邪気眼-JackyGun- 第W部〜目覚ノ領域編〜
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名無しになりきれ :
2010/06/04(金) 20:43:23 0 かつて、大きな戦いがあった。 個人、組織、そして世界をも巻き込んだ戦い。 戦士達は屍の山を築き上げ戦い、 それでも結局、勝者を産まぬまま、 戦いは、全てが敗者となって決着を迎えた。 そして、『邪気眼』は世界から消え去った――――筈だった。
世界観まとめ 邪気眼…人知、自然の理、魔法すらも超えた、あらゆる現象と別格の異形の力 包帯…邪気を押さえ込み暴発を防ぐ拘束具 ヨコシマキメ遺跡…通称、『怪物の口腔』 かつての戦禍により一度は焼失したが、アルカナを率いる男【世界】の邪気眼によって再生された。 内部には往時の貴重な資料や強力な魔道具が残されており同時に侵入者達を討ってきたトラップも残存している。 実は『108のクロニクル』のひとつ カノッサ機関…あらゆる歴史の影で暗躍し続けてきた謎の組織。 アルカナ…ヨコシマキメの復活に立ち会い守護する集団。侵入者はもとより近づくものすら攻撃する。 大アルカナと小アルカナがあり、タロットカードと同数の能力者で構成される。 プレート…力を秘めた古代の石版。適合者の手に渡るのを待ち続けている。 世界基督教大学…八王子にある真新しいミッション系の大学で、大聖堂の下には戦時から残る大空洞が存在する。 108のクロニクル…"絶対記録(アカシックレコード)"から零れ落ちたとされる遺物。"世界一優秀な遺伝子"や"黒の教科書"、"ヨコシマキメ遺跡"等がある。 邪気払い(アンチイビル)…無能力者が邪気眼使いに対抗するべく編み出された技術 遺眼…邪気眼遣いが死ぬとき残す眼の残骸。宝石としての価値も高いが封入された邪気によってはいろいろできるらしい
「なんでって?仕事だよ。君も僕も情報収集が任務だろう? “僕が居るところ”に“たまたたま君が居ても”おかしくはないね」 「えーえーそうでしたね隠密と一緒にしないでもらいたいですけど」 ウ エ 一応にもレインマンは上層部である 下手な真似は出来ないが 「さっきの君の行動は全部見てたよ。 監視対象と関係を築くというの、は確かに任務と合致している だがしかし・・・君は監視対象と親密になりすぎる。 それでもって 君は『仕事』のついでに『趣味』に走るわけだ。いつもそうだ君は。 こっちが姿を隠してきっちり監視しようと思った矢先にコレだ」 「ガッチガチの隠密規律野郎に言われたかないわよ それにいつも言ってるでしょうが、私の『仕事』は せ・ん・と・う 情報収集部は建前だっての ま、あんたなら『建前でも仕事はきっちりやれ』って言うんでしょうけど」 「お陰でこちらの取れる戦術がほとんど無くなった、いい迷惑だよ… 姿を隠してこっそり相手を倒そうと思っても、君が監視対象のそばにべったり張り付いてるんだからね。 君が対象と距離を置いていればこんな事にはならなかったんだよ。 君はいちおう“こちら側”の人間だ。言っておくが僕は“味方撃ち”をするつもりはない。 まったく『趣味』と『仕事』を両立できるなんてうらやましい限り…おっと、そんな事を言っている場合じゃなかったね」 カノッサ 「へいへいワロスワロス でもそれでも仕事をこなすのが大手の隠密じゃない? 傘下の人間ごときにそんな真似させないでよね それに距離を取るとか無理にも程度を言うべきよ。ま、あんたみたいなモブ男に分かるわけないけどね で、カノッサのエージェントさんが何か用かしら?」 ピアノは雨乃の事が大嫌いだが、その仕事は唸りつつも認めざるを得ない それほどまでに彼はやり手だ お手本のような隠密だが、だからこそ高い信頼と実績を持っている しかしそれでも中堅でもなんでもない、平凡な一端の兵士にすぎない それはカノッサと言う機関の強大さか、雨乃自身のの献身さか 「……もどかしいわね」 カノッサ機関のデータベースに潜り込む事自体は簡単だ だが余りにも広大すぎる いかにピアノが最先端のハック能力を持っていたとしても、時間と処理が追いつかないのが現状 物量の差、こればかりは、いかなる宇宙の技術でも埋める事は出来ないのだ
「では、勝手に話をさせて貰うよ。 話はすぐに済む、聞くか聞かないかは君らの自由だ 1時間後に、秋葉原に爆撃が開始される」 「……っ」 びくり、とピアノの肩が揺れる 「理由は“秋葉原全域に展開された魔方陣”だ。 あの魔方陣が何を目的としたものかは知らないが、害あるものである事は確かだ。 しかも、魔方陣はいつ発動するか分からない。 魔方陣の停止方法は3つある 1つは『魔方陣を破壊する』 2つは『強力な“魔剣”で魔方陣の組成呪式を切り裂く』 3つは『対抗呪式を魔方陣に上書きして無効化する』 1つ目が一番簡単だ。 だから、カノッサ上層部は魔方陣が発動するその前に、魔法陣を街ごと破壊するつもりだ。 現在カノッサ前線基地では、超時空戦闘ヘリ“オッドアイ”が10機ほどエンジンを暖めて待機中。 このヘリは転移能力を備えているから、ニューヨーク流に1分間で到着だ。法螺じゃない。 ピアノ、君でも逃げるのは難しいかもしれないね…」 「雨乃…あんた、それ分かって言ってんの?」 あえて言わなかった 切り出せなかった事を、雨乃大地はあっさりとさらけ出した 広大なカノッサの情報網の中で異常なまでに突出した狂気の沙汰を、あっさりと言ってのけた 自分自身も夢だと思っていた事を、現実としてつきつけられた 「カノッサが一都市を潰す これがどれだけ異常な事か分かって言ってんでしょうね? 日本、ましてや世界政府が黙ってないわよ!? 世界有数の電器街であり、観光地でもあるこの都市を爆撃で消す!? それこそ60数年前の繰り返しよ!ふざけてるわ! もしそれが実行されるようであれば、私はカノッサに殴りこむわ、 何も知らずに平和を満喫している人々の幸せ これはもう二度と踏みにじられない―――」 「ピ、ピアノ!」 「っ……!」 ウィスの叫びで我に帰る 思わず一歩前に出てしまっっていた。 手が白くなるほど握り締められている 「……もう、戦争はこりごりよ 争いは、見えないところで燃え上がるだけで充分 だから、私はここにいるの、火が燃えすぎないように、火守をしてるのよ 無関係な一般人を巻き込むのは、もう…止めて」 ピアノらしくない、か細い弱々しい声 「………」 彼女の過去に、何があったのか 延命措置で100年以上生きている彼女の過去を知る者は ここにはいない 60数年前にこの国で何があったのかも、表歴史では「戦争」の二文字で一蹴され残っていない ただ、暴虐な歴史を繰り返すわけにはいかない それだけは確信して言えた
「‥‥対話では‥‥ 対話では、私は死ねない。 それに、対話ならば戦闘と同時に可能なはずだ。」 (――――死都、東京。秋葉原。) (”あそび”の名で通るコスプレ衣装専門店、その狭い裏口で) (コスプレイヤーの憩いの場であるその地とは程遠く無縁な、緊迫した空気が死線のように強く脆く張り詰める) (少女の、外見とはおよそ似つかわしくない声色が緊張を切り裂いた、) (その瞬間。) (ゴボリ、と) (鷹逸カの身体が、水に沈んでいた。) ……ゴボ…ッ!? (何が起きたのか、予兆はおろかその発現すら知覚することはできなかった。) (意識と意識が繋がれる、0.1秒にも満たないような僅かな瞬間より早く。…この空間を、水が支配した。) (やッ、ヤバ………!!?) (あまりに唐突すぎる危機の到来に、正常な思考能力を失っていくのを明確に感じる) (状況の処理が追いついていない。パニック状態。これに陥った人間は、多くの確率で命を落とすことを鷹逸カは知っている) (酸素が途切れる前に、鷹逸カは整理を試みる。…さっきまでは、確かに秋葉原という陸上にいたはずだ。……それが、一瞬にして水没した?) (無茶苦茶だ……!! 災害系の能力者でも、準備も媒介もなしでこんな早くできる訳がねえッ!?) (『終末』) (少女はまさにそのものなのだと、鷹逸カは驚異/脅威と共に理解する。) (オワリを届ける全ての現象を、彼女は実現してみせるだろう。それも特に労を要さず、まるで金管を吹く天使のように) (まるで、黙示。) フカ オワリ (ただし訪れたのは神の御遣いなどではなく、ただ深遠き『千』のヤミ) (グブッ……! そ、ろそろ…限界……!!) (死の瀬戸際での思考に、凄まじい勢いで消耗していく酸素。) (このままではマズい。酸素の不足が長時間続けば、意識混濁やその他「戦場」において致命的な障害が生じてしまう) (例えそれは一時的な発症だとしても、その”一時”で人は死ぬ。それを分かっていたからこそ、鷹逸カは何よりもまず地を蹴って、水面へ飛び出した。) ブハッ…!! ゲホッ、ゲホ…ッ!! …みんなッ、無事かッ!! (総員の確認をしながら、鷹逸カは天井までの距離を確認する。) (…近い。もう目と鼻の先と表現してもいい。……天井まで満たさなかったのは、『終末』なりの慈悲だろうか) (……いや、そんな訳はない。) タタカ (彼女はただ、失いたくなかっただけだろう。…『永の眠り』で空いた腹を満たす、死戦いの相手を。) (このまま行けば、大規模な異能戦が展開されるだろう。そうなれば、あまりに強大な「野火」は街を容易く焼き尽くし、秋葉原は…死の街と化す) (くそッ! 戦いを止めなきゃ……でも、どうすれば!? どうやったらあんな規格外のヤツ止められる!?) (異能にいくら詳しくても、実際にそれを止められる手立てがあるかと言われれば、別問題) (紙の上での学問はこうまでも無力なのかと、鷹逸カは歯がみしていると、) 「1時間後に、秋葉原に爆撃が開始される」 (この局面で、あまりに冷静な声が響いた。
(小柄な紳士、レインマンの発言した内容を要すると、) …カノッサ機関は、秋葉原に現れた正体不明の魔方陣を、脅威あるものと認識。 このままだと、もっとも簡潔な破壊方法である『街もろともの全体爆撃』で、街が全て消し炭になっちまう、……そういう認識でいいんだな。 (…カノッサ機関は、旧世界での激戦で勢力を失い、衰退したというのが学会での定説だ) (それを示す証拠も残存する遺跡でいくつか発見されている。……レインマンの発言は、それを真っ向から覆すものだった。) (……いや、むしろ『勢力が衰退して、街を焦土にする”程度”の戦力しか動かせない』。……カノッサの全盛期を考えれば、この解釈が最適かもしれない) (いずれにせよ、ひどい交換条件だ。) (レインマンの発言は、『提案』。この方法を取らせないために、自分に協力しろと申し出ているものだった) (もっとも、交渉の余地など実質、残されてはいない。暗にこれは、協力を強制しているのと何も変わりはない) (………だが、協力したところで何が出来るのか、というのが鷹逸カの本音だった。) (無力化の戦略は、相手との実力差が開けば開くほどその規模を大きくするのが定石だ。…いずれにせよ、被害が出るのは変わりないのでは、と訝ってしまう) (レインマン、だっけか。こいつには何か策でもあるってのか?) (確かに伝承じゃ、邪気眼使いが怪物退治している話をよく見るけどよ……。それを実演するんじゃねえだろうな……?) (だが、従うしかない。) (街ごと爆撃でもされたものなら、閉鎖された秋葉原に取り残されている人々の命を代償に捧げることになる) (街や建物などいくらでも立て直すことができる。…だが失われた命は、禁呪を用いても、二度と蘇らせることなどできはしない。) (不承不承、鷹逸カは頷こうとして、) 「雨乃…あんた、それ分かって言ってんの?」 (さっきまであんなに元気だった少女の、震えた声が聞こえた。) 「カノッサが一都市を潰す これがどれだけ異常な事か分かって言ってんでしょうね? 日本、ましてや世界政府が黙ってないわよ!? 世界有数の電器街であり、観光地でもあるこの都市を爆撃で消す!? それこそ60数年前の繰り返しよ!ふざけてるわ! もしそれが実行されるようであれば、私はカノッサに殴りこむわ、 何も知らずに平和を満喫している人々の幸せ これはもう二度と踏みにじられない―――」 「ピ、ピアノ!」 ぴ、ピアノ――――? (さっきまでと同じ人物とは、到底思えなかった。) (レイと楽しげにあんなに絡んでいたピアノは、この瞬間から、あるいはこの瞬間だけ、一人の怯える少女と化していたように思えた) 「……もう、戦争はこりごりよ 争いは、見えないところで燃え上がるだけで充分 だから、私はここにいるの、火が燃えすぎないように、火守をしてるのよ 無関係な一般人を巻き込むのは、もう…止めて」 (…………嗚呼、何だ。) (最初から、迷う必要も、渋る必要もなかったじゃないか。) (足る理由は、いまこの瞬間、得たのだから。)
(この若葉色に揺れる少女にかつて何があったのか) (それを鷹逸カに知るよしはない。鷹逸カはつい最近この「非日常」に踏み入れたルーキーだ。知ることはできない。) (だが。) …………、一つだけ約束しろ。 ……アイツを止める策なら、いくらでも乗ってやる。俺たちの頑張りで被害を食い止められるなら、安いモンだ。 ………けどな。. ヒ ト …この街に取り残された《生命》は、絶対に巻き添えになんてさせはしねえ。 誰も死なせない。誰も失わせるわけにはいかない。………交換条件なんて出せた立場じゃねえが、…それだけだ。 (誰かの哀しみを、感じることはできる。) (その哀しみから逃げずに、立ち向かうことはできる。) (その哀しみに負けずに、戦い抜くことぐらいは無力な鷹逸カにだってできる。) (それは、決して借り物の言葉などではない) (ピアノへの同情から出た、軽い言葉などでも決してない) (一理想論にしか聞こえない蜜月のように甘ったれた言葉だろうか。他人には嘲笑されるだろう、夢のような言葉だろうか。) (それが、愚者が愚か者たる所以) (そしてそれが、愚者が遙かなる旅路を歩む理由) ………絶対に、アイツを止める。 プ レ ー ト 死なせねえ。…誰も失わせねえッ!! 今こそ俺に”答”えろッッ、『戦う理由を示す石版』ォオオオオッッッ!!! (刹那、爆発する圧力) (無力なる青年を中心として、ヒカリがヤミに滲むように、凄まじい勢いをもって光輝は飛び火していく) (それは、意志/遺志のチカラ) (なすべきことをなす為の、なされなかったことをなす為の、折れず挫けぬ《絶対の意志》) (…『世界の選択』を包む、白きヒカリ) フカ (それは激情のように燃えさかり、静謐のように揺らめき、…不気味に地を浸す深淵きヤミを鮮やかに照らし出す) (まるで炎。それも、灯火などではなく――――) ………上等だぜ。 テメェ イノチ ヤミ ヒカリ 終末の勝手な理由で無関係な生命が奪われるってなら、……そんな横暴は、この意志で撃ち払うッッ!!! (――――天地を照らす、灼かな業火。)
追い詰めた、とエヴァーは確信した。 『反転空間』。創造主様が直々に、我らのために創られた異能の力が込められし一品。 発動場所から1ha以内を模造した新たなセカイを造りだす。 50人規模の小隊の潜伏先としての用途以外にも、発動範囲に敵を巻き込めば任意に“こちら側”へ隔離する事もできる優れ物。 そして一度“隔離”した以上、専用の術式を用いなければ脱出は困難。 最早、目の前の邪教徒二人は袋の鼠も同然。 「……さあ、断罪の刻である。我らが聖地の一つ“世界基督教大学”に穢れし身で立ち入った罪過……その命で贖え」 全方位から間隙ない包囲。仮にどの方向へ抜けようとしても、そこにいる同志もろともに殲滅する必殺の布陣だったが、死にかけの女はともかく《白亜の侍》も呆然と動かない。 一瞬『エヴァー』は何かの策を疑ったがすぐに止める。 たとえ何らかの異能的な罠が仕掛けられているとしても、50の『神器』による強力な異能攻撃───格を付けるならば『銘有り』に匹敵する───は物量的、威力的な要素から罠ごと敵を粉砕するだろう。 ならば、矛を納める理由など最早絶無だった。 五十の『神器』が白銀の燐光を放つ。それら一つ一つに込められし“異なる能”は ───世界を、変える。 太陽の如き凄絶な熱量の斬撃の熱風波。 空間すら歪める極大の重力の矢。 ミスリルすら粉砕する水の砲弾。 大海を切裂く大いなる鎌鼬。 そして、数多の力を食い潰し、我が物とした『イグニオン』の無限量のエネルギー球。 エトセトラ五十の異能は、五十の形に世界を変え『邪』を討つ矛となる。 主の御力を存分に振う事が許された皆の顔には狂喜の笑みが浮かんでいた。 (……これで、決まりである。 ああ我らが聖女『ネツァク』様よ。 此度の戦いも“勝利”を与えてくださったこと、感に堪えませぬ) 勝利を前に想起するは最高幹部の一柱にして《神樹の槍》の管理者。 第七セフィラ《ネツァク》───“勝利”の意を司る女人は、それに相応しい功績から『聖女』として多くの同胞が崇め奉っている。 「終わりだ、邪教徒。聖樹堂の下、永劫に《ゲブラー》様の裁きを受けるがよい。 ……放てェェ!」 ────────────
ガシャリ、ガシャリ、と自分たちを包囲する足音が聞こえる。 抗わなければならないのに、立ち向かわなければならないのに、気力は湧かない。 それは、もう黒野天使を助けられないと分かってしまったから。 (は………はは、血が止まらぬ。何故だ、どうして。 あの男の槍の効果か?最悪だ、永続的ではなくせめて即時的な効力なら、彼女を助けられたかもしれぬというのに………) 脈が、呼吸が、朝日に照らされる暗闇のように徐々に潰えていくのが否応にも感じてしまう。 結局、己が為した事は無駄に痛苦を長引かせただけ。自分がどんな力を持った所で “理不尽な力”に蹂躙された人一人救えはしなかった。 (───嗚呼、もう、よい。みんな、殺そう。 此奴等の首をかっ切って、無間地獄に堕とそう。そして、首魁である『枢機院』とやらも) (皆、皆、滅ぼそう) 己が“あの時”から生きた全てを否定され、冥い劣情に憑かれた彼は気付かない。 まさに今の思考そのものが、彼の嫌う理不尽とイコールである事を。 今の彼に有るのはただ“理不尽”への殺意のみ。 ふと、意識を周囲に戻す。網膜で結ばれた像が映したのは───十重二十重に自分達を囲む異能。 互いの異能が競合し最早、虹の嵐と言うに相応しいソレは、掠るだけで一片の塵芥すら残さない事は容易に見て取れる。 だが、なぜか回避する気すら起こらない。《神樹の槍》と名乗った彼らの“理不尽な力”の象徴であるそれを叩き潰してやりたいと、心の底から思ったから。 頭では無茶であると分かっている。 物量的な問題として、全力の高速回避こそが最善の道である事も。 脳と心の背反は、ほんの数瞬の硬直を喚起する。 「放て」と声が───異能の嵐が牙を剥いたのは、硬直の始まりと全くの同刻。 戦術級クラスの攻性術式群の発露。如何な存在ですら立ち向かい難い断罪の一撃。 全てを潰してやると、其を迎撃する無謀な一人の侍が交錯するほんの寸前に ───全ての異能が弾け飛んだ。
自分では、無い。 総計五十の異能を消し飛ばしたのは、間違いなく自分では無い。 (………何……が、いや、違う、何が起きたかは分かる。 だが、一体これは“誰が”……!?) 神樹の槍、初めはそれが答えだと思った。 可能性として一番有り得たのは『攻撃の中断』。 しかし、直ぐさま否定された。1秒にも満たぬ時間で全ての異能が消え去った事実は、こちら以上に驚愕だったのだろう。 誰一人として呆然としていない者はいなかった。 ならば、他の誰がこのような事を為せようか。 どんな『存在』が、この事実を引き起こせようか。 可能性があるのは───“一人”しかいないでは無いか。 血溜まりに倒れていた一人の白衣を纏う女が立ち上がる。 ほんの先には、一人で起き上がる事すら不可能だった筈の者が。 初対面の印象全てが塗り変わってしまったかのような。 あらゆる点で過去と隔絶していた黒野天使が。
・・・隠密と一緒にしないでもらいたいですけど ・・・ガッチガチの隠密規律野郎に言われたかないわよ ・・・距離を取るとか無理にも程が・・・ま、あんたみたいなモブ男に・・・ レインマンがピアノの過失をあげつらい、ピアノが言い返す。 撃たれたら撃ちかえす、言葉の銃弾の応酬。 これが、相容れぬ両者のささやかな交流だった。 「…で、カノッサのエージェントさんが何か用かしら?」 レインマンは淡々と用件を述べた。 「秋葉原の爆撃を止める代わりに、魔法陣の解除に協力しろ」と。 空気が一瞬、帯電した事にレインマンは気づく。 「雨乃…あんた、それ分かって言ってんの?」 ピアノは肩を震わせていた。 「カノッサが一都市を潰す これがどれだけ異常な事か分かって言ってんでしょうね? 日本、ましてや世界政府が黙ってないわよ!? 世界有数の電器街であり、観光地でもあるこの都市を爆撃で消す!? それこそ60数年前の繰り返しよ!ふざけてるわ! もしそれが実行されるようであれば、私はカノッサに殴りこむわ、 何も知らずに平和を満喫している人々の幸せ これはもう二度と踏みにじられない―――」 それはレインマンの知る、彼女のもうひとつの側面。 「不必要な戦を止める」という事。 その事に対する真摯さ、ひたむきさだった。 彼女の過去は知らない――だが、大らかな彼女をそうさせる“過去”が窺い知れた。 「……もう、戦争はこりごりよ 争いは、見えないところで燃え上がるだけで充分 だから、私はここにいるの、火が燃えすぎないように、火守をしてるのよ 無関係な一般人を巻き込むのは、もう…止めて」 あの憎まれ口を聞いているピアノがまるで別人のようだった。 (…全くカノッサのエージェントなんて、本当に損な役回りだね。) 今にも叫びだしそうな彼女の顔を見て、レインマンはの心には深い罪悪感が沸きあがる。 そういえば、これもいつもの事だという事をレインマンは思い出していた。
その片方でレインマンの頭脳は高速で回転していた。 ――方法1魔刀遣いの彼女に協力を…“黒爪”ほどの魔刀ならば魔法陣を…NOだ、時間がない。 ―――方法2対抗呪式の展開を…だがそれには大勢の“詠唱者”が必要・・・ ―――ならピアノに上空から対抗呪式を描かせる?NOだ!自衛隊の高射に撃墜される ―――いや…まてよ呪文でなくともいい…そうたとえば・・・たとえば・・・ たとえば“歌”とか “歌”? QUESTION 問 題 ここは 秋葉原 そして ここについさっきまで ある人物が居た それはだれか? それは! 三千院セレネ BINGO! 正 解 カチーン!という音が雨乃の頭の中で鳴り響いた。
「カノッサのやり方については言い訳をするつもりはない。 たぶんこれが、君と僕らの徹底的な違いなんだろう」 「だが今は無駄な殺戮をするつもりはない。 そして…“策”はある、“策”はあるんだ。 君を裏切るつもりはないだから協力してくれ。」 そういうと雨乃は、懐から小型のノートを取り出す。 ノートの革カバーに刺さったペンを抜き、流麗な筆致でノートに何やら書き込んだ。 それをピアノに押し付ける。 それは“楽譜”だった。 「こいつを君の“機鋼眼”でスキャンして覚えろ。 この楽譜に対抗呪式を織り込んだ。これを大勢の人間に歌わせるんだ… それが対抗呪文となる。 え?ああ。どうやって詠唱者を揃えるかって? 簡単さ…この街の住人全員を歌わせればいいんだ。 “君が”…ね。 何?飲み込めない?それなら単刀直入に言おう」 レインマンは、少し意地悪そうな顔をして言う。 「ピアノ、君が“三千院セレネ”になるんだ “変形”能力を応用して彼女に化ければいい。 声も姿も完全に模倣できるはずだ。 そして、目立つところに行ってこれを歌え。 この曲は彼女のヒットナンバー・・・らしい。 街の住人は欣喜雀躍して歌うだろう。 対抗呪式は日本語の発声に合わせて組み込んであるから… 手練の詠唱者が呪文を唱えるのと同じ事になる。 これでどこかの誰さんが描いたはた迷惑な魔法陣は抹消できるはずだよ」
「これが僕の策だ…ほかに方法はない。思いつかない。 この曲を歌えるのも君くらいしかいない、だから頼んだよ」 【死なせねえ。…誰も失わせねえッ!! 今こそ俺に”答”えろッッ、『戦う理由を示す石版』ォオオオオッッッ!!!】 “世界の選択”鷹逸郎の体が光に包まれる。 爆裂する光の奔流に、一瞬レインマンは眼を奪われた。 「…彼もご協力頂けるようだから、僕も彼女の足止めに協力するよ。 じゃあそういう事で…よろしくね。 レインマンは水面に立つと、黒い傘を構えて“終末の少女”に向き合った。 「水使いの僕を差し置いて水遊びだなんてよくないね?ぼくの存在意義に関わる問題だ。 だから…僕もお相手するよ…“名前のないお嬢さん”? もしよければ、冥土の土産に名前くらいは教えてほしいね!」
《………はあ》 必要最低限の威厳を残した簡素な学長室の中央で、布兵庵竜蹄は大きくため息を付いた。 《…やれやれ、今日は凪どころか大荒れじゃのう。》 「アンジェラ=ベネットの不審」 「三千院家執事の学園内潜入」 「学園内滞在中のステラ=トワイライトを狙った『楽園教導派』の強襲」 様々な妙を察知し、「ちょっとした連絡路」を用いて昨今の“世界のニュース”について調査を入れていた学院長・竜蹄であったが、 調べれば調べるほど出てくるろくでもない情報に、思わず諦観の溜め息をついた。 《楽園教導派の邪気眼使い殲滅作戦…『世界』を失ったアルカナの強襲…秋葉原でも一波乱あるようじゃのう。》 《結城教授は生きておるかのう……ああ、しかし多少痛い目見た方が懲りるかもしれんな、あ奴は。》 学院内の様子は全て竜蹄に掌握されている。 “結城鷹逸郎教授が講義をサボって秋葉原へサイン会に行こうとしていた”事などは、もう全部まるっとするっとお見通しである。 …ちなみに結城教授にはこの後「 そ れ な り の 処 分 」を下す事が既に竜蹄の頭の中で決まっている。みんなは仕事をサボっちゃいけないze! 《…「邪気眼使いの抹殺」…創造主様自らが仰ったというのも気になる所ではあるが……まあ、今はとにかく、目の前のコレかのう。》 目の前に詰まれた小型モニターのうちの一つに目を落とす。 そこに映るは───《鎮守の森》
《…ふむ、なかなか上手い具合に張られておるの。上々の術者がおるようじゃ。》 所変わって室外・《鎮守の森》前。 何の変哲も無いただの木々を見つめ、竜蹄は感心したように髭を撫でた。 《人目につかぬように、との配慮はありがたいが…生憎今回は、そうもいかぬのよなあ。》 とん、と。 手元の杖を虚空に投げ、“何か”に置くような素振りをする。 《───止マレ、【静終眼】》 右目に紅い光を宿し、森の中へ一歩踏み出す。 蚊の飛ぶような音とともに、竜蹄の片足は“異質な空間”に足を踏み入れた。 中にいたのは一個小隊、そして一人の侍と、白衣の女性。 中心で血を流し死に体のその女性こそが──竜蹄が自ら腰を上げた理由であった。 《………世界基督教大学研究員・黒野天使(クロノエンジェル)とみてよろしいな?》 背中を撫でるようなざらりとした風が、竜蹄を中心に放たれる。 「な…っ…なんだ貴様!何処から入った!?」 小隊の内の一人──白い法衣を纏った若き魔術師が、老体に杖を向ける。 それを皮切りに、数名の隊員が皺深いその男を包囲する。 杖、弓、あるいは銃や剣。構える得物は異なれど、すべての切っ先が向かうのは紛れも無く竜蹄の首元。 老人はその状況を見てふう、と溜め息をつくと、喋る事すら無意味であるように感じさせる小さな声で答えた。 《…世界基督教大学学長・布兵庵竜蹄。》 学長──その言葉を聞いた先の魔術師が、納得をしたように杖を下ろす。 「学長…なんだ、同志か?」 がちゃがちゃと武器が下りる音。 男はそれだけの肩書きで爺を仲間と勝手に判断し、両手を広げた。 「どうしてここに入ったかは知らんが…まあ、確かに今回の進出は連絡の一つも無かったからな…」 脇に佇む銃剣使いが肩を竦めて言う。
「成程…な。これは失礼しました。」 「だが、そう言ってもいられまい?御仁には後に改めて説明するが、我等が枢機院がついに動き出し─────」 ずぷりと液体の溢れ出る嫌なにおいと、 骸の出来上がりを告げるむさくるしいまでの死のにおいが弾けとんだ。 「────た───」 魔術師は腹部に違和感を感じ、己の胴を見やる。 そこに在るのは、杖を深々と刺し込まれた自身の肉体。 「─────の…だ………」 ガシャァン、と派手な音を立てて、魔術師が朱に倒れる。 白と黒の対比(コントラスト)で彩られた無彩空間が、水を打ったように静かになった。 竜蹄は血の滴る仕込み杖を抜き取り、ぴっとそれを振ってあたりに朱の飛沫を飛ばした。 そして静かに、ただ呟くように、眠りから起こされた老練なる獅子のように告げた。 《・……同志…か。笑わせてくれるのう…?》 「きっ……貴様ァァァァァァッ!」 激昂した剣士が身の丈ほどもある大剣を振るう。 振り下ろされた剣は真正面に竜蹄の額を捕らえ、そのまま脳髄を引き摺り出した。 そして────“それすらも残像である”と剣士が気がついたとき、既にその首は仕込み杖にて刈り取られていた。 取り巻きより少し離れた所にいた一人の術師が、背後に気配を感じ振り向く。 忍び寄られた形跡も無く、雑然とした姿勢でたった今息絶えたはずの老人が立っていた。 《残念だけど儂──》 ずぶり。 《邪気眼使いなのよね》 ずぶずぶと、まるで綿にガラス棒を埋め込むように杖は身体を貫いてゆく。 「う…うわああああああああああ!!!」 錯乱した拳銃使いが老人へ発砲する。 竜蹄はそれを傍目でちらりと見ると、ふうと一息ため息を付いた。 弾はどうしても竜蹄の胸へは届かなかった。 その一つ一つ、全てが宙に「静止」していたが故。
《青いのう》 弾はいつのまにかその軌道を変えていた。 くるりと180度向きを変えた弾丸が、そのまま自陣へ降り注ぐ。 少年の容姿をした銃使いは、自らの弾丸に沈んだ。 「…貴様……なんだ…一体何者だっ!!」 実力者と思われる巨大な盾を構えた男が、同志の亡骸を前にどちらかと言えば冷静な口調で言う。 ふふん、と竜蹄は鼻で笑い、愚かなる大衆どもへかっこいい名乗りを挙げてやろうとした─────! 《儂の名は布兵庵竜蹄。誰よりも【安寧】を求めし───げふぅっ!?》 刹那、殺意の波動に似た覇気が世界を包む。 完全に不意打ちだった「それ」により吹っ飛ばされた盾男の盾が思いっきり自身にHITし、竜蹄はここに来て初めてダメージを受けた。 《…………流石に今のはないわ……空気読まんかい、空気…》 強かに打ちつけた腰をさすりつつ、よっこらせと起き上がる。 他の兵団どもが反応を返す前に、再び老人は「眼」を発動させた。 《…「静終眼」》 キィィン、という音と共に“世界の全てが静止”した。 そこにあって動く物は、布兵庵竜蹄ただ一人。 竜蹄の能力「静終眼」は、万物に流れる物事を「停止」させる能力。 先ほどからこの老人は「結界と言う限られた世界の中でのみ「時」を停止させる」ことで、絶大な強さを誇っていた。 邪気の消費は事象を止める事による「セカイへの介入度」と比例する。 世界の時を止める事は流石にそうできた事ではないが、今回は時間の概念が希薄な「封絶結界」の中であるが故この「禁じ手」を使うことが出来たのだった。
その場に居る人間からすれば一瞬にも満たない時間で、竜蹄は天使と侍の元へ辿り着いた。 《…中々、やってくれるのう。おかげで腰痛が再発しおったわい》 何かいいたげに腰をさすりつつ、竜蹄は穏やかな口調で語り掛ける。 《先の威圧は君かの、黒野教授。まあ、まとめて潰す手間が省けたと言った────ヌゥッ!?》 背後から、殺気。 立ち込める爆煙の中から、かろうじて生き残った【神樹の槍】の隊長格、剣士と槍使いが踊り出る。 「もらったァァァァァァーーーーーッ!」 槍使いは一文字に竜蹄の首目掛けて紅の槍を突き放つ。 だが───それすらも、竜蹄の首へは届かなかった。 首に触れる紙一重で、槍は運動を停止していた。 「な…………っ!?」 《…ふむ、残念だったのう?》 空中に静止する槍に宙ぶらりんになる槍使い。 その状況を把握する前に、竜蹄の杖が彼の手首を捉えていた。 《─────静終眼、脈拍の停止》 「馬鹿な…が…ア……こ…んな……ア…アアアアアアアアアッ!」 血液の循環を停止された槍使いは、悶絶の末に目を剥いて息絶えた。 もう一人の剣士のほうは黒野の方へ向かったようだが────心配はいらぬかの、と竜蹄は加勢しなかった。 ───最後の二人の亡骸を作り出し、老人は落ち着いた様子で語りだした。 《…さて、自己紹介させてもらおうかのう》 こほん、と咳払い。 《儂の名は布兵庵竜蹄。そちらの黒野教授にはご存知か───あるいはご存知無いかもしれぬが、この世界基督教大学で学長をやっておる》 《して、君らの「職業」は?答え次第で敵になるような事はおそらく無いじゃろうから、教えていただけると嬉しいのう》 あくまで穏やかに、好々爺は問い掛けた。
「……これは、僕としては助けてあげるべきなのかなあ? 一応仲間なんだしねえ」 空間を『切断』して世界基督教大学へと到達していた『スクランブル』は、小さくぼやく。 竜蹄の『停止』の中にありながら、彼は至って普通に喋り、後頭を掻いてさえいた。 何故か、それは彼の移動手段――即ち『空間の切断』に関連する。 竜蹄の『停止』が十全たる機能を発揮するには、大学を包む結界が必要不可欠だ。 だが『スクランブル』が空間を裂いてこの場へと至った事により、彼の結界には致命的な解れが生まれていたのである。 故にエヴァー達は、辛うじて一命を取り留めていた。 首を跳ね飛ばされた者に関してはどうしようも無いが、即死でなかった者達は辛うじて治癒術式を用いて。 また直接『停止』を施されたエヴァーに関しても、『スクランブル』が『邪気眼との関係性を切断』する事で完全な効果を防いでいた。 「……悪いけどさ、彼らは一応僕の同僚でね。あれ? 同胞だっけ? まあどっちでもいいか。 それで、その二人には用事があるんだよね。僕がさ」 と言う訳で、と『スクランブル』は言葉を繋ぐ。 「場所を変えようか」 たった一言。 それと同時に白亜の侍とカノッサの研究者、そして枢機院の面々を飲み込む空間の裂け目が口腔を開けた。 通常であれば、これ程巨大な切断面を瞬時に作る事などは出来ない。 だがそれについてもやはり、竜蹄の結界が仇となった。 刃と言うものは、不定に揺らぐ布よりも固定された紙の方が容易く『切る』事が出来る。 結界の中であるからこそ、『スクランブル』は容易に空間を断つ事が出来たのだった。 竜蹄が『停止』を働かせる隙もなく、空間は完全に皆を飲み込み閉じてしまう。 もっとも仮に竜蹄に何か行動を起こす時間があったとしても、 強引に切り裂かれた為に崩壊しつつある結界――自分の『楽園』を修繕する事で手一杯ではあろうが。 「……さて、それじゃ気を取り直して。君が、白亜の侍かな? 何だか随分と赤黒いけど。 ともあれね、僕は君の『白亜』が欲しいんだ。ついでに新しい剣の試し切りもしたい。 つまり、君はとてもお誂え向きなんだ。だからやろう。だから殺し合おう」 腰に差した一振りの刀に、『スクランブル』は手を添える。 だがその刀の柄を、上から抑える手があった。 『エヴァー』である。辛くも命を繋ぎ出来る限りの治癒術式を施した『エヴァー』が、彼を静止していた。 「……奴らを仕留めるのは、あくまで我らの仕事である。そして、我らはまだ十分にやれる。貴様が出る幕も道理も、一切ない……!」 「……仕方ないなあ。好きにやりなよ。僕はここで見てるから。侍君、出来るだけ早くお願いするから、よろしく頼むよ?」
『コンフィング』は亡骸さえ残さず文字通り『散った』。 一片の慈悲もなく彼を屠り殺したステラ=トワイライトは、無茶な挙動で体中の筋が断裂しそうになるのを気合でどうにか繋ぎ、 ライトニングセイルの光速機動形態を解除した。左眼から翠の光が失われ、ただの色違いの眼に戻る。 「っは、――」 呼吸は断続的。ときおり咽るように咳き込みながら、肺に空気を入れ、吐き出す動作を繰り返す。 『コンフィング』ごとタケミカヅチを叩き込んだ地面は地盤を貫通し、自動車一台くらいなら容易に隠せるサイズの穴を穿っていた。 ファルシオンを穴の縁に突き立て、ハーケンの代わりにしてどうにか登りきり、穴の外へ身体を投げ出すと、そのまま仰向けになって空を見た。 (楽園教導派……邪気眼狩りの組織か。鷹逸郎さん、相当ニアピンしてたんだね) ともあれ、どうにか生き延びた。スケート靴で綱渡りをするような、危うい延命ではあったが。 彼女は土壇場の底力というものを信用していない。ただでさえ後手に回りやすい自分のことである。"可能性"に望みを置くにはリスクが合わない。 だから、ステラの戦い方は理論と理屈による組み立てが基本なのだ。ライトニングセイルにしたって、術式の雛形は既に考えてあった。 それを試験的に運用してみようと思って調達したのがファルシオンだ。『コンフィング』戦での発動は些か尚早ではあるものの、予定調和と言える。 (実戦で使うのは初めてだったけど、思いのほか上手くいったかな。これなら『白衣』の邪気眼使いにも――) がばりと起き上がり、 「――そうだ、アリス=シェイド!『コンフィング』に襲われてから見てないけど、どこいったんだろ」 隠れてる的なことを言ってどこかに潜みに行ったのは記憶にある。あれから研究棟へ移動したから、存在そんものを忘れていた。 『コンフィング』が助けた『プロブレム』を伴わずに一人で戦いに来たことを考えると、シェイドの方へ行った公算もある。 疑惑はあれども"自称"一般人であるからには、このまま無視してさようならといくわけにはいかないだろう。無駄な責任感は、彼女の美徳であった。 全身疲労はともかくとして、今の彼女には目立った外傷もなく、身体は十全に動く。 潰された左目は『遺眼』で代用しているし、それ以外にステラがこの戦闘でやらかした手落ちもない。 結果だけを見るなら圧勝なのだ。刻まれた小さな傷は、『創世眼』の再現作用によって既に概ねが修復されつつあった。 何よりも現在は昼間で、ここは屋外である。日光を吸収して邪気に変換できる彼女の辞書に、消耗戦という文字はない。 小休止を経て、ステラはもと居た場所へと駆け出す。人気のない構内を抜け、広場近くまで行くと、見覚えのある白い姿を認めた。 往来に出て、一人でなにやら思案顔でぶつぶつ呟いている。『プロブレム』の姿は見当たらなかった。 とりあえず、駆け寄る。 「無事だった?『プロブレム』がそっちに行ったと思ったんだけど……見ないね」 まあいいか、とひとりごちる。『プロブレム』は既に武器と戦意を喪失している。 仲間がいる状況ならいざ知らず、この期に及んで勝てない戦をしにくる道理はないとステラは考える。 「何事もないようで安心したよ。それで、――結城教授の研究室への案内、再開して欲しいな」 未だアリス=シェイドへの疑念は残る。見極める為、ステラは"努めて"無神経を演じながら、核心への外堀を埋め始めた。
水だ 透明で、何の味もしなくて、冷たいだけの ただの水 「…面白みがないな」 冷たい水は体力を奪い、泳ぐという行為はそれを更に加速させる 服を着たまま水に落ちれば服が水を吸い、体に張り付き不快感を与えるだけでなく 相応の重量となりこれも体力を落とす 「…人間は、本当に水から生まれたのかね」 無論冗談である、生きるために水は必要不可欠であり レイもまた、それに漏れる事がない 血も、水である 「……ふふ、狂ってるな 私は」 くすりと笑っている間も、水位は容赦なく上がっていく ああ、鷹一郎が溺れかけているじゃないか 直立姿勢のまま水に浮かぶという荒業を無意識でこなす彼女から見れば、溺れるなど笑い種でしかない 無駄な高所好きがこんなところで役立つとは誰が思っただろうか 「やれやれ…」 水のおかげか、少々頭が冷えたようだ その瞳は普段の輝きを見出している 水に濡れる黒爪を、鋭く振りかざすと 「暗夜槍≪月喰≫」 水に沈んだ地面に突き立てる 「貫け、」 そして、地面に垂直に刺さった黒爪の柄を軽く叩くと ボコ、ン そこを中心に直径1mほどの穴が開いた、深く 底の見えない穴 ひたすらに暴力的だった水は、重力に従い穴の中へと吸い込まれていく 「鷹一郎少年、栓を抜いておいた 熱くセリフを語るのは構わないが、ボケッとして吸い込まれるなよ? 下水処理場に行く事になるからな」 なんともシリアスになっている彼にかけるには、余りにも馬鹿じみた言葉 いや、これは彼女なりに心配しているのかもしれない
「…さて」 ピアノは今までにないほどシュンと小さくなり 鷹一郎はその"意思"を大きく燃やしている 襲撃者(鷹一郎少年の言葉から"終末"とでも呼んでおこう)は今なお淡々としており カノッサのエージェント、レインマンは何やら考え―― ! ――ていたかと思ったら、まるで漫画のテンプレートのような動きで『閃いた!』を体現する 「カノッサのやり方については言い訳をするつもりはない。 たぶんこれが、君と僕らの徹底的な違いなんだろう だが今は無駄な殺戮をするつもりはない。 そして…“策”はある、“策”はあるんだ。 君を裏切るつもりはないだから協力してくれ。」 しょげたままでいるピアノに足早に喋ると、ノートになにやら書き込みピアノに渡す 「こいつを君の“機鋼眼”でスキャンして覚えろ。 この楽譜に対抗呪式を織り込んだ。これを大勢の人間に歌わせるんだ… それが対抗呪文となる。 え?ああ。どうやって詠唱者を揃えるかって? 簡単さ…この街の住人全員を歌わせればいいんだ。 “君が”…ね。 何?飲み込めない?それなら単刀直入に言おう」 一拍の呼吸 レインマンの顔に意地悪そうな表情が浮かぶ 「ピアノ、君が“三千院セレネ”になるんだ “変形”能力を応用して彼女に化ければいい。 声も姿も完全に模倣できるはずだ。 そして、目立つところに行ってこれを歌え。 この曲は彼女のヒットナンバー・・・らしい。 街の住人は欣喜雀躍して歌うだろう。 対抗呪式は日本語の発声に合わせて組み込んであるから… 手練の詠唱者が呪文を唱えるのと同じ事になる。 これでどこかの誰さんが描いたはた迷惑な魔法陣は抹消できるはずだよ」 「……」 早い、今の一瞬でこの策を考えたのか ピアノの能力、そしてここ秋葉原にいる一般人が誰か それらを把握したうえでこの策を思いついたのだろう さらにいつの間にか消えていた三千院セレネの事も考えている カノッサの情報部も、侮れない、という事か ピアノが喜びそうな作戦なのは、まあ割合としておこう 「……楽しそうだな」 もうすぐ終末が始まるかもしれないというのに、こいつらは何にも絶望することなく、自分のやるべき事を見出していた 私は、どうなのだろう 楽しめて、いるだろうか
「いいぜェ、二人でかかって来ようとこの『死』様の前には無駄ってなァ」 《成程、『死』というのが正体か》 先程の《アルターブレード》への対処から言っても眼前のアンジェラもとい『死』はその力で文字通り攻撃を殺しているのだろう。 即ちそれは目に見える攻撃がすべからく対処され得るということである。 現にトリス・メギストスは前衛のリクス・クシュリナーダを盾にしつつも『死』の隙を突いては錬金術による槍撃を織り交ぜているが一向に中る気配は無い。 壁から、地面から、あらゆる方向の材料を遠隔練成で鋭利な槍にしているにもかかわらずだ。 《見えていても防げないもの、か》 そこでトリスは発想を変えざるを得ない。時は折しも結界展開の時刻。 そして『死』はリクスと揉み合い動きの取れない状況。 《脳さえ残っていれば「生け捕り」の目的には合致するな》 「真に残念ですが、お二方にはそろそろ黙っていただきましょう」 トリスの掌に光が満ちる。 「原子崩し《メルトダウナー》」 物質を自在に操ることのできる「元素の魔道師」。 その掌には極限までエネルギーを載せられ波動とも粒子ともつかない不安定な状態の「元素」が収縮している。 やがて光はその手を離れ、哀れな犠牲者を飲み込んだ。 「加減を誤ってしまいましたかねぇ」 最早対象の生死すらも判別出来ないほど跡形も無く、ただ、クレーターが開くのみ。 「始末書は面倒なものです」
「なン・・・だと!?」 (リクスには攻撃が通用しない。それどころか左腕を『零凝』により封じられる) 左腕が使い物にならないのはわかったが、メカニズムが解せない以上術式を「殺」しようも無い。ならば早々に切り捨てるしかないか。 (アロンダイトを振りかぶり、自らの左腕を切り落とす) 「はッ、この程度で殺せるなンて思うなよォ」 「原子崩し《メルトダウナー》」 (逆上し、リクスのおとり戦術完全に乗せられていた『死』。ノーマークに近いトリスの重いの一撃にはたじろぐこととなった) あのエネルギー量、まともに食らえばストックが持たんな。不本意だが撤退しかあるまい。 (アロンダイトで中空を斬る『死』。結界の「転移を阻害する性質」を殺し、ポーターで脱出する) 「ちッ、こンなところでッ」 (原始崩しの閃光の中、『死』は姿を消した)
【都内某所 アルカナの緊急避難箇所】 随分やってくれたな。おかげで腕をなくした。最も、そんなものはすぐに元通りだから気にするほどでもないが。 (命からがら逃げ延びた『死』。その周囲には逃走中に黄金に変えて糧とした人間の成れの果てが散乱する) 「あいつ、次は絶対にッ」 (ストックを消耗し魔力も底を尽きようとしていた『死』ではあるが、転移の直前に、黄金に変えていたリクスの右腕を切り落として当座の魔力を確保していたのだった) 後は左腕の再生を待つだけで――― ―――何というザマなの。もう一人の私まで出てきて戦果ゼロなんて。 (雰囲気が元に戻る。戦闘用人格の『死』からもとのヴィクトリアに切り替わった) まあいい。情報は得た。大学のこと、枢機院のこと、そして何より――― (人格とともにまるで肉体も切り替わったかのようにヴィクトリアに外傷は見られない) あの電話相手のこととかね。 (「サンクトペテルブルク」、これが次の目的地)
28 :
名無しになりきれ :2010/06/11(金) 22:53:05 0
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侍と教授の邂逅は神の信者を呼び、彼らの騒乱はとある学舎の主と神の使徒を招き寄せた。 「……さあ、断罪の刻である。我らが聖地の一つ“世界基督教大学”に穢れし身で立ち入った罪過… …その命で贖え」 (───嗚呼、もう、よい。みんな、殺そう。 此奴等の首をかっ切って、無間地獄に堕とそう。そして、首魁である『枢機院』とやらも) 《………世界基督教大学研究員・黒野天使(クロノエンジェル)とみてよろしいな?》 「……悪いけどさ、彼らは一応僕の同僚でね。あれ? 同胞だっけ? まあどっちでもいいか。 それで、その二人には用事があるんだよね。僕がさ」 重い想いが思い思いに積み重なり、かくて世界は狂乱と化す。 ……だがしかし。果たして彼らの中に気付いている者はいるだろうか? 祭の騒ぎが、遠い過去に忘れ去られていたパンドラの箱を開いてしまったという事を。 「術式装填―――――放てええっッッ!!!!」 空間が裂けた後、初めに動いたのは『枢機院』だった。 それは、彼らが裂けた空間において自身の存在を『固定』する術式を発動したが故の結果。 しかしながら、これは絶壁を下に向けて跳ぶ様な行為である。 当然ながら、そんな事をすれば彼らの肉体は無事では済まない。 だが――――それでも彼らは躊躇わない。何故なら彼等は枢機院。『創造主』に仕える子が一人。 その肉も魂も、一片残さず『創造主』に捧げる者達の狂信は、容易く恐怖を打ち崩す。 存在固定術式の反動でその肉に皹を入れながらも、枢機院の面々は武器を前に掲げ 世界を塗り替える“力”を放った。 先程の一撃をも上回る規模の、その命を削る必殺の一撃の収撃。 円形に陣を作った彼らの攻撃は、スクランブルを除く面々が出現した直後に襲い掛る。 「……先の術式は消されたが、この術式は消す事は不可能なのである。 数十に及ぶ異なる概念を込めた包囲攻撃。異教徒よ……悔い滅びるのである……!」 己が槍の力を使い強力な治癒術式を自身にかけるエヴァーは、 胸の前で十字を切りつつ、その光景を眺める。 到達時間零秒の軍勢による攻撃。いかな強力な術者といえ無事では済むまい。 「――――なっ!?」 しかし、次の瞬間驚愕の声を挙げたのは、学園の主でも白い侍でもない。 攻撃を放った『枢機院』の面々であった。それも仕方あるまい。何故なら、 再び彼等の攻撃が消滅したのだから。
相殺でも転移でもない。突然の消失。 乱入者達の登場によってうやむやとなっていたが、それは紛れも無く一度目の 『枢機院』の攻撃が消えたのと同じ現象だった。 しかも先程の攻撃と異なり、今回のそれは攻撃の種類や質を全く異なる物にして放った必殺の群れ。 技術や単なる異能でどうにかなるレベルではない筈であったのだ。 そうして枢機院の面々の攻撃によって起きた粉塵が晴れる――――そこで彼らは見た。 即ちそれは、黒野天使。血染めの白衣を羽織る女教授。 先ほどまで瀕死であった彼女が、天を仰ぎながら立ち上がっている姿を。 暫くその姿勢でいた彼女は、やがてその視線を天から降ろすと言った。 「……ヘヘ、久しぶりに外に出られた。全く、この女は『眼』が強くて困るぜ(笑」 片目だけが赤く変色し、口元に横に裂ける様な下卑た笑みを浮かべた、変わり果てたその姿で。 それは、始まりにして終末。決して開いてはいけない、 黒の歴史に消えていなければならない存在との、邂逅の瞬間であった――――
沈む身体に、ハッと我に返る 気がつけば、水位が急激に上昇していた 「…まったく、現実ってのは一瞬すら待たせてくれないのね」 水に浮くぐらいは簡単だ、アメンボの能力を模せばいい 足の裏に電磁気板をつけて、水の電導率に合わせた電磁波を……まあ難しい事はどうでもいい レインマンも同じように水の上に立って、何かを考えているようだった 「…過去に縛られて、情けないわね 私も」 ふー、としみじみとした言葉を吐く 「そうよ、火守なら火守らしく、大きくなりかけた火を消すべきじゃないの?」 自分に問答するように呟く 答えを迷う必要などない 「と、すれば 火を小さくする方法を考えないとね」 その目はいつものピアノらしい生き生きとした輝きが戻ってきている ふむ、と顎に手をあて、考え始めた矢先 「カノッサのやり方については言い訳をするつもりはない。 たぶんこれが、君と僕らの徹底的な違いなんだろう だが今は無駄な殺戮をするつもりはない。 そして…“策”はある、“策”はあるんだ。 君を裏切るつもりはないだから協力してくれ。」 「ひょ?」 疑問符を浮かべたピアノに構わず、雨乃はメモ帳になにやらさらさらと書き始める 「こいつを君の“機鋼眼”でスキャンして覚えろ。」
渡されたのは、楽譜 「楽譜ぅ? 私音楽なんて出来ないわよ」 「君が使うんじゃない この楽譜に対抗呪式を織り込んだ。これを大勢の人間に歌わせるんだ… それが対抗呪文となる。 え?ああ。どうやって詠唱者を揃えるかって? 簡単さ…この街の住人全員を歌わせればいいんだ。 “君が”…ね。」 「ハァ?ち、ちょっとタンマ!この街の住民全員に歌わせる? 無茶言わないでよ、マインドコントロールでもそこまで出来」 「何?飲み込めない?それなら単刀直入に言おう」 「おい聞けよ」 ピアノがだんだんとイライラし始める だがそれは次の瞬間吹き飛んだ 「ピアノ、君が“三千院セレネ”になるんだ “変形”能力を応用して彼女に化ければいい。 声も姿も完全に模倣できるはずだ。 そして、目立つところに行ってこれを歌え。 この曲は彼女のヒットナンバー・・・らしい。 街の住人は欣喜雀躍して歌うだろう。 対抗呪式は日本語の発声に合わせて組み込んであるから… 手練の詠唱者が呪文を唱えるのと同じ事になる。 これでどこかの誰さんが描いたはた迷惑な魔法陣は抹消できるはずだよ」 「……ほう」 急にピアノが真顔になる 「ふむ… なるほどね、多人数の対抗詠唱魔法で魔法人を消すと、並列処理と声量の向上を一挙に解決できるってわけか… 確かにセレネ様ならどんな歌でもヒット曲になるし、まずこの街にいる人がほとんどセレネファンだから… ………」 ぶつぶつと呟きながら思考を安定させていく 肩書とはいえ、やはり彼女も立派な情報部なのだろう 「ちょっち自前の改変施すけどいいわよね? あと誰かに手伝ってもらいたいわ、私とウィス、あと一人 まあ簡単な仕事よ、チラシ配ってくれればそれでいいわ なんならばら撒くだけでもいい」 随分と水が引いた中で、彼女はニヤリとほくそ笑む 「さて…久々にちょっと本気だそうかしら」
明朗闊達に、『ハイライト』は捲し立てる。 滔々と流れる彼女の語り口はどれも過去の出来事で、しかし時の流れと言う言葉だけでは表せぬ程に今とかけ離れていた。 それ故に酷く、ちぐはぐで調子外れな音律を響かせていた。 けれども何の前触れもなしに、彼女の声は俄に抑揚を損なう。 > 「歓迎会でも送別会でもいいよ。これを最後の笑顔を決める。……スマイリィ、覚悟はできてるね?」 > 腰だめに剣を引き、そして、彼女の顔から表情が消えた。 > > 「――戦おう」 忽ち、少女の華奢な短躯はただの一足で十の距離を踏み躙り、深く身を落として魔術師の懐へと潜り込んだ。 野猫をも凌ぐ敏捷な跳躍は『魔術師』の精神に驚愕を根付かせ、結果彼の対応を更に遅らせる。 眼下から振り上げられる大剣を避ける事は能わない。 だが咄嗟に、大剣から異能の気配が感じられない事を察知して、魔術師は『一対』の手甲を発現させる。 そして腕を十字に交差させて、渾身の力で床を踏み締め大剣を防御した。 「――駄目です!」 直後に『スマイリィ』が制止の声を張り上げ――既に少女の大剣は、魔術師に触れていた。 瞬間、大剣と手甲が激突した点に、異能の産声が兆す。 魔術師の体がいとも容易く搗ち上げられ、そのまま床から足が離れた。 『一品』『一級』等の強化は施していないとは言え、『魔術師』の全膂力を尽くしていたにも関わらず。 一体何が、などと思考を働かせる暇もなく、彼は天井近くまで跳ね上げられ壁に激突した。 「がっ……!」 衝撃に肺腑から呼気の全てを吐き出した彼は、今度は重力の鎖に囚われ落下する。 邪気眼使いと言えば大層な響きだが、対策もなしに撃たれ、刺されるなりすれば当然のように命を落とす。 優美な趣きを醸す為にか、高く作られた天井の高さから落ちても、同じように。 落下の加速と共に死が切迫する感覚に『魔術師』は表情を強張らせ目を見張り、右眼に邪気の炎を灯す。 後天的に開眼した彼は邪気の保有量が決して多くはなく、故に彼としては可能な限り温存しておきたかったのだが、どうしようもない。 せめて消費を最低限に抑えようと、彼は右手の指先のみに『一級』の硬度を付加して、壁に突き立てた。 壁面を盛大に抉りながらも、徐々に落下の速度は殺されていく。 勢いが完全に失われると、彼は何度かに分けて落下と停止を繰り返して、ようやく床へと降り立った。 「っ、気をつけて下さい! 彼女……『ハイライト』の異能は――」 物事の『反発力』に対して作用する能力である。 そしてそれはある種『魔術師』と同じく『衝突の瞬間のみに異能を働かせる』事が可能である為に、 剣や彼女の身体からは異能の気配が感じられないのだ。 その事を『スマイリィ』は告げようとして――けれども一手早く『ハイライト』が動く。 「おっとぉ、駄目だよ『スマイリィ』。そんなにすぐネタばらししちゃツマラナイでしょー? ……お友達だったのに、酷いなあ?」 『魔術師』の安否を体ごと振り向かせて視線で追った『スマイリィ』の視界をの端で、『ハイライト』の大剣が哮る。 巻き起こる暴風が『スマイリィ』の髪を揺らがせ、刃は彼女の体を突き抜ける。 「……あっちゃー、やっぱりあんたにゃ通用しないか。ま、手口バレちゃってるしねー。 あ、そう言えばあんた髪切った? 前はあたしと同じくらい長かったのに」 風を薙いだような、大剣の重みに腕が引かれるばかりの空虚な手応えに、『ハイライト』は苦味を含有した笑みを浮かべた。 軽々とした口調で問いかける彼女からは、悔しみの情は微塵も香らない。 『スマイリィ』が彼女の能力を知っていたように、彼女もまた『スマイリィ』の能力を知っているのだから、当然と言えば当然だ。 「……髪なら、あの人に捧げました」
『ハイライト』とは対極に感情に乏しい、と言うよりは意図的に廃しているのか、手短な言葉で『スマイリィ』は答えた。 捧げたと言うのは、先の練議苑での戦いで既に邪気を枯渇させていた『魔術師』に、 彼女は自分の髪を異能によって『邪気に限りなく近い瘴気』へと作り替えて摂取させる事を申し出たのだ。 『魔術師』は初めこそ、身を削るような真似をしてまで尽くさなくてもいいと彼女の提案を断ったが。 結局他に邪気を回復する術もない事と、また伸びる髪だけならどうかと彼女が付け加えた事もあり、受諾する事となった。 それにしても女の命と称される髪を犠牲にする事で『魔術師』は渋っていたが、『スマイリィ』にしてみればそれはどうでも良い事であった。 彼女は『魔術師』の役に立つ事に加え、自身の一部を彼と同一化させる事にさえ成功したのだから。 噛み砕いて言うならば、食事等に混ぜるよりも遥かに効率的に、だ。 「やだやだ、ラブラブ宣言しちゃってえもう! いいもんいいもん、私はもうお仕事に生きるって決めたんだもの!」 よよよ、と身を揺らがせ、『ハイライト』は芝居掛かった泣き真似をする。 そして冗談めかした所作の中に重心移動を隠し、彼女は短兵急に大剣を横薙ぎに振るった。 けれども『スマイリィ』はそれを予測しており、危なげなく飛び退く。 更に続く、大剣の切先を床に添えて支えとしての飛び蹴りも。 着地と同時に繰り出される回転斬りも。 どれも『スマイリィ』は、回避のみに専念していた。 得体の知れない、だが確かに存在する危険の芳香に、『魔術師』は彼女らに駆け寄りながらも戦闘に飛び込む事が出来ないでいた。 「あーほらー! イイ人さん警戒しちゃってるじゃん! 『スマイリィ』のせいだよー!」 頬を膨らませながら、『ハイライト』は大剣を『スマイリィ』に放り投げる。 鈍く刃筋すら立っていない軌跡を大剣は描く。 にも関わらず『スマイリィ』は、大仰な程に上体を伏せて回避した。 「はーい隙あり!」 『スマイリィ』は重心が落ち、咄嗟の回避が不可能な体勢を強いられている。 一歩詰め寄り、『ハイライト』は彼女へと掌を突き出した。 掌底や打撃と言うよりは、軽く触れるような所作。 だが『スマイリィ』の表情は俄かに切迫に染まり―― 「……良かったねえ、『スマイリィ』。また助けてもらえて」 ――『ハイライト』の掌は、空を撫でるのみだった。 『スマイリィ』の背後では、『魔術師』が虚空に握り拳を突き出している。 右眼に邪気の炎を灯して。『一握』を顕現する事で『スマイリィ』の衣服を掴み引き寄せたのだ。 『ハイライト』の言葉には答えず、『スマイリィ』は更に一歩飛び退き魔術師に並ぶ。 「……すいません。本来なら、私が貴方を守らなくてはいけないのに」 苦渋の滲む唇を噛み締めて零す『スマイリィ』に、『魔術師』の眉が顰められる。 彼は何も、便利で従順な盾が欲しくて彼女を助けた訳ではない。 単純に、純然に、目の前で散ろうとしていた少女の命を救いたかっただけなのだ。 無論、現代に根ざす平等主義からかけ離れた時代錯誤の英国的な、 あまつさえそれを自らを狙った刺客にすら適用すると言う温い思想ではある。 だが彼は元々表の世界を生きていた人間であり、更に生来持ち合わせた性格も穏便温和と言うよりは寧ろ気弱に近い。 これまでは裏の世界が歩み寄ってくるばかりだった彼が非情に徹しきれないのは、当然の道理と言うものだ。 「……俺ぁ別に、お前を盾にする為に助けた訳じゃねえぞ。ちょっと、下がってろ」 故に『スマイリィ』が自己犠牲を厭わず自分に尽くそうとする様も、 やはり『魔術師』にとっては好ましくない事であった。 とは言え彼が彼女に自愛する旨を告げる度に、 彼女はそれを彼の愛情と受け取り歓喜を胸中に湧き起こすのだから、性質が悪いのだが。
更に並べて、『スマイリィ』がかつての友人と思しい、 『ハイライト』と敵対しているこの状況もまた、『魔術師』は好しとしていなかった。 組織の人間と裏切り者、両者が相容れる事は最早あり得ないと知りながらも。 それでも、彼はどうしても許容したくなかったのだ。 友情で繋がれていた二人が殺し合う事を。或いは、両者がそれ気掛けてもいないと言う事が。 「異能も、明かしちゃいらねえ。友達なんだろ? おいそれと売るモンじゃねえなあ」 『スマイリィ』を腕で背後へと誘導して、『魔術師』は一歩前に出た。 応じて『ハイライト』も軽やかな跳躍で、歩み出る。 「いいねえイイ人さん、ただのヒモじゃなかったんだねー!」 「……はっは、痛いトコ突いてくるなあ嬢ちゃんよ。あ、一応聞いとくんだが」 首を左右にそれぞれ一度ずつ曲げ、肩を回し、『魔術師』が尋ねる。 深く伸脚をしてから両手をの指を絡め腕を伸ばしながら、『ハイライト』は首を傾げた。 「退く気とか、ねえよな?」 「あったりまえじゃん」 『ハイライト』の答えと同時に、両者は床を踏み締め、疾駆する。 彼女は『魔術師』を射程に捉えるや否や掌を突き出し、だが『魔術師』は体を僅かに横に逸らしてそれをすり抜けた。 能力は依然として分からないが、少なくとも触れてはいけない事だけは『スマイリィ』の立ち回りから分かっている。 半身の状態から、肘から先のみの動きで裏拳が放たれた。威力は然程でもなく、しかし深く浸透する。 『スマイリィ』に向けた物と同じ、肺腑や心臓の機能を阻害して戦闘不能へと陥れる一撃だ。 「へっへーん、効かないもんねー!」 けれども『魔術師』の鞭の如き剛拳は彼女の胸に触れた途端、あらぬ方向へと弾かれた。 腕に体が引っ張られ、揺らぐ程の勢いで。 太ったと言う割には薄い胸を張る『ハイライト』に、目立った迎撃をされた訳でもないと言うのに。 「そしてー! 隙だらけだよんっ!」 腕を弾かれ無防備に開いた『魔術師』の胸元へ『ハイライト』の掌が迫った。 異能の芳香は感じられないただの華奢な手だが、『魔術師』は確証のない脅威を確信を覚え息を呑む。 そして俄に音を荒げた動悸から五体へ送られる衝動に従って、その場を飛び退いた。 右の眼に紅を灯し、『一級』の瞬発力を得て。 「むー、見かけによらず素早いぞイイ人さん! じゃあ私はちょっとズルっこしちゃおうかな!」 筋交い状に重ねた両手が突き出され、『ハイライト』の前に術式を示す円陣が燐光によって描かれる。 然程複雑でない紋様が意味する効果は、『召喚』。 予め指定しておいた物を手元へ呼び寄せるだけの、単純極まる術式だ。 術陣の光は徐々に淡く収束し、僅かな蛍火を残して潰え、代わりに虚空から一つの物品を産み落とす。 虚空重ねていた掌を分ち、彼女は右手で受け止めた。 彼女の小さな手でも覆い隠せる程度の、白い何かを収めた小瓶を。 「へっへー、取出しましたるこの小瓶! 実は枢機院の特別な加護が施された特注品! 今ならお値段何と三万九千八百円のさんきゅっぱ!」 滔々と冗談を紡ぎながら、彼女は小瓶の蓋を一挙に捻った。 そして右腕を体に巻き付けるように大きく振り被り、『魔術師』を正面に捉え横薙ぎに払う。 殆ど不可視に近い、しかし今度は微かな異能の香気に『魔術師』は回避を図り跳躍を―― 「……なんて事はなくて、ただの食卓塩なんだけどね。私の異能にかかればー」 ――する事が、出来なかった。
足が地面と溶け合い一体化したかのように、離れない。 見てみれば『ハイライト』は片膝を突き、小瓶を握り込んだままの右手で床に触れている。 それが自分に何らかの効果を齎している事までは、『魔術師』は理解出来た。 だが、そこまでだ。 床から離れぬ足をどうにかする術も、異能の気配を振り撒き迫る食塩を躱す術も、彼が思索する時間は無かった。 緩慢な放物線を描いた白い粒子は『魔術師』の体躯に触れる。 そしてそのまま止まる事なく彼の堅牢な岩盤の如き筋肉を貫いて、更に体内を突き抜け背中から脱出さえ果たした。 細やかな無数の穴が『魔術師』の五体に残り、一拍遅れて鮮血が至る所から噴き出す。 彼女の能力は、『反発』に対する管理権限である。 そして人と言うのは歩行走行跳躍と自らの足を以って動く際、地面を蹴り、その反動を推力とする。 作用に対して『反作用』が、自分の力に『反発』して働いてくる力があるからこそ、人は歩き、走り、跳ぶ事が出来るのだ。 ならばもしも、如何に床を蹴ろうと力が『反発』してこなかったら。 異能によって床からの反作用が完全に相殺されていたら、何が起こるか。 結果は『魔術師』の晒す態が、全てを物語っているだろう。 そして『反作用』を消失させる事が出来ると言う事は。 本来物が物に衝突する際に発生する『運動エネルギーの喪失』、即ち『停止』の現象さえ、現象から排除出来ると言う事でもある。 例えば雨粒が人体に対して『停止』する事を忘れたら、どうなるか。 一ミリにも及ばない水滴は漏れなく全て槍と化け、人は瞬く間に風穴だらけの骸と果てるのだ。 丁度全身を今の『魔術師』の腕から胸、背中にかけて刻まれた傷に塗れさせて。 とは言えこれは『ハイライト』の管理権限から多少逸脱した、言わば『越権行為』であり。 その為消耗が激しくおいそれと使えぬ物ではあるのだが、通常の権限運用では分が悪いと彼女は断じたのだろう。 「……っ!」 愛する者の惨劇を受けて『スマイリィ』は驚愕に息を呑み、 傷の内側で紅蓮が産声を挙げたかのような痛みに『魔術師』は悶絶の吐息を零す。 「あっはっは、素敵だねーイイ人さん。公園のど真ん中に噴水として飾っておけそうだよ。あ、でもちょっと灰汁が強すぎるかな? しょうがないから公園よりちょっと狭いけど、私の部屋で我慢してもらおっかな! ……『スマイリィ』と並べてさあ?」 床に添えた右手は離さぬまま上体を起こし顎を上げ『魔術師』を見下すようにして、 『ハイライト』はそれからちらりと横目に『スマイリィ』を見遣る。 挑発の色を多分に含んだ視線と、切迫に染まり切った視線が交錯する。 両者は途端に、相互に変化を及ぼした。 前者は無機質な刃へ、後者は憎悪の炎へと。 両手の指を鮮鋭な刃と変えて、『スマイリィ』は瞳から溢れる憎しみに表情を燃やす。 悪鬼羅刹もかくやの形相で、彼女は野獣の如き臨戦態勢を取った。 彼女も『魔術師』と同じく『床からの反作用』を奪われてはいる。 だが彼女の異能を用いれば足だけを一時切り離し、怨恨のみで岩へと齧り付いた生首宛らに『ハイライト』へと襲い掛かる事は出来る。 その事を解しているからこそ、『ハイライト』は微かに腰を浮かせ、いつでも飛び退けるように備えていた。 自身の『反発力』を強化すれば、一瞬の内に離脱が可能だ。 ともすれば『スマイリィ』には猛獣をも欺く跳躍だけではなく、一瞬の間隙を突く事が必要とされる。 緊張した空気が含有する成分は、如何様にもし難い膠着状態を築き上げた。 「……よせやい。友達同士で睨み合うなんざ、怖気が走らあ」 二人の少女の視線は、殆ど同時に声の主、『魔術師』へと靡く。 色彩は異なれどいずれも剣呑な視線を受ける彼からは、既に噴水のような出血は見られなかった。 とは言え彼はただ単に、全身の筋肉を隆起させて血管を圧迫する事で無理矢理止血を図ったに過ぎない。 見た目こそ盛り上がった筋肉の鎧によって猛々しく見える。 だが傷付けられた内臓系まではどうしようもなく、彼の口の端からは一筋鮮血が零れていた。 邪気による治癒力を『一応』高めてはいるが、然程の効果は望めない。
「おー、見かけ通りにタフだぞイイ人さん! ……だけど、私の異能は分かったのかな? ついでにその対策は?」 『スマイリィ』に向けていた警戒心は何処に消えたのやら、 何処までも明朗な様子で『ハイライト』は『魔術師』と接する。 笑みは浮かべず、ただ語調と雰囲気のみが溌剌としている彼女の様は、分り易く異様な雰囲気を放っていた。 「はっはっは、それがな。困った事にさっぱり分からねえんだわ。手応えとか、その辺に関係してるたあ踏んでるんだが、どうよ」 「うーん、三十点! テストの小問だったらギリギリ三角が貰えなくてピン貰う感じかな!」 「手厳しいなあオイ」 「いいんだよ〜? 『スマイリィ』に泣きついたって」 「冗談キツイな。言ったろ? お友達は売るモンじゃねえって」 「あっはっは、相変わらずカッコイイ事言うねーイイ人さん。でもさあ?」 声の調子だけで笑ってみせた『ハイライト』は一度目を閉ざす。 そして、 「……力のない人がそんな事言ったって。惨めなだけなんだよー?」 再び光に晒された双眸が讃える冷冽な刃の眼光に、『魔術師』は戦慄する。 しかして短兵急に、右眼に邪気を充填し拳を構えた。 足は動かずとも、防御の術は幾らでもある。 『一面』の壁を築いても、『一陣』の風を呼んでも、『一握』の邪気によって塩粒を掴み取ってもいい。 ただでさえ少ない邪気を浪費するのは多大な不安ではあるが、 そうしてのらくらと回避を重ねて打開策を模索する他、現状に手はない。 非常に見苦しく『彼』の気質にそぐわぬ戦法ではあるが、『魔術師』はその事実に意図的に目を背ける。 今ここで情緒の安定を損ね、その維持に邪気を消費するような事は出来ないのだ。 ――だが、『ハイライト』は動かなかった。 ただ床に右手を置いたまま、不動の体勢を貫いている。 「……例えばさあ、イイ人さん」 ぽつりと、彼女が呟いた。 「イイ人さんは今床に立っていて、床はイイ人さんを支えてる。……だけど、 急に床が、地面がイイ人さんを支えてくれなくなったら、どうなるんだろうね?」 つまり作用と反作用の相殺ではなく、立っていると言う作用のみが働くようにしたら。 『ハイライト』の言わんとする事は、そう言う意味だ。 そしてその解とは、 「……バイバイ」 果てしない、深淵への落下である。 『魔術師』の足元が綺麗に崩れ、深き奈落へと変貌する。 体勢を崩しながらも彼は穴から這い出るべく、既に肩の高さにまで 迫り上がっている床へと手を突き――その部位さえも足元と同じく手応え虚しく崩落した。 体が完全に穴に消える刹那彼の視界の端に、悲痛な面持ちで彼へと手を伸ばす『スマイリィ』が映った。 だが、彼女の手が届く事などはついぞ無く、為す術ないまま『魔術師』は底知れぬ暗闇へと沈んでいった。 数秒、『ハイライト』は『魔術師』の没した大穴を見据えていたものの、すぐに目を逸らし立ち上がった。 最早『魔術師』に助かる術などない。 後は膨大な圧力で肉塊と成り果て、それでも更に落ちていき、 マントルから核に掛けて圧倒的な熱量で完全に消滅するだけなのだと、能力者である彼女が誰よりも知っているのだから。
そして『ハイライト』の目は呆然の観を示す『スマイリィ』へと注がれる。 「……おかえり、『スマイリィ』」 敵愾も感慨もなく、『ハイライト』は淡泊な音律を紡ぐ。 『魔術師』の末路に対してか彼女の言葉に対してかは定かでないが、 ともかく放心の中に一抹の疑問の色を滲ませて、『スマイリィ』は壊れた玩具のような挙動で『ハイライト』を視界に収めた。 「……あんたは邪教の徒達に敗北して、だけど奴らに取り入り唆す事でここまで誘き寄せた。 そして目論見通りあんたの仇敵は死に、その仲間達もここへ援軍としてやってくる『セフィロト』様方によって殲滅される。 結果として邪気眼使い達の裁きに成功した。全部あんたの算段通り」 呑み込めていないのは現実か、『ハイライト』の言葉が意味する所か。 目立つ反応を見せない『スマイリィ』に、けれども彼女は続ける。 「イイ人さんには悪い事をしたけどさ、邪気眼使いだったらその魂は『ゲブラー』様の元に引き寄せられる。 当然酷い目には遭うだろうけど、あんたの異能なら折を見て救い出す事だって、出来るでしょ? 全てが良いように収まるじゃない。……だから、そう言う事にしとくんだよ?」
