というフリップを持って、シルフが天井すれすれに浮かんでいた。
だが、今のマイノスにそれに気付いてやるだけの余裕があるかどうかは
推して知るべしである。
>>159 「ペウー!ペウー!ペウー!」
部屋から飛び出してきてそのままエッグにぶつかった子ヤバトンがけたたましく吠える。
思考が中断するどころか転換を強制するに十分な出来事だ。
振って湧いたトラブルに頭の中が空転している間にも、黒エッグは子ヤバトンに狙いを定めたようだ。
白いエッグが自分に使ったような光線が赤々とマーキングしている。
「待って、待って下さい!今のはちょっとした事故というか」
間に割って入るがエッグは待つ気はないらしい。ついっと横に動くと
再び狙いを付け直す。慌ててその前に出ると邪魔臭そうにまた横へ回りこもうとする。
マイノスを撃つ気はないようだが、子ヤバトンを撃つ気は満々らしい。
>「悪かった。これは売りに行こうとしていたが、諦める。今からこれを締める。
これが売れないのはとても困るから、せめて代わりに食べる。
ああ、ここでは締められない。外に行くぞ、マイノス」
通せんぼと回りこみを繰り返している内に、
後ろでリエッキが子ヤバトンを引きずりながらそう言った。
すると黒エッグは赤い光を湛えたままさらりと返す。
「コノ街デハ屠殺ハ特定ノ場所以外デハ禁止サレテイマス」
そして見逃すどころか「貸せ、代わりにやってやる」とばかりにエッグは行動を再開する。
このまま押し問答を続けてもいずれは限界が来る。
かと言ってエッグを攻撃すれば対象が自分に移る。
極力今の空気同然の状態から打開策を講じなければならない。
(何かないか何か!この険悪な状況を解除して監視もゆるまるような何か・・・!)
とりあえず相手はこちら声を聞いてはいるようだから、会話はできるはず。
そう信じて彼は上手い話を模索し、そして閃いてしまった。
「移住ってできますか!」
びたり、とエッグの動きが止まる。赤い光は消えないが、
こちらの次の言葉を待っているようにも見える。
「一応僕達、その予定でこの町に来たんです、こいつは非常食兼ペットで・・・」
言うに任せていたが案外悪くない気がしてきた。
この街の人間になれば敵対すること無く自由に動けると言うものだ。
外の無人具合から実際は露も思ってはいなかったが、もしも上手くいけば
一気に話を勧められるのではないかとマイノスは思った。
「街並みを見学してたんですが、騒がせたならごめんなさい。
この街に引っ越そうかと思ってたんですが・・・」
いくら何でも話が上手すぎる、というか一方的過ぎる。
成功するはずもないかと固唾を呑むと、やがてエッグの赤い明滅は鳴りを潜めた。
「左様デシタカ、コチラコソ、トンダゴブレイヲ、ジュジュマハ移住者ヲ歓迎シマス。
私達モ、オ客様ニ、オ勧メスルツモリダッタノデス」
マイノスは内心でガッツポーズを取ろうとし、耳を疑った。『私達も』?
何故だろう、折角この場を諌めたにも関わらず死期に一歩近づいたような。
「ソレデハ早速、『保護』ヲ受ケマスカ?」
その言葉にやっと忘れていたものを思い出す、日記に書いてあった言葉、
絶望的な終りであるかのように書かれていた事項。
「あの、移住すると、保護を受けないといけないんでしょうか」
おどおどと質問するマイノスに黒エッグはきっぱりと答える。
「ハイ、ジュジュマハ、全テノ住民ノ皆様ヘノ保護ヲ御約束シマス、移住シマスカ?」
卵は返答の終わりに質問を返してきたが、同時に赤い光も再点灯する。
どこまで分かってやっているのか分らないが恫喝する気はあるように見える。
頭を捻ったものの会心の出来とはならず、マイノスは弱り切った様子で
リエッキ達を振り返った。
>>161ー162
「だめだこりゃ、完全に余裕がねーなー、っとにもう」
などとボケが空振りに終わった風の精霊シルフは、上の方でぶちぶちと
まだまだ半人前の主人を窮地を完全に他人事の態で眺めていた。
>「コノ街デハ屠殺ハ特定ノ場所以外デハ禁止サレテイマス」
「そうか・・・で、その場所はどこだ?」
リエッキは問い返したが、黒エッグはそれに答える前に
慌てたように割って入ったマイノスを追ってというか避けてというか、
子ヤバトンとそれをひきずるリエッキの周りを半周と少しして止まった。
>「移住ってできますか!」
・・・えーと。
力ずくで出て行こうと思っていたリエッキとは真逆のマイノスの言葉の意図を、
リエッキはしばらく考える。
んー。
んーー。
んーーー。
・・・懐深くまで飛び込んで刺すつもり、かな。
見た目はちょっと頼りなげだし、さっきまでずいぶん不安そうだったけど、
そう見せておいて実は、ケンカするなら一気に派手に、が信条だ、とか。
・・・これで魔法使い、ええと、術士っていうんだっけ、でなかったら
とてもじゃないけど今まで無事で済んでない、んだろうなあ。
何か失礼な感想も交えつつ、ようやく一つの推測に辿り着き、
ヤバトンを取り押さえるのに膝をついたままだったリエッキは
マイノスの意思を確かめようと顔を見上げ、すると、天井のシルフが視野に入った。
「シルフ、それをくれ。字を書いた紙は何か役に立つかもしれない」
・・・少なくとも“燃料”にはなるし。
片手を上げ、ここに渡せというように指で招く。
一方、マイノスと何か言い合っていた黒エッグは
>「ソレデハ早速、『保護』ヲ受ケマスカ?」
日記の文面を逐一覚えていた訳でなくとも、
何とも言えない禍々しさを感じる『保護』という言葉に、
マイノスが振り返るより先にリエッキは口を開いていた。
「保護ならこれを。まず最初に、わたしたちは、その様子を見させて貰う」
ヤバトンを黒エッグの方に押し出しながらリエッキは立ち上がる。
「ところで、屠殺の場所をまだ聞いていなかった。どこだ?
・・・どうせ“保護”と同じところだろう?違うか?」
リエッキが勝手に展開したマイノスのケンカに関する考察は、
どちらかというとリエッキ自身のものだったかもしれない。
リエッキの合図を見ると、シルフは肯いてゆっくり降りてくる。
彼女にどこから持ってきてたのか分からない紙片を手渡すと、
彼女に小さく耳打ちした。
「なんかあの卵ってさ、怪しくないか、生きてるのか死んでるのか」
うろん気にエッグを見つめる小人は、間違い探しをするように目を細めた。
肝心の主は自分の言葉で自分の首を絞めた形になり、たじたじといった様子だったが、
リエッキが代わりに返答したことでかろうじて息を吹き返す。
>「保護ならこれを。まず最初に、わたしたちは、その様子を見させて貰う」
>「ところで、屠殺の場所をまだ聞いていなかった。どこだ?
