日本人だけど、何か

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1日本人
何か質問ある?
3孔明:03/09/05 16:47
孔明ですよ!
4孔明の遣い:03/09/05 16:47
孔明の遣いですよ!!!
5栄喜:03/09/05 16:47
ばいほ〜
6以上、自作自演でした。:03/09/05 16:47
  ヽ=@=ノ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ・∀・)¶  < 糞スレ乱立罪で逮捕する!
 /| ̄У .フつ   \_______________
 ∪=◎=|
  (__)_)
7以上、自作自演でした。:03/09/05 16:48
4
日本人は出ててくたさい
すみません。名無しの者ですが、このスレに興味を持ちました

1.日本人ってなんであんなに骨格あっさりしてるんですか?
2.日本人は結局西欧人に敵わないと思うんですがどうですか?
3.日本人ってなんかヌボーッとしてませんか?
4.外国人は鉱物のような美しさを持って宝石の様にきらきらしているが
  日本人の美しさはまるで花のように素朴だと思うのですがどうですか?
5.醤油ってうまいの?変な匂いするけど。
6.薄い紙に筆で文字を書くことのどこが面白いのか教えてください。
7.日本人は常に腰に剣をさしカミカゼとかセップクとかいろいろ大変だと
  聞いたのですがホントですか?
8.日本人の女は12枚も服着れるって本当?
9.日本人は違う言語を三つも覚えないといけないから大変だと
  思いませんか?ひらがなだけとか、一つに統一したらどうですか?
10.日本人が一番好きな外国人を教えてください?
1.「骨格あっさり」とはいかなる意味か。もう少し日本語を勉強したまえ。
2.それは技術力で日本人に敵わない西洋人の負け惜しみかね?
3.西洋人の体臭は鼻が曲がりそうなぐらい強烈だと思わんか?
4.宝石というより岩石のように荒削りだと思うが。
5.チーズって旨いのか?なにやら腐敗臭がするが。
6.君たちの国にも、カリグラフを始めとした手書き文字の文化があるだろう。
  異文化に疑問を持つ前に、まず自国の文化について知るべきだ。
7.その通りだ。君も日本に来た折りにはそのしきたりに従わねばならん。
8.可能か否か、自らの身を以って試してみるがよかろう。
  さいわい、ガマン大会にはうってつけの残暑だ。
9.むしろ国家の多民族化に悩む西洋人が日本語を憶えるべきだ。
  そうすればEC全域が平仮名、片仮名、漢字の3パターンの表記で統一できる。
10.オイゲン・ヘリゲルとアンドレ・マルロー。と、言いたいところだが「ベッカム」
1.日本に行ったら日本人にガイジンガイジンって指さされました。何故日本人
  は私たちの事をガイジンと言って珍しがるのですか?
2.日本人の髪や目は黒とか茶色とかそんなんばっかですが
  それを誇りに思いますか?
3.他の東洋人らをどう思いますか?中国人、韓国人、朝鮮人を。
4.日本の映画は微妙な感情の機微や情緒、間などにこだわりすぎていて
  退屈だと思うのですがどうですか?
5.日本には四季があっていいですね。春夏秋冬をどう思いますか?
6.最近日本不況らしいけど貴方調子どうですか?
7.日本の女性をその気にさせるために花束を贈ったり、びっくりカード
  を贈ったりしているのですがうまくいきません。どうしたらいいですか?
8.日本は何もかも中途半端なイメージがあります。
  これだけは他国に負けない、というものがあれば教えてください。
9.外国人のテンションや笑い声をどう思いますか?
10.トム、ホワイト、スミスは日本のどの名字に該当しますか?

このスレにイギリス人やアメリカ人は居ませんか?
やむを得ぬ。ここに仮の居を定めるか。
名前 : 政仁(ただひと)
年齢 : 八十九で崩御したが、ここでは便宜上二十八としておく。
性別 : 男
職業 : 天皇・上皇・法皇
趣味 : 和歌・立花・古典・その他
恋人の有無 : 中宮和子 他多数
好きな異性のタイプ : 朕を安らいでくれる女子
好きな食べ物 : 菜の物が多い。ある程度は食すが。
最近気になること : 魂魄と化した以上、特に無い
一番苦手なもの : 強いて言えば無粋な事か。
得意な技 : 和歌を詠む事
一番の決めゼリフ : 民あっての帝である
将来の夢 : 我が天皇家が続く事。日本が平穏である事
ここの住人として一言 : 新参者ゆえよしなに
ここの仲間たちに一言 : 今の所、朕一人であるが
ここの名無しに一言 : 何の遠慮もいらぬゆえ足を運んでくれると有難い
すまぬな。崩御したのは八十五であった。何分三百年前の事ゆえ
度忘れしてしまった。
15以上、自作自演でした。:03/09/10 09:35
ドクターカオスみたいな事言うな!
う こ ん
>15
朕も長い年月を過ぎて色々とあったのだ。見逃してくれると有難い。
その者の名はよく知らぬが、何か失笑を買うような事をしたのか?

>16
何を申しておるのか朕には分らぬな。まあ早速来たのだ。
しばらく腰をおろしていくが良い。
花押にポリシーはありますか?
>11
1>元来、日本は海で隔たれた島国ゆえ、異国人がくる事は稀であった。
  普段、同じ種を見慣れている者にとって髪や瞳の色が異なるのは奇
  異に見えたのであろう。不快に思うかも知れぬが堪えて欲しい。
2>誇りに、と言うより長年持って生まれた物ゆえ、何とも思わぬ者が
  大半であろう。
3>古来より交流のあった諸国なので、幾分かの親近感と何らかの念を
  持っているであろう。特に朝鮮とは豊臣秀吉の慶長・文禄の役等で
  関係の拗れた時期があった。
4>朕は詳しくは知らぬが、異国の映画は「見せる映画」で日本のは、
  「思わせる映画」とでも言うのか。種々で制約が多いので客の心に
  問い掛ける方法を取っているのではないか?
5>うむ。日本は温暖ゆえ四季に恵まれ、多くの草花が育つ。風流を好
  む朕のような者には実に良い国であろうな。
6>不況という言葉はよく聞くが、格別衣食に事欠かぬ朕には今ひとつ
  実感が無い。とは言え多くの者がそれを感じぬ生活を送れるのが一
  番良いのであろうが。
7>物を贈るのは悪くないが、相手が何を求めているかを知るのは難し
  いであろう。最初は誠意で接して脈があればそうするのが良いかも
  知れぬ。
8>そうであるな。唐天竺には及ばぬが長い歴史と、民の勤勉さであろ
  うか。
9>別に何とも思わぬな。素直な感情を吐き出すのは豊かな人としての
  表れだと考えるが。
10>平均的な名字であるな。日本ではさしずめ山田、佐藤の類であろう。
>18
特に無いわ。公家に渡す歌集や写本に書く場合が多かったが、
朕の花押を真似る者もいなかったから、そちらで言う所の署名
の感覚で使っていた。
では、朕は席を外す。多分夜にでも来るだろうから、
何かあれば書いておくが良い。
天皇てなぜえらいんですか?
23孔明:03/09/10 12:53
ははは
酒飲むんですか
ウホッ!答えが来てる。ありがとな。
質問後、板内を見回したら国名系スレがいくつかあって
これはスレ主同士でレス数を競っているのかもしれんと思い、ハッとしたよ。
大量に質問してスレストして悪かったなーって気に病んでたよ。
どこの天皇だか知らないけど頑張れよ。
昼とは代わってにぎやかな事よ。こういう夜も良いものであるな。

闇雲に たださえずるは虫のみと 影も数えぬ 人はあまたに

>22 (天皇てなぜえらいんですか?)
難しいの。あえて申せば長い伝統と血であろうか。神武天皇を祖として
朕の代で二千三百年余りの年月を日本と共に続いてきた天皇家は一番の
古い名家と同時に皇家である。その間何らかの形で民の営みに関わって
きた。それゆえ民は朕らを崇めるのだろう。一種の相互補助と言えるか。

>23 (孔明)
先日は一宿一飯の恩、真にかたじけない。色々と芳しからぬ噂を聞いたが
朕にとっては恩人に代わりない。貴殿らの行動についてはともかく、身を
いとわれよ。

>24 (酒飲むんですか)
即位して間もない頃は天皇の地位、幕府からの重圧で酒に逃れた時もあっ
たが、年を取るにつれ収まってきた。その後はたまの祝宴か興の乗る時に
杯を傾けるぐらいであったわ。酒は百薬の長と言うが適度に嗜めば健康に
良い。朕が長寿を保てたのも、そのせいかも知れぬ。

>25 (どこの天皇だか知らないけど頑張れよ)
察するに十一であるか。中々答え甲斐がありそうな質問だと思ったので
朕が回答したが、そう申してくれると有難い。
また面白い質問をよこしてくれ。
天皇は大人ですね。
>27 (大人ですね)
自己紹介で述べているようにここでの朕は二十八としておる。
本来なら崩した時の八十五なのだが、あまりに高齢な姿だと、
若い者が多いここでは何かと不都合だと考えてな。
要するに身体は二十八、頭は八十五と思ってくれれば良い。
何か勝手な話かも知れぬがな。

では、また明日来る。
29弱策:03/09/10 21:44
朕は皇帝だけに与えられた特権ですよ
30植松美雨(´A`)y-・~~ ◆EmMMMd0Jtw :03/09/10 21:47
呉に朝貢して欲しい訳だが(´A`)y-・~~
ん?

>29 (弱策)
確かにそちらの国では皇帝のみに許された物であるが、朕も一天万乗の
君、天皇であった者ゆえ「朕」と称するのを認められておる。
だが、不愉快を与えたのなら詫びる次第だが。
32伯約:03/09/10 21:50
伯約ですよ!
頑張ってくださいよ!!
時に倭と同盟を組みたいと思う。
南満州はゲッツした。今こそ立ち上がろうぞ!!
>30 (植松美雨)
何時ぞやの若い女子か。そう言えば呉におったな。
過去において足利義満が明に臣下の礼を取った時があったが、
今では日本はその必要もあるまい。
だが、末永く通交を望むのなら朕も歓迎する所である。

では、朕は休む事にする。
これで本当に最後とする。しかしこれでは綸言汗の如しと言えぬな。

>32 (伯約)
確か孔明の後を継いで国を守った武将であるな。
呉同様、通交は拒まぬが、さすがに女真の地まで兵を送るのは出来ぬ。
それに朕は兵馬の権を持たぬからな。何でもここには天下の権を握り
かけた者がおるそうだから、そちらに頼むのはどうか?
35以上、自作自演でした。:03/09/11 10:33
徳川家康とは会った事ありますか?
南北朝期の両統迭立はどちらの皇統が正統であったとお考えですか?
明治までの約千年間、代々幽閉同然の境涯に置かれていたことに対して、
歴代の将軍どもに千年分の鬱憤をぶちまけてください。
思ったより質問が来て嬉しいのう

かいまみて 名も無き記し春の野の 芽生えに例う 喜ばしきか

>35 (徳川家康とは会った事ありますか?)
何度か会った。一見太った老人だったが、天下の覇者と言う先入観からか
巨大な何かを感じたのを今でも覚えておる。
さすがはいくさで大人になった武将だと感心した反面、これからこのような
男と対立しなければならぬと思うと震えたものだった。

>36 (南北朝期の両統迭立はどちらの皇統が正統)
公式には明治四十四年の明治天皇の勅栽により南朝正統とされてきたが、
朕を含めた室町以後の天皇は全て北朝系である。
そもそもこの論争が起きたのは江戸時代、水戸学に始まる大義名分論と
表向き新田を始祖とする徳川家への賞賛を含んだ学説があった。
楠木正成も民間の講談や俗話で多く取り上げられたのもあるだろう。
朕個人の結論としては現実面で見ると北朝と申しておく。
おそらくこれを詳しく論じれば千の書き記しがあっても足りぬであろう。
>37 (歴代の将軍どもに千年分の鬱憤をぶちまけてください)
確かにそちの申すとおり、我が天皇家は源平の御世より千年間、半ば傀儡
として扱われ、時には皇統の危機に陥った事もあった。
それに対して恨み言が無いと言えば嘘になるが、それをここで申しても
詮無き事だ。朕は皆の前で愚痴を述べて弱みを見せるほど女々しくは無い。
所詮、兵馬の権を失った君主が辿る道であっただろう。むしろそちらの
時代まで天皇家が続いた事を幸と思わねばなるまい。

では、明日。
40以上、自作自演でした。:03/09/12 01:50
源氏物語はどうでした?
今起きたわ。少し寝すぎであるな。

時過ぎて 朝やいざなむ陽を見れば やや高しこと 遅しこの寝を

>40 (源氏物語はどうでした?)
朕の頃では公家や皇族には必須の書物であったので熟読した。
いわゆる貴種の恋愛小説だが、そちらの時代では何かと不都合な面が多い。
なにせ浮気や少女性愛。はては不義密通まで描写されておるからの。
日本の古典の中でも名作である事には変わりないが、読む人間を選ぶのも
事実か。
ちなみに光源氏が栄華を極める部分は藤原道長が絶頂期にあった事への
賞賛。悪く言うと紫式部が媚を売っていたと考えられなくも無い。
何せ仕えていた中宮彰子の父であると同時に朝廷の実力者であったからな。
42以上、自作自演でした。:03/09/12 12:43
43以上、自作自演でした。:03/09/12 21:28
帝って忙しかったんですか?
今宵は良い月であるな。周りの星々も美しく見える。

月映えて なおぞ散りばむ星の名は 神代にならふ いにしえの夢

>42 (d)
何じゃ?異国の文字の四番目であるから、何か四にちなんだ意味であるのか。
それとも、そちが書き込んだ時刻では、ここが上から四番目にあったと言う
のか。どちらにしろ良く分らぬな。

>43 (帝って忙しかったんですか?)
天皇と言う地位ゆえ、そう思うのであろうが、実はそうでもないのだ。
朕の頃では政の実権とて無い身なので、ただ玉座に座るのみという日が
多かった。たまに公家や諸吏の人事に関する書類に目を通して裁決を下
すぐらいであったわ。年中行事などのある日はそれなりに用を成したが。
子供をたくさん作られたそうですが、どう育ちました?
朝から雨が続いておる。行幸もままならぬな。

ややあけて 露落ちる日を待つひとは 田をもつものと 他はいずれか

>45(子供をたくさん作られたそうですが、どう育ちました?)
不幸にも、和子の産んだ皇子は皆夭折したが、他は大体が成人できた。
皆が恥ずかしからぬ者に育ったが、あの頃の朝廷では皇統を継承する者
以外は全て出家する事になっていたのだ。宮家を興させて独立させたかっ
たが、そのような余裕がなかったのでな。
尤も目をかけていた紹仁(つぐひと 後光明)が二十二で没したのが
一番悔やみであったが。
>>41
>ちなみに光源氏が栄華を極める部分は藤原道長が絶頂期にあった事への
>賞賛。悪く言うと紫式部が媚を売っていたと考えられなくも無い。
>何せ仕えていた中宮彰子の父であると同時に朝廷の実力者であったからな。

誰の教えを受けたんですか?
我々の時代の学会では認められていないのは勿論、
貴方の時代でそれを主張していた人が居たのは驚きです。
天皇ご自身が源氏物語をお読みになってのお考えですか?
失礼ながら申し上げますると、道長と光源氏では違いすぎるかと……
>47 (天皇ご自身が源氏物語をお読みになってのお考えですか?)
朕が読んで独自に思った事だったが、拙かったようだな。
確かに藤原道長と光源氏では異なる点が多いが、幾人かの人物を真似て
光源氏を作ったと考えられる。その中に式部が直接、接していただろう
道長が入っていることは自然ではないか?
朕の過失を指摘してくれた事を感謝する。そちもかなり源氏を熟読したと
見えるな。
49以上、自作自演でした。:03/09/13 15:48
馬鹿にしていいですか?
>49 (馬鹿にしていいですか? )
構わぬ。過ちを犯した以上非難を浴びるのは当然である。
天皇を崇めるか不必要と言うかはそちらの時代では自由であるからな。
朕もこうして矢面に立っておる以上、覚悟はできておる。
好きに申すが良い。甘んじて聞く。
51以上、自作自演でした。:03/09/13 15:53
大阪夏の陣のご感想をお願いします。
>51 (大阪夏の陣のご感想をお願いします)
大坂の陣が始まる前、家康は朕に豊臣家討伐の勅命をくれと申してきた。
大義名分を得ようと言う魂胆と見抜いたので黙殺したが、手痛い仕返し
を受けたが、後悔はしておらぬ。あのようないくさの片棒を担ぐより
はるかにましだからの。
夏の陣の際だが、大阪城落城の炎は京からも見えたので朕や公家衆は
御所の屋根に昇って見たが、次は御所か京の都がそうなるのではないか
と危惧したものだった。徳川家の恐ろしさを感じた一時であったな。
53以上、自作自演でした。:03/09/13 16:04

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54以上、自作自演でした。:03/09/13 16:05

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56以上、自作自演でした。:03/09/13 16:08
仏教衰退、切支丹弾圧、国学隆盛をどう見ますか?
>53-54
商売の広告か。このような簡素な所に貼っても人目に付くかどうか
分らぬのだが、好きにするが良い。
戦国の頃には天皇家の権威も地に墜ち、流浪の輩が御所にて暖を
取ったり、一夜の宿を取っていたそうだが、それらよりはまだ許せる。
幾らかでも利を得られれば良いの。
>56 (仏教衰退、切支丹弾圧、国学隆盛をどう見ますか)
仏教衰退は長年、保護を受け続けた僧侶らが堕落して招いた自業自得と
言えなくも無い。織田右府の比叡山焼き打ちも最初は驚愕をもたらした
が、冷静に見れば理解できるであろう。新井白石もそう書いておるよう
じゃ。
切支丹については朕は全く関わっておらぬゆえ詳しくは知らぬが、
でうすとやらを唯一の神とし、その下では皆平等と言う思想は身分の
区別厳しい我が日本では認められぬ物だったのだ。幕府の支配体制
そのものを崩壊しかねないからな。
国学は本居宣長や平田篤胤が有名であるが、当初は純粋な古学であっ
たのだが、江戸幕府の衰退と共に天皇家を中心とするいわゆる尊王
思想を産み出す元になった。いわば利用されたと言えなくも無い。
本来は和歌や古史古伝を研究する学問であったのだがな。
59以上、自作自演でした。:03/09/13 16:19
かたじけないけどあんただれでつか。。
60以上、自作自演でした。:03/09/13 16:20
この天外魔境U、クオリティーの高さは12年前のゲームとは思えません。
声優陣は山口勝平さん・高山みなみさんなど豪華絢爛、音楽担当は
ジブリシリーズで有名な久石譲さん、監修はサクラ大戦で知られる広井王子さん。
壮大でクオリティーの高い音楽と、驚愕に値したアニメーションに驚きの連続でした。
それと、当時は「RPGにアニメなんかいらない」なんて言って敬遠していた私は、
天外2を友人に薦められたのをキッカケに購入したんですが、キャラクターが敵味方共に
個性的で表情豊かなので、あっという間に魅了されていきました。もちろんRPGとしての
システムの完成度も高く、プレイ時間も70時間強のボリュームなので、大作RPGを語る上では
絶対に外すことは出来ない作品です。ストーリーは冒険活劇物で感塊??させられるシーンも随所に。
各ボスは戦い甲斐のあるやつばかりで、ボス系は常に緊張したバトルが楽しめます。
日本が舞台で、地名もそのままで、登場する雑魚敵がその地方の名産物だったりして、
ユーモアも溢れる名作です!!「最近、旅や冒険をしている気分になれるRPGが無いよ!」
「最近主流の3DCGには温もりが感じられない」などなど、嘆いている方は是非プレイしてみてください!
61以上、自作自演でした。:03/09/13 16:20
非常に面白いゲームでした。いままで、名作と謳われる数々のゲームをやりましたが、
これ以上のものに出会っていません。ストーリーがすごくしっかりしていて、面白く壮大
なストーリだし、グラフィックがきれいだし、声優が豪華だし、音楽が最高にいい。作曲
家の久石譲さんはすばらしい。戦闘も早くて、心地いいし、ボスはアニメーションでうごく
ので、戦いがいがあった。数々起こるイベントも面白い。乗り物など多彩で面白かった。
登場人物たちも、生き生きとしていて、ドラマを見ているようだし、かっこいいし、感情移入
がしやすかった。クリアするまでに、70時間以上かかり、やりごたえは十分だけど、
途中で飽きることなく、イベントの連続で、最後まで楽しめた。最高のゲームです。
FFなんか比べ物にならない。
62以上、自作自演でした。:03/09/13 16:21
あれから12年もすぎ、それでもなお僕の中でナンバー1であるのは、その
ストーリーと、イベント等の発想の面白さでしょう。内容はこれからやる人の為に
述べませんが、平均クリアタイム時間が7〜80時間程であるにもかかわらず、
10分〜20分ほどに一度イベントがあり、なおかつ経験値稼ぎ等をそれほど
する必要がない。これほどの密度を持ち、なおかつ、一つ一つのイベントが
面白くて盛り上がるRPGは、現在でも存在していません(断言)。

さらに戦闘においても、それほど個性的なシステムはありませんが、その
絶妙な戦闘バランスは、これはもうやってみてくれとしか言いようがありません。
このゲームは何年も前に出たものなんですが、内容はとてもおもしろいですし、
使われている曲も良い曲ばかりです。また、声優をゲームに採用するなどと
ても画期的なものだと思います。RPGでは最高傑作ではないでしょうか...。
63以上、自作自演でした。:03/09/13 16:21
天外魔境2は元々、その頃に登場した新ハード「SUPER CD−ROM2」の
「戦略ソフト」として企画されたソフトでした。
そういった理由もあってか、この天外魔境2は「資金面は気にせず、とにかく
面白い物を」という破格の条件で開発されたのです。
「戦略ソフト」としての役割を果たし、大作RPGであった「天外魔境」を超える存在として、
「天外魔境2」はその「スケールの大きさ」を前面に押し出して、宣伝されました。
敵、味方キャラクターの数、町や村の数、アニメーションの総時間数、術の数、マップの
広大さ、イベント数、平均プレイ時間数等など、その多くが、それまで存在したRPGを
遥かに越えていました。
しかし、天外魔境2を今でも名作たらしめているのは、その「スケールの大きさ」だけ
ではありません。ストーリーとそれを盛り上げる個性的なキャラクター、そしてプレイヤー
に快適さと楽しさを提供してくれたシステム。これらの存在があってこそ、天外魔境2は
今でも多くのファンから支持されているのです。
>59 (かたじけないけどあんただれでつか。。)
初代神武天皇から数えて百八代目に当る後水尾天皇である。
そちらの時代でもある天皇のはるか先祖じゃ。
在位していたのは江戸時代の前半頃であったが、時の徳川幕府に何度か
反抗して気骨を示したつもりであったが、やはり名が広く知られておらぬ
のは歪めぬか。別の構わぬがな。
65後嵯峨天皇:03/09/13 16:33
なんかさ、俺もそうなんだけどさ、もうちょっと名前に独自性が欲しくね?
>65 (後嵯峨天皇)
持明院統と大覚寺統の対立を生み出された方ですな。
贈り名は崩御して後につけられる物にてご自身が口を出されるのは
何かと不都合があるのでしょう。後醍醐天皇は御自ら名乗られたが
それらは特例にて、やはり普通なのが宜しいのでしょう。
歴代天皇で一番といったらどなたでしょうかねぇ…
>67 (歴代天皇で一番といったらどなたでしょうかねぇ… )
本来なら神祖である神武天皇だが、神話伝説の域を出られぬゆえ
異論が出るであろう。朕は天智・天武・桓武・明治・昭和の
いずれかと考えるが、さすがに一番と断定は出来ぬな。
あやふやな返答で相すまぬ。
69以上、自作自演でした。:03/09/13 16:52
もしかして、かなり頑張って(調べて)ますか?
当方、某短大日本学科学生ですが。
70以上、自作自演でした。:03/09/13 16:53
もしかして、かなり頑張って(調べて)ますか?
当方、某短大日本史学科学生ですが。
>69 (当方、某短大日本学科学生ですが。)
そうであるか。日々を学問に費やすのは良いが、くれぐれも
無理をせぬ事じゃ。学問とは己を磨く手段の一つにて全てではない。
朕についてだが、仮にも天皇である以上、それ相応の知識が無くては
公家衆にも示しが付かぬのでな。
どうやら落ち着いたようであるな。朕のような不徳者に
質問をしてくれて有難いかぎりじゃ。
至らぬところもあろうが宜しく頼みたい。

では、また明日。
後醍醐天皇は賢君か暴君かどちらだと思いますか?
では、少し早い時刻だが本日も参るか。

日とともに 動き過ごすは人ゆえか 生けとし生ける もののさだめと

>73 (後醍醐天皇は賢君か暴君かどちらだと思いますか?)
歴代天皇で唯一武力を用い、幕府を敗退せしめた後醍醐天皇は卓越した
活力と、悪党や寺院勢力とある種手段を選ばぬ現実的手法で高く評価す
るべきであろうが、建武の新政でも見られるように本質は時代を冷静に
見れぬ復古主義者であった。それゆえ武士階級の反発を招き南北朝の動
乱を起こしたのは、賛同できぬ。
本来、天皇とは民を治め慈しむ物だが、御自身の立場のために数多くの
民人を巻き込ませた後醍醐天皇は決して賢君・名君とは呼べぬ。
仮に柔軟な思考を取れる賢君だとしたら楠木正成の献策を受け入れ、
足利尊氏と和解、もしくは敗っておられただろう。
不敬であるが、どちらかと分類すると暴君に傾かざるを得ぬ。
幕府の鎖国政策は適策だったと思われますか?
>75 (幕府の鎖国政策は適策だったと思われますか?)
前述したように支配体制の維持には役立ったが、
長期的な視野では不適当であったろう。
当初、家康は切支丹の信仰のみに限定し交易・文化等は認めていたが、
三代将軍家光は全てを排除する形にした。これにより日本は海外から
取り残され、後の幕末における混乱の遠因となったが、何度か路線
変更の機会はあったのだ。
八代吉宗の和蘭陀文化解禁と六代家宣の漂流した宣教師の処遇問題が
それに入るが、特に後者では新井白石が直接審問し、当時の最新情報
を聞く事に成功しただけでなく、送還を上策と進言しているように、
何らかの日本からの働きかけを提示している。
後でも和蘭陀国王から鎖国撤廃を提言されているが、祖宗の法と
突っぱねている。柔軟に対応出来ていれば黒船以後の歴史も変わっ
ていたであろう。
77以上、自作自演でした。:03/09/14 19:20
浄瑠璃文化をどう見ますか?
ここは面白いスレですね!
では質問。
文永の役の神風は結局なんだったのですか?(旧暦11月ごろだから台風とは思えないと聞きました)
今日は祝日なので昼間にも拘らず人が多いようじゃな。

市をみよ 時にさえなく人の波 利を求めるは 今もかわらず

>77 (浄瑠璃文化をどう見ますか?)
江戸期の町人文化の代表である浄瑠璃は室町から始まり元禄期に町民の間で
広く親しまれた。「浄瑠璃姫十二段草子」から取られた名称だが、それが
定着してそちらの御世に至る。
朕の頃でも多くの者が楽しんだようだが、浄瑠璃作者の近松門左衛門は
朕と無縁ではない。朕の弟で一条家に養子として入った昭良(兼遐)に
一時期仕えていたそうだが、その時に浄瑠璃に触れたのであろう。昭良
も人形浄瑠璃を好んでいたからな。
朕も何度か見物した事はあるが、精巧な人形の動きに感心したのを覚え
ておる。そちらの時代でも「仮名手本忠臣蔵」などが有名であろう。
こういう日本独自の物は長く伝わって欲しいの。
良スレの予感。なのでage

>12 やむを得ぬ。ここに仮の居を定めるか。
とのことですが、一体何があったのですか?
>78 (文永の役の神風は結局なんだったのですか?)
確かに時期的に台風と片付けるのは問題がある。
文永の役で元軍が使用していた船は高麗に命じて建造させたが
相当な手抜きが行われたらしい。半ば占領軍である元に強制され
るのだから当然と言えるが、それゆえ多少の荒波でも水没したり
したのであろう。
有利な展開で進んでいたいくさの最中に撤退した事を一番不思議
に思ったのは鎌倉幕府と大宰府の兵で、それを自己納得するのに
風雨を持ち出し、それが後世の神国論理と結びつき「神風」が出
たのだろう。朕はそう思う。
>80 (一体何があったのですか?)
朕が最初にここに来た時、通例に従い「すれ」なる物を立てようと
したが、何故か上手くいかず、それ故仮の居を探していたのだが、
朕に一番合いそうな題目なのが、ここだったのだ。
そちらの時代では天皇は日本及び日本人の象徴とされているので
丁度良いと思ってな。
83以上、自作自演でした。:03/09/16 12:15
ご両親について述べて下さい。
>50に惚れました。
尊敬していいですか?(笑)
何でも大阪では地元の運動団が優勝して大賑わいだそうじゃの。

誰も皆 郷里偲びて西むけば まちの華やぎ おおさかんなり

>83 (ご両親について述べて下さい)
朕の父君である後陽成天皇は豊臣・徳川の勃興期に在位され、武家政権との
関係に悩まれた。後継問題でも、弟である八条宮智仁親王にと望まれたが、
幕府の圧力により阻まれ、その余波を受け朕の兄二人は門跡寺院に入れられ
朕に鉢が回ってきたのだ。さぞご無念であった事だろう。
母君は近衛家の出身で御名を前子、中和門院と称されたが、度々朕と幕府の
調停役を果たされ、また近衛家に養子に入った信尋他、朕の兄弟を訓育され
真に良き母君であられた。

>84 (尊敬していいですか?(笑))
朕は格別変わった言を吐いてはいないのだが、悪い気はせぬ。
だが、尊敬するかどうかはしばらく据え置くが良い。まだ日の浅い身故、
再び過失を犯さぬとも限らぬし、その際にそちに失望感を与えとうは無い。
長い目で見て、それに朕が値すると評価したのなら構わぬが。
86以上、自作自演でした。:03/09/17 15:53
決して欠かさない日課を教えて下さい。
87以上、自作自演でした。:03/09/17 19:01
あなたの短歌をひとつ、教えてください。
88以上、自作自演でした。:03/09/17 19:06
今でも現人神ですか?
昼間に小鳥が紛れ込んできた。すぐに出て行ったが、良い余興であった。

鳥さえも 風をもいとうただ見るは 窓井のはざま ひとときの宿

>86 (決して欠かさない日課を教えて下さい。)
朝、起きた時に外の空気を吸うことじゃ。これをやらぬと
朝になったという感じが出ぬのでな。時にはそのまま庭を歩いたり
少し散歩をする事がある。

>87 (あなたの短歌をひとつ、教えてください。)
おもふ事 なきだにやすくそむく世に あはれすてても おしからぬ身を

朕が譲位宣言をした直後に詠んだ歌じゃ。幕府の判断によっては流罪、
最悪の場合暗殺されると考えていたので、本来天皇の言葉としては許さ
れぬ「あはれすてても おしからぬ身を」を入れた。
いわば朕の決意表明とも言える歌であった。

>88 (今でも現人神ですか?)
陵に祭られているので、表向きはそうなるかも知れぬが、朕は別に自分が
神だのと思ってはおらぬ。特にそちらの憲法では、天皇は人間と表記され
ているので、単に過去の天皇という名の一魂魄と認識してくれれば良い。
表向きだの憲法だのあんたが考える必要はない
良スレですね。しもじものわたくしどもは、尊きあなたさまをなんと
お呼びすればよろしいでしょうか? 
陛下、では近代の天皇っぽいですし。雅な呼び方を御教えくださりませ。
しばしの別れにわたくしも歌を詠みます。

ママレード は どーれママ
何気なく見ていたら、ふと面白いスレを見つけたわ。

寄るべなし 闇にとらわるつみびとの 紅顔見れば ただ泣きくずる

>90 (表向きだの憲法だのあんたが考える必要はない)
そうであるな。崩じて三百年余り過ぎた朕が、そちらの時代に口を出す
のは、何かと不都合があるのだろう。とは言え批答には不可欠ゆえ大目
に見て欲しい。見る者全てが好感を持てる回答は出来ぬ物か。

>91 (雅な呼び方を御教えくださりませ)
そうか。では朕が幾つか挙げてみる。
○後水尾
○政仁
○円浄(朕の法名)
○みかど
○天皇さん
○ゴズオ(ゴミズノオの略) 何か毒男みたいじゃな。
特に指定はせぬので、そちらの好きに呼ぶが良い。
死は痛ましくもあり悲しくもあり、美しくもあり輝かしくもある。
>93 (死は痛ましくもあり悲しくもあり、美しくもあり輝かしくもある)
本来、汚らわしい存在の死を美しいと取るか。多種多様な見方じゃな。
小野小町の歌にこういうのがある。
「花の色は うつりにけりないたずらに わがみよにふる ながめせしまに」
花の色が変わり行き、やがては枯れるのを自分になぞらえた歌だが、
生けとし生ける物全てに死が訪れる。それを甘んじて受け、自然に没する
のが優雅かつ華麗な死に様なのかもな。
長生きを見苦しいと書いた吉田兼好も意に反して生きたようだが、
長寿と言う名の下で醜く老いた朕もその限りか。
むむう、スレタイがよくないよーな気が、、、
武士は嫌いでつか?
97植松美雨(´A`)y-・~~ ◆EmMMMd0Jtw :03/09/19 23:21
久しぶりに挨拶に来た訳だが(´A`)y-・~~
朝からで何だが、答えていくとしよう。

目に入り また日を過ぎし朝の陽と やや繰り返し 朝顔を見ゆ

>95 (むむう、スレタイがよくないよーな気が、、、)
そちの申すように、何ら特徴の見当たらぬ題名であるが、逆で言うと
癖の無い純朴な趣がしないでも無い。
それに、ここまでそちらが書き込んでくれた以上、また新しいのを
立てるのも不都合なのでこのまま通す事にしようと思うのでな。

>96 (武士は嫌いでつか?)
徳川の専横に憤激していた頃はそう思っていたが、今では冷静に見ておる。
必要性に問われて登場した武士が、自分らで独自に勢力を広げ、やがては
覇者となったのは時と民草が求めていたかも知れぬ。朕が嫌っても所詮は
負け犬の遠吠えであろう。

>97 (植松美雨)
若い女子ながら、礼に沿った振る舞い痛み入る。
今では朕はここを出る事もなくなったが、これが一番望ましいかも知れぬ。
そちも自分らの場を大事にしていくが宜しかろう。
寸止めプレイ
御尊父
後陽成天皇の人となりについてお話下さい。
ゴズオちゃん、国技相撲の現状について一言くだされ。
今、朕はとても気分が良い。

いとしきを 今は待つ身とただ夜を 幾度過ごして 指つづる日か

>99 (寸止めプレイ)
なるほど、百を前に止めたと言う意味か。中々心憎い演出じゃな。
多くの者なら、そのまま百を取るのが普通な所をあえて止めておくとは
そちは控えめな者であるな。善い事だと思う。

>100 (後陽成天皇の人となりについてお話下さい。)
先帝は若き頃から武家との関係に悩まれ、それゆえか周辺の公家をも
幕府に飼われていると思い込まれ、極力ご本心を明かされなかった。
それに決して頑健な御体ではなかったので、しばしば軽い発作を起こされ
まだ幼い朕も危なげに見ていたのじゃ。
朕に譲位された後も、三種の神器を手元に留め置かれるなど朕に冷たき
所業をされたが、それほど悩まれていたと思うと慙愧に堪えぬ。
>101 (ゴズオちゃん、国技相撲の現状について一言くだされ)
早速使ったか。それでよければ自由に呼ぶが良い。
さて、相撲は日本の国技であるが、ここ二十年余りの間に高見山
を始め多くの外国人力士が活躍しておる。
朕の頃では考えもつかなかったが、そちらの時代では相撲の海外紹介
と交流に大いに役立つだろう。
そう言えば、今は蒙古出身の力士が人気だろうだが、さすがは大陸で
覇を唱えた民族。武技では誇るのも無理はない。
趣味はありますか?
慈悲について一言おながいします。
>104 (趣味はありますか?)
朕の自己紹介の欄に書いてある通りじゃ。
普段は和歌を詠む事が多いし、古典に親しむ時も多い。
後、庭や付近を散策して外の空気と風景を楽しむのもあるな。
それと、これはここ最近だが、この世界を垣間見る事が大きな楽しみである。
時代や世界の異なる者と語り合い、時には触れ合うなど、朕の頃では
全く想像外であった。
>105 (慈悲について一言おながいします。)
慈悲は人間の持つ感情の一つで、他人との間柄には欠かせぬ物だろう。
だが、極度の慈悲はかえって相手に害を与える恐れもある。
「民を慈しみは損なうの始まりなり」という言葉があるが、ただ赤子の
ように慈しみすぎては何かと不都合が生じるようじゃな。
後水尾さま、悲しい時の短歌を教えて下さい。
>108 (後水尾さま、悲しい時の短歌を教えて下さい。)
悲しい時に限らず短歌とは、その時の感情を素直に吐露すればよい。
後は定型に当てはめるのだが、とりあえず朕が一首詠んでみる。

また越ゆる 年と我の身またかげり 雲間に見ゆる 星かわらずと

意味だが、年を取るにつれ自分のみは翳り行くのだが、夜の雲間に見える
星はいつまでも代わらず見えると言う事だが。要は老いていく自分を悲しむ
のを表現したのじゃ。
自由に書く。これが歌の万事法則だと朕は考える。
あくまでも参考に留まるがな。
108に続き元気の出る短歌を一つ
ねぇゴズゴズ、戦争はいつこの世から無くなるのですか?
みかど様、貴方の信条はなんでしょうか。
あるいは、信条というものに価値があると思いますか?
あなたは神ですか?
急に冷え込んできたの。

秋風も まといし衣重ねては ややここちよき 君の手を取る

>110 (108に続き元気の出る短歌を一つ)
宜しい。では一首詠むとしよう。

一夜さえ 思わぬも無し愛し人 我を忘れず やや響く音

恋人を思って過ごす夜にふと、その女性から電話が来たと言う意味じゃ。
思いがけぬ恋人の温かい声を聞き元気も出るであろう。

>111 (ねぇゴズゴズ、戦争はいつこの世から無くなるのですか?)
いくさか。今に始まった訳ではなく、太古より続いておる物をそう簡単に
断つ事は無理であろう。何事も和やかに済ましたい者もおれば、それに
反するのもまた然りじゃ。肌の色や言葉の垣根を越えて全ての人間が
手を取り合う時。それが真にいくさが消え去るのであろうが、夢幻の如き
事かも知れぬ。そちのような考えの者が増えるのを望むばかりじゃ。
>112 (信条について)
朕が信条としているのは誇りを守る事であった。徳川幕府に度々抵抗し、
天皇の権威と京の都の伝統を維持するためだったが、人である以上、
ただ屈するだけでは何にもならぬ。
そちらも何かを思い、動く事だろうが、その元の一つに信条や理念が
あると朕は愚考する。決して無価値ではなかろう。

>113 (あなたは神ですか?)
今の朕はただの魂魄じゃ。神などではないし、なるつもりも無い。
天皇と言えば神と言う連想が良くあるそうだが、最早単なる一人の人間と
思ってくれれば有難い。
帝さま、悔いてることはありますか?
今日は暦では秋分の日か。

秋の野に たたずむか尚人も稀 ただ風のみと 一口のはぎ

>116 (帝さま、悔いてることはありますか?)
強いて申せば長く生き過ぎた事か。
八十五年の長寿と誉めそやされたが、その間信尋ら兄弟を始め朕の子供や
一時とは言え愛した女子。そして伴侶である和子に先立たれ最後は寂しさ
の中で崩じたのじゃ。
長生きが悪いとは申さぬが、生き過ぎるのも考え物なのだろう。
八百比丘尼が食を断ち入寂したのも頷けるか。
みかど様、貴方にとって過去とはどういうものですか?
今宵も参るとしよう。

人々の 夜ごと語りし声聞けば 何をかいらん せせらぎなりと

>118 (貴方にとって過去とはどういうものですか?)
朕にとって過去とは自分と自分を囲む者を守るための闘争と言えた。
常に幕府の目を恐れ憚り、時には媚を売る朝廷の現状に嘆き、幾許かの
抵抗を試みて実行に移したが、当の相手である幕府と秀忠にとっては
蚊が刺したほどにも感じなかったのかも知れぬ。
とは言え、後悔しておらぬ。朕は考えられる限るの手段を尽くした
つもりじゃ。仮に悔やんでいると申せば皆に申し訳が立たぬ。
みかど様、貴方の誕生日にはどのようなことをなされましたか?
絡んですまないっしかもかなり間を外しているがっ
>91,それは歌ではなく回文だーっ!

…円浄殿、失礼いたした。
後水尾様、おはようございます。
今一番やりたいことはなんですか?
葉の色も変わるこの時期、皆も思う所もあるであろう。

紅葉映え 白き頬染め乙女たち 魅かれただ見る 己と比すか

>120 (誕生日にはどのようなことをなされましたか?)
天皇だった頃は主だった公家からの祝賀で一日が終わった物だが、
老年では一族や親しい物とささやかな宴か歌会などが多かった。
そちらも誕生日をどう過ごすかは様々であろうが、朕は控えめな方が
好ましいと思っておる。あまり多人数では気疲れするのでな。

>121 (それは歌ではなく回文だーっ!)
そのようだが、素直な感情を吐露している点でそう言えなくも無い。
俳句でも種田山頭火のような崩した形もあるし、あまり指摘するのも
何であろう。朕は別に構わぬが。

>122 (今一番やりたいことはなんですか?)
うむ。そちも朝からご苦労である。貴重な朝の時間の一部を朕のために
割いてくれて嬉しく思っている。
今の朕が望んでいるのは、和子や信尋ら一族ともう一度この世界で
顔を合わせたい事じゃ。かつてのように風雅に時を過ごし、一言一句でも
良いから言葉を交わしたい。
では122に続いて挨拶から。
こんばんは、みかど様。
思い出深い出来事はありますか?
何やら、みちのくで大きな地震が起きたようじゃな。何も出来ぬ朕の身が
情けなく思える。

ただ泣くは 空しきものと知る無かれ 哀れむ心 何人にもあり

>124 (思い出深い出来事はありますか?)
うむ。秋の夜に嗜むここはどうであるか?
返答だが、朕にとって初めての女子であったお四つが朕の皇子を
産んだ事じゃ。既に和子の入内も内定していた折だったが、せめて二人を
守ろうと決意を秘めていたのだが、お四つは朕に負担をかけたくないと
自分から去り、皇子である賀茂宮も僅か五歳で死んだ。
あの時の朕は、天皇でありながら愛する女子と子すら守れぬのかと自己嫌悪に
陥っていたのだが、良い意味でも悪い意味でも朕の記憶から消える事が無い。
行ってみたい場所をドゾ-
>126 (行ってみたい場所をドゾ-)
あまり大きな声では言えぬが、朕は常々吉原に行幸してみたかったのだ。
単なる遊女とは異なり「地女の及ぶ所にあらず」と公言していた太夫と
語り合い、出来れば戯れて見たかったが、さすがに江戸までは行ける訳
がなかったので諦めておった。
余談だが、信尋は関白辞任後、かの吉野太夫と親しき仲になっておった。
学問芸能に秀でていたと評判の吉野太夫と対等に渡り合えるとは、あれも
中々の酔人よの。
128以上、自作自演でした。:03/09/26 20:16
ちんちんが痒いのですが、ムヒを塗れば直りますか?
>128 (ちんちんが痒いのですが、ムヒを塗れば直りますか?)
それはおそらく性病の類であろう。
中途半端な薬に頼らず、専門の医師に見てもらうのが一番良い。
朕も淋病で悩んだ時期があったからな。悪くなる前に早急に
治療せよ。男子一生の事であるからな。
地震が怖かったです。
みかど様は地震を体験したことはありますか?
13191:03/09/26 20:25
ゴズオさまと121さまに、あたらしい句をおささげします。
夏休みに妹と水族館に行きました。
赤ちゃんイルカを妹がかわいい、かわいいというので、その時の気持ちを
詠んでみました。

かるいイルカもかわいいか いいわ 蚊もかるい いるか
なにか遊びを教えてください
>130 (地震を体験したことはありますか?)
うむ。蝦夷地を中心に激しかったようじゃな。これ以上被害が
広がらぬ事を祈るしかあるまい。
朕が在世していた時も地震は勿論あったが、御所や京の町が
どうなるかと言う程のは体験した事は無い。せいぜい軽い揺れ程度で
あったが、それでも恐怖に震える女御が多くおった。
後水尾様の時代のお菓子でオススメをひとつ。
ゴズオちゃんてカコイイ?
>131 (かるいイルカもかわいいか いいわ 蚊もかるい いるか)
定形に定まらぬ自由な風味であるな。何か見ていて軽やかな感じ
であるな。何にしてもここを利用してくれる事は喜ばしい。
礼に返歌を贈ろう。

妹の 久方の笑み垣間見ゆ 水のしぶきや 服ぬれぬとは

>132 (なにか遊びを教えてください)
遊びであるか。朕の頃ではかるたやすごろく程度しか無かったが
そちらの時代では事欠かぬであろう。電脳遊戯やここのようにな。
取り合えず、金のかからぬ遊びなら百人一首を勧める。相手が二人
程おれば出来るのでな。
リアルタイムにみかど様が!
なんか嬉しい〜
28歳・・・(*´д`)ハァハァ
>134 (お菓子でオススメをひとつ。)
朕は京都菓子を好んでおった。あの見事ともいえる細工と、
口に入れた際の程好い甘味が心地良かった。
難点を申せば、小さくて満足感が多少心もとないのがあるがな。
後は饅頭ぐらいだが、そちらのように豊富な種類の菓子があった訳
では無いので、これぐらいしかないのだ。許せ。

>135 (ゴズオちゃんてカコイイ?)
朕は特に容貌に自信を持っていた訳ではないし、肖像画も老年のしか
残っておらぬので、優れているとは言いがたいの。
とは言え劣っていたと言う程でもないので、十人並と申しておこう。
和仁親王様は好きかい?
>137 (リアルタイムにみかど様が!)
うむ。朕もそちらと同じ時を過ごせて嬉しく思っておる。
時間帯もあろうが、やはり即時に質問が書かれるのは悪くない。
朕は不規則に来るのが多いので、幾分不便をかけるかも知れぬが
極力毎日来るつもりじゃ。

>138 (28歳・・・(*´д`)ハァハァ )
そのように興奮されても朕も少し困る。
大体、女子にならともかく、見方によっては「おじさん」と呼ばれても
仕方の無い年齢の男に、かようにされては朕も恥ずかしい物がある。
それに朕の頭は八十五の老人じゃぞ。
>140 (和仁親王様は好きかい?)
その御名は父上、後陽成天皇ではないか。
父上を好きも嫌いも無いであろう。朕にとっては先帝であると同時に
立ったお一人の父であるぞ。仮に嫌いと申せば二重の不敬を犯す事になる。
天皇が人倫を踏み外すなど決して許されぬのだ。


今、隣りを見たら源氏物語のすれが立っておるな。また朕の好みに合いそうな
のが見つかって楽しみが増えたか。

では、今宵はここまでとするか。皆大儀であった。今後ともよろしく頼む。
143以上、自作自演でした。:03/09/28 00:38
徒然草でお薦めの話を教えて下さい。
>123=円浄どの,>131=91どの
まことに失礼いたした。
どうも、思った事を腹にためて置けない性質なものでな。批判するつもり
などはこれっぽっちもなく、単につっこみたかっただけなのだが。
侘びをこめて私もひとつ。

イエイ!と言えい。
昨日は質問が無かったので来なかった。許されよ。

見渡せば ただ木々のみと葉も散るは 積もる事なし 風に拭くのみ

>143 (徒然草でお薦めの話を教えて下さい。9
うむ。第八段に色欲についてのくだりがあるが、久米仙人ほどの修行を積み
徳をなした者でも、女子の太腿に目が行き、神通力を失って地に落ちるのだが
本来後ろめたい部分のある色欲を表立って論じている所に吉田兼好の人間味が
出ていて面白いと思っておる。どのような身分・年齢の者にもそれがあって
しかるべきなのだろう。

>144 (イエイ!と言えい。)
いや、朕は構わぬ。普段腹にためている事も吐き出したくなる時もあろう。
余程の無礼以外では朕も咎めぬので好きにするが良い。
では、それにちなんでの返歌を贈る。

一言の 宜しきことを述べるのは 人隠すべき 物にあらずと
コズコズ、人生に疲れますた
>146 (コズコズ、人生に疲れますた)
そちがどれほどの年齢かは知らぬが、ここに来ていると言う事は
それなりに若いのであろう。なのに何故人生に疲れたなどと吐くのだ。
そちの時代では人生九十年と呼ばれ、数多くの成し得る事もあろう。
まずは、弱音を吐かずに何か些細な事で良いから楽しみを探すが良い。
ただ無為に過ごすより余程張り合いもあろう。
或は己を慕う友や女子を思うか交わるかせよ。人間は一人ではないのだぞ。
みかど様、最近あった嬉しいことって何ですか?
後水尾の帝さまと同時代を生きていた主だった著名人、武将などを
少々教えていただけますか。
今宵も参るか。

夕餉終え はし置き喫すは我が手での 碗に注ぎし ぬるめ茶を飲む

>148 (最近あった嬉しいことって何ですか?)
そちらに出会えて語り合える事じゃ。かつて天皇であった頃は
日がな見慣れた顔で変わりなき事柄を話すに留まっていたが、今では
そちらが様々な質問や話題伝聞をもたらしてくれる。これほど有難き事は
ここ数百年ないのだ。

>149 (同時代を生きていた主だった著名人、武将など)
まず挙げられるのは徳川家康じゃ。あの者は朕とは五十以上離れていたが
拝謁を許した際の、あの皺に隠れた鷹の如き眼光、今でも忘れる事は無い。
次いで秀忠・家光の将軍家も朕とほぼ同時代にして血縁だった。
後、意外かも知れぬが、かの水戸黄門こと徳川光圀も朕の義理の甥と言う
関係にあった。信尋の娘が正室として嫁いだのでな。
その他の主だった武将では、藤堂高虎が和子入内の際に交渉に当ったので
幾許かのやりとりもあったし、伊達政宗も信尋と親交があった。
偉くなるにはどうしたらいいですか?
(・3・) エェー 聖武天皇の大仏造営はどうYO
九月最後の日だが、秋の色も濃くなりつつある。

思うだに かえすがえすも自らの 咎悔やみつつ 西の陽を見る

>151 (偉くなるにはどうしたらいいですか?)
まず朕から問う。偉いとは何を基準とするのか。
朕のように運と血により偶々尊位に上がった者が皆偉大と呼べる訳では無い。
それはただ安易に自らを無為に費やす哀れな存在でしかないであろう。
例え出発点がどうあれ、自らの力と運を頼りに進んで、功なり名を遂げ賞賛の
中で天命を終える事こそ、その評価に値すると朕は愚考するが。

>152 (聖武天皇の大仏造営)
これは珍客であるな。この場に足を運んでくれた事感謝する次第である。
さて、聖武天皇は歴代天皇の中でも特に仏教への信仰の念厚く、各地に
国分寺・国分尼寺を建てるなどされたが、その最終点にそちの申す大仏
が有った。日本の仏教文化の発展に欠かせぬ事柄であるが、朕はあえて
こう断じる。
あの当時の朝廷の経済力では大仏造営は甚だ困難な事業であったのは
言を待たないが、それにより余多の民人が徴用され本来の家業を奪われ
中には命を落とした者もおっただろう。仮に朕が聖武帝の御立場なら
行基和尚が行ったような民間の土木事業或は都の増築にその財貨を使う
方を選ぶだろう。仏教は如何に歴史と信仰があろうと一宗教に過ぎぬ。
それを理由に他者に何かを強いるのは許容できぬと朕は考える。
現実に民を治める天皇ならば余計であろう。
公共事業だったのでは?
>154 (公共事業だったのでは?)
確かにそう言えなくも無いが、公共事業なら国か民間のどちらかに
何らかの利益をもたらすであろう。
朕の知る所では大仏造営で利を得たのは、せいぜい東大寺などの
奈良の寺院勢力に過ぎぬな。肝心な民には徒労と言えなくも無い労苦しか
無いであろう。
まあ、そちらにとっては観光としての見方もあるから、そう言えるかも
知れぬ。果たして聖武天皇の御心はどうであったのか。
156以上、自作自演でした。:03/09/30 20:02
朝鮮人皆殺し計画
陰陽師をどう思いますか?
158以上、自作自演でした。:03/09/30 20:03
朝鮮は日本の植民地に戻れ!!!
百人一首が難しいです…
160以上、自作自演でした。:03/09/30 20:09
朝鮮人は日本人に対して感謝が足りない!
>156 (朝鮮人皆殺し計画)
故無く他人を殺めるのは勿論だが、他国の者なら、
そちの想像を越える結果が待っておるだろう。
そのような考えをもたず、なるべく平穏に事を進める様にせよ。
下手をしたら大きな問題になるかも知れぬのだぞ。

>157 (陰陽師をどう思いますか?)
安部晴明が有名であるが、朕の頃でも土御門家が代々担当していた。
朝廷の諸行事や商家・民からの依頼で払いやつき物の類で家を
保っていたが、そちらの見るような派手な術の応酬は空想なのだ。
題材には良いだろうが、現実と異なるのもまた本当の所である。
>159 (百人一首が難しいです…)
確かにそちの申す通り、百首全ての歌を暗記するのは至難の業じゃ。
だが歌の頭の部分や、好きな歌人の歌を限定して少しずつ覚えていけば
自然と上達する物だ。後は和歌そのものに興味を持つ事か。
どちらにしろ遊戯の類に変わりないので、そう根を詰める必要も無い。
心安く持つが良いぞ。

>160 (朝鮮人は日本人に対して感謝が足りない!)
そちらで言う所の過去のいきさつで障害があるのが現実であろうが
隣国同士が憎みあうのは決して利益にはならぬのじゃ。
とは言え、朕の見る限りあちらが一方的に敵愾心を持っている面が
見受けられるので困難としか申せぬな。真に難しき事である。
源氏物語はどのように楽しむものなのでしょうか?
>163 (源氏物語はどのように楽しむものなのでしょうか?)
色々ある。
例えば当時の貴族社会の風習や文化を学べるし、恋愛歌の参考書としての
一面もあるのだ。
無論恋愛小説としても読めるし、朕自身そうした様々な読み方で長く
楽しんだものだった。ただ余りに長く決して華やかな終幕ではないのが
玉に傷であろうか。おそらく紫式部は恋愛を現実的に見ていたのだろう。
165以上、自作自演でした。:03/09/30 20:36
帝、ここで、和歌を一首、お願いいたします。
帝の知性と教養をお見せくださいませ。
>165 (和歌を一首、お願いいたします)
宜しい。では一首

ここに見ゆ 人様々にあたたかき もの感ずるは 誉(ほまれ)なるべき

朕にこのように質問や話を書いてくれるそちらへの感謝の意味を込めた
歌じゃ。

では、今夜はこれまでにしておくか
公共事業かどうかは不明ですが、当時の日本には朝廷に従わない勢力が割拠し、
朝廷の威を示し国権のあるべきところをあきらかにする為、大寺院を建立し
各地には国分寺を置きました。
ばらばらの民間の伝承神話や地方宗教的な混沌を、神道と仏教に意識統合させ、
中国を習い国家として成り立たす意義があったと考られます。
その中心が大仏開眼だったと捉えるほうが理に適うのではないでしょうか。
民衆には負担だったかもしれませんが、当時の施政者としては妥当かと。

また、仏教の一宗派に対して「一宗にすぎない」と天皇が御言葉賜れるのは
理解できますが、仏教そのものを「一宗教にすぎない」と断言するのは第二
次世界大戦後の日本人の感覚ではありませんか。
応神天皇を主座とする八幡神を八幡大菩薩と同義とするように、神道と仏教
は対立するのではなく、一体のものです。(明治から第二次大戦までを除く)
天皇が仏教を否定しては、自らを否定するに等しいと考えますがいかがでし
ょうか。帝さま、我ら現代人の感覚に合わせる必要はございません。
最後にこれだけ返答しよう。

>167 (神道と仏教)
確かにそちの申す事尤もであるな。朕も三百年の歳月を経ておるので
多少、唯物論的な思考になったようじゃ。
本来神仏両宗の頂点とも言える天皇の言葉としてはちと度が過ぎたな。
大仏に関しても経済的観念を優先して国威発揚という面を見逃していた
ようだ。唐や新羅からの技術導入と言う面も否定できぬし、朕もまだ
浅学と言うしかない。そちの言葉、百金に勝る物よの。礼を申す次第である。
169167:03/09/30 21:09
帝さま、無礼の段、御赦しを。
わたくしは大学にて勉学に励む身でございます。己の専門分野にふれる為
帝さまの懐に甘えた次第。さっそくのご返答傷み入ります。意見を交わせ
て心躍る気持ちでございました。秋になり寒くなってまいります。お風邪
など召しませぬよう。
>169 (大学にて勉学に励む身)
左様であったか。朕もそちとの語らいでまた一つ重要な事を学ばせて貰った。
改めてここに来た事を喜ばしく思う次第である。大体朕を単なる一人物として
見るなら、かような見事にして達筆なる意見を書き込んでくれる訳は無いで
あろうからな。
それに即座とは言えぬがなるべく早く返答するのがここを担当する朕の義務
にて何ら謙譲に及ばぬ。秋の寒さの言葉、温かき限りじゃ。以後宜しく頼む
所存である。
歴史系スレで酷刑が論じられていますが、帝様は肯定・否定のどちらで
ございましょうか?
172以上、自作自演でした。:03/10/01 17:06
陛下はアイスクリームなるものを食したことはありますか?
遅くなってすまぬな。早速返答に移るか。

棚に積む 諸々の書を取り紐解くは 古人の言か 答えまだ見ず

>171 (酷刑)
そのようであるな。司馬仲達公と来俊臣卿が良く論じられている関係で
朕も些か関係があると言えるか。
死刑は古来より存在しそちらの時代にまで到るが、残酷極まる酷刑の類が
存在していたのも事実。それを個人の好き嫌いで避けるは不都合なのであろう。
朕が在世していた頃も切支丹弾圧などで様々な拷問・酷刑が用いられ、
御所でも時折話題に上る事があった。朕は特に残酷趣味も無ければ死刑廃止
論者でも無いので、現実の一つと言う観念を持っておる。
結論だが、朕は肯定派である。実際に用いる事も無かったし当時の天皇に
裁判権も無かったが、歴史の一部に変わりない。

>172 (アイスクリーム)
朕の頃にはその様な食物は日本に存在していなかったので、目にした事も
無いし口に入れた事も無い。
仮に有っても保存法すら考え付かないので、やはり縁が無かったであろう。
崩じて後に伝え聞く事があったが、得体の知れない食物と言う認識しかなく、
今にいたるまで無いのだ。
現世のTVで好きなのはあります?
しばらくこの時刻に来る事になりそうだ。

秋風に みだれて積もる花を見よ 一夜のみかと ただいとおしき

>174 (現世のTVで好きなのはあります?)
朕の子孫である皇室関係は勿論だが、世界各国の風俗・文化を取り扱った
物を好んで見ておる。かつては和蘭陀と清くらいしか存じなかったが
今ではほぼ全ての国の事柄を見る事が出来るでのな。
後、数年前に放送された「映像の世紀」をよく見返す事がある。著名な人物や
事件の映像が楽しめる故、朕の愛好である。
大河劇も朕の範疇だが、「葵徳川三代」に僅かだが朕が出演しておった。
秀忠の娘としての関係上だが、ほとんどセリフが無かったのが些か不満だった。
>秀忠の娘としての関係上だが、
娘婿だな。誤字とは無粋な事をした。
177以上、自作自演でした。:03/10/02 22:38
「映像の世紀」では、どんな歴史上の人物に心惹かれましたか?
ちなみにわたしはマルコムXです。
178以上、自作自演でした。:03/10/03 17:47
昭和天皇様に一言!
179マドカ ◆coOOOOOQQA :03/10/03 18:16
五陰盛苦っていうけど、今、生きてることを思い出したら、
やっぱり苦しかったの?
おこし、お供え物にいる?
そもそも日本人とは何ぞ?
日本の黄金期っていつですか?
まさかここに秀忠がいたとはな。何かの因果か。

