卓上ゲーム板作品スレ

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364NPCさん
姉が指をぱちんと鳴らした。
とたんに妹はへたり込んでしまった。
あたまが、だるい。
むき出しの燭台が、ちらちら光るのが鬱陶しくてかなわない。
カーテンのひだが、目の前にあるのか、遠くにあるのか分からなくって思わず手を伸ばしてみる。何も触れない。今度は、伸ばしたこの手がどこにあるのか分からなくなってしまった。
ひばりの声がきんきんと耳に響く。響くたびに胸が縮む。
足元の床が、柔らかい。

もう一度、ぱちんという音が鳴ったような気がした。
ふと、激痛を感じる。
激痛?だが、どこが痛むのだろう。それでも、痛いことはわかる。
それと、不快感。体の一部が妙に自己主張している。
だが、どこがどう主張しているのか、まるでわからない。
というより、わかるってどういうことだったっけ。思い出すって、確か。

なにもかも、もうどうでも良くなってきた。

(どうでもいいから、ぬけだしたい。)
この一言が、100万回言っても伝えきれないことのように感じる。
その前に、口が動くかどうか・・・
365NPCさん:03/12/11 13:48 ID:???
床にへたりこんだ妹が動く気力をなくしたのを確認すると、その額に当てていた人差し指を姉はゆっくりと引き寄せた。
風とは違う空気の揺らめきを、鳴らしたかっこうのままの指が知らせる。
疲れが、どっと押し寄せてくる。
でも、ぴんと張った糸にも似た術式は、まだ終わったわけではない。ここで気を緩めては、何もかもがおしまい。
何とか気力を奮い立たせて、自分の意識を乗せた息を、ゆっくりと吐きかける。
「さよなら」という言葉の、その、言霊に乗せて…

まるで、抜け殻のようになった体を引きずって、後ろを振り返らずに扉を閉める。
あと、丸一日は放置しておかなくてはいけない。
「切断」には成功した、はず。
それなのに、「正常」な感覚はまだ戻ってこなかった。
血のつながった妹が、犠牲になった。それすらも、現実味がない。

罪悪感がないわけではなかった。
少なくとも、そういうものがあったという記憶ならある。
だが、その記憶は、遠い遠い昔のことのようだ。
術式を始める前、30分もたたない大昔のことだった。
366NPCさん:03/12/11 13:49 ID:???
(馬鹿野郎・・・)
その言葉に叩き起こされて、妹はのそりと体を起こした。
顔の上を、西日が這っている。
(くそったれ・・・)
まただ。
耳をふさいでもどうにもならなかった。自分の頭から響いている声にならない声。音なんかなくてもはっきりとわかる。
その「声」が髣髴とさせるのは、柔らかい笑顔、優しい口調、の・・・姉さん。
(この、ひとでなし・・・)
思い出した。熱を出して寝込んだとき。姉さんがプリン持ってきてくれたっけ。そして、暖かい声で。
「この、ひとでなし」って、確か。…え?

(ふざけるな・・・何様だと思っているんだ・・・くたばれ・・・)
姉のほわんとした笑顔と、柔らかな「声」を借りて、ありとあらゆる罵詈雑言が自分の中にぎっしりと詰まってきた。
じっとりと湿った砂袋のように。胸の中に。頭の中に。心の中に。体の中に。
「声」が、指しているものは、「私」
(ぼけなす・・・)
違う。 いや、違わない。
思い出した。熱を出して寝込んだとき、妹の心配もしないで遊びに行ったら、友達のおばさんが心配してくれてプリン持たせてくれたっけ。それで妹の心配もできなかったのがすごく恥ずかしくて、それで自分のこと、
「この、ひとでなし」って、確か。…え?

腕を上げて、指先を見る。ぎこちなく首を回して、視点を動かす。手の甲から腕、腕から肩へ、そこからつながっている胴体。「自分」のもの。「自分」の体。「自分」の・・・記憶。
捨てたかった。みんな捨てたかった。でも、移すことしかできなかった。それでも、自分ではないものにすること、それだけはできたから。
激痛が頭を走る。涙が、ぼろぼろと落ちる。詰まった砂を全部洗い流すように、ひたすら泣いた。
体がひからびてくる。最後の水の一滴を落としてしまっても、砂のような姉の記憶は少しも流れ出てはいなかった。
のどが乾いた音を立てる。
残らなかったものなんてない・・・ぜんぶ、残されている。「私」も、「私」になった「もの」も。
すがりつけるのは、たった一言の確かに感じる自分の思いかも知れない。
「私は、私だ」
嗚咽とも、咳ともつかぬかすれた一言をやっと吐いた。
東の空が、白みかかっていた。
367NPCさん:03/12/11 13:51 ID:???
姉は、トマトを切っていた。薄切りにした白チーズと、オリーブの実を皿に並べ、ヨーグルトを添える。横のなべには、レンズ豆のスープができていた。
時間になったから、朝食の時間だから、支度をする。ただそれだけだ。
空腹感、そんなもの知らない。はるかおとついの昔に忘れ去った感覚。どうでもいいこと。
目の前の決まりきったことするだけのこの幸せさえあればそれでいい。

扉を開いて、妹が入ってくる。
「オハヨウ、ゴハン、デキテルワヨ」
言うべきことをひどく無機質な声で言って迎えた。顔には、固い笑顔が張り付いたまま。手を休めずに朝食をテーブルに並べる。

妹には、―とりあえず水をコップに五杯飲み干した妹には、
「姉さん」
の一言しか掛ける言葉が見つからなかった。
もう戻る手段がないこと。何より、姉に戻る気がないことがわかりきっていたから。
だから、その先の言葉は飲み込んでしまってしまった。水と一緒に。
姉の返事は、虚ろなほほえみだけだった。