【TRPG】フィジル魔法学園にようこそ!3rdシーズン

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216リリィ ◇jntvk4zYjI
赤のナイトは、これからエレベーターで屋上に向かうと言った。
屋上に向かうということは、つまり真雪を置いていく可能性が高い。
「まっ…て…」
「喋っちゃだめだよぅ、噛んじゃって顔の水疱を破ったりしたら大変!
大人しくしてて、大丈夫だから、後で聞くからね」
せめて自らを簡易担架に乗せ運ぼうとする誰かに伝えなければ、と声を発した。
しかし、ほんわりとした空気を纏う看護士に止められる。
後でじゃダメなのに、間に合わないのに、と柚子は内心で悶えた。
伝えるタイミングは、すぐ訪れた。エレベーターに乗ってしまえば、僅かな隙が出来る。
「それで、どうしたの? 何か言いたいみたいだったけど」
看護士が微笑むと、柚子は一言途切れ途切れに呟いた。
「ゆ…ユキちゃん、は? ……置い、て…ゃうの…?」
「…会いたいの?」
看護士の言葉に、柚子は小さく頷く。その様子に、看護士は悲しげに溜め息を吐いた。
「…ごめんなさい…」
その一言だけで、柚子は理解する。もう、会えないかもしれない。
突きつけられた事実に柚子が泣きそうになったとき、エレベーターの扉は開いた。
そして、聞こえた。これこそが、待ち望んでいた声。彼女こそ、月崎真雪。
兔からは良い返事をもらった。ほう、と息を吐き、画面に残る兔の番号を登録する。
(これで…あとは飛峻さんに連絡して…)
そこまで考えてから、目の前のエレベーターを見る。
正確にはエレベーターでは無くその上、エレベーターの位置を示すパネル。明らかに、動いている。
10階で一旦留まり、再びエレベーターは動き出す。やがてぽん、と音が鳴り、目の前の扉が開いた。
「うわわっ!」
真雪は邪魔に鳴らないように身を引く。
派手な格好をした女性が先導していて、その後ろに男性二人…片方は飛峻が担架を担いでいた。
その隣には看護士が付き添っている。
そして、見つけた。これこそが絶望的事実。
顔を半分焼かれ、痛々しく担架に横たわる柚子を。
「…ユッコ!」
男は、困窮していた。調理の才を持ち、それを自覚し、更には使いこなす事の出来る。
いずれは世界で右に出る者などいない料理人となる筈だったのだ。その自分が一生を牢獄の中で暮らすなど到底耐えられない。認められない。
彼にとって進研に身を置き悪事を働くと言うのは、目的では無い。あくまでも、最上の料理人となると言う目的の為の、手段なのだ。
「……おいおい、悪いが俺はこの一線を譲るつもりは無いぜ。
 自白剤や拷問で吐いた証言で、進研が落とせるか? 中途半端に手を出せば、大火傷するのはアンタらだぜ」
進研は至る所に文明を貸し出している。規模を問わず国内の企業や、一部の公的機関にもだ。
一撃でトドメを刺せるだけの材料が無ければ。
例えば文明回収のストライキでもされてしまった日には、世論は公文への批判に傾くだろう。だが、だからこそ。
「進研の事なら洗い浚い吐いてやる。あんな二人が何だ。何の取り柄もない、クズが二匹死んだだけじゃないか」

彼は自身の証言が金の価値を持つであろう事を知っている。
下手に出ながらも何処と無く滲む不遜さや、双子に対する暴言は、そうであるが故だ。

「あんな奴らを殺したからと言って世界が、社会が変わる訳じゃない。だが俺は違う。
 いずれ俺は各国の財界人、高級官僚、王族、ありとあらゆる人間が俺の飯を食う為に駆け回るんだ。
 愉快痛快だろ? そうなったら、アンタにゃ特別席を用意してやったっていい。さっきの女もだ。だから……」

しかし不意に、男が口を噤んだ。不穏な沈黙が、訪れる。そして男は急に胸を押さえ、目を見開いた。
流暢に回っていた口は苦悶の形に歪んで呼吸は止まり、ただ水面に腹を浮かせた魚のように開閉のみが繰り返される。
ついには彼は直立の体勢すら保てなくなり、倒れ込んだ。
胸と喉を押さえながらのたうち回り、だがそれも長くは続かず、彼は小刻みに痙攣するのみとなる。
しかくして最後に上へと伸ばした手が掴もうとしたのは、都村か。それとも、『錬金大鍋』――彼の未来か。
いずれにせよその手は届かず虚空を掻き、彼は生き絶えた。進研は悪い組織ではあるが、悪の組織ではない。
ボスに対して表立って逆らう者はいないが、決して皆が恭順である訳でもない。進研をただの手段、踏み台としか考えていない者もいるだろう。
寧ろ、その方が多いくらいかも知れない。裏切りを防ぐ為の仕掛けは、当然施されているのだ。
「……ふむ、愚か者が一人。何処かで息絶えたか。まあ、私にとってはどうでもいい事ではあるが。それよりも」
暗がりの中で、一人の男が呟いた。  
それから声の音量を僅かに上げ、呼び付けた部下に命を飛ばす。
217リリィ ◇jntvk4zYjI:2010/09/12(日) 20:21:31 0
「例の異世界人を、ここに連れて来たまえ。五本腕と、猫人間、だったかな? それと先程確保したと言う、淑女もだ。
 目が覚めぬようなら、覚醒剤でも打ってやればいい。下らぬ道徳心とやらは無用であるから、心するように。
 もしも反抗するのであれば、君も晴れて愚か者の仲間入りだと、世話人に告げたまえ」
命を受けた部下はただ一言。