「これより俺達は『枢機院』へ殴り込み、旅団の奪取と『デバイス』の輸送、それから邪気眼狩りの真相を確かめに行く。 姉さんには護衛を頼みたい。報酬は言い値を出そう。……そうだな、上手くやれば聖遺物なんかもあるかもしれん。」 「やっぱり、ね。いいわ。私も枢機院にはちょっと思う所あったし。ただしお代はキッチリ徴収。私の腕は高いわよ?」 懐から愛用のソロバンを出し、ぱちぱちぱちと幾つか弾く。こんなもんでどうかしら、と数字を出してヨシノに見せた。 一瞬、とても嫌な顔をされたがよくあることなのでスルーした。 「払えない額じゃないでしょ?それにお金を貰う以上、アンタの扱いは依頼者になるしね」 裏の仕事人には、守るべき三つのものがある。一つは自分の命、二つ目に依頼者の命、三つ目に頼まれた依頼だ。 ヨコシマキメ遺跡では「同行者」として見捨てたりオトリにしたりと利用されまくったヨシノだが、金が絡めばその扱いは一変する。 「払うもの払えば、一応、私の命の次に守るべきものとして扱ってあげるわ」 本来顔があるべき場所に貼り付けた営業スマイルで、何でも屋・アスラは微笑んだ。 ───まあ、とはいえ結局ヨシノであることには変わりないので、通常の対応やリアクションがそう変わるわけではないのだが。 「シナリオはこうだ。命の危機に瀕した『デバイス』は、最期の力を振り絞って<ブレイントレイン>を発動。 そこへ"たまたま"通りがかった俺こと『ただの学生』の脳内に思念転移してしまう。俺はあくまでただの被害者ってとこがポイントだ。 『デバイス』はその思念転移でほぼ全ての力を使い果たし、脱出は不可能。魂留契約も他者の肉体の中にまでは適用されない。 従って、囚われた『デバイス』を解放するには『檻』である俺ごと『枢機院』に迎え入れて、そっちの術者に摘出してもらわねければならない」 「…ふうん。相変わらず情報整理と戦略眼は一人前ね。うん、悪くない作戦だわ。」 ヨシノの広げる「オペレーションLO」を(エルオーが何の意味を持つのか非常に気になる所ではあったのだが)一通り聞き、アスラは満足そうに頷いた。 作戦は内部への侵入を主とする。 【旅団】を奪ったゲブラー様とやらにお目通り願えるかはちょっとした賭けであるが、それでも敵の本部へ入り込めればめっけもんだ。 それに、ステルスミッションはアスラの得意とする所でもある。適当なところで案内役を撒いて行動するという手も無くは無い。 「10分後ね?そーねえ、怪しまれない装備っつったら精々…トランク一つ分ってところかしら。……え、絹衣?着るの?…着ないの、ふーん。 …りょ、う、か、いと。じゃ、ちょっと準備してくるわ。待ってて」 踵を返し、自室へ向かう。 何故だか人っ気の少ない大学を遠慮無しに駆け抜けながら、さっそく修道女は潜入後のシミュレートを開始していた。
【世界基督教大学、女性というには色気に欠けすぎる修道女の寮室】 「…ええと、コイツとこれなら…あれ、アレどこやったっけなあ…」 壁が回り、床が抜け、天井がズレる。 全く寮とは思えないほど多彩な隠し収納を広げながら、アスラは手当たり次第の剣・弓・銃はたまた魔道書などを広げていた。 トランクの中は小刀や拳銃などで既に五割埋まっている。 おまけに二重底で、一段目が世界基督教大学公認「どこでもお祈りセット」(彼女は「アホの極み」と呼んでいるが)になっているという用意の周到さである。 ───これからほぼ単騎で敵陣に向かうというのに、修道女は軽く微笑んでいた。 好事家に見せれば億は下らない秘薬の瓶をトランクの中へ放り投げ、アスラは堪えきれずにふっと笑いを漏らす。 「……楽しくなってきたわね」 楽しい。 そう、楽しいのだ。 ヨシノの考える策は今の状況での最善の策ではあったが、それだって穴はある。 「ヨシノが邪気眼使いである」という事が見破られれば、敵のど真ん中に放り出されるハメになるだろう。 だが───それがどうした、とアスラは考える。 確かに、不安要素は多段にある。だがそれらは全て、「そうならなければいい」という事。 それに、仮にこの作戦が失敗して彼女が死ねば、アスラという仕事屋はそこまでの奴だったというだけの話だ。 彼女には、「どんな仕事だろうが必ず生き残って帰る」という矜持がある。 そして更に嬉しい事には、生きて帰ってくる事ができれば、より次に死ぬ確率を下げる事ができる。 だから今回も───修道女は笑っていたのだった。 ぱたんとトランクを閉めて、ロザリオを首に掛ける。 すう、と三度深呼吸をした後に、「受難の学生の相談をうける善良なシスター」坂上明日香はしゃんとした足取りで道程を歩み始めた。
「芳野君、具合はどう?」 既に準備を終えていた芳野の後ろから、絹擦れの音すら聞こえてきそうな静かな足取りで坂上明日香が歩み寄る。 彼女の「裏」の顔を知っている人なら誰もが飲物を10メートルは噴出しそうな天使の声(エンジェルボイス)で、芳野に語りかけた。 「…大丈夫…みたい、ね」 ぴと、と芳野の額に手を当てて、ひとまず熱の有無を確認。 それから明日香は少しぼーっとしたように視線を外し、やがてハッとしたように顔を上げた。 「…あ、その…ごめんなさい。実は私、こんな事って初めてだからまだちょっと困惑してて…でも、きっと芳野君の力になれるとおもうから、ね?」 それすらも演技である。 少しかがんで視線を合わし、上目遣いに覗き込む。表情は目を細め、「ニコッ」という擬音が聞こえてきそうな微笑。 それから明日香は『デバイス』の方へ顔を向けた。 「貴方も災難だったでしょう、可哀想に…でも、何も心配することは無いわ。 神様はいつも、私達を見てくださっている。…きっと、すぐに自由になれるわよ」 少し自分の言葉に酔った風に天を見上げる(それすらも演技である)。 『デバイス』の両手を握るように両手を差し出し、しかし思念体の身体ゆえに明日香の手は宙を切った。 それを見て一瞬だけとても切なげな表情を作り(それすらも演技である)、やがて決意を新たにしたように芳野を見た。 「それじゃあ芳野君、『デバイス』ちゃん、行きましょうか。 私たちの主の膝元へ、貴方達の数奇な戒めを解いてもらいに……」 両手を前に組む彼女の姿は、日差しの関係からか後光が差しているようにさえ見えた。 それすらも演技である。 ──────『デバイス』はずっと、そんな彼女をあっけにとられた顔で見ていた。
『チカラがほしいの?』 悪を討つため全てを捨てた。 『チカラがあれば生きられるの?』 厄を滅すため悪魔となった。 『これはケイヤク。貴方が為すのは貴方のネガイ。それがわたしの糧になる。どう?悪い話じゃないでしょう。』 そう、あの日。黒の執事が主に仕え始めた日。青年が自らのココロを「氷結」させ、そこに「眼」が生まれた日。 (走馬灯、ですか。最期だというのに嫌なものを思い出すものです。) リクスは光の中にいた。それは心象風景などではなく現実に全てを呑みこむ白塗の奔流、この世最後の風景。 (もう助からないというわけですか。それにしてもまさかあの紳士に裏切られるとは。私の攻撃に織り交ぜられた援護射撃にも全く無駄が無く、かなりの強者であることは間違いありませんね。) 死を眼前にしてもなお考えることを止めないリクス。あくまで彼は考える葦、人間たるのだろうか。 (いえ、それを言うならまずはあの女性。まるで全てを読み切ったような身のこなしに強力な神器、これは私がどうこうできる相手ではなかったようです。 私を圧倒するだけの2人の手練、これが「先手先手を取れなかった」結果というわけですか。) メルトダウナーは全てを塗りつぶしてゆく。結界の内に例外は無く、逃れたのはただひとり、リクスの腕を持って逃げた『死』だけ。 いかにある瞬間の点を固定した『零凝』であっても術者が倒れればその固定は解かれ、自然の摂理、この場合はメルトダウナーに従って消滅するのが道理である。 であるならばリクスはこの世に何ひとつ遺せなかったのか? 否。リクスの邪気眼は心の中に発現した。ゆえに精神ある限りその効力を発揮できる。 最も、ここに残された『死』の片腕を保存してやることなど無いのだが。 リクスはここにきて、三千院家から支給された高価な上着を脱ぎ捨てる。遺すため。 「氷結せよ―――」 こうして、黒の執事の最後の奉公がなされた。 【リクス・クシュリナーダ 死亡】
リクスの危機とほぼ同時刻、サンクトペテルブルク、とある皇族の大邸宅。そのホールには東西9,000kmとも言われる巨大国家ロシアの全土から、三千院家の当主をひと目見るため10000を超える群衆が集まり、謁見を許可されていた。 ざわつく人並はただひとり、その女の入場によりぴたりと静まりかえる。 「人はみな、平等ではありません。 生まれつき足の速い人。美しい人。貧しい人。病弱な人。生まれも育ちも才能も、人間はみな違っているのです。 では、人間を人間たらしめる共通項とは一体何でしょうか? 人は考える葦です。思い、考え、願うこと。それは『人間』が内にあまねく持ち得る唯一平等なチカラなのです。 願い、努め、戦いぬいた人にこそ『与えられる』のです。 願いなさい! とっても上手に願えた子には世界皇族三千院家を代表してこの私、『現代に舞い降りた女神』三千院セレネが直々に『与え』てあげる。 オールハイル・三千院!!!」 『『『『オールハイル・三千院!!!!』』』』 『『『『オールハイル・三千院!!!!』』』』 『『『『オールハイル・三千院!!!!』』』』 『『『『オールハイル・三千院!!!!』』』』 会場は熱狂の渦となる。貴賤など無くただセレネの「尊き御言葉」にこの上なく率直な反応を返すのだ。 「みんな、ありがとぉ〜!!」 セレネはまるでスターのようなひと言を残しステージを降りてゆく。そこに待ち受けていたのはひとつの人影だった。 『与えてあげるだって、相変わらず「人間」の観察ってわけ?』 エカチェリーナ・マクシモーヴナ・ペトローワ、ロシア貴族の一人でありセレネのハイスクール時代の友人であり、なおかつ今日セレネがロシアに来た目的のひとつ、すなわち「情報屋」の正体でもある。 「口を慎みなさい、って言ってる場合ですらないのよね。ちょっと庭で待っててくれる?」 そう言い捨ててセレネは足早に立ち去る。 『庭でって言われても広すぎて困るんだけど!!』 困惑する情報屋を無視し、事態は進む。
自室に駆け込むセレネ、その手にはすでにどこからか取り出したリモコンが握られていた。 「じい、電気。」 『はいお嬢様。』 セレネはモニターを付けて即座にチャンネルを飛ばす。数秒の間も無く映し出されたのはリクス他2名の戦闘の映像である。 先程リクスに電話をしたのは演説の直前、そして今は演説の直後、リクス達の戦闘のクライマックスそのもの。 画面には白き閃光が映し出され、跡に残されたのは大きく口を開けたクレーターと三千院家特注の黒い執事服の上着のみであった。 「結局リクスは契約を果たせなかったわけだ。」 『左様でございますね、お嬢様』 「……使えない。「願い」が足りなかったみたいね。」 かつてセレネはリクスと契約した。 セレネの債務は「リクスが力を得るようにすること」、そしてリクスの債務は「目的を達成すること」である。 要はセレネのおかげでリクスは力を手に入れ、そしてセレネはリクスの一生がただ一つの目的に捧げられる様子を眺め楽しむということだ。 欲望の純化。死の淵、絶望の底に達した人間ほど自らの真に求めるものを理解する。それこそがセレネの求める観察対象。 『チカラがほしいの?』 その甘言には、この世の深淵をのぞき見たリクスを堕とすことなど造作も無かった。 こうしてリクスはただひとつの目的、ただひとつの願い「悪意を持った異能者の殲滅」にその人生を捧げることとなったのだ。
しかしながら、そんな契約に縛られたリクスはとうとう散った。 もしかするとリクスが参戦しなければ、トリス・メギストスとヴィクトリア・ゴールドセリアのどちらか一方あるいは双方が命を落としていたかもしれない。 しかし、現実にはそうはならなかった。 (人間なんてはかないもの。チカラを得たはずなのに愚かにもかえって目的から遠ざかっちゃうなんてね。) 皮肉にもリクスの行動は、リクスの命の対価はその目的と全く逆の結果をもたらすこととなったのだ。 「まあいいや。最低限の事として、きちんと「アレ」は残してくれたみたいだしね♪」 (お疲れ様、リクス。) そう心の中でつぶやき振り返ったセレネの表情は、晴れやかなものだった。 リクスの『零凝』を用いて遺した上着、その中にはUSBメモリが入っている。 これはセレネが「上昇志向を持つ強者」に渡すようにとリクスに持たせておいたものである。 もしこれが何者かの手に渡れば――――――あるいは更なる波紋を生み出し得る。 そのことを考えただけでもう、セレネは楽しみで楽しみでしょうがないのであった。
『飢えに苦しむ獣同士が出会ったな……頼む、私を満腹にさせてくれ 君の、血肉で』 『では、勝手に話をさせて貰うよ。』 『絶対に、アイツを止める。』 『さて…久々にちょっと本気だそうかしら』 どうやら、小型の人間は戦闘能力を持たないようだ、と彼女は判断した。 ということは相手に出来るのは元からいた三人に乱入者を加えた、四人。 それだけいればまあ何とか、楽しむぐらいは出来るだろう。あるいは彼らの力が私の記憶にある人間たちの平均を遥かに超えているというシナリオも悪くない。 とにかく今は戦闘を楽しむことだ。溜飲さえ下げてしまえば消滅のための行動も取れるようになるだろう。 『終末(テメエ)の勝手な理由で無関係な生命(イノチ)が奪われるってなら、……そんな横暴(ヤミ)は、この意志(ヒカリ)で撃ち払うッッ!!! 』 『暗夜槍≪月喰≫』 意思確認と、環境変化への対処。 無論のことながら、正しい行動だ。何処にもおかしい点は見受けられない。 それが、不満だった。 名も知れぬ災厄が知る『人間』であれば、今のごとき状況なら防御のみならずそれと一体化した攻撃を仕掛けてくるか、さもなくば元より意に介さないかのはずであった。 どうしたことであろうかと暫し思案に耽るが、結論としては戦闘が開始したばかりでまだ『その時』ではないというものが最も妥当であると判断、――攻撃を継続するのが最良であると考える。 ――『それはなぜ破壊するのかだと? それがそうするからだ。理由を語るなど時間の無駄だ。』 ――孤独な宣教師、ニルトゥ 『……僕もお相手するよ…“名前のないお嬢さん”? もしよければ、冥土の土産に名前くらいは教えてほしいね!』 相手の一人から出た言葉に思索を中断し状況を見直すと、一人はどうやら戦闘の意思を見せていないようだ。 どうやらこの地域に有害な魔法が準備されており、それを解除したいらしい。 ならば、私の取るべき行動は―― 「‥‥眼からは涙が落ち、やがて血が、そして魂までもが流れた‥‥」 これが最良解だ。 「‥‥内面の全ては搾り出され、黒ずんだ過去の泥の中へと滴っていった――」 どこからどう作り出したものか、黒と白の複雑に混ざり合った名状しがたい色彩の魔力塊がピアノ=ピアノへと飛ぶ。 触れた金属元素と有機物を腐食させる『解体球』(Wrecking Ball)である。 ――『生きてようが何だろうが、時間が経てば腐るんだ。俺らは単にその速度を速めてるだけだ。』 ―― 腐敗農夫、イーゾック 「私の名、か‥‥」 ピアノには目もくれず、たった今聞こえたかのようにレインマンを向いて応える。 まるでそれぞれの行動が完全に独立しているかのような印象を見るものに与える動きであった。 「‥‥私は特に定まった名を持っていなくてね。最古の邪悪、引き裂かれし永劫、荒廃の王、などと様々に言われてきたが‥‥ ――そうだな、せっかく君たちのような『力ある者』達と再び会えたのだ。“R”と呼んでもらえると嬉しいかもしれないな。」 昔、ここの様な能力者たちのいる世界で使った名だ、と。 忌まわしくも注視を避けられぬ相貌をした魔神は、虚ろな顔で、確かに、笑った。
47 :
名無しになりきれ :2010/06/16(水) 16:43:25 0
「鷹一郎少年、栓を抜いておいた 熱くセリフを語るのは構わないが、ボケッとして吸い込まれるなよ? 下水処理場に行く事になるからな」 (…レイが地面に穿った穴に、室内の水は吸い込まれていく) (水位はゆっくりとした速さで下がると同時、やがて鷹逸カの足が地面に再び着いた) (レイに振り返り、申し訳なさそうに会釈する青年。………そうして、レインマンの歌うように紡がれる作戦の内容を耳にしながら。) (……そこまでの時間を与えてくれている、終末の少女の存在を見据える。) ………やっぱり、人間じゃないっぽいな。てめえ。 (自慢ではないが、鷹逸カはその人を見ただけで生命力の強弱をある程度判断することができる。) (生命力とはつまり端的に言ってしまえば、元気さだ。) (大げさな描写をしたが、要はその人が元気かそうではないかを雰囲気でつかめる程度の感覚的な能力、と換言すれば特別なものでもない) (その鷹逸カが、目の前の少女を前にして、「人間じゃない」と感想を漏らした、その理由。) (………少女には、「元気」も、「無気力」も、何もかもが存在しなかった。) (強いて言うなら、「虚無」。) (「虚無」がここに存在しているとは何とも矛盾した話だが、…それが成立しえるのが非日常だと、鷹逸カは知っている。) (ありえないなんてことは、ありえない。) (その言葉は邪気学を志す人間にとっての中心であり、本質であり、礎にして、婢。) (…だが、それをいざ目の前にしてみると、何とも言えない不気味な感触が胸中に拡がっていくのを感じる。…やはり、慣れない。) ……なぁ、てめえは…………。 (そう、何か口を開きかけた、その瞬間) 「‥‥眼からは涙が落ち、やがて血が、そして魂までもが流れた‥‥」 (先んじて、少女が口を開いた。) (…会話など、成立してはいないだろう。……だがそれは、鷹逸カがしようとしていた「質問」の「解」となりうるものだった。) 「‥‥内面の全ては搾り出され、黒ずんだ過去の泥の中へと滴っていった――」 (次の瞬間、少女の眼前から何かが軋む音が響いた。) (…そこには、……渦を巻く白色と、黒色。…ブラックホールに吸い込まれる光とは、このような感じなのだろう。) (やがてそれは、球状のエネルギー体を生成する。………能力者がよく使うという、邪気を圧縮したエネルギー弾に酷似したような……)
…………違えッ!! (幸い邪気学に通じていた鷹逸カは、その正体を一瞬にして看破した。) (「白色」と「黒色」は、邪気学における『色』の中でも強い力を示すものだ。それが混ざり合うとなれば――――) ミスリル 俺に答えろッッ、『王の鉄』ッ!! (次の瞬間、金属音を鋭く打ち鳴らして”ピアノの眼前に出現した”巨大な壁。) (邪気世界最高峰の耐久性を持つと言われる、錬金学の生み出した集大成の最硬金属。『王の鉄』との異名を持つ、ミスリル) (対物理、対魔法において防壁としての真価を発揮するそれは、今度も遺憾なくそれを発揮――――) (していない。) ……な…!? (光弾は壁面を削るように超高速回転し、…その部分が、無数の粒子となって空気中に霧散、…消滅している。) (違う。エネルギーによる物理的な攻撃じゃない。……分解? まさか、ミスリルを分解している? 錬金の極地と言われた最高の金属を!?) (狂ったように回転する光球は、まるでドリルで壁でも掘削するかのように、緩慢にその向こうのピアノへと進む) (このままでは時間の問題だ。いずれミスリルの壁は破られ、…ピアノは、バラバラに分解される。) させるかぁぁぁぁあぁああああぁぁぁあああああああぁあああッッッッ!!!! (ドン、と、……その空間が、その大地が、揺れた。) (鷹逸カが勢いよく飛び出し、…ミスリルを削り続ける『解体球』を、……右手で、殴りつけた。) (次の瞬間、鷹逸カの右手は血と肉と骨にすぐさま分解されるはずだ。はずだった。………そう、はずだった。) (…が、それを、鷹逸カの全身を包む白い光輝が阻んだ。) (輝きは消滅と生成を瞬間的に繰り返して、光球の分解を徹底的に妨害する。そしてそれは光球の分解エネルギーを消耗させ、そして、) (――――ドバンッ、と、) (拳が、突き抜け。………光球は、爆ぜるようにして、弾けた。) ピアノッ! 俺がメールで近衛隊の連中に連絡する! アイツらなら上手く宣伝してくれるはずだ! お前は歌の方、よろしく頼むぜ! レインマンとレイはこいつを頼むッ! くれぐれも他の皆に被害が出ないようにしてくれ!! (手短にそう告げた後すぐさまピアノの腕を掴み、この部屋唯一の窓を殴りつける。) (バリンという音と共にガラスが砕け散り、……そこに空いた穴から、勢いよく水が流れ込んできた。) (…そうか。水没したのはこの空間だけではない、ここを含んだ辺り一帯を、まとめて水没させたんだ………ッ!) (でも、そんなの構うもんか…! 鷹逸カはピアノの腕を引っ張って、水流に逆らい水の中へ飛び込んだ。)
しかし、だ どうもおかしい いや、周囲の環境は何一つおかしくない おかしいのは自分だ この少女が、強いと思えない なぜ? 答えはわからない だからこそ、おかしい 黒爪が無感動だ これもおかしい 自分も無感動だ すべておかしい ピアノが襲われた なぜこちらではないのか いやこれは少し違うな 目の前で敵が明らかな攻撃(鷹一郎青年は防御)という興奮すべき状況が発生したにもかかわらず 「なぜ何も感じない」 分からない、意味がわからない そして、気付く 「敵意がない、か」 この少女から殺気も敵意も何一つ感じられないのだ イェソドのあの狂いたくなるような殺気にあてられた後だから感覚が鈍っているのかもしれないが、それをさしいひいてもこの少女は余りにも冷たかった まるで生きていないかのように 「これは調子が狂うな…」 先程まではイェソドとの戦闘の興奮さめやらぬうちであったし、直前に血の味を思い出していた だが水に当たり、思考が安定してしまうと 相手がこうも冷やかで気だるそうだ、という事に気が萎えてしまったのだ もしかすると、こういう相手こそがレイにとっての一番の天敵なのかもしれない ピアノと鷹一郎は魔法陣の解除に向かうというし、こちらの主戦力はレインマンだけ という事になってしまうのか 「……ったく、おい黒爪 起きろ、確かにさっきの奴に比べればかなり冷たい奴だが、能力は間違いなく同等かそれ以上だ 気乗りしないが、やるしかないだろう」
…ほう、気配が動いたか。向こうは一段落ついたようだな…。しかし考えてみれば相手は邪気を持たんのだったか。 こちらから位置を探れないのは少し不便だな…やはりステラ=トワイライトの帰還を待って情報を頂くとするか……。 しかし無能力者として接したのは些か失敗だったかな…うかつに話を探れんし…かといって今更邪気眼を見せるのもな……。 …ああ、対人交渉は苦手だ。いっそあと二〜三人程やってきてくれればいい情報源になるのだがな。 (と、こめかみを抑えため息を付く。) ……ん?ああ、無事だったかステラ=トワイライト。 お互い生きていて何より。…ん、それでは道案内を続けようか─────と。 (───気がついたら、体が動いていた。) (30メートルほどあった介在距離は一瞬にしてゼロと帰す。アリス=シェイドは瞬歩に近いスピードでステラ=トワイライトに詰め寄っていた。) (ぐい、と無遠慮にその瞳を覗き込み、そして奥に潜む「気配」を感じしばし言葉を失う。) ───色を──変えたか? (はっとして取り繕うように位置を取り直す。) …あ、これは失礼。女性相手に品が無かったか。 これは──あー、そう。貴方の瞳から何か妙な物を感じたのでな。星でも瞬いてるのかと思ったが気のせいだったようだははははは──。 (自分で寒い空気を作り出している事に気づき、コホンと咳払いをする) あー。まあ、気にしないでくれたまえ。 それで…あ、研究室だな。そう、こっちだ。 (背を向け、表情を悟られぬようすたすたと速歩きで歩み始める。) (正面から見たその顔は驚愕──否。それでいてどこか嬉々とした──なんとも妙なものだった。)
(遺眼─────) (邪気眼使いが死せる時に最期の邪気を振り絞りようやく作成する事ができるという究極の希少物質。) (それは長らく研究者として、探求者として生き続けたシェイドですら目にかけたことの無いものだった。) (見て明らかなステラの「眼」の損失、そして目に残留する、ステラのものとは異なる「匂い」を持つ邪気。) (そして、彼女が首から下げたアクセサリ。) (どうして今まで気づかなかった───探求者は自らを叱咤した。) (やがて一行は学び舎の奥まった所に広がる「邪気学」の研究棟に辿り着く。) (コンクリの建築物の中にあって一際目立つ木造の、まるで田舎の校舎を思わせるような異質な建物──それが「資料室」だった。) (ギシギシと木を軋ませつつ、二人は階段をひたすら下へ降り続ける。) こっちだ。…ふむ、殊に邪気学の資料はいわくつきの物も多いと聞く。このような場所に追い遣られるのも仕方なかろうよ。 (一際大きな木製の扉の前に立つ。そこは結城教授が普段から使用している、というかぶっちゃけ、彼以外に利用者がほとんどない場所。) (何故か扉に石膏の蛇が二頭撒きついており、さらに明らかに不自然な位置で蔦が絡み合っている。その風体はまるで楽園の林檎。) (鍵も鍵なら、扉も扉。これまた結城教授の趣味全開でお送りされた部屋なのであった。鷹一郎さんゴメンナサイ。) 鍵が掛かっているな。待っててくれ、今蹴破る。 …ん?なんだ、鍵を持っているのか…。それを早く言ってくれ。 (ステラから鍵を受け取る。ガチャリという重々しい音がして扉が開いた。)
…ふむ、邪気学の資料室に足を踏み入れたのは初めてだ。 最も──すっかり異能を目の当たりにした今となっては、今後はむしろ良く来るようになるかも知れんな。 (本棚に収められた革の魔本をおもむろに開き、パラパラと捲る。) ふふ、いや。分かってはいるさ。私のような一般人が「そんな世界」を不用意に覗き込む危険性はね……。 身不相応…と言った所かな。いや…しかし仕方のないことだろう?非日常に席を置く貴方にはそう気づけまいが─── “人は誰しも未知を求めている”のだよ。 (魔本を片手に歩みだす。探、探と静かな足音を立てて。) 未知に惹かれ、そして思い描いて行くものさ。 『マクベス(シェークスピア)』も『神曲(ダンテ)』も、突き詰めればその一つに過ぎない。 (段状に置かれた高さの違う本棚に遠慮なく踵を乗せ、ひょこひょこと本棚の上を渡り歩く。 (やがて採光窓の真下に面した本棚へ辿り着くと、足を組んでそこへ腰掛けた。) 例えば私が思う所によれば…こんなふうに、手を翳したった一言呟いただけで… (ふ、とステラを見下ろし、彼女に降り注ぐ光の一部を自らの手で遮る。) (彼女の周りに───影が出来た。) 【お前】の身体は、指一本動かす事すら叶わなくなる。そんな能力さ。 (寒気という蟲が身体を舐め回すような冷たい声。彼の眼鏡の奥の瞳に、闇より暗い黒が宿った。) 【影探眼】……発動。 (ステラの足元に出来た影が蠢き、やがて闇の底から四本の腕が湧き出て彼女の足元を拘束する。) (彼女の足元の影を維持するように気を払いつつ、本棚の真上から飛び降りる。) 遺眼の在処を吐け。 (懐から取り出した大振りな解剖バサミの刃を首元へ突きつけ、ステラ=トワイライトへの尋問を開始した。)
戦場、それは即ち“混沌”の権化。 遍く千変万化を遂げ、一寸先の未来すらも無明の漆黒で覆い尽くされた怪物。 そして今、混沌の奔流は《白亜の侍》というたった一存在を蹂躙する。 ─────────────── 唐突に、夢現だった意識が覚醒した。まるで眠りから目覚めたかの如く。 (………何……が……一体、何が起きたのだ……?) 混乱した頭、故にすぐには現状の把握は叶わない。 極大級の異能が掃射された事、それすらも何らかの凄まじい“力”が吹き飛ばした事、その余波に巻き込まれ気絶した事。 ゆるりと順繰りに想起していく。 (……そうだ、あの力は一体!? まさか黒野殿、貴女が……!?) 気絶から覚め、初めて眼が結ぶ像は 血溜まりの中に佇む二人の人影は 「……へへ、久しぶりに外に出られた。全く、この女は『眼』が強くて困るぜ(笑」 ───今はもう滅んだ筈の強大無比なる『意思』と。 「─────静終眼、脈拍の停止」 ───時すらも弄ぶ老練なる翁の邪気眼使い。 誰だ、と問う間もなく好好爺の顔をした者───恐らく辺り一帯の《神樹の槍》の屍を作り出したであろう邪気眼使い───は、世界基督教大学学長、布兵庵竜蹄の身分を晒す。 まあ対価として、こちらの委細も要求されてはいるのだが。 (……言われてみれば、確かに見覚えがある。だがそれなら何故、今『枢機院』の一員を殺した? “聖地”における長ならば、枢機院側ではないのか?) (………それを問うためには、某も黙っては居られぬ……か) 「『職業』は御校で学ぶ単なる学徒………かような言ノ葉を返しても互いに望む結果にはなりませぬか…… 」 元より、既に“仮面”は《神樹の槍》(実際には《トリス・メギストス》なのだが)に剥がれている。隠し通すという選択が為される道理は無い。 「……【カノッサ機関】、名くらいはご存じですかな? しがない“魔剣士”として、其処に属しておりまする」 多少述べられざる真実はあるが、肝要な点は明かしたつもりだ。 故に、こちらも表面上は穏和な翁へ問いを投げ掛けようとした。 ────忽然と、モノクロームの空間が引き裂かれさえしなければ。
いつからか、そこに少年がいた。 僅かに生き残っている小隊の構成員と共にいた彼は、この世ならざる右手を振り下ろす。 セカイ “結界”が、綻びた。 (なっ、手刀で『空間を斬った』……!? 空間切断など“秘宝級”の魔剣ですら、そうとない能力のはず……!) 絶対切断の異能に侵された領域。漆黒一色が支配するそこは、全てを吸引する行き先不明のゲート。 「いかん……“跳ばされる”ッ!!」 漆黒に、触れる。 ─────────────── 長い闇を抜けると、そこは荒野だった。 視界の果てに天険の山脈が望めるそこは人気など絶無であり、永い静謐を過ごして来たのだろう。 ───騒乱の種子は、そんな土地へ芽吹く。 余りにも強引な空間転移。“世界の狭間”に閉じ込められかねない方法ではあったが、周りを見るに無事に現世の何処かへはたどり着けたらしい。 無論、安堵している暇など僅かとてありはしなかった。 敵は、すぐそこにいる。 生気の無い空ろな目をした彼は言う。 【白亜】が欲しいと、だから殺し合おう、と。 だが、そうはならない。“神樹”(セフィロト)の槍を構えた『エヴァー』が、鬼気迫る様子で抜刀を阻害したのだ。 二三の口論の末、渋々ながらも少年は引き下がる。 様々な思惑が入り交じった。 幾多の紆余曲折を経て、戦場は“混沌”と化した。 それでも尚戦いは終わらない。 《神樹の槍》は───『枢機院』は、命続く限り邪教徒の殲滅を止めたりはしないのだから。 残り14名。それが小隊の生き残りの数だった。戦力の半数以上の損失、まともな者ならば形勢不利を感じ撤退するのが常道。 ───そして彼ら、彼女らは皆一様に“まとも”では無い。 「……隊長、こいつら皆殺しにしましょう。“至天”の許可を下さい」 「エヴァーサン、私、邪教徒にここまでコケにされて黙ってられないネ。もう人の身に戻れなくてもイイ………頼むヨ」 「我らが創造主を裏切ったあの愚老に……いざ神罰を!」 「私達の全てを犠牲にしてでも……カノッサは潰さねばなりません、エヴァー様!」 「全て創造主に奉じたこの身。存在を惜しむ道理、0と判断……許可を」 ───
強き狂信の念は集い、狂行へのきざはしが架かる。 その番人にして最後の理性である一人の聖人、唯一の“ストッパー”。 「……良き覚悟である。それでこそ神樹の名を関するに相応しい。 ───“至天”を解禁するのである。各々、全力でこの邪教徒共を葬り去れ!!」 ───そして、彼(ソレ)もまた狂って(コワレテ)いる。 「《白亜の侍》よ。我ら枢機院は既に“聖地”へ潜入していた3人のカノッサ幹部を始末している。 最後に我々は貴様の首を以て、カノッサ機関へ宣戦布告する!」 「黒野天使……単なるカノッサの研究員と思えば内に“邪悪”を飼っていましたか…… ですが、我らの前でそれを明かすなど愚の極み。消えなさい……この“セカイ”からッッ!!」 「ククッ……布兵庵竜蹄よ、創造主様から“聖地”を託されておきながら我らを裏切るか…… その愚かな選択……【聖樹堂】の地下で永久に悔いるがいいッ!!」 テルミナス 「「「「「「“至天”───!!」」」」」」 夜明け そんな表現すら遜色無い極光が14の神器から瞬く。 同時、膨大な『聖』の気が辺り一帯を覆う。 夜明けが、広がって行く。
(此奴ら一体、何を……!? ッ、恐らくロクな事では無い、止めねば!!) 手近な一人へ、自慢の脚力を活かし接近する。 間合いに、入った。 「一式、《刹那》ッ!!」 獲物を十字架の様に掲げていた隙だらけの青年。 瞬間的ならば音よりも速い居合いの一閃は、ブレなく首を裂く。 一人。そこが今の緋月命の限界だった。 未だ世界に健在の13の『神器』と使い手。其は各々の胸に刻まれたパルスの紋様へ進入し フォンッ───!! と甲高い音が鳴り、眩い閃光が四散した暁にそこに居たモノは 「───嗚呼──素晴──らシい───」 人間の面影が微塵も残さず消え去ってしまった 「創造主──様───私ノ───ナか──ニ──」 それぞれの体が神器の色に煌めく、無機質で人工的な 「──浄化──浄カ──シ゛ょウ──カ───」 とても清らかな見掛けと、とても禍々しいココロを持つ 「───裁キを」 人造の、“天使”達
【サンクトペテルブルク 三千院邸内】 それにしても、まさかここまで容易いとは。いや、これ程の人数ともなれば不審者の見極めを誤っても仕方がないか。 (しばしの休息と生贄(ニンゲン)で体力を回復したヴィクトリア・ゴールドセリアはポーターによってものの数秒でサンクトペテルブルクに到着した) (先程のリクスとの会話から敵は三千院家と分かっている。少しの準備の後に三千院邸に向かったヴィクトリアは多くの人間(デンチ)で溢れかえる邸内は自らに地の利があると判断し、迷うことなくセレネのところに向かう) 当たりなら倒す。外れなら尋問してさっきの執事の飼い主を聞き出す。どちらにせよあの女に聞くのが一番手っ取り早い。 (手近な使用人を捕らえ、自白魔術でセレネの居場所を聞き出したヴィクトリア。向かう先は中庭に決まった) (程無くして中庭に着いたヴィクトリア。そこは如何にも三千院家、贅を尽くした調度品の数々が一見無造作に見えて魔術的意味をもった配置が成されていた) これが三千院家の力か。迂闊に踏み入れば何らかの防護結界が作動する可能性もあるが、私の前には無意味だ。 (辺りを見回しセレネと近くにいる女《情報屋》を視認する) 間違いない。あの得体の知れない魔力の塊がセレネというのだろう。もしかするとアレを捕まえられればこれから魔力に困ることも無くなるかもしれないくらいだ。 (無言で手を上にかざすヴィクトリア。例のごとく何もない空間が割れ、取り出したのは一張の弓) 「必中の弓(フェイルノート)」 (ただの矢ではなく極太のエネルギーの帯が放たれ、セレネを襲う)
すべては一瞬の出来事だった。 「‥‥眼からは涙が落ち、やがて血が、そして魂までもが…」 少女が詠唱らしき言葉を紡ぐ。 0.00156秒 黒と白の混ざり合ったエネルギー球が、ピアノに向かって直進する。 「――ピア」 レインマンは“ピアノ、逃げろ”と叫ぼうとする。 1.0579秒 俺に答えろッッ、『王の鉄』ッ!! 鷹逸郎が防壁を形成し―― GIGAGYAGYAGYAGYAAAAAAAA! 鉄の壁をエネルギー球はいとも容易に削り、金属の粉に換えていく。 させるかぁぁぁぁあぁああああぁぁぁあああああああぁあああッッッッ!!!! 鷹逸郎がエネルギー球を殴りつけ、球は消滅する。 2.0456秒 ――そうだな、せっかく君たちのような『力ある者』達と再び会えたのだ。“R”と呼んでもらえると嬉しいかもしれないな。 彼女は厳かな笑みを浮かべながら名乗った。 ――高速思考中断 レインマンの高速の思考が、先ほどまでの攻撃と防御を脳内でリピートする。 「了解したよ"R"。君を“世界の危機”として認識する。 これから暫くの間、君をここに拘束させて貰うよ」
レインマンは周囲を観察する。 既にピアノは鷹逸郎と現状を脱出済。 現在の戦力は魔刀遣いのレイと自分だけ。 だが…レイは彼女の実力を見ても動きそうにない。 (これほど敵意のない相手だ…戦闘者としてのセンスも鈍ろうというものかな…) 彼女の戦力は圧倒的だ。 だが、レインマンは一瞬だが彼女の特異点を“視た”。 (水招きをした時…彼女の体からは“何か”が抜け出していた…) 彼女の正体は分からないが、おそらくは強力な思念体である可能性が高い。 (思念体に影響を与える要素は…やれやれ…ピアノが撤退できていて良かった) ならば、敵に対処する方法はひとつだけ。 自分の立てた戦略が有効となるだろう。 しかし…その戦略は、レインマンの生命すらも危うくしかねない戦略だった。 世界意思代理人たるもの、敵前にその姿を暴露せしめる時は如何なる行動をとるべきや? 敵を完全に殲滅破砕せしめんか、又はその血肉の全てを破砕して敵を阻止せしめんとせざるべからず。 ――カノッサ機関エージェント戦闘条項 遭遇戦闘時ノ心得 戦略目標:歌唱開始から終了に至るまでの敵の完全阻止 『雨泳眼』 レインマンを中心に、水に濡れた床に“波紋”が広がっていく。 「“豪雨のような弾丸”!」 レインマンは手のひらを“R”に翳す。 ドドドドドドドドッ! その瞬間、天井を突き破り、大量の雨粒が室内に雪崩れ込む。 その雨粒が“R”を襲う。 「水切りッ!」 その刹那、レインマンは濡れた路面を高速で滑り、“R”に肉薄する。 黒い傘の柄を握ると、黒い傘は自然に畳まれる。 Mode.SLASH ATTACCK "LAIN FORCE" そのまま“R”の頭上に跳躍したレインマンは、“ステッキ状になった傘で “豪雨のような弾丸”で受け、下へ向かう力に抵抗を加え―― “R”の頭上で状態を反らし、傘を頭上へと大上段に振りかぶり ――RAIN SLASH 真っ向に振り下ろした。
【世界基督教大学・休憩広場】 《お兄さんは準備とか、しなくていいの?》 「ああは言ったが俺はもともと邪気を隠せるよう『包帯』は常に仕込んである。でなきゃこの大学には潜伏できないからな。 何せ枢機院とやらのお膝元、『世界基督教大学』だ。姉さんが持ってた邪気探知機みたいなのは石を投げれば当たるぐらいには設置されてる。 ――それはそうと、表記方式を変えたのか?前回まで君の発言は『』で括られていたろう。アレか、用語とかと被るからか」 《そういうメタな部分には突っ込まなくていいよっ!!》 『デバイス』との遣り取りで事前に収集しておくべき情報の算段はついた。 今回の作戦で肝要となるのは演技だ。ヨシノはあくまで一介の学生、芳野貴之として振舞わなければならない。 その為には全体の情報をきちんと整理し、『理解できる情報』と『知っていてはいけない情報』を正確に把握している必要がある。 《迎えは呼べばすぐにでも来るよ。『枢機院』は各支部に『箱舟』っていう長距離転移システムを持ってて、そこから直で支援車を出すから。 『緊急』なら多分5分もかからないと思う。今回はもう使っちゃったから、もうちょっと遅い『帰還』を呼ぶことになるけど、それも20分くらい》 今のうちに信号出しとこうか?という提案に、ヨシノは鷹揚に頷いた。アスラはそこまで時間はかからないと告げて去っていったし、 ヨシノはもとより準備がない。能力が使えないので、護身用にいつも鞄に突っ込んでいる魔導具があればそれで十全だ。 『デバイス』の思念体が宙を舞い、遠い異国の空へ向けて両腕を広げる。目を瞑って、何かを呟いた。 《――――Die Ruckkehr》 言葉の意味は分からなかったが、恐らくは帰還信号の鍵語。 『デバイス』の矮躯が一瞬だけ青白く光って、光線を発信するように不可視の何かが東の空へ飛んでいくのを感じた。 「これから俺のことはお兄ちゃんと呼んでくれ」 《これまでに輪をかけた脈絡のなさだよ!?なんで今それを言うのさ!》 「なんだと!今を逃したらいつ呼び方から垣間見えるツンとデレの鬩ぎ合いに萌え狂えばいいんだ!?」 《訪れないからそんな機会!》 「あれ?おかしいな、毎月定期購読してる対幼女恋愛ハウツー本にはそのような記述が」 《ハウツー本て! いつの時代の人間だよっ!?》 「待て、その突っ込みを君がするのはもっとおかしいぞ」 《それで、どんなハウツー本で学んだのさ。コミックLO?快楽天?メガストア?》 「な、何故俺のベッドの下を知っている!?」 《捕虜の立場である手前、控えめに言うけれど――ロリコンきもい蒸発しろ》 「ふふふ効かん効かんな!ロリボイスで罵られても我々の業界ではご褒美だぞ!ひらがな多めで喋ってくれ」 《おまえのおやはかわいそうだ》 「そういう心に来るのはやめろ!!」 《あ、シスターさん来たよ》 デバイスの思念がアスラの来訪を告げ、彼女の準備が完了したことを知らせてくれる。 ヨシノはすっかり冷めてしまった缶コーヒーを傾けながら、最後の打ち合わせでもしようかとアスラへ目を遣り、 >「芳野君、具合はどう?」 ――口に含んだコーヒーを真上へ向けて噴出した。10メートルはかたい大噴水だった。
>「…あ、その…ごめんなさい。実は私、こんな事って初めてだからまだちょっと困惑してて… でも、きっと芳野君の力になれるとおもうから、ね?」 熱病のような光景だった。滑らかで清らかな仕草。楚々とした外見に違わぬ鈴の音のような声。 聖水でも湛えていそうな透き通った瞳。他者を気遣い身を削る聖女のような物言い。 すべてが、見事にハマっていた。 (なのになんだ俺の全身に芽生えた蕁麻疹的なものはッ!毛穴という毛穴からかいたこともないような色をした汗が!) >「貴方も災難だったでしょう、可哀想に…でも、何も心配することは無いわ。 神様はいつも、私達を見てくださっている。…きっと、すぐに自由になれるわよ」 《なんなの!なんなのこのひと!なにか悪いものでも食べたの!?こわいよこわいよ!!》 >「それじゃあ芳野君、『デバイス』ちゃん、行きましょうか。私たちの主の膝元へ、貴方達の数奇な戒めを解いてもらいに……」 ヨシノはのたうち回って全身に出来た赤いできものを掻き毟り、『デバイス』は目を皿のようにして立ち尽くす。 シスター・アスラの革命的で革新的で壊滅的で破滅的な大変身は、約二名の心に癒えない傷跡を穿り返す。 地面に倒れ伏して死にかけのフナムシのようにピクピク痙攣していたヨシノは、やがてその動きすらも弱々しくなっていき、 《あ、死んだ……》 そして停止した。 《おーい、お兄さーん?あれ、ホントに悶死?もしもーし、えーと、…………お兄ちゃん☆》 「なにかな」 一瞬でがばりと起き上がったヨシノは、ずれた眼鏡を直し、服に付いた砂を綺麗に払った。 乱れた髪を七三に撫でつけながら、それまで浮かべていた薄ら笑いを消し、如何にも真面目な学生然とした表情を作る。 「――そうですね、行きましょう坂上さん」 『受難の学生』こと芳野貴之は、その双眸に怜悧な理知を宿しながら、坂上明日香に促した。
『帰還』の支援車は、芳野たちが集合してからきっかり20分後に大学正門前へ停車した。 黒塗りのセダンである。顔が映り込むほど磨きあげられたボディは見るからに高級感を醸し、近寄り難さは一級品。 一見すると暴力団的な匂いを嗅ぎとられそうではあるが、印字されたエムブレムの十字架がそれを如実に否定している。 セダンから降りてきたのは、背の高いスーツ姿の女性だった。 まっすぐの黒髪にうなじが隠れる程度の長さでジャギーを入れ、形のいい双眸が見えるように前髪を左右に流している。 女性は大股の足取りで素早くこちらへ歩み寄ると、可視思念体のまま浮遊している『デバイス』を眺め、 「うわあああああああああんデバイスちゃん!お姉ちゃん寂しかったよおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」 咆哮した。 鼓膜を揺るがすような大音声で再会を喜び、死んでしまった少女を悼み、『デバイス』を抱きしめようとして 虚空に腕をぶんぶんさせる。触れられないことを理解したのか、思念体に顔を突っ込んだり出したりし始めた。 《ちょ、ちょっとトキワさん、絵面ヤバイよ!》 「絵面がなんぼのもんじゃあああい!!面がヤバいなら洗えばいいじゃない!秘技☆幼女洗顔ッ!!!」 《わぁああ!?イミわかんないよトキワさん!一般人から見たらただの空中に頭突きしてる女の図だよ!》 「あ、ごめん吐きそう。デバイスちゃんのお腹に顔突っ込んだら内臓見えちゃったうっぷ」 《え、うそ、そこまで再現してないよ!?お話しやすいように外見だけ生前にしてるだけで》 「甘ーい!私の想像力を以てすれば!内臓の一つや二つ何も無いところに見えてくる!ああ!窓に!窓に!」 《何でわざわざ見るんだよ!それ明らかにヤバい系の禁断症状じゃないのさ!》 「私の中のデバイスちゃん成分が切れかかってたからね!摂取摂取!内臓おええ」 《摂ってる傍からバッドトリップ!?》 (またキャラが濃ゆいのが出てきたな。『デバイス』にここまで突っ込ませるとは……大した奴だ) 芳野が坂上と共に置いてきぼりを食っていると、トキワと呼ばれた女性は今になってこちらに気付いたらしく 体ごと芳野たちへ向けて気をつけの姿勢をとった。そのまま滑らかにお辞儀をする。 「どうも初めまして、『楽園教会』東京支部保護監督員の常磐(トキワ)と申します。この度はうちの『デバイス』がお世話をかけまして」 慇懃な物言いで、整った顔立ちを綻ばせる。 見れば『デバイス』も常磐を見遣る表情だけは険が消えていて、二人の関係性を如実に表していた。 『あくまでも演技で』芳野は若干ヒキ気味の表情を作りながらえっと、と前置きし、 「こちらが君の所属してる教会の?」 そう『デバイス』に問う。彼女は少しだけ双眸を躊躇いに歪ませながら応える。 《うん。ボクが保護されて、庇護を受けてる異能力者扶助組織『楽園教会』の保護監督員さんだよ》 そういうことになっていた。 打ち合わせで、『芳野』に明かした『デバイス』の所属は先天的異能者を保護し扶助する国際組織ということになっている。 ヨシノが仕込んだのは『二重の騙し』。でっちあげの情報で『デバイス』が芳野を騙したことにして、 その口裏を合わせるように前もって常磐には『デバイス』が話を通している。『芳野を騙している』という共犯関係を意識させる為だ。 人は、同じ罪を背負う者に対して警戒心が薄くなる。共犯という関係が、お互いの裏切りを抑制するのだと無意識に知っているからだ。 そんな『騙している』という騙し、二重の騙しは功を奏したらしく、常磐は『デバイス』のアイコンタクトを受けて補足情報を喋り出した。
「『楽園教会』は全世界に凡そ0,0001%ほどの確立で生まれる先天性の超能力者を保護している法人機関です。 世界基督教の教えに則り、持って生まれた能力を悪用しないよう正しい教育を施すのですが、まだまだ未熟な団体ですので」 『デバイス』のように能力が暴発して世間に影響を与える子供もいる。 それが現在芳野の身に降りかかった災難なのだと、常磐は説明した。 「でも大丈夫。私たちの本部には優れた精神系の能力者が控えていますからね、ちょっとご同行いただければすぐですよ」 そう締めくくって、常磐はセダンへの乗車を促した。 「シスターさんは付き添いですか?ええ、問題ありませんよ、その鞄の中身は――祝福具ですか」 お互いがブラフを抱えた珍妙な一行は、かくしてその靴先を結論へと揃えた。 運転席へ戻る常磐を追うように、芳野と坂上はセダンの後部扉を引き、中をのぞき込んだところで常磐が付け足した。 「――あ、そうだデバイスちゃん。『ケテル』様もご同乗なさってるからあんまり粗相のないようにね」 『デバイス』の魂が氷点下を突っ切るのを、繋がった芳野も体感した。 後部座席の窓際で静かに体を預けていたのは、白い人間。髪も肌も眼も服も、全てが異様なまでに、白い。 濃い白だ。本来白という色のもつ朧げさや儚さとは無縁の、存在感のある白。一度見たら脳裏から離れない、異質。 《ケテ、ル……さま……?なんでここに……!!》 「なんかねー、この大学に『庭師』がどうのとか四季がどうのとかって。なんのこっちゃ」 (『デバイス』、この白人間も『枢機院』の能力者なのか?) (どころの騒ぎじゃないよ!ボクら一介のエージェントなんかじゃ遠く及ばない、上位幹部『セフィロト』……! 第一セフィラ『哲学のケテル』様!お兄ちゃんの仲間さんを攫った『ケブラー』様と同位の雲上人だよ――!!) (ほほう。そんなに凄いのかこの……えーと、やかん?) (それケトル) (お値段以上) (それニトリ) (ああ!!窓に!!窓に!) (それクトゥルー) (除虫菊を刻んで薬効成分を抽出し練り固めて線香にした殺虫器具) (それ蚊取り) (風の神とも考えられる、アステカ神話における文化農耕神) (それケツァルコアトル) (カバラ生命の樹の最上位、思考や創造を司る要素) (それケテル) 「合ってるじゃないか」 《あれ?え?え?》 「……客人。何をしている?遠慮なく乗ると良い」 ドアを開けたままさんざんもたもたして、いい加減後ろのシスターに尻でも蹴り上げられるかという頃合いになって、 車の中から『ケテル』が声を掛けてきた。男とも女ともつかない外見に合わせたような、中性的な声質だった。 「いや、すみませんねどうも。『デバイス』が萎縮しちゃって、精神で繋がってる僕にも影響が出るみたいで」 警鐘を鳴らす幼女を無理やり黙らせて、体を車の中に押し込む。 中は意外に広くスペースがとってあり、『ケテル』、芳野、坂上が座っても肘が当たらない程度に余裕があった。 坂上がドアを内側から閉めたのを口火に、暖機してあったエンジンは高級車らしく滑らかなスタートを切った。
「芳野さん、坂上さん、このような異能力を目の当たりにするのは初めてですか?"表"の住人とお見受けしますが」 「実際に体験するのは初めてです。これでも大学では考古学専攻で――変り種では邪気学なんかも修めてるんですが」 「邪気学!そういえばこの大学にはそんなのもあるんでしたねえ」 「興味がおありで?」 「その逆ですよ。あまり好印象は持ってません。基督教の教えでは、世界に仇なす『崩壊因子』の象徴ですので」 常磐は表情を変えずにそう言った。芳野の答えには意味がある。 敢えて構わず邪気眼に関する話題を振ることで、芳野に対する認識がどの程度のものかカマをかけてみたのだ。 反応から推察するに、常磐は『デバイス』の件もあって完全にこちらを信用仕切っている。問題は、 (――『ケテル』。さっきからこっちをガン見してくるな。もしかして心が読める類の能力者か?) (そのまさかだよお兄ちゃん。さっきから『ケテル』様がこっちの意識をハッキングしようと何度も攻性思念を撃ってきてる。 どうにか論理障壁で防いでるけど、このままじゃ破られるのは時間の問題だよ……!) (何ぃ?知らない間にそんな壮大な戦いが勃発してたのか!?どうする、姉さんに頼んでリアルアタック仕掛けるか?) (トキワさんまで巻き込むことになるじゃないのさ!ちょっとまってて、今お兄ちゃんの記憶をコピーして ダミーの思念プログラムを組んでるから。適当な思考の詰め合わせに思念ウイルスも添えてプレゼントしよー) (なんか俺の脳内すごいことになってないか?) (よしできた。論理障壁解除、ダミープログラム発動――!!) バックミラーに映り込む『ケテル』の表情が、一瞬だけ揺らいだ。垣間見えたのは他人の日記を読んでいる時の顔である。 『デバイス』の用意した『ダミーの芳野』をハッキングして、思考から記憶まで全てかっさらっていく(らしい)。 やがて、その無機質な顔立ちに瑕疵が生じた。それは、なんというか、台所の三角コーナーの中身を見るときの目と、酷似していた。 (……おい、『デバイス』、ダミーの俺に何を詰め合わせた?) (えーっと、とりあえず精神的ブラクラがいいかなと思って、お兄ちゃんの記憶から幼女と名のつくもの全部入れてみたっ!) 「……客人」 『ケテル』が低い声で言う。 「はいなんでしょうっ!?」 芳野が高い声で応える。 「……客人は。一刻も早く死ぬべきだな。世界の為に」 正論すぎて、ぐうの音も出なかった。 【送迎車に乗って一同は東京支部へ。そこから『箱舟』に乗り換えます。常磐さんはNPC扱いで、質疑応答にご活用ください】
「‥‥眼からは涙が落ち、やがて血が、そして魂までもが流れた ‥‥内面の全ては搾り出され、黒ずんだ過去の泥の中へと滴っていった――」 「…?」 終末の少女が詩を唄いだす。 それと共に彼女の眼前でエネルギーが渦巻き、白と黒が混ざり合った球が生まれた かと思ったら真っすぐこちらに向かって―― 「っちょ! 容赦なしでこっちかい!」 直前動作も敵意も殺気も何もなし、ただ近かったからとか興味本位で、みたいな攻撃である よって回避行動もまともに取れるわけもなく、掠るのを覚悟した時 「させるかぁぁぁぁあぁああああぁぁぁあああああああぁあああッッッッ!!!!」 ドバン、と音を立て球が破裂した。 何事かと思えば、白い光をチラつかせる鷹一郎が右手を突き出し息を荒げている (…ってええ!?まさか殴って消したの!? 何もんよこいつ!) イェソド戦といい今といい、こいつは死ぬ事が怖くないのか 下手すると消し飛びかねない事を根気で打ち負かしているように見える いや、強大な意思の力で跳ね返している、と言ってもいいだろう 「ピアノッ! 俺がメールで近衛隊の連中に連絡する! アイツらなら上手く宣伝してくれるはずだ! お前は歌の方、よろしく頼むぜ! レインマンとレイはこいつを頼むッ! くれぐれも他の皆に被害が出ないようにしてくれ!!」 「へっ!?は!?っちょ!痛い痛い引っ張んなボケ!」 ピアノは鷹一郎に引かれ水浸しの街へ飛び出す 飛び出す瞬間、ちらとレインマンとレイを見る レインマンは雨弾で終末の少女を食い止めている レイは、何かいつもらしくなく黒爪に語りかけていた 「…十分ぐらいで終わりにするから、頼むわよ」 二人に掛けた言葉は水音に掻き消され届かない 自分は、自分の仕事をしなくては
秋葉原、とあるビル内 「ったく…レディの体はもっと大事に扱えっての だから男ってのはブツブツ…」 いつも通りの文句をたれつつ、窓の外を見る どうやら雨が降っているのはここ一帯だけらしい まあ雨乃の能力だから不自然なのは当然だが 「人集めの為にも晴れさせて欲しいわね…」 ふう、と息をひとつつく 水没しているのもあのビルを中心としたわずか数mだった。 どうやらあの少女の影響範囲はまだ狭いらしい 「ま、向こうの事は向こうのお二方に任せるとして…」 くるりと振り向き、後ろにいるであろう鷹一郎にずいと近寄る 「アンタの仕事は単純明快、人集めよ さっき近衛隊がどうとか言ってたけど、それだけじゃ満足できないわね って訳で、ウィス!」 「はいな!出来てるよー、これでどう?」 出てきた小人は、どこからかB5サイズの紙を取り出す。 なにやら色々と印刷されているが、鷹一郎側からは良く見えない 「上出来♪ じゃ、これを、印刷っと」 バサァ マントの中から紙の束が落ちる この二人は四次元ポケットでも持ってるのかと思える所業だが、気にしてはいけない 「はいこれ これを配って回って頂戴な、なんならビルの屋上からばら撒いてもいいわよ」 それはビラ プロが作ったとも思える"三千院セレネ、サプライズ屋外ライブ"のビラだった 「計画実行は30分後!それまでに、秋葉原中央通りのど真ん中に出来るだけ人を集めて!」 大きく声を張り上げ鷹一郎を半ば強制的に送り出す そして行ってしまったのを確認すると 「――さ、こっちも下準備 するわよ」 「いっそがしー」 一体何をするつもりなのか、知っているのは不敵な笑みを浮かべる二人のみ
【保守】…だ。 やれやれ、手間を掛けさせてくれる……。
R、あるいはその途方もなく長い時間の中でフェルディナンドとか藍氷とか呼ばれたこともあるそのものは、今この時間において困惑の只中にいた。 彼女は、戦闘の意思を見せていたものを放置してまで退去していようとしていた人間を攻撃した。 だというのに、解体球が防がれるところまでは予想通りであったのに(人間たちは想像もつかないことをいとも簡単に行うものだったはずだ)、問題はその後だ。 (お前は 真直ぐ 歩いているか) もともと退去しようとしていた人間のみならず、戦闘の意思を見せていたはずの一人の人間までもがこの場を去ってしまった。 これはいったいどうしたことだろうか。 ――難なる謎の如く、そは解れ 緑なる風の如く、そは届き 突なる罪の如く、そは掴む。 ――狐の詩人、雪毛 それに、戦闘を拒否されるなどという、飢餓を満たすことへの協力を拒否されるなどという、殆ど侮辱といっても構わないような扱いを受けたというのに、 どうして、私は、こんなに楽しいのだろう。 『“豪雨のような弾丸”!』 今度は、思索の中から抜け出て防御することができた。 両手を高く上げ、手のひらを地面に対して鉛直に。そしてほんの少しの丸みをつけて、ほんの少しの魔力を展開する。(確か、傘というものに似ているはずだ) ――不測の事態に備えることなど可能だろうか?否。できるのは、嘘を突かれたときの備えを固めることだけだ。 ――テフェリー ああ、そうか。 私に向けて棍のような武器を振り下ろそうとしている人間を魔力の皮膜越しに見たとき、何か液体のようなものが浸透するように理解できた。(そういえば、あの武器が傘と言うのではなかったろうか) つまり彼らは、私の想像していなかったことをしてくれたのだ。それが、嬉しくてたまらないのだ。 人間は、生命は、だからこそ楽しい。 生の醜悪な模倣である私からしたら、殆ど妬ましさで壊してしまいたくなるほどだ。 ――RAIN SLASH (月を追いかけていたはずが いつの間にか 月に追いかけられていた 笑えない) ――RAIN CATCH 「お前も、お前たちも、私を楽しませてくれるのだろうか?」 相も変わらず虚無を放つ視線で雨乃を見上げる彼女の手は、確かに彼の傘を受け止めた衝撃で骨が肉を突き破るほどの傷を負っていたはずなのに、もう何事もなかったかのようにそこにあった。 事によると、存在そのものがある種の悪夢ででもあるのかもしれない。 「さあ、私に、見せてくれ‥‥」 ――どんな驚異に出会おうとも心構えはできていると思っていた。予期していなかった唯一のものは、まったく日常的な光景だった。 ――アーサー・チャールズ・クラーク『2001年宇宙の旅』 囁くようにそう言ったRは、レインマン・雨乃大地に向けてふわりと飛び掛かり、魔力による冒涜的なまでの切れ味を付与された手刀を叩きつけた――何度も、何度も、あるいは氷が溶けて血に変わるまで―― ――かくも残酷な瞬間があろうとは、誰も夢にも思うまい。風を翼にはらませて、我が身に迫る牙の列、燃えさかる瞳。短剣の鈎爪は予感に震えて――
「“豪雨のような弾丸”!」 「…!」 レインマンの容赦のない攻撃は、周囲に飛沫を散らす 水を嘗めない方がいい、形に囚われることなく、どこにでも存在し、とても"重い"という存在は、あらゆる人々の頭を悩ませる 水圧は金属の塊ですら軽く押しつぶし、その激流は岩をも抉る 地に落ちた水滴の飛沫もまた、その威力に比例して凶悪な"跳弾"になりえる、というわけだ 「…ピアノがこいつが嫌いなのが分かる気がするな」 ふーっ、とイライラしたように息を吐く 彼女らしくない行動だ それほどまでに、今の状況は芳しくない 飛沫が収まれば、また先程の繰り返しだ 刀に問いかけ、何も答えを得られず 答えを模索し、また問いかける 繰り返し、繰り返し… ただそれだけ 目の前で戦闘が起こっているというのに 眼前でレインマンが"R"に傘を突き立てたというのに 何も、答えが生まれない もはや"R"が何も感じさせない死人である事だけで説明がつかない域に達してきていた 冷たい水に当たりながら 彼女はひたすら問い続ける 「お前も、お前たちも、私を楽しませてくれるのだろうか?」 「っ…!?」 不意に放たれた"R"の一言 レインマンのあの一撃を受けてなお、平然としている終末の少女が抑揚なく放った言葉 それは自分"達"に向けられた言葉 つまり、レイも含まれる言葉 たった一言、それが、彼女の心に突き刺さった 「…ふざけるな」 楽しむのは、私だ 戦いを楽しみ、殺しを歓び、鮮血に興奮するのは、私だけだ 血を浴びる事に悦楽し、生肉を食らう事が糧であり、そんな狂気を躊躇いなく受け入れるのは、私だけだ それは、私の言葉だ ―――なら、本当の狂気を受け入れるか 受け入れるとも、それが私の生きる意味だ ―――なら、包帯を解け その四肢に巻かれた包帯を それで受け入れられるのか? ―――そうだとも、それがお前を縛る枷だ それを解き放てば、お前は自由に飛ぶ鴉だ
しゅる…と軽い音がする もしそれに"R"が気付いたら、レイの足元に長い包帯が落ちている事に気付くだろう 彼女の四肢を縛っていた包帯である この包帯の能力については以前話しただろう 『防御』と『邪気汚染回避』である 特に後者 黒爪の意思を持った邪気は、この包帯が無いと持った者を喰らう これが邪気汚染である しかし、今レイは包帯を解き、"素手"で黒爪を握っていた 「…っはぁ」 吐きだされる息、それは今までの彼女のものとは何か違う 「…バカ親父の伝言が、こうも早く現実化するとはね 知ってたのかあいつは」 それは間違いなくレイ自身の言葉のはずだった だがそこには、別の意思があった 「いつか来るって言っといて即来るかよ 相変わらずはぐらかすのが上手いねえ」 天を仰ぎながらぽつり、ぽつりと呟く 「本気で狂っても知らねえぞ…いいんだな?大馬鹿家族共が」 つ、と"R"を見やる 「あんたか、終末ってのは 比喩としては申し分ないね お前としても、こっちとしても」 吐きだされる言葉の列は、どういう意味があるのか、今はまだ紡ぐべきではない 「んじゃ、楽しませて貰うとしよう」 瞬間、レイの姿をした誰かの姿は、かき消える 一瞬だけ見えた漆黒の翼は、イェソド戦でも見せた『鴉雲』 だが、その瞬発力はイェソド戦のそれを遥かに超えていた 「流石に速いな もっと落とすべきか?ん?」 気付いた時には、"R"の首筋には漆黒の切っ先が軽く刺さっていた
エカチェリーナ・マクシモーヴナ・ペトローワ、彼女は「情報屋」でありセレネの友人でもあるが所詮は「人間」にカテゴライズされる存在に過ぎない。 故に彼女は困惑していた。 今回セレネから受けた依頼はデシェ=ギルダルクという人物の素状と生い立ちについての調査である。 もちろん人間を調査することなど多々ある。しかし、今回の一件は明らかに異常だった。 17年ほど前北方の小国で生まれたデシェ=ギルダルクは幼いころに「死の秘術」を究めたらしい。その程度の寓話ならいくらでも存在するが、問題はその後だ。 「デシェ=ギルダルク」という人物はそれが原因で村を放逐され、以後、消息は不明であった。そして時を同じくしてその村は何者かの襲撃を受け、壊滅していたのだ。 僅かな生き残りもほとんどがその事件について口を閉ざした中で、2つだけ確認できた単語があった。 『邪気眼』『カノッサ機関』 (魔法だの邪気眼だの、そんなのあるわけないじゃん。なんて切り捨てるには少々材料が揃い過ぎてるんだよね。) 「と、まあこれが私の調査できた分。どう、お気に召したかな?」 『ありがとう、知りたいことは聞けたわね。10億はちゃんと振り込む気になった。』 「そう、それじゃあ今度は私から質問。すばり、『邪気眼』って何?」 『ほんとに知りたい?引き返せなくなるけど。』 「何言ってるの、『自分にしかできない情報屋』になるのが私の夢なんだから。」 『しょーがない、教えてあげる。でもその前に……まずはバッグ持って!!』 「へ?」 それが彼女、エカチェリーナと「異能」の運命的な出会いであった。
リクスの最後の勇姿を見届けた後、セレネは中庭に向かった。 途中途中で様々な著名人の相手をせねばならずエカチェリーナのところに着いたのはかれこれ1時間半も後の事だった。 「待たせた?」 『全然。むしろこんな場で堂々とスパイ活動が出来る絶好のチャンスを精々有効活用させてもらったところ。』 「お喜びいただき光栄です、お客様!」 相変わらず率直な人間だ、とセレネは思った。 彼女にとってエカチェリーナは数少ない「馴れ馴れしい人間」である。 2人が初めて出会ったのは日本のハイスクール、聖デアゴスティーニ学園。創始者の「デアゴスティーニの全シリーズにわが校の卒業生を載せる」という酔狂で設立されたお嬢様学校。 当時そこに通っていたセレネは「人間の観察」の過程である興味深い個体に出会った。 エカチェリーナ・マクシモーヴナ・ペトローワ。 エカチェリーナは高校生でありながら、明らかに常人離れした身のこなし、隠密能力を持ちつつ学園の人間関係に溶け込んでいた。 彼女の正体はフリーの「情報屋」、すなわち彼女は貴族の子女という出自を生かしてハイソサエティーに侵入する。 彼女の出自、経歴には全く嘘が無いため、多くの潜入において書類その他の偽造、データの改ざん等のリスクを冒す必要が無い最強の情報屋、それが彼女の夢である。 その正体を見抜いたセレネはあえてそれを公にしようとはしなかった。あまつさえセレネはエカチェリーナに接触を図り、意気投合した2人はタメで話すくらいの仲になった。 情報屋という仕事上、さすがに対価の絡んだところで嘘を流しはしない。 (でも、こんなとこまで率直に言われるとかえって引く人もいるよね。) 内心苦笑いを浮かべつつもセレネは本題に移る。
「それで、早速だけど例の件について聞かせてくれる?」 「例の件」とは大アルカナ『月』ことデシェ=ギルダルクについての調査である。 創世眼事件の際にリクスが尋問して持ち帰ったデータの中にはあの時最下層にいた大アルカナ『月』のものも含まれていた。 脳内イメージを実体化する領域型償還系邪気眼『夢境眼』はセレネの力の本質に似ているとも言えなくもない。 そこでセレネは自らの手元に置いて彼女を育て、あるいは後の駒にしようと思いそれなりの手を打っておいたのだ。 『と、まあこれが私の調査できた分。どう、お気に召したかな?』 結果は芳しいものではなかったが。 「ありがとう、知りたいことは聞けたわね。1億はちゃんと振り込む気になった。」 一応こうは答えてみるものの内心は残念無念の感情でいっぱいである一方で、情報屋とはいえ「表」に近い存在であればこれが限界なのかと諦めていたところ――― 『そう、それじゃあ今度は私から質問。すばり、『邪気眼』って何?』 つれました。 「ほんとに知りたい?引き返せなくなるけど。」 『何言ってるの、『自分にしかできない情報屋』になるのが私の夢なんだから。』 『必中の弓(フェイルノート)』 (ほんとに乗り気すぎ。裏があるんじゃない?) 等と思ったところで迫り来たのは極太のエネルギーであった。 「しょーがない、教えてあげる。でもその前に……まずはバッグ持って!!」 『へ?』 「"Teleport Change"」 フェイルノート 一瞬にしてエカチェリーナは姿を消し、その直後、必中の弓がマイセンとかテーブルとか、セレネとかを呑みこんで通って行った。
「全く信じられない人ね。いくら神器に詳しくても、骨董品の価値もわからないなんてそれでも自分が一流だと思ってるのかしら?」 そう言うセレネは既に宙に数枚のカードを配置し終えている。 「必中」の攻撃をテレポートチェンジでかわしたところでどっちみち「当たるまで追尾」みたいなオプションが付いてて無駄に煩わされるだけ、そう考えたセレネはあえて「ライフで受ける!」を実践することにした。 先読みで使っていた「バブルラップ」のおかげで五体満足ではあるものの、吹き飛ばされた陶磁器や調度品、「庭師」の芸術などはもと通りにするのにかなりの手間がかかるのは言うまでもない。 有り余るだけのお金を持っていながらもこんな細かいところでモノに執着してるのが露見するのはかえって恥ずかしいと思ったセレネは未練を断ち切るように声を上げる。 「バトルフォーム!!☆」 その間数瞬、セレネの演説用のフォーマルなドレスが既にピンクでフリフリの魔法少女ルックに変わる。 「さて、あたしの別宅でこんなことをするくらいなんだから、あたしが誰かわかってやってるんだよね?」 「行きなさい、『バグ』。」 セレネが既に宙に放っていた5枚のカード、そこから現れたのは2枚の円形チェーンソーが互い違いに回転する異形の円盤殺戮兵器であった。 「まさか、これくらいでやられちゃったりしないよね♪」
(雨。) (雨音が、二人だけのビルで孤独に木霊する。) (水浸しの街。ある程度水没は引いていたが、もう昼頃のような活気は微塵もない。水と共に流されてしまったのだろうか) (秋葉原という街が、今にも、死のうとしていた。) 「ったく…レディの体はもっと大事に扱えっての だから男ってのはブツブツ…」 「人集めの為にも晴れさせて欲しいわね…」 はあっ、はあ、…ぜえっ、……はああ……っ。 (息一つ切らせずにぼやくピアノを背を向けて、鷹逸カは呼吸を必死に整える) (ここで立ち止まっている暇はないのだ。安穏に構えていては、秋葉原が、皆の秋葉原までが本当に死んでしまう。) (それだけは、イヤだ。) はあ、……ぐ…、ふうう……っ。 (無力だ何だと、嘆く時間はもう終わり。) ターン (これからは抵抗の時間。足掻いて足掻いて足掻き抜いて、運命を打ち砕く手順。) 「ま、向こうの事は向こうのお二方に任せるとして…」 (それはピアノも理解しているのか、間髪入れずに鷹逸カへ詰め寄る) (まだ早鐘を打ち続ける心臓を手で押さえつけて、何とか頷き返した。相づちは、話を促すサイン) (疲弊で聞こえていなかった、なんてことはあってはならない。霞のかかった意識を総動員して、その柔らかな声にしがみつく) 「アンタの仕事は単純明快、人集めよ」 …っはあ、……人、集め…………? (…”レインマン”の提示した作戦によれば、「聴衆」となる大勢の人間が必要となる) (幸いここは秋葉原。しかも平日だ。人に事欠くことは絶対にないだろう。……ただし、そう簡単にいくとはどうしても思えないが) 「さっき近衛隊がどうとか言ってたけど、それだけじゃ満足できないわね って訳で、ウィス!」 「はいな!出来てるよー、これでどう?」 (どこから現れたのか、奇妙な衣装の小人がB5ほどの紙を取り出す) (上出来、とピアノはそれを受け取りマントを広げると、バサッ、と音。…地面に、さっきまではなかった紙束が落ちていた) 「はいこれ」 …これは………。 「これを配って回って頂戴な、なんならビルの屋上からばら撒いてもいいわよ」 (ビラだった) (『三千院セレネ、サプライズ屋上ライブ』。…広告業者が作ったとしか思えないクオリティで文字が躍っている) (いつの間に用意したのか、……ともかく、これで集客をしろということらしい。) 「計画実行は30分後!それまでに、秋葉原中央通りのど真ん中に出来るだけ人を集めて!」 ……分かった! (自分にやれることがあるだけでも、感謝しなくては) (与えられた勤めを全うするため、鷹逸カは引きずるようにして雨降る街へと飛び出した。)
(『無茶な注文だ。』) (近衛隊にコールして真っ先に云われたのが、しわくちゃなしゃがれ声のこのセリフだった) (ビラが濡れないように中央通りの歩道のルーフで雨を凌ぎながら、紙束を抱えたまま肩と耳に携帯電話を挟んで鷹逸カは応対する) む、無茶って……。 『現状を把握しておるのか、小僧。…突如のビル崩壊、駅の封鎖、そして水害! ……これだけのことが一気に起こり、人々の心は衰弱しきっておる。…聞く耳持たんわい』 い、いやでも、これ本当に! 『内容の真偽は問題ではないのじゃ。…強いて云うなら、ティー・ピー・オー、というヤツかのう。 ……空腹に飢える者が遊びに誘われ、ホイホイと着いていく訳があるまい。それと同じこと。…余裕がないのじゃ、楽しむだけの余裕がな』 (言ってることは、分かる) (分かるけど、ここで引き下がる訳には行かないのだ。…引き下がれば、秋葉原を爆撃機が灼き尽くしにやって来る) (……最悪、あの”終末”に街が人が蹂躙され尽くされるかもしれない。戦士を引き寄せる誘蛾灯として。……いや、そんなことはしないと信じているが) な、なあ頼むよジイさん。…近衛隊の皆なら、何とかしてくれるだろ? このままじゃヤバいんだよ。秋葉原が灼き尽くされちまって、みんな死んじまうかもしれねえんだよ! それに今はみんな元気ねえけど。世界的アイドルのセレネの歌を聴けば、きっと元気に 『愚か者ォッッ!!!』 (ギィン、と) (…脳の神経を焼き切られたような鋭い痛みが、鷹逸カの鼓膜を突き抜けた) (思わず落としそうになるビラを賢明にひっつかみ、携帯電話を落とさないように何とか歯を食いしばる。) 『…儂も疲れておるのだ、あまり大声を出させるでない。 ……休ませてはくれぬか。……儂らはもう、限界なのじゃ。…早く避難所へ来い、孫娘が心配しておる。』 (ブツン) (……通話が、切れた。) ……んっだよ、それ…………。 (……………分かっていた。) (これが、「普通」なのだ。「普通」の反応だ。「日常」側の人間の反応だ。) (誰もがそう言うだろう。当たり前だ。今日だけで幾つも散々な目に遭っているのに、他人の戯れ言になど付き合えない) (普通は信じられる内容じゃない。…うまくいくはずがなかった。) ……まだだ。 (『不撓不屈』。) (挫けそうになったときには、この言葉を思い出す。自分の生きる意味、生きる目標。) (近衛隊が頼れなくても、自分にはこの足と自慢の大声がある。…かけずり回れ、張り上げろ。出来ること全てをし尽くせ!) 俺は諦めねえ。…諦めてたまるか。誰も死なせねえ……!!
