【ジョジョ】異能者達の奇妙な冒険【TRPG】7

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50民明書房
庭園桶(ていえんおけ、ていえんおーけーとも)

江戸時代、徳川家康に慰留を求められたイギリス人、ウィリアム・アダムスが使用したとされる桶。
アダムスは異性愛者であったが、とある日に三浦半島の広大な庭園を持つ「割烹谷岡」に出向いた。
店主の俊一は家康と交わったこともある同性嗜好者であり、珍しい南蛮人の来店に心が躍り自ら接待を行った。
俊一は酩酊したアダムスを人知れず庭園の裏庭に連れ出し、自らの男根をアダムスの肛門に挿し入れた。
とたんに我に返ったアダムスは「アッ、アッ、アッー」という発音の困難な喘ぎ声とともに絶頂に導かれた。
程なく便意を催すが近くに便所はなく、万策尽きた俊一はたまたまそばにあった桶をアダムスに渡し、
そこで用を足させた。

既に庭園という言葉を知っていたアダムス、
                                 
「庭園(での肛交)、オーケー!」

と口走り、同性と交わることに目覚めたと俊一は語っていたという。
これを機に俊一とアダムスは庭園で交わることを度々行い、その度に前出の桶へ排出させていた。
そのうちにこれを「庭園桶」と呼ぶようになった。

家康がアダムスに与えたとされる「三浦按針」の「按針」という名は「水先案内人」という意味であると
同時に、「手を添えて安心感を与えられる針(=陰茎)」の意も隠されているという説がある(「安」に
手偏が添えられているのはそのため)。

民明書房刊「家康公とその男たち」より抜粋


帝泥獲奴(ていでいえぬ)
明時代の小説。当時にしては珍しく男色をテーマに扱っており、昭和初期の
文豪阿都一によって和訳され、日本にも伝わっている。
主人公の太惰之(ただの)は立京に住む若者で、科挙に合格し将来を約束されており、その才知、気品は皇帝をもしのぐと言われていた。
しかしある日、太惰之と彼の友人は悪徳貴族が乗る馬車と事故を起こし、捕まってしまう。貴族は男色家であり、太惰之は哀れ犯されてしまう。
しかし彼は貴族を殺して脱出し、立京にいられなくなり役人への道を絶たれた末に異民族の元に身を寄せる。
そこの族長によって「将来皇帝になる程の男が泥まみれで逃げ出し、奴隷と変わらない身なりでやってきた」という意味で
帝泥獲奴(ていでいえぬ)と名づけられた。帝泥獲奴は異民族との交流で徐々に心が癒され、やがて族長と恋仲に落ちる、という話である。
この小説は性描写が過激で、歴代の皇帝によってたびたび発禁禁止処分をうけている。最近この話にインスパイアされたホモビデオに出演した
某大学のエースが日本球界を追放され、アメリカでプレーしている所が太惰之とダブって見えるのは筆者だけではあるまい。

民明書房刊「やおい小説の起源は中国にあり」より


出射美居(でいびい)

平安時代の古くから伝わる弓術。厳格な様式美が重視された。
まず正座の姿勢から頭を下げ一礼。そこから膝を縦四つんばいになりながら「腕」と発声し自分の腕前を披露することを示す。
ここで姿勢や発声が悪いと「汚き作法なり」また、慣れていない者には「力を抜くべし」など声をかける。
熟練の者には「汝らもよく見届けるべし」と敢えてプレッシャーを与えるようなことを言う。
次に立ち上がり、頭がぶれないように首輪をつける。
「的に咥えさせるべし」の号令をもって矢を取り出す。熟練のものはここで鏃を舐め、自分の唾液をつけ滑りやすくして難易度を増す。
舌の根から鏃に這わせ糸を引くように唾液をつけることを「根津吐離」、丁寧かつ優雅に唾液をつけることを「思津吐離」と呼ばれた。
矢が的に当たったときは「阿」と声を出す。特に的の中心を射たときは「御風(おふ)」と声を出す。
的をはずしたときは「免許皆伝は無きものとなろうぞ。急ぎいたすべし」と叱咤激励する。
免許皆伝のものが的をはずしたときは「免許皆伝を返上すべし。急ぐべし」など厳しい言葉をかける。
このような流れで的に当たるまで矢を射ることになる。
射終えた者は心身の消耗で虚脱の表情をしているものが多く、周囲のものが
ねぎらいの気持ちを込めて「阿、阿、阿」と声をかけて稽古が終了する。
この他、四人が一度に的を射る「四飛射(よんぴい)」など、様々な型が存在する。
戦場の作法が重視された源平合戦時期までは全国的に広まっていたが、熾烈な生存競争にさらされた戦国時代では
この作法を受け継ぐものはほとんどいないという。
現在ではごく少数が受け継いでいるが、何故か男性だけが使い手として選ばれている。

