どうも。
私、ちくわです。
ええ、その名の通り魚肉加工物のちくわです。
漢字で書くと竹輪。カタカナでも平仮名でもノープロブレム。
そんな感じです。
で、自己紹介をしてみたりします。
ちくわです。
自己紹介終了。
いえ、ほんとそれくらいしか言うことがないんですよ。
しかしそれだけではあまりにも「アレ」なので
軽く好き嫌いについて触れておこうと思います。
好きな場所は冷蔵庫です。
身体がひんやりして非常に気持ちいいです。
嫌いな動物は獅子丸です。
仲間が何竹輪も犠牲になっているので「敵」として
彼を認識しておる今日この頃でございます。
まさに「食うか食われるか」、殺伐とした世界が
いいんじゃねーか、…なのですが女子供はすっこんでいる
必要はありません。
女子供でも構いません、どうぞ食ってください。
ええ、多少卑屈になってますよ。
所詮私は一食物であり、食べる人間を選ぶことが出来ないので
その辺はまぁ、好きにしてといった感じなのです。
しかしどうでしょうか?
まだ私のことをよく知らない方もいるかと思います。
私は何者、いや何物なのか?
私の身体の構成は?
どういった存在なのか?
どこに住んでいるのか?
何を食べて生きているのか?
疑問は尽きません。
で、ものすごく簡単に補足説明。
「魚の身を摩り下ろして火で炙ってできた存在」
が私です。
つまり、「私≒魚」。
こうなるわけですね。
魚がいなければ私は生まれることができません。
いわば私にとって魚とは親にも等しい存在です。
ということは、マザコンではなくフィシュコンと
なるかもしれません。
というか、どうでもいいです、そんなことは。
魚、魚、魚〜魚を食べると〜♪
人間界でこのような歌が一時期流行っていたようです。
ちくわ的にはあまりピンと来ないのが実情です。
別に私が食べられるわけじゃないですからね。
まあ当然といえば当然ですが、ええ。
ですが。ここで一つ疑問に思うことがあるのです。
『魚クン』
奇声を発しながら挙動不審な動きをするこの存在、
彼は一体何者なのでしょうか?
魚が好きであることは間違いないようですが…
彼は私の原料となる魚に対して異常な
執着心を見せているようです。
魚を見、興奮し、奇妙な動きを交えながら
にじり寄ってくるその姿。
実に奇怪です。そして、それと同時に
言い知れぬ恐怖心を与えてくれます。
ここで私は考えました。
「魚クン」
魚くんであるから魚に対してのその姿は
自然なことかもしれません。
もちろん魚からしてみれば、恐怖に慄く
存在であることは間違いないでしょうが。
ですが、もし世の中に魚クンならぬ
「ちくわクン」というのがいたら……
………………。
私の身体をひんやりとした汗が流れます。
汗じゃないですけどね。
余談ですが塩漬された仲間には塩水を
出す者もおります。その場合、ある程度「汗」には
近いと思われますので、その辺はまあ「ちくわそれぞれ」
ということで。ちなみに私の場合は水滴ですね。
もし、ちくわクンという人物が本当にいたとします。
彼は私を見ることによって表情を輝かせるでしょう。
そして叫びます。そう、何オクターブかわからない
くらいの高い声で。
美しいファルセットも私にとっては
死刑宣告と同じ価値でしかありません。
私は恐怖に慄き、打ち震えるでしょう。
できることといえば、蛇に睨まれた蛙のごとく、
立ち竦むことくらいでしょうか。
金縛り―――
彼の奇声、動き、存在の全てが、私を縛ります。
食べられるのは百歩譲って良しとしましょう。
元々私は食べられるために生まれたような物ですから。
その点については特に不満はありません。
…でも、奇妙な動きをしながら奇声を発している人に
食べられるのはなんか嫌です。
こう、なんといいますか「屈辱感」のようなものが
沸き起こってくるのはどうしてなのでしょうか?
実際にちくわクンがいた場合、大変なことになりますね。
実在しないのが唯一の救いです。
やはり頭に私を乗っけるのでしょうか。
帽子として。
その場合、ちくわ的には乗っかるのがベストなのでしょうか?
耳に挟みこむのも実にブリリアントでいい感じだと
思うのですが、その辺は賛否が分かれそうな勢いです。
関係ないですが、『ちくわクン』という名称は
どこかの街で適当に作られたキャラクターのような
イメージがありますね。
村おこし的要素も含んでいる気がします。なんとなくですが。
村おこしに利用される仲間も多いですが、まあ、それは
本ちくわ達も喜んでいるのでノープロブレムだったりします。
「そういう」意味でいえば、ちくわクンの存在は私たちに
とってはプラスに働くかもしれません。
すくなくとも、私たちの認知度は高まることでしょうし。
ここで四コマ漫画として「ちくわクン」が
登場したらどうでしょうか?
しかし、「名前のみ」の存在になりそうな気がします。
毎日私を片手に繰り広げられる日常風景。
これはもう滑稽という他ありません。
まあ仕方がないのかもしれません。
私は食事以外の公の場では出番というものがありませんから。
けっこうこれでも頑張っているんですけどね。
ですが、なんといいますか…、出演依頼が来ないんですよ。
もう聞いていいのか?
