ちなみに俺は
>>430ではないのであしからず。
今や単なるリアルなシミュレータはもはやHoudiniだけのものではない。
最も重要な要点は既存システムとの親和性(シーン環境にシームレスに組み込めるか)につきる。
Houdiniが重視するコントロール性はこの親和性の究極の形態といえる。
MayaとHoudiniの比較はカタログにある能書きではなく、より本質的な観点で見る必要がある。
>>437氏も「機能」で比較することのナンセンスさはご理解されているようだしPrism時代からユーザということは
下手に出つつある一定レベルのプロフェッショナルとして長い経験を持っていると推測され本来なら自らのPrismの経験をベースに
論をぶっていただきたいものであるが、
>>430氏からの特段の書き込みがないようなので
僭越ながらHoudiniについて書いてみたいが、このスレに既にかなり書いたので、別の視点で書いてみる。
物事の本質を理解するには弁証法が必須であり、複数の視座から違う物差しを
使うことが何よりも大切である。
まずは、一般的に流布されるHoudiniの「評価」「評判」のようなものは一旦ぶち壊す必要がある。
なぜならその殆どが単一視座からの一面的評価を何も分かっていない烏合の衆が
復唱し伝播の過程でコモンセンス化しただけのものだからである。
俺は前スレから一貫してHoudiniは高く評価しており、それは特に学生が学ぶ
ツールとしてMayaとHoudiniを推奨してきた。
逆に3dsMAXやXSIは特にこれから学ぼうとする人間をダメにするから推奨しなかった。
ただし個人・零細アーチストが仕事に使うにはMaxを勧め、俺の場合規模を問わず
どの様なケースにおいてもMayaを使うとした。
そしてハイエンド映像業界においてHoudiniを使いこなす技能があれば
すばらしい仕事が出来るのは間違いない。
周囲の偽りのXSI絶賛の中、XSIについてのみあらゆる分野でダメソフトの烙印を押してきた。
巷にあふれたXSIの偽りの評判とHoudiniの「壊すべき」評価の違いは何であろうか。
XSIが過剰に持ち上げられた要因はHoudiniとは大きく異なるのはオーナーがAutodeskになった時点で
ピタリとMayaへの荒らし行為が消滅し過剰なXSI持ち上げがなくなった事が全て証明している。
買収劇によりXSI神話は関係者筋を中心とした自演、ステルスマーケティングとそれに付和雷同した
XSIファナティックという単純な構図が浮き彫りとなった。
今や逃げ遅れた一部のXSIカルトが「後ろ盾」を無くし焚き火の残り火がたまに崩れ落ちる
瞬間に明るく輝くようにかすかな咆哮を発するのみとなった。
それに対してHoudiniの評価、評判は集団にある種の誤謬が生じる背景や
原理が存在しており、XSIの「自作自演」ほど単純ではない。
>>437 Houdiniの価値は、ハイクオリティなエフェクト機能をProduction Readyで提供しているところにある。
このProduction Readyというのが最も重要なところ
>>438 Blenderの方は知らんが、LagoaはPBDじゃないから似て非なるものだよ。
Lagoaは結局速度が遅いから使われなかった。
みんな高速化を望んでたのに結末はご覧の通り。
PBDじゃないからstep数を増やさないといけないはずで、遅い。
GPUにも未対応だった。
lagoaはPBDの機能も無いThiago 自身が見捨てた出来損ないであり処理速度も遅く
>>342 に書いた
XSIを象徴するような見掛け倒しツールという評価で異論はない。
実際はPBDは一つの機能に過ぎず、これはMayaのUV破壊と同じレベルで時間とともに流動する要素となる。
仮にLagoaにPBDが実装されたとしても何一つ結論は変わらない。
それは単なる「機能」に過ぎず、「機能」は時とともに変化し流動する。
ソフトの機能は流動してもソフトの評価は生まれたときにほぼ運命付けられている。
なぜなら見るべきものは、機能ではなくアーキテクチャとその上で花咲くエコシステムだからである。
さてHoudiniの壊すべき「評価」「評判」におけるある種の誤謬の原理とは何か。
高級が低級を畏怖する傾向はIT業界やソフトウエアの一種であるDCCを語るときに重要な観点となる。
これは一種のコンプレックスとその裏返しとしての低級の隠匿の為の疎結合によるレイヤ化の進展として発現し、
これこそが大昔の「電算機」の時代から、今のIT時代の基礎的潮流である。
Javaプログラマーから下を見ればCプログラマーがおり、その下にアセンブラプログラマーがいる。
時代はその逆に歩んできた。最初にアセンブラプログラマーが誕生し、その次にCやCOBOL、そしてJavaという順番だ。
Java的なものの次として出ては消えていくのがノンコーディングによるプログラミングパラダイムだ。