民明書房刊『弓道やらないか』より抜粋
51民明書房:2010/09/16(木) 22:45:46 0
デイビイゼミ
(学名:Dubna Bisecusonia japonensis)
   ゙l  `ー 'ノ  !、`ー '   |::リノ オーナ!シャスシャスシャスシャス…オーナ!シャスシャスシャス…
   l  . ,イ   'ヽ     }チ'  
   '、 ゚ ´...:^ー^:':...   ゚ 卞、  
    |ヽ  r ζ竺=ァ‐、   ,ハ
    |ii丶  `二´  丶 // ',   
    |ii||i丶、    ,. ' " . ',
    |ii||iii;;;;` ̄´/⌒ .. .. ..i
   r^-、ii;;ii_/.. ..ィ. .. ../.)
   ヾ.__,、____,,/ , .. ./'"
    |ii||iii;;;i|..  .. ..  .ノ
   / ̄ ̄ヽ、...  .... .ノ
   (,..  .. ..  ...  ...|
    ',.. ..\ . ..  ,. ..i
    |ii',. .. ';;ヽ._,ノ_.ノ
    |ii||',.. ',;;ii;iill|/
    |ii||ii) ヽi;iill|
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    |(__/;i;;;;ii;iill|
    |ii||iii;;;i;;;;ii;iill|
    |ii||iii;;;i;;;;ii;iill|
    |ii||iiii;;i((Oill|       
    |ii||iii;;;i;;;;|i:::li|

セミの一種。ヒグラシ(Tanna japonensis)の亜種。
体長は18mm前後。日本に存在したセミの中でも極めて小型の個体。

旧ソビエト連邦のドブナ(Dubna)にある合同原子核研究所の研究員、ウラヴィデニデル・キクモンスキーは原子核物理学を研究する傍ら、
幼少の頃から昆虫採集の趣味を持っていた。
連邦が崩壊寸前にあった1989年8月9日、珍しい昆虫がいるという話を日本の研究者から聞き秘密裏に来日、
一路岩手県へと向かった。
彼が耳にしたのは、それまでに入手していた録音テープから聞こえた日本に生息するどのセミの声とも違っていた。

ツクツクボウシのように鳴き始めから鳴き終わりまで異なった声を出していたが、
キクモンスキーと旅を共にしていた男性日本人研究者が書き留めたメモにはこう書かれていた。

鳴き始め…「ヤベヤベヤベヤベ…」
中間…「オーナ!シャスシャスシャスシャス…オーナ!シャスシャスシャス…」
鳴き終わり…「ギモッヂイイ、ギモッヂイイ、ヴォー…」

かの日本人によると、「うわあ…これは珍種ですね…たまげたなあ」と驚いたという。
この珍しいセミを捕獲しようとしたところ、鳴き終わりの声は先述のものではなく「アッー!」であった、
と記されているが、これは誤記である可能性が高いらしい。

キクモンスキーと日本人研究者はこのセミを未発見の種として動物命名法国際審議会へ報告したところ、その後の調査により新種であると認定。
キクモンスキーが在籍していた研究所の地名であるドブナが学名の一部として取り入れられた。
また、彼が両性嗜好者だったのはソ連では有名で、学名の2単語目"Bisecusonia"にはその意味が込められているとされる
(日本人研究者は男性嗜好者であり、彼は学名に自分の名が記されることで自らの性的嗜好が表立つのを避けたらしい。
記録に名が残っていないのはそのためという)。

