと
随分沢山な税金を納めなくてはならん。
(略)
ただ人頭税を納めるだけではない。その華族に対しては自分の土地をその華族
から貸してもらっていることになっているから、その租税を納めなくてはならん。
それでこの人頭税というものは随分苦しい税ですけども、納めなければ殴られた上に
自分の財産を没収されてしまいますから、非常な苦しい思いをしても年の暮れには
人頭税を納めなくてはならん。
 その税を納める苦しさに堪えずして坊主になる者も沢山いる。坊主になると人頭税を
納める必要がないからです。税を逃れるために坊さんになる位ですから、どうせ学問を
する考えもなければ仏教を学んで人の働きをしようという考えもあるはずはない。
 ある時、私の師匠チー・リンポチェという方が言われたことに「この節わが国では
坊主の数が沢山あるから仏法が盛んであるといって大いに喜んでいるがどうだろう。ごろ
ごろといらない石瓦が沢山あるより、金剛石が2つ3つある方が尊いではないか。どうも
困ったものだ」と嘆かれたことがある。多くの坊主の目的が人頭税を逃れるということになるのですから・・。
(略)
中央政府はその集まった物品及び税金を何に使用しているかといいますと、
その大部分は僧侶を養うことに使用するのです。即ちラサ府にいる2万4、5千の
僧侶と、各地方に散在している僧侶を保護しているのです。
 その次が仏堂を普請するとか、あるいは仏陀に供養する。そのために随分金が沢山
かかる。そういうようなところに多く用いられている。

〜1904年 河口慧海『西蔵旅行記』より
301名無的発言者:04/03/31 00:32
【ダライ・ラマが統治していた頃のチベット】
チベットの拷問の方法はごく残酷である。またその処刑もごく野蛮な遣り方である。
獄屋というようなものも、なかなかこの世のものとは思えない程の所で、まずその
拷問法の1つ2つをいいますと、割竹で指の爪を剥すとか、あるいは石でこしらえた
帽子を頭に載せるという仕方もある。それはまず初めに一貫匁くらいの帽子を載せ、
それからその上に同様の帽子をだんだん5つ6つと載せていくので、初めは熱い涙が
出ている位ですが、しまいには目の玉が外に飛び出る程になってしまうそうです。
それから叩くといったところで柳の太い生棒で叩くのですから、しまいにはお尻が
破けて血がほとばしっている。
 それでも三百なり五百なり決めただけの数は叩かなければ止めない。もっとも三百も
五百も叩く時分には、半場でちょっと休んで水を飲ましてからまた叩くそうです。
叩かれた者はとても病気せずにはいられない。小便は血のような真っ赤なのが出る。
私はそういう人に薬をやったことがあります。またそのお尻の傷なども見ましたが、
実に惨たらしいものであります。獄屋もかの寒い国でどこからも日が差さないような、
昼でもほとんど真っ暗闇というような中に入れられているので、衛生もヘチマもありゃあしない。

それから眼球をくりぬいてしまう刑、手首を切断する刑、それもじきに切断しない。
この両方の手首を紐でくくって、およそ半日ほど子供がよって上げたり下げたりして
引っ張っているのです。するとしまいには手が痺れきって、我が物か人の物かわからなく
なってしまうそうです。その時に人が見ている前で切断してしまうのである。
ラサ府の乞食にはそういう刑に処せられたのが沢山いる。
最も多いのが眼球をくりぬかれた乞食、それから耳そぎの刑、鼻そぎの刑

〜1904年 河口慧海『西蔵旅行記』より〜
302名無的発言者:04/03/31 00:33
:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん :04/03/19 07:22 ID:/QibTrl/
【ダライ・ラマが統治していた頃のチベット】
死刑は水攻めにして殺すんです。それにも2通りある。
生きながら皮袋に入れて水の中に放り込んでしまうのもあり、また船に乗せ
川の中流に連れて行って、そうして水に漬け石の重りを付けて沈めるのです。
暫く沈めておいて10分も経つと上に挙げ、なお生きているとまた沈めて、
それから10分ばかり経って挙げてみるのですが、それで生きているとまた
沈める。そういう風に挙げたり沈めたりしてよくその死を見届けてから、首を
切り手足を切り、五体離れ離れにして流してしまって、首だけ取って来るのです。
で3日あるいは7日晒し者にするもあり、あるいはその首を瓶に入れて、そういう
首ばかり集めてあるお堂の中に放り込んでしまうのもある。
その堂というのは浮かばれない堂という意味で、そこへ首を入れられると、
もう一遍生まれて来る事ができないという、チベット人の信仰からこういう残酷な
事をするのです。

〜1904年 河口慧海『西蔵旅行記』より〜
303名無的発言者:04/03/31 00:33
【ダライ・ラマが統治していた頃のチベット】
ラサ府の市街の道の悪いことといったら仕方が無い。高低の多いところで道の真中に
溝が掘ってある。その溝にはラサ婦人のすべてと旅行者のすべてが大小便を垂れ流す
という始末で、その淵には人糞が行列をしている。その臭い事と言ったら堪らんです。
まあ冬は臭いもそんなに酷くはございませんけれども、夏になると実にその臭いが酷い。
それで雨でも降ると道のどろどろの上へ人糞が融けて流れるという始末ですから、その
臭さ加減とその泥の汚いことは見るからに嘔吐を催すという有り様。一体ラサというのは
神の国という意味で、いわゆる仏、菩薩すなわち外護の神様の住処で非常に清浄な土地で
あるというところから神の国という意味の名をつけられたのである。けれどもその不潔な
ところを見ると、確かにパンデン・アチーシャが言われたごとく糞喰らい餓鬼の都としか
思えない。実に不潔なものです。
 私はシナの不潔をしばしば耳にしましたけど、恐らく糞の中、糞の田んぼを堂々たる
都の道路として歩くようなそれほど不潔なところはあるまいだろうと思います。もちろん
ラサ府には糞食い犬が沢山いますけども、なかなかその犬だけでは食いきれない。犬も
新しい糞のは喜んで食いますけども、古いのは食わない。だから古い奴がたくさん残って
いく勘定になるのです。屎尿がたくさんある道の脇に井があって、その井から水を汲み出して
飲むというのですから

〜1904年 河口慧海『西蔵旅行記』より〜