「了解しました。ボス」
ただ一言そう返して、彼の部屋を後にする。そうして、一人の男だけが残された。
暗闇に溶け込む黒のスーツに、無造作に掻き上げた長髪。
薄暗い中で煌めく小振りな眼鏡が、冷冽な眼光により一層の研磨を掛けている。
さて、君達はボスの呼び付けに従ってもいいし反抗してもいい。
ただしそれらの行為が己の身に何を招くかは、推して知るべしである。
何せボスには、『才能』があるのだ。例えば秋人や柊が文明に非ざる力を持っているように。
料理人の男が、裏切りを切欠として突如事切れたように。人に『何か』を植え付ける才能が。
そしてその『何か』は、彼に近しい人物なら誰しもが植え込まれている。
命令に背けば、またしくじれば、愚か者の仲間入りとされてしまう。
それでも尚逆らおうと言うのならば、相応の対応がされる事を覚悟すべきだろう。

【ボスお借りしました
 ついでに秋人やらが文明じゃない異能を持ってるようだったので理由付けでも
 もし彼らがただの文明だとか実は異世界人だって言うなら、訂正しますので指摘をお願いします】

起き上がった彼の耳に入ってきたのは獣の唸り声のような、魘されるような声だった。
少しだけビクリ、として、しかし誰の声なのかと自分のベッドの隣を見る。
開けてしまえば楽なのだが、全く知らない人間だった場合の反応に困るだろうと少しだけ悩む。
そして数秒か、もしかしたら数分経ったその時に聞こえてきた声に彼はハッとする。
それは間違いなくテナードの声であり、そして彼がこの世界で無意識ながらに信用した二人目の人物である。
彼はベッドを仕切っているカーテンを開けて、テナードのベッドを見る。
「猫、」
久和はそうポツリと呟いて彼の所在無さげな左手を握る。
何故そうするかは分からない、だがそうした方がいいと、彼は思ったのである。
「……猫」
また名前を呼ぶ。そして魘される彼を不安げに見ながら、久和はテナードが起きてくるのを待つことにしたのであった。
弓瑠は不満げであった。お兄ちゃんの裸を見るのをジョリーに邪魔され、お兄ちゃんと風呂に入りたかったのに邪魔され、結局彼はあの黒猫と入る始末である。
むぅ、と頬を膨らませながら黒猫とハルニレを見やる。黒猫はあろうことかハルニレに傷を付けたのだ、許すまじ、と黒猫の耳を引っ張る。
「お前は可愛くないわ、ロマ」
いつの間にか彼女が黒猫に名付けていた名前を呼ぶ。そして彼女はハルニレを見て、
「今日私と一緒に寝よ、お兄ちゃん」
とニッコリ笑うのであった。弓瑠はその小さな身体で彼に抱き着く。そしてそのまま――といったところでジョリーのお帰りである。
「…む」
不満げに声を漏らし、ジョリーに声をかけた後彼女は言った。
「お腹がすいた」『あれ?』
「うまくいった?」       
いや、と歯切れ悪くペリカンが答える。兎は眉を潜め、もたれ掛かっていたヘリから身を離して振り返った。
『上手くいかない。座標も特定できてるし、特に拡散するような要因は無いし。……おかしいな』
「どっちが?まさか、どちらも?」
『いや、成川遥の方は圧縮できそうだけど、異世界人の方が……』
ペリカンの複合文明、“Hello World!!”は物体を圧縮する機能を持っている。物質を0と1に置き換えて、生ま
れた数列を圧縮、保存する機能。座標さえ合えば生きている物でさえそのまま捕らえる事のできるこの文明。
だが“Hello World!!”は文明そのものを圧縮する事はできない。
『まさか、この異世界人、文明持ってる?』
ペリカンの疑問に、そんな馬鹿なと兎は呟いた。ミーティオ・メフィストはつい先ほどまで監禁されていたのだ。
監禁?
「……首輪を付けられてるのかもしれない、もしかしたら。成川遥と共に監禁されていたなら」
『ん?』
「成川遥は成龍会首領の娘よ。どう言う経緯で一緒に監禁されていたのかは知らない、けれどそんな要人を異世
界人なんて化け物の近くに拘束しただけで置くかしら?」
『殺してほしかったのかも』
「かもしれない。でも、そうだとしても、何らかのイレギュラーに対しての策が必要だわ」
それが首輪か、とペリカンが呟き、どうする?と兎に尋ねた。このまま何もしないわけにはいかない。
「しょうがないわ、成川遥だけでも捕まえて頂戴」
218リリィ ◇jntvk4zYjI:2010/09/12(日) 20:22:01 0
鰊は必死に足止めしていた。やつらの突撃は凄まじい。もう何人殺されたかわからない。
実際のところ、彼らは帰ろうとしているだけなのだが、鰊にそんなことがわかろうはずも無い。
職務に誠実であれ。鰊の考えだった。職務以外の事には特に注意を払わない彼だったが、職務についてだけは、
変質的なまでに拘りを貫いてきた。
やらないこととやることが解っていただけだとも言える。慇懃で無礼な男だった。
(おや)                          
突撃の指向性が変わる。見れば、ついさっきまでいた美少女の片割れが消えていた。疑問を抱き、解決に向かう。
すなわち鰊は電話をした。
「兎、どう言うことだ」
「片方しかうまくいかなかった」
「どうすればいい、捕まえるか?」
「イ`、捕まえなくていいわ。妹でもないのに爆発されたら困るし」
そこでその鰊は死んだ。頭上から鉄パイプが降ってきたのだ。ふむ、と鰊は思う。よくわからないが、このまま