お願いしまーす!! 三千院セレネのサプライズライブがありまーす!! よろしくお願いしまーす!! (雨が降り続く、誰もいない中央通り) (コートとフードを着込んだ変な男が、三千院セレネのビラ束を腕に抱えて、大声を上げながら走り回っている。) (雨音にも負けない声。……それでも、人々には届かない。) よろしくお願いしまーす!! 参加される方は、中央通りにお集まりくださーい!! よろしくお願いしまーす!! 三千院セレネのサプライズライブが……!!! (限界だ。) (廃ビルで襲撃に遭い、イェソドにボロボロにされ、今度は謎の生命体。) (どう考えても常人の運動量を軽く凌駕していた。まして鷹逸カは机に向かうのが主な仕事は教授職だ。…その負荷は、重い) ……!! …………!!! ………………!!! (鷹逸カの声を遮るのは雨のヴェールではなく、街全体を覆う仄暗い空気) タタカ (希望などなく、ただヤミが拡がるばかり。……絶望、諦観、皮肉、疲弊。…そんなヤミと、鷹逸カは一人抵抗い続ける) はぁっ、はあっ、…ぜええっ、………何なんだよ。 どうしてだよ、どうして届かねえんだよ………。何で誰も聴いてくれねえんだよ………ッ!! ちったあ、…ぜえっ、……耳を貸してくれもいいじゃねえか………。危ねえんだよ、この街が、みんなが……!! (突然、暗転する視界と衝撃) (…つまずいてもいないのに、転んでいた。前のめりで、……腕のビラ束は、水に浸かって濡れてしまっていた。) …ああ、くそ、せっかくのビラが……。 ……なんだよ、何だよ何だよ何だよ……ッ!! 一体何だってんだよ、畜生……ッ!!! (時間がないのに。) (ゆっくりしている暇はないのに。) (このままでは間に合わない。誰も聴いてくれずに、この作戦はあえなく失敗。街は火の海。人は死ぬ。) イヤだ……!! イヤだ、そんなのイヤだ!! 戦うんだ、戦い抜くんだッ!! 最後まで……諦めずに……アイツと約束したじゃねえかぁあああ……ッ!!! (一度倒れた足は、言うことを聞かない) (まるで地面に接着されてしまったかのように、膝は持ち上がってくれない) (これはもう、気力や根性でどうにかなるものではない。……キャパシティオーバー。…疲弊が、肉体の限界を超えた) このままじゃみんな死んじまうんだッ!! 爆撃機がッ、この街ごと魔法陣を……ッ!! 頼むよッ、何で聴いてくれねえんだよッ!! このままじゃ、このままじゃッ、…うぅうああぁぁああぁあああ………ッ!!! (その嗚咽すら、届かない。) (降り止まない雨は鷹逸カの背中を殴り続け、無情にも体温を奪っていき――――。)
「――――だから言ったのDeath。……この人は、いつか身を滅ぼすことになるDeathと」 「全く、こうまで必死に騒がれちゃ無視する訳にもいかねぇだろうが。……おい、チビッ娘。まだ使える近衛隊の奴らと、警察官は総動員だ」 「……言われなくてもやるのDeath。…それと、鷹逸カを安全な場所に――――」 (ヤミに灯ったわずかなヒカリが、一斉に灯っていく)
――《こちら『皇帝』。よう、調子はどうだ『吊られた男』》 「いやはや。どうにもこうにも堂々巡りだよ『皇帝』君。この城、昇降設備というものが極めて少ないようだね?」 「唯一か唯ニであったであろう階段も、先程『審判』様の援護砲撃で瓦礫団子と成り果てましたわ」 各員に渡されたインカムからは、攻城作戦本部からのオペレーションが絶え間なく垂れ流されている。 傍受される恐れのある電波通信は用いず、『皇帝』の能力で"情報そのもの"を転移させる術式技術『伝播通信』の賜物である。 したがって、その管制統御を一任されている『皇帝』にとってオペレートへの介入は容易い真似だった。 《あっちゃあ、『審判』の馬鹿たれめ、バカスカ撃ちくさってからに。『吊られた男』ぉ、お前あいつに何吹き込みやがった?》 「ううん?そうだね、強いて言えば――僕の居場所を正確に」 《あいつ馬鹿なんじゃねえの!?》 「『吊られた男』様の他の追随を許さない方向音痴ぶりに助けられましたわね。砲撃されるのは見当違いの場所ばかり」 《お前らも相当馬鹿だろ!?あの脳内ネズミ花火馬鹿に無駄な火ィつけてんじゃねえよ》 「それはさておき、全体の首尾はどうだい『皇帝』君?」 《この上なく悪いな。『魔術師』と『節制』が敵の中堅どころと会敵した。カニバリコンビも大隊に囲まれてる。 何よりマズいのは――正門のとこで小競り合ってた小アルカナが『セフィロト』の一人と交戦に入った。手の空いた敵の師団クラスが戻ってくるぞ》 【楽園教導派】が擁する10人の超常異能者。枢機院の100万を超える戦闘員の頂点に立つ者達。 それが『ストレイト』が吐いた『セフィロト』に関する情報である。直接戦闘を経験していない『吊られた男』にとってその脅威は度し難いが、 戦況を完全に把握している『皇帝』の声から楽観の色が消えたことで、事態の剣呑さを感じ取った。 「するとアレかい?小アルカナ全戦力を投じて保っていた均衡がその『セフィロト』一人によって崩されて、動けなかった敵の雑兵達が 今度は僕らを潰すためにこの城を網羅すると――いやはや、逃げ場のない僕らにとっては詰み以外のなにものでもないね?」 「階段が潰れましたが、敵が際限なく湧いてくることから鑑みるになにか秘密の抜け道のようなものがあるのではないですか?そこからなら、」 「探してる間に囲まれるか、よしんば見つかってもポップ待ちの敵さんで埋め尽くされているんじゃないかな?」 現状、向かい来る敵はその都度倒している。が、彼等の基本戦術は専守防衛のヒットアンドアウェイ。 自ら敵の渦中に飛び込むなど、虎児もいないのに虎穴に入るようなもので、すなわち無駄死にカウントダウンだった。 《そ!こ!で! もっと単純で簡単で手軽で手短で気楽で気軽で手っ取り早く造作ないたった一つの冴えたやりかたがあるんだが、どーよ?》 「聞こうか」 《――跳べ。そこの窓から》
「――ははは、いやはや?」 《お茶を濁すなよ!?いや大丈夫だって!俺に考えがある》 「聞きまして?『吊られた男』様。あの『皇帝』様に"考え"があるそうですわ。棒でバナナを取るのがこの状況で一体何の役に立つのでしょう」 《猿か!?お前ん中で俺は猿か!?》 「流石に失礼だよマリー。――猿だって棒だけじゃなく踏み台を使うぐらいの考えはあると思うよ?」 《おいィ!?否定するとこおかしい!ちょっとこっち!こっち注目!俺を見ろ!》 「『皇帝』君、今夜はお赤飯とバナナ炊き込みご飯どっちがいいかな?なんでも好きなのを作ってあげるよ」 《好きなのってその二種類しかねえじゃねえか!しかも赤飯て。めでたいのか?俺に考えがあるのがそんなにめでたいのか!?》 「おかしいですわね、いつもの『皇帝』様なら『おいちゃんのバナナ食べてほしいなフヒヒ』ぐらいは言いそうなもの……」 「さては君。『皇帝』君の偽物だね?」 《ああもういいよそれで!オッス俺ニセ皇帝!よろしくな!》 「『吊られた男』様、この御仁がニセの『皇帝』様であるからには、せっかくの機会ですし 普段の『皇帝』様とはできない知的な会話なんてものをたしなんでみるのは如何でしょう」 「名案だねマリー。早速話してみようかニセ皇帝君。――掛け算について」 《おいいいいいいィ!!?お前それでレベル合わせたつもりになってんのか!?それぐらいできるに決まってんだろ!》 「おお、掛け算ができるなんて……やはりこの『皇帝』君は偽物なんだね?」 《できねーわけねえだろ。――7の段までなら完璧だぜ!》 「……『吊られた男』様、本物の『皇帝』ですわ」 「うん。ようやく信用できるね?」 《あれえ!?》
「それで、跳べばいいのかな?この窓から」 茶番に決着がついて、言うなり『吊られた男』は戦闘で割れた窓の縁に足を掛けた。 現在地は6階であり、ただの採光窓であるそこから外には当然ベランダなんてものはついていない。 一歩踏み出せば正真正銘致死の高さから真っ逆さまな状況で、彼はなんの躊躇いもなく――マリーを連れ立って縁を蹴った。 「跳んだよ」 一瞬だけ宙を遊泳したかと思えば、彼等はすぐに大気の壁へとぶつかり、遥か地上へと吸い込まれていく。 刹那、眼窩に魔法陣が展開した。 《よしきた。――転移術式『カタパルト』、発動!》 作戦本部から既に望遠鏡で『吊られた男』達の座標を補足していた『皇帝』が、指先を軽く振り、手で作った銃を撃った。 呼応するように起動した魔法陣は『吊られた男』達を一瞬で包みこむと、そのまま転送経路を確定して射出した。 「お――――」 体幹をつまみ上げられて、さんざん振り回されて、ようやく地面へと放り出されたような感覚。 気がつけば、『吊られた男』とマリーはラツィエル城の屋根上――物見広場へと転移されていた。 「上に行きたいとは言ったけど――」 「あの御方は加減とか中庸という言葉をご存じないのでしょうか」 最も空に近い場所に、二人はいた。
――RAIN CATCH 「お前も、お前たちも、私を楽しませてくれるのだろうか?」 渾身の力を以って振り下ろした一閃は、か細い少女の手に受け止められた。 振り下ろした傘は彼女の手の中で停止し、レインマンはそのまま床へ降り立つ。 正常な神経を持つものなら、これは悪夢の光景に他ならない。 何故なら、正常な神経をもつものならば、彼女は忌避すべき怪物そのものだからだ。 だがレインマンは違った、正常な人間とは違っていた。 (彼女こそ“世界の脅威”…僕らカノッサエージェントが倒すべき存在…) 「さあ、私に、見せてくれ‥‥」 彼女はレインマンに囁くと、突然何の動作もなしに浮かび上がった。 彼女の衣服がたなびき、そしてレインマンに飛び掛ってくる。 まるで幼い頃に見た絵本の中の怪物のようだ。 (そして…もしかしたら、僕の) そう思った瞬間、Rは指を垂直に伸ばして手刀を作る。 彼女の手に、強大な魔力が宿っているのがレインマンの眼には視認でき――― レインマンの意識はそこで途切れた。 0コンマ数秒で意識は回復する、体が中に浮いているのが分かった。 何故自分の体は中に浮いているのか――そう思いつつも体は様々な方向に捩れ曲がっていく。 Rの手刀が、レインマンの体を打ち据え、切り裂き、突き、抉っていた。 初撃は頭に、次に右胸、腹、左上腕、脇腹、鳩尾、上半身に手刀が乱打されている。 レインマンの体が細切れにされないのは、ひとえにレインマンの着用する対能力者用モッズ・スーツと 回避本能で急所を避けるために体を反射的に動かしていた事による。 だが いかに能力者戦を想定した材質で出来ているとはいえ、その中身の人体への衝撃は軽減できない。 空中を半分浮遊していたレインマンの足元と周囲の壁には、かなりの量の血飛沫が飛んでいた。 Rの手刀が一閃、レインマンの左胸を文字通り切り裂く。 スーツのジャケットの表面が裁断され、ネクタイは真っ二つになって地面に落ちる。 指は肋骨の隙間に食い込み、そのまま骨を断ち、肉を裂いて、左心室の一部を傷つけた。 レインマンから大量の血液が噴出する。 天井まで届かんとする血の噴水は床や天井や壁を派手に汚す。
ボチャッ 水の入った袋が落下するような音を立てて、レインマンは床に沈んだ。 全身が切り裂かれ、打ち砕かれ、内蔵は爆ぜている。 レインマンの、いや、“レインマンだったもの”から 赤い水が床に広がり始めた、赤い水は“あそび”の床を伝い、歪んだ楕円形の池を形作り始めた。 その池に、天井を伝い雫がボタボタと落ちてくる。 “それ”は、もう動かないように思えた。 だが“それ”は、なおも手に傘を強く握っていた。握り締め続けていた。 そして“それ”は、重力を無視して突然垂直に起き上がる。 「…思い出せない事があって…それがなんなのか思い出せない…君にそういう事はないかい?」 “それ”…レインマンの屍だったはずの“それ”は言葉を発した。 「…僕にはどうしても思い出せない事があって…それを思い出せないのはごめんだと思うんだ」 “それ”はゆっくりと腕をRに向けて翳すと硬く握った拳をRにかざす。 「でもね…僕には確信があるんだ…それは“滅び”なんだと、誰かが僕の大事なものを壊したんだと…」 だから…僕は世界の脅威に立ち向かう。 世界の滅びに立ち会えばいつか、僕の忘れていたものに出会えるはずなんだと…』 それがレインマンの、雨乃大地の本質だった。 彼は、誰よりも滅びを希求していた。 『だけど本当に残念な事に…』 それは自殺行為ではなく、圧倒的な力を持った絶対者によって齎される滅び。 全ては「忘れていてどうしても思い出せないこと」を思い出すために。 『それはお前じゃない』 レインマンは手のひらを開くと、手の平の上に透明な球が生まれた。 不安定に揺れるその球は、“水”そのもの。 レインマンはその球体を、己の心臓に叩きつける。 瞬時にその球体は泡を発してレインマンの肉体に吸収される。 レインマンの傷口から泡が湧き出てくる。 さらにレインマンは両手を広げると、床に飛び散った血の池が、動画の高速の巻き戻し再生のように レインマンの体へと戻ってゆく。 血の池は流れとなり、飛沫となってレインマンの傷口へと戻ってゆく。 傷口は、瞬時にふさがる。 同時に打撲、骨折、裂傷、破裂した内臓、傷つけられた左心室までもが瞬時に再生した。
『水』は生命の基礎である。 レインマンは『水』の使い手であり、その水を用いれば肉体の“超回復”機能を操ることも可能だ。 さらに、対外に流出した血液も『水』で瞬時に濾過して『輸血』する事もできる。 瀕死状態からの回復など、彼には容易いことだった。 「ゴハッ!ガハッ…」 レインマンの口から血が溢れ出る。 それでもなおレインマンが受けたダメージは深刻だった。 次に同じ目にあえば蘇生できるか否や。 そもそも、このような行為自体人間の肉体にとっては耐え難い苦痛である。 ――黄泉返りなどは レインマンはいつものようににこやかな微笑を浮かべて立っている。 スーツは切り裂かれボロボロ、さらに血塗れだが。 レインマンの視界に、レイとRがいた。 レイはいつの間にかRに肉薄して、魔刀“黒爪”の先端を彼女の首に突き刺していた。 「これが僕の見せられるものさ…僕はいわば死ににくい雑兵なんだ。 斬られ役はお手の物、君が望むままにいくらでも…血と肉がほしいんだろ?」 「ちなみに君の戦術データはカノッサのデータベースに送信した…この“黒い傘”でね… 敵戦力を肌身で推し量る強行偵察は完了…これからは僕の番だ」 『雨泳眼』が無色の光を発すると、地鳴りが起こった。 秋葉原全域を覆う大量の水が、引いていく。 水はゆるやかに、何者を破壊することも押し流すこともなく、 だが確実なスピードで「あそび」のビルの周囲に集まる。 そして、水は分厚い水の壁となってビルを囲む。 レイの開けた床の穴から水が湧き出して、床を塞いだ。 「“水”の属性を使った次元隔離防壁だ…僕を殺さない限り外へは出られない… ショーが始まるまで、僕ら3人で踊り明かそうじゃないか。 どこにも行かせないよ、僕もどこにも行きはしない…」 「お楽しみは…これからだ!」 レインマンは足元の血溜りを軸に回転し、Rの首に“回し蹴り”を叩き込んだ。
鷹一郎が慟哭の叫びを響かせ 雨乃が瀕死と生存を廻し レイが何者かに身体を預け この街が焼け野原になろうとしている そんな殺伐と混沌とに包まれた街の一角、とあるビルの中で、あるものが動いていた 小さく、それでいて鋭い音は、冷却用のファン 小さく明滅するのは、LEDランプ 絶え間なく何かを映すモニターには目で追えない速度で数式が流れていく それら、真上から見ると"C"のような形状に並べられた機械群 その中心にマントを大きくはだけさせたピアノが座っている 「写真から全身のスペックを割り出すのがここまで厳しいとはね」 その目は眼前にある6基のモニターを全て睨み、手元にある4つのキーボードは目にもとまらぬ速さで押されていく だがその口元はとても とても楽しそうに笑っている というか、ニヤついている 「しかしバストサイズがXXかぁ… おもったより小さいわね セレネ様、偽乳疑惑!」 ピー音に掻き消される言葉を易々と呟くなど 随分とハイのようだ 「ピアノー、変なこと言ってないで早くやろうよ もうすぐ10分経つよ」 「おkおk まあ演算は既に終わってるし、あとは微調整だけよ 機械だけじゃどうしてもズレるからね」 ピアノの手がまた素早く動き出す カカカカカという連打音とともに中心のモニターに数列が書き込まれていく 「そういうあんたは、物理演算調整は出来たの?」 「もち、髪の毛一本一本まで処理が可能だよ」 「完璧ね、こっちも完璧 どっからどう見ても本物よ あとは自然現象方面の演算と、幻視質量調整か」 「幻視質量調整が時間かかってるよ 終了予定は16分後」 「ちょい厳しいわね 了解、並列演算回すわ」 キーを片手で叩きながら周囲の機械に目を配る スイッチを押したり、プラグを付け替えたり 「よし、おっけ あと服装とステージ構成、こういうの苦手なんだけどなあ…」 「また私がやればいいのかな?」 それにしてもこの二人、とても楽しそうである 他の皆は苦戦に苦戦を重ねているというのに
>「……ん?ああ、無事だったかステラ=トワイライト。 お互い生きていて何より。…ん、それでは道案内を続けようか─────と」 「っわあ!?」 駆け寄るステラを認めたアリス=シェイドは、それを迎撃せんばかりの速力で彼女の傍へと急接近する。 虚を疲れたステラはもんどりうち、それでもシェイドにぶつかることだけは回避しようと少々大げさに仰け反る羽目になった。 無遠慮に、覗き込んでくる。ステラの変わった左目を、ハイライトの消えた眼で舐めるように観察してくる。 >「───色を──変えたか?」 (近い近い近い近い近い近い近い近い近い!!) 鼻先三寸を地で行くような彼我の距離に、ステラは同様を隠せない。 よくよく考えて見れば、生前から妹を耽溺し片時も離れなかった彼女にとって、男に対する免疫など無きに等しかった。 無論アルカナ時代を含めれば結構な数と種類の男性と関わりがあったにはあったが、偏りがあった。 男として枯れた感じの『塔』や、三次元に興味がないと豪語する『吊られた男』、そして『吊られた男』しか目に入ってない『審判』。 尻も腰も軽すぎる『教皇』や、肉体をサンドバックとしか見てない『悪魔』、年端もいかない『節制』、そして――『世界』。 晴れて地上に出てからも、大人としてそれはどうなのかってぐらい天真爛漫な鷹逸郎やなんか気持ち悪いヨシノなど、 少なくとも『ステラに興味津々な男性』とは運が良いのか悪いのか一度も邂逅しなかったのである。 ただし、そんな事情とは別のところで、 ――ステラは鳥肌が止まらなかった。 シェイドに案内を任せ、二人は大学を進む。いくつか『隔離結界』の予兆を感じたが、それらはステラに向けられたものではなく、 大学構内の随所で乱発的に展開されているものだった。戦闘が起こっているのだ。 (介入するつもりも気力もないけどね……) "裏"にあって、異能者同士の小競り合いというのは特段珍しいものではない。 ある程度大きな都市ならば、異能の兆しが見られない日などないぐらいに、街には敵意が溢れている。 ましてや、ここは『枢機院』お抱え異能者の膝下のような場所である。余程既知の仲でもない相手ならば、助太刀する道理もない。 >「こっちだ。…ふむ、殊に邪気学の資料はいわくつきの物も多いと聞く。このような場所に追い遣られるのも仕方なかろうよ。」 「ここが……『資料室』」 他の白一色な建造群とは一線を画す、嫌なアンティークさを持つ建物。有り体に言ってしまえば――ボロ校舎である。 一歩ごとに悲鳴を上げる廊下を踏みながら結城『教授』の秘蔵倉へと歩を進めた。わりとすぐだった。 鍵の意匠をそのまま写しとったような悪趣味極まる装飾を施された扉は、一目見ただけで開く気力を減衰させる術式でも張ってあるようである。 >「鍵が掛かっているな。待っててくれ、今蹴破る。」 「え?ちょ、ちょっとストップ!!鍵は借りてあるから!ほらここに」 >「…ん?なんだ、鍵を持っているのか…。それを早く言ってくれ。」 (思考が短絡過ぎるよ!さっきの急接近といい……) どこかネジの外れた男だと思う。嫌な意味で、ズレている。 目的の為なら手段を選ばず、手段の為なら目的を選ばないその豪放短気っぷりは、ステラの苦手とする人格だった。 渡した鍵が鍵穴に挿入され、その真価を解放する。中でシリンダーが回る音がして、いざ、黄金郷への道は開かれた。
「わぁ……!」 開かれた世界は、なるほど彼女にとって理想郷だった。 古今東西世界に遍く魔導具、魔本、邪気眼資料。研究者としてのステラの知識欲を満たすには十分過ぎる品揃えだった。 (『打剣真書』!わたしが生きてた頃のベストセラー!復元されてたんだ!凄い、こっちにあるのは『ネクロノミコン』!?) 生まれて初めてトイザらスに連れてってもらった子供のように、ステラは年甲斐もなくはしゃぎ回る。 古代の研究者だった彼女にとって、空白の数百年を埋め合わせてくれるこの部屋は、タイムマシンかさもなくば神からの天恵。 舞う埃も、カビ臭さも、一分も立たないうちに忘れるほど没頭した。シェイドが垂れる講釈も、耳には入らず。 (幸せすぎる……!凄いよ鷹逸郎さん、学者のツボを心得てるね!ああ、『護国天使』の天輪まであるんだ!?) 故に、白衣の狂人がその魔性を解き放ったときも、ちっとも状況を把握できなかった。 シェイドがその手で遮った採光窓から、腕の形を写しとった影が落ちる。それはステラの体に陰りを創り、 ――束縛を生んだ。 >「【お前】の身体は、指一本動かす事すら叶わなくなる。そんな能力さ。 ――【影探眼】……発動。」 「――なッ!?」 ステラを覆った影が揺らめき、細長い陽炎となって彼女をその場に縫い止める。 シェイドはそのまま、本棚から飛び降りてことらへ歩み寄った。 >「遺眼の在処を吐け。」 首筋に冷ややかなものが押し付けられる。巨大な鋏が、その刃を彼女の喉元に添えられていた。 反射的に飛び退こうとするが、指一本動かない。まるで体の周りの大気がセメントに置き換わったような硬直。 そして、ようやく思考が追いついた。 (この能力……『邪気眼』――『白衣』――『影』――) ヨコシマキメでスピカの最期を垣間見た時の記憶が、走馬灯にも似たスピードで脳裏を駆け巡る。 妹を、『星』を、スピカ=トワイライトを葬った侵入者。邪気眼使い。『影』の白衣男。 全ての符号が、目の前の現状と、完全に一致した。
眼の奥がチカチカする。 「あ――……」 顔が歪む。狂気は、凶気で、狂喜だった。 釣り上がる口角。見開かれる双眸。拡大する瞳孔。総毛立つ体躯。紅に染まる、視界。 胸の奥から登ってくる赫怒と怨嗟の火柱は、これまでステラを縛り付けていた理性という名の大樹を、塵も残さず焼き尽くした。 「お」 「ま」 「え」 「か」 出したこともないような音程で、たった四文字言葉を零した。 確かめるように再度、発音する。腹に据えかねたものを放出するように、それは雄々しい猛りだった。 「――おまえかァァァァァアアアァァァァアァァァァァ!!!!!!!!!!!!」 刃が皮膚に喰い込むのも構わず、一歩踏み出す。絶対の縛鎖で拘束されているにも関わらず、それは容易く遂行された。 理屈もなく、理合もなく、条理もなく、道理もなく。 ――『ただの邪気の奔流』で、アリス=シェイドが誇る『影探眼』を断ち切った。 踏み出した一歩に、全体重を乗せて、思いっきり引き絞った拳を一気に撃ち出す。 大砲もかくやといった速度と握力で以て振り抜かれた正拳突きは、 『鋏を砕いて』なお一切の減衰もなくシェイドの顔面へと叩き込まれた。 「っるあああああああああああああああああッッ!!」 そのまま拳を殴り抜ける。シェイドは暴風の前の紙切れのようにあっけなく吹っ飛び、『資料室』の壁へと激突した。 否、それだけでは止まらない。激突地点より放射状の亀裂が迸り、それはやがて崩壊の基点となる。 全ては瞬きよりも早く行われ、シェイドは壁を突き破って屋外へと射出された。放物線を描くように宙へと投げ出され、 「【ライトニングセイル】」 ――ステラに追いつかれた。自身がふっ飛ばしたものに空中で追いつくという荒業を光速機動で成し遂げた彼女は、 既に次の行動へと移っていた。動作は単純。踵を上げて、落とすだけ。それだけで――光速の踵落としは、シェイドの鳩尾を捉えた。 音速の壁を遥かに上回ることで生まれた衝撃派は、空中で発破をかけたかのような轟音を散らす。 サッカーボールより過酷な打撃をぶち込まれたシェイドは、稲妻の如き速さで地面へと打ち出された。
――冬の月が輝くとき、闇は光なり、昼は夜なり。 旋風なり閃光なり、様々の名で呼ばれ得るであろう乱打の中、Rは醒めた視線を雨乃に向けていた。 「どうした‥‥お前は人なのだろう? 打たれるだけなら木偶と変わりあるまい。お前の人たる証左‥‥私に見せてみろ!」 幽かな苛立ちとともに横薙ぎの右手を振るうと、雨乃は大きく吹き飛んで崩れ落ちる。 「‥‥どうした‥‥どうした? 何故だ?」 しゅる…と軽い音がする。それにもRは応えない。 今彼女の中には落胆と、そして焦燥があった。 もしも、この世界の人間たちがこの程度の存在でしかなかったなら。もしも、自分と戦い得る存在と出会えなかったら。 その想像は、それにとって悪夢――ほんの数時間前までは現実そのものであった悪夢だった。 だから世界を灰燼と化す魔神は、ちっぽけな人間が起き上がったときに安堵にも似た感情を抱いたのである。 『…思い出せない事があって…それがなんなのか思い出せない…君にそういう事はないかい? …僕にはどうしても思い出せない事があって…それを思い出せないのはごめんだと思うんだ』 命の灯の未だ消えていないのが奇跡とも思えるレインマンの一挙手一投足に、それは魅入られていた。 ――夢が目覚め、眠れるものが記憶の彼方に消えた時、いったい何が起こるのだろう? 『でもね…僕には確信があるんだ…それは“滅び”なんだと、誰かが僕の大事なものを壊したんだと…』 これだ。 『だから…僕は世界の脅威に立ち向かう。』 これこそが人間だ。 『世界の滅びに立ち会えばいつか、僕の忘れていたものに出会えるはずなんだと…』 もう少しの感情が私にあったならば、きっと涙を流すということができただろう。あるいは、生物でいう性的衝動に似たものすら感じていたかもしれない。 『だけど本当に残念な事に… それはお前じゃない』 「まあ、それはそうだろうな。 ‥‥私がこの世界に来たのは、ここの単位にして高々数時間前に過ぎない。」 一応会話の体裁を整えながら、彼女の目は彼の持つ水球に注がれていた。 レインマンが球を自らの心臓に叩き付け、夥しい泡の発生とともに飛散した血液までが身体へと回帰していく。 それを注視するRの姿は、人間的な表情があったならば新たな玩具を眺める子供のそれと似通っていたかもしれない。 ――『ギックスは支配できる人間を求めているんじゃないわ。彼の狂気を満足させる操り人形を求めているのよ。』 ―― ファイレクシアの締め出し者ザンチャ
『これが僕の見せられるものさ…僕はいわば死ににくい雑兵なんだ。 斬られ役はお手の物、君が望むままにいくらでも…血と肉がほしいんだろ?』 「ああ、その通りだ。本格的な戦闘となれば判らないが、暫くの間衝動を消化する程度ならそれで十分――」 水の魔術に魅了され、興味を抱く自分のいる事実に歓喜していたがゆえに、その意識からはもう一つの人間のことは完全に消失していた。 『ちなみに君の戦術データはカノッサのデータベースに送信した…この“黒い傘”でね… 敵戦力を肌身で推し量る強行偵察は完了…これからは僕の番だ』 だから、力を解放したレイに気付けず、痛覚を認識したときには黒爪が頚椎を完全に切断していた。 余りにも速いその剣速故に、噴出す血液にも関わらず頭部は動いていない。人外の速度のみが可能とする光景である。 そして、壁面の華美な装束を鉄の紅で染め上げた血液が、宙を舞った。 飛び散った血が、動画の高速の巻き戻し再生のように Rの体へと戻ってゆく。 血は流れとなり、飛沫となってRの傷口へと戻ってゆく。 傷口は、瞬時にふさがる。 ――模倣は最も危険な形のお世辞だ。 「‥‥なるほど、こうか。なかなか面白いな。」 それはどう見ても、つい先ほどレインマン雨乃大地が使った呪法の完全な模倣に他ならなかった。 いや、同時に彼女自身の治癒魔術も併用して完全な回復を果たしたところなどは、オリジナルをも上回っているかもしれない。 「やはり人間は、とても面白い‥‥。私の貧弱な想像の埒外にある行動をいとも容易くやってのける。 そちらの剣を持った人間もだ。 ‥‥ふむ、先程のではまだ遅い。もう少し‥‥そうだな、三倍から四倍程度の速度にしてもらえると嬉しいかな?」 滔々と寒々しく言葉を放ち、右手を軸として回転する魔力の奔流でレインマンの蹴りを受け流す(中国拳法の内功系に近い動きだった)。 「‥‥さて、続けようか。」 右手を雨乃に、左手をレイに向け、 「稲妻のきらめき、波のひと砕き‥‥彼は生から墓所の休息へと移っていった‥‥」(ウィリアム・ノックス『死すべきもの』) 紅と白の二重螺旋を描く稲妻が、Rの両の掌から閃いた。 ――『ステキだねえ。やつらは共に戦った。そして今、共に死ぬんだ。』 ――隆盛なるエヴィンカー、クロウヴァクス
「必中の弓(フェイルノート)」 (放たれた一撃はセレネを捉え命を奪う―――はずだった) 「全く信じられない人ね。いくら神器に詳しくても、骨董品の価値もわからないなんてそれでも自分が一流だと思ってるのかしら?」 流石は魔力の塊、そう簡単に死んではくれないということか。 まあ良い。神器、命の貯蔵(ストック)、生贄、陣の準備。長期戦となっても抜かりはない。 まずはお手並み拝見と行かせてもらおうか。 「バトルフォーム!!☆」 「さて、あたしの別宅でこんなことをするくらいなんだから、あたしが誰かわかってやってるんだよね?」 「どうでしょう。ただ一つ言えるのは、私は自分の実力でなんとかなると思ってるからこそ挑んでいるっていうことです」 「行きなさい、『バグ』。」 (セレネの配置していたカードから直径3メートル程の円盤状の兵器、『バグ』が現れヴィクトリアを襲う) 「まさか、これくらいでやられちゃったりしないよね♪」 そんな直線で機械的な攻撃が当たるわけが・・・・これは!? (迫り来る五つの円盤の初撃を難なく躱したヴィクトリア。油断したところを追尾式のバグに斬られる) 所詮は一瞬で召喚できる程度の量産兵器と侮っていたがそもそもあれだけの魔力の塊、どんな魔法が来ても驚かない程度には心の準備が要りそうだ。 全く、単なる捕食対象(エサ)にこれ程苦労させられるとは面倒なことこの上ない。 (無言のままバグの動きを見極め飛来してきた中のバグAを踏み台に水平跳び、そのままバグBの円形の中心をアロンダイトで貫き破壊する) 「まずは一つ」 (『黄金の力』でドーピングされた身体能力を生かしてバグと互角に立ち回るヴィクトリア)
「まさかこんなおもちゃでやられる等とは思っていませんよね?」 (そう言いながらも後ろから迫り来るバグCを、いつの間にか取り出していたフラガラッハで貫く) (割合にして4割を破壊されたバグは一旦距離を取り、僅かに考えるような素振りを見せた後、3機連携でヴィクトリアを殺しに来る) なるほど、自律して行動パターンの判断すら出来るというわけか。 最早生き物、さしずめ魔女(セレネ)と使い魔(バグ)と言ったところだ。 (連動した動きで徐々に逃げ場を奪いつつかすめて行く3機のバグ。それを極限まで引き付ける) 「《残響死滅》(エコー・オブ・デス)」 一定の周波数を成した呪文は対象の奥深くまで侵入、反響を繰り返し内部の破壊を続ける。 更に人間に対しては死の残響による精神の汚染、精密機器に対しては特殊な信号の生成による回路エラーの発生。 この二重のメカニズムによる対象の無力化。全く、我ながら悪趣味な必殺技だな。 (ヴィクトリアの眼前ぎりぎり、背後すれすれを通り去ろうとした3つのバグは最終的にどれも見当違いの方向に飛び去り機能を停止した) 「ありがとうございます。おかげでこの中庭にも不自然がられずに私の陣を刻むことができました」 バグの攻撃を躱すために縦横に跳び回ったのが却って役に立った。後は中心点にこれを突き立てるのみ。 (手にしたアロンダイトを足元に突き刺す) (こここそがこのサンクトペテルブルクに刻んだ練成陣の中心点) 「命までは取りませんしお借りしたエネルギーはきちんとお返ししますのでご安心を」 「その時の支払いは貴方の魔力で、ですけどね」 (紅い閃光とともに都市圏一帯から大量のエネルギーを吸い上げ急激にストックと魔力を回復する)
「…なるほど、三倍から四倍か 承知だ」 レイの姿の誰かは、ひゅうんひゅうんと黒爪を振り回し非常に嬉しそうに呟く 「そういう返答を待っていたんだ。 お前は本気で楽しめそうだ、先刻のイェソドとかいうのよりも、ずっとな」 刀をぴたりと止め、つ、とその背を撫でる 「しかし身体ってのは便利だな さっきからの話を聞くとお前は身体が無かったみたいな言いぶりだが 俺も同様でね こんな狭い"刀身"にいた時よりよっぽど自由だ まあ結局は返さなきゃだがな」 "黒爪"は最後の台詞だけさも残念そうに呟く だがその言葉の中に本異は感じられない 自分の存在を、刀という存在がどういうものなのかを弁えているかのような、そんな雰囲気がいまの姿にはある 「悪いが優しくはできねえぞ 俺は戦闘しか出来ない脳足りんなんでねっ!」 そしてまた飛ぶ と同時に放たれた螺旋の稲妻を、軽く避け 「夜刀【宵闇】」 一陣の風、それは漆黒のそよ風のように流れ ッドス 紅白の稲妻がその流れに霧散する。 「夜天連刃【月流】」 立て続けに ドウ、と風が吹く 息をする暇をも与えぬ連続攻撃、数多の斬撃が寸分狂わずRを襲う 「祭ノ囃子【蛍火】≪火垂る≫」 最後に、切っ先でふわりと弧を描けば Rを囲うように小さな球体が宙を舞う 「さて、今のは大体1.5倍って所だ まだ行けるだろ?楽しませてくれよ"終末"とやら」 峰でとんとんと肩を叩きながら、黒爪はさもつまらなさそうに呟いた。
「強権執行ォォゥー―――ッ!! お前ら外へゴーアウトッ!!」 意味が分からない。 緊急に設けられた避難所に現れた金髪の婦警の第一声だった。 窓をびりびりと微振動させる程の大音声で放たれたその命令は、避難所を混乱の坩堝へと陥れた。 …あまりの迫力に、誰も声が出ない。 あの婦警は、秋葉原でも有名な暴力婦警。逆らえば蹴り一発、更に逆らえば半殺し。 その信じられないぐらいの暴力的手腕で、DQNによるヲタク狩りを一定の収束に導いた実績を持つ。 そんな怖いお方が、いきなり無茶を言い出した。 ビルの崩落、全出口の封鎖、突然の浸水に見舞われ、未だ危険な情勢の外に出ろと? ……さすがに黙っているわけにはいかないと、1人のサラリーマンがおそるおそる質問を投げかけてみても、 「…え? いや、ちょっと婦警さん……」 「シャラッ!! アタイが出ろと行ったら出るッ!! それともケツに蹴り入れられねえと聞き分け良くならねえかァ!? アァッ!?」 「ひぃいすみませんすみません今出ますすぐ出ますさあ出ますッッ!!」 はい、瞬殺。 大音声を真正面から浴びたサラリーマンは、脱兎を周回遅れで追い越す速さで雨中に飛びだしていった。 「外に出たら舎て……、警官の誘導に従って中央通りまで行くようにッ!! さっさとしねえとアタイの黄金の右足で……」 婦警がゆらりと右足を揚げる。……しなやかな足。 まことしやかに語り継がれる伝説によれば、不良時代もっぱら都会のギャルサーとの抗争で振るわれたという。 ”蒼冷めた死の馬蹄(フェイタルギャロップ)”――――そう恐れられたその右足による蹴りは、一撃で肋をへし曲げる威力がある。 そんな足なのだから、異様な威圧感が避難所を押し潰すように襲う。 …多く血を吸った刀が"妖刀"として霊気を有するようになり、忌わしき気を放つように。 「ひっ、ひいいいいい! 分かった!! 分かったから助けてくれぇぇぇええええ!」 「おっかちゃぁあぁあああんッッ!!」 「良い仕事してますぅうぅううううぅううっっ!!」 ケツマツ 「ほう……良い『凶気』だ。願わくは見届けたいものだな、あの女の辿る《運命の涯》を――――!」 ……避難所は、悲鳴の坩堝と化し。 中で意気消沈していたはずの人々には生存本能の火が灯り、次つぎに雨降る外へ飛び出していく。 アイスブルー ……中に残ったのは、薄氷色の法被を着こんだ集団。 渋い表情で床に座り込む老人と、その背後ろで困惑した表情を浮かべる老若男女だけになった。
「ワシらは行かんぞ」 婦警が何か言葉を発する前に、先手。 …すっかり老い、衰えたはずのその小柄な身体からは、……言い得ない重圧感。 それが、殺意と敵意を浴びることには慣れているはずの婦警の足と口を、……すっかりその場に、縫い止めた。 「…………弱ったね。アタイじゃ、若すぎるか」 彼女を動けなくしたものの正体は、年季の差。 老いるということは、老成するということ。 それは木々が単に樹齢を重ねた末に腐朽するのとではまるで訳が違う。 老練し、老熟し、時には老獪にもなる。…人が老いるということは、その人生に不動の意味と意義を手にすること。 …彼女は警官とはいえ、たかだか20年少しを生きた『若き』。 『若き』は『老い』に勝ることはない。何刻の世も。……その暗黙の内に理解していた摂理が、彼女を自己防衛的に動けなくした。 …ダメだ。あの爺とまともにやりあってはいけない。 婦警は、後ろの集団に標準を切り替える。与しやすい方から片付けるのは常識中の常識。 「…なぁアンタ達。納得できないだろうけど、今は黙って従ってくれねえかな。 外での安全なら、アタイの警官たちが保証する。警察の威信と誇りにかけて、アンタらを保護す」 「ならん」 ……シャットアウト。 しゃがれた声が、彼女の説得を途中で切り上げさせた。 「……参ったね。爺さん、アンタが行動の決定権を持ってんのか。 爺さんが承諾しない限り、後ろの奴らもどうすることもできねえって寸法なワケね……」 「…災害を人の身で制することは出来ん。 それは先の洪水で証されたこと。……それ明るくして尚、安全な場を捨て、外へ導くとは何事か。 ………警察ならッッ、民衆の安全を最優先に行動せんかッッ!! 治安を任された者が嘆かわしいッッ!!」 先ほどの婦警の大音声を遙かに凌ぐ怒号。 それを真っ直ぐにぶつけられ、思わず肩と拍動が跳ね上がる。 反射的に全身の力が抜け、崩れ落ちそうになるが、……元不良と警察官の意地で歯を食いしばり、何とか耐えてみせる。 「……くっ。これはもう、アタイの手には負えないよ! …ちゃぁんと説得できるんだろうね、お嬢ちゃん? アイツらを動かさないと、この街が火の海になるんじゃないのかいッ!?」 「…お任せあれ、Death」 ………その声は、婦警の背後から。 集団にどよめきが走る。…あの不動だった爺でさえ、その表情に躊躇と逡巡が僅かに色を見せた。 ……婦警の背後から現れたのは、メイド服を着た幼い体つきの少女。 …日本人離れした白皙の肌と金のツインテール、透き通る薄氷色の両瞳を瞬かせて
「……あ、アイス」 爺が、少女の名を微かに呼ぶ。 少女は、爺の孫娘だった。息子と、何処かの外国の血を引いた嫁との間に出来た一人娘。 しかし両親には早くに先立たれ、今では爺の元で共に暮らしている。妻に先立たれた爺にとっては唯一の肉親だった。 声色には、安堵が色濃く浮き出ている。…どうやら、今までずっと姿が見えず、不安で苛立っていたらしい。 対して少女は顔色一つ変えることなく、凜とした鈴やかな声で言い放った。 「……行きましょうDeath、おじいちゃん。外へと」 「…アイス? 何を言っておるのか。…外には危ないことがたくさんあるのじゃぞ? それより、お爺ちゃんと一緒にお手玉遊びをしよう。今日も持ってきているから。いつも通り2つから……」 「おじいちゃん」 …爺のあやすような優しい声を遮る、少女の声。 ……幼い齢に似合わぬ、強い声。確固たる声。そこには確かな<意志>の込められた、声。 普段と違う孫娘の様子に、ますます困惑を深める爺。…少女はそれをあえて無視して、先の言葉を続ける。 「……おじいちゃんも、きっと分かっているはずなのDeath。 …いつもと違う、街の様子に。このまま座して待っていたのでは、滅びを待つだけということに。 ……そして、知ってもいるはずなのDeath。 …セレネ近衛隊みんなの身を預かる者としての責任。…それはつまり、命を預かることだということを。 例え多数の意見(コエ)を踏みにじってでも、その者たちの確かな安全を最優先し、彼らを守らなければならない者の勤めを。」 「あ、…アイス?」 「アイス達は、それを分かっている。理解してもいる。…感謝さえしているのDeath。 おじいちゃんは最年長として、若い人たちをいつでも精力的に引っ張り、導いてくださったのDeathから。 …でもね、おじいちゃん。アイス達は、知っている。 今、アイス達が動かなければ、……この街が。…アイス達の愛したこの街が、死んでしまうことを。 『少年(カレ)』が喉を涸らしながら叫んだ、その通りの到底信じられない"事実"が。……今まさに、降り掛かろうとしていることを」 …誰も、言葉を挟もうとはしない。 いや、出来ない。最も老いて力のある爺さえも、口を噤んで少女の言葉を見守るしかない。 …そうせざるを得ないような、異様な雰囲気があった。 まるで爺たちが普段暮らしているこの『日常(セカイ)』とは違う、全く異質で、別次元の『何か』のような。 どう例えたらいいか分からない、…そんな異質さが。 「何度も生死した歴史の世界で、アイス達は蹂躙されるだけで無力だった。 ……でも。今こそ。今度こそ、立ち向かうべき時が来たのDeath。おじいちゃん。 教えてあげるのDeath。驕り高ぶった『非日常(ヤミ)』に。…アイス達の『日常(ヒカリ)』は、お前達なんかに負けはしない、ということを」
マチ 冷雨降り止まぬ聖都、秋葉原。 知られざる激戦に大半を崩落した電気店ビルの、屋上。 その更にフェンスの上にたたずみ、枢機院、【楽園教導派】上位幹部、《生命の樹》第十位、マルクトは笑みを浮かべた。 胡乱げな視線の先には、秋葉原を貫く中央通り。 …先ほどまで人影の一つすら見当たらなかったそこには、すでに集団が出来上がり始めていた。 彼らを導いているのは、群青の制服を着た警察官。 ……なるほど。どうやら少年の必死の抵抗は、民事に怠慢な警察の腰をも持ち上げたらしい。 「それで良いのです。…それで、良いのです。 これでファクターは全て出揃いました。……後は決まられた手順の通りに、駒を動かすだけ。 マスターピース マスターピース …こんな難しい駒と配置を、よく揃えてくれましたね、《世界の選択》。…やはりアナタは、我らの《最高傑作》に相応しい……!」 マルクトは、ある種の感動すら覚えていた。 【主】の言っていたことを初めて聴いた時には、敬虔な彼女もさすがに半信半疑だったのだが。 …しかし、こうして実際に目の当たりにしてしまうと、いくら疑わしくてもそれを信じるしかなくなってしまう……。 「事実、…ずっと裏側で暗躍していたカノッサを、こうして引きずり出すことが出来た。 我ら【楽園教導派】の動きをすっかり警戒し、ずっとなりを潜めていたと思われていたのに。……信じがたいことです」 では、遺跡の件のことも本当なのだろう。 …かねてより障害だった【アルカナ】の『世界』を葬り、かつ遺跡内部の貴重品には手を出させなかったことも。 ………ただの偶然だろうと、マルクトは高をくくっていたが。 「何と云う不敬。…お許しください、【主】よ。 ……遺跡内の宝物を、丸々【アルカナ】の連中に奪われてしまったのは残念ですが。 しかし、《世界の選択》の試運転としては上々すぎる成果を見せてくれたと、そういうことなのですね……!」 【主】は、世界の因果律を操作できる。そういうことになっている。 ならば、人1人の行動、意識、その行動決定に関する全てを操作することもできる。 マルクトが聴いた《世界の選択》の原理は、こういう至ってシンプルで、だからこそ信じがたいものだった。 言ってしまえば、場の情勢を【楽園教導派】にとって都合の良いものにするための手駒。 邪界では知らぬ者はいない《世界の選択》を、呪術的、そして人為的、あるいは奇跡的に再現した存在。 「人間の意識とは、深淵にして深遠。 神でさえも到底手の及ぶべきでない領域と、私は信じていましたが。 ……これはもう、認めざるを得ない。【主】は神でさえ届かぬ高みへと、達してしまった………ッ!!」 【主】は哀れな青年に、皮肉な名を授けた。 《マスターピース》。 Masterpiece Master's Piece …その意義は、《選ばれし者》。《最 高 傑 作》。……そして、《創造主の手駒》。 「もう懸念はいりません。存分に招待いたしましょう。 我ら信徒にのみ出入りを許され、今や賊に押し入られた居城へと。…アナタの力、その発揮を期待していますよ、結城陽一郎!」 陽光の未だ差さない雨空に、愚かなる哄笑が響く。 驕り高ぶった『非日常(ヤミ)』の笑い声が。 ヤミを喰らう更に深淵/深遠きヤミが在ることにも、気づかずに。
「お」 「ま」 「え」 「か」 (そこそこに社交的であった態度は一変、ステラの目は知人を見据えるものから敵を呪う怨嗟の目へと変化する) 「――おまえかァァァァァアアアァァァァアァァァァァ!!!!!!!!!!!!」 (それを憤怒と言わずして、何と言おう。) (怒髪天を衝くが如くにステラは滾る。ただ、身体を怒りに任せて) ……ッ!? (影による束縛はまるで紙きれのように、ステラの「邪気」のみに粉砕される。) (驚愕の表情を表す間もなく、次の瞬間にはその細腕がシェイドの顔を貫かん勢いで打ちこまれていた。) 「っるあああああああああああああああああッッ!!」 (拳による衝撃と、資料室の壁に体を打ちつけた衝撃が伝わったのは同時だった。) (シェイドは文字通り光速で殴り飛ばされる。それは殴られた、というよりも、まるで重力に磔にされたような感覚。) (勢いはそれだけに収まらない。元々それほど良質な素材を使ってはいなかった資料室の壁は重力に負け亀裂に負け崩壊を決する。) ………ッ!! (浮遊感覚──ここに来て研究者は、はじめて自分がステラ=トワイライトに殴られたと言う事実を認識する。) 「【ライトニングセイル】」 (ようやく痛みを認識し出した更にそのコンマ1秒後、僅かな光を残し───追い討ちをかけんと、ステラが縮地もかくやの光速で接近した。) は───! (次に放たれたのは──またもや、アス=モデに匹敵するような憎悪を封じた一発の踵落とし。) (地に対し平行な姿勢をとっていたシェイドの見事に中心を───鳩尾を捉え、鬼もかくやの力強さで振り下ろした。) ──ッ!! (研究者は為す術無く、猛烈な勢いで日の光降り注ぐ地へと叩き落される。) (土煙が立ち込める。彼を中心に形成されたクレーターの大きさは、目視で半径2メートルにもなった。) (異能者ですらも捉えられぬ超光速の反則コンボ。決まっていれば全身骨折などではない、体中の骨同士が微塵となり、後には液体しか残らなかったろう。)
(───土煙が、晴れて行く) (研究者はクレーターの中心にあり、膝を付いてうずくまっていた。) (鳩尾を中心に、白衣の白は放射線状に赤を塗られている。また口元からは涎と判別がつかぬ量の赤い液体をダラダラと流しつづける。) ………………。 (裾で口元を拭い、のそりと立ちあがる。) (黒褐色の血にまみれた顔に浮かぶその表情は───まるで能面のような無表情。) ……ふむ。実に好ましい。人間離れした脚力、腕力。それに邪気を用いて瞬間移動…か。 …面白い………興味深いな…。 (顎に手を当て、何事か思案する。) (ブツブツブツブツと病的に呟いた後、アリス=シェイドはクスリと笑った。) ……この程度か? 違うだろう、ステラ=トワイライト。“貴様の力はこんなものじゃあない”筈だ。 (ごふ、と吐血。白衣は更に鮮烈な紅に染まる。) (ダメージを受けたのかと問われれば、致死に近く受けている。だがその声はまるでそれを感じさせない、極めて淡々としたものだった。) この程度ではまだ私は死なない。さあ、続きをしよう。 こちらからの攻撃に対応しつつ、自分なりの全力を叩きつけてみたまえ。…貴様はそれが出来ぬほど、脆くは無いのだろう? (桁が違うステラ=トワイライトの不自然なまでの近接戦闘術。一度見たならば、まず近づこうとはしないだろう。) (しかし「これ」には「それ」は通らない。返り討ちに遭うのを承知でシェイドは身をかがめ、一直線にステラへ接近した。) (白衣の袂から出した生物解剖実験用鋏(二本目)。それを真一文字にかざし、ステラに突き刺そうとし───た、瞬間。) (シェイドの体が、泥のようでろりと揺らぐ。) (やがて黒い人形に戻ったその姿は水音を立てて足元の影に沈んだ。) 【影探眼:業火陽炎(イグニス・イリュージョン)】 (背後──ステラの影の上に立ち、紅く染まった唇で呟く。) (邪気眼を用いた変わり身…シェイドはステラの首筋へ狙いを定め、鋏の持ち手を叩き付けた。)
頸に僅かに突き立った魔刀。 そこに蹴りを叩き込んで、頚椎を切断する…そのつもりで放った蹴りはいとも容易く防がれた。 (…傷は即座に治癒か。しかも僕より上等な治癒術式…まいったね) レインマンは後方にトンボを切って跳躍して着地。 「‥‥さて、続けようか。」 彼女の右手がレインマンに向けられた瞬間。 赤と白の稲妻が螺旋を描きながらレインマンに襲い掛かる。 『call of water』 壁から水が湧き出したかと思うと、水は二筋の奔流となって空中を泳ぎ回る。 水の蛇の先端が二つに分かれると、稲妻を飲み込む。 稲妻はまたたくまに蛇の腹に収まり、蛇は雷光で光を発しながら中空を旋回する。 『uroboros!』 レインマンは顔の前で両の掌をパン!と打ち合わせた。 蛇は自らの尾に喰らいつこうとし、一本の輪になる。 輪はその円周を狭め、互いを喰らい尽くして消滅するかに見えた。 しかし、光ののちに雷音が轟き、稲妻は一本に収束する。 赤と白に明滅する稲妻は、圧倒的なまでの熱量でレインマンを襲う。 『雨泳眼に意識を委ね…高速ルーチン開放…』 レインマンは傘を床に突き立てる。 傘の先端はコンクリートの床を穿ち、傘は床へと固定される。 『伸びろ!“黒い傘”!』 地面に突き立てた傘は、突然伸長を開始。 傘の柄は天井にめり込んで床と天井を繋ぐ。 黒い傘は自動的に電界を発生させ、稲妻を傘本体へと誘導する。 そしてレインマンは、ひとさし指と中指を立てて、Rに向けて振りぬく。 天井のにこびり付いた血と、Rの足元に僅かに残る血溜りから、血液が一筋の赤い糸のように蠢く。 『水脈導―』 その結果―― バヂィッ! レインマンは、後方へ吹き飛ばされ壁へ激突する。 意識が、飛ぶ。 レインマン、超高圧電流を受け心停止。 だが『雨泳眼』が心臓の血流を強制操作。 脳へ血が巡り、混濁する意識の中でレインマンは再び覚醒する。 バヂバヂバヂバヂィッ! その瞬間、床と天井を繋ぐ雷撃がRを襲う。 Rの全身に赤と白の光り輝く蛇が這い回る。 レインマンは黒い傘に雷撃を誘導するのと同時に、 天井と床に残った血液を細い糸のように伸ばし、黒い傘に絡みつかせていた。 そして、黒い傘を通じて稲妻のエネルギーは導火線、いや導“雷”線を通じて 足元と天井の両方向からRを打ち据えたのだ。 「雷撃は…返したよ…(くっ…ピアノ…まだか!もう時間が…)」
―キィンッ 「誰だ?僕の領域に異能者が…」 レインマンは自ら発生させた降雨圏内、周囲半径1キロ以内をサーチ。 それはすぐに見つかった、電気店ビルの、屋上。 「誰だ?」 屋上に佇む女性は、ビルの屋上から群集を眼下に見下す。 ―――CALL! CALL! CALL! 黒い傘を通じてレインマンの意識野へ何かが割り込んでくる。 ――『そいつだ、よく見つけた“レインマン”』 体内通信、発信者は“S”。 『こちらで全てモニターしていた…よくやった…レインマン』 『ではアレが…』 『そう、今回の主犯と言ったところだな…高見の見物にお出ましといったところだろう』 『何者だ?』 『あれが“楽園教導派”我々の“敵”だ。 彼らの正体は異能者集団だ。 今まで決定的な情報がなかったがこれで確信できた。 我らは初めて、敵ををその両眼に焼き付けた…という事になるな』 『彼らはただの宗教団体じゃなかったのか? カノッサを攻撃する理由など…そもそもあの戦力はどこから沸いて出た?』 『楽園教導派は誰を信奉する集団だ?』 『“あの御方”…ッ!』 『そうだ…彼らが使う兵装、術式、それら全て一切がカノッサにはない物だ。 彼らの使うものは、現代邪気工学や旧世界技術の紛い物ではとうてい作れない… それを提供できる存在は…一人だけ…つまり…』 『“創造主”は敵だ』 『馬鹿な』 『いい加減にしろレインマン、お前は初めから“あの御方”などアテにはしていなかっただろう?』 お前はお前の求めるものの為だけに動いていたハズだ…違うか?』 『それはそうだが… “あの御方”の意図は人類を見守る事だと思っていた! それが監察部の使命だ!事実、僕はそう教育されてきた!あんたもそうじゃないのか?』 『私が知るのは事実のみだ』 『…これからどうするつもりだ』 『私はこの情報をカノッサ上層部に持ち込む。 無視される事を覚悟でだ。だがそれだけではない』 『何だと?』 『この情報を全て公開する…全てのカノッサのエージェントに向けて』 『何を考えてる?“消される”ぞ?あんただけじゃなく僕ら監察部ごとだ!』 『彼ら上層部は今まで真実から目を背け続けていただけだ。 それでは戦争には勝てない。誰かが全員を目覚めさせなければならん。 この情報で新たな時代が始まる…カノッサ機関は生まれ変わるのだ…真の力を求める集団へと』
『“真の力”だって?そんなもの…あるわけがない!』 『なぜだ?どうしてそう言える』 『“強さ”も“力”も…“正しさ”さえも…所詮は相対的なものだろう? 必ず他の誰かが、何かが現れて滅ぼされ掌を返される… カノッサはそんなものとは関わりなく“世界意思そのもの” として在り続け…世界を見守ってきた』 『その世界意思とやらは創造主の事だろう? 創造主は我々を切り捨てたのだ。ならば我々も…その相対的何とやらの争いに巻き込まれる。 …それだけの事だ』 『…その“真の力”とやらを手に入れたとして僕らは生き残れるのか?世界はどうなる?』 『誰が生き残ろうとカノッサが勝利すればよいのだ。 世界など幾らでも作り直せる… お前は知らないだけなのだ、創造主は特別な存在ではない…』 『なんだって?それはどういう…』 『時間がないのでそろそろ失礼する』 『待て!爆撃命令の解除がまだだ!』 『残念だがそれはできん、待って1時間、それが約束だ』 『これ以上の破壊は無用だ!』 『“これ以上の破壊”を防ぐために魔方陣を破壊する必要がある…ブリーフィングで説明済みだが?』 『解除するための作戦を展開中だ!』 『その作戦が成功する確率は未知数だ。不確定な数字は信用できない…』 『くっ…』 『本当に間に合うと思っているのかね?レインマン』 『“S”…これが最適の解だ…他に方法はない』 『よかろう…ならば見せてもらおう。彼女がどれほどの事ができるのか… ちなみに残り1時間もないが、どうにかするがいい』 『“S”…彼女をあまり甘く見ないほうがいい』 『笑わせるな…若造風情が女について何を知っている?まあいい。お手並み拝見と行こうか』 『どのような結果になるにせよ必ず“アルファ”へ帰還せよ…第三課は人手不足なのでね』 『了解…帰ったらあんたには色々と言いたい事があるからな…』 『覚えておこう…お前なりの選択だな…』 『ああ…僕なりの選択だ』 『『ラ・ヨダソウ・スティアーナ』』 ――over
「へえ…やるじゃない鷹一郎 出来るかどうかは不安だったけど」 ピアノは雨と風にマントを揺らしながら、足元の群衆を見る。 その中には鷹一郎はいない 先導しているのはあの時の婦警 「本当は鷹一郎がいた方がよかったんだけど… まあ計画には支障は無いわね」 ピアノは「にや、」とほくそ笑むと、指の関節をパキパキと鳴らす。 「さ…準備はいい?」 「いつでもどうぞー」 ウィスの言葉に一層笑みを大きくすると す、と両手を前に構え、そして横に大きく広げる ト ラ ン ス 「展 開 っ!」 途端、ピアノの腕から、脚から、首から 無数の機械が飛び出してきた。 ドカ ガシュン ギシャン キリキリキチ バコン カァン ドシュー バタコン ガキャン ジャコキン ドコン ドコン ドン キコン ガヒュッ シャカシャカ..カション 複雑に絡み合い、複雑に組合い、複雑に動き回る機械群は 見る見るうちにピアノを覆い隠し、ビルの屋上に奇怪な姿を構築していく そして、いびつな円錐とも円柱とも言えない姿の上部がぐるりと回り、ガコン、と固定されると。 後部ラジエーターから派手に蒸気が噴き出す。 「各要素異常なし 幻視素体密度、1.00で固定スタンバイ....完了 各デバイスドライバ動作チェック....完了 …OK、ウィス お願いね」 「あいあいさー!」 ウィスが自分の脇にある赤いボタンを景気よく押す。と ぽんぽんぽん ヒュゥゥゥゥゥゥ〜 ドン ドンドン パリパリパリ… 中央通り、そこを歩く彼らの後ろから、盛大に花火が撃ち上がる 雨の中の花火 その異様な光景に、誰もが後ろを振り向く事だろう。
「幻視質量.....展開! 素体固定フルパワー!」 誰もがそちらに目を奪われる中、元凶であるピアノはただひたすら手を動かす。 ピアノを苞する機械群は、大きく排気を噴き アームのようなものを伸ばして彼らの後ろに光を照射する 「幻視質量異常なーし 素体固定進行速度108% 完了まで 3...2...1...」 そして花火が終わり、何も知らぬ人々が後ろを振り向いた時、今度はさっきまで何も無かったはずのそこに、立派なステージが出来ている事に驚く事だろう 「ステージ構成完了…! 指向性花火、リロード、スタンバイ!」 「りょーかい!花火ステンバーイ!」 「光学迷彩オン! 遠隔ジェネレーター出力Max!」 「ホロ・ファンネル異常なーし! ジェネレーター出力100.00%!」 ピアノとウィスが交互に声を張り上げ、狭い部屋の中、最低限で最適な動きで機械群を動かしていく 「オーケィ…レッツ、パーーリィーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!1!1!!!!」 そして全てが整ったらしく、ピアノはより一層声を張り上げ、眼前のレバーを引き倒した。 バァン!バンバンバンババババババ! そして今度は眼前のステージから花火が噴き出す。 バババババ.....バァァン! そして最後に、いっそう大きな破裂音と共に 雨が、止んだ。 レインマンが能力を止めたわけではない 彼の、能力以上の力で 雨を雲ごと吹き飛ばしたのだ。 それは一瞬にして晴天に逆戻り、昼下がりの日光が秋葉原を照らす。 「指向性拡散衝撃爆弾…特定の方向に高威力の衝撃波を発生させる爆弾、か これで半径3km程度は晴れに逆戻り」 「私語は慎みなさい、ウィス これからが忙しいのよ」 「わかってるよー じゃあ、私はキャプチャーモーフに行くね」 「頼むわよー」 ウィスが後ろの小さな穴から出ていくと、ピアノはまたパキリと指を鳴らす。 「さて ホロ・ファンネル、展開! 空間座標X(22)Y(54)Z(3)に確定、プログラム連結…完了 ウィス!準備はいい!?」 『いつでもっ!』 スピーカーからウィスの声が響く、モニターには小さな真緑色の部屋で待機している姿が映っていた。 「さあ、三千院セレネ サプライズライブの始まりよ!」
メインモニターを睨み、かち、かちとスイッチを切り替えていく 外部マイクのスイッチを入れていなかったが、外ではナレーションが上手く動いているはずである。 「..5..4..3..2..1 GO…!」 脇のサブモニターをちらと見ると、ウィスがすっと動き出すのが映る メインモニターに目線を戻せば、その動きとリンクして三千院セレネがステージ上に現れた。 外部マイクのスイッチを入れると、嬌声に近い歓声が届いてくる。 「完璧ね、風力 南から3,物理演算調整異常なし 幻視質量も異常なし モーションブラー、ダイナミックイルミネーション演算、正常稼働中」 そして、歌が始まる。 "触れられる幻影"の三千院セレネが息を吸うのが分かる サブモニターのウィスも、楽しそうな笑顔を振りまきながら小さく言葉を紡ぎだす。 「さあ…届きなさい 銀河の、果てまでーーーーーーーーーーーー!」 魔法陣を、絶望を突き崩す歌声が 大きく穴のあいた空に響きわたった。
銃声が響く、返り血が飛び散る。銃声が響く、返り血が飛び散る。 『節制』は白いコートを血に塗しながら進む。 火薬で喫煙しているように、黒金の回転式拳銃は硝煙を吐き出す。確実に始末(ソウジ)しながら。 吐き気を催し、頭痛を起こし、前を前と認識できない相手の脳を、連中の地面に擦り付けている頭を。 銃声が響く、返り血が飛び散る。 少し疲れた体を壁に預け、そして弾倉を振り出す。 コートの内側から取り出した弾丸6発を装填、再び弾倉を戻した。 鉄と鉄の合わさる音を心地良さそうに聞いて、息と独り言を吐き出す。 「はぁーっ、これで何人だあ?……いや別に数えちゃいないけどさあ」 使った弾丸は18発。.357マグナムの反動は中々にきついのに、18発だ。 最初の部屋で2発、そしてここまでくるのに16発。 結構なペースで使っている。まだ弾丸はあるが、戦いが終わるまでに尽きてしまいそうだ。 もう一つの武器、そして自身の主戦力(メインウエポン)である『制縛眼』は しかし先程かけた2つの『禁止』を連続使用中。 『制限』の方は外しているとはいえ、邪気の消費もたまったものではない。 悪い内容はそれだけではない。 あの部屋からまだ2,30mというところだというのに、既に先の『禁止』が薄れているのを感じている。 半径50m、確かに構築(イメージ)したというのにだ。何故か。 その答えはSimple&Easy。邪気眼使いにとって、恐るべきは3つ。 同類である『邪気眼』。邪気眼とは似て非なる『異能』。 そして、邪気を打ち滅ぼすべく作り出された物質。 「……『聖銀』のせいかあ。邪気を用い扱い操り使うこの身にとっちゃあ、全身全霊で忌々しいねえ」 何処かに埋め込まれてでもいるのだろう。それともそこらの武器庫にでも聖銀を使ったものがあるのか。 どちらにしろこの様子では、上階まで『禁止』が及んでいないとしても不思議ではない。 (しばらく足止めにでも、なーんて思ったんだけどなあ……やっぱり現実っていうのは厳しいねえ。 だからといって二次元の世界へ羽ばたく気も起きないけどさあ。ついでに言えば『吊られた男』の趣味も論外だし) 脳髄が吹き飛んだ死体を蹴飛ばして、傍の角の向こうを見やる。 ……人影は無し。既に他のメンバーの迎撃へとでも向かったのか、まだこちらに来ている途中か。 しかし今は好都合。その分『箱舟』の詮索・散策・捜索の時間が増える。 カツカツと早足気味に通路を進み―― 「おーい、侵入者ってのは君か?あーんなバカスカ殺しちゃって、処理するこっちの身にもなってよもー」 「……はあ?」 ――唐突に声が掛けられた。 『節制』は一瞬戸惑い、一瞬驚き、一瞬呆れて一瞬で振り向く。 そこに居たのは、何処にでもいそうで何処にも居なさそうな、ありふれた中年男性。 恰幅の良い腹、もうそろそろ剃ってもいいくらいの髭。 慣れ親しんだ様子で煙草を吸っているその姿はそこらのサラリーマンでよく見かけそうなものである。 「おじさんは『シガレット』。君は――諜報部からの情報によればアルカナの『節制』君だっけ? 物理法則に新たな制限を書き加える邪気眼を使うらしいじゃない、それじゃ。そのルール、破ろうか」 その言葉で『節制』は銃の面を上げさせ――――る、前に。 それよりもずっと早く、『シガレット』が目の前に現れた。