・・・どうせ“保護”と同じところだろう?違うか?」
「ペウー!?」
子ヤバトンが批難めいた声を上げるが気に留めるでもなくエッグは言う。
「畏マリマシタ、デハ私ニ着イテ来テ下サイ」
ソレトと彼は付け加えた。
「衛生面ヲ考慮シ、屠殺ハ地上デ行イマス。保護ハ、コノ下デ施シマス」
ドウゾと促され付いて行くと見取り図にあった階段の位置まで来る、
そこには見張りの黒い卵がいた。白い卵を一瞥するとすいっと横にどいて道を開ける。
「・・・保護トハ、住民ノ皆様ヲ「闘イト生活」トイウ、二ツノストレスカラ開放スルタメノ、
処置デアリ、皆様ノ安全ヲ保証スルコトデス」
まだ受けると決めたわけでもないのに、これから受けさせるつもりなのか
道中「保護」への説明を卵は始めた。彼らが言うにはこの政策は今からおよそ
100年程前から始めたのだという。
「保護ヲ施スニ当タリ、黒ノエッグニ【希望】ト【憎しみ】ノ感情ヲ抜キ出シ、
白ノエッグニ入ッテ頂キマス」
「感情を抜き出す?」
エッグの口にした言葉にマイノスは声を上げる。白い背中からハイと返事がした。
「カツテジュジュマハ、魔物トノ闘イノ為ニ我々ヲ製造シマシタ。
古代ノ精霊ヲ用イタ兵器カラ、人工精霊ノシステムヲ復元シタノデス」
「人工精霊・・・人間が作るっていうあの、人間の為の精霊・・・」
昨今では邪法の類の眉唾モノとして誰も信じていない研究だが、
この街では実用化されていたようだ、それも大昔に。
精霊との契約の構造を模したそれは燃料に人間の精神を要する代わりに、
大きな力を発揮するらしい。
「人間ガ戦ウ為ニ必要ナ【憎しみ】ノ感情ハ魔物トノ戦イ大キナ効果ヲ上ゲ、
【希望】ノ感情ハ、街ノ復興ヤ住民ノ労働ヲ代行スルノニ役立チマシタ」
淡々と自分たちの正当性、実績を話してくれる。
どこか誇らしげに聞こえるのはきっと気のせいだろう。
ならば何故、とマイノスは質問する。何故、人の姿がないのか、と
「魔物ガ現レナクナッテカラ暫クシテ、皆ニ変化ガ起キマシタ。
活力ヲ失ッテ、生活ヲ送レナクナル者ガ続出シタノデス」
その人達を死なせない為に彼らが行うようになったのが、
彼らの言う保護なのだそうだ。卵の独白は続く。
「エッグノ中デ、皆ニ夢ヲ見セマス。他ノ者ト繋ゲナガラ、楽シイ夢ヲ。
養分ハ私達ガ補充スルノデ、ズットソノママデイラレマス」
到着シマシタという言葉と共に、長い間降り続けた階段は唐突に終わりを告げた。
振り向けば、そこは無数のモノクロの卵達が安置された広大な空間で、
墓を思わせるような寒々しい部屋の中心には、巨木と呼んで差し支えない植物が、
ただ静かにそびえ立っていた。
「ソレデハ、マズハペットカラ、保護ヲ開始シマス」
それが合図とばかりにマイノス達から離れた位置にあった黒いエッグが
上下に割れると子ヤバトンの方へ向かってきた!
保守
>「なんかあの卵ってさ、怪しくないか、生きてるのか死んでるのか」
・・・人からみれば、精霊だって生きてるのか死んでるのか怪しい、んだけど。
「精霊から見て怪しいなら、本当に怪しいんだな」
紙片を渡してくれたシルフに、率直な感想の後半だけを小さく呟いて、
リエッキは子ヤバトンをひきずり階下へ向かった。
途中、エッグが“保護”の説明をする。
【希望】と【憎しみ】の感情を、生活費として黒エッグに前払いして。
動かなくなって、白エッグの中で楽しい夢を見続ける。
それでも、いいんだろうけど。弱った年寄りとか、力ない捨て子とか、
あと、ある種のアブナイ人とかなら。
>養分ハ私達ガ補充スルノデ、ズットソノママデイラレマス」
「養分?・・・畑の言葉だな?」
感じた違和感を、リエッキはマイノスに聞いて確かめた。
こいつら、牧を管理する牛飼いのつもりなのかと思ってたんだけど。
着いた部屋の中央には、大きな木があって。
こいつらの本性は、植物に似たもの、なのかもしれなくて。
植物なら、いろいろ違うかもしれなくて。
>「ソレデハ、マズハペットカラ、保護ヲ開始シマス」
リエッキはフタを開けた黒エッグを無視し、
林立する卵の列を縫って中心の大きな木の傍らまで子ヤバトンを引きずった。
木の根は枝分かれしながら部屋中の床を這って延びている。
卵はその根の上に等間隔で立っていて、
先程通るリエッキと子ヤバトンに押しのけられた卵達は
もぞもぞと根の上に戻ろうとしていた。
この木の根が“養分”の供給路だろうか。
「・・・いくら養分を与えても、ヒトは100年も生きない。
死んだ者はどうする?堆肥か?
ああ、死ぬ、ではなく、枯れる、と言った方がいいか?」
適当な思い付きをリエッキはそのまま口にする。
もしそうなら、畑としては随分合理的で。
でもそれは、ただ回り続けるだけの畑で。
売る作物を穫る畑じゃないけど。
そして、この畑それ自体は、在って良い物でも悪い物でもなくて
・・・中身を知って、出て行けるのなら、だけど。
そうこうするうちに、フタを開けた黒エッグが
他の卵に道を空けさせて追い付いて来た。
「・・・断る、と言ったら?」
リエッキは子ヤバトンを解放した。
子ヤバトンは躊躇無く走り出す。
「マイノス」
リエッキは改めて声をかけた。
「わたしたちはここを出るべきだと思う。
出られるなら、わたしたちは、今ここに何かしなくていいと思う。
出られないなら、わたしたちは出るために障害を壊さなければならない。
でも、他に、何かここを絶対そのままにしておけない理由があるなら、教えてくれ」
考え考えゆっくり話す一方で、
リエッキの手は髪を一筋ずつすくって細く編んでいた。
マイノスは不覚にも、その仕草にドキッとしてしまった。
暗い暗い大きな部屋に、大きな木が一本生えて、部屋の床全体に
走る根の上には白い卵がいくつも乗っていた。しかしそれらは死んだように動かない。
マイノスはエッグの説明を受けてふと思った。
この白い卵の中に、本当に人がいるのかと。
気にはなったものの決して確かめたいとは思わなかった。
言い知れぬ嫌悪感に彼は身震いする。
>養分ハ私達ガ補充スルノデ、ズットソノママデイラレマス」
>「養分?・・・畑の言葉だな?」
エッグの説明にリエッキが小さな疑問を投げかけてくる。
マイノスは頷くと視線を根から木、そしてその上へと移す。
「どうやらこの木が保護っていうのを可能にしてるみたいですね」
よく見れば白いエッグの近くには必ず黒いエッグがあった。
一対一で結びついた動力源ということなのだろう。
『卵畑』は自分たち以外の体温を感じさせないほどに静かで冷たかった。
リエッキは向こうから現れた黒エッグを無視して奥へと突き進んでいく。
マイノスは手近なエッグを見て回る。案内役の方は入り口に佇んだままだ。
>「・・・いくら養分を与えても、ヒトは100年も生きない。
死んだ者はどうする?堆肥か?
ああ、死ぬ、ではなく、枯れる、と言った方がいいか?」
彼女は思いつきを口にする。それは流石にこの街の住人だって気にしたはずだ。
卵は答える。大声を出している訳でもないのに、ここまですんなり声が通る。
が、その答えにやはり感情は見えない。
「・・・老衰デナクナッタ者ハソノママ養分ニナリマス。
ソシテ空席ニナッタエッグニ、マタ別ノ人ガ入リマス、ゴ理解頂ケマシタカ?
ソレデハ、アナタ達ノ保護ヲ始メマス」
>「・・・断る、と言ったら?」
リエッキが黒い卵を振りきってこちらに走ってくる。
顔のかなり近くでピタリと止まると、そのまま話始める。
>「わたしたちはここを出るべきだと思う。
出られるなら、わたしたちは、今ここに何かしなくていいと思う。
出られないなら、わたしたちは出るために障害を壊さなければならない。
でも、他に、何かここを絶対そのままにしておけない理由があるなら、教えてくれ」
落ち着いて言葉を探し、それでいてはっきりと話すリエッキの瞳は、
実年齢よりもずっと大人びており、強い光が宿っているように彼には思えた。
>>171 仕草の可愛さも相まって、こんな状況なのに思わず見てしまう。
「ペウ!」
「おっと・・・!」
子ヤバトンの声に我に帰ると、気を取り戻して彼女の提案と質問に答える。
不思議なもので、今の一瞬で怖気は完全に霧散していた。
「僕も放って置けるならその方がいいと思います。人の生き死にを決める理由は
僕達にはありませんから、だけど」
ちらと目線で側のエッグを示す。その手前には表札のようなプレートが付いていた。
書いてある名前は「空席」
「この卵、いえ、ざっと見たけど、ここの卵にはもう、誰もいないみたいなんです」
だから、ここを止めた方がいいのではないか、とマイノスは提案した。
完全にシステムだけが一人歩きしているだけだから、というのが一つ、
そしてもう一つの理由、マイノスはそれを確かめるために白い方に声をかけた。
「聞いておきたいことがあります、どうして夢を見せるんですか」
ただ眠っているのでもそれはそれで構わないはずだ、ならば何故わざわざ夢を見させるのか。
ゆっっっくりと白エッグが振り向く。
「エッグノ起動ニハ大キナ感情ガ必要デシタガ、維持ニモ多クノ魔力ヤ精神ガ必要デシタ。
エッグガ補給スルエネルギーヲ作ル為ニ、夢ヲ見サセル必要ガアリマシタ」
それはつまり、人間を保護する道具を使うためには、人間が要求されるということだった。
エッグは起動しても維持するためのエネルギーが別に必要だった。
少しづつ、気になっていたことが明らかにされていく。
「感情は黒いエッグに、そして、人間は白いエッグに入る、そうでしたね」
「・・・そノ通りデス」
マイノスは意を決してずっと気になっていた言葉を吐いた。
ーじゃあ、あなたは誰ですか?ー
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ッ
フッフッフッフッフッフッフッフハッハッハッハッハッハッハッハああ"はははははははははははは!