人尋ね 山を駆け入り木々をさき 何かと見ては ただ恐れ入る

>177 (「映像の世紀」では、どんな歴史上の人物に心惹かれましたか?)
天皇に相応しからぬかも知れぬが、ヒトラーに興味を持った。
あの独特の手振りと声高々に演説する姿に何かを感じざるを得なかったが、
今世紀の世界の歴史を塗り替えた存在故か、家康に似た感触だった。

>178 (昭和天皇様に一言!)
多すぎて一言では納めきれぬ。
敗戦と言う未曾有の国難を乗り越え、日本国及び天皇家を全うした功績は
評価されてしかるべきであろう。尤も米国の思惑に乗ったと言えなくも
無いが、それはそれで仕方が無い事か。
朕を越えた長寿を保ちえたのも、徳を積んだ故かもな。
他にもあるが、それは別の機会に分けて述べるとする。

>179 (今、生きてることを思い出したら、やっぱり苦しかったの?)
生きる事を苦痛と見るは、意見が分かれるかも知れぬが、やはり
生きてこそ成し得る事がある。それから逃れて自らの終幕を演じるは
そしりを受けても仕方が無いであろう。朕はそう考える。
供え物、有難く受け取っておこう。

>180 (そもそも日本人とは何ぞ?)
排他的じゃな。日本語を話し日本国籍を有する者全てと申せば
良いかもしれぬが、それを嫌い、他の民族を拒むのも多かろう。
法の定める範囲が基準だろうが、感情では説明つかぬ部分もある。
理想と現実が異なると言う事か。
>181 (日本の黄金期っていつですか?)
評価が分かれる所であろう。
後醍醐天皇なら醍醐・村上の天皇親政時代だと答えられるだろうし、
藤原道長なら、我が世と申すだろう。
そちらが生きて、こうして活動しておる現代でもあるし、
朕には断定できぬ。
みかど様、辛い事や嫌な事があった時はどうなさいますか?
夕方も早くなった物だ。

しばし開き 雑事諸々日がな過ぎ やや首あげて 天暗き事

>184 (辛い事や嫌な事があった時はどうなさいますか?)
朕が若き頃は、それが当然のように続き、酒や女子に溺れて紛らわした
物だがある程度、己の抑制がつく様になると書や和歌、或は何らかの
芸能に時を費やしていた。
嫌な感情を他の者には滅多に打ち明けられなかったのだが、どの者が
幕府に飼われているやも知れぬし、天皇たる者が軽々しく弱みを見せる訳
には行かなかったのでな。
久しぶりにsageで挨拶に来た訳だが(´A`)y-・~~
呉が日本に攻め込んだら勝てるかどうか教えて欲しい訳だが(´A`)y-・~~
187以上、自作自演でした。:03/10/05 09:15
現代の有職故実の認識について、何かお願いします。
山の色もすっかり変わったようじゃな。

ここにたつ 山々の峰ただ見るは 足運び行く 諸人なりと

>186 (植松美雨(´A`)y-・~~ )
これは丁寧な礼節を受け、朕も喜ばしい限りである。恙無きかな。
朕は兵馬の事は詳しくないが、出来るだけ答えるとしよう。
三国呉の時代の戦船では揚子江などの大河は航行できても、日本までの
長い航海は難しいであろう。まして上陸させる兵力を乗せてはなおさら
である。三国より四百年後の遣唐使でも、大半が風雨に見舞われ難破或は
沈没したと聞く。勝利する以前にいくさになるかどうかの問題になるとしか
申せぬな。

>187 (現代の有職故実の認識)
朕の頃には、旧儀・故事に基いた宮廷儀式の基本であったが、
そちらの時代では、最早無益な存在となっているようじゃな。
せいぜい宮内庁か宮廷の習慣を研究する学者の範疇と申すしか無い。
強いて申せば皇室典範に名残があるくらいか。
そもそも、朕の在世時では民間から皇后もしくは皇太子妃を求め決めるなど
全く考慮の外だったのでな。
信長や秀吉についてはどう思われましたか。
すっかり夜もふけたか。

夜もふけて 虫鳴く中をあてどなく 足進みしは 何求めるか

>189 (信長や秀吉についてはどう思われましたか。)
両者に共通しているのは我が朝廷を上手く利用した事か。
信長は本願寺などの敵対勢力との和睦に天皇の勅令を求めていたし、
晩年には天正の年号を改めるように強圧的に接しておった。
秀吉は聚楽第行幸や豊臣姓下賜などと、自らの権威を拡大させるのに
使っていたが、表向きは尊重していたと言えるか。
どちらにしろ、これら武士の頂点に立つ者との関係が時の朝廷の重要課題で
あったな。仮に怒らせて御所を兵で囲まれれば承諾せざるを得ぬ。
よっしゃ〜
192以上、自作自演でした。:03/10/06 22:19
みかど様はどんな種類の酒が好きですか?
193以上、自作自演でした。:03/10/06 22:20
我々、韓半島民族同胞は全面的に豚の蹄どもに戦宣布告する事を決意した。
共和国同胞は豚の北陸から、南朝鮮同胞は南陸から行軍する。
我等が将軍様、又 太陽民族は太陽のように慈悲深い民族である事は周知の事である。
我々は人口の多い東京を最後に攻撃する。
本当に我々は慈悲深い事である。豚の蹄は我に安楽死させて頂き有り難いと思う。
国連も賛成し、将軍様を賛美するだろう。
その時分、沖縄を攻入り米帝軍と戦闘になるが我々の正当性は変わらず
米帝国以外の全ての国が同胞になり米帝を攻撃してくれるだろう。
豚の蹄が安楽死できるように進軍予定を晒す。
豚の蹄はこれにより死にたい時に死ぬ事ができる。
なんと慈悲深き太陽民族。
独島占拠→北海道占拠→沖縄占拠→世界の全国が米帝を攻撃→内陸占拠→東京に白頭山一号核搭載弾を発射。
将軍万歳。
194以上、自作自演でした。:03/10/06 22:22
豚の蹄…。ああ、クレヨンしんちゃんの映画だね?
久方の 天より降りし碧色の 風に漂う 蒼天の中

>191
何を言いたくてここに参った?
誤りなら見逃すが、そうでなくば去るが良い。

>192 (どんな種類の酒が好きですか?)
かつては白酒などを飲んでいたが、ここ最近は果実酒を特に好んでおる。
豊富な果物を使った程好い甘味が口に染み渡るのが良いのでな。
酔いも深くならないので味を愉しむのに最適だろう。

>193
空想で物を申すのは勝手だが、少しは現実を見極めよ。
ただありもしない事柄や語句を並べて悦に入るのは、
人に褒められるべき事では無い。或はただ単に丸写しなら
己を低く見られても仕方が無い。

>194 (クレヨンしんちゃんの映画だね?)
そう言えばそうであるな。
あれも意外と長く続いておるようだが、個性的な話が受けるのであろう。
とかく評判の良くない部分もあるが、毒にも薬にもならぬ作品では
今の者には厳しいのであろう。
女性を口説き落とせる殺し文句を教えて下さい。
天のはら なお駆け巡りゆく乙女 ただ問い続けるは 人の定めか 

>196 (女性を口説き落とせる殺し文句を教えて下さい。)
うむ。では朕が昔使っていた言葉を教えよう。
「そなたが欲しい」
「朕を支えてはくれまいか?そなたの美しさとその慈悲深さで」
「朕を信じよ。決して悪いようにはさせぬ」

自分を強く見せたり、時には女性の母性本能をくすぐるように臨機応変に
対応して、なるべく簡潔にまとめるのが良い。詩の様に美麗壮句を並べる
だけでは逆効果になる事が多い。
198以上、自作自演でした。:03/10/09 19:33
あの…みかど様の殺し文句って、よくストーカーが言うセリフばかりなんですが。
>198 (よくストーカーが言うセリフばかりなんですが)
左様であったか。朕の頃ではこれで大抵の女官・女御がなびいた物だが
時代が異なれば、そうした輩の好む物となるのだな。
今考え直してみると、一方的な押し付けの部分が少なくない。
やはり天皇と言う地位故か、強圧だったのだろう。
>200 (ここをどう思いますか?)
見てみたが、何やら人種的偏見に満ちた内容が多い様だが、
どちらか言うと事例や逸話の類と見える。
取り立てて朕から申す事は無いが、そこを利用する者がある程度
節度を持って続ける事を願うのみである。
ずばり、バーハラ城騒動について!
女から見ると帝様のくどき文句は、失礼ではありますが、ちょっと引きます。。。
いや、いわれたらうれしいかもしれないのですけれども、ちょっと、ちょっと……
>202 (ずばり、バーハラ城騒動について!)
来たか。本音を申すと朕もあの女子に惚れておる。
これは何ら偽らざる気持ちだ。>195と>197は彼の者を詠んだ歌なので
薄々気付いた者も多かろう。とは言えあのように嬲るのは抵抗が
強すぎるので、一日一度見るか励ましの歌を贈るだけだった。
何とか逃れて欲しいが、そうなっては大乱となるやも知れぬし、
実に難しい事よ。

>203 (くどき文句はちょっと引きます)
やはり如何に取り繕っても、所詮言葉は言葉か。
朕も過去に流されて、今を過ごすのも難しくなってきたと言うべきか。
率直な意見感謝するが、女子が望む物に応えるのは大抵の男が悩み
苦慮するのだろう。
ライバルだと思うスレはどこですか?
ロシア最高あたり?
>205 (ライバルだと思うスレはどこですか?)
歴史系は全て見ておるが、やはり秀忠のおる徳川慶喜スレであろうな。
朕にとっては義理の父であると同時に敵でもあったからなおさらなのだ。
さすがに顔を合わせるのも気拙いし、とは言え関係改善する理由も無い
以上、ある種難しい間柄と言えよう。
他の日本人も来て〜。

と、言ってみる。
>207 (他の日本人も来て〜。)
確かに今現在は朕一人だが、別に制限も設けていないので
誰でも良いから来て欲しい。有名無名問わぬので我こそはと言う
者は何の気兼ねなくここに留まって欲しい。
ちゅーさんが一族よ来い、と呼びかけたように
あるていどのシバリがあったほうがいいやもしれませんぞ
>209 (あるていどのシバリがあったほうがいいやもしれませんぞ)
とは申しても、歴代天皇だけでも百二十四人もおられるし、朝廷関係者
も入れたら気が遠くなりそうじゃ。
それに幕府の禁中並公家諸法度に悩まされた朕としては、余り細々とした
規則を定めるのは抵抗があるのだ。しばらくは今の状態を維持して来る者
拒まずの姿勢で行こうと思う。
211以上、自作自演でした。:03/10/12 18:39
孝明天皇は暗殺されたのでしょうか?
どうもここ二日間どこも静かだ。

戸を開けて 覗き見る人肩たたき 我が身とぞ思ふ かえり見なくば

>211 (孝明天皇は暗殺されたのでしょうか?)
表向きは天然痘であるが、時期的に余りにも合致しておるので当時より
暗殺の風説が流れていたのは確かである。
公武合体論者であり幕府を擁護していた孝明天皇をある意味邪魔と
見ていたのは薩摩長州、或は岩倉具視ら反幕府派だが、彼らに天皇暗殺と
言う結論が出せたかと言うと疑問が残る。公家に取っては天皇は神聖な
存在だから、思い浮かべるだけで不敬と取れるが、武家となるとどうかは
朕には今一つ分りかねる。
朕なりの結論としては自然死と見たい。
つーかさ、三種の神器って壇ノ浦に沈んだよね。
引き上げたっての嘘だろ。正直。
玉をおもいきり蹴られた時の痛みを言葉で表してください
返しつつ 己のとがを省みて やや沈みゆく 浮く水の泡

>213 (三種の神器)
剣以外は引き上げられたが、真偽はおそらく当時から論じられただろう。
皇祖の御加護と申せばそれまでだが、やはり天皇家の象徴である
三種の神器が揃ったのは幸いと言うべきである。

>214 (蹴られた時の痛みを)
その様な経験が無いので表現できぬ。
大体、そうされるのは双方に何らかの過失か責任がある筈なので
一概には言えぬ。やはりそうならぬ様に心掛けるのが一番か。
天皇に限らず、大の大人がその様な童にも劣る事をするのは
世人の嘲笑を買うだけじゃ。
216以上、自作自演でした。:03/10/13 17:23
最近はマナーの守れぬたわけが多くなっていますが日本そのものの文化が歪みつつあるのでしょうか?
字が下手なんですがどうしたら上手く書けますか?
西洋料理を召し上がった経験はございますか?
219以上、自作自演でした。:03/10/14 17:35
アマテラスが男神で蛇神であったのに、女神にされたのは何故ですか? 天皇家の陰謀でしょうか?
我が宿は 山々の峰望むなか 店を訪ねて よを歩きゆく

>216 (最近はマナーの守れぬ)
確かにそのような者の話を良く聞くが、全てがそうである事では無い。
僅かの例でのみ評価を断じるは些か問題が無いか。
文化は何も過去の物が優れている訳でも無い。時に従い変化するのが
本当の文化であろう。

>217 (字がどうしたら上手く書けますか?)
最近は携帯電話やメールなどで手紙を書く機会も少なくなり
そうなる者が多くなっていくのはやむを得まい。
やはり常道だが普段から字を書く習慣を身に付け、回数をこなしていくのが
一番だろう。特に習字書道にこだわる必要も無い。

>218 (西洋料理を食べた経験)
在世していた頃「天ぷら」を何度か食べた事がある。
油で揚げた魚や菜が中心だったが、最初は口に油が残り少し不快だったが
何回か食べる内に美味に感じた物だった。
あの家康が天ぷらを食し過ぎて死んだ逸話があるが、それに対抗して
いたのかも知れぬ。

>219 (天照大神について)
古事記では歴とした女神であり皇祖神であられるが、由来伝来で
諸説あるのは確かなようだ。
古代の女権からか、或は天皇家による作為かは不明だが、少なくとも
女神として広く知られている以上、それを定説とするのが妥当かも知れぬ。
みかど様、お久しぶりでございます。

さて質問なのですが…みかど様がお辛い時に思い出すのは誰ですか?
また、辛い時にこころ慰められる歌もお聞きしとうございます。
久方の 人まみえての誉れあり 己の咎と やみ思えるか

>221 (辛い時に思い出すのは誰ですか?)
うむ。ここ最近朕も秀忠の所もとんとご無沙汰じゃ。
やはり和子ら一族の顔が思い浮かぶの。今は転生なりして
どこぞで達者に暮らしておるのかと、ふと考える事がある。
慰みの歌じゃが、光孝天皇の御歌にこういうのがある。

君がため 春の野にいでて若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ

おそらく百人一首で有名であろうが、天皇の尊位にある方が自ら
愛する者のために若菜を積み、新春の雪をも喜ばしいと感じられる
ように何事も前向きにいきたいという様に朕もなりたいと自分への
励ましとしていたのだ。
223以上、自作自演でした。:03/10/18 15:40
今思い返しても、安達祐実があの役をやっても乙葉がやっても同じ印象しか受けなかった。その辺をどう思いますか?
時を得て 契りし人と離れては 尚ぞうらまぬ 世嘆くなかれ

>223 (安達祐実)
すまぬが、単に安達祐実を申しても、
家なき子か他のかも解らぬので、評価も返答も仕様が無い。
出来れば何の作品化を述べてもらえれば、ある程度の答えが出せるのだが。
あえて申せば、その担当者が抜擢したか、裏で何事かが働いたかで
役柄が決まったのではないか?
225以上、自作自演でした。:03/10/19 19:01
映画TRICKをどう見ますか?
この世見よ ただ人のみと思うのは 草も虫をも 命ありけり

>225 (映画TRICKをどう見ますか?)
未見なので詳しくは存ぜぬが、テレビからの作品なので
初めての者のは些か敷居が高いのでは無いか。
それに、ただ単にテレビの延長では見る者も納得いかぬだろうし。
一口に映画化と申しても難しい物よ。
他の作品でも言えるが制作するよりも期待に応える方が困難だと
朕は考えるが。
227以上、自作自演でした。:03/10/22 23:25
息子の後光明天皇についてコメントを
鳥のみが 天飛び回り雲かすむ 追いて眺める 秋の薄らぎ

>227 (後光明天皇についてコメントを)
脇腹ながら、和子の養子格となり十一歳で天皇位を継いだ
紹仁(つぐひと)だが、天皇には珍しく武芸を好み、
身分の異なる者とも気軽に酒を飲むなど、我が子ながら優れた男に
見えたが、ちと軽挙な部分が目に付いていた。
特に幕府への不満を遠慮無く口に出したりして、朕も度々咎めたりしたが
若さ故か、余り気にも止めていなかったようだ。
僅か二十二歳で天然痘を患って亡くなったが、
直前に幕府から医師が派遣された事から、芳しからぬ風評が立った。
今となっては事実を確かめる術も無いが、一番目をかけていた息子に
早世されるのは、真に辛き物があった。

229以上、自作自演でした。:03/10/24 20:41
思い切り下品な一言をどうぞおっしゃってください。
      冫─'  ~  ̄´^-、
     /          丶 
    /             ノ、
   /  /ヽ丿彡彡彡彡彡ヽヽ
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231以上、自作自演でした。:03/10/24 21:57
障害者を見ると安心します。でも、こういう自分が嫌いです。
このジレンマをどう扱えばいいのかわかりません。
どうすればいいのでしょうか?
尚ぞ待つ 君の名残を恋しくは 空しく無かれ 想い届かず

>229 (下品な一言)
朕は厠にて時を過ごした。

…これで良いか?

>230 (宣伝)
久しぶりに見るの。ここもある程度の知名度を得たという事と
好意的に見れなくも無いが、果たしてそうであるのか一抹の疑問も残る。

>231 (障害者)
障害を持つ者を見て、自分の健常さを改めて認識し、
そうならずに済んだ事を父母に感謝すると言う意味では良いが、
それらの者を蔑むとなると感心は出来ぬな。
障害者とて好んでそうなった訳でも無いが、逆で言うと無意味な
施しを受けるのも嫌うであろう。人としての誇りじゃ。
扱いについては、認識できる事を幸いとし、
距離を置くか奉仕活動に従事するなりするのが良いと考えるが。
233以上、自作自演でした。:03/10/28 12:12
後鳥羽上皇についてどう思います?
234以上、自作自演でした。:03/10/28 12:43
【許される年齢】
ガノタ・・・・・・・17歳まで
アイドルヲタ・・・・20歳まで
アニヲタ・・・・・・15歳まで
ロボヲタ・・・・・・18歳まで
ゲームヲタ・・・・・20歳まで
三国ヲタ・・・・・・25歳まで
戦国ヲタ・・・・・・死ぬまでどぞ〜
項劉ヲタ・・・・・・25歳まで
嫌韓厨・・・・・・・30歳まで
嫌北厨・・・・・・・35歳まで
反日・・・・・・・・30歳まで
嫌中厨・・・・・・・35歳まで
車ヲタ・・・・・・・死ぬまでどぞ〜
バイクヲタ・・・・・死ぬまでどぞ〜
鉄道ヲタ・・・・・・28歳まで
軍事ヲタ・・・・・・38歳まで


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野原より 木々の息吹や絶えま無く 風の恵みを 受けよ秋の葉

>233 (後鳥羽上皇についてどう思います?)
承久の乱の首謀者として有名な後鳥羽院だが何も無能ではない。
若き頃より学問武芸に優れ、新古今和歌集の編纂を命じらた様に
天皇・上皇としての自覚を十分に持っておられた。
荘園や地頭の権利をめぐり早くから鎌倉幕府と対立されていたが
その結果が前述の承久の乱であった。
最早武士と朝廷の力関係が歴然としていた中での抵抗であったため
勝敗は知っての通りだ。
隠岐に配流されたが、これ以後、武家に反抗した天皇は同様の処置を
されるのが先例となり、朕も何度か流罪の宣告寸前になった事があるので
他人事とは思えぬのだ。

>234 (許される年齢)
その様な基準があるとはな。
だが、物を好むのに年齢はさして関係が無いと朕は考えるが。
それに、そこまで断定できる根拠を求めたい。
単なる偏見で申しているのなら、控えるべきであろう。
236以上、自作自演でした。:03/10/29 07:29
テレビ局の不祥事は、仕方のないことですか?
巡り会え 紅顔の影忘れまじ 時を経てなお 双眸の中

>236 (テレビ局の不祥事は、仕方のないことですか?)
視聴率操作の事か?
大衆に受けてこそ何ぼのテレビ業界では熾烈な競争があるそうだが
やはり感心せぬ自体である事は変わりない。
こうして表沙汰になれば、責任者は勿論、関係者果ては上層部にまで
類が及ぶのだ。おそらくその本人も二度と業界で生きていけまい。
多少気の毒だが、責は負わねばならぬ。
久しぶりな訳だが…(‘ .‘)y-・~~
呉が滅びた訳だが…(‘ .‘)y-・~~
国を失った女王のために、一句詠んで欲しい訳だが…(‘ .‘)y-・~~
男色についてはどう思いますか
>238 (呉王)
うむ、国家の栄枯盛衰は世の常ながら、やはり痛ましい事に代わり無い。
だが、ここは再起が可能なので、また建てるなりされるが宜しい。

いにしえも 思えば時に嘆き逝く 人ある限り 新たなる芽も

これを贈ろう。また呉に花の芽が根付く様祈って。

>239 (男色についてはどう思いますか)
朕の時代では、武家は無論、公家に到るまで衆道は公然と行われていた。
別段、悪趣味ではなく当然の風潮であったが、朕は特に嗜まなかったわ。
衆道を通じて主君の目にかない出世した者も多く、互いに望んでいたので
いわば部外者の朕が非難する必要も権利も無い。
ただ、寺院に行幸した折、高僧が人目を憚らず童と戯れていた所を見た時は
少し、眉をひそめたのだが。
241以上、自作自演でした。:03/11/01 18:34
マンコに長芋を突っ込んだまま死んでしまった称徳天皇を
どのように思いますか?
>241 (称徳天皇)
道鏡との逸話で有名な称徳天皇だが、やはり臣下に天皇位を
譲ろうとされたのは非難される事だろう。
中華の如き易姓革命の伝統は我が日本では存在せず、
それを天皇自らが出されては国家そのものに関わる。
和気清麻呂の報告した神託の真偽はともかく、あれのおかげで
天皇家は安泰となったのだからな。
色事の類については俗説の部分も多いだろうから、詳しくは述べぬ。
ただ、女帝として貞節を要求された事には同情しておる。
現人神とされた天皇とて人間。色欲もあって然るべきだが
果たして、道鏡との関係は真か否か。
243以上、自作自演でした。:03/11/01 19:04
しかし何でテレビ朝日は明後日放送のIQチェック番組を
必死で宣伝してんでしょうね。IQは人間の能力を測る上で
何の役にも立たない、なんて素朴な意見はもってないですけど
なんかあんだけとりたててIQ、IQっていうのもバカらしくないですか?

まぁIQは別として陛下は初めてあった人間の知性や人間性は
どのような点で判断しますか?
天皇騎馬民族起源説についてお考えを
朝にかく 自らの意をやや見ては ただ思うこと 記すのみかと

>243 (初めてあった人間の知性や人間性)
まず、拝謁の儀の際に、朕を仰ぎ見れるかどうかであった。
ただ恐縮の余り畏まるに終始する者は小心者か、
さして優れているとは思えぬのでな。
後は二、三の下問でどれだけの返答を返せるかが主な基準だった。
当意即妙の物を返し、朕を感心させたのも居れば、
言葉すら発せられる者と様々であったが、それを愉しんでいた朕も
案外人が悪かったか。

>244 (天皇騎馬民族起源説)
天皇家の発祥についての学説の一つだが、元来騎馬民族は
陸戦には強かろうが、事海を越えてとなるとその力が大きく削がれる事は
否定できぬ。しかも当時の航海技術で民族と言う巨大な単位の人間が
莫大な馬匹と共に日本列島にたどり着けるのかと言う疑問が
払拭されておらぬ。古墳などを根拠に挙げておるが大陸との交流の結果と
片付けられるし、信憑性に関しては難しい物がある。
ただ、天皇家渡来人説の延長として見れば悪い物では無い。
昨日、私が住んでいる某市に小泉総理が応援演説に来ました!
駅前が人でいっぱいでした!
小泉さんは好きですか?私はファンになりました。
政策や主張で選んでください。     by社○党
248以上、自作自演でした。:03/11/04 22:42
必死に糞スレも保守するDQNは愚かです。
根本的な質問ですが“天皇”の名称の由来をおしえてください。
なんとなくは知ってますが。
時のまを 如何に過ごすは好む事 行い始め また逃すかは

>246 (小泉さんは好きですか?)
左様か。朕も小泉首相は嫌いではない。
現政権に不可欠な存在であるし、何より代わりがいないと言うのもある。
だが、自らが余り動かず担当の者に任せきりにして半ば放置状態と言う面が
目立つ政策遂行のやり方が些か目に付くが、孔子の言う北辰の如しの例えに
習っているのかも知れぬし、もう数年様子を見るか。

>247 (政策や主張で選んでください)
選挙での常套文句だが、朕の愚見では野党、特にそちらは
ただ反対のみに終始し、具体的代案を出さぬ所が見受けられる。
闇雲に他者を非難するのみでは選挙民はついてこぬのではないのか?
>248 (保守)
第三者の目から見ればそう思えなくもないが、
その場に執着する者にとっては、何時か誰かが現れて自分らの欲求に
応えてくれるのではないかと言う淡い期待があるのだろう。
何物かがそれに応えてくれれば良いが、中々思うように行かず
難儀しておるようだな。

>248 (“天皇”の名称の由来)
天からこの地上を統治するために遣わされた皇帝と言う意味が
広まっておるが、いわゆる西欧の王権神授説の先を行く物である。
「すめらみこと」を漢訳したのが最初とする説から、
中国騎馬民族が使っていた「天王」を変えたとする物まで様々だ。
「皇」は中国の伝説の帝王の三皇五帝から取った文字なので
中国の影響があるのは間違い無いだろう。
大量得点で日本が勝ちました
           ・・・野球は好きですか?
正義とはなんであろうか
書を積みて 尚買い集め人入り 褒めと受け取る 君の笑みかは

>252 (野球は好きですか)
見る分には好むと申してよい。実際には投球すら出来ぬがな。
多くの観客を魅了する体技故、話題に上る事もあるので
観戦する事にしているが、出来れば巨人以外の球団の試合も
見てみたいと思っている。

>253 (正義とはなんであろうか)
正しき行いをして義を全うする事。こう申せば良いかも知れぬが
解釈論評によって多くの見方があろう。
自分は善かれと思い為した行動がかえって相手に身心面で
害を与えたと言う例もあるので一概には言えぬな。
ただ、よく耳にする言葉なのは確かだが。
255キャプテンアメリカ:03/11/07 18:39
一応言わせてもらうと私は原爆投下には当時反対したからな!
256以上、自作自演でした。:03/11/07 21:08
憎しめ・・。
ぞうおしろ。
257キャプテンアメリカ:03/11/08 01:15
>>253  分からないな・・・それに一概に答えを出してもいいものやら・・・
     何故なら我々人類は正義の名の下に数々の残虐行為を理路整然と
     行ってきたからだ・・・同様に悪の定義も難しい、勝者が敗者を
     称するときによく悪と言う言葉を用いる・・・全ては勝者の
     都合によって決まるのだ・・・ただこれだけはいえる、人々から
     平和を奪い自由を奪い愛する人の命を奪おうとする輩とは全力で
     闘わねばならない!!

>>256  イラクでのブッシュの行いについては全アメリカ人を代表してこの私から
     謝罪させてもらおう・・・いや、もはや謝罪すらなまぬるい、償いの
     方法すら我々アメリカ人には分からない・・・ただこれだけは言わせて欲しい
     ブッシュを全てのアメリカ人が支持しているわけではないのだと!今回の戦争は
     明らかにアメリカの理想に反するものだと!!
国の旗 掲げ自ら事を成す 己の道さえ 今は昔か

>255>257 (キャプテンアメリカ)
米国の漫画で出ていた者と記憶しているが、
突然現れて己の主張を述べるのは、少し礼を失するのではないか?
祖国を想う心情は理解できるが、まずは落ち着かれよ。
原爆投下に関しては、当時の世論以前に一部の者しかマンハッタン計画を
知らなかったと言う。かのトルーマンもルーズベルトの死後に初めて
聞いたそうだから、在野の者であるそちが知らなくても無理はない。

>256 (憎しめ・・。ぞうおしろ。)
人の呪わば穴二つと申す。何があったかは存ぜぬが
憎み合うだけでは何も解決せぬぞ。
まずは己に非が有ったかどうか考え直し和解の道を探るが良い。
目標にしてる人はいますか?
失礼ながら、この帝はまずい!という人物をあげてください
261小泉ジュソ一郎:03/11/10 16:12
ブッシュたんハァハァ!!アメリカのためなら死ねる!
262小泉ジュソ一郎:03/11/10 16:38
_____________________
|      .彡ミミミミY彡ミ)))ミ
|    .(彡彡ミミミミ.Y彡彡)))彡)
|    .彡彡彡゙゙゙゙゙゙゙゙Y""""ミミ.彡彡)
|   ))ミ彡゙          ミミ彡(
|  ((ミミミ彡  _     . _  ミミミ彡     よ
|  ((ミミ彡 '´ ̄ヽ  ./  ̄  ミミミ))     わ
|  .(ミ彡| ' ゚̄ ̄'  〈 ゚̄ ̄`.|ミミミ彡    い
|  .ミミ彡|  ´´´. | | ```  |彡ミ)    「日
|  . ((ミ彡|    ´-し`)\  |ミミミ     本」
|    .))|      、,!   l  .|((       を
|      \  '´ ̄ ̄ ̄`.ノ/     イ乍
|       |\i  ´  /|      ノレ
|     /|\ `──´ /|\    !!
|    / | .|  \ __ _|/  .| | \    ______
|  ./|   .>|. \/ ▽.\/|<   |ヽ |日本儒教党
|日本の経済赤字が悪化しない為に、先に
|国債赤字の発行限度額に達した、米国を支持します。
|(自民は米軍の飼い犬なので、消費税は上げますが、多分無駄だからです。)
|そして、世界一安全な国にするために、自衛隊を軍隊に昇格、世界を敵にした米国との日米安保を強化し、基地を沖縄に一極集中させます!


>259 (目標にしてる人はいますか?)
歴代天皇では村上天皇の清廉格勤さと後醍醐天皇の豊富な活力。
後白河天皇の権謀術策などを己の物としたいが所詮無いものねだり。
身近で店でレジを早く打つ店員でも模範となりえる。
人間とは自分に無い者を求めるので誰しもが目標になるのだ。

>260 (この帝はまずい!という人物をあげてください)
武裂天皇の如き悪逆非道を繰り返す帝は最早帝以前に
人として呼べるか疑問だが、日本書紀の記述を鵜呑みにするのも
考え物なので、陽成天皇の様に粗暴荒行で退位させられるのは
避けたい物だ。民は勿論文武百官の範となる帝王にはそれに相応しい
人格と行動が要求されるが、それにかなった天皇が果たして何人おられた事か。

>261 (小泉純一郎首相)
まず、この度は総選挙勝利祝着の事である。
だが、これからが正念場にて、決してその様な軽々しい言葉を
口にせぬ事を願う。公になれば度が過ぎた対米追従の一例として
国会のみならず報道でも取り上げられせっかくの勝利の美酒も
腐って飲めなくなるだろう。
>263の260
それでも中国史上の暴君どもにくらべると
日本ははたして暴君といえる天皇は
いなかったとかなんとかいえちゃったりしますか?
鳥の音を 聞きて待つ夜の帳り降り 独り寝するは 代わらぬものか

>264 (中国史上の暴君と比較)
確かにそちの申す通り、中国の暴君と呼ばれる皇帝国王と
天皇家とでは、差が大きく開いている。
武烈天皇の事績も信憑性に賛否両論あり、
陽成天皇も個人的な物に留まっている。
数万数十万をいくさや私利私欲のために害させたのとは
異なると見て差支えないか。
日本はイイ国ですか?世界的に見て。

今の日本はイイ時代ですか?歴史的に見て。どうでっしゃろか。
>266 (日本はイイ国ですか?世界的に見て)
様々な意見非難が叫ばれている今の日本だが衣食住に事欠かぬ国とは
そう多くは無いのだ。アフリカなどの発展途上国ではそちらの想像を
はるかに下回る苦しい生活を強いられている者も少なくない。
政治その他はともかく、民が日々を不自由無く過ごせればその国は
良い国なのだ。これは朕の生きた江戸初期にも当て嵌まるか。
明日の食を心配せねばならないのが大半だったあの時代と今現在では
比較にならぬ程恵まれている。
ににににに日本の未来はあかるいんですかあああ!?
葉も枯るる 深秋の夜の一時は 涙すらなく ただ暇乞う

>268 (日本の未来はあかるいんですか)
何故その様に興奮して訊ねておるのかは分らぬが明るいとは申せぬ。
外交一つ取ってみても舵取りを間違えれば大国と関係断絶か緊張関係となり
貿易面で何らかの制限か停止を通告されれば、その時点で日本は混乱する。
食糧でも大部分を輸入に頼っている今の日本を衰退させるには武器もいらぬ。
ただ前述の経済制裁を通達すれば現政権は崩壊し国内各地で暴動が起きる。
いわば砂上の楼閣の上の繁栄に酔いしれて来たのだ。最近の日本は。
結局、政府と国民が車の両輪の如く日本を支え合わねば今の状態は愚か
日本国の存在が問われるかも知れぬ。
ずばり!歴史好き質問名無しの分散問題について御見解を。
秀忠よ。合流の件朕も考えていた。今後はどちらかに両名が常駐し
質問を統一して回答していくのが望ましいと思う。
朕としては日本人なら全てが常駐可能なこちらを希望するが。
残りも七百以上あるので悪くは有るまい。

>270 (ずばり!歴史好き質問名無しの分散問題について御見解を)
確かに今現在の懸案である。朕も秀忠と合流していわば幕末の公武合体を
この板で実現しようと考えている。その時は朕と秀忠をよしなに願う。

>271 (どですか?)
攻様度 3やおい
俺様受度 3やおい
善人攻度 10やおい
健気受度 8やおい
鬼畜度 2やおい
いぢめて度 4やおい
ストーカー度 5やおい
電波度 1やおい
ノーマル度 11やおい
非やおい度 10やおい

善人攻型と出た。
今の政治はどう思われますか?
274徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/18 12:24
本日よりここに常駐する徳川秀忠である。

>273 (今の政治はどう思われますか?)
先の衆議院選挙の結果で二大政党制がほぼ確立した様だが
当分自民党の政権が続く事が予想される。地域への利益誘導型の自民党と
政策を掲げての与党への非難が中心となる民主党の選挙戦が今後も続くだろうが
それをどう判断するかはそなたら国民次第だ。
むしろ政党とは呼べぬ屑篭内の存在の社民党や共産党が廃棄同様となり
ダイエットに成功したとも言える。
余は幾分好ましい状況だと考えるが、旧来の支持者には不満に違いなかろう。
将軍様の御上洛、歓喜感涙の極みですぞ!

幕府にとって天皇とはなんだったのですか?
天皇にとって幕府とはなんだったのですか?
朕の義父である秀忠を迎え、ここも更に賑わう事だろう。

>273 (今の政治はどう思われますか?)
秀忠も申している様に、変革の時期に来ていると言えよう。
民主主義である今の日本ではそちら国民が選挙や他の手段を通じて
日本を動かす事になるので、先行きはそちら次第だ。
願わくば、政治経済外交全ての面で支障が無いのが望ましい。

>275 (天皇にとって幕府とはなんだったのですか?)
本来、幕府とは天皇から武家の統治のみを限定して認めた物だが
時代の流れか、日本国全体を治める物に進化した。
現代で言うと大会社から独立した一支店が何時しか本社を
凌駕したと言えよう。
韓非子の中に爪と牙を失った虎は狩られる運命にあると記されているが
正にそれが当て嵌まる。
兵馬の権を失った君主は往々にしてこうなると言う歴史上の一例として
残ったが、易姓革命の伝統が無い日本ではそれが幸いとなり余命を保てた。
>易姓革命の伝統が無い日本
なぜ無いのでしょうか?
現存する最古の王家として天皇家はギネスに載っているとか。(記憶あやふや)
なぜ武家は王にならなかったのですか。
髑髏を杯にしたりしますか?
(///)「馬鹿っ!」って言ってビンタしてください。
280徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/19 18:02
>275 (幕府にとって天皇とはなんだったのですか?)
武力を持たぬ傀儡という見方が大半だったが
父上は精神的な脅威と見られていた様だ。
それ故余に和子を後水尾天皇に嫁がせ外戚となり
幾らかでも組したに敷こうとされたのだろう。
徳川幕府に反抗するやも知れぬ輩に担がれる事を怖れられたのかも知れぬ。
結局、幕末で薩長にそうされたが。

>277 (なぜ武家は王にならなかったのですか)
室町幕府の足利義満公に皇位簒奪の意志があったとされているが
古今、日本で天皇に取って代わろうとした将軍及び幕府は居らぬ。
必要が無かったのか、或は損得勘定からかは存ぜぬが
易姓革命の思想は日本人の一般的思考には合わないのであろう。
名だたる儒学者もこの事に触れるのを嫌っていたからな。

>278 (髑髏を杯にしたりしますか?)
織田信長公が浅井・朝倉の頭骨を薄濃と称されて杯とした故事が有名だが
日本では記録にあるのはこの一件だけだ。
中国や西域では捕えた王や首長をこう処分して復讐を為したそうだが
信長公の世界的視野と呼べる合理的思考の表れとも言える。

>279 ((///)「馬鹿っ!」って言ってビンタしてください)
無礼を働いたのなら手打ちもあり得るが、それも無いのなら
何らそうする必要も無い。落ち着いて話すが良い。
自暴自棄になったと言うのなら分らぬでもないがな。
281以上、自作自演でした。:03/11/19 19:34
将来日本はどうなるのでしょうか?
とある国に住む人種の事ですが。その国は他国から攻められて、
200年以上も立ち直れないと言う、滅亡寸前国家でした。

ある時に、その国の人々・内情を憐れに思った隣国からの協力(利益無視)を受けました。
(ハゲ山が多かったが、その国の人々が森林を植えた。悪習を絶つようにしてくれた)

(他、首都にでもボロ小屋があるモノが大半、貴族でも庄屋の域を超えなかった。)
(それを憐れんだ隣国は、寺や、素晴らしい建物を建築していった。)

そして、昔と同様に、再び攻めて来た国を、隣国の軍隊が倒しました。
すると、隣国を歓迎していなかったその国の人々は、大半が隣国の人をとても歓迎しました。
やがて時は経ち、尊敬していた人々は、隣国の教育を自分達から進めていき、
名前も無かった人々は、隣国の名を取る事の許可を隣国から得、名を作りました。

隣国に住む人も多く、平和でした。しかしある日、大地震が起きました。
混乱に陥りつつも、隣国の人は皆で助け合いをしました。

ですが、その国の人は、混乱を見るや・・・人々を襲い、金品を強奪しました。
それを聞いた隣国の人々は、悲しかったが、やむ無く強奪をした人々を処刑しました。

さらに時は経ち、隣国は「大国」と言える程の戦力、国力を持ちました。
しかし北の国は、隣国の周辺の大陸を制圧しようと画策して、貿易を絶ちました。
(隣国は資源が乏しくて、他国の資源、特に北の国を頼っていたから混乱した)

これを解決しようと、使者を出したりしましたが・・・
失敗と終わり、やむ無く北の国との戦争が起こりました。
初めは隣国が有利でしたが、資源に劣る隣国は、どんどん押されていきました。
・・・何年か経ち、「隣国は敗北」しました。

それを知ったその国の人々は、北の国の軍を歓迎し、昔多くの世話をしてくれた
隣国の人々を追い出す、又は殺して「土地を奪い、物を奪い取りました。」

その国の人々は、「俺達は戦勝国民だ」と言い、強奪を働いていました。
その後に、その国の人々は「隣国は、酷い事をした」と嘘ぶき・・・

結果、隣国の土地には「その国の人々の子孫」が残っています。
書物には、嘘の記述で「隣国は酷い事をした、その国の人々に謝らねばならない」と・・・





隣国の人々は、その国を憐れに思わず、見捨てるべきだったのでしょうか。
http://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1069209303/l50
矢なんて頭蓋を貫通するモンなんですかね?
忍者について語ってください。
最強の忍者は誰ですか?
最強の忍者衆は誰ですか?
それと、忍者って戦ったりするんですか?
織田信長にダメ出ししてください。
豊臣秀吉にもダメ出ししてみてください。
床を立ち 省みる我が庵にて 音の絶えぬは 喧騒の声

>277 (易姓革命)
中国では天命を受けた者が皇帝となる思想なので、天命の可否で解釈できるが
日本の天皇は神の子孫と言う建前なので、これを代えるは神に唾する冒涜と
思われて来たのかも知れぬ。或は代える価値も無い無用の物として放置された
だけかも知れぬが断定は出来ぬ。
ちなみに我が天皇家は世界でも例を見ない古くから続く家柄で、
これに匹敵するのは中国の孔子を祖とする孔一族だけだと言う。
衰退滅亡が常の王家ではまず無いと言えよう。

>278 (髑髏を杯にしたりしますか?)
織田右府の例しか思い浮かばぬ。日本であの様な人道から外れる行いを
する人物が他に行ようか。まして天皇家では語る事自体あり得ぬ話にて。

>279 (ビンタしてください)
卑しくも天皇の尊位に在った朕が理由のある無しに関わらず
他者に手を掛けるなど許されぬ。もし幕府盛んなりし頃なら帝乱心とされ
廃位か流刑の良い口実にされただろう。上皇の頃でも同様じゃ。
何故、己を痛める事を欲するのか、まずそれを述べよ。
>281 (将来日本はどうなるのでしょうか?)
先進国の一員といての立場を守りきれば上等と言えよう。
もし舵取りを誤れば二流国の烙印を押され、サミットから除外されるか
或は半島の北の国同様、世界の負担と化すかは予断を許さぬ。
悲観的とは言えぬが楽観的とも呼べぬ。そんな状態だと朕は愚考する。

>282-284 (国家間の関係)
読んでいて気分の良い話では無いな。
国と国では恩義や過去のいきさつも一時の利益の前では塵芥の如しとは。
理想で言うなら互いに助け合うのが一番だが、
その様な結末なら無視し合うのが良かったかもしれぬ。

>285 (矢なんて頭蓋を貫通するモンなんですかね?)
武に暗い朕には分らぬが、通常の弓矢ではなく弩の様な強い物なら
あり得るかも知れぬが、日本で使われていたと言う話は存ぜぬ。
ここは征夷大将軍である秀忠に頼むのが望ましいか。
>286 (忍者について)
多くの伝説や大衆小説で知られる忍者だが、本質がどうであったかは
朕には余り推測が出来ぬ。
単に情報収集のためだけか、或は超人的な武技を有していたかも同様じゃ。
ただ、朝廷では臨時として修験者をその手に従事させた事はある。
容易に他国に入れる身分の者故、特に後醍醐天皇が使われていたようだが。

>287 (織田信長にダメ出ししてください)
正親町天皇の御世に当るが、天正の年号の改元を求めたり
譲位を暗黙に迫ったりと幾つか申したき儀はあるが、逼迫していた皇室に
援助をしてくれた恩もあるので差障りのある事は控える。

>288 (豊臣秀吉にもダメ出ししてみてください。)
朕の父君である後陽成天皇を利用し、翻弄されたが今更怨言を吐いても
詮無き事だ。農民からのし上がった今で言う身分のコンプレックスからか
公家などの貴顕の女子を多く側に置いたらしいが本心から大事にしていたかと
今は問いてみたい。それと秀頼の最後についても一言欲しいの。
公武合体効果で質問ふえなさって、めでてえこった。
合体つながりで、そんだば市町村合併についてだ。

オラの村ちゅうかほんとは市だども合併のはなすがあるだ。
むかすからのオラの村の名前さ無くなっちまうだ。すこすさびしいだ。
民百姓を軽くみてると、丸太で問壊されますよ。
立川流について一言。弾圧しないでください。
295徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/20 17:41
>281 (将来日本はどうなるのでしょうか?)
前にも述べた事があるが、それはそなたら国民次第だ。
だが、そう心配する自体何らかの不安要素を抱えているに他ならぬ。
身近な所では消費税、果ては北朝鮮問題と山積みだが、それらが解決されず
今まで同様棚上げとなればそれまでの事よ。
見切りをつけて他国に移住するも良し。革命なり起こして理想国家を
建設するなり好きにするが良い。

>282-284 (隣国の人々は見捨てるべきだったのでしょうか)
国家間に善意だの友情だのと言う甘い言葉は存在せぬ。
昨日までの友邦が明日には宣戦布告を突きつけても不思議では無い。
余が幼き頃を過ごした戦国の世ではそれが当然であったが騙される方が悪い。
恩義などで相手の行動を束縛出来ると思う時点でその者の運命がほぼ決まる。
今現在は表向きは善隣友好と叫ばれるが、人間の本質が変わらぬ以上
国家も同様だ。現実に迂遠な物は遠からず滅びる。

>285 (矢なんて頭蓋を貫通するモンなんですかね?)
扱う者の腕力や弓矢の材質によっては可能だ。
だが、距離と目標の強弱に左右されるので、機会は余り無い。
弓矢は大抵、敵兵を一時的に戦闘不能にさせる程度の効果なのだ。
額や内臓等の急所に当たり致命傷とならぬ限り死ぬ事は無い。
毒矢はその範囲では無いがな。
296徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/20 17:42
>286 (忍者について語ってください。)
我が徳川家では服部半蔵が有名だが、あれは代々松平家に仕えた譜代の家柄だ。
伊賀上忍三家の一つで、三河に招かれたのが起源だが、合戦・情報収集と
幅広い分野で活躍した。伊賀衆が一番と言う認識が徳川の一致した所だが
太平が続くに従い、下級武士か江戸城の雑役夫と化した。
主な活動内容は前述の二項目の他に敵側撹乱・時には暗殺まで含まれる。
基本的にこの者達は常に集団で動き、決して単独では戦わぬ。
よく時代劇で出る単一で任務を果たす忍者が居りが、あれははぐれ忍びで
余程の達人か、単なる落伍者のどちらかだ。

>287 (織田信長にダメ出ししてください。)
余の正室江与の伯父に当たり、徳川家の同盟者であると同時に圧迫を加えた。
恩義やしがらみとは無縁の合理主義の公らしく父上及び徳川を上手く使い捨て
同様にされようとしたが、運悪く本能寺の変で倒られた。
徳川家にとっては幸いであったが別に同情する気は無いし公も望まぬだろう。

>288 (豊臣秀吉にもダメ出ししてみてください。)
余に江与を押し付けた張本人でありまた余を徳川家嫡男として認められた方だ。
最後は大坂の陣で滅ぼす結果となったが、秀頼を武将として育てられなかった
秀吉公の過失に他ならぬ。後は守り立てる家臣の選別を誤られた事か。
297徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/20 17:47
>292 (市町村合併)
合理化の一つの手段だそうだが、色々と抵抗がある様だ。
例えばある裕福な町が近隣の財政が逼迫している過疎の町村と合併するとなると
裕福な方が負担が大きくなり当然反対の声が出よう。
そうすれば地元の政治家も無視出来なくなり、流れるか帳消しとなる。
国家レベルで豪腕を揮わねば完全な実施は困難だ。

>293 (民百姓を軽くみてると、丸太で問壊されますよ)
江戸中期以降はそれが日常茶飯事であった。
百姓一揆や都市部での打ちこわしが頻繁に起き、
幕府や大名も有効な手段を打てず半ば放置状態のままで時を過ごし
惨々たる結果に終わった。民の声は水の如しと申して普段は清流の様に
静かだが、一度氾濫すると人知の及ぶ所では無い。正にそれだ。

>294 (立川流について一言。弾圧しないでください)
真言宗の異端であったな。後醍醐帝の下で呪法を担当したと言う
文観と申す僧侶が広めたそうだが徳川の世では名前すら稀にしか聞かぬ
存在であったので余は詳しくは知らぬ。
余から見れば日蓮宗の不受不施派の方が邪魔な存在よ。
徳川家康公にもダメ出ししてみてくだされ!
季節の愛でかたがわかりません。
歳をとればわかるようになりますか?
お気に入りのNHK大河ドラマがお有りでしたら是非おしえてたも。
>292 (合体つながりで、そんだば市町村合併についてだ)
市町村合併は避けて通れぬ問題だが人情としては生まれ育った故郷の名前が
地図戸籍から抹消されるのは誰しもが寂しい物だ。
だが、実行されずに棚上げとなれば元の木阿弥にて例えて言うなら
病にかかり荒療治が必要になっても、一時の苦痛を拒み逃げるに等しい。

>293 (民百姓を軽くみてると、丸太で問壊されますよ。)
その通りだ。古来より民を軽んじ虐げた権力者で長く続いた者など居らぬ。
民の声は天の声であり、それを無視し抑圧しては国など成り立たぬ。
だが、それを弁え従ったと言う者が少なかったと言うのも事実だが。

>294 (立川流について一言。弾圧しないでください。)
後醍醐天皇が一時お認めになられたが、その教儀と秘儀故邪教と断定された。
宗教とは元来、衆生を精神的に救うのが趣旨にてそれを逸脱して己が願望を
満たすためにのみ存在する宗派は許容できぬ。
誰が悪用するかも分らぬ以上余計なのだ。
無垢に信心している者は気の毒であるが仕方が無かろう。
>298 (徳川家康公にもダメ出ししてみてくだされ!)
家康の息子である秀忠が居るここでその様な事申せる訳が無い。
仮に秀忠が許しても尚の事よ。

>299 (季節の愛でかたがわかりません。)
春夏秋冬は人為的に力に関係なく訪れる物だ。
それを楽しみ風雅とするはその者如何による。
落ち葉一枚でも感じる事が出来るし、大雪の際でも同様じゃ。
まずは身近な物を観察してみるが良い。

>300 (お気に入りのNHK大河ドラマ)
真田広之が足利尊氏の太平記じゃ。
後醍醐天皇が極めて重厚な役柄で天皇としての威厳があり
動乱の南北朝を上手く表現したと感心して見ていた。
それと陣内孝則の佐々木道誉も印象に残った物だ。
強いて苦言を申せば後半が飛ばしすぎた事か。
鍋喰いましょう。好きな具を入れてくださっても結構です。
アイレディース宮殿黒川温泉ホテル宿泊拒否事件について。
305徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/22 12:15
>298 (徳川家康公にもダメ出ししてみてくだされ!)
大坂の陣で豊臣家を滅ぼして間も無く亡くなられて
余も心から感謝しておる。しかも目の上のこぶである本多正信まで
共に冥土に連れて行かれ何と申して良いか分らぬ。
帝は余に気を遣った様だが、別に構わぬのだが。

>299 (季節の愛でかたがわかりません)
別に愛でる必要も無い。何もせずとも訪れる季節をどう感じ取るかは
その方らの自由にて無理に風流だの何だのと言う事も無かろう。
実利的な学問技芸を優先し、余りて後に詩歌でも習うが良い。

>300 (お気に入りのNHK大河ドラマ)
余の出番が多かった葵徳川三代と春日局だが、
どちらの余も甚だ頼りない役柄だ。出来れば隆慶一郎の余を前面に出した
大河ドラマを希望したいが、来年の新撰組に経験浅い若手芸能人を起用する
今の軟弱な制作陣では期待など出来る訳が無い。
せめて年末時代劇で影武者徳川家康を十二時間放送でやって欲しい物だ。
306徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/22 12:16
>303 (鍋喰いましょう)
鍋とはまた気の利いた事よ。
鷹狩の際には穫ったばかりの新鮮な鶴をよく鍋で煮て食した物だったが、
今では様々な具があるので一層美味であろう。
ましてやこれから寒くなるので尚更だ。褒美として苗字帯刀を許す。

>304 (ホテル宿泊拒否事件について)
確からい病患者を拒否したのが端を発した事件であるな。
昨今、弱者への人権配慮が叫ばれる中でこの様な不始末をすれば
どの様な悪影響が出るか予想がつくと言う物だ。
とは言え本音は、他の宿泊客も良い気分はしないであろう。
表向きは婉曲に断り、裏でしかるべき代価を払うのが得策だったが
今更では遅きに失したか。人を得ぬと往々にしてこの様な失策が起きる。
経営者には良い教訓となったであろう。
307以上、自作自演でした。:03/11/22 12:58
家康公が鯛にあたってなくなったと言うのは本当でしょうか?
鳥は撃ってからしばらく放置したほうが美味と伺っておりますが…。
愛しきを 憚りも無く述べるのみ 伝える術を 持たぬ恥如何

>303 (鍋喰いましょう。好きな具を入れてくださっても結構です)
好意は感謝するが、朕は鍋物などの一度に大勢の者が箸を入れて
食べる種類の料理は味わった事が無い。
膳で各自に出された料理がほとんどだったので、正直抵抗がある。
朕は材料を提供するのみに留めるので、そちらで味わうが良い。

>304 (アイレディース宮殿黒川温泉ホテル宿泊拒否事件について)
聞いていて愉快な話では無い。
その患者も何も好んで忌み嫌われる病になどかかった訳でも無いのに、
金を払う払わないに関係なく宿泊拒否とは許容できる物ではない。
裁判沙汰になっても止むを得ないと考える。

>307 (家康公が鯛にあたってなくなったと言うのは本当でしょうか?)
そう言う説が一般的らしい。
だが、食中毒ならその際に同席していた家臣らもそうなる筈だが
そうした記録も無く、ただ家康一人のみと言うのは不可解だ。
やはり何らかの病を抱えていて、鯛の天ぷらがきっかけで
悪化したのかも知れぬ。

>308 (鳥は撃ってからしばらく放置したほうが美味と伺っておりますが…)
朕は狩の類は一度も行った事が無いので詳しくは知らぬが
そうした方法もあるのかも知れぬ。
私見だが銃弾の鉛を取り除かぬと鉛中毒にかかるのでは無いか?
>家康公が鯛にあたってなくなったと言うのは本当でしょうか?
胃がんで死んだらしい、という学説が以前、朝日新聞の文化欄に載ってました。
自覚症状が希薄だったことや油物を食して一気に悪化する点など胃がんの症状らしいとか。
また江戸っ子気質の権力者に逆らう風潮からも流布したとか。
カブトムシとクワガタはどっちがつよいでちゅか
浜離宮行ったら、家鴨に足を食いつかれました。慰めてください。
313徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/23 17:47
>307、310 (父上の死因)
確かに父上は鯛の天ぷらを食された直後に発病された。
おそらく潜伏していた胃がんが油物で悪化させたと言う>310の説が
正しいと余は今でも信じている。
それと父上は並みの医者も及ばぬ程、医学薬学に長じられていたが
その際にも御自分で調合された薬のみ服用され、余が差し向けた医者には
診断一つ許されなかった。明らかに余を疑っておられたのだろう。
戦国では医者を使った毒殺が多かったので理解できなくも無いが
父上のは少し過剰すぎた。それが御命を縮められたのかも知れぬ。

>308 (鳥は撃ってからしばらく放置したほうが美味)
そうか。今や鷹狩など行えぬ故、実行する事も無い。
だが穫ってすぐの新鮮な味も捨てがたかったな。
また吉宗は当時の大名にしては珍しく鷹狩を嗜んだが
鶴の生血を飲み干すのを好んだと言う。程好い塩味が美味と訊く。
今でもスッポンの生血を売る店もあるので、別段変でもないか。
314徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/23 17:48
>311 (カブトムシとクワガタはどっちがつよいでちゅか)
生憎、今は冬が近い季節なので両方とも見当たらぬ。
従って確認の仕様が無いが、来年の夏まで待ち捕獲するか
しかるべき店で購入して強弱を競わせるがいい。

>312 (慰めてください)
それは災難であったが、別の意味で申すと記憶に残る思い出となったな。
災い転じて福となすと言うが、それと思って自らを納得させよ。
しかし、家鴨も機嫌が悪かったのか人間に不埒を働くとはな。
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   l ; l  ,:'=<_〇,>;  ':,く〇,,>,= ' l、.l l
   ヽ 、l/ ヽ_  ~  l   l ~  / ヽ/./
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.    ヽゝ、   .ゝ,r.、   ,riノ   ,r'',r' ! /l、
      l.ト  //゙;彡三三ミ;ヽ  /" / |/ ス  
   __,,,,,,l ヽ   リ!''‐´ ''' `ヤリ ./ ノ / ./┴''" ̄ ̄
,,,,,,r'ヽ. ヽ  ヽ.         /   / ノ
  |  ヽ. ヽ   `':、  r‐‐-.、 ,、:'    ,イ
.  |  ヽ. ヽ    `'l;;;;;;;;;r'"    .t'"', ',
  |   ヽ ヽ    l;;;;;/      人. ゙,.゙,
   |   ヽ ヽ.    リハ,_,,、-‐''"´/\',.',
   l    ヽ. ヽ  l'!  ゝ、-、 \  \゙、

         褒美をやりすぎぢゃ!!
安土城の復元図や復元模型を見ると
信長公がいかにぶっとんだ方だったかわかります
この季節は熱燗ですかね。
ままま、さささ、どうぞどうぞ、ぐぐい〜と。
受験シーズンがもう来ちゃいます。睡魔との闘い方を教えてください。
319ハムの人:03/11/24 15:56
お歳暮にはなにがよろこばれますか。
紅の 炭火眺めて手をかざす 冬風避ける 庵の中には

>310 (学説)
秀忠も認めているので、それが真実に近いのだろう。
家康は当時としては稀に見る長命であったが、それも自分自身で
健康に留意し続けた結果なのだと感心する次第じゃ。

>311 (カブトムシとクワガタ)
季節外れの質問であるな。
朕は昆虫には詳しくないが、やはり実際に戦わせて試すしか法が無い。
童たちが虫で遊ぶ光景は見る側にも明るさを与えてくれる。

>312 (家鴨に足を食いつかれました。慰めてください。)
元来、人を襲わぬ家鴨が故無く襲い掛かるとは、
そちも何か心当たりがあるのでは無いか。
まあ、過ぎた事として忘れるなりする事じゃ。

>315 (徳川家康?)
息子に会いに来られたか……と言いたいが名前無しとは解せぬ。
仮に東照大権現の名を悪用しようものなら秀忠に成敗されかねぬぞ。
>316 (安土城の復元図や復元模型)
当時の城と大きく異なっていた様だが、織田右府の独創性が伺える。
自らを神とまで名乗った程の優越感からかも知れぬが
それの普請を担当したのが実直素朴な丹羽長秀なのが意外だ。

>317 (この季節は熱燗ですかね)
細やかな心遣いであるな。朕も酒は好む方なので
有難く馳走に預かろう。程好く温まった酒はまた格別にて
今宵は何か善き夢でも見れそうじゃ。

>318 (睡魔との闘い方を教えてください)
無理せずとも眠くなれば眠るのが一番である。
学問は自分に益になる内は良いが、度を越えて健康に支障をきたすと
受験に合格しても意味が無かろう。
適度に学びよく眠って来たるべき日に備えよ。

>319 (お歳暮にはなにがよろこばれますか)
相手が望む物を選び出し、贈るのが一番だが正面から訊ねるのも何なので
それとなく雑談か何かで聞き出し、そ知らぬ振りで贈るが宜しかろう。
若干言葉を飾れば、誠意がこもっていれば最高の歳暮だが
現実はそう言くまいて。まあ、自分の予算と相談しその中で考えられよ。
322以上、自作自演でした。:03/11/24 18:45
漫画「影武者徳川家康」の秀忠様は相当性格が悪そうに描かれていましたね。

あと続編の島左近主人公の漫画では忍者達が超人的な技を次々繰り広げたりと
原哲夫の基地外ぶりがいかんなく発揮されていましたね。
323以上、自作自演でした。:03/11/24 18:49
松永久秀と荒木村重はどっちの方がヘタレだと思いますか?
324以上、自作自演でした。:03/11/24 21:20
俳句とか嗜まれますか?
金正日「俺様を褒めてみろや。あん?」
326徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/25 18:03
>315 (父上)
ほう? 神に祭られて尚不満があって舞い戻られたと思えば
その様な繰言とは解せませぬな。しかも三方が原の折のお姿とは。
地下がお暇ならば、父上もこちらにて名無しと夜話の一つでもされては?
これも中々一興ですぞ。それとも過去をお忘れになったので返答も出来ぬと?

