捏造「南京大虐殺」の中国人、お前等こそ何をした!

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7南京大虐殺-1
◎「大虐殺」を主張する人々は、下記のような疑問に答えられない。

1.日本軍は30万人殺したと言うが、当時の南京の人口は16〜25万人で
ある。しかも戦闘が迫って避難する人々も多かった。さらに日本軍の南
京入城から1か月後には人口25万人になっている。その後の日本の8年
にわたる軍政下で、人口は増えつづけている。虐殺があったとしたら、
一般市民は南京に戻らないのではないか。

2.日本軍は南京が平静を取り戻したのち、軍人と民間人を識別するた
めに「良民票」を発行したが、その発行数は約20万で、これは外国の機
関にも確認されている数である。つまり、南京攻略戦で一般市民はほと
んど死んでいないということである。

3.何十万人もの人間を短期間で殺すためには組織的な準備が必要であ
る。ナチスの収容所のような所でも、一度に殺すには限界がある。ちな
みに広島の原爆で人口30万6500人のうち24万7000人が死んだ。それに匹
敵する人数を、数日間で行うことは物理的に不可能である。仮に東京を
絨毯爆撃しても7〜8万人が限界であると考えられている。しかし、も
ちろん日本軍はそのような準備はしていなかった。

4.大量に死体を放置しておけば当然伝染病が発生するので、直ぐに殺
した側の軍隊はそこから離れなければならないはずだ。しかし、日本軍
は南京を統治する意思があったので組織的に大量虐殺を行い、病気をは
やらせるわけがない。

5.軍隊が貴重な「鉄砲の玉」を抵抗能力のないものに対して無駄遣い
させるはずがない。また石油をかけて殺したという話もあるが、当時は
「石油の一滴は血の一滴」と言われており、これもまた考えられない話
である。

6.欧米の外交団や反日的なキリスト教牧師や大学教授,ジャーナリス
トが南京城内に残っていたので、司令官の松井石根大将は細心の注意を
払っていた。近くにある中国革命の父・孫文の墓を荒らさぬことまで気
に掛けていた。

7.軍需品や必要な食料を占領地域から徴収することは国際法上合法で
ある。これは日本軍人の犯罪ではない。

8.東京裁判で初めてこの事件が公にされたが、証人のマギー牧師が実
際に見た殺人事件はたった1件で、しかもそれは被害者が警備兵に誰何
(すいか)されて逃げたからであった。誰何して逃げれば味方でも殺すの
が戦時国際法の措置である。それ以外の彼の証言は伝聞,噂話,憶測ば
かりであった。
8南京大虐殺-2:02/07/01 01:47
9.マギー牧師は当時の南京城内の実写フイルムを所持し、これは現存
しているが、死体の映像が写っているだけで、日本軍の仕業かどうかは
わからない。東京裁判にも証拠として提出されなかった(つまり、採用
される見込みがなかったということ)。

10.中国軍は国際法で禁止されている便衣隊(非戦闘員を装った兵士、
ゲリラ。便衣隊を銃殺してもジュネーブ条約第4条により合法である)
の取締りをしなかったために、便衣隊に混じって、不幸にも民間人が殺
されたケースは考えられる。ヴェトナム戦争のソンミ村の虐殺はその典
型である。このたぐいの事件を含め、日本軍人による若干の事件はあっ
たが、松井大将は犯人を軍法会議にかけ、厳しく処断している。ちなみ
に軍法では強姦者は銃殺であった。

cf. ハーグ条約(1907年)では、敵から見えるように武器を持ち、正
規兵の服装をしない者(つまりゲリラ)は、条約の与える保護を受けるこ
とはできないと定められている。これは、現在も生きている戦時国際法
である。

11.南京は国際都市で、非戦闘員を集めた「安全区」があり、欧米人が
管理していた。当時日本に反感を持っていた米,英,仏も外交的な抗議
を行ってはいないし、「安全区」を砲撃せず、病院に肉などの食料を贈
った日本軍の行為に対して感謝状まで贈っている。感謝状を贈った本人
こそ、『ラーベの日記』で有名になった、あのラーベである。

12.蒋介石は小さなことでも国際連盟(日本は脱退していたが)に訴え
ていたが、南京での出来事を国際連盟に提訴していないし、他の問題で
日本を非難した国際連盟が、南京「大虐殺」を非難していない。

13.当時、支那事変のニュースを送っていた欧米の通信社(マスコミ)が
本国に「大虐殺」事件を打電していない。

14.日本の新聞記者や評論家など 120人も南京陥落と同時に南京入りし
たが、戦時中は軍が怖くて批判が無理だったとしても、戦後に至っても
「大虐殺」に関して何の記事も書いてはいないし発言もしていない。ち
なみに、支那事変の初期には、報道は自由であった。「大虐殺」を非難
する「ジャーナリスト?」本多勝一や歴史学者(?)の洞富雄,藤原彰ら
による著作は、当時少年だった数人の「証言」を一方的に伝えたもので、
検証を行っていない。ゆえに信憑性が薄く、また関係者の「回想」なる
ものも、矛盾に満ちており、時流便乗的なものばかりで史料とはなりえ
ない。

15.日本軍は首都南京の被害が大きくなることを考慮し、蒋介石に対し
て南京をオープン=シティ(無防備都市=国際法により、降伏する代わ
りに敵に攻撃されない)とすることを勧めたが、彼はこれを拒否した。
責任者である将軍達は市民や敗残兵 (中国人敗残兵はタチが悪いことで
国際的に古来有名である。また、虐殺したり、死体を辱めることも常で
あった)を残して逃げてしまっていた。彼らによる略奪や強姦,殺人と
いった事件もあった(米国の外交官や新聞記者が、中国人敗残兵が市民
から衣服を奪い、抵抗する者を殺しているという報告している)。オー
プン・シティにしないのであれば、降伏するか、徹底的に戦うかの意思
を内外に表明すべきであった。首都南京で戦闘が行われた混乱の責任は
国民政府にある。

16.南京陥落前に南京を脱出したドイツ人の日記なるものが南京「大虐
殺」事件の新資料として宣伝されたことがあったが、そこには、「南京
の揚子江岸は、死骸が山のようにあった」と書いてある。この時日本軍
はまだ南京に入っていない。これが事実なら「大虐殺」は日本軍以外の
何者かが行った、という新資料になるのではないか?
9日本人:02/07/01 01:58
>6

私は日中戦争があったかどうかに言及しているのではない。そもそも
南京において日本軍が30万の市民をわずか数日で虐殺したという
国際的捏造を平気で口にする(江沢民が来日の際、早稲田大学で謝罪要求)
民族が、では我々日本人に何をしたのかと問い質しているだけだ。

そもそも南京の虐殺は、阿部定事件の世論に見られるように、日本民族固有の
残虐性とは程遠い性質を持った殺し方であり、むしろ撤退する時には兵・市民
の一人として生かさず焼き尽くせ、という、中国軍の「三光作戦」に類似して
いる。

通州事件、済南事件がそれを顕著に表しているとは思えないか?

これは東京裁判でも提出されたが、差別主義者のウェッブ判事により、
理由無き却下をされているのだ。それは戦勝国にとって、困る資料だ
からであるが(戦勝国は戦争賠償責任を負わない)、これを載せた
歴史教科書は日本でさえ採用されない事実を知っているか?

外圧で小日本くらい掌で握り潰せると江沢民・李鵬等の中共首脳部は考えて
いるのだろうが、南京大虐殺の史実も調査しないで賠償を問うのなら、
まず諸外国も認めざるを得ない上記の事件について、日本へ謝罪せよ!