足止めすればいいらしい。肉の壁で押し止めている現状、そう長くは持たないが。
脳が劣化してきている。鰊は薄々感づいていた。コピーし過ぎたのだ。歩みは遅いが、根本的な死が近付いてき
ている。潮時だ。
「良ーい?今度弓瑠ちゃんに手を出したら、絶対に通報してやるからね!このロリコン!」
「サッキカラ一々ウルセーゾ、ジョリー!分カッテルッツッテンダロ、何度モ言ウナ!!」
雨の降る繁華街の中、弓瑠を挟んで口論するハルニレとジョリーの姿があった。
服も新しい物に着換え、弓瑠の要望で、傘を差して三人はとあるレストランへと向かっている最中だ。
二人の口論の内容は、察して解るように弓瑠の事である。
時間は少々遡る。猫と共に風呂に入り、ひっかき傷の山をこさえて猫を洗い終えたハルニレ。
弓瑠はハルニレに傷を付けた猫の耳を引っ張り、「お前は可愛くないわ、ロマ」 と叱りつける。
「オイオイ、女ノ子ガソンナ乱暴ナ事シチャ駄目ダロ」
ハルニレは弓瑠の手から猫を取り上げてたしなめる。しかし弓瑠は反省してないのか、ハルニレを見上げ、満面の笑みを浮かべる。
明るい声でそう言うと、ハルニレの体に抱きついた。彼女の心境を知る由もないハルニレはその細い首に手を回し、笑顔で返す。
「良イゼ、何ナラ寝ル前ニ面白イ話デm「あ、アンタ何してるのよォオ―――――――ッ!!」
常識人のお帰りだった。ジョリーが帰って来た瞬間目にしたものは、ほぼ全裸のロリコンと幼女が抱き合うという衝撃的なシーン。
二人にどんなやり取りがあったか知らない彼女は、真っ先にハルニレを悪だと判断。
結果として、現在ハルニレの右頬に真っ赤な痛々しい掌の跡が残る事となった。
「クソー、思イッキリビンタシヤガッテ……コレダカラ年増ハ」
「何 か 言 っ た?」
「べッツニー………………ン?」
何かに気付いたハルニレの足が急停止する。
雨の中、傘を差さない一組の珍妙な男女がいる事に気付いたからだ。 
一人は、巨大な棺桶を担いだ奇妙な少女。もう一人は、先程出会ったばかりの人間。
「オイ、テメー!」
確か、ドルクスと呼ばれていた男。しかし、様子がおかしい。
ハルニレと戦闘していた時の覇気が、全くといっていいほど感じられない。 まるで別人だった。
それに、一緒にいたあの少女……エレーナは何処へ消えたのか。 代わりに一緒にいる少女は何者なのか。
この空気を読めない、場違いで呑気な音が鳴り響く。少女の呟きを聞いたジョリーが、反射的にハルニレを見上げる。
どうしろってんだ、と怒鳴り散らしてやりたい気分だったが、この男にも色々と聞きたい事がある。
「オ嬢チャン、俺ガ飯食ワセテヤルヨ。ドルクストヤラ、テメーニモ色々ト聞キテエ事モアルシナ」
『す、すばらしくカオス』
ひくりひくりと顔をひきつらせながら蛍光色の猫は呟く。
このビル内において神の如き視点を所持する彼は、その様相を端的にそう言い表した。
『どうしよう、なんかもうおれ全然ついてけない。つっこみとか入れる余地もない。色んなものに対応する気力もわかない』
「ご愁傷様です、小鳥」
『うん……』
素っ気ない合成音声。その主は一心で一つの窓をのぞき込んでいた。
遊のようになってしまう。短い前足で空を掻きながらその肩にたどり着いた。
『……子供?』
窓の中では、小さな子供がふらふらとビル内の廊下をさまよっていた。
迷宮化が解除された際、あらぬ場所に移動させられてしまったらしい。
荒い画質ではわかりづらいが、その不安そうな様子は見て取れた。
「葉隠准尉が保護していた者と見られます。迷宮化解除の際にはぐれたのでしょう」
『あ、ああ、あの何かものすっごいおにーさんね』
219リリィ ◇jntvk4zYjI:2010/09/12(日) 20:22:33 0
言ったKu-01の瞳が淡い緑に発光する。高度AIの情報処理に発生するそのエフェクトに、小鳥は目を輝かせた。
『やっだなにそれ格好良い、おれもやりたい!』
「サイバーダイブを解除します。小鳥、回線使用の許可を」
『えー? 帰んの? もうちょっと遊んでってよ』
「お断りします」
『に、にべもない! わ、わかったよ……どうせ許可しなくてもあんた出れるじゃんよう』
 器用に猫の口を尖らせながら、管理者権限を発動する。
 接続されたデバイスを確認。認識終了。
 そのデータをこっそりと記録して、『じゃあばいばい』と"退室"の準備をするKu-01
に呼びかけた。
『また遊びに来てよ。場所用意するから』
「……物理空間を用意していただけるならば、考えなくもないです」
 そうして、Ku-01は傾いた視覚領域を立て直す。かしゃりとモノアイが音を立てた。
 接続良好。異常はない。
 エネルギー残量にもまだ余裕がある。
「運行に問題なし」
 機械に繋がっていたウィップコードを抜き去り、少し考えてから三つ編みを解く。
 癖もなく広がった人工頭髪を、頭頂より少し下で結い直した。
「それでは行動を開始します」
廊下を駆ける八重子。一向に訛祢が見つからない事に、彼女は焦燥していた。
まさか、手遅れだったのか。しかし、運は彼女に味方したらしい。
「はぁ、はぁ、琳樹さん!」
琳樹の肩越しに八重子の姿を視認したKは、踵を返す。そして、八重子が向かって来る方向とは逆の方へ去っていった。