>316 (信長公がいかにぶっとんだ方だったかわかります)
五層七層の天守閣に加え、壮大な装飾には本能寺の変の寸前に訪ねられた
父上も度肝を抜かれたそうだ。次男の信雄殿が何を血迷われたか
火を放たれ焼失したが、真に惜しい事をした物よ。
尤も、仮に残っていても徳川にとっては忌むべき城にて取り壊しただろう。

>317 (この季節は熱燗ですかね)
中々の美味であるな。そう言えば伊達政宗が客を招いた時に
熱く沸騰した汁物を先に出して舌を熱くさせた後に熱燗を出したそうだが
その様な戯れではあるまいな? 先に熱さ加減を確かめなかった者に
非があると随分人を食った返答をした物だが。
327徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/25 18:05
>318 (睡魔との闘い方を教えてください)
なら新井白石の真似をする事だ。
あの者は少年の頃、一日千字の習字を自らに義務付け眠くなった時は
冷水をかぶって眠気を堪えたそうだが、今なら簡単に水も用意できるし
やって出来ない事は無い筈だ。
ただ風邪を引いて寝込んでは元も子もないがな。

>319 (お歳暮にはなにがよろこばれますか)
歳暮のある程度大き目の箱の中に封筒を入れよ。
さすれば、最初は気落ちして渋々封筒の中身を確かめるだろうが
中を見て二倍喜ぶ。その中が何と思うかな?

…現金だ。これなら受け取る側が一番好む物を自由に購入できる。

>322 (原哲夫)
あれが実像の余に近いのだ。強者には媚び諂いひたすら恭順し、
弱者や自分に逆らう者には冷酷無比になれる。それが他ならぬ徳川秀忠よ。
外様譜代を問わぬ大名潰しの際に奈何なく発揮できたが、
実に心地よい物であった。
島左近の漫画の方では風魔忍者や甲斐の六郎に押されて余の出番が
少なかったのが些か不満であったが、歴史活劇としては文句無しの
名作であろう。ただ人間離れと言えなくも無いが。
328徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/25 18:06
>323 (松永久秀と荒木村重はどっちの方がヘタレ)
それは荒木村重だ。僅か一時の疑惑のみで事もあろうに、あの信長公に
謀反を起こし、一族郎党悉く処刑されながら、自らはおめおめと茶人となり
秀吉公の御前にまかり出たとは、武士の風上にも置けぬ恥晒しよ。
松永弾正殿は、大いなる野望と権謀術策を頼りに戦国の世を生きられ
天下に知らぬ者も無い勇名をはせられた。また本多正信も一時期松永家に
仕えた事もあるので、徳川と無縁ではない。
余も密かに、あの様にたくましく生きて見たいと憧れたので高く評価しておる。

>324 (俳句とか嗜まれますか?)
前に和歌を求められた時は詠んで披露したが、
余は元々非実用的な歌学や俳句の類は好まぬ。
その様な物を習うのなら、父上の様に実用的な医学薬学、
或は経世に役立つ漢籍の一冊でも読み覚える方が有益であろう。
井原西鶴が一日に二万三千句も読んだと言うが、単なる言葉遊びに過ぎぬ。
当の西鶴も窮屈な俳句に見切りをつけ浮世草子(小説)に入り込んだ。
実に賢明は判断と言えよう。
>327の322への返答
でもオイラのなかでは秀忠さまのお顔は西田敏行だぁ。
失言癖があって父親の津川雅彦に怒鳴られているイメージだぁ。
金正日「・・・同じ将軍なのにスルーかよう。ひどいやい。テポドン撃つよう!」
まつたけを献上いたします。

     /⌒\
    /Oo〇oOヽ
   (oO/⌒ヽOo)
    ヾ( ゚Д゚ )ノ
     .ゝ___ノ
>322 (原哲夫氏の歴史漫画)
秀忠については論評を差し控える。
島左近のは朕も些か目にしたが、随分と美化しているとしか申せぬ。
本物の島左近は石田三成より一回り年上の筈だったが朕の勘違いか。

>323 (松永久秀と荒木村重)
どちらも下克上の戦国の世で名を上げた武将だが優劣についてはともかく
主君に弓を引くのは臣道にあるまじき事だ。
君臣共に栄えてこそ天下万民が愉しみ日々を享受できる。
ただ両名とも茶道を嗜んだ事には若干共感を覚えるが。

>324 (俳句とか嗜まれますか?)
朕の生きた江戸初期ではそれほど流行してはいなかったが
元禄の頃には松尾芭蕉を始めとした俳人が輩出して日本の文学の
一翼をになった。朕自身もそれらの者には遠く及ばぬがある程度は嗜む。

戸をあけて 冬風染みる 老い覚え

晩年の時の朕の気持ちで読んだ。
>325、330 (金正日)
芳しからぬ評判の将軍だが、強いて評価するなら権力闘争に生き残った事か。
旧パルチザン派から継母まで敵に廻し、それらを追い落として
今の地位についたのは権力欲の具現と前向きに見ても良いかも知れぬ。
ただ、過大に自国及び自分を評価して大言壮語するのは控えよ。

>329 (秀忠さまのお顔は西田敏行だぁ)
…秀忠が嫌う事を、何故好んで申す?
せめて中村梅雀と言えば、穏やかに事も済む物を。

>331 (まつたけを献上いたします)
現代は高価な食物のまつたけを献上とは有難き限りじゃ。
薄く切って、ゆっくり味わう事にするのでそちも膳を共にするが良い。
ただ、顔の如き文様があるのは気のせいか。
夢という名の刀を抜いてサムライになーりーたーいぃぃ!!
http://www.sankei.co.jp/databox/n_korea/nkorea_54_1.htm

「わが惑星の守護神」、「人類予知の最高の体現者」、「名将中の名将」、
「21世紀の太陽」、「世界的な大文豪」、「天下第一の偉人」…こう呼ばれる将軍様。

非凡な天性と卓越した領導力、不滅の業績を象徴する魅力的な才を持つ将軍様が・・・
ノンアルコールビールはうまい!・・・か?
337徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/27 15:10
>329 (西田敏行)
左様か。そう思うのは自由にて余は咎めはせぬ。
ただ、父上は余に対してあの様に声を荒げて叱責される事は全く無かった。
刺す様な皮肉を一言言われるか、冷やかな一瞥を向けるかのどちらかだが、
それだけでも首筋に刀を当てられるに似た物を感じた物だ。
何せ長男である信康兄上をも家のために自害させた父上なので
何時、余も廃嫡か放逐されるのでないかと怯えていた。

>330 (金正日)
己を弁えぬ愚者にかける言葉など無い。

>331 (まつたけを献上いたします)
何か趣が異なるまつたけだが、好意は確かに受け取った。
しかし某任天堂の鬚を生やした配管工を連想するのは余の思い過ごしか。

>334 (夢という名の刀を抜いてサムライになーりーたーいぃぃ!!)
そなたが抱く夢も、実際に侍となり鮮血の海にも似た戦場を目にした時
どう、変化するかが興味がある。
夢は美しい間は夢だが、現実と言う腐海に飲み込まれた瞬間
おぞましき妄執と変わる事もある。
それでも構わぬのなら然るべき手続きを経て武士に取り立てても良い。

>335 (誇大妄想狂の表現)
精神病院でも自らを神だの天皇の落胤だのと自称し恥をも弁えぬ者が居るが
正にその類であろう。上が狂人なら下もそれに習う。
その様な迷惑極まりない国家など、地球上から消滅するのが望ましい。

>336 (ノンアルコールビールはうまい!・・・か?)
アルコールは苦手だがビールの味を味わいたい。そんな者には最適だ。
丁度シャリアピンステーキと同じ物と思えば良い。
クリスマスプレゼントに何を欲しいですか?
クリスマスプレゼントの質問は別のスレの誤爆でしたので
無視してください。すみません。
いえ、おもしろいのでいいと思います。
クリスマスプレゼントになにが欲しいか答える
ミカドさまとヒデタダさまが
かわいいでつから。
>334 (夢という名の刀を抜いて)
中々詩的な表現よの。何もいくさが本業の武士にならずとも
詩文で生きていけるのではないか?
だが夢を大きく持つのは善き事にてそれがかなう事を朕も祈る。

>335 (こう呼ばれる将軍)
それらを考える者も上からの突き上げで並大抵の苦労ではなかろう。
自らを誇りたい気持ちも分らぬでは無いが、些か過剰すぎるのでは無いか。
謙譲もまた美徳と知るが良いぞ。

>336 (ノンアルコールビールはうまい!・・・か?)
朕は麦酒は飲まぬので詳しい返答は出来ぬが
需要がある以上好んで飲む者も多いのであろう。
酒酔い抜きで楽しめる酒と言うのもまた風流かな。

>338-340 (クリスマスプレゼント)
切支丹で言う所の救世主の誕生日に物を貰った事は無いが
強いて注文するなら、美しき女子と共にどこか風雅な旅館にて
美味な料理に舌鼓を打ちつつ諸所の事を語り合える時が欲しい。
今で言う宿泊券の類になるが、別にその日でなくても可能か。
あ〜も〜なんだな!紅葉が綺麗だな。おい!神仏は偉大だな。八百万ばんざぁい!日本の秋に乾杯!
343:03/11/28 19:52
秋刀魚が美味いな♪
風情があるのう・・・なごみ系スレかのう?
僕も歳をとったら忠臣蔵がたまらなく面白く感じるようになりますか?

      ∬ /⌒ヽ /⌒\ ∬
      旦/ ´_ゝ`)(´く_ ` |旦
       / ※ ̄※7 ̄※ ̄※ ※\
     /※ ※ / ※ ※ ※ ※\
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こたつを出しましたよ。あったまっていきんしゃい。
347徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/29 19:34
>338-340 (切支丹の記念日寄贈品)
いらぬ。数多くの切支丹を処刑した余がその様な物を貰っては
笑い話にもならぬし徳川幕府の汚点にもなる。
そんな行事にうつつを抜かすくらいなら増上寺の余の墓所に詣でよ。

>342 (日本の秋に乾杯!)
少し遅い気もするが、察するにそなたは九州に住んでおるのか。
秋は様々な呼び名がある様に、楽しめる季節にてゆるりと堪能せよ。
紅葉酒も風流だが、飲みすぎぬ様にな。

>343 (秋刀魚が美味いな♪)
秋刀魚か、あれも日本の秋の味覚の一つだが父上や家光も
鷹狩の途中に豪農の屋敷に立ち寄り秋刀魚を食するのを楽しんだ。
油が乗って実に美味だが、江戸城では厨房の係が余計な気を廻して
油を抜いて余の前に出した時は不愉快になった物だ。
348徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/29 19:35
>344 (風情があるのう・・・なごみ系スレかのう?)
そう見るのも良い。
誰しもが入り込める場所にするのが望ましいので
今以上に風情をかもし出したい物だ。

>345 (忠臣蔵がたまらなく面白く感じるようになりますか?)
忠臣蔵か。江戸時代に興味を持てば自然と通る道だし
今では年に一度は必ずテレビで放送するから年齢に関係なく見れる。
だが面白く感じるか否かは人それぞれだ。
余談だが余は忠臣蔵は余り好まぬ。法を犯し私闘を為した事を賛美するのは
処罰を決めた孫の綱吉への対面もあるのでな。

>346 (こたつを出しましたよ。あったまっていきんしゃい)
先程は秋と出て、今度はこたつとは日本は四季折々よ。
見ているだけで心地良く温まる。
余からもそれに似合う物を贈ろう。冬みかんだ。
突然ですが坂上田村麻呂について御講義を。
350以上、自作自演でした。:03/12/01 13:02
日本では、良家ほど養子を沢山とるらしいですが、それは本当ですか。もし本当でしたら、どうしてそんなことをするのですか。
>342 (日本の秋に乾杯!)
もう十二月だが、晩秋とも言えなくも無い。
朕もそちに付き合い乾杯といたそう。
ただ今では雪見酒になりそうだが、これも風流よ。

>343 (秋刀魚が美味いな♪)
朕らの頃と異なり、今では季節を問わず食する事が出来る。
遠き海まで漁に出る者に感謝しつつ、味わうのが宜しかろう。

>344 (風情があるのう・・・なごみ系スレかのう?)
そう見てくれるのは有難いが、女子がおらぬと言うのも寂しい物がある。
小野小町か紫式部あたりに来て貰い、風雅な雰囲気を更にかもし出したいが
流石にこれは贅沢と言う物か。

>345 (忠臣蔵)
別に年齢に関係なく楽しめれば、それに越した事は無い。
日本人に馴染み深い忠臣蔵を家族で囲みながら見ると言うのも良い。
だが、今では大抵の家で一人一台はテレビを所有しているので、
別に家族総出で見る必要も無いか。
>346 (こたつを出しましたよ。あったまっていきんしゃい)
もうそんな時期か。では朕も失敬して足を入れさせてもらおう。
…と言いたいが足が無い。朕らは魂魄の身故、別段寒暖に拘る必要も無いか。
便利と言えば便利だが、風情が無いのも寂しいの。

>349 (坂上田村麻呂)
桓武天皇に征夷大将軍に任命され、蝦夷征伐に成功した勇将だが
大陸からの渡来人出身で何でも漢の高祖劉邦の子孫らしい。
数々の武勇話に加え、蝦夷の首長である阿弖流為(あてるい)らの
助命嘆願をしている事から情理を弁えた武将であったのだろう。

>350 (良家ほど養子を沢山とるらしいですが、それは本当ですか)
本当じゃ。名家程、子孫繁栄と家名存続を第一としたので
万一の時でも困らぬ様に親類縁者から有望な者を養子とし後継者、
或は家を支える一族の一人としてきたのだ。
もう一つ別の面で言うと、昔は乳幼児の死亡率が高く、直系でも断絶が
珍しくなかったので窮余の策として養子を迎えざるを得なかったと言う
現実的な理由もあった。
我が天皇家でも嫡流が途絶えた時、臣籍に下った皇族を再度迎えて
皇位に付ける事もあったが、こうした有事に備えるため一族は大いに
越した事無いのだ。
好きな漫画・漫画雑誌を教えてください
なんとなく、なじみっぽい人たちと行き違う師走の暁
ぢっと手を煮る
355徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/02 12:29
>349 (突然ですが坂上田村麻呂について御講義を)
帝が申している事が主な経歴だが、史書には容貌魁偉とある。
勇将にありがちな誇張話なのだが、それでいて慈悲の心を持つとは
周辺には不気味がられたのでは無いか?
それとあの伊達政宗の正室が坂上田村麻呂の子孫だと言うが、
真偽の程は分らぬ。ただそれをよく自慢の種にしていたな。

>350 (養子)
家を残す事が至上事なので、多くの養子を取るのが慣わしだ。
特に大名家は少しでも血縁関係のある他家から取って御家断絶から
免れようとしていたが、余には良い口実であった。
後に家綱が臨終間際に取る末期養子を容認したが、あれが無ければ
更に多くの大名を取り潰せただろう。惜しい事をした物よ。
356徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/02 12:30
>353 (好きな漫画・漫画雑誌を教えてください)
横山光輝の歴史漫画だな。父上から弟の忠輝まで幅広く扱っておるし
見やすい絵柄なので余は多くを所蔵している。
それと原哲夫の漫画も同様に愛読している。北斗の拳から花の慶次。
そして余が重要な役柄である影武者やSAKONまでとほぼ全て読んだ。
雑誌は蒼天の拳が掲載されている関係でコミックバンチと
ここの話題について行くために少年ジャンプを読むくらいだ。

>354 (なじみっぽい人たちと行き違う師走の暁)
それは日常の行動が固定化されているのであろう。
常連の店に行く時間が同じならば、当然見る顔も見慣れた物になる。
だが、変化の無い日々もまた悪くは無いと余は考えるがな。
余自身も、拝謁を願う利勝ら年寄衆や奉行の普段と変わらぬ顔を見ると
自然と安堵した物よ。
357マネーの虎・社長:03/12/02 14:28
働けど働けど我が暮らし、ああ楽。じっと手を見る。札の束。
カネがいくらあったって幸せとは限らないやい!
人を斬った感触はどんなもん?
人を斬るよう命じたときの気持ちはどんなもん?
          __,,,,,,,,,_
      , - ' ゙      ゙` ‐ 、
    ,r'"            `>'"二ゝ
   /             彡lllll',ニゝ
.  /              彡lllllll
  /                .彡llllll
. /___                彡llllノ
. !  `゙ '     ‐''゙゙゙゙゙''ー    彡,、、      図ったな明智光秀
 l┬,.、  /    _,,,__      '´r、 l
 |`''''''' /    `'┴''"     〉 ,l |
 !   /              .//
 ',.  ,'               ン
  ',. 〈    ヽ        i ≡
  ',  `''  ''' ´        l  |
   ゙、-‐'' ,、、ニ''ー-     ノ   |
,,,,,,,,,、ゝ  `二´     /    l`〉'''ー┬―――
  l  `,、     ,、- '     ./ /|   |
.  l   l ヽ、,,,、.r''"       / ./ |   |
  |   |  | l         / ./ |   |

>353 (好きな漫画・漫画雑誌を教えてください)
朕は余り漫画は読まぬのだが植田まさしの「かりあげくん」の様な
軽く読み流せる四コマ風刺漫画をたまに読むくらいだ。
秀忠の様に話題についていくために種々の少年漫画を読んでみたいと
思うのだが、どうも話の展開についていけなくて困っている。

>354 (なんとなく、なじみっぽい人たちと行き違う師走の暁)
そう言えばもう師走か。一年も早い物よ。
皆も慌しくなり、様々な光景が冬の路上に展開するが
穏やかに新年を迎えられれば良いの。
最後の一文は石川啄木の引用かな。

>357 (働けど働けど我が暮らし、ああ楽)
今はそうして豊かな暮らしを謳歌しているが、
若き時は苦労したと拝察する。それに多くの者を雇い使っている今の立場も
何かと悩む事も多いだろうから、せめて家で寛ぐ時ぐらいは札束を
数え楽しむくらいのゆとりがあっても良かろう。
>358 (カネがいくらあったって幸せとは限らないやい!)
金はあくまでも物質的な豊かさの象徴であり、精神的な物では無い。
それを享受出来るかは、そちの行いと心根次第である。
常に心に錦をまとって進むが良い。

>359 (人を斬った感触)
朕は斬人の体験も命令も無いので何も答えられぬ。
ただ言える事は、その様な痛ましき出来事が起きない事を祈るのみである。

>360 (織田右府?)
本能寺の変の折の記録に残っている言葉は「是非に及ばず」であった筈だが。
しかし、反逆の際にも堂々とした姿勢は流石は戦国の覇王と感心する。
日本史上、もっとも忌むべき人物はどなた?
日本史上最も優秀だと考える武人と軍人を挙げてください
> 金はあくまでも物質的な豊かさの象徴であり、精神的な物では無い。

これは金持ちだから言える台詞。
人間、衣食住に差し支えるほど貧乏でも豊かでいられるものか?
おのれ家康!
外国人のパーティーに招かれました。
「ニホンのよいとコろ、おしえテくダさーい」とスピーチを頼まれました。
なんとスピーチされますか?
368徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/04 20:08
>357 (マネーの虎・社長)
左様か。それは何よりと申しておくが
その分税金で持っていかれるので、それまで札束に別れを惜しむが良い。

>358 (カネがいくらあったって幸せとは限らないやい!)
では、そなたは金が無くても幸せになれるのか?
是非その方法を教えて欲しいのだが、まさか苦し紛れの方言ではあるまいな。
もし、そうだとしたら醜き振る舞いにて何も申す事も無い。

>359 (人を斬った感触はどんなもん?)
その者が生きてきた数十年を僅か一瞬で絶つと言う独特の快楽があると
歴戦の兵が申したのを聞いた事があるが、ここまでくると人斬りに
取り付かれたとしか言い様が無い。
命じた時については、単に不要物を一つ処分したに過ぎぬ。
そんな気分しかしなかった。

>360 (図ったな明智光秀)
仮にも天下の覇者たる信長公ともあろう御方が僅か数十人の近習のみで
本能寺に宿泊された時点で命運も定まったと言える。
父上はそれを教訓とされ、常に大軍と共に行動されたのも
そうした理由であった。慢心は身を滅ぼすのよ。
369徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/04 20:09
>363 (日本史上、もっとも忌むべき人物はどなた?)
我が徳川家に最後まで反抗し続けた豊臣秀頼と淀君である。
時流を読めぬ愚かさだけで無く、誇りだけは一人前と言う
愚者の代名詞と言えよう。出来れば大坂か京で母子共々処刑したかったが
炎の中で自害とは実に勿体無い最後よ。

>364 (日本史上最も優秀だと考える武人と軍人を挙げてください)
武将では本多忠勝だな。六十余の合戦で傷一つ負わぬ強運と
前戦指揮・内政手腕・時には謀略までこなす実に何をやらしても
見事な男であった。あれがいなければ徳川の覇権も成り立たなかった。
軍人では今村均としておく。戦術に加え、インドネシアの占領統治に
ラバウル防衛と挙げればキリが無い功績と、情理に厚い真の軍人だ。
近代日本の将帥では五指に入る。

>365 (人間、衣食住に差し支えるほど貧乏でも豊かでいられるものか?)
衣食足りて栄辱を知ると言う言葉があるが、正にそれに当て嵌まる。
人間、貧困の中では豊かどころか自分が社会の一員と見る事も困難にて
所詮は、金が何物にも勝る。父上もそんな唯物的見方であられたので
あの様な巨万の遺産を蓄えられたのだ。

>366 (おのれ家康!)
貴様がどこの外様大名の家臣かは知らぬし、知る必要も無い。
その様な戯言を口にした瞬間、貴様は自らを負け犬と評しているのだ。
時を置かず、改易の沙汰が下るので、新しい仕官先でも探すがいい。
今の発言は江戸時代に限り有効だがな。

>367 (外国人のパーティーのスピーチ)
「日本は四季折々の美に溢れ、自然は豊かだが国民性は若干閉鎖的にて
 外国人の方々も色々と住みにくいかもしれませんが、何卒馴染まれます様」
こんなものだな。
   ,.、  `ヽ;;;;;;;;;;;ヽ  ,:';;;;;;;;;;;;/  r、
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飛鳥尽きて良弓蔵められ、狡兎死して走狗烹らる。
いま少し生まれが遅かったならば、拙者など無用者であった。
日本史上で印象に残るエピソードは?
私の其れは秀吉の臨終間際、病床での土下座です。あわれ。
372石田三成:03/12/05 16:29
わしはどうすれば豊家を守れたかのう。
日本武尊について「へぇ〜」な話を希望
なんて質問の多さだ。
とくにミカドさま、363からですから大変ですね。
鍋物でもつくりましょう。秀たんもどーぞ。
  ∧_∧
 (  ・∀・)
 (    つ ∬∬
 | | |  ⊂二⊃
 (__)_)  L___」
>363 (日本史上、もっとも忌むべき人物はどなた?)
評価の分かれる所だが、朕は鎌倉幕府の最後の執権、北条高時を挙げよう。
田楽と闘犬にうつつを抜かし、ついには家と幕府を滅ぼすに到った。
どう贔屓目に見ても、暗愚としか言い様も無い。

>364 (日本史上最も優秀だと考える武人と軍人を挙げてください)
武人は上杉謙信。軍人は児玉源太郎としておこう。
前者は毘沙門天の化身とまで畏れられ、後者は日露戦争で参謀総長として
日本軍を勝利に導いた。朕は余り武については評価できる程、知識は無いが
こういう時、秀忠は居てくれて助かると思っておる。

>365 (これは金持ちだから言える台詞)
気を悪くしてしまったか。許せ。朕の失言であった。
確かに金銭に乏しければ、性根もそうならぬとも限らぬ。
やはり現代では金が無いと、何事も上手く行かぬか。
尤も、朕の頃の朝廷もそうであったが。

>366 (おのれ家康!)
大きな声では言えぬが、朕も禁中並公家諸法度が発布された際に、
何度、心中でその台詞を吐いた事か分らぬ。
だが、所詮力無き者が幾ら吼えようと、家康の様な権力者には
蚊に刺された程も感じぬのだろう。
>367 (なんとスピーチされますか?)
「日本人は勤勉で礼儀を重んじ、自然は豊かで四季の美しさがあり
 貴国とも、今後とも末永く親交を結ぶ事を願う所存です」
こんな所で、なるべく簡潔にまとめるのが望ましいか。

>370 (本多忠勝)
秀忠に拝謁に来たか。その勇猛さを表わす兜に眼光鋭い瞳。
流石は徳川四天王随一と言われただけはある。
だが中国の韓信の様に、君主より死を賜る事無く畳の上で往生出来たのは
幸いと言うべきではあるまいか。

>371 (日本史上で印象に残るエピソードは?)
昭和天皇の玉音放送の瞬間と見る。
長き戦争が終結し、新生日本への不安と期待が入り混じった
複雑な時代の象徴と見れなくも無い。

>372 (石田三成)
繰り返すが、武に暗い朕には断定は出来ぬが、
幼君を戴いた豊臣家では、老獪な家康には対抗出来なかったであろうから
成長を待ちつつ、豊臣恩顧の諸大名を意思統一させて機会を待つしか無かろう。
敗者とは言え、忠節を全うしたそちを悪く言いとうは無い。

>373 (日本武尊について「へぇ〜」な話を希望)
日本武尊が女装して、熊襲を討った話は有名だが、
これから察するに、相当の美男であった事は確かと言えよう。
尤も、実在云々となると疑問も残るのだが。

>374 (なんて質問の多さだ)
慰労の言葉感謝するが、一時期の一日に一つつくかつかないかと言う
閑散とした状況に比べると、実に有難い事と受け止めている。
やはり公武合体の決断は正しかった。
秀忠と、質問を書いてくれるそちらに改めて礼を申す。
冬のお勧めスポット教えてください。
できれば自然が深く、しんみりとした閑散さの中にも旅情があるようなトコを・・・。
上杉謙信といえば角川映画の「天と地と」を
思い出すなあ。
・・・つまんなかったっけ。
ラストサムライは評判高い。
観にいきますか?
来年のNHK大河・新撰組!は?
刀狩りじゃ!
廃刀令
命令シリーズ?
じゃ、墾田永年私財法について!
384以上、自作自演でした。:03/12/07 11:55
  巛巛巛
     ┃┃
      ┃┃_
    /     \
  /     ― ― |
  |∃    -  - |
  煤@     > |
   |    ┏━┓|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  |   ┃─┃|  < クソスレは 荒らしてしまえ ホトトギス
  | \   ▼ /    \________
  |    ̄  ̄|
        / ̄ヽ
        |   |
     _ / ̄ ̄ ̄\_
     (_|_____|_)
       |∃   ゝ ゝ│   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       煤@<   ω >  < クソスレは 削除依頼だ ホトトギス
       |  ヽ┏ ┓/    \__________
   / ̄ ̄ \|┃Θ┃ ̄ ̄\
 /        ▼      \
     巛巛巛
     ┃┃
      ┃┃
    / ̄ ̄ ̄ ̄\
    |ミ|    ━ ━|
    |ミ/   (・) (・))    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   (6     (_ _) )  < クソスレは dat落ちだよ ホトトギス
    | ∴ノ┃─┃ ノ    \__________
     \_____ノ.
385徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/07 13:29
>370 (本多忠勝)
上総大多喜の築城と町割に見られる内政手腕を持っていたそなたなら
戦国でなくても名君として名を残せたであろう。
その様な不満めいた事を言うと、功臣であっても目こぼしは出来ぬぞ。

>371 (日本史上で印象に残るエピソードは?)
慶喜が江戸を退去した時だ。徳川幕府が滅亡し、明治政府が発足して
近代日本の礎となった出来事だが、余ら徳川家にとっては屈辱の瞬間であった。
最初は薩長の者共に何が出来ると侮っていたが、中々の実績を残した。
それは認めねばなるまい。

>372 (石田三成)
貴様の如き一官僚が何をしようと、父上に勝てる訳は無かったのだ。
亡国はもって存ずべからずと言う様に、豊臣家は朝鮮出兵でつまずいた時に
天下の覇権を己から捨てたのよ。
逆賊には、それが未だに理解出来ぬらしいな。

>373 (日本武尊について「へぇ〜」な話を希望)
父の景行天皇に献上される女子を横から奪い取った兄を
手足を引き千切って殺したと言う逸話の持ち主だ。
古事記や演劇などで美化されているが、内実はそうでもないのだ。
386徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/07 13:29
>374 (なんて質問の多さだ)
実に喜ばしき事にて、これをこなさねば将軍の名が泣く。
何も遠慮する事は無いので、更なる質問を書くがいい。
鍋も、有難く頂戴する。

>377 (冬のお勧めスポット教えてください)
北海道オホーツクの流氷を薦める。
そなたが本州在住なら、多少時間と旅費を食うが一見に値する物にて
自然が作り出す氷の芸術を堪能するが良い。

>378 (「天と地と」)
あの映画は、戦場シーンにのみ金と時間を費やして、肝心の脚本を
ないがしろにして失敗した、いい見本だ。
戦国を題材にするには、戦は勿論だが、それに到るまでの経過や人間ドラマも
充分考慮に入れて制作しなければ、駄作の烙印を押されるだけだ。
尤も、角川にその様な芸当など望むべくも無いがな。

>379 (ラストサムライは評判高い)
俳優陣は中々豪華であるし、前評判も高いので一度は見てみたいと思う。
だが、余り過大な期待を抱いては、後で悔やむかも知れぬので
興味本位で見るのが良いだろう。

>380 (来年のNHK大河・新撰組!は?)
既に何回も取り上げられた幕末。しかも新撰組では期待など出来ぬ。
それに出演者の顔ぶれを見ても、言葉は悪いがミーハー向けと即座に気付く。
大河ドラマもあそこまで墜ちるとは、残念だがこれも時流であろうな。
推測するに、架空の女子が絡んで恋愛ドラマになると余は考える。
387徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/07 13:31
>381-382 (刀狩)
そもそも、戦国時代では農民が兵の中心だったので、どの農家にも
刀を始めとした武器は豊富に所持していたが、それではいざと言う時
鎮圧が容易では無い上、兵農分離の政策にも反するので信長公が
領内で行われたのが最初とされている。それを全国で実施したのが秀吉公だ。
我が徳川でも、それを引き継いで徹底して取り締まり
無断で所持している者は、時には村ぐるみで連座して罰したのだ。

>383 (墾田永年私財法について)
奈良時代に定められた土地所有に関する法律で、それまで三代に限っていた
土地の私有を、国司の許可と開墾を条件に永代私有を認めた物だ。
最初は、土地開発と地方豪族の取り込みが主な目的であったが
次第に貴族による寡頭支配が進み、天皇家及び国権を弱める結果となった。

>384 (天下人三代)
確かに見るべき価値も無い所は、あるだけで不快かも知れないので
父上始め御三方の御発言も、的を射ていると同意しますぞ。
しかし、信長公のは、実に御性格が表されていますな。
対照的に父上は、放置に任せるとの御考え。
流石は戦国を生き抜かれた方々と感服する次第ですぞ。
日本史上サイコーの女性は?・・・業績功績で、ですぞ!
・・・・・田中真紀子
基本的なしつもーん♪
幕府ってぶっちゃけナニ?
>377 (冬のお勧め)
かつて後醍醐天皇が行宮を置かれた奈良県の吉野はどうか。
自然と歴史が与える叙情を白雪の中で想うのも悪くは無かろう。
参考に↓を貼っておく。
ttp://www.jalan.net/kanko/SML_290802_02.html

>378 (上杉謙信といえば角川映画の「天と地と」)
あの雄大な戦場の場面で有名だが、評判は芳しくないようだ。
だが、川中島の合戦に限ってみれば、決して悪くは無いと朕は思うが。
余談だが、朕は「武田信玄」の柴田恭平が印象に残っておる。
野性的な魅力が最初、違和感があったが、回数を重ねる内に好意的に見れた。

>379 (ラストサムライは評判高い。観にいきますか?)
辛口の秀忠が褒めるからには、余程前評判が高いのであろう。
朕も一度、映画館に行幸しても良いと前向きに考えておる。
関連所を見てみると、従来の米側の視点では無い画期的な内容らしいの。

>380 (来年のNHK大河・新撰組!は?)
秀忠は否定的だが、朕は幾分期待している。
幕末及び新撰組は知名度の関係か、よく取り上げられる分野だが
一年間を使う大河では、濃い脚本と演出が可能と考えている。
若手の起用も、人材育成と視聴者層の拡大には良策であろう。
ただ一つ難を申せば、土方歳三にもう少し経験ある者を起用して欲しかった。
あくまでもこれは朕の個人的希望だが。
>381-382 (刀狩りじゃ! 廃刀令)
細部にわたる事柄は秀忠が既に述べているが、
やはり民間に武具が行き渡るのは好ましく無い。
統治側の勝手な理屈かも知れぬが、自衛の伝統深い米国とは異なり
日本では、極力抑えるべきだろう。

>383 (ホトトギス)
極論を言う事は控えられよと言いたいが、やはり家康の言う通り
放置して成り行きに任せるのが最上だと思う。
仮に誰かが拾い上げて、花を咲かせないとも限らぬ。

>388 (日本史上サイコーの女性は?・・・業績功績で)
朕が言うには差障りがあるかも知れぬが、鎌倉幕府の北条政子を挙げる。
日本で最初の幕府の長である征夷大将軍の妻として、色々苦労もあったが
それらを乗り越え、時には功臣や実の息子すら幕府の利に反すると見れば
断固として排除し、特に承久の乱の折の演説は長く後の世に伝わる程にて
女子或は妻としてではなく、一人の政治家として生きたと言える。
だが、浮気に対しての態度には腰を引かざるを得ないが。
>389 (・・・・・田中真紀子)
社民党の土井女史が引退した後は、その者が知名度等で第一であろうが、
朕は余り、彼女を評価しておらぬ。組織優先が第一の政治家としてでは
ただ我を通すだけでは混乱を招くだけにて、少し抑えられよと申したい。

>390 (幕府ってぶっちゃけナニ?)
元々は中国にて、遠征中の将軍の居る部署をさす言葉であったが
日本では衆知の通り、征夷大将軍を長とする武家政権を表現する意味となった。
我が天皇家にとっては多少考えさせられる言葉だが、
武士の力甚だしき時代では仕方が無い事だったのだと諦めるしかあるまい。

白雪の 流れ様々風を越え 君の手を取る ぬくもりを得て
七将事件 勃発
なんで幽霊は頭に△のヤツをつけてるんですか?
渡辺謙の独眼竜正宗は観てましたか?
明治政府の廃刀令について講義を。
農民から刀を取り上げるのはまだ楽(?)そうだが
侍から取り上げるとはかなり大変だったと思ふが。
年末十二月にまつわる話をw
> 東京都府中市西府町の熊野神社境内にある古墳を発掘していた同市教委は5日、
>古墳は3段からなり、下2段が方墳、上段が円墳の、全国でも珍しい上円下方墳と
>判明したと発表した。

少し時間の経ってしまったニュースですが凄いですね。
なにが凄いって神社の盛り土を古墳だとよく発見したもんだ、とね。
400徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/09 17:53
>388-389 (日本史上サイコーの女性は?)
帝が政治面で北条政子を挙げたので、余は文化面で紫式部としておく。
日本のみならず世界最古の長編小説の作者である式部は
日本が世界に誇れる女性文人だと断定できる。
尤も、本人は今で言う二次創作か同人の類の感覚で書いていただろうが。
何せ仕えていた中宮彰子とその周辺の同僚しか存在を知らなかったらしい。
田中真紀子の様に、一過性の名前とは大違いだが。

>390 (幕府ってぶっちゃけナニ?)
帝が申している様に武家政権を指す名称だが、鎌倉幕府の源頼朝公の館を
そう呼び習わしたのが日本での由来だそうだ。
余ら将軍家にとっては神聖かつ重厚な意味を持ち、
これを守り伝える事こそが至上な事であったのだ。

>394 (七将事件 勃発)
加藤清正らが石田三成を追って我が徳川家の屋敷にまで押しかけた時
大抵の武将なら、身柄を引き渡して決着されるのを、父上と正信は
あえて三成を守る事で、天下に公平さを誇示されると同時に
豊臣家の内紛の元である三成を泳がせる事によって、後に天下を取られた。
あれほど老獪な策は古今稀であろう。

>395 (なんで幽霊は頭に△のヤツをつけてるんですか?)
白頭巾の事か。何でも冥界で閻魔大王に拝謁する際には
帽子か頭巾をかぶるのが慣わしだそうで、その延長と多くの幽霊画の関係と
余は耳にしておる。それが現代まで残る幽霊の象徴である。
401徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/09 17:54
>396 (渡辺謙の独眼竜政宗は観てましたか?)
無論生で見ていた。歴代大河の最高傑作と申して差支えない大作であったが
実際の政宗は、あの様に前線で剣を振るう事など無かったそうだ。
それに細かい事だが、余自身、政宗が眼帯をしていた所を見た事が無い。
ほとんど、片目をつぶった姿で普通に拝謁していたのだ。
だが、さの作品で伊達政宗という武将が全国級で有名になったのは
紛れも無い事実だ。

>397 (明治政府の廃刀令について講義を)
明治に到って従来の士農工商を撤廃するための政策として実行されたが
かなり抵抗があったそうだ。何せ武士の魂とも言える刀を捨てて外を歩けとは
余ですら難色を示すのに、固定観念に支配されていた武士には自分の
存在意義を否定されるのと同じなのだからな。
各地で勃発した不平士族反乱は、政府からの俸禄廃止とこの廃刀令の結果だが
遅かれ早かれ実施せねばらなぬ政策だったのだから、むしろ英断と言える。

>398 (年末十二月にまつわる話をw)
余の父であり、偉大なる初代将軍でもある徳川家康公の御誕生日が
十二月二十六日である。まだ三河の一部を治めるに過ぎぬ一大名の頃であるが
その日は家臣一同、余の曽祖父であり、松平家の中興の祖である清康公の
再来とまで歓迎されたと言う。当の父上にとってはかなり重荷であっただろう。

>399 (神社の境内で古墳発見)
それは珍しく話よ。灯台下暗しとはこの事を言うのかも知れぬ。
そこに目をつけて発掘した関係者の慧眼と努力に余も敬意を払おう。
また日本古代の新しき資料になる事は確実か。
よく教えてくれた。礼を申す。
402徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/09 17:56
>だが、さの作品で伊達政宗という武将が全国級で有名になったのは ×
>だが、あの作品で伊達政宗という武将が全国級で有名になったのは ○

誤字をしたか。許せ。
小泉総理の自衛隊派遣演説はいかがでしたか?
404武田信玄:03/12/10 18:08
♪〜〜♪〜〜〜〜〜〜〜〜♪〜〜〜〜〜〜〜〜


おう、また笛の音じゃ。見事よのう。
これ床机を持て。じっくりと耳かたむけるとするか。



ズダーーーーン


ぐわっ!
風林火山の極意とは?
>394 (七将事件 勃発)
豊臣秀吉没後に起きたそうだが、一人の主君に頼ってきた家では
こうした事柄が起きても不思議では無いと言う教訓になる話である。
家臣同士の私闘は両成敗らしいが、それ故裁定も難しい。
それを自らの覇権確率に利用した家康は、やはり尋常の器ではあるまい。

>395 (なんで幽霊は頭に△のヤツをつけてるんですか?)
秀忠が挙げた説が有力だそうだが、円山応挙をはじめとした幽霊画では
大抵三角頭巾と白い着物。そして足が無いのが共通している。
果たして誰がこうした固定された印象を完成させたかは朕には判らぬが
広く流布した関係上、完全に幽霊の代名詞となったようじゃ。

>396 (渡辺謙の独眼竜政宗は観てましたか?)
朕も観ていた。思えば渡辺謙の最初の主演作であったが
そうとは感じさせぬ程の名演技が今でも記憶に新しい所である。
その他では、いかりや長介の鬼庭左月入道が渋い老将として
印象に残っておるが、あれを超える大河が出ていないのも寂しい現実だ。
何より、勝新太郎の豊臣秀吉と津川雅彦の家康が存在感が在りすぎた。
尚、津川雅彦は後に葵徳川三代でも同じ家康を演じたが、老獪さと陰険さが
実に配役に合っておった。
>397 (明治政府の廃刀令)
廃刀令の前に布告した徴兵令で従来の武士による軍事権独占を廃し、
西欧型の国民皆兵を導入した関係上、避けて通れぬ政策であったらしいが
当然、明治政府も氏族の抵抗を予測しての発令であったと考える。
後の各地の反乱が、西南の役以外速やかに平定されたのがその表われであろう。
発案者が山県有朋だったそうだが、流石だと感心する次第である。

>398 (年末十二月にまつわる話を)
1926年の12月25日に時の大正天皇が崩御し、年号が昭和に代わったが
その際、東京日日新聞が新しい年号を光文と誤報し問題となった。
一説には、この号外の為、急遽宮内庁が昭和に変更したとも言われているが
真相は定かではない。尚、昭和元年は僅か一週間程で終わっておるので
その刻銘がなされた通貨や商品は収集家の間では珍重されていると言う。

>399 (熊野神社境内にある古墳)
未だ未知の部分が少なくない日本古墳時代の貴重な資料になる事は確実だが
数年前にはやった捏造の類で無い事を願うばかりである。
一個人の過度な名誉心がもたらした結果、日本の考古学全体に不利益と
信用失墜を与え、朕も甚だ心痛の限りであった。
今後、その様な事の無いのが望ましい。

>403 (小泉総理の自衛隊派遣演説はいかがでしたか?)
別段、目新しい事柄を述べている訳でも無い。
ただ自衛隊派遣を決定したと云う事実が大事であり、
今後の政局及び国内治安問題に大いに影響する事は容易に予想される。
従来の政策決定とは異なる次元だと、首相始め政治家も自覚していれば良いが。
>404 (武田信玄)
詳しい事は存ぜぬが、何でも三方が原の戦いの後の小城での戦で
敵方の某が吹く笛の音に耳を傾けていた時狙撃され、その傷が元で陣中で
死んだというが真偽の程は朕には皆目見当がつかぬ。
余談だが、五代将軍綱吉の砌、時の実力者であった柳沢吉保が
自身が武田遺臣の流れの関係か、朝廷に武田信玄の官位追贈を
願い出た事があった。これが現代まで続く武田家人気の源流かも知れぬ。

>405 (風林火山の極意とは?)
兵法書で有名な孫子の一文で、軍の進め方を表現しているそうだが
今では武田信玄の代名詞になっている。
だが、時代を下り、南北朝の頃、北畠親房が同じ軍旗を使っており
現物が神社に奉納されておる。
尤も御世辞にもその言葉通りには行かなかったが。
城普請でもっとも肝要な事はなんじゃ?
寒い・・・寒いよ〜
ストーブもヒーターもない頃の日本に生まれなくてよがっだよ〜
伊達騒動はどんな騒動ー!!!
現代にちょんまげを復活させたいのですが・・・・。
413徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/12 00:15
>403 (小泉総理の自衛隊派遣演説はいかがでしたか?)
別段、作文の朗読に興味は無いので見なかったが
おそらく内心は一人でも死者が出ない事を祈っている筈だろう。
それが人命尊重か、或は自らの政治的立場のためかは知らぬが
どちらにしろ、一度決断したのなら、どの様な障害があろうとも
その姿勢を全うせよと言うのが余からの言葉だ。

>404 (武田信玄入道)
三河野田城の折の逸話だが、余はこの説を信じてはおらぬ。
影武者を数人も置いた程、用心されていた信玄入道が軽々しく前線にて
敵兵の吹く笛の音に、聞き惚れていたなどとは考えられぬ。
やはり、年来患っていた結核等の病で陣没したと見ておる。
ただ、戦場に華を添える逸話なのは確かだがな。

>405 (風林火山の極意とは?)
帝が言う様に進軍の極意と申せばそうだが、
今流に直すと、臨機応変に行えとも読み取れる。
一つの方法に執着せず、風林火山を使い分けろと言う事だ。
兵法書は語句を暗記するにあらず。それを如何に応用するかが本質である。
414徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/12 00:16
>409 (城普請でもっとも肝要な事はなんじゃ?)
如何に自分の懐を使わずに堅固な城を築かせるかにある。
父上は、いわゆる大名を動員しての普請を大々的に始められた方だが、
恫喝と懐柔を上手く使い分けられた物であった。
余もそれに学ばせて頂いたが、徳川の覇権に大いに役立った物であった。

>410 (ストーブもヒーターもない頃の日本に生まれなくてよがっだよ〜)
そう申すが、余らの生きた時代ではストーブと言う概念そのものが無いので
別に不自由とも考えなかった。
それに、そなたらの子孫から見れば、ストーブの如き原始的な物で
暖を取るしかない時代が、そう見えるかも知れぬぞ。
物事を見る基準など、時代や技術によってどうとでもなるのだ。

>411 (伊達騒動はどんな騒動ー!!!)
仙台藩伊達家の御家騒動と申せばそれまでだが、
政宗の末子である兵部宗勝と、その姻戚関係にあった時の大老酒井忠清による
最終的は仙台藩取り潰しの陰謀と見るのが一般的だ。
結局、責任者や重臣らの処罰で終わると言う中途半端な結末であったが
未だに不明な箇所が多い騒動である。
おそらく当事者達にも断定した答えは出せないのでは無いのか。

>412 (現代にちょんまげを復活させたいのですが・・・・)
懐古主義は結構だが、実用的かどうかも重要な基準の一つだ。
別段、便利とも思えぬちょんまげを現代に復活させて何を求めるのか。
もし、そなた一人の趣味だとしたら、せいぜい劇団からかつらを
借りるぐらいにしておくが良い。気分を味わう程度にして置くのが無難だ。
三好青海入道ってどんな人だったんです?
御自分の母上様の事を語ってくだされ
日本刀は何人斬れますか?
>409 (城普請でもっとも肝要な事はなんじゃ?)
朕には無縁な話だが、強いて申せば人夫に充分な給金を渡し
急かさずに進める事か。余程の急場で無ければ検討を重ねつつ
どの様な事態に合っても落城の心配の無い城が出来れば文句は無かろう。
それに、重労働なので人夫に不満を抱かれぬ様、気を使わねばなるまい。

>410 (ストーブもヒーターもない頃の日本)
別に朕も困りはしなかったが、御所では火を使う事は表向き禁じられており
せいぜい火鉢程度しかなかった。
寒いと言われればそうだが、万一焼け落ちて幕府に頭を下げて再建して
貰うよりはましであったから止むを得まい。

>411 (伊達騒動はどんな騒動ー!!!)
詳しくは秀忠が述べておるが、江戸時代においてのこうした大名家の騒動は
十中八九、幕府の手が働いていたと考えるのが妥当である。
無論、取り潰しの口実に利用するためであろうが、えげつない行為と
朕も当時、眉をしかめていた。
尚、小説の「樅の木は残った」がこの騒動を詳細に取り上げた物なので
一読を薦めておく。

>412 (現代にちょんまげを復活させたいのですが・・・・)
それはまた奇特の至りであるな。
しかし、今では何かと不自由の多い髪形なので、余り薦められぬ。
例えば、眠る時の枕一つでさえ、邪魔になり安眠できぬのだぞ。
>415 (三好晴海入道ってどんな人だったんです?)
大衆文学や講談で有名な真田十勇士の最年長者で、何でも五十人力と
自称する程の怪力の持ち主であったと言う。
だが、三好家出身の者が何故、信州真田に仕えたのか解せぬし
実在自体疑問なので、僧兵か入道武将を参考にした者だと思う。

>416 (御自分の母上様の事を語ってくだされ)
>85の>83宛で若干述べておるが、和子入内の折、かたくなに拒否し続けた
朕に対し、調停役を買って出られ、危うく天皇家の危機を逃れるのに
活躍もされたのだ。また入内して間も無く周辺と溶け込めなかった和子にも
心優しく接せられ、公私両面で朕らに貢献してくれた。

>417 (日本刀は何人斬れますか?)
朕は詳しくは知らぬが、時代劇の様には行かぬ筈じゃ。
人間の血や脂肪がこびり付くので、せいぜい五人が限度では無いか。
戦国の御世でも、大抵の兵は数本の帯刀をしていたらしいし
案外消耗品だったのかも知れぬ。
この203みたいな奴って本当に分かりやすいよな。
自分がやってたって言ってるようなもんだ。
そして同時に197と晒されてる765が自分だとも。
痛い発言をしてそれを晒され、ムキになって反応したところで
名無しの何気ない一言に核心を突かれ「お前は迷惑だ!」ってか。
一番迷惑なのは偉そうな名無しの発言を貼るスレで絡みまくってたこの子なんだけどね。
何かこういう奴を見てると毒スレで論破された悔し紛れに犯罪心理学を学んだ
ことあるとか粋がって浮きまくってたアイタタなオタ女を思い出すよ。
共通点は理屈で筋を通せないことを煽りやハッタリで押し通そうとしてるところ。
頭弱いね。

196 名前:以上、自作自演でした。[] 投稿日:03/10/07 15:09
某スレより
765 :以上、自作自演でした。 :03/10/01 18:02
読めば読むほどムゼッタさんのボロが出てくるな

197 名前:以上、自作自演でした。[sage] 投稿日:03/10/07 16:46
懲りずにやってるね。
よっぽど悔しかったんだろうけど。

202 名前:以上、自作自演でした。[sage] 投稿日:03/10/07 18:01
つまり>197はムゼッタとかいう人に粘着してるわけか?

203 名前:以上、自作自演でした。[sage] 投稿日:03/10/07 18:02
>202
貴方、いい加減にしてください。
このスレでまで迷惑掛けないでください。   
こないだ京都いったら、どこをみても無機質なコンクリートのビルばかりで
どこが伝統や文化の都市だよ、という感じでガッカリしたな。
先の戦争で米軍すら敬意を払い爆撃を避けた街を、当の京都の人間が
ないがしろにしてる現状に、呆れるやら腹が立つやらで何とも言えない
複雑な気持ちだったよ。
422以上、自作自演でした。:03/12/13 16:10
420はスルーしてください。
意味のない煽りです。
423徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/13 18:08
>415 (三好晴海入道ってどんな人だったんです?)
大坂の陣の折、真田幸村の下で戦った俗に言う真田十勇士の一人らしいが
立川文庫が元の架空の武将なのが本当の所である。
だが、徳川幕府時代においても真田家特に幸村の人気甚だしく
その結果庶民の間でも、一種の伝説的存在となったのは苦々しい事ながら
事実と認めねばなるまい。
何せ父上の旗を倒したのは武田信玄入道と幸村のみであるからな。

>416 (御自分の母上様の事を語ってくだされ)
余の母である西郷の局は名をお愛と言い、寡婦の身分から父上の目にとまり
寵愛を受けられて余と忠吉の二人の男子を産まれたが、
僅か二十八と言う若さで病没されたので、思い出などほとんど無い。
ただ今でも記憶に残っているのは、幼い余の前でも憚られる事無く
父上に組み敷かれる姿だけだったのだ。
所詮、父上にとっては慰み者の一つに過ぎなかったのだろう。
余も強いて母上に関する話を聞き出そうともしなかった。
偶々二代将軍である余を産むための役目を与えられ、それを全うされた。
それだけの存在よ。
424徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/13 18:08
>417 (日本刀は何人斬れますか?)
帝の言う様に、日本刀は斬れ味は良いが実用性と言うと疑問が残る。
数人も斬ると、その者の血脂が表面を覆い使い物にならなくなる上に
熟練した兵になると、刀の峰を手刀で叩き折る者も居たので
それ程信の置ける武器ではないのよ。

>421 (現代の京都)
そなたの申す通りである。本来古都と呼ばれる町はそれなりの文化保護条例か
何かで大切に維持して行くのが正しいのだが、ただ一時の利に目をやられ
現代のその他の町と代わらぬ物となって行く様は見るに耐えぬ。
京の都とは特に縁の薄い余でさえ腹立たしいのだから、
そこに生涯を過ごした帝にとっては腸の煮えくり返る思いであろう事よ。

>422 (420はスルーしてください。)
了解した。余も見て理解出来ぬ代物なので、
言うべき言葉が思いつかず難儀していたので、そうさせて貰う。
何せそうした場を見る事は無いのでな。
藤原定家はどう思います?
426以上、自作自演でした。:03/12/15 13:15
竹中采女は?
>421 (こないだ京都いったら)
嘆かわしき事だが、それも仕方が無い。
何時までも古き善き町並みも良いが、多くの者が生活する以上
便利さを求めて開発の手が及ぶのは至極当然である。
だが、せめて観光名所の類は大切に保存して欲しい。

>422 (スルーしてください)
では朕も秀忠に倣い返答を差し控える。
見ても何を申しているのか理解できぬ。

>425 (藤原定家はどう思います?)
百人一首を新古今和歌集で有名な歌人で貴族だが
若い頃は随分と粗暴だったらしい。
宮中で口論を起こし傷害沙汰で謹慎した事もある。
文人としての活動は年を取ってからであり、後天的な素養であろう。
また日記の明月記は当時の世相風潮を知る貴重な資料として
国宝に認定されるほどだと言う。

>426 (竹中采女は?)
名を小耳に挟んだ事はある。確か切支丹弾圧の際に功あった奉行らしい。
とは言え幕府の吏を朕が批評するのは差障りがあるので
ここは、実際に用いていた秀忠に任せるとしよう。
2次世界大戦終結の際、天皇陛下が処刑されてたらどうなってたでしょうか?
429徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/16 00:56
>425 (藤原定家はどう思います?)
和歌で有名だが、所詮は文弱の徒に過ぎぬ。
公家全般に言えるが、普段は声高に論ずるがいざ現場に立つと
口をつぐんで何もせぬ。そんな輩なのだ。
ただ、後鳥羽上皇を見限って延命を図ったのは評価に値するがな。

>426 (竹中采女は?)
余が任じた長崎奉行であり切支丹を根絶するのに大功のあった者だ。
外様大名ながら、幕府への忠義と手腕を買って任じたが、中々役に立った。
外様譜代に関わらず、切支丹の教えである神を第一とする思想は
幕藩体制及び武家社会では相容れる物なので嫌うのは当然だが
案外、嗜虐趣味があったかも知れぬな。

>428 (2次世界大戦終結の際、天皇処刑)
最初は若干の混乱が起きるかも知れぬが、食が第一の欲求であり
目的であった当時の国民には、さして関心も薄かろう。
案外すんなりと共和制が受け入れられて、その隙に乗じて共産勢力が
浸透したと考える。だがアメリカ主導なのは代わりが無かっただろう。
天海は明智光秀でしょうか?
フセインが捕まったことにコメントを
>428 (2次世界大戦終結の際)
余り考えたくは無いが、やはり戦犯裁判にかかれば良くて国外追放。
最悪の場合絞首刑になるが、秀忠の申す通りあの時の国民に天皇家に
目を向ける余裕があるかが疑問なので、既成事実化されると答えておく。
幸い利害が一致したので存続を許されたが、それが第一の収穫であろう。

>430 (天海は明智光秀でしょうか?)
それについては諸説あるが、朕は別人と見る。
天海僧上程の高僧は稀であるし、前半生が不明なのも別段あの頃では
珍しくも無い。
何より大師号を朝廷より下賜された高僧を云々したくは無いと言う
理由もあるので、詳細な部分等で比較するのも控えておく。

>431 (フセインが捕まったことにコメントを)
朕も逮捕されたと言う際の映像は見たが、一国を支配し
数々の物議をかもした世界的人物の末路が暗い地下で金と武器に囲まれて
息を潜めていたとは、些か哀れとも感じられなくも無い。
栄枯盛衰は洋の東西を問わず厳しい物よ。
日本料理はどちらかというと簡素なものが多いですが、素材がいいからですかね?
いままでで感動した映画ベスト5をおしえるのじゃ
435徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/17 01:32
>430 (天海は明智光秀でしょうか?)
実は余も疑問に思っていた。天海が何時どこで父上の知己を得たかも
存ぜぬし、しかも前半生不明の僧侶に臣を見る目確かな父上が
あそこまで信を置いたのもどこかで接点が有ったのでは無いかとな。
今では会津の芦名氏の一族とする説が有力だが、現に明智光秀殿と
共通する箇所が幾つかある以上、鵜呑みには出来ぬ。
とは言え余も何度か遠回しに訊ねても、上手く話をそらされたので
真実は未だに闇の中と言うしか無い。

>431 (フセインが捕まったことにコメントを)
戦争前は密かに地下通路だの様々な手段と言われたが、
その結果が暗い穴倉での日陰暮らしとは、呆れ果てた物よ。
所詮、自らを弁えずに蟷螂の斧をふるった愚者の末路よ。
おそらく今後はアメリカ主導で国際法廷が開かれ、
終身刑あたりで結末が訪れよう。

>433 (日本料理)
素材もそうだが、長らく肉食を廃して来た関係で山菜や魚鳥と言った物が
中心となり、そなたの言う簡素な物になったのであろう。
交流の続いた中国が種々雑多な料理法なのに対し、日本が文化風習で選別した
結果が、今の日本料理として完成したと言えよう。
436徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/17 01:34
>434 (いままでで感動した映画ベスト5をおしえるのじゃ)
余は余り映画館に足を運ばぬのでテレビ映画も含めるが構わぬな?