い、イ"イ"イーッひヒヒヒひいひヒヒヒヒヒヒ、っははっははっははっははははあはー!」
沈黙を破ったのはそれまでずっと機械的に振舞っていたのエッグ本人だった。
行き過ぎた笑い袋よりも遥かにおぞましい、どうかした笑いをぶちまけ続ける
「やっと気づいたよお、やっとお!でも残念だなあ、ここまで漕ぎ着けたのになあ。
あとちょっとだったのになあ、あとちょおおっとで・・・おやすみだったのになあ!」
エッグの哄笑が響き渡ると室内の他のエッグたちが動き出す。
動きは緩慢だが、夥しい数の視線がこちらを唱える。
「逃げましょう!カナさん!」
マイノスがリエッキに呼びかけるが、怒声がそれを遮ろうとする。
「捕まえろ!そいつらを保護するんだ!かかれ!」
孵ることのない卵たちは一斉に牙を剥き、生者たちへとにじり寄っていった。
175 :
リキッド:2011/11/03(木) 15:44:49.85 0
き
マイノスはここのシステムを止めたいと言った。
これだけある卵の中に、人はもう残っていない、と。
この“死にたい人におすすめの危険な街”を止めるっていうのは、
ただ逃げるのと比べたら、ずいぶん人のいいことで。
だけど、今自分が一人で逃げたらそれはマイノスの戦力を失うことで、
それは今後生き延びるには全然得ではなくて。
ならば、とリエッキは部屋の中央に駆け戻る。
>「やっと気づいたよお、やっとお!でも残念だなあ、ここまで漕ぎ着けたのになあ。
>あとちょっとだったのになあ、あとちょおおっとで・・・おやすみだったのになあ!」
「・・・虫を食う花か」
ようやくはっきりと牙を剥いた白エッグに、むしろ納得という感じで言い捨て、
リエッキは目の前の巨木の樹皮をそぐようにナイフを入れた。
暗赤紫の木部がのぞく裂け目に頭を寄せ、さっき編んでいた髪を挟み込む。
「トゥリ」
そのまま巨木に背を預けたリエッキが小さく呟くと、
髪を挟んだところの樹皮が薄く白い煙を上げ、そして炭のように静かに中心に向かって燃え始めた。
状況が許すなら、切らないままの髪の方が何かと“効率がいい”のだ。
実は近年使われていなかったらしい木は半ば乾いていて、
リエッキの髪から這い出た赤い光点はゆっくりと周囲を炭に変え、
数分後には自発的に燃え上がりそうな気配を示している。
>「逃げましょう!カナさん!」
・・・え?
ていうか、誰。
・・・は、ともかく、互いの意図がどうもかみ合わない。
他人である以上、普通の事、なんだけど。
にしても、ケンカの仕方が根本的に違う気がする。
>「捕まえろ!そいつらを保護するんだ!かかれ!」
部屋の入口には司令卵がいて、逃げる邪魔で。
わたしは部屋の中央の木の側で。
マイノスはその間くらいで。
子ヤバトンは時々卵にぶつかりながら部屋を走ってて。
なら・・・。
「マイノス。
わたしはこの部屋の仕組みを壊すため、この木を燃やしはじめている。
ここから逃げるためにはあの司令卵を壊す必要があると思う。
マイノスはすぐに指令卵に向かうか?
ここに来て、少し待ってくれれば二人でかかれると思うが」
マイノスが魔法を使うのは見ているが、それでどのくらいの事ができるのか
リエッキには殆どわかっていない。
「・・・小さいの。そこらの根、掘るといい。燃やしてやる」
ちょうど目の前を通った子ヤバトンにも、理解しないとは思うが一応言ってみた。
ついでに、焚き火作ろう。
もし卵避けになるなら、いろいろ便利。
リエッキは手の届く範囲の樹皮をナイフではぎ取っては、
髪を挟んだ箇所から火を移して足下に投げ落とし始めた。
マイノスは、うっかりリエッキの事をはぐれた仲間の女性の名前で呼んでしまった。
なお、この悪癖のせいで、数年後に手痛い失恋を経験する事になるのだが、
それはまた別のお話である。
たまごのなかはからっぽさ
みんなかってにでていった
これはおいらのからじゃない
おいらのからはどこだっけ?
みんなかってにでていった
たまごのなかはからっぽさ
ー寓話ー「たまごのみるゆめ」ー
あの日この中に詰め込まれてからどれだけの時間が経ったのだろう。彼には分からない。
ある日突然夢から覚めて、もう自分一人しかいないと知らされた時の事を、彼は覚えている。
エッグの管理者に何かが有った時は、眠っているエッグの中の一人が起こされて、
その席に着く。これはずっと、皆が知らない内に繰り返されてきたことで、
自分の番になって初めて分かるのだ。
一応予兆はある。エッグが見せる夢は、エッグの中で眠る人々の精神によって創られる。
言うなれば彼らは、夢見る共犯者だった。その繋がりを切って、予知夢を見せる。
そうすることで、ある程度は速やかに引継ぎができた。
ただひとつ、彼らに誤算があったとすれば、エッグは人を増やせないことだった。
始めの数人はまだ幸福な方だったろう。だが時が進むに連れ、
代替わりの期間は早まっていった。
エッグが見せる夢は、エッグの中で眠る人々の精神によって創られる。
人が減ればそれだけ夢は不安定になり、その内容も狭まっていく。
人一人が見られる夢の大きさは、たかが知れている。
翳りが見え始めた夢の中で、体は既に老いて、不安を追いやる希望も、
人に塗りたくる憎しみも失せて、目前に迫った終りへの恐怖を知らされて
正気を保って居られる者はいなかった。
それは、「彼」も同じだった。
さっき自分はなんと言っただろうか、「皆が起きるからお静かに」だったか?
誰もいないのに、眠ってはいても二度と起きることはないのに、妙なことを言ったものだ。
彼にはもう何が何だか分かっていない。ただ恐怖から完全に気が触れてしまっていた。
とにかく今のこの状況から逃れることだけを考えている。
新しいエッグの中身を手に入れて管理者を押し付ければ、自分はまた夢に戻れる。
今少女が木を燃やしている。別に構わない、それで終われるものならそれでもいい。
とにかく彼にとって今の「自分でいられる時間」は狂おしい程に苦痛だった。
「燃やすのかあ!?それでもいいかもなあ!それで済むならなあ!」
エッグは入り口を塞いだまま相変わらずゲラゲラと笑い転げている。
リエッキが木や根を燃やしているのに何とも思っていないようだ。
白黒入り混じった室内で足掻く生者たちを嘲笑っているようにも見える。
その正気の見えない笑い声に怯みながら、マイノスは蠢く卵の群れを避け続けて・・・
「ん、あ!そういえばいない!」
自分が咄嗟に呼びかけた相手は最初からいなかったことを思い出して焦る。
だが今の状況を考えれば件の相手にとってはそれはそれで良かったのかも知れない。
「このっ来るな!・・・・・・シュプール!」
足払いの魔法の上位版を用いて近くの卵を滑らせる。自分を中心に地面を一定時間、
一定範囲滑るようにする魔法だ。形状が仇となったのか、口を開けたエッグ達は
もごもごと地面の上を回転するばかりだ。
>「マイノス。
わたしはこの部屋の仕組みを壊すため、この木を燃やしはじめている。
ここから逃げるためにはあの司令卵を壊す必要があると思う。
マイノスはすぐに指令卵に向かうか?