「ちくわラーメン」です。
試しに私をラーメンのスープの中に
突き落としてみてください。
もちろん私は溺れます。
そして私の身体の中にダシが染み込んでいくのです。
私は水分を吸収しやすい体質なもので、こればっかりは
仕方がない、こればっかりは仕方がないのです。
言わば「水を飲んで太る」。
なんて因果な身体なんでしょう。
水太りもウェルカムです。
まあそんなわけで、深く深く、
どんぶりの奥底に到達するまで
あまり時間はかからないでしょう。
どんぶりの中にはいろんな物がいます。
麺、ナルト、メンマ、チャーシュー。
どれも一騎当千の兵と呼ぶに相応しい存在です。
その中で私の目を引いたものは、そう、「ナルト」です。
…思いっきりキャラが被っています。
実にヤバいです。
どんぶりに浮かんでいる私とナルト。
絵になるシーン、皆振り向いていきます。
しかしいくらキャラが被っているとはいえ、
挨拶しないわけにはいきません。
ラーメンの中では言わば私は新参者。
そしてナルトはまあ、先輩みたいなものです。
私は彼に話し掛けてみることにしました。
「こんにちは」
「俺は具の王者を極めたんだ!」
彼の言葉は自信に溢れており、身体は
ラーメンの油で光り輝いていました。
そこにあるのはラーメン界における彼の
魚肉加工物としての地位、名誉、名声、
権力などなど、あらゆる物が入っていました。
結果、彼は優越感を、私は彼に劣等感を
抱くことになりました。
私とナルトのポジション争いは私の敗北
という形で決着がつきました。
私はベンチウォーマーとなってしまいました。
私の出場機会はあるのでしょうか?
レギュラーであるナルトのポジションを
奪い取ることは……どうやら私には
出来そうもありません。
どうやら私の居場所はラーメンの中にはないようです。
「リストラ」
「肩叩き」
「窓際」
「依願退職」
「戦力外」
私の頭の中にこれらの単語が浮かび上がりました。
トゥモロートゥモロー
明日がある、明日があるさ〜
そう思いたいのは山々なんですが、こちらにも
「賞味期限」というものがあリまして。
はやく就職先を決めないと腐ってしまうんですよね。
いえ、冷蔵庫や冷凍庫である程度は生き長らえる
ことは出来るんですけど。
どうしたものでしょうか?
>>16 「もう食っていいのか?」と言われないだけ
まだ希望がありそうな感じです。
「話せばわかる」と言いながら食われるのは
正直悔いが残りまくりです。
というわけで気が向いたときにでもどうぞ。
「パパ〜ちくわ欲しい〜」
「ボーナスまで待ちなさ……」
(中年男とちくわの浜辺での戯れ)
「アハハハハハーー」
…なわけにはいかないのがちくわ生の厳しさです。
第一私の価値はボーナスには遠く及ばない
というのがまずいですね。
そうです。私は「安物」なのです。
自分で言ってて虚しくなりますが。
その気になれば小学生でも私を買うことができるでしょう。
悲しいことですがこれが「現実」なのです。
「金が全ての世の中」です。
私とて例外ではありません。
「世の中には金で買えないものがある」
しかし、少なくとも私は金で買うことができる存在。
私の価値は数百十円……
死んだ秋刀魚ですら二〜三百円はするというのに。
もしかして私の一本あたりの値段はチーズ蒲鉾よりも
負けている? どうでしょう?
非常に自分自身について考えさせられます。
時に皆さん、尺八という楽器をご存知でしょうか?
私を咥えて尺八気取り、これぞ風流わびさびとな。
それはちくわの大和魂。
ぜひ一度お試しあれって感じです。
呼吸が重要ですね。
二酸化炭素による攻撃は私を熱く激しくしならせます。
鮮やかに軽やかに清々しく。
空気が私を通り抜けます。
少し生暖かいのがポイントですね。
もちろん歯を立てるのはやめてください。
歯形がつきますから。
そして尺八を気取られた後は食べられてしまうのです。
そんなちくわ生、どうでしょう?
…正直、あまり気が進みません。
かといって尺八イベントの後に水で洗われるのも嫌ですが。
というかあれですね。
尺八させられるということは、「身体に穴を空けられる」
ということなんですよね。
「身体に穴を空けられる」
「空ける」んじゃなくて「空けられる」んですよ?