「……ハッ!?」 「――おじさん、チョイ悪だからね」 口から手へと移っていた、火の点いた煙草が宙を貫いた。 普通ならどんなに勢いをつけて投げたとしても、煙草などというスカスカしたものが飛ぶ距離など高が知れている。 しかしこれは――弾丸。そう差し支えもなさそうなレベルで『節制』へと迫る。 常人なら避ける間も無くぶち当たっていることだろう。 だが、少しでも戦闘慣れしているのが幸いしたか。幸運は『節制』の元へと舞い降りた。 脳内で鳴動した警鐘に応じて、額を貫く一瞬――本当に一瞬だが――前に重心を背後へと傾けバックステップ。 赤々と輝く先端から紫煙の軌跡を描く弾丸が、白々しい白さを持つ山高帽に着弾した……のだが、既にそこに『節制』の頭部は存在しない。 結果、『シガレット』と『節制』間の空気と貫いた煙草は、帽子を巻き込んで後ろへとスッ飛んでいった。 その始終を見た『節制』は動揺を孕んだ思考を生み出し、同時に敵の能力の解析へと努め始める。 (なんだあッ、今のなんだあ!?煙草の動きじゃあない! 例えるなら、槍投げの『槍』!ダーツの『矢』! 普通じゃあどうやってもあんなのは無理、なら敵――『シガレット』の異能かあ!?) 煙草を見送ったまま背中で床をすべり、更に重心を後ろへ、両手を床へ全力で押し付け後転。 視界が縦に一回転。天井、逆さまになった背後、地面、再び正面へと向き直る。 (しかしそうだとして、どういう法則の元に――) 「――いいっ!?」 ――既に敵は動いていた、らしい。 見えるのは一面の煙。煙幕。真っ白ではなく、少し色の付いた白だ。 向こう側の床・壁・天井を覆い尽くし、少しずつ迫ってくる 何処からこの量の煙を持ってきたというのだろうか。 発煙手榴弾などなら出来るかもだが、そんな物の破裂音など何一つ聞いていない。 (異能で音をどうにかした?いや、今はその仕掛け(トリック)を暴く必要は無い! どうする!牽制に撃つか、とっとと『禁止』でもやってみるかねえ……?) 僅かの間の迷い。 「――迷っててもいいのかな?」 その迷いは、そのまま節制を窮地へと陥れる。 同じ色の煙を吐き出しながら、煙幕を突き破って出てくる敵。 突発の事態に『節制』は反応しきれず、伸ばされた手を払い除ける事も叶わなかった。 男にしては華奢な首を無抵抗に掴まれて、気管を絞め潰されていく。 「グえ……ッ!?」 あっと言う間もなく意識が後ろへとスッ飛んでいくような錯覚。 ヤバイ、と感じてもいつもの『禁止』に使うには少なすぎる(タリナイ)邪気。 銃を取り落としてその手を外しにかかっても、腕力の差か異能のせいかピクリとも動くことは無い。 傍から見れば、その様はまるでワニに捕らえられたサル。絶対的状況。 『節制』ができたのは、右手で『シガレット』の絞め殺そうとする手を弱弱しくはたくことだけだった……。
が。 「!」 「……カハッ!ぜぇーっ!」 突然、はたかれた『シガレット』の手が外された。否、『力が抜けたように首から自然と外れた』。 これ幸いとばかりにもう片方の手を引き剥がし、『節制』は一度大きく呼吸をする。 二度目の呼吸と同時に、床に落とした拳銃をへと手を伸ばした。 「逃さないよ」 流石に『シガレット』がそこを逃す筈もなく、しゃがむ『節制』を蹴り飛ばす。 同時に異能が発動し、直線の軌道を描いて白服の青年は壁へと叩きつけられる。 再びグえと蛙が潰れたような声を搾り出すと、受身も取れずに床へと崩れ落ちた。 打ち付けた背中と蹴られた腹部の痛みに悶えて荒い呼吸を繰り返す『節制』。 それを遠目に見つつ――『握ることの出来ない片手』を確認する『シガレット』がいた。 開けばそれに応じて指は伸びるが、ある一点から一転して握ることは不可能と化している。 「ふうん、これが『節制』君の噂の邪気眼かい。おじさんの右手にどんな制限を科したのかな?」 「ゲホ、ゲホッ!ぜぇ、はぁ、はぁ……お、教えることなんざ、ぜぇ、ないぜえ……!うう」 威勢良く歯向かって親指を下に向けているものの、ふらふらと立ち上がる姿はダメージの量を推察させる。 間一髪で拳銃は掠め取れたらしく、右手にそれを握っている。 (ちい、敵さんは触れたものに能力を発動するらしいなあ……おかげで蹴られて激痛疼痛苦痛。 骨の一本二本は折れたかも……。『拘束の禁止』が出来ただけでもラッキーかねえ) 『節制』の持つ『制縛眼』――それは、溜めた邪気を与えることによって効力が発揮される。 先の『平衡感覚の禁止』であれば、銃撃音に乗った邪気。 『呼吸の禁止』と『攻撃の制限』であれば、踵で鳴らした靴音に乗った邪気。 そして今の『拘束の禁止』であれば――自らが直に『シガレット』へと与えた邪気。 溜めた邪気が少ないが故に、『拘束の禁止』がされる範囲は自然と少ないが。 そして、同時使用出来る『禁止』の数は少なく――たったの3つまで。 「くそ、どうするかなあ」 なんとか殺されずに済んだが、『節制』は今の数秒の交戦で理解し(ワカッ)た。 『禁止』の残り一つでは彼を殺戮(ツブ)すことなど叶わないと。 ただただあしらわれる/やられる/殺されるだけだと。 それほどに―― 「強い、ねえ……!嗚呼、畜生。雑兵(ザコ)ぐらいまだ押さえつけておくつもりだったのに……! いいぜえ、楽しく愉快に心地よくその命、『禁止』してやるさあ!」 言葉と共にガスッと地面を強く蹴った。 一帯の『禁止』を解除。這い蹲っていた雑兵のめまいや何やがすぐさま取っ払われ、先程の部隊の呼吸も戻る。 『シガレット』の右手の拘束感も消え、自由が帰ってきた。 同時に『節制』の痛みでおぼつかない筈の足元が、通常のそれへとシフトする。 「『痛覚の禁止』……んでもって、今度の順番はこっちだよなあ、『シガレット』さんよお!!」 爛々と赤と青に光る目は、拳銃の照準を合わせ――ることもなく、只管に敵を睨みつけていて。 暴力的に金属質な拳銃は、精密な狙いをつけ――ることもなく、大雑把な方向へ口から弾丸を吐き出した。
『まさかこんなおもちゃでやられる等とは思っていませんよね?』 そう発した頃、すでに侵入者ヴィクトリア・ゴールドセリアはバグを2つも破壊し終えていた。 (あ……れ? もしかして時間稼ぎにもなってなかったり?) いくらセレネといえども相手の正体がわからなければ攻めようがない。 否、「押し寄せるエネルギーを吸収する」「目にした攻撃をコピーする」などといった敵を知っている、想定せざるを得ないが故にかえって初撃に手心を加えてしまったセレネは相手の力量を測りかねていた。 (もうすぐバグは全滅する。それなら今行くしかないはず!!) エターナル・ソード 「剣と化せ、我がカード!SWORD VENT 英知と追撃の宝剣!!」 鈍い藍色に光るその剣は、常人未満の体力しか持たないセレネには不釣り合いなほど大きく、その刃渡りは10メートルにも至ろうとしていた。 それが、宙に浮いているのだ。 正に天と地を裂くがごとき横薙ぎはセレネの腕力とは全くの無関係、ただその膨大なまでの魔力がその剣の試し切りの原動力であった。 しかし、事態は急展開を迎える。 『ありがとうございます。おかげでこの中庭にも不自然がられずに私の陣を刻むことができました』
(練成陣?ふーん、ここに来る前に準備はしてあったとみるのが妥当かしら?) すんでのところでセレネはエターナル・ソードの渾身の一撃をキャンセルした。 残されたのは魔力の残滓と所在無さげに宙に浮かぶ魔剣のみ。 「ただの暗殺人かと思ったけど、ずいぶん派手なことをするのね。」 都市練成陣。人口密度の激増した現代においては中世の国土練成陣に匹敵するだけの生贄を都市一つで賄うことが出来る。 この場合の利点は実際に描く練成陣が小さなものでもいいこと、逆に欠点は昼夜や突発的事故などによる人口の変化が失敗の原因たり得ることである。 その点今回はセレネの来訪に伴い多数の市民がこのサンクトペテルブルクに詰め掛けていたためむしろ好都合であった。 これを鑑みるとロシア西部の人口3000万人を取り込むことも不可能ではなく、『奇跡』カテゴリに換算して3〜4奇跡といったところであろうか、少なくとも対人術式としては最高峰のモノを行使できると考えられる。 『命までは取りませんしお借りしたエネルギーはきちんとお返ししますのでご安心を』 「意外にもヒューマニティにあふれる対応にちょっと感激かも。」 『その時の支払いは貴方の魔力で、ですけどね』 「前言撤回。人様のために死んであげるなんてぜーったいありえないから!」 問答の間にも既にヴィクトリアは陣の中心点に自らの魔剣、アロンダイトを突き立てていた。 ここで死んでやる気など無いセレネの取った行動とは
「"Buster Spear"」 『北のヴェネツィア』全土を覆う紅の光はセレネの周囲の身を器用に避けて拡がった。 「陣」という概念に属する事象を破壊する術式、バスタースピア。 同カテゴリにはバスターランス、バスタージャベリン、バスターファランクス、ヴィクトリーファイアといった様々なものが存在している。 たとえば陣全体に干渉し、場合によっては発動不能に陥らせることも可能なバスターファランクスを使えば多くの一般人への被害が防がれたであろう。 その中でセレネがあえてこれを選んだのは、ひとえにその簡潔さにある。 魔術、魔法の行使には「呪文の詠唱」、「式の構築」、「魔力の充填」といった手順が存在する。 いくら思考発動に近いセレネの魔法でもそのルーチンは単純な方が望ましい。ましてや自分の身が危険に晒されているというのであればなおさらである。 そこでセレネは「最速」かつ「最も確実に」自らの周囲の陣を破壊したのだ。 ここに彼女の一種の傲慢さが見て取れるとも言える。 彼女にとってもっとも大切なのは自身であると同時に、彼女の行動は「たとえ数千万人の命を代償にしたような敵が来ようとも自分は負けることは無い」という自信に裏付けられているのである。 「たかが数千人取り込んだくらいであたしを殺せるとでも思ってるの?」 セレネは既に次の3枚のカードを用意し終えていた。 Unlimited Atomic Fire 「"無限の核攻撃 "!!」 『核の衝撃』のカードから流れ出た魔力は即座に小さな核反応を起こし敵のもとへ迫る。 いくら自分の土地とはいえ、本来こんな市街地の中心で核を使用するなどありえない。 そこでセレネは魔力を抑えることでごく小規模、周りの住人が被曝しない程度の核爆発を起こすと同時に、 「分割」「コピー」の術式を組み合わせ、正に無数の核攻撃を放つことで本来の核の有用性のひとつ、逃げ場のないという要素を残そうと考えた。
「あ……あ……」 放心虚脱の状態へと陥った『スマイリィ』は覚束ない足取りで、『魔術師』が沈んだ奈落へ歩み寄る。 膝を突き、床に這い蹲り、悠久たる洞穴の底へと手を伸ばす。 「まじゅつし……さん……?」 返事は、当然無い。 それどころか何気なく彼を呼んだ言葉に、自分はまだ『魔術師』の名すら知らなかった事に気付く。 何処までも自分本位に彼の傍にいる事だけを、壊れかけた心を繋ぎ止める事だけを望んでいたから。 彼女は本当の意味で『魔術師』を愛してなどおらず、ただ愛してると言う行為によって自己を守っていたのだ。 後者に関しては深層心理の領域のみでしか悟れぬ事だが、それでも湧き出た悲しみは心の表に滲み、更に落涙と化ける。 「あ……う……あぁ……」 無明の穴を虚しくまさぐる『スマイリィ』の傍らで、靴底が床を踏み躙る。 『ハイライト』だ。眼光に潜む感情は想い人を亡くした事への憐憫か、今に至り尚も悲観に呑まれる事しか出来ない事への侮蔑か。 それともかつての友が自分に見向きもしない事への悲哀。 或いはそれらが混じり合って出来た彼女にすら理解出来ない負の感情かを視線に宿し、『スマイリィ』を見下ろす。 「立ちなよ、『スマイリィ』。もうイイ人さんは助からない。 だけど魂は救える。そしてその後は永劫一緒。そこが折衷案、妥協点だよ」 彼女の言葉に、『スマイリィ』は反応を示さない。 ただ意味を含有しない声を零し、深淵を覗き込むばかりだ。 「……それとも、二人して『ゲブラー』様の元に行く? 二度と会わせてもらえないのは、間違いないけどね」 戦闘の最中でさえ抑揚に富んだ底抜けに明朗な語り口をしていた『ハイライト』は、 しかし今背筋が凍り付く程に冷徹な声で『スマイリィ』に選択肢を突き付けた。 苦くも幸福な結果に収まる妥協点と最悪の結末を並べる事で、彼女の歩む道を誘導すべく。 異能の気配を漂わせた右手を揺らして、『ハイライト』は『スマイリィ』を見下す。 そしてスマイリィは――ゆっくりと立ち上がった。 『魔術師』が消えた穴を最後に一瞥して、それから光に乏しい虚ろな瞳に『ハイライト』を収める。 彼女の視線には歪な刃の如き殺意が、蟠っていた。 彼女が取った選択肢は『ハイライト』が密かに危惧した第三の選択肢。 「……そっか、それがあんたの選択か」 『復讐』だった。 既に常軌を逸した精神状態にある『スマイリィ』に、理に適った判断など望むべくもなかったのだ。 ただ感情ばかりが先走り、暴走し、彼女は敵意の炎を燃やす。
「あたしと、やる気なんだね」 深く息を吐く『ハイライト』を睨め付ける『スマイリィ』の体躯が、悍ましく変貌していった。 十指は残さず歪曲し鉤爪として転生し、四肢も同じく凶悪な造形の刃を生やす。 胴部と臓腑は肉抜きを施したように空洞が並び、代わりに彼女の周囲に殺意の紫電が、憎悪の業火が渦を巻いた。 「うん、分かってる。あんたなりの考えだよね。じゃあ始めようか――」 小さく、『ハイライト』は呟く。 別れの合言葉を。 意味など無くて、それ故に純然たる『決別』の意味合いのみを孕む、口舌の刃。 「――言わせねえよ、そんな言葉」 言葉の尾を断ち切ったのは、波紋の如く広がり彼女と『スマイリィ』の頬を撫ぜ髪を踊らせた、邪気の風だった。 波動の震源、旋風の目は、『スマイリィ』の背後。 『魔術師』を呑み込んだ奈落の底から。 あり得ないと、『ハイライト』は目を剥き息を飲み、唇を真一文字に結ぶ。 『魔術師』は彼女の異能を片鱗に触れる程度にしか、理解をしてはいなかった。 真髄に触れても防げるかは運否天賦である『越権行為』を、 只々無知の態を晒したばかりの彼が凌げるなど、徹底的なまでに道理に反しているのだから。 だが、それでも『ハイライト』の瞳には現実が映る。 そして背後を振り向く『スマイリィ』にもまた等しく、真実が与えられた。 穴から右手を突き出し、床をしかと捉え、一息に地上へと這い上がった『魔術師』の姿が。 「……あり得ない」 「いいやあり得る。あの穴に俺を落っことした時にだ、お前は一つ大事な事を忘れていた」 したり顔で歯を剥いて獰猛な笑みを見せて、『魔術師』は断言する。 「この俺が、俺様であるって事をな」 だが相対する『ハイライト』は一瞬呆然として、しかし表情は冷笑に落ち着く。 「減らず口は直らないね、イイ人さん。今の今まで私の異能すら分かってなかったくせに」 皮肉と侮蔑の音を含ませた言葉に対して、だが『魔術師』は笑ってのけた。 くつくつと喉を鳴らし、歯は見せず口角のみを吊り上げ自嘲の色を滲ませて。 「買い被りだなあ、嬢ちゃんよ。自慢じゃねえがな、俺は今でもお前さんの異能が分かんねえ」 「なっ……! って……いやいや、人が悪いなあイイ人さん。騙そうたってそうはいかないよ」 言葉とは裏腹に、自信満々に彼は断じた。 思わず『ハイライト』が双眸を見開き口を微かに開けて、驚愕の表情を浮かべる。 頓狂な声を上げて、それから辛うじて持ち直して苦笑いを模った。 けれども、『魔術師』は大仰な所作で首を横に振る。 「ところがどっこい嘘じゃねえんだな。一切合切金輪際、見当も付かねえ。 辛うじて、物の状態に干渉する程度か。分かったのは」 『魔術師』が紡ぐのは『ハイライト』が平静な状態であれば赤点だと切り捨てる事は間違いない、稚拙な解。 それでも彼は胸を張り肩を聳やかして、「だから」と言葉を繋いだ。 そして大樹の枝もかくやと、両腕を世界を抱えるかのように広げ掲げる。
――深淵へと沈んだ彼は落下の最中に考えた。 自らが拠り所とする『彼』ならば、一体どうするだろうかと。 考えて、まず初めに得られた解は『彼ならばそもそも、このような状況には陥らない』と言う絶望だった。 『魔術師』の彼が真似られているのは、所詮『彼』の上辺のみ。 乱暴で自信家で負けず嫌いであると言う、ほんの上っ面ばかりで。 その奥に潜む確固たる実力や機知は、彼には到底模倣し得ぬ物だった。 戦闘中であるからと耳を塞いできた『ハイライト』の『惨め』なる言葉は、正しく彼の晒す態を的確に表していたのだ。 だがこの結論を認めてしまっては、彼は己のアイデンティティを損ねる事となる。 故に、『魔術師』は如何にも『彼』らしいと自分に言い訳の出来る、着地点を見出した。 「ここら『一帯』、全部纏めて異能の付加されていない状態で『一律』にした」 即ち何処までも乱暴に、『彼』の上辺だけを貫いた解決策を。 一層拍車を掛ける惨めさには、決して心の視線を向ける事無く。 『ハイライト』の驚愕に見開かれた両の眼は、とうとう忌々しげに細められる。 苦渋の感情が俄かに口腔内も満たし、彼女は唇を真一文字に結び、その奥で奥歯を食い縛り苦味を噛み殺す。 「……反則だね」 そうして彼女が辛うじて吐き出した言葉は、正しく正鵠を射ていた。 例えるなら試験問題が解けないから、インクをぶち撒けて答案用紙を全部塗り潰すような。 一切の道理を無視した暴挙。 「あぁ反則だ。邪気眼なんて大体そんなモンだって、知ってんだろ?」 とは言え、彼がその反則を乗りこなせているかと言えば、そんな事はない。 後天的、それもここ数年の内に開眼したばかりの彼は度々述べているように邪気保有量が著しく乏しい。 故に大規模な発現は数える程しか出来ず、事実この少しばかり広い戦場を邪気で満たしただけで 彼の邪気残量は殆ど枯渇に近い状態を迎えていた。 「ま、言われてみればそうだね。……それに、反則の代償は随分だったみたいだし?」 そしてその事に気が付けないようでは、『銘』を賜る事など、出来はしない。 『ハイライト』は余裕の色を取り戻した笑みを『魔術師』に見せつけ、 「おう、まったくだ。……でもよお、そう言うお前さんも……口元、垂れてるぜ?」 忽ち、弩に弾かれたように彼女は右手の甲で口元を拭う。 白磁のような手が、赤黒く汚れていた。 先程執り行なった『越権行為』の代償が、早くも現れているのだ。 「あはは、参ったなあ。……ま、お喋りはこの辺にしとこっか」 「おうよ。……でもその前に、一つ聞いとく事があってな」 言葉と共に、『魔術師』は足元で自分を呆然と見上げる『スマイリィ』に視線を落とす。 「『スマイリィ』。お前、どっちに負けて欲しい?」 放たれた問いに、『スマイリィ』は彼から目を逸らした。 どちらに勝って欲しいと問われれば、彼女は迷わず魔術師を見つめ続けただろう。 だが彼が口にした敗北の背後に『死』の一文字が潜んでいる事を知る彼女は、彼の問いに答えられない。 愛によって生まれ変わる事を願いながらも、彼女の脆弱な精神は過去を捨てる事を望めなかった。
「よし……分かった」 そうは言いながらも、彼女の答えは『魔術師』の望んだ物ではなかった。 彼は願わくば、彼女が友の命を選び自らの死を望む事を、望んでいた。 それは彼本人すら自覚し得ぬ心の深層での物ではあったが。 彼は身の丈に合わない袈裟を、『彼』の上面を被る事にさえ、疲れていたのだ。 『彼』になりきる事も出来ず、かと言って『彼』に義理を立てず生きていけるだけの自信も意気もなく。 『彼』を捨て切る事さえ叶わず、そのくせ現状からの解脱を望む。 凡夫ある彼は何事をも為せず、故に彼は死と言う救済を求めた。 誰かの為に死を迎えたのならば、『彼』と自分の死に様を重ねたのなら、それで自分は許されると信じて。 「……それでいい、下手な答えを返したら、灸の一つでも据えてやるつもりだったんだがな」 しかし『スマイリィ』はどちらの敗北をも望まなかった。 ならば『魔術師』は、それを叶えるしかない。 「それでも俺様は『魔術師』だ! お望みとあらばハッピーエンドの一つや二つ、ポンと作ってやろうじゃねえの!」 例えその銘が始まりにして最上の、『彼』が何処までも好んだ数字を暗示する名だからと、下らない理由で望んだ名だが、それでも 『彼』ならばそうするだろうと言う理由に追従して、彼は身に合わぬ結末を求めねばならない。 「あっはっは! 馬鹿なタワゴトは死ななきゃ治らないみたいだねえ!? 残念だけどハッピーエンドなんて初めっからありゃしないよ! あるのはデッドでトゥルーなエンドだけさあ!」 互いの宣言と共に、両者は床を蹴る。 速いのは、『ハイライト』の方だ。 床自体は異能の干渉を受けつけないが、彼女が自分自身に高反発を付加する事は出来る。 予想を上回る速度に出遅れた『魔術師』の右拳を逸らし、懐へ深く潜り、弧を描く打撃を叩き込む。 だが『魔術師』は微かに身動ぎをするのみで、そのまま左の掌を彼女へと打ち下ろした。 辛うじて、『ハイライト』は揺れる長髪に反発力を与えて彼の手を弾く。 更に足裏にも同じく反発力を加え、瞬きの間に『魔術師』の間合いから離脱を果たした。 (耐えられた……? 違う、早くも『制限』が掛かってるんだ) 『制限』――それは『越権行為』の代償の一つ。 権限を超えた能力発現を行った後に暫く、通常の異能自体の出力が落ちる事である。 『越権行為』の代償は幾つもあるがそのどれもが丁度、身に余る権利を行使した者に科せられる罰に準えてあった。 「どうしたぁ? 暫くもしない内に、随分軽い拳になったじゃねえか」 体の前で両拳を打ち付けながら、『魔術師』は挑発の音を紡ぎ出す。 『ハイライト』は顔を顰め、しかし挑発に対する反応はそれだけに留まった。 戦闘に面した心はあくまでも冷静を保ち、『魔術師』への対処を思索する。 自身は現在、異能の『制限』により打撃力不足に陥っている。 対して『魔術師』は邪気不足の状態にあるとは言え、 貰えば致命にすらなり得る殴打を素で放てるだけの膂力が、巨岩の如き五体から有り有りと伺える程だ。 ならば自分はどうするべきか。どうすれば、『魔術師』を上回れるか。 自分が『魔術師』に対して長所とは、凌駕している点は何処なのか。 答えは、明白である。
彼女は床を蹴り、『魔術師』の視界から消失した。 しかして床を、壁を、天井を、ゴム毬の如く縦横無尽に跳ね回る。 そこから超加速を以って『魔術師』の死角、背後の上方から落下の勢いをも孕んだ踵を落とす。 勢い余り、また『越権行為』の代償によって僅かに急所から逸れた一撃は『魔術師』の左肩を捉える。 しかし尚有り余る威力で、鈍い音と共に彼に膝を突かせた。 呻き声を伴い『魔術師』は右の裏拳を放つが、拳はただ空を切る。 既に『ハイライト』は彼の射程圏内にはいなかった。 直後に再び、今度は『魔術師』の背に渾身の拳が叩き込まれる。 振り返った時には、やはり最早『ハイライト』はそこにいない。 そうしてまた死角からの一撃を減り込ませ、次の瞬間には影法師と消え失せる。 徹底的で一方的な防戦を『ハイライト』は『魔術師』に強いていた。 「ほらほらどうしたのかなぁ! 暫くしたけど相変わらずのダメダメっぷりだよぉ!?」 「……言ってくれるぜ畜生」 憎まれ口を叩き身を丸め防御の姿勢を取りながらも、『魔術師』は現状打破の術を思索する。 真っ先に浮かんだのは、打撃を受けた瞬間に『一秒』時の歯車を制止して、彼女を捕らえる策。 或いは打撃の瞬間に一度彼女と自身を『一体』として結合するのも、多少絵面は悪いが悪手ではない。 他にも『唯一眼』の性質を鑑みれば、策は数多に考えつく。 だがそのどれもが、今の彼には為し得なかった。 何よりもまず邪気の不足と言う越え難い関門が立ち塞がるが故に。 彼の現状は、頼れるのは今や己の身一つと言う状況なのだ。 「ったく……便利なんだか不便なんだか、分からねえ眼だなぁオイ……!」 『魔術師』は急所を庇い、身を縮こめる。 格好は付かないが、『ハイライト』の長所が速度ならば、 『魔術師』の現時点での長所は邪気眼に頼らずとも屈強な体躯である。 幸いにして『ハイライト』の攻め手は正確さに欠け、急所を貫く刃のような一撃は無い。 ならば『魔術師』は彼女が速さを失うまで、豪雨のような連撃を耐え続ければいい。 彼女が遥か高みを飛ぶ鳥ならば、羽休めの時を待てばいいのだ。 と言うよりも畢竟、それ以外に策が無いと言うのもまた事実なのだが。 ともあれ『魔術師』は機を待ち、更に待ち、待ち続け。 ――それでも、『ハイライト』の猛攻は緩まない。 打撃の豪雨は未だ止まず、雨垂れが石を穿つようにして、『魔術師』の消耗は地道に重ねられていく。 不動を貫いていた上体が揺らぎ、断続する鈍痛に意識が朦朧とする。 だが――不意に『魔術師』の視界に紅が映り、彼の意識を俄かに覚醒させた。 いつの間にか床に点々と刻まれていたその色の正体は、微かに漂う鉄の臭いが示している。 即ち、血。けれどもそれは、『魔術師』の物ではなかった。 床に壁に天井に、至る所に這う血痕が彼による物でないのなら、誰の物かは明白。 異能の『制限』が掛かった今の『ハイライト』では、高速機動と打撃の『反動』を殺し切れないのだ。
『魔術師』が耐え続けた甲斐は、確かにあった。 彼とて限界に近い事は間違いないが、勝機は見えた。 けれども、 「……だあああああああああ! んな事やってられっかあ! 来いやあ嬢ちゃん!」 大仰に叫び奮い立ち、『魔術師』はその勝機を放棄した。 彼が待ち望んだのは、磨耗の末に倒れ伏した彼女に敗北を突き付ける事などでは無いのだから。 (この期に及んで大見得切って、馬鹿丸出しだねイイ人さん! そんなんじゃぁ……!) けれどもやはり、それは『ハイライト』にとっては滑稽に見えた。 当の『魔術師』もまた、その事を自覚していた。 彼が『彼』を、凡人が天才を真似た所で、それが相応しく見える訳もない。 「最後の最後まで口ばっかり達者で! 魔術師よりも愚者を名乗った方が良かったんじゃない!?」 己の声さえも追い抜かんばかりの勢いで『ハイライト』は壁を蹴り、『魔術師』の頭上を超える。 遥か高みの壁に至り、十全の速度を得る為の一瞬の溜め、その間隙に彼女は彼の背後を見定めた。 狙うは首筋。両腕でしかと庇われていたその急所は今無防備にあり、神速からの足刀を放てば容易に刎ね飛ばせる。 正確性に欠ける彼女の打撃も、点ではなく線の打撃を用いれば確実となるのだ。 無論そのような事をすれば『ハイライト』への『反動』とて甚大になるが。 それは元より、自己の犠牲を厭わぬ枢機院に身を置く彼女にとっては、無視出来る物だ。 そしてその後は可能ならば『スマイリィ』をもう一度諭せばいい。 先は殺意を滲ませた彼女だが、ここで『魔術師』を仕留めたのならばその魂は傍らに留める事が出来る。 ならば説得も不可能ではない筈だ。それで全てが丸く収まる。 そう、彼女は自己の本心に欺瞞を覆い被せる。 ただ自分が『スマイリィ』を、異様なコミュニティの中で得た友を手放したくないと言う願望を。 尤もらしい理由で友情と言う名の化粧を施す。 そして撓みの一瞬を経て、『ハイライト』は壁を蹴った。 大気を強引に引き裂いて、彼女は猛然と『魔術師』へ迫る。 最後の一撃であると研ぎ澄まされた彼女の感覚は時間を置き去り、緩やかな光景を彼女に齎す。 そして緩慢な世界の中で、彼女は見た。 完全に虚を突いた筈の『魔術師』が、己の方へと振り返る様を。 だが今更止まる事など出来ず。 それ以前に緩慢たる感覚と超速の体躯は決して相容れず。 『ハイライト』の足刀は振り抜かれる。 反動の激痛と共に足から伝う堅い手応えは、それが防がれた事を示唆していた。 「はっはっは……捕まえたぜえ。嬢ちゃんよお」 蹴撃を受け止めしかと掴み、『魔術師』は自己の内に潜む小心が引き攣らせんとする表情を、獰猛な笑みで隠した。 神速の一撃を彼が察知して防御さえ成し遂げられたのには、二つ、理由があった。 まず『ハイライト』が殺し切れなかった反動によって生じた出血。 その血痕は、彼女の軌跡に追従する。 彼女が魔術師の頭上を超えた時、魔術師の視界には彼女の行先を示す一筋の紅が走ったのだ。 だがそれだけでは、『ハイライト』の軌跡は読めても動きに追随する事は叶わない。 けれども彼女が欺瞞を築きあげる為のほんの一瞬の間隙が、 確実に仕留めるべく弧を描かざるを得なかった蹴りの軌道が。 『魔術師』が振り向き防御するだけの、寸毫ばかりの時間を生んだ。
「……はは、あーあ負けちゃったかあ! まあでも、イイ人さんも中々やるみたいだし、いいかな! ちょっと情けない所もあったけど、『スマイリィ』を任せるには及第点って所だね! うん!」 最後の一撃を凌がれ、『ハイライト』には最早抗うに足りる術は無かった。 彼女は暫しの沈黙と沈んだ表情を見せて――しかし唐突に、あっけらかんとした声色でそう言った。 末期の時はせめて『スマイリィ』と言う友人を思った見てくれでいようと。 「ささ、イイ人さん。早いとこ仕留めちゃいなよ。私を倒した所で第二第三の『ハイライト』が…… ってのもあながち嘘じゃないんだけどね。ここは敵地で戦場で、私は正真正銘、敵なんだからさ」 けれども魔術師は、訝しみの表情を浮かべてみせる。 「あぁ? 何言ってんだ?」 「……うーん、こっちとしてはイイ人さんが何言ってんだって感じかなあ?」 諧謔味を僅かに孕んだ返答は聞き流して、『魔術師』は言う。 「お前は『スマイリィ』の友達だろう? 最初に自分で言ってたじゃねえか」 再び、『ハイライト』は沈黙。 そして、笑い出した。 先程のような乾いた笑いではなく、心の底から腹を抱えて。 目尻にはうっすらと涙が浮かぶ。涙に溶けた感情は単なる可笑しさだけではなく、嬉々である。 相手が誰であれ、自分が『スマイリィ』の友であると認めてもらえた事への。 けれどももう一つ、淡い悲哀もまた、その涙には潜んでいた。 「……だから殺す理由は無いって? 甘いなあイイ人さん、甘々だよ。私は『創造主』様の尊い使命を仰せ付かってきたんだよ? その任務を失敗したとあっちゃあ、そりゃあもうね。死ぬまで拷問、死んでも拷問だよ」 自嘲気味に笑う『ハイライト』の表情が、不意に悲哀に染まり『スマイリィ』を見遣る。 「そうなるくらいなら……勿論『スマイリィ』がいいって言ってくれるならだけど。 私はここで死んで、そして『スマイリィ』の傍にいさせて欲しい」 その言葉を最後に、場を静寂が包んだ。 『ハイライト』は自分が虫のいい、終始に渡り自分本位な欺瞞を貫いていると自覚しているが故に。 『スマイリィ』は『魔術師』への忠誠染みた愛情と、そのくせ過去の絆を捨て切れない葛藤に。 そして『魔術師』は、自己と『彼』の差異に。 各々が、沈黙していた。 「……俺は御免だなあ? そんな胸くそ悪い結末なんざ」 静謐の膜を破ったのは――『魔術師』だった。 だがその故は何も、彼の精神が屈強であったから、と言う訳ではない。 寧ろ、逆でさえある。
「代わりに俺が、誰もが幸せな素晴らしい結末を考えてやるよ」 「……聞かせてもらおうかなあ?」 彼は自分の心が脆弱であると知っており、しかし『彼』に対する憧憬を棄てる事も出来ない。 であるが為に、『魔術師』は僅かに残った邪気を浪費する事さえ厭わず、己の邪気眼を行使する。 記憶の中の『彼』と現在の自分を『一体』とする事で、自己を塗り潰して強固な精神を装うのだ。 「おうよ、いいか? まず俺達がこれからやってくるだろうお前んトコのお偉いさんをボコボコにする。 そんで俺達が如何に圧倒的かを奴さんに見せ付けてやんのさ。 そうすりゃお前が負けた事だって仕方ねえってなるし、罰だってお偉い奴だけ免除とは出来ねえだろ? 完璧じゃねえか」 『彼』ならば、きっとこう言うだろう。 それを彼は忠実に、盲目的になぞるのだ。 「……ホント、大言壮語が大好きだねえ。イイ人さんは」 『ハイライト』の呆れと皮肉を孕んだ音律を、『魔術師』は鼻で一笑に付す。 彼自身、本当ならば自覚がある筈の言葉さえ、邪気眼による自己洗脳は切り捨てるのだ。 代わりに『彼』らしい口振りと仕草で、しかし不完全な、 『魔術師』元来の小心ぶりの覗く――結果として『大物ぶった小心者』の態を晒す羽目になっている事に、彼は気付いてはいない。 恋は盲目の体現者として『魔術師』を慕う『スマイリィ』ならばいざ知らず。 多少なりとも人を見る目があるならば、この彼の本質を見抜く事はそう難しい事ではないだろう。 「……でもそうなりゃ万々歳だろ? だったら黙って見てりゃいいんだよ」 ともあれ彼はそう言って、 「……ところで」 ――不意に、邪気によって塗り固めた仮面を瓦解させた。 そして『ハイライト』を見据え、強張り引き攣った口から声を零す。 「さっき、死んでも拷問……と言ってましたよね。 それではもしや、『楽園教導派』には……人の魂を管理する異能者がいる、のですか?」 もしそうならば。 「……私は、許されたい」 唐突な問いかけに呆然としながらも頷く『ハイライト』を見て。 誰にも聞こえぬよう、口腔の内のみで『魔術師』は呟く。 『彼』を死なせた後ろめたさを振り切れず、だからと言って人生を『彼』に捧げる事も、 自己と『彼』の圧倒的な差を痛感する度に襲い掛かる絶望に身を浸す事にも耐えられず。 故に、『魔術師』は霊魂の管理を担う異能――その可能性に希望を見出した。 『彼』に出会い、許しを乞い、自分の人生を歩む口実が欲しいと。 そうでなくとも、或いは死を命じられてもいい。 意志薄弱である彼は、救われた自分の命の遣り場を如何すべきか。 とにかくその指針を、己の命を救った『彼』自身に示して貰わなければ、自分で転がす事すら出来ないのだ。
『デバイス』の発した救難信号のもと、楽園教導派からの出迎えがやってくる。 一番初めに目を合わせた関係者は、すごく、どこかで見たようなタイプの人だった。 (……ああ…もう…) ニコ顔で頬に一筋汗を流す──という演技をしつつ、明日香は横目でちらりと芳野を見た。 (どーして私の周りには、こういうのばっかり集まってくるのかしらね…) 噂の本人は、まるで自分を省みないヒキ顔で黒スーツの変態二号を見ていた。 「秘技☆幼女洗顔ッ!!!」 と言いながら虚空にヘッドバットをかましていた一見知的な女性は、自らを常盤と名乗った。 楽園教導派の保護観察員──という表向きの名乗りを去れたが、恐らく本質は教導派のエージェントだろう。 「表」の明日香と関わる事もあってか、大した武器の携行は見られない。 (これならいっそ、コイツを脅して内通者を増やすのも手かもしれないわね…) そんな事を考えた刹那。 狙い済ましたように、明日香は黒塗りのセダンの中から、静かなしかし確かに漏れ出る殺気を感じ取った。 「──あ、そうだデバイスちゃん。『ケテル』様もご同乗なさってるからあんまり粗相のないようにね」 (『ケテル』……楽園教導派の幹部クラスって言う、あの?) 『デバイス』へ視線を回すが、それどころでない『デバイス』のリアクションから正誤が判断できる。 明日香は念のため「平和主義のとても優しい一般人」オーラを気合入れて強めた。 (……『枢機院』の幹部が大学内に用事…かあ。なーんか引っかかるな…) 表面上は「馴れない景色に戸惑うシスター」を演じながら、明日香は彼女なりに真実を探りつつあったのだった。
「───間もなく東京支部へ到着します。」 常盤の機械的な口調に明日香は視界を現実に戻す。 やがてセダンはそこだけ切り取ったように清らかな純白の教会にたどり着いた。 両脇を大樹のようなビルに固められているにもかかわらず、そこは窮屈さどころか広大で寛大な印象さえ感じさせる。 ドアが開き、常盤、明日香、芳野とデバイス、最後に『ケテル』という順番で車を降りた。 「わあ……!」 明日香が、遊園地に連れてきてもらった子供のような無垢で無邪気な感激の声を上げる。 「ここが【楽園教会】東京支部になります。と言っても、シスターさんは既にご存知かもしれませんね」 「ええ。前から一度訪れてみたいと思っていたのですが…まさか、本当に来れるなんて…!」 「神を信ずる者には広く門を開いております。貴方のような敬虔な方なら、我々はいつでも歓迎しますよ」 うっとりと教会を見つめる明日香を見て、常盤は自分に無いものを羨むようにふ、と微笑んだ。 二人はその後、常盤の案内で一度応接室に通された。 「一度、上への報告を済ませてきます。すぐに戻りますので、ここでお待ち下さい」 そう言い残し、常盤と『ケテル』は一度部屋から退室する。 ばたんと扉が閉じたその刹那、“アスラ”は革張りのソファにどっかり腰を下ろし息を吐いた。
「…こっから『転移術式』かなんかで部屋ごと本部へ輸送、ってパターンかしらねえ。窓が無いのはそーいう訳か…。 大胆だけど面白い作戦ね。確かに私らに転移術式を語るのは面倒だからなあ……」 「………なにこのひと、多重人格?」 常盤から出された紅茶に砂糖を大さじ2杯入れると、湯気沸き立つそれを緑茶の如くずずっと飲み干す。 お、という顔で修道女は中の茶色い液体を眺めた。 「へえ…無駄にいい葉使ってるじゃない、ウチの備品とは大違いね。」 「なんだろう、さっきまでその気になれば光くらい放てそうだった聖☆お姉さんが煙草の似合う闇の住人に…」 「…あ、そーだ『デバイス』、今のうちに枢機院本部の金庫の在り処とか教えてくんない?」 「洗いたてのYシャツのように清らかだった人が年末掃除したボロ雑巾のように薄汚くなっちゃったよ! あとこれからの計画にまったく必要ないよねその情報!」 「うるさいなあ…宗教組織の活動資金なんてどーせ幹部連中の小遣いになるんだから、ちょっとくらい盗られた方が世の為になんのよ」 「どんだけ宗教に偏見持ってんのさこのシスター!ていうかもうお姉さんシスターでもなんでもないよね!」 「私は純情可憐などこにでもいる普通のシスターよ?血と硝煙の匂いを嗅ぎ取れるのは認めるけど」 「なにその運び屋みたいな特殊技能!破戒僧なんてもんじゃないよ!もうシスターの皮被った悪魔だよ!」 「『悪魔』…ねえ。ま、そんな事はどうでもいいのよ」 突っ込み疲れたデバイスを一度制し、アスラはヨシノへ向き直る。 「ねえヨシノ、私ら、これからどうなると思う?」 少し意地悪そうに問い掛けた。 「私はね、殺されると思う」 さらり、と修道女は紅茶のお替わりでも尋ねるように述べた。 「……え?」 「考えてみなさいよ、そもそも奴らのやり口、妙に隙だらけだと思わない?」 ヨシノの分の紅茶を啜り、アスラは移動中に組み立てた仮説を語った。 「そもそも「異能力者扶助組織」なんて名乗ってたけど、ありゃどう考えたってその場凌ぎ。深く考えると色々ボロが出るわけよ。 最初からそんな誤魔化しを騙ると言う事は、つまり私らの口を永久に封じるつもりでいるって事。 方法は記憶の削除か抹殺でしょうね。恐らく連中は後者を選ぶわ。記憶抹消は手間も掛かるし、思い出す危険性も在る。 さらに都合のいい事に、私らの所属は「世界基督教大学」でしょ?大学ぐるみで隠蔽しちゃえば後始末もらくらくって訳よ。 私の予想はこう。まずどっかで企業秘密云々の話になって、『デバイス』の分離まで私は別室で待たされる事になる。そして私kill。 アンタは能力者のところへ連れて行かれて、『デバイス』を分離させた後にkill。 …どちらにしろ、枢機院が私らを大人しく帰すはずは無い。それはアンタにだって分かるでしょう?」 自分の想像をひときしり話すと、アスラは手鏡を取り出しさっと前髪を整えた。 「どちらにしろ、いつ襲われても対応できるようにはしておいたほうがいいわ。……そろそろ、かしらね」 そう呟くと、ドアが開き常盤が顔を覗かせる。アスラは再び明日香に戻っていた。
「お待たせしました。では、ご案内致します」 どこかしたり顔で常盤は告げる。 明日香は芳野とともに立ち上がり、廊下へ向かった。 芳野が廊下へ出て、後に明日香が続く。 しかし明日香の靴が扉を踏み越えんとしたその前で、常盤は右手をさして明日香の行く手を阻んだ。 「え…?」 「…すみませんが、司祭様には一部の人間しかお会いできない事になっております。付き添いの方はこちらでお待ち頂けますか?」 あら…と明日香は少し残念そうな顔をつくる。 しかしすぐに理解し、さっと身を引いた。 「…ええ。分かりましたわ。この部屋でお待ちしています」 「ご理解頂き、ありがとうございます」 常盤は安心したように顔を綻ばせる。 明日香は向こうの芳野と目を合わせ、常盤に気づかれぬよう小さくウインクした。 「『後でまた会いましょうね、芳野君』♪」 多くの意味を含む言葉を残し、明日香は去り行く二人+1を見送る。 誰もいない応接室、明日香はトランクに手をかけて、清楚な物腰でソファに腰掛けた。
――風に雷鳴 だが、雨はなく 平穏は悼む。自身の最期を。 『――悪いが優しくはできねえぞ 俺は戦闘しか出来ない脳足りんなんでねっ! ―― 「夜刀【宵闇】」』 『――call of water...「uroboros!」』 稲妻の螺旋をレイとレインマンが各人のやり方で防御するのを、Rはただ見ていた。 昔もこの瞬間が楽しかったな、と思い出す。 攻撃とは問いかけであり、対処とは返答である。 そして、それは同時に自らへの問いにもなりうるのだ。そう――例えば、今のレイが行っているように、レインマンが行っているように。 ――全力で来るがいい。お前の血をこの剣に塗りこめてやる。 ――薄暮の騎士 ――『夜天連刃【月流】』 先程自分がしていたような高速連撃に晒されながら、Rは感嘆の念を抱いていた。同時に――僅かな嫉妬も。 あの発言からして、この人間‥‥の精神を占有しているものも身体を持たぬ存在らしいが、自分とは違って自己の存在意義を持っている。 じっくりと味わうための回避行動を続けながらも、徐々に不定の怒りが頭を擡げてくるのが幻視を伴って理解できる。 それは吹き上がる紅炎(プロミネンス)であり、凝集する暗黒(ダークマター)であり、理知を飲み込む黒洞(ブラックホール)であった。 しばしそれを抑えようとしつつも、結局のところ感情の開放などというものは今まで数える程しかしたことが無く(開放するほどの感情がなかった)、 自分にとっての新たな概念と体験であるからひとまずそれを行ってみようという結論に至ったところで、もうひとつの攻撃が来た。 ――『水脈導―』 レインマンに導かれた稲妻が、逆に本来の使用者であるRを打ち抜いた。 ――お前の作戦は素晴らしい。ちょっとだけ修正させてもらったよ。 ――砦の見張り 人体という本体絶縁体である物体を経由したことで威力は下がっているが、それでも一般的な能力者を絶命せしめるには十分な電流と電圧である。 ――『雷撃は…返したよ…』 「ああ、確かに受け取った。見事だ‥‥と言っておこう。」 だが、それでも彼女は生きている。非常に希薄ではあるが、防御術を使わせる自己防衛の本能は――不幸にも――彼女にもあるのだ。 ――『「祭ノ囃子【蛍火】≪火垂る≫」――さて、今のは大体1.5倍って所だ まだ行けるだろ? 楽しませてくれよ"終末"とやら』 「無論だとも。 ‥‥あまり焦らさないでくれたほうが有難いのだがね‥‥」 対話のうちに雲散霧消してしまった憤怒の残滓を救い上げ、忌まわしい力へと変換する。 「なにしろ、そろそろ飢えが満たされてきているんだ。」 刹那、大量の芽吹きが『あそび』を覆い尽くした。 季節も生息地もばらばらな草木が、子供の見る夢のように我が物顔で繁茂する。 そして気孔から、花から、胞子嚢から、猛毒の水蒸気が、花粉が、胞子が吐き出された。 ――疫病にまみれた世界へ送られたものは、必ず感染して戻ってくるに決まっているんだ。 「やれやれ‥‥このような土地なら大分汚染されているだろうとは思っていたが、これは予想以上だな‥‥。」 確かに土中空気中の毒素を取り込んで放出するように創りはしたが、と魔神は言う。その声には何らの感情も読み取ることはできない。 同時に、街にエンチャントされていた魔法が解けていくのもRは感じていた。 そうなればこの二人が彼女と戦う理由は消えてしまう。どのような形になるにせよ、次が最後の交錯となるだろう。 ――傍らにかがむ神秘の影よ 汝は何者? いずこよりここへ? ――スティーヴン・クレイン「傍らにかがむ神秘の影よ」
(紅い閃光とともに都市圏全体からエネルギーを吸い上げようとするヴィクトリアしかしそれをみすみす許すセレネではなかった) 「"Buster Spear"」 陣が欠けてしまったか。これだけ大きな術式になればヒト一人分の範囲など誤差程度に過ぎず全体の構成に問題は無い。 あわよくばこの女からも魔力を奪おうと思ったが無理なら無理で構わない。 既にこの肉体には優に数百万人分のエネルギーを取り込んで――― ―――復活できたか。 「なンとか回復できたッてとこでねェ」 (戦闘用人格、『死』が表に出てくる) 「さァて、その澄ました顔から這い蹲ッて許しを請うようにしてやるには何分かかるでしょうかァ?」 「たかが数千人取り込んだくらいであたしを殺せるとでも思ってるの?」 たかが、とはよく言う。これだけの人間をその一言で済ます以上相手はその数倍の力を持っているのだろう。 Unlimited Atomic Fire 「"無限の核攻撃 "!!」 (無数の核攻撃が『死』を襲う) 「こンな温い攻撃してるヤツがよく言うねェ」 確かに核攻撃は強い。しかしそれ故細かい微調整が効き難い。アロンダイトの空間切断とポーターの転送能力を駆使すればこの程度の攻撃を乗り切るのはそれほど難しいことではない――――――はずだった。 気づいたのは核攻撃が始まって数十秒後、既に手遅れとなった後であった。 セレネの攻撃は苛烈を極め、着弾の間の時間差はほとんどなくなっていた。おそらく最初の温い攻撃はフェイク、空間切断やポーターといった手段を引き出させるためのもの。 そしてその使用にある程度のモーションを要することを確認したうえで改めて隙の無い攻撃を放ってきたのだろう。 (直撃を躱し続けてもダメージのある核攻撃。取り込んだエネルギーは肉体の再生に用いられる消耗戦。ポーターも度重なる衝撃で壊れかけていた) 「こンな程度で死ねるかよォッ!!」
(そのとき、ついに彼女は―――眼覚めた) (あらゆる物・現象の死の点を見切る魔眼、『直死眼』) (それこそが『死』という人間の本質を如実に表す彼女だけの力) これなら・・・勝てる。 「『直死眼』、最高の気分だぜェ!」 (眼覚めによって効率が一気に変化する。最早どれだけ巨大な対象でもただ一点、死の点をつくだけで「殺」すことができる) (飛来する核もその余波も放射能も全て「殺」して進む『死』) 「あン?オマエだけ『死』が見えねェなァ」 (セレネの死の点こそ見えないものの、既に大魔剣の方は見切った『死』) 「まァいい。倒す、そして今度こそアイツの―――」 (アロンダイトを持って全力で切りかかる)
――空気が重く感じられた。 ここはどこだ?自分は今、何をしている――? 目の前を、光が舞っていた。 煌びやかな光、それはまるで蛍の群れだった。 こんな光景をどこかで見たことがある。 町の空一面を覆う蛍のような光。 たくさんの人が夜に行きかい、走っている。 何をしているのだろう? たくさんの人が空を見上げている。 あるものは笑顔を浮かべ、あるものは手を振り、あるものは――叫んでいた みんな誰かを呼んでいた、――顔を恐怖と憎悪に歪ませて。 気がつけば自分も叫んでいた。 のどが嗄れるまで、喉が裂けて血が出るまで。 目から涙が溢れていた、どうしてかはわかるんだ、ぼくの居た場所は全部、全部もう―― ――そろそろ飢えが満たされてきているんだ。 声が聞こえた。 ぼやけた視界が、徐々に光を取り戻していく。 見れば、レイとRがいた。 Rの周りには蛍のような光が舞っている。 どうやら少しの間気を失っていたようだ。 レインマンは「あそび」の床にがっくりとひざをついていた。 コスプレ専門店「あそび」の店内は、3人の闘争の結果破壊され、おまけにレインマンの血で汚されていた。 「それにしても…この店の修繕費用は誰が払うんだろうね?」 なんとなしに呟く言葉は、既に力を失いつつある。 Rの斬撃を受け大量の血液を失い、さらに雷撃を受けた。 カノッサの雑兵であるレインマンでは、ここで生きていること自体が奇跡的だ。 だが何かがおかしい。 体中から力という力が抜けていく… 呼吸が、重い。 僅かに吸い込んだ息が苦味を帯び…その苦味は痺れへと変わる。 いや、甘みも感じた。 ケミカルな眠りを誘う、アーモンドの甘い香り。 まるで、空気そのものが毒になったような―― ――毒? 刹那、大量の芽吹きが『あそび』を覆い尽くした。 季節も生息地もばらばらな草木が、子供の見る夢のように我が物顔で繁茂する。 そして気孔から、花から、胞子嚢から、猛毒の水蒸気が、花粉が、胞子が吐き出されていた。
「―ッ!」 立ち上がろうとするが、立てない。 毒の胞子は体内に浸透していたようだ。 口と鼻に感じる違和感。 「ガッ!ゲェッ!…」 慌てて吐き出すと、それは血の塊だった。 喉の奥が締め付けられるように痛む。 血や痰が喉の奥から、次々にこみ上げてくる。 それを何度も何度も吐き出す。 体を動かしてどうにかしようとするのだが、体がそれを許さない。 体に入り込んだ異物、毒を排除するために起こる生理反応が嘔吐であり咳だからだ。 その動作を繰り返すたび、視界は暗くなり、音は遠ざかっていく。 聞こえるのは自らが発する咳音。 ときおり口の奥から血が流れ出る音。 それ以外の音が聞こえない。 眼にするのは白い床と、それを染める赤い液体。 それ以外の色が見えない。 ――やれやれ‥‥このような土地なら大分汚染されているだろうとは思っていたが、これは予想以上だな‥‥。 何を言っているのかもう聞こえない。 意識は暗転し黒一色に染まる。 今日見る二度目のブラックアウト。 にどと光はともらないし、そろそろ客電が入って客は帰り始める頃なのかもしれない。 僕は役者を躍らせた、そして僕も踊った、最後には舞台の上で死ぬ―――ならいいじゃないか? そろそろエンドロールが見えるかもしれない。 スタッフの名前にはだれが出るのか? おそらく、ほとんど 空白同然のエンドロールだろう。 僕には記憶がないのだから、昔のことなど全部覚えていない。 12歳以前の記憶、父、母、兄弟、友人、嫌っていたもの、好きな女の子、好きな音楽、それから― 駄目だ、ぜんぜん思い出せない。 カノッサのエージェント達。 同僚はほぼ全員死んだ、その記憶は記憶消去術で即削除される。 覚えていたくても許されなかった。 ああ、そういえばよく口喧嘩する奴が居た。 思い出すのもなんだか嫌だが、僕の知己といったらあいつくらいだ。 あいつは上手くやっただろうか? だがもうそれも関係なさそうだ――もう消える―――――
―― やれやれ…… “次”はもう少しうまくやらないとね しかしなんて予想以下…こんなに早く壊れるなんて――― 涼やかな声が聞こえる ―ダレダ イマ そのコトバヲハツオンシタノハ ダレ ダ ―― この世界のみなさんにお伝えします この世界はもう廃棄することにしたわ 逃げ惑う人たち 既に失われたすべて ――マテ! ナットクナドスルモノカ! 叫ぶ だが涼やかな声は突然硬質な自動音声に切り替わる ―――誠に残念ですが この世界はあと2分で ――――――フザケルナ…フザケ 「さあ…届きなさい 銀河の、果てまでーーーーーーーーーーーー!」 突然響いたピアノの声に、レインマンは眼を覚ます。 半径1キロ以内を覆う雨雲が、突然はじけ飛んだのだ。 そして「あそび」の店内に突然光が差し込む。 「ピア・・・ノ・・・間に合った…間に合ったのか!?」 レインマンがピアノに託した楽譜。 それが三千院セレネの声で鳴り響き始めた。 戦略は、成功し始めている。 だがまだ足りない、この“脅威”を全力を持って粉砕しなければ終わりなどない。 それに…あの声には聞き覚えがある。忘れていた事が思い出せそうな声。 三千院セレネ。 『雨泳眼 次元隔離結界上部開放』 「あそび」のビルを囲む水の壁の上部が、突然崩壊して雨粒となって飛び散る。 レインマンは手のひらを天井へと向ける。 『Return To Sky ....Flay away!』 雨粒は空へと昇っていく、ビルのコンクリート壁を削り、瓦礫の粉に変え、ビルの上階は一瞬で吹き飛んだ。
レインマンは上を見上げると、そこには眼に痛いほどの青空と太陽が見えた。 閉鎖された空間に新鮮な空気が流れ込み、レインマンは力いっぱい呼吸する。 しかし、太陽を受けた有害な植物たちも瞬時に成長しはじめる。 これらの胞子が街を覆い始めるのにはさほど時間はかからないだろう。 『体内浄化開始…ぐ…があっ!がはっ!』 レインマンは血を床に吐き出す、コップ2杯程度の量。 造血作用を限界ぎりぎりまで作動させ、不純物を強制的に排出。 「さて…この“お話”もそろそろお仕舞いだ… カンザスへ帰りなよ、ドロシー…」 レインマンは跪いた姿勢のまま、左手を胸に右手をRに向ける。 「Somewhere… over the rainbow, way up high…」 レインマンのくちずさむ掠れ声の歌に、ピアノの歌う別の歌が被さる。 「There's a land that I heard of once in a lullaby…」 ビルを覆っている水の壁はすべて雨粒に変わり、全てが空へ昇っていく。 空への上った水の粒は、薄い膜へと変わる。 そこへ巻き上げたられたビルの残骸、ガラス片、金属片がレンズを縁取る。 それは、宙に浮かんだ巨大なレンズだった。 レンズは太陽の光を収束し、ビルへ 光を注ぎ始める。 さらに、レイの放つ蛍火に光は吸収され、蛍日から熱線が放射される。 植物は煙を発して燃え、胞子は光の中で燃え尽きていく。 だが炎のなかから、植物は強情にも次から次へと再生しては胞子を放とうとする。 黒い煙を上げ始めたビルの中で、レインマンは黒い傘を掴む。 『縮め、黒い傘』 レインマンの手の中に傘の柄が戻る。 そのままレインマンは最後の力を振り絞り、レイの前まで走る。 傘を開いてレイの前に立つ。 傘を盾にしながらレイに、いや…黒爪へ言葉を伝える。 『黒爪、よく聞け…僕は最後の技を放つ、僕が倒れたらその後は頼んだ』 レンズは角度を変え、太陽とRをその中心に捕らえた。 虹の燐光が空に放たれ、空に円形の虹を描く。 『Rainbow』 天からRをめがけて純白の光が降り注いだ。 世界は白一色に染め上げられ、その後に超高熱が襲いかかる。 レンズは砕け散り、水と瓦礫の瀑布となるが、そのほとんどは熱で蒸発。 溶けてガラス状になった破片は、日の光を浴びて輝きながら三人の頭上に降り注いだ。 レインマンは黒い傘でレイを熱線から庇いつつ、立ったまま意識を失った
キィン、キィン と音が響く 黒爪の漆黒の鞘と漆黒の刀身がぶつかり合う澄んだ音色だ。 目を細めてしまうほどの日照の中、刀身を少し出しては、鞘にしまう 古来日本では"謹聴"と呼ばれるものだが、そんな事はどうでもいい 毒? 彼女にそんなものは通用しない、この鴉を殺したければ、未知の毒が必要になるだろう。 異能なる芽から噴き出す水蒸気は、所詮大地から生み出された自然の毒だ。 世界最強のボツリヌス毒でもこの鴉は殺しきれない この薬理眼という存在は間接的暗殺を無効化してくれる。 だが、これもどうでもいい 今は、眼前の事に焦点を合わせる事にする。 傘、があった。 黒い傘だ、照りつける日を防ぐにはいささか不自然すぎる傘。 邪魔だな、と黒爪は思う だが傘を退かそうとはしない 雨乃がいるからではない、瀕死の一人の人間など斬るにたやすい事この上ない それは、そう、本能。 異能力的な意味なのか、単なる動物的な反応なのかは定かではない本能。 戦闘狂の本能が、傘を壊すのを踏みとどまっている。 と、次の瞬間 辺りが白熱に包まれた。 なるほど、と黒爪は感じる レイの感覚は生物的なそれを超越しているのは、既知の通り。 黒爪は身を持ってそれを知った。 燃え盛る世界の中、雨乃が後は頼むと言ってくる 勝手な奴め、頼まれ事は嫌いだ。 焼け石のようなガラス片が降ってくる。 払う気も起きない 身をかがめ、足を張り、両の手を闇より深い柄と鞘に当てているせいもあるが、それでも眼前から目を反らす事に比べれば甘いものだ。 薄れる白光、ゆらりと傾ぐ黒傘 雨乃は立ったままだが、周囲の環境に反応を見せない 「邪魔だな…」 今度は口に出して言う やはり動かない、ならやる事は単純だ。 熱線による局地的な高温で、轟と風が吹く 黒い傘は風に煽られて飛び、地面を覆う硝子灰も渦を巻きながら空へ舞い上がる 黒爪は、ふ と息を吐く その腕から、漆黒の翼が小さく生える 「鴉雲、だったか… いい技だな、単純だが」 そして、煌く砂嵐の向こうを眺める 人のような影が、ひとつ 緩やかに動く世界の中 黒爪は、その手に力を込める 「鴉雲【手八丁】、鬼哭斬波【真打】」 ドッ
もしレインマンが意識を保っていたら、その感触に背筋を凍らしただろう もしピアノがそれを見ていたら、息をのんで見守るしかできなかっただろう もし鷹一郎がセレネライブのステージにいたら、何かが通り過ぎた事を何となく感じただろう 一閃の斬撃が、秋葉原を突き抜けたのだから それは放射状に広がり、あらゆるものを貫通し、薙ぎ払われた。 だが、それを知覚出来たのは何人いるだろう 斬撃を刀身から受けたレインマンと、コンピューターの力を借りたピアノ位かもしれない そして、そのほとんどは何事も無く終わった。 圧倒的な速さの斬撃は、多くの存在を斬られたと思わせなかった。 ただ一人、終末の少女のみを除いて
雨中の中央通り。 セレネ近衛隊の面々は、そこにいた。 避難所でのアイスによる大立ち回り後、渋みながらも応じた爺が隊員達に外へ出ることを許可したのだ。 「…これが、秋葉原なのかよ」 爺のすぐ傍らに控えた黒学ランを羽織るガタイの良い青年が、ポツリとそう呟く。 路脇に整然と並んでいた街路樹のいくつかは無残な姿でへし折れ、トラックほどもある宣伝カーは歩道を巻き込んで車体を横倒し。 街灯はくの字に折れ曲がり、アスファルトには蜘蛛の巣のような鋭いヒビ。 白昼堂々と街を彩っていた美少女ゲームの看板は、泥と傷とで何が描かれていたのかも分からなくなっていた。 誰が信じるのか。 たった数十分前までこの荒廃した街は、いつも通りの賑わいを見せていたということを。 中央通りには、結構な人がすでに集められていた。 それは、国家権力の威厳がなせる業。…つまり、彼らの意志決定によるものではないということ。 交わす口数も少なく、生気の失せた顔で、雨に打たれながら誘導に従っているだけ。 疲弊しているのだ。 次々と理解の範疇を超えた災難を浴びせ続けられて、思考すらままならなくなっているのだ。 やがて街が死に、人が死に、その後に訪れるものは分かりきっている。 誰の目で見ても明らかだ。 秋葉原は今にも、死のうとしている。 「…これが現実Death。どう評そうと、どう論おうと、今この目に映る光景こそが現実なのDeath。 わたしたちは、受け止めなければならないのDeath。そして、立ち向かわなければ。…それがいかに、無慈悲で残酷でも」 爺は、背後の孫娘であるはずの少女の言葉に息を呑む。 …アイスの言葉には、その齢に似つかぬ『重み』があった。 爺の記憶では、アイスの年齢はおよそ小学生の中学年ほど。…まだまだ世間の悪意も何も知らず、無邪気な年頃。 そんな幼い少女が、大戦を生き抜いた爺でさえ身を強ばらせる『重み』など出せるものか。 不可解なことだらけだ。頭が追いつかない。 …だが爺は自身に鞭打つように、老い朽ちてなお鋭いその目でしっかりと目の前の光景を見据えた。 「いつまでも腑抜けているでないわ。気を引き締めい。 いくら警察が張っておるとはいえ、それも絶対の安全と云うには程遠いんじゃからの。 …そんな危険な状況の中へ連れ出したからには、当然それだけの『何か』があるということじゃろうな?」 「重要なことDeath。…とても、重要なことなのDeath。アイス達の街を、アイス達の日常を守るために」 「…そうか。なら、もうワシから言うことは何もない」 爺が屈する訳にはいかない。 隊を預かる爺が屈すれば、その影響は隊全体に及んでしまうのだから。 軒昂であれ。爺は自らに言い聞かせる。