ここに来て、少し待ってくれれば二人でかかれると思うが」
背後からリエッキに呼びかけられて振り向くと、既に火の手があちこちから
上がり始めていた。子ヤバトンも木を燃やす意図が汲めたのか、地面を掘り返し始める。
髪の毛を触媒にする彼女の魔法は、その赤い光でもって如何なく威力を誇示していた。
先に合流したほうがいいと判断したマイノスは、リエッキにそう言おうとした次の瞬間、
異常な光景を目の当たりにする。ここまでの出来事のせいか、
まいる前に神経が麻痺してしまったのは不幸中の幸いだろう。
エッグたちが火に集まって行ったのだ。街灯に群がる羽虫のように火に向い、
マイノスたちに行ったのと同じ行動を只管繰り返しては、その内動かなくなっていく。
「!リエッキさん!もっと火を点けて!僕はあっちを!」
卵の焼身自殺を目の当たりにし、マイノスはある可能性に思い至る。
それは「エッグ達は自分たち姿を捉えているわけでは無いのではないか」というものだ。
明かりか、温度か、また別のものか、そこまでは分らなかったが。
もしもこの考えが当たっていれば、リエッキはそう簡単にはやられないだろう。
ならば自分がすべきことは指揮官役の白エッグ(中身アリ)を抑えておくことだと彼は思った。
卵へと駆け寄ると即興で牽制用の魔法を準備する。
「今すぐ攻撃を止めろ!」
「うぅぅぅぅぅうううぅるっっっっっっ!さあああああいっ!」
笑いから一転、怒号とともに白エッグが弾丸のような勢いで突っ込んで来た。
あまりの剣幕と勢いで繰り出されたぶちかましを受けて、マイノスの体が軽々と宙を舞う。
息がつまり視界がぼやけて、地面に叩きつけられた衝撃で意識が戻ってくる。
「俺は死にたくないんだ!こんなことはたくさんなんだ!
火なんか付けたって無駄だ!終わりになんかならないんだ!
おとなしくエッグに入れ!俺はまた寝る!」
喚き散らすと再びエッグはマイノスに飛び込んでくる。
「ボルトニードル!」
用意しておいた魔法を使って迎撃を試みる。強めの静電気を飛ばして相手を
怯ませるものだが、少年の手から放たれた青く光る針は丸いボディにあっさりとはじかれた。
転がることでのしかかりを免れるが、この指揮官の卵は明らかに他よりも頑丈で機敏だった。
「まずはお前から捕まえてやる!」
「!っ疾い!?」
文字通り躍りかかって来たエッグに、マイノスは防戦一方となった。
エッグはヤバトンの突進よりなお早い突進と耐久力で接近戦を仕掛けて来た。
>>178 遠い先のお話。
「ねえマイノス、〇〇って誰?」「ああ、前に一緒に旅した人で」
「本当に?こないだも寝言で他の人の名前を言ってた」「え、本当に?」
「あんた一体何人女の知り合いがいんのよ!男より多いっておかしいじゃない!」
「そんなこと言われても、それに皆いい人たちだし」
「そういうこと言ってんじゃないわよ!」「えと、それじゃどういう」
「もういい!あたしアンタのそういうスットボケタとこ気に食わなかったのよ!」
「誤解です!それに僕何もしてないじゃないですか!」
「そういうとこが信用できないっつってんの!じゃあね!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
>「!リエッキさん!もっと火を点けて!僕はあっちを!」
リエッキの髪から生じた赤く光る点は列を作ってゆっくりと範囲を広げ
巨木の幹を少しずつ燠に変えていた。
足下に放った火もリエッキ自身の意図を超えて
木の根に沿って幾筋か這い、炎を上げ始めている。
背中が暖かい。
燠火の熱はリエッキには何故かとても心地よく、安らいで、
空の卵達が炎に次々飛び込んでいる事も、
子ヤバトンが何故か言葉をわかっているらしい事も忘れる程で・・・
どこかで。
>「ああ、前に一緒に旅した人で」
誰かが何か言っている気がした。
>「えと、それじゃどういう」
何だか困った様子で。
>「誤解です!それに僕何もしてないじゃないですか!」
一体何を慌てているんだろ・・・
「!」
鈍い音と声にならない苦鳴でリエッキが我に返ると
床に叩き付けられたマイノスが何とか身を起こそうとしていた。
眠ってしまった?まだそれほど燃やしていないのに。
指令卵は何か喚きながら繰り返しマイノスに向かっていく。
おかげで部屋の入口は空いたし、多分わたしの事も眼中にない、けど。
あの攻撃を逸らさないと、マイノスが逃げられない。
何か、方法は・・・
炎を上げる木の根の側には、大小様々に割れたエッグの殻がいくつも転がっていた。
リエッキは巨木の側から少し入口側に移動し、殻の破片を拾って指令卵に投げ付ける。
「あああああああああああああんっっっ?」
邪魔に気付いた指令卵がゆっくりと振り向いて、こちらに突進する構えを見せた。
「マイノス!足払い!」
言うなりリエッキは少し横に動いて
目をつけておいた半球形の黒エッグの殻を持ち上げた。
突進してくる指令卵を足止めして黒エッグの殻を頭に被せ、その隙に逃げるつもりだ。
殴られると鈍い痛みの後に、殴られた場所が熱を持つ。
刺されると鋭い痛みの後に、刺された場所が熱を持つ。
では面積の広い丸みを帯びた物に衝突されるとどうか、
圧迫されたことで頭や首辺りに熱さを感じるが、ぶつけられた部分は不思議と冷たい。
そんな小さな発見をしつつ、マイノスは身を起こす。
暖炉の内側のようなコントラストに染まる室内に、卵は赤い光を照り返し、飛び交う。
タイミングを測って攻撃しようとするも、直前で立ち止まったり動きを変えたりと,
魔法を使わせてもらえない。
突進以外の攻撃はないのに捉えられないのだ。卵というより跳ねまわるボールに近い。
今度は横腹からどつかれて体勢を崩す。すぐ目の前でエッグは勝ち誇る。
「お前の次はあっちの奴だ」
ゲラゲラとまた笑い出す彼の後頭部にカツン、と何かが当たる。
>「あああああああああああああんっっっ?」
苛立ちも顕にぐるっと振り向くと、粗方火を撒き終えたリエッキが立っていた。
エッグが猛然と怒りに身を任せて突っ込んでいく。
「そんなに俺と代わりたいのかあああー!」
>「マイノス!足払い!」
リエッキの意図に気付いて呪文を唱えようとするが、声が出ない。
「・・・シルフ!」
「もうやってる!」
指先から風の精霊に呼びかけると向こうリエッキの意図に気づいているのか
代わりに足払いの魔法を使用する。精霊使いの少ない長所である。
主人の代わりに魔法を使うことができる。このため例え契約者がヘボでも
精霊は自分の属性であれば主人の力量次第では使えない魔法も使うことも可能である。
問題はあまり契約者と離れられないことと、属性に合った自然が必要なこと。
その点でシルフは数多の初心者にとってメジャーな精霊だった。
「そのまま割れちまえ!」
一陣の風が吹き指令卵の足元を薙ぐ。
綺麗にすっ転んだ卵は闘牛士のように構えたリエッキに殻をまんまと被せられる。
「もが!?クソ、なんだ、ふざけた真似しやがって!」
どっちが、と内心で吐き捨てながらマイノスはリエッキの元へ走った。
他の卵と見え方が違うのか、殻をかぶった卵は辺りをキョロキョロと探し始める。
その間にマイノスはリエッキと目を合わせて頷くと、
全員揃って入り口へ集結し、階段を駆け登った。
「取れねええ!取れねえええええ!もう間に合ってんだクソオオオオオオオオ!」
手も足もない彼らは頭に乗っかっただけのものでさえ上手く外せないようだ。
「こんなもん目線を変えれば・・・ぐああ、眩しい!お前ら何をしたんだ・・・!」
後ろから聞こえる苦悶の声を振りきって、息を切らして逃げる。
病室の階を抜け、見取り図から地上へ続く階段へ差し掛かった辺りで、
完全に息が上がる。自分の音が嫌に響く地下一階、使い損ねていた回復用の魔法を使用する。
逃げるためだけに体力を回復して尚走り続けるなんて前代未聞だ。
全員にかけるだけでも相当疲れるのに、こんな状態だから負担も相当だ。
しかし足を止める訳にも行かず、疲労感を我慢して体を動かす他無い。
「ぜえ、はあ、げほっ、リエッキさん、大丈夫ですか?」
マイノスは自分より先を行く少女に声をかけるが、明らかに彼のほうがへばっている。
ようやく地上へ、最初の教会然とした場所へ出たところで、階段を長椅子や棚で