しかしこれは歴史の長い割には一般化せず、今後もコーディングの時代は続くであろう。
なお、Houdini,ICE等のビジュアルプログラミングのコンセプトもノンコーディングプログラミングの一種でありその現状は
>>400に書いた。
高級と低級のレイヤ構造は歴史の歩みそのものであり様々な分野で見られる。
高級の業務プログラム開発者からみれば、OS,デバイスドライバー開発者や組み込み系は低級となる。
各エンティティはその中でまた階層化されており、
DCCの分野なら高級が単なるオペレータ、中級にTDがいて低級はDCCツール開発者となり
DCCツール開発者の中もまたUI開発者が高級となり、低級はエンジン開発者やアーキテクトとなる。
このように参照モデルの各レイヤを低級から高級にかけて抽象化を繰り返したモデルであり、
これはソフトエウエアのみならずハードウエアの分野でも似た構造がある。
LSIの回路設計の方法もアナログ的な回路設計から抽象化された
プログラミング言語により回路が設計される潮流がある。
技術的には明らかにアナログ的な回路設計のほうが難易度は高く、
IntelCPUがそれにあたり逆に抽象化されたプログラミング方式はARM等だ。
前者は性能絶対主義であり、プログラミングでいえばアセンブラ言語となり、
後者は多少の性能は犠牲にし汎用性、保守性が重視された高級言語に近い。
電卓に誰も処理性能は求めなくなった様にCPUの絶対性能が飽和するに従い、
性能の犠牲が許容されコモディティ化は避けられずその結果前者は後者に侵食されていく。
しかし前者は高い技術を持った技術者として後者のコモディティ軍団から
すれば畏怖と尊敬、そして劣等感を抱く対象となる。
技術的に前者が高度であることは間違いないが、マーケットは経済原理にそって動く。
結果的に「技術的に高度」なものが市場から敗退する事は起こりえる。
最近のIntelの失速の一因かもしれない。
人間の行動原理とは実際は単純シンプルな原理原則で説明できることが多く
劣等感や恐怖心は例えば手の届かない女性をレイプする際に男性は暴力的になったり、
相手が見えないがゆえに発生するクラクション殺人事件や
プログラミングが出来ないものがMayaを畏怖し、そして裏返しとしてMayaを
攻撃する傾向があるルサンチマンの発露のベースとなるものである。
弱い人間や劣等感が強いほど社会的承認要求という行動原理から付和雷同し、
誰かがたたき出すと自分も同調し、特定の対象を総攻撃する「炎上」などのグロテスクな現象を巻き起こす。
この視点はGUIから単なるオペレーションのみを行っている者による
Houdiniの「評価」「評判」を品定めする際に必要となる観念である。
人間は知らないものにたいしては恐怖心を感じ、自分に無いものは欲しがり、
手に入らなければ劣等感を持ち、パーソナリティ類型によっては外部との関係性
を上か下かでしか見れないことにより未知の物を過剰に持ち上げたり、無批判に賞賛する
傾向と、それらの「評判」が伝播の仮定でコモンセンス化する。
黎明期のMayaは畏怖の目で見られ誰からも叩かれなかった。
しかし高機能となり使いやすくなり、結果的にメジャーとなり「人気」になればなるほど
その僅かな要素である「低級」部分が目に付きだし、人々の不満がある臨界点に達した時点で
ルサンチマンの発露として逆バネとなって暴れだす。
その原理を当てはめれば皮肉なことにHoudiniが叩かれないのは使い手を選ぶほど
高度な技術が必要だからであり、ハリウッドなどのハイエンドに一定のポジションは
築いたがマスマーケットで見れば結果的に人気が無いマイナーソフトという事になる。
言い換えればMayaの黎明期と同じポジションのままそこにいるということだ。
>>443 PBDは機能ではなくアルゴリズムだよ。
高速でロバストなダイナミクスを実現するための仕組み。
ダイナミクスの重要性は言うまでもない。
>>444 ノードベースUIは適所で既に定着してる。
コーディングが無くなるとは言わないが、
キャッシュや依存トラッキングのしやすさを考えると、ノードベースUIは、副作用の少ない領域(純粋関数中心)でまだまだ伸びる。
>>446 CPUの性能は未だ足りない。
Intel失速の原因は、CPUの進化が鈍っていること、
GPUの進化が早いこと、GPGPUが普及したこと、これら。
今後、GPGPUでメモリの問題が解決されれば、Intelは更にヤバくなる。
「PBDは機能ではなくアルゴリズムだよ。 」
アルゴリズムを具現化したものはプログラムであり、全てのプログラムはアルゴリズムであり
アーキテクチャーも機能もPBDもプラグインもエンジンも実体は全てプログラムなのだから
こいつは男か女かって言っているところでそばから、こいつは「哺乳類」だよというような話で
これはいわゆるトートロジーということになる。
「CPUの性能は未だ足りない。」
さて、それは誰にとって足りないのか?
