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蓬莱学園の終焉 旧図書館
「戻らずの旧図書館……も今じゃただの腐海かよ」
そこには魔の気配は無かった。薄明かりと本についた色とりどりのカビやきのこが音もなく、彼らを出迎える。
かつて常識はずれの怪異で数々の生徒を飲み込んだこの建物も、今は二人に何も仕掛けなかった。
廃墟ならではの空っぽな無音がどこまでも二人を包み込む。
階段を降りてもカビくさい湿った空気が迎えただけだった。
「あたしたち、島の人たちにからかわれたんじゃない? ……昔いろいろ無茶したから、島の人達はよく思ってなかったしさ」
「……かもな」
そういうと男は足下に落ちていた一冊の本を拾い上げた。
読めない字でかかれた高級そうな本も、カビとシミでぼろぼろになり、ただのゴミになりかけていた。
かつてなら旧図書館で落ちている本を広げるなどと絶対にしなかっただろう。
だが、10年の歳月と弛緩した廃墟の気配が男に本を無造作にあけさせた。
ちいさな白い光の瞬きが本から舞い上がり、同時に本がぼろぼろと崩れた。
蛍のようなその光は二人の頭上を二三度回ると、地下深くに降りる階段のほうへ飛んでいき、視界から消えた。
二人は目を見合わせた。やがて女が口を開いた。
「これ、やばいかもね。戻れなくなるかもよ」
「……ケチなフリーライターが一人消えても、誰も探しやしないさ」
男は肩をすくめると女に背を向けて階段に向かい始めた。
そんな男の手を女があわててつかんだ。
「ちょっと、あんなの追っかけてどうするの? 探さないって、家族とか居ないの?」
「俺は独身だし、恋人もいない。親兄弟は、この学園に来て以来逢ってない」
「どうして?」
「……もともと俺はこの学校に捨てられたようなものだからな。姉貴も弟も出来が良くて、良い学校行ってまっとうな生活をしているよ。
姉貴はもう二人も子供を産んだし、弟にもまもなく子供が産まれるそうだ。……だけど俺だけが何もない。
半分引きこもりだった俺は、中学なんかまともに学校行ったのは一週間だったよ。でもここに捨てられて、俺は生き返った」
なおも階段を見つめる男に、女は心配そうな表情を向け、語り始めた。
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506:05/01/21 02:51:32 ID:???
「……でもあたしたち、卒業したんだよ。あなたもあたしもここから自分で出ていった。
……あたしの先輩はね、ここが大好きで、18才になっても残ったんだよ。
でもね、25才を過ぎた時、先輩が望むような男が学園にはいないって気がついた。
ここに残るまともな男は、もう恋人がいたり結婚してたり。そうでないまともな男は、みんな卒業して出ていった。
残ったのは、逃げてばっかりの男達。自分だけで何とかしようとしても子供が出来たらまともに暮らしていけないし、ここの経済もむちゃくちゃ。
赤ちゃんを診てくれる医者なんてほんの一握り。ここは大人にとっては、恋愛も結婚も子育ても出来ないところだって気づいたとき、先輩は日本に帰っちゃった。
あれほどこの学園が好きだったのに、30過ぎてもこの学園にいる自分を想像して、嫌になったんだって。
あたしもね、それを聞いたとき思っちゃった。女はね、子供のままではいられないんだって」
「……じゃあ、君だけ帰るか? 入り口までなら送……」
「そうじゃないの! もうあたしたちは生徒じゃないわ。 あの光を追いかけて何があるの? 学園が蘇るとでも言うの? ね、戻ろう?」
女の訴えは、男を簡単に沈黙させた。
「……だけど」
「船から誰もいないこの島に降りたとき覚えている? あのときね、とても怖くて寂しかった。
……二人っきりなんだよ。でね、同じ学園の思い出を持つ人がとても大切なんだってわかったの。だからあなたと一緒に歩いた。
誰もいない島をまわったの。……でももう学園はないのよ。戻ることは出来ないの。だから戻りましょう?」
男の目が、階段と女の間をさまよった。確かにもう高校生ではなかった。抱える締め切りがあった。なじみの編集との会話が思い浮かんだ。
単行本出版の話だ。23の時に学園を去って後、厳しい現実の中で実績をあげて、なんとか食えるだけの収入が手にはいるようになってきたばかりだった。
冷えた頭が女の言葉を肯定していた。もう俺は卒業したんだと。
だが、そんな冷静な考えを押しのけるように、衝動が心の奥底でうごめいていた。謎をあかし冒険を望む、煮え立つような欲求だった。