急いで封印する。
深夜の室内に明かりは無かったものの、先程よりかは生きている空気が漂っていた。
「すいませんけど、灯り、お願いします」
汗びっしょりで、息も途切れ途切れにリエッキに頼むと、少年はなんとか状況を打開しようと
知恵を巡らし始める。どうすればあのエッグを倒せるのかを。
(止めるとかじゃ、もうないよな。他の人も襲うだろうし、もしかしたら
既に襲ってたのか知れない。どうすれば・・・)
待てよ、と彼は拾った日記のある内容を思い出す。日記に止めないとと書かれていた頁に、
『この上、すぐそこ』とあったあの内容だ。しかし病室の天井には何もなかった。
少年はよく思い出す。そもそも日記は最初に拾ったのはどこだったか。
見取り図にあった最初の部屋と、この階の現在位置を想像する。
リエッキを伴って急いでこの階の「最初の病室」に位置する場所まで行き、
注意深く長机の中を漁ると、それはあった。それはちぎれた紙片であり。
どこかの部分の末尾らしく、記された内容は短かった。
雄鶏を鳴かすだけなのに」
声に出してその一文を読むと、マイノスは隣の少女に話しかけた。
「この雄鶏っていうのが、エッグを止める手段なんでしょうか」
そう言って辺りを見回す。これと言ったものは最初に来た時もなかった。
そうなると残る場所は一箇所しかない。彼は明かりを真上にかざすと、
崩れかかった2階を見た。部屋の隅の梯子から登るようでその上にも
何か梯子のようなものが見える。何かあるとするなら後はここだけだった。
彼はうつむくと、何か、意を決したようにリエッキに提案した。
「リエッキさん、上の階に行ってくれませんか」
そして日記の切れ端らしき紙に書かれていた雄鶏を探して欲しいと頼む。
「僕はここでエッグ達が来ないか見張ってます」
臆病風に吹かれた訳ではなく、ただ男の子の気分が、ここに来て
マイノスの中で大きくなってしまったのである。勿論逆でも、
一緒に行こうというのでも彼は構わないだろう。
「アイツらめえエ・・・!舐めヤガってえエエー!」
ただどちらにせよ追手が復活するまであまり時間がないことは同じだった。
>「そのまま割れちまえ!」
という声は、シルフの方みたいで。
ん。
でも今気にするべきは、目の前のケンカで。
リエッキは、幸いにも転んでこちらを向いた指令卵の頭に黒エッグの殻を被せて押し込み、
動きが鈍ったとみるなり部屋の入口に走った。
同じように入口に向かうマイノスが視野に入る。
なら、ひどい怪我はしてないか。
何か言っている卵は無視して長い階段を駆け上がり
最初の部屋の階まで来ても足を止めないマイノスにリエッキは声をかけた。
「『止める』・・・『この上』だったな、読んでくれたの」
答えはない、けど。
初めて意見が合った、かも。
>「すいませんけど、灯り、お願いします」
言われた意味をリエッキが理解するより早く、手元で炎が上がる。
いつのまにか握っていた紙が燃えていた。
これはシルフに貰った紙?
また、勝手に火がついた。
あんまり、いやかなり、良くない、けど・・・
子ヤバトンが部屋の一段高く作られたところでペウペウと呼び声を立て、
リエッキは我に返った。
寄って見ると、奥の机に燭台があり、ろうそくが並んでほこりを被っている。
「お前、何だ?どうして言葉がわかる?」
こいつも実は精霊の類か、と子ヤバトンを睨みつけながら
リエッキは火をろうそくに移してマイノスに差し出した。
>「この雄鶏っていうのが、エッグを止める手段なんでしょうか」
少しの間に手際良く推理と調査を進めたマイノスが、見つけた紙片を読んで言った。
>「僕はここでエッグ達が来ないか見張ってます」
「鶏は百年も生きない。何かの仕掛けのことだろう。
わたしではきっと仕組みが分からないから、来てくれた方がいい」
それに、もし周り中が燃え始めたら、
わたしの手の届くところにいた方がまだましで。
それは告げず、リエッキは梯子を上った。
梯子の先は天井裏とでも言うべき、構造物むき出しの空間だった。
その床、つまり下の階の天井板の上側は、
黒い布のようなものが敷き詰められた上から
荒く格子状に角材のようなもので固定されている。
ろうそくの光を全く反射しない布のせいで、
一見すると足下には格子だけしかないように思えた。
更に梯子を上ると、鐘楼の中に入ったらしく外気の気配が近くなった。
梯子を囲んでいる黒い布の二重のカーテンを押しのけて床に降り立つ。
「黒い布ばかり・・・夏の朝の鳥小屋を静かにさせるみたいだ・・・」
窓のないこの部屋には、祭壇とも見える机や怪しげな小道具が置かれ、
壁に沿って設けられたらせん階段が部屋を一周している。
リエッキは階段を上がった先の扉を開けようとしたが、
錆び付いているのか簡単には動かない。
押したり蹴ったりして少しだけ開けた隙間からは、
わずかに、だが確かに、ここに連れて来られて初めて、“外”が見えた。
「・・・それで、“雄鶏”はどこだろう?」
怪しい部屋に戻ってマイノスに階段の上の様子を伝えると、リエッキは首をひねった。
「外は見えた。でも、月も星もない。時刻の見当もつかない。
本当の空ではない、のかも」
>「『止める』・・・『この上』だったな、読んでくれたの」
「そうです!たぶん、この上なんです!」
あまり返事にもなってない返事をしたのはついさっきの、階段をひた走っていた時のこと。
今はリエッキに差し出された燭台を貰って辺りの様子を検めている所だった。
礼を言って受け取った明かりは不安定に揺れていたが、熱を伴ったその動きは
どこか温かさを感じさせる。
>「お前、何だ?どうして言葉がわかる?」
リエッキが子ヤバトンへと放った言葉に振り向くと、マイノスも脳裏から心当たりを引き出す。
「小動物と言っても、知能は人間の子供くらいになる者は割といます。
喋れずなくても、こちらの言葉を覚えたりするそうですよ」
なんとはなしに説明したものの、肝心の子ヤバトンが「いつ」「どこで」それを覚えたのかは分からない。
案外エッグ達の夢にでも中(あた)ったのかもと考えて、マイノスは頭を振る。
それこそ夢物語ってものだろう。
「さ、もう行きな、ここからなら外に出られるから、悪かったな」
入り口の方へ子ヤバトンを促すと、渋々と言った様子で出ていく。
これで良いと少年は思う、外は暗いが追手の狙いは人間だ、一先ずは安心のはずだ。
二人きりに戻った所で、リエッキは先ほど見つけたメモの切れ端のヒントから、
マイノスがしてきた提案に手短に答えた。
>「鶏は百年も生きない。何かの仕掛けのことだろう。
わたしではきっと仕組みが分からないから、来てくれた方がいい」
否定こそされたものの、一人にならずに彼は済んでほっと胸を撫で下ろした。
威勢と格好の良いことほど言った矢先に後悔するものだが、
結果としてリエッキのおかげで何とか引込みはつけられた。
梯子を登った先の上階は、狭い分より閉塞感の強い空間で、意図的に
暗くしているかのような装いだった。
今まで朽ちた外見ばかりに気を取られていたが、この建物は上の部分は確かに教会なのだ。
ここからでは見えないが、恐らく鐘の一つもあるのかも知れない。
壁には地下へ降りる構造を模したような螺旋階段が備え付けられており、
時間も相まってどこもかしこも黒一色の部屋は、ともすれば自分が中空で
藻掻いているだけのように錯覚しそうになる。
「エッグがあの姿ってことは、たぶん雄鶏もそうなんでしょうけど」
照り返されることのない灯火をかざしながら、彼らは例の雄鶏を探した。
階段の先には窓の代わりにも見える扉が一つ付いている。
そちらにリエッキが行くと、マイノスは祭壇のような机と小道具を調べ始める。
出てきたのはお伽話の本に、ミニチュアのエッグ、この建物の絵、そして・・・・・・
「説明書?」
手に取ったそれは傷んで変色しておりほとんど読める所がない。
どうもエッグについての説明書らしいのだが、読めるよう残った箇所には
目新しい情報はないように見えた。
ー最後に管理者、指揮官(マスター)エッグになった者はシステムを切らない限り、
稼働し続けるため注意することー
否、あった。その文はあたかも保険のチラシか契約書のように隠されていた。
(稼働し続ける・・・?死なないってこと、なのか・・・?)