八重子はKの存在には気づかず、琳樹の目の前で一旦ストップし、肩で息をする。
現在地を確認し、八重子はゾッとした。なんと、彼は危うく「ゼミ」の敷地内に入ってしまう所だったのだ。
「(か、間一髪ってまさにこの事ね……)」
ハァーッ、と長く深い溜息を吐く。安堵と疲れからくるものだった。額の汗を拭い、琳樹に微笑みかけ、彼の腕を掴んだ。
「戻りましょう、琳樹さん。色々と説明したい事もありますし」
ゼミの敷地内から離れるように、もと来た道を歩き始める。こんな所に長居は無用だ。
そろそろ、あの猫人間や五本腕も目を覚ましている頃だろう。
腹も空かせているだろうし、スープを持っていってやる事にしようと思い立った。
「八重子!」
後方から声がかかる。二人分のスープ皿とコップを載せた盆を持ったまま振り向いた。
Cだ。より露出度の高いボンテージとピンヒールに着替え、訛祢を挟むように並んで足並みを揃える。
手に、カルテではない書類を手にしていた。
「その書類、何なの?結構ぶ厚いみたいだけど」
「ああ、これ?あの猫頭、右腕に妙なモノ仕込んでたみたいだから、研究班に解析を頼んだのよ」
Cの話を要約すると、こういう事である。
猫頭の彼、テナードの傷を治療する際、次々と文明が使用不可能になるというアクシデントが発生。
まさかと思い解析すると、彼の右腕が文明の効力を無効化させてしまう事が判明。
やむを得ず、右腕のみを分離して治療したという。
「で、これがその報告書って訳──……っと、着いたわね」
ピタリとCの足が止まる。2、3度のノックの後、Cはドアノブに手をかけた。
「(………………?)」何かが左手に触れるのを、テナードは直感的に理解した。
霞が掛かったような脳で、無意識にそれが人の手である事を理解した。特筆するものでも無いが、左手も義手だ。
感触や物を掴んだりする事は出来るが、温度や気温といったものを感じる感覚は既に存在しない。
故に、彼は少し驚いていた。失われた筈の「人の温度を感じる」感覚が、左手に戻っていたから。
この手は誰のものだろう。それを確かめたくて、ゆっくりとぎこちない動きで手を握り返す。そしてそのまま、テナードは静かに覚醒した
「……ここ、は……?」               
喉が渇いているせいで、掠れたような酷い声が漏れた。起きぬけの寝ぼけ眼で、起き上がろうとする。
「いっ!…………っ痛う……」
起き上がった瞬間、腹部に数瞬痛みが走り、反射的に身体をくの字に折り曲げて強張らせた。
痛みに耐えられず、右腕で体を支えようとして違和感を覚える。
右腕が、無い。肩から先が、まるで最初から何も存在しなかったかのように、消失していた。
朧気な記憶の中、誰かが自分の右腕を取り外した事を思い出す。
参ったな。そんな事を呑気に考え、フと自分の左手と繋がれた相手を見る。
「い、色白……?」
驚きが入り混じった声が出る。手の主は、所々に包帯を巻いて患者服を着た、色白の五本腕だった。
「…………えっ、と。……お…おはよう?」
何と言えば良かったのか分からず、何故かおはようの挨拶をしてしまった。
220リリィ ◇jntvk4zYjI:2010/09/12(日) 20:23:03 0
「食べながらでいいから、私達の話を聞いてくれる?」
暫くして、八重子がそう切り出した。食べる手が止まり、八重子を凝視する。
「私達は「進捗技術提供及び研究支援団体」、通称進研。まあ、簡単に言えば色んな所に「文明」を貸し与えたりする組織ね。
 ここは、進研が所有する建物の一つ。貴方達、相当酷い傷だったから此処に運んだのよ」
唯一医療施設があったから、と締めくくった八重子の言葉を、今度はCが引き継ぐ。
ピンヒールの踵を鳴らし、ガーターベルトに仕舞っていた鞭を片手に教鞭を取る。
「進研には、数多のサポーターと彼等に指令を出す20人余りの幹部、そしてボスという構成で成り立っているわ。
 他にも幹部達をまとめる幹部長、ボス直属の部下や極秘任務実行隊なんてのも存在するらしいけどね。
 サポーターは進研の敷地内では規定の団員服を着用する事を義務付けられ、幹部ごとにチーム編成される。
 それなりの功績を残して幹部に昇進すれば、ボスに認められた証として"アルファベット"を名乗る事を許され、様々な特権を与えられるわ。
 ……ま、わざわざアルファベットを名乗らずに幹部をやってる奇人もいるけど」
そう言うと、肩を竦める。成程、アルファベットが書かれた腕章を付けた人間は幹部という事か。
「ああそうだわ。肝心な事を忘れるとこだった」
ヒュン、と鞭が鳴る。指示棒のように振り回すのは彼女の癖なのか。 耳障りな音だが、敢えて何も言わず静聴する事にする。
「この組織にはね、内部に幾つか派閥が存在するわ。正確な数までは知らないけどね。
 それぞれが、それぞれの野望や志を持って活動している。反りが合わない幹部やその部下達は、無論お互いに非常に仲が悪いの。
 それこそ、小競り合いなんて日常茶飯事レベルね」
それは組織として如何なものか。危うく喉まで出かけたツッコミを飲み込み、Cの説明に耳を傾ける。
「その中で、私達は「チャレンジ」という派閥に属しているわ。進研の中では、かなり異端な存在ね」
「進研の殆どが、荒くれ者で悪事を働いたり暴れる事が好きな連中が多い。
 けど、「チャレンジ」ではそういうのは一切御法度なの。ま、リーダーの意向ね。