一、田原坂(西郷隆盛は薩摩藩なれどその生き様には感動を覚えた)
二、里見八犬伝(日本SF時代劇の傑作と見る)
三、風の谷のナウシカ(これは外せぬな)
四、魔界転生(沢田研二版)(原作と共に余も楽しませて貰った)
五、スターウォーズ・ジェダイの復讐(洋画ではこれが気に入っておる)

洋画とアニメを一作ずつ入れて調和を取ったが、滑稽に見えても許せ。
田原坂ですか!
た〜ば〜る〜ざあああか〜〜〜♪
なつかしい!
何年前でしたかね。あれはよかったスね。
日本人で良かったと思いますか?
メリケンにの方が足長くて、顔立ちも良く英語で格好いいと思いませんか?
上様が沢田魔界転生を挙げられるとは。
CGなんてつかってないけど平成版より迫力あったよね。
魔人宮本武蔵はNHK大河武蔵より超剣豪って感じでしたよね!
>433 (日本料理と素材)
やはり秀忠の言う様に日本独特の食文化の結果だと考える。
精進料理から山海の珍味まで幅広い種類を開発した無名の料理人たちに
心から感謝と敬意を表す次第である。

>434 (いままでで感動した映画ベスト5をおしえるのじゃ)
では朕も感動或は印象に残った映画を述べる。
一、アマデウス(今でも見返す名作じゃ)
二、五稜郭(朕は土方歳三が好きでな)
三、裸の銃を持つ男シリーズ(アメリカンコメディーの代表作)
四、インディペンディンス・デイ(スケールではこれが気に入っておる)
五、ジャンヌ・ダルク(リュック・ベンソンのだが…少し電波なのが難か)

>437 (田原坂)
確か1987年なのでもう十六年前になるとはな。
あの頃は年末には大抵大型時代劇で楽しめたものだが、今は寂しい物がある。
そう言えば今年はどこも忠臣蔵を放送しなかったか。
時代は移ろい行く物か。
>438 (日本人で良かったと思いますか?)
日本人で良いと考えておる。やはり一度生まれ過ごした日本が
一番であり仮に外国で生まれても、どう思うかは今の朕には判別できぬ。
結局、現状が一番無難かも知れぬ。

>439 (沢田魔界転生)
まあ秀忠も朕も古い人間だから、そちらを好むのも頷ける。
俳優陣と殺陣は今の役者では再現できぬ程の物だったし
宮本武蔵など、正に殺気と気迫が伝わった物であった。
まだ若い大河武蔵では言葉は悪いが、まだ早いのかも知れぬ。
何年前だったかNHKの2時間ドラマ「上杉鷹山」主演・筒井道隆も良だったな。
御覧になったですか?
NHKの本木の演じたドラマ聖徳太子は?
死んで責任とれるもんなんですか?
445徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/19 17:50
>437 (何年前でしたかね。あれはよかったスね)
うむ。西郷隆盛とその周辺を描いた物では一番だと余は思う。
西南戦争の場面は実に当時を上手く再現していたが
後の大河の飛ぶが如くに比べると大きく勝っている。
最後に銅像を見ての妻の一言が「こんな顔じゃない」だったが
実際、本物がどの様な顔をしていたかは不明だからな。

>438 (日本人で良かったと思いますか?)
確かに今現代ならアメリカ人の方が良いかも知れぬが、
余の頃のアメリカは完全な未開の地で、せいぜいスペイン領メキシコが
知られているくらいであった。仮にそちらで生まれ育っていたら、
インディオとして奴隷にでもされただろう。

>439 (沢田魔界転生)
演出面では最近のより優れていたからな。
それに真田広之の最初の出演作と記憶しているし、
余に取っては日本幻想時代劇の最たる物なのだ。
特に炎上する江戸城での柳生親子の立会いは圧巻であった。
446徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/19 17:50
>442 NHKの2時間ドラマ「上杉鷹山」
生憎、余は未見だが江戸時代を通じて最高の名君の一人に数えられる
上杉鷹山が主役とは、おそらく正室との話が中心ではないのか。
確か身体に障害があって、妻の役目どころか日常の生活すら困難だと
聞いていたので、本人も何かと気遣いしたらしいが人間味溢れる名君で
あったのだろう。

>443 (NHKの本木の演じたドラマ聖徳太子は?)
それは見た。緒方拳の蘇我馬子が迫力あって
主役の聖徳太子を完全に飲み込んでいたが、やはり経験の差だ。
準主役に架空の人物で、伊真と申す新羅の者を起用したので
その手で話題になったのを覚えておる。
ただ後半は急ぎ足で進んだのは否めぬ。

>444 (死んで責任とれるもんなんですか?)
武家社会では不文律としてそうしてきた。
仮に親が過失を追って切腹すれば、子や子孫に咎が行かず
永代就職が認められたのだ。だが流石に謀反の類は一族郎党が連座であったが。
死でも許されぬ罪は存在するのだ。
この板はどこのスレも週末土日ガラガラだ・・・
448442:03/12/20 09:17
>446
財政破綻した上杉藩の改革の話でした。
ちなみに鷹山の正室は精神○害者なのかなと匂わせる描写でした。
鷹山は妻を「天女」と呼んでいたそうです。
天女なのじゃと。
もの悲しいいい話でしたよ。
霜降りて また来るべしと思うのは 年の暮れとぞ 日めくりを見る

>442 (上杉鷹山)
若干見た記憶はある。確か家老が禁則を破って酒宴を開いた場面が
記憶に残っているが、余り内容云々はな。
だが、江戸時代名君で有名な鷹山の話とは興味がある。
ちなみにアメリカのケネディ大統領が何かの席上で尊敬する日本人は誰かと
問われたら、上杉鷹山と答えたと言うが、結構知名度はあるのだ。

>443 (NHKの本木の演じたドラマ聖徳太子は?)
それは見ていないが、秀忠の話だと蘇我馬子が重要な役柄らしいの。
あの時代、決して天皇の権威は絶対ではなく、蘇我氏ら有力豪族の
胸先三寸であったが、それを押しのけて改革を成し遂げた聖徳太子に
今の日本の政治状態をなぞらえたのであろうか。

>444 (死んで責任とれるもんなんですか?)
秀忠らの武士の間ではそうらしいが、朝廷では権力闘争等で陥れられたり
何かの罪を得た者は表向き流罪で事済んだ。
だが、流刑先で憤死或は暗殺された例もあるので余り声高に非難は出来ぬ。
政治の世界は所詮その様な修羅に似た物なのかも知れぬ。
>447 (この板はどこのスレも週末土日ガラガラだ・・・)
やはり週末は自分の時間に費やしたいと言う者が多いのであろう。
だが、そんな中でも書き込んでくれたそちに感謝の意を表す物である。
これからも頼む。

>448 (財政破綻した上杉藩の改革の話でした)
なるほど。当時は米沢藩に限らず大抵の大名が財政逼迫状態だったが
稀に改革に成功したのが、その上杉鷹山なのでそうした形で語り継かれる。
正室の事は朕も少し伺っていたが、終生尊重したと言うのは美談であるな。
女子を子を産むための使い捨てと見ていた大名には稀な存在じゃ。
忍者とはなんじゃ
武士道とは死ぬことと見つけたり
時空警察!
んじゃ戦国自衛隊!!
455徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/22 16:56
>447 (この板はどこのスレも週末土日ガラガラだ・・・)
余も土日を利用して遠出していたので大きな事は言えぬが
そう言う時に限って足切りが訪れて、多くの場が消え去る。
これもこの板の摂理としか申せぬ。だがその中でもそなたらの
書き込みのおかげで、ここも保たれる。余も帝同様礼を言う。

>448 (442)
そうであったか。しかし藩財政改革の話では視聴者にも受けないと
考えたのか、妻の障害を放送範囲の限界まで出したと察するが
名君に限らず大名家では正室は嫁ぎ先の家との関係上大事に扱うので
案外、そうした実利的な面があったかも知れぬ。
米沢藩の窮乏の原因を作ったのは他ならぬ徳川幕府なので他人事でも無いが。

>451 (忍者とはなんじゃ)
前に説明した事があるが、権力者が敵対者或はその恐れのある物に
放つ、今で言うスパイと思えば良い。
何でも日本で最初に使ったのはかの聖徳太子だそうだが、
裏では大抵の者が類似した物を使わざるを得まい。
戦国の御世に最大限に使われ、多くの流派の名が挙げられるが
やはり我が徳川家の伊賀服部家が知名度では第一であるな。
456徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/22 16:57
>452 (武士道とは死ぬことと見つけたり)
佐賀藩の代名詞である葉隠の有名な言葉だが、死をもいとわず戦う
佐賀武士は薩摩隼人と並んで多くの諸大名に恐れられていた。
父上も鍋島直茂には一目置いていたが、竜造寺家の屋台骨ながら
半ば合法的に主家を乗っ取った手腕は端倪するのみだ。
ちなみにこの言葉が題名の隆慶一郎の「死ぬことと見つけたり」は
作者逝去のため未完だが、一読を薦める。

>453 (時空警察!)
陣内孝則の歴史考察番組か。正直な所俗説ばかり取り上げているので
余は余り好きではない。そう言えば今年の年末はこうした歴史関係の番組は
放送されるのか、少し心配だがな。

>454 (んじゃ戦国自衛隊!!)
これも前に述べたな。
最近は漫画版も出回っているので、読むには差支えあるまい。
んでは角川映画・里見八犬伝は?
天皇誕生日ですよ
最優秀・天皇は?どなた
先日の日曜日、日光に行ってきました。
東照宮を見てきましたよ。
こまか〜い彫刻がぎっしりでびっしり。
よくつくったもんだと感心すますた。
今日はクリスマスですね。もしかして一人で暇してませんか?
そんな皆さんのために、チャットの席をご用意しましたので、
宜しければお越しください!(ご多忙の方はスルーでOKです)

日時:12月25日 19:00〜
    (場合により、0:00より二次会もアリ。)

場所:ttp://nari.s4.xrea.com/      
(3〜9号室を予定しております。詳細は北風等にて。)
                         
 それでは良いクリスマスを!
咎も無き 己の身すら捧げるは 永久(とこしえ)に継ぐ 教えのためか

聖夜にちなんでキリストを詠んだ。

>451 (忍者とはなんじゃ)
>286で同じ趣旨の質問が来ていたが間者諜者の類と見て差支えない。
日本独自の名称なのでそちらにも馴染みが深かろう。
ただ世界中に存在する諜報機関がはるか二千年以上も前に
中国を始めとして原形として在ったのには只々驚くばかりか。

>452 (武士道とは死ぬことと見つけたり)
秀忠の話では葉隠が語源だそうだが
朕ら朝廷公家から見れば随分と物騒な話としか受け止められぬ。
生きて何かを果たせと言うのが現代の主な思想だが
これも滅私奉公の最終点かも知れぬ。

>453 (時空警察!)
朕も何回か見たが、源義経=チンギスハーン説を考察とは
どうも真剣な趣旨とは言えぬ部分が少なくない。
ただ歴史娯楽番組としては悪くは無い。
>454 (んじゃ戦国自衛隊!!)
これは知らぬが、どうも話の前後から見るに現代の自衛隊が戦国に
時間移動して活躍する作品だそうだが、こうした物に一言苦言がある。
あの時代では各地の方言がまちまちで通訳が無いと意思疎通が
難しくも有ったのだ。今でも東京の者から見れば薩摩弁は異国の言葉に
等しかろう。この様な細かい事を申す朕も朕だが。

>457 (んでは角川映画・里見八犬伝は?)
秀忠が二位に挙げておるな。
朕も古典・原作・映画全て見たが、商業映画の宿命か終盤の戦闘場面の多くが
削除されておるのがちと残念だった。だがあの時期の角川映画には
何か輝く物があったと朕は感じた。

>458 (天皇誕生日ですよ)
うむ。今上天皇も早七十だが平成の年号に相応しくこのまま長寿を
保って欲しい物だが、嫡系に男子が居ないのが唯一の悩みかも知れぬ。
一時期、女帝容認論が世間を騒がせたが、朕も興子(明正天皇)を
即位させた関係で他人事とは思えぬ。

>459 (最優秀・天皇は?どなた)
前に五人の天皇の名前を出したが、最優秀となると難しい。
だがあえて限定すると長い平安の御世の基礎を築かれた桓武天皇と
申しておこう。今に続く京都は他ならぬ桓武帝の遺産と言える。
蝦夷征伐に制度改革と内政面でも優れた実績を残されておるので
様々な異論もあろうが、ここに限り断定させて貰う。
>460 (東照宮を見てきましたよ)
左様か。冬の日光は如何であった?
正面鳥居に掲げてある「東照大権現」の額は朕の宸筆だが
あれも見てくれたであろうか。何分高い位置にあるので見憎いだろうが。
一度は朕を流罪にしようとした家康の神号を当の朕が書いたとは皮肉な話だが
幕府が要請した事故仕方が無かった。
だが、それを抜きにしても世界に誇る日本の世界遺産、堪能した事であろう。

>461 (宜しければお越しください)
この様な所に招待状とは有難い限りであるな。
朕も一度顔を出してみるのも悪くは無かろう。
465以上、自作自演でした。:03/12/24 20:54
そういえば、蜀スレでこのスレが紹介されてましたよ!
>465 (蜀スレでこのスレが紹介されてましたよ!)
左様か。蜀漢を一身に背負った姜維がここを見てくれているとは
実に歓喜に耐えぬが、ここは日本人が集まる場所にて厳密に言うと
歴史すれでは無いのだが、まあよかろう。
姜維の所は朕もよく見ているので、蜀漢復興に値する大業(完走)を
成し遂げられれば良いと応援しておる次第である。
467以上、自作自演でした。:03/12/24 21:05
>466
その言葉…蜀スレに貼ってきても宜しいでしょうか?
感動しましたよ!
>467 (蜀スレに貼ってきても宜しいでしょうか?)
別に構わぬ。あくまでも朕一人の言葉なので好きにすると良い。
時代国柄が異なれど、応援の言くらいなな問題も無かろう。
しかし感動とは大きな事を言う。朕は率直な言を吐いたまでだが。
>468
いえ…。
拙者は蜀スレが立った時からROMしていたので、
そのような言葉を言われると嬉しくて胸が詰るんですよ!

では、お言葉に甘え、貼ってきますね。
壬申の乱!
471公家:03/12/26 10:48
なぜ武士の台頭を我らは許したのでおじゃろうか
472フビライ:03/12/26 12:10
ちぇ。台風さえ来なかったらなぁ。
祭り終え 人は足早道まばら 寝所に残る 一夜の君は

>470 (壬申の乱!)
大海人皇子が甥の大友皇子と皇位継承を争った戦と言えばそれまでだが
律令国家及び天皇家の優位が確立されたのもこれが端初なのだ。
嫡系相続が建前の王家でも、こうした血で血を洗う相続劇は珍しくない。
ただ後の天武天皇が記録を改簒して自分側に都合のよい記録をしている
可能性もあり、幾分不明な箇所も少なくない。

>471 (なぜ武士の台頭を我らは許したのでおじゃろうか)
武士が登場した平安時代、天皇家及び公家の私兵または用心棒的存在として
必要とされた彼らだが、京で権力争いにうつつを抜かしていた我らに対して
地方で実質的な支配を通じて土地を握った。
この段階でほぼ確定したと言えるが、もし聡明な天皇か公家が現れて
武士団の統一と中央での軍権を掌握すれば或は歴史も変わったかもしれぬ。
京の近辺の寺院の僧兵に頼ったのは早計だったか。
その隙に乗じて台頭したのが平家でありその後の源氏だが、
飼い犬に手をかまれた良い例と酷評されても止むを得まい。

>472 (フビライ)
台風が来なくても補給面等で破綻をきたした可能性もある。
序盤の勢いから見ると、大宰府を制圧した後即座に瀬戸内海を渡って
摂津当たりに上陸すれば変わったかも知れぬが、天佑天助と片付ける程
甘い情勢では無かったのも事実か。
頼朝と義経の確執についてヨロシク
475徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/26 19:16
>457 (んでは角川映画・里見八犬伝は?)
余も原作類から映画まで見たのだが、幾分変る部分も多く
どちらかと言えば別物として見ていた。
最後の一人ずつ死んでいく場面は他作品で模倣されたな。
余談だが樋口一葉は原本の里見八犬伝を三日間で読破したそうだが
大した女子と感心した事がある。

>458 (天皇誕生日ですよ)
そうらしいな。今では聖誕祭と前後するので商業的にも都合がいい。
だが最早古稀に達した今上帝もどこまで生きられるかは分らぬ。
帝が申している女帝云々だが、他にも男系皇族も居るし案ずるに値せぬ。

>459 (最優秀・天皇は?どなた)
知名度では昭和と明治だが、帝の言う様に桓武天皇も捨て難い。
だが個性的な部分で評価すれば後醍醐天皇かもな。
鎌倉幕府滅亡と南北朝動乱はこの帝在って初めて成された。
その意味では最優秀と言えなくもあるまい。

>460 (先日の日曜日、日光に行ってきました)
それはご苦労であった。家光が築いた日光東照宮はさぞ絢爛豪華であろう。
余の頃にはごく普通の社であったが父上を尊崇していた家光が幕府の威光を
天下に見せ付けるために建造させたが、遺言で小さな社で良いと申された
父上に御意思に反していなくも無いのだが、結果的に徳川及び日本に
利益となっったのだから悪くはあるまい。
476徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/26 19:16
>470 (壬申の乱!)
帝位継承で争い戦うのは珍しくも無いが日本天皇家ではこれが最大規模と
記憶しておる。天智天皇以来の豪族の不満と天武天皇の人脈が上手く
生かされたが、一見穏健の象徴の如き天皇家にも剛の者も居た事よ。
仮に余の時代にこの様な帝が居ったら鎮圧に苦慮したであろう。

>471 (公家)
貴様ら公家が文弱と宮廷内の官位争いに溺れ、現実から逃避したのが
第一の理由である。実際に土地と武力を支配した武家が力を持つのは
自明の理であり、それを食い止める時期を逃がした貴様ら摂関家を
始めとした公家には、それが似合いの場所よ。
詩歌と形骸化した官位に価値は無いのだ。

>472 (元の世祖)
帝の申している事と重なるが、中華文明圏とその周辺を
海の道で結び海洋国家への脱却を図っていた世祖の判断は間違ってはいない。
ただ日本やジャワ方面の様に海を渡っての大軍動員は当時では難しかった。
航海技術では世界最高だった中華で無理だったのだから仕方あるまい。
尤も、旧南宋の兵員を処分出来た事は幸いだと思うが。

>474 (頼朝と義経の確執についてヨロシク)
元々頼朝公には直属の兵力も少なく、一族である義経の参加は歓迎していたが
平家討伐の段階での越権行為あたりから不審の目を光らせたそうだ。
官位の授与に加え、熊野水軍の招聘と軍監である梶原景時を無視した軍略は
明らかに武将としての立場ではない。
例え頼朝公が猜疑心が強くなくても、大抵の大名なら不快感を抱き粛清を
考える筈である。義経に政治的能力が無い事とその周辺にそういう方面の
参謀格も不在だったのが招いた悲劇と言うべきか。
前九年の役、後三年の役について御講義を
478徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/27 22:19
>477 (前九年の役、後三年の役について御講義を)
前九年の役は当時、陸奥の蝦夷の中で朝廷に服属していた自治体を
俘囚と呼び、その長を俘囚長で様々な氏族が存在していたが
その中でも有力な安倍氏が反乱を起こしたのがそれである。
討伐に当ったのが陸奥守の源頼義であり、武家の源氏が台頭した。
後三年の役は、その際に討伐に参加した清原氏が独自の勢力を拡大させ
それを源頼義の嫡男、義家が清原氏の一族で後の奥州藤原氏の祖である
藤原清衡の協力を得て平定した反乱である。
当時の朝廷の認識は単なる一地方の小乱だったが、武家社会及び源氏に
とっては勢力拡大の絶好の機会であり、また歴史の闇に埋もれていた
現在の東北地方が表面に現れた重大事件であったのだ。
尚、数年前にこれを題材にして「炎立つ」と言う作品と大河ドラマが
放映されたが、若干の参考にはなる。物語的にはやや難があるが。
今日は大晦日ですね。もしかして一人で暇してませんか?
そんな皆さんのために、チャットの席をご用意しましたので、
もし宜しければ下記のお部屋にお越しください!

*尚、ご多忙の方に無理強いは致しませんのでご安心ください*
―――――――――――――――――――――――――

日時:12月31日 22:00〜(場合により、0:00より二次会もアリ。)

場所:                   
ttp://nari.s4.xrea.com/          
                         
     
―――――――――――――――――――――――――

部屋割りは以下の通りです。
SFキャラ3号室
ファンタジーキャラ4号室
リアルキャラ6号室
名無し11号室
と、ジャンル別に分類されています。
自分の分類がわからない方は1号室にお越し下さい。
藤原一族について知りたいなぁ
>474 (頼朝と義経の確執についてヨロシク)
やはり義経が独断で後白河法皇の検非違使任命を受け取ったのが発端である。
仮に主君で兄でもある頼朝の認可の上でなら良かったのだが、
これでは義経は鎌倉と朝廷の二つの勢力に属する二重家臣となる。
御家人の統制を第一とした頼朝にとっては決して許容出来なかったのであろう。
だが、万一頼朝の不信を買わずに生き延びたとしても、頼朝死後の北条氏の
専権と、それに伴う源氏粛清の波の中では同じ事だったかも知れぬ。

>477 (前九年の役、後三年の役について御講義を)
細部は秀忠が述べている通りである。
だが、時の朝廷が賞罰人事をしかと担当し、現地での源氏の勢力拡大を
食い止めておけば、後の武家の勃興は避けられたかも知れぬ。
しかし公家廷臣にとって陸奥とは全くの未開の地と云う認識しか無く
都での権力争いに終始していた彼らには荷が重すぎたのが事実。
天が武家に興奮を与えたとしか言えぬ。
>479 (大晦日)
辞めて置く。朕ら歴史系が集まっても話題は堅苦しい物になるので
賑わいとなるには程遠かろう。
先日も一人も見知った顔を見なかったので期待は出来なかろうな。

>480 (藤原一族について知りたいなぁ)
大化の改新の折に中大兄皇子に協力した中臣鎌足が藤原姓を賜ったのが
祖であり、その子不比等の代に天皇家と姻戚を結び後の摂関政治の原形を
築いた。有名な道長の子孫が鎌倉時代初期に近衛、鷹司、一条、二条、
九条のいわゆる五摂家に分かれ公家の中心となったが、その他の大抵の者も
何らかの形で藤原氏の傍流末流で繋がってはいたが、数年前に政権を担当した
細川元首相やその母方の祖父である近衛文麿を始め、今に到るまで脈々と続く
日本の名家である。
483徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/29 23:07
>480 (藤原一族について知りたいなぁ)
出自現状については帝が申しておるが、江戸時代においては
徳川将軍家及び御三家や前田伊達等の有力大名とも婚姻関係を結び
様々な形で血を広めておるが、脆弱な公家の姫は役には立たぬ。
家光も鷹司家から正室を迎えたが、寝所を共にする事も無く放置していた。
六代家宣の正室も近衛家だったが、幕府に朝廷流の有職故実まで
持ち込みおったが、譜代の幕閣とそれで対立したと言う。
帝が挙げた近衛文麿も、ただ右往左往した挙句辞職して、
戦後戦犯に引っかかり服毒自殺したな。自分で顔も洗えぬ者が
巣鴨刑務所になど住める訳も無いがな。
結論は、藤原氏を含めた公家は文化的には日本に大いに功績があったが
政治的には疑問符が付くとしか申せぬ。
蘇我氏についても知りたいZE
マサムネが後十年早く生まれてれば天下を取れたそうですが・・・・・。
お二方は格ゲーなされますか?
もししていたらK0F2003について何かコメント下さい。
487徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/12/30 23:35
>484 (蘇我氏についても知りたいZE)
聖徳太子の関連で名前の出てくる蘇我馬子の父、稲目から歴史上に
名前が出てくる有力豪族だが、出自は判らぬ。
ただ当時、外来宗教であった仏教受け入れを奨励している所から
新興の豪族と推測できる。馬子の代では天皇家と深い関係を持ち
物部氏滅亡後の朝廷第一の有力氏族だが大化の改新の折に滅ぼされた。
一時期は天皇の首を挿げ替える程の勢力を誇っても最後は空しい物よ。

>485 (マサムネが後十年早く生まれてれば天下を取れたそうですが)
よく言われる話だが、伊達政宗が家督を継いだ時は会津の芦名家が衰退し
伊達家には丁度良い時期であった事が幸いした。
無論、政宗の才覚も認めるが、地縁血縁が強い奥州の諸大名の常識を
逸脱した思考行動が物を言ったが、天下は無理と申すしか無い。
せいぜい陸奥に百万石程度の勢力を誇るのが関の山である。

>486 (格ゲーなされますか?)
実は余は元祖スト2から愛好しておる。
年末に間に合った2003も何度かしたが、特に新鮮な感じは無かった。
強いて一言言えば、最後に出てくるムカイが近付けば石化され
飛べばオロチの「無に還ろう」もどきでやられ、何をどうすれば良いのか。
あれを普通に戦って勝てた者が居るのかが疑問だ。
ちょんまげ和服で筐体に向かってレバガチャをする秀忠様・・・・・ワロタ。

自分に一番不似合いな場所、時代はいつでもいいので教えてください。
◇◆軍評定◆◇
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|||   .__          徳川家武将曰く
|||   |⌒|       /|
|||   |⌒| .____,   |」   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|||   | /::::\葵'/.  ||   |
|||   <,;;;ノ_ ´h`) > || .<あけましておめでとうございます
|||  ノ::::ノ」:|_V」lヾ,....||   |
|||   ( j乃;::::◎::|j /乃  \________
||||||||||||||||||||||||||||||||| HIT ANY KEY ||||||
新年恙無く迎えられ何よりである。今年も朕と秀忠の住むここを頼む。

年明けて 人の便りも程々に ふつつかなるも これ善事かな

>484 (蘇我氏についても知りたいZE)
仏教伝来の折に記述で見ると、古来よりの神道を尊ぶ物部氏と
対立しておる事が主な原点だが、国際的視野で仏教を利用しようとしていたか。
後の大化の改新のために悪臣賊臣としての話が流布されておるが
決してそれのみではなかった。宮廷内の権力闘争や崇峻天皇暗殺も
当時ではさして問題視されなかったそうだが、それ程の力を誇っていたと
言える。

>485 (マサムネが後十年早く)
朕も秀忠同様、伊達政宗がそれ程の器量とは思えぬ。
表現は悪いかも知れぬが四国土佐の長宗我部元親と同様に地方でのみ
力を振るえる程度ではなかったか。近隣諸国の有力な大名が軒並み弱体化
していたのも幸運であっただろうが、野望と実力が伴わなかったか。
>486 (お二方は格ゲーなされますか?)
朕は今は亡きSNK専門に餓狼2からしていた。
そちの申す03も94から続けてきたが最早初心者が入り込める余地が
無い様に見える。仮に練習をしても乱入者に瞬殺されるのが大体の所であろう。
それにごく一部の者のみが優遇されておる調整が早速不評を買っておる。
年々退化していく様に見えるのは朕の気のせいと思いたいが。

>488 (自分に一番不似合いな場所、時代)
パチンコ・競馬等の賭博場の類が朕には最も似合わず、また居心地が悪い。
煙草を嗜まぬ朕にはあの煙気に包まれた所は苦痛以外の何物でも無いし
怒号に満ちた空気も御世辞にも居心地が良いとは言えぬ。
こうなると現代がそう言える。
ちなみに袴姿の秀忠よりも、衣冠束帯姿の朕が違和感があると思うが。
店員や他の客に奇異の目で見られた事もある。

>489 (徳川家武将曰く)
秀忠の家来の様だが、新年早々の挨拶祝着である。
だが、めでたい新年の門出に武具を纏うのは控えるのが望ましい。
取り合えず、朕から天杯を授ける。飲むが良い。
新年おめでとうございまする。
ひとつ雅な願いをいたしまする。
お好きな歌人をあげてみてくだされ。
493徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/03 15:25
新年恙無く迎えられ何よりである。ここを訪れる者に東照大権現の加護を。

>488 (自分に一番不似合いな場所、時代はいつでもいいので教えてください)
切支丹の教会であろうな。あの者共の異様な風体と神を讃える祈り
耳にするだけで不快感を抱かずにはおれぬ。
それにあの者らにとって徳川を冠する余は例えて言うなら
ローマ皇帝ネロに等しき悪名か獣に違いあるまい。
それと、袴姿であの様な場所に入るほど余は愚かでは無い。
髪を現代風にして楽しんでいたのだ。

>489 (あけましておめでとうございます)
うむ。新年に代わりて僅か三十分余りで祝辞を述べに来るとは
流石は徳川家の武将と名乗るだけはある。真に天晴れよ。
今年も帝とそなたらと共にここを栄えさせる予定なのでよしなに頼むぞ。
494徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/03 15:26
>492 (お好きな歌人をあげてみてくだされ)
歌人限定では無いが、細川藤孝即ち幽斎が馴染みが深いので好むと言える。
武将としても、信長公から父上にまで渡る数々の武功。
文武両道の証拠と言えよう。単に文弱の歌人のみにあらぬ。

古へも 今もかはらぬ世の中に 心の種を のこす言の葉

関が原の折に田辺城に篭城した幽斎が古今伝授の箱を歌道の弟子である
智仁親王に贈った歌だそうだ。

今、NHKで独眼竜政宗の総集編が放送されておる。
あの者に興味あるなら一見を薦めておく。
>今、NHKで独眼竜政宗の総集編が放送されておる。
おお!いままさに観てます!
やっぱ、おもしろい。
だって歴史にまったく興味がない漏れの妹も観てます。
あぁ!いままさにオヤジさん、死にそう!
正宗ぇ!天下を取れ〜!!
政宗が母親に毒を盛られたのは本当でしょうか?
>492 (お好きな歌人をあげてみてくだされ)
特に一番と言う訳では無いが、朕は山上憶良の歌を好む。
あの時代、草芥にも等しく見られた民に対して憐憫で接した
人情温かい歌は今の世でも模範としたい物である。

銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも

有名な歌だが子供を金銀に勝る宝と言う意味である。

>495 (いままさに観てます!)
朕も政宗を観ていたが、やはり大河の最高傑作と呼ばれるだけはある。
父の輝宗が畠山義継に拉致され、ついには涙を飲んで決断する場面は
実に思わせる所であるが、戦国の非情さを見事に表現していると言えよう。

>496 (政宗が母親に毒を盛られたのは本当でしょうか?)
事実の様だが、あの当時の大名の食事は必ず毒見役が側にいた筈だし
普段、疎遠で自分を嫌っている母親の供応を受ける政宗とは思えぬ。
裏で何らかの謀事が絡んでいると見るが、そうしたことには疎い朕には
余り想像がつかぬ。
片手に
そろそろ徳川埋蔵金のありか教えろよ

    / ,  , ' , ' / ,イ / ,/  /  , '             ', ',
    / / / ,イ //イ , _,,. -.., '"イ  , ', ' .,  ,' ,   ,  i  ,  ! i
   i / i / ,イ/ / ,' イ´/イイヽ  , ' / , ' / /  , ' / ,' ,'  l  l
   レ' i /,/ i ,' /,.ヽ,__ノイ⌒ヽ // イ ,イ-..,_イ ノ ,.イ /  ,-、 ,'
    i i! l  レ,イレ' 〉Y /し';;;;;;i,/ / /ノ__ノィヽ //イ/ ,'  } .,' ./`.i
    レ! j,イ, '/  { l {:i;;;;;;;ノリ ''´ ''"'"イ''7‐、`ヽヾ ヽ / ,イ,' .,' ,/ / /
     ' // ,イ/ ij  ゝ、,;;ソ      /ー'';;;;;;;}.ト / ノ./ .,'ノ ./ ./
     ' ///,イ / ,ヽ           {:i;;;;;;;;;;;/ }-ァ、  /  ,'' ./ ./
     /' /イ ,  ,イ , ,ヽ,   r‐ ..,    ゝ::;;;:ノ , ',イ,ノ /  ! /  /
    / .i/ ,イ// , ' ,..-,ヽ,  {  /     `''' ノ'''´  /   ! /  /
      !' ,' ,'/ ,イ,/    ヽ. `,'__,,..  - '"   /   `'  /‐‐、
       レ' iイイ     r' l  ,. - '´ ,.ゝァ''"~フ ,. - ..,    /  }
        /       i /,イ   / / ,///    `ー、'   ,/`ヽ
      ,.'    ヽ _,,. r'iイ____,,. イ / / /    )ー-,-'  /  /
      ヽ    ,イ/,.ゝく `ヽ、 '  '  / ,ハ      V  ノ ,,.  '
      /  / , ' //  i ',  ヽ   '    / i i      .i'''´  !
このわたしカナイマドカがさりげに500ゲット!!
妻への愛を語ってください
    _, ._
  ( ゚ Д゚)   毒見いたします
  ( つ旦O
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ ◎゚)   ズズ…
  ( ゙ノ ヾ
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ Д゚)   …………
  ( つ旦O
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ Д゚)   ガシャ
  ( つ O. __
  と_)_) (__()、;.o:。
          ゚*・:.。

      _ _  ξ
    (´   `ヽ、     __
  ⊂,_と(    )⊃  (__()、;.o:。
                  ゚*・:.。

目の前で毒見役が↑こんなふうになったらど〜しますか?
503徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/07 16:02
>495 (おお!いままさに観てます!)
うむ。あれは見て損は無い。
政宗にとって最大の理解者であった父の死は衝撃であっただろう。
一度、家光が過去の話を尋ねた時も話すのを躊躇ったそうだから
相当精神的な打撃であったのだろうな。
あれも戦国大名らしい凄残な生き様をした物よ。

>496 (政宗が母親に毒を盛られたのは本当でしょうか?)
史劇では政宗が食す場面がある。だが何事にも用紙周到で用心深い政宗が
帝が申しているように普段不仲な母親の用意した膳に手をつけるなど
考えられぬ。余が推測するに小田原参陣の折、留守中に反乱が起きるのを
未然に防ぐために弟の小次郎を殺す名目を作るために、いわば自作自演の
毒殺劇を演じたと考える。

>498 (片手に)
片手に刀や槍を持ち、もう片手に書物を持ち文武両道となる。
これが武士の理想像であった。
黒田長政は車の両輪に例えたが、何時の世も欠かせぬ代物よ。

>499 (そろそろ徳川埋蔵金のありか教えろよ)
断言すると、その様な物は無い。
危急存亡の時に金があれば使うに決まっておろう。
わざわざ手間隙かけて山里深くに埋蔵する意味が無い。
所詮は夢物語に過ぎぬのよ。
大体幕末の徳川家は火の車以前の状態で父上や余が残した金銀など
綱吉の頃には綺麗さっぱり使い果たしておったわ。
504徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/07 16:03
>500 (このわたしカナイマドカがさりげに500ゲット!!)
誰かは知らぬが祝着至極と申しておこう。
帝が拾い上げ、余が合流して続けてきたここもようやく半分か。
これからも今まで同様よしなに願う所存である。

>501 (妻への愛を語ってください)
江与よ。家光始め多くの子女を残してくれた事には感謝する。
最初は秀吉公から押し付けられた古女房としか見ていなかったが
徳川子孫繁栄には大いに役立ってくれた。
ただそなたが寵愛していた忠長はあれが愚物と思って諦める事だ。
側室のお静には、保科正之という家光には過ぎた弟を残してくれて
幕末の会津藩に到る徳川への忠義、礼の申しようが無い。
そなたと幼い頃の正之には散々苦労をかけたが、余は余なりに出来る
限りの事をしたつもりである。

>502 (目の前で毒見役が↑こんなふうになったらど〜しますか?)
まず速やかに解毒剤の類を飲ませて蘇生を図る。
運良く治癒すればよし。そうでなくば家と主君に尽くした忠義の臣として
残された家族類縁の面倒を見る。これが主君の最低限の礼だろう。
太平の世定まった江戸中期以降は形式的な職であった毒見役だが
戦国や江戸前期ではお家騒動や暗殺が日常茶飯事であったので
まさに命がけの役目よ。
我が子への愛も語ってください。
説教でもいいです。
トイレットペーパーもなかった時代、なにで拭いていたんですか
題材自由で詩を詠んで下さい。長さは自由です 
逃げまわりゃ、死にはしない
古墳について知りたいな〜
>498 (片手に)
かの後醍醐天皇は崩御寸前に片手に剣、もう片方に法華経を持たれていたと
言うが天皇の最後としては極めて異例かつ異様な物である。
現世への執着心の表れだが自らの為してきた事が水泡に帰すのは
耐えられなかったのかも知れぬ。

>499 (そろそろ徳川埋蔵金のありか教えろよ)
秀忠が無いと申している以上、朕からは特に無い。
やはりこうした埋蔵金伝説は大半が眉唾物か俗話の類か。
しかし今更ながら秀忠の徹底した合理的思考には感心させられる。

>500 (このわたしカナイマドカがさりげに500ゲット!!)
ここも半分を過ぎたか。空家同然の場所を朕が拾って三ヶ月余り。
思えば女子がここに来たのはこれが最初ではないのか。

>501 (妻への愛を語ってください)
朕の皇后であった和子には入内当初は徳川に押し付けられた女子として
何かと不自由をさせたが、結果的に公武融和に一役買ってくれた。
しかも朕の側室の子を我が子同様に扱ってくれて亡くなるまで朕を支えてくれた。
強いて苦言を呈せば幾ら幕府の金だからとは言え七十代でも衣装道楽はちと
度が過ぎてはいたな。朝廷を圧迫した幕府へのあてつけだったのか。
>502 (目の前で毒見役が↑こんなふうになったらど〜しますか?)
朕も秀忠同様、応急処置と遺族への恩賞保護を考える。
ただ天皇家では不思議と毒殺の類の話は訊かぬ。
臣下の面前で暗殺された崇峻天皇以外は大抵流刑先で病没か憤死か。
玉体を害するのは最悪の罪の一つとされていたので概念化したのかも。

>505 (我が子への愛も語ってください)
まず明正天皇となった興子には政略の具とさせ、女として不便な生き方を
強いた事、父として謝りたい。徳川の血を受け継いだ帝として宮中でも
何かと噂立ったが、朕にとっては大切な娘であった。
後光明天皇の紹仁は英明文達ながらあの気性と若さ故か歯に衣着せぬ言動が
幕府に経験を抱かせ、後世に暗殺と言われる急死を遂げたが今でも惜しむべき
息子であったが、朕は一応病死と信じたい。
霊元天皇の識仁は朕が五十八の頃の皇子であったが結果的に識仁の系統が
今上まで続く事となった。大嘗祭の復興等に尽くし遅咲きながら優れた子であった。
ただ朕と同じく多くの子を産ませた事まで真似る事も無かろう。

>506 (トイレットペーパーもなかった時代、なにで拭いていたんですか)
紙が現代の様に安くは無かった江戸時代では主に糞べらと称する木製の板で
拭いたり叩いたりして使う習慣であった。
高貴な身分や商人では今と同様に紙を使って拭いていたが庶民の間では
この板で洗浄しながら共同で使用していたそうだが朕は経験が無いので
感想その他は存ぜぬ。
>507 (題材自由で詩を詠んで下さい。長さは自由です)
雪吹き荒び人煙稀なる夜景にて
傘のみ頼りにて当ても無く歩き
袖に降り積もる粉雪溶け果てる
間を得ずして露染み入り衣干し
ただ省みる己の足跡只一足二足
名も無き人見るは恋しき故寂念
四方影すら無く想うに描く君は
一片の微笑心中より暖にて装う

冬、一人で人里離れた夜道を歩いていた時に自分の足跡を見てふと恋する人を
思い出して帰路を急ぐと言う光景を詩に詠んだ。

>508 (逃げまわりゃ、死にはしない)
確かにその場を逃れれば一時的にはそれで済むが、何時かは正面から向かい合わねば
ならぬ時もあろう。困難が予想される事はなるべく早く済ませるのが一番である。

>509 (古墳について知りたいな〜)
古墳は大王や有力者の墓だが、権威権力を誇示する役目もなす。
有名な物では仁徳天皇陵の様な巨大な物から、単なる土を盛っただけの簡素な
古墳まであり、貴重な歴史的資料とされている。
また因習として生前奉仕していた女官や奴隷を殉葬と称して埋めていたので
人骨の類も多く見つかると言うが余り気分の良い話では無い。
武士と騎士の決定的な違いについて
514徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/10 12:43
>505 (我が子への愛も語ってください。説教でもいいです)
最初は愚鈍で内気故好まなかった家光だったが父上の眼力確かなる事
今では理解出来ておる。例え男色で気性が激しくとも結果的に徳川の世を
磐石ならしめた事は褒めて進ぜよう。
忠長には父親として些か哀れと思わなくも無いが、弟といえど臣下の分を
弁えず放埓の極み、見逃す事は出来なんだ。せめて江与と共に眠るが良い。
千には今更何を言うても詮無き事だ。あれが千の生まれ出でた時からの
定めと思って諦めて欲しい。
正之には父として何もしてやれなかったが、そなたが最も優れていた事は
皮肉であったと言えよう。もしそなたが嫡男として生を得て将軍となったら
家光同様鎖国を選んだのか少し考えた事はあるがな。
帝に嫁いだ和子には当初は朝廷への楔役として期待はしていたがまさか帝側に
ついて余及び徳川に反抗し続けたとは意外な反面娘の成長を頼もしく思った物
だった。

>506 (トイレットペーパーもなかった時代、なにで拭いていたんですか)
帝が先に申している様なので余からは特に付け足す事は無い。
だがあの当時紙は確かに安くは無く、父上も奉書紙から鼻紙の類まで
決して無駄に使うなと下女にまで釘を刺していた程だった。

>507 (題材自由で詩を詠んで下さい。長さは自由です)
文武百官各々争鳴するも我発せず
名論愚論只泥と水の合わさるが如し
家にのみ頼る者何ぞ自らの迂を知らず
只申す利に則り一時の情理を排せよ
天下国家唯一にして己を軽く見るべし

ある老中会議を詠んだが、ただ譜代出身だけと言う理由で愚にもつかぬ事を
延々と述べる無能な者が多かったがそれへの皮肉を込めた。
本来幕府及び日本国を扱う重職は須らく有能な者のみを任じねばならぬが
これも時の将軍の器量と眼次第で大きく左右されたのだ。
515徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/10 12:43
>508 (逃げまわりゃ、死にはしない)
馬鹿の一つ覚えと言う言葉を存じておるか。
何事も臨機応変に行わねば逃げる如何に関わらず犬死にする物だ。
東海一の弓取りと賞賛された父上でさえも三方が原や夏の陣の時には
状況に応じて退かれたりした物だが、別に逃げるのは恥でも無い。
ただ猪突猛進のみでは雑兵の器にもならぬ。

>509 (古墳について知りたいな〜)
帝が述べている様に権力の誇示が主な目的理由だが、墓にそれ程の労力を
つぎ込むのは些か合点が行かぬ。
初代将軍であると同時に神である父上の日光東照宮はともかくとして
余以後の将軍の墓所を見れば一目瞭然であろう。
如何に稀有壮大な墓を築いても主君として徳が無ければ単なる山に過ぎぬ。

>513 (武士と騎士の決定的な違いについて)
まず武装が挙げられる。日本武士の鎧は防御力より戦場で己を際立たせるための
華美が要求された。今に残る兜の前立てを見れば理解出来よう。
あの華美装飾を好まれなかった父上でさえ南蛮具足を着用されていたからな。
それに対して西洋の騎士は重武装の鎧を身に纏って馬に乗っていたが
弓矢には強いだろうが一度落馬すれば捕虜になるしかあるまい。
やっぱ、住むなら海沿いに限りますよね?
次元連結システムを使えば、日本人は、負けない!
鬼っていますか?
519徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/11 18:14
>516 (やっぱ、住むなら海沿いに限りますよね?)
それは家を選ぶ者次第だが魚釣りを嗜むのならそうした方が望ましい。
また窓を開ければ潮風と共に海を眺められるのは大きい。
こうして挙げてみると良い所が多いが、そう言えば藤堂高虎も
伊予今治城を海に面して築いたが水軍の援護もあり、
いざとなれば水上から逃れられる。流石に考えた物よ。

>517 (次元連結システムを使えば、日本人は、負けない!)
それが如何なる武器かは存ぜぬが今後日本も兵器の国産化を進めても
失笑しくは無い。日本は島国と言う地理的関係上揚陸戦に備えて
それ関係の武備に重点を置かねばなるまい。
或は当面の脅威である北朝鮮のミサイルに対する防衛手段か。
どちらにしろ日本人及び日本国の防衛は至上主題である事に変わり無い。
520徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/11 18:19
>518 (鬼っていますか?)
鬼畜生と罵る事は多いが実際に存在しているかと問われると
首を傾げざるを得ぬ。だがある説によると漂流した南蛮人を
背や鼻の高さで異様に感じ取り鬼と呼び習わしたと言うが
本当か否かは知らぬ。
それに民話古話の類に出る鬼にも善悪があるので一概に悪しき
物とは呼べまい。むしろ人間の中に住む闇の部分が本当の鬼かも
知れぬ。
  Λ_Λ    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 <♯`Д´> <  チョパーリは反省汁!謝罪汁!賠償汁!
 (つ   つ │ 朝日新聞・毎日新聞を購読汁!創価学会に入信汁!池田○作を崇拝汁!
 | | |   \__________
 〈__フ__フ
厠からぬっと手が出てきたらどうしますか?
今、新撰組を見終わったが佐久間象山を始めとした著名な人物を
ちと安易に結び付けていると言う感じがしたがまだ第一話なので
少し長い目で見ようとは思う。

>513 (武士と騎士の決定的な違いについて)
日本側を一方的に褒める意味では無いが、武士は教養礼儀作法に重点を置き
秀忠が名前を挙げた細川幽斎の様な文人を輩出し日本文化にも並々ならぬ
影響を及ぼした。
それに対して西洋騎士の中には文盲も少なくなかったと云うがこれも
文化観念の異なる物にて一概に非難は出来ぬか。

>516 (やっぱ、住むなら海沿いに限りますよね?)
実を言うと朕は海を一度も見た事が無い。
終生京の都のみにて生きていた朕に取って海から連想されるのは
後鳥羽上皇や安徳天皇の様に流刑もしくは入水であったので
海やそれに関する話に触れようともしなかった。
そちの申す事は理解は出来るが朕は抵抗がある。

>517 (次元連結システムを使えば、日本人は、負けない!)
相済まぬ。そちの申している意味が判らぬし朕は武には暗い。
日本を守るのに好都合なら導入なりすれば良いであろう。
この様な返答で申し訳なく思う。

>518 (鬼っていますか?)
大江山の酒天童子の如き話はよく耳にしたが、話として伝わる以上
鬼そのもの云々に関わらず、元になる物は存在していたと考える。
徒然草でも鬼の噂で京の都が騒然となった文節もあり否定は出来ぬ。
>521 (チョパーリは反省汁!謝罪汁!賠償汁!)
申したい儀は相分った。主義主張に異を唱える気は朕には無いし
その資格も無かろう。
だが朕は生憎浅学にて朝鮮韓国と創価学会との関係が今一つ掴めぬ。
現時点、創価学会の支持している公明党は与党である関係上内閣に
協力しており、自民党の政策に異を唱えるのは考えにくいと思うが。

>522 (厠からぬっと手が出てきたらどうしますか?)
妖しの物と受け止めるのが普通であるな。
おそらく驚愕して厠から逃げ出し、陰陽博士を呼び加持祈祷を命じるのが
妥当な所であろう。何時の御世もこうした怪談話の類は枚挙に暇が無い。
興味をそそるのは代わり無いが、朕は些かこうした迷信事には弱いのじゃ。
佐渡いってきたら住民が語尾に「にゃー」って付けてました。
猫が好きなんでしょうか?
526徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/12 17:19
>521 (<♯`Д´> )
言いたい事が済んだら速やかに帰るが良い。
余は最早多忙でも無いが、無意味な繰言を聞く程度量のある方でも無い。

>522 (厠からぬっと手が出てきたらどうしますか?)
奇怪な話だが、やはり驚くのが普通の反応だな。
稀に刺客が厠にて待ち襲い掛かるらしいがどこまで本当かは知らぬ。
上杉謙信も厠で倒れていた所を発見された事から暗殺説が残っておるが
実際の所、手引きも無く大名の城に侵入など困難を極めよう。
用心深い者は厠に入る際も刀を持っていたが幾分頷ける。

>525 (佐渡いってきたら住民が語尾に「にゃー」って付けてました)
佐渡は隔絶した孤島なので未だに方言が根強く残っていても
不思議ではあるまいが独特の言葉使いにはさぞ驚いたであろう。
余は浜松で産まれ江戸で少年期から没するまで過ごした関係で
関東弁が標準であったが奥州や薩摩の者を謁見する際も
一言半句も解せぬ方言に戸惑って通訳を用意していた物であった。
527以上、自作自演でした。:04/01/13 00:43
なりきりって言うより蘊蓄スレだね まぁ似てないって言われる心配が無いのはイイね
百姓一揆をおこそうと思いますがいいですか?
>525 (猫が好きなんでしょうか?)
単に方言と片付けるのが妥当だが、言葉に柔らか味が感じられて趣がある。
そこに長く住む者達にとってはごく当たり前だが旅で訪れたそちらには
奇異に感じられても失笑しくは無い。
案外、猫の如く穏やかに行きたいという想いが込められているのかも知れぬ。

>527 (なりきりって言うより蘊蓄)
そう見られても仕方無い節があるが朕らはごく自然に進めているだけである。
見る者全てが満足いく物とは真に難しき物よ。

>528 (百姓一揆をおこそうと思いますがいいですか?)
そこまで困窮しているのなら朕からは何も申せぬ。
只、長く一揆を続けていると自らの土地田畑も荒れ果て、結果的には
村そのものが危うくなる事もある。
そちらの代官地主がすんなりと要求を飲めば幸いなのだが。
先週の週刊誌に載ってた、中曽根と石原の対談読んで思ったけど。
ああいう右翼な人たちの本質は、戦前・戦中のときから
結局何一つ変わってないんじゃないのつー気がしてきたよ。
531徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/14 17:25
>527 (まぁ似てないって言われる心配が無い)
そなたがそう見るのなら別に言う事も無い。
人間にも様々な多面性が見られても不思議ではあるまい。
作家でも余を無色透明と見る山岡荘八も居れば、逆に残忍非道と受け止めた
隆慶一郎の如き者も居る事だし、個人の評価など千差万別よ。

>528 (百姓一揆をおこそうと思いますがいいですか?)
余の頃なら村ごと焼き打ちして終わりだが、今の世なら差支えなかろう。
村役場にでも行って嘆願書なり渡せば良い。
聞くか聞かないかは村長や自治体の長次第だが良い返答を期待しておくがいい。
只、代表者は責任を取る事を前もって考えて置くように。

>530 (右翼な人たちの本質)
右翼の掲げる国家主義は何も彼ら特有の思想でもない。
只、左翼に対抗する位置付けにそう言い慣わしているだけだが、
少なくとも他国の走狗になる可能性のある左翼よりはましであろう。
余は別段石原都知事を嫌ってはおらぬ。利益になる政策なら一向に
問題なかろうが。
昔ってさ・・・・・・虫歯とかどうしてたんだろう・・・・・。
アメリカへの態度を見てると、右翼も立派な他国の走狗だと思うが。
>532
あ〜漏れもそ〜ゆ〜こと考える。
たとえば冬の風呂あがり。
ドライヤーがなかったころ濡れた髪はどないしたん?
遣唐使をなぜ辞めちゃったの?
外国への使節団を廃止しちゃうとはよく考えるとかなり大胆では?
>530>533 (右翼)
思想信条や本質に関しては朕は別に咎めるに値せぬと見る。
ただ、他国の威を借りて、或は他国の道具と堕ちて自国を貶めるのは
感心できぬし、決して賛同者を得られぬと考えるが、彼らにとっては
それが己の寄り所なのかも知れぬ。

>532 (昔ってさ・・・・・・虫歯とかどうしてたんだろう・・・・・)
朕も余り思い出したくは無いが、麻酔など全く無い頃だったので
そちらの想像通りである。
余り痛い描写を書くのは憚られるので省くが、現代の者はあの様な思いを
せずに済む事を親と運命に感謝するべきか。

>534 (ドライヤーがなかったころ濡れた髪はどないしたん?)
自然に乾くのを待つしか方法が無かった。
風邪を引く者も居たと思われがちだが、あの時代その程度でそうなるのは
厳しい評価を受けざるを得ないので、鍛える手段の一つとなった。
例え無くてもなる様になる物なのだ。

>535 (遣唐使をなぜ辞めちゃったの?)
あの当時、既に唐の衰退著しく、また日本側からの渡海の費用も甚だしく
割に合わなくなったと言う経済的な面が大きい。
それに日本も律令諸制度が整い、唐や大陸の事柄を学ぶ必要が無くなった
ので国家間の行き来を一時的に廃止したのだ。
民間ではそれなりに交流を続けたらしいが。
茶(茶道)はお好きでしたか?
自衛隊が出陣しました
539徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/16 23:48
>532 (昔ってさ・・・・・・虫歯とかどうしてたんだろう・・・・・)
力に任せて抜くしかあるまい。痛みとは縁深い武士なら我慢も出来ようが
決心がつかぬ者は歯痛を堪えるしか道が無かった。
考えられる方法では、田楽や芸妓の踊りを見て気を紛らわしながら抜いた
大名商人も居たそうだが高くつく事よ。

>533 (アメリカへの態度を見てると、右翼も立派な他国の走狗だと思うが)
右翼にもおる事だろう。誰とは言わぬが常に日本と米国を比較して
こちらを蔑み向こうを尊ぶ者がおるが、自虐的な見方も控えて欲しい。
日本には日本の美点も欠点もある。

>534 (ドライヤーがなかったころ濡れた髪はどないしたん?)
帝が言う様い自然に乾かせるか、布で拭いて水気を取る。
余らの時代では機械そのものが無いので不便とも不自然とも思わなかったが
一度、それらを使うと昔に戻れなくなる。文明の利器とはある意味麻薬に近い。

>535 (遣唐使をなぜ辞めちゃったの?)
菅原道真が提議して承認されたが、最早あの頃の唐王朝は末期的状態であったし
危険な航海と莫大な人員費用を用いて行う意味が無かったのであろう。
中々合理的な判断と賞賛できるが、大陸とはその後も交流は在った。
民間の貿易や宋との行き来も在り、決して世界から孤立していた訳でも無い。
540徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/16 23:49
>537 (茶(茶道)はお好きでしたか?)
あの頃は茶道を知らぬ大名武家など存在しなかったと言える程普及はしていた。
単なる趣味としてだけではなく、密会密談の場と政治的にも有効利用されて
いたのだが、父上や余は後者の類であった。
由緒ある茶器も大抵家宝か家来への褒美として使っていたが風流を嗜む側から
見れば、冒涜と受け止められても仕方が無い節がある。
結論だが、茶を飲むのは好きだが茶道を嗜むとなると必要性の部類となる。

>538 (自衛隊が出陣しました)
うむ。遠い異境の地に旅立つ自衛隊に何事も無く…と言いたい所だが
余は人死が必至だと見ざるを得ぬ。
隊員達もどの様な心境で船上の身かは察するに余りあるが、余からは
「死なんと欲すれば必ず生き、生きんと欲すれば死ぬ」と言い切った
上杉謙信の言葉を贈る事のみだ。
義忠様がイタワァ!!*・゜゜・*:.。..。.:*・゜(∩‘∀‘)η゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*

遅れまして、あけましておめでとうございます。
日本の国技・相撲は大丈夫なのか?客がはいってないよ〜。
南蛮人や紅毛人をはじめてみたとき正直びっくりした?
>537 (茶(茶道)はお好きでしたか?)
茶道は朕の好み嗜む物であった。
かの小堀遠州の下で習い修えたりと様々であったが個人的趣味のみならず
学芸文化面で江戸を越えると言う目的もあった。
茶室の狭い領域で行われる雅の一時も、代え難き物である。

>538 (自衛隊が出陣しました)
未だ政情民情穏やかならぬ彼の地に赴く者の心情、実に思う所ある。
現実的見方は置いておき、無事に帰国する事を願うばかりである。
船上の父や夫を見送った妻子の立場を思うと、情が入り込むのが人の性か。

>541 (遅れまして、あけましておめでとうございます)
何か事情があり遅れたとしても、一月なら差支えなかろう。
新年、そちが恙無く過ごせる事を朕からも願う限りである。
善事が訪れれば良いの。
>542 (日本の国技・相撲は大丈夫なのか?客がはいってないよ〜)
一時的な事と信じたいが、若者が相撲に興味関心を持つには
やはり知名度が高い有名力士の存在が大きいか。
どの分野に限らず、携わる者も頭を痛めていよう。
優れた人材を見出せ、育成できれば良いのだがな。

>543 (南蛮人や紅毛人をはじめてみたとき正直びっくりした?)
朕は一度も南蛮紅毛人に拝謁を許した事は無かった。
外交交易の使節が朕ら天皇及び朝廷には、何一つ用も無かったし
将軍家が日本国王や大君の名で取り仕切っていた以上、朕が口を挟む事も
何も無かったのだが、似絵で見た限りでは、天狗の如き鼻の高さが
随分と印象に残った物であった。
新撰組!は毎週見よっと。
センター試験終わった!
悪戯をしたニダーが…この場合はニダーが悪いんだろうか。
http://www.geocities.co.jp/Milano/7232/NewFiles/nida.html
549徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/20 05:10
>541 (遅れまして、あけましておめでとうございます)
一月半ばだが、何か役目あっての事か。新年宜しく頼む。
帝と合流して、遅れを取らぬ様心掛けてはいるがまだまだよ。
そなたらにも何かと不都合をかけるかも知れぬが勘弁願いたい。

>542 (日本の国技・相撲は大丈夫なのか?)
そなたら客が気付いているのなら既に収益を数える側も危機感を抱いていよう。
何か対策を講じねば、如何に日本の国技であろうと客相手の商売。
廃れる恐れも無きにしも非ずだが、やはり若年層を掴み入れられる有名力士が
数人はおらぬと難しいか。だが単なる二世三世の名のみでは生きてはいけまい。

>543 (南蛮人や紅毛人をはじめてみたとき正直びっくりした?)
余はウイリアム・アダムスやヤン・ヨーステンらの紅毛南蛮の者を多く見たが
本音を言うと些か気が置けぬ存在であった。
外見容姿も勿論だが、当時の日本の知らぬ情報や技術を有していたので
何をされるか解らぬある意味薄気味悪さが付き纏った物だが、
彼らを歓待していた父上への対面上穏やかに接してはいた。

それと一つ申すと、正座の習慣が無い彼らを対する時は、あぐらを許すか
互いに椅子に座って対面したのだが、それも不自然に思えたのだ。
今もそうだが、文化風習の大きく異なる異人との難しい物よ。
550徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/20 05:11
>546 (新撰組!は毎週見よっと)
それは善き事と申したいが、やはり前評判同様心もとない部分が多い。
余り前半に重きを置いては、主な場面である京での活躍が飛ばされる恐れ
があるので脚本を充分練りこんで欲しい。
後、土方歳三がどう表現されるかか。

>547 (センター試験終わった!)
この時期の大学生は何かと大変と聞くが、人段落ついて何よりと申しておこう。
だが、学問に終わりは無いので試験期間に関わらず、少しでも良いので
学を進める事を奨励する。
仮に一日に書を数ページ読むのだけでも大きく異なるのだ。

>548 (悪戯をしたニダーが…この場合はニダーが悪いんだろうか)
この者が博士に暴行を加える理由が見当たらぬ以上、そう見るのが妥当である。
仮にも精神的に成熟した年代の者なら己の行動に責任を持たねばならぬ。
子供の石合戦ならまだしも、これを見る限りでは弁解の余地があるまい。
朝鮮人云々は関係なく、悪事には相応の酬いが来るのだ。
551以上、自作自演でした。:04/01/20 06:05
(=゚ω゚)ノ いよう!
日本人いる?
552地球人:04/01/20 18:09
日本人は世界最大の悪霊民族!人間、人間と言うが全部が人間
ではない。人間の姿をしているからと単純に全部人間だと思い
込んでいるに過ぎない。コペルニクスの地動説ほどの認識の転
換が脳ミソの中で必要だ。本物の人間の中にいたる所で贋物の
人間が紛れ込んでいる今の日本。何でも本物と贋物がある。人
間だって例外ではない。贋物の人間すなわち人間の皮を被った
悪霊こそ本物の人間にとって最大の敵!悪霊女、悪霊男がウジャ
ウジャのさばっている今の日本。悪霊女の体内から生まれる赤ん
坊は必ず悪霊になる。だからどんどん増殖している。人間の皮を
被った悪霊女、悪霊男とはどんな化け物女か?化け物男か?人格の
ない邪悪な欲望の固まり。だからその言動(言うこと、偽すこと)
手口は邪悪そのもの。悪霊は人間関係というものを理解出来ない。
人間じゃないから。その顔悪霊面(づら)、汚い面体(めんてい)その
言葉悪霊語。正体は笑い方に出る。食い方に出る。たかる(乞食をする)。
目と耳で(覗き、盗聴)まとわりつき悪霊。へばりつき悪霊。悪
霊は悪霊を呼ぶ。だから群れる。騙す。のさばる。世界最大の悪霊
民族の日本人。人生一回だけ、悪霊として地球に生まれ悪霊とし
て墓に入る。
農家VS漁師。
先生ならどっちの道を選びますか?
オレも切り捨て御免したいよー。
ってそんな簡単にできたもんじゃないんですよね?
飛脚って
かけっこだいすき
>546 (新撰組!は毎週見よっと)
それはそれで構わぬ。只朕も些か不安に思う。
先入観は宜しくないのは重々承知しているが、やはりな…。
悲観的にしか見れぬのが今の大河の辛い所である。