降りてきたリエッキに見つけた物と、マイノスは今思ったことと、
雄鶏が見つからなかったことを告げると、リエッキも上の様子を報告する。
>「外は見えた。でも、月も星もない。時刻の見当もつかない。
本当の空ではない、のかも」
彼女の言葉を反芻していると、ゲラゲラと笑い声が聞こえてくる。
『よーく分かったな・・・その通りさ、本当の空は騒がしくなることがあるから、
いつも、創りものの夜でこの街を覆うんだ・・・さっき被せてくれた殻みたいになあ!』
ごん、と足元が揺れる。二度、三度と揺れる度に床が割れる様な音が響き、
明かりの届く範囲の床が盛り上がっていく。よく見れば
他の残ったエッグ達を足場に指揮官卵は天井目掛けて飛び上がっていた。
「こんな時間に来やがって、俺の番が来る前に来てくれれば良かったのによお!
来るのが遅いんだよ!こうなったら雄鶏の元へは絶対に行かせんからなあ!」
怒声も高らかに再度大きく激突すると、とうとう二階の床を突き破り、
半分ほど埋まったエッグはこちらを向いて目を光らせる。見つけたぞという声が響く。
「この!」
マイノスは反射的にエッグ蹴り落とすとリエッキにさっきの扉まで行くように言う。
「あの扉をこじ開けて、ここの一番上を目指して下さい!」
ここで見つけた絵と、追ってきたエッグの台詞、そしてこの建物のそもそもの形、
あってもおかしくない物を、すっかり失念してしまっていた。
この手の建物の頂上に、備え付けられていて然るべきものを。
「待てよお!ここを止めたら俺が死ぬんだぞ!可哀想だと思わないのかよ!」
下から戻ってくるエッグが叫ぶがマイノスは取り合わない。
ここまで真っ正直だと「なんとかしてあげたい」という気持ちはとうに消え失せ、
代わりに「なんとかしなければ」という思いが芽生えてくる。
「雄鶏は上です、きっと、ここの天辺にあるはずです!」
エッグを蹴落としながら、マイノスはリエッキへ叫ぶように伝えた。
想像の域を出ないが、きっとあるはずなのだ。
教会の鐘の上、朝日の訪れを告げる、風見鶏が
エルフ族ってスタートレックのバルカン星人ぽいですよねー。
「あのうるさいマスターエッグは“システム”で、
身体の寿命は終わっている、のか?・・・あ」
その指揮官卵が喚きながら床を破って頭を出した。
マイノスが即座にそれを蹴り落とす。
魔法を使わないケンカ、初めて見たかも。
急いで床の穴から離れたリエッキは、そのまま言われた通りにらせん階段を駆け上がった。
>「待てよお!ここを止めたら俺が死ぬんだぞ!可哀想だと思わないのかよ!」
「思わない。ひとを襲った、クムミトゥス、ハアム」
死霊、と罵りながら、リエッキは動きの悪い扉を蹴りつける。
そして隙間に肩をねじ込み背中で少しずつ押し開け、
ぎりぎりの幅をネコのようにくぐり抜けた。
扉の外は吹きさらしの細い回廊だった。
室内よりは明るいが、つくりものの夜、とエッグが言ったように、
そこから見える空も地上も手抜きの絵のような曖昧な闇に沈んでいる。
回廊を半周ほどすると、その階から一回り細くなる塔の
中心を貫いて上層へ向かうらせん階段の入口があった。
「これ・・・すぐそこ、でもないぞ・・・」
足下を気にして歩調を緩めているからか、暗くて遠くが見えないためか、
延々終わらない気がするらせん階段を上りながらリエッキはぼやいた。
あんよのついた からはどこ?
たまごのきみは あるけない
いろんなからに はいったぞ
なんかわたしじゃ ないみたい
たまごのきみは あるけない
あんよのついた からはどこ?
ー寓話ー「たまごのみるゆめ」ー
リエッキが何とか部屋から出たのを見届けると、マイノスは注意を下へと向ける。
始めの内は、床が緩衝材になってくれていたので難なくエッグを落とすことができた。
しかし穴が大きくなり素通りできるようになるともう無理だった。
下の階から床を穿つ程の勢いで飛び上がってくる物にそのまま触れば、
普通に考えれば、それは激突と呼ばれる事態を喚起する。
歯止めが無くなったエッグは、とうとうマイノスの正面へと降り立ってしまう。
流石に強くぶつけすぎたのか、指揮官卵の頭頂部には小さなひびが無数に走っていた。
「思わないぃ?思わないだとお?あのガキイイイィイィィィィーーー!」
絶叫する卵を前に、マイノスは却って落ち着いていた。
目の前にいるのは、得たいの知れない化物なんかじゃなく、ただ形振り構わず死ぬまいと
足掻く人間だと分かったからだ。卵はなおも喚く。
「なんだこれ!俺がエッグから助かるために用意したのは全っ然役に立ってない!
エッグになってから来やがって!お前らの来るのが遅いのが悪いんじゃねえか!」
完全に八つ当たりだったが、さっきよりも明らかに追いつめられている。
「もう中から出られないんだぞ!『コレ』の中がどうなってるかお前に分かるか!」
「分かりたくもない!」
吐き捨てるとマイノスは足元に散らばった床材を持って身構えると、
指揮官卵の目にあたる覗き窓のような部分が光る。
「っ!?これは!」
今までに割れたはずのエッグの殻が、ざあっと床の穴から大量に吹き上がると、
指揮官を乗せてリエッキの後を追う。白々しい奔流は例の扉に激突して更に粉々になった。
閉じた出口は徐々にこじ開けられ、最後に操者たる白卵の肉弾でもって完全に吹き飛ばされる。
頭部に続き前面にひびが入るが、彼、エッグは回廊へ飛び出し、猛然と動き出す。
「・・・コんな、コンナ・・・」
卵はよたよたと弱り切った様子で彼女の後へ続く。
リエッキは彼を死霊と呼んだ。それは正しい。マイノスもそう思った。
少なくとも、人間としては、もう生きてはいない。
エッグの「システム」に取り込まれ、同じくそこに残された希望と憎しみ、
そして不安と孤独が、生への妄執を、再び想起させるのだろう。
自分たちの造った物に、死ぬことさえ奪われて、生きている夢を必死に見ようとしている。
夢の維持費を、誰かに払わせてまで。
「待て!」
少年は続いて回廊へ出るが、今度は卵の残骸たちが邪魔をする。
殻は次々と集まり、ひびと穴だらけのエッグとなって立ちふさがる。
こちらから向こう側まで見えるソレらは筒抜け、がらんどう、
表現する言葉はいくらもあったが、夜に浮き上がる姿は髑髏と言うのが相応しかった。
髑髏エッグは叩いても壊しても、直ぐにまた復活してまとわりついて来る。
「イまさラ、あさ、朝なんテ、コら・・・れテ、タマっるか・・・!」
殻に空いた眼窩の向こうに、ひびのない卵の白い背中が徐々に遠ざかっていくのが見える。
マイノスは、先を行っているはずの少女を見上げて、
エッグより先に雄鶏へたどり着いてくれることを願った。
らせん階段を上がっていたリエッキの足が唐突に宙を掻いた。
落ちる?!