たしかに一部のDCCや技術計算分野ではそうだろう。
しかしそれが一体マスマーケットの中でどれだけを占めているかを考えれば分かる話だ。
「マーケットは経済原理にそって動く。」
>>446 今やローエンドCPUでもほとんど大半の人間にとっては用途に事足りスマホで十分という世界になったが
実際の所DCCですら、今は普及価格帯のCPUとGPUでも十分作業ができるようになった。
結果的に縮小するWS市場は魅力を失い、シングルスレッド向上という「高い技術が必要となる」(
>>446 )
路線から並列処理性能を徹底的に向上させる路線にシフト。
CPUのコモディティ化はIntelにとって悪夢だが、時代は確実にIntelジリ貧に向かって進んでいる。
「ノードベースUIは適所で既に定着してる。」
その通り。「適所」において、今後も「副作用の少ない領域」で延びることはあるがその程度だ。
Melスクリプト等のコーディングとノードベースのグラフは美しさでは断然後者である。
しかしマスマーケットを見れば誤差の範囲でありコーディングを凌駕するパラダイムは全く見えてこない。(
>>400 )
その理由はコーディングの最大の強みはスケーラブルであること。
ノードベースは規模がある閾値を越えると処理性能と可読性が破綻する為例えばHoudiniで
キャラクタアニメーションをやろうとする場合に大きな障害となりえる。
これはアーキテクチャからくる宿命ともいえるためノードベースはあくまでニッチな
「適所」においてのみ活用されることとなる。
Houdiniの弱点である「遅さ」はアーキテクチャから来るものであり、本来この「遅さ」
はCPUの進化とともに解消されることが期待されたが
CPUのシングルスレッド性能の頭打ちにより処理能力向上による時間的解決が望めなくなったのはHoudiniにとって逆風となりえる。
可読性はノードのグループ分けでいいじゃないか!
ノードのグルーピング機能は確かに素晴らしい解決策で必須機能と言える。
しかし一番説得力があるのは「事実」「実態」「実績」「現実」そして「結果」である。
巨大システムはほぼ確実にコーディングによる。
ノードのグルーピング機能をいくら声高に主張したところで
全体のマーケットを見ればビジュアルプログラミングよりコーディングが圧倒的に優位である現実は揺るがない。
この観点で見た場合、ノードのグルーピング機能は、必要条件であるが十分条件ではないということになる。
>>450 一般人が使うようなノイズリダクションだけでも、
高品質なアルゴリズム(NL-Means)は重い。
一般人が使うようなOCRも機械学習使ってたりして重い。
動画処理は言わずもがな。
3DCGにおいては、レンダリングは言わずもがな、トラッキングやら、エフェクトやら、凄く重い。
CPUの性能は足りてないけど、GPGPU化が進行中で、あとはメモリ問題の解決だけ。
>>451 処理速度については、ノードもスクリプトも実装次第だが変わらない。
可読性や保守性については、難しいところ。
コードの方がdiff取りやすいし、マージしやすいし、コメント入れやすいしね。
たしかにCPUの処理性能については「個人的」には全く足りていないと考えており、その部分では同意する。
しかし一般人にとって部分的に遅い処理があったとしても、総体で見た場合無視できる範囲となる。
PCの処理能力不足の話を業界外の人間に話すとほぼ全て驚かれる。
「一体どんなことをパソコンでやるの?」これが世の中の大多数の人間、最頻値であると考えられる。
今やPCの雑誌などで「処理性能が要求される分野」として普通に「CG作成」「レンダリング」等が出てくるようになった。
本来極めてニッチな分野であったものだけが、取り上げられるほど、性能は既に他の分野では足りてきている一つの表れだ。
いずれにしても「個人的に」どう考えようが
最も大切なことは、世の中は「結果的」にどう動きどういう「現実」があるかという事になる。
>>453 CPUを作っているのはIntelであり、そのIntelの判断に依存しており
「個人的には」一番欲しいシングルスレッド性能の向上を実質的に放棄してしまった。
XSIファナティックの思いとは関係なくAutodeskがXSIを「結果的」に放棄したという「現実」と同じだ。
我々個人がどう思おうとも、総体=マーケットは経済原理に沿って動く。
個人的な主観が支配し実存が理解できていない場合、「行く末」を見誤ることとなる。
XSIファナティックはこの過ちを犯し続け結果的に負け犬ソフトに乗っかり未来を見誤ってしまった。
>>455 マルチスレッド化が進んだ現在に、シングルスレッド性能が必要なことなんて少ないと思うがなぁ。
特に3DCGは並列化しやすい部類だし、むしろもっとコア数を増やして欲しいところ。
いや、まぁ、倍精度演算とか任意精度演算とかが必要な部分では、もっとシングルスレッド性能が欲しいけどさ。
「マルチスレッド化が進んだ現在に、シングルスレッド性能が必要なことなんて少ないと思うがなぁ。 」
まさにその通り。俺が言ってきた内容だ。
俺は個人的=個人的な主観ではシングルスレッド性能がもっと欲しい。
しかし世間一般、マーケットの総体においてはシングルスレッド性能は十分であり、4つもコアがあれば
一般人には十分ということで結果的に大多数にとってCPU処理性能は既に十分飽和してしまった。
なぜ現在「マルチスレッド化が進んだ」のか?