 お陰で他の派閥に見下されたり、ボスからの信用も低いわ。だからこそ、出来る事もあるんだけどね」
静かな病室に、ピンヒールが床を踏み鳴らす音がよく響く。
喉が渇いたのか、鞭で器用にマグカップを取り、中身を一気に飲み干した。
「で、ここからが本題よ。私達は、通称「ゼミ」と呼ばれる過激派組織と争ってるわ」
「…………それが、何だ?」
「貴方達の力を、貸してほしいの。勿論、タダでとは言わない。
ここに住む間の生活面は、私達が全面的にサポートするわ。 食事も衣服も寝床も、貴方達の身の安全も、私達が保証する」
テナードは他の面子に目配せする。 ああは言っているものの、彼女らが何を考えているのか、皆目見当がつかない。
「…………もし、断ったら?」
「どうもしないわ。どちらにせよ、私達は貴方達を保護する義務がある。
 ただ、貴方達の身の安全の保証は無くなるかもしれないけどね」
まるで脅しだ。可愛い顔して、結構えげつない女である。ここは、今は黙って彼女らに従うのが得策だろう。
彼女らの領域に居る限り、自分達の命は彼女らの掌の上とも考えるべきか。
「…………分かった。協力すると約束しよう。但し、元の世界に帰るまでだ」
「ア、アァ。了解ダ」
有り合わせの道具で瞬く間に簡易担架を組み立てた少女「佐伯零」に促され、飛峻は慌てて持ち手を掴む。
有無を言わさぬその口調に半ば反射的に従ってしまったが、飛峻と対面のオサム君以外の三人は医療の心得があるのだから適材適所と言えよう。
「……アンタも色々と大変そうだナ」
「ハハハ……」
思わずオサム君と苦笑いをしつつ、続けて響く合図の声で同時に担架を持ち上げる。
向かう先はエレベーター。屋上で待機している手筈の兎たちの下へ柚子を搬送するためだ。
既に展望ホール内のヤクザは掃討されており、飛峻たちの行く手を阻む者は居ない。
地面に伏したヤクザたちの内、まだ息のある者が時折苦しげな呻き声を挙げるが誰も気に留める様子はなかった。
先頭を行く佐伯を眺めながら飛峻はため息をつく。     
気がかりなのは彼女の言った言葉。柚子を助けることに夢中でその可能性をすっかり失念していたのだ。
つまり、彼女達と兎達が敵対しているかもしれないという可能性をである。
武術を修める者ならば種類はなんであれ、相手の立ち居振る舞いから実力を推測することは出来る。
ましてや裏社会で活動していた経験もある飛峻にとって、その能力は研ぎ澄ませざるを得なかったものだ。
221リリィ ◇jntvk4zYjI:2010/09/12(日) 20:23:33 0
目の前の不思議な力の気配を醸し出す少女は、名をシノと名乗った。
奇抜な格好から(というよりも背負った棺桶を)見るに、彼女も異世界人だと私は判断した。
しかし、これだけ近距離にいて禁書の気配を感じない。
つまりは、彼女は無理矢理召喚されたわけではないのだろう。…恐らく。
私はシノから視線を逸らした。なんとなく、彼女に見透かされている気がした。
……何を?これは幸に入るのか、それとも不幸に入るのか。
私達にかけられた声は、聞き覚えのある特徴的なダミ声。
「ハ、ハルニレ!何でココに!?」
問題発生。こういう時に限って遭いたくない奴と遭遇するなんて!
最悪だ。彼ことハルニレは、少なからず(今は私だけど)ドルクスに敵対心を持っているに違いない。
ここでもう一度戦闘を仕掛けられたらどうなるだろう。
魔法を使いこなしきれない私にとって、圧倒的不利な戦いとなるだろう。それだけは避けなければ!!
「ハルニレ!今私は貴方と戦う気はないわ、落ち着いて話しあいまsy……」
「…………………ほぇ?」
ハルニレ達は歩きだす。私は一人取り残されそうになったのに気付き、慌てて追いかける。
色々ツッコミ所がある筈なのに無視なんだろうか。これは私が突っ込まなきゃいけないんだろうか。
「…………………………………………どうしてこうなった?」
ここに来るまでの道中、Tから様々な事を教えてもらった。
この世界に存在する「文明」、「進研」についてetc。長いので割愛させてもらう。
「さて、着いたぞ」
白い扉の向こうから、声が聞こえる。複数人の声。エレーナ様の魔力を使い神経を集中させる。
……何人か、禁術の気配を纏っている。まさか、この中に異世界人が?更に集中し深く探ろうとした時、Tの手がドアノブに掛けられた。
「ちょま」
「はーッハハハHAHAHAHAHAHAHAHA!失礼するよチャレンジと愉快な仲間達諸君!!」
今にも破壊しそうな勢いでTは無礼講にもドアを乱暴に開ける。
「病室では静かに」のポスターは完全無視かこの黒子野郎。
Tが出入り口を塞ぐように立っているから、入るどころか中の様子を見ることすら難しい。
「そんなに警戒しないでくれ賜えよ!嗚呼それともこの私の美貌に酔いしれているのk「ねーよ!」
分かりきっていてもツッコまずには居られなかった。クッ、恐るべしエレーナ様のツッコミ体質。
「そんなにハッキリ言わなくても…まあ良いか。
 皆が溜息を吐く程に見とれる私の美貌と、今回こんな狭っ苦しい病室を訪れた理由にさしたる因果は無いからね」
どうしてそうなる。幸せな脳味噌の持ち主なんだろうな、ある意味羨ましい。
「ほほう、君達が噂の異世界人達かね。ん?そこの少年、私の顔に何か付いてるかな?