能動ではなく受動。わかりますか? この苦しみが。
胸が張り裂けそうな痛さです。
実際に張り裂けることもあるのが実に遺憾です。
親から貰ったこの身体、できるだけ傷を
つけたくないというのが本音です。
ちなみに親の顔は知りません。
まあ、死んでいることだけは確かですが。
育ての親に近いような存在はいますが、まあそれも
金や生活の為にやってるようなものらしいのであまり
尊敬の念を抱くには無理があったりします。
まあ、そんな感じな今日この頃なわけなんですが。
桜の花びらが寂しげに散りゆく様子は
実に儚げであり、季節の移り変わりを
感じさせてくれる数少ない情景なのですが
個ちくわ的にはそんなことはどうでも
よかったりします。
というかですね、今回の戦争でですね、
私の仲間がですね、なんといいますか、
こう、…けっこう死んでいるんですよ。
いえまあ、正確にいいますと死んでるというか、
食われているわけなんですけどね。
イラク戦争ならぬ花見戦争、しかも我々は一方的に
戦場(花見会場)に借り出され、どこの馬の骨とも
わからないような者たちに食われるわけですよ。
ま、仕方がないといえば仕方がないんですけどね。
仕事ですから。こっちにも生活がありますので
来た仕事は引き受けなければならないんですよ。
花見シーズンは「おでんの具になって欲しい」
という依頼が多いですね。
屋台の出店が他の日に比べて多いためでしょうか。
はたまた、酒の肴としておでんが適当な為でしょうか?
私にはよくわかりません。
人生色々〜
男も色々〜
女だって色々〜
とありますが、ちくわだって色々なんです。
いくら私がしがない魚肉加工物だからって
馬鹿にしないでくださいよ。
こっちも必死なんですから。
と思ったのですが、立場的にはこちらのほうが
弱いのは明らかだったりします。
世の中には支配する側とされる側があるとします。
私たちちくわはもちろん「支配される側」です。
被支配者層、隷属、奴隷ですよ奥さん。
いいえ、奴隷というよりはまさに「餌」そのものですね。
私達にはちくわ権というものがありません。
もちろん選挙権もないんですよ。
それどころか、選挙人に食われるだけの存在です。
実にいとかなし。
我々の地位が向上することは今後あるのでしょうか?
おそらくまったく無いような気がします。
未来のない存在なんですよ、私達は……
酒と一緒に喰うあんたは美味い。
「ちくわぶ」
みなさんは彼をご存知でしょうか?
そうです。あのちくわぶです。
彼と私は似て非なる存在。
私は御覧のとおりの魚肉加工物ですが、彼は
魚肉加工物ですらありません。
単なる小麦粉の集合体みたいなもんです。
そういう意味での私と彼との力関係は
ちくわ>>>>>>>>>>>ちくわぶ
かのように示してみたのですが五十歩百歩の
ような気がしないでもなかったりします。
先日私はおでんの仕事で彼と一緒になりまして、
久しぶりに話をしたんですよ。
この不況時、彼もその影響にもれずだいぶ
苦労しているようです。
「最近おでんの仕事しかこない」
彼は会うたびにこのセリフを口にします。
無理もありません。彼はおでん以外の仕事では
主役を張ることは難しいということを身を以って
知っているからこそこのような言葉を吐くのかも知れません。
おでんの仕事が多い冬季ではまだしも、これからの季節
彼のポジションはますます微妙な位置に置かれてしまう
ことでしょう。
まあ私も、他具の心配をしている余裕などないのですが。
ちくわ in 隅田川です。
春のうららの隅田川。
太陽の陽射しが心地良く感じられる昨今、
私ちくわは隅田川のほとりにやってきました。
春の麗らかさを存分に噛みしめながら
この陽気を楽しみたいと考えています。
ところがです。
そうは問屋が卸しません。
まあ私はよく問屋に卸されるのですが。
情緒溢れる隅田川のほとり。
そこに広がっていたのは、人間達によって無惨にも
食い散らされたと思われる仲間達の残骸の痕でした。
お花見シーズンのせいでしょうか。
しかし、これらはまだ良い方かも知れません。
骨まで食い尽くされてしまった仲間達は
もはや見る影もありません。
身体そのものが食われてしまっているわけですから
もうそこには何も存在しないのです。
そうでした。主におでん屋の仕事で殉職した
仲間達がここ隅田川のほとりで眠っているのです。
名誉の戦死といえば聞こえはいいでしょうが、
実際はただの犬死みたいなもんです。
もちろん殉職手当も出ません。
遺族年金など夢のまた夢です。
遺族なんぞいませんが。
人間は戦争をします。
そして、戦争で命を落とすのは一般市民や兵士達。、
彼らは皆、無名の存在です。
歴史に名を残すことはありません。
そして、ここ隅田川のほとりで散っていた私の仲間達も
それらの人達と同様、すぐに忘れ去られていくことでしょう。
弔われることもありません。
墓を立てられることもありません。
一介のちくわである私にできることといえば、
彼らの冥福を祈ることだけ…
花見における我々の役割はただ一つ。
酒の肴として食われることだけです。
それはちくわとしての晴れ舞台、本来ならば誇りを
持って望むべきことが当然でしょうに、そこに
待ち受けている確実な「死」は、我々にちくわとしての
誇りと共に一寸の躊躇いをも与えてくれるようです。
そして人間達は酒の肴にと、我々を貪り食って
いくのです。我々はただ黙って食われていくのみ…
>>39のような感想が人間側からもたらされる一方、
食われる寸前の仲間は一体何を考え、そして何を
思っていたのでしょうか?
