東トルキスタンを救おう2

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20名無的発言者
『トフティさんの復学を求める会』では、「いかなるイデオロギーとも関わりなく、
いたずらに中国当局を糾弾することなく、誠意をつくしてトフティーさんの復学
を訴え」たいとしている。彼が自由の身となる前に、この2chの場で、安易に
「東トルキスタン」ネタ、反中ネタとして取り上げることは、関係者の迷惑となる
可能性もあると思われるので、その辺は熟考して慎重になる必要があると思う。
ただ、関係者でない私は「トフティさん事件」を多くの人に知ってもらいたい
という立場から、同会の資料にある事件の経緯を要約してみたい。

<1>
新疆地域では多くの歴史的資料文物が、日本の大谷探検隊ほか外国の探検隊
によって国外に流出しているため、トフティ氏(現43)は東京大学大学院博士過程
に留学して研究を続けていたが、博士過程完成を間近にした98年2月、一時帰国
中に突然、ウルムチ市国家安全庁(政治犯を対象とする警察)に拘束された。
21名無的発言者:02/10/02 17:56

<2>
2年後の2000年3月、新疆ウイグル自治区高級人民法院は、自治区公文書館の
歴史資料目録のコピーをとったことで「国家秘密の不法取得罪」として懲役5年、
国家分裂を煽動するために日本で本を出版しようとした「国家分裂扇動罪」として
懲役7年政治権利剥奪2年、合算酌量して「懲役11年政治権利剥奪2年」の判決
を下した。

<3>
しかし、現地で弁護士ほか関係者から可能な限り正確な情報を入手し、起訴から
最終判決に至る全ての公文書の内容を確認した結果、有罪判決は全くいわれの
ないものであることが判明した。複数の中国人弁護士も明らかに無罪であると
表明している。歴史資料目録はあらゆる観点から国家機密には該当せず、出版
については本はおろか原稿さえ存在していない。彼は新疆の民族関係と歴史の
複雑さを熟知する研究者として、独立運動は流血をもたらすだけで問題の解決
にはならない、経済的平等と伝統文化への理解さえあれば共存が可能だと主張
して来た人物である。
22名無的発言者:02/10/02 17:59

<4>
彼は現在ウルムチ市内の監獄に収攬されている。月一回、家族の面会が許され
るほか時々手紙が届くが、厳しい検閲があり獄内のことはあまり書かれていない。
精神的には健康そうで、作業の合間に差入れの(歴史以外の)本を読んでいる。
しかし健康管理は望むべくもなく、持病の心臓病と内臓疾患、足首骨折の後遺症
の悪化が危惧される。

<5>
彼の家族が北京の最高人民法院に、無罪を主張する申訴(再審請求)を行って
いるが、思想犯については保身上、弁護の引受手がない上、最高法院でも放置
されることが多い。申訴のためにも、国外からのバックアップが必要である。
現在のところどの活動も結果を見るにはいたってないが、中国政府にも色々な
考えの人がいるので、できるだけ多様な、忍耐強い活動が必要と考えられる。

以上
23サムチョリ:02/10/06 01:12
トフティ・タニヤズさん(42)の特集が新聞記事にでました。
**************************
京都新聞2002年10月5日(夕刊)
連載タイトル:新開国考 37 「帰らない大学院生」
(見出し)
獄中から無実の叫び
国家機密不法入手の罪で懲役11年/人権委も善処もとめる勧告/日本人の名誉救った3人

(本文)
 非常なガラスの仕切りで分断された二人は、ほほ笑みながら向き合っていた。米中枢同時テロからほぼ一年たった八月、民族問題で緊張が続く中国新疆ウイグル自治区の省都ウルムチにある第三刑務所の空気は熱く、乾いていた。
 生き別れになってから四年半あまり。日本から訪ねてきた十三歳の息子の背は、自分より高くなっていた。「大きくなったな」。父親は優しく声をかけた。その目には光るものがあった。
 一九九八年初め、東京・本郷の東京大学で学ぶ自治区出身のトフティー・タニヤズ(四二)は、専攻の歴史学位論文「中国の少数民族政策」を執筆していた。それに必要な歴史資料を収集するため一時帰国、自治区に滞在中に消息を絶った。
 数カ月後、国家分裂を扇動し、国家機密を不法に入手しようとした容疑で逮捕された事実が、日本の知人らに伝わってきた。「何かの間違いではないか」と、驚きの声が上がった。トフティーは、ウイグル人独立運動を批判する穏健な立場で知られていたからだ。
 トフティーは無罪を主張し続けた。しかし、九九年三月、懲役十一年の有罪判決をウケ、翌年二月の控訴審で原判決が確定、現在も獄中の身だ。
 マスコミに訴えたりして騒げば本人に不利になる。そんな情報に、東大当局など関係者が事件を内密にしていたため、明るみに出たのは今年初めだった。
 