>547 (センター試験終わった!)
ここ数日よく耳にする言葉であるが、学問とは苦しんで習い覚える物ではない。
自分を伸ばし将来に役立てると前向きに考え、行えば自然と楽しみを見出せる。
無理せず自分の流れに沿って進むと良い。

>548 (悪戯をしたニダーが…)
故無く暴行を働いた方が罰を受けるのは同意だが
流石に命までは行き過ぎではあるまいか。
それに一個人が刑罰を行うのは私刑であり、法治国家の理念に反しては
居まいか。固い事を言う様だが、民族云々は余り関係は無い。

>551 (日本人いる?)
看板に偽りは無い。朕と秀忠の二名が居るが現代の日本人が誰も居らぬのが
気にかかる。何度も言うが、ここは歴史すれでは無く
「日本人すれ」であるのでくどいかも知れぬが日本人なら誰でも歓迎しておる。
>552 (地球人)
どこの国の者かは存ぜぬが、過去に余程日本か日本人に辛き仕打ちを受けたと
推測するが、ここは日本人が多く利用する場所にて特定の民族国民を
誹謗するのは極力控えるが宜しい。
何時、どの様な形で災厄が降りかからぬとも限らぬ。

>553 (農家VS漁師)
海に無知であり、先入観を持っておる朕では猟師などとても務まらぬ。
よって消去法で農民を選ぶ。慣れぬ野良仕事をどこまで出来るかは分らぬが
仮に農家に生まれたならば避けて通れぬ道であろう。
不安なのは、あの頃の農民は米を滅多に食せない所か。

>554 (オレも切り捨て御免したいよー)
物騒な事を言うでない。訳無く他人を殺めるなど決して許されぬし
例え町人百姓に多少の無礼があろうとも見ない素振りで見逃すのが
本当の武士ではあるまいか。何より後生が恐ろしい。

>555 (飛脚ってかけっこだいすき)
好む好まざるに関わらず、疾走しなければ成り立たぬ職であるが
頑健な体力と忍耐力を兼ね備えていなければ務まらぬ物であろう。
朕らの生きた江戸時代では、飛脚と早馬、籠が希少な交通手段であったが
これが最も人を選ぶ職であった。
558以上、自作自演でした。:04/01/21 14:05
大河ドラマ武蔵盗作疑惑についてコメントを
明治維新、市民平等になった時、誇り高い武士は
百姓にタメ口きかれたり、商人に頭下げたりすることに
すごく抵抗あったんでしょうか?
560徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/22 00:57
>551 ((=゚ω゚)ノ いよう!日本人いる?)
うむ。帝の申す通り余と帝と言う武家と朝廷の代表が居る。
別に歴史上の人物と限定してはおらぬので、幅広い参加者を望む。
…と申したき儀ながら、現実は上手く行かぬ物よ。

>552 (地球人)
奇抜な発想力は認める。だが民族の優劣を論じるのに悪霊云々の時点で
余は読む気が失せた。俗に言う滑稽文なら面白いのでそちらへの掲載を
薦める物である。才能は有意義に活かすが良い。

>553 (農家VS漁師。先生ならどっちの道を選びますか?)
余は生まれながらの大名家であったのでどちらにも当て嵌まらぬが
強いて選べば後者になる。農民は生かさず殺さずと説いた江戸幕府の
実践者である余が農業に携わるのも笑い話にしかならぬ。
しかし海原にて余の力が有効に使えるか否かは測りかねる。
投網の段階で躓く恐れ大が本音である。

>554 (オレも切り捨て御免したいよー)
悪い事は申さぬ。空想内のみに留めて置くが良い。
家光も若き頃、家臣の目を盗んで江戸市中を夜歩きする癖があった。
それだけなら構わぬが、時に辻斬りの真似事までしておった。
廃嫡と出家で脅して、ようやく辞めた物であったが理由も無い斬人は
法度の禁じる所である。
一時の短慮で家断絶の憂き目を見た武士も少なからずいたので尚更よ。
561徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/22 00:58
>555 (飛脚ってかけっこだいすき)
飛脚か。余は詳しくは存ぜぬ。使者や奉書の類は大抵早馬を使っていたので
縁が無かったのだが、やはり帝の言う様に頑健な体力・脚力が無いと
とても長くは続けられぬ物なのは想像に難くない。

>558 (大河ドラマ武蔵盗作疑惑についてコメントを)
生憎詳細な事は存ぜぬが、宮本武蔵を取り上げていた小説漫画の類は
事欠かぬのだが、その中から一部を抜粋或は言葉は悪いが盗作するのは
脚本家の無能を自ら証明するのみである。
駄作とは思っていたが、案の定褒められる話ではなかった。
武蔵の晩年を描けない所が限界よ。北条時宗といい勝負ではあるまいか。

>559 (明治維新、市民平等になった時)
あると言う所では無かったそうだ。昨日まで今で言う支配階級である武士が
全ての特権を剥奪されて、頭を下げるのは勿論食うに困って慣れぬ商売に
手を染めるなどとても許容は出来まい。
明治初期の士族反乱の多発も、そうした時流に乗れぬ武士の最後のあがきに
似た物であったのだ。
余も武家の者として些か気の毒には思うが、時代とは時に残酷な物なのだ。
早く目が覚めた。久しぶりに一首詠む。

闇に聞く 人のざわめき故なくも 鳥のこえすら 夜終わらせず

>558 (大河ドラマ武蔵盗作疑惑についてコメントを)
朕も詳細な事情は知らぬ。だが内容等の盗作は流石に褒められる話では無い。
只でさえ、起用する俳優陣の若年化で何かと風当たりの強い大河では
少しの問題も大きく響きかねぬ。今後は疑惑の持ち上がる事の無き様願う。
秀忠の申している晩年の描写は、活劇と恋愛が無いので難しかったと推測する。

>559 (明治維新の武士)
身分制度の表面上の撤廃は、当時の日本人には大きな衝撃と歓呼で
迎えられたと思うが、やはり武士側には慣れるのに抵抗が有ったと見る。
只、商人には江戸時代の早くから借財で頭を下げるのは抵抗が無かったと
見る。既に朕の在世時から多くの大名旗本が窮乏していたと聞く。
朕ら朝廷も人の事は言えぬが、衣食足りて礼節を知り思うのであろう。

結局、明治政府の士族への家禄撤廃で乱が続出したが、淘汰され
生き残った多くの士族が平民或は財と名を成して今日に到る。
会津人ですが九州人が憎いです。
琉球人の気持ちも知れ!!!
火星の研究対象の石をサシミ、スシ。着地地点一帯をワサビ地区と命名。
NASAイイ!
566徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/23 17:17
>563 (会津人ですが九州人が憎いです)
その気持ち察するに余りある。本来京都守護として朝廷からも賞された
会津藩が、一転して朝敵逆賊の汚名を被せられ薩長に蹂躙された事
郷土を愛する者にとっては切歯扼腕しても飽き足りぬ事であろう。
時が憎悪を消してくれると言う美辞麗句も、この現実の声の前には
無意味に近いか。早く正当な判断が下される事を願うのみである。

>564 (琉球人の気持ちも知れ!!!)
それも徳川には耳の痛い言葉である。島津の琉球侵略と統治は
他でも無い父上の了解の上で為されたので余にも責任の一端はある。
だが王である尚氏の存続を始め、ある程度の施策の関係上
本当の圧制とは言えぬし、大目に見て欲しい。
だが、太平洋戦争時の唯一の本土戦であった沖縄での戦については
全く弁解の余地はあるまい。

>565 (火星の研究対象の石)
随分と妙な命名をする物と、余も奇異の念をもって見たが
それ程、日本食の知名度があった事に驚きと些かの喜びを見出した。
関係者の中に、日本食を好む者が居たかと考えるが、どちらにしろ
最近の話題には珍しく、微笑ましい話よ。
ア・・・アイヌ人の心も知れ・・・
結構基本的な質問かもしれませんが、兵糧調達いわゆる「略奪」については
お二方はどう思われてます?
米の美味い炊き方教えてください。
>563 (会津人ですが九州人が憎いです。)
>564 (琉球人の気持ちも知れ!!!)
>567 (ア・・・アイヌ人の心も知れ・・・)
そちらに共通しているのは過去の経過で述べている事だが、その気持ち
七百年以上幕府及び武士に圧迫されてきた朕ら朝廷には充分頷ける。
だが、今現在は日本国と言う一つの国家共同体に属する同胞とも呼べる
間柄であるので、余り声高に叫ぶのは些か考える物もあろう。
郷里民族風習が異なれど、互いに領域を侵さねば平穏に過ごせようぞ。

しかしこうした過去の怨念とは消えぬ物と思い知らされる。
特に別民族である琉球とアイヌには、政府が何らかの政策を見出さねば
互いにしこりが残り続けるのかも知れぬ。
彼の者の独特の文化風習は是非とも残したい物だが。

>565 (火星の研究対象の石をサシミ、スシ。着地地点一帯をワサビ地区と命名)
朕も耳にはしたが、最初はにわかには信じ難かった。
洒落か酔狂で名付けたとしても、日本に縁深い名称は歓迎すべき事である。
彗星に発見者の名前をつける習慣があるのは朕も聴いてはいたが
日本食とは、また珍妙な事だが美味は世界共通と好意的に受け止めたい。
>568 (兵糧調達いわゆる「略奪」について)
いくさに無縁であった朕が論ずるには多少差し障りがあるだろうが
やはり控えるべきとは思う。領内外を問わず、領民の反発を受けるのは
必至であろうし、何より悪評が付き纏う。
しないに越した事は無いが、現実はどうか秀忠の意見を待ちたい。

>569 (米の美味い炊き方教えてください。)
一度も厨房に立ち入った事が無い朕には未知の領域であるが、
聞く所によると、電子釜で直接米を研がず、何かの器に移して研ぐのが
望ましいと言う。釜の表面が傷付くと味が落ちるそうだが。
それと余り研ぎ過ぎると米が臭いを吸収して、臭いが鼻につくとも言う。
普段何気なく食している米も、中々奥が深いと感じ入る話である。
土曜日が一番好きです。
明日が日曜日だから。
日曜日が嫌いです。
終われば月曜日だから。
弁慶について。

                  
                  あ、そういやNHK水曜大河「武蔵坊弁慶」ってありましたね。
                  見てました?
                  中村吉右衛門主演でした。
574徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/24 21:05
>567 (ア・・・アイヌ人の心も知れ・・・)
松前に言えと申したい所だが、洋の東西を問わぬ少数民族の宿命と
申すしかない。日本は単一民族と暴言を吐いた首相がいたが、そこ
までは言わぬ。だがこの現代でアイヌ独特の生活風習は流石に維持
していくのは困難だ。民族尊重も難しき事よ。

>568 (兵糧調達いわゆる「略奪」については)
太平洋戦争に到るまで後方が軽んじられた日本では、略奪など当然であった。
略奪せねば軍が崩壊し、自分らの骸が野に晒されるのみである。
背に腹は変えられぬと申せばそれまでだが、流石に非情と見られよう。

秀吉公に仕えた石田三成が、余の知る限りでは最初に大々的にこれに取り組み
潤滑に兵糧を運送・分配させる仕組みを整えたが、父上も三成の方針を踏襲
された節がある。
大坂の陣では、諸大名を動員した際も幕府が兵糧を一手に受け持ち冬の陣の時
の長滞陣に備えさせたが、それでも足軽雑兵の乱暴狼藉は後を絶たなかった。
実の所、制度云々に関わらず、略奪は戦争について回る必要悪である。
軍法で多少は抑えられる程度か。
575徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/24 21:06
>569 (米の美味い炊き方教えてください。)
米を研いだ後、時間を置くのが一般的だそうだが、実の所、米が乾燥して
美味くなくなるそうだが、女中の話の又聞きなので本当かどうかは存ぜぬ。
ただ、米を洗うと言われ洗剤を入れて研ぐ無知な女には任せられぬのは
変わり無い。果たしてその様な者が本当に居るかは疑問だが。

>572 (土曜日が一番好きです。)
休みを如何過ごすかを考え巡らす時を楽しもうとするその姿勢は中々である。
日曜が嫌いだそうだが、特に夜が辛かろう。
僅かの間でも顔を見ずに済んだ、虫の好かぬ上役達の渋面を思い浮かべれば
尚更と推察するが、週が終わればまた土曜も訪れる。
己への励ましとして励む事よ。

>573 (弁慶について。)
源義経の家来にその様な者が居たのはほぼ確からしい。
だが、出生の際の逸話や立ち往生は明らかに創作である。
おそらく義経の従僕程度の身分と見るが、個人的側近の域かも知れぬ。
その大河に関しては生憎、余は未見である。
実の所、余は義経やそれに関わる者を余り好いてはおらぬのだ。
武家の秩序に反した者への同情に、幾分の反発を感じている。

だが、娯楽として見るには悪くはなさそうなので、機会を見て一度は見てみる。
教えてくれた事、大儀である。
或はそれで源平の御世に新しき発見があるかもしれぬ。
お菓子を食べるのをやめると決めたのに
3日後にはもう手をだしている駄目な自分が嫌です_| ̄|○
約束を守れない人間はやはりダメダメですか?
士農工商についておねげぇですだ
578徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/25 17:21
>576 (約束を守れない人間はやはりダメダメですか?)
菓子云々に関してもそうだが、約束誓約は飽くまでも己の役に立つか否かを
第一として行う事が寛容である。
父上が生きられた戦国の世では、例え神前に誓った起請文の類でも、一時の
利益に邪魔になれば、たちどころに空文と化したのだ。
そなたも悔やむ事も無い。むしろ三日間も好きな物を絶った意志は評価できる。
もし続ける気があるなら、これから徐々に日数を延ばしていけば自然と止む。

>577 (士農工商についておねげぇですだ)
我が徳川の治世に確立した身分制度であるのは存じておるな。
支配階級である武士を頂点とし、農民、職人、そして商人を最下級としたが
これは商売を卑む傾向の強かった儒教倫理が色濃く反映した。

だが、これは歳月を経るにつれ形骸化し、江戸も元禄を過ぎると商人の力が
他の身分を大きく圧倒した。何より金や米を初めとした物資を握っている以上、
やむを得ぬ事であったが、大名やその家老が商人に土下座して借金を申し込む
姿は、流石に見るに忍びない物があった。
579以上、自作自演でした。:04/01/25 17:21
       |ヽ
      ||
      ||
       | .|
       | |∩__∩
       | |      ヽ
       | | ●   ● | 
       | |  ( _●_)  ミ
 ___、| |   ∪ /     
 |||,. -ー ''( ̄)i\ ,.r ──┐
 |||!,_,. イ( ̄ヽ三三/≡≡/  本当に自分が正しいと思っているのですか?
  ̄ ̄ ̄l(⊃-<, ヽ</≡≡/
     l┼≡┼ゝ/≡≡/
     |┼≡┼≡ー' ̄|
      |___∞ω∞__|
    /三/│三三三│ミ\
     !三/ │三三三│;;ヽミ\
   /!三/..└───┘;;::丶ミ..ヽ
   l/////    `''-、,> ) ) )
  /⌒⌒i       /⌒⌒/
  i   /        i  /
  i  /        /  /
  l_/       く`ー<
  (__)        ヽ,_)
580徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/25 17:27
>579 (本当に自分が正しいと思っているのですか?)
平穏無事な時代ならいざ知らず、戦国の世では己と主家が第一であり
何より正しいと信じるのが当たり前であった。
そなたも刀を持ち戦場に立つ身なら、よく理解出来る筈だ。
目前に槍刀をかざして近付く敵兵に、どちらに理があるかと禅問答をしても
敵は罵声と共に、一刀両断で応じるのみだ。

そうした理屈問答など、危急存亡の時には何の役にも立たぬ。
只、己の信じる所を行い、生きるのみが真理と知るが良い。
一月も間も無く終わるか。

吉事あり 月越えて尚忘れえず これにならうか 雪重なりて

>572 (土曜日が一番好きです。明日が日曜日だから。)
曜日は好みが分かれる。特に土曜の夜は時間と明日に捕われぬ余暇を送れるので
多くの者が好む時と聞く。曜日が存在しなかった朕らの時代とは、また異なった
楽しみと言えよう。朕も昨夜は軒先にて雪を眺めながら杯を傾けていた。
日曜の夜は多くの者にとっては明日を思い起こさせるので敬遠されるようだが
避けられぬ以上、止むを得まい。

>573 (弁慶について。)
源義経を扱った戯曲物語には必ず出る者だが、やはり創作の部分が多い。
元来、僧兵は寺院に所属する兵にて、それからはぐれた者は稀と聞く。
大河に関しては、朕は何度か見た覚えはあるが、源頼朝役の菅原文太は
先入観からか、威厳と畏怖を感じざるを得ぬ。
あれが主君では、家来は冷や汗が止まるまい。

>576 (約束を守れない人間はやはりダメダメですか?)
綸言汗の如しと古来より言われるように、朕ら天皇の言葉は決して翻しては
ならぬと教えられてきた。帝王君主も勿論だが個々人の間でも一度決めた
約束は余程の事情が無くば、守るに越した事は無い。
仮に破れば、今まで築いてきた己が信用名声も土崩瓦解するのみ。
だが、減食節食の類まで咎めては心苦しい物がある。
>577 (士農工商についておねげぇですだ)
秀忠が申している様に、身分制度の区分けと一言で申せる物である。
だが二番目に置かれた農民も、実質的には商人より遥かに下と見られていた。
土地田畑を二束三文で売らざるを得ず、牛馬同然に地主に使役される姿は
多くの古話にある通りである。
また、この身分の外に無宿人などの埒外がおった。賭事や刃傷沙汰で無頼に
落ち、流浪の身で時に言うに憚る事すらして口に糊したと云う。
ちなみに公家はこれらと別格とされたが、まだ借金の代価の年貢米が入る
大名武家と比べると、担保にする物が無いので相手にもされなんだ。

>579 (本当に自分が正しいと思っているのですか?)
万世一系の天皇であった朕でも、過ちを数え切れぬほど犯した。
特に和子入内に憤り譲位を告げた時、皆が反対する中、朕のみが頑迷に
貫き通そうとしたが、結局意を容れて受け入れたが、あれで良かったと思う。
只、己の主義心情のみを信じれば良いと言う訳ではあるまい。
そちの質問に含めた諫言、しかと朕の胸に留めておく。
最近「あはれ」と感じたことを教えてください
三種の神器は本物ですか
                                     ,./
  、                            , ./
  ヾ 、                        ,、. ',. '
   ヽ丶、      ,.ィTTT.i‐.、        ,、 ' ,、 '
     \ ` 、,  . //.l l l l l lヽヽ   ,. - ' ,、 '
        ` 、,` '‐-'.⊥l⊥l⊥'-‐ ' ´ ., - '.´
        ,..-`,:ー--.,..== 、,.--‐:':´>,
          (:*。:>:':´::::::; ;:::::::`:':<*:)
.        ,ィ>f:-:、::::::::::; .;::::::::_;;::、<::ヽ
      /://::;;i:{. ``''T''''ィtラハ::::ヽヽ:\
     /:::/./l::::';:;'`ー ' l :.  ̄ ';:::::iヽヽ:::\ ゴールデン・グローブ賞とれなかった・・・
.    <ヽ:ノ./ l:i::::ヾ,.  ゝ.. -   //:::l::;;ヽヽ/
     ``'‐'.-リl::::::::'ヽ ――‐ /イ::::〈 ヽ`
   _,,,,..ィ´ /ィ::::::::トlヾ、'二'フ''´.ハ:::::::',. ヽ、
‐ ' ´      〃 l::::::::ヾ、ヽ.___/,,..l::::ヾ',  ヽ`'' ー-、
、::ヽ      ハ:l;:::i::トヽ´o.o.o.ooo.r';i::::;リ'、 ヽ  ヽヽ
:::::ヽ:ヽ     リ!ハ:::l::l、ー------‐'ヽ';:l::ヾ、ヽ. ヽ  ヽ:',
586徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/26 17:23
>583 (最近「あはれ」と感じたことを教えてください)
余り思い当たらぬ。別に自然に親しむ趣味が無い余は、普段そうした感情は
抱かぬし仮に抱いても何かの形にする事が無い。
強いて申せば、冬、雪が積もって雪かきをしている者を見て季節を感じる
くらいだが、無粋な見方と言われても良い。

>584 (三種の神器は本物ですか)
草薙の剣は、壇ノ浦で安徳天皇と共に海中に没し、代わりで間に合わせた
そうだが、他の二つも千数百年も同じとは限らぬし、どこかで入れ替わっ
ていても不思議ではあるまい。
天皇家もそうだが、大名家でも累代の家宝が途中で紛失する例もあり、
こうした物の維持も難しい事よ。

>585 (ゴールデン・グローブ賞とれなかった・・・)
政宗か。余の臨終の間際以来だから三百七十年ぶりになるな。
唐突に何を申すのか、余には解せぬが賞など所詮、他人の評価の一つに過ぎぬ。
手段を選ばず、奥州に覇を為したそなたが今更、まだ名声を欲しがるか。
死しても欲は果てしなき物よ。尤も余もそなたのことは言えぬが。
百叩きされたら普通に死ぬと思うのですが・・・そういう罰なんですか?
588トム・クルーズ:04/01/27 01:13
ケン、もうすでにきみはハリウッドスターだよ。元気だせよ。
      o(⌒0⌒)o
御生涯で一番痛快だったことはなんですか
自分の身体の好きな部分を教えてください
セク質じゃないですよ?(´∀`;)
591徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/27 22:44
>587 (百叩きされたら普通に死ぬと思うのですが・・・)
単に物の例えに過ぎぬと言いたいが、厳然たる法で定められた刑では
本当に行う場合もあったと聞く。
それに叩く箇所にもよるので一概に死ぬとは申せぬ。
だが、信長公の様な有言実行される方なら、八つ裂きにすると申しても
それ以上の刑罰を施しても可笑しくはあるまい。

>588 (トム・クルーズ)
意味がようやく解かった。役者の話であったか。
だが一度、賞を得て有頂天になるよりも、次回に持ち越されて更なる
精進を努めよと言う事と受け止め、また再度名演技を期待したい。
592徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/27 22:44
>589 (御生涯で一番痛快だったことはなんですか)
一番と言う訳では無いが、未だに快事として記憶に残っている事はある。
福島正則を改易し川中島に流罪した時だ。
あの者、己が武勇をひけらかすだけでなく、余を内心小僧呼ばわりして
明らかに軽んじておった。単に豊臣恩顧の外様の雄藩だと言う理由のみでなく、
余の宿怨を晴らす機会でもあったのだ。
それに父上も関が原間も無く、家臣同士の争論で徳川方から首を差し出した
苦い過去があった事から、臨終の席で遠回しに遺言の中に含まれた。

改易を命じた折、もし僅かでも歯向かえば即刻郎党もろ共滅する用意は
していたが、それを察してか極めて従順に配流地に赴いたが小賢しい事よ。

>590 (自分の身体の好きな部分を教えてください)
余の自慢出来る体の箇所は他でも無い。この頭である。
外様譜代は勿論、親藩に到るまで大名を監視し、必要とあらば改易転封。
そして抹殺を実行してきたのは、余の決断に他ならぬ。

それに余は武技は全くと申して良い程、扱えぬ。
若年から武士の子として剣に励み、兵法指南役の宗矩に学んでも
凡人の域を脱する事は出来なかった。
間を空けて相済まぬ。秀忠に遅れを取ったか。

>583 (最近「あはれ」と感じたことを教えてください)
毎日の様に感じておる。何気ない日常の風景でも見方を変えれば如何様にも
受け取れるので、一つに断定は出来ぬ。
例えば外を歩くだけでも、風の吹き具合や道行く者の表情は日々異なる。
これも趣と見て、感じる事が出来れば新鮮になろう。

>584 (三種の神器は本物ですか)
草薙の剣に関しては秀忠の申す通りである。
だが、勾玉と鏡に関してはそれに値する記録が無い以上、真物と信じておる。
天皇家にとっては皇位継承に不可欠な物である以上、疑問を挟むのが憚られる
と言う理由もあろう。まして今では天皇ですら拝観を差し控えねばならぬと
訊いているので尚の事である。

>585 (ゴールデン・グローブ賞とれなかった・・・)
>588 (ケン、もうすでにきみはハリウッドスターだよ。元気だせよ。)
どうやら伊達政宗に比喩しての俳優の賞関連らしい。
海外に飛躍する日本俳優は今後も増え続けようが、それへの肯定的評価と
受け止め、また日本の誇りと見たい。
分野に関わらず、この日本と言う金型を狭いと見る器量の者は多かろう。
朕も是非、次作での活躍を期待したい。
>587 (百叩き・・・そういう罰なんですか?)
刑罰の事は朕は余り詳しくは無いのだが、やはり律令や法度により定められた
刑罰である以上、その言を歪めては大事となろう。
執行の途中で休憩を挟めば、罪人の生死に問わぬ程度になるかも知れぬ。
この様な拙い返答で相済まぬ。

>589 (御生涯で一番痛快だったことはなんですか)
それが思い当たらぬ。皇子親王として生を受けてから天皇・上皇・法皇を経て
八十五の年まで真に痛快と感じた事など何一つ無かった。
先帝に疎まれ不本意な即位から、幕府の圧力を感じながらの在位と院政。
文字通り針の筵に近き日々であった。
だが、あえて申せば自らの臨終の間際であったと言えなくも無い。
全ての俗事から解放され、死別した者達に合間見える事が出来ると言う
期待で、病の苦痛など度外視できた。

>590 (自分の身体の好きな部分を教えてください)
朕は己の二本の腕を好む。好きな書や和歌を記すには不可欠であるし
愛した女子と手を取り合い、抱擁したり出来るのも腕あっての事である。
花盛んな季節、木々の下を散策する際に、花弁が掌の上に落ちる様を
見た時などは特に有難味を感じた物であった。
ところで元禄年間って本当に結構いい時期だったんですか。
生類憐みの令って悪法でしょうか?
江戸時代の食料事情で雷電や寛政の3大巨人のような力士が
現れたってのが信じられんな。
>595 (ところで元禄年間って本当に結構いい時期だったんですか。)
町人文化の花咲いた時代と呼ばれているが、実の所は一部の富裕な
町人商人のみが贅を尽くしたと云う面も少なくない。
元禄に限らず、江戸時代の庶民の生活は窮乏を極めていたのが普通であり
それらの者にとっては文化以前に、明日の米を考えねばなるまいな。

>596 (生類憐みの令って悪法でしょうか?)
朕は実際の光景を目にする事無く崩じたので、余り耳にはしておらぬ。
だが、犬を人より上とみなす法は如何に贔屓目に見ても良法とは呼べぬ。
犬を叩いたりして入獄と言う苛烈な扱いは、眉をしかめざるを得まい。
だが、動物を慈しむと言う発想は評価したいと朕は考えたい。
例え、継子を得るための方便であってもだが。

>597 (江戸時代の食料事情で雷電や寛政の3大巨人のような力士)
当然、相撲の中に入れば、市井の者とは食す物、鍛錬法もおのずと異なろう。
なら、あの様に見事な体格を有していても何ら不思議ではあるまい。
だがあの頃の力士は、どちらかと言うと引き締まった体が多かったと聞く。
後はその者達の生来の巨漢が物を言ったのであろう。
599徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/29 21:35
>595 (ところで元禄年間って本当に結構いい時期だったんですか)
徳川幕府に取っては、前半は比較的安定した時期であったので
そう言えなくも無い。後に悪名のみが先走った綱吉も将軍就任当初は
親政に意欲を燃やした。自分の就任に異を唱えた酒井忠清ら反対派を
追放し、自らの近臣を登用して将軍の権威を高めた。余もあの時は
我が孫を素直に評価したのだが、次に挙げる法と諸々の失政や財政
負担で、一気に幕府が傾いた。

だが、悲観的な事ばかり述べたが、後の享保や天保の百姓一揆や
打ちこわしが多発して、暗愚な者のみが将軍に就いた頃に比べると
遥かに恵まれた時代と言えよう。
少なくとも幕府が機能はしていたからな。

>596 (生類憐みの令って悪法でしょうか?)
悪法を通り越して愚法と言えような。
犬畜生を大事にすれば子が授かるなどと、真に受ける綱吉も話にならぬが
汚らしき野犬を何故、誇りある徳川幕府が養わねばならぬのだ?
既に家光の末期には幕府の財政も厳しくなっていたと言うのに、あの者は
無駄な物にのみ金を散財して、挙句に貨幣鋳造で小賢しい利で補おうとして
幕末にまで到る幕府財政の慢性赤字の原因を作った男だ。

結局、男子は出来ず、紀州家に嫁いだ娘にすら先立たれたようだが
戯言を信じた将軍の喜劇に他ならぬ末路であったな。
それに動物保護云々だが、野犬野良猫の類など人間が案じなくても
自然に生きて増え続ける物だ。
600徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/29 21:36
>597 (雷電や寛政の3大巨人のような力士)
帝の申す通り、自らの体格と、今にまで伝わる相撲部屋の特異な鍛え方の
結果の産物だ。
只、こうした有名力士は大抵農民貧家の生まれと聞くが、単身江戸などの
大都市に出て自らの力のみで立身せねばならぬので、不便な食糧事情でも
自らの智恵で何かしら工夫したとしても変ではあるまい。
一休さんが気に食いません。やつは屁理屈野郎です。
602徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/30 23:20
>601 (一休さんが気に食いません。やつは屁理屈野郎です。)
そなたの申しておるのは俗世で広く知られておる分野の一休であろう。
それについて述べるが、余もあの様な小賢しい小坊主など好かぬ。
あれは単に相手の言葉の尻を取って、無駄に話を伸ばしておるだけだ。
頓知とは、機転が利くのを表わしておるので問答には良いだろうが
短気な者に取っては、退屈極まり無い物になろう。

父上と余、家光の三代に仕えた天海は法論のみならず頓知にも巧みであったが
相手の気性を察して、端的な一言一句で述べる事も出来た。
要は、その言葉に意味があるか否かだ。長短は二の次である。
新右衛門さんは立派な武士だったのかな。
傷ついた少女をなぐさめるにはどうしたらいいですか
605徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/01/31 12:57
>603 (新右衛門さんは立派な武士だったのかな。)
一休絡みか。一個の武士である以上、余り悪くは言いたくない。
只、余としては足利義満公が些か妙に描かれておるのが気に食わぬ。
室町幕府でも初代尊氏公と並ぶ数少ない名君であられた公が
あの様に、政務を半ば放置して馬鹿殿の如き扱いは見るに忍びぬ。

その新右衛門とやらだが、室町時代の武士は戦国程では無いが主君への
忠義心は希薄に近かった中、あれ程の献身的な振る舞いは褒めるべきであろう。
それに将軍家直臣であるなら、悪くない家柄になる。

>604 (傷ついた少女をなぐさめるにはどうしたらいいですか)
男でも世話してやると良い。大名家では側室を心聞いた家臣に下げ渡す習慣が
あったが、主君の夜伽の相手もままならずにあたら若き時を無為に過ごさせる
なら、他の者に嫁がせた方が良い。
実の所は、不要な女子を体よく追い出す口実であったが、今と異なり女子を
子を産ませる物としか見ていなかった風潮では、ごく当然の発想であったな。
もし魔法が使えたらどうしますか?
江戸時代のグルメっていったらどんな物があるの?
>601 (一休さんが気に食いません。やつは屁理屈野郎です。)
>603 (新右衛門さんは立派な武士だったのかな。)
話の前後から察するに、一休禅師では無く大衆的に知名度のある方の様だが
僧は幼少より宗門を叩いた時点より、ある程度の法論宗論に通じておらぬと
不都合が生じ、また訥弁の僧侶と言うのも耳にした事が無い。
確かに見る者によっては不快感を抱くかも知れぬが、頓知機転で将軍家の
知己を得るまでになるとは尋常の才ではあるまい。大目に見てやるが良い。
新右衛門と申す者だが、元来武家の物は主君及び自分の周辺以外を重く見ぬ。
時代は異なるが、京都所司代の者も朕ら朝廷を、時には明らかに邪魔者として
見た事があった。それに反して一介の小坊主や民間の娘にすら親身に接する
新右衛門は人格的に稀な物と言えよう。

>604 (傷ついた少女をなぐさめるにはどうしたらいいですか)
言葉と物の両方が考えられるが、どちらを選ぶかは相手の女子によって
慎重にせねばなるまい。言葉にしても単に美辞麗句を並べて慰めても
逆効果になる。女子の心は民心より度し難しと言うが真よの。

>606 (もし魔法が使えたらどうしますか?)
陰陽道や密教の秘術の類に近い物か。
もしその様な力を得れば、後醍醐天皇の如く朕自ら護摩壇に立ち
江戸幕府調伏祈願でもしていたかも知れぬ。
あの時も、公家の中には真剣に朕に薦める者も居たが、洩れた際の事を
考え、行った事は無かったが、どちらにしろ意味も無かった。

>607 (江戸時代のグルメっていったらどんな物があるの?)
朕ら江戸時代の美食で即座に連想する物と言えば、魚鳥になる。
塩焼きや刺身、或は味噌を使った物が好まれたが、朕は特に
美食を求めた訳でも無く、膳に運ばれる物を口に入れていた。
酒と少々の肴で、近臣と語り合いつつ杯を干すのが何よりの
馳走であったが、他人数の食が好ましいと言うのもあった。
609以上、自作自演でした。:04/01/31 22:43
大久保利通が暗殺されるになったのは、武士たちをホームレスにしたところに
あるのだろう。幕末時代、自分たちを軽んじた徳川が気に入らないのは勝手だが
武士を路頭に迷わせたのでは、暗殺される理由になっても仕方が無いのかも知れない。
610徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/01 15:49
>606 (もし魔法が使えたらどうしますか?)
奇怪至極な話だが、まあよかろう。
余に拝謁を求めに来る者の真意を探るのに使う。父上から余の目付役に
当てられた本多正信は、常に本音と反対の事を申して相手を翻弄した後
それとなく探り入れる話術の達人であったが、余も随分と参考にさせて
もらった。尤も来る者全てに猜疑の目を向けかねぬが。

>607 (江戸時代のグルメっていったらどんな物があるの?)
そなたらと異なり獣肉を食さぬので、必然的に海産物や鳥肉が中心となる。
菜物も美味と言えるが、やはりこの二つには及ぶまい。
父上も事に魚を好まれ、毎日の様に食されていた。
また鷹狩の獲物をその場で鍋物にでもして近習と舌鼓を打つのを愉しみと
されていたが、余には些か抵抗があった。

後、余の甥に当る光圀も当時としては美食家と言えよう。
牛乳酒や麺類を好んでいた事が今に到るまで伝わっておる。
611徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/01 15:50
>609 (大久保利通暗殺の理由)
前にも述べた記憶があるが、当時の明治政府には氏族への俸禄支給は
大きな財政的負担となり、また士族の社会的自立には政府の保護と言う
ぬるま湯では不都合極まると判断して、あえて決断したのであろう。
路頭に迷うと申すが、中には事業商売で成功した者も居た。
何時までも無為徒食の徒に安んじるなど、日本国家と士族双方に不利益しか
もたらさぬ。仇敵薩摩ながら大久保の判断は誤ってはおるまい。
それに国家の重職に立つ者は、須らく暗殺や刺客が付き纏うと覚悟せねば
とても務まらぬ物だ。本人も本望であった事よ。
5教科って重要度からランク付けするとどうなると思いますか?
笑ってみてください
614以上、自作自演でした。:04/02/01 22:29
新右衛門さんて蜷川智蘊でいいんですよね?
所もかはらず人も多かれど古見し人は
二、三十人が中にわづかに一人二人なり
616徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/02 14:40
>612 (5教科って重要度からランク付けするとどうなると思いますか?)
国語・社会・数学・理科・英語か。学ぶ者の進路次第で幾らでも変わろう。
余としては日本人としての最低限の常識を知らしめるために社会を第一と見る。
だが、学問は所詮好みによって左右されよう。下手に押し付けても嫌うのみで
あろうし、各順付けも善し悪しよ。

社会>国語>数学>英語>理科

取り合えずこう並べてみた。

>613 (笑ってみてください)
理由も無く笑っても仕方が無い。常に家臣に見られている将軍や大名
ともなると笑み一つでも何かしらの影響を回りに及ぼす。
喜怒哀楽を無闇に曝け出すのは、最悪の場合謀反の引き金にも繋がるのだ。
もしそなたが田楽師か御伽衆だとしたら、笑っても良いのだが。

>614 (新右衛門さんて蜷川智蘊でいいんですよね?)
その様だ。室町幕臣ながら和漢の才に優れ、また実在の一休禅師とも
親交があった関係で、新右衛門の役柄の原形となったそうだが
後世で戯画化されるとは本人も想像外であった事だろう。

>615 (古見し人は二、三十人が中にわづかに一人二人なり)
確か方丈記の一節であったな。
余は幼い頃からの近習小姓がそのまま幕府初期の重臣となったので
同じ顔と終始付き合った事になったが、それが一番無難であったな。
やはり馴染み深い顔に囲まれておると、自然と寛げた。
咳をしても一人
>609 (大久保利通〜)
当時の日本には荒療治と即効薬が必要と判断したのだろう。
単に幕府への怨恨等の個人的感情で士族を冷遇したのではあるまい。
だが、性急な改革は往々にして反感を招き、ついには己が一身を凶刃に
晒すのは嘆かわしい事に違いあるまい。
只、自分の安全のみを図る者では、国事を担当など難しかろう。

>612 (5教科って重要度からランク付けするとどうなると思いますか?)
朕はこう見る。
国語>英語>社会=数学=理科
やはり正しい日本語を守るためには国語教育を重視したい。
英語を第二としたのは、幅広い海外活躍には必須と考えたが、どの科目も
重要なのは変わりあるまい。

>613 (笑ってみてください)
これで良いか?(・∀・)

朕も本心から笑った事はそれほど多くない。内輪の者にくらいしか
見せておらぬし、公卿にはなるべく謹厳な表情で対した。
秀忠の申す事も一理あるが、君主帝王とて人間じゃ。

>614 (新右衛門さんて蜷川智蘊でいいんですよね?)
室町幕府の政所の者ながら和歌に長け、公卿からも高い評価を得ていた
そうだが、今にまで幅広く名が伝わり親しまれる事は善き話であろうな。
こうした形で更に一休やそれに関する事柄を知るのも面白かろう。
>615 (所もかはらず人も多かれど古見し人は)
何事も不変の事は無いと記した鴨長明の、自らの老いを表した言葉じゃな。
長らく京の都や、その近辺に住まおうと見知った顔が徐々に減ってゆく。
当然な事に感じられようが、無常感漂う話よ。
長く生き過ぎて、親戚朋友が死に絶えていくなど考えるだに恐ろしき事だ。

>617 (咳をしても一人)
ふむ。尾崎放哉なる者の俳句と記憶しておるが、風邪を引いて咳をしても
只一人のみでは誰も気遣われる事無く床に付す姿が目に浮かぶ。
軽く咳き込んでも羽織を運んでくる女官に事欠かなかった朕の如き帝には
想像つかぬ光景だが、これは単に生来帝王尊貴に在った者のみ。
民草なら、そうした時こそ、その者の普段の徳業が試されよう。
620以上、自作自演でした。:04/02/02 23:08
一絲文守和尚の人となりを教えてください。
向日葵や信長の首斬り落す
皇室の人はある年齢になったら強制的に筆下ろしされるのでしょうか?
623徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/03 18:01
>617 (咳をしても一人)
帝の話によると俳句らしいが、寂念感溢れる響きだな。
だが、所詮人間最後に頼れるのは己のみにて、孤独を味わえる内は
まだ余裕があると言う事だ。
真の孤独に陥れば、誰も手など差し伸べぬ。

>620 (一絲文守和尚の人となりを教えてください)
初めて見る名前だが、どうやら帝の知己の僧侶か。
余からは特に申す事は無い。

>621 (向日葵や信長の首斬り落す)
信長公の御首を欲しがるとは、さては明智光秀の組下か。
なら、存分に武功を挙げよと申しておこう。それともし斎藤利光なら
善き娘を得られて何よりよと伝えて欲しい。

ところで向日葵とは何物だ? 単に草花の名前だとしたら、そなたは庭師か
何かか。二束のわらじも大変であろうの。だがわざわざ花を切るのを
報告する必要も無かろうが。

>622 (皇室の人はある年齢になったら強制的に筆下ろしされるのでしょうか?)
余は詳しくは存ぜぬが、幼き頃に門跡寺院に入れられた親王なら
女色に触れると、女犯の罪の対象として厳しき沙汰が下ろう。
尤も、目を盗んで励んでおった者が大半と伺っていたがな。
>これで良いか?(・∀・)

カワイイ!(・∀・)
黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る
626徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/04 17:41
>624 (カワイイ!(・∀・))
帝も中々の芸達者だな。そう言えば帝がこの様な物を使ったのは
これが初めてでは無いか?
余は些か抵抗があるので使っていなかったが、これも悪くは無い。
今度、折を見て使ってみるとしよう。

>625 (621だが私も俳人としては無名か… )
調べさせてみると、どうやら角川春樹の様だな。
向日葵と信長公とは、また大きく境を事にする物を並べていたので
俳句とは気付かなかった。改めて詫びると共に余の不勉強を恥じる次第である。
どうも俳句を始めとした風雅の道には疎い。
しかし未だ獄中の様だが、それに相応しき雰囲気の句よ。
道を誤らなければ、日本を代表する文化人の一員として活躍し続けた物を。
釈放された暁には、その才を再び発揮するが良い。
積雪に 強いて手を取る親子見て 幼き声も ここちよきかな

>620 (一絲文守和尚の人となりを教えてください)
懐かしい名を出してきたの。朕が帰依した高徳の僧であった。
禅のみならず、書画にも長じ稀に見る才ながら若干二十五で隠遁し
禅と信仰に打ち込んだが、僅か三十八で入寂した。
和歌のやり取りを幾度か行い、寺の寄進もした間柄だったが常に謙譲の姿勢と
僧としての立場を重んじた事も今となっては思い出深い。
だが余りにも世俗を好まず淡白すぎたのが、多くの僧侶の反感を受けた。
それ故、若くして山野の生活を望んだのだろうが実に惜しい事よの。

>621 (向日葵や信長の首斬り落す)
>625 (黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る)
角川文庫で有名だった角川春樹の俳句であるか。
秀忠が存ぜぬのは致し方無いが、やはり環境のせいか殺伐な作風は歪めぬ。
だが「死」も人間の宿命であると同時に何かしらの風情も感じられよう。
牢屋では僅かな足音でも、恐怖になり得るそうなので尚更か。
朕からも前非を悔いている以上、早い釈放を望む。
>622 (皇室の人はある年齢になったら強制的に〜)
強制的と言う訳では無い。だが大抵の皇族親王ともなると夜伽の女官に
事欠かぬので、年若くして倣い覚えるのも珍しくは無い。
古くは十歳前後でも女子を覚えた天皇公家も居たそうだが。
秀忠の申す門跡については、ほぼその通りである。
それに江戸時代を通じては、天皇位を継ぐ親王以外は出家するのが慣わしで
あったから、余計身に詰まる話だが宮家を許す経済的余裕が無かったため
止むを得ないのじゃ。
尚、現代の皇室についてだが学生時に経験、もしくは結婚時と民間と特に
代わらぬと伺っておる。

>624 (カワイイ!(・∀・))
初めて顔文字と呼ばれる物を使っては見たが、確かに便利であるな。
実は秀忠が笑わぬので、朕がと思っただけだが些か恥を感じる。
いい年をした男二人が顔を連ねるこの場では、稀な書き込みを貰い
有難いやら何やら…。
OH!ハラキリ、ヤバンデ〜ス!!
ギャグ漫画でよく見る、お坊さんが鐘をチ〜ンと鳴らし木魚をポコッと叩いて
チ〜○ポコっという不謹慎だけどつい笑ってしまうギャグは
やっぱり昔からあったものなんでしょうか?
631徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/05 21:50
>629 (OH!ハラキリ、ヤバンデ〜ス!!)
言葉を聞く限りでは、そなたは異人の様だが、やはり切腹はそう見えるか。
だが武将が武運尽きて恥辱を受ける事を拒み、自らで後始末をするのは
洋の東西を問わず珍しくも無い筈だ。
只、手段が異なるのみでその根本思想は余り代わるまい。
だが臓腑が露出し鮮血に塗れる中、介錯される様子を初めて見ては
その率直な感想も頷けよう。

>630 (不謹慎だけどつい笑ってしまうギャグ)
僧侶を題材とした笑い話は多かったそうだ。
普段、仏教の説話を事細かに説法する僧侶を諧謔し、時には茶化すのは
権力に媚び諂い、華衣美食に励む堕落した僧共への皮肉がこめられていよう。
民衆とは、時に古今の名将にも劣らぬ智恵で何かを表わし変える。
一時の笑いの中にも古人の蓄積された物があるな。
>629 (OH!ハラキリ、ヤバンデ〜ス!!)
朕ら天皇や公家にも切腹は理解し難い物があった。
刃物で自らを傷付ける事すら憚られるのを、腹を裂く等考えられぬ。
引裁自決の概念すら稀な朝廷だからこそかも知れぬが。

>630 (ギャグ漫画でよく見る、お坊さんが鐘を)
徒然草にも幾つか僧を扱った話が有った。
童がいたずらに傾けた狛犬を由来ある物として拝んだ事や
盗賊に入られるのが多い事から、自ら強盗法印と名乗った話だが
貴族知識人にすら理解する事が難しい大乗仏教と言う分野の者への
何かしらの含みや、あえて卑猥な滑稽話に変えるに相応しいと見た
それらを考案した者の奇抜な思考があろうな。
青汁差し入れにきました。( ・∀・)つ旦
良薬口に苦しと言えど、効果は絶大です。
法隆寺前の道路拡張工事について、どう思われますか。
635徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/07 16:17
>633 (青汁差し入れにきました。( ・∀・)つ旦)
これが名を聴く青汁という物か。
渋茶に比べれば不味くはあるまい。有難く戴くとしよう。
うむ。確かに濃い味だが悪くは無い。染み渡る何かを感じる。
真に良薬は口に苦しだが、先入観で不味いと決め付けるのは不都合と言えよう。

>634 (法隆寺前の道路拡張工事について、どう思われますか)
道路工事は別に構わぬ。むしろ必要なら行うべきだ。
老舗の食堂が立ち退きに反対しておるが、大の虫を生かすには小の虫と言う。
場合によっては行政側の命令も考慮されるべきだが何時の世も抗う者は居る。
余が大名に転封を命じた際も、時に難色を示す家老に手を下したのでな。
全ての者が納得する政策など存在せぬ。
鬼の半蔵について語っちゃってみてください。
351 名前:以上、自作自演でした。 [sage] 投稿日:04/02/08 00:02
日本人だけど、何か

日本人のお偉いさんが名無しの意見を聞いてくれるスレ
いいかんじだね感動した、これからも頑張れよ

論評していただきました。この評価に異議を唱えてみてください
朝まで生テレビは見たりしますか?
>633 (青汁差し入れにきました)
大儀である。その心遣い有難き限りだが青菜を煎じた飲み物か。
一度も口にした事が無いが、飲めなくはあるまい。
茶と水くらいしか飲み物が無かった朕らの時代とは大きく異なるの。
幾分調べてみると、この様な飲料方法があるそうなので貼っておく。
ttp://www.fancl.co.jp/aojiru/

>634 (法隆寺前の道路拡張工事について)
道を拡げるのは差支えあるまいが、法隆寺に限らず貴重な文化財には
余り手をつけずに工事を行って欲しいと言うのが朕からの要望である。
秀忠が申している食堂などにも適当な代替地を提供しても良いのではないか。
聞く所によると百年以上そこで商いを続けていたそうだが、
やはり人情としては続けて貰いたい物だが。

>636 (鬼の半蔵について語っちゃってみてください)
どうやら服部半蔵の異名だそうだが徳川の家臣は余り存ぜぬし
仮に存じていても朕が論ずるには些か難があるので秀忠の言を待つが良い。
ただ古今の勇将に劣らぬ者なのは間違いあるまい。
だからこそ今日まで名が伝わっていると言えよう。
>637 (論評していただきました。この評価に異議を唱えてみてください)
異議は無い。端的にここを言い表していると好意的に見れる評価であろう。
温かい励ましの言葉、朕からは素直に礼を申す。
だが別に偉人尊貴の者のみを招いている訳では無いので、
これからも新参者を待ち望んでいる。

>638 (朝まで生テレビは見たりしますか?)
一時期は見たが、所詮果てしない論争の常で中盤以降は単なる感情や
相手への非難で大部分が埋まる。御世辞にも好感が持てぬ進行法だし
今後はせいぜい話題の者が出演した際に興味本位で見るくらいであろうな。
でもあなた方ぐらいやんごとない人だと、
やっぱこきおろされると自尊心とかで腹立てちゃうもんなんじゃないですかぁ?
642徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/08 23:09
>636 (鬼の半蔵について語っちゃってみてください)
服部家は元々伊賀三大上忍の一つと呼ばれた名家だったそうだが
最初、半蔵の父保長は足利将軍家に仕えたが前途を見限ったのか
我が徳川家の前身である松平家に仕えた。有名な服部半蔵正成は
その保長の五男であった。本来長男が継ぐのが普通ながら五男で
家の棟梁となるとは尋常の才ではあるまい。
父上と同年の生まれにて互いに親近感ある間柄だった様で、信康
兄上御自害の際には介錯を命じられた、と言うより頼まれたと
言い換えた方が良いか。尤も首刎ねる事は出来なかったそうだが。

本能寺の変の折の有名な伊賀越えの際でも上忍家服部家の名を活かして
多大な貢献をしたそうだが、どうやら信長公の天正伊賀の乱の頃から
ある程度の残党と連絡を取り合っていたそうだ。そうでなくばあれだけの
際立った行動は取れまい。

本人は徳川の天下を見る事無く関が原の四年前に没したが、後に残った
息子共が不肖故、不祥事を繰り返した挙句服部家は余が改易とした。
今に到るまで忍者の代名詞とされてきたが実の所本人は自分を「武将」と
見ており影働きで重く見られる事を嫌っておったらしい。
どちらにしろ徳川家の覇権とその後の隠密組織には不可欠な人材であった。
643徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/08 23:11
>637 (評価)>641 (自尊心云々)
腹など立てぬし立てる理由も無い。有意義な声として受け止めるべきだろう。
目安箱を設置した正之や吉宗もこうして普段耳にする事も稀な声意見を
真剣に受け止め藩や幕政に活用させた。余もそれに習いたい。
それにこの評価文は真に当を得ておるので異議などあろう筈も無い。
下手に虚飾めいた賞賛文より余程好感が持てる。

>638 (朝まで生テレビは見たりしますか?)
たまに見る事はある。現代の諸問題を本音で語り合う貴重な物であるし
何より、議論の悪しき見本と言うもう一つの一面も垣間見れるのがいい。
どちらにしろ、あれで妥協案や解決策が見出された事など一度も無い。
なら娯楽として見るのも悪くなかろう。
江戸と京の都どちらが住みやすかったですか?
>641 (やっぱこきおろされると自尊心とかで腹立てちゃう)
むしろその逆である。人の上に立った朕らの如き者が軽々しく立腹しては
臣下や周りに悪影響しか及ぼさぬ。
こき下ろしてなどおらぬ妥当な評と受け止めておるので尚更である。
それに過度の自尊心も時には邪魔になる事もある。朕は故有って幕府に
抵抗をしたが、平身低頭も止むを得ないと考えている。

>644 (江戸と京の都どちらが住みやすかったですか?)
朕は生涯京から出た事が無かったので江戸と比較は出来ぬ。
京で過ごすのがごく当たり前と思っていたので仕方が無い節があるが
双方の町にも美点とそうでなき点が有り、一概にどちらかとは申せぬ。
只、古の風格多き京は朕にとっては最高の都であった事は言える。
江戸の者も長く住めば同様に思うであろう。
オランダにはスケベニンゲンという町があります。
古来から余すところ無く利用していた日本人が、
鯨油だけを取るために乱獲してきたアメリカ人に、
捕鯨をとやかく言われる筋合いはないと思います。
648徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/10 19:44
>644 (江戸と京の都どちらが住みやすかったですか?)
無論、江戸と申したい所だが余の頃の江戸はそれ程住みやすいとは言えぬ。
玉川上水などの水利も整っておらず、また新興町にありがちな辻斬りも
多発しておったのだ。
だが参勤交代で江戸に留め置いた大名の家臣やそれらを含めると
当時の世界でも稀な大都市だったそうだ。

>646 (オランダにはスケベニンゲンという町があります)
言語が異なればそうした地名町名も珍しくないが、流石に良い気持ちはせぬ。
もしその町で万国博覧会でも開かれれば、日本の報道機関はそのまま
伝えるのかと思うと些か失笑しかねぬ話だな。

>647 (捕鯨をとやかく言われる筋合いはないと思います)
自分らの所業を棚に上げて、今更鯨の保護などと奇麗事を並べて
他国の産業を抑圧する動きは断じて許容できぬ。
余もこの話には腹を立てておる。
そもそも他国がどう動物魚類を捕獲しようが、それに口を出す権利を有する
国など世界にも無い筈だと考えるが如何思うか。
 
お二人とも直接は見ておられないでしょうが、明暦の大火はすごかったですねー
日本史上、寿ぐべき出来事ベスト3をあげてくださひ
若衆歌舞伎とはつまり当時のジャニーズですかね
町人の給料ってやっぱ貨幣なの?
光子力研究所のバリアってなんであんなに弱いの?
江戸時代に砂糖って一般庶民でも口にすることが出来たの?
656徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/11 15:35
>650 (明暦の大火はすごかったですねー)
余の死後二十年以上の事だが、江戸全域を灰燼に帰した大火事故
聞き及んではいた。家光が心血を注いだ天守閣すらも燃え尽くしたが
結局再建はされなんだが正之の決めた事だ。あれはあれで良い。

>651 (日本史上、寿ぐべき出来事ベスト3をあげてくださひ)
一、1603年 徳川幕府成立
二、1905年 日露戦争終結
三、1914年 第一次世界大戦参戦による好景気

>652 (若衆歌舞伎とはつまり当時のジャニーズですかね)
年若い者を使うと言う点では類似しておろう。だが歌舞伎ではその家に
生まれた故、幼き頃より修行を積んでおるが後者はそうでもあるまい。
芸が浅い者の踊りや演技は見れた物ではないからな。

>653 (町人の給料ってやっぱ貨幣なの?)
寛永通宝が殆どだと思うが町人は直接貨幣で貰うのでその点は良い。
武士は幕府大名から米で受け取り商人を通じて金に替えるので
米価によって俸禄の価値が半分に下がる時も珍しくなかったのだ。
その点では町人の方が恵まれていよう。
657徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/11 15:36
>654 (光子力研究所のバリアってなんであんなに弱いの?)
その様な事、余らが存じておる訳が無い。
だが察するに予算が無いか、もしくは必要性を感じぬかのどちらかであろう。
篭城する必要の無い城に大規模な石垣や堀を作らないのと同じだ。

>655 (江戸時代に砂糖って一般庶民でも口にすることが出来たの?)
当時の庶民が口にする事が出来たのは餡程度で、砂糖はまず高嶺の花で
あった事だろう。幾分時代が異なるが土佐の長宗我部元親が織田信長公に
砂糖を贈った事もあり、大名家の間でも珍重されたそうだ。

                   ミノノノノ彡
                  ∈゜彡 ) 質問多いとレス短くするんだもん………
                 彡 / ) ::ヽ
                 l. l/ / :;t'
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 〉 ::;;) ̄ ̄ ̄
                   / /::j;;:::::
                   〈 〈::;;l;;:::::
                   ヽ ヽl;;;;;:::::::.
                   彡ノj;;;;;;:::::::::
>646 (オランダには〜という町があります)
表立って口にしにくい名称の町だが興味深い物がある。
蘭語の意味は知らぬが、一度調べてみたくもあるな。
異国人から見た日本の地名も同様なのであろうか

>647 (捕鯨)
鯨の乱獲を防ぐのは賛成としても、日本を含めた他国に
自らの意向を強制するのは些か考え物ではないか。
数の暴力にも似た、こうした動きは控えて欲しいと言うのが本音である。
鯨を食す食さないのは各々の国情如何だと愚考するが。

>649 (沈黙)
聾唖とて何も卑下する事は無い。
人は何かしら美点を備えており、それを活かせば健常者に劣らぬ
日常生活が送れよう。
…何? 只の書き忘れとな……? なら改めて書くなりせよ。

>650 (明暦の大火はすごかったですねー)
朕は又聞きでそれを知ったが、徳川家の象徴とも言える江戸城が
焼け落ちた事は徳川の行き先の不穏の前兆と見ていた。
だが、徳川とは無縁の町民の災厄には単純に人として哀れむと共に
寺社に厄払いを命じた物だったが、恐ろしき事であった事よ。

>651 (日本史上、寿ぐべき出来事ベスト3をあげてくださひ)
朕はこう並べてみる。
一:一八六七 明治維新(七百年に及ぶ朝廷の忍従の成果であった)
二:七九四年 平安京遷都(天皇家には最も関連ある事なので)
三:一九五一年 サンフランシスコ講和条約(日本の国際的復帰)
>652 (若衆歌舞伎とはつまり当時のジャニーズですかね)
出雲阿国に始まる女歌舞伎も江戸時代に男独占の物となり、その代わりが
若衆だが、今の若手芸能人と同じと見るか。それも宜しかろうな。
やはり男女を問わず若い者の踊り歌う様を見るのは大いなる娯楽であるし
何より華やいだ雰囲気が好ましい。

>653 (町人の給料ってやっぱ貨幣なの?)
町人と触れ合わず、また金に無縁であった朕には解らぬ。
だが秀忠の申す通り、もっぱら銅貨中心であったと思う。
十両小判など見る事も稀であった事だろう。
それと大名が独自に流通させていた藩札と言う紙幣もあったが
その大名が転封或は改易になると全くの紙屑と成り果てるので
余り好まれてはおらなんだそうだ。

>654 (光子力研究所のバリアってなんであんなに弱いの?)
その「ばりあ」なる物が如何なる物か存ぜぬので何も申せぬのが
心苦しい限りである。こうした質問が来ると改めて朕らとそちら現代人との
世代の違いを思い知らされる。三百年以上異なると当然かも知れぬが。
だが強いて申せば守りを固めなくても、他に良い手段があるからではないか?