曇天の空。 夏空が広がっているはずのそこには、鈍色の厚い雲が果てまで覆い隠している。 雨模様になったのはたった数時間前のことなのに、もう長らく太陽の陽差しを浴びていない気がする。 さっきから身を打つのは、冷たい雨と、耳障りな雨音(ノイズ)ばかり。 …これ以上雨の中にいると、気が狂ってしまいそうになる。V;;;;;;;;;|, l;;;;;;| /゙Y'";;;;;; \;;;;;;;;;;;;;;;\ `゛ i--.... ..、 ゙l、;;;;;;;;;;; ! l;;;;;.! ./ ;;;;;;;;;;;;;;;;: : 早く家に帰りたい。何も知らないフリで、布団の中に潜りたい。 でも帰る手段がない。タクシーは通らない。駅は封鎖されて運行していない。秋葉原から、出られない。 t 、\;;;;;;;;リi,;;; ! .ト、 _..-''゙ ゙゙̄'''-、L;;;;;;;;;;`''-..、 `''、;;;;;;ヽ, l;;;;;;;.l/;;;;;;;;;;;;;;;;;;; 雨音を劈くように、子供の泣き声がする。 今はそれでさえ、ありがたかった。 甲高いそのわめき声が、雨音を少しでもかき消してくれるから。;;;;ヽ, . l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;n. .ヽ;;゙'' l'、;;;;;;;;.l /;;;.! ./;;;;;;; / ,..-‐''ッ ,,、`'./ ;;;;;;;;;;ヽ, ゙'.l' li.;;;;;;;\,, .ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;.l, !、…限界だ。;,iジ;;;;│ ,!;;;;;;/_, .! ー゛ .lヽ l;;;;;;;;;;;;;;;;.! l;;";;;;;;;;;;;;;\ ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;" ;;.l.もう、限界だ。;;;;;;l. !;;;;;;;;;;/, ┐ 、 .i、.iii ゙' ! |;;;;;;;;;;;;;;; l .!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\、 ヽ,;;;;;;;;;;;;;;;;;: ;;;;.これ以上、普通の一般人には耐えられない。 .|;;;;;;;;;;;;;;;;│ .!;;;;;__;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`'-、,,`''-_;;;;;;; ;;;;; ! .l;;;;;;;;;'~゙゙゙>⊥;.! .し;;;;;;;;;./ ,i";;;;;;;;;;` ! l;;;;;;;;;;;;;;;;;;} !;;;; ! .!;;;;__,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;゙ゝ、,゙''-. ;;;;;; ! .!;;;;;,./ '´ `''i;;;} .!;;;;;;;;.! /;ヾヘ;i、;;; l ./ ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;! !;;;; l !;;;;`'''√''''ー、、;;;;;;;;;;;;;~″ ;;;;;;; ! .,!;/゛ ,、 i、.!;;l゙ _,,!;;;;;;;;;;;| .l゙;;;;;;;;;;;;;;;.│ ,!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;│ !;;;;/.,/;;;;;;;;;;;;\_ `''-、;;;;;;;; ;;;;;;;;;! .!;;;|、 〃 |}.!;;゙''i .!;;;;;;;;;;;;;;;;凵;;;;;;;;;;;;;;;;;; | |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ /;;;/ノ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ̄ヽ ゙'、;;;: ;;;;;これまでよく頑張った。 !;;;;;;;;;;;;;;;;!.!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;.! _.!、;;;;;;;;;;;;;;;;./ /;;;.ゞ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ `‐ ;;;;;よく発狂することなく正気を保てていた。;;;;;;;;;;;;;;;;;;;.l, リ、'│;;;;;; / ./丶;;;;;;;;;;;;;;;;;_,,.........、;;;;;;;;;;;;;;`'、 ;;;;;;;l゙ l゙;;;;;;.! |";' l !;;;;;;;!、ヽ,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;xv、 _;ヽ.l}、ヽ;;./ ,,/;;;;;;;;;;;;;;,,./ ゛ ,/゙;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ ;;;;;/ .!;;;;;;;;;ヽ,|、;;;;| l゙;;;;;;_,,..ゞ''i;;;;;;;;;;;;;;;;;;_;_.;;;;;;;;`'' |>,゙l|/;; `゛ ./゙;;;;;;;;;;; / ┴¬'ー-、;;;;;;;;;;o ィ″ ;;;/もういい。もういいんだ。もう、頑張らなくていいんだ。さあ、ゆっくりオ休ミ――――。 ".,./ ;;;;;;;;;;;!゙;;;;;;;;,,./ ´ ,i'、 .,,、 `'''、.;;;;;;;;;;;;;;;゙'、 .l;;; l / ;;;;;;.l ,/゙;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ヾ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,r" ./゙ン′ ヽヽ `ぃ;;;゙ミi.;;;; l .!;;;.! l;;;;;;;;;;;.! ./;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,,..-''''゙゙゙ ̄ ゙゙̄''- ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,i"_, !ヾ _.`マ ヽ; l. };;;/│;;;,! .l;;;;;;;;ノ / ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ iー ,,. ;;;;;;;,iリ;;;;;;;;,l/゙;i|八=@ .,..,ii''7ニ'>i、 _,r、/;;;l/ / . !;./ l;;;;;/ ./;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;./ ., ┐ `'、;;゙'、 '.!;/./;;;;;;;;;";;;;;;;;;;;;l .,i'゙‐';~丶;`;;;/ /丶;;;;;;;;;;;lr‐'ジ .l; ! .!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;./ ./;;;/ .ヽ;/ . ゙",!;;;;;;;;;/'l,;;;;;;;;;;,! /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ !;;;;;;;;;;;;;;;;;,/ .‘゛ !;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ '、_./ .. .!;;;;;;;;;;;! . l;;;;;;;;;l ,!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/ ./ ;;;;;;;;;. / l;;;;;;;;;;;;;;;;;;;!'゙! ,゙ 、,, r‐''''〜
突然、雨空を照らす光。 ハナ サカ 破裂音、いや小気味良い爆発音が灰色の空に打ち上がり、眩ゆい火花を鮮やかに散華せる。 中央通りに集められた人々は、この場に似つかわしくないそれを目の当たりにする。 …どこから上がっているのかは、分からない。 ヒカリ しかしそれは、紛うことなく花火だった。赤、青、黄金の閃光が、薄暗い空に一瞬の残像を刻みつけては消えていく。 それは、オープニングセレモニー。 夏祭りのそれとはまた意趣を異にした、『開幕』を告げる華やかな号令。 「な、なんじゃ……」 「……始まりましたか」 やがてパチ、パチと華は消え、花火が終わって静まりかえる。 …が、突然。…驚愕と混乱のさめやらぬ群衆の中から、誰からともなく、「あれ!?」と声が上がった。 何処だ何処だと方向を修正しながら視線をさまよわせると、彼らの背後には、 「…ステージ?」 ……突然路上に現れたのは、組み上がる鉄骨の舞台。 そしてそれを豪華に装飾する、数々のデコレーションとイルミネーション。 舞台を映し出す巨大なスクリーン。天井に据え付けられた様々な色の照明灯。…そして、両脇の大きなサウンドスピーカー。 舞台下部に設置された光線機が、蛍光色の光線で霧雨のスクリーンを突き抜け、雨雲を射貫く。 唖然とする観客を置き去りに、パァン!、舞台に噴き上がる火花。 そして、更に大きな衝撃音と共に、…空を覆っていた灰色の雨雲が、爆発するように飛び散った。 …姿を見せる、鮮やかな夏空。 久方ぶりの陽光が秋葉原を、中央通りの人びとを、…そして、舞台の上を照らし出す。 《―――大変、長らくお待たせいたしました! こ、これより、三千院セレネ、サプライズライブを開催いたします!! えーっ、さ、サイリウム? サイリウムを振り回す時は周囲の迷惑にならないよう――――》 「こ、この声は!」 「どうやら、寸前で間に合ったようDeathね」 爺の驚愕の声を尻目に、アイスは人知れず安堵する。 緊張でドモり気味な声、舞台の上に駆け込んできた薄汚れたフードの青年は、間違いなく皆がよく知るあの男。 やがて青年は舞台袖へと去り、ステージ上に仮初めの彼女が現れる。 沸き上がる熱気、歓声と嬌声。 彼女は不適で不敵に微笑むと、宇宙中が歓喜に震える華々しいその笑顔で、高らかに夏空を指差し宣言した。 「さあ…届きなさい 銀河の、果てまでーーーーーーーーーーーー!」 ドオン、と空に輝かしい無数の破片が浮かび上がる。 彼女の歌声とほぼ同時、凄まじい衝撃波が街を駆け抜ける。 それは幾重にも偶然が重なった、きっと宇宙で一番派手で華麗なステージの幕開け。
どぅっはぁ、はぁ……、何とか間に合った……。 (舞台袖) (ぐったりと突っ伏した青年は、疲弊と安堵が入り交じった顔で力なく呟いた) (開幕寸前) (ギリギリで気がついた青年は一瞬にして状況を理解し、近くの電気店に駆け込んでマイクを入手) (アナログな配線接続で一時的にスピーカーに音声入力し、せめて上演前アナウンスだけでもとアドリブで何とかしたのであった) にしても、あれってセレネじゃないんだよな……。 誰がどう見たって本物にしか見えねーぞ、オイ……。 (袖から舞台を見ると、そこには舞い散るメラの中で歌い踊るセレネの姿) (…どうやら立体映像を投影するスクリーンは見当たらない。…ということは、本当に空間上に映像を映し出しているのか!?) ハハ、ありえねー……。 最近の邪気眼はトンデモ科学も受け持ってんのか……。 …いや待てよ、考えようによっては俺は今、邪気学的革命の瞬間に立ち会ってるんじゃ!? (古代邪気学でも『科学』に準ずる発明や技術は数多く存在した) (鷹逸カの持つ数々の【遺産】もその一つ。特に邪気電池は、現在の電池と構造が非常に似通っている) (このことから、古代邪気世界においても『科学』と呼べるものは存在したのではないか、とする説もあるにはある) (…が、少数派だ。) (邪気眼と言えば幻想ファンタジー、という風潮が学会に蔓延している節がある) (事実、『科学』関連の論文は、一昨年ドイツの研究者チームが発表した、 シャイアーテックスの女性科学者、ヘルツォークの革命的な発明と、それらの実際の使用について ”Herzog's,a female scientist in SHIRETEX,revolutional innovation and their actually usage” 以来、音沙汰がなくなってしまっているのだ) だが、目の前の光景は……。 何もない空間に立体映像を投影する技術なんて、科学が発展した現代にも存在しねえぞ!? せいぜい水をテレビ代わりにするのが精一杯……。 これだけ高い水準の技術があるってことは、邪気世界でも科学が重視されている何よりの証拠! 今の学会の通説を引っ繰り返すことができるかもしれねえ!! ってなると、授業のシラバスをがらっと変えなきゃいけねえよなぁ。 伝承と科学を5:5の割合にして、すると教科書を新たに増ページしなくちゃいけねえよなぁ、削りに削って200pぐらいかなぁ。 むひひじゅるり、資料室に眠る数々の貴重な資料が日の目を見る時が来たぜぇえ! (その肝心の資料室は今現在大変なことになっているが、鷹逸カは知るよしもない) (ともかく鷹逸カは袖のさらに脇へと引っ込み、適当なパイプ椅子に腰掛けてしばし休むことにした) (深く息を吐く。) (それだけで、今まで蓄積した疲労が、どっと広がるように全身を鈍磨させる) (無論、意識も例外ではなく) レインマンとレイは、上手くやれたのか……。 ピアノは……あの小人って結局何だったん……だ……。 (無意識の底へと、落ちていく。)
Side Selene セレネはすでに予期していた。 現在セレネの攻撃は相手が死ぬか死なないかギリギリすれすれのもの。 断続的に射出される核攻撃はときに周囲の時空を歪め、異なる時間に放たれた核が同時に上下左右を埋め尽くすなど常人であれば数秒と持たない攻撃は、 しかしヴィクトリアが死力を尽くせば対処できる程度にセレネが手心を加えた物でもあった。 (やっぱり。さっきの秋葉原での襲撃はあたしにしゃべってほしくないことがあった『創造主』が無理に会話を止めさせようとして送ってきたとも考えられるけど、今度のは違う。 もっと深い意味。現に今、運を天に任せた攻撃がことごとく致命傷になってないし、……はあたしと彼女で何かをしようとしているんだろうけど―――) 片手間に複製魔法で核をばら撒きながらも考え込むセレネ。 そこで、意外な、しかしセレネにとっては特段驚くほどでもない形で均衡が崩される。 『こンな程度で死ねるかよォッ!!』 それは、紛れもなく邪気であった。 『死』の周囲の空間は禍々しい邪気色が見て取れるほどの重圧を帯び、セレネの視界すら歪められるほどである。 『『直死眼』、最高の気分だぜェ!』 「ふーん、邪気眼か。」 素質を持つ人間が極限状態に置いて活路を切望した時邪気眼が目覚める、などというケースは珍しくもなんともない。 そして何より、『死』はセレネに最大のハンデとも言えるヒントを提供してしまっていたのだ。 『あン?オマエだけ『死』が見えねェなァ』 「バカじゃん?」 1対1戦闘における邪気眼の利点のひとつに隠匿性がある。即ち初見殺し。 この世の理を超越した邪気眼であればしばしば相手の予想の埒外を行き、奇襲的効果で致命傷を与えることができる。 そのアドバンテージを「直死」、「死が見えない」などといったわかりやすい単語で帳消しにしてしまった軽率さに、 セレネは思わず常日頃からよく使っているワンフレーズが口をついて出てしまった。 『まァいい。倒す、そして今度こそアイツの―――』 「だからぜーったいに倒されてなんかあげないってのっ!」
Side ”Death” 『死』はセレネの死の点も線も見ることができなかった。それは即ちセレネを殺すことが不可能であると結論付けられるものではない。 単にセレネが死に易い切り方がないから線が見えないのかもしれないし、そもそも何らかの視覚的妨害がなされているのかもしれない。 故に『死』は歓喜した。セレネが先の大魔剣を用いて迎撃してきたことに。 (防いでくるッてことは、当たれば不味いッてことを自分でバラしてるようなもンじゃねェか) 『我が敵を裂け、エターナル・ソード!』 「見えてるンだッて。」 刃渡り10メートルにも達するであろうか、その剣は先程と同じくやはり横薙ぎ。 重力下では左右の方が上下よりも格段に動きやすいことを鑑みれば当然のことではあるが、それゆえにその一閃は歴戦を戦いぬいた『死』にとっては簡単に見極められる動きであった。 「ざァンねンでしたァ〜」 動きがわかりきっている以上、その魔力塊の死の点をアロンダイトでひと突きすることなど『死』の身体能力をもってすれば児戯に等しいとすら言える。 こうして術式「エターナル・ソード」は破裂し、薄紫色の美しい魔力粒子が『死』とセレネの間を遮るように辺りに霧散して行き――― 『彼の者を消し去れ、ザンネック・キャノン!!』 乾坤一擲、セレネの身体には到底見合わぬ大剣の渾身の一撃を防いだ『死』は、その幻想的な風景が消え入るのを待たずして新たな閃光に呑まれることとなった。
セレネの手には2枚のカード、そしてセレネの前には巨大な砲門。そこから放たれた光の束を、『死』は防ぐ術を持ち合わせていなかった。 そう、光速に対応してその光線ひとつひとつの死の点を突き続けることなど不可能であったからだ。 (なるほど、少しは考えてンじゃねェか。) ザンネック・キャノン。 本来のサイズで展開できれば衛星軌道上から地球上の特定点を狙撃できるほど精密、かつ絶大な威力を誇る戦略兵器。 セレネの目の前に展開されたその術式は、人間サイズに合わせた縮尺の砲門を顕現させていた。 もっとも、それでも人間程度なら100人を消滅させて余りあるほどの出力ではあったが、『死』にとってはその出力など関係ない。 なぜなら、先程こそジリ貧に陥りそうになったものの、 『死』は未だ大量の生命エネルギーを変換したいわゆる残機を「命の宝物庫」に所有しているからだ。 とはいえ、流石にこれを連射されていてはどうしようもない。 まさか死にながら、光線に焼かれながらも前進を続けられるほど『死』は人外染みてはいない。 そこで『死』は最強の切り札を使うことに決めた。 突然だが、この世界は10進法に支配されている。これを素因数分解すると2×5。 しかしこれでは2次元にしかならない。そこで2と5、どちらでもないその中間の三軸目の座標軸、3を加えて2×3×5。 そこに無限の広がりを表すために累乗を用い2^2×3^3×5^5。 ここに象徴の理論に基づき、337500という有限の数を用いて擬似的に「この世界全て」と同等の力が得られることとなる。 宙が割れる。 そこには正に三十三万七千五百の神器、宝具が納められていた。 そのひとつひとつが人間ごとき矮小な存在なぞ跡形も無く消し去ることすら可能な兵器。 剣、弓、槍、銃。その集積はまさにこの世全てを体現し、まともな精神の持ち主であれば相対する気さえ起きないほどの威容を誇る。 しかしそれを見たセレネは全く動じることは無い。 その不敵な態度が『死』を更なる猛攻へと駆り立てる。 ハッタリではなく本当にこの攻撃を受け切るだけの自信があるのかもしれない。一方でそれを気にしていてはどうしようもない。 僅かに一瞬の逡巡にして『死』はこの攻撃に全力を注ぐという結論に至る。 「最初に言ッたよなァ、這いつくばッて許しを請えッて!」 『あたしがそーいう人間に見えるかしら?』 「見えねェな。つゥわけで実力行使だ。」 言う間に垂直に上げた手を振りおろす動作はセレネの方を指し示し、まずひとつめの剣が神器の中から投擲される。 セレネはザンネック・キャノンを盾にしたものの『死』の2射目はその死の点を的確に突き、砲身もまた魔力粒子となって雲散霧消するのであった。 この機を見逃す『死』ではない。 「なンとかしないと無様な串刺し死体のできあがりだぜェ?」 そう言いながらも既に価値の算段のついた『死』は、先の得体の知れない不安を拭い去るため全力をもって一撃を放つ。即ち全弾発射である。 これで間違いなく対象は跡形も無く消滅する―――――― エターナル・ゲート 『憎悪と怒りの獄門』 はずであった。
しかし、『死』の目の前に広がる現実は全く異なっていた。 セレネの取り出したたった1枚のカードとその詠唱。 それによって呼び出されたのは赤と黒のツートン・カラーの門であった。 拙いかもしれない、そう直感した時には手遅れ。『死』の放った神器、宝具が次々と呑みこまれてゆく。 直死眼はこの術式の死の点すらも瞬時に見つけることができたが、圧倒的な吸引力はもはや「狙いをつける」などといった行為を全く許さない。 あれほどたくさんあった武具はどれひとつとして死の点を突くことができぬままひとつ、またひとつと消えてゆく。 「何なンだよこれは!?」 そうして、『死』はふと気付いた。自らの身体もその吸引に巻き込まれていることに。 門から出た無数の鎖が『死』を緊縛する。 (こンな所で、こンな所でッ) 可能な限りの肉体強化で抵抗しようとする『死』。 だが、エターナル・ゲートから発せられる膨大なプレッシャーは肉体と精神を蝕み、ついには均衡状態が生み出されることすらなく『死』は引きずられて行った。 「この命、渡すわけにはいかねンだよッ!!」 刹那、辺り一帯が白い閃光に包まれる。 『死』の溜め込んだ魔力の開放により鎖は灼かれ、門は砕けた。 満身創痍。ボロボロになり、ストックのほとんどを失いながらも首の皮1枚でなんとか生き延びることができた『死』。 『へえー、意外と貯めてたのね。』 パーン 乾いた銃声が響き、ひとりの女が崩れ落ちた。
――わびしき海、大空の下に あきらめがてに横たわる そこに塔と物影入り乱れ、 物皆、さながら宙に浮く 誇りかに立つ街の塔より 死の神巨大のごとく見下すなれ ―― エドガー・アラン・ポオ『海中の都』 瘴気に満たされた建造物の中で、レインマンが倒れた。 それを見つめるRの目は、ほんの少し残念そうにも見えたが、すぐに全て忘れたようにレイへと向き直った。 一人減ったのは確かに痛いが、もう一人いる訳だし、どの道もうそろそろ終わりにする頃合だ。 これ以上続けたら――また昔のように加減が利かなくなって壊してしまうだろう。 彼らは確かに自分の想像を超える力を持ってはいたが、いかんせん二人(しかも今は一人だ)では単純に数が足りない。 魔力を秘める律動と旋律によって降雨も終わり、魔法も解けた。いい潮時だろう―― 『雨泳眼 次元隔離結界上部開放――Return To Sky ....Flay away!』 空へと落ちてゆく雨。だが、それはRの心を震わせるようなものではない。 彼女が喜びに相当する感情を僅かに抱いたのは、もはや死に体だと思われていたレインマンが何らかの(おそらくは精神的な)作用によってこれほどの行動を起こしたという事実に起因する。 空の青さはきっと人間たちを発奮させるのだろう。(特に昼行性の)生物は光を好むものだ。 私はどうだろうか。光を偉大だとも忌まわしいとも思わない。思えない。ただ今は視覚の補助になるというだけのことだ。 『さて…この“お話”もそろそろお仕舞いだ… カンザスへ帰りなよ、ドロシー…』 ――物語は、おとぎ話でさえ、すべて終わりを迎える。 光が一段と強さを増し、刀を持つ人間の攻撃によって造られた球体が日光を吸収、熱線として放出。 なるほど、と彼女は思った。上空に水のレンズが形成されている。あれで恒星の放射する光と熱を集中させた――いや、それはまだこれからだ。 『Rainbow』 ――まぶしい光は、闇も照らせば、目もくらませる。目を閉じたままで、それがどちらかわかるだろうか? ―― 聖なる報復者 瞬間、水星の焦熱点にも匹敵する圧倒的な陽光の潮流がRという一点を目掛けて光速で飛来した。 焦点温度は摂氏四桁台後半を軽く超え、幾つかの金属が沸騰する域に達している。 その紅蓮地獄の中で、Rの顔には笑みに似たものが浮かんでいた。 よくぞここまで吼えたものだ。私の力に臆することなく、あくまで立ち向かってくるか。 それでいい。それこそが生命の輝きというものだ。ならば私もそれに応えよう。 左腕を高く掲げ、降り注ぐ熱光線へ向けて未分化な魔力を叩きつける。 言葉にしてしまえばそれだけのことだが、仮令一時といえども収束された太陽光線に匹敵する力を放つなど、人の身で出来ることではない。 それが証拠に、見よ、彼女の腕は内面からの力に耐えられず内側から崩れて――否、そうではない。 彼女はもはや人ではない。恐怖そのものと言い換えてもよいような不定の存在である。故に、崩壊する身体を再構成しながら陽光を相殺するなど造作も無いこと。 そして自ら集めた光の熱と圧力に耐え切れず透鏡が砕けると、遮る物の無くなった魔力の奔流が蒼天を貫いて、夢幻の如くに消えた。 ――彼は生命を知らぬ幽霊だ。 ―― 「予見者の寓話」 「なかなか面白かった。だが自然現象で私を伏したいなら、銀河一つ分程度のエネルギーは‥‥」 『鴉雲【手八丁】、鬼哭斬波【真打】』 悪寒、と表現するのがもっとも適切だろう。レイの――黒爪の――声を聴いた瞬間、Rは本能的に(彼女にも本能というものは無いわけではない。ただ極僅かなだけだ)動いていた。 刹那よりも短い時間の中で、ゆっくりと時の裂け目が開いていく。その中で動くことは、ほとんど世界そのものを押し返すにも等しい行為だった。 だがRは何者にも縛られること無く動き続け、黒爪の先端が寸毫と進まない内に裂け目を渡り、時の外へと抜け出た。 外側から(適切な感覚によって)観察する時間というのは、河もしくは樹木に似る。それは蓋然性を異にする平行世界の存在によるものであるが、今は関係性が薄いので説明は省略しよう。 ともかく自らの所属している支流なり枝なりの一つを無造作に掴み、捻じ曲げ、『その瞬間』だけを三日月湖のように隔離して、Rは正常な時間流へと帰還する。 その結果――黒爪の振るわれたまさにその瞬間のみが時の中から消え去ったのだ。 ――無を夢見て、目覚めたときにその夢を叶えよ。
だが、最も衝撃を受けていたのは他ならぬRその人であろう。 彼女は、全ての攻撃に対して、それらを生命の輝きとして敬意とともに受けきる心算だった。 だが、あの斬撃を、真の意味で自身を滅し得る存在を感知したとき、それから逃避してしまったのだ。 この事実は彼女にとって大きな打撃となるだろう。自らの死を望むというのも、所詮は虚勢に過ぎないのではないのか。再び危機に面したとき、私はどうするのだろうか。 ――だが、と思い直す。 確かにその懸念はもっともなことであるし、恐らく避けて通れることではないだろう。 だが、それ以上に実際的な問題として、今のこの戦力では足りない、ということが挙げられる。 眼前の二人は予想を遥かに超える奮戦をしてくれたが、それでも一人は既に倒れた。このまま続けたなら、もう一人とて時間の問題に過ぎないだろう。 まだ終わりが見える戦いではないというのに、今この場で私と戦う舞台に立ち得る戦力を二人も失うのは痛い。 ならば、この場は―― ――信念は真実よりも重要だ。どんな瞬間でも、幻想に対する信念で人生は変わり続け、真実は知られぬまま待ち続けるのだ。 ――伝承の紡ぎ手 気絶している雨乃大地はもとより反応できなかっただろうが、黒爪もそのとき起こったことは結果としてしか認識できなかっただろう。 途中経過を置き去りにして、二人のRがそれぞれレインマンとレイを抱擁していた。体温も感触も人間のそれと全く変わらない。 「どうやら君達の仲間は目的を果たしたようだ‥‥ということはつまり、君達が私と戦う意味も無くなった、ということだろう。」 耳元で囁かれる言葉だけが、底冷えがするように冷たかった。 「それにこの調子では、これ以上続けても無意味だろう‥‥今の君達二人では、私と戦闘の形を取ることも出来まい。」 少なくとも五人から十人はいなければ戦う意味は無い、と冷徹に告げる。その声に傲慢さは無い。あくまでも空虚だった。 「だから、この場は私から退くとしよう。」 言葉が紡がれると同時、Rの口吻がレイとレインマンのそれに重なっていた。それがいかなる意味を持つのかはわからない。もしかすると意味など無いかもしれない。 「次は、今回戦闘に参加しなかった二人も呼んで貰えると嬉しいかな‥‥では、また会おうか‥‥‥‥」 言うや否や、Rの姿は今までのことが全て夢か幻であったように消え失せていた。 ただ破壊の跡と惨劇の記憶のみが、彼女の存在が現実のことであったと僅かに伝えるのみ。 ――休んだらどうです。あなたは勝ったのでもなく負けたのでもない。しかしあなたにとって、この戦いは終わったんです。 ―― ザルファーの魔道士
【時間軸少し前:ラツィエル城正門内】 正門を破城槌にてぶち破った小アルカナ大隊。 彼らは突入と同時に術式障壁を張り、正面突破に対応策として敷かれるであろう待ち伏せ斉射に身構える。 しかし、覚悟していた銃弾と異能の雨あられは降ってこなかった。門の内側は静寂と静謐に満たされ、しかし人の壁があった。 「……どういうことだぁ?」 大隊長が眉を怪訝に歪ませ疑問を口から零す。 見渡すかぎり敵、敵、敵……は、覚悟済みではある。陽動はすなわち時間稼ぎの犠牲役であるのだから。 だが、その敵たちが完全に静観の姿勢をとっているのは予想外。人だかりが壁となって、円状に空間を型どっていた。 「知ってるっすよ隊長。昔の決闘は、こうやって衆人環視で輪をつくって、その中で戦わせたらしいっス」 「今俺達が立ってる『これ』はその規模が馬鹿デカい版……って奴じゃないですかね」 「っつうことはアレか、俺たちゃこれから本編無視してトーナメント編突入か?露骨な人気取りだな!?」 「まだキャラも安定してないのになんつう無謀な……」 隊長以下数名が若干ズレた分析をしていると、城側の人だかりが割れ、奥から人影が歩み出てきた。 それは一人の青年だった。長身に靭やかな体躯をジャージで纏い、その上から何故かマントを羽織っている。 短く切りそろえられた黒髪の下では、ケレン味の一切を排した置いておくだけで湿気を吸い取りそうな精悍さを振りまく顔立ち。 「やーやー、よく来たな弱い方のアルカナ諸君!どうよ、最近の景気は!」 青年は気さくに片手を挙げながら人の輪の中に踏み込み、同時に背後で切れ目が閉じていく。 人懐こい笑みを浮かべ、彼は小アルカナ達と20歩ほど離れた位置で立ち止まった。 「弱い方たあ随分なお言葉だな。なんなら試してみるか?兄ちゃん」 「ああ、そのつもりで俺ちゃんここに来たの。迎撃兵に道開けさせたのもその為だな」 「酔狂だな兄ちゃん。この人数相手に一人でやろうってのか?ナメてんのか沸いてんのかどっちだ」 「いやあ、俺ちゃん無双ってのに興味津々でさ。えーっと、大体70人ちょっとか?いいねえ、相手にとって不覚なしなし」 軽口を叩き合う彼らだが、小アルカナは対面しただけで青年の力量を計り知った。 大アルカナ並――否、あるいはそれすら上回りかねない実力の持ち主。 その触れただけで消し飛びそうな魔力の奔流の矢面に立たされながら、隊員達はそれでもどうにか足を退かずにいた。 「隊長、こいつ『吊られた男』様の報告にあった強襲部隊のメンバーじゃないスか?」 「ああ、マリーちゃんにズタボロにされた挙句泣きながら逃げ帰ったっていう」 「話によると外で待機してた妹に泣きついたらしいぞ」 「なんかすっげー情けない感じに伝わってる!? どんだけ見栄張ってんだあの人形娘ーーっ!」 「あーはいはい、それで無双(笑)しに来たのねこんなとこまで。――帰れよ」 「返せ!城攻め編初登場時のなんか凄いっぽい描写を返せ!」
青年は地団駄を踏むと、周りの味方――迎撃兵達にすら失笑を買っていることに気付き、仕切り直すようにポーズを決める。 ビシリと小アルカナ達を指差し、考えに考え抜いたであろう決闘の口上を述べる。 「俺こそが『生命の樹』第六セフィラ、『"真贋"のティファレト』!我ら『枢機院』に仇なす牙を正義の鉄槌にて砕きに参る!」 名乗りを挙げた青年――『ティファレト』がその口上を終えると同時、小アルカナ達がとった行動は迅速だった。 予め決めていたことだ。『陽動で大物釣れたらプランB』――最低限の犠牲で足止めだけに専念するプラン。 「よりにもよって『セフィロト』かよ!しかも本部をメチャクチャにしくさった張本人!ビンゴだぜ超ビンゴだぜ!」 「戦闘狂だか知らんが部下共に手出し無用とか遠ざけてたのが仇になったな!――隔離結界:『隠世封絶』――」 「術式準備完了してます!座標指定――『隠世封絶』発動!!」 「お、おお……!?」 人の輪の中に、更に円環の術式陣が灯る。それはドーム状の結界を形作り、『ティファレト』と、彼に対峙する者を封じ込めた。 『隠世封絶』の誘いこむための餌。一緒に封じられることでその役目を全うする人身御供。 それを担ったのは、小アルカナの部隊長とその直属の部下数名であった。 「散れ!散れ!隊長達の犠牲を無駄にするな!半ボケ理屈を振り翳す正義の味方共に――超質量の悪で以てぶちかませ!」 『隠世封絶』が閉じるのを口火として、残りの小アルカナ――70強の勢力が、数人規模の小隊に分かれて解散する。 ある隊は速力強化の術式で矢のように駆け、ある隊は転移術式で視認できる限りの遠くへ跳び、ある隊は真っ向から兵の輪へと突き進む。 虚を突かれた数千の迎撃兵の間隙を縫い、城の内部へと突入していく。次々と、総力戦はいつしか小隊戦闘へと変化していた。 【『隠世封絶』・内部】 「あっらー……まんまと捕まっちゃったよ俺。どうすんのこれ、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃん」 『ティファレト』は監禁されていた。隔離結界は硬く、彼の能力でもってしても砕くのは容易でない。 それでも、彼が全力で攻撃を叩き込めば、時間がかかるにしてもこの結界から脱出することは可能だろう。 「それをさせない為の俺たち、ってワケだ。はっはー、馬鹿めこんなに簡単に捕まえられるたあ思ってなかったぜ!」 『ティファレト』と一緒に隔離された4名の小アルカナ。 彼らはこの『隠世封絶』の中で敵と対峙し、結界破壊の隙を与えないことで時間稼ぎをする為の要員だ。 当然、実力が劣れば皆殺しの上で結界を破壊し堂々と退出される。つまりは命を捨てる覚悟で、彼らはここにいた。 「なーるほどね、弱い方のアルカナ四人で敵の上位幹部一人を足止めできれば儲けもんだわなあ。お前ら超頭いいな!」 「まあ俺が頭いいのは宇宙の真理の如く当然のこととして、だ。一つだけ気に入らねえことがある」 人柱の四人は対峙する。 圧倒的力量差があり、ともすれば一瞬で叩き潰されかねない相手をとって、それでも尚、刃を掲げる。 そうして揃えた足並みと、整列した魂は、一つの結論を紡ぎ出した。それは彼らの胸の奥から、付和雷同に飛び出した。 「「「「――何、勝つこと前提で話してんだクソガキ」」」」 邪気眼すら持たない戦闘員の四人が、上位幹部セフィロトに。 喧嘩を売っていた。人柱の命乞いなどではなく、それは完全完璧完膚なきまでに宣戦布告だった。 【小アルカナ正門突破。城内の枢機院兵と戦闘開始】 【小アルカナ部隊長以下四名vs『ティファレト』勃発】
鳩尾を正確に捉えた神速の踵落としは完璧に決まり、シェイドは地盤へと叩きつけられる。 隕石の激突もかくやの直撃コース。正しく人間砲弾となった彼は地面を大きく穿ち抉り、彼自信もまた破壊に蝕まれる。 「やったか――?」 自由落下で地面へと帰還するステラはその過程で見る。目の当たりにする。 晴れゆく土煙の向こうで、アリス=シェイドが――その象徴たる白衣をところどころ血で損じながらも、五体を十全に保っていることを。 口元から溢れる赤は流出した生命であるが、しかしそれを意にも介さぬ無表情で立ち上がり、こちらを視線で射抜く。 (やってない――! 硬くはなかった……攻撃も確実に通した。超回復か、高速受身か、いずれにせよ) まだ立ち上がる。 妹を殺した男が、今なおのうのうと生きている。 「『次』なんかない……殺るのは今!ここから逃がさず撃滅し絶滅し殲滅するッ――!!」 地面と足とが再会すると即刻、旧交を温め合う暇もなく足を捌く。 左目に宿る『拳闘眼』は常に状況に応じた最適の戦闘姿勢――構えを教えてくれる。挙動の最適化。一部の隙もなく臨戦態勢。 対峙する白衣の狂人は、その能面顔に微細な笑みを貼りつけて、呟いた。 >「……この程度か?違うだろう、ステラ=トワイライト。“貴様の力はこんなものじゃあない”筈だ」 眼の奥で熱が噴出した。犬歯を剥き出し、眉間に谷を刻み、流れるような金の長髪は重力に逆らって上を指す。 一歩踏み出せばアスファルトが砕け、飛散した破片が邪気に絡め取られて蒸発していく。 「おまえがッ……何をッ……!!」 多少は理性的に分析思考していた意識も、その色を赤く染めて吹っ飛んだ。 「――わたしの何を知ってるッ!!」 猛り、哮り、吠える。 それは威嚇というよりも、一方的な感情の波濤だった。叩きつけるように叫ぶ、怨嗟の文言。 >「この程度ではまだ私は死なない。さあ、続きをしよう。こちらからの攻撃に対応しつつ、自分なりの全力を叩きつけてみたまえ。 …貴様はそれが出来ぬほど、脆くは無いのだろう?」 返事を聞かず、シェイドはこちらへ疾駆する。彼我の距離を潰していく。 低姿勢での肉薄は、ある程度の警戒を意味するが、それを補って有り余るほどに愚直な突撃。 それは、【ライトニングセイル】を攻略するにあたってあまりに正鵠を射た選択だった。 光速機動と言えば超高速の戦闘技能であると錯誤しがちだが、その実それは錯誤の域を出ない。 【ライトニングセイル】は四肢を光で『押す』ことによって擬似的な光速状態を創りだす術式である。 すなわちその本質はジェット噴射と同じであり、極めて単純な動作――それこそ一方向へ四肢を動かす程度の挙動しかできない。 つまり、殴る・蹴るを叩き込む分には十全に効果を発揮できるが、 組み技や受け流しなど――複雑な動作を必要とする技能においてはほとんど死にスキルと言わざる負えないのだ。 単一動作の強力さ・速さと引換えに、手先の器用さや行動の自由度を犠牲にする。それが、【ライトニングセイル】が目下抱える弱点だ。 それでもステラが人並み以上に格闘戦をこなせるのは、ひとえに『拳闘眼』の加護によるものに他ならない。 【ライトニングセイル】は接近戦用の術式だが、組合いになる『超接近戦』には不向き。 それをシェイドが看破したかどうかは定かではないが、とにかく彼のように畏れず近づいてこられるのが一番厄介なのだった。 特に、シェイドは影を用いた多彩な攻撃手段を持っている。殴る蹴るだけで対応しきれないのは火を見るより明らかだった。 ――そして、ステラにとって一番の不利材料は、その事実を認識するだけの理性を残しておかなかったことにある。
「らあああああああああああああああああッ!!!」 迫り来るシェイドが取り出した二本目の鋏。 振りかざされたそれが突出される前に、ステラの拳が光に乗る。光速の正拳突きを叩き込む。 戦車砲もかくやの一撃がシェイドの鼻っ柱を捉えた瞬間、彼の姿が虚像になる。質感のリアリティが消え失せ、拳は宙を穿ち抜く。 (デコイ!!) >【影探眼:業火陽炎(イグニス・イリュージョン)】 認識した頃には、時既に時間切れ。 目の前のシェイドは遥か闇の露と消え、代わりに彼の邪気がステラの背後で発生する。 発生現は彼女の影。シェイドは影を掌握する能力者。『ステラの影へと空間跳躍していた。』――この一瞬で。 「しまっ――」 気付くと同時にその意識が打ち揺らされる。うなじへと叩き込まれた鈍器の一撃は、首の骨を粉砕しかねない威力。 咄嗟にステラは踏みしめていた大地を開放し、その体躯を脱力して慣性に全てを委ねる。彼女は呆気無く空を舞った。吹っ飛んだ。 バガン!と快音が背後で響き、バットで打ったライナー球のように跳んだステラは頭から地面へと着弾する。額を切って、血が迸った。 「っが、」 地面でバウンドして一回転。どうにか空中で天地の感覚を取り戻し、もう一回転で足を地面に接触させる。 突き刺さった踵が慣性を無理やり踏み殺し、ステラはようやく地面への帰還を果たした。殺し切れなかった慣性で後ろに滑りながら、立つ。 あのまま地面に立ったままだったら確実に首が飛んでいた。敢えて吹っ飛ばされることで最低限の命を繋いだが、それでも随分と。 (随分と、距離を開けられたな……) 目算で20メートル近く吹っ飛ばされていた。既に一撃受けたことで思考も冷え始めている。 追撃をかまさず距離を離してくれたのは僥倖だった。おかげで色々と、立て直す時間が稼げる。 【ライトニングセイル】は強力な術式だが、アリス=シェイド相手ではあまりに相性が悪い。 『コンフィング』は接近戦を好まず知略と品数で攻めるタイプだったから、理屈を無視して拳を叩き込むのも容易かった。 だが、シェイドは近接において無限に近い手数を持っている。攻撃手段だけでなく、今のような瞬間移動も。 『僥倖眼』が必要だった。十全に機能する、光の超火力が。
潰された左目は、『遺眼』で代用している為なにもしないよりかは再生が順調だった。 『肉体再現』は異物を糧にできる。 例えば腕の一本がぶった斬られたとして、他者の腕を繋いで代用することは可能である。 『創世眼』の再現能力はあくまで『失われた当時の再現』であるが、その再生の本質は『外見』ではなく『機能』である。 極論を言ってしまえば、『同じ機能を回復』するのであれば、まったく別のものが生えてきたって問題ないのだ。 だからこそ、『悪魔』の遺眼を失われた左目に嵌めこんでも、その『邪気眼という機能』が回復したと認識された。 その裏で、本来の『僥倖眼の機能』も回復させようと遺眼に働きかけているのだ。 『コンフィング』戦において『僥倖眼』の左を潰されてから一時間強が経過している。 あと10分もあれば、『僥倖眼』は本来の機能を取り戻すだろう。だから、この10分が肝要。最後の防衛ライン。 (10分凌げば『僥倖眼』で殺れる。10分凌げば勝てる……!!) 邪気眼使い同士の戦闘において、その10分が悠久より長いことを、彼女は知っているはずだった。 目の前に転がってきた勝機が、妹の仇という状況の特殊性が、殴られて再び沸騰し始めている理性が、 ――当然の判断を鈍らせた。 シェイドの攻撃が来る。 迎え撃つステラもまた、彼我の距離を跳躍で踏破した。 「【僥倖眼】:半減展開――<プリズムプリズン>!!」 展開したのは数本にまで減少した光の杭達。比べ物にならないくらいに小さく、弱々しい。 半減した邪気眼での限界。それでも、範囲を限定して撃ちこめば、足止め程度にはなる。 光の杭達は光速でシェイドの足元へと殺到し、彼の足を貫いて地面へと縫いとめた。 「――っつああ!!」 光速挙動は大振りのほうが加速しやすい。なるべく大きな挙動の技を選択する。 上段回し蹴り。 光速でもってすれば人間の頭など水風船より脆く砕け散る威力を秘めた致死の足鎌が、シェイドの命を刈り取りに疾る。
>「───間もなく東京支部へ到着します。」 『ケテル』に正鵠を突かれ耳と心に重大な傷を負った芳野は、常磐の言葉で現実へと回帰する。 芳野は脳の構造を思考と思索に適するよう少しばかり邪気で補正している。どんな状況でも一定の思考速度を保てるように。 それゆえ未覚醒領域に『デバイス』を居候させても支障はなかったが、かわりに物思いに没入する割合が若干増えた気がするのだった。 >「わあ……!」 坂上が聞いたこともないような無垢っぽい声を挙げ、『子供のようにはしゃぐ』。 それは見た目微笑ましい光景ではあったが、彼女の真の姿を知る芳野にとって人間の本性がますます信用できなくなる一方だ。 >「一度、上への報告を済ませてきます。すぐに戻りますので、ここでお待ち下さい」 常磐は慇懃にそう告げると、芳野達を応接間に通して『ケテル』と共に退出していく。 途端、ソファへとふんぞり返った坂上明日香はアスラになって聖女の仮面を剥ぎ取った。 透き通るような鈴の声はどこへやら、歴戦の戦士がするような所作で繰り出される言葉は独特の貫禄を回復している。 >《………なにこのひと、多重人格?》 「言ったろう?こういう女だって」 『デバイス』が再び開いた口を塞げない横で、ヨシノもまた"芳野孝之"という外套を脱ぎ捨てる。 応接間の無駄に質の良いソファは体を預けると包み込むようにほどよく体を沈ませ、低反発枕のような斬新な感触を尻に伝えてきた。 「おお……すごいな『枢機院』、流石は基督教の総本山だけあって家具から茶葉にいたるまでお高級だな」 《これくらい当然だよ? すごいところじゃ――『枢機院』の西方支部なんか、お城一つ持ってるんだから》 「何ィ!? し、城っていうと、山岳城砦か?それとも平野戦城?まさか水上城塞や洞窟壕城か!?」 《え……いや、あの、まさかそこに食いつくとは思わなかった……》 「城は男の子のロマンだからな。他にも銃や剣や巨大ロボットに興味を示さない男の子なんて嘘だぜ。 どこか精神に重大な欠陥があるとしか思えんな、不健全だ。将来重大な性犯罪に走る予兆かもしれんぞ」 《幼女に興味があるのは健全なんだ!?》 「ははは、まさか。――君はまるで幼女に心惹かれるのが異常性癖のような言い草をするな」 《これ以上ないってぐらい率直に正論を述べたつもりだよ!?なんでオブラートに包んだみたいになってんのさ!》 「現役幼女の君が言うとなかなか感慨深いセリフだな。君もちゃんと今現在持ちうる魅力は大切にするんだぞ?『デバイス』。 失えばもう二度と手に入らないものなんだからな。君はもっと幼女であるという身分を謳歌するべきだ。その――幼い肢体とか」 《ものすごい理論飛躍で説教されたーっ!?》 「向かいで俺の茶を勝手に呑みくさった女を見てみろ。哀れにも若さを失いとうが立った賞味期限切れのごめんなさいマジ調子こいてました」 湯気の向こうのアスラの双眸に尋常ならざる剣呑さを感じ取ったヨシノは黙った。 『デバイス』は、こうやって変態を御するのかと感心していた。毒で毒を制すと言うが、なるほど種類の違う『毒』でも効果はあるものだ。 アスラとヨシノ、両者にツッコミを入れ続けて疲弊した『デバイス』はようやくシリアスシーンの予兆を感じて息をつく。 >「……ねえヨシノ、私ら、これからどうなると思う?」 切り出したのはアスラだった。 ヨシノは急速に乾いた口の中を潤そうとしてアスラから視線を話さぬままカップを手繰るが、虚しく机を叩くだけだった。 「どうなるって、少なくともこのままここに放置ってわけにはいかないだろうな。迎えはくるだろう。そこから先は――」 >「――私はね、殺されると思う」 修道女は、一字一句整然にさらりと言ってのけた。
アスラの推論はこうだ。穴だらけに取り繕った『枢機院』の表皮。お誂え向きに隔離された空間。 アスラやヨシノが、それこそはじめから敵の懐に所属しているが故に、いくらでも揉み消し口封じは効くということ。 (ここまで判断材料が揃っていて未だ命の心配をしないのは流石に愚かだな……) ヨシノとて一介の邪気眼使いだ。十余年を、裏社会で生きてきた。 大学を隠れ蓑にしてからは若干平和ボケに陥った感があるにはあるが、それでも常に戦闘を嗅ぎつける嗅覚は衰えてないつもりだった。 >「…どちらにしろ、枢機院が私らを大人しく帰すはずは無い。それはアンタにだって分かるでしょう?」 「ああ。その為にアンタを連れてきたんだからな。しっかりと護ってくれよ?そうだ思い出した、こいつを渡しておこう」 ヨシノは持参した大学鞄の中から、手のひらサイズの端末を二つ取り出し、一つをアスラへ投げた。 扁平で大判のディスプレイが付いたそれは、ともすれば最もポピュラーなスマートホンと酷似した形状をしている。 「ここのところ暇だったから片手間で作ってみた。携帯電話を改造した相互共有端末『ライフライナー1号2号君』だ。 ちなみに俺のが1号で、アンタに渡したのが2号だな。こいつは電源を入れると自動で共通周波数の電波を探して接続する。 繋がった端末同士は音声通話からカメラを通した映像共有、互いの位置情報のやりとり等々別行動の時に便利な機能が目白押しだ。 これから俺たちが敵地で離れ離れになる場合は常にこれを繋いでおこう。俺が窮地に陥ったら颯爽と駆けつけてくれ。 指向性スピーカーと高性能集音マイクを搭載しているから誰にも気取られず会話ができるはずだ。それからネット機能もついてて……」 《ちょ、ちょっと待ってお兄ちゃん、その話長くなるの……?》 「そろそろエンジンがかかってきたので本気を出そうと思う」 《ここ敵地なんだけど! この期に及んで変なキャラ付けしないでよ!》 「いやー、俺は初期の設定からしてこんな感じだったぞ。なあ姉さん?」 >「どちらにしろ、いつ襲われても対応できるようにはしておいたほうがいいわ。……そろそろ、かしらね」 「無理やり本編に話を戻しただと……!?」 そんなやりとりの直後、応接室の扉が開き常磐が顔を出してきた。 アスラが坂上へと戻るのに倣ってヨシノも芳野孝之の仮面をかぶり直す。 >「お待たせしました。では、ご案内致します」 常磐に連れられて、芳野だけが部屋を出る。坂上はどうやら、ここで引き続き待たされるようだった。 体良く引き離された。付き添いを隔離し、芳野と『デバイス』は精神系の能力者のところへ。 >「『後でまた会いましょうね、芳野君』♪」 酷く魅力的な笑みと、実に含みのある言葉を残して、坂上はドアの向こうに消えていった。 (面白いぐらい、姉さんの言ったとおりになったな) (……大丈夫なの?シスターさんが言うとおりなら、今から二人とも殺されちゃうんだよ?) (随分と俺たちに肩入れしてくれるじゃないか。俺が死んでも君が被る損害は軽微だろうに。情でも移ったか?) (邪気眼使いはどうなっても構わないけど、シスターさんは巻き込まれただけだし――えっと、べ、別にそんなんじゃないんだからねっ?) (大サービスだな) (誤解されがちだけど、『枢機院』は正義の味方なんだよ。異教徒なんか命の数に入れてない……って人はボクも含めて少数派)
『デバイス』は"仲間"という概念に極端に依存している。 能力によって他者との間に刻まれた溝は、彼女の精神に深い暗澹を齎し、そんな中で得た仲間の温かさは正しく光明。 故に『デバイス』は染まった。その思想や価値観まで、『枢機院』に委ねることで自己を凍結し仲間と一心同体になったと錯覚していた。 揺れ始めている。彼女は芳野孝之という邪気眼使い・組織の仇敵の中に居候して、その内実を知った。 芳野は確かにどうしようもなく破滅的な変態ではあるが、セカイに仇なす邪気眼使いというよりかは、一個人として愉快な男だ。 まして、今回は邪気眼使いではない、どころか異教徒ですらない坂上まで犠牲になりかねないと言う。 (……ボク、常磐さんにお願いしてみる。死ななくてもいい方法はきっとあるはずだよ!) 『デバイス』は芳野との思念会話を切断すると、先行する常磐のもとまで浮遊した。 『ヨシノに聞こえないように』演技しながら、彼女のそっと耳打ちする。 「おふぅ!?ちょ、デバイスちゃん、何いきなり人の首筋に……目覚めちゃったの?」 《何の話してるのかまったくわかんないけどこの際聞かずにおくね! 常磐さん、上のひとに上奏できないかな。巻き込まれただけの人を口封じするなんて間違ってるよ》 「?? ……デバイスちゃん、一体何言って」 《しかもふたりとも世界基督教の大学のひとでしょ?順教徒だよ、殺しちゃうなんて言わないでよ!》 「落ち着いて、落ち着いてデバイスちゃん。話が噛み合ってない。殺すって何の話をしてるの?」 《思念乖離の後のあの二人の処遇だよ!いくら一般人にみられちゃいけない施設だからって……》 「あの、デバイスちゃん、飛躍しすぎじゃない?口封じなんて言ってないし考えてもいないよ?」 《……えっ》 意外なまでにあっさりと否定され、『デバイス』の心中は一瞬固まる。 常磐は苦笑しながら、噛んで含めるように目の前で硬直する幼女へ語りかけた。 「大事なお客さんだもの、そんなことするわけないじゃない。もー、何暴走してんのよデバイスちゃん」 《でもでも、枢機院の中は一般人には見せられないし、異能者支援機関なんて嘘っぱちだし……》 「殺したいのか殺したくないのかどっちなのデバイスちゃん。大丈夫、今回は『ケテル』様が協力してくれるって」 《『ケテル』様が……?》 「そう。精神系能力者の中でも思念編纂にかけては『ケブラー』様すら凌ぐあの方なら、見られてまずかった記憶だけ 選んで完全消去することもお茶の子さいさいってな寸法なのよ。だから心配しないで、それにねデバイスちゃん」 常磐は少し前置きして、『デバイス』が一番懸念しているであろう事について教えてやる。 「今回『ケブラー』様はみえないみたい。思念剥離も『ケテル』様にお願いしてるから、折檻の心配もないよ」 《ホント……?》 『枢機院』の戦士達にとって、死後一番の懸念は第五セフィラ"冥罰"の『ケブラー』、彼の折檻癖にある。 数いる異能者のうち留魂契約を司り完全に死霊化した思念体をも支配できる『ケブラー』は、その能力を専ら折檻に用いている。 敵前逃亡の末死んだ魂や、無様な敗け方をした戦士を、教育という名目で拷問にかけるのが、彼の日課だった。 『デバイス』は異教徒に敗け、救援を呼んだ上でその仲間に止めを刺されるといった酷い死に様だったので、やはり懸念があったのだ。
「『ケテル』様はこの先のレストルームにいらっしゃるから、ちゃちゃっと済ませてきちゃいなさいな。 私はこれから事後処理と事務仕事があるから事務室に戻るけど、くれぐれも粗相しちゃやあよ。『ケテル』様、妙に機嫌いいけど」 《うん、わかった。じゃ、また後でね常磐さん。次は地下で会うことになるのかな》 「そだね。それじゃ――では芳野さん、ここから先ずっと行って突き当たりの部屋に術者が控えてますので。 私は事務所の方に戻りますが、思念剥離が終了したら応接室で待っていて下さい。迎えを寄越しますんでね」 常磐は背後をついてきている芳野へ踵を返すと、営業スマイルで奥の部屋へと促した。 『デバイス』を通して全て聞いていた芳野はその変わり身の鮮やかさに関心しながら、それに従う意思を見せる。 「わかりました。何から何まですいませんね、それじゃ、行こうか『デバイス』」 《うん。これでお別れだねお兄ちゃん。ちょっとの間だったけど――わりと本気で気持ち悪かった》 「ははは、最後までデレなかったな」 苦笑する常磐と別れ、奥への道へ踏み出す。 『デバイス』から伝わってくる思念の足取りは軽く、また完全とは言えなくとも当面の命が保障されたヨシノも安堵していた。 それはあまりに平和ボケした光景で。――実際彼らはかなりボケていたことを後に知る。 「……入るが良い、客人」 ノックする前に扉の中から声がした。 流石はトップに君臨する異能者だけあって、気配察知も抜かりがない。 「どうも、お世話になります」 無駄に装飾されたノブを捻って入室すると、そこは応接室とはまた違った絢爛さを誇る空間だった。 ソファにテーブルがいくつかと、部屋の奥に大きなデスクが一式据えられている。背もたれ付きの大きな椅子に、『ケテル』がいた。 「近くへ寄るがいい、客人」 促されて、ヨシノは部屋の床を踏む。敷き詰められた絨毯は、芝生を歩いているような感覚を足裏に載せた。 土足で歩いても埃一つつかない特殊な加工がされている。恐らくは術式によるもので、間違いなく高級品だった。 (しかし白いな。何食ったら眼まで白くなるんだ?リアルに霞でも喰って生きてるのかね) (イタリア料理が好きらしいよ) (案外俗物的だな!) 「そう意外でもあるまい。セフィロトとて所詮は人間の成り上がり、客人と私でも体の構造は変わらない」 (思考読まれてるじゃないか!) (そう何度も思考ブロックが効く相手じゃないよ。全ての能力者の頂点に立つ一人だしね) (おいおい大丈夫だと思って内心で毒吐いちゃったぞ……どうする、どう取り繕う……!!) 「えっと……何食べたらそんな色になるんですかね?」 《開き直ったーっ!?》
芳野のあまりにもあんまりな質問に、『ケテル』はしばらく口をもごもごとさせて、 「コエンザイムQ10」 《答えるのーっ!? しかも微妙に茶目っ気のある答え!》 「ここまで白い肌に磨き上げるのには苦労した。肌の新陳代謝を整え、年齢周期を把握し、紫外線を防ぎ、サプリメントは欠かさない。 風呂上りには必ず乳液とホワイトニングを塗布し、週一で肌エステに通い、パックで毛穴を引き締め色素沈着を防ぐ」 (お、おい、なんかマジに語りだしたぞ!聞いてもいない美白の方法を……) (異能の副作用で白いのかと思ったけど、純然たる努力の結晶だったんだね……) 「生まれつき色素が薄かった。だがそのまま放っておいたのではくすみやシミができてしまう。陽に弱い私の肌では特にな。 毎夜人目に隠れて肌を磨くうち、これが最も美しい形への道程なのではないかと着想した。美肌に目覚めた瞬間である」 本格的にエンジンが入りかけていた。 部下や教徒では萎縮してそこまで立ち入った話ができないのだろう。不意に得た語る機会に『ケテル』は饒舌さを増していく。 心が読めるので長話にうんざりする芳野や『デバイス』の感情が分かるはずなのだが、なかなかどうして止まらない。 結局、向こう十分延々と美肌談義について一方的に聞かされるのに終始した。 ライフライナー1号君は繋がっているので端末の向こうの坂上にも聞こえたはずだが、彼女の感想が聞きたかった。 「では、本題に入ろうか客人」 「はあ……」 『ケテル』が満足して話題を切り替える頃には、芳野も『デバイス』もぐったりしているのだった。 気をとり直して今度こそ、思念乖離に備えて『ケテル』の挙動に注目する。 「客人」 「はい」 『ケテル』はなにやら懐に手を入れてごそごそやりながら、芳野へと話しかける。 「客人は――邪気眼使いだな?」 懐から抜かれた手には、回転式の拳銃が握られていた。 『ケテル』はおもむろに芳野の頭部へ狙いを定め、――なんの躊躇いもなく引き金を引いた。 「――っだあああ!?」 突然銃を向けられて、芳野が咄嗟に回避行動をとれたのは、ひとえに普段から坂上と接しているからに他ならない。 放たれた弾丸は屈んだ芳野の前髪を数本道連れにしながら駆け抜けていき、部屋の天井に埋まって果てた。 (あっぶねええええ!! ……いやそれより! なんでバレた、『デバイス』ッ!?) (わかんないよ! 確かにあのときダミープログラムで偽の思念を読ませたはずなのに!) 「……一介の異能者風情が、」 デスクの上に『ケテル』がいた。その体に白さとは対照的に鮮やかな青の拳銃を、再びこちらに向けている。 正確に4回発砲。弾はまろび転がる芳野を追い立て、とうとう最後の一発は彼の肩口に命中した。 声にならない叫びを挙げる。 「――この第一セフィラ"哲学"の『ケテル』を騙し仰せられると思ったか?ダミーなど、痕跡から思念経路を辿れば掌握は容易い。 所詮思念同士を共有する程度の異能者如き、ハッキングを解らないように泳がせて情報を引き出すことすら朝飯の前に可能」
それはいわゆる『格の違い』だった。 『デバイス』は『ケテル』をやりすごしたつもりで、その実騙されていたのは『デバイス』のほうだった。 『ケテル』はダミーを早々に看破し、『デバイス』のプロテクトを容易く破って芳野の脳内をハッキングしていた。 思念操作に長けた『デバイス』ですら認識できないほどの巧妙さで。 "哲学"の『ケテル』。『銘あり』とは言え一介のエージェントと最高幹部の一人とでは、その力量の溝は深い。 「マズいッ……! このままじゃ一方的だ、姉さんが駆けつけるまでどうにか凌ぐしかない――」 現在の状況は坂上――アスラにも筒抜けのはずである。 ならば彼女が位置情報を辿ってここに急行するのを信じ、耐えしのいで待ち続ける他に選択はない。 芳野孝之は、ヨシノ=タカユキは、絶望的なまでに戦闘能力を持ちあわせていない。 「この……! 眩ませ『倒錯眼』――!!」 包帯を解き、邪気眼を解放する。最早ヨシノが自分の出自を隠蔽する必要もなくなった。 発動するのは暗記用の赤シート。同系色の文字を隠蔽するこの道具に能力を用いれば、一時的な目眩ましが可能である。 右目に宿った『倒錯眼』が閃き、『ケテル』の目の前に赤い膜が出現する。『ケテル』にはヨシノが見えていない。 はずなのに。 「がっは……!!」 『ケテル』はこともなげに手に持った杖を振るった。なんらかの術式が発動し、ヨシノは不可視の力に殴られて床を転がる。 「痛みで判断力を失ったか?精神系能力者に目眩ましなど通用するわけがなかろう」 「で……ですよね……穿て――『倒錯眼』」 打たれた腹を抑えながら、再び邪気眼を発動する。今度は懐の穴あけパンチで、レストルームの床を穿った。 ヨシノ一人を隠せる穴が空き、そこへ転げ落ちる。直後、彼のいた所を無数の弾丸が貫通した。 「……ふむ。本来ならば穴の中に弾を撃ち込めるはずだったのだがズレたな。『デバイス』、貴様か?」 《あ、あははは……》 思念が読める『ケテル』にとって、先読みで攻撃を仕掛けるのは難くない。 目下ヨシノの命が助かっているのは、『デバイス』が施した論理結界によって精神掌握が数瞬遅れているからなのだ。 冷や汗を流しながら愛想笑いする『デバイス』に、『ケテル』の剣呑な視線が迸る。 「貴様は助かりたくないのか?この男を始末すれば、栄誉ある殉職者として新世界創設後の地位を約束してやるというのに」 《ボクは、その、邪気眼使いにも良いのと悪いのがいると思うんですが……》 「良いも悪いもあるか。貴様は風邪の菌にいちいち情けをかけるか?邪気眼使いとはそういうものだ」 《で、でも! ちゃんと生きて、喋ります!同じヒトの形をしています!!》 「価値観の相違だな。貴様が一方的に正しくないとは言わないが――組織人としては最悪の答えだ。粛清する」 『ケテル』の右手が閃く。手の先の拳銃を『デバイス』へと向け、引き金を引いた。 無数の青の弾丸は穴の上を浮遊する『デバイス』に飛来し、 「――跳ねろ『倒錯眼』!!」 穴から飛び上がったヨシノの背中に叩き込まれた。 痛みに奥歯が折れそうなぐらい食いしばりながら、彼は『デバイス』の体を掴んで穴の中へと引っ張り込む。
《ど、どうして……! ボクは思念体だから実体弾は効かないのに!》 「や、奴が、そんな、甘っちょろい攻撃を、するわけない……見ろ、撃たれたこの傷、肉体的損傷が、殆どない」 脂汗を流しながら息も絶え絶えにヨシノが見せたのは、最初とついさっき撃たれたばかりの傷。 銃弾がめり込んでいるが、血すら出ていない。少し力を入れると、簡単に弾丸が抜け落ちた。 「にも、かかわらず、気の遠くなるよう、な、激痛だ……これは幻痛。思念に直接ダメージを与える弾丸だ」 「ほう、よく観察しているな邪気眼使い。左様、我がリボルバー『ファントムペイン』は思念拷問銃。 想像を絶する苦痛を伴い……そしてやがて精神が自壊する。自壊するよう術式を仕込んである。さあ、貴様は何発で発狂する?」 「胸糞、悪い、銃だ。この胸糞の悪さもお前の能力か?『ケテル』。邪気眼使いは雑菌みたいなもんだって言ったな。 さしずめお前らはワクチンとか抗体といったところか。セカイの自浄作用、ね。よくできたシステムだ」 彼らの操る異能、『管理権限』というのはおそらくセカイの本体たる創造主から託されたものだろう。 体内に生まれたウイルスや菌、デジタル言い直すならバグとも言うべきものを、自律して滅ぼせるように。 「でもな、いいのか?『デバイス』の言うとおり、菌にも善玉菌と悪玉菌がいる。のべつ幕無しに殺して回って、 善玉菌まで構わず殺してしまったらヤバいぞ。なんか問題になってるらしいじゃないかそういうの。現代人の生活習慣でな」 思念になってはじめて訪れる根源的な消滅の危機に、震え始めた『デバイス』。 彼女の半透明な矮躯を抱き締めながら、ヨシノは穴の外から見下ろす『ケテル』と視線をあわせる。 「分別もつけずに正義の味方を気取るなよ抗体共。 そうやって悪いものどころか良いものまで殺すようになった細胞異常をなんて言うか知ってるか?」 精神に直接楔を打ち込まれながらも、思考に依って生きてきた男は、どこまでも理屈を刃にする。 だから、喉元に銃をつきつけられていても、彼は正論を吐いた。 「――『癌』って言うんだぜ」 癌呼ばわりされた『ケテル』の、穴を覗き込むその無表情にヒビが入る一瞬。 無慈悲の弾丸が、その六発の弾倉全部を空にする斉射を放つ刹那を、ヨシノは見逃さなかった。 「解放しろ『倒錯眼』!!」 懐にあったペットボトル――大学で巨刀を封じ込めたボトルの蓋を開く。 封印していた邪気眼の効果が途切れ、中から圧縮されていたヨシノより丈の長い刀が出現する。 瞬間的に伸びた柄はヨシノの鳩尾に突き立って彼をえづかせ、刃先は――覗き込んでいた『ケテル』の顔面を捉えた。