 私?ああそうだ、自己紹介しなくてはね。私の事は「T」、とでも呼んでくれ。
 派閥は改革派「赤ペン」。夢に出るまで脳に刻みつけておくといい」
「夢に出るとか悪夢のレベルだろjk…」
「ところで、だ。こんな場所に敵対関係である筈の私が何の用かと言いたげな顔だね!
 入っておいで、エレーナ君!彼らは、君と同じく異なる世界からの訪問者達さ!」
俺のツッコミは無視され、手を引かれて病室へとエスコートされた。男だけど。いや今は女だけど。
特徴のない平凡そうな少年。優しそうな顔立ちをした女性。猫の頭を持つ片腕の男。
露出度の高いボンテージを着た女。余計に腕の生えた(恐らく)女性(いや、男か?)。
………濃い。濃すぎる。一部を除いて誰が異世界人だか分からないぞ、このレベルは。
そして最後の1人。眼鏡を掛け、キリン柄の妙な服を着た、俺。俺?
「え、エレーナ様!?」
仰天し、脱兎の如く駆け寄る。
「そんな、折角精神交換してまで貴女を逃がしたっていうのに……!」
まさか、エレーナ様まで捕まっていたとは、何とトロ臭いお方か。しかし、自分はこんな珍妙な格好をしていたっけか。
自分はこんな髪の色だったか。まず、眼鏡なんて掛けていただろうか。彼は、エレーナ様では無かったのだ。
失念していた。"並行世界の異なる自分"の存在が居ることをすっかり忘れてしまっていた。
「"エレーナ様"?一体どういう事かな、エレーナ君?」
案の定、疑念の視線を含んだTの言葉が俺にふりかかり、額に冷や汗がぶわりと湧き出る。
「……エレーナ君、人は嘘を吐くと汗の味が変わるらしいのだが、一体どんな味なんだろうn」
「スイマセン嘘吐いてましたサーセンだから舌舐めずりしながらコッチ来ないで欲しいッスーーーー!!」
変態から一番離れた、地味な少年のベッドの側へと逃げ込む。
しばらくの間変態との睨み合いが続いたが、諦めたかのように視線を逸らしたのだった。
222リリィ ◇jntvk4zYjI:2010/09/12(日) 20:24:03 0
進研にて各々の時を過ごす君達の元に、人影が訪れる。
それらはどれもが同じ体格、同じ格好、そして同じ性能をしていた。
それらは、人間では無かった。文明『人型傀儡』≪マリオネット≫。
主に危険な工事や救助の現場にて使用される、人型の物に宿る文明である。
然程珍しい物では無いが用途が用途である為に、個人や企業で大量に保有している事はまず無い。
例えば文明を取り扱う企業の、頂点に立つ男でもなければ。
『諸君、今すぐ異世界人を私の元に連れて来たまえ。
抵抗や下らぬ温情などは誰の為にもならぬので、見せぬように』
自律意思を持たないマリオネットは託された音声を再生しながら、君達の手を引く。
そうして君達は進研のビルの最上階へ、進研の『ボス』の元へと招かれた。
都市を一望出来る――分り易い『支配者』の、『勝者』の空間がそこにはあった。
「いい部屋だろう?……歓迎の挨拶は省かせてもらうよ。既に各々受けているだろうからね」
君達の正面、部屋の中央よりも少し奥に設けられたデスクに腰を掛けた男が言葉を紡ぐ。
「君達をここへ呼び付けた事には、当然幾つかの意味がある。まず初めに……これらを見るといい」
言いながら、彼はデスクから腰を上げて一歩横に動く。
そうしてデスクに並べた幾つかの物品を君達に見せる。純白の刀、魔法の本、機構の右腕。
「どれも、君達がこの世界へ持ち込んだ物だ。今や所有者は我々……と言うより私だがね。
もしも返せと言うのならば……その通りにしてあげよう。
そして、改めて奪わせてもらうよ。君達をこの場、このビルから追い出してね」
一息の沈黙を置いて、彼は続ける。
「と、これが君達を呼び付けた理由の内の二つだ。
 つまり君達の財産は今や私の財産である事を明確にして。
 並びに、この世界での君達の立場を教えておこうと思ってね」
微かな嘲笑を、彼は零す。
「さあ、良いのだよ? 別に「自分の財産を返せ」と叫んでも。
ただその行為の果てに君達が辿る末路について、私は一切の保証をし兼ねるだけだ。
 この現代にて、君達がどれだけ生き永らえられるのか見物ではないか」
君達には、ただ一人でこの世界を生き抜く術があるだろうか。
化物としか言いようの無い姿形で、人の世を生きていけるだろうか。
何の才覚も無しに、社会を渡り切れるだろうか。
特別な『才能』があったとしても、それは君が遍く無限の『敵』から身を守るに足る物だろうか。
「――不可能だろう?」
彼の声には、現実の音律が含まれていた。
「もっとも君達が我々よりも遥かに下劣な連中に下り、
 豚の餌よりも劣悪な庇護を貪ると言うのならば、或いは……だがね」
それもまた、一つの選択肢ではある。だがその道を選ぼうものなら君達は。
この物語から遥か彼方の闇に沈み、歩んだ道も名も残らぬだろう。
「そのような結末は嫌だろう? だが、そうなる。
 私の機嫌を損ね、この進研から追い出されようものならば。
 この世界において必要な物とは、無二の至宝でも一騎当千の力でも無ければ特異な才覚でも無い。
 揺るがぬ立場なのだよ。他の物は、あくまでそれを得る為の物に過ぎないのだ」
そして、と彼は言葉を繋ぐ。
「君達三人はそれを、宝を持っていた。持って来た。ならば私は、君達に立場を与えようではないか。
 この進研の中で、少しばかりの実験を我慢すれば人並み以上の待遇が得られると言う、立場を」
三人と言うのはつまり久和、テナード、訛祢の事である。
「分かったね? それでは君達は帰ってよろしい。君達の身辺の世話は当面、
 チャレンジの連中に任せている。……まったく、現状に甘んじるとはつまり、停滞ですら無い。
 周りを取り巻く環境が不変でない以上、退化でしか無いと言うのに。連中ときたら。
 まあ、仲良しこよしの下らん連中だが、却って適任と言った所か」
僅かな嫌悪を表情に滲ませて、彼は言う。
しかして多少話が逸れたが今度こそ、君達三人に部屋を出ろと手振りを交えて命じた。
「あぁ、重ね重ね言っておくが。妙な気は起こさぬ事だ。
 この世界には連帯責任と言う言葉があってだね。君達が罪を犯せば、
 その罰が及ぶのは君達のみに留まらない。例えば猫面君、君は随分とここの面々と仲良くなったようだね?
