炎が尖塔を覆う帆布を削り、
意識の無いまま布を握っているリエッキの重さが
焼けた繊維をじわじわと裂いていく。
それが頂上まで達した時、隠されていた塔の先端が炎を受けて金色に輝き、
リエッキはどさりと回廊に落ちた。
握っていた布の残骸が動かないリエッキの上に降ってきて、また炎を上げる。
「待・・・ンナ・・・があアあああッ・・・」
エッグの喚き声が近い。
露になった塔の先の雄鶏は、日の出を待って薄明の中で白く佇んでいる。
一方その頃
(これじゃ切りがない)
手応えもなく飛び散っては復元する髑髏エッグにマイノスは足止めされていた。
魔法も物理も素通りし、当てることさえ一苦労。強引に突っ切ろうとすれば
逆にかなりの速さで突進してくる。
たかが卵の殻と高を括ったことをマイノスは先刻後悔させられたばかりで、
あちこちに増えた衣服の穴からは血が滲んでいる。
息を荒らげながら、マイノスは上を見る。夜というよりも黒といった空は未だに晴れない。
早くリエッキを追わなければという焦りが思考を遮ろうとする。
折角取り戻した落ち着きをあっさりと拐っていった相手を苦々しく睨む。
(どうすればいい、考えろ、考えるんだ)
幸いにも相手の方から襲いかかってくる気配はない。あくまで先に進もうすると動き出すのだ。
マイノスは注意深く辺りを観察する。手に持っていた床材は弾かれて既に無く、髑髏エッグの後ろ、
指揮官卵が去った方向にも他に何もない。
足元の小石を投げつけるが、あっさり躱されてしまう。物は追いかけない。
次いでシルフ達を先行させようとするが、こちらはしっかりと邪魔してきた。精霊は追いかける。
二手に分かれて突破しようとすると殻は更に分散し、攻撃の激しさが増したので急いで戻る。
動いていない時に、一纏めにして倒さなければならない。
これまでに試して見て得られた答えを頭の中で反芻する。
(全部まとめて・・・全部まとめてか・・・)
マイノスは攻撃魔法が苦手だった。彼は年齢や環境に反比例し、防御や補助の魔法を得意とするが、
対象を敵と認識することを前提にする攻撃魔法は、性格も手伝ってか、
殺傷力の高いものを覚えられない(理解出来ない)のだ。
他者に怒ることもあるが、害そうとは考えず、もっと分かりやすく言うと、
相手を敵とまでは思えないのがマイノスという人間だった。
(せめて水の中にでもいてくれれば、待てよ・・・水・・・?)
水中ならば動きも鈍るはず、しかし止めること自体はできない。そこまで考えて、発想が跳ねた。
急いで背中のマントを取り外すと口早に短く詠唱する。
「水よ、集いては泉を成し、満ちては湖面を成し、寄り添っては盾と成れ!」
足元から水蒸気が立ち上ると、次第に集まって一枚の水鏡を創りだす。
マイノスはそこへマントを放る。白い布が盾に取り込まれるのを見て、回廊の先へと走る、
例によって、卵の殻が一斉に突撃を開始するが水の盾で衝撃を弱められ、こちらへ突き抜けては来ない。
「来い!キャク!」
影に向って呼びかけると、外の夜から切り取られるように、黒い毛むくじゃらの
饅頭のようなモノが降ってくる。マイノスの相方、夜の精霊キャクだ。外見がエッグと似ているため呼ぶのを
自重していたが、今なら問題はない。キャクはがばっと口を開けると、
布の壁を破ろうと躍起になっている殻をマント毎頬張り、ごくり、とどこかへ飲み込んでしまった。
「・・・やって見るものだな」
達成感に浸る間もなく、マイノスは回廊の先へと急ぐ。その彼の目の前に、
リエッキが落ちて来て、直後に燃える何かが彼女の上に覆いかぶさった。
彼は背筋が冷えるの覚えながらも慌てて駆け寄り、彼女から火を払って安否を確かめる。
落下の衝撃があったはずだが怪我らしい怪我もなく、何故か短くなっていたはずの髪の毛が戻っている。
声をかけても応答がない。恐らくは、前と同じように消耗したことで意識を保てなくなったのだろう。
呼吸は寝息のように整っていた。髪が伸びている理由は分らないが。
彼女がこの状態になったということは指揮官卵に追いつかれてしまったのだろうか、
上手く行ったのか、それとも阻止されてしまったのか、雄鶏がいたはずの場所を見上げると、
マイノスは、はっと息を飲んだ。
辺りの空が、クレヨンで塗りつぶしたような空が、澄んだ薄紫色に染まって行くではないか。
頂上で何かが燃えるのが見える。その赤を中心に、辺りは夜明けへと装いを改める。
リエッキの成功を知って、胸をなでおろすと、マイノスは彼女を背負って、ここから去ろうとした。
しかし、彼は見てしまった。もう一度、雄鶏の方を見ようとして顔を上げたその時、