>655 (江戸時代に砂糖って一般庶民でも口にすることが出来たの?)
京菓子に使われる事はあったが、公家や上層町衆が食べる物にて
流石に日常で盛んには無理であっただろう。
何より砂糖が一般的に普及されておらぬので仕方が無い。
サトウキビが日本のどこら辺で育つかも知らなかったので尚更であった。
>658 (質問多いとレス短くするんだもん……… )
確かにその傾向が見えるが、別段無視している訳でも無い。
それに朕ら全てに共通しているが長すぎても問題もあるし
その度合いを測るのもまた難しいのじゃ。
秀忠もその時の内容如何によって決めておるのであろうが
そちの指摘で改めてくれれば幸いである。
見た所、人物事件評論が長くなる様だが。
何で金(きん)なんてあんな食えもしないもんが、貴重なモノで
信用の具現として流通するんですか?
663徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/12 03:58
早く目覚めたのでこの時刻に済ます。

>658 (質問多いとレス短くするんだもん………)
確かに見返してみると三行前後であったか。これは相済まぬ。
だが余とて存じている事柄には饒舌になろうが、そうでなければ
自然とそれらとは異なっても不思議では無い。
だが、今後は極力平均した長さの返答類を用意出来る様精進する。
その様に哀愁漂う姿にて言われると余計に身につまる。

>662 (金)
金などそこらに落ちている路傍の石とは価値も珍重さも異なるので
自然と古来より貴重とされてきたので、余もそれに疑問を挟んだ事は
無かったが、言われてみると妙な話よ。
だが、吝嗇とも言える倹約さで莫大な金銀を残された父上は最初の
三河遠江時代には金山一つ有していなかったので余計それらへの
執着心が芽生えても可笑しくは無いだろう。
何より金を嫌う人間など皆無に等しければ尚の事である。
胡椒って味わったことある?
遙か昔(つっても中世か)には同じ重さの金と取引されてたとか。
月覆う 雲すら稀な冬の夜に 人すら待たむ 約も無いまま

>662 (何で金(きん)なんてあんな食えもしないもんが、貴重)
あの金色の輝きを前にしても、その様な言を吐けるのならそちは
正に神仙の如き無欲恬淡な者よの。
朕とて金は欲しくてたまらなかったが、それを軽々しく口には出来ぬ
もどかしさがあったのじゃ。
金の魔力に似た魅力に抗える者など古今を通じても稀なものを。

>664 (胡椒って味わったことある?)
朕ら江戸時代の日本では香辛料を用いて肉を保存すると言う
習慣が無いので胡椒は特に必要とはしなかった。
海の彼岸の南蛮では砂金にも劣らぬ価値があったと聞くが、
とても信じられぬ話と思うておる。
辛い味なら唐辛子で間に合うので、尚の事だが。
徳川家康ってあんまりカッコ良くは描かれない人物ですね
美形の家康っていう方が違和感あるんでしょうか
667徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/13 18:04
>664 (胡椒って味わったことある?)
余も無い。南蛮紅毛の者は日本では需要が無いと見込んだのか
持ち込もうともしなかったし、帝の申す通り肉食の習慣が無い日本では
無用の長物であったから尚の事である。
大航海時代での欧州では正に黄金に比すべき貴重な物と伺ってはいたが
所変われば必要も無いのだろう。

>666 (徳川家康ってあんまりカッコ良くは描かれない人物ですね)
真に畏れ多き事ながらその通りであるとしか答えようが無い。
骨太で恰幅の良い父上は御世辞にも絵にならぬし、またその手法も
理詰めで叙情的な行動は皆無と申して良い。
それが父上の良点だが、歴史に美を見出そうとする作家には敬遠されよう。
まして顔の美醜のみを基準判断とする者にとっては取り上げる事も稀であろう。
父上には忌々しい話であろうが、これも致し方無い。
それを思うと、織田んとこのうつけはスゴイ人気ですよね。
死に様までをも演出したとしか思えん。
>666 (徳川家康ってあんまりカッコ良くは描かれない人物ですね)
>668 (それを思うと、織田んとこのうつけはスゴイ人気ですよね)
織田右府の苛烈な生き様に比べると、家康の生涯は前半は人質などの苦労と
中盤は織田家への従属。そして天下統一後は冷静に豊臣家を追い詰めたりと
華が感じられぬのが大きな要因ではあるまいか。
両者の性格と行動理念の違いと一言で申せばそれまでだが、やはり右府の
生涯が激烈な物語として好まれる。これは否定しようが無い。
思えば、この対照的な二人が長く同盟関係を保ちえたのが不思議だが
朕には解らぬ何かが互いを魅了させたのであろうか。
真、武士の感情とは掴み取れぬ物よ。
異国の文化でこれだけは理解できないなというような物ってありますか?
ハレー彗星って見た事有る?
少なくても天皇さんは一度は必ず見れるんだけど。そんだけ長く生きてりゃ。
672徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/14 18:56
>668 (それを思うと、織田)
日本人は功成り遂げて天寿を全うした成功者よりも途中で挫折した
悲劇の英雄を好む。源義経もそうだが、信長公もそれに当て嵌まろう。
本能寺の変は多くの映画や大河でも名場面として今に残る程だが
残念だが、父上にはその様な名場面が無い。それは認めねばなるまい。
そんな信長公を父上が内心どう思われていたか、今でも知らぬのが
余の心残りでもあるのだが。

>670 (異国の文化でこれだけは理解できないなというような物)
秀吉公や織田信忠殿が申された事と重なるが、側室を持たず
一夫多妻を認めぬ事だな。余ら大名武家では子孫を残し家を保つのが
最上とされているが、それに反すると見れる彼らの教えは許容出来ぬ。
これが最大の弊害であった事だろう。
尤も切支丹大名でも側室を多く抱えていた者も居るには居たのだが。

>671 (ハレー彗星って見た事有る?)
彗星流星の類なら何度か見たが、そのハレー彗星とやらは知らぬ。
何より余らの時代にはその様な名称の彗星など全く知られてはおらぬので
当然と言えるが、天文を見るのを役職としてた学者なら、七十六年に一度の
周期で訪れる彗星を存じていたかも知れぬ。
だとしても、別に興味は無いのだがな。
宇宙人やミステリーサークルの存在をどう思う?
踊り念仏って今でいうところのアメリカのゴスペルみたいなもんなんでしょ?
もう終わってしまいましたが、ばれんたいんという現在の風習をどう思われますか。
>670 (異国の文化)
まず全ての者が平等と云う切支丹の思想が理解出来なかった。
天皇として公家廷臣にかしづかれて過ごすのがごく普通の日常と
受け止めていた朕には、些か耳に通らぬ話だと抵抗を受けた。
おそらく、宣教師の説法を聴いた武士農民の殆どがそう思ったのでは
あるまいか。

>671 (ハレー彗星って見た事有る?)
確かに朕は八十五年生きたので、その周期に当て嵌まるのだが
真にそれと判別する彗星は見ておらぬ。秀忠の申す通り名前が
定まっていなかったので当然と言えるが、夜空を貫く箒の如き
彗星は稀に見た記憶がある。
周辺の者と共に見上げる様は、また妙な物であったが。

>673 (宇宙人やミステリーサークルの存在をどう思う?)
実際に目にせぬ限り、にわかに信じ難いと言うのは否定出来ぬ。
怪しの者が御所を侵すのは戦乱激しい戦国の御世ではごく普通であったが
流石に天空よりの者や、それらの者の仕業とおぼしき物は見た事が無い。
だが、それらを完全に否定はせぬししたくはない。多くの者の夢を
壊すのは差障りがありすぎる。
>674 (踊り念仏って今でいうところのアメリカのゴスペル)
そのごすぺるなる物がどの様な物かは存ぜぬが、確かに踊念仏の徒は
京を含めて各地で活動はしていた。寺院に赴く事が憚られる身分の
者にとっては、仏教及び念仏の教えに触れる貴重な機会と受け止めて
いたのだろう。また面白き物にて公家も見物の対象としていたそうだが。

>675 (ばれんたいんという現在の風習)
朕の頃でも、好いた女子を床に招き寄せたり、その者の家をたずねては
逢瀬を重ねる習慣は続いていた。そのばれんたいんなる物もその延長と
見ておるので、幾分理解は出来る。チョコレートの代わりに和歌や詩を
添えて贈っていたのが異なる所だが。
どちらにしろ男女の仲を育ませる良い風習と好意的に受け止めておる。
今でも一部の外人は日本人はチョンマケで刀を持っていると思っているらしい。
確か実際に地毛でちょんまげにして袴姿で町中をうろうろしている人たちがいたような。
郷土料理でおすすめはありますか?
681徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/17 14:15
>673 (宇宙人やミステリーサークルの存在をどう思う?)
余は全く信じておらぬ訳でも無い。父上が駿府で隠居されていた頃
肉人なる奇妙な人らしい者に出会われた事もあるが、今ではそれは
宇宙服を着た宇宙人と位置付けられている。
この世には人間の計り知れぬ奇々怪々なる事が存在していても
何ら不思議ではあるまい。

>674 (踊り念仏って)
済まぬが余も存ぜぬ事柄だ。
だが念仏をどう唱えようが、別に害が無ければ一向に構わぬし
幕府としても取り締まる必要も無かったので楽であった。
逆に日蓮宗の不受不施派の如き派は幕府及び王法に益無く害甚だしき物にて
江戸時代を通じて邪宗と断じたのだ。

>675 (ばれんたいん)
その日は平将門公の命日でもある。今でも東京に残る首塚や将門公を祭る
各神社には、それなりに参拝者が訪れた事であろう。
男女の仲に口を挟む気は無いが、その日の事のみで男の評価は定まらぬ。

>678 (今でも一部の外人は日本人はチョンマケで刀を持っていると)
一度根付いた偏見や知識は、この様に長く残り双方に害を及ぼしかねぬ。
確かに余の頃はそうであったが、今や日本は欧米と余り代わらぬ生活文化を
保っているのではないか。一日も早くかような物は既に無いと知るべきだ。
だが、刀剣観賞の趣味で刀を持っている者は居るので全てが全て間違っている
訳では無いのが些か弁解しづらい所である。
682徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/17 14:16
>679 (確か実際に地毛でちょんまげにして袴姿)
徳川幕府盛んなりし頃ならいざ知らず、この現代で実際に居るとは不可解な。
だが、単に趣味の範囲なら別に構わぬ。
思う存分、古き善き日本の名残を楽しむのも一興と言う物だろう。
もし道で見かけても、目を合わせない事が寛容かも知れぬが。

>680 (郷土料理でおすすめはありますか?)
余ら徳川家発祥の地の三河と織田信長公・豊臣秀吉公を出した愛知県の
味噌を勧める。父上も健康に良いと絶賛され、味噌汁やその他の料理に
様々に用いて食した物であった。
粗食に甘んじられた父上も、味噌には五月蝿かったのが笑える。
>父上が駿府で隠居されていた頃
>肉人なる奇妙な人らしい者に出会われた事もあるが
はげしく気になるんですガー!!
あなた方が体験した中で最も大きな天災は何ですか?
685徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/18 16:21
>683 (はげしく気になるんですガー!!)
あれは西暦で言うと一六○九年であった。
父上の住まわれる駿府城の庭に、どこからともなく全身肉に包まれた様な
奇妙な姿をした者が現れ、宙を指差しながら何かを発していたと言う。
当番の者からの伝えで知った父上は、目の届かない所に追いやれと命じられ
結局、その者の正体は判らずじまいであったそうだ。
これを今の宇宙人好みの者が、宇宙服を着た宇宙人と解釈して、その話が
流布されたのが余が述べた話である。

>684 (あなた方が体験した中で最も大きな天災は何ですか?)
天災に限定するなら不作凶作であろうな。
如何に大規模な戦や火事でも、これは人災なので対処の仕様もある。
だがこればかりは天候に左右され、人知の及ぶ所ではなかった。
一度、不作となれば家臣に与える俸禄も勿論だが、民が食す米の価格が
激変して、世情が混乱した物であった。
>全身肉に包まれた様な奇妙な姿をした者

義元様では・・・?
687徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/21 23:59
>686 (義元様では・・・?)
父上が終生恩を感じられた今川義元公をそう邪険に言う物ではない。
馬に乗れぬ程肥えていたと言う逸話は信憑性が無い。
何せ御最後の際でも相手の膝を斬ったり指を噛み切るなどの活躍をされた。
それは単に桶狭間で敗れた事と、その後の今川家の衰退を世人が嘲笑した
結果に出来た話だ。
馬を使おうが輿にするかは自由にてそれをそしるのは如何な物か。
それに恰幅の良い方が威厳があろう。
帝さまが15日に来られたっきり来られませぬ・・・
689徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/22 00:23
>688 (帝さまが15日に来られたっきり来られませぬ・・・)
余は何も知らぬが、規制か多忙か電脳の破損のどれかであろうな。
確かに案じてはおるが、余は従来通りの進め方で行くのみである。
無論、早い言伝か復帰を待ってはおるのだが。
せめて北風なりに何か書いて欲しいが、まさか向こうも書けぬとあらば
由々しき事態になろう。
キリシタンは嫌いですか?
691徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/22 21:56
>690 (キリシタンは嫌いですか?)
好きも嫌いも無い。南蛮人が切支丹の教えを広めてそれを元に
日本を侵さんとした事は明白であった。
それ故、秀吉公や父上はその布教を禁じ余もそれに見習った。
だが自らが苦難に陥っていると言うのに救済の手一つ差し伸べぬ神を
あそこまで信仰したのかが未だに理解出来ぬ。

余は父上の方法に従い天海や崇伝ら僧侶を重く用いて幕府を安泰せしめたが
別段仏法神道に詳しくも好ましいとも思わなかった。
只政道に欠かせぬ物として扱ったが切支丹は断じて許容は出来ぬ物であった。
神の下に皆平等と云う思想は幕藩体制及び日本国の秩序には矛盾するのだ。
弾圧を行った事は後悔はしておらぬ。必要であったと判断した故実行したが
結局、根本から断ったのが家光の鎖国と言えよう。
692ベジータ:04/02/22 21:57
意味不明・・・お前ら・・・・バカ?
そういえば街道を整備したって言ってるけど、
なんで石畳にしなかったの?
694徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/22 22:36
>692 (意味不明・・・お前ら・・・・バカ?)
別に猿に判って貰おうとは思わぬ。
自分に相応しき場で私闘にでもいそしむが良い。

>693 (なんで石畳にしなかったの?)
街道に一里塚を備えたり木を植えたのは主に父上の命であったが
石畳も当初の案にあったそうだ。だが石材の調達等の問題で
結局水に流れたが、単に道を平坦にしただけでも便利と言えた。
それに神社仏閣の周辺では、それらの自己負担で石畳にしたが
それは私事に過ぎぬので幕府の及ぶ所ではない。
学校の勉強がなんの役の立つ!?というテーマの板でみつけてきました。

 物理、数学、化学なんかは役に立つぜ。
 それそのものが役に立つ訳じゃなく(当然、職種にもよるが)、
 思考の広がりを支えてくれる元になってるのは物理や数学だよ。
 俺の経験では
 仕事できるヤツほど、どんな学問に対しても役に立たないなんて思わないな。
 「役にたたん」と言うのは仕事できないヤツとか良く言ってるよ。

どう思いますか?(・∀・)ノ
696徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/23 18:55
>695 (物理、数学、化学なんかは役に立つぜ)
確かに無益な学問など存在せぬと申して良い。
習い覚えた時点で、既に有益な物としてその者に身に付く。
例え、刀を振るう武士が干し柿の作り方などを覚えたとしても
何時か有意義に使える機会も訪れるし何より無駄にならぬ。
前文の思考の広がり云々は真に当を得た言い方と感心する。
実利となる薬学を好まれた父上を見ていた余には充分頷ける話よ。

その者の言、間違うてはおらぬ。正論と申すべき物だ。
元寇以前では鎌倉武士たちは戦の時、わざわざ名乗りを上げてから戦い、
名乗りを挙げている最中は攻撃せず、一騎打ちをするのが礼儀だったと
言うのは本当ですか?
なんか今日のヒーロー物のお約束に通じる物があるのですが。
698徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/24 21:03
>697 (元寇以前では鎌倉武士たちは戦の時)
真である。当時の武士ではそれがごく当然の常識としてまかり通ったのだ。
大抵○○の住人○○の家人某と名乗ってから戦うのが暗黙の了解であり
中には何々天皇から数代目の子孫の平家源氏の血脈を入れれば、
聴く側も辟易した事だろう。
逆に元軍は集団戦のみに徹し、そうした名乗りなど無視していたので
さぞ良い笑い話になった事であろう。

尚、後の楠木正成ら悪党の戦術はこの際の蒙古のやり方を踏襲した物である。
得と見れば進み、損と見れば退く。こうしたごく当然の思考も日本では
これから見出された物であったのだ。
九日間も不在で相すまぬ。
実は行幸に出ていたのだが前連絡をして置けばよかったと反省している。

>678 (今でも一部の外人は)
甚だしき誤解ながら、日本の印象もかくの如く長く伝わっている現状では
それを一気に払拭するのは難しかろう。
是非一度は日本に足を運び、四季の美しさと共に日本の実情を見て欲しい。
何事も百聞は一見に如ずと言う。

>679 (確か実際に地毛でちょんまげにして袴姿で町中をうろうろしている人)
今流行の「こすぷれ」なる物ではあるまいか。
別に害が無ければ楽しむに一向に差支えないし目こぼしをするが良い。
しかし手間のかかる髪型であるそれをわざわざ行うとは酔狂な事と感心する。
袴も自作だろうがさぞ金がかかろう。

>680 (郷土料理でおすすめはありますか?)
京の都の懐石料理は如何か。
元々、茶会の前に軽く食した料理を今ではそう言い表すが簡素ながら
味わいの深い物なので、一度は食してみて損は無かろうな。
今なら大抵の市町の飲食街にその手を扱う店があるので便利である。
>684 (あなた方が体験した中で最も大きな天災は何ですか?)
やはり朕も地震が思い当たる。
こればかりは防ぎようが無いし何より何時起きるか判らぬと言う怖さが大きい。
これに比べれば幕府の圧迫は、ある程度事前に予測がつくので容易いと言える。

>688 (15日に来られたっきり来られませぬ・・・)
前述の通りであるが、やはり前もって何かしら伝えておけばよかったと
悔やむ事しきりである。今後はこの様な事が無き様務める所存である。
そちらには真に迷惑を掛けた。

>690 (キリシタンは嫌いですか?)
嫌いと言うより抵抗があると申した方が良い。
毛色の異なる夷人の教えと言うのもあるが、やはり秀忠の言う様に
日本の国情に合致せぬのが大きいと言えよう。
朕も多くの女子を寵愛した関係、一夫一妻を説く者の話を鵜呑みには出来ぬ。
それと自ら信じる神以外認めぬと言う排他性も些か気に触った。

>693 (なんで石畳にしなかったの?)
これは幕府が行った道路整備なので朕からは特に無いが、
やはり歩くのには舗装されていた方が都合が良いのは代わりあるまい。
おそらく資材と資金面の都合もあっただろうが。
>695 (学校の勉強がなんの役の立つ!?)
学ぶという事は必ず何かの役に立つという事を述べておるようだが
朕も同意である。日常で役に立つか否かなど些細な問題であろう。
最後の一行も、それだけの自負が現れており好感が持てよう。
老いても文は欠かすべからずと申すが正にそれが当て嵌まろう。
朕とて、ここで秀忠やそちらと語る事を何よりの学問と心得ておる。

>697 (元寇以前では鎌倉武士たちは戦の時)
蒙古襲来絵詞でも、そうした場面が多く出ておるが本来己の功績を誇る事
大であった鎌倉時代の武士には、それがごく普通の事と受け止めていたので
あろうが現代を含む後世から見れば非効率的だったことは否定出来ぬ。
子供心でもいぶかしむのも理解は出来よう。
702以上、自作自演でした。:04/02/24 22:19
痛みのない戦争はいらぬ。
            ____| ̄ ̄|____           ________
            |               |\        /           |\
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'`,、'`,、'`,、'`,、'`,、(ノ∀`)心配しすぎだったか'`,、'`,、'`,、'`,、'`,、

ご生涯でこいつは取り越し苦労じゃったわいというエピソードはありますか
しばらく頻繁に来る様心掛ける。

>702 (痛みのない戦争はいらぬ)
いくさに痛みが無い訳が無いと思うが出来ればいくさ自体欲したくは無い。
いくさで一番戦火をこうむるのは常に民百姓の様な弱き存在であろう。
いくさを始めるのは武将や朕ら帝王君主だが終わらせるのは屍骸とは
実に空しき話と思わぬか?

>703
この世界ではしばらく空けた者が戻ってきた時にその様な絵を貼るのが
半ば習慣化しているようだが、今回のは何が書いてあるのか朕には判らぬ。
単純な一言でも書き込んでくれるのは実に有難き限りであるが、次回は
朕でも読める様な絵や文にして欲しいと言うのが本音である。
ともあれ長く空けた事改めて詫びる次第である。

>704 (こいつは取り越し苦労じゃったわいというエピソード)
朕が最初に譲位を持ち出した時、朕の翻意を促すために身近な公家廷臣に
幕府が刺客を用いて来るのではないかと危惧した事である。
朕本人を狙わず、周辺の者を害して脅迫する方法を幕府ならやりかねぬと
見て、皆に警戒を促したが結局目立った動きは無かった。
尤もその後も用心は怠らなかったのだが。
それと、そちにもいらぬ気遣いをさせた事申し訳無い。
和算家ってどちらかと言うと芸人の部類にはいるの?
707徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/26 02:39
>702 (痛みのない戦争はいらぬ。)
兵が死に傷付くのが戦である。それを痛みが無いと表現する戦は戦とは言わぬ。
今では戦でも単純に一人、兵が死ねば死体を輸送する業者から葬儀屋。
果ては戦死者に捧げられる追悼の意味での勲章や年金と何かしらついて回る。
それに軍需産業こそ正に戦が無ければ生きていけぬ物の最たる物である。
やはり戦は無くならぬし、現在の諸産業には不可欠と位置付けるしか無い。

只、単純な憐憫の感情一つで戦争反対と叫ぶのは実情を知らぬ
女子供の或は愚者の論理と言われても反論の仕様があるまい。

>704 (ご生涯でこいつは取り越し苦労じゃったわいというエピソード)
福島正則を始めとして多くの外様譜代大名を取り潰したが、その度に
挙兵やそれに呼応しての他藩の援軍に備えて必ずある程度の軍勢を用意して
取り潰す大名の居城を包囲した事だ。
単に城を囲むと言えどもただではなく、ある程度の軍費兵糧が必要となる。
けちると言われるかも知れぬが必要だったので止むを得ぬのだ。
もし戦国の遺風盛んならば、城を枕に討死と覚悟する大名が続出しただろう。

幸い、大抵無血で城受け取りに成功したが、その報告を聞く度に胸を
なでおろした物であったのが本音である。
708徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/26 02:42
>706 (和算家ってどちらかと言うと芸人の部類にはいるの?)
芸人と言うより技術者と言えよう。年貢の取立てや田畑の検地、
城郭家屋の建造には欠かせぬ者達であるし、それ故貴重な存在であった。
関孝和が有名だが、他にも諸国を渡り歩き教えを広めた者も多いと聞く。
ちなみにある程度の身分の武将には算術は必須であった。
兵の数の把握や兵糧武具と、実に幅広く使うのでな。

>(帝)
左様か。この時期に物見遊山の旅とはいい身分…まあ帝だからか。
余ら徳川幕府の締め付け厳しき頃では所司代の許し無くば、勝手に御所を
離れる事も出来ぬ時と比べると、さぞ心行くまで足が伸ばせた事であろう。

だが、今後は世に在りし時と同じ様に事前に何か報せておいた方が良い。
余は別に構わぬが名無しらが心配する。
別に所司代の頃の様に帝の行動を制限はせぬから安心せよ。
「国崩し」とは、大砲のクセに大袈裟な名前ですね?
秀吉が征夷大将軍になっていたら、徳川はヤバかったですか?
このスレを立てそれ以降行方不明の>1をどう思いますか?
712北条時宗:04/02/26 17:45
家臣とのうまい付き合い方ってありますか?
中国産の若い個体を導入せずに、国産の純血に拘った為に結局絶滅確定した日本産のトキですが
ニッポニア・ニッポンの最期らしいといえばらしいですよね?
714徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/26 19:14
>709 (「国崩し」とは、大砲のクセに大袈裟な名前ですね?)
あの頃では絶大な効果があったのだ。大坂の陣でも砲弾一発で容易く
堅固な大坂城の櫓などが破壊されたのを見た時は恐ろしい物と感じた。
流石は今で言う直輸入品だったので性能も良好であった。
だが、父上の命により城を燃やす焼玉を使わなかったので結局の所
威嚇射撃が主な目的に終わったのが残念だ。
あれを十か二十程そろえれば大坂城も容易く落城しただろう。
それと、未だ徳川に反意を抱く大名への警告にもなったな。
従来通りの篭城戦は終わったと言う無言の宣告と受け取った事だろう。

>710 (秀吉が征夷大将軍になっていたら、徳川はヤバかったですか?)
秀吉公は源平藤橘のいずれでもないので、それは無かったが仮に金で
将軍位を奪えばあり得たかも知れぬ。
だが、もしそうなっても公の寿命と朝鮮出兵、それに秀頼があのままでは
歴史と変わらず諸大名に見放されて、同じく滅亡した事だろう。
戦国では征夷大将軍が尊いのでは無く、力のある者が尊いのだ。
史実に乗っ取って申すと、秀吉公没時僅か七歳の秀頼では同じ事だったのよ。

>711 (このスレを立てそれ以降行方不明の>1をどう思いますか?)
知らぬし知ろうとも思わぬ。立てて逃げた者など戦で言うなら首を取ると
大言壮語した挙句、真っ先に敵前逃亡した雑兵に等しい愚行よ。
その様な者を気遣う程、余は人間が出来てはおらぬ。
715徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/26 19:16
>712 (家臣とのうまい付き合い方ってありますか?)
鎌倉幕府の執権にして日本を護り通した御方の言とは思えませぬな。
某は、些細な落ち度には目をつぶる程度の度量があれば、まずは
何事も無く過ごせると思いますぞ。
家臣は常に主君の顔色を伺っているので極力喜怒哀楽を見せぬのも
良いと思うが、喜はある程度表に出しても差支えないでしょうな。
後は武技や諸々の学問で共に語らう場でも設ければ上々と。

>713 (日本産のトキですが)
余は別に鳥の一種類や二種類、絶滅しようが別段関心は無い。
只、中国産云々を含めて有効を思われる方法がありながら、あえて一つに
拘り、その結果当初の目的が瓦解したのは明らかな失敗と言えよう。
だが最早人の手では如何ともし難かった以上、絶滅もやむ無しであろう。
しまいにはメダカとかハエとかカラスとか鳩かも
地球上から消えるなんてことも…ありうる?
私は24歳なのだが年相応には見られぬ。どうしたらよいだろうか。
やはり先人達には気を遣うものですか?
僅か一日でかように質問が付くとは実に有難き限りじゃ。
朕としては只々、頭が下がる思いである。

>706 (和算家ってどちらかと言うと芸人の部類にはいるの?)
方々を旅して自らの技能を伝え、使う所で芸人と共通していよう。
秀忠の申す通り様々な物に使う算術で、各地で役に立つ事は実に
喜ばしいし、何よりそれで糧を得るなら言う事もあるまい。
芸事は身を助けると申すが真と感じ入る。

>709 (「国崩し」とは、大砲のクセに大袈裟な名前ですね?)
あの大音響を一度耳にすれば頷けよう。
遥か大坂の地で放たれた大砲の音は遠く他にまで伝わる事もあり、
中には砲声を聴きながら茶会を催した者まで居たそうだが
些か不謹慎な話と思わなくも無い。
朕も改めて家康と徳川の力を耳に否応無く聞かされた物であった。

>710 (秀吉が征夷大将軍になっていたら)
それはあり得ぬ。古来より源平か皇族のみにしか許されぬ征夷大将軍を
農民の出であった事を包み隠さず申していた秀吉には、宣下は下らぬ。
豊臣姓を賜り、半ば公家化を選んだ秀吉は最初から将軍及び幕府創設を
除外視していたのであろう。
徳川が危うくなるとしたら、弟の秀長が健在で豊臣家が堅固な形で残るか
秀吉より先に家康が死ぬかのいずれかが考えられる。
>711 (>1をどう思いますか?)
流浪の身であった朕に安居の場を残してくれて、感謝する次第である。
どの様な目的で立てたのかは存ぜぬが、幸いにして今の如く伸ばせたのは
一の賜物と好意で受け止めている。
もし名をふせて書いてくれているのなら、厚く礼を申す。

>712 (北条時宗)
元寇の際の明断、実に頭の下がる。
朕からは、只無闇に乱暴狼藉を与えず平穏に互いに過ごす事を第一とした。
臣下と云う者は主君の対応次第で如何様にも代わる。
主君が塵芥の如く臣下を扱えば、臣下も主君を仇敵の如く見るのじゃ。
後は秀忠が申している事と重なる。

>713 (国産の純血に拘った為に結局絶滅確定した日本産のトキですが)
>716 (メダカ〜とかも地球上から消えるなんてことも…ありうる?)
トキに関しては実に残念な事にて朕からは痛切の念と、これまで
携わってきた関係者の長年の労を労いたい。
全ての種には須らく絶滅の危険がついて回ると申すが、これも人間の
乱獲や自然の厳格な現実が挙げられよう。
改めてこれらの保護を行う必要性を感じる次第であるが、流石に蠅や
カラスは生命力が強いので、その限りでは無いと朕は考えるが。
>717 (年相応には見られぬ。どうしたらよいだろうか)
女子ながら兵を率いる重き立場である以上、その方が徳ではあるまいか。
下手に付け入れられるよりは敬して遠く見られるのが望ましい。
何より、その若さで国家の重職を荷うとは尋常の才にあらずじゃ。
いくさ等の国家の諸問題が一区切りした後に考えるが宜しかろう。

>718 (やはり先人達には気を遣うものですか?)
無論である。古人先人に敬意を表するのは洋の東西を問わず当然じゃ。
朕も歴代諸帝には、常にそうした態度で天皇陵に詣でていたし
種々の文人にもそれ相応にして来た。
今現在の日本がこうして存在している事も一重に先人の努力の賜物である。
これに感謝の念を忘れてはならぬと考えておるのでな。

最後に秀忠には、朕の留守中何かと迷惑を掛けたが悪いと思うておる。
以後、必ず通達はしよう。
722718:04/02/26 22:41
質問を変えます。
古人先人であればどんなに愚かと言われた人でも、気を遣ったり尊敬したりするものですか?
今の日本に「白砂青松」「花鳥風月」は失われたと言ってよさそうですね?
弟は好かぬ・・・
兄弟は他人の始まりとはよう言うたものぞ。そう汝らも思ふであろう。
725徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/27 16:36
>716 (しまいにはメダカとかハエとかカラスとか鳩かも)
それは取り越し苦労に過ぎぬ。
絶滅の可能性大の物とは生命力その他で大きく異なろう。
油虫など良い例だ。
自然に淘汰されるのは致し方無いが、種にも様々だ。

>717 (私は24歳なのだが年相応には見られぬ。どうしたらよいだろうか)
その心中察するに余りある。女ながら軍を率い男兄弟に負けぬと意気込めば
自然と貫禄が付き、時には女としても見られぬ事もある。
顔を曝け出すか、化粧でもする事くらいしか思いつかぬが、あえて現状に
甘んじるのも悪くないと思うが如何か?

>718 >722 (古人先人であればどんなに愚かと言われた人でも)
流石にそれは無い。只単に古人のみで敬うのは軽挙妄動だ。
明らかに愚者の類なら嘲笑軽蔑の的か、今で言う反面教師にしかならぬ。
だが愚行にしろ名が残るという事は誇るべき事ではないか。
余も北条高時や足利義政には随分と戒めとして模範とさせて貰った。
その意味では役に立つ先人と言えよう。

>723 (今の日本に「白砂青松」「花鳥風月」は失われたと)
いわゆる風雅の道か。別に廃れてはおるまい。
只、昔ながらの自然は少なくなっているのは否定出来ぬな。
それが冷厳な時の流れと申せばそれまでだが、それ故過去を偲ぶのだろう。
真の山水は己が心中に在ると思えば良い。
726徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/27 16:37
>724 (兄弟は他人の始まりとはよう言うたものぞ)
>712の北条時宗公の兄君も参られたか。
庶兄と言う立場は何かと辛いと察するが、敗れたのも己が弱さと知られよ。
秀康兄上も似た境遇であられたが、常に不満を洩らし幕府など有って無きが
如しであった。自らを弁えれば長く生きられたかも知れぬものを。

兄弟だからこそ争い、時には憎しみ合うのも定めと言えましょうぞ。
これは武士のみにあらずだが、兄弟愛と言う言葉とは無縁なのも
また一興ではござらぬか。
食うか食われるかの関係も、また兄弟の一つと心得れば何事も無い。
権力って握ってみるとあんまり楽しいもんじゃないね
選民思想のどこが悪い。
本日も沢山来て喜ばしい。

>722 (古人先人であればどんなに)
愚かと見る基準による。なるべく酷評はしたく無いのと人としての
限界も見ねば一概に愚人凡人と決め付けるのも何であろう。
古人先人即ち年長者であるので、それなりに気を遣うべきと朕は考える。

>723 (今の日本に「白砂青松」「花鳥風月」は失われた)
自然もそうだが、日本人の美意識が変化しつつある。
失うとは語弊がある。時流で変わり行くと言うべきじゃ。
それに身近にも、そうした深山の趣にも似た明媚な自然はあろう。
時には、一枚の落ち葉でもそう感じる。
完全に失われる事など、まずあり得ぬと申して良い。

>724 (鎌倉幕府六波羅探題南方 北条時輔)
不遇の内に政争に敗れたそうだが、朕も兄君御二人を押しのけて
即位した関係上、他人事と思えぬ。
だが全ての兄弟がそうとは限らぬし、またそう信じたい。
甘いと言われるだろうが、やはり骨肉の情は代え難い。
よって大手を振って賛同は出来ぬ。
>727 (小泉現首相)
この何事においても困難な時期に国事を担当する重圧察するが
この様な人目に触れる所で弱音を吐くのは如何とは思う。
例え不愉快な立場であろうと今現在、首相以外に適任者が不在な以上
しがみついてでも総理の椅子を守られよ。

>728 (選民思想のどこが悪い)
思想云々はさて置き、その思想を大々的に広め、押し付けた結果起きる
諸々の難事が問題と思うが。
ここでそちらの抱く思想の正否を論じるのは些か早計と思う故控えるが
多種多様の思想を受け入れる度量も必要とは考えぬか?
百家争鳴もまた善き事と見る事も、時には大切である。
731山崎 渉:04/02/27 23:29
(^^)
732山崎 渉:04/02/27 23:56
(^^)
733(^^):04/02/28 01:02
山崎 渉
京都の御所はエライ無防備ですが、お城のように警備が厳重な建物にしなくて良かったのですか?
だから暗黒ランに乗っ取られるのですよ
「国家安康」「君臣豊楽」のいちゃもんは、ハル・ノート並のえげつなさですね?
ふっ。
御二方、>727の総理の言葉は聞かなかったことにしてくれませんかね。
週刊新潮や文春には言わないでほしいですよ。
これはどうぞタクシー代です。(ドサ、ドサ、帯封付き現ナマ2本)
ふふっお納めください。
>734 (京都の御所は〜警備が厳重な建物にしなくて良かったのですか?)
神聖なる御所が侵されるとは思えぬと言う理由と申したき所だが戦国の頃では最早、土塀を修築する余裕すら無く城など論外であった。
要するに経済的理由だが、即位の礼すら武家の援助無くば行えぬ状態ではそれもまた仕方が無かったと言えよう。
まして江戸幕府の下では何をするにも所司代と幕府の伺いを立てなくば出来ぬ有様では尚更であった。

>735 (だから暗黒ランに乗っ取られるのですよ)
それが何かは存ぜぬが、殆ど幕府の傀儡と堕ちたのには代わりが無い。
時には公家女官にすら、幕府に買収されているのではないかと疑心で接したあの不快な日常は未だに忘れられぬ。
朕が度々譲位を持ち出したのも、針の筵に等しき天皇位から逃れたかった理由もある。
余り大きな声では言えぬが。
>736 (「国家安康」「君臣豊楽」のいちゃもんは)
朕も耳にした時は、徳川の余りのあからさまな恫喝と無理難題に辟易した物であったが、
逆に言うとそれだけ家康もいくさの口実を探そうと必死であったと見た。
既に古希を過ぎていた家康には残されていた時が無かったのであろう。
何やら弁護の様になったが、賞賛出来る行いでないのは確かだが。

>737
一度放言した以上取り消しは出来ぬであろうが、別に朕は言いふらす理由もその気も無いので、その金は受け取らぬ。
それに、そうした気風が世人の顰蹙を買う事が卿にも解らぬ訳でも無いと思うが。
キン肉マンは好きでつか?
741フュリー ◆Fury.1RXjk :04/02/28 23:57
はじめてこちらにお邪魔いたします。衛兵の目を盗み抜け出してきました。
太陽燕にご来駕を賜りましたのでその御礼をと。
御礼にはなにがいいだろうと考えましたが、やはり質問をさせていただく
ことかなと思い至りました。

質問です。
歴史は男性だけでつくられてきたのではもちろんありません。
尊敬する歴史上の女性はおられますか?
日本史からおひとり、世界史上からもおひとりお願いします。
日本刀の切れ味とはどのくらいのものですか?
西洋の剣とそんなに違うんすか?
743徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/29 03:33
>727 (権力って握ってみるとあんまり楽しいもんじゃないね)
権力とは維持するのが困難にて、その様な弱音を表に出した瞬間
転げ落ちるか如く手中から無くなると心得る事だ。
>737で部下が不始末の尻拭いを率先して行っている様子を見て
何か思う所があれば遠慮無く述べよ。
総理の座が苦痛なら何時でも降りればよい。
どの道、今の日本では首相など誰でも差支えない。
取り合えず賄賂に関しては余も断っておく。

>728 (選民思想のどこが悪い。)
優秀な物のみを残すのは構わぬ。だが自らがそうでないと判断された時に
その思想を高らかに掲げられる事が出来れば賛同して進ぜよう。
思想や、それを標榜する組織のために犠牲になる覚悟があれば
その言にも説得力が見出せる。

>734 (京都の御所はエライ無防備ですが)
帝が朝廷の貧困さを挙げておるが、一介の旗本程度の禄高しか無かった
皇室や公家の力では、その様な事出来る訳が無かろう。
それに御所を兵で囲むか攻めるのは損得で考えると後々朝敵と言う
悪評がついて回るので、どの天下人や大名も行わぬ。
それ故、その必要を感じなかったと言えよう。
して、>735の申すのは何物か余も存ぜぬが御所を乗っ取り戦うのは
古の保元平治の乱くらいだ。戦国の世では最早天皇など無用の物であった。
744徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/29 03:39
>736 (「国家安康」「君臣豊楽」)
今だから申すが、あの鐘銘の文章は刻まれる前から幕府は存じていた。
無論、文章の意味解釈も既に理解済の上で、あえて豊臣家を追及する
口実に使ったが、林羅山も中々機転の利いた読み方をしたと感心した。
父上の御名はごくありふれた漢字なのでよく使われるが、それにつけ込む
余も些か後ろめたい物は有ったが、仮にあの文言を入れなくても他ので
難癖をつけた事だろう。
だがそなたの申すのとは最後の一押しと言う事で共通しておる。
相手側の対応を事前に把握した上で突きつけたのも同様だ。

>740 (キン肉マンは好きでつか?)
格闘戯画は別に好む話ではない。
それに話に破綻が見え始めていると言えなくも無い。
やはり続編物は難しいのであろう。余からはこれだけだ。
745徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/02/29 03:45
>741 (尊敬する歴史上の女性はおられますか?)
前に北条政子などの名前を挙げたが、余から見ては冷静に政を取り仕切れる
女子はそれくらいしか見出せぬ。
淀君の如き感情のみで動く狂女は論外だが、元々余は女子を子を産む物
くらいにしか見ておらぬので挙げるのに苦労はする。
海の彼方に目を向けると唐の則天武后が真っ先に挙げられるが、やはり
日本とその外では人物の規模も大きく異なろう。

それと余と帝の仲云々を申していた様だが、余は只単に名無しの要望に
従い帝と合流したに過ぎぬ。
元々険悪な間柄であり、余は刺客や恫喝で応じ、帝が幕府に断り無く
譲位を持ち出した時には隠岐島に流罪まで考えたのだ。
共に親しむ仲ならば、この場で親密に語らっている事であろう。

>742 (日本刀の切れ味とはどのくらいのものですか?)
前にも申した記憶があるが、刀を振るう者の技量に大きく左右されよう。
一刀の元に鎧武者をも両断出来るのも居れば、大根や小枝すら満足に
切れぬ未熟な者も居る。正に様々だが少なくとも殺傷力は充分だ。
西洋の剣との比較は、片刃なのを利用して峰打ちで気絶させる事だ。
746以上、自作自演でした。:04/02/29 03:48
たくあんでも食うか?
日本は70,80年代が一番の全盛期ですた。。。
白河の天下三不如意は、「鴨川の水、双六のサイ、山法師」ですが
お二人の三不如意は何ですか?
嘘か真か知りませんが、家康が真田幸村を信濃一国で誘う話がありますが
父の真田昌幸だったら、危なっかしくて信濃一国なんて大領をやれませんよね?

これは幸村を称えるエピソードのようで、実はそうではないのでは?
最近このスレを知りました。
初めから全部読みましたが帝様と秀忠公の性格の違いが顕著でおもしろいです!

>元々険悪な間柄であり、余は刺客や恫喝で応じ、帝が幕府に断り無く

ここは御在世の頃には考えられない夢の共演ですね!
751以上、自作自演でした。:04/02/29 16:18
ここがヘンだよ日本人
752徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/01 02:49
>746 (たくあんでも食うか?)
漬物か。有難く頂戴しよう。
冬の夜に茶と漬物を片手に座談するのもまた風流だ。
昨日、余が書き記して僅か三分後に来ていた様だが
返事が遅れた事を詫びておく。
幸い、味は落ちておらぬが。

>747 (日本は70,80年代が一番の全盛期ですた。。。)
オイルショック前とバブル全盛期か。
どの時代を日本の全盛期もしくは黄金時代と見るかは様々だが
さぞ、そなたにとっては良き思い出でも有ると見た。
過去を偲ぶのも結構だが、後の者に今がそうした時代と呼ばれる様
励む事も大切と心得よ。

>748 (三不如意は何ですか?)
白河法皇の有名な言葉だが、余ならさしずめ本多正信、江与、
そして真田だな。
どれも余を散々悩ませたのだが、同時に役にも立ってはいた。
思い返してみると互いに複雑と言える関係であった。
しかし正室の江与は余次第でどうにでもなったのだが
一度、妻を大事にする律義者の評判を得ては粗略には出来なかった。
753徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/01 02:50
>749 (真田幸村を信濃一国で誘う話)
父上は最初から真田幸村を高禄で誘う御気は無かった筈だ。
単に幸村を窮地に追い込むために振り撒いた流言蜚語と見ていた。
元々、豊臣家譜代でもない真田は立場が苦しかったそうだが
それに拍車をかけるために、わざと断られると分っていた内通を
持ちかけたのだろう。

それに信濃は幸村の兄、信之を始め多くの大名が領地としており
それをたかが浪人に過ぎぬ幸村に与えるなど論外であろう。
仮に幸村が承知すれば、父上はその話と証拠を豊臣方に裏で渡して
敵方の手で幸村を処分させたに違いあるまい。
それと真田昌幸云々に関しては既に没していたので心配は無かったが
もし生きて大坂に入城しようとしたら即刻浅野家に命じて殺させたか
信之の真田家を改易にするかで応じた。

>750 (ここは御在世の頃には考えられない夢の共演ですね!)
左様か。それは素直に頭を下げるのみである。今後も頼む所存であるが
余は従来通りの姿勢で臨むつもりだ。
帝の温厚な返答類とは大きく異なるが、それを承知で見て欲しい。
しかし、あの時合流を提案した者が居らなんだら、今頃互いに
どうしていた事か。
754徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/01 02:51
>751 (ここがヘンだよ日本人)
まず、そなたの御陰でここが落ちる事が免れた。
それに対して余から礼を申す次第である。

別に日本人に限らず、どの民族にも他から見れば奇妙とも取れる
風習等が在る事は周知の事実である。
例えば刺身の如き生の海産物を食する事も、他国人から見れば
気色良い物ではあるまい。
そうした異文化の交流の際にも様々な困難も生じるが、それは
それで構わぬ。当然と見るべきだ。
目覚まし時計がなくても時間通りに起きられるものなのですか?
今の天皇も、征夷大将軍とか任命できるのですか?
佐藤義徳
>余は従来通りの姿勢で臨むつもりだ。
>帝の温厚な返答類とは大きく異なるが、それを承知で見て欲しい。
わかってるよー。温厚な秀忠サマではつまらーん。
後両名に質問です。何故そのような性格になったと御自分で思いますか。
僅か一日空けただけで見事な伸びじゃ。

>740 (キン肉マンは好きでつか?)
相済まぬが朕もそれ程好む訳では無い。
だが好評を得ている以上、良作である事は間違いなかろう。
今度機会を見て、朕も閲覧してみたく思う。

>741 (尊敬する歴史上の女性はおられますか?)
これは返礼とは礼に厚い振る舞い。朕からも礼を返す。
して、質問の返答だが文芸に秀でた紫式部や清少納言の如き女子を敬うと言えば敬うと言える。
本人は余技のつもりであったかも知れぬが、現代まで読み伝わる名作の作者であるのには変わり無い。
日本以外では秀忠が則天武后を挙げたので、目を欧州に向けてマリア・テレジアを出す。
女性君主としては最高の部類に入ろう。

>742 (日本刀の切れ味とはどのくらいのものですか?)
秀忠の申す通りらしい。
実用的のみならず観賞にも耐えうる日本刀は日本の誉れたる美術品と言える。
只、人を斬るのみにあらずであろう。

>746 (たくあんでも食うか?)
既に秀忠が全て平らげたようであるな。
差し入れ、朕からも感謝するが余り濃味ではないたくあんを薦めてくれた所、心遣いを感じる次第である。
>747 (日本は70,80年代が一番の全盛期ですた。。。)
あの頃は日本が日本独自に動く必要が無い時代であった。
米国の傘の下で只、財貨や利益に目を向けその結果富み栄えたが、逆に申すとその状況下でのみ許されていた。
最早、あの当時の米ソ二極体制は無くなり、個々国が銘々で動く世となった。
あの頃の砂上の楼閣にも似た繁栄は戻る事はあるまい。
朕らしくない発言だが、表面から見て繁栄を謳歌していると見えても、どこかしらに危うい要素はあろう。
余り考えたくは無いが、いずれ今がまだ良かったと思える時代が訪れるやも知れぬ。

>748 (お二人の三不如意は何ですか?)
朕のは武家・金・趣味であった。
前者二つは言うまでも無く、朕の生涯にわたって悩みの種であったが趣味については意外と見られるかも知れぬ。
今で言う凝り性と申すか、一度凝り始めると際限が無くなる朕の性分では例えば立花でも歯を食いしばって行う余り
歯を悪くしてしまった程であった。何事も程々が一番と判ってはいたが、それが出来なんだ。

>749 (嘘か真か知りませんが、家康が真田幸村を)
これに関しては秀忠が詳細に述べているので、朕からは特に無い。
だが後々の創作の可能性もあると伺っている。
それだけ真田幸村の人気が高かった証拠と言えよう。

>750 (ここは御在世の頃には考えられない夢の共演ですね!)
実はあの時、名無しの意見に従い公武合体を呼びかけた時、内心秀忠が賛同するかと言う危惧の念があった。
それ以前に秀忠がここを見ていたかと言う疑念もあったが何事とも無くすんなりと進んだのには正直驚いた。
その結果今のこの場の繁栄があるが、改めて秀忠とそちら名無しには感謝の念を表す。
生前では時に良からぬ感情すら芽生えた間柄であったが、今ではこの有様である。
時の移り変わりとは実に妙なる物と感心する次第じゃ。
      /;;;;;;;;;;;;;;;;/./ ./ / 、  ヽ.\ヽヽ,、}、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ ぴょぴょぴょ〜!!!ピョコラ板作ったぴょ!ぴょーぴょこLOVE注意報発令ぴょ〜!!!
      {;;;;;;;;;;;;;;;;;|/ /  /从`、  ,}ヽ,.}.'_v'ヽ}`i、;;;;;;;;;;_-´   1発100円できもちよくておかねもとれて子供もできるし一石三鳥ぴょ!!!
      {;;;;;;;;;;;;;;;;;|,! / { |l{,.--'、|、 ,! `>i;;;;;;。ヽl })) ̄ミ`=   ブラックゲマゲマ団活動費も安泰ぴょ!!!フラッシュ作れるなんてぴよこてんさいぴょ!!!
      .`、;;;;;;;;;;;;;;|,! .|`、|´〉';;;;;。ヽ"  {;;;;;;;;ノ |ノ='`ゝ、_-`
        `、;;;;;;;;;|/{| ,-、!`、;;;;;;;;}   `''''´ノ___l-┘
         `フ"_,!、 `..-=、`''''´   ワ _,.-'"
                 ( ̄ ̄ ̄ ̄┴-      (´     )     ::: )
                  |  (    *≡≡≡≡≡三(´⌒;:    ::⌒`) :;  )
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                / /   /  \   \   (    ゝ  ヾ 丶  ソ
                / / ( ̄)  | |\  ( ̄)   ヽ  ヾ  ノノ  ノ
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             ⊂- ┘(    ) └--┘ (    )
                  UUUU      UUUU

http://jbbs.shitaraba.com/movie/2135/
>751 (ここがヘンだよ日本人)
秀忠の言と他の場の話によると、そちはこの場の恩人と言えるそうじゃな。
朕からもこの通り礼を言う。
数年前人気だった某番組にちなんでの発言のようだが、朕も好んで見ていた。
異文化の交流は実に難しき物を思う反面、賑やかさをかもし出す雰囲気が好ましく思えたのを憶えておる。

>755 (目覚まし時計がなくても時間通りに起きられるものなのですか?)
普段、その時刻に起きる事を自分自身に言い聞かせていれば自然と起きられる。
無論、朕らの頃にはその様な物は無かったが大抵決まった刻限で目が醒めた物であった。
朝の空気を吸って一日を始めるのが朕の習慣であったが、心地良かった。

>756 (今の天皇も、征夷大将軍とか任命できるのですか?)
首相閣僚なら任命できようが、征夷大将軍は既に廃せられて久しい官位である。
だが事前に決まっていた人事で、天皇が形式的に任命するのには変わりなかろう。
征夷大将軍も家康とその家臣が、裏方で時には賂を用いてまで朝廷に働きかけたそうじゃ。
その意味では今も昔も同じと言えよう。
>757 (佐藤義徳)
朕は生憎その名に該当する者を存ぜぬが、そちの恩人か近い者と見るが。
だとしたら朋友として大切に遇するが良い。
人は他人を求め、またそれに学ぶ事が多い。

>758 (何故そのような性格になったと御自分で思いますか)
考えた事が無いが、朕は己自信が今で言う個性的とは別に思ってはおらぬ。
只、即位の関係上、先帝即ち父君に時に疎まれた事があったが、その際に多少の忍耐を学んだと見る。
心理学上では親との葛藤や争いを性格形成の要素の一つに挙げているが、それ程大袈裟な物とは言えぬかも知れぬ。
成るべくして成ったと申すのが妥当であろうな。
      /;;;;;;;;;;;;;;;;/./ ./ / 、  ヽ.\ヽヽ,、}、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ ぴょぴょぴょ〜!!!ピョコラ板作ったぴょ!ぴょーぴょこLOVE注意報発令ぴょ〜!!!
      {;;;;;;;;;;;;;;;;;|/ /  /从`、  ,}ヽ,.}.'_v'ヽ}`i、;;;;;;;;;;_-´   1発100円できもちよくておかねもとれて子供もできるし一石三鳥ぴょ!!!
      {;;;;;;;;;;;;;;;;;|,! / { |l{,.--'、|、 ,! `>i;;;;;;。ヽl })) ̄ミ`=   ブラックゲマゲマ団活動費も安泰ぴょ!!!月給25万もらってるなんてぴよこてんさいぴょ!!!
      .`、;;;;;;;;;;;;;;|,! .|`、|´〉';;;;;。ヽ"  {;;;;;;;;ノ |ノ='`ゝ、_-`
        `、;;;;;;;;;|/{| ,-、!`、;;;;;;;;}   `''''´ノ___l-┘
         `フ"_,!、 `..-=、`''''´   ワ _,.-'"
                 ( ̄ ̄ ̄ ̄┴-      (´     )     ::: )
                  |  (    *≡≡≡≡≡三(´⌒;:    ::⌒`) :;  )
                 /  /   ∧   \    (⌒::   ::     ::⌒ ) ブ〜!!
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                / / ( ̄)  | |\  ( ̄)   ヽ  ヾ  ノノ  ノ
               / ( ノ  (   | |  \ ノ (
             ⊂- ┘(    ) └--┘ (    )
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http://jbbs.shitaraba.com/movie/2135/
漢字の横に付いているふりがなを、「日本の恥」とまで断じた人がいましたが
「強敵」と書いて「とも」と読ませたり、表現方法としては優れた物と思いませんか?
はらへった
767徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/02 05:02
>755 (目覚まし時計がなくても時間通りに起きられるものなのですか?)
自分で試してみるが良い。さすれば充分解るだろう。
何時に起きるべしと念じれば自然と起きる事が出来よう。
それと希望の時刻より幾分早く仕掛けておく事を薦めておく。
五時なら四時と言う風にしておけば万一の時助かる。

>756 (今の天皇も、征夷大将軍とか任命できるのですか?)
征夷大将軍と首相を同一と見るならそう言えよう。
だが帝の申す通り、任命書を読み上げる前から決まっている人事を
形式ぶって行う所はよく似ている。
父上は朝廷工作の上で征夷大将軍を拝されたが一度断られているが
茶番劇と申せばそうかも知れぬ。

>757 (佐藤義徳)
調べても誰か判別せぬ。
何かしらの関連した事柄なりを述べると有難いのだが。
名前から推測するに武将か軍人に思えるが余の勘違いか。
768徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/02 05:04
>758 (何故そのような性格になったと)
余は特に思い当たる節は無い。
別に親しく父上の薫陶を受けた訳でも無く、付家老や傅役の教育を
受けて育った。父上は元々子を親しく見る御方ではなかったので
殆ど幼児期から少年においては影響は受けた覚えは無い。
只、関が原以後は常に父上の目を意識して動いていたので
その影響と見るべきか。主に青年期に形成された性格と言えよう。

>765 (漢字の横に付いているふりがなを)
考えた事は余り無いが、在って邪魔になる物でもあるまい。
漢詩漢文を熟読する者ならいざ知らず、それとは異なれば必要になる
事も充分考えられる。
恥とまで断じるとはかなりの毒舌と見るが余も人の事は言えぬか。

>766 (はらへった)
余も目覚めて間も無いので朝餉を済ませておらぬ。
そなたも空腹の様だが余の相伴を命じても良い。
尤も、朝は簡素な一汁三菜程度の食事だがな。
それとも北条氏康の如く僅かの朝酒を嗜むのもある。
平安時代ってマターリしているようで今より不自由が多かったんですよね
北条氏政が発想を逆転させて、汁の椀の方にご飯を入れていたら、氏康は天晴と誉めたでしょうか?
強力な朝鮮水軍の亀甲船を、日本は採用しなかったのは、見た目が格好悪かったからですか?
織田信長が東福寺を「豆腐食う寺」と寒い駄洒落をかました逸話がありますが
これは当時の最高水準のギャグなのですか?