 そして五本腕君、君はどこぞのビルで愉快な双子と関わりを持ったようじゃないか。
 最後に……訛祢君だったかな? 君は確か……そのビルの近くで一人の少年と心安らぐ一時を過ごしていたね。
 それに、今も眠り続けているあの少女……と言っていいのかは少々剣呑であるが。
 とにかく実はだね、彼女にはこの場に並んでもらいたくて覚せい剤を使用したのだよ。
223リリィ ◇jntvk4zYjI:2010/09/12(日) 20:24:31 0
次に言葉を繋ぐ声は、「さて」だった。
「ところで君達は『イデア』と言う物を知っているかな?
 少年の方は、『アイツ』から名称くらいは聞いているかね。
 『君』は……故郷の伝承に或いは、と言った所か。まず、伝承を伝える物自体が失われてしまってはいるだろうが。
 あぁそうだ。故郷と言えば、三代目の王女はお元気かな? 逃げ延びた事までは知っているのだが、それ以降は流石にね。
 幾ら『君』達の種とは言え、もうお亡くなりになってしまっただろうか。エメラルドブルーの瞳が麗しいお方だったが」
ふと過去を思い返すように、彼は視線の焦点を消失させる。
しかしそれも、長くは続かない。
「……話が逸れたな。イデアとは、君達に探してもらう物の事だ。
 とは言えこの世界の人間も、深くは知らない。
 精々名称だけ、それもお伽話の類だと断じられている」
言いながら、彼は先程見せた『宝』の内の一つ。純白の刀を君達に見せ付ける。
「……この刀が何故『宝』であるか分かるかね?
よく切れるから、折れず欠けず曲がらぬから、脂に汚れぬから……ではない。
そのような物が、この世界で何の役に立つ。文明を用いれば再現すら可能ではないか」
見たまえと、彼は一言。そして部屋の中央に彼の言う三つの『宝』を置いた。
取り分け純白の刀は床に深く、突き立てられている。
「時に、一般的な……哲学におけるイデアがどのような物かは、分かるかね。
……一般教養の域からは少々逸脱しているが故に、一応は説明をしようか。
甚く単純に述べるのならば、イデアとはこの世の万物を影とした時に、物体――原型に当たる物だ。
例えば花。花にはそれこそ様々な種類があるが、それらは全て影に過ぎないのだ。
そして無限の花々、影を辿った先にはイデア――つまり花の原型がある」
言いながら、彼はデスクの横に立て掛けてあった、この世界の刀を手に取る。
それを抜き、刀剣の方を床に放り捨てた。刀は小気味いい音を奏で――それからひとりでに、床を這い始めた。
純白の刀を中心に、円を描くように動いたそれは、ある一点に達すると途端にぴたりと静止する。
余談ではあるが、この現象は『イデア』を知る者にしか呼び起こせぬ物だ。
イデアには『心の目で見る』物である側面があり、つまりそれは『認識』に繋がる。
自分やその持ち物が『イデアから伸びた影の上にある物である』と強く認識しない限り。
この現象は起こらない。つまり異世界人同士が対峙したからと言って、どちらか一方が転んだりはしないと言う事だ。
また異世界人の多くは特異な『才能』を持っており、場合よっては人間であるか怪しい風体も。
挙句の果てには人の形をしてはいるが人間でない者さえいる。
彼らは『人型のイデア』から生まれてはいるが、それぞれ別の影の上に立つ者達だ。
故にそれぞれが干渉し合う事はない。
三浦啓介が尾張をイデアへの指標と見定めたのは、
彼が『特殊な才能はなく、しかしこの世界からかけ離れた世界の存在』であるからなのだ。
「分かるかね。この直線の、いずれかの彼方には……『イデア』がある筈なのだ。
武器の、機械の、本の『イデア』がね。君達にはそれを探してもらう。
無論用意な事ではない。様々な妨害が入るだろう。『イデア』の事は知らずとも、
『私の命を受け動く君達』を捕捉するくらいは、他の組織とて可能である筈なのでね」
しかし、君達にはそれに逆らう術はない。
「だが、見事その命を果たしてくれた時は、私は相応の対価を惜しまないよ。
この世界で極上の立場を求めるも良し。……元の世界へ帰りたくば、叶えよう。
『アイツ』に出来て私に出来ぬ事など、一つしか無いのでね」
――今は、まだ。
「それでは、そろそろ君達も去りたまえ。良い働きを期待しているよ」
(……結局、アレで良かったのかしら…?)
