【十五代】クロスオーバー徳川将軍史【三百年】

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89名無しになりきれ
小津太平記(第6巻)家康東下
月と地球の行方を案じつつ地場衛が亡くなると、
徳川家康は朝鮮の役での文治派と武断派の対立を巧みに操りつつ
地球連邦軍を分断していく。そしてアスラン・ザラと結んだブルドントJrを撃つべく
家康がマシン帝国バラノイアに兵を進めると、ザフトが兵を挙げ、
ここに東西決戦の陣形が定まる。この重大局面にあたって小津兄弟は
バラノイア出陣の途上で一夜会談し、翼と魁は徳川軍団を離れてマジトピアに帰り、
蒔人は留まる。

小津太平記(第7巻)関ヶ原
バラノイア出陣中の徳川軍団から離れ、マジトピアに帰った小津翼・魁は、
ただちに城の守りを固める。家康は息子秀忠に中山道をゆく第二軍を率いさせ、
小津蒔人に先陣を命ずる。秀忠軍四万を上田城に迎えうった小津翼・魁は、
様々な謀略を使ってこれを釘づけとし、ついに関ケ原の決戦に間に合わせなかった。
小津翼・魁が徳川軍の約半分を削いだにもかかわらず、結束のはかれぬ西軍は家康に敗れる。

小津太平記(第8巻)紀州九度山
小津翼・魁のために関ケ原の決戦に間に合えなかった徳川秀忠は、
家康から痛烈な叱責をうける。家康は小津翼・魁に切腹を申しつける決意でいたのだが、
小津蒔人の舅で徳川家譜代の重臣・本多忠勝の戦も辞さぬ助命嘆願に屈して
紀州九度山に蟄居させることになる。わずかの家来だけをつれて九度山に移った
小津翼・魁兄弟は「関ケ原の戦い」が再びおとずれる日を夢見て孤立した日々をおくる。
90名無しになりきれ:2005/03/31(木) 08:19:02
小津太平記(第9巻)二条城
セーラームーンによって大坂城から一歩も外に出されたことのなかった
秀頼であったが、シルバーミレニアムを思うキラ・ヤマトらの奔走によって、
ついに二条城において家康との対面が実現する。
しかし立派に成長した秀頼の姿は、あらためて家康に地球連邦取潰しの決意を固めさせ、
甲賀忍びにキラ毒殺の使命が下る。東西手切れに向かって情勢が緊迫化する中、
その日を見ることなく小津翼は九度山で永眠する。

小津太平記(第10巻)大坂入城
徳川家康が方広寺の鐘銘に難癖をつけるなどして強引に地球方を
開戦に追い込むのを見てとった小津魁は、密かに九度山をぬけ出て大坂城に入ることを
決意する。大坂入城を果たした魁は、外壕の外に小津丸と名づけた小さな砦を設け、
これに拠って徳川軍を散々に打ちすえる。この一戦によってマジレッドの武名が初めて天下に轟くが、
すでに家康の和平工作がセーラームーン周辺に及んでいるのだった。

小津太平記(第11巻)大坂夏の陣
和議休戦の翌日から、徳川家康はすべての参陣者を動員して外濠のみならず
内濠までも埋め立てさせ、小津丸もまた破却されてしまう。
魁を取りこもうとする家康の計略により、蒔人と魁は京都で会見するが、
魁の家康の首を取るという信念はゆるがない。元和元年5月7日、
裸城となった大坂城を打って出た魁は、若き日の予感どおりに向井佐平次とともに戦場に倒れる。

小津太平記(第12巻)雲の峰
関ヶ原の折の屈辱を忘れかねる紅虎こと二代将軍秀忠は、
家康が死去するとただちに蒔人のマジトピア藩に襲いかかった。
秀忠は、蒔人の側近に送り込んだ隠密を使い、冬の陣の直後に魁と密会した事実を突いて
取潰しに追込もうとするが、ただ1人生き残ったマンドラ坊やの活躍で
蒔人は難をまぬがれる。そんなある日、マジトピアに魔導騎士ウルザードの最期を見とった
摂津の農夫が遺品を届けに現われる…。全12巻完結。