一九四五年八月九日、貧困にあえぎ、スパイ、非国民と虐待され、
差別と迫害を耐え忍んで戦時を生き抜いてきた浦上のカトリック信徒たちの頭上で、
原子爆弾がさく裂した。親も子もきょうだいも失い、被爆の廃虚で茫然(ぼうぜん)自失する信徒たちに、
こんどは「原爆は神社に参らなかった天罰だ」と悪罵(あくば)が浴びせられた。
「神も仏もあるものか」と信仰が揺らぐ者も現れた。
原爆で信徒一万二千人のうち八千五百人が瞬時に犠牲となった浦上のカトリック教会。
一九四五年十一月二十三日の原子爆弾死者浦上合同葬で、永井は信徒代表として弔辞を読んだ。
「原爆の惨禍をかろうじて生き残り、絶望にうちひしがれた信徒たちを前に、
永井は神の摂理を持ち出して励ますしかなかった」
ttp://www.nagasaki-np.co.jp/peace/2000/kikaku/nagai/nagai4.html 長崎では 捕虜収容所の被爆者 戦時中、長崎市とその近郊には、福岡俘虜収容所第14分所(同市幸町、
爆心地から約1・7キロ)と同第2分所(西彼香焼町、同約10キロ)があった。英国、米国、オーストラリア、
オランダなどの捕虜が、造船所での労働に従事させられた。正確な数は不明だが、第14分所には
約500人の捕虜を収容、 数十人が原爆で死亡したとされる。
広島では米兵が原爆のドサクサまぎれに処刑された。
また、同じく広島では投下前にB-29の搭乗員が捕虜になっており、女性乗員を含め23人全員が即死した。
ttp://www.chugoku-np.co.jp/abom/97abom/sarugaku/970728.html 連合軍側兵士を味方殺しによって殺傷したばかりか
迫害に苦しんでいた同教徒民間人を8500人も虐殺したアメリカは暴君ネロにも匹敵するクズ国家。
I can't speak english.
but I can speak english.