ここまでの高さを考え恐怖に身を硬くする、が、
実際にはそこで前触れなく階段が終わっていただけで、
リエッキが“落ちた”のは、あると思い込んだ階段ただ一段分の高さだった。
それでもバランスを失って泳いだ身体がすぐ目の前の何かにぶつかる。
扉だった。
例によって少々苦労して扉を開けると、外は下のものより一回り小さくなった
回廊というよりは足場程度の狭い通路で、
振り返ると上はもう尖塔の急な屋根が星明かりの中に見えるだけだった。
星が、見える。
ここは、つくりものの空の“殻”の上、なのかも。
「雄鶏・・・」
リエッキは尖塔の上に目を凝らす。
塔の天辺にある飾り。それが“雄鶏”だろうとマイノスは言った。
しかし、今見上げている尖塔の天辺には飾りを取り付ける支柱もなく
ただいびつなシルエットを見せているだけだ。
変な形の屋根・・・あっ
天辺から徐々に視線を下ろしてきて、
リエッキは尖塔の屋根全体に布のような何かが被さっている事に気付いた。
そう思ってよく見れば、軒に位置する布の下端からはロープ状のものが四方に延び、
布を固定するかのように、回廊の隅に立つ柱に繋がれている。
これを外せば、天辺に“雄鶏”がいる・・・?
リエッキは留め具を半ば壊すようにこじ開け、ロープを次々に柱から外した。
そして最後のロープにぶら下がるようにして引っ張る。
何かが、屋根の上で少しだけずれた気配がした。
・・・やっぱり、これじゃだめだ。
多分、袋みたいにかぶさってる・・・
足場があれば、登って外せるかも、だけど・・・
見回すと、地平がほんの少しだけ暗さを弱めている。
いつのまにか夜明けが近付いていたようだ。
これしか、ないか・・・
柱から外したロープの先を2本、結び合わせる。
何度か体重をかけて確かめてから、リエッキは思い切って
不親切なブランコに乗るように、ロープを握り結び目に足をかけた。
即席の一段だけの縄梯子に足をかけ、
軒先に肩と胸で寄りかかるようにして、
ロープの先、屋根の上を覆っているものに片手を伸ばすと、
それは100年を経たとはいえ丈夫そうな黒い帆布のようなものだった。
どかさなきゃ。
でも、この屋根は、登るには急過ぎて。
「・・・ガキイイイィイィィィィーーー!」
考えるリエッキの下で、らせん階段を通してエッグのわめく声が響いた。
何かがぶつかり割れるような音もかすかに聞こえてくる。
「待ああアアてえエええよおおオおおおオーお!」
アレが、来る。
扉も、階段も、通れそうにないのに。
どうしよう、と考える間はなかった。
ざわ、と勝手に揺れた背中の髪が左右の肩からこぼれて胸の前に落ち、
そこにある帆布ごと燃え始め、徐々に上へと燃え広がる。
その光景をぼんやりと目に映しながら、
急速に意識を失ってリエッキは屋根の急斜面に面を伏せた。
炎が尖塔を覆う帆布を削り、
意識の無いまま布を握っているリエッキの重さが
焼けた繊維をじわじわと裂いていく。
それが頂上まで達した時、隠されていた塔の先端が炎を受けて金色に輝き、
リエッキはどさりと回廊に落ちた。
握っていた布の残骸が動かないリエッキの上に降ってきて、また炎を上げる。
「待・・・ンナ・・・があアあああッ・・・」
エッグの喚き声が近い。
露になった塔の先の雄鶏は、日の出を待って薄明の中で白く佇んでいる。
一方その頃
(これじゃ切りがない)
手応えもなく飛び散っては復元する髑髏エッグにマイノスは足止めされていた。
魔法も物理も素通りし、当てることさえ一苦労。強引に突っ切ろうとすれば
逆にかなりの速さで突進してくる。
たかが卵の殻と高を括ったことをマイノスは先刻後悔させられたばかりで、
あちこちに増えた衣服の穴からは血が滲んでいる。
息を荒らげながら、マイノスは上を見る。夜というよりも黒といった空は未だに晴れない。
早くリエッキを追わなければという焦りが思考を遮ろうとする。
折角取り戻した落ち着きをあっさりと拐っていった相手を苦々しく睨む。
(どうすればいい、考えろ、考えるんだ)
幸いにも相手の方から襲いかかってくる気配はない。あくまで先に進もうすると動き出すのだ。
マイノスは注意深く辺りを観察する。手に持っていた床材は弾かれて既に無く、髑髏エッグの後ろ、
指揮官卵が去った方向にも他に何もない。
足元の小石を投げつけるが、あっさり躱されてしまう。物は追いかけない。
次いでシルフ達を先行させようとするが、こちらはしっかりと邪魔してきた。精霊は追いかける。
二手に分かれて突破しようとすると殻は更に分散し、攻撃の激しさが増したので急いで戻る。
動いていない時に、一纏めにして倒さなければならない。
これまでに試して見て得られた答えを頭の中で反芻する。
(全部まとめて・・・全部まとめてか・・・)
マイノスは攻撃魔法が苦手だった。彼は年齢や環境に反比例し、防御や補助の魔法を得意とするが、
対象を敵と認識することを前提にする攻撃魔法は、性格も手伝ってか、
殺傷力の高いものを覚えられない(理解出来ない)のだ。
他者に怒ることもあるが、害そうとは考えず、もっと分かりやすく言うと、
相手を敵とまでは思えないのがマイノスという人間だった。
(せめて水の中にでもいてくれれば、待てよ・・・水・・・?)
水中ならば動きも鈍るはず、しかし止めること自体はできない。そこまで考えて、発想が跳ねた。
急いで背中のマントを取り外すと口早に短く詠唱する。
「水よ、集いては泉を成し、満ちては湖面を成し、寄り添っては盾と成れ!」
足元から水蒸気が立ち上ると、次第に集まって一枚の水鏡を創りだす。
マイノスはそこへマントを放る。白い布が盾に取り込まれるのを見て、回廊の先へと走る、
例によって、卵の殻が一斉に突撃を開始するが水の盾で衝撃を弱められ、こちらへ突き抜けては来ない。
「来い!キャク!」
影に向って呼びかけると、外の夜から切り取られるように、黒い毛むくじゃらの
饅頭のようなモノが降ってくる。マイノスの相方、夜の精霊キャクだ。外見がエッグと似ているため呼ぶのを
自重していたが、今なら問題はない。キャクはがばっと口を開けると、
布の壁を破ろうと躍起になっている殻をマント毎頬張り、ごくり、とどこかへ飲み込んでしまった。
「・・・やって見るものだな」
達成感に浸る間もなく、マイノスは回廊の先へと急ぐ。その彼の目の前に、
リエッキが落ちて来て、直後に燃える何かが彼女の上に覆いかぶさった。
彼は背筋が冷えるの覚えながらも慌てて駆け寄り、彼女から火を払って安否を確かめる。
落下の衝撃があったはずだが怪我らしい怪我もなく、何故か短くなっていたはずの髪の毛が戻っている。
声をかけても応答がない。恐らくは、前と同じように消耗したことで意識を保てなくなったのだろう。
呼吸は寝息のように整っていた。髪が伸びている理由は分らないが。
彼女がこの状態になったということは指揮官卵に追いつかれてしまったのだろうか、
上手く行ったのか、それとも阻止されてしまったのか、雄鶏がいたはずの場所を見上げると、
マイノスは、はっと息を飲んだ。
辺りの空が、クレヨンで塗りつぶしたような空が、澄んだ薄紫色に染まって行くではないか。
頂上で何かが燃えるのが見える。その赤を中心に、辺りは夜明けへと装いを改める。
リエッキの成功を知って、胸をなでおろすと、マイノスは彼女を背負って、ここから去ろうとした。
しかし、彼は見てしまった。もう一度、雄鶏の方を見ようとして顔を上げたその時、
一個の白い卵が、上から下へと落ちて行くのをー
早くしなければ、間に合わない。僅かに残った殻を魔法の絨毯のようにし、リエッキを追う一方で
指揮官卵は焦っていた。あの女を止めなかれば。他のエッグがどれほど壊されても、
エッグを維持する木が燃やされても、『彼』には痛くも痒くもなかった。
最低限予備のエッグが一つ残っていればいいし、自分がいれば木は時と共に再生する。
雄鶏が起きさえしなければ。もうすぐそこ、一刻も早く彼女等を食い止め、捕まえる。
そうすれば、このマスターエッグも押し付けられる。
そうすれば、もう一度夢を見られる。
そうすれば、自分は楽に死ねる。
あれ、とエッグは思った。自分は死にたくなかったはずだ。どうしてこんな事を考えるのだろう。
あれ、と『彼』は思った。自分はエッグから出たかったはずだ。どうしてこんな事を考えるのだろう。
今はそんなことはどうでもいい。とにかく追いかけないと、リエッキが回廊をぐるりと登ったのに対し、
エッグはほぼ直線の動きで登る。既に視界に捉えてはいるのだ。もう少し。
>「待ああアアてえエええよおおオおおおオーお!」
もしも手があれば届いたであろう程近くで、命令とも懇願とも取れる声を出して迫る卵の目の前で、
彼女の胸元から炎が閃き赤々と輝く。さながら明星のような光の正体が火で、
雄鶏の覆いを燃やしていることに気づいたのはリエッキが回廊へと落ちていった後だった。
「あ・・・ああ・・・・・・だ、だめだ!止まれ!消えろ!だめだだめだだめだ!