一瞬だった。 『デバイス』ですら知らない、完全に思いつきの行動。ヨシノですらついさっきまで存在を忘れていた。 咄嗟の出来事に、しかしギリギリでヨシノの思考を読んでいた『ケテル』は手に持った杖でガードする。 刃先が顔面を傷つけるのは防げた。だが、巨大な刀が伸びるその勢いは彼女の矮躯では殺し切れず、大きく吹っ飛ばされる。 「はは、は……やったぜ、一矢報いてやったぞ。どうだ『デバイス』、今の俺は最高にカッコいいだろう!?」 《で、でもどうするのさ!『ケテル』様相手に喧嘩売ったりして、お兄ちゃん戦えないんでしょ!?》 「そこで提案なんだが、ちょっと耳貸せ――」 ヨシノと『デバイス』がしばらくごにょごにょやっていると、ようやく態勢を立て直した『ケテル』が銃弾をばらまいてきた。 それはえらく衝動的な行動で、なるほど頭に血が上っているらしかった。暴言を吐かれ、出し抜かれた。見れば、白の瞳孔が開いている。 《――ええーっ!? ほ、ホントにやるの……?》 「やるしかあるまい。見ろ奴のおかんむりっぷりを、ありゃとてもじゃないがごめんなさいじゃ済まんぞ。 ――そういえばケテルの象徴は王冠だったな。奴も冠被ってるし。冠だけにおかんむりってか。ははは」 「笑えんぞ邪気眼使い……!ちっとも笑えんぞ……!!」 《駄洒落にダメ出しされたーっ!?》 「『デバイス』、貴様もだ。もう遊ぶのは終わりにする。我が異能『イデアパペッター』の真髄を焼き付けて死ね」 《ほ、ほら勝てるわけないよっ! 『ケテル』様は今まで上位権限の異能を使ってすらいないんだよ!?》 「だがこちらもまだ『切り札』を使っちゃいない。ああ、切り札って姉さんのことだがな。 とにかくだ、腹括れ『デバイス』。姉さんが来るまでの辛抱だが、せっかくだから倒す気で行こう。生きて帰れたら、デートしよう」 《この期に及んで死亡フラグ立てないでよ!シャレになんないよ!?》 「ときに『ケテル』よ。お前のその『イデアパペッター』ってどういう異能なんだ?」 《本人に聞くのーーっ!?》 「……大体こんな感じだ」 気がつけば、土下座していた。 ヨシノの意思とはまったく関係なしに、体が勝手に動いている。土下座をやめようとしない。 どころか、だんだん精神のほうも土下座に順応してきたというか、土下座の素晴らしさに気付き始めたというか、 もう土下座以外の姿勢なんて有り得ない。少しでも頭を挙げるとなんだかもの凄く不安定な気分になってくる。 土下座バンザイ。ビバ土下座。土下座はいいねえ、ジャップが生み出した文化の極みだよ。 「――っは!!」 不意に正気に戻ったヨシノは慌てて起き上がり、戦闘態勢を立て直す。 体を操られたのではない。土下座を強要されたのでもない。純然たる彼の自己意思で、土下座を敢行していた。 (心理掌握、精神制御――これが『イデアパペッター』……!!) なるほど、『ブレイントレイン』とは正しく桁違いの異能力だ。 テレパシーとは完全に格の異なる、完全精神掌握能力。無防備に術中に嵌れば、自殺だって容易いだろう。 その恐ろしい異能を体感して、しかしヨシノは十全に生きている。 「ほう……僅か20秒で私の精神掌握を攻略するか。小手調べとはいえ、思いのほか技術のある小娘だ。 思念体になって制御の術を掴んだか?やはり肉体に縛られるより自由度の高い能力なのか……」
『デバイス』が、イデアパペッターの呪縛を解いていた。 彼女が解呪にかかった時間は20秒あまり。戦闘中ならば1000回死ねる時間だ。もしも『ケテル』に仲間がいたら、その時点で詰んでいた。 《……駄目だ、ボクの力じゃまだここまでしかやれないよ。それでもいいの?》 彼女は優れた異能者だ。ヨシノの半分も生きていないにも関わらず、その実績を認められて『銘有り』に昇格している。 もしも、彼女が大学内で討死にせず、ヨシノと同い年程度まで修練を積んでいたら、枢機院でも指折りの能力者になっていただろう。 そんな才覚溢れる彼女でも、それでも『ケテル』には届かない。それがセフィロト。それが上位幹部。異能など、才能のオマケに過ぎない。 だが、今はそれで。 「充分だ。君のそのタイムスコアは、守りに回ったからこそのタイムラグも入っているだろう。 得てして後手側というのは多々のペナルティを負うことになる。実力差をひっくり返すのにまず必要なのは何だと思う?」 ――先手をとる事だ。 ヨシノは猛る。自らを鼓舞し、不可視の拳に抗う為に。 「行くぞデバイス!!俺たちはここを生き残り、そして街におデートしに行く!美味しいものいっぱい食べて!好きなことたくさんする! 明日にあるのは明るい未来だ!未来への原動力は日常を楽しむ事だ!だから――楽しい日常を輝かしい未来を素敵な明日を踏み出そう!」 《やるしかないならやるけれど、やるしかないなんて結論は出したくないよ! だから戦う。『やるしかない』んじゃなく、『やれるだけのこと』をするために!デートは絶対しないけど!!》 「……ふむ。攻撃意思ではない、なにか斬新なことをやろうとしているな。面白い、見せてみろ貴様らの発想!」 彼と彼女は決めていた。 もしも『ケテル』の能力が、他者の精神に介入するタイプの、いわゆる『デバイス』のようなそれだったら。 ――車の中で『ケテル』がやったように、ハッキングルートを遡って相手の精神にも乗り込めるのではないか。 もちろんそれには対等以上の力量と異能力が必要になる。そしてそれを『デバイス』は持ち合わせていない。 「だが補うことはできる!俺がな!! ――こんなこともあろうかとLANケーブルを持ってきている!!」 ヨシノが胸ポケットから引っ張り出したのは市販規格のLANケーブル。 パソコンと周辺機器(デバイス)を繋ぐケーブル。 ――『彼とデバイスを繋ぐケーブル』。 ヨシノはそれを構える。片方を『デバイス』に握らせ、もう片方の先端を『ケテル』へ向ける。 ケーブルは繋ぐ架け橋。ヨシノから出られない彼女も、『道』を作ってやれば飛び出せる。 邪気眼を発動する。 「紡げ――『倒錯眼』!!」 極彩色の架け橋は、『デバイス』を送り込む橋頭堡。 ADLSより速い光の束は、狙い過たず『ケテル』の体を貫いた。攻撃ではない。害意がない。 『ケテル』は、躱す必要がないと判断した。何よりも、今から彼らのやることに興味が沸いた。 ヨシノは叫ぶ。言葉は今からやることを、端的に表現していた。 「プラグイン! デバイス.EXE トランスミッション――!!」
『デバイス』の思念プログラムデータを信号変換し、『ケテル』の識閾下にLANネットで送信する。 ヨシノの脳内に囚われたままでは彼女は防衛策しかとり得ない。だから、攻勢に転ずることにした。 『ケテル』の脳内に直接乗り込むことで、『デバイス』は攻撃手段を獲得したのだ。 「さあやるぞ『デバイス』! 姉さんが来るまでの時間稼ぎだが――別に倒してしまっても構わんのだろう?」 《そのセリフはかなり死亡フラグだけど、勝ちたいのは同感だよ!ここで逃げれば裏切り者、負ければ即刻処刑。 もう殺るっきゃない!今度はボクが――口を封じる番!!》 お互いに死亡フラグを立て合いながら、彼と彼女は共に立つ。 『ケテル』の精神内ではトランスミッション完了した『デバイス』が、攻性プログラムを展開していた。 《攻性プログラム:『ジャベリン』――!!》 爆撃思念を内包した無数の槍が、精神世界の『ケテル』へ向かって瀑布の如く降り注いだ。 【姉さんに助太刀要請】 【デバイス.EXEトランスミッション:『ケテル』の精神世界に『デバイス』を送り込んで絨毯爆撃】 【これよりヨシノ&デバイスは精神世界から攻撃を仕掛けていきます。アスラ姉さんには現実世界からの攻撃をお願いしたいです】 【セフィロトはド格上なので両方の世界から攻めて初めて対等に戦えるということで】
ホログラム投影という技術自体は、そんなに難しいものではない 現代でも最先端技術を使えば立体ホログラムは作る事は出来る。 だがそれでもあくまで"ホログラム"の範疇を抜け出せないのだ。 つまり本物と見比べるとどこか見劣りするし、違和感が生まれてしまう これはどれだけ精巧なホログラムでもそうなる。人間の感覚と言うのは意外と優れているのだ。まあ身近に一人、それすら超越した人がいるような気がするが ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ では誰から見ても本物に見える偽物はどうやって作ればいいか、それは簡単だ 実際にそこに存在させればいい 触れられる幻影こと、"幻視質量"の登場である。 幻視質量の中心となるのは空間歪曲技術である。空間を捻じ曲げる事により、光を捻じ曲げホログラムを投影すると同時に、疑似的な質量を幻視させることができる。 空間とは廻帰的に連続した巨大な一つの存在である為、遠距離からでの操作も可能となり、実質そこに何も無くてもホログラムを投影できるという便利さもある。 ただし重力や、その他空間超越系ニュートロンに強く影響を受けてしまう為、せいぜい数十メートル範囲が限界なのだが ピアノはそれに加え、光学迷彩を施したホロ・ファンネル(ビット型ホログラム投影機)を飛ばし、更にリアルさを追求している。 これだけの人、それもセレネの事を知りつくした人が集まってもなお、誰一人として偽物と気が付かないようにするには、これだけの装備でも不足は無いだろう ただその分、負荷は超絶的なものとなる。 「…CPU稼働率95%、まあ…なんとかいけるわね」 云十テラバイトというトンデモ処理能力をもってしてもこの処理を行うのはキツイ その為ピアノは全世界に協力を仰いだ。 仰いだというより、無理やり協力させている。 全世界の稼働しているネットワークに繋がったコンピューターの処理を少しだけこちらに回させているのだ。あらかじめ蒔いておいたコンピューターウイルスによって しかしそこまでしても稼働率95%、超高速(それこそ0.000001秒レベル)で空間認識演算を繰り返しているのだから、妙な納得も感じてしまうが 「出来れば風吹かないで欲しいなあ…」 さすがに厳しかった。と言ってももう歌も終盤、下を見れば大興奮の群衆が見える。 と、その隅に一人の少年が椅子に深く座り頭を垂れている。 「やれやれ…この程度でギブアップとか、本当にアレが"世界の選択"なのかなぁ」 しかしまあ、イェソド戦、R戦、そして秋葉原を走り回るとくれば、常人ならば疲労のあまり倒れてしまうだろう。(常人には起きえない事ばかりなのに関しては質問してはいけません) 「レイのほうも終わったのかね…」 ふと後ろに視点を回すと 「ちょ」 二人がいたはずのビルが崩れて融けて落ちていた。 「……大暴れにもほどがあるんじゃないの」 レイの事が心配だが、ここから離れるわけにもいかない というか、終わるまで出れない 「出入り口ぐらい付けとくべきだった…」 未知の技術の塊の中で、ピアノは小さく溜息をついた。
Side Victoria ヴィクトリア・ゴールドセリアは目を覚ました。 幸いなことに『ヴィクトリア』と『死』は精神も肉体も共有している訳ではないため、 地に倒れ伏した直後にヴィクトリアの人格が表に出ることでほとんどタイムラグも無く臨戦態勢を取ることはできた。 相手との距離はほんの10mも離れていない。その気になれば常人の首をはねることなど容易い間合いである。 しかし、ヴィクトリアは無手である。彼女の持つ宝具は残念なことに全てセレネの魔法、エターナル・ゲートに飲み込まれてしまっていた。 加えて魔力を大幅に消耗し、頼みの綱のポーターも壊れている絶体絶命の状況。 既に眼前の敵がどれほど強いのかは身をもって思い知っている。 現に、気分か何かは知らないが彼女が着替えたコスチュームはこれ程の戦闘にもかかわらず焦げた跡一つない。 もはや逃げるしかない、そう思って脱出の糸口を掴もうと脳をフル回転させているその時、セレネの方が口を開いた。 「一応謝っておくべきかしら?ごめんなさい。」 理解できなかった。 何を言っているのか、そもそもなぜ自分の命を取りに来ないのか。 「だから、あなたをまたひとりに戻しちゃったっていうこと。」 「何を言っているのですか?私は一人で戦い続けてきた。唯一私を理解してくれた『世界』ももう居ないけどそれは貴女のせいではありません。」 「ふーん、あくまで認めないんだ。」 まるで訳がわからない。なぜ自分の事を知っているのか、そんな疑問すらもすぐに忘れてしまうほど、セレネの口ぶりは気になるものであった。 何より、セレネの声を聞くたびに、続きを聞かねばならないという気持ちが抑えられなくなる。 「今のあなたには、『本当のひとり』が恐ろしくてしょうがないっていうことよ。」 「『本当の一人』とは気になる言い様ですね。」 「初めはどうあれ『死』という人格はもう立派なひとりのニンゲンだったんじゃない?」 「アレは私の一部です。欠損は手痛いものではありますが、仕方ないと割り切っています。」 「本当にそうかしら?」 ヴィクトリアはひとつひとつ丁寧に、かつ的確に反論して行こうとする。 しかし、セレネの追及はまるで流れる水のごとくその論理の隙に入り、やがてはそれを突き崩すのであった。 「じゃあ、今のあなたは人を殺して寿命を奪える?」
「じゃあ、今のあなたは人を殺して寿命を奪える?」 「ッ!」 「でしょうね。つまりそういうこと。あなたができないことを彼女がしてきた。つまりあなたは彼女に依存してきたっていうこと。」 「依存ではありません。アレはそのようなことを目的として作りだした人格、いわば私の一部ですから。」 「『死』は使命を、記憶を、そして自我を持って生きていた。それってもう、十分ひとりのニンゲンなんじゃない?」 戯言を。そんな一言で片づけ今すぐにでも逃げ出したい、そんな欲求が生じた。 しかし、できなかった。ヴィクトリアの心の中の葛藤は、自らが壊れるという危険を無視してでもその、最後の一言を聞くことを選んだのであった。 「そう。あなたを受容し、庇護し、共に歩って行くニンゲンはいちばん身近にいたの。 そしてあたしのせいで、今はその彼女に会えなくなっちゃったっていうわけ。流石に謝っちゃうよね〜」 その瞬間、全てが崩れていった。 自分の思い描いていた『理想の他者』とは一体誰だったのか。 自分が800年もの間になしてきたことは何だったのか。 そもそも自分は何を求めてきたのか。 ヴィクトリアは、壊れた。 脅威の敵から10mも離れていないがもはやそんなことすら気にも留めない。 放心状態。一言も発することも無く、ただ虚無感に打ちひしがれるのみ。 そして、壊れた心には甘言がよく効くのだ。
「で、あなたはこれからどうするつもり?」 「へ?」 思わず普段は絶対発することが無いであろう気の抜けた返事が口からこぼれる。 「あわれとうとうひとりになってしまったヴィクトリアさん。これから生きて行こうにもこの世界は孤独の極み。さりとてただ黙って死にゆく勇気も無い。」 「だから何だというのですか!」 「これ、返しておくわ。」 そうしてセレネが細腕を横に振るうとまるでマジックのごとく、そこに大量の新規、宝具が姿を現した。 それは、紛れもなく『死』が彼女に向かって放ったもの全てであった。 「何故わざわざ返すのですか?」 「これが要るようになると思ったから。ていうか何より、あたしに傷ひとつ付けられない武器なんてきょーみないし。」 自分の武器を返されたこと、そして何より改めて、眼前で武器がまさに山積するという言葉がふさわしい、まるで天まで届くかのようなその圧倒的な量への驚きにヴィクトリアはまんまと毒気を抜かれ、警戒心すら失いつつあった。 「それであなた、あたしと契約しない?」 魔女と魔法使いの契約。それは本来であれば細心の注意を伴い互いの魔女人生全てを賭けてもおかしくないような緊迫したものである。 しかし、既にヴィクトリアは壊れ、その甘言に耳を傾けてしまったのだ。 「別に特にこれといって義務は課さないつもり。ただ、あなたには残りの人生をかけて『目的』を果たしてほしいの。」 「私の……『目的』?」 「そう。あなたがかつて思っていた、あなたを受け入れてくれる人間を探すっていうこと。あたしはその過程を見せてもらう、それが対価よ。」 この時、ヴィクトリア・ゴールドセリアに『生きる目的』が生まれた。 「わかりました。その契約、受諾させていただきます。」 「よろしい。それじゃ早速ご成約者へのビッグなプレゼントを差し上げましょう!!」 瞬間、セレネの周囲に何か恐ろしい、しかしどこか神々しくもある何かが見えるような錯覚に陥った。 そしてヴィクトリアは実感した。自らの体内に何かが満ち溢れていることに。 「これが本当の魔力っていうものよ。」 「何故こんなことを私に?」 「簡単じゃない。これだけ魔力をつぎ込んでおけばしばらくは寿命の補充を気にしなくていいでしょう?」 何ということであろうか。 ついさっきまで命を賭して殺そうとしていた相手が今、純粋に自分の事を心配し、あまつさえ自分の弱点の一つをものの見事に解決してくれたのだ。 それだけではない。 口にこそしていないが、『黄金の力』の副作用としてヴィクトリアが周りに振りまいていた『死の性質』も抑え込まれているのだ。 それはくしくも、かつて『死』が古代ギリシャの霊装『賢者の鎖』を用いて自分に行ってくれたことと同じであった。 「それじゃあ後は、詳しいことは隣の棟にいるじいに聞いてくれれば何とかなると思う。魔力が足りなくなったらまた顔を見せに来なさいよねっ!」 「言語で表現するのも不可能なほどですが、何にせよ、ありがとうございました。」 「いいっていいって。あなたのこれからが上手くいくことを願って。存分にあたしを楽しませてよね。」 深々と頭を下げ、恩人の言葉を最後まで聞いたところで踵を返したヴィクトリアは、隣の棟の「じい」のところへ向かう。その先に待つのは恐怖か絶望か、はたまた虚無か。
Side Selene 何のことは無い。ただいつも通り、迷いし者を修羅の道へと後押ししただけの事である。 時は数分前に遡り、セレネはひとつの可能性に行きついてきた。 すなわち、眼前の襲撃者は二重人格であると。 ただ倒すだけではならない、この襲撃自体がセカイの大いなる意思によるものだと確信していたセレネはこのあまりにあからさまなヒントを見逃さず、ヴィクトリアの精神をその隅々まで解析しようと考えた。 『彼の者を消し去れ、ザンネック・キャノン!!』 この時セレネの手にあったのは2枚のカード。1枚はザンネック・キャノン、そしてもう1枚は"Mind Search"である。 これにより、セレネは『死』の、そしてその時は一時的に裏側にいたヴィクトリアについてさえもその思想、信条、攻撃方法、過去、そして目的をのぞき見ることに成功した。 そして彼女は思ったのだ。「観賞しがいのあるニンゲンである」と。 あとはご覧の通り。『死』は最大限の攻撃を仕掛けたがそれはセレネの思うつぼ。 憎悪と怒りに呼応してより強くなる術式『エターナル・ゲート』は、さんざん人を殺してきた多くの武器を、そして『死』自身を吸い込もうとしたというわけである。 あとはセレネの独壇場、言葉を紡いで相手を籠絡するだけの簡単なお仕事であった。 魅了のスキルで興味を引きつけたのはちょっとずるいかもしれないが、あとは陣水にセレネの話術のなせる業である。 「ま、ちょっとミスリードもあったけどね。」 実のところ、セレネは『死』を殺してはいなかった。だから「今はその彼女に会えなくなっちゃった」などという遠回しで面倒な表現を選んだのだ。 『死』はヴィクトリアの内側で今名を存在し続けている。 ただ、ヴィクトリアの生存を優先する余り魔力を使い過ぎたことか災いし、しばらくは表に出てくることどころかヴィクトリアとの会話すらできないであろう。 (下の世界の出来事とはいえ、流石に人を殺して悶々として一生背負って行くなんてゴメンだしね。) VIPPER 「後はお客さま方の避難もね。というわけでじい、そっちの事はお願いね。」 『承りました、お嬢様。』 その言葉を最後にモニターを切るセレネ。 「さーて、次はこうはいかなさそうだけど、本当にやるしかないかな?」 そうしてセレネが眺めていた隣のモニターに移るのは秋葉原の戦場。 「R」と名乗るその存在は既にそこを後にしていた。そしてセレネの限定的な未来視は数秒後にはここにその「R」が来ることを示していた。 (このヴィジョンも『出来事』より細かいカテゴリまで見れればバトルの役に立つかもなのに〜) 心の中でちょっとだけ歯噛みしたりしなかったりのセレネの明日はどっちだ?
Side Yekaterina 「何よ……これ!?」 「これがこの世界の現実にございます。」 エカチェリーナはセレネのテレポートで飛ばされた後、「じい」と呼ばれる老紳士と共にずっとセレネの戦いをモニター越しに見ていた。 それはまさに荒唐無稽、現実離れした人間同士の戦闘。 せいぜい拳銃をぶっ放すのが精いっぱいのエカチェリーナにとっては何もかもが恐ろしく、しかしそんな光景にどこか心惹かれるものがあったのも事実である。 そしてそんな夢のごとき真実を目の当たりにした彼女に、とうとう決断の時が来た。 「では、エカチェリーナ様はこれからどうなさる御積りで?」 「……確かにちょっと尻込みした。でもやります、やらせて下さい!」 彼女の目標は『自分にしかできない情報屋』である。こんな非日常を目にしてそのチャンスをみすみす逃すという選択肢はそもそもなかったのだ。 「承りました。それではお嬢様と相談しますゆえ、少しお時間を。」 やがてセレネとの回線がつながる。「じい」は2、3言かわしたかと思うともう通信が切れてしまったようである。 「朗報です。早速エカチェリーナ様にしていただきたいことができたそうです。」 これが彼女の、新たなる始まり。
――そのものの苦しみはあまりにも大きく、それを他人に分け与えることを止められない。 日本から忽然と姿を消したRは、後に残された者達のことなど全く忘れたかのように世界の外にいた。 霊気に満たされた空間に人間の身体は悲鳴を上げそうになっていたが、すぐに魔力と人が呼ぶもので防御される。 彼女がそこに移ったのは特に意味があるわけではなかったが、強いて言うならば先の戦いの記憶をゆっくりと反芻するためということにでもなろうか。 だが、幸か不幸か――この世界にとっては明らかに不幸であるが――瞑想はすぐに破られることとなる。 『憎悪と怒りの獄門/Eternal Gate』 開かれた門(Portal)は、繋がれた空間と――その間に存在する霊気を歪めて波を立てる。 作られる波形は例えば声紋のように一つとして同じものは無く、読み取ることさえ出来るならば使用者を識別することも可能だ。 そして彼女には、それが出来る。 先の門を開いたのが、この世界に来る前、最初に感知した空震と同じ発生源であると理解・判断するまでそう長い時間は掛からなかった。 次に浮かんだのは、当然ながらその存在に対する――極僅かなものではあるが――興味である。 ほんの少しの時間の後、Rは世界の外から世界の内へと再び舞い戻っていた。 ――むかし、冬が力を握っていた頃 立ち去るときも最後まで、彼女は氷の指先をはわせたままだった ――冷えきった空気は風邪をひき。 ―― エイリーン・コララーン「遅い雪解け」 Санкт-Петербург 、20XX. 『死』を下しヴィクトリアを掌中に収めた三千院セレネは、自らの未来視(Visions)によってRの来訪、正確には襲来を予期していた。 だが、いかなる手段によってこの地へ来たるかは如何に彼女であろうとも看破し得なかったであろう。 ……何の前触れも無く、辺りに降り注ぐ日光が減衰し始めた。 疑問に感じた者たちが空を見上げ、その後に戦慄の悲鳴が続いた。 太陽に暗幕が掛けられようとしている、と誰かが叫んだ。その言葉が、恐らくは最も適切に今起こりつつある現象の外観を表現していただろう。 見る間に覆い尽くされた太陽は輝きを失い、訪れた魔法の夜の中で季節外れの星座が瞬く。まさしく悪夢の中であるが、それでもこの忌まわしき極夜は夢の美しさを併せ持っていた。 数分間の暗黒と混乱の後、全く突然に、夢から覚めたように光が戻ってきた。この場にはいなかったはずの、少女の形をした何者かと共に。 ――そしてわが身より、闇が投げかけられよう。何故なら、わが魂は太陽の中に住まうのだから。 ―― フェメレフの葬送歌 「‥‥昔は、こういった演出をすると大層喜んでもらえたものだが‥‥」 セレネに顔を向け、視線はどこへも向けず、声もまたいずれを向いているのかわからない。 「君はどうかね? 私という存在について、脅威に値すると認識してくれただろうか?」 混乱のうちに放置されていた豪奢な椅子に悠然と腰掛けて、Rは相手が自身に感銘或いは危機を与え得る存在であるかどうか、行動によって明らかにされるのを待っていた。 ――動物の声みたいだろう。一人ぼっちで夜鳴きする大きな動物だ。何十億年という時間の端っこに坐って、 おれはここだ、おれはここだ、おれはここだ、と……呼びかけているんだ。 ――レイ・ブラッドベリ『霧笛』
閉鎖された街は暗く淀んでいた。 理由はいろいろある。 ひとつはある能力者の「天候を変える」能力のせいだ。 そのせいで晴天は雨空となっていた。 もうひとつは街で起きた戦闘のせいだ。 多数の死者と怪我人、突然起きた惨事に町の住民たちの心は空を見上げる余裕を失わせた。 だが、今や雨雲は吹き飛ばされた。 空気中に散った水の分子は、太陽の光を受けて虹を形作っている。 そして一人の歌姫(実際は立体映像だが街の住民たちには知りようもない)の 歌声によって、彼らの心を覆っていた暗雲は晴れつつあった。 今や彼らは歌声を高らかにあげて唱和していた。 その旋律は、街にかけられた魔法を解く呪文でもある。 声は見えざる呪式となり、魔法陣に抵抗を始める。 魔法陣はさらに街を閉ざそうと抵抗するが、その圧倒的な力の前に、見えない音符となっていった。 もしも、この街に人より特別な「眼」を持つものがいたら、 街の周辺から大量の、さまざまな種類の音符が空へと舞い上がっていくのを観ただろう。 それを、遠く離れた場所から見ている一人の男がいた。 彼の名は「Mr.S」 カノッサ機関監察部第三課長。 場所は日本国内の某所としておこう。 薄暗い、擂鉢上の部屋を思い浮かべて欲しい。 たとえるなら、劇場だ。 一番低い位置に舞台があり、それを客席が取り囲んでいる、そういう大きな部屋だ。 ここは、カノッサ機関監察部の「アルファ」だ。 Sは舞台にあたる擂鉢の底に設置された巨大なテーブルに座っている。 テーブルの足は黒檀を磨き上げたような漆黒。 テーブルの柄は白と黒のチェックで、まるでチェス板のようだった。 実際にこのテーブルはチェス板の役目を果たす。 それどころか、このテーブルは知能を持っている。 テーブル型のコンピュータで、名を「ライプニッツ」という。 『卓越思考卓』と呼ばれた彼女は、彼一台で全世界の半分のコンピュータの機能を代行できるほどの処理能力を持っている。 今彼は、極東島国の街、聖都「秋葉原」の監視カメラを制御するコンピュータに侵入し、 現地の状況をリアルタイムに監視していた。 立体フルスケールビジョンの立体映像を「Mr.S」は眺める。 『魔法陣が崩壊を始めています!』 ライプニッツは優雅な女性の電子音声で答える。
「きっかり1時間経過したが…これならわざわざ破壊するまでもなかろう、レインマンの戦略は成ったか」 『予想外の結果でした』 「否、これこそ予想の範疇というものだ。素晴らしいな、彼女の力は」 『ピアノ=ピアノ女史ですか?』 「違う、三千院セレネの力の事を言っている…やはりそうなのだ、彼女は」 『失礼ですが“S”、彼女は世界においてはいささか無害な存在では?』 「そう振舞っているだけだ。 彼女はやろうと思えばこの世界全てを支配化に収める能力を持っている… それが、今証明されたというわけだ…彼女は、創造主に匹敵する能力者だ…」 『それは推論の域を超えた想像ではないのですか? 創造主のデータとの比較検討もなしに断言できません… 創造主の能力のデータがそもそも存在しませんが』 「機械め、あてにならないのはお前のほうだ… 私は独自のデータを持っているのだよ。それをお前に入力してもいいが…それをすればお前は崩壊するからそれをせんのだ』 『私の処理能力でそのような事は起こりえません。 私のアーキタイプが国防総省の地下で製造されてからいったいどれだけの…』 「お前が中古品であるという事は知っているとも。 いいかね?そもそも今回の作戦は、彼女の力を証明するための作戦でもあったのだ」 『初耳ですね、そもそもこの作戦が行われたのはレインマンの独断では?』 「それこそがフェイクだ。秋葉原、セレネの握手会、混乱する街、 退去するセレネ、魔法陣による街の封鎖…解決のための方程式はできたも同然だ…」 『では、レインマンの行動を貴方は予想していたと言うのですか?』 「そうだ。優秀な差し手は駒の特性を理解するものだ…」 『レインマンにそのように行動させるために、あなたは秋葉原を破壊すると言ったのですか?』 「保険だよ。レインマンが失敗した場合は本当に破壊するつもりだった」 『…貴方がなぜ粛清されないのか理解できません、貴方はカノッサとしての行動を逸脱しています』 「カノッサは変わる、もはや過去のカノッサではない…さて、支部と回線は繋がったか」 『無論です。私にこのような雑事をさせないでください』 「言うな、お前の事務処理能力がなければ三課はないも同然だ…では始めるとしようか」 『開始します』
「カノッサエージェントの諸君。私は監察部第三課長のMr,Sだ。 私は諸君らに重要な情報を伝えたいと思う… われらの敵は楽園教導派だ…つまり我々は“あのお方”から敵とみなされている!」 「これは由々しき問題だ。われらカノッサは、今まで世界の脅威と戦ってきた。 我々こそが、世界の意思、創造主の意思代行人だと自負してきた。 だがそれも今日までとなった。 我々は今までの存在意義を過去のものとしなければならない」 「だが諸君、聞いて欲しい。 我々は存在意義を失って瓦解し、消えるべきだろうか? それは違う。その理由は、諸君らの今までの行動が証明している」 「我々カノッサは力を求めた。 そして、世界意思を代行せんと今まで戦ってきた。 だがそのときに、創造主は一体何をしてきたのか?ただ我らの行動を見守るだけではなかったか? そうなのだ、諸君、創造主は我々をただ見ていただけなのだ。 我々に命を下すことなく、ただ、見ていただけなのだ。」 「そして我々は血を流し、戦い続け、多くの屍の山を築いてきた。 私は問いかけたい。一体世界の意思とはなんなのか? 我々を見守り続けた創造主なのか? 否!断じて否だ!そんなことはもう認められないのだ!」 「我々は全宇宙を創造する能力を持たずとも、世界のうえに世界を築いた。 そして、その中で起きる問題全てを我々は解決しようとしてきた。 我々は全知全能で“ない”にも関わらず! 全知全能で“ある”ものが存在するにも関わらず!」 「改めて問いかけよう。 世界意思とはいったい何なのか? それは我々だ! 我らカノッサこそが世界意思なのだ! そしてカノッサとは何者か?それは君たちだ。 私を含む君たちエージェントがそうなのだ! 日々血を流し、時に見捨てられてきた諸君! 君たちこそがカノッサ!君たちこそが世界! そう…我々こそが世界なのだ!」 「我らはかつての主の庇護から抜け出し、そして試練に晒されている。 だが我々は世界意思であり、我々の事は我々で決めなくてならない! 目下の問題は言うまでもなく楽園教導派だ!彼らは我々を殺そうとしている! 全知全能ではないものたちのか弱い世界を、今、叩き潰そうとしているのだ!」 「…断じて許すわけにはいかない。 諸君、我々こそが世界だ。ならばするべきことは一つだ。 討つべし!楽園教導派!その一事に尽きる。」 「我ら第三課はこれより戦時体制へと入る。 世界意思に反するものたちの牙城を探し出し、それに一撃を加える尖兵となる! 諸君らは我々の屍のあるところに敵を見つけるだろう! そして…敵は打ち倒されるのだ! これが世界の選択だ。 では諸君、戦場での再会を期待する!」 「ラ・ヨダソウ・スティアーナ」
ガラス状となり、チラチラと輝く鱗粉が地面を埋めつくしている。 気を失っている雨乃を脇にのかすと、黒爪は溜息をついた。 「終わったのかね、あまりそうとは感じられないが…結局あいつは終始遊んでやがったな」 あの技で倒しきれなかったのはいささか不満だが、何、次合う時までにそれを超えていればいい そう気楽な考えで、黒爪は小さく伸びをする。 「とりあえず俺の出番は終わり、この身体も返そうかね」 ボロボロになったメイド服を脱ぎ捨て、元のシャツとジーパンに戻る しゅる、とウエストバックから包帯を取り出し、腕に巻き始める。長い包帯を切るため、口にくわえ刀を取り出そうとした、その時 じゅう、と音をたて 包帯が焼け落ちた。 「………」 高い防御魔法を練り込められ、燃焼耐性、氷結耐性、通電耐性を持つこの包帯が焼け落ちるという事がいかに異常な事か 例えるならば一人の真人間が、素手で戦車を破壊するようなものだ。 黒爪は持つ手を離し、加えていた包帯を捨てると、小さく吐き捨てる 「逃げろ…と言いたいが、はは…誰に言えばいいんだ?」 苦渋の笑みを浮かべ、黒爪は壁にもたれかかる その目が、徐々に光を失っていく 生の光ではない、生気の光が 「ったく…結局こうなるんじゃねーか、馬鹿家族共が 何が起きても…後の祭り…だぞ……」 がくん、と頭を垂れる。 その瞬間、周囲の空気まで変わった。 空が、大気が、まるで恐れているかのように渦を巻く
「……はぁぁ」 大きく息を吐くのは誰だろうか、ゆったりと頭を持ち上げ、空を仰ぐ その空には、一羽の鴉が舞っている。 鴉とは地獄鳥であり、悪魔の使者である。 自由となった地獄鳥は人を襲い悶絶させる。 地獄鳥に鳴かれたものは地獄に堕ちる。 この世に顕現した悪魔は疫を撒き散らす。 悪魔に囁かれたものは狂気に占拠される。 「そうだ、私は鴉だ。」 そう呟く"彼女"の目、そこに映っているのは翼を失い、血にまみれながら落ちていく鴉 「悪魔の使者は、疫を蒔く…全ての人に、平等に」 ぼたりと堕ちた鴉を一蹴すると、彼女は歩き出す。 声が聞こえる、気配がする。 たくさんの人がいる。 「死肉啄ばむ地獄鳥…生肉舐める地の亡者」 その足は徐々に早足になっていく、何かを求めるように そして、中央通りへと躍り出る。 熱気と、歓声がわき上がる荒廃した道 人々の意識は、つい今しがた全てが終わったらしい"映像"に向かっていた。 土台から何まですべて映像で作られた偽物に、手を振り歓声を上げている。 その光景はとても馬鹿らしく、人間の不完全さを誇張させていた。 「悪魔の死者は、全てに平等…」 彼女は、群衆の後ろからゆっくりと歩みよる。 その脇でパイプ椅子に寄り掛かり眠る青年がいたが、そちらには見向きもしない そして、一人の成人男性の真後ろにつく、男性は正面にばかり気を取られていて気付いていない 「…美味しそうだ」 そして、その薄氷色の背をつうと撫でる そこでようやく男性は気付くが、それをした主を見る事は叶わなかった。 その人の頭が、無くなっていたのだから 「特に、脳髄」 彼女はあまりにも冷静に、そしてとても楽しそうに、言い放つ 秋葉原を埋めつくしていた黄色い歓声は、阿鼻叫喚の叫び声へと、変貌する。
「きゃあああああああああ!」 「何だ!何なんだよ!」 「おい、あいつ…首がねえぞ!」 「う、げえええぇぇぇっ」 叫ぶ者、何も分からず怒鳴る者、そして何が起きたかを知って嘔吐する者 逃げる者、慌てふためき滅茶苦茶に走り回る者、何もできず立ち尽くす者、転び、立ち上がるのすら忘れて這いずる者 その誰一人として、30秒とその状態を保てなかった。 意識が失われれば、動くことなど叶わない いや、わずかに数人生き残る者はいた。あの老人と側近もそのひとつ 「なんじゃ、なんなんじゃ!?これは!?」 「サプライズ…という訳ではなさそうDeathね…」 「爺、危険だ ここは逃げよう!」 「言われなくともわかっとるわい!」 奇しくも、最前列にいた彼らはこの騒動から逃れる事が出来た。いや、それでもこの大混乱の中を冷静に動けるだけの冷静さがなかったらどうなっていた事だろうか 路地裏へと逃げ、落ち着きを取り戻した彼らに襲ったのは、耳を塞ぎたくなるような声と音の数々 音からは逃げる事は出来ない 何かを切り刻む音、絶望に満ちた叫び声、助けを求む声 それは共に闘ってきた同志達の声、老人がギリ、と歯ぎしりをするが、隣にいた学ランの青年が制止する。 「駄目だ爺、今出ていったら殺されるだけだ…無差別な殺人鬼がいる、日本刀を持ったね。俺でも倒せる気は全くしない」 「だからと言って同志を見殺しにするのかの!?」 老人は今にも飛び出していきそうだ、が、その前に一人の少女が立つ 「アイス…」 「言ったでしょう、おじいちゃん 無慈悲でも、残酷でも…現実を受け止めるのDeath 冷静に考えれば分かるはず、今出ていっても無駄死にDeathよ?爺はもう若くも無い、彼ですら勝てない相手に爺が叶うはずもないのDeath」 「むぐ…」 老人は何も言い返せない、いかに大戦を生き抜いた所で、年の瀬には勝てないのだから 老人を言いくるめた少女は、路地から大通りを垣間見て小さく呟く 「ここはもう私達のステージではないのDeathか…私達の日常、ちゃんと返してくれるのDeathか?」 彼女は誰かに問うように言う、それに応えるのは、一体誰なのか
秋葉原中央通りは、赤かった。 その中心で、一人の女性が屈んでいる。 ずずっ、と何かをすする音 はぁ、と息をつくその口は真っ赤に染まっている。 手でぬぐえば、その下の薄い唇と、白い肌が綺麗に映し出された。 それは、どう表現するものか いかに熾烈なる戦場でも、いかに非道なるテロでも、こうはいかないだろう 辺りは完全に血の沼と化し、人の手が、足が、頭が転がっているのだ。 それはまさに生き地獄、いや、生きる者など誰一人いない 真ん中の女性を除いて 「っはあ…美味しい…」 血にまみれたその姿は、とても人間とは思えぬ生き生きした雰囲気に包まれていた。 刀を血沼に浸らせ、滴る赤い水滴を舐めとる 鉄の味が口腔内にふわりと広がる。 刀に血濡れた小片を乗せ、小さく食む、特有の弾力が舌の上を転がる。 彼女、レイ・クロウ・アークウィルは今、人生で最高の時を過ごしていた。 狂気の、名のもとで
(業火陽炎─イグニス・イリュージョン─による不意打ちは見事に成功し、わざとらしいほどに的確に鋏の柄は首筋を捉える。) (ステラはあえて慣性に身を任せる事でダメージを軽減し、結果大きく距離を開けた。) ……ふむ。 (研究者は少し意外そうな、あるいは失望したような声を上げる。まるで、反撃を受けたほうがよかったとでも言うような声だった。) …こうではない、筈だ。まだ少し足りないな。 (ステラに笑みを向ける。それは唇の端を吊り上げた、あの嫌な笑顔。) …とは言うものの…骨折三箇所に打撲出血捻挫打ち身深爪、か。 私でなければ二回は死ねる傷だ。奴の技が十分素晴らしい事に変わりはないが…。 (つつ、と唇の端を伝い、一筋の紅い線が垂れ下がる。) (肋骨を伝う出血はもはや黒ずみかけ、白衣の内側を占める黒いシャツに不調和で不安定な斑模様を描いていた。) ククク…よろしい。ならば、行こう。 (20メートルほど飛ばされたステラの元へ、歩いて距離を詰めてゆく。数メートルの範囲に入ると戦闘態勢へ戻り、再び構えて駆け出した。) (またもや愚直な突進先方──と思われたが、そうではない。) (歩いて五歩という圏内まで近づいた所で、ぴたりと足を止めてバックステップ。) (同時に自らの影に手を翳し、目に黒色の光を宿しその眼を解放───) 「【僥倖眼】:半減展開――<プリズムプリズン>!!」 【影探眼:漆黒の(ナイト・オブ────クッ!? (開きかけた口が噤まれる。同時に、足の甲に走る激痛。) (詠唱はステラが一瞬早かった。どこか儚げな光の柱があるいは光よりも早くシェイドの足を縫い付ける。) ──こいつは───そうか──!! (焼け付くシェイドの脳髄に、まるで電気ショックを直接与えたような雷光が走る。それは言うなれば圧倒的な閃き。) (彼女を観察しつづけた中で構築された「真実」が、今彼の中で一つの糸として結びついた。) (《エウレカ(理解)》──そう叫ぼうとしたシェイドの側頭部を、ステラの脛が的確に捉える。)
「――っつああ!!」 (光速の蹴りが真正面の首を捉える。ほぼ反射的に、シェイドは握った拳を首前に翳した。) (拳と脚が交わる刹那、シェイドの体が蒸気のようにぐにゃりと揺らいだ。) (霞を捉えるかの如く、ステラの脚は空を舞う。それはすでにシェイドが蹴りを受け流した後の事。) (にい、とシェイドはまた唇を釣り上げるあの嫌な笑顔を浮かべた。) (ふと、遠くで何か重たいものが倒れこむ音が響く。) ………カマイタチ現象、というやつか。 クク…その蹴りのスピードなら十分にあり得る話だ……。 (先の蹴りを受ける直前、シェイドは拳の中に形成した小さな影をステラに添えた。) (決して交わることのない“光”と“影”の反発作用───シェイドは身体の一部を影化することで、「光」速で放たれた彼女のキックを触れずに避けたのだった。) ……ああ、非常に面白い眼だ。ステラ=トワイライト。 君のその身体に見合わぬ格闘術は遺眼の「遺し手」の能力だろう?術者の能力を封じた宝具…という訳か。いいものを譲られたな、全く。 おまけに君の場合はそれだけに留まらない。空中で見せた高速移動は紛れもなくアルカナ「星」のそれだ。 …ああ、彼女のことはよく知っているよ。何せ死の間際に立ち会ったのは他ならぬ私だからな。 思い返すも、あれはいい散り際だった。 ふむ…これは私の推測だが、おそらく彼女は君の身内かなにかだったのではないかな? 「格闘術の彼」が遺眼を君へ遺す際に、何らかの要因を経て「星」の能力の一部が混在した…というところか。 珍しい…否、珍しすぎる事例だ。クク…これだけで論文一本行けそうだよ。 ……さて、これで遺眼の能力も大体掴めた。 私も結構なダメージを負ってしまったし、ここは退散と行きたいところなのだが…。 (「星」の名を口にした途端、ただでさえ迸っていたステラの殺気が尚も増大する。シェイドはその様子を見て少し愉快そうに笑った。) クク…様子を見るに、それを許してはくれなさそうだな? …まあ、いいだろう。君のような者と戦うのはこちらとしても望むところだ。
…だがその場合は、私も少し「調子を整え」なければならないな。 (白衣の裾から、オレンジ色の液体が入った小瓶を取り出す。) (指で弾くようにそれを宙へほうり投げ、瓶を見上げることもなく、鋏を取り出して空中で叩き割った。) (ぱりんという柔らかい響きとともに、無数のの破片と液体がシェイドの身体へ降りかかる。) 止血程度にしかならないが…まあ、応急処置ならこれで十分か。 (だくだくと流れる血が少しだけ止まる。───舞い落ちたガラス片は、シェイドを中心とする円を描くように散らばっていた。) さて──。 (白衣の袂から、黄金色に輝く小振りの鋏を取り出す。) (片手で自分の前へ突き付け、そのままそれを影の中に落とした。) ポケットを叩くと、ビスケットが二つ。 (前に出した手を、次は両側に広げる。) (待ち構えてたかのように彼の手の影から真っ黒な二丁の鋏が飛び出し、そのまま両手へ収まった。) もうひとつ叩くと、ビスケットが四つ。 (二丁の黒い鋏を再び影の中に落とす。) (同じように、影の中から真っ黒な鋏が四丁飛び出す。) もうひとつ叩くと──────。 (再び、四丁の鋏を影に沈める。) (横に広げた両手を戻し、右手を銃の形にしてステラ=トワイライトへ突き付けた。) ──────“ビスケット割れた” (その間抜けな童謡が起動の合図、とでも言うように、言い終えると同時に背後の巨木がざわりと騒ぐ。) (ぴん、と糸の切れたような音とともに、木々に生える葉の間という間から、無数の黒い鋏がステラめがけて飛来した。) (───影探眼を用いたフェイクである。鋏を大量に複製したと見せかけて、最初の一丁を除いて後は全て「影」だった。) (数で襲い来る「黒」い鋏はステラの視界をふさぐのに十分すぎる数。) (シェイドの「影」がステラを襲う中──たった一本の本物が、影に紛れて彼女の首へ飛来した。)
精神世界に降り注ぐ無数の槍に、『ケテル』は細めた双眸を僅かに見開く。 だがその瞳に驚愕の念を沈めるまでには、至らない。 「成る程、面白い」 一言、ケテル――より正確に述べるのなら彼の精神体――は呟く。 そのまま、微動だにしない。 ただ迫る尖鋭な豪雨を見上げ、 「だが、それだけだ」 瞬間、白光の成す六角形群がケテルの頭上に隙間なく展開された。 何だかんだ言ってノリノリなデバイスの感性に照らし合わせるならば、 《防御プログラム:『耐衝撃防壁』》とでも言おうか。 白の防壁はデバイスの『ジャベリン』を次々に防ぎ、亀裂の一つも走らない。 ケテルは最早、頭上の爆撃を見てすらいない。 当然だ。 彼を守る防壁は文字通り『そう言う物』として、 つまり『打撃、爆撃を問わず衝撃を遮断する』防壁として構築されている。 逆を言えばそれ以外の物に対しては、彼の防壁は完全に無意味なのだ。 障壁そのものを破るプログロムへの対策すら、組み込まれていない。 デバイスが『ジャベリン』を放ってから僅か数秒で、 『ケテル』はそれらが内包する情報を完全に見抜いていた。 その上で、防壁を展開したのだ。 「中々の発想ではある。が……それで何を成せたかと言えば、漸く土俵が揃っただけの事。 彼我の実力差は埋まらない。まだ足りぬ。届かぬ。ならば次に貴様らは何を見せる? まさかもう終わりではあるまいな」 『ケテル』の言葉は問いでありながら、戦略の意味をも孕んでいた。 こう言われれば当然、ヨシノは次なる策を考えるだろう。考えざるを得ない。 意識を『割く』事へ、異能を用いる事さえなく言葉のみによって誘導される。 図らずの内に、『穴』を作る事を強制される。
「……隙だらけだぞ、邪気眼使い」 言葉と共に、ケテルの精神体の周囲に蛇腹状の、先端には凶悪な牙の円環を持つプログラムが湧き出る。 内包する情報は、『侵食』と『防壁突破』。 また狙いは『デバイス』では無く、その背後。 ヨシノの精神、その中核へと繋がる球状の隔壁へと異形は迫る。 「この程度で壊れてくれるなよ。つまらんからな。……万一壊れたら、直してやろう。 そしてデバイス共々、破壊と創造の輪廻を味わわせてやる。確か邪気眼使いは、そう言うのが好みだったな?」 ヨシノは精神系の術者では無いが、精神は彼の出自や踏み越えてきた修羅場と相応に屈強だろう。 故に彼の精神中核を護る防壁は、仮に『ケテル』の攻撃を受けてもすぐには破れない。 だがもしも度重なる猛攻をデバイスが凌げず、破られてしまったら。 彼の精神中核、彼が彼たる所以が侵食されてしまったら。 どうなってしまうのかは、推して知るべしだ。 そしてその精神中核と隔壁から成る球体は、ケテルの精神体の背後にもある。 逆を言えば今デバイスが――或いはヨシノも――見えている精神体は、彼の急所となる物ではない。 ただ精神世界において周囲を把握し行動をし易くする為の、アバターのような物だ。 つまりアバターを破壊され修復が追い付かなければ、それは彼が精神世界での防衛が困難になる事に繋がる。 多少ならば、ダメージのフィードバックも望める筈だ。 とは言え現時点ではケテルの精神体も中核も、堅牢な防壁によって護られている。 彼を打倒したければ、ヨシノ達も『穴』を作らせなければならないだろう。 ケテルがしたように、或いはまた別の方法によって。 【『穴』はエグゼ風に言うならセキュリティホールみたいなモンって事に。作らせ方はご随意に デバイスの通常攻撃は割と容易く解析、対策を講じられてしまいました 彼の熟知していない攻撃方法とか、有効的だと思います】
鮫島百合根は、恐怖に打ち震えていた。 即席ステージから程離れた、薄汚いビルの物陰で。 その姿は、いつもの自信に満ちあふれた横暴な彼女とは、……とても似ても似つかないもの。 ただ、怯えていた。 彼女を襲った『惨劇』に。理解もできず、恐怖えていた。 (なっ、な、なんだ……なんだよッ! なんなんだよ、アレ……!? 何が……な、何が、何が起こって……) 訳がわからず、まとまらない思考。 ガクガクと収まらない寒気と戦慄に囚われたまま、言うことを聴こうとしない身体。 噛み合わない歯。堪えられない激情に溢れ出す涙。嗚咽が漏れそうになる度、両手で口を押さえて必死に抑える。 それは『怖い者知らずの元ヤンキー暴力婦警』という皮を剥がされてしまった、"本当の"鮫島百合根だった。 あの瞬間。 セレネのサプライズライブが終わった、まさにその瞬間。 首が落ちた男の死体で幕を開けた狂乱は、やっともたらされた群衆の希望をあっさりと呑み込んでしまった。 幸福を引き裂いたのは、女。 抜き身の刀を振りかざした嗤う様子は、明らかに尋常な様子ではなかった。 この異常事態に、百合根はとっさの反応を見せる。 正確な状況判断は出来ていなかったが、情報収集に努めるのは現場の人間の仕事ではない。 何に優先しても、とにかく警察官としての職務を全うしようとした。腰のメガホンを手に取り、いつもの怒号で鎮火しようと思いっきり息を吸った。 そんな彼女の足下に。 転がってきた、男性の首。 百合根は覚えていた。 ライブの時に、彼女のすぐ近くにいたサ**ーマン姿の男*った。 中央通りに集合号令をかけた時には亡者のように生気のない顔**ていたのに、ライブが始*った途端、***ように飛び跳ねてはし**でいた。 ごろ、と重い音を立てて転がってきた、彼の表情は。 さっきまでがまるで嘘のような、泥ついた苦しみに彩られ、どんな**れ方をしたのかが彼女の脳**映*が浮*****て来*****、 彼女を、じっと、見つめ 「いっ、ひ…、あ、あああ…? あ、あ、…う、ああああああ、ああああ……ああああああああああああああッッ!!!」 無慈悲なほど、あまりに突然のことだった。 気は緩んでいなかった。いつ不測の事態が生じても対処できるよう、心構えは確かにしていた。 ……それでも。彼女の足下に転がってきた、死体という圧倒的な現実が、それをまんまと粉々に打ち砕いた。 だが、何より彼女を動転させたのは。 彼女の中に、恐怖と混乱の渦の中にうごめく、後悔という名の激情。 もし、ちゃんと避難勧告が出せていたなら。 引き連れていた警官達にうまく指示を出せていたなら。 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、…ごめんなさい……ッ」 彼女に、たった今逃げてきた中央通りに戻る勇気はない。 ……かつて人だったモノを、彼女の後悔と恐怖を、…その面前に立って向き合う勇気はない。
アイス・モント・カルトナハトは、無力をうちひしがれていた。 最悪の結末を、回避したはずだった。街が戦火に灼かれる光景を。人が業火に抱かれる光景を。 幾度となく見た死の光景を、回避したはずだった。 路地裏に逃げ込めたのは、アイスと爺、そして学ラン男の3人。 …たった、3人だ。今日秋葉原にいたセレネ近衛隊は、少なく見積もっても40人程度はいた。 そしてその中には、女子供は当然のように含まれていた。 ……路地裏にいても、彼らの悲鳴は聞こえてくる。 『悪夢』の中で何度も何度も繰り返されたそれは、……今日この日を迎えて、ついに現実のものとなってしまった。 (…………。ハハ、何の冗談Deathか、これは。こんなこと、『悪夢』の中になかったDeathよ。) 笑うしかない。 腰の重かった爺を説得し、イレギュラーな3人が秋葉原に降り立ち、「青年」が死に物狂いで駆けずり回って。 それでやっと手に入れた"未来"だった。幾千分の一にも満たない、奇跡のような今日だった。 そしてそれは、 あっけなく、 ぶち壊された。 爺をたった今宥めたばかりの両手を、握り締める。 白んだ手のひらをゆるやかに伝う、真っ赤な血。しかしそんな痛み、彼女には伝わっていない。 最善を尽くしたはずだ。 そうしても尚訪れる不幸を、人は何と呼んだのか。 「……"運命"とでもほざくのDeathか、これが……!!」 ギリ。 口の中から、嫌な音が聞こえる。歯と歯が、強烈な力でかみしめられる音。 気にもならない。気にとめる価値すらない。 逃げ遅れた者たちが味わっているだろう苦痛と恐怖に比べて、それは免罪符にもなりはしない。 「……、アイス」 うつむいた少女の肩に優しく手を置く、爺。 アイスはぴくりと肩を振るわせ、……ただ黙ったまま、しゃがみこんだ爺の胸元に顔を埋めた。 少女のくぐもった嗚咽を耳にしながら、爺は思う。 確かにアイスからは、爺が思わず息を呑んでしまうような、同年代の少女離れした存在感を時々感じることがある。 ……正直なところ、本当に自分の孫娘なのか、訝しんだ。 それでもやはり、アイスは少女で、孫なのだ。 そう信じることができた。己の無力に悔やみ、涙を流す少女は、それほどまでに儚かった。 「……助けて……」 少女の嗚咽混じりの泣き声が、漏れる。 「お願い……誰か、この惨劇から、アイス達を救い出してください……。 もう嫌……。辛いのも、痛いのも、苦しいのも……もう嫌……」 爺は、アイスを強く抱きしめる。 何も言えなかった。爺も涙を流すまいと堪えながら、孫娘を強く抱きしめた。 せめて人の温もりで、彼女を慰められるように。 「お願い……。アイス達を、助けて……!!」
(惨劇。) (さっきまで歓喜の坩堝だったはずの路上は、血塗れの惨状となっていた。) (誰のものかも分からない血液や”部位”が、そこかしこに散らばって。…悪趣味な舞台セットのような非現実感があった) (だが、現実だった。) (鼻をつくひどい鉄臭さと、不快な生臭さが、それを明らかに示していた。) (世界の終わりのような、光景だった。) カラス (刀についた肉片をついばむ"彼女"の前に、青年が立ちはだかる。) (薄汚れたボロボロのコートに全身を包み、目深に被ったフードの奥には、鋭く気高い光を放つ若き猛禽の双眸) (その眼光に宿るもの。) (レイへの怒りだった。) (レイへの哀しみだった。) (レイへの疑問だった。) (しかしそれを問いかけることは、今はあえてしなかった) (そんなことより、優先すべきことがあったからだ。) ……ピアノ、聞こえてるか。 レインマンと合流、してくれ。……その後の判断は、任せるぜ。 (ピアノは恐らく、自分が一番レイを止めたいと思っているのだろう) (今日の2人のやり取りを見ていて、レイともっとも距離が近かったのはピアノだ。) (そんなピアノが、今のレイを眼にして。逃げ出すことはしない。……差し違えることを、望むことだってありえる) (そこに戦略的な判断は無かった。) (ピアノがレイへの思慕の隙を突かれるかもしれないとか、戦力の応援を呼んできて欲しいとか、それもあるにはあったが) (ただ、このレイは) (自分でなければ止めることはできないと、何となくそう感じていた。) (惨劇。) (アスファルトは赤黒く染まり、そこら中に血飛沫が飛び散っていた。) (向かい合う、2人。出会ってしまった2人。……もう、後戻りなど出来はしない。) ……レイ。 ありがとう。俺の命を守ってくれて。 ビルから落ちた時、お前が拾い上げてくれなければ。イェソドの時、お前がいてくれなければ。 ……きっと、俺は今、ここにはいない。
(右胸の、確かな感触を掴む。) (既に服の隙間から、光輝が漏れ出していた。…闇を照らし出す、目映い光が。) だから、……借りを返す。 俺にはまだ、何がなんだか分からないけれど。……きっとこれは、俺にしかできないことだから。 ――お前を、止める。 (もう、あまり体力も気力も残されていない。) (決着がつくまで、そう長くはかからないだろう。余計な消耗は出来ない。……だから、迷わず全力全開を選ぶ。) ヤミ ヒカリ 行くぞ、レイ。――――てめェの”暗黒”はッッ、俺のこの”意志”で撃ち払うッッ!!! ……おぉおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおッッッ!!!! (ドバァ!! と、) (瞬間、天地を揺るがして。全てを埋め尽くすような圧倒的な白きヒカリが、街を、空を灼かに貫く) (絶対の決意によって生み出されたそれは、『脅威』的な邪気エネルギーを余波に伴って全世界が観測する。秋葉原の、全ての者が観測する。) (そう。これは。) (鷹逸カの『日常』が、完全に剥ぎ取られる戦いでもあった。)
世界が暗転する。まさしくイリュージョン、ものの数瞬で昼を夜に、太陽をまたたく星座に変えた空のその美しさにセレネは見とれ、心奪われていた。 「What a beautiful !! これもこの極北の地ロシアの澄みきった大気の成せる業ね!!」 (全くの予想外。これがいわゆる『災いの前触れ』っていうやつかしら?) このセカイに来る際、……からセレネに与えられた『ヴィジョン』の能力は、言うなれば新聞のテレビ欄のようなものである。 番組名と時間とチャンネル(場所)、それから主なキャストが書かれているくらいで詳細は記されていない。 いつどこに注目すればこのセカイを堪能できるのかわかる一方で詳細が分からないからこそ出来事を楽しめるという利点があり、 だからこそ、千里眼の能力と合わせて先日のヨコシマキメや大学での戦闘をまるでテレビを見るかのごとき傍観者の視点で俯瞰していたのである。 しかし逆にいえば、それはこの能力が自らの未来を見るのに対して役に立たないということも意味する。 現にセレネは眼前に繰り広げられる幻想的なまでの現象に虚を突かれ、思わず歓喜の声すら漏らしている。 これもひとえにこの能力が戦闘においては無力なことの証左であろう。 (それにしてもこんな大規模な術式、あたしが使ったら即BAN確定モノよね。) 「まぁ何にしても、これでめでたく本日3人目の襲撃者様ご到着〜ということでいいのかしら?」 その時である。まさに一瞬の出来事、セレネの視界に、否、セカイに光が戻る。 「‥‥昔は、こういった演出をすると大層喜んでもらえたものだが‥‥」 (きゃーやったよーいすが無事だったよー!!なんて言ってる場合じゃないってことは分かったかも。) 核攻撃すら行われた庭の中でときに吹き飛ばされつつもなおその豪奢な装飾で強く主張し続ける備え付けの椅子に、 その襲撃者は悠然と、まるで当然のことであるかのごとく落ち着いていた。 顔こそセレネの方に向けているものの、その視線が何を捉えているかは判然としない。 見かけだけならただの狂人とも取れなくもないが大規模魔法を自らやってのけたという発言、 そして何より事前に得ていた情報からセレネにとってこの少女が概ね敵であろうと判断することはたやすい。 「君はどうかね? 私という存在について、脅威に値すると認識してくれただろうか?」 (自分が脅威だって自覚があるのにそのリアクションを恐怖じゃなくて歓喜って解釈した時点で彼女は快楽戦闘者とかそっち系っていうことね。) 「ええ、もちろん。そしてあなたみたいな人はちょっとやそっとじゃ帰ってくれないっていうこともね。」 自分の力を試したい、強い奴と戦いたい、死と隣り合わせが一番楽しい、あるいは『自らを倒し得る存在』に出会ってみたい。 このように、頭のねじが飛んだようなあっち系を相手取って交渉を成立させるのは至難の業である。 そういう意味で、リクスやヴィクトリアを懐柔してのけたときのように口先で相手をどうにかすることを得意とするセレネにとっては相性の悪い手合いといえよう。 本来ならばテレポートで逃げたいところであるが相手も似たようなことができるのは既に明らかだし、何より今後の基督教勢力の事を考えるとサンクトペテルブルクの拠点を失うことは避けなければならない。 「あたしが誰か理解してるかどうかも怪しいけど、『殺しに来た』なんて疑われるようなプレッシャーを放っておいて何の釈明もしないあなたの方が悪いんだからね。」 セレネのかざした右手の前に、その細腕では到底支えきれないような大きさ・質量の、1つの砲身と上下に分かれた箱のようなカバーが現れる。 「GNメガランチャー!」 濃赤のGN粒子が集束する。庭園や建物どころか街そのものすらもまっぷたつに寸断するほどの太く濃密なビームを、セレネはまるで水道をひねるがごとく手軽な所作で発射した。
光速の回し蹴りは風を生み、真空波となって遠くの壁を穿つ。 しかしてその威力は、本来の対象――アリス=シェイドの頭部を胴とを割断できない。 >「……ああ、非常に面白い眼だ。ステラ=トワイライト」 またしても、『影』。 シェイドの頭は一時的に実体を捨て、影と化してステラの蹴りをやりすごしていた。 渾身の一撃を透かされたステラは大きくバランスを崩し、体勢を立て直すために距離を取らざる得ない。 上段回し蹴りは、その威力故に体幹のバランスをヒット時の反動で得ている。 例えばサッカーなんかで、思い切り打つつもりだったシュートを空振って仰向けにすっ転ぶ経験は誰にでもあると思われる。 あれは身体が無意識のうちに『ボールを蹴ったときの反動』を計算に入れたバランスのとり方をしているから起きる現象だ。 同じように、全ての体重と慣性を片足で支えなければならない上段回し蹴りを空振れば、 反動で相殺されるはずだった蹴りの勢いを全部受け止めることになる。派手にコケないだけ、ステラはマシだった。 >「君のその身体に見合わぬ格闘術は遺眼の「遺し手」の能力だろう?術者の能力を封じた宝具…という訳か。 いいものを譲られたな、全く。おまけに君の場合はそれだけに留まらない。 空中で見せた高速移動は紛れもなくアルカナ「星」のそれだ。 …ああ、彼女のことはよく知っているよ。何せ死の間際に立ち会ったのは他ならぬ私だからな。 思い返すも、あれはいい散り際だった。」 挑発だ。わかっている。敢えて『星』の名を出すことでステラを沸騰させ、隙をつくろうとしている。 わかっている。わかっているのだ。――それだけ頭で理解していても。ステラは沸き上がってくる殺意を止められない。 >「クク…様子を見るに、それを許してはくれなさそうだな? …まあ、いいだろう。君のような者と戦うのはこちらとしても望むところだ。」 何をするかと思えばシェイドは頭から不気味な色をした液体を引っ被り、 続いて自身の影の中に両手の鋏を落としては取り出しまた落とすを繰り返し始めた。 意味不明な行動に、しかしステラは見る。その手の鋏がどんどん数を増やしていくのを。 (まずい――!!) 弾かれるように走りだす。 しかし時既に時間切れ。シェイドは全ての鋏を影に収めると、こちらへ指先を突きつけ、 > ──────“ビスケット割れた” シェイドの背後でたなびく木々の葉、その全ての影から漆黒の鋏が飛び出した。 黒き刃の集中豪雨。殺意と悪意の暴風雨。致死の弾丸の大瀑布。視界を埋め尽くすほどの鋏がステラを襲う。