一個の白い卵が、上から下へと落ちて行くのをー
早くしなければ、間に合わない。僅かに残った殻を魔法の絨毯のようにし、リエッキを追う一方で
指揮官卵は焦っていた。あの女を止めなかれば。他のエッグがどれほど壊されても、
エッグを維持する木が燃やされても、『彼』には痛くも痒くもなかった。
最低限予備のエッグが一つ残っていればいいし、自分がいれば木は時と共に再生する。
雄鶏が起きさえしなければ。もうすぐそこ、一刻も早く彼女等を食い止め、捕まえる。
そうすれば、このマスターエッグも押し付けられる。
そうすれば、もう一度夢を見られる。
そうすれば、自分は楽に死ねる。
あれ、とエッグは思った。自分は死にたくなかったはずだ。どうしてこんな事を考えるのだろう。
あれ、と『彼』は思った。自分はエッグから出たかったはずだ。どうしてこんな事を考えるのだろう。
今はそんなことはどうでもいい。とにかく追いかけないと、リエッキが回廊をぐるりと登ったのに対し、
エッグはほぼ直線の動きで登る。既に視界に捉えてはいるのだ。もう少し。
>「待ああアアてえエええよおおオおおおオーお!」
もしも手があれば届いたであろう程近くで、命令とも懇願とも取れる声を出して迫る卵の目の前で、
彼女の胸元から炎が閃き赤々と輝く。さながら明星のような光の正体が火で、
雄鶏の覆いを燃やしていることに気づいたのはリエッキが回廊へと落ちていった後だった。
「あ・・・ああ・・・・・・だ、だめだ!止まれ!消えろ!だめだだめだだめだ!
待ってくれ!誰か!誰か来てくれ、頼む!>待・・・ンナ・・・があアあああッ・・・」
殻を使っても、火は消せない。手も足もないのだ、何もできない。
代えの覆いもない。めらめらと、火はどこまでも広がって、雄鶏を露わにした。もうどうしようもなかった。
朝がくる
たったそれだけの事を今はエッグとなった人が怖れている。
あれほど夕暮れを怖れていたのに、今では朝を怖れている。
もう逃げられない。これで本当に終わり、もうじき夜が明ける。
帆布が焼け落ちて、取り残された彼は、今はもう自分が何がしたかったのか、
何が嫌なのかも考えられないまま、聞く者もいない悲鳴を上げて、その場から逃げ出した。
途中で、誰かと目が合った気がした
「い、嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!
嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!
いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!
ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!ヤダ!
やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!やだ!
わ"あああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーー」
ーかちゃんー
何も考えたくない、というのが今のマイノスの偽らざる本音であった。
何も見なかったことにして、この建物を出よう。頭の中の自分はそう告げているし
彼自身もまたそれに同意していた。にも関わらず、足は招かれるように回廊の手すりへと近づいていく。
恐る恐る、わずかに身を乗り出すと、今しがた落ちていったモノを探す。
薄紫に染まり、幾分見通しが利くようになった景色から、白を見つけ出すのは
然程難しいことではなかった。
「!!」
さっとマイノスは目を逸した。確かに卵はあった。だがそこに中身が見当たらないのだ。
彼は、エッグの言葉を思い出しながら、再びソレを凝視する。
なにも、ないのだ。殻だけで、何かが入っていたような跡も、誰かが出てきた印もない。
>「もう中から出られないんだぞ!『コレ』の中がどうなってるかお前に分かるか!」
理解した瞬間、唐突に言い知れない悲しさと、耐えられない吐き気がこみ上げてきて、
マイノスは堪らずその場に蹲り、胃液を撒いた。リエッキが眠っているのは不幸中の幸いだ。
この街は今度こそ死ぬ。それでも、これでいいはずだった。少なくとも間違いではなかったはずだ。
終わらせたのは自分たちだが、この街はずっと昔に死んでいたのだ。
もう何も言わない卵を見て、彼はそう思った。
出よう、と口元を拭うと改めてリエッキをおぶって来た道を引き返そうとする。
不意に足元が揺れる。地震かとも思ったが揺れ方が変だ。
正確に言えば揺れてるというより下に吸い込まれているようだ。