同時代を生きたお二方、ご判定下さい。
>765 (漢字の横に付いているふりがなを、「日本の恥」)
それはちと極論ではあるまいか。
読めぬ場合もあり、また強敵同様様々な読み方もある漢字では振り仮名は不可欠である。
朕の天皇にしても「すめらみこと」「てんのう」とある以上どちらかと断定するには振り仮名が必要になるだろう。
単に己自身が漢字を困難無く読めるからと他を恥呼ばわりは宜しくはあるまい。

>766 (はらへった)
かような深夜に空腹を訴えるとは夜勤明けの者と見るが。
なら遠慮する事無く、腹を満たして明日からの新しき職務に励むが良い。
正に腹が減っては何とやらじゃ。
それとも腹の肉が減ったと言う意味なら贅肉が取れて喜ばしかろう。

>769 (平安時代ってマターリしているようで今より不自由)
平安時代とはその文化を享受出来たのは貴族や豪族のみである。
大多数の民は今日明日の米にも困り、また野盗の類も多かったと聞く。
平安とは名ばかりの時代と言えるが、朕ら天皇や公家には理想の時代であった。
それと今現在に比べれば過去は全て不便不自由と申せよう。
身近な機械一つすら無いとすれば生活の仕様が無い。
>770 (北条氏政が発想を逆転させて、汁の椀の方にご飯を入れていたら)
豊臣秀吉に滅ぼされた北条氏を揶揄する逸話である以上、褒める事はあるまい。
逆に無作法と叱るか、見咎める事も無くそのままにすると考える。
だが、汁を飯に入れる手際で人間の器量が計り見れるのなら大した鑑識眼と感心するしか無い話と前々から思ってはいた。

>771 (強力な朝鮮水軍の亀甲船を、日本は採用しなかったのは)
武の事は朕には計り知れぬが、やはり敵方の物をそのまま使うのは憚りが有るのではあるまいか。
特に天下を統一して明をも攻め取ろうとした勢いの秀吉では抵抗される事も予想外だったと伺っている。
ここは素直に李舜臣ら朝鮮の者の武勇を褒めるべきと思うが。

>772 (織田信長が東福寺を「豆腐食う寺」)
それは朕は初耳であるが、思うに旧来の無為徒食に見える寺院勢力への織田右府なりの痛烈な皮肉かも知れぬ。
或は豆腐などの菜食を第一とすべきながら酒食に溺れる僧への密かな警告とも受け取れる。
どちらにしろ単なる洒落で口にしたとは想像し難い。
戦国の世のみならず高位の寺院や僧侶の腐敗は、目をしかめざるを得ぬ物があったのは事実なのだから。
775徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/03 06:44
>769 (平安時代って今より不自由)
今と比較すれば全ての時代が不自由と言えよう。
移動手段にしても今なら車を始め様々な物があるが
平安や余の江戸時代を含めた過去においては、馬と己の足しか無い。

だが余ら武士にとっては勃興の時期であり、貴族の番兵から脱却する
絶好の機会でもあったのだ。平家物語に見られる源平の興亡は今に
到るまで伝わるが、これこそ平安時代の最たる産物であろう。

>770 (北条氏政が発想を逆転させて〜)
良き臣を見出すには時に数年を要する。それが己が後継者である
子なら尚更だ。たかが飯に汁をかける僅かの合間で見極めるなど
無理に違いあるまい。
それに元服後の大の男が父親と膳を共にする事など当時ではあり得ぬ。
その逸話は帝が申す様に北条氏政を貶める俗話に過ぎぬ。

その様な食事の際の些細な事で褒める父親もしくは主君など
言を軽く見られるのだ。よって否と申しておく。
776徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/03 06:45
>771 (亀甲船を、日本は採用しなかったのは)
余も少年の砌に話を聞いたが、海の彼方には精強な戦船があると
感心した物だ。当時の日本の造船技術では遠海航海に適する大船は無く
それ故、直接明に攻め込めず朝鮮に目をつけたのだが鹵獲でもしない限り
亀甲船の如き物は造る事は愚か思いつく事も無い。
地の利を活かした朝鮮側の利もあるが、日本の拙劣な水軍が要因である。

>772 (織田信長が東福寺を「豆腐食う寺」と寒い駄洒落をかました逸話)
信長公の機転と仏教勢力への皮肉があろう。
比叡山の如く焼き打ちにされたくなくば大人しく精進料理である豆腐を食し
仏門に励めと言う意味で申されたと考える。

余談だが余ら徳川家でもそれに似た駄洒落を吹いた者が居る。
八代吉宗の倹約政策に悉く抵抗した挙句、財政破綻で隠居と蟄居を命じられた
尾張徳川家の宗春が、その際におわり初物と申したそうだ。
自らの終わりと、御三家尾張で最初の幕府に罰せられた当主としての自嘲が
多分に含まれておる洒落だそうだが余り笑えぬ。
大坂の陣の時、加藤清正が生きていたら大坂方に付いたでしょうか?
江戸時代に宮将軍が登場していれば、歴史は大きく変わっていましたか?
>777 (大坂の陣の時、加藤清正が生きていたら大坂方に付いたでしょうか?)
武家の考えは朕には解りかねる物がある。
だが豊臣家子飼いの武将でも、その最たる者でもあった加藤清正なら主家の苦難を黙殺はしないと見る。
大坂城に入城はともかく、なにか別の方法で援助はしたと考える。
朕も大坂冬の陣の時、各地に使者を送って助力を求めた豊臣家が悉く無視されたのを見て有為転変を知った。
盛んなれば人は寄り付き、廃れれば誰も相手にせぬ。これが人の性とは思いたくは無いが。

>778 (江戸時代に宮将軍が登場していれば)
四代家綱の時の事であるな。
形ばかりの宮将軍を戴き実権を維持しようとした時の大老の酒井忠清が推したそうだが、
朝廷皇室も軽く見られたと嘆息を禁じえなかったが幸いと言えるかどうか他の反対で立ち消えた。
五代綱吉が就任する事が無くば、幕府も幾分変わっていたと見ている。
生類憐みの令は言うに及ばず、他の問題も別の解決策を選んだ事だろう。
あの頃は将軍のみならず、上に立つ者次第で幾らにも方向が変わる時代であった。
継飛脚ってのが江戸−京の都間を68時間ですか?
当時としてはスゴイですね。
明治になる前に人力車は無かったのですか?
特別、新技術を導入された風には見えませんし…。
782徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/04 05:36
>777 (大坂の陣の時、加藤清正が生きていたら大坂方に付いたでしょうか?)
兄弟分の福島正則は、密かに兵糧を大坂方に流し息子に味方しろと
言い含めていたらしい。それに従うと清正ももし存命ならば十中八九
秀頼を助けただろう。何せ熊本城に秀頼を迎える部屋を用意していた
そうだからな。
仮にそうなれば大坂に集めていた大軍をそのまま九州肥後に向けねば
ならぬし他の細川や鍋島、島津もどう動くか見当がつかぬ。

それに熊本城は後の西南の役で堅固さを示した名城。そこに清正と
その指揮下の兵と大坂の残党。或は他の外様の援軍が加われば
討伐に失敗は無くとも長引いた上に莫大な金と労力がかかった事だろう。
やはり、あの時清正が死んだ事は徳川に取って幸いであった。
自然死云々は今ここで論ずるのは差し控えておくが。
783徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/04 05:37
>778 (江戸時代に宮将軍が登場していれば)
帝が申す様に四代家綱の病没寸前に出た話だが、単に鎌倉幕府の先例に
従っての事か、或は忠清ら幕閣の権力維持のための方便かは今となっては
知る由も無い。弟の綱吉の就任で事済んだが仮に親王某が将軍位に就いて
おっても忠清が何らかの問題で失脚すれば、その時点で無用となり京に
送り返されるか、用済みとして毒殺されたかのどちらかだろう。

後の公武合体論者なら手を叩き喜ぶだろうが、時の徳川幕府には朝廷の
権威など必要としておらなかった。傀儡にしかならぬ宮将軍など不要だ。
どの道御三家か他の徳川分家から養子を得て進めたに違いあるまい。
784徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/04 05:38
>780 (継飛脚ってのが江戸−京の都間を68時間ですか?)
早馬以外ではそれが当時で最も早い伝達手段だった事だろう。
その分、払う金もまず庶民には手が出せまい。
おそらく幾度も飛脚人足を交代させるのだから普通のそれへの数倍
時には数十倍の金を支払わねば引き受ける事は無いと見る。

余ら幕府では、京都所司代との定期的な連絡には大抵早馬だったが
全速力で飛ばすので、替馬と餌を用意するだけでも少なからぬ金は
かかったと記憶しておる。

>781 (明治になる前に人力車は無かったのですか?)
人力車は元々、西洋の馬車を人間が代わりに運ぶ物にて
開国後から明治に出来た筈だ。
馬車の概念が無い江戸時代の大半期では無いと申して差支えない。
単なる発想の転換で出来たと、今から見れば考えられる。
戦の際に兵糧武具を運ぶ荷車の改良なのだからな。
冴えない晩年を見るに、長宗我部元親はやはり「鳥無き島の蝙蝠」だったのですか?
786徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/04 06:05
>785 (長宗我部元親はやはり「鳥無き島の蝙蝠」)
かような時刻に出くわすとは珍しい。即答と行く。

長宗我部元親が家督を継いだ頃はそれ程でも無かったが
当時、四国を実質的に支配していた細川及び三好氏が衰え始め
それに乗じて土佐から阿波に侵攻できた。
いわば天の時に恵まれていたと言えよう。

だが秀吉公に降った以後は物の見事に老耄と言える醜態を晒しておる。
九州征伐の際に、期待していた嫡男の信親を失った事が響いている。
老いては駑馬に劣ると古来からの諺を見事な程に実践していよう。

だが兵農の区別未だ定まらぬ四国において卓越していたのは間違いあるまい。
少なくとも父上が一時期でも盟友であられた長宗我部元親を余り酷評はな。
凡将で無い事は確かと言えよう。
それにその比喩は信長公が使者に半ば戯れで申された言葉なので
それを真実かそれに近い物と信じるのも如何と思う。
わっ!びっくり即レス!なんだか既視感にクラクラ…。(ま、こっちの話ですが)

即レスを期待する訳ではありませんので、ご心配無く。(私はこれで消えますので)
徳川家康は何も新しい物を生み出さなかったという評価がありますが
秀吉包囲網もかつての信長包囲網の踏襲なのですか?
788徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/04 06:28
>787 (秀吉包囲網もかつての信長包囲網の踏襲なのですか?)
構わぬ。余はここ最近この時間帯に来るのでな。

確かに父上は独創性と云うより古人先人に学び、それから何かを
発展させるのに長けておられた。
秀吉公への対抗に先に述べた長宗我部や織田信雄殿、そして紀州の
雑賀寺を結ばれたが、これは武田信玄入道が信長公を包囲された
外交戦術を模倣された物と見て間違いあるまい。

結果的には秀吉公に格個撃破或は講和に持ち込まれ孤立したので
已む無く臣下の礼を取られたが、他の諸大名が屈する中で父上のみが
抜きん出た抵抗を見せられ、これが後々に徳川家の大事な財産となったのだ。
海道一の弓取りと言う勇名が全国に響いた事を申す。
未練がましく、最後の質問です。

もし会津の蒲生氏郷が長生きしていれば西軍に付いたでしょうから
越後に居たままの上杉と佐竹も加えて、石田三成どころではなかったのでは?
長生きとえば、平賀源内が長生きしていれば、エレキテルあたりから
電気の実用化が実現したでしょうか?
平民から公家になるにはどうしたらいいのですか?
>780 (継飛脚ってのが江戸−京の都間を68時間ですか?)
当時主な行き来で江戸と京の間を如何に早くするかが競われたそうだが、その結果と言える。
朕は一度も飛脚の姿を見た事は無いが、手紙の往来で何気なく頼んでいた飛脚の苦労も今となっては幾分判る。
職業に貴賎無しと言うが、真と思う次第じゃ。
走る事すら無かった朕には想像も出来ぬ物である。

>781 (明治になる前に人力車は無かったのですか?)
朕らが使っていた牛車がそれに近い。牛と人を入れ替えた物である。
下人の手押し車も人力車の原形と言えるし別段、明治以後の物とは言えぬ所がある、
ちなみに牛は重い荷を運ぶのに適しているが、馬の様に早くは歩けぬ。
参内に急ぐ事の無い公家には丁度良かったかも知れぬ。
だが貧しい公家役人にとって牛の飼育にかかる費用その他も並大抵の負担ではなかったと思う。

>785 (長宗我部元親)
四国を統一した武将と記憶しているが、他に抜きんでいた者である事は間違い無いと見る。
主筋にあたる土佐一条氏を討った事も当時の下克上の風習では止むを得まい。
その評は織田右府の言らしいが彼から見れば、大抵の武将は鳥か蝙蝠の如き小物に見えても不思議ではあるまい。
晩年の諸々の事柄は、やはり時流と言えよう。
一時は天下を目指しながら最後は土佐一国に甘んじざるを得なかった無念がそうさせたと言えよう。
誰しも不遇なれば、心境或は性格が変わっても何ら可笑しくは無い。
>787 (徳川家康は何も新しい物を生み出さなかったという評価)
家康も朕ら朝廷と同じく、過去の先例に解決策を見出して動く方だったと思う。
秀忠に将軍職を譲る際も、源頼朝の先例に従い大軍で上洛してきた。
特にそちの申す包囲網云々は三方が原で大敗した武田信玄の影響が色濃いと見て差支えなかろう。
何より江戸幕府自体、三河時代の風習が強いと言われるそうなので織田右府の如く先々を見越した奇抜な発想とは些か遠い。

>789 (会津の蒲生氏郷が長生きしていれば)
何でも天下を狙い、会津に転封された際も畿内から離れるのを残念がったそうだが、もし存命ならば東西いずれにもつかず独自に動いたのではあるまいか。
武士が所領や己が野望に右往左往する様は見ていて、時に理解出来ぬ物がある。
関が原の数々の逸話も、後に耳にしたが恩義も温情も一片の空手形に等しい約定で無に帰すのは実に偲び難い物があるが、それが戦国を生きた武士なのだろう。
上杉や佐竹も戦国大名である以上、それに従ったと考える。

>790 (平賀源内が長生きしていれば)
当時では電気と言う概念が全くと申して無い以上、単なる大道芸の一つとしてしか見られていなかった。
何より平賀源内の世間での信用度も怪しい物が有ったそうだから、そう上手くは行かぬと朕は考える。
仮に源内が幕府に仕官し、その後ろ盾で行えば大規模な実験は可能だったかも知れぬが流石に山師の言を幕府が受け入れるとは思えぬ。
在野の博物学者としての魅力ある故、今日まで名が伝わったと好意的に見たい。
>791 (平民から公家になるにはどうしたらいいのですか?)
平民にも財の有無によって大きく異なるが、もし大商人の娘なら持参金を弾めば、或は中小公家に嫁入り出来たかも知れぬ。
近衛や鷹司の如き五摂家や幕府に近い公家は別として、禄高百石にも満たぬ貧しい名ばかりの公家なら受け入れる事は考えられる。
真に恥ずかしき事だが、江戸時代を通じて裕福であった公家或は天皇上皇など不在としか申せぬ。
時に幕府から献上と称して贈られる金銀も大半が京都所司代の管理下に置かれ、朕らには幾許も入らぬ。
貧乏公家にとっては僅かの金に目がくらみ、家職や類代の家宝も質流れにしかならぬ時代であった。
795以上、自作自演でした。:04/03/04 22:47
怠慢だと思ったことは?
もし今後、日本が天皇制を廃止し共和制の国家になったとしたら
どうしますか?
797徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/05 02:59
>789 (上杉と佐竹も加えて、石田三成どころではなかったのでは?)
帝の申す通り、信長公秀吉公も一目置かれた蒲生氏郷が存命で
会津におれば徳川家の脅威となった可能性は充分にある。
元々、徳川家と伊達政宗を監視するために彼の地に置かれたのだからな。

だが三成に追従するとは思えぬ。黒田如水の様に独自に天下取りを謀るか
冷静に判断して徳川方につくかのどちらかだろう。
上杉は偶々、三成を挙兵させる口実を探された父上が攻めた関係上西軍に
つき、佐竹も史実同様、先代義重や重臣の反対であいまいな態度に終始
したと考えておる。

>790 (長生きとえば、平賀源内が長生きしていれば、エレキテル)
確かに当時の日本では画期的な物と言えような。
電気を一つの技術として受け止め、帝の申す様に誰か支援者がおれば
或は日本で白熱電球かそれに類似した物が出来たかも知れぬ。
ちなみに源内は時の権力者である田沼意次と一時は召抱えの話すら
在った間柄であったそうだ。

だが、元来居た讃岐高松藩を脱藩した源内には他家への奉公は
禁じられており結局、終生一介の学者か山師として今で言う臨時雇いに
甘んじねばならなかった源内では、あれが限界だったとも言える。
せめてあの様な最後を遂げずに長く活躍しておれば幾分、日本の技術面も
変わっていたと見ても良かろう。
798徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/05 03:00
>791 (平民から公家になるにはどうしたらいいのですか?)
些か下衆な言葉だが、やはり金で嫁入りもしくは入り婿になるのが
一番だ。帝の言う通り、公家は終始貧困に悩まされ血筋を活かして
金でどうにでもなった物だ。
明治なら事業で財をなせば男爵位は得られようが成金同然に蔑まれたと言う。
誇りのみ高い公家に強いてなりたいと思うのも酔狂な事よ。
中には参内するのにも衣装すら無い公家すら居たと申すのに。

>795 (怠慢だと思ったことは?)
幾らでもあった。征夷大将軍と言う役職は実に激務であったが
決済を求める一枚の書類を後回しにした時でさえそう思う事もあった。
後の家重や家斉の如く怠惰を貪るのみの将軍とは異なり、創業期の余には
大奥で女色にふける余裕などあろう筈も無い。
大御所となって後も心休まる時など寸分も無かったが、今思い返してみると
働くだけは働いたと自負しておる。
だが常に父上に幾分でも追いつかんと走りぬいた感が拭えぬ。

>796 (日本が天皇制を廃止し共和制の国家になったとしたら)
単に皇居の地下を地下鉄が通れる。

と申すのは冗談だが、象徴と言う名の飾りに過ぎぬ天皇制を
今更廃止しても利が有るとは思えぬ。
大統領もしくは総統を選挙で選ぶ体制になろうと今の政治は
大きくは変動せぬと見る。
多少の国民の意識改革にはなろうが予想通りの結果にはならぬ。
『海国兵談』の「江戸日本橋ヨリ唐土及ヒ阿蘭陀迄モ境目ナキ水路ナリ」という指摘は
鎖国前の日本人には、特に目新しい話ではないのではありませんか?
一族の誉といえば誰ですか?
801
802以上、自作自演でした。:04/03/05 19:47
無政府主義をどうお考えでしょうか?
>795 (怠慢だと思ったことは?)
朕は天皇故、大抵の事は他の者に命じるか任せるかだった。
今考えると朕が一人で行えた事と言えば、飯を箸で口に運ぶ事と詩歌を詠む事のみであった。
これだけでも充分怠慢の極みと言えよう。
思い返すとあの当時、衣食住に不自由していた下々の民に会わせる顔が無い。
帝王尊貴の家の者全てに言えるかも知れぬが。

>796 (もし今後、日本が天皇制を廃止し共和制の国家になったとしたら)
寂しい話だが、確かに今現在では天皇家の存在価値も秀忠の申す様に置物に近い。
もし共和制が日本国及び国民の総意に基くとすれば現天皇家及び親族は民籍に下るしかあるまいな。
何より、一王家がかように長く続いた例は世界でも稀である。
だが、今では首相及びその後援者が国家元首の如き立場である以上大きくは変わらぬと思う。
果たして今の日本を含めた世界で王家の果たす役割とは何であろうか。

>799 (「江戸日本橋ヨリ唐土及ヒ阿蘭陀迄モ境目ナキ水路ナリ」)
日本橋の水が阿蘭陀を含む欧州に通じると云う意味だそうだが、生前夷国人と接触する事の無かった朕や公家にはその様な認識は皆無と申して良い。
確かに伝え聞く話で耳にはしていたが実感が無い以上、にわかには信じられぬ物が在った。
これも朝廷及びその周辺が如何に狭い領域でのみ動いていたか判りえる。
実際に交易使節等で携わっていた秀忠なら何か存じていよう。
>800 (一族の誉といえば誰ですか?)
朕以外の著名な歴代天皇全てが誉れと言えよう。
江戸幕府に抵抗した事以外、さして功績の無い朕など足元にも及ばぬ業績を残された神武天皇や桓武天皇の賢帝の御名を耳にする度に、
誉れと感じると同時に恥じ入るのみであった。
偉大な先祖を持つと己が極めて卑小に見えた物であったが仕方ない事である。

>801 (801)
最早八百を過ぎたが益々の盛況ぶり、これも全てそちらの賜物である。
この前の九日間の空白では真に迷惑を掛けたが、朕は秀忠と共に最後までやり遂げる所存であるので今後共、諸々の質問を願うのみだが何かあれば遠慮無く申して欲しい。
無論、今からでも新規に参加する者は手厚く歓迎する。

>802 (無政府主義をどうお考えでしょうか?)
神々の御世より民は支配される事を望んでいたかには見える。
だが、支配する側に不遜な意思があれば民は即座に反応して、時にはその者を打ち倒す。
仮に政府等が民を虐げ、不利益をもたらすならば無政府の如き極論もやぶさかではあるまい。
君主は民のために働くが、民は君主のためでは無く自らと一族のために働く。
それを重々理解した上で為政者が政に携われば、その様な思想も不要となろう。
805徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/06 06:08
>799 (『海国兵談』の指摘は鎖国前の日本人には、特に目新しい話ではない)
無論、余の頃つまり安土桃山から江戸初期では常識であった。
布教を餌に虎視眈々と日本を狙う南蛮諸国への警戒は常に怠らなかったが
それでも不安は付き纏っていた。切支丹大名や時には豊臣家と手を組み
如何に勢力を広げんと謀っていたが、結局鎖国で全て頓挫したが。

江戸や駿府に多くの南蛮紅毛人が様々な目的で出入りし、余や父上に
拝謁を望んできた以上、知らなくては話にならぬ。
だが片方を謁見すればもう片方が誹謗する応酬も飽き飽きだったがな。
所詮、あの当時は利のみで日本に来た者のみで今で言う友好など論外
であった。如何に互いに利用しようと見ていたのだから当然か。

>800 (一族の誉といえば誰ですか?)
無論、父上であるがそれではありふれておるので余の曽祖父に当る
松平清康公を挙げるとするか。
三河の一土豪に過ぎぬ松平家を一代で三河の大部分を治める戦国大名に
のし上げられたが不幸にも家臣に暗殺された御方である。
三十まで生きておれば天下を取れたとまで言われた器量の持ち主と評され
余も幼き頃より、その御名を覚え込まされた物であった。
骨肉相食む戦国の世で生きる事の難しさを思い知らされた話であったが
流石に三十云々は過大かも知れぬ。
806徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/06 06:09
>801 (801)
矢を射るにちなんで八百一、即ちやおいか。
戦の前には大抵、矢を互いに射掛け合う慣わしであったそうだが
奇襲では流石に行わぬ様であった。
それと雨が降り鉄砲が役に立たぬ時に、本領を発揮した弓矢は
今現代でも最近までベトナム戦争でゲリラ戦で使われていたと云う。

古参の譜代から聴いた話だが、父上が武田と戦われていた時
山岳森林戦に長けていた甲斐信濃の兵は高所や木の上から射掛けて
散々、徳川軍を悩ませたそうだ。

>802 (無政府主義をどうお考えでしょうか?)
原始社会ならいざ知らず、人間が集まり共同生活を営む以上
それをまとめる存在が不可欠である。
余ら徳川幕府は無論、幕府朝廷が長らくその役目を負ってきたが
その力が廃れきった戦国では秩序など有って無きが如しであった。
過去の歴史を紐解いても理解出来る物を、何故未だに混沌しか
もたらさぬ無政府主義と称する思想を引き継ぐのか理解に苦しむ。

所詮、その様な者は今の状態に適応出来ぬ落伍者に過ぎぬ。
その様な者達が時に暴力に訴えても正に蟷螂の斧だ。
仮に事が成ったとしても実際に政府側となれば如何に己の苦労が
無駄であったか如実に解る物に違いあるまい。
或は単に政権奪取の方便に使うかが考えられる。
藤原定家みたいに「紅旗征戎非吾事」とか言いながら、実際は武家の争いに興味津々だった
公家も多かったんじゃないですか?
戦国時代に島原の乱のような、大規模なキリシタンの蜂起が起こっていたら
一向宗より手強かったでしょうか?
>807 (実際は武家の争いに興味津々だった公家も多かったんじゃないですか?)
大抵の公家は武家を野蛮で粗野な物と見下していた。
だが朝廷の権威が地に堕ちた戦国では、流石に各地の有力武家にすがらねば生きてはいけぬと気付いたのじゃ。
朕の母方の祖父である近衛前久が良い例で長尾景虎や織田右府と接触している。
また、地方大名の官位受任の仲介で賂を受け取り、それを生業としてた公家も少なからず居たのだが天皇ですら和歌や写本を売り渡す有様では非難は出来ぬ。
内心の軽侮を隠して腰を屈していた者が大勢いた事は認めねばなるまい。

>808 (戦国時代に大規模なキリシタンの蜂起が起こっていたら)
一向宗は法念・親鸞上人から蓮如まで到る長い伝統と蓄積された物が在った。
それ故、あの如き大きな勢力を誇ったが、まだ伝わって間も無い切支丹一揆ではそれ程の影響は無いと見る。
信者の絶対数が違う以上、そう考えるが平安の御世より僧兵を始めとした宗教の武力は計り知れぬ物がある。
                 な
                 つ
                 か
                 し
                 く

                 ゆ
                 か
                 し
                 く

                 そ
                 し
                 て
                 金
                 と
                 書
                 き

      ∧_∧  ∧_∧    ∧_∧
     < `∀´ >-( `ハ´ ) - < `∀´ >ヽ
    (_)  北 (_)|  中 |   | 韓  (_)
     | |    .|  |     |  ∧_∧ | |
     | | ,,,,,,,,,,,,|  | ∧_∧  (´U`  ) <お前には俺しかいないんだよ
     | |ミ,,,,,,,,,,;;ミ  (´・ω・`)/´ 米 (___) 周りを見ろ…
      ( ´_ゝ`)∪ 日本 ヽ|    / )
     (_/ 露ヽ | |___.(⌒\___/ /
      |     ヽ、\   ~\______ノ|
   ____|    |ヽ、二⌒)        \
   |\ .|    ヽ\..|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
   |  \ヽ、__  .|| ̄ ̄ ̄('A`)台湾|
812徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/07 17:19
>807 (藤原定家みたいに「紅旗征戎非吾事」とか言いながら)
公家が武士の争いに口を出すのは珍しく無い。
余の頃でも所司代に帝やその近臣の言動を密告し、褒賞に
預かろうとしていた。江戸時代を通じては大藩と姻戚になる事により、
援助を期待していた公家も多かったが乞食根性は無くならぬ。

その癖、余らを東夷(あずまえびす)だの風流も解さぬ無粋な者を
陰口を叩き、自らの立場を正当する物は不愉快極まったが。
何より藤原定家も自らの朝廷内の立場を維持するために
主君であり恩人でもある後鳥羽上皇を見捨てておるではないか。
承久の乱では、多くの公家が鎌倉幕府に密告内通し、その後
土地や官位の維持昇進に役立てておる。
813徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/07 17:19
>808 (戦国時代に島原の乱のような)
帝の申す通り、一向宗は強固な地盤と長い歴史故、あの様な大勢力を誇った。
だが切支丹なら南蛮諸国の軍事援助もしくは介入が予想されるので
一向宗に劣らぬ大乱も充分考えられた。
布教の許可と多少の領地割譲を約束すれば、まず軍艦を率いて来ような。
父上も駿府時代、それを特に案じておられたが禁教令で幾分抑えが効いた
様だった。豊臣家と接触を図ったそうだが大して効果は無かったし
後の島原でも幕閣はマカオやルソンからの援軍を内心恐れておった。
幸い、オランダの協力が抑止力として働いたがな。

>810 (なつかしく ゆかしく それを金と書き)
今や過去を偲ぶにも金が必要か。確かにそう言える。
懐に余裕が無くば、過ぎ去った事柄を思い浮かべる程のそれもあるまい。
只、目前の糧を得るのに四苦八苦するのみであろう。
何事も金で解決する思考は別に今現在特有の物では無く、戦国の武士も
領地や金の誘いでどうにでも心変わりした物であった。
814徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/07 17:22
>811 (お前には俺しかいないんだよ)
大国隣国の間で不明瞭な方針の日本を見事に比喩しておるな。
今の日本では独自に何かを為す事も容易に許されぬ空気が充満しておる。
長年の冷戦下でその必要が無かったのもあるが最早それも通じまい。
一日も早く脱却せねば、やがては存亡の危機に陥る事も考えられるが
何時になる事やら見当もつかぬ。

仮に台湾即ち中華民国と復交の話でも出れば中国が猛反発する事は確実だ。
果たして今後の日本は何をもって生きていけば良いのか。
最近、韓国でも好ましからぬ法律が進んでいると聞くが隣人即ち潜在的な
敵或はそれに近い物と見るべき時代が再び訪れておるのかも知れぬ。
815柳生宗矩:04/03/07 17:45
秀忠様、お恐れながら、>810は「それを」ではなく「そして」ですぞ。
どうやら、これは川柳かと…。
日曜の夜は憂鬱になる者も多かろう。

明日思う 再び日々の勤労を 火鉢に手当て 汗流しつつ

今時、火鉢を使う家があるかと言う疑問は謹んで欲しい。

>810 (なつかしくゆかしくそして金と書き)
秀忠には川柳と気付かなかった様じゃな。
昔懐かしい知人友人に送る手紙でも序文に心和む文章を書き連ねられても、最後に金の無心とはまた何とも申せぬ。
俗世から隔絶したかに見えた吉田兼好も物くれる友を最上の友と位置付けていたが、古今東西金は不可欠じゃ。
こう云いう川柳や詩歌を事とする文人は大抵金策に悩んだ良い証であろう。
>815の柳生には指摘について秀忠から何か沙汰が下ろう。
しかし懐かしい名を見た感じじゃ。朕や他の公家の周辺に近付いていた者の多くが柳生新陰流らしき構えだったそうだが偶然か。

>811 (お前には俺しかいないんだよ)
今の米国一辺倒の日本を皮肉した絵であるが、日本の現状では止むを得まい。
一国が独力で何事かを為せるのは大国のみにて、今の日本は大国とは呼べまいな。
これを苦々しく思う者も多かろうが、現実は如何ともし難い。
国家間に真の友好は存在せぬと云う論も見かけるが、流石にそこまで行かぬと見たい。
日本に帰化した人を一人挙げるとしたら誰でしょう?
818徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/08 06:43
>815 (柳生宗矩)
なるほど。読み返してみると確かに余が間違っておる。
しかも訓戒と思っていたが川柳とは気付かなんだ。
流石は余が剣術家から大目付に任じただけはある。
慶喜スレでの在原業平と松平家の関連と合わせて二度目の過失だが
余もまだまだと言えよう。よく教えてくれた。

>817 (日本に帰化した人を一人挙げるとしたら誰でしょう?)
正式に帰化した訳では無いが、余と同時代で三浦按針(あんじん)を
挙げる事と致す。
本名はウィリアム・アダムスで関が原の年に日本に漂流したが父上は
かなりあの者を高く買っておられた。
旗本並みの領地や数々の特権を与え、譜代の近臣も及ばぬ程親しく
話される所を何度も見たが、片言の日本語ながら未知の幅広い領域に
父上のみならず余や周囲の者も感心して聴いておったのだ。

今で言う外交顧問や造船監督としても働いてくれたが、望んで日本に
来た訳でも無いまま重用され、さぞ複雑な事であっただろうな。
思い返すと、せめて父上没後に帰国を許せばよかったかも知れぬ。
あの者の功績に余は充分報いたとは申せぬのが些か辛い物がある。
責任を取って自害というのは、どう思いますか?
>817 (日本に帰化した人を一人挙げるとしたら誰でしょう?)
小泉八雲が即座に思いつく。怪談と申せば大抵の者が分ろう。
耳なし芳一や雪女が特に有名で原文を読まずとも存じている者も多かろうな。
明治間も無い頃では、夷国人への偏見甚だしく、肉食故尻尾が生えていると邪推され、時に入浴を覗かれた事もあったと言う。
並の日本人より深く日本を愛し、また理解した稀な者だが五十四で亡くなったのは実に惜しい事じゃ。

>819 (責任を取って自害というのは、どう思いますか?)
朕ら天皇や公家には自害の概念が余り無いのじゃ。
特に天皇では玉体を傷つける事は憚られる第一の物なので、針治療すら出来なかった。
壬申の乱で敗れた大友皇子即ち弘文天皇と、壇ノ浦での安徳天皇しか思い当たらぬが前者は追い詰められた末で後者は幼児にて明らかに巻き添えであろう。
よく武士大名が事あらば切腹を持ち出すのには奇異の念と恐ろしい物を感じた物であった。
どちらにしろ、自害は賛同出来ぬ。
だいぶ昔に、こけしの由来は”子消し”といい
飢饉で育てられず間引きした子を供養するために
作られたという説を聞いたことがあるんですが。
それは本当の話でしょうか?
俳句を趣味とする人口の多さに驚いた外国人が「どの町にも詩人がいる国、ニッポン」と
言っていましたが、漫画同人誌全盛の昨今では「どの町にも漫画家がいる国、ニッポン」とも
言えそうですね?
>821 (こけしの由来は)
朕の知る限りでは地方独特の信仰の表れと聞いておる。
だが常に飢饉と隣り合わせであった奥州陸奥では、遺憾ながらその様な因習は確かに存在した。
困窮で止むに止まれぬと言え親が頑是無い幼児を手にかけるとは、痛まし限りな話じゃ。
さぞ、その親は生涯、罪の意識に悩まされよう。
もしそれが本当なら、あどけない顔のこけしを見る度に辛い物があるの。

>822 (どの町にも漫画家がいる国、ニッポン)
うむ。日本では古くは元禄の御世より町人の間でも俳句詩歌を好む風潮が続いている。
それが今に到るまで存在するとは実に喜ばしい話だが、戯画漫画もそれに含めればそう言えよう。
過去の文人も生業の間に寸暇を見て風雅に親しんだが、今の同人作家とやらもそれと似ておる。
趣味を通じて己を高め、また同好の士を求めるのも良かろう。
今の同人誌と同じで、やはり数が多かったのはエロ俳句でしたか?
とりあえず、「無事これ名馬」ですか?
陛下のように後○○天皇と称号に
「後」が付く天皇が昔は多くて、近代にいない理由は何なんでしょ?
遠い将来に、後明治天皇とか後昭和天皇と呼ばれる君主が現れる
可能性はないのでしょうか?
827徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/10 01:40
>819 (責任を取って自害というのは、どう思いますか?)
武家ではそれが常識であったが稀に切腹で事を済ますのを嫌う
大名武将も居った。父上もある程度の家臣の過失には謹慎か蟄居で
済まされたが中には鷹狩の鷹を傷つけたのもあり基準が今一つ分らぬ。

昔からの慣わしとは言え時に不合理と思える時もあったのは事実だ。
軍法違反は止むを得ぬが、主君の胸先三寸で腹を切らされては
家臣も安堵して務めを果たせまい。
打首縛首の類よりはましであろうが、それでも良しとは言えぬ。
今で言えば常時解雇を覚悟して務める様な物だ。

>821 (だいぶ昔に、こけしの由来は”子消し”といい)
余は存ぜぬがそれも含まれても可笑しくはあるまい。
江戸時代では東北即ち奥州では飢饉は二、三年に一度は訪れ大名も
それを口実に参勤の延期や幕府に借金を申し込んできたくらいであったからな。
間引きの習慣も、禁じられていたとは言え育てられぬ以上捨てるか
そうするしか無い農民の実状だ。
寺に詣でるのも容易では無いなら尚更で、供養の意味で作ったとて
当然であろう。
将軍であった余には耳に痛い話だが致し方あるまい。
828徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/10 01:41
>822 (俳句を趣味とする人口の多さに驚いた外国人が)
一部のみを見て全てをそうと誤解する傾向は好ましくあるまい。
昔、父上も他の大名が能や茶道に耽溺した時は相当話を合わせられるのに
苦労されたそうだが、興味無い者には迷惑千万であろう事よ。
尚、>824に関してだが、十一代将軍の家斉の頃では大奥を皮肉した狂歌や
その類の物が多く詠まれたそうだが古今、性は洒落に丁度良く民にも
受けるので当然と言えよう。

>825 (とりあえず、「無事これ名馬」ですか?)
そうだ。戦では無数の軍馬を使うが武将や総大将が乗る馬は当然
ある程度の規準を満たさぬと話にならぬ。
まして戦では時には一日中馬を走らせねばならぬ時もあるので
頑丈でなくてはとても用は足さぬのだ。
無論、乗り手に従順かとか走る速さも選ぶ基準に違いあるまいが。

>826 (「後」が付く天皇が昔は多くて、近代にいない理由は何なんでしょ?)
明治天皇の前までは生前の業績を元にした名が普通だったそうで
後〜〜天皇とはそれが過去の特定の天皇に近いか類似しておる場合らしい。
明治以後は天皇名がそのまま年号となる関係で廃せられたと見るべきだろう。
将来についてだが、仮に日本の大幅な変動期に即位もしくは在位した天皇なら
その可能性もあろうが詳しくは余も存ぜぬ。
配下に忍びの者はいますか?
「暴れん坊将軍」を見て思ったのですが、
やはり将軍の乗る馬は白馬だったのですか?
士農工商とありますが、上の人は本気で下を奴隷と見てたりはしないんですよね?
昔も鬱病とかで自殺とかあったんですか?
>824 (今の同人誌と同じで、やはり数が多かったのは)
憚りがあるが、その通りであった。
朕の知る限りでは称徳天皇と道鏡がよく取り上げられていたが、秀忠が挙げた徳川家斉の様に古今の権力者の醜聞は題材に適していたのであろう。
朕自身も還暦に到るまで子を成したので俳句狂歌に詠まれても不思議では無い。
今の同人とやらは余り存ぜぬが、流石に頑是無い女児すら性欲の対象として描くのは如何と思う。
とは言え朕ら朝廷公家も、十一、二歳の若紫を半ば略奪婚した光源氏の源氏物語を好んで読むので余り非難は出来ぬな。

>825 (とりあえず、「無事これ名馬」ですか?)
馬にしろ人間にしろ病に縁無くばそれに越した事はあるまい。
多病では日常の生活も日々の務めも出来まい。それではその者自身にも宜しくない。
だが馬とて、丈夫だからとは言え、何時槍にかかるか知れぬいくさには好んで出されたくは無いと思うが避けられぬ事じゃ。
新豊の翁の如く自らを傷つけて拒む訳にも行くまい。

>826 (「後」が付く天皇が昔は多くて、近代にいない理由は何なんでしょ?)
秀忠が申す様に生前の事績が近い先帝や過去の歴代天皇に習ったと言う意味がある。
六十八代の後一条天皇から始まった先例であるが、これは父帝の一条天皇の如く藤原氏の傀儡だったと云う皮肉が含まれていると朕は見ている。
稀に後醍醐・後村上帝の様に古の名君と呼ばれる天皇になぞらえて自称した天皇もいたが。
尚、今現代の天皇は年号と関係しているため、後云々天皇は現れぬと見て良い。
年号制が続いているのは最早日本のみだが何時まで続くかは見当つかぬが。
>829 (配下に忍びの者はいますか?)
それについては詳しくは申せぬ。
御所忍びやその類の話は古より在ったが詳細については誰も知らぬ。
只、朕が言えるのはそれらしい働きをした役職の者は居たと見ている。
忍びの発祥がかの聖徳太子と云う俗説もあり、朝廷や天皇家とは無関係ではあるまい。

>830 (やはり将軍の乗る馬は白馬だったのですか?)
やはり武士の頂点である征夷大将軍の乗る馬には見た目風格が要求されよう。
白馬であっても可笑しくは無い。
家康や秀忠の様ないくさを経験した将軍なら上手く乗りこなせたであろうが後々の将軍はどうかは知らぬ。

>831 (上の人は本気で下を奴隷と見てたりはしないんですよね?)
士農工商いずれにも属さぬ朕らの感覚で申すと、接触する機会が無いか稀なので奴僕とまでは見なくとも対等とは間違っても見ておらなんだ。
公家も所領俸禄で日々を生きる身ながら、下の者の生活状態には無関心であったし下々を気遣ったと云う例は余り聞かぬ。
身分制度とは互いに関心を無くさせる意味が多分に含まれていたのかも知れぬ。
朕とて自らを万民と平等と思った事は無いからの。

>832 (昔も鬱病とかで自殺とかあったんですか?)
いわゆる気鬱の病と申して引篭もり、他人と会うのを嫌った挙句自害する者は居った。
五臓六腑の病ならまだしも、今で言う精神病では名医師でも手の施し様が無かったのじゃ。
せいぜい食事を与えて様子を見る事しか申せなかった筈だが仕方なかろう。
こういう病は今と変わらず本人次第でしか治癒出来ぬ。
「大御所」って、家康の発明ですか?
心から愛した女性はいますか?
当時の火縄銃による狙撃で成功例はあるのですか?
838徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/11 06:26
>829 (配下に忍びの者はいますか?)
無論居った。伊賀甲賀を筆頭に公儀隠密に忍びの者は不可欠だからな。
余ら徳川家に限らず、大抵の大名は乱波を抱えていたが父上程これらの
者を重用された方も稀だ。
余も主だった他の大名、例えば前田や伊達には常時数人を貼り付けて
監視させたが幕府に限らず権力者には欠かせぬ存在だ。

>830 (「暴れん坊将軍」を見て思ったのですが、)
別に白馬とは拘ってはおらぬ。只将軍が乗る以上見栄えが良い馬が
要求される事は確かだ。

だが馬術の達人であられた父上や戦場の経験ある余はともかくとして
後代の将軍はまず馬に乗る事など稀なので、馬を乗りこなせぬ者も
居た事は確かだ。九代家重や十三代家定の如き愚者はまずそれだろう。
吉宗は見事に乗りこなせたそうだが、大坂の陣から百年以上経過した
あの頃の大名武家では珍しい存在であった。
839徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/11 06:28
>831 (士農工商とありますが、上の人は本気で下を奴隷)
その通りだ。大半の武士は武士以外の身分を人間として見ぬ。
稀に愛民を説いて善政を行った大名や代官の名が今にまで伝わるのも
それが稀少な存在であった事に他ならぬ。
ゴマの油と農民は搾れば搾る程出ると言う言葉が如実に物語っておる。

だがその農民の年貢で生き、時に財政難で最も下の身分である商人に
土下座して借金を申し込んでおったので実状はどちらが寄生虫で奴隷か
判らぬ。身分制度は必要であったが、それに甘えすぎた武士への報いか。

>832 (昔も鬱病とかで自殺とかあったんですか?)
初陣の際に、初めて見る戦場の惨劇とも言える光景にそれに似た症状で
発狂或は自ら命を絶つ者は多くおった。
如何に武功を得ようと己を励まそうが実状を見て絶望したのであろう。
そうした者は早々と一族からも忘れ去られた物であったが戦国の世では
それが当然であった。鬱病云々で逃げる事など許されなかったわ。

>835 (「大御所」って、家康の発明ですか?)
元々、大御所の名称は摂政関白或は親王の隠居後を指した物だ。
別に先の将軍や大殿でもよかったのだが、あえて父上がそう称された。
それ以後、徳川家では将軍位を退いた後も実権を握って政務を見る事を
そう言い慣わす様になった。
尤も、家斉は単に安穏な老後を愉しみたいと言う怠惰な理由に過ぎぬ
だろうがな。
間違っても父上や余と、家斉の如き馬鹿を同じ大御所と見ぬ様に固く
言いつけておく。
840徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/11 06:30
>836 (心から愛した女性はいますか?)
一人もおらぬ。正室の江与が家光を始めとした多くの子女を産んだので
それで事足りた。別に女色に耽溺する方でも無かった余には父上の様な
真似はとても出来ぬし、稀に気が向いて女中に手をつけたくらいか。
女に溺れる余裕など余には無かったし、そもそも愛情と云う感情を
理解出来ていたかも余自身分らぬ。
当時の大名武家で真に妻か側室を肉欲ではなく心情的に愛していた者が
どれだけ居ったかも疑問だ。

>837 (当時の火縄銃による狙撃で成功例はあるのですか?)
今の狙撃専門の銃と大きく異なるので、射程距離に左右されよう。
戦場で数千丁の鉄砲を揃え、数に任せて放つならともかく単一では
甚だ命中率が悪い。
余の知る限りでは、関が原で鉄砲傷を受けた井伊直政だが、あれは
狙撃されたと言うには語弊があるかも知れぬ。
どちらにしろ非効率的な手段であった事は確かだ。

後、狙撃とは異なるが本丸や天守閣から銃を乱射して喜悦に浸った
たわけた大名が幾人か居た事を憶えておる。
無論、幕府の介入を受けて隠居謹慎もしくは改易の良い口実になったがな。
何とかに刃物と申すが、馬鹿に鉄砲でも同じ意味か。
銃身が長い火縄銃でさえそんなに命中率が高くないなら、
短筒相手だったら刀でも勝てますかね?
マブダチはいましたか?
>835 (「大御所」って、家康の発明ですか?)
秀忠の申す通りじゃ。
朕ら天皇は譲位すれば上皇となる出家すれば法皇となる。
家康の後は摂家ら公家も遠慮して大御所と称するのを辞めた。
単に御隠居か大殿で済ましたが武士とは異なり、引退すれば大半が花鳥風月や詩歌に親しむ悠々自適な老後を送っていた。
ちなみに朕の弟である信尋は若干二十六で隠居の身となったが楽隠居生活をさぞ楽しんだ事であろう。

>836 (心から愛した女性はいますか?)
中宮である和子を始め、若き頃に馴染み親しんだ女子は本心から愛したつもりである。
単に一夜の伽か慰めで愛した事は決してない。
幕府や諸々の問題で悩み勝ちであった朕を慰めてくれたのは他ならぬ女子であったから尚の事じゃ。
只、流石に五十、六十を過ぎた頃に寝所を共にした女子にはどうか。
老後までも女子に親しむと、愛情も枯れ果てても不思議では無いかも知れぬ。
>837 (当時の火縄銃による狙撃で成功例はあるのですか?)
>841 (短筒相手だったら刀でも勝てますかね?)
鉄砲の類を触る事も無かった朕には詳しくは分らぬが、弾込めに優に三十秒はかかる代物では個々人の手合わせでは一発外せば甚だ不利であろう。
また大方の武家屋敷は外からの狙撃を含めた攻撃に備えるのが普通と聞いておるし、やはり難しかろう。
砲術の達者でも無い限り無理と申して良いのではなかろうか。

>842 (マブダチはいましたか?)
真に信用出来た者は数多くいた。
弟である信尋を始めとした一族や、中院通村ら近臣もそう云えよう。
特に通村は朕の譲位問題で武家伝奏として幕府との交渉に直接当たり、幕府に断罪され五年も寛永寺に軟禁されながらも朕に尽くしてくれた忠義の臣であった。
歴代天皇の中には心許せる臣下がおられなかった帝も数多く居たそうだが、それに比べると朕は随分と恵まれておった。
天皇や尊貴の身分と言えども心許せる親しき者は不可欠じゃ。
明智光秀の謀反のような無茶苦茶な行為でも、家来なら黙って従うべきなのですか?
信長の南蛮鎧はファッションなのですか?
それともそっちの方が優れていたからなのですか?
847徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/12 06:54
>841 (短筒相手だったら刀でも勝てますかね?)
第一発をかわせば可能だ。正面から刀を振るってくる武者相手では
まず冷静に狙うなど余程の達者でもない限り無理であろうな。
戦国の世では鉄砲は集団においてのみ力を発揮し、個々人の戦で
役に立つのは更に後の話だ。
後はせいぜい鳥を撃つ狩りの際に使うくらいか。

>842 (マブダチはいましたか?)
帝同様の返答になるが、信用に値する家臣は少なからずいた。
土井利勝や酒井忠世。それに柳生宗矩がその代表であったが
思い返すと、余の頃もまあまあ人材に恵まれてはいたな。

だが余は家臣を友と思った事は無い。飽くまでも使える人材故
その能力のみを徳川幕府のために使っていたに過ぎぬ。
君と臣の間に友情云々など入り込む余地は無いし、在ってはならぬのだ。
従って一人も居なかったと申しておこう。
848徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/12 06:55
>845 (無茶苦茶な行為でも、家来なら黙って従うべきなのですか?)
「君、君たらずとも臣、臣たれ」を掲げる朱子学に基けばそうなる。
だが戦国の世を行きぬかれた父上の言を借りれば、臣は船を浮かべる
水の様な物にて、時に船である主君をひっくり返し沈める。
余の甥である松平忠直の家老が弁明の際にくどい程臣道を説いたが
結局、越前藩は改易となった。

将軍であった余の言らしくないかも知れぬが臣側にも選択の自由はあろう。
明智光秀の例は離反者が出ておらぬ事から、余程家臣に人望があったか
或は当時の京近辺の情勢で絶対的に明智優位と見た重臣から雑兵の総意が
働いていた事に相違あるまい。
要は、自分の乗っている船が安全ならばそれに従い、沈みかけたら自らの
安全や利益を第一に考えよと言う事だ。沈没する船に義理立てする必要など
微塵も無いのだ。

>846 (信長の南蛮鎧はファッションなのですか?)
衣装道楽に近かろう。元来南蛮人専用の鎧は日本人の体型に合わぬ。
信長公もおそらく献上された物を御自分に合わせて直させたのだろう。
そうなると最早独自の物と言える。

実用度で申すと、戦達者の家臣の話によれば鉄砲玉を跳ね除ける強度を
持つ反面、普通の具足より重いため徒歩の者には不便だったそうだ。
父上も一応、南蛮具足を持っておられたが実際に着用されていた所は
余は見た事は無い。独特の体型であられた関係かも知れぬがな。
日本の戦って盾使いませんよね。。何故です?
山梨県をウロつくと、「信玄の隠し湯」「武田家終焉の地」等々、何かと言えば武田の名を
見かけますが、武田贔屓の甲斐は江戸時代の為政者はさぞ治め難かったのではありませんか?

行った事は無いのですが、加藤清正贔屓の熊本県なんて、もっと大変そうですね?
851徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/13 06:24
>849 (日本の戦って盾使いませんよね。。何故です?)
西洋に見られる様な個人で携帯する盾は確かに存在せぬ。
だが弓矢を防ぐ為の板敷は古くは鎌倉時代に在ったし、
余も大坂の陣で鉄砲に備えて鉄製の大盾や竹を束ねた仕寄りを用意はした。
しかし重さなどで移動や奇襲に不便と、不評な声が少なからず有った。
何せ一人では扱いかねる物なのでな。

>850 (武田贔屓の甲斐は江戸時代の為政者はさぞ治め難かった)
四百年近く武田家の領地であったから当然だ。
大名領主と地元民が長く癒着すると後任の者は極めてやりにくい。
常に前の領主と比較され、善政を施しても余所者扱いされるのでは
どの大名も大幅に禄高が増えても喜ぶまい。

とは言え父上や余の大名鉢植えもそれを踏まえた上で行ったのだ。
土豪や前領主の旧臣と軋轢を生じさせ、あわよくば一揆を起こさせ
それを口実に改易が常套手段であったからな。
加藤家改易後に肥後に国替えとなった細川も並大抵の苦労ではなかった筈だ。
甲斐は江戸との関係上、徳川親藩かそれに次ぐ大名にしか任せなかった故
特に問題無く治められたが、山々に囲まれ土地も貧しく信玄入道時代の金山も
既に廃れていた甲斐を好んで欲した大名も居なかったな。
所詮、兜割りのような剣技は、戦の役には立たないので無価値でしょうか?
後世の評判を気にした事がありますか?
一日空け面目無い。

>845 (無茶苦茶な行為でも、家来なら黙って従うべきなのですか?)
その様な事はあるまい。家来とて理不尽な命令を拒否する自由はあろう。
仮に主君に妻を寝取られたり、酒宴の席で下戸にも関わらず無理に勧められれば不満を持とう。
さすれば最悪の場合、下克上が起きよう。
天皇家でも陽成天皇の如く粗暴な振舞いが目立ち退位させられる事もあり、主君と臣下の関係とは決して盲従のみではあるまい。
君が臣を塵芥の如く見れば、臣も君を仇敵の如く見る。古今この結果もたらした災厄は余りに多かろう。

>846 (信長の南蛮鎧はファッションなのですか?)
当時でも極めて南蛮の物への興味関心が深い織田右府のこと故、そうと見て差支えなかろうな。
他の家臣一同が普通の鎧姿の中で主君である自分が異装なれば際立つと言う物じゃ。
それが傾奇者として名高かった者の自負かも知れぬ。

>849 (日本の戦って盾使いませんよね。。何故です?)
秀忠の申す通りであろう。
だが朕らから見れば己の命すら塵芥の如く扱う武士は、いくさ場ではさながら生きる死人である。
既に死を覚悟した武士は自らを守ろうとは考えぬ故、日本では盾やその類が無かったと言えまいか。
西洋と死生観の違いが大きく影響しておるのだろう。
>850 (江戸時代の為政者はさぞ治め難かったのではありませんか?)
今現代の地方でも、知事を長く勤めた者の後釜はやりにくいと申すが、それと同じであろう。
しかも土着の武士果ては民までも、昨日まで馴染み深かった領主や大名の変わりに、どこの馬の骨か知れぬ新参者が治めるとなれば不満を抱かぬ方が不思議じゃ。
まして甲斐国は古くは平安の御世より甲斐源氏である武田氏の領地故、その傾向は一層強かった事は容易に想像できような。
朕の知る限りでは、徳川忠長や義直。或は綱重と徳川一門が独占していた。
肥後熊本でも未だに清正公の恩徳が古話として伝わっている様なので、余程善政を施して名を広めたのであろうな。

>852 (兜割りのような剣技は、戦の役には立たないので無価値でしょうか?)
よく存ぜぬが、朕の聴く限り名高い剣術家でいくさで名を上げた者は上泉伊勢守信綱くらいしかおらぬ。
精妙な剣術は大勢で戦ういくさでは不向きなのかも知れぬ。
それに鎧兜は剣を通さぬと聴いておるし、どこまで本当かも知り様が無い。
何より刀がそれに耐えられぬと思うが。

>853 (後世の評判を気にした事がありますか?)
常に先例を重く見る朕ら天皇朝廷では、当然後世に残る己の名を念頭に置き動いていた。
誰しも美名を求める以上、至極普通の事だが稀に己が兄弟をも殺められた雄略天皇の様に現世中心の天皇も居られた事も確かである。
朕も若き頃の幕府に歯向かい続けた時は、只目前の事のみに目を向けざるを得なかったが流石に老境に入ると自分の所業が後々どう評価されるかが気になった物じゃ。
>だが朕らから見れば己の命すら塵芥の如く扱う武士は、いくさ場ではさながら生きる死人である。
>既に死を覚悟した武士は自らを守ろうとは考えぬ故、日本では盾やその類が無かったと言えまいか。
>西洋と死生観の違いが大きく影響しておるのだろう。

おお、何とも昔の日本人の死生観に裏付けられた説得力のある答えですね。

でも、別に陛下の答えにケチつけるわけじゃないんですが、ホントに
侍、武士はこれくらいの考えが普通だったんですかね?

「三度の飯より戦好き。」とか「死ぬなら戦場で死にたい。」
とかどうも嘘くさいというか、一部を強調してるというかそんな気がして・・・。
857徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/14 07:15
>852 (所詮、兜割りのような剣技は、戦の役には立たないので)
そもそも戦では剣や刀より槍が使われていた。
間合いや頑丈さでは槍が大きく勝り、その上斬撃より刺突の方が
確実に相手を討ち取れるのだ。
それに兜割りの如き目立つ剣技を使えば、雑兵の良い標的になりかねぬ。
幾ら剣豪とは言え集団相手には勝てぬ以上、活躍の場もあるまい。
宮本武蔵が戦場で名を上げられなかったのも、これに他ならぬのだ。

>853 (後世の評判を気にした事がありますか?)
評判云々より後々への禍根が常に余の頭に在った。
如何に徳川の世を続かせるかに費やし、数多くの大名を廃絶したが
今以上に取り潰すべきと自問自答した事も少なくない。
家臣や一族郎党を抱える大名を取り潰す以上、悪名など常について回ったが
その様な些細な事、全くと言って良い程、余の脳裏に存在せぬ。

極端な話、生前もしくは後々に如何に悪評を得ようと構わぬ。
大事なのは余、或は徳川幕府あり、その前では評価など聞き流すのみだ。
例え憎まれようが生き延びねばならぬ。
858徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/14 07:16
>856 (侍、武士はこれくらいの考えが普通だったんですかね?)
流石は江戸期を通じて最も気骨ある天皇と呼ばれた帝よ。
ほぼ的確に武士の心情を言い当てておる。

徴用された雑兵足軽や、金目当ての流れ者の兵はともかく大半の武士は
一度、戦場に出れば己の命を度外視するのが普通であった。
これは只、命を粗末にすると言う意味より下手に自分の命に未練を感じて
戦場に向かえば、逆に遅れを取り早死にする面だ。

しかも武家では幼少の頃より御家第一と教え込まれ、先祖や他の者の
武勲話を常に吹き込まれるので、それに疑問を挟む者が皆無に近い。
戦国の下克上でも成功した者も事成らず生き延びるよりは死ぬ事を
望んでいた様なのでな。

>「三度の飯より戦好き。」とか「死ぬなら戦場で死にたい。」
その言も何度も耳にした。戦が無ければ立身出世もかなわず病で長患い
した挙句死ぬよりは華々しく戦場で果てたいとよく譜代の旗本や古参の者が
漏らしていたが。
柳生一族は嫌われていましたか?
もはやNHKの大河ドラマの軟派路線は止まらないようですので
若い女性タレントを主人公にした話が登場するのも時間の問題でしょう。

そこで救済策(またかい)として、何か女主人公の活躍する良い題材はありませんか?
信長と秀吉はどちらが怖かったですか?
幸福とは如何なるものとお考えですか?
863徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/16 02:08
>859 (柳生一族は嫌われていましたか?)
余の知る限りでは宗矩は御世辞にも評判は良くなかった。
徳川に仕えた時は表向き兵法家としてだったが、側近或は大目付として
余の大名監察の片棒を担いでからは、間違い無く大名旗本に到るまで
憚られ、時に嫌悪の上を抱かれた事も在った筈だ。
だが汚れ仕事を引き受ける役人は所詮嫌われる。
ある意味開き直る事も必要だ。

尚、柳生家が政に携わったのは宗矩のみで尾張柳生家は純粋な物だった。
宗矩にのみ諸国放浪で養った眼力が身に付いていた様だ。

>860 (何か女主人公の活躍する良い題材はありませんか?)
それはどうかな。大河で女を主役に抜擢して失敗した例には事欠かぬ。
お福の春日局がその最たる物にて、二の轍を踏む真似までは済まい。

まあ余が幾つか案を出すが、源平の戦いを女の視点で見た話として
北条政子主軸の政治話か、木曾義仲の側室であった巴御前が主役の
戦闘活劇が在るが、参考資料が豊富な前者はまだしも後者だと大半を
架空の設定もしくは脚本に頼らざるを得まい。
只、男に頼るのみの女では飽きられよう。
864徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/16 02:09
>861 (信長と秀吉はどちらが怖かったですか?)
秀吉公だな。信長公は迂遠な手を使われぬのでまだ良い。
だが秀吉公は妹君の徳川家婚姻や関東移封と手段を選ばれず徳川家を圧迫
されてきた。もし父上が対処法を一時でも誤れれば危うかっただろう。
やはり代々大名に産まれた織田信長公と異なり、独力でのし上がられた
秀吉公の方がある意味恐ろしい物がある。

>862 (幸福とは如何なるものとお考えですか?)
知らぬ。幸福云々を述べる程、余は人倫道徳に詳しくない上興味が無い。
それに身分境遇が異なれば、自然に何を幸いと見るかなど変わる。
日々の食すら見通しが暗かった小作人では茶碗一杯の米で幸福と見よう。
日常で何か不自由が感じられようと、それを常と思えば不足も無い。
例え衣食住に恵まれようとも、傍目から見ては分らぬ苦労もある。
千姫って、架空の逸話しか無いのですか?
そうだとすると、意外に地味な女性だったのかも…。
吾が舞えば 麗し女 酔いにけり
吾が舞えば 照る月 響むなり
結婚に 神降りて
夜は明け 鵺鳥鳴く 遠神恵賜
867地球人:04/03/16 18:14
これは真実のレポートだ。日本人は世界最大の悪霊民族。ここで言う
悪霊とは幽霊ではない。人間の皮を被った化け物、悪霊のことだ。そ
れはまさしく人でなし。そもそも人間の姿をしているからと全部人間
と考えること自体大きな間違いだ。何でも本物と贋物がある。人間も
例外ではない。贋物人間の悪霊女、悪霊男が今の日本には至る所にウ
ジャウジャいる。そいつらの正体は悪意と邪悪な欲望の固まり。従っ
て悪霊の言動は悪意と邪悪なものしか出てこない。その顔は下品で汚
い悪霊面。ブスだ美人だなんて小学生レベル。上品な顔か下品な顔か
が問題だ。外国人と比べればスグ解かる。悪霊の脳ミソでは上品、下
品が理解出来ない。だからその言動、顔つきも下品で悪霊面になり、
悪霊語しか言えない。食い方、笑い方も汚く下品。悪霊とは一種のキ
チガイ。女が「失礼ね」「他様(ひとさま)」という日本語を使わな
くなった頃から悪霊が増殖し始めた。悪霊を産み育てたのはすべて日
本人の女だから。「失礼」とは本物の人間として始めて理解出来るも
の。「他様」とは他人との距離を保つ日本語だ。衣食足りて礼節を知
らぬ悪霊ども。だから日本人にとって、最大の敵は悪霊日本人。のさ
ばる悪霊、死ぬ迄甘い汁を吸いつづける悪霊。悪霊は死ぬ迄自身が本
物の人間じゃないことを理解出来ない。そのまま墓に入る。
また怠慢のそしりを免れぬ。暫時緩やかな時と言うのも無理じゃな。
済まぬがここしばらくこの様な流れになるが堪忍して欲しい。

>856 (侍、武士はこれくらいの考えが普通だったんですかね?)
秀忠が申す様に幼少から重ねられた訓育の影響が大きいと見る。
女官の子守唄代わりに武功話を聞かされれば自然とそうなろう。
だが中には死を恐れ、いくさを拒む武士も存在した事は確かであろうが、軟弱のそしりを免れるために隠し続けたか或はその声は埋没したかのいずれかじゃな。
古来、日本人は死を恐れぬ民族と言われたが全てが全てそうでは無い筈じゃ。
只「恥」を極度に意識した結果自害や己を空無と見て行動した積み重ねと朕は考えておる。

>859 (柳生一族は嫌われていましたか?)
石舟斎の頃は剣名のみで知られていた一介の大和国の土豪であった柳生だが、秀忠が重用した但馬守宗矩の些か黒い噂と伝聞のせいか今に到るまで好んでそうした役柄を与えられておる。
どれ程の話が真実かは存ぜぬが、沢庵に諭された様に賄賂や贔屓の類は確からしい。
元々一介の剣術士が何故か幕府の中枢に参画した事がそもそもの発端に間違い無かろう。
但馬守を幕吏か指南役として見るかで大きく見解も異なる。

>860 (もはやNHKの大河ドラマの軟派路線)
朕も本音を申すと些か諦め気味じゃ。
一度流れ出した水は止まらぬのかの。
代案については朕からは紫式部が思いつくが、彼の者の話で一年間持つかと云う疑問があるので却下じゃ。
何より平安貴族の話が活劇を求める大河視聴者に受けるとは言い難い。
いくさを主とするなら秀忠の言う巴御前だが、あれは平家物語上のみの架空の人物。
史実に重点を置けば消去法で御市の方とその三人の娘姉妹の話が妥当になろう。
>861 (信長と秀吉はどちらが怖かったですか?)
朕ら朝廷にとっては両方とも庇護者であると同時に圧迫者でもあった。
織田右府も多大な貢献をした代償として、正親町天皇に譲位や改元を求めたりとしておる。
秀吉も勤皇と申したが結局の所、単に己がために朝廷を利用したに過ぎぬ。
利用される方が悪いと返されればそれまでじゃが。
どちらかと問われると、比叡山すら躊躇無く焼き打ちした織田右府と返答しておく。

>862 (幸福とは如何なるものとお考えですか?)
善き朋友に恵まれる事を第一に挙げる。人は尊貴卑賤に関わらず一人では生きて行けぬ。
例え昨日まで見知らぬ間柄でも、何かの縁で互いに助け合う仲にもなろう。
朕とて一人では幕府への反抗は愚か、日々を生きる事さえままならなかった事であろう。
臣と君にも、そうした関係があった事を知って欲しい。