目を閉じ、耳を澄ますと、彼らの最後の声々が
風に乗って聞こえてくるような気がします。
「頼む! 命だけは…! 命だけは助けてくれ!」
「ちくわ万歳ーーー!」
「助けて! 痛い! 痛いよう!」
「おい! 早くゴミ箱へ逃げるんだ! 早くしろ!」
「痛いよ! お母さん! お母さーん!」
「何やってんだ! モタモタすんな! 早くしろ!」
「みんな! ビクビクするな!
ちくわらしく胸を張って食われようじゃないか!」
果たして彼らのちくわ生は幸福なものだったのでしょうか?
私にはわかりません。
授業中、ノートをとっているときです。
聞こえませんか?
腹の虫が鳴り響いてますよ。
大変です。お腹が空いているのです。
ですが今は授業中、おおっぴらに弁当箱を
開けるわけにはいきません。
そんなときにこそ私の出番です。
私の穴の中に鉛筆を通してみてください。
ちくわ鉛筆です。
どうです?
画期的な文房具だとは思いませんか?
勉強中、お腹が空いた時などにとても便利ですよ。
シャープペンではなくて、普通の鉛筆の方が
いい感じです。いい具合に締め付けて差し上げますよ?
授業中に鉛筆の端っこを噛んでいる方も
私を齧って御満悦。
しかも、腹まで膨れるおまけ付き。
お子さんの受験・食欲に良く効きます。
一家に一本、ちくわ鉛筆。
ぜひどうぞ。
輪切りの私です。
時にみなさん、金太郎飴というのは
ご存知でしょうか?
そうです、あの、切っても切っても
同じ顔がでてくるという「アレ」です。
彼とは口を利く機会がほとんどないのですが、
実は、彼と私には意外な共通点があるのです。
それは、「輪切り仲間」です。
私が斬られるときはですね、大体…というか
ほとんどが輪切りなんですよ。
縦に真っ二つに斬られることなんか滅多にありません。
実際にですね、輪切りにされたことがある方なら
わかると思うんですけど、あれはけっこう痛いんですよ。
痛みが全身を駆け巡ります。耐えがたい苦痛ですよ、ええ。
縦に斬ってくれれば、すぐに絶命できるんですけどね。
輪切りですとこう、なかなか死ぬに死ねないんですよ。
まるで拷問を受けているような気分です。
「殺すなら一思いに殺してくれ!」
何度もそう思い、数え切れないほど叫んだことか……
そして金太郎飴です。
彼を特徴付けるのは、その全身に彩られた刺青です。
それは鮮やかに、身体の内部にまで施されています。
そのせいでしょうか、彼の内部の刺青を見たがる
心無い者達の手によって、彼は斬られることになります。
来る日も来る日も、彼は身体を斬られ続けます。
そして斬られた彼の身体は、その心無い者達
によって舐めまわされるのです。
彼は舐められるために斬られるのです。
斬られては舐められる。斬られては舐められる。
おそらく、舌で転がされたりとかもするのでしょう。
ああ恐ろしや……
彼は輪切りにしかされません。
そして無惨にも輪切りにされた遺体は、
ひたすら舐めつくされるのです。
そして私も御多分に漏れず、同じ運命を辿るのでしょう。
いいえ、私は一応魚肉のなれの果てですから、おそらく
舐められることは無いでしょう。
ですが、「噛まれる」んですよ。
打撲だけじゃすみません。
身体が粉々に砕け、人間に飲み込まれるのです。
そして行き着く先は糞尿コースです。
いろんな肥やしになるのです。
というか、肥料として第二のちくわ生を歩むことは、
それはそれでけっこう楽しみだったりします。
そう考えると、まだ私は金太郎飴よりは
恵まれていると言えるかも知れません。
結論が出ました。
ちくわ>>>>>>>>>>>>>金太郎飴
めでたしめでたし。
ちくわファイト。
ところで、形状の似ているうまい棒をどう思いますか?
(^^)
自分の価値というものは、たえず気になるものです。
「一体自分の存在価値・資産価値は一体
どれくらいあるのだろうか?」
そんなことを思っている人間は多いと思います。
それに比べて私は御覧のとおりですよ。
ええ、もちろん開き直っていますよ。
というか、開き直ってなきゃやってられませんよ。
>>24-27でも言いましたとおり、私の価値は
「かなり」低いです。
まあ、日々いろんな所で新しい私の仲間達が次々と
息吹をあげているので無理はないかもしれません。。
私はしがない「量産品」なんですよ。
仲間すべてが集まれば一大集団になることは確実
ですが、私たち一本一本はあまりにも非力で
か弱い存在なのです。
そんな存在に、高価値など付くはずが
ないのかも知れません。
確かに、最初の頃は私も幻想を抱いていました。
私には一体いくらの値がつくんだろう。
高く売れるといいな。
しかし、そんな甘い考えはすぐに
打ち砕かれてしまいました。
私の入った袋に無情にも価値を示す値段の
シールが貼られていきます。
「5本入りちくわ 298円」
298円…
私の価値は約60円…
なんといいますか、こうけっこう
魚肉にくるものがあります。
ショックです。
ですが世の中、下には下がいます。
非常に後ろ向きですが、仕方がありません。
食卓のレギュラーになるためには、他を
蹴落とさなければならないのですから。
で、
>>59で提示されたうまい棒が
でてくるわけですが。
彼は基本的に駄菓子系、私は魚肉加工系
ですので、そもそも争うフィールドが違います。
話をしたこともないですしね。
というか一緒に仕事をしたこともないです。
そんな彼と、もし異種格闘技戦を行った場合、
一体何で勝負するか……そう、価格ですよ。
先ほども言いましたが、一般的な私の値段は
50〜60円くらいでしょうか。
まあ、多少の変動はあるでしょうが。
一方うまい棒です。彼の値段は固定されています。
値下がりすることもありませんが値上がり
することもありません。
「10円」です。
これが何を意味するかわかりますか?
