「……」
学校法人『ガストラ帝国』高等部、3−B組の生徒である銀狼の獣人であるシェザハットは、自分の机を前にして固まっていた。
見れば、彼の机は誹謗中傷の類や見るに耐えない雑多な落書きで埋め尽くされ、机の中には掃除用具入れの中から
わざわざ引っ張り出した雑巾が大量に詰め込まれていた。椅子も、机と同様に酷い有様である。
周囲を見渡しても、クラスメイト達は誰一人としてシェザハットの青く澄んだ瞳と目を合わせる者はいない。皆、関わりたくないようだ。
彼が少しばかりの助けを求める目をしても、皆知らん振りを突き通す。仮に目を合わせてしまえば、其の大柄な外見に似合わぬ仔犬のように
円らで澄んだ瞳に皆は罪悪を覚えるからだ。
「……」
シェザハットはクラスメイトが誰も手を貸してくれないことをその場の雰囲気で悟ると、黙って酷い有様の机と椅子を片付け始めた。
机の中の牛乳臭い雑巾を、眉一つ動かさず引っ張り出してゴミ箱に捨て、用具入れから新しく取り出した雑巾で机と椅子を拭く。
しかし、油性ペンでの落書きは落ちるものではない。だが、それでも尚シェザハットは黙々と雑巾で拭き続ける…
「シェザハット様…」
シェザハットは、其の声に顔をはっと上げ、教室の戸口に目を走らせた。見れば、戸口の傍には彼のガールフレンドである、同じ銀狼の
獣人であるリューテが佇んでいた。
「リューテ…どうしたんだ?」
只ならぬリューテの雰囲気に、シェザハットは急いで彼女の傍に駆け寄った。が、直ぐに彼の蒼穹の瞳は驚愕に見開かれた。
「嗚呼…なんていうことを」
見れば、セーラー服の裾から伸びるリューテの白銀に輝く美しい毛並みに覆われた華奢な手足の彼方此方には、煙草の火が押し付けられた跡があった。
数百度にもなる煙草の火によって彼女の毛並みは焦げ付いて脱落し、その下の白い素肌に痛々しい火傷を刻み付けていた。
獣人にとって、毛皮を傷つけられることは人間が肌を傷つけられる以上に衝撃的である。ましてや、毛皮の下の皮膚を顕にされるなど、裸に剥かれるよりも
耐え難い屈辱である。
「誰が遣ったんだ?」
シェザハットは小刻みに震えるリューテの細い肩に優しく手を置き、今の傷ついた彼女を慰めるように優しく訊ねた。
「……」
しかし、リューテは顔を俯かせたままシェザハットの問いに答えようとはしない。だが、シェザハットには彼女の無言が充分な答えであった。
「私と同じ、ガストラ帝国高等部生徒会執行部、通称“十傑衆”の…妖のエリシールの仕業だな?」
リューテはシェザハットの言葉にびくっと肩を震わせると、こくんと頷いた。其の瞬間、喩え様の無い怒りがシェザハットの中に湧き起こった。
「エリシール…姑息な真似を」
ガストラ帝国高等部生徒会執行部、通称“十傑衆”に入ってから、エリシールやその他の十傑衆とは馬が合わなかった。
シェザハットと同じように、霧の狼餓と呼ばれる3−Oの生徒である赤霧狼餓も他の十傑衆とは上手く馴染めなかったようで、二人は直ぐに親しい仲となっていた。
しかし、其れが彼女らの気に触ったのか、それから程無くして二人とその兄弟や恋人に陰湿な虐めが行われるようになった。
先程のシェザハットのように机に悪戯をされることなど当たり前。上靴やローファー、体操服といったものは残らず隠され、下駄箱には恋文の代わりに
脅迫紛いの誹謗中傷文が入れられていた。
シェザハットはクラスメイトの視線を感じる中でも優しくリューテを抱き締めてやり、宥めるようにその銀紗の髪を指で梳いてやった。
「すまん…私の所為でこんな目に遭わせてしまった」
今のシェザハットには黙ってこの陰湿な虐めに耐えるしか手がなかった。歯向かうものならば、狼餓以外の十傑衆からも更なる手が加えられる。
暫くリューテをそんな風にして慰めてやっていたが、二人を引き裂くように無情にも昼休みの終わりを報せるチャイムが鳴ってしまった。
二人は名残惜しそうにその場で別れた。
「ん?…」
シェザハットは教室に戻ろうとしたが、足元に何か紙切れが落ちている事に気がつき、屈んでそれを拾い上げる。リューテが落としたのだろうか?
そして驚愕。拾った紙には、とある写真が貼り付けられていた。
「エリシール…許さんぞ」
咽喉からは低い唸り声が漏れ、青い瞳の色は紅に変りつつあった…貼り付けられていた写真。それは、言うのも憚れる程恥辱に塗れた格好をさせられた
リューテの姿が写っていた。最近、自分が彼女を求めても拒まれる理由はこれであったのだ。
写真に写っていたリューテは、体の大半の毛皮を剃られていた。服に隠れない顔や首などを除く体の殆どの毛並みが剃られていたのだ。
しかし、毛並みをそり落とされても尚、リューテの素肌は白く美しいものであったが、その白い素肌を毛皮の代わりに埋め尽くそうと、油性ペンによる汚い
落書きが彼女の体に直接描き込まれていた。獣人にとって最大の屈辱とも言える毛並みを穢された事、そして顕となった素肌を他人に見られるのは
死よりも辛い事である。
「絶対に…許さんぞ」
シェザハットはその写真を握り締めると、これから午後の時限が始まるというのに、教室から出て行ってしまった。
彼のクラスメイト達はそんな彼の背を見送るだけであり、依然として知らん振りである。