待ってくれ!誰か!誰か来てくれ、頼む!>待・・・ンナ・・・があアあああッ・・・」
殻を使っても、火は消せない。手も足もないのだ、何もできない。
代えの覆いもない。めらめらと、火はどこまでも広がって、雄鶏を露わにした。もうどうしようもなかった。
朝がくる
たったそれだけの事を今はエッグとなった人が怖れている。
あれほど夕暮れを怖れていたのに、今では朝を怖れている。
もう逃げられない。これで本当に終わり、もうじき夜が明ける。
帆布が焼け落ちて、取り残された彼は、今はもう自分が何がしたかったのか、
何が嫌なのかも考えられないまま、聞く者もいない悲鳴を上げて、その場から逃げ出した。
途中で、誰かと目が合った気がした
「い、嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!
いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!
ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!
やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!
わ"あああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーー」
ーかちゃんー
何も考えたくない、というのが今のマイノスの偽らざる本音であった。
何も見なかったことにして、この建物を出よう。頭の中の自分はそう告げているし
彼自身もまたそれに同意していた。にも関わらず、足は招かれるように回廊の手すりへと近づいていく。
恐る恐る、わずかに身を乗り出すと、今しがた落ちていったモノを探す。
薄紫に染まり、幾分見通しが利くようになった景色から、白を見つけ出すのは
然程難しいことではなかった。
「!!」
さっとマイノスは目を逸した。確かに卵はあった。だがそこに中身が見当たらないのだ。
彼は、エッグの言葉を思い出しながら、再びソレを凝視する。
なにも、ないのだ。殻だけで、何かが入っていたような跡も、誰かが出てきた印もない。
>「もう中から出られないんだぞ!『コレ』の中がどうなってるかお前に分かるか!」
理解した瞬間、唐突に言い知れない悲しさと、耐えられない吐き気がこみ上げてきて、
マイノスは堪らずその場に蹲り、胃液を撒いた。リエッキが眠っているのは不幸中の幸いだ。
この街は今度こそ死ぬ。それでも、これでいいはずだった。少なくとも間違いではなかったはずだ。
終わらせたのは自分たちだが、この街はずっと昔に死んでいたのだ。
もう何も言わない卵を見て、彼はそう思った。
出よう、と口元を拭うと改めてリエッキをおぶって来た道を引き返そうとする。
不意に足元が揺れる。地震かとも思ったが揺れ方が変だ。
正確に言えば揺れてるというより下に吸い込まれているようだ。
「マイノス!早く脱出しろ!ここはもうすぐ崩れる!」
「いったい、今度は何が!?」
地下全体を支えていた木が燃えて崩れかかり、それにより建物の上階部分が崩落しつつあるらしい。
説明されている間にも振動は激しくなり立っているのも難しくなって来る。
石と木が軋み、割れる音が近づくに連れ、足場が次第に落ち、回廊全体も傾く。
回廊へ出るための扉まで戻るが中は階段や床は既に壊れてしまい、穴と化していた。。
震える床を踏みしめながら、マイノスは意を決して、夜の精霊に頼み込む。
「キャク、僕達はここから飛び降りる、だから先に行って、下で受け止めて欲しい、できる?」
毛むくじゃらの饅頭は歯を見せてニカっと笑うと、ぴょんと外壁を飛び降りていく。
現在地は二階よりやや高い所にあったが、人より丈夫なキャクには臆面もなかった。
下で歯を打ち鳴らして合図を出したのを確認すると、マイノスはリエッキを抱え直した。
手すりに足をかけ、下の殻を見ないようにしながらキャクを目掛けて飛ぶ。
位置を合わせて大口を開けるキャクの口に飛び込むも、殺しきれなかった衝撃で前に転んでしまう。
それでも普通に飛び降りるよりずっとマシではあったが。
口から足を抜いて起き上がると、彼らは真っ直ぐ走った。降り注ぐ瓦礫が届かない辺りまで来て、
教会へと振り返る。歪に砕け沈んでいく建物は、水柱が水面に戻る瞬間の様。
間近の地面毎抉り、吸い込んでは背丈を縮める。
マイノス達はしばらくの間その光景を眺めていたが、全てが収まったのは、
雄鶏が彼らの目の高さまで降りてきた頃だった。
「・・・・・・・・・」
マイノスは疲れきって、口にも心にも言葉が浮かばず、じっと雄鶏を見る。
歳月を感じさせない瞳に、すっと光が宿る。釣られて視線を追えば、淡い眩しさを感じて、目を細める。
「もう、朝か・・・」
昨日と何も変らない太陽が、遠くの林から昇り、一日を始めようとしていた。
ーそれからー
一晩の騒動の後の一日は完全に身動きが取れず、休息を取った。
已むを得ず来た道を引き返したり、次の街への駅馬車に乗ったり、リエッキが目を覚ますのを
待ったりしながら、マイノスは宿場街で数日の間逗留した。
彼は程無くして街の中で、妙な噂を耳にする。なんでもジュジュマから突然街の人が消えたらしい、と
皆口々にそんな筈はないと言っているが、誰もジュジュマへ行って事はないようだった。
それを聞いて、彼もあの日の深夜の出来事を夢ということにしたかった。
けれども、夜の内に終わらなかったから、夢にはなってくれない。
(しばらくは、ゆっくりしたいな)
窓の外は、既に酒場の火が明るく灯っており、時間の割にまだまだ街は賑やかだった。
あちこちの音を聞きながら、マイノスは宿のベッドに横になる。
人の声に安堵して瞼を下ろすと、遠く鶏の鳴く声を聞いたような気がした
はっとしたなら ゆめのなか
いつもまっくら からのなか
こんなおそくに おきちゃった
いいやあさまで おきてよう
きっとかえれる きがするぞ
いつもまっくら からのなか
はっとしたなら ゆめのなか
雄鶏はずっと待っていました。
「皆起きろ。魔物は去った」
そう高らかに歌える時を。
「また外で暮らせるようになったら起こしてくれよ」
只の人の力では街を魔物から守り抜くのが難しかったあの頃、
エッグに入る人が皆、雄鶏にそう言ったから。
でも雄鶏には街の様子を知ることはできませんでした。
誰かが覆いをかけてしまったから。
覆いが取れて外が見えるようになった時、
雄鶏は約束通り鳴こうとしました。
でも足下はどんどん崩れ、木を通して地下の皆に届く筈だった声は
音にならない風として瓦礫の上を吹くばかり。
これが望まれた結末だったのかはわかりません。
けれど、自分の役目は終わったことを知って、
雄鶏は朝日を浴びながら静かに地上に降り、
もとの飾り物に戻りました。
「・・・・・・」
マイノスが一人で奮闘すること数日の後、
ようやくリエッキは目を覚ました。
知らない部屋・・・宿みたいで。
なんとなく聞こえる雑音は、人のいる町のもので。
ぼんやりと炎に包まれた塔を思い出す。
あそこは、きっと全部だめにしてしまった筈で。
ここには、マイノスがどうにかして連れてきてくれたんだろう。
・・・いいのか?
わたしはいつも、みんな燃やしてだめにして、
自分だけ助かって、追い出されるのに。
・・・でも。
リエッキは思い直す。
その前に、ここまでの費用を返さないと。
働かせてくれるところ、探さなきゃ。
またぼさぼさになった髪に手櫛を入れながら、
リエッキは立ち上がった。
211 :
名無しになりきれ:
空気