私には60円弱の価値があります。
でもうまい棒の価値は10円なんですよ。
…勝ちました。
勝利の酒蒸しに酔いたいと思います。
吸収が早いので酔いが回るのも早いですよ。
ここまでの力関係です。
ナルト>>>ちくわ>>>ちくわぶ・金太郎飴・うまい棒
正直、私よりも下の物の上下はどうでもよかったりします。
必死なんですよ。
こっちも食品業界で生き残るために。
ちくわベッカムです。
ベッカムというサッカー選手が女性の間で
人気があるようです。
実に羨ましいです。
怨み。
辛み。
妬み。
嫉み。
僻み。
もう、すべてが向けられます。
というか、そこまでワールドワイドに人気が
あるというのは正直羨ましいんですよ、ええ。
正直ですね、私にもいますよ。支持者が。
現に熟年層の方からはそれなりに支持を頂いております。
それに、私達が生産されている街でなんかは、私達は
英雄扱いです。
ですが、若年層の人気は…残念ながらあまり高いとは
いえません。道行く女子高生からは
「ちくわ? 何それ?」
「あれダサいよね〜」
「超キモイ」
などと言われていることでしょう。
いえ、多分言われているはずです。
もう魚肉加工物差別ですよ。
被害妄想が現実へとなっていきます。
そこでアレです。
ベッカムがCMで私を食べればいいのです。
オシャレな部屋でソファーにしなだれかかるように
座るベッカム。
テーブルの上にはパックに入った私が。
パックを空けるベッカム。
大皿の上に投げ出される私達。
私を手にとるベッカム。
食われる私、食うベッカム。
微笑むベッカム。
これでもう私達ちくわの元には莫大な利権が。
人気者ですよ、ええ。
結局食われるわけですが。
しかしアレですね。
自分が食われるのをテレビで放映されるというのは
なかなか恥ずかしいものがあります。
どちらにしろ、一世一代の晴れ舞台、そんな日が
いつか来るのを身体を長くして待ちましょう。
ちぎれない程度に。
その前に食われそうな今日この頃ですが。
時にみなさん、日常生活の中では私達ちくわと
どのように向き合っているのでしょうか?
言いかえれば、私達をどのように活用していますか?
「食べる」
…いやそれはわかります、わかります。
確かに私たちは食われるために生まれてきた存在です。
ですが、それだけではあまりにも勿体無い、いや、
どうしたって勿体無いんですよ。
私たちは、食われる以外にもけっこう役立てる
ことがあると思うんですが、どうでしょう?
私の穴に指を突っ込んでみてください。
ほうら、指サックの出来上がりですよ。
どうです?
駄目みたいです。
というか、穴の中に異物感があるのは
ちょっと嫌な感じです。
私は1000年以上も前に誕生した存在です。
そして1000年以上、いろんな者たちに
食われ続けてきました。
それはこれからも続くでしょう。
決して終わることのない運命、避けることの
出来ない道のりなのです。
今までに何本の仲間達が食われて
きたことでしょうか。
その中には、山崎渉という
>>60の者によって
食われた仲間達も多いと思います。
そんな彼らのために祈りましょう。
お供え物もします。
もちろん自分自身がお供え物です。
いわゆる「ちくわ身御供」です。
関係ないですが人間の墓参りのお供え物に
されるのはけっこう恐いもんですよ。
乾燥して干乾びてしまいますし、なにより
墓場に置き去りにされ、食われないことに
安心したのも束の間、カラスなどにによって
パクッですよ。
嘴で身体をつつかれるんですよ?
この痛み、わかりますか?
ええ、ちょっとキレてますよ。身体が。
三本のちくわです。
確かに私たち一本一本は弱いですが、
三本集まればそりゃあもう……アレですよ。
まあ、少なくとも折れることはないですよ。
折れることは。
このしなやかなボディから繰り出される
惜しみない程の弾力性が折れるのを拒むのです。
そんなわけでして、折って真っ二つにしよう
などという攻撃は私には通用しませんよ?
まあ刃物を使われたら三本集まろうが
切り刻まれてしまうわけなんですが。
そういえば昔、仲間が鋏で斬られていました。
残酷です。残虐です。非ちくわ道的です。
この、ちくわ殺し! ちくわ殺し!
最近、犬のチワワがブームのようです。
犬といえば「敵」である獅子丸をすぐに
思いうかべますが、チワワには別に憎しみは
ないのでどうでもいいです。
食われたこともないですし。
しかしアレですね。
私はちくわ。名前も一文字しか違わないというのに
この扱いの違いは一体なんなんでしょうか……。
私は買われてすぐ食われるんですよ?