>865 (千姫って、架空の逸話しか無いのですか?)
朕の義姉に当る有名な千姫であるが大半の逸話は架空の物と見ておる。
朕の知る限りでは二度目の夫に死別した後は江戸にて隠遁生活を続けた事と縁切り寺に援助をしたくらいじゃ。
悲劇的な前半生に同情した後の世で付け加えられた話が半ば現実味を帯びて伝わった様だが本人は不本意な事と思う。
そう云えば朕は一度も顔を拝した事も無い。和子も余り知らぬ姉か話題に出す事も無かった。
>866 (吾が舞えば 麗し女 酔いにけり)
大和言葉を用いた物の様だが誰の書いた詩歌かは朕も不学にして存ぜぬ。
さぞ名のある文人が書いた物と見るが。
結婚に 神降りての結婚を一夜の伽と見れば男女の逢瀬を謳った物を解釈できるが題材は伊勢物語かの。
機会を見て再度読み直してみるとする。

>867 (地球人)
何を返さば良いのか朕には分らぬ。
只、そこまで信じきった以上他からの助言も意味を為さぬと見る。
さぞ過去に不幸な経過が在ってそうした個人的思想が根付いたのか。
衣食足りて礼節を知らぬと管子の言葉を引用している所を見ると、ある程度の漢学の素養を持っていると見るが。
陛下。>866の詠み人は押井守。
アニメ攻殻機動隊の挿入歌です。
草薙素子との融合を望む人工生命体「人形使い」の恋歌です。
イントロ当てクイズみたいになっても困るような…。
梅も咲き桜もまもなくのこの時期
ひさしぶりに短歌を詠んでいただけませんか。

>871 (アニメ攻殻機動隊の挿入歌です。)
そうであったか。随分珍しい歌詞と感心していたが大和言葉を用いた現代歌とは。
是非音付きで聴きたいので今度見てみると致そう。
伊勢物語とは無関係の様だが雅な趣に変わり無い。

>872 (イントロ当てクイズみたいになっても困るような…。)
朕は別に構わぬし、むしろ知らぬ分野に足を踏み入れる良い機会と思っている。
善き歌を新たに知る事は悪い事ではあるまい。
それに一部を抜粋して調べると、更に拡がる未知の物に何か感じるのも新鮮じゃ。
只、卑語を羅列したのみの読むに堪えぬ物は流石に朕も眉をしかめざるを得ぬが。

>873 (ひさしぶりに短歌を詠んでいただけませんか。)
そういえば暦では春であるな。地方にもよろうが花の息吹も感じられよう。

花すらも 垣間見えるは春の陽を 共に受けつつ 道行く君と
木々の声 ただ芽吹きつつ梅の花 枝を掴まん 慰めとして
陽光の下で自然観察に勤しみながら、白い歯を見せて微笑する虫愛ずる姫君も
昔だったらホラーだった訳ですか?
876徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/18 05:54
>865 (千姫って、架空の逸話しか無いのですか?)
善くも悪くも余にはごく普通の娘だ。
逸話の類は全て虚言と断言しておくが、あれを嫁がせた余と父上を
非難する意味でその様な話が伝わったのだろう。
千の事は政略結婚が当然であった戦国なら落城と共に死んだ姫も
大勢いただろうが、あれを持ち出すのは決まって豊臣贔屓だ。
最初の子であった千を断腸の思いで大坂にやった余と父上の立場を
考えて物を言えと申したい。

今思うと秀吉公の遺言の一文故縛られたが反故にしてもよかったかも知れぬ。
老耄の末に迷惑な事よ。

>866
>871
確かに調べさせてみるとそうらしい。
しかし余も帝も全知全能では無い。知らぬ事も山程あるしむしろその方が多い。
見た目優雅な雰囲気をかもし出す歌詞だが、それと同様作品も長く残る物に
なるに越した事あるまい。
単に女色のみに頼る物なれば一年も経過せずに忘れられような。
877徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/18 05:56
>872 (イントロ当てクイズみたいになっても困るような…。)
別に困りはせぬ。何も書き込まれないよりましだ。
面白き歌詞なら感想批評の一言を下すし、知らなければそれなりの対応をする。
その者も感銘を受けた程の詞を知って欲しいがために教えたのだろう。
質問等も歓迎だが、たまにはこの様な物も目新しくて良い。
何より此処は日本に関する物なら何でも受け付けておる。
その用意が無くば余も此処には来てはいまい。

>873 (ひさしぶりに短歌を詠んでいただけませんか。)
矢を止めん いくさばに咲く花一輪 愛でよ眺めよ ひとときの悦
刀折れ 兜に落つる桜花 永久(とわ)に眠らん 木々伴として
夜桜に 訴えかけん武士(もののふ)の 僅かの間すら 咲き誇らんとす

春と戦にちなんで詠んだが、やはり質では帝に及ばぬ。

>875 (微笑する虫愛ずる姫君も昔だったらホラーだった訳ですか?)
傍目から見ると不気味だな。姫は大抵城内の奥深くにて侍女達と遊び育つ物。
まして娘を寵愛する父親なら尚の事城外には出さぬ。

だが後々人質にもなる事も充分在った戦国では下手に子に愛着を持つのは
危険かも知れぬ。父上も御自身の経験を踏まえられて余を含めた子を半ば
放置気味に育てられたと考えておる。
それに別の方向で考えると人質に送られた後、敵方に磔か斬首で殺される
よりは早い内に消えるのも悪くは無い。家に損失を与えるよりましだ。
>865の千の事と繋がるが、余も父上も徳川の天下の前には千の命も
度外視していた事は否定せぬ。
昔の偉い人は夏に富士山麓辺りから持ってきた氷を食して悦に入ったりしてたんですか?
幕末まで江戸城に天守閣が残っていれば、幕府軍は無血開城せずに篭城しましたか?
880徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/19 05:51
>878 (昔の偉い人は夏に富士山麓辺りから持ってきた氷を食して)
似た様な事は父上も行われた。
関が原の折に毛利側を抑えて東軍に貢献した吉川広家が病に臥せった時
有馬温泉の湯を湯治用に贈った事がある。
富士山の氷云々だと単なる自己満足に過ぎぬがこれなら有効な外交手段
になろう。相手も恐縮して受け取る。

昔に限らず権力財力を得ると傍目から見れば無駄としか思えぬ事も平然と
行うのが洋の東西を問わぬ法則の様だ。
おそらく父上の様に質素を尊ばれる方が聞かれれば暑いのなら川にでも
入れと吐き捨てられるだろう。

>879 (幕末まで江戸城に天守閣が残っていれば、幕府軍は無血開城せずに篭城)
天守閣が在ろうが無かろうが最早幕府に戦力も戦意も無く、将軍の慶喜が
一戦も交えずに大坂から撤退する有様ではその可能性は皆無に近い。
仮に篭城して長期戦に持ち込んでも、援軍の当ても無く下手をすれば
諸外国に交易に不都合と見放されれば己が首を締めるに等しい。

結局、冷徹に物事を見た勝海舟の判断が幸いしたが慶喜の恭順の意も
何処まで本音か知れた物でも無い。
切腹の代りにリストカットする人は居ましたか?
幕末の志士・清川八郎は、漏れの地元では数少ない
あの時代の有名人なんで。もっと長生きして活躍してほしかったヨ。
>>882
われらが肥後の宮部鼎蔵は池田屋で新撰組に、
横井小楠は不平士族にやられましたよ…
僕の町の英雄は井伊直弼ですよ。
>875 (陽光の下で自然観察に勤しみながら)
奇妙と云うより見ぬ光景じゃ。
宮中に入る姫が虫に戯れている所を見た事は無い。と言うより虫は大抵嫌悪されていた。
市井の娘ならありふれた光景であろうが、やはり朕の周辺に居た公家の姫には馴染みが無いの。
稀に庭を歩く者も、蝶を見れば微笑むのを目にするが流石に他となると金切り声を上げた。

>878 (昔の偉い人は夏に富士山麓辺りから持ってきた氷を食して悦に)
荘園を広大に有していた藤原氏の頃ならそれに劣らぬ話を幾度も耳にした。
特に上級公家は滅多に京の都を出る事も無いので、地方の景色を自邸の庭に造営する事が流行したのじゃ。
居ながらにして各地の風物を愛でると申せば風雅じゃが、他の者から見れば浪費に過ぎぬと評されても致し方あるまいな。

>879 (幕末まで江戸城に天守閣が残っていれば)
それは判らぬが、それ以上いくさを長引かせるは日本及び徳川に不都合と判断した十五代慶喜にとっては江戸城に天守閣があろうが、降伏を選んだと見る。
天守閣が堅固な物と見られたのも戦国江戸初期で、それを有していた大名も居住の場としか思ったいなかったであろう。
篭城し続け、江戸に戦火が及ぶのを何より恐れたのは他ならぬ幕府であろう。
国家百年の大計に基いて見れば実に賢明な判断と言えよう。
>881 (切腹の代りにリストカットする人は居ましたか?)
朕の聞く所では無いの。武士は切腹が常道だそうだがその妻子などの女子は咽喉を突いて果てる事が多かったと云う。
稀に気鬱の病に陥って自らを傷つける事を望む者ならあり得ようが。
針仕事をする侍女が針で指を傷つける所なら見た事はあるが、手首となると皆無じゃ。
御所内で血を流す事は不敬とされてきたので尚更だったのであろう。

>882 (幕末の志士・清川八郎は、漏れの地元では数少ない)
>883 (われらが肥後の宮部鼎蔵は池田屋で新撰組に、横井小楠は〜)
>884 (僕の町の英雄は井伊直弼ですよ。)
幕末は数多くの志士を出し、名を上げて明治の元勲になる者も居れば、志半ばに果てた無念な者も多かろう。
古人を偲び、範とする事は善き事じゃ。
都が鮮血に染まったと評される幕末の京には、こうした思いが山積していると考えると改めてそれを無駄にしてはならぬと感じる次第である。
もし京に立ち寄り、史跡を訪ねる機会あれば香華を手向けるのも良いであろう。
887徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/20 07:45
>881 (切腹の代りにリストカットする人は居ましたか?)
知らぬ。第一切腹で速やかに自決して虜囚の恥を逃れるのが目的なのを
極めて時のかかる手首では意味が無い。

まあ、鬱云々で自傷に走るのは珍しくないが手首ならまだ良い。
真に己を殺す事を欲すれば包丁か何かで即死になる手段になろう。
残りの余生を発狂と己への恐怖に苛まれながら生きるよりは
むしろ、その方が本人には望ましいのだろう。

>882-883 (地元出身の志士)
名前が伝わっているだけましだろう。
無名のままで志と共に闇に埋もれた無数の志士やその郎党に比べれば
まだそうして今の者に慕われるだけ良い。
まあ幕末は尊皇攘夷や公武合体と分かれ、己が信じる物を第一として
戦いそして果てた者の歴史だが、これを皆犬死とは流石に余も言えぬな。

その動乱を勝ち抜き藩閥の頭にもなった者には踏み台か利用しただけの
過去の遺物としか思っていなかった事よ。
例え崇高な志を持とうと死に様が闇に葬られればそれを受け継ぐ者も
稀となる。空しき事だ。
888徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/20 07:46
>884 (僕の町の英雄は井伊直弼ですよ)
すると彦根か。井伊家の部屋住みながら当主そして大老まで上り詰めるとは
直弼自身、予想もしておらなんだろう。
長州や水戸にとっては憎むべき仇敵になろうが、郷土の英雄は誰しも悪くは
言うまい。

只、余から言えば直弼の幕府独断での条約締結はあれが当然だ。
感情論のみで反対していた孝明天皇が勅許など下す筈も無い事は容易に想像
出来る物を、それを理解せずに尊皇に目がくらんだ者の言など論外だ。
非難されるのはその条約の内容だろうが、あの時の幕府にあれ以上を望めと
申すのは酷評に他なるまい。
889ふたなり ◆WDS5aLuYS6 :04/03/20 07:52
http://human.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1077999424/l50

寂れてしまったので遊びに来てください。
いじりがいのある人がいて面白いですよ。
では便乗して、我が故郷の英雄、「楠公さん」こと楠木正成はどう思われますか?
891884:04/03/20 11:18
彦根城は期待して観光するとあまりにも小さくてちょっぴりがっかりしますよ!
でも城の復元図を見ると実に広大。しかも幾つもの堀が琵琶湖とつながっており、
まるで水上に浮かぶ城のよう。むちゃくちゃ美しい。荘厳。ベネチアみたいです。
明治政府が天守閣以外の殆どを取り壊し埋め立てなどしなければ・・・と悔やまれます。
個人的に英雄だと思ってる人いますか。
。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン  。
いかりや長介さんがああああああ!!!!!
894徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/21 06:20
>890 (楠木正成はどう思われますか?)
まず篭城戦に極めて長けていた事は疑問の余地は無い。
後の戦国ではその戦術は模範とされ、かの真田も模倣して上田城を守った。
従来の鎌倉武士には思いつかぬ奇抜な発想は評価に値しよう。
それに大局を見る目も侮れぬな。仮に後醍醐天皇が正成の献策を用いて
足利尊氏公と対しておればその後の経過も変わっていような。

だが在野の武士である悪党出身ながら悉く退けられながらも最後まで
天皇に忠節をつくした事が余には解せぬ。湊川に赴く際に本拠地の河内に
帰り、情勢を見守るか或は天皇に自重を求めるなどの方法があった筈だ。
それをむざむざあの様な討死は実に惜しい事よ。
土地所領を得る事を第一とする武士、しかも悪党らしからぬ最後だ。
忠義を全うと申すが、南北朝から戦国の武士は家を保つ事こそ最たる物と
していただけに残念としか言いようがあるまい。
895徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/21 06:21
>891 (彦根城)
廃藩置県の際に、全国の城の多くが破却される中、彦根城は幸いにして
残るに到ったが、西国の外様への備えの第一として井伊家が心血を注いだ。
景観も琵琶湖を利用して、かくの如き壮麗と称されるのも頷けよう。
だが薩長を始めとする明治政府には忌わしい徳川譜代の権化としか写らぬ
のであろう。今後とも末永い保存と観光利用を望む次第である。

>892 (個人的に英雄だと思ってる人いますか。)
飽くまでも「個人的」にか。なら徳川家臣の一人であった鳥居元忠だな。
関が原の際に、伏見城に残り西軍と戦った武将だが捨て石同然の役割を
自ら進んで引き受けた。
徳川方の伏見城を三成側に攻めさせ、開戦の口実とは言え死を覚悟した
態度には、父上も涙を流されたそうだ。
人質以来五十年の付き合いなれば自然に親近感もあろうが、徳川家の
恩人であり、余も素直に感謝するのみである。

>893 (いかりや長介さんがああああああ!!!!!)
余も寸刻前に知ったが、また一人古き善き昔を代表する人物が没し
彼の者の出演番組に親しんだ者にとっては慙愧に堪えぬ限りだ。
低俗云々と、言われ無き非難に付き纏われながら最後まで芸風を貫き
多大な貢献をした事は疑問の余地は無い。
余も謹んで弔意を表すと共に冥福を祈る次第である。
古希を越えて尚、活動を続け日本人には知らぬ者とて無い存在であったが
彼の者に代わる者は当分現れまいな。
上杉謙信や武田信玄でも、関ヶ原や大坂の陣のように総大将の指揮下で戦わさせられるのなら
実力を上手く発揮できないのではありませんか?
897徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/22 07:27
>896 (上杉謙信や武田信玄でも、関ヶ原や大坂の陣のように)
まず、この二人は自身が総大将として戦い続けたのでそう思えるのだろう。
確かにこれらの傑物を動かせる将など見当たらぬと申してよい。
第一、服属させる事など父上ですら想像外だった事は容易に推測出来る。

大坂の陣でも扱いにくそうな大名は少なからず居たが父上は江戸留守居役に
任じ嫡子を出陣の名目で人質とし、譜代を目付として付属させたりと色々
手を尽くされたがその手法が妥当かも知れぬ。
戦功者として名高い者の動向一つで全軍に悪影響を及ぼさぬとも限らぬので
尚更だな。実力発揮云々以前に扱いかねる。
政宗でさえ味方の神保勢を真田隊との戦いの際に邪魔と申して全滅しても
不問に付すしかなかった。
家康の「信康が生きていればなー」って言う嘆きは、秀忠さん達を発奮させる為に言っている
可能性はありませんか?

別に信康ってスゴイ人物でもなさそうなのですが・・・。
五大老・五奉行制って、豊臣政権で天下を治めるのに良い方法だったのですか?
900徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/23 18:45
>898 (「信康が生きていればなー」って言う嘆きは)
只、単に長男故記憶に深く残られていただけかも知れぬ。
それに信康兄上が格段優れていたと言う逸話も余自身余り耳にはせぬな。
逆に粗暴な話なら数多く聞いておる。例えば鷹狩りの帰り道に僧を殺したり
妻の侍女を一時の怒りで刺し殺すなどだ。

そなたの申す嘆きは余が関が原の折に遅参した際に呟かれたそうだが
戦の経験を積んだ息子がおらぬと言う意味にも受け取れる。
総括して見ると兄上は太平の世には馴染めぬ御人柄だったかも知れぬ。
だとしたら早晩、父上と衝突は免れまいな。
兄ながら謎に包まれた御方よ。

>899 (五大老・五奉行制って、豊臣政権で天下を治めるのに良い方法)
譜代の家臣が居らぬ豊臣家では父上の様な有力大名を取り込み
かつ政権を安定させるために実施した様だが、余から言わせれば
危険極まる制度と言わざるを得まい。
潜在的な敵を常住坐臥、側に置きこちらの内情を知られると思うと
決して愉快でも無いし第一中央の弱体化に繋がりかねぬ。

五奉行の石田三成の如き子飼いの官僚ならともかく、大名となると
主君である豊臣家と同時に自らの家と家臣を守らねばなるまい。
その結果が関が原であったが、当の秀吉公もその危うさを存じては
おられただろうが、他に思いつかなかったのであろうな。
余が譜代の老職を老中として用いたのも反面教師としたと言えよう。
>890 (我が故郷の英雄、「楠公さん」こと楠木正成)
後醍醐天皇絡みの質問話題で何度か述べたが、やはり南朝随一の傑物なのは万人の認める所じゃ。
この者を得て後醍醐帝は王政を復古されたが、その献策を退けし頃に実質的に天下の権を失った。
それにも関わらず最後まで忠義を全うした事は朕も帝王君主の立場から見て感涙に絶えぬ。
南北朝を代表する者の一人として今でも高名なのも頷けよう。

>891 (彦根城は期待して観光するとあまりにも〜)
畿内でも指折りの名城として朕も聞き及んではいたが、それが未だに残っている事も驚きと同時に喜ばしいと思う。
例え築城当初の目的がどうであれ、今では貴重な文化財に変わり無い。
特にそちは地元故、深く思い入れもあろう。
これからもその愛郷の念を保ち続けるが良い。

>892 (個人的に英雄だと思ってる人いますか。)
秀忠は武家大名故、容易に名前が浮かぼうが朕ら朝廷となると言葉に詰まるのが本音じゃ。
公家には思い当たらぬし、まして藤原氏一門は明らかに英雄とは呼べぬ。
とは言え歴代天皇も英主と英雄は異なるので難しい。
今更ながら朝廷に人を得なかったと誹られても仕方が無いかも知れぬ。
目を他に向ければ幾らでも居るのが尚更恥ずかしき限りじゃ。
>893 (いかりや長介さんがああああああ!!!!!)
年来、芸能を知る者には真に痛嘆に耐えぬ事であるが、年若き者には名すら稀と云う者も少なくなかろう。
さる異国の有名楽隊の前座を務めた頃から存じておる朕には寂寞すら憶える。
>892の述べた英雄だが、時代や活躍する分野が異なれば、この者も英傑と呼ぶに値する者じゃ。
日本中に独特な滑稽を含んだ芸を広め、かつ己に厳しいと言う。
朕からもその長年の功労に改めて慰労と敬意を表す。

>896 (上杉謙信や武田信玄でも、関ヶ原や大坂の陣のように総大将の指揮下)
味方にすれば頼もしき限りと単純に言えぬ様じゃ。
第一、他人の下風に立つとは思えぬし指揮出来る者もおるまい。
上杉は関東管領にして武田は清和源氏の名門。しかも双方とも一時は天下に名を高めた武門の家柄じゃ。
下手に指揮下に組み込むより盟友として遇した方が都合が良いと思うがどうか。

>898 (別に信康ってスゴイ人物でもなさそうなのですが・・・。)
朕は詳しくは存ぜぬが、聞く限りでは粗暴な若武者だそうな。
天下人に相応しく人臣を見る目に長けていた家康が実の息子とは言えそう簡単に誉めそやすとも思えぬ。
そちの申す通り、秀忠らへの遠回しな訓育か励ましだったとも見える。
故人を誹る事は憚られるが、逆にやや過大に褒めるとこうした効果もあろう。
家康らしい事と思わなくも無い。

>899 (五大老・五奉行制って、豊臣政権で〜)
朕らの朝廷や秀忠の徳川家なら累代の家臣に事欠かぬ故、前に敵対した間柄の者を五大老と称して中に入れるのは流石に抵抗を感じる。
そうした意味では朕も秀忠の申し様に同意じゃ。
仮に家康が天下取りを謀らずとも、他の大老の誰かが同じ事をしたであろう。
秀吉には豊臣家が完全に安定するまでの過渡期的な制度と思っていたのかも知れぬが、その前に自分自身と共に家が衰えたか。
そうすると不適当な方法と断じざるを得ぬ。
理想を言うのなら、外様なんて一つも無い方が良いのでしょうか?
904以上、自作自演でした。:04/03/24 16:43
世間一般の常識、道徳と自分の中の正義が
相反した場合どうすれば良いでしょうか?
いつの時代も共通の悩みだと思いますが
ご存知の通りいまの時代革命などなかなか
できないシステムになっております。
905徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/24 19:03
>903 (理想を言うのなら、外様なんて一つも無い方が良いのでしょうか?)
平時では普請役くらいしか役に立たぬ外様を全て改易にすると言う
極論は確かに父上や余も一度は考えた。
だが、それを表沙汰にした時の全国の外様の反応を予想すると容易に
戦国の世に戻る混乱が生じる事が考えられたので、結局据え置きに
なったが、その代策が実際に行った一家ごとの大名改易であった。

家光の死で頓挫したが、あれが六十か七十まで生きておれば
目障りな伊達や島津などは改易に出来たかも知れぬ。
適当に難癖をつければ可能だったから尚更、悔やまれる話だが。

>904 (世間一般の常識、道徳と自分の中の正義が相反した場合)
余と帝の生きた江戸時代なら山野に隠れ住み、世に背を向けるのみの
存在となる事が考えられたが、今ではそうも行くまい。
己を殺して世間の中で生きるか、頑固に我を通し貫くしかあるまいな。
今の世に限らず、自分の正義云々を表に出す事は甚だ困難にてそれを
維持するのもまた然りだ。
世に無常を感じ出家か、世と一体となり個を捨てるかの二者択一が
平凡な者に残された道かも知れぬ。
革命を含めた変動を望み行うかも、その者の才腕によるであろうから
諦めるなと申したい。
切れ者って人気無いですね?
907ペリー:04/03/25 20:49
開国シテクダサイヨ〜〜
ヘルモンジャナイ
イイデショ〜〜〜
日本の家屋は夏のすごし易さを最優先して作られてるそうですが、
昔のつくりの家なんて冬が寒そうで寒そうで仕方ないように見えるのですが・・・・。
あれじゃ、朝起きたら凍死しますよ・・・。
ただでさえ、温暖化の影響の無い昔は気温が低目だって言うのに、
冬を中心に考えて作ったほうがいいように思うのですが。
でも夏はあの風通しのよさそうな家は確かに快適そうですよね。
そもそも火鉢って、ほんとに少しは寒さを和らげられるの?
石高で相手の兵力は判断できるのですか?
家康が天下を取った時、地元三河の百姓達に何かいい事あったのですか?
徳政令とか、年貢減免とか。
912徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/26 20:09
>906 (切れ者って人気無いですね?)
うむ。古今を通じてそう称される者は不人気なのが常だ。
例えば本多正信も、ここ最近まで父上の意を借りて天下の権を握った
悪人か奸臣とまで酷評されたが余に取っては煙たい事に変わり無いが
極めて有能かつ必要不可欠な家臣であった事は疑い様も無い事実である。
それらの者も、他人の悪評を覚悟で滅私奉公してきたのだから何を
言われようと馬耳東風で過ごしてきたのだろう。
逆に良評を得るのに恐々としている方が役に立たぬ場合が多い。

>907 (ペリー)
前にも来た覚えがあるが、まあ良いだろう。
今更、開国の是非を論じても意味も無い。
結果的に日本の恩人となった貴官に礼を申しておく。
913徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/26 20:10
>908 (昔のつくりの家なんて冬が寒そうで寒そうで仕方ないように見える)
寒暑を気にする余裕の無い身分の者が大半であったのだ。
今日明日の米にも事欠く百姓にとっては単に雨露を凌げればそれで
良いと思っていたし、武士も同様だ。
雪の甚だしい陸奥や越後などは知らぬが、屋敷で凍え死ぬ者など
聞いた事も無い。

夏は快適かどうかも特に思う所も無い。
将軍であった余は暑いからと申して薄着で過ごすなど論外であったし
暑いのが当然と思えば何も不足も無かったのだ。

>909 (そもそも火鉢って、ほんとに少しは寒さを和らげられるの?)
狭い一部屋なら時を置けば暖かくもなろうが屋敷や城全てとまでは行かぬ。
無いよりましと思えばそれで良い。
余らも寒さ激しければ羽織を重ね着すればそれで済んだ。
>908にも申したが、今と余らの頃とでは寒暑への辛抱強さは大きく
異なるので苦に思う事も皆無であった。
914徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/26 20:11
>910 (石高で相手の兵力は判断できるのですか?)
よく一万石で三百人と単純に割り出す者が多いが、それは単なる
基準の一つに過ぎぬ。
同じ万石でも例えば九州の肥後と薩摩とでは天地の差がある。
九州一の肥沃の地と呼ばれた肥後と、痩せた火山灰地が大半の薩摩では
兵を集め、兵糧武具を用意するのにも全ての面で異なろう。

それに仮に五十万石の太守とて、国内の土豪地侍をどの程度把握して
如何に効率よく兵を集められるかも異なるので信用に値する基準とは
余り申せぬのが本当の所だ。

>911 (天下を取った時、地元三河の百姓達に何かいい事)
無かったな。秀吉公の命により関東に国替えされた時を持って三河は
徳川家とは切り離されたのだ。
天下統一後では、父上は天下の主であり三河一国を特別扱いはしなかった。
只、信用の置ける譜代旗本にのみ領有が許される国ではあったが。
余には松平家累代の菩提寺である大樹寺に若干の保護を与えたくらいしか
記憶に無い。
山本五十六の言葉、「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」は
どう思いますか?
尾張徳川家と徳川宗春について一言。
我々千葉民族は今ここに大千葉主義に基づいて大千葉帝国の建国を宣言する。
1・人類最古の文明は千葉にあった
2・千葉民族は世界でもっとも優れている
3・剣道・柔道・空手・茶道など日本を代表する全ての文化の発祥は千葉
4・埼玉人は寄生虫だ。絶滅させろ
5・東京人・神奈川人は移住させて蝦夷地の開拓に当たらせる
6・茨城県民は千葉人のつぎに優秀である。茨城は一衣帯川の仲である
7・千葉純血主義政策を実施。千葉民族の子は千葉民族。
8・早急に千葉県警を軍隊化させる。
9・西方諸民族(大阪・京都人)は、朝鮮半島に追放
10・この帝国は千年王国となるであろう
いい加減、随分強気な事を言ってるここの武将どもに言いたい。
ぬっころすぞ。おまえらみたいなクズの先祖が多くの民衆、
大きな幕府に対してやった事を忘れるなって事だ。俺たちの先祖は
好き好んでこんな所に来た訳じゃない。多くの苦難を乗り越えて生
き抜いてきた俺たち民をいい加減馬鹿にすんな。
おれは
ねこ大好き
いい刀手に入れたら試し斬りしたくなりますよねぇ?
刀と言えば、徳川家は村正を妖刀と嫌ったって本当ですか?
日本刀って鎌倉時代から海外で人気有ったの?
923徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/28 12:56
>915 (山本五十六の言葉)
部下を上手く使う術を心得ている良い表現と感心はする。
だが余は最後の褒めるに些かの疑問をもっておる。
功績を上げた者を褒めるのは至極当然だが、それを無闇に乱発しては
その者は、それで満足と慢心する事も充分考えられる。
まして山本五十六の如く高官の一言なら重さが違う。
普段は頷く程度で抑えて、類稀な功を上げた時に褒め、
功に報いるのが望ましい。

>916 (尾張徳川家と徳川宗春について一言。)
余の二十一歳下の弟である義直を祖とする尾張徳川家は御三家の筆頭として
将軍継承権を得ておったが、義直と家光の間には相当な確執があった。
将軍の叔父としての対面に拘った義直と、御三家であれ将軍の臣下として
見ていた家光とでは止むを得ない物であったのだ。

その影響か幕府幕閣には尾張を忌避する習慣が根付き、それが七代家継
病没時での将軍位争いからの脱落に繋がったが宗春の幕府及び吉宗への
抵抗もそれに基いていよう。
尚、宗春についてだが大名特に御三家でありながら軽率な言が目立つ。
千金といえども軽き者一人の命には代え難しと云う言葉など身分制度の
頂点である大名の言にあるまじき物だ。
吉宗の緊縮財政政策に対抗して消費の活性化を掲げたのも、別に深い
展望があっての事では無く、ただ吉宗への反感と御三家故罰せられる
言う甘えた感情に過ぎぬと見ておる。
924徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/28 12:57
>917 (我々千葉民族は今ここに大千葉主義に基づいて)
愛郷心も結構だが、仮に独立しても所詮日本の組下に入らざるを得ぬ。
よく海の彼方のアフリカなどでも独立云々の声を聞くが、その結果は
前にもまして貧困と政治の土壌が無い故の腐敗や旧態依然の物が大半だ。
水一杯、容易に飲めぬ中でも民族の誇りを謳うのには感心するが
人間は誇りなどでは食えぬし生きていけぬ。
まだ恵みを乞いながら生きる者の方が可愛気がある。

>918-919 (動物が好き)
綱吉が聞いたら喜びそうな話だな。
犬猫などの動物は主人を裏切らぬと誰かが申した記憶があるが
それ故、好まれるのだろう。それはそれで構わぬ。

余談だが、軍中でもたまに家臣が暇の合間に犬を競わせて賭けの対象に
して遊ぶ光景を何度か目にした事がある。
特に長対陣の大坂の陣では良い娯楽だったそうだ。
925徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/28 12:58
>920 (いい刀手に入れたら試し斬りしたくなりますよねぇ?)
その通りだ。刀剣に五月蝿い武士なら尚の事。
父上も亡くなられる三日程前に重宝していた刀の試し斬りを命じられた
事があったが、これもその一つだろう。
中には新刀を手に入れた喜びの余り辻斬りに及ぶ者も居たが、それ程
武士にとって刀は魂を奪われるに値する物であったのだ。

>921 (徳川家は村正を妖刀と嫌ったって本当ですか?)
元々、三河武士の間で愛用されていた村正だが、余の曽祖父である清康公、
祖父の広忠公が村正で暗殺されておる。
父上も関が原の際に村正で指を故意に傷付けられた事もあり、それで
徳川に仇成す刀として徳川家や旗本は勿論、大名やその家臣に到るまで
持つ事を禁じた、と言うより暗黙の内に持たなくなったのだ。

戦で死と隣り合わせの武士はこの様な今から見れば迷信に過ぎぬ話も
真剣に受け止めたので、しまいには村正と言う言を吐く事も憚ったそうだ。
926徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/28 13:05
>922 (日本刀って鎌倉時代から海外で人気有ったの? )
余の知る限りでは平安の頃から、日本刀は宋でも珍重されていたと言う。
漢詩にも日本刀を題材とした物も少なからず在る。

足利尊氏公の後醍醐天皇の菩提を弔う寺を建造する目的の天竜寺船交易の
主要品目にも日本刀が含まれており重要は高かったそうだ。
今で言う武器輸出に近い。何でも日本の値の五倍前後で取引されていた
そうだから、余程好まれたのであろう。
927後水尾天皇:04/03/28 15:41
久しく日を空けて誠に面目無い。

実は朕の愛用していた電脳機が破損してしまい早急な修繕の見込みも立たぬ。
今は公衆電脳茶屋からなので識別も無い有様だが確かに朕である。
此処が完結するまでに修理が終わるのは甚だ暗き見通しなので、朕はこれを持って陵に戻り眠る事と致す。
朕が此処に居を定めて後も多くの名も無き者達に支えられて来た事には感激に堪えぬ。
改めて深く礼を申すと共に秀忠には此処を一任する。

では、さらばじゃ。皆も息災に。
うわー、もうすぐで完走や言うのに…。
帝!最後に是非辞世の句を!…と思ったら、もう亡くなられていた訳ですか。
では、お元気で…と言うのも変ですね。う〜ん。

それはともかく、私はこのスレで帝を知った者なので、ソロ活動されていた時の
帝を知らなかったのが少々残念であります。
本当にお疲れ様でした。
うわ〜〜〜〜〜!ここでも引退かよ〜〜〜〜〜!!

乙でした。
93191:04/03/28 23:42
帝さま・・・御引退ですか。さびしくなります。お人柄をお慕いしておりました。(落涙)
932モルゲンレーテ社:04/03/29 14:30
日本海にGATシリーズを配備したいので許可を申請したい次第でございます。
目的はDPRKを仮装敵国とした防衛構想に基づく安全保障です。
933徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/29 21:14
不慮の事態で帝が此処を離れるとはな。
昨年の十一月に合流してから五ヶ月近く良い関係であった。
此処は責任を持って余が終わらせる…と申しても後七十も無いが。
言うのも妙だが達者で眠るが良い。

>928-931 (惜別の声)
余も同感だ。生前は決して良き間柄でも無く、今でも殆ど言葉も
交わさなかったが良き相方であった事は断言出来る。
今ではせいぜい紫衣事件と禁中諸法度か立花で名前を聴く程度の
知名度しか無い後水尾天皇の意外な一面を垣間見れた事は余も
微笑ましく思わぬ事も無い。

いつぞや天海が、人間の真の評価は没した時どれ程の泣く者が
居るかだと申した事があったが頷ける話よ。
余も帝を惜しむと共に安らかな永眠を祈ろうぞ。
934徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/29 21:15
>932 (モルゲンレーテ社 )
軍需産業の売り込みか。余に異存は無いが察するに大型の機械歩兵形を
仮に早急に導入しても量産化や操縦・整備する者の育成に時間がかかろう。
今の日本の防衛関係者にそれ程長い目で見て判断する人材が居るとも
思えぬが、まあ接待や裏工作なりして行うといい。

それと極力裏方で行う事だ。表沙汰になれば野党が噛み付いてそなたらと
働きかける相手双方に不利益にしかならぬ。
まして軍事に極めて過敏な反応を示す者が多い今の日本では尚の事だ。
なあ>>1よ、刀ってゆーのは西洋で言う拳銃みたいなもんなんだとよ。
戦場で拳銃を主力に戦う香具師が居ないのと同様、刀も戦場では役に立たないんだと。
普段持ち歩いていざというとき身を守るというための道具なんだってさ。
どんなときに泣きますか
武士の屋敷ではぶどうの樹を植えるのは禁忌とされており、その理由は
「ぶどう成り下る」、即ち「武道成り下る」からだそうです。

…ちょっと、縁起を担ぎ過ぎではありませんか?
家光が諸侯に向かって大見得を切った「生まれながらの将軍」宣言はどう思いますか?
939徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/30 21:31
>935 (なあ>>1よ、刀ってゆーのは西洋で言う拳銃)
読み返せば分るであろう。一など当の昔に逃げ去っておる。
確かに脇差や短銃では戦の役には立つまいが、それを何故今更
一に向かって申すのか余には解せぬ話だ。

>936 (どんなときに泣きますか)
孝行息子を終生演じきった余に限って申せば、父上の苦労話を家臣に
語る際に父上の御苦難を偲ぶ意味で泣いた事がある。
まあ、これは嘘泣きになるが。

古来、男子は親の死に目以外は泣くなと教えられてきたが
父上と母上の臨終の際にも一滴の涙も流さなかった余では
何を申しても説得力があるまい。
せいぜい同情を買う時か女子を口説く時にでも泣くが良い。
相手の心に訴えて功を奏すか、或は女々しいと見放されるかのどちらかだ。
940徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/30 21:32
>937 (…ちょっと、縁起を担ぎ過ぎではありませんか?)
それがごく普通であった。戦の前に縁起物で勝ち栗や昆布を食したり
世継ぎを設けるために縁起の悪い名前の家臣に改名を命じる事も度々
あったのだ。
家斉が側衆に居った三九郎と申す者に産苦労に繋がるので改めさせたり
家綱以降、名前に偏のある将軍は子に恵まれぬと言う迷信が出来て
避けた様に、武家では確固とした物として扱われたのだ。

>938 (「生まれながらの将軍」宣言)
あれか。あれは家光の有名な言葉だがむしろ自分自身に言い聞かせる
意味合いであったと言えよう。
家光にとって敵同然であった忠長への勝利宣言でもあったが、就任当初は
全権は大御所である余が握っており、家光は父上在世時の余と同様
形式的な将軍の役割しか無かったのだ。

将軍位を譲った、と言うより与えた頃の家光は相も変わらず衆道男色にふけり
正室すら居らぬ有様と実に頼り無き子であったが父上の御命令故それに従った。
今だから申すが、内心病で早死にするのではと危惧していたのだ。
生まれながらの将軍は結構だが、その前に乳離れをしろと申したかったわ。
昨日のビートたけしのTVタックルでの護憲派の森永卓郎(Nステ解説者)の発言
「憲法9条は非常に美しい条文を守ってきたんですよ、仮に、仮にですよ
 とんでもない奴が攻めてきたら、黙って殺されれば良いじゃないですか!」
「過去にそんな良い民族が居たって思われれば良いじゃないですか」

・・・どう思います?マジで言いました。平沢勝栄氏が激怒してました。
そんな事より聞いてくれよ、金地院崇伝の絵を書こうとして
「僧衣」でぐぐったんだ そしたら一番上が
釣り天井ってエライ大袈裟な罠ですが、どんなメリットがあるのですか?
944徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/31 21:40
>941 (黙って殺されれば良いじゃないですか!)
討論番組は大抵、感情論で終わるのが常だがその関係か暴論が出る。
その者の言が正にそれだ。
無抵抗のまま殺されて、後の評価を気にすると体裁を装っているが
余には苦し紛れの暴言にしか受け取れぬ。
一億総自殺志願者になれと申しておるようだが手始めにその者に
見本を見せて欲しい物だ。
それ以前に、この森永某は今までどの様な教育を積み重ねて公共の場で
公言出来る程の身分になったのかと大きな疑問が芽生える。

で、結論だが、五歳の幼児でも殴られれば殴り返すか睨むなどで抵抗する。
だが、この者の言は幼児以下の次元に過ぎぬ。
議論討論の最たる悪例に入るのは確実だな。
945徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/03/31 21:42
>942 (金地院崇伝の絵を書こうとして「僧衣」でぐぐったんだ)
天魔外道とも言われ悪評高かった崇伝の絵を描こうと言うそなたの
ある意味、物好きな態度に失笑を禁じ得ぬが、まあよかろう。
あれも徳川幕府創世時には貴重な人材であったが難癖では誰にも
負けなかった様だ。
何を見つけたかは余も大体の察しがつくが崇伝も小坊主の頃は
師匠や住職に尻で奉仕したと思うと、実に滑稽な事よ。
まあ、本当か否は知らぬがな。
その漫画、直に天海や崇伝に見せるのも悪くは無かろう。

>943 (釣り天井ってエライ大袈裟な罠ですが、どんなメリット)
本多正純の事か。あれは俗説だが実際に釣り天井でなど人間は殺せぬ。
木材が大半であった武家屋敷や城の内部で用いても怪我が限度だ。
それに何より、余りにも見え透いておる手段で自分が下手人首謀者と
公言している様な物だ。暗殺でも下の下にも入らぬ物よ。
その様な手間隙かけて行うのなら近習を一人か二人買収すれば済む。
例の有名な「鳴かぬなら〜ほととぎす」の三つの句(でいいのかな)ですが、
自分だったらどんなんになると思います?
小説や漫画で大活躍の前田慶次と島左近ですが、実際に召し抱えるのなら
報酬は何石ぐらいあげますか?
948徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/01 19:52
>946 (「鳴かぬなら〜ほととぎす」)
「鳴かぬなら解き放つがいいほととぎす」

余ならこうする。鳴き声を愉しむ筈の鳥が鳴かぬのなら飼う必要も無い。
なら餌を与える手間を考えれば籠から出し逃がすのが一番だ。
要は役に立たぬ物をわざわざ手元に置く必要など無いと言う事よ。
信長公の様に殺しても良いのだが、鳥一匹で怒るなど大人げ無い。

>947 (前田慶次と島左近ですが、実際に召し抱えるのなら)
石田三成の重臣として軍を率いて西軍でも屈指の働きを見せ
常に大坂や伏見で秀吉公の側に居た三成に成り代わり本領の佐和山を
取り仕切った島左近なら文武で幅広く使えよう。
仮の話としても、余なら十万石は出しても惜しくは無い。
徳川四天王に劣らぬ器かも知れぬからな。

それに対して前田慶次は傾奇者か武勇の名は広く知られていたが
所詮は一介の武辺の士。一国一城を任せられる器ではあるまい。
如何に高く見積もっても五千石程度の旗本扱いだ。
だが風雅の道に通じていると聞いておるので、その方で使うのも
悪い扱いでは無いと思う。
安国寺恵瓊って、石田三成や小西行長に比べてかなり小物のような気がするのですが
坊主ですし、殺す事なかったのでは?
井沢元彦/著 「逆説の日本史 11 ・戦国乱世編 朝鮮出兵と秀吉の謎 」によると
秀吉は6本指だったとありますが本当ですかねぇ?
951徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/02 02:58
>949 (安国寺恵瓊って〜坊主ですし、殺す事なかったのでは?)
その理屈は通らぬ。毛利家を西軍の総大将に担ぎ上げた張本人であり
また西軍挙兵の首謀者の一人でもある安国寺恵瓊を助命するなど
考えられる事ではなかった。
仮に命を助けたとて、毛利家にとって減封で済んだとは言えあわや
改易寸前にまで追い込んだ罪人を野放しには出来まい。
東軍方で処刑しなくても毛利家で自発的に殺して首を差し出しただろう。
徳川への恭順の意の証としてな。

>950 (秀吉は6本指だったとありますが本当ですかねぇ?)
何処からその様な俗説が流れたかは知らぬが、余も小田原の陣の前に
秀吉公に拝謁を賜った事があるが、六本指などでは決して無かったな。

第一、それに似た症状が有れば北政所ら近親が手紙か何かで残しておるだろう。
その学者が何を根拠に申したかは知らぬが、信じるに足る物が無い限りは
誹謗中傷にもならぬ低俗な話としてしか片付けられぬ。
その程度の学説でしか売れぬ者では学者など甚だ不適当な職分だ。
宣教師フロイス「日本史」
>「彼(秀吉)は身長が低く、また醜悪な容貌の持主で、片手には
>六本の指(seis dedos)があった。眼がとび出ており、シナ人のよ
>うに鬚(barba)が少なかった。男児にも女児にも恵まれず、抜け目
>なき策略家であった」云々。と本国へ報告しています。

前田利家の「国祖遺言」に
>「大閤様は右之手おやゆひ一ツ多六御座候然時蒲生
>飛生飛弾殿肥前様金森法印御三人しゆらく(聚楽)にて
>大納言様へ御出入ませす御居間のそは四畳半敷御かこいにて
>夜半迄御咄候其時上様ほとの御人成か御若キ時六ツゆひを御
>きりすて候ハん事にて候ヲ左なく事ニ候信長公大こう様ヲ異名に
>六ツめかなとゝ御意候由御物語共候色々御物語然之事」
現代語訳
   上様(秀吉)ほどのお人なら、若い頃指を切り捨てればよかった
   のに、そうしなかったので、信長公も太閤様の異名を「六ツめ」と
   言っていた。

しかしこれだけが証拠とされるので実は中華思想趣味の「偉人は異形である」を
演じているとも考えられます。つかこの二つの書簡以外にこんな記述ないので。
いろんな人が謁見している筈なのにね。


弁慶が立ったまま死んだのは本当ですか?
>952
方広寺大仏殿の鐘銘文中「国家安康」「君臣豊楽」に難癖をつける程の徳川家が
秀吉の指六本に全く言及してないからな。
つっこみどころとしておいしい筈なのに。

ところで方広寺大仏殿銘文の難癖はちと無理っぽいとご自身で思いませんでしたか?
殉死は後世の評価を一気に高める必殺技になりませんか?
956徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/02 20:25
>952 (根拠)
日本史の秀吉公の記述は信用出来ぬ。
宣教師追放令を発布された秀吉公を善く書くとも思えぬしな。
前田利家に関してもそれのみでは信憑性に欠けるのは歪めまい。
他の豊臣家臣の言や日記などでも見当たらぬし、やはり信じられぬ。
それに>954が申している様に大坂の陣や長久手の戦いの折に父上が
秀吉公を非難する檄文に必ず使う事だろう。

>953 (弁慶が立ったまま死んだのは本当ですか?)
>573に対しての返答で幾分触れておるが弁慶の忠義を賞賛する意味の
後世の創作と見るのが妥当であろうな。
死後硬直と一言で片付けられるかも知れぬが信じられぬ。
だが人並外れた体躯を有していたらしいし、獅子奮迅の末の名誉ある死と
幾分かは好意的に見ても悪くは無かろう。

源平の軍記物では一騎当千と評される僧兵が幾人か出ておるが
その延長か総決算が弁慶の数々の逸話として伝わったと見ておる。
957徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/02 20:32
>954 (方広寺大仏殿銘文の難癖はちと無理っぽいとご自身で)
林羅山や崇伝に申せと言いたいが、どの道他にも難癖に事欠かなかった。
要は如何に豊臣家及び淀君を挑発し、戦に持ち込むのが第一であり
最早外聞や後世の評価など度外視していたのだ。
豊臣家壊滅は父上の至上命令であり余も同意していた以上
今更何を反論しようとも豊臣の運命は決していたと言えような。
強いて申せば、徳川に対抗出来る優秀な家臣や体制を残せなかった
秀吉公に非があるのよ。

>955 (殉死は後世の評価を一気に高める必殺技になりませんか?)
純粋に主君の死に殉じるために腹を切った者も居れば
半ば打算や周辺の殉死礼賛の気風に押されて切りたくも無い腹を切った
者も少なからず居た事は間違い無い事実である。
一人が追腹を切ればその一族子孫が永代その家で仕える事も出来ようが
肥後熊本の細川家で起きた阿部一族の騒動を始めとした殉死にまつわる
話が不合理さを物語っていよう。

父上も事の他殉死を嫌われ、申し出た老臣を一喝された事もあり
御臨終の際も長年奉仕してきた馬の口取りが一人死んだのみである。
また黒田如水や藤堂高虎ら徹底した現実主義の大名も無用の物と一様に
嫌っていた様だ。無駄死を選ぶくらいなら生きて奉公せよとな。
徳川慶喜は卑怯な逃亡者・暗君でしょうか
それとも幕藩体制の崩壊が不可避と判断して
新しい日本の為自ら退いた名君でしょうか
将軍や大名のような高位の人の中に剣術の奥義を極めた人もいますが、名誉段位とかじゃなくて
本当に実力があったのですか?
無双ではあっさりとくのいちに兵糧庫奪われてましたね。
「決戦」では一万人も率いてるのに、兵数半分以下の明石全登に大敗…
徳川幕府がこんなに長持ちするとは、正直な所、思っていましたか?
963徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/04 19:19
>958 (徳川慶喜は卑怯な逃亡者・暗君でしょうか)
結果論で申せば薩長との内戦を回避し、日本に有益となったが
やはり鳥羽伏見での敵前逃亡は認められぬ。
それが無ければ肯定的に評価は出来るのだが。

慶喜就任の頃の状況では、例え父上に劣らぬ器の者が将軍となっても
幕府を立て直すことなど不可能であっただろう。
決して十三代家定の如き暗君では無いが、さりとて卓越したとも言い難い。
徳川を存続させた事を考慮して六割方の名君とでも評しておく。

>959 (高位の人の中に剣術の奥義を極めた人もいますが)
宗矩を祖とする江戸柳生新陰流には大名や旗本の弟子も少なからず
居たそうだが、中には免許皆伝や高弟を名乗る事を許される程の者も
当然居っただろう。
特に江戸に人質同然に留め置かれていた庶子や次男三男の部屋住みの
者が多かったと記憶しておる。佐賀鍋島藩の分家筋の小城藩の元茂が
その最たる者であった。

実力に関しては余は知らぬが、沢庵にも贔屓云々を戒められた宗矩の事。
多少は好悪の情も入っての物かも知れぬ。
家光も剣を好んだが、それ程上達はしなかった様だ。
964徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/04 19:20
>960 (無双ではあっさりとくのいちに兵糧庫奪われてましたね。)
電脳遊戯の中でなら女忍びが大活躍しても可笑しくはあるまい。
撹乱は元々忍びの役目の一つ故、余がどうこう申す物でも無い。
だが一言言うが、男なら足軽雑兵にまぎれて入り込めようが
女では難しいに決まっておろう。
第一、兵糧庫の見張りの者の過失まで将軍たる余が責任は持てぬ。

>961 (「決戦」では一万人も率いてるのに、兵数半分以下の明石全登に大敗…)
適材適所と云う言葉を存じておろう。
戦で表立った功績が無い故、それ関係の能力数値が低い余を
戦場に出す事自体誤った行いと知るがいい。
朝廷や大名締め付けに辣腕を振るった余なら政治力が高い筈だ。
その方面で使え。

…と、申したいが一五七九年産まれの余が武将として出るとしたら
九十年代かそこら辺になるな。
果たしてその頃に内政を行う余地があるか疑問だが、まあ良い。
戦には他に適した者がおるであろう。その者達を使う事を薦める。
965徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/04 19:21
>962 (徳川幕府がこんなに長持ちするとは、正直な所、思っていましたか?)
内心、家光の代で危ういと思っておった。
余が死んだ時に一人の子も産ませておらぬ上に病弱な家光では万一の際に
御三家を始めとする徳川一門の間で将軍継承をめぐっての騒乱があると
密かに案じてはいたのだ。

幸い、家綱の存在と正之や松平信綱ら優れた補佐役の尽力で事無きを得て
二百五十年余も続いた事は何よりであったが。
一代で終わった信長公と二代で滅んだ豊臣家を見た徳川家には何としても
前車の轍を踏まずに長く続かせねばならぬと言う覚悟が在ったのだ。
966以上、自作自演でした。:04/04/04 19:22
なぜ日本に創価学会などというインチキ宗教があるのですか?
親戚の姉は創価信者とケコンしてしまい、とんでもない目にあいました。

まじでこのカルト教を解散させてください、ウザ杉です
967徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/04 19:27
>966 (なぜ日本に創価学会などというインチキ宗教があるのですか?)
日蓮宗の流れを汲む一派と記憶しておるが、宗教に限らず長く続くと
大抵腐敗し政治に癒着しては害をもたらす。
胡散臭いと判断すれば遠ざかる事が一番であるが、その親類の姉は
一時の迷いか何かに付け込まれて、道を誤ったのであろう。

だが信長公の砌の一向宗の如く武力で弾圧も今では出来まい。
選挙でその宗派に関係する政党(あえて名前は出さぬが)に一切投票
せぬ事を貫き、間接的に弱体化を狙うしかあるまい。
もしくは同じ日蓮宗の不受不施派の如く邪宗と断定するか。
将軍は毒見の終った物しか食べないので、冷めた料理しか食べた事が無く
よって全員猫舌だったというのは本当でしょうか?
969以上、自作自演でした。:04/04/05 13:54
史上最強幕府
970徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/05 16:50
>968 (全員猫舌だったというのは本当でしょうか?)
将軍や大名には鬼役、つまり毒見役が常時居た事は確かだ。
朝夕の膳は出来て後、それらが僅かに口にして毒が有るか否かを見るが
ある程度の時間を置いて初めて余らが食べる。
味噌汁や炊き立ての米、煮焼きした魚だとやはり幾分は冷め味も落ちる。
だが全員が猫舌だと問われると違うと申しておく。
酒の熱燗を好んだりした者もおるし、厨房人の身許調査を徹底して行えば
毒云々も事前に防げるのだ。

>969 (史上最強幕府)
徳川幕府の事を申しているのなら否と返す。
確かに鎌倉室町に比べれば長く続いたが、改善の余地は十分あった。
吉宗の享保の改革も、農本主義から逸脱出来ず復古的な改革に終始しており
事、経済面での幕府の政策は悉く失敗しておる。
いわば時代に適応出来なかった事が最大の敗因なのだ。

今後、日本で幕府など出来様も無いが時流に乗れず対応も出来なくば
古来の例に従ってその政権は崩壊する。
過去の幕府を含めた政権を範、或は戒めとする意味では最強の名を
冠せられる政治体制は順々に入れ替わろうな。
>966 創価学会は勧誘がくどい事で有名ですね
ついに残り30レス弱ですよ!

由井正雪の乱とは要するにリストラされた方々の悲しい叛乱でしょうか。
973以上、自作自演でした。:04/04/06 03:18
北海道
秀忠さんに好意的な大名はいましたか?
975以上、自作自演でした。:04/04/06 09:29
ブッシュ
976徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/06 19:56
>971 (創価学会は勧誘がくどい事で有名ですね)
信者の数を勢力と置き換えれば当然であろうな。
最初は断っても二度三度と手を変えて来るのは鬱陶しい事この上無い。
まともな宗教なら無理に勧誘など行うまい。
これのみでもこの宗派が怪しいと申している様な物だ。

>972 (由井正雪の乱とは要するにリストラされた方々の悲しい叛乱)
幕府の大名統制により浪人が大量に出ていた事は老中らも存じていただろう。
だが首謀者の由井正雪は表向きは軍学者であり、その背後も未だ不明だ。
一概に浪人の不満の爆発とは片付けられぬ。

とは言えこの事件で浪人や大名への締め付けが多少緩んだのもまた事実。
徳川幕府に槍を向けた不届きな者共ながらその行動は無駄に終わる事は
無かったと言えよう。一家を取り潰せば何千もの浪人が路頭に迷う。
それが世情不安を生み出す事は重々承知の上で行ったのだからな。
977徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/06 19:58
>973 (北海道)
蝦夷が如何致したのだ。今の蝦夷は特に問題も無かろう。
余の頃では未開の地同然に放置され、松前家も大名と見られていたかどうか
疑問だが下手な大名よりも収益が多かったようだな。
仮に鎖国を行わずに北洋航路の開拓を実施すれば幕府にとって重要な地に
なったのは疑い無い。

>974 (秀忠さんに好意的な大名はいましたか?)
居る訳が無かった。戦国の世を生き抜かれた父上はともかくとして
歴戦の強者であった諸大名にとって二代目の余など内心侮蔑の対象に
違いあるまいと思い込んでいたのだ。
強いて名前を挙げれば外様ながら徳川に忠誠を早くから誓った藤堂高虎
くらいだが、あれも腹の内が知れた物では無かった以上心底信用は
しておらなんだ。将軍に限らず権力者とは常に孤独な物と自嘲していたが
今思い返すと常住坐臥気が休まぬ将軍生活であった。

>975 (ブッシュ)
米大統領の名だけ出されても余には判らぬ。
余からあの者に何かあるとすれば、自国を第一とし励めとしか無い。
選挙中、発言の一字一句も命取りになりかねぬ以上軽挙妄動は慎み
己のみならず父祖の名を辱めぬ様心掛ける事だ。
ハッピーバースデー
お父上は武田信玄に心酔していたようですが、秀忠さんも戦国武将で憧れた人はいましたか?
980以上、自作自演でした。:04/04/07 10:11
ドラクエ6がリメイクされないんですが
981徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/07 13:19
>979 (ハッピーバースデー)
そう云えば今日は余の誕生日であったな。憶えていたとは神妙な事よ。
父上が武田勝頼と争っていた砌に生を受けた余であったが幼心には
将軍など全くの予想外であった。
せいぜい三男の庶子としてどこか松平の分家筋に養子に出されて
終わりと思っておったが、運命とは判らぬ物よ。
ともあれ余の四百二十五回目の誕生日を祝いし事礼を申す。

>980 (戦国武将で憧れた人はいましたか?)
表立っては言わなかったが、明智光秀に幾許か心を寄せていた。
天才である信長公の下で武功を上げながらも、それに抑圧され
最後に本能寺での謀反を起こさざるを得なかった光秀の立場が
父上に頭を抑え付けられていた余に類似していなくも無いのでな。

流石に武家の棟梁である将軍であった余が仮にも謀反人に憧憬の念を
抱いておるとは言えぬからな。
982徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/07 13:21
>980 (ドラクエ6がリメイクされないんですが)
待っておればいずれ出るであろう。
つい最近、五が出たばかりだと申すのに六を望むとは気の早い事よ。
業者に直接要望の手紙でも出せば、そなたの希望は伝わろう。
最も伝わるだけかも知れぬがな。
所詮、利益を第一とする物故、如何にこの様な場で希望を延々と述べても
肝心の企業が得になると見なければ出る事はありえまい。
何よりそなたらが希望を出しても、希望のみで終わり購入すると決まった
訳では無いのだからな。
あれ?徳川さんの時代って年齢は数えで言ってたから、
誕生日はあまり重要じゃなかったんじゃ?
家庭用ゲームソフト大手のカプコンは30日、今年3月期連結決算の業績予想を大幅に下方修正し、
純損益が当初予想の42億円の黒字から94億円の赤字になると発表した。
融資していた金融子会社が貸出先の倒産などで大幅な損失を抱え、この子会社解散での特別損失が発生した為。
  _, ._     
( ゚ Д゚) 漏れのある意味、青春だったカプコンが・・・
985徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :04/04/07 19:03
>983 (誕生日はあまり重要じゃなかったんじゃ?)
確かにその通りであったが余の産まれた日を憶えていた>978に
感謝の意を表すために、あえて今の流儀に従った。
世に在った頃も特別祝う事もせず、内輪の者で小宴を張る程度で
あったのだが、今の者は贈り物を受け取ったり忙しい事よ。

>984 (漏れのある意味、青春だったカプコンが・・・)
特別な思い入れのある企業でも所詮は営利を得て景気に左右される企業。
見込み違いも出れば、時には倒産もあり得るのだ。
だが、この程度で破産倒産は考えにくい筈なので心安く持つが良い。

しかし遊戯業界に限らず生き残りが激しい事に代わりあるまい。
戦国の世同様、淘汰され生き延びた者のみが名と実益を残せる。
あと残り15レスだよん!次スレは無いような雰囲気だがどうないするん?

質問
「おみゃーは江戸に行けだがや」と秀吉に言われて江戸に徳川は来たわけですが
当時の江戸は大干潟と大湿原の不毛の地。北条もろくに開墾しなかった僻地。
「うっわ〜!ここで暮らすのいやじゃ〜」と思いませんでしたか?
鎖国すると水軍は用無しですか?
力が欲しいか?
(・A・)いまのうちに言っておこう、、、。・゚・(ノД`)・゚・。ウエーン。乙でした。
大好きだったヨ。このスレ!!秀忠様、後水尾様ああああ!




・・・とかなんとか言って次スレあったりして。いや無い・・よ・なぁ・・・
未来の日本人である我々に、何かお言葉を下さい。
乙華麗です。上様。
992アメリカ人:04/04/08 01:43
グッバイ!ファッキンジャップ!
993アメリカ人:04/04/08 01:44
HAHAHA!
994アメリカ人:04/04/08 01:45
HAHAHAHA!
995アメリカ人:04/04/08 01:45
HAHAHA!
996アメリカ人:04/04/08 01:45
HA!
997アメリカ人:04/04/08 01:46
HA−HAHAHA!
998アメリカ人:04/04/08 01:47
N?
999アメリカ人:04/04/08 01:47
おーのー
1000アメリカ人:04/04/08 01:48
1000!
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。