デイビイゼミは個体数がもともと少なかったうえ、発見者の複雑な社会的背景や鳴き声の物珍しさで瞬く間に捕獲され
絶滅してしまったことなどから、非常に熱心なセミ研究家でも存在を知るものはほとんどいなかった。
キクモンスキーは1990年代前半に失脚し、安否は不明である。

余談ではあるが、全国のIT技術を学ぶスクールで夏季にデータベースの構築・操作について学ぶ「DBセミナー」が集中的に開催されるのは、
日本固有のこのセミへ思いを馳せるためといわれている。
また、原子番号105の元素であるドブニウム(Db)の発見者がキクモンスキーであったことは偶然というほかない。

民明書房刊「不思議な営みを持つ生き物たち」より
52民明書房:2010/09/16(木) 22:47:10 0
ディ・ボウラ (1928〜1967)
                                                      
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  ーッ;:::::::::::::::::::::::::::::::"::::::::::::::::::::::::::::::::::;rヶノ
    '"ヽ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::i'

上はハッテン場爆発事故の追悼集会で望遠レンズにより撮影された写真。Tシャツとしても有名

 アルゼンチン出身の同性愛開放革命家で、キューバの同性愛者のゲリラ部隊指導者。
アルゼンチンのシモン・キティーサ出身。幼いころは唾液がねっとりしすぎる奇病に
悩まされたが、アイスキャンデーを嘗め回すうちに治った。大学では医学を学び、同性愛者の
解剖を進めていくうちにそのメカニズムに興味を持つようになる。在学中に年上の友人である
カズィート・タ・ディーニャと車で南米を旅行して回り各地の同性愛事情を見聞して回った。

 本人の回想録ではこの時コロンビアでマフィアの車に追突し、偶然同性愛者だったマフィアの
メンバーに友人ともども掘られてしまう。しかし、相手の拳銃を奪い一転攻勢に出てマフィアの
尻を掘り返し、最後は射殺して逃げたとされている。

 大学を卒業後は、友人のウィヒーニョ・ハタノエルと再び南米各地を巡る旅に出る。南米では
同性愛者開放革命が広まっており、グアテマラで女性同性愛者開放家のイグッ・ガデアッーと
出会い結婚した。ついでに社会主義にも興味を持った。しかし、CIAに後押しされた異性愛者の
精力にはかなわず夫婦でメキシコへ脱出した。

 メキシコで同性愛者開放家でついでに社会主義者のキューバ人ヒリデル・クソトロに出会う。
キューバの独裁者オフッイスタ政権打倒を目指すクソトロに共感したディ・ボウラは彼と一緒に
キューバへ乗り込むことをケツ意した。妻子をメキシコに残して反乱軍とともにキューバに
乗り込んだ。苦戦しながらも人心の掌握に努め、次第にキューバ国内の同性愛者と社会主義者も
集まるようになり、ついに首都ハバナを制圧。オフッイスタを亡命に追い込んだ。これにより
ディ・ボウラはクソトロ政権の2として認められるようになった。

 キューバで同性愛者開放と社会主義政策に力を注ぐが、経済封鎖など自身が外交の障害に
なることを懸念したため、密かにキューバを離れる。その後はアフリカで同性愛者の武力開放と
ついでに社会主義革命の指導に務めた。その後、クソトロと密かに会談し、ボリビアで同性愛者
開放革命が起きたことを受け、革命を支援するため現地へ潜入。しかしアメリカの支援を受けた
政府軍に襲撃され捕らえられてしまう。彼の存在を恐れた独裁政権は翌日処刑。
彼の最後の言葉は「私は同性愛開放革命に自分の全てを売り払った」と伝わっている。
                                                      
 遺骨は30年後発見され、遺族が住むキューバへと送られた。
                                                      
民明書房刊『20世紀の英雄列伝』より