買う人はいても、飼う人はいないんですよ?
まったく怒りを禁じ得ません。
みなさん、冷静になって考えてみてください。
私は餌がいらないんですよ?
それに場所だって取らないです。
基本的に冷蔵庫の中に入れておいてくれれば
大人しくしてますよ、ええ。
もちろん散歩なんぞ要求しませんし、排泄もしませんよ。
値段だってチワワよりも格安で手に入るはずです。
なのに、なのになんですかこの扱いは……
わかってます、わかってますとも。
チワワは犬です。動物です。哺乳類です。
一方私はただの魚肉加工物です。
この違いだということもわかってますよ、ええ。
ですが、わかっていても納得できない悔しさって
ものがあるんですよ。
ちくわを飼ったっていいじゃないですか。
ちくわを上から描いてみました
◎
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
一時期、バナナの形をした受話器が
あったそうです。
…なぜバナナがあって私のはないのでしょうか?
バナナがあるのなら、ちくわの形をした
受話器があってもいいじゃないですか。
私の片方の穴を受話口、もう片方の穴を送話口
にすれば問題ないと思うのですが、どうでしょう?
私の部屋は冷蔵庫です。
大変住み心地の良い環境で、私はとても気に入っています。
なんといってもエアコン完全完備なのが嬉しいですね。
年中エアコンが効いているんです。いいでしょう?
ただ、いつも暗いので暗所恐怖症の方には
お薦めできないですが。
あと共同部屋であるというのも特徴ですね。
住物はけっこう頻繁に入れ替わるので、さまざまな
者達と出会えることができます。、
部屋の中では、さらに仮設テントを張りまして、
普段はその中で生活をしています。
このテントは空気が入らないように作られています
ので、多少息苦しいのですが、この密閉感のおかげで
私達の身体は抜群のプロポーションを維持できるのです。
おかげで肌もこんなに瑞々しいです。
ええ、水も滴るいいちくわですよ。
実際には滴りませんが。
世の中には、私達を好物としている動物がいます。
代表的なのは人間ですね。
まあ元々、自らの食生活のために私達を創造した
わけですからそれは当然かもしれません。
ですが人間にも「個人の差」というものがあるようです。
私達をまったく食べない者もいれば、それこそ毎日の
ように食べている者もいるようです。
その中の毎日私達を食べている者を、私達は
リピーターと呼んでいます。
リピーターは毎日のように仲間達を買い漁り、
食べていきます。
何百本という数の仲間が、リピーターの犠牲になった
ことでしょうか、その数を数えるのも躊躇われます。
いえ、正直なところ、毎日食べてもらえるのは
とても嬉しいんですが、それと同時にちょっと
引いてしまうのも事実です。
本来ならリピーターは歓迎すべきことなんですが、
度が過ぎると、それは恐怖の対象になるのです。
「おい、またリピータがやって来たぜ」
「今日の生贄は誰だ?」
リピーターが来るたびに、私達は恐怖に打ち震えます。
自分が選ばれたいと思う反面、選ばれたくない
という気持ちもあり、まことに複雑な思いです。
そして選ばれた仲間達が、リピーターに
連れ去られていきます。
「じゃあな」
連れて行かれる仲間は、そう言って小さく笑いました。
近いうちに自分が死ぬとことがわかっている、食われる
ことを覚悟しているのでしょう。
彼の顔は実に清々しいものでした。
彼と会うことは二度とないでしょう。
仮に会ったとしても、その場所はリピーターの
胃袋の中だと思います。
自分の未来が予想できない私達。
誰に食べられるのかわからない私達。
私は誰に食べられることになるのでしょうか。
ちくわが嫌いな人間でしょうか?
リピーターでしょうか?
それとも犬や猫でしょうか?
もしくは誰にも食べられずに、ゴミ箱へ
捨てられるのでしょうか?
私の運命は如何に?
今はまだわかりません。
いつか解るときが嫌でも来るのでしょうが、
それを自分が素直に受け入れることが出来るか、
正直わかりません。
捨てちくわです。
通常、私達は人間に買われ食われるという生活を
送っているわけなのですが、中には捨てられる
仲間などもいます。
もちろん、犬や猫のようにダンボール箱に入れられ、
道端に起き去りにされるというようなことはありません。
そして雨の中、コートを着た人間が現れ、セーターの
下に入れてくれるなどというようなこともありません。
レッツゴーゴミ箱です。
投げ捨てです。ポイ捨てです。
大抵はですね、生ゴミとして捨てられるんですよ。
それも、汚臭漂う生ゴミ捨て場に。
生ゴミ捨て場はとても生臭い匂いに満ちています
はっきりいってとても臭いです。
もちろん、その中には私たちの体臭によるものも
大きいとは思うんですが。
一旦捨てられてしまった私達には、敗者復活の
チャンスは与えられません。
そのままゴミ捨て場の中で、腐り朽果てていくのです。
さらに運が悪ければ、カラスなどに身体を食い荒らされる
かも知れません。
言い知れぬ絶望が支配する状況、希望の光などは
見えやしないでのす。
都会の公園に捨てられ、その存在価値を否定された
者達の中には、道行く浮浪者に拾われ、無事天寿を
まっとうした者もいます。
ですが、このようなケースは希でしょう。
ほとんどの仲間達が見向きもされないまま、寂しく
そのちくわ生を終えていきます。
食われるも苦痛、捨てられるも苦痛。
最終的に食われる運命の下に生まれてきた私達。
そんな私達にとって、幸せなちくわ生とは
一体なんなのでしょうか?