「マイノス!早く脱出しろ!ここはもうすぐ崩れる!」
「いったい、今度は何が!?」
地下全体を支えていた木が燃えて崩れかかり、それにより建物の上階部分が崩落しつつあるらしい。
説明されている間にも振動は激しくなり立っているのも難しくなって来る。
石と木が軋み、割れる音が近づくに連れ、足場が次第に落ち、回廊全体も傾く。
回廊へ出るための扉まで戻るが中は階段や床は既に壊れてしまい、穴と化していた。。
震える床を踏みしめながら、マイノスは意を決して、夜の精霊に頼み込む。
「キャク、僕達はここから飛び降りる、だから先に行って、下で受け止めて欲しい、できる?」
毛むくじゃらの饅頭は歯を見せてニカっと笑うと、ぴょんと外壁を飛び降りていく。
現在地は二階よりやや高い所にあったが、人より丈夫なキャクには臆面もなかった。
下で歯を打ち鳴らして合図を出したのを確認すると、マイノスはリエッキを抱え直した。
手すりに足をかけ、下の殻を見ないようにしながらキャクを目掛けて飛ぶ。
位置を合わせて大口を開けるキャクの口に飛び込むも、殺しきれなかった衝撃で前に転んでしまう。
それでも普通に飛び降りるよりずっとマシではあったが。
口から足を抜いて起き上がると、彼らは真っ直ぐ走った。降り注ぐ瓦礫が届かない辺りまで来て、
教会へと振り返る。歪に砕け沈んでいく建物は、水柱が水面に戻る瞬間の様。
間近の地面毎抉り、吸い込んでは背丈を縮める。
マイノス達はしばらくの間その光景を眺めていたが、全てが収まったのは、
雄鶏が彼らの目の高さまで降りてきた頃だった。
「・・・・・・・・・」
マイノスは疲れきって、口にも心にも言葉が浮かばず、じっと雄鶏を見る。
歳月を感じさせない瞳に、すっと光が宿る。釣られて視線を追えば、淡い眩しさを感じて、目を細める。
「もう、朝か・・・」
昨日と何も変らない太陽が、遠くの林から昇り、一日を始めようとしていた。
ーそれからー
一晩の騒動の後の一日は完全に身動きが取れず、休息を取った。
已むを得ず来た道を引き返したり、次の街への駅馬車に乗ったり、リエッキが目を覚ますのを
待ったりしながら、マイノスは宿場街で数日の間逗留した。
彼は程無くして街の中で、妙な噂を耳にする。なんでもジュジュマから突然街の人が消えたらしい、と
皆口々にそんな筈はないと言っているが、誰もジュジュマへ行って事はないようだった。
それを聞いて、彼もあの日の深夜の出来事を夢ということにしたかった。
けれども、夜の内に終わらなかったから、夢にはなってくれない。
(しばらくは、ゆっくりしたいな)
窓の外は、既に酒場の火が明るく灯っており、時間の割にまだまだ街は賑やかだった。
あちこちの音を聞きながら、マイノスは宿のベッドに横になる。
人の声に安堵して瞼を下ろすと、遠く鶏の鳴く声を聞いたような気がした
はっとしたなら ゆめのなか
いつもまっくら からのなか
こんなおそくに おきちゃった
いいやあさまで おきてよう
きっとかえれる きがするぞ
いつもまっくら からのなか
はっとしたなら ゆめのなか
雄鶏はずっと待っていました。
「皆起きろ。魔物は去った」
そう高らかに歌える時を。
「また外で暮らせるようになったら起こしてくれよ」
只の人の力では街を魔物から守り抜くのが難しかったあの頃、
エッグに入る人が皆、雄鶏にそう言ったから。
でも雄鶏には街の様子を知ることはできませんでした。
誰かが覆いをかけてしまったから。
覆いが取れて外が見えるようになった時、
雄鶏は約束通り鳴こうとしました。
でも足下はどんどん崩れ、木を通して地下の皆に届く筈だった声は
音にならない風として瓦礫の上を吹くばかり。
これが望まれた結末だったのかはわかりません。
けれど、自分の役目は終わったことを知って、
雄鶏は朝日を浴びながら静かに地上に降り、
もとの飾り物に戻りました。
「・・・・・・」
マイノスが一人で奮闘すること数日の後、
ようやくリエッキは目を覚ました。
知らない部屋・・・宿みたいで。
なんとなく聞こえる雑音は、人のいる町のもので。
ぼんやりと炎に包まれた塔を思い出す。
あそこは、きっと全部だめにしてしまった筈で。
ここには、マイノスがどうにかして連れてきてくれたんだろう。
・・・いいのか?
わたしはいつも、みんな燃やしてだめにして、
自分だけ助かって、追い出されるのに。
・・・でも。
リエッキは思い直す。
その前に、ここまでの費用を返さないと。
働かせてくれるところ、探さなきゃ。
またぼさぼさになった髪に手櫛を入れながら、
リエッキは立ち上がった。
211 :
名無しになりきれ:
空気