高校生卒業後、楽だからってズルズルとフリーターを続けてたら、いつのまにか三十路手前になってしまい、おまけにバイトをクビになってしまった。
そんなわけで10年続けてきた一人暮らしをやめて、実家に戻ったのだけど、なにせ実家は京都という田舎である。都会以上に求人数は少ない。
正社員はおろか、アルバイトですらなかなか見つからない。
一方、1歳年下の妹・憂は医科大学を出て、地元の府立病院で真面目に働いている。
実家住まいだから家賃代わりにと毎月10万円を両親に渡している。
私は両親に無心することはあっても、実家にお金を入れるなんてしたことなかったのに。
自分が情けなくなって、死にたくなった。
そんなとき、妹が気分転換にとドライブに誘ってくれた。ガチ処女の私は、妹とはいえ二人でドライブするのがやけに楽しくて、昔話やら一人暮らしの頃の話をして盛り上がっていた。
それで話の流れで
「憂は結婚はしないの?つきあってる男はいないの?」
と聞いたら
「無職の姉が家にいちゃあ、結婚したい相手がいてもできないよ」
と言われた。
「……小さい頃は、私が憂のことを守ってやるって言ってたのに、今じゃただの邪魔者だよね。
ごめんね、ダメなお姉ちゃんで……」
「でも、まぁ、二人だけの姉妹だし、いざとなったらお姉ちゃんをお婿にしてあげようか?」
そう言って笑い飛ばしてくれた妹の言葉は嬉しかった。
しかしその2週間後、憂は同僚の医師と結婚して家を出て行った。
私は一人しか居ない妹の結婚式には出ることができなかった。
それは、余りにも自分が惨めで、妹の晴れ姿を見るに耐えられなかったのだ。 ニートでブサイクな姉が来ると、折角の結婚式が台無しになってしまうし、憂の旦那さんにも悪い。
その夜、私はひっそりと実家のある京都を後にした。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
桜ヶ丘養護学校の生徒達で結成されたバンド「放課後ティータイム」をご紹介しよう。
まずはリーダーでドラム担当の田井中律さん。
交通事故で両足を失った時には、大好きなドラムができなくなると嘆いた彼女だが、
その後義足を手に入れることで、彼女に笑顔が戻った。
「自分と同じように、ハンデを背負った人たちを応援したいんだ」
そう笑って話す田井中さん。それがこのバンドを結成した理由だと言う。
ベースの秋山澪さんは全盲だ。
「目が見えない事で、演奏がやりにくいと思った事はありません」と彼女は言う。
楽譜は何度も耳で聞く事で覚えるそうだ。
恥ずかしがりやで、バンドを組むのも積極的でなかった秋山さんだが、
今では「演奏が終わって、観客の声援が聞こえた瞬間が一番嬉しい」と、誰よりも積極的になっている。
キーボードの琴吹紬さんは、ご覧の通り両腕が短い。
「私、昔からこうでしたから。自分の足が、皆さんの手のような物かしら」
琴吹さんの両足を使った見事なキーボードの演奏は、幼稚園の頃からの練習の成果なのだ。
昔から音楽が好きだった琴吹さん、手のかわりに足を使うという発想は当然の物だった。
しかし、たまに足の指がつってしまうのが悩みの種だとか。
ギターを担当するのは耳の聞こえない中野梓さん。
手話で「私はどんな音を出しているかわかっている」と伝えてくれた。
メンバーの動きでタイミングを合わせるのもお手の物だそうだ。
手話ができない他のメンバーとも、音楽で分かり合う事が出来たと中野さんは笑顔だ。
最後に紹介するのは、知的障害のある平沢唯さんだ。
彼女が一生懸命にカスタネットを叩く姿は、沢山の人を勇気づけてきた。
妹の憂さんは言う。「お姉ちゃんは天使なんです」と。
まさにその通り、唯さんの無邪気な笑顔の前には、
カスタネットが音楽のテンポに合っているかなど関係無いのかもしれない。
放課後ティータイムの次回の公演は、せせらぎ老人ホームで行われる。
>>426 もし、碇ユイが生きていたら…。
シンジ:お母さん、おむつ交換の時間だよ。
ユイ:うーん、いつもすまないね…。息子にこんな手間をかけちゃって…。
って、池沼ユイのおかげで、シンジのお母さんのイメージが壊れる!?最悪…。
>>430 全盲のピアニストもいますし…。まあ、多めに見てあげるか…。
あぼーん
あぼーん
あぼーん