食卓で人間に「嫌い」だの「不味い」だの
言われることがあります。
ても、こればかりは正直お手上げです。
何故なら、私は元々この味なのですから。
私自身を否定されても私にはどうすることもできません。
あとは私に新たな味付けし、調理する料理人次第です。
そりゃあ「美味い」といわれればそれなりに喜びますよ。
口の中で噛まれながら狂喜乱舞しますよ。
逆に、不味いといわれても「ああ、そうですか」としか
言えないところがつらいです。
一番つらいのが一回口の中に入れられた後、
おそらく不味かったのでしょう、外に吐き
出された時ですね。
不味いといわれながらそのまま胃袋に送り込まれれば、
まだそれなりに諦めもつきます。
素直に成仏できるかもしれません。
ですが口の中に入れられ、何回も噛まれたあとに
吐き出されると、なんといいますかこう、ものすごく
「屈辱的な何か」を感じさせてくれます。
好き嫌いはわかります。わかりますが、プライドが
ズタズタに引き裂かれたこちらの気持ちも少しは
考えて欲しいものです。
101ゲトー
ちくわさん、もう来ないんですか?
革命軍はちくわを応援します。
夜の春風は実に心地いいものです。
ですが、あまり風にあたってばかりいると、
お肌がカサカサになってしまうのが残念です。
…いえ、肌どころではないです。
身体全体の水分が蒸発し、ミイラのように
干乾びてしまうわけなんですが。
そう考えると、私はアウトドア向きでは
ないのかもしれません。
私達が生き抜くには、自然はあまりにも強大で
厳しいものです。よって人間の力を借りなければ、
私達は生きていくことができないのです。
まあ、その代償として食われてしまうわけなんですが。
そんな感じで今日もひっそりと冷蔵庫にて待機中。
そんなちくわ生も、いとおかし。
そして、ゴールデンウイーク到来です。
ですが、だからといって私に休暇というものが
発生するわけではありません。
というかですね、休暇そのものがないんですよ、私には。
なにしろ24時間待機なもので。
ええ、いつでも出動できるように。
正直、バケーションが欲しいです。
南国の豊富な暖かさを感じながら、
透明感溢れるエメラルドグリーンの
海上を心ゆくまで漂ってみたいです。
で、食われるわけですが。
カレーダイビングです。
今日はカレーの中に飛び込んでみたいと思います。
というか実際には突き落とされるなんですが。
いつ、殺ちくわ罪が適用される日が来るのでしょうか?
まあそれはともかく、とりあえずはプカプカと
カレー面を漂うことにします。
視界は非常に悪く、あたり一面には異様な臭いが
たちこんでいます。
いろんな意味で浮いています。
あ、力尽きてきました。
潜カレーです。下に潜ります。
さらば空気。
再び陽の目を見ることはできるのでしょうか?
不安を胸に、下へ下へと沈んで行きます。
なんか痒いです。
それに身体がドヒリヒリして、とても
気持ちが悪いものです。
なんとかならないのでしょうか?
それにしてもアレですね。
水というよりはまるで沼、おかげで10cm先の
ものも確認できません。今どこにいるのか、
上下の区別もつきません。
おまけに身動きも取れません。困ったもんです。、
底へ着きました。
何も見えません。
何も聞こえません。
何も感じません。
身体にはすっかりカレーが染み込み、
私の動きを鈍らせています。
どうしたもんでしょうか?
一ちくわである私には、この状況を
打破する力はありません。
ともかく、下手に動いてはかえって危険です。
おとなしく待ち続けることにしましょう。
そう、陸へ引き上げられるのを。
何分後か、何時間後か、はたまた何日後か。
いつか来るはずです、救助隊が。
__,、__,_,_,__
@;::';;;; ・д・ ;;..;,;`) < ちくわの
 ̄~ ̄~ ̄~ ̄ ̄ ちくわによる
ちくわのための
政治です。
しかし、現実には私たちは被支配者。
参政権など夢のまた夢です。
もちろん、ちくわ権などというものもなく、
ひたすら虐げられ食われるのです。
あなたは食われたことがありますか?
食われる者の気持ちがわかりますか?