ううん、ううんと言う特有の駆動音と共にエレベーターは上層に向かっていく。
その不協和音に耳を傾けながら零は思案していた。内容は荒海について、……
(荒海銅二が死んだ。か。やったのは殉也……じゃあないわね。
……もし、私がその場に居たらきっと足手まといになっていたかもしれないけど、けど)
後味の良い物ではない。
深い知り合いと言う訳ではないが人が一人。零にとって名前のある、顔のある、形のある人が一人死んだのだから。
しかし、それを責める事が出来る者などは居はしない。だが、だからこそ零にとっては、自ら己を責めるに足る事だった。
(出来なかったんだ)
そして、無力を噛みしめる。それに死んだのは恐らく荒海だけでは無い。
少なくとも荒海やあのコックの攻撃を受けた怪我人は一人残らず死亡したとみて構わないだろう。
224リリィ ◇jntvk4zYjI
赤のナイトは、これからエレベーターで屋上に向かうと言った。
屋上に向かうということは、つまり真雪を置いていく可能性が高い。
「まっ…て…」
「喋っちゃだめだよぅ、噛んじゃって顔の水疱を破ったりしたら大変!
大人しくしてて、大丈夫だから、後で聞くからね」
せめて自らを簡易担架に乗せ運ぼうとする誰かに伝えなければ、と声を発した。
しかし、ほんわりとした空気を纏う看護士に止められる。
後でじゃダメなのに、間に合わないのに、と柚子は内心で悶えた。
伝えるタイミングは、すぐ訪れた。エレベーターに乗ってしまえば、僅かな隙が出来る。
「それで、どうしたの? 何か言いたいみたいだったけど」
看護士が微笑むと、柚子は一言途切れ途切れに呟いた。
「ゆ…ユキちゃん、は? ……置い、て…ゃうの…?」
「…会いたいの?」
看護士の言葉に、柚子は小さく頷く。その様子に、看護士は悲しげに溜め息を吐いた。
「…ごめんなさい…」
その一言だけで、柚子は理解する。もう、会えないかもしれない。
突きつけられた事実に柚子が泣きそうになったとき、エレベーターの扉は開いた。
そして、聞こえた。これこそが、待ち望んでいた声。彼女こそ、月崎真雪。
兔からは良い返事をもらった。ほう、と息を吐き、画面に残る兔の番号を登録する。
(これで…あとは飛峻さんに連絡して…)
そこまで考えてから、目の前のエレベーターを見る。
正確にはエレベーターでは無くその上、エレベーターの位置を示すパネル。明らかに、動いている。
10階で一旦留まり、再びエレベーターは動き出す。やがてぽん、と音が鳴り、目の前の扉が開いた。
「うわわっ!」
真雪は邪魔に鳴らないように身を引く。
派手な格好をした女性が先導していて、その後ろに男性二人…片方は飛峻が担架を担いでいた。
その隣には看護士が付き添っている。
そして、見つけた。これこそが絶望的事実。
顔を半分焼かれ、痛々しく担架に横たわる柚子を。
「…ユッコ!」
男は、困窮していた。調理の才を持ち、それを自覚し、更には使いこなす事の出来る。
いずれは世界で右に出る者などいない料理人となる筈だったのだ。その自分が一生を牢獄の中で暮らすなど到底耐えられない。認められない。
彼にとって進研に身を置き悪事を働くと言うのは、目的では無い。あくまでも、最上の料理人となると言う目的の為の、手段なのだ。
「……おいおい、悪いが俺はこの一線を譲るつもりは無いぜ。
 自白剤や拷問で吐いた証言で、進研が落とせるか? 中途半端に手を出せば、大火傷するのはアンタらだぜ」
進研は至る所に文明を貸し出している。規模を問わず国内の企業や、一部の公的機関にもだ。
一撃でトドメを刺せるだけの材料が無ければ。
例えば文明回収のストライキでもされてしまった日には、世論は公文への批判に傾くだろう。だが、だからこそ。
「進研の事なら洗い浚い吐いてやる。あんな二人が何だ。何の取り柄もない、クズが二匹死んだだけじゃないか」

彼は自身の証言が金の価値を持つであろう事を知っている。
下手に出ながらも何処と無く滲む不遜さや、双子に対する暴言は、そうであるが故だ。

「あんな奴らを殺したからと言って世界が、社会が変わる訳じゃない。だが俺は違う。
 いずれ俺は各国の財界人、高級官僚、王族、ありとあらゆる人間が俺の飯を食う為に駆け回るんだ。
 愉快痛快だろ? そうなったら、アンタにゃ特別席を用意してやったっていい。さっきの女もだ。だから……」

しかし不意に、男が口を噤んだ。不穏な沈黙が、訪れる。そして男は急に胸を押さえ、目を見開いた。
流暢に回っていた口は苦悶の形に歪んで呼吸は止まり、ただ水面に腹を浮かせた魚のように開閉のみが繰り返される。
ついには彼は直立の体勢すら保てなくなり、倒れ込んだ。
胸と喉を押さえながらのたうち回り、だがそれも長くは続かず、彼は小刻みに痙攣するのみとなる。
しかくして最後に上へと伸ばした手が掴もうとしたのは、都村か。それとも、『錬金大鍋』――彼の未来か。
いずれにせよその手は届かず虚空を掻き、彼は生き絶えた。進研は悪い組織ではあるが、悪の組織ではない。
ボスに対して表立って逆らう者はいないが、決して皆が恭順である訳でもない。進研をただの手段、踏み台としか考えていない者もいるだろう。
寧ろ、その方が多いくらいかも知れない。裏切りを防ぐ為の仕掛けは、当然施されているのだ。
「……ふむ、愚か者が一人。何処かで息絶えたか。まあ、私にとってはどうでもいい事ではあるが。それよりも」
暗がりの中で、一人の男が呟いた。  
それから声の音量を僅かに上げ、呼び付けた部下に命を飛ばす。