俺はカイザー、共に打倒魔王のたびに出よう!2

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それじゃあ仕方ないな・・・それじゃあ俺の聖闘気について詳しく教えてやるよ。
『詳しく』だな・・・フフフ・・・かなり長くなるから覚悟しておけ。お前が言ったのだから最後まで聞けよ・・・

まず言っておかなければならない事がある。
多かれ少なかれ、人には必ず闘気というものが携わっている。もしも闘気を持っていない人間がいたならば、それは人間ではない。
闘気は怒りや喜びなどの感情によって生み出される、だから心が弱い奴や自分から逃げている奴は闘気も小さい。
まあ、一見気弱そうに見える奴も芯が強ければ強い闘気を持っているから、パッと見ただけで誰の闘気が大きいかなどは一概に言えないな。
これぐらいで闘気については分かってくれたか?・・・ま、簡単に言うと闘気の大きさは心の強さに比例するという事だ。
もう一つ言っておかなければならない事がある。
聖なる魔力という存在がある。・・・これは聖騎士や一部の僧侶など、聖なる力を学んだ者のみが操る事の出来る魔力だ。
まあ、本で聖魔力発動の原理を見ただけも使えない事はないんだが・・・素人の使用はあまりお勧めはしないな。
素人が聖なる魔力を使うと、全身の力が抜けるような感覚に陥ってしまう事が多いから・・・修行を積まないとすぐに倒れてしまう。
ようは聖なる力に振りまわされてしまっているだけだな。
俺もまだまだ修行不足な為なのか、無駄な力まで使ってしまって倒れてしまう事も少なくないんだ。
ちなみに、聖なる魔力は己の中に眠る潜在能力のような物だから、どうすれば強力になるのかは分かっていない。
まあ、コツを掴めば次第に強力なモノへと進化していくから、気長に修行を続ける事が大切だな。
この魔力の誕生についてはやはり詳しくは分かっていないのだが、こんな誕生説がある。ちなみに俺はこの説を信じている
その説とは──この聖なる魔力は邪悪な闇に抵抗する為だけに生まれた新たな力であり、この世界を平和に導くものである──という説だ。
なんでこの説を信じたくなったかって・・・?ふっ、簡単な事さ、これが一番カッコイイ説だからだ・・・っていうか他の説は覚えていない。
だが、この説から察すると・・・邪悪な闇が消え去った時、俺の聖なる魔力も消え去ってしまうのかもしれないな。

前置きが長くなってしまったが、ここからが本番だぜ。・・・これは聖闘気についての話なんだからな。
聖闘気とは、先ほど話をした『闘気』と『聖なる魔力』の二つを融合させる事によって始めて使用できる技だが、それは簡単な事ではない。
二つの力がバランス良く混ざらないまま敵と戦えば、聖闘気は暴発し・・・その先に待っているのは入院生活だ。
だから、まずは二つの力を同時にコントロールする修行を始めなければならない。これがかなり難しくて、俺がやった時には半年かかった。
二つの力をバランス良くコントロールできたのなら、第一段階はクリアだ。この時点で聖なるオーラを身体に纏う事が出来る。
だが、この時点で扱える力は微弱なものだ。今の俺の全開の聖闘気と比べたら、微かに光っているぐらいにしか思えないほどの弱さだろう。
実際はここからが第ニ段階・・・真の聖闘気だ。
微弱な聖闘気を強くしなければならない、身体から放つ風圧だけで巨大な岩をも吹き飛ばせるようになるぐらいな。
だがそれが本当に難しい。二つの力を同時にコントロールしつつ、僅かな誤差も許されずに力を高めていくのだからな。
俺はそれから一年間修行を続けたが、聖闘気の強さはほとんど変わらなかったからな。
しかし、これがまたちょっとした事で完全に覚醒してしまう。俺の時は友が敵に殺されそうだった時、急に爆発的に大きくなったからな。
この事を後で師匠に聞いたんだが、俺の場合は聖なる魔力が大きすぎて闘気との上限のバランスが悪かったらしいんだ。
そんな上限のバランスが悪い状態で第一段階をクリアしたのも奇跡に近かったとも言われた。
友の命が危機に置かされた時、俺の心が燃えあがり、闘気が限界を越えて大きくなった
・・・それによって二つの力の上限バランスが良くなり、爆発的に大きい聖闘気を扱えるようになったというわけだ。

聖闘気とは二つの力のコントロールから始まり、二つの力のコントロールに終わる。
人の力には上限がある・・・それを上手く使いこなす事こそが上達への一歩となるのさ。・・・これで聖闘気の説明は終わりだぜ
・・・ふぅ、長かった・・・まあ、そういうわけだから、
今から新たに聖闘気を使いたいという奴がいたら最低でも5年は修行をしなければ完全に扱う事はできないだろうな。