24サムチョリ:02/10/06 01:22
 息子と四歳の娘を抱えて日本に残されたラビヤ夫人(二七)は悲嘆に暮れている。「夫が
新疆の独立を目指す確信犯の活動家なら、生命の危険をさらすのも覚悟の上。でも、身に覚
えのないぬれぎぬで、ばからしくてやり切れない。もっと早く事件を公開し、世間に訴える
べきでした」
 そして「日本人は優しく見えるけど、いざというときは、まず何もしてくれない。あの三
人がいなければ、わたしたちはどうなっていたか」と続けた。
 その一人、身元保証人の工業デザイナー、山口泰子は「乗りかかった船だから」と、日本
に残された家族の生活の面倒を見ている。息子のウルムチ行きにも同行した。
 あとの二人は指導教官の佐藤次高、岸本美緒両教授だ。「学者として、研究の自由は守ら
なければならない」・そう言って、トフティーの休学更新を大学当局に働き掛けた。二〇〇
〇年二月には、国連人権委員会に中国司法当局の判決の不当性を訴えた。
25サムチョリ:02/10/06 01:30
(見出し)
日本人は優しく見えるけど
知人ら釈放運動実らず
(本文)
 人権委員会の恣意(しい)的拘禁に関する作業部会に提出された文書では、双方の立場が真っ向から対立した。
 中国側は、こう主張して有罪判決の正当性を強調した。トフティーは海外の分裂主義組織と日本の反中国組織の資金援助を受け、中国から大量の国家機密を盗み出した。九八年に「シルクロードの秘密」と題する書籍を日本で出版し、中国の分裂を扇動したと。
 佐藤教授は、資料収集は純粋な学術研究を目的としており、政治とは関係ないと訴えた。さらに、海外組織などが明らかにされておらず、問題の本も出版されていない、と反論した。
 作業部会は昨年末、佐藤教授側の主張を全面的に受け入れた。有罪判決は、国家機密の拡大解釈による思想や言論の自由に対する侵害であり、世界人件宣言や国際人権規約A(市民的、政治的権利)に違反する。こんな判断を示して、中国当局に善処をもとめる勧告をした。
 人権規約を批准していない中国に拘束力はない。でも、この勧告で国際的な支援運動に弾みがついた。
 八月、アムネスティ・インターナショナル(本部・ロンドン)は日本支部の要請でトフティーを「今月の良心の囚人」に選んで、早期釈放を全世界に呼び掛け、ホームページに顔写真を載せた。
 在京のある西側外交官は「日本人の名誉を救った三人」と、佐藤教授らの行動を賞賛する。だが、三人の懸命の努力にもかかわらず、国内の支援運動はまだ盛り上がりを欠く。
 東大の学生が学友のために支援に立ち上がる気配もない。人権派とされる野党議員の秘書は「取り上げて中国との関係を悪くしたくないので」と尻込みした。
 瀋陽事件で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の亡命希望者に対し、日本の外交官が人ごとのように振る舞うのをテレビで見て、ラビヤは大きなため息をついた。山口や佐藤教授らは外務省が何もしない、と怒っている。
 外務省中国課の人権問題担当者は「内政問題であり、双方の主張が食い違っている以上、日本政府は口をはさむことはできない。少数民族問題に中国は敏感なので、何もしないことが本人のためにもなる」と傍観の構えだ。
27トフティ・タニヤズ5:02/10/06 01:54
 日本は九七年以来、国連人権委員会で中国の人権状況改善を求める共同提案国になるのをや
めている。代わりに、中国と二国間の人権対話を行うことで合意した。人権対話はトフティー
の問題を論議するうってつけの場になるはずだ。しかし「双方の日程調整がつかないため」(外
務省当局者)過去二年半以上も開かれていない。
         (敬称略、文・西倉一喜、写真・有吉淑裕、イラスト・田中伊都子)


(写真キャプション)
私の大切な・・・(ラビヤさん)
夫のトフティーさんが写っている一番新しい写真
長い別離の始まりとなった、中国への一時帰国直前の1997年秋に撮った
いつも見られるように玄関に飾ってある

[メモ]
 内向きになる日本人
世界の政治犯を支援するアムネスティ・インターナショナルの日本支部は、1970年に設立さ
れた。その会員数はピーク時90年代半ばの約1万人から、現在は約7000人に落ち、寄付やイ
ベント収入も減って、財政難に直面している。 
 「グローバル化で世界が狭くなり、人々の関係が国境を越えて密接になっているのに、外
国での人権侵害は人ごとで、かかわりたくない。そんな意識が特に、若者の間で強まってい
る」と、日本支部の寺中誠事務局長は内向きになった日本に危機感を募らせる。日本支部の
電話は、03-****-****。

********************
一部数値を伏せ字にしました。 

(キャプション)
獄中にいる夫のトフティーとは、久しく会っていない。「何とか無事で・・・」。そう祈りなが
ら、面会のため中国にむかう13歳の長男らを見送る妻ラビヤ。無邪気に手を振る4歳の娘に、父の記憶はあるまい。
長男の姿が国際線ゲートに消えた。ラビヤは残像を断ち切るように振り返り、そっと涙をぬぐった=成田空港
2920:02/10/07 01:06
>23〜28
驚きました。いろいろ考えさせられる内容でした。
京都新聞はこれまでたびたび新疆ウイグル関連の記事を
取り上げているのでこれからも要チェックですね。

<20レス捕捉>
トフティ氏は、北京の中央民族大学歴史学科(修士)を終了後、十数年にわたり
全国人民代表大会民族委員会に属し、少数民族の歴史・文化を調査研究、
中国語を話せない人々の声を中央に伝えて民族政策に反映させる職務に精励する。
1990〜93年、立教大学の奨励客員研究員、(財)東洋文庫外国人研究員として在日。
この間の研究を『ウイグル歴史文化研究』(北京民族出版社、1995年)にまとめる。
1995年、歴史研究に専念するため職を辞して再来日。東京大学大学院博士課程にて、
民族政策史、ウイグル民族史などを研究する。
3020:02/10/08 02:15
↑ 正:補足 誤:捕捉