「こっ……のぉ……っ!!」 だが問題ない。光速の正拳突きを叩き込めば、衝撃波で全てを爆砕できる。 ステラは足を止め、腰を深く落とし、拳を限界まで引き絞り、真っ直ぐに――刃の嵐へ光速の突きをぶち込んだ。 空気の爆ぜ割れる音を伴い、放射状に空気が揺れる。ソニックブームを超えた衝撃波は水面に投げた石のような破壊の波紋。 (――? 手応えが……) ない。 漆黒の暗幕が砕け、視界が開ける。 一切の曇りなき虚空から、ただ一本の『黒くない鋏』がステラの顔面目がけて飛来する。 躱せない。 だから叫んだ。 「スピカ――!」 左の眼球が煌き、纏っていた邪気が不可視の『手』を形成する。 『手』は飛んできた鋏にそっと触れると、それを光の粒に変えた。 消えていく。 「…………!」 先刻地面に叩きつけられてできた傷が――身体再現によってもう塞がりかけていたそれが再び開き、額を血が流れる。 『創世眼』の残滓によって保全されていた『白金眼』のリソースを消費したことで、身体再現の出力が一時的に低下したのだ。 ステラはシェイドを見る。彼は笑っている。『あの笑い』だ。スピカを、『星』を殺したときと、同じ。 「どうして、」 どうして殺した、とは訊けなかった。 わかっていたのだ。わかりきったことだった。『星』は戦闘員で、シェイドとの戦いは正当な『戦闘』。 『戦士が戦って死んだ』。ただそれだけ。双方合意の命のやりとり。敗者は勝者を責められないし、遺族は言わずもがな。 そんなことは、わかっているのだ。 だがステラは割り切れなかった。彼女は今、『戦士としてここに居ない』。ただの未練がましく逆恨みした襲撃者だ。 先に手を出したのはシェイドだから、戦うことそのものについてはともかくとして―― ――彼女には仇討ちの正当性がない。 精神的劣勢は、その一言につきた。 だから、ステラは感情を理屈で代替する。社会的正当性だけでなく、『シェイドを殺す精神的正当性』を得るために。 訊かなければならないことがあった。 「どうして、笑って人を殺せるの……?」 俯いて、唇を噛みながら、ようやく搾り出すようにして、質問した。
――非常事態宣言発令―― カンサツブ エージェントニツグ カンサツブ ハ タダイマヲモッテ センジタイセイ へ イコウスル タダチニ アルファ ニ キカンセヨ クリカエス アルファ 二 キカンセヨ …エージェント レインマン オウトウナシ バイタル ハンノウナシ ソセイ ヲ ココロミル アンブレラヨリ セイタイパルスハッシン...ハンノウナシ アンブレラヨリ セイタイパルスハッシン...ハンノウナシ アンブレラヨリ セイタイパルスハッシン...ハンノウナシ キュウソクソセイ ヲ シコウ ターゲット ロック ファイア...メイチュウ 「ぐああああああっ!」 レインマンは飛び起きる。 体中に走る痛み、電流が体中を走る。 気がつくと、『黒い傘』が中空を舞い、傘の先端から高圧電流を放っている。 バイタル セイジョウチ カクニン ウチカタ ヤメ 「こ…こ…は…ど…こだ…テキ…テキは…」 イシキ センモウジョウタイ セイジョウカニイコウ 黒い傘の先端から尖った針のようなものが突き出る オート制御に移行した黒い傘が展開し 回転を始める 黒い傘はプロペラのように回転し始めると 切っ先をレインマンに向けて飛翔 先端はレインマンのわき腹に突き刺さる “残留邪気” カイホウ ジュウデン カイシ 傘に溜め込まれた大量の邪気が、レインマンの体内に流れ込む。 これは、カノッサエージェントの中でも非常に評判の悪いシステムだ。 「強制蘇生プログラム」と呼ばれるそれは、カノッサエージェントの持つ武器に密かに仕込まれている。 弱体化したカノッサは、下級・中級のエージェントを多く失った。 エージェントの死亡率を低く抑える為に開発されたのがこのシステムだ。 このシステムの導入後に、エージェントの死亡率を引き下げる事に成功した。 だが、エージェントには頗る評判が悪い。 理由はいろいろある。 一つは、死に等しい苦痛を与えられる事。 一つは、死に等しい苦痛を与えられた後に結局死地へ向かわされる羽目になる事。 一つは、「こんな目に遭うくらいなら死んだほうがまだマシ」という事。 「あああああああああああああああああああああああああああ あああああああああああああああああああああああああああ あああああああああああああああああああああああああああ!」 黒い傘本体に仕込まれた「邪気電池」は、先刻放った太陽光線のエネルギーを「邪気」に変換。 レインマンの体内に邪気が注入されていく。
痛覚が捻じ曲げられる。 全身の毛穴に微細なドリルをつき立てられるような感覚にレインマンは悲鳴を上げる。 セイジョウカ カンリョウ ジュウデンカンリョウ 「…はあ…はあ…クソ、くそったれ…」 地獄を見た。 三途の川でも閻魔でもなく。 己の細胞一つ一つが強制的に回復され、 安らかな死の状態から苦痛を伴う生の状態へと無理やりに引き戻されるこの感覚。 温和なレインマンでさえ、悪態をつかずには居られなかった。 「今日で一体僕は何回死んだんだ?…最低の一日だ…」 レインマンは周囲を見回す。 Rは既に消えていた。 死体らしきものは見当たらないが、Rが死んだとも思えない。 レイ、いや黒爪が止めを刺したのであればそれらしい痕跡が見つかるはず。 それがないのであれば… 「帰った…か…」 力が足りなかったようだ。 太陽光線の収束、レインマンの最大級の業をもってしても倒せない相手。 今生きている事を感謝すべき状況だったが… 「じゃあ、次は必ず殺せるようにしないとね」 事もなく、レインマンは言う。 だが、今は戦略は成った。 Rが消えた以上、魔法陣の崩壊を止めるものはいない。 ピアノの、いや三千院セレネの歌声に合わせて歌われる解呪の詠唱を止めるものは、もういない。 ひとまずの戦略的勝利と喜んでおくべきだろう。 そうとも、降り止まない雨などない。 「さてと…ライブの見物でもして、帰るとしよう…」 レインマンは崩壊したビルの修理費用を計算しつつ、踵を返す。 悲鳴が聞こえた、ただし、それはアイドルへの黄色い声援ではない。 もっと禍々しい…何か。 レインマンはビルから跳躍し、ビルの屋根から屋根へ跳び、走る。 悲鳴の元、秋葉原中央街を眼下に見下ろすビルの上へと着地する。 「…馬鹿な」 中央街の道路は真っ赤に染まっていた。 鋭利な刃物で切り裂かれた数多の死体。 臓物が店先のショーウィンドウにこびりつき、 血は川となって排水溝へと流れ込み、 首が、うちすてられたボールのように転がっている。
その中で遊んでいる女がいた。 玩具を扱うように死体をおもむろに掴んでいる。 死体を弄んでいる…いや…あれは…! 死体の首筋に喰らいついて血を啜っている。 レインマンは目を凝らす。 あれは…レイだ。 彼女が呟いた言葉を読唇術で読む。 「おいしい」 「!!」 レインマンは言葉を呑む。 息が止まり、両足は動かなくなった。 腰を落とし、足をなんとか動かしながらあとずさる。 彼女が視界に入らなくなったあたりで、息を吐き出す。 「ふうっ、はぁっ、はっ、は…」 “鬼” その一字が、レインマンを恐怖させる。 だが、その恐怖を飲み込む。 叫ぶのは後でいい、今は考えろ。 このままでは詠唱が止まる… 否、魔法陣の有無に関係なく街の住民が皆殺しにされる… 彼女はおそらくもう誰の事も気にならなくなっている筈だ。 誰がとめられる? もはや己の能力を行使する事はできない。 “天候を変える能力”は一日に一回しか使用できないからだ。 広域空間制圧はもう使えない、レインマンの能力は既に半分は意味を為さない。 ならばどうする? いや、そもそも彼女を止めるべき理由などあるのか? もはやすべては手遅れだ。 彼女が全てを振り出しに戻してしまった。 魔方陣があろうとなかろうと、ここはすでに地獄だ。 できるのか?“ただの”エージェントである自分に。 小賢しい立ち回りは得意だが、あの“鬼”に真っ向から挑んで止められるのか? (ならば…撤退するか?) 良い、その選択は悪くない。 もう彼らに付き合う時間などないはずだ。 (そもそも…ここまでの事態が起きた以上、もう僕にもどうする事もできない…) カノッサは戦時態勢へと入った、楽園教導派を殲滅する為に一 人でも多くの兵が要る。
だが、救い主はいとも簡単に現れた。 ヤミ ヒカリ ――――てめェの”暗黒”はッッ、俺のこの”意志”で撃ち払うッッ!!! ……おぉおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおッッッ!!!! “世界の選択”が。 彼の発した“ヒカリ”、太陽光の何千倍とも思われる光がレインマンの目を灼く。 (役者が違う、か…なら…僕はもうここにいる理由はない) おそらく、鷹逸郎はレイと戦うつもりなのだろう。 ならば、どちらかが生き残りどちらかが死ぬ。 その結末は約束されている。 ならば己はどうする? 動くな。 完全に身を隠し、様子を見て、しかるのちに逃げろ。 言うまでもなく、己の安全を図れ。 レイの向かう先にはピアノが居た。 彼女はここから逃げない。逃げる訳がない。 ピアノは自分自身の安全よりも、レイの身を案じるだろうからだ。 逃げる気がない人間を、逃がす事などできるわけがない。 だが、それが一体どうしたというのだ? 自分には関係がない、カノッサの戦争が始まったのだ。 他人を気遣う余裕などない。 そう判断した瞬間、レインマンは走りだした。 ピアノの居るビルの屋上へ。
跳躍、傘のジャイロ機能を始動させる。 傘はヘリのローターのように回転し、ヘリの屋上へレインマンを運ぶ。 ホバリングして着地。 (クソッたれ…どうして…どうして…体が頭と逆に動くんだよ…) ピアノが展開した映像投射装置が屋上に鎮座していた。 黒い傘を使って、アルファに緊急CALL、非常事態信号を生成し、アルファの格納庫に眠る無人ヘリを一機起動。 EMAERGANCY CALL... AllSys...Boot..RDY 薄暗い格納庫の奥にうずくまるように駐機された無人ヘリのコクピット内で、 エーテルチャンバーインジケータに緑の明かりが点り、各種計器類が青い光を点灯させる。 短距離空間転移機能と、ハイパー・レゾナンス・ジャイロによって完全無音で飛行可能、 かつシームレス光学迷彩搭載のステルス偵察ヘリ、“グノーシス”が目覚める。 ORDER...信号発信の後、座標AZ-086759に転移、目標“piano”を回収、世界政府本部へ移送せよ。 (これでいい) さらに、ピアノがいる映像投射装置のインターフェイスに割り込み、ピアノとの通話を開始。 「…聞こえるか?いいか、よく聞くんだ…レイが邪気に飲み込まれた。 そちらで確認できる筈だ、彼女はこちらに向かってきている。 ただちに映像投射装置を停止、放棄して…くそ、死んでも言いたくない言葉だが…」 レインマンは返答を待った、彼女の義体を強制ロックするコードは解析済みだ。 いざとなれば、彼女の自由を奪ってでもヘリに載せる。 なんという愚かしさだ。 貴重な転移機能付きヘリ、しかもさらに貴重なステルスヘリを無断で起動したうえに、 それをカノッサではない外部の人間に割り当てるなどとは。 だが、レインマンにはこうするしかなかった。 「逃げろ、ヘリは用意した」
上手くいったはずだった。 歌は完璧だったし、拡声器によって街全体に声は響いた 魔術反応が消え、魔法陣は粉々に砕け散り、脅威は去った。 去ったはずだったのに 「どうして…?」 モニターに映る赤い沼 それを見ると、1945年の長崎で見た血の川が脳裏をよぎる 「っ…!」 狂気に落ちた人々、劣悪な生活環境が生み出した負気力に汚染された街 浄化と隠匿のために落とされた核 血を流し、焼けただれ、何も分からず死んでいく人々 効果確認と残存能力無力化のために向かわされた自分が見た、忌わしい記憶 「ふざけないでよ…!」 もはや二度と見たくないものだった。見るだけで吐き気がするその光景、それに慣れてしまっている自分が憎い 血の川面に映ったやつれた自分の顔を振り払うと、ピアノはもはや用済みとなったホロ・ファンネルを回収する。 「はやく…はやくして」 回収の時間もわずらわしい、出来る事ならこの狭い金属塊をぶち抜いてまで血の沼に立つ彼女の下へ向かいたかった。 「レイ…!」 今まで共に闘ってきた人、少し歪んでいたけど純粋に愛情を抱いていた人 彼女が変わったのが誰よりも許せないのはピアノ自身だった。 ホロ・ファンネルの回収が終わると同時、金属塊に衝撃が伝わる。 「…雨男」 右下のモニターに映る見なれたジェントルマン、ボロボロになりながらも雨乃は落ち着いて話す。 「…聞こえるか?いいか、よく聞くんだ…レイが邪気に飲み込まれた。 そちらで確認できる筈だ、彼女はこちらに向かってきている。 ただちに映像投射装置を停止、放棄して…くそ、死んでも言いたくない言葉だが…」 答えが来る前にピアノは動いていた。 「逃げろ、ヘリは用意した」「断る」
ガション、ガションと未知の技術が仕舞われていく中、雨乃が小さく舌打ちをするのがわかる。 どうせカノッサのステルスヘリでも手配したんだろう、それに断った場合どうなるかも予測できる。 「…そう言うと思ったよ、だけど」 「強制ロックはもう効かないわよ ステルスヘリの起動も今取り消し中 安心して、カノッサ本部には起動した事が伝わらないようにしておくから」 雨乃はピアノの事をよく知っている、だからレイが暴走したのを見て、私が何としてでも止めると感じ、制止に入ったのだろう 「言っておくけどね、今の私を止める技術は地球にはないわ 短距離空間転移だろうが、シームレスステルスだろうが、私に言わせると子供の遊びよ 私を止めたかったら対惑星反ニュートリノ粒子加速砲でも持ってきなさい、ま、銀河超破壊兵器禁止条約に沿って宇宙人があなたを逮捕するけどね」 「110番にはいつでも繋がるよ♪ ちなみにS級禁止兵器保持の場合は懲役25銀河年 地球年数にして230年ちょっと」 ピアノの金髪の中からウィスがひょこと現れる。 「魔法陣の消滅は?」 「確認、ただ魔力までは消滅出来なかったから、再構築しようとすれば出来ちゃうけどね」 ふふっ、とピアノは笑う 「雨乃、あんたのミッションはもう終わりよ 魔法陣は消滅、周囲にそれを再構築しそうな奴がいないか確認して帰んなさい ここからは、私個人の問題よ」 そして、眼下に広がる血沼と、こちらを見上げ狂気に微笑むレイを見下ろすと、ぽつりと呟く 「レイを止める 安心して、刺し違える事なんてしない これはレイを救うためだもの」 雨乃の返答を待たずに、ビルから飛び降りる。 そして白熱の意思を纏う"世界の選択"の隣へと降り立つと、漆黒の狂気を揺らめかせる"鴉"に向き直る 「レイ、いま助けてあげるわ、その狂気から」 鈍色の機械を操る"少女"が、悲しみに満ちた声を投げかけた。
――千冊の本を読破した魔術師は強力な魔術師になる。 千冊の本を記憶した魔術師は狂気の魔術師になる。 「君はどうかね? 私という存在について、脅威に値すると認識してくれただろうか?」 『ええ、もちろん。そしてあなたみたいな人はちょっとやそっとじゃ帰ってくれないっていうこともね。』 それは嬉しい事だ、とRは思った。私を敵であると認識し、それでありながら怯えることなく戦闘の意思を見せている。 どうやら一人であることだけは不安だったが、それであれば六道の巷へ共に赴けばよいだけのこと。 先ずは向こうの出方を存分に見せてもらおう、と思ったのとほぼ同時に、セレネが長大な重火器と思しきものを顕現させた。 『あたしが誰か理解してるかどうかも怪しいけど、『殺しに来た』なんて疑われるようなプレッシャーを放っておいて何の釈明もしないあなたの方が悪いんだからね。』 「君が誰か? 簡単だ。‥‥私をこの世界へと喚んだ存在で、今私と相対している。それ以外の理解が必要なのか?」 ――もしもおまえが、気が狂うまで弄ぶなら、 ネズミとて、崇らぬという法はない……。 (サミュエル・コールリッジ「撤回」) 思い入れの無いものを区別・識別することは困難を極める。 和製SFに理解の無い人間には筒井康隆と小松左京が同じものに見えるだろうし、STGを知らない人間はゼビウスとダライアスと怒首領蜂の違いについてあえて理解しようとはするまい。 とはいえRのこの発言は、正常な――少なくとも一般的な――思考を持った人間からすれば許し難いものであるだろう。 『GNメガランチャー!』 セレネ三千院の砲撃に憤怒の炎の思念が含まれていたかどうかは定かではない。 ただ一つだけ確かなことは、Rがそのとき混沌を求めたという事実のみ。 「‥‥‥‥」 彼女がしたことは、動作としてはごく小さい。左手を軽く身体の前にかざしただけだ。 それだけで、濃赤のGN粒子からなる破壊の奔流は――増幅された。もう少し正確に描写するならば、それぞれが元の破壊力を秘めたまま幾条にも分かれ、捩れた軌道で虚空を裂きながらあらゆる方向へと降り注いだ。 光条の幾つかは蒼穹に消え、幾つかはセレネに向かい、幾つかは大地と――大地の上にあるもの全てを塵へと帰結させていった。 ――混沌がすべての力を内に注ぎ、一葉を為そうとする時、ほかに何が生まれえようか? ――コンラッド・エイキン 「‥‥いけないな。どうにもまだ先の戦いが尾を引いているようだ。」 自らの所業によって引き起こされた結果を見ようともせずに、宇宙空間の温度で呟く。 その脳裏には、数瞬前の逃避を選択してしまった苦い体験と、その立役者が殺戮に狂う姿が映し出されていた。 後者は、日本を立ち去る際レイとレインマンの体内に封入した霊気の欠片による感覚共有――というよりは覗き見の一種である。 この欠片を活性化・分化して日本での戦闘に介入するのも面白いかとも思ったが、すぐに眼前の人間が十分に自分を楽しませてくれそうだと思い直した。 「‥‥と、すまない。待たせてしまったか?」 言うや、Rのシルエットが冒涜的な変化を示した。 刹那の時が過ぎた後、そこにいたのはセレネ三千院の姿をした災難の大神。ただ衣服の白が黒へと入れ替わり、表情のない相貌だけは変わっていなかった。 「私からは‥‥先ずは、こんなところか。」 時が、ほんの僅かに揺らいだ。 歪んだ時間の中で空間もまた位相を変え、蓋然性にひびが入る。 世界の裂け目の彼方から迫り来る岩塊が青く見えるのは、青方偏移によるものでもあろうか。 この北方の地を襲った災禍、いわゆるツングースカ大爆発(Tunguska explosion)の原因が隕石であったなら、それはきっとこのような大きさであっただろう。 長径50メートルにも達しようかという、本来この可能性世界には存在しないはずの巨大な鉱物塊が、今にも時の帳を突破して起こり得なかったはずの大惨事を引き起こそうとしていた。 だが、岩塊に意思はなく悪意もない。そしてRにもまた、悪意などなかった。 彼女が思うことはただ、これに対して相手たるセレネがどう対処するのかという純粋な――ただし極少量の――興味のみである。 今や彼らに嘲りも、祈りも鐘もともに無し/嘆きの声すら聞こえずも、ただ歌声は響きたり ―― /狂えとばかりに甲高き、砲弾の声のいと悲し (ウィルフレッド・オーウェン「死すべき定めの若者のための賛歌」)
地獄と化した秋葉原を、風が緩やかに流れていく 血なまぐさい香りを含んだ風はレイの鼻腔をくすぐり、また鷹一郎を避けるように吹き抜けていった。 「……レイ。 ありがとう。俺の命を守ってくれて。 ビルから落ちた時、お前が拾い上げてくれなければ。イェソドの時、お前がいてくれなければ。 ……きっと、俺は今、ここにはいない。」 鷹一郎が纏う闇を払う白色の光、誰にも負けない"意思"の力 ああ、そうか、彼は"世界の選択"だったなと、レイは思う 「鷹一郎……。 私は何も感謝されるような事はしてはいない。 ただ、強くあるために君を利用しただけだ、ピアノも、雨乃も…私をより引き上げるためのツールだ。」 ふ、とビルの屋上に小さくそびえる歪な機械群を見やり、そのまま続ける。 「私は、ただ強さのために奔走した。自らより強い者を求めて放浪していた。 感情を、意識を、殺してまでな そして今、私は最高の場所にいる。 殺された感情の核心に辿りついたんだ。 どうだ?最高の場所だろう?まさしく"狂気"の御業だ。そして私にとっての晩餐の地だ」 それが自分の存在意義 狂気を元に、感情を殺し、何を応えるわけでもなく、ただひたすらに強さのみを追い求める。 強者とは誰か、殺気を持ったものか、異能を持ったものか、世界の存続を脅かす存在か 目標とは何なのか、何を得れば強さになるのか 答えは最初からあった。 強さを得るための場所、そして相手 全てはこの街に来た時から決まっていたのだ。 「最高の場所に、最高の舞台役者…私の"目標"は、常に目の前にいた。」 全てに目を離し、足元に広がる血の湖面を小さく揺らす。 「鷹一郎、"世界"を倒したというお前を倒して、私はさらに強くなる。 お前の血肉の味は、さぞかし絶品なんだろうなあ…」 曇り、色を失った、ぞっとするようなその狩人の目を鷹一郎に向け、レイは小さくほほ笑む
それは、当然その隣に降り立った少女にも向けられた。 「レイ、いま助けてあげるわ、その狂気から」 「ピアノか…そんな悲しい顔して何になる? お前も、私の力の礎となるか…ならそんな躊躇は捨てろ」 私情も、同情もいりはしない、心の隙は死へとつながるだけだ そして躊躇する少女は、もはや敵などという存在ではない 「"ツール"は、それらしくなくてはならないだろう?半端な意思では、私の気もそがれる ―――不良品は要らないという事だ。」 それは、あまりに非常な言葉 長い間共にいた者とは思えない、死への宣告 そしてその言葉は、鷹一郎の心に灯った火を、爆発されるにも十分な一言だった。 「――お前を、止める。」 鷹一郎の静かなる声、噴き上がる風は自然のものではない 青年の怒りが、解を受けた疑問が昇華して、気流となって街に吹き荒れる。 ヤミ ヒカリ 「行くぞ、レイ。――――てめェの”暗黒”はッッ、俺のこの”意志”で撃ち払うッッ!!! ……おぉおおぉおおおおおぉおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」 轟、と爆発にも似た衝撃とともに、気流は暴風となり、昇華した意思は光となって世界を照らす。 そこには戸惑いは感じられない、ただ純粋なる闘志と、自分に対する反逆の意思。 「そう、それでいい 本気で戦う事に意味がある。 殺し、殺されるのが戦場の常だ そこに感情は必要ない ………どちらが最強か、今確かめよう」 そして、すぅと小さく息を吸うと、黒爪に手をかける 「さあ、楽しませてくれ―――"世界の選択"!!!!」 白熱の意思に対抗するように、漆黒の狂気が彼女の周りを大きく揺らめく 全てが"非日常"。 一日という時間の中、この街は異能の渦へと飲み込まれ、廻帰すら、許されなくなっていた。
(血塗られた路上の空は、皮肉げに鮮やかな青天) (忌々しくも晴れやかな舞台上で対峙するのは、一人と二人) (動向を決めかねるもう一人は空に近き所に、祈る無力の民達は地に潜み隠れた場所に) (幾多の涙、幾多の絶望が降り注いだこの秋葉原で) (今、最後の惨劇の幕が上がる) ……ピアノ。 (隣でレイの嘲弄に真っ向から立ち向かう、少女の名を呟く) (今、この場に立つことで、如何ほどの苦痛と悲痛が彼女を苛んでいるのだろう) (自らの愛する者にツールと嗤われて、それでも互いの命を賭して戦わなければならない) (彼女にとっては、まさに格好の悲劇。…いや、既にそれを通り越して、もはや滑稽な喜劇なのかもしれない) (それでも、彼女は笑ってみせるだろうか) (愛する人のツールでも私は満足だと、健気に気丈な笑みを見せてくれるだろうか) (――――そんな訳、ない!!) ……なら、丁度いいじゃねえか。 こんな、誰も幸せになれねえ喜劇なんざッ!! 速攻で幕を下ろしてやらぁあああッ!! (彼女と具体的な戦闘の連携を検討したりはしない) (どの付く素人の青年が着いていける話ではないだろうし、そんな予断は許されない) (だから、青年は全力で一気に地を蹴りつけた。) (筋肉の収縮速度から算出して、人類に可能な最大走行速度はおよそ時速60km) (現在の最高記録は時速45km。…秒速に換算して、12mもの距離をたった1つの秒にて縮めるということ) (これだけでも十分脅威的な数値(ハードル)。……それを、絶対の意志を宿した青年は、軽々と飛び越える) おぉおおっっぉぉぉおぉおおぉおおおおおおおおおおッッッ!!! (無論、これは無傷で済むような行為ではない) (日常的なハードトレーニングでも届かぬ高みに、デスクワークを主とする人間が迫るということの愚かしさ) (それはつまり、全身の肉体に過酷な負荷を乗せているということ。…筋肉だけではない、それは骨や脳髄にまでのし掛かる。) (曰く、『プレート』に魅入られた人間は、命を落とす) (…科学的に考察すれば、その由来は簡単なことだ。……こんな無茶を幾度も繰り返せば、寿命などバターより容易く削れる!) (青年は止まらない。) (レイの所有する刀剣の攻撃範囲すれすれに、青年の今にも咆吼しそうな戦意の表情が迫る) (そのまま危険領域へ踏み込んでしまいそうになる激情を抑え、右手に握り込んだ拳を高らかに振りかざし――――) (ふ、と、青年の姿が消えた。) (……違う。) (屈んでいる。…体勢を極力まで低くして、一気にそこから傍らへ飛び退いている。) (……簡単な話だ。青年は身を挺して、『囮』になったまでのこと。…背後にいるピアノの、攻撃を仕掛けるタイミングを作り出す為に!) 行けえええぇええッッ、ピアノぉおぉおおおぉおおおおッッ!!!
195 :
名無しさん@自治新党スレでTATESUGI値審議中 :2010/09/08(水) 23:29:04 0
町を灼くは赤き光線、町を呑むは地獄の劫火。 セレネの放ったGNメガランチャーはこともなげに防がれるどころか軌道の逸れた粒子の束は幾条にも分裂し、サンクトペテルブルクの市街地そのものを焦土と変えんと降り注いだ。 (想定はしてたけど、こうも簡単にかえされちゃうとね…) セレネは行動を起こす前にひとつの可能性にたどり着いていた。 少女は「プレインズウォーカー」かもしれない。 根拠というほどでもないが引っかかりはある。きっかけはここに来る前に少女が用いた術式、「稲妻のらせん」。 単にそれがセレネの持っているカードの1枚と一致しただけの事である。 プレインズウォーカーとは次元渡りができ、神のごとき力と魔法を操る存在の総称である。 その魔術・魔法の一部はセレネも持っているカードに再現されているがその全貌を知っている者はごくわずかであると言われているが、 少なくともセカイひとつくらいは軽く破壊できることが分かっている。 そんな中でセレネがこの攻撃を選んだ理由は3つ。 1つ目は単純に、相手がこれだけの攻撃を防げるだけの力があるのかを見るため。 2つ目はもしこれが通った時、人体に再生障害を残すGN粒子の特性から、再生できるかどうかによってその肉体が人間かどうかを見極めるため。 そして3つ目は、恐らくプレインズウォーカーであろうと当たりを付けた相手が、別軸の法則に従うGN粒子にどれだけ対応できるかを見るためである。 (それにしても、ここまで強いってわかっちゃうとどうしようもね…) 結局この攻撃はいとも簡単に対処されたが1つ目の目的はなんとか達成したので及第点であろう。 セレネの内心にちょっとしたピンチ感があふれてきたところに、更なる追い打ちが目に入ってきた。 「‥‥と、すまない。待たせてしまったか?」 眼前の少女がシェイプシフトした。 その姿をみてセレネは――― 「なんてかわい、ごほんごほん、なんて悪趣味なのかしら?」 可愛い。美しい。そんな通り一遍のほめ言葉しか出てこないほどセレネはそのきれいさにうちふるえていた。 ――――――自らと生き写しのその姿に。
そこに佇立するのは身の丈ほどもある金髪にエメラルドグリーンの目がふたつ、 整った顔とスタイルの良いボディにある意味似合ってしまっている魔法少女のようなコスチュームは オリジナルのものとは異なり純白のところが漆黒に入れ替わり、その姿は正に「ブラックセレネ」とでもいったところだろうか。 そしてその表面的な愛美の様子とは裏腹に、セレネの内心には更なるプレッシャーが押し寄せていた。 ところでプレインズウォーカーは歴史上のある点において急激に弱体化したという説がある。 いわゆる「プレインズウォーカーの灯の変質」という事件である。 それを境に全てのプレインズウォーカーはその無限の魔力を大幅に失い、不死性も無くなったと言われている。 現にセレネは「遍歴の騎士エルズペス」「精神を刻むものジェイス」といったプレインズウォーカーのカードを所持しているが、 それを今ここに呼び出したところで無敵であるかと言われれば、間違いなくそれはノーだ。 しかし、眼前の少女は灯の変質以前と全く変わらないかのごとく大魔法を使用し、あまつさえシェイプシフトまでしてのけた。 (これはもしかするともしかして―――) 「旧世界」の存在かもしれない。そんな最悪の可能性を気にし始めたセレネの前に、更に最悪の災厄が訪れる。 「私からは‥‥先ずは、こんなところか。」 天が裂ける。 それは巨大な岩塊だった。とにかくとてつもない大きさ。 これが地表面に到達すればサンクトペテルブルクどころかヨーロッパロシアそのものが灰塵と帰すであろうその暴力的なまでの大きさをほこる岩塊が、 間違いなく此方へと向かってきている。 驚愕か、はたまた恐怖か。あまりに大きな振れ幅の感情にセレネの表情も否応なしに硬直する。 ここにきて、セレネは思った。 正面からチカラをぶつけ合うのは馬鹿らしい。 周りに被害が出るだけでも不毛な限りなのに、それで魔力が切れたところを第三者に狙われた日には泣くに泣けない。 そこでセレネは違ったアプローチで力を誇示することにした。
「まずは、でこんな天変地異にされちゃたまったもんじゃないけど、あなたの魔力がホントすごいっていうのはよーくわかりました。」 言いながらもセレネは別のカードを取り出す。 「そこでだ。今度は趣向を変えてみようと思うの。『サイコフレームの共振』!」 取り出したのは枠の色どりが赤と青で半々の、いわゆる混色カード。 そこから目に見えない、しかし見えていないことを差し引いても周囲の人間にはまざまざと感じ取れる超科学的な波動が拡散して行く。 受信した人間たちは各々に激情に、義憤に、あるいは義務感に駆られやがて数万もの生存者がセレネのもとに集まる。 「サンクトペテルブルクのみなさん、あたしの呼び掛けに応えてくれてありがとう。」 『『『『オールハイル・三千院!』』』』 「で、来て早々悪いんだけど、悪いお知らせがあります。なんとこの極北の地に今、アレが落ちて来ようとしています。」 セレネが指すは時空の裂け目、そこから顔を出すは巨大な岩塊。 ここに来るまでに気付いていたもの、セレネの指摘に初めて気付いたもの、反応はさまざまであった。 「そこでだ。こんな焼け野原の中をあたしの呼び掛けにこうして駆けつけてくれた勇敢なる諸君に勇敢ついでにもうひとつお仕事をしてもらおうと思うの。」 自らとそっくりな少女がいかなる反応を見せるかに期待し、セレネは若干口元を歪めながらこう告げた。 「さあみんな、あたしのためにアレを止めてね♪」 『いくらなんでもそれはちょっと…』 『無理だろ常考』 『でも止めないと俺らも死ぬんじゃね?』 『おおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!』 『いや、そんなの人間やめるくらいじゃないと』 「はいそこ、今なんて言った?」 『いや、そんなの人間やめるくらいじゃないと』 「はい、よくできました。だから超絶ハイパー魔法使いのセレネ様が諸君を理の外に招待してあげようではないか☆」 手を向けられ、問われ、そして答えたひとりに若者が今、宙に浮きだした。
隕石の落下という非日常、そして先程の波動というオカルト的体験。 これらの体験により異能の世界へと足を踏み入れてしまった市民たちならば、 非科学的なことを一切信じない人間よりはかなり外から魔法をかけやすい。 セレネは呼集によって適正者を選別し、隕石の飛来というきっかけを利用して彼らを覚醒させ、そして自らの手駒としたのだ。 「さてみんな、心の準備はできたかしら?」 『『『『Yeah!!』』』』 「それじゃあ行くよ、『ガンダムの力』!」 たかが石ころ1つ、ガンダムで押し出してやる! ―――アムロ・レイ まばゆい光を放ちながら、人間が宙を舞う。 手に余る力に興奮して曲芸飛行をしてのけるものもいれば、はたまた一直線に隕石へと押し寄せる一団もある。 先刻までは一般人。それが突然にこんな力を手にした。 もはや理性が吹き飛んでもしょうがないような衝撃の展開にもかかわらず、 彼らは多少ハイな気分になってはいるものの目的を忘れることなく隕石を止めようと思い思いに奮闘する。 それは追いつめられたニンゲンたちの生存本能の表徴。そして何よりセレネのカリスマの成せる業。 「そしてヒトは生存をかけ、奇跡を求めて皆で新たなるステージへと進んだ。これぞ進化。ヒトの心の光。」 セレネは自らにそっくりな少女に語りかける。 「こんな方法もあるっていうことで満足してくれたかしら?」 彼らの試みが成功するとは限らない。奮闘虚しく隕石が地上に到達することも十分に考えられる。 だが、セレネにとってそれは問題ではない。 自分ひとりの身くらいなら十分守りきれるだろうし、何より今度の一手の目的は隕石を止めることではなく、 眼前の相手にただの力比べではない「別の可能性」を提示して好奇心を満たしてもらうことなのだから。
(と、息まいてみたのはいいものの…) ピアノは内心「しまった」と思っていた。 (さっきのあれで、もう邪気はスッカラカンなのよね……) 使えるとしたら、単純な金属、それこそ刀とか、ナックルとかの単純な近接武器のみ (勝てるわけ、ないね) レイは黒爪と一心同体、それこそ私よりも彼女が信頼するものだと思う そして世界中を回り身につけた武術剣術、さしものピアノも長年の努力が生んだ高い戦闘術に勝てる自信はない 「ピアノか…そんな悲しい顔して何になる? お前も、私の力の礎となるか…ならそんな躊躇は捨てろ」 「…あいにく躊躇いなんてこれっぽっちもないわよ、レイを止める為なら、私は何でもする」 今言えるのは強がりだけだ。 「"ツール"は、それらしくなくてはならないだろう?半端な意思では、私の気もそがれる ―――不良品は要らないという事だ。」 「っ…」 レイの非情なる言葉が胸に突き刺さる、今のレイはまともじゃない、この言葉も本意じゃない そう思おうとしても、やはり投げかけられた言葉に、胸が締め付けられるようで、マントの上から胸元を押さえる 「…ん?」 と、そこで気付く、マントの下に小さな硬い感触があるのを 「……あ」 ふ、と鷹一郎を見る 何と言うか、この超悪運の青年はその行動一つ一つに意味があるのではないか そう思った、途端 「おぉおおっっぉぉぉおぉおおぉおおおおおおおおおおッッッ!!! 」 真人間とは思えない加速で鷹一郎が飛び出した。 「……やっぱ馬鹿なんじゃないかな」 はぁ…と今日幾度目かも分からない溜息をつくと、胸元の感触を掌に乗せる。
思えば、レイと出会ったのはこの国でだった 自分のトラウマを作ったのもこの国だった フランスで生まれ育ったはずなのに、いつの間にかここが第二の故郷になっていた (浄も不浄も…色んな思い出があるわねこの国は) と、感慨にふける暇はない 「行けえええぇええッッ、ピアノぉおぉおおおぉおおおおッッ!!!」 「ちょっとぐらい待ってくれてもいいんじゃないの…?」 鷹一郎はただ突っ込んだ訳ではない(さすがの馬鹿でもそんな事はしないだろう) 囮となったのだ、レイに一撃を出させ、その隙にピアノに攻撃させる 手のひらの上で小さく転がるもの――"邪気電池"を、ガリッと噛み砕く 「ごめんね、レイ」 ピアノは両手を前に突き出す。 例にもれず機械を吐き出した手が創り出すものは、巨大な2バレルショットガンのようなもの 『ミラージュカノン』 コウッ と小さな音が響くと、真っ白な光弾が二発、直線状に飛んでいく 周囲の大気を歪ませながら進む白熱の球体、鷹一郎をあやかってでもいるのだろうか (あれ定点追尾プラズマ砲だよね… あれ…エネルギー反応4つ?) ウィスがピアノの肩に出てきて首をかしげる。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ (はは…ん さっきのライブの応用か 二発に見せかけて、本筋は両脇から挟み打ちしている二発、ね) この状況でよく考えたなーとウィスは感心する。 確かにあの人に単純に攻撃しても弾かれたり避けられたりするのがオチだろう、だから少々卑怯な真似をしても、一撃で仕留めるつもりなんだろう ちら、と小人は主の顔を見る 「…ごめんね」 ピアノは今にも泣きそうな顔をしていた。
(指弾の合図とともに放たれた数百の影は、ステラの正拳突きに祓われる。) (元々物理的威力のない「影」であったが、「ヒトに原型をなした身体」でありながらここまでの威力を発揮するその能力にシェイドは感嘆した。) はは…いい力だ!だが力任せでは生き残れんぞ!? (「偽物」が掻き消え、「本物」が飛来する。) (大振りの鋏はステラの喉へ一直線に飛来───したかと思いきや、更なる「白金眼」の遺眼付加能力がそれを許さない。) (貫く刹那、翳されたステラの手に触れられた鋏は一瞬にして光と消えた。) ほう…!その技…やはり「星」か! いい判断だ、本能的とも言える。…ククク…どうやらだいぶ「戻って」きたようだな? (その問いに、彼女は何も答えない。) (その顔は、強いて言うのなら「背理法を目にした小学生」のような、理解を超えた範疇にあるものを見る表情。) ………ん? (“ステラは立ち向かってはこなかった”その事態は、むしろそれこそがシェイドの理解を超えていた。) (圧倒的殺意と圧倒的興味を持ってお互いの寝首を掻き合うこの状況、歩みを止めた者は自然と呼吸をも止めることになる筈。) (やがて彼女は一種何かを願うようにシェイドを見つめ、たった一言、呟いた。) 「どうして、笑って人を殺せるの……?」 ………はん。 (外道はその質問を鼻で笑った。)
下らん。何を言い出すかと思えばそんな事か。 見込み違い…だったか?ヒトの死に囚われているようでは……まだまだだな、≪小娘≫が。 まあいい。一秒を争う我が研究の時間を割いて語ってやるから耳垢かっぽじって聴け。 何故私が笑顔で人を殺せるか、そんなのは簡単だ───── 面 白 い か ら に 決 ま っ て る だ ろ う が っ ! …というより、貴様の表現だと語弊があるぞ語弊が!私は殺人快楽主義者じゃなくて研究熱心なだけだ! 基本的には「邪魔者」以外は極力生かすようにしている───当然、そっちの方が後々面白いからだがな! …本質的に貴様は私を誤解しているよ。確かに貴様の身内を死に追いやったのは私だが、あれはどちらかといえば誇り高き者の自害だ。 どういう関係だったのかは知らんが、たったひとり消えたくらいで人をまるで狂人のように扱うのは頂けないぞ。 (───アリス=シェイドはとことん、自分を省みない男であった。) 全く…なんだ、もう少しマシかと思いきや…存外、脆いな。おかげで興が覚めてしまったじゃないか。 もう少し遺眼で遊んでやりたかったが…まあ、この辺りが潮時…か。 あー、ステラ=トワイライト。私はそろそろ満足だ。 遺眼の採取条件や利用法も粗方データは揃ったし…何より使い手が“今”の貴様では、これ以上の収穫は望めそうにないからな。 …しかしまあ、貴様があくまでこの私を殺さんとするならば───この場できっぱりと、遺眼ごと消し去ってやってもよい。 選択権を渡そう。 中途半端な決意を抱えて影の中に飲まれるか───それとも全てを抱えたままにして牙を一度納めるかだ。 好きなのを選べ。私はどちらでも構わんぞ。
「……ふーん。へえ、成程……」 一人きりになった待合室のソファに腰掛け、アスラはしばらく『ライフライナー2号』君を弄ぶ。 高性能の集音マイクとスピーカーが備えられており、下部に開いた小さな穴からは先程出て行ったヨシノの足音が聞き取れた。 機能の確認も含めて先程からいろいろな所を押したり刺したりしているのだが───正直言って、かなり無駄だった。 映像・音の共有はまだいい。いやむしろ携帯型でここまでの画質と音質を持たせたのは見事と言える。 しかしこの、メインメニューから飛べるインターネットだのマインスイーパだのバイオグラフだの電卓だのの素敵な機能たちは一体何処で使えと言うのだ。 経験上、仕事の最中にスパイダソリティアをやるような奴は味方に殺されて死ぬと相場が決まっているのだが。 「(………私用、なのかしら?)」 改めて、目の前の物に疑問を感じてしまう。 まさかこうなる事を予想して作っていたのだろうか。でなければ、自分のために作っていたのだろうか。 それにしたって、相互型の映像付きトランシーバーなんて一体何考えて作ったのだろうか。 「(潜入時以外の使い方って言ったら…一方をどこかに隠して盗─────)」 すごく嫌な予感が頭をかすめたが、ま、どうでもいいやと修道女は流すことにした。 「……そろそろ動かなくちゃね」 革張りのソファからさっと腰を引き、胸元の銃の感触を確かめる。 軽く柔軟などをこなした後、アスラはトランクを開けて準備を進めた。 監視カメラ:有 人通り:中 警戒レベル:やや高 …いくら楽園教導派が教会を装っていると言っても、いわくありげな本部の中を見知らぬ顔がうろうろするというのは流石に怪しい。 ヨシノ開発のこれまたいわくありげな通信機器によって大体の道のりは把握しているが、移動途中に誰かに見つかればマズい事になるだろう。 また、廊下は一本道が多いので見つかりやすいという難点もある。 アスラ自身、一応体術に自信はあるが、相手も素人ではない。狭い廊下では技を掛けにくく、音を立ててはいけないという条件も痛い。 この圧倒的不利な状況下、彼女はいかにしてヨシノの後を追ったのか。それは────
────瀟洒な調度品が所々殺風景な廊下を彩る。 西洋風の絨毯を踏み、“メイド”が一人歩いていた。 ゴロゴロと重たい音を立ててトランクを堂々と運び込む。まるで、自分がそこにいる事になんの不思議も感じていないような足取りで。 …いや、傍目に見れば確かにそれは自然な情景。西洋風の洋館に、黒髪のメイド。当たり前といえば当たり前の景色だった。 メイドの正面廊下の角から、スーツ姿の男性が通りすがる。 バインダーを片手に持っているあたり、おそらく事務員の一人だろう。 運命の邂逅───果たして男は、まるでメイドを居並ぶ骨董品となんら変わりないもののように捉えそして通り過ぎて行った。 種を明かせば、アスラが着ているメイド服は他ならぬ「白い婦人の絹衣(シルキークロス)」である。 ヨコシマキメ盗掘ではもっぱらヨシノの愛用品になっていたが、なんのことはない。本来着るべき人間が着てるだけだ。 この装備の特性は「存在の希薄化」である。「邪気」や「気配」を妖気など限りなく自然に近いものへ変換する事で、存在感は著しく低下される。 …しかし、ヨコシマキメの先例の通りそれは完全に消え去る訳ではない。目立たなくなるだけで、一応視覚情報としては認知される。 これは絹衣の性能に賭けたアスラの「勝負」だった────のでは、ない。 “アスラはメイド服が目立たない事を既に知っていた”のだ。 …と言っても、これもそれほど複雑な事情はない。 常盤に導かれ待合室に通される時、アスラは横目でちらりと確認していた。 誰の趣味かは知らないが、楽園教導派の小間使いは─────── 全 員 メ イ ド 服 を 着 て い る の だ っ ! もう一度言う。誰の趣味かは知らないし、知りたくもない。 ───ちょうどそのころ世界のどこかで上位セフィロトの一人がくしゃみをしたようだが、知る由もない。 なんにせよ、これは「メイド」という存在がここでは極めて目立たない存在であるという事実を表している。 「白い婦人の絹衣」としてのカモフラージュと、メイド服としてのカモフラージュ。結果アスラは多くの人に目撃されながら、誰にも見つからずに移動することができたのだった。
階段をいくつか降り、トランクを抱えたメイドは重厚そうな鉄扉の前に辿りついた。 おそらく、相手方の悲鳴を教会内に響かせないようにしているのだろう。防音は行きとどいており、自分の足音すらそう目立たない。 しかし、これは逆に好都合。 これならどんなに騒ごうが上へは聞こえない──ということだ。 「……しっかし」 と、袂から取り出した「ライフライナー君」を見やる。 ケテルとの対峙、美白トーク、慧眼、土下座までの一連の流れは、こいつのおかげでトランクをゴロゴロしていたアスラの耳にしっかり流れていた。 相手の攻撃は精神干渉系──今はヨシノが対峙しているが、あるいは鉄扉一枚隔てた自分の存在など、とっくに感知されているかもしれない。 だが、それはアスラが歩を止める理由にはならない。 もう少しゆっくり──メイド服を着替えるくらいの余裕を持って準備してもよかったのだが、何せこの扉の向こうにはヨシノがいる。 プロとして守るべき三つの者──それは自分の命、依頼人の命、そして依頼。 依頼人が身体を張って術者と対峙している以上、仕事屋アスラはひと時も早く突入しなければならなかった。 アスラはせめて、気をそらすためにかつて出会った肌の白い連中(具体的には、廊下全裸幼女とか白衣男とか)を思い浮かべながらドアを蹴り飛ばした。 さっきまでの待合室よりもやや広い殺風景な部屋。中にはテーブルが一つと、向かい合うようにソファが二つ。 先ほどまで同席していた色白の「王冠」へ向けて、アスラは自動小銃をぶっ放した。
精神世界での情報戦を展開しながら、『ケテル』は更に室外のアスラをも既に知覚していた。 如何に認識阻害の効果を持つメイド服を着ていようとも、 一人だけ明らかに周囲と異なる『意志』を発していれば、それをケテルが察知出来ない所以は無い。 アスラは正しく、彼にとっては『紅一点』の存在だっただろう。 (そして先んじて、まだ見ぬ背信者の此方に対する認識位相を逸らした……が) 次の瞬間、『ケテル』は悟る。 ドアを開きざま背信者が取らんとする行動を先んじて。 彼の創り出した些細な差異など関係無い程の弾幕を。 (これでは拙い……か。ならば――) 故に、彼は異能を呼び起こす。 (管理顕現『イデアパペッター』――『左右逆転』) 遍く人の心奥に毒を忍ばせる別格の権限を以って、アスラの『左右』の概念を侵害する。 『ケテル』を穿つ筈であった弾幕は、ヨシノへと殺傷の矛先を逸らされる。 だが――『ケテル』がアスラに行った侵害は、ごく浅い物だった。 先程ヨシノに施したものよりは、ずっと。 ヨシノが「土下座と言う行為が至上である」と深く信じさせられた事に対して、 アスラは「『ケテル』が敵である事は分かっているが、反射的に左右逆に銃撃をしてしまう」だけなのだ。 彼女は自身の行為に当然違和感を覚え、中断する事が出来る。 論理的矛盾の知覚が可能で、思考次第では自力で正しい『左右』の概念を取り戻す事も不可能ではない。 (箸を持つ手はどちらなのか。……あの女の場合は銃を持つ手か) 何故、『ケテル』はその程度に留めたのか。 ヨシノを撃たせたいのならば極論、 アスラに「ヨシノはゴキブリ以下の汚物であり即時殺害すべき」だと概念侵害を行えばいい。 (……スタンドアロンの思念体、思った以上に厄介だ。……だからこそ興味深い) そう、『ケテル』の敵はアスラだけでもない。 ヨシノだけでもなく、アスラとヨシノだけでもない。 自立し自律する、精神攻撃が可能な思念体――『デバイス』がいる。 ヨシノは今、言うなれば「一つの身体に二つの思念を宿して」いる。 当然ヨシノの身体はヨシノの精神が動かし、そこに『デバイス』は関与しない。 彼女には、負担が無いのだ。 『ケテル』はそうはいかない。 彼の体を動かすのは無論彼の精神で、精神世界で攻防を為すのも彼の精神だ。 アスラに対して異能を仕掛け、警戒し。 『デバイス』に対して適時最適な防壁を張り、彼女と『ヨシノ』の精神中核へ攻撃を繰り出す。 致命的なまでのタスク超過だ。 その上アスラに対して高出力の異能を繰り出そうものなら。 恐らくはアスラへの精神侵害は成功するが――その隙に彼の精神は『デバイス』によって致命傷を負わされるに違いない。
精神干渉系の異能者は時に、一人で千の敵勢を下す事さえ可能だ。 必然、戦場では真っ先に狙われ、味方には死守される。 結果的に精神干渉系の異能者同士で、ある種隔離された戦闘を繰り広げる。 もしも物理的に敵の刃が彼らに及べば、そうでなくても戦況が傾き不安を抱けば。 それらは敗北へと繋がる大きな隙となるだろう。 精神世界での戦いとは本来、それ程の物なのだ。 三対一で物理的にも精神的にも戦うなど、自殺行為に他ならない事だ。 第一セフィラ――“哲学”の『ケテル』でなければ、到底成し得ない。 (とは言え、余り長引かせるのは下策。精神干渉で外の者を呼ぼうにも、 恐らく『デバイス』はそれを見逃すまい。となれば……) さて、この状況で『ケテル』はどうすればいいだろうか。 何をすれば逆境を打破し、憎き邪気眼使いと裏切り者、 背信者に裁きの鉄槌を下す事が出来るだろうか。 圧倒的な高みにいる彼を、苦戦の泥濘に貶めている要素は。 「――貴様だ、『デバイス』。貴様さえ討てば残る二人に我が異能を退ける術はない」 明鏡止水の気概を宿した瞳が、『デバイス』を射抜いた。 そうして彼はアスラへ異能を仕向けた為に中核防壁に生じた『穴』を塞いでいく。 更に警戒を重ね設置式の防壁を、足元から隆起する迷宮の如く多重展開する。 彼の精神状態に左右されない代わりに解析してしまえば分解は容易だが、あるに越した事はない。 【『穴』の修復中+防壁展開中。アスラの弾幕をヨシノ方向へ】
■ ・傍受記録 (某月某日、60Mhz帯の無線通信をキャッチ。 以下にその会話の内容を記す。) ……ああ、俺だ。『情報屋』だよ。 例の依頼された件について、報告できるだけの情報が集まったんで連絡した。 二度とは言わないし、…これが最後の通信になるかもしれない。耳をかっぽじって聴くんだな。 確認だが、アンタの依頼内容は『枢機院の不穏な行動についてと、その目的の調査』だったよな。 枢機院と言やあ世界政府に所属する、聖教系を一手に担う行政府だ。 世界の宗教権力は枢機院によって統治されている、つっても過言じゃねえかもな。 が、まあアンタの言った通り、ここ最近は行政府の業務内容では説明できない行動をいくつか隠れてやってるようだぜ。 その中でも特に顕著なのが、《楽園教導派(エデン)》と呼ばれる一派の動きだ。 宗教を曲解したテロを鎮圧し教導するのが主な業務らしいんだが、どうにも最近のそいつらの動きが胡散臭い。 日本や某国への出入りが激しいのもあるが、実はもっと以前に前兆があった。 前に、『怪物の口腔』ヨコシマキメ遺跡が突然復活した事件あったろ。 ………実は事件発生前に、《楽園教導派》の連中が遺跡跡地の下見に来ていたらしいんだ。 …な? 胡散臭いだろ? 主犯は【世界を記した22の原典(アルカナ)】っつーテロ組織ってことに公式の資料ではされてる訳だが。 俺には、どうしても枢機院の奴らが裏で関わっているようにしか思えねえ、ってことなのよ。……アンタも、そう思うだろ? そんでもって最近の話だが、…ついに枢機院が日本と某国に出兵しやがった。 もちろん独断専行だ。巧妙に報道規制と情報遮断、箝口令を敷いてやがるから、アンタらの耳にも届いちゃいねえだろうがな。 そしてついさっきの話だが、巨大な時空震と因果震が同時計測された。 しかも震度8と来たもんだぜ。…こいつは、過去に2,3度起きていたとされる運命改変と計測上同じ数値らしい。 それほどまでに強力なエネルギーの震源は、…日本だ。……いよいよもって、こいつは確信めいてきたとは思わねえか? これらの情報から、俺なりに奴らの目的を推測してみたぜ。 つっても、あまり期待すんじゃねえぞ。俺はあくまでしがない『情報屋』であって、名探偵じゃあねえんだからな。
ヨコシマキメ遺跡のヨコシマキメってのは、もともと日本に伝わる神様の名前だ。 それも仏みてえな出来た神じゃない。とびっきり凶悪で邪悪な、いわゆる悪神。…俗っぽく言うなら、”邪神”ってところか。 曰く昔の邪教じゃ、いたく崇められてたらしいぜ? その集会場が、あの遺跡だった。っつー話。 漢字で書くと、与枯四万黄女。 四や万ってのは、数が大きいことを表す数字。枯れるってのはつまり、滅びってこと。黄色ってのは東洋を示す。 …以上を踏まえて訳すなら、 『多くの滅びを与える東洋の女神』 、ってなところかな。 古くは”邪姫(よこしまひめ)”で、それが段々と訛っていったものらしい。 何にしても、まず女ってことには間違いねえわけだが。……え? そんなことはどうでもいいから、本題に移れって? …へいへい。 さぁて、何でこんな話をしたかってーと。 要するに。枢機院の目的は、この『与枯四万黄女』の復活にあるんじゃねえのか、ってのが俺の推理な訳。 信じられねえって? ヨコシマキメ遺跡を全盛期の状態で復活させたのは、遺跡に宿る女神を蘇らせるため。 ヨコシマキメ遺跡が突然転移したよな? 転移先の世界基督教大学ってのは、枢機院と密な繋がりがある。 そんでもって日本から発生した強大なエネルギーは、女神を覚醒めさせる気づけの一発に奴らが利用するつもりだとすれば? …全部、繋がるよな? ああ、もちろん完璧な推理じゃねえ。穴があるのは承知の上だ。だが、無視できるほど荒唐無稽な説でもねえだろ。 十分あり得るはずだ。少なくとも俺達が棲まう、この邪気眼という世界においては、な。 さあて、伝えるべきことはこれで全部伝えたぜ。 これで俺のお役目も御免だ。金はいつも通り、指定の口座に。…今後ともご贔屓にお願いしますよ。 あ? おいおい。ご役人サマが俺みてえなヤツの心配か? ハッ、危険なんて顧みてたらこんな仕事で稼げねえよ。まあ、政府機関への潜入ってのはちと骨が折れたがな。 なあに、俺はその苦労に見合うだけの金をもらえるんだ。命を賭けるだけの価値は、それで十分だと俺は考えるがね。 …さ、これ以上の通信は危険だ。これで切らせてもらうぜ。 ………ああ、『お互いの幸運を祈って(ラ・ヨダソウ・スティアーナ)』。じゃあな、世界政府大統領さんよ。 (以上が全通信記録の内容。 対処としてはこの『情報屋』と名乗る人物の素性と足取りを調べ、存在を抹消する。 世界政府への手出しは無用。政治的に解決すべし。 ――以上)
――この世界には吹雪の中の雪片と同じほどの幻影の床がある。我々は一つの夢から覚めて別の夢に至るのだ。 (ラルフ・ウォルド・エマーソン「幻想」) 今や二つの『夢』は重ね合わされ、有り得ざるはずの形ある滅びがかの極北の地を襲わんとしている。 一つは大いなる岩塊、そしてもう一つは小さな人間――の形をしたもの。 後者であるRは、セレネのとった行動をまさに感嘆の目で眺めていた。 『さあみんな、あたしのためにアレを止めてね♪』 有象無象に過ぎなかった人間たちに力を与え(正確には覚醒させたようだが)、その上で自らの望むように操るその手腕は、Rの決して少なくは無い対能力者経験の中でもあまり見なかったものであった。 強いて言うならば召喚や強化の能力に近いが、それとて本質からは程遠い位置にいる。 ――現実という神話の二、献身:信仰の最大の犠牲者は信者である。 『そしてヒトは生存をかけ、奇跡を求めて皆で新たなるステージへと進んだ。これぞ進化。ヒトの心の光。』 雑多で荒削りな能力者たちだが、それでも力には変わりないし、何より数が多かった。 隕石を破壊こそ出来ずとも、軌道を変えて帳から(ということはすなわちこの世界から)遠ざけるには十分だろう。 『こんな方法もあるっていうことで満足してくれたかしら?』 応える声は無かったが、その事実こそが肯定の証だった。 抵抗の妨害もせず、セレネに向かうでもなく、ただ人間たちを見ている。思考の内容こそ知る由も無いが、その姿は通常の人間が自らの興味を惹くものを観察しているのと変わらないように見えた。 ――と、帳の方向から勝鬨が上がった。 Rの目には、人間たちが新たに得た力を奮って、自然現象と言っても良い難題を打ち負かしたその瞬間が映っている。 勝利に沸く人の前で、時の帳もまた閉じていった。 ――勝利の可能性が少ないときほど、成功の喜びは大きい。 「――良いものを、見せてもらった‥‥」 セレネを見もせずにRが口を開いた。その瞬間、人間たちの耳を聾する歓声はそれに倍する恭しき沈黙に押し包まれた。 Rの魔力が――というよりも、身体から分離したRのほんの一欠片が――一帯を覆ったのである。 それは夜の帳よりも暗く、冬の掌握よりも冷たく、貪る光よりも眩く、炎の波よりもなお熱かった。 「そして、君という存在に対する認識を改める必要がありそうだ。」 Rはどこかで、セレネに対する共感――この言葉は不適切だが、最も近い意味だろう――を感じていた。 『世界の外』を、『多元宇宙(ドミニア)』を知るものとして。 そしてもう一つ、さらに高次の段階においても。 これはR自身にさえも言語化しがたい感情であったが、強いて言うならば自らの背後にいる『見えざる神』に関係するものということにもなろうか。 無論そのようなものの存在を信じてはいないのだが、それ以外の言葉で表すことは出来なかった。 「‥‥だから、私は過去へと戻ろう。」 そう言ったRの手には、セレネの持つものとよく似た――しかし意匠の違う――カードの束があった。 遥かな過去、藍氷という名であったときに彼女が使用していたものだ。 Rがこのような一般に見ればきわめて非効率な行動を取るのは、主として相手の全力を出させるためであるが、今回はさらにもう一つの目的があった。 即ち、自らの『黄金時代』を、この場この時に於いて再び現出せしめるためである。 「先ほどは私の攻撃だったな。‥‥ならば、次は君の手番ということになろう。」 この言葉とて、公正を期してのものではない。 彼女はただ、刹那であろうとも満たされたいだけなのだ。 ――彼が渇望しているのは、ただ一つの品なんだ。
(最後の惨劇が幕を開けた、秋葉原) (血塗られた地上の光景を臨みながら、『生命の樹』第十位マルクトは鉄塔の頂にて考察する) (謎めいた『創造主』の思惑について) …東京全体を、Yウィルスという虚偽の情報で沈黙させた。 しかしこの秋葉原は例外的に情報を流さなかった。 そして、唯一人が行き交う秋葉原にのみ、突然の災害が幾つも襲った……。 いくら邪気眼使いは惹かれ合うとは言え、ここまでの遭遇率は異常と言って良い。 となれば、意図的に仕組まれたもの? …そんなバカな。 我ら《楽園教導派(エデン)》の計画は別にしても、 正体不明の宇宙生命体の飛来や例の剣士の暴走まで、作為的に引き起こせるでしょうか? (それはいくら何でも考えにくいとしか言えない) (だって、不可能だ。どんな能力でも、偶然の巡り合わせまで操るなんて) (ファクターを段階的に設置し事象を誘導するなんてこと、時間と労力があっても出来ることではない) ……いや、一人だけいるではありませんか。 運命を、事象を、全ての偶然必然を操る絶対の存在が。 (かつてはカノッサ、そして現在は枢機院を束ねる存在、『創造主(マスター)』) (彼/彼女の能力は、組織の人間にも明らかにはされていない。…どれだけ上部の人間でも、だ) (それでも、ある程度の風聞は流れてくる) (『運命改竄』、『確率変動』、『世界書換』、…色々諸説あるが、どれにしたって脅威には違いない) (だってそれは、実質神の領域だから。…だから、組織では”主”と呼ばれるのだ) ……まさか、これらの出来事は全て『創造主』が? だとするなら。…東京の機能を停止し、秋葉原を壊滅状態に追い込むその理由は? (分からない。) (そこから先を類推できるだけの情報を、マルクトは持っていない) (……深遠だ) (全ての意図は『創造主』と一部の者にしか知らされず、…ほとんどの者は命令通りに動くだけ。) (意図を察しようとしても、とても頭が追いつかない。……不安でも、信じてついて行くしかない。) …『全ては主の御心のままに(ラ・ヨダソウ・スティアーナ)』 (それが、自分の救われる唯一の道だと信じて)
(その時) (鉄塔の頂に立つマルクトの広い視界に、興味深い光景が映った) …あれは。 確か、カノッサの先兵たち? ピアノ・ピアノと、レインマン…と言いましたか。 (とあるビルの屋上) (紳士風の出で立ちをした青年、レインマンを振り切って、ピアノがビルから飛び降りるところだった) (別に自殺の現場という訳ではない。…異能力者によっては、あれくらいの高度から着地することなど何でもないのだ) (そしてレインマンは、一人取り残される) (…彼はどうも、情を棄てきれないきらいがある。ということは、助太刀を買って出る可能性がある) (何の? …決まっている) (あの暴走した剣士、レイとの戦闘だ。すでに我等が『世界の選択』結城陽一郎が立ちはだかっている) (…これが《楽園教導派》の計画に支障を来さない出来事なら、見逃してやっても良かったかもしれない) (だがもし) (もしあの剣士の暴走が、『創造主』の思惑通りのことだとしたら) (…既に向かってしまったピアノは良いとしても、これ以上戦力を参戦させる訳にはいかない) (なら、やることは決まっている) (…ギィィ) (レインマンの背後から聞こえてきたものだ。…扉が開くときによく聞こえる、あの音だ) (だがそれは、階下から屋上に通じるドアのものには到底思えなかった) (だって、…それは重厚だったから。) (まるで大聖堂か何処かにあるような、大質量の門扉か何かがやっと開いたような、重々しく軋む音だったから…) (振り返れば、すぐ理解するだろう) (突然背後に出現した、見上げるほど巨大な青銅の門。…全開したその扉の向こうにいる、銀髪の近代的な軍服を着込んだ女) (そして、肌をぴりぴりと灼くようなその気配は、……紛れもなく、敵意) …すみません。驚かせてしまいましたね。 私は、マルクトと申します。……《楽園教導派》、『生命の樹』第十位。…と名乗れば、分かりやすいでしょうか? (分かる人にしか分からないが、…彼女の邪気は、尋常じゃない) (それこそ、頭上に広がる青空を一瞬にして、覆い尽くしてしまった。…大魔導師クラス、あるいはそれ以上) (それは、『創造主』が与えた強力な異能と、…彼女の過ちの象徴である、『プレート』、その両方が揃って成せる業だった) (邪気眼に匹敵する上位管理権限。そして、邪気眼に太刀打ちできるほどの力を持つ、プレート) (…彼女は、その二つ全てを兼ね揃えて君臨していた。) (……これがどれほどの脅威か。…邪気眼の世界に身を置く者なら、すぐに理解できる……) あの宇宙外生命体との連戦で厳しいのは承知ですが、…こちらにも譲れぬ事情がありまして。 出来れば手を引いていただくか、さもなければ。 ……いっそのこと、ここで退場していただくか、選んでいただきたいのです。 (『退場』) (…この世界からの退場が、一体何を意味するのか。…そんなこと、言われるまでもない) ………それとも、抗ってみます? この、無慈悲な運命に。…ックスクスクスクス………。 【WARNING:『生命の樹』マルクトが出現しました】