屋根より高いちくわです。
人間は私を食べることだけに夢中で
なんといいますか、こうもっと違う形で
プロモーションをしてくれないものだろうか
と考えたりします。
ときに鯉。
鯉のぼりです。
彼の身体をモデルにした旗のような物が
五月五日、日本の空に靡いています。
このおかげで、彼の知名度は格段にあがりました。
そして、犠牲者の数も格段に増えました。
「人間を見下ろせるなんて最高さ」
彼は口をパクパクさせながら、こんなことを
私に言いました。
その数十分後、彼は生きたまま身体を切り刻まれ、
人間の卓にその姿を晒すことになりました。
人間を見下ろすどころか、人間に見下ろされる始末。
そして瀕死の彼を目の前に、人間たちは彼の身体を
貪り食うのです。
彼は自分の身体を食われるのを見ながら、静かに息を
引き取っていきました。
料理屋での出来事です。
私は考えました。
「有名すぎるのも考えもの」
そりゃあ「鯉のぼり」ならぬ「ちくわのぼり」
なんて物を作ってくれたらちょっとは嬉しいですよ。
青い空を背景に透き通るような白い雲。
その中を舞うちくわ。
どうです?
ですが、その弊害は必ずやってきます。
犠牲者の増加。
これだけは避けられません。
もしかしたら近い未来、五月五日が私たちの
慰霊祭の日となるかもしれないのです。
有名にはなりたい。
でも、有名になればなるほど食われる私たち。
絶えず矛盾を抱えながら歩んでいるのが私たちの
ちくわ生なのかも知れません。
何千年もの間続く空模様。
私たちは人間の歴史と共にやってきました。
幾多もの試行錯誤を繰り返され
人間の食欲によって押しつぶされても
私たちは倒れません。
空腹を満たすためだけの存在に過ぎないと
彼らは吐いて捨てます。
自分の姿を見つめてわかりました。
私たちはれっきとした魚肉加工物であるということを。
これこそがちくわなのです。
蒲鉾、鳴門、ツミレがいます。
小麦粉の練り物ちくわぶを。
クールな被食者魚肉ウインナーを。
彼らが私たちに魚肉加工物としての
インスピレーションを与えてくれます。
新鮮なダシが私たちの後をついていったのです。
これが私たち魚肉加工物としての
食べるために喜びで満たしてくれる。
私たちが食べられてきたこの歴史はすべて
文化として残り、離れることはありません。
私たちを置き去りにしたりなどしないのです。
これこそがちくわなのです。
魚肉のリズム。
タンパク質を理解するリズム。
数百度の熱による闘争。
スケトウダラにメルルーサ。
魚肉のメッセージを伝えるのです。
向上するのです。
月曜、火曜、水曜、木曜。
どれもみんな同じです。
人間は生計を立てるため、同じことを繰り返します。
しかしそれは私たちも同じこと。
ホキ、エソ、キンメダイ、イトヨリダイ。
厳しい戦いはまだ続きます。
私たちは加工物にならなくてはなりません。
これが魚肉のリズムなのです。
私たちは毎日ポジティブに努力しています。
しかしネガティブな食欲が私たちの前に
立ちふさがります。
困難な状況、希望すらもありません。
それでも私たちは上を見つめます。
諦めることなんかありません。
私たちの魚肉のリズムが活き続けている限り。
ジョークなちくわ生。
この世を嘆いたところで首をつる必要もありません。
飢えた生物を一匹用意するだけで充分なのです。
彼らは交流など望んでいません。
飢餓の前に理性は消し飛び、力ある者はない者から
奪った挙句、物理的に捻じ曲げるのがオチです。
魚肉無差別待遇など机上にも乗らぬ空論。
彼らは私たちの根本的運命を定め、そのちくわ生を
操るろうとしています。
システムによって私たちは支配されています。
私たちにできることはただ一つ。
魚肉のリズムを感じることだけです。
空が険しく鳴り響いています。
雨の中、残り火のように僅かに輝いていた
ものが、力なくかき消されていきそうです。
新しい日がはじまり、まったく違う一日が
終わりを告げました。
誰かが私たちの祈りを答えることもなく、
冷えた空気だけがそこに漂っています。
私たちは食糧として食われるちくわ。
無抵抗に食われるくらいなら、腐った方が
マシだと言う者もいます。
自由を求め、跪く前に結束することは何の
意味もありません。
そして何の効果も期待できないのです。
動物愛護者が世に蔓延っても、そこに
待っていたものは抑圧という名の現実。
存在そのものが階級となり、糧となります。
それが、冷蔵庫で暮らす私たちちくわ。
多くの者がこのような建物の中に住んでいます。
自分たちがどこからやってきたのかもわかららず、
毎日のように現状に疑問を感じ、憂いています。
私たちには魚肉の血が染み込んでいます。
それは、自分の存在理由を考える手助けとして
私たちの体内に今も宿っています。
方向性の欠片も見えず、目の前の案件を
処理することだけに没頭する彼らは、しきりに
口をそろえて言います。
「悪いようにはしない」
しかし、彼らの嘘は今やすべて売り飛ばされて
しまいました。
♥
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
何か深刻なことがはじまっている
ような気がします。
なんともない湿った空気、生ぬるい風が
事態を悪化させているのだとしたら…
それらを遮断することは、非常に容易く、
そして困難な境遇を作り出すことに他ならないのです。
受け入れがたい季節がやってきました。
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ^^ )< これからも僕を応援して下さいね(^^)。
( ) \________________
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(__)_) 山崎モナー