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名無しさん@自治新党スレでTATESUGI値審議中 :2010/09/16(木) 21:20:31 0
東浩紀 379
「おぉおおっっぉぉぉおぉおおぉおおおおおおおおおおッッッ!!!」 「…つまらん」 ただ闇雲に突っ込んでくる鷹一郎、レイならそれを一閃で切り落とすぐらい訳無いものだ。 だが相手はほぼ真人間とはいえ"世界"に勝利し、イェソド戦でも実体は無いものの戦果と呼べるものは上げていた。 そんな彼がただなりふり構わず走り寄るなどという事はありえない。 「何をするつもりだ?」 鷹一郎は止まる事を知らない、常人ならば脚が千切れ飛ぶような加速と速力に任せて猛進している。 もう2秒もすれば彼は黒爪の剣先届く範囲まで距離を詰めるだろう、減速も間に合わない 「…私の一閃を避けれるとでも思っているのか?浅はかだな」 鴉の目が一瞬怪しげな光を灯した、と思った瞬間 ィィン! 黒光りする一閃が宙を斬った。 「っ!」 避けられた、と思う間もなく黒爪をくるりと回し逆手に持つ 一撃目を避けるのは予測の範囲内だ。 むしろレイの攻撃はここからが本番といえる。 「っはぁ!」 ダガー持ちをした黒爪を斜め下に振り下ろす。 しかしそれもまた宙を斬るのみに終わった。 「っく!?」 再度斬りあげる、だがこれも空を薙ぐ 横へ一閃、屈んで避けられた。 行動を予測されている? そんな馬鹿な、長年積み上げ、自らに最適になるよう練り込んだ複雑な剣術が、こんな短期間で見切られたというのか…!? レイの表情に少々焦りが浮かぶ、だがそんな雑念は…死の元だ。 「行けえええぇええッッ、ピアノぉおぉおおおぉおおおおッッ!!!」 「っ!?」 『ミラージュカノン』 鷹一郎の叫びにピアノの方を振り向けば、白熱する球体が向かってきているのが一瞬映った。
「なめるな!」 連なった二つの白熱球を黒爪の一閃で薙ぎ払う、漆黒の斬撃が飛翔し、球体を貫いた。 爆轟、プラズマが大気と反応し荷電粒子となって爆散する。 「…っはぁ っ!?」 大きく息をし、白熱球の爆轟に目を細めて、そこでようやく気付く 自分を両脇から挟みこむように接近する気配があるのを 「っく!!」 考える事もない、単純なフェイント攻撃 攻撃が当たらなかった、という焦りが、その可能性があるというのをを引き抜いてしまっていた。 もはや斬撃で貫くには間に合わない、黒爪の刀身で防御するしかないが両脇から挟みこむ状態では一本の黒爪ではさばききれない ならばやられた場合のリスクが少ない右を狙うだけだ。利き腕が生きていればまだどうにかなるだろう。 バヂィッ!! 本体は見えはしないが、剣先から白電が舞い上がるのを少し確認する。 そして左手側には燃えるような衝撃、反動でレイの軽い身体が浮かび上がる。 「っ…」 その反動をそのままに、右手の白熱球の軌道をずらす力に変え――― ボッ 「!?」 黒爪で押さえこんでいたプラズマ球が、突然暴発した。 レイは知る由もない、このプラズマは「定点追尾式」だという事に いつまでたっても予定された場所に付かないミサイルは一体どうなるか、目標を失い自爆する。――それと同様だ。 予想に反した爆発に、打点がずれる、黒爪が手を離れ、爆風に沿ってこちらへ飛んでくる。 その黒光りする刃が、血にまみれた腹に、深々と…… 「…っごは」 爆風と黒爪の衝撃に弾き飛ばされるように倒れるレイ、その身から突き出すように刺さる漆黒の刃 「…黒、爪 貴様」 それは、レイを狂わした元凶たる黒爪の、一つの情けなのか、それとも怒りなのか、あるいは憐みか その身を貫通した刀は何も答える事無く、彼女の血を吸う それはまるで、今まで幾度どなく殺めてきた人々の記憶を見せつけるかのように、
(実際、鷹逸カはレイの凶速の剣戟を見切った訳ではない) (青年がかつて遺跡で発揮した、致死性の攻撃に対する超感覚。) (普段は『罠の存在の察知能力』として現れており、) (対邪気眼戦では知覚無知覚を問わず、『星』の光速の突進をも完全回避してみせた、それ。) (その凡人にはあまりにも特殊な力が、『プレート』の力によって一時的に引き出されたのだ。) (しかし無論、あれだけの至近距離では物理的に間に合わない) (光速突進を避けたのも、『星』の始点から彼我に十分な距離があったからに他ならない) (それを強引に可能にしたのが、『プレート』による強制肉体強化) (つまり、完全な力押しだ。) (自身にかかる負荷を全く考慮に入れていない、強大な力に任せた愚直な戦い方とも言える。) (そしてその戦い方は、偶然、あるいは必然として、【アルカナ】首領『世界』とよく似たものだった。)
(――爆轟によって路脇に吹き飛ばされた身体を、力尽くで起こす) (能力者との連戦、そして秋葉原中を走り回った青年の身体には、もう余力は残されていない) (それでも、自身を突き動かす「何か」の衝動のまま、青年は起き上がる) (足を引きずりながら向かう先は、…当然、あるいは必然、レイの方) (皮肉な結末なのか、それとも分かりきった結末なのか。) (レイの腹部には、あの黒爪が、痛々しいまでに深々と突き刺さっていた。…血染めの道路へ、最後に自分の血が染み込む……) レ、イ……! (青年は、自身が纏っていたフードの裾を、ビリ、と破る) (汚れていない裏側の部分を、震える腕で、腹部に当てる。…刀は出血を抑えるため、敢えて抜かない) (それは) (レイにも、見覚えがある光景) (重傷を負った、自分の命を狙った相手である『基礎(イェソド)』を、止血していた光景と全く同じ。) …ちったぁ血は、抜けたか、よ……。 全、く、…手間取らせやがって。これじゃあ……逆に、貸し、一だぜ……。 (ボロボロの顔で、ニヤッ、と、不敵な笑みを浮かべてみせる) (その息は荒い。レイとの戦いで、本当に、余力を全て使い切ってしまっていたようだ) ……レイ、…ごめんな。 俺は、卑怯な男だ。…レイが俺のことを、危険視してるのを、分かってて……。 だから、俺が囮になったんだ……。絶対、俺の方に目を向けると、思って…。 (元々レイは、鷹逸カに戦いを挑んでいたのだ) (ならば至極当然の帰結として、…レイは鷹逸カに興味を向けるはずだ) (だから、ピアノの攻撃は完全に眼中の外になるはずだと。……そう踏んだ上での、作戦だった) 俺は、…お前が思ってるほど、強い男じゃねえんだ。 『世界』に勝てたのだって、…俺なんて、ほとんど何も出来なくて。 …ごめんな。正々堂々、戦ってやれなくて。……本当に、ごめんな…………。 (やがて笑みが崩れて、情けない嗚咽が漏れ始める) (…結局この男は、どこまでも甘いのだ。どこまでも詰めが甘くて、それこそがどうしても「日常」の性だった) (「非日常」の世界で、…命を狙ってきた敵を介抱するなど誰がするのか) (ましてや、…敵のために涙するなど、誰がするのか) (愚かしい。) (何処まで行っても、この男は愚かしい。) (だから彼は「愚者」なのだと。……だからこそ彼は一番、「世界」に近い場所にいる――――。)
鬱蒼と茂る小さな森の前、老人は一人溜め息をつく。 ≪うーむ……≫ 『鎮守の森』に張られた結界内への乱入、そして創造主の命と胸を張る楽園教導派の一団をほぼ壊滅させ。 竜蹄の計算では、ここからカノッサのエージェント二名を説得し我が大学の「管理役」を率いて楽園教導派をちょっと壊滅させるつもりだった。 それが、今はどうだろう。 『スクランブル』と名乗る楽園側エージェントの介入により壊滅した一団はゾンビの如く復活し。 挙句あれだけ颯爽と登場しておいて自分は蚊帳の外へ追い出され、とっくに楽園の一団とカノッサ二名はどこかへ転移してしまった。 ≪……よく考えたら儂、馬鹿丸出しじゃね?≫ 丸出しというよりは、引っ掻き回すだけ引っ掻き回してあっさりやられるザコキャラのような扱いである。 ≪うわあ……めっちゃ恥ずかしい。もう死にたい。波の荒れる絶海の孤島で動物たちに見守られ一人安らかに息を引き取りたい。≫ 頭を押さえてうわわわわと悶絶する老人一名。 なまじ格好いいセリフを放ってしまっただけに、ぶり返す羞恥も並大抵ではなかった。 人、それを“中二病”という。 さておき。 楽園教導派が思いっきり老人を無視したのは舐めんなよというところであるが、竜蹄にはそれ以外にもちゃんとした「動かねばならない理由」が出来てしまった。 ≪アピール兼ねとはいえ…連中、“生き返っちゃった”しのう…。カノッサの彼らがどれだけ粘るか分からんが、怨嗟は大学へ向くじゃろうな…≫ 竜蹄は人同士のしがらみを何より嫌っている。 好きだの嫌いだの憎いだの恩義だの、それらすべてから隔絶された「徹底個人空間」それが大学の正体だ。 そして、竜蹄は先程人を殺した。 さらに悪い事に、奴らは生き返った。 最悪な事に、竜蹄の手の届かぬ所へ逃げ延びてしまった。 これでカノッサの二人が奴らを再度壊滅させれば何も問題はない。 だが、一人でも生き延びで本部へ帰還させてしまえば、楽園教導派へ大学は敵である旨の報告をするのは明白。 そんなことになれば、大学は「狙われ」てしまう。 邪気眼狩りの話を聞いたころから半ば決定していた事だが、こうなってしまった以上、《眠れる巨人》布兵庵竜蹄が動かない理由はなかった。 老人はふう、と息を吐き、流れる白い雲を見つめて言った。 ≪………《枢機院》…潰すかのう。≫ 静かに呟いたその刹那。 竜蹄の目の前を、目に見えない真空波の流れが通り過ぎた。
ず ど ん 。 美しく整えられた髭をほんの2〜3mm削るようにして、圧倒的な衝撃波が真横をかすめる。 その音は、背後の植木が音を立てて倒れたもの。幹の太さは約1m。速さまでは計り知れないが、竜蹄の眉間にしわを刻み込ませるには十分な現象。 何が起こったのか、把握する必要はない。「大学内で面倒が起きている」それが分かれば十分だ。 竜蹄は切れた目つきでカマイタチの飛んできた方向を睨む。 場所は邪気学研究棟付近。『視覚化』されて感じ取れる邪気は───鮮やかな7色のものと、闇の体現のような真っ黒なもの。 竜蹄はその真っ黒な邪気の方に、ものすごく見覚えがあった。 ≪……あの……馬鹿が…っ!≫ とっくに学徒を帰していたことが唯一の救い。 だがしかし、あの戦禍で戦り合っているあの男は確かそんな事はつゆ知らなかったはず───。 ≪…隠すという概念がないのか、あの男には…っ!≫ 大学を守護する特殊部隊「管理役」の中でも異端中の異端───白衣を身に纏った、痩身の男が脳裏に浮かぶ。 ≪静終眼──「摩擦力」の停止!≫ ただ邪気のする方向へ、制裁を与えに地を蹴る。 二歩目を出す必要はない──老人は舗装道路をさながらカタパルトのように移動した。 足と地の間に働く摩擦力を“止める”ことで、無重力のような高速移動を実現する。 光と影の入り乱れる混沌の戦場へ、爺は単騎突入した。
例えば、酸素という物は人間が生命活動をする上で無くてはならない気体だが、 純粋かつ大量の酸素――つまり、人体が必要とする量を上回る量の酸素は 途端に猛毒の気体と化す。それと似て、人々が敬い、焦がれる『清浄』も、 行き過ぎれば即座に狂気と化すものだ。 そして今、この空間は吐き気がするほどの……否。『発狂する程の』清浄が支配していた。 その清浄の中心に顕現するは――――拾参体の“天使” >「───嗚呼──素晴──らシい───」 >「創造主──様───私ノ───ナか──ニ──」 >「──浄化──浄カ──シ゛ょウ──カ───」 >「───裁キを」 その身に光を纏い、清らかな容貌を持ち、文字通り“人を超えた”力を持つ、化物達である。 その人工的な天使の素材となった者達。彼らはもはや人の身には戻れない。 だが、それでも彼らは幸福だった。 狂って壊れた意識の中に僅かに残った心が今こそが至福の時なのだと感じていた。 もはやこの場は天使達の領域。後はその圧倒的な力を持って異教徒達を排除するのみ。 白き侍は消耗し、白衣の女は所詮は死に損ない。 邪気眼使いとはいえ、彼等の主より授かった圧倒的な力の前にはあまりに無力。 そう機械的な思考を行い、力を振るう。 飛び道具や絡め手は必要ない。ただ、その背にある大きな羽を軽く振るったのみ。 しかし、全身をエネルギー体と化した彼等の挙動全てが一撃必殺の威力を持つ。 軽く振るった羽は易々と音速に到達し、その軌道上に居た黒野天使をソニックブームが襲った。 「――――」 ゴミの様に吹き飛ぶ黒野天使。その彼女を天使達は執拗に嬲り始める。 それは、蟻が獲物に群がる様に。或いは消しゴムで汚れを消そうと躍起になる子供の様に。 天使達は集団を持って黒野天使を蹂躙する。 天使達の羽が黒野天使の肉を貫き、天使達の掌が黒野天使の骨をへし折り、 天使達が踏みつける足が黒野天使の内臓を潰す。 慈愛という言葉の欠片すらない一方的な攻撃。 白き侍も幾度か救出すべく攻撃を行っていたが、その度に人造の天使達の羽が 幾重にも重なりその刀を防ぎ、更に放たれる羽が白い侍に距離を取らせる。 そうして永遠とも思える数分の拷問の後、ようやく天使達の動きが止まった。 彼等の足元を見れば、そこにはかろうじで人型を留める赤い肉塊が一つ。 それが黒野天使という女であった事など、もはや誰も信じられないだろう。 だが、天使達はそれでもまだ足りないとでも言うかの用に、天使達の内の一体が 肉塊に高エネルギー……人一人を容易く消し飛ばせる高エネルギーを纏った手を伸ばす。 完全に、完璧に、一片すら残さず、異教徒をこの世から消し去る。 それこそが彼等の望み。 そうして、伸ばされた腕が黒野天使に触れ ――――直後、あっさりと、あまりにあっさりと、天使は消滅した。 訪れる一瞬の静寂。誰しもが何が起きたのか判らなかった。 たった一人 「へへ、久々の飯だぜ……にしても、不味ぃなぁおい!! 天使みてぇな見た目の割には作り物の味しかしねぇじゃねーか! まあ、アタシは食えればいいんだけどなぁ!!ひゃはははは!!」 立ち上がり、口の端から消えた人工の天使と同じ色の煙を出す“無傷”の黒野天使を除いては。
ボロボロになった秋葉原に、西日が強く差し込んでいる。 雨乃の能力のおかげで雲に陰る太陽は、とても悲しげで、そこに一人佇む少女の心情を表しているかのようでもあった。 「ピアノ…」 肩に乗る小人が、何も言葉を発する事無く、血地に臥せる鴉とその傍らの青年を眺めるピアノを見上げる。 肩からでは彼女の長い髪に邪魔されて表情を窺い知る事は出来ないが、小さく半開きになった口元はとても悲しげで、何かを吐き出したいが何も見つからない、そんな様相を…… 「お、おうえええええええぇぇぇぇ……」 「って、うおわ!?」 急に崩れたかと思えば、その場でえろえろと文字通り"吐く"ピアノ 「うぇ…っぷ 何…これ、腐ってんじゃないの…?」 吐くだけ吐いて、なお吐き気の止まない状況に、ピアノは咳き込みながら怨めしそうに呟く 「"邪気電池"……まさかここまでヒドイものとは思わなかったわ……」 邪気の補給、それは意外にキッツイものだというのは、雨乃の傘からも分かるだろう 元より邪気とは急速補給するものではない、時間経過とともにゆっくりと回復させるもの それを無理やり高速化させるとどうなるか 例えるなら、一夜漬けで大学の受験勉強を済ますようなものだ。普通は身体がついていけない、もちろん一部にはそんなもの屁でも無いような奴がいるが…… その辛さたるや邪気電池の技術がロストテクノロジーになったのはこれが原因の一端とも言われるほどである。 と言っても、吐き気か頭痛なだけまだ優しいと言えるか 本来ならば雨乃のように「死んだほうがマシなほどの苦痛」が現れるのだから 「げふ…こんな、シリアス場面なのに、私情けないわね…おぇっ レイを、倒したってのに、止めたってのに…動けないとか…ふぅ」 ようやく収まって来た吐き気に、口を拭う 「っはー…なんか吐いたらすっきりしたわ 全部終わって、全部出して…悲しさもふっ切れたみたい」 と、血沼の上に上書きされた吐瀉物に、ぽたりと滴が落ちる 「…あれ?」 ぽたり、ぽたりと滴は止まるどころか勢いを増していく、そしてそれと同時に視界が歪んでいく 「……おかしいわね、悲しくもなんともないのに」 もう一方の手で、目を拭うが、こちらは何度拭っても意味がない 止めどなく溢れる涙に、ピアノは困惑するばかり 「…悲しくなんかない、別れなんて、何度もあったじゃない 何度も、何度も……」 そう呟くたびに、地面を洗う滴は次々あふれてくる。 「レイ…」 前を見れば、鷹一郎が、漆黒の刀をその身に突き立てるレイを介抱するように寄り添っている。 普通ならば割り込んででもその状況を自分のものにするはずだが 「………」 ピアノはそのままよろよろと、鷹一郎が座っていたパイプ椅子に腰かける。 「…う、うああああああん うあああああああん」 そして、まるで子供のように声をあげて泣き出した。 全てを洗い流したいかのように、全てを吐き出したいかのように
「レイを止める 安心して、刺し違える事なんてしない これはレイを救うためだもの」 そう言って、彼女は行ってしまった。 後悔すら感じさせない、そんな思いつめた表情で彼女はビルから路上へと降り立った。 そこに降りれば、大抵の人間は死ぬ。そんな場所に。 ピアノが去った後、レインマンは一人考える。 あの咄嗟の行動、ピアノを逃がすための救援要請。 なぜ、自分はそのような行動をとったのか? どちらにせよ彼女は行くだろう、という事が分かっていたのにも関わらず。 もしかしたら、自分は救いたかったのかもしれない。 ピアノが見せた涙、そしてレイに対する感情を。 彼女は、カノッサ・世界政府という組織の狭間、能力者とそれが作り出す戦場、 そこで自由に、本当に自由に振舞っていた。 それは彼女の人生が、カノッサと、能力者と、 そして数多の人々の意思によって傷つけられた結果そうなったのだとしたら? カノッサ、異能力、戦乱、血、数多の人々の意思の延長線が生み出したもの、“業”(カルマ)によって。 そういう風に、レインマンは考えていた。(それをピアノに伝える気は一切なかったが) 雨乃よりも長い彼女の経歴、その中で見つけた同行者、そしてそれを彼女は喜んでいた。 しかしそれは結果的に裏切られた…レイ自身の“業”によって だがその“業”を作り出したのは、カノッサでもあるのだ。 それなら、あまりにも――あまりにも彼女がかわいそうだ。 ――レイ、いま助けてあげるわ、その狂気から だが、ピアノは行った。彼女を救うために。 ならば自分ができる事はもう、ない。 「勝手にしろ、あの分からず屋め…」 ひみつの組織が来て 8時のニュースが大変 都会に危機がせまる 巨大な危機が迫る―― いつもの癖で、レインマンは唄を口ずさむ。 最近流行のポップス、彼はこの歌が好きではなかったが―― “今”を言い表すのにこれほど適切な歌詞もなかった。 歌いつつ、周囲を見渡す。 ――魔法陣は消滅、周囲にそれを再構築しそうな奴がいないか確認して帰んなさい 彼女が言い残した言葉が気にかかった。 そういえば、“アイツ”はどこに消えた?
あなたはちょっと開けた わたしの心のドアを あなたはドアを開けた (…ギィィ) 「…ん?」 くちずさみながら、レインマンは振り返る。 突然何もない虚空に、重く分厚い巨大な青銅の“扉”が出現していた。 その扉は重厚さに相応しい軋みを軋音を立てながら、ゆっくりと開いていく。 扉が開くにつれ、扉の向こう側の存在が姿を現す。 軍服を着込んだ銀髪の女性、美しい均整の取れた顔立ちは決して笑ってはいない。 目にはレインマンに対する敵愾心を湛え、彼女の背後には今にも荘重ワーグナーと、そして軍靴が響いてきそうだった。 「…すみません。驚かせてしまいましたね。 私は、マルクトと申します。……《楽園教導派》、『生命の樹』第十位。 …と名乗れば、分かりやすいでしょうか? 」 「…そうか、魔方陣を構築したのは貴方か。 随分苦労させてもらったよ。もっとも、苦労の甲斐はあった …君の術を台無しにしてあげられたんだからね」 レインマンは冷静に彼女の敵意を受け流しつつ答える。 彼女の戦力は…未知数だが、レインマンのそれを大幅に上回るスペックを備えていた。 戦力比はおよそ100対1、といっても言い過ぎではない。 彼女一人で軍団一個分にすら相当するだろう。 レインマンは、暴風の前に立ち尽くす無力な枯れ木にも等しかった。 「あの宇宙外生命体との連戦で厳しいのは承知ですが、 …こちらにも譲れぬ事情がありまして。 出来れば手を引いていただくか、さもなければ。 ……いっそのこと、ここで退場していただくか、選んでいただきたいのです。」 「…ッ!」 『退場』 つまり、ここで引かなければお前を叩き潰すぞという脅し。 「………それとも、抗ってみます? この、無慈悲な運命に。…ックスクスクスクス………」 だが、自分がここで引けばどうなるか?彼女は戦闘の勝利者に何かをするつもりだろう。 たとえそれが、レイであれ、ピアノであれ…どちらにせよ、レインマンにできることはもうない。 レインマンは、雨乃大地は震えを感じている。 いや、実際に震えている。 (すまない、が、少し…静かにして、くれ…) 背中を震わせながら、言葉を発した。 『頼む から 静かにしてくれ』 その言葉は空気を二重、三重に振動させ、マルクトの鼓膜を打つ。 今までとは違う、恐ろしく“力ある言葉”だった。
レインマンの眼が、蒼く、水色に燃える。 その瞬間、レインマンの体から“霧”が立ち上り始めた。 「頼むよ、頼むから、二人の邪魔を、レイとピアノの邪魔を、しないでくれ」 もし、貴方がそれでも邪魔をすると言うのならッ…僕は貴方を許さない、許すわけには、いか、ない」 それは“怒り” レインマンが久しく思い出す事のなかった感情。 「君は僕と戦うつもりだ、そうなんだろ?なら…そうしよう、君も僕も、蚊帳の外なんだから、ね…」 レインマンは、少し息を吸い込むと、“あの曲”を口ずさみ始めた。 「,-+-#+._-=/%//-#,=@.+!%_♪/-!=.//_%+=:%_$/#=:/@$#:♪:!,#@%@.=$!%__=@%%@_!$,+♪:%._+@=$=%$=@,:$…」 それは人間の音声とは思えぬノイズだった。 まるで、テープレコーダーを逆回しにするような… 霧は音符の形となり、音符は魔術記号の羅列となって、レインマンとマルクトを包囲。 その刹那、マルクトレインマンは、“ここではない別の場所”となった。 「これはね、彼女が歌った歌さ。もともとは僕が曲を作った …そしてその曲は、あんたの魔方陣を分解した。」 レインマンはいつの間にか黒い傘を構えて、マルクトに一歩踏み込む。 「分解ができるなら、再構築もできる、 あの唄を逆回しで再生するように“唄う”事で… ここに魔方陣を再構築し…その異空間に閉じ込めた、僕と、あんたをね」 「ここならもう彼女に迷惑をかけることはない そして、彼女の“こころ”を傷つけるものも…」 レインマンは傘を構えると、傘の先端に霧を集めはじめる。 霧はたちまちサッカーボール程度の水の球となり、その球は三つに分かれて成長。 傘の先端には、三つの水球が浮かび、回転を始める。 「…マルクト、君は禁忌を犯そうとした。レッドカードだ…“退場”して、もらうよ?」 傘の先端で、三つの球がさらに回転。 三つの水球は6つに、さらに12、24、と分裂を始める。 「…何をしているのかって?そうだね、“重水”を作っているんだよ そして更に…」 傘の先端から稲光が弾け、水球の中にある重水から分子と原子を入れ替え始める。 更に重水素、三重水素を組成。 「何をしているか、それが問題だね…答えは簡単、ただの核融合さ」
ニュ ー ク リ ア ブ ラ ス ト ス ク エ ア “蒼 水 重 合 核 撃 方 陣”! レインマンの傘の先端に、蒼い光、チェレンコフ光が点る。 重水で作られた球体は100個を超え、蒼輝きながらその回転を早める。 レインマンはその“水”を操る力によって“重水”を作り、 核融合反応を起こす事によって莫大なエネルギーを生み出し そのエネルギーを、傘の先端に発生させたフィールドで制御 エネルギーをレインマンは傘の先端に集結させた ネルギー凝集完了 「マルクト、君は僕の禁忌に触れてしまった、僕の言いたい事はこれだけだ、 貴様ごときが…彼女のすることに、手を出すな、口を出すな、関わるな、だから 消 え て し ま え AFTER THE FALL ! “閃光” レインマンの傘の先端から、輝くヒカリが打ち出された。 そのヒカリこそ、かつて世界人類全てが恐れた“核”の光 そのヒカリを力の源にした強力な熱と光のビームがマルクトを飲み込んだ
『どうして笑って殺せるの』 搾り出すように投じた問い。 アンダースローで放られた言葉を白衣の狂人は同じく言葉の牙で噛み砕く。 >「 面 白 い か ら に 決 ま っ て る だ ろ う が っ ! 」 鋭い返答を皮切りに、シェイドの口から滝のような罵詈雑言が溢れ出す。 それは聞くに耐えない謗りであり、耳に痛い批判であり、心に刺さる事実だった。 >「選択権を渡そう」 冷えていく。戦場の高揚が、臨戦のテンションが、精神の膠着が、ゆっくりと終わっていく。 血眼になって探した仇敵アリス=シェイドは、絶望的なまでに、壊滅的なまでに、覆水的なまでに――ステラへの興味を失していた。 【ライトニングセイル】の光速機動状態が解除される。 もともと持続時間の短い能力だが、こと邪気眼というものの性能は精神の在り様によって上下する。 『萎えきった』その場の空気に呼応してか、はたまた全ての邪気を枯渇させたからか、既にステラに戦う力は残っていなかった。 >「中途半端な決意を抱えて影の中に飲まれるか───それとも全てを抱えたままにして牙を一度納めるかだ。 好きなのを選べ。私はどちらでも構わんぞ」 もうだめだ。 今のシェイドは、表面をい極限まで磨き上げた絶壁のようなものだ。 とっかかりがなければしがみつくこともできず、ただ虚しく表面に爪を立てるのみ。 どれだけ足掻いても、死ぬほど抗っても、泣き叫びながら叩きつけた掌が何かを掴むことはなく。 そう、この状況は完全に『詰んでいる』のだ。 「……きっと心のどこかで、分かってたんだ。恐れてた」 黄色い袖の中で空を掻きながらステラは零す。 俯き、唇を噛み、奥歯が砕けんばかりの力で食いしばる。 「わたしは復讐者だけど――『もしも相手が自分の罪を悔い、改めようとしていたら』。 そのときわたしはどうすればいいんだろう。振り上げた拳をどこに降ろせばいいんだろう。ずっとそんなことばかり考えてた」 だからこその信念。『後悔は取り返しが付くように』。 ステラが全てにおいて後手に回ることを吉とするのは、相手を殴っても良いかを見極めるためなのだ。 アルカナでも最高峰の火力を持つが故に。一度全力で仕留めにかかれば、きっと骨も残らないから。 「わたしは選べなかった。いつも誰かが手に入れたものの、選ばれなかった片方――それだけを得て生きてきた。 闘いでは後手に回り、今この場にも、スピカのことがなければ立ってなかった。そういう受け身な生き方しかできなかった!」 懐から取り出したるは、飴玉ほどの大きさの何か。 ともすればただの金属片にも見えるそれは、数刻ほど前に鷹逸郎から緊急用にと渡されたもの。 『邪気電池』。 迷わず口に含み、 「――――そんな『かつて』は、もういらない」 噛み砕いた。
この世の全ての苦虫をすり潰し煮詰めて凝らせたような味がした。 そして同時に、口中に拡がる『力』の味。邪気の奔流。血管ではない道に載って全身を駆け巡る熱。 鷹逸郎さん、ごめん。 研究室の修理、ぜったい手伝うから。 「今!貴方の質問を『選択』する!!」 失われ、遺眼で代替していた左目に右と同じ群青の色が宿る。 それは『拳闘眼』の翠と、『白銀眼』の山吹色と混ざり合い、渦状のコントラストを描いた。 外部から膨大な邪気を充填したことで、身体再現の出力が跳ね上がったのだ。 『暁光眼』は復活する。左目の先客と融合し、新たな邪気眼として存在していた。 「暁光眼:改!――【ニードルバインド・レギオン】!!」 片手を振り上げた刹那、大学上空に光が満ちる。 ニードルバインド。光を凝縮した槍が、主に敵の足を止めるサブウェポンが――空を覆い尽くす数で存在していた。 さながら豪雨の前触れ。その数実に幾万、幾億。空が覆われて見えなくなり、代わりに気の遠くなるような規模の吊り天井があった。 「私の選択は一つ」 腕を一気に打ち下ろす。 光槍の集中豪雨が、全てを破壊する天の黙示録が、アリス=シェイドへと降ってくる。 その中を抜け、槍の隙間を縫い、ステラは動いていた。【ライトニングセイル】の光速挙動で、シェイドの眼前に肉迫した。 「――歯を食いしばれぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!!!」 光を纏った穿ちの拳を、白衣の鳩尾へ叩き込んだ。
「…マルクト、君は禁忌を犯そうとした。レッドカードだ…“退場”して、もらうよ?」 ……戦うと? この私と? そんな身体で? (秋葉原。ビルの屋上だった其処は、異空間に切り取られていた。) (二人の周囲は、真っ白な霧で一面覆われてしまっている。……霧は、世界と世界を繋ぐ門の象徴だ。) (恐らくはその効果を媒介として、先ほど彼が唱えた妙な呪文をトリガーに位相を異界化したのだろう。) 全く、よくやりますよね。 仮にもカノッサ機関の構成員なら、承知の上だろうとは思いますが。 ……そんな多大な負荷をかけた直後の身体が、素直に言うことを聞いてくれるとでも? (通称”レインマン”は苦笑するマルクトから間合いを離し、黒傘を刀剣のように構えている) (その先端には、回転しながら浮遊する水球。) (一つや二つではない。三つだったのが分裂して、六つ。それが更に分かれて、十二。二十四。…まだ増える。) (恐らく、渾身の邪気を込めた水球弾。) (精度強度をそのままに弾数を増やし、弾幕で防御も回避も圧殺してしまおうという作戦か。) (なるほど。悪くはない。死に体にしては火力も申し分ない。) (――――にしては、様子が変だ。) (ただの水球弾なら、あんな丁寧な手順を踏んで生成する必要はない。) (威力だけを重視するなら、多少乱雑でも構いはしない。何より、そんな余裕のある状況ではないはずだ。) (マルクトが多少訝しみながら警戒していると、) 「…何をしているのかって?そうだね、“重水”を作っているんだよ」 (重水?) (重水といえば通常の水から抽出できる、構成する原子が少し異なった重い水のことだ。) (しかし、それが何でここで出てくる? 質量を重くして、与えるダメージをせめて多くしようという魂胆なのか?) (まだレインマンの行為に思い当たらない、その内に) (バチィンッ!! と、激しい音。少年が構える黒傘の先端より、強烈な閃光が迸るのが見えた。) (青白い色をした電光は複雑な軌道を描きながら、夥しい数に増えた水球へ炸裂する。) (何だ? 一体何をしている?) (疑問が膨らむばかりのマルクトに、レインマンは応じるように声を上げた。) 「何をしているか、それが問題だね…答えは簡単、ただの核融合さ」
(「核融合」) (そのあまりに非現実的で、あまりに凶悪なその単語が聞こえた時には、) (傘の先端には、青い光、チェレンコフ反応が……。百を超える水球が、鈍く蒼くぎらつきながら回転を加速する。) (空間を歪ませる巨大にして強大な圧力) (それら全てが、レインマンの掲げた黒傘の先端一点に集約していく――――。) 「マルクト、君は僕の禁忌に触れてしまった、僕の言いたい事はこれだけだ、 貴様ごときが…彼女のすることに、手を出すな、口を出すな、関わるな、だから」 (まずい、と思考しようとした、その瞬間) 「消 え て し ま え」 (ヒカリが、全てを呑み込んだ。) (人の罪なる力。) (核と呼ばれるその過ちが軍事利用された過去は、未だ記憶に新しい) (その、人の命の灯火など容易く消し飛ばす爆風と熱量が、光線という形で射出された) (それはつまり、かつて爆弾という形で投下され拡散した脅威が一点に凝縮されたということ) (そしてそんなものが生身の人間に直撃したとすれば、その末路は――――。) ――――――――開けよ、『ケリッポドの地獄門』。 (ギィィ、と、何処かで聴いたような、重厚な門の軋む音が) (レインマンのすぐ、眼前の空間に、縦に一本の亀裂が入って、……まるで扉のように、空間が開いた。) (開いた扉の奥には、真っ白な、…霧とは違って本当に白という色しかないほど、真っ白な空間) (そして、) 何ですか、その面は。 まさか今の一発で私を仕留められると、思ってましたか………? 『創造主』様の見捨てたカノッサの残党如きが、本気で…? ……笑えない冗談ですよ、本当に。 (悪意に端正な顔を歪ませながら、黒光りする銃口をレインマンへ向ける、マルクトの姿が―――――。)
230 :
名無しになりきれ :2010/10/02(土) 23:12:02 0
未知は恐怖の源泉である。まして不可知は言うまでもない。では、それをいかにして判断するのか。 ヒトは言葉と論理によって思考する。言語を有していれば知のテリトリーが共有でき、 逆に「コミュニケーション」などという概念をおよそ持たないような種は、その範疇を逸脱していると言えよう。 だからこそ、時の帳から現れた隕石を数多の人間の力でやっとやっと押し返した時、セレネは眼前に佇立する自分にそっくりな少女の動向を気にかけていた。 「――良いものを、」 少女はまたもその口から日本語を紡ぐ。 セレネにとって会話が成立しているということは相手がまともな思考の範疇であるということであり、 相手に発言を繰り返させるということは自らの心の安定にもつながる確認行為だったのだ。 しかし待ち受けていたのは、そんな無意識の確認すらも塗りつぶされるようなさらなる展開だった。 「見せてもらった‥‥」 少女が言い終えるまでも無く、辺り一帯がRの広がりそのものに覆われる。 暗く、冷たく、しかし眩しく、熱い。 あれほどの混沌を形成していた群衆が一瞬にして沈黙する。 ヒトは、否、生物は本能的に火を避けるというがそんな生易しいものではない。 圧倒的な不可知。それでいてひとつだけわかること、それはセレネそっくりの少女が圧倒的な力をもってそこに厳然として存在しているという事実である。 ここに、彼ら群衆の心は既に折れた。 「そして、君という存在に対する認識を改める必要がありそうだ。」 「ふうん、どういう認識になったのか。」 (正直ウルザとかみたいなプレインズウォーカーに下手に目をつけられても厄介だけど、今はこうせざるを得ないのが既に詰んでるっぽかったり。) ここに、この半ば隔離されたフィールドにおいて、その言葉をまともに解しあまつさえ受け答えしているのはたったひとり、 プレインズウォーカーを何たるかを幸運にも知っていたセレネだけなのである。 「‥‥だから、私は過去へと戻ろう。」 そして、ここにさらなる既知が現出する。 正直セレネも頭で考えるタイプ、むしろそれをメインとして生きてきた存在なので ここで既知の存在、即ちカードデッキが出てきたことはセレネにとっては心の安定という大きな追い風になり得る。 もっとも、敵はそれすらも見越してセレネの全力全開を骨の髄まで堪能しようという魂胆も考えられなくもないが、少なくてもセレネにとってはこの事実だけで充分であった。
「先ほどは私の攻撃だったな。‥‥ならば、次は君の手番ということになろう。」 「へえー、文化圏は違ってもターンの概念はちゃんと持ち合わせてくれてるんだ。うれしい限りね。」 無論これは皮肉である。 ふたりが所持するいわゆる「デッキ」はどちらもカードの束ではあるものの、それを構成する1枚1枚のカードはデザインを大きく異にする。 今からそれを用いて行われる戦闘はいわば異種格闘技、しかしふたりが事前に交わした言葉はほんのわずか。 そこには確たるレギュレーションの合意など存在せず、ただ、いかなるカードを用いてでも雌雄を決するだけのことである。 「お行きなさい。我が剣、遍歴の騎士、エルズペス! 我が腹心、精神を刻むもの、ジェイス!!」 故に、得られた手番の権利をみすみす無駄にはしまいとセレネは迅速かつ的確に自らの身の安全と相手の無力化のみを考えた。 「援護よ。月光の守護者ディア・ノーク、黄昏の守護者シーブス・キーン!!」 白の騎士エルズペス・ティレルがその剣を向け、吶喊する。 青の魔道師ジェイス・ベレレンが制御と送還の魔法で相手の反撃を抑え込もうと身構える。 ふたりとも新世代のプレインズウォーカーであり、旧時代の覇者たるRとまともに相対しても勝ち目はないであろう。 だが今、ここにはセレネがいる。セレネの生み出した、飛行機の形を成すふたつの守護者は絶妙な軌道でRの周囲を巡回する。 その援護があればこそここに召喚されたふたりのプレインズウォーカーは万にひとつの確率を信じ、セレネのためにその力を振るうことが出来る。 「ところで、名前を聞いてなかったわね。」 そこにあるのは恐怖の具象。彼女が名乗る自身とは、何であろうか。
「レ、イ……!」 ずるずると足を引きずり、鷹一郎が近寄ってくるのが見える。 息の根を止めるつもりか、ならばやるならひと思いにやれ、そう言おうとした時、彼はフードを引きちぎり、傷口に押し当ててきた。 止血、のつもりだろうが、ボロボロの布で血が止まるはずもない、せいぜい少し出血が遅くなる程度だ。 「…ちったぁ血は、抜けたか、よ……。 全、く、…手間取らせやがって。これじゃあ……逆に、貸し、一だぜ……。」 そう言う鷹一郎の顔は、今にも疲労で崩れ落ちそうで にやりという不敵な笑みも、無理やり作ったものだというのが誰にでも分かってしまえた。 「……なぜ助けようとする」 ごん、と冷たいコンクリートに頭を落とし、鷹一郎の顔を見上げる。 「情でも掛けるつもりか、それともあの筋肉馬鹿と一緒にする気か…どちらにせよ、お前のしている行動は―――」 滑稽で馬鹿げている、と言おうとしたが 鷹一郎の表情の変化に息をつまらせてしまう 「……レイ、…ごめんな。 俺は、卑怯な男だ。…レイが俺のことを、危険視してるのを、分かってて……。 だから、俺が囮になったんだ……。絶対、俺の方に目を向けると、思って…。 俺は、…お前が思ってるほど、強い男じゃねえんだ。 『世界』に勝てたのだって、…俺なんて、ほとんど何も出来なくて。 …ごめんな。正々堂々、戦ってやれなくて。……本当に、ごめんな…………。」 「………」 その表情は、悲しみ、苦しみ、そして謝罪 嗚咽を漏らす鷹一郎に、不快感を感じる。 「何故…なぜ泣く、なぜ嗚咽する! 正々堂々戦わなかった!? じゃあなぜ貴様は私に向かって走った!あれは戦いの意思じゃ無かったと言うのか!? お前は私の剣撃を避けた、私の、20年間の、修行の結果を、お前はいとも容易く見切った! それで"正々堂々じゃない"? お前は私を侮辱しているのか!? それが『世界』に勝った者の言う事か!?」 一息に、怒りを乗せた言葉を吐き出し、血の混じった咳を吐き出す。 血ぬられた地面に倒れ、呼吸を整えていれば、耳障りなほど彼の嗚咽が聞こえてくる。 そして、遠くからはピアノが泣く声まで聞こえてくる。
「…何故だ、なぜお前たちは私に向かって泣く そんなものは必要ない、言っただろう、戦場に感情は不要だ」 だが耳に届く悲しみの言葉は尽きる事はない 「止めろ…私を侮辱するつもりか、敵に情を掛けられ、悲しまれるなど、戦士の恥だ」 感覚の無くなって来た両手で耳を塞ぐが、それでも防ぐ事は出来ない 「何故だ…何故私にそんな感情を与える…」 幼少に親を亡くし、呪われた刀一本で、戦いの道を駆け上がって来た。 そんなレイだからこそ、今の二人の感情を理解できなかったんだ。 「愛情」「友情」…友を、仲間を大切に思う気持ち。 「…『愛情』、だと」 そう、人を愛し、護ろうとする気持ち ピアノがまさしくそれだ。 彼女は少々行きすぎだったが 「友情」、レイはピアノを仲間と思っていたが、共とは思っていなかっただろう?鷹一郎も、良く動く馬鹿な仲間としか思っていなかっただろう? 足りなかったのさ、人としての感情が、いや、そもそも感情が喰われていたからな 「……」 馬鹿親にも言われただろう、遥か昔の話だ。 「……仲間を、友を大切にしろ 命を助けてくれた相手には、感謝と、恩を返せ」 そうだ、レイは昔から親に言われてたんだよ。 そして俺も言われていた、「レイを護ってくれ」ってな…悲しいかな、馬鹿な俺はそれを履き違えた。 お前を護るってのは、武器として、爪として護れって事だった。 お前を占領する必要はなかった。 もちろん、お前をこうしちまった責任は俺にあるし、俺がとる 「黒爪…」 けどな、今のお前は"レイ"じゃねえ、ただの無感動な殺戮者だ。俺が護る道理がない ……死ぬ前ぐらい"人間(レイ)"に戻って見せろ…殺戮者ァ! 主を失った刀の声が、脳髄を揺さぶる。
「…少年」 "レイ"は傍らに跪く鷹一郎に、小さく視線を投げかける。 相変わらず鷹一郎は小さな嗚咽を漏らし、傷口を抑えるだけだ。 「…すまなかった」 「…!」 だがその言葉に、青年はハッと顔を上げる。 それを見て、レイはふっと小さく笑って、そして続けた。 「…馬鹿だな、お前も、私も 私は、戦う事しかできなかった、強さしか求めていなかった。 それが私の生きる意味だったんだ。 でも、それはただ戦いに身を投じて全てを忘れようとしていただけだった。 狂気に染まる自分を見直したくなくて、より戦いにのめり込み、更に狂気が増していく…その悪循環に囚われていた。」 今、ようやくあの時の両親の言葉の真の意味を理解する。 浅はかだった、ただ戦うだけしか頭に無かった私も、黒爪も、イェソド戦で現れた両親の言葉を理解できていなかった。 『ドラゴンを狩る鴉となれ』 両親を襲った蒼い龍の刺青をした人たちは、もういない この漆黒の刀の錆の一つになった。 ならばなぜ、両親は再び現れそんな事を言ったのか? ドラゴンとは、西洋龍の事だ、西洋の神話では竜は"神の使い"として意味合いがなされている。 神…つまるところこの世界の支配者、"創造主"の事である。その使いとなれば…そう、『枢機院』だ。 それらをまとめて見ると、父の放った言葉はこう要約される。 『神の使い"枢機院"から、全てを奪う"悪魔"となれ』 「……相変わらずとんでもない言い回しをする父親だ。 私が殺すべきは、『世界』を倒したお前なんかではなく、『枢機院』だったんだ。 鷹一郎、お前はむしろ、私が護るべき存在だった。なのに私はお前を殺そうとした。 けれど、もうお前を護れそうにない、償う事も出来そうにない だから今謝っておく、すまなかった。許してくれ。」 そして、もう一度くすり笑う 「……最期ぐらい、こんな事を言っても構わないだろうな」 もはや生気も感じられない目で、彼女は空を見あげる。 「私は、お前が好きだ。 ピアノも、なにもかも、この世界の全てが好きだ。」 夕暮れに星が透き通る空は、どこまでも遠く、澄んでいて 「…綺麗じゃないか」 彼女の意識は、暗闇の中へ、閉じていく 【―――レイ・クロウ・アークウィル、秋葉原にて、死亡。】
(あれだけ晴れていた空が、夕暮れに沈もうとしていた。) (硝子のように透き通った青は、朱に染まりながら幾つかの光点を映し出す。) (斜陽が雲間から差し、…陽だまりの秋葉原を、照らす。) レ、イ……? (レイは、彼の呼びかけに応えない。) (もう、応えない。) (秋葉原を襲った殺戮者の死に顔は、とても安らかなもので。) (それはきっと、) (レイが最期の最期で自身を蝕む凶気を打ち破ったことの、歴とした証だった。) (彼女の意識が永劫の闇へと消え逝こうとした、その瞬間。) (レイは、レイを取り戻した。) (”凶気に暴走った殺戮者”としてその短い生涯を終えることを、彼女は拒んだ結果だった。) (それでも、彼女の罪は消えないだろう。) (最早、亡くなった命の為に償うことも許されはしない。) (ピアノの愛に応えることも、もう――――。) ……誰だ。 こんな誰も幸せになれねえような結末を招いたのは。 (鷹逸カの感情が、莫大な激情に沸騰する。) (それは怒りだった。哀しみだった。悔いだった。苦しみだった。) (鬱血しそうなほど白く、強く握り締められた拳を震わせる。) 誰だ。 他の皆の幸せを踏みにじって、喜んでいる奴は。 (それは、己の為ではなく。) (犯した罪業に苛みながら、それでも己を曲げられなかった者の為に。) (不条理を痛み、悼み続ける、大切な者の為に。) 誰だ……。 コ レ カ ラ 手に入れられたはずの”幸せな未来”をぶち壊してまで、笑ってやがる奴は……ッ!! (もう怒ることも、泣くこともできない、死して逝った者の為に。) (愚者(カレ)は怒る。愚者(カレ)は泣く。) (――――そして、愚者(カレ)は立ち向かう。) うおぉおぉおおおぉおおおおおおおおおぉおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおッッッ!!!! (猛々しき咆吼は灼かな白の光と共に、哀しみに暮れる茜空を貫いて。) (遙かなる遠き『戦場』へ、そして未だ闇の潜みし『深奥』へ) (高らかに、”宣戦布告”した。)」
……ピアノ。 (パイプ椅子に座って子供のように泣き声を上げる、ピアノの姿。) (涙は彼女を悼むようで、己を悔いるようで、……普段の活発な彼女とは、似ても似つかぬ姿。) (鷹逸カは躊躇うもやがて傍まで歩み寄ると、そっ、と手を差し出した。) (その手には、ハンカチが。) (黒の生地に金色の糸で「Y」を彩った意匠を刺繍された、鷹逸カの手製のそれ。) 征こう、ピアノ。 俺達には、倒さなきゃならない敵がいる。 (死に逝くレイが口走った、敵の名前。) (『枢機院』) (世界政府の一機関であり、全世界の宗教勢力の統治を司る、その名前。) 征こう。レイの遺志を、果たしに。 …”枢機院”。恐らく、一連の事件の首謀者だ、。 そいつらが、大学を襲い、何の罪もないはずの皆を苦しめ、そして……。 (逆光に陰る鷹逸カの表情は、ピアノからは窺い知れない) (だが確かにその声色は、震えていた。) (これから立ち向かう敵の巨大さと強大さに、恐怖したのか。…否、この男がそんなタマのはずはない。) ……そいつらが一体何の為にこんなことをしてるのかは、分からない。 だけど、…だけどッ。 それが周りの皆の幸福を奪い取っちまうなら、止めなくちゃいけねえんだッ! (泣いていた。) (知り合って間もなく死した彼女の為に、泣いていた。) (そして、その彼女を想って泣きながら偲ぶ彼女の為に、泣いていた。) レイはそれを望んでた。そして、俺達に託したッ! なら、……俺達が、その正しき遺志を遂げてやるんだ。…それがレイの、何よりの供養なんじゃ、ねえかな。 (知ったような口だ。) (誰よりもレイの死を悼んでいる人間に、かけるような言葉じゃない。) (これ以上は、ただの言葉の暴力にしかならない。…鷹逸カは目元を拭い、破けたフードを被り直して) 俺は、……征く。 もしピアノも征くのなら、…ハンカチを取って、涙を拭ってくれ。 (『涙を拭う』。) (それは哀しみを拭い去り、決意を胸に再び立ち上がること。) (そうすればきっと、……もう、後戻りなど出来はしない。)
「……きっと心のどこかで、分かってたんだ。恐れてた」 (俯いて語られるステラの独白) (復讐者としての心の内を述べるいたいけな女性の姿を──男は眉間に皺をよせて聞いていた) 「わたしは復讐者だけど――『もしも相手が自分の罪を悔い、改めようとしていたら』。 そのときわたしはどうすればいいんだろう。振り上げた拳をどこに降ろせばいいんだろう。ずっとそんなことばかり考えてた」 (元より光の薄い眼から、一層光が落ちていった) 「わたしは選べなかった。いつも誰かが手に入れたものの、選ばれなかった片方――それだけを得て生きてきた。 闘いでは後手に回り、今この場にも、スピカのことがなければ立ってなかった。そういう受け身な生き方しかできなかった!」 (ステラが感情を露わにすればするほど、男の態度は露骨に冷めていく) (──否。それは無感情とは言い難い。歪に口を歪めたその表情が表わすのは一つの《嫌悪》) 「――――そんな『かつて』は、もういらない」 (彼女の目に映るのは決意。相手を傷つける事を厭わない、目的を達するための絶対的な決意) (それに対するのはあまりに相応しくない、足の無い白鳥を見るような冷たい眼をした男) (歪んだままの口元が、声にならない罵倒を吐いた) ……知った事か、阿呆が。 (見ればステラは邪気電池(興味レベル:中)を噛み砕き、暁光眼は完全に能力を取り戻している) (山吹と翠が混じり合いらせん状に組み合わさる。その色はきっと、失った存在の証明) ……ステラ=トワイライト。私は貴様の能力が大好きだ。 貴様の持つその力が実に愛おしい。愛していると言ってもいいだろう。 だが──貴様のような女は、他のどの知的生命体よりも、大嫌いだ。 (言い終えると、シェイドはすっと眼鏡を摘んで胸ポケットに仕舞う)
(同時にステラの右腕が上がり、天を覆い尽くす光の槍が出現した) 「暁光眼:改!――【ニードルバインド・レギオン】!!」 (光が空を覆い尽くす。それはギリシャの最高神をも想起させる気高き幻想の風景) (普段の彼ならば気でも触れたかのようにはしゃいだ事だろう──が、彼はその圧倒的火力を前にため息をついた) ああ…全く。素晴らしい威力。素晴らしい技術。素晴らしい邪気。 マーベラス。エクセレント。アンビリーバブル。いや全く、実に素晴らしい使い手だ。 (気の抜けた拍手をステラに送る。区切り悪く手を止めると、こめかみを痛そうに押さえつつ大きなため息をつく) (影が蠢き出し、あたり一帯に渦を描く。…否、光に囚われない確固とした動きを持つそれは影というより最早闇に等しい) だと、いうのに。 (展開したシェイドの影は全てを「喰らって」ゆく。建物の影、木々の影。影という影を喰らい尽くし、あたり一帯を黒い海に沈めた) (片手をポケットから出し、最早漆黒に染まった地へ向けて掌を掲げる) ……何故、私はそれを殺さなきゃならないんだ? (漆黒の地中から数百、数千の黒百合が「発生」し、二人の支配者(ディーラー)を埋め尽くす) (全ての黒百合は降り注ぐ光の槍を仰いでいた) 影探眼:終式の二 【飢天裂通──大百花】 (その瞬間、世界は完全なるモノクロームへ反転する) (天より遍く降り注ぐ白き雷鳴。そして地に湧き立つ暗黒の野) (それら二つは暴虐的なまでに存在を放ち、辺りの「色」は全てがその空間に喰われたのだった) (シェイドの右手からはじき出される「ぱちん」という音と共に、全ての黒百合から【ニードルバインド・レギオン】に匹敵する影が打ち出された) (その威力は、ほぼ互角)
…ステラ=トワイライト。一つ「座学」を語ろう。 さて、私はこう考えているんだ。 「千人殺す戦争に悪は無く、一人を殺す報復こそが悪である」とね。 例えば戦争はれっきとした利益の争いだ。そこには実に簡単な「人殺しの為の理由」がある。 たとえば資源争い、領土争い、後継者争い。これらは実に単純で、後腐れが一切無い。戦後処理も終われば国交を結んだりもする。実に明快だ。 だが報復はどうだろう。例えば某を奪われた恨みだとか、某をされた恨みだとか。 これは実に面倒だ。奪われた物をその人に返せば事は済むかと思えば、そうでない場合もある。恨みが残ると実に厄介だ。 …これは所詮異能を持つ私の意見なのだが…私は基本的には戦争は反対だが、利益によってはアリかとも考えている。 だが、そんな私でも報復だけは絶対的に反対なのだよ。何の結果も生みださず、残るのは悲しみと祈りだけ。あんな無駄なものはない。 ま、相手如何によっては手の平の上で転がして適当に煙にまくのもある種一興ではあるが…君のような人は規格外だ。 …それに、私のような男でも一応信念というものがあってな。「不利益な殺生はしない」というものだ。 私はこのタイプの過ちをこう呼んでいる─── (語る相手は、すでにいない) (ステラ=トワイライトはシェイドが「ヨコシマキメの探索権」を巡って殺した少女──スピカ=トワイライトの能力を借りて、我が身を光に変えて接近する) 「――歯を食いしばれぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!!!」 ───!?グ……ガハッ…! (ボディーブローが、鳩尾にクリーンヒットする) (衝撃で元より満身創痍に近かった彼の体の傷口が開き、口内で血が湖を形成した) ……こ…の………わ…た、し……に……! (接近したステラ=トワイライトの細い身体を、全身全霊を使って固定する) (そのまま大きく首を振りかぶり───) 「人殺し」を…させるなァァァァァァァァァァァッッッ!! (彼女の黄髪めがけ、全力で振りおろした)
容易くいかないなんてことはとうの昔に折り込み済みだ。 死力を尽くすなんて生やさしい表現で比肩できる相手じゃないこともわかってる。 だから叩き込んだ悪意の思念槍が尽く霧散した時も、ヨシノとデバイスの臨戦に瑕疵は生じなかった。 >「中々の発想ではある。が……それで何を成せたかと言えば、漸く土俵が揃っただけの事。 彼我の実力差は埋まらない。まだ足りぬ。届かぬ。ならば次に貴様らは何を見せる?まさかもう終わりではあるまいな」 「なかなか勝負に貪欲だな上位幹部!お前も命のやり取りをエンターテイメントと勘違いしてる系か?」 《上に立つお方はこれだからやだねー!他に楽しいこといっぱいあるって、ボクだって知ってるよ!》 だが、こうもあからさまに煽られて心動かない男子なんていない。 例に漏れずヨシノ=タカユキはその双眸に火を灯した。雲上人の足元を掬う為に必要なメソッド。 精神系能力者同士の闘いでは、如何に自分の防壁の穴を隠し、相手の防御のアラを見つけるかの勝負になる。 対象に発動しさえすれば勝ちが確定するような世界である故に、防御性能というものに傾ける具合は何よりも大きいのだ。 『穴』とは正しく抜け穴で、それ以外の場所にはどんな破壊力をもった攻撃も通りはしないし、 逆説、攻撃の通る場所さえ見つければあとは高威力広範囲攻撃をばんばんぶち込めばいいのだから。 すなわち精神系能力者にとっての『防御力』とは、100か0かの両極端しかないのである。 >「……隙だらけだぞ、邪気眼使い」 ケテルが組み上げたのは醜悪にして凶悪な牙を持つ攻性プログラム。 すわ怪物かとデバイスが身構えるが、その邪悪な口腔の餌食として選ばれたのは彼女ではなかった。 その後ろに控える、 「――俺だとぉ!?」 ヨシノへのダイレクトアタックだった。 《お兄ちゃん!》 デバイスが自分のホームセキュリティとして仕込んでおいた論理結界が起動する。 地面から生え出るように突き立った無数の鉄骨がヨシノを囲むようにして展開し、牙の円環を食い止める。 サファリカーの檻に喰らいつくような格好となった牙プログラムにヨシノは盛大にビビるが、それでも足は退がらない。 何故ならここは彼の脳内。デバイスを送り込む為に開いた道を逆流して侵入されたわけだが、ここで退けば丸裸の中枢が狙われる。 「他人の脳内に――」 精神戦はデバイスに頼り切りのヨシノだが、自分の脳内ぐらいは護る術を知っていた。 それは誰もが持っている心の防衛機構。直面した現実を直視せず、上っ面だけ合理化して目を背けるやり方。 「変なもん送り込んでくるんじゃあないッ!――――掻き消せ『倒錯眼』ッ!!」 袖から掌へ滑り落とした消しゴムに、能力を発動する。 極彩色を放つ消しゴムで空を掻くと鼻先で鉄骨に食らいついていた牙の獣が削除された。 そう、ここはヨシノの脳内。 精神さえ強くもっていれば、できないことなんて、なにもない。 「でも凄く消耗するから次からはあんまり俺に被害が及ばないように努力してくれると嬉しいな!!」 《何言ってんの!?》 戦場にあるまじき発言であった。
と、そこへ遂に待ちわびた救援の到着。 客間の扉が勢い良く蹴り開かれたと思うと自動小銃を構えた修道女が乱入し、たっぷりと鉛玉をばら撒いた。 「待ちわびたぞ切り札!さああの薄らキモい白人間を……え?」 ――ヨシノの方へ。 「何いいいいいいいいッ!?」 咄嗟に横へ跳ぶ。これもまた日頃の被虐の賜物であるが、更に床をゴロゴロと転がって弾幕を回避。 なにしろマジに実弾であるからして、喰らえばシャレにならないダメージを負うことになる。ファントムペインも大概だったが。 《シスターさん!?……って、イデアパペッターの干渉受けてるーっ!》 「馬鹿な、この一瞬で掌握されたってのか姉さん!」 《いや、弄られたのは方向感覚だけみたい。ケテル様へ撃ったはずが、反対側のお兄ちゃんに銃口が向いてたんだ、無意識に!》 これが実に単純で厄介な戦法だ。 一瞬で方向感覚を狂わせられる手腕を持つ以上、例えばヨシノの方へ意識して撃てばケテルに弾が行くなんて簡単な話じゃないだろう。 銃口をヨシノへ向けた途端、狂った方向感覚を正しく補正し直されるとも限らない。 (銃を相手にした戦い方を心得ているな。当然と言えば当然だがこうも平然とやってのけられると自信を失うぞ!) とにもかくにも体勢を立て直さねば話にならない。 「指向性のある攻撃は逆手に取られるぞ姉さん!範囲攻撃だ、爆弾とか無駄に持ってきてるだろう!」 言いながらヨシノは先程床に空けた穴へと飛び込む。塹壕代わりだ。 穴にはもう一人分の余裕があるから、アスラが同居して爆風を避けて良し、彼女は彼女で別の防御手段を講じて良し。 >「――貴様だ、『デバイス』。貴様さえ討てば残る二人に我が異能を退ける術はない」 (よし、うまい具合にデバイスへ狙いが向いたっ) 《聞こえてるよお兄ちゃん!!》 (ぐへへパンツ見えてるぞ) 《聞こえてるって分かった上で言ったーっ!?》 「突っ込んでる暇あったら手ぇ動かせ!弾幕薄いよ何やってんの!!」 《撃っても撃っても阻まれるんだよ!攻性プログラム展開から着弾までのほぼ一瞬で解析してくるんだ!》 (化物染みた高性能っぷりだな……これが上位幹部ケテル。やはり下位互換の能力者で上回るのはキツいか?) いくらデバイスが肉体の束縛から解放されているとは言え、そもそもの地力からして段違いだ。 『銘有り』エージェントが束になっても到達し得ない域、それが上位幹部『セフィロト』。その極地の体現。 (ん?待てよ、どうしてあの時――) 行きがけの車の中で、ヨシノの脳内を垣間見たケテルは確かにこう言った。 ――『客人は一刻も早く死ぬべきだな』 眉を潜めて、不快感を顕にしながら。 そしてついさっきだって、癌呼ばわりされたことに怒り、弾倉を空にするまで引き金を衝動的に引いていた。
(こいつら『セフィロト』ってのは結局『もの凄い能力者』ってだけで、それ以外は――) 人並みに怒りもするし、笑いもすれば悲しみもする。 表情の掴めないケテルとて、スキンケアについて語っていた時の顔は偽りなく輝いていた。 ――『そう意外でもあるまい。セフィロトとて所詮は人間の成り上がり、客人と私でも体の構造は変わらない』 そう、 セフィロトだって、人なのだ。 卓越した異能力と神域の権限を持つ者たち。だが異能以外の部分は、正しく人並みであるということ。 (馬鹿か俺はッ……!その道のエキスパートと同じ土俵で勝負してどうするっ……!) 何のためにアスラを呼んだのだ。 一人だけでは抗えない艱難辛苦を、誰かと一緒に切り拓く為だろう! アスラにはアスラの闘いがある。 この場においては、精神戦以外の物理的な部分を任せきってある。 だからヨシノがするべきは、武器にして相棒にして作戦の要、精神能力者『デバイス』を徹底的に勝たせる努力だ。 「デバイスよ、忌憚なく言ってこの闘い勝てると思うか……!?」 《勝算はともかく勝つための手段は講じてあるよ。『一撃でも通れば』ボクが張っといた伏線を回収できる》 「抜け目ないな。それでこそバトルヒロイン――格上相手に戦うのは?」 《……一度だけ》 恐らくそれが、彼女に砂を食ませた一戦。 知らぬ間にあの時あの場所の近くでデバイスが死亡し、ヨシノの脳へと避難したきっかけ。 組織人として勝てる戦しかしていなかっただろうデバイスの鼻っ柱を完膚なきまでに陥没させた闘い。 「いいだろう。駒は揃った!あとはどれだけ事が俺達に『都合悪く』進むかだ。 おっと、盗み聞きしたって無駄だぜケテル。何故なら俺はまだなんにも考えてないからな!」 嘘を言って撹乱したところで、ヒトの深層意識まで垣間見ることのできるケテルに情報操作は通用しないだろう。 だからヨシノは考えるのを止めた。勝つ為に必要な条件の萌芽を揃えておいて、それらが芽吹くのをなりゆきに任せたのだ。 即応性も汎用性も著しく低下するが、どの道一つの式から得られる解など一つだけだ。生まれた答えを全力で叩き込めば良い。 「そして全てが上手くいった暁には、デバイス。――君に勝利を教えてやる」
精神世界のヨシノが両腕を振りかざした。 その諸手に宿るのは燐光。極めて純度の高い精神結晶は、濃縮されたヨシノの記憶、『思い出』だ。 「使えデバイス!高高高密度に圧縮した俺の波乱に満ちた人生!その複雑怪奇さはどこまでも罪深いぞ」 ヨシノが講じた次の攻撃は、膨大なデータを使った物量攻撃。 いくら瞬時に情報を読み取り対抗防壁を築けるケテルとて、20年分の濃密な記憶を相手取れば演算能力に限界を来すだろう。 訪れるのは精神的な『処理落ち』。電子風に言い換えるならばDOS攻撃に似た手口。膨大なデータ量を押し付け、フリーズさせる手法だ。 《こっちにも凄い負荷があああががががっががが!!》 圧縮されたデータでデバイスが処理落ち寸前になるレベルである。 これほどの物量を自己解凍するようプログラムして送りつけたらば、並のスパコンでも半日は停まるだろう。 「姉さん援護を頼む!!」 《こ、根性おおおおおおおおお――攻性プログラムっ……《ファランクス》!!》 巨大な槍の形をとった思い出爆弾を思いっきりケテルへ向かって放り投げた。 それは一度上空へと駆け上がると、放物線の頂点で自己解凍プログラムが起動した。 超絶密度に圧縮されていたヨシノの思い出が、20年分の膨大なデータが、質量兵器としてケテルへと降り注ぐ。 無論、これだけでケテルに通用するとは考えていない。 「姉さん、スタングレネードでも音響爆弾でもなんでもいい、あいつの思考を一瞬でも削れるような攻撃をッ!!」 直後。 テラ、ペタ、エクサを越えた極大の情報量が炸裂した。 【アスラ姉さんと合流。塹壕の中に退避】 【未知の攻撃ということでヨシノの記憶を圧縮して作った質量兵器。イメージとしては田代砲やメールボムが近いです】