それはシングルスレッド性能の頭打ちと並列化が背景にある。
そしてその潮流を作ったのはIntel自身の発言「the free lunch is over」をきっかけとしている。
「CPUのシングルスレッド性能はもう十分だろ。これ以上の向上は金もかかるし副作用が大きいからもうやめた。
比較的簡単な並列化に力入れるからあとはよろしく」
言い換えれば今までIntelが難易度の高い部分を担っていたが、プログラマーがその難易度の高い部分を
代わりに担うようになったということだ。
これはIntelから難易度の高い仕事=「付加価値」がその分失われることを意味する。
この先にあるのはCPUのコモディティ化=Intelのジリ貧ということになる。
現実には軽い処理はシングルで十分。重い処理は並列処理で解決。
一部の例外を除けばシングルスレッド性能は問われなくなり、そこそこのCPUを並列化させれるとなれば
従来の「Intel的な役割」は終焉したとも言える。
しかしノード内は並列化できても依存性のあるノード間のデータフローそのものの並列化には限界があるため
Houdiniの弱点である処理速度の改善にはシングルスレッド性能向上がどうしても必要とされる。
つまりHoudiniのような純粋なデータフローモデルはこの流れで最もとばっちりをうけることとなる。
砂漠に種をまいて水をやったところで花開くことは無いわけで、
要するにありとあらゆる条件がそろって初めてツールというのは広まりデファクトをとっていく様は
まるで地球に生命体が誕生し、そこから進化を遂げるプロセスが
天文学的な確立により生じた様と似ており尾瀬の自然にわさわさ人が
入り踏み荒らせばあっという間に
枯れてしまうが、それを防ぐには
「この自然力増強乳酸塩ナトリウム溶液をまけば生命力が復活します」
といっているさまはMayaのUV破壊だの、選択の挙動だの
枝葉末節を針小棒大に取り上げてあたかもそれで全てが決するといわん
ばかりの言いがかりであったが
思い起こせばXSIアピールのその殆どは特定の挙動や特定の機能優劣であり、
単体の機能としてみればMayaに比べて優れたものもあったとしても、
木を見て森を見ない彼らは根本的な部分を見落としていた。
「戦闘単位として、どんなに優秀でも
同じ規格品で構成されたシステムは、どこかに致命的な欠陥を持つことになる
組織も人間も同じ 特殊化の果てにあるのは、ゆるやかな死」(攻殻機動隊)
自然界を観れば生き残る生命体というのは抜けの無い優秀完璧屈強な
スーパーマンではなく一つ一つは弱く欠陥があっても「足らないところ」を
相互依存により逆にお互いがお互いを
必要とする共生関係により成り立っており複雑な自然界のハーモニーは
多様な各要素それぞれが自律的にパズルのピースを埋めていくものでXSIのような
用意した風呂敷の上で全て踊れというラージコアとは似ても似つかぬわけで
ICEやHoudiniのようなデータフローですらなく、お互いがまるでカオスに
つながり合う「依存関係」=Dependency Graph Networkそのものである。
mayaと比較してblenderやhoudiniはどーですか?
詳しそうなので偏見無しの意見をお願いします!
全てを満足させるはずだった非破壊コアで全てオッケーは巨大な恐竜か
戦艦がそのガタイの大きさで自滅した「特殊化の果てにある、ゆるやかな死」を迎えたのがXSIであり
そもそも完璧な生命体も人間も居ないように、何か足らないものは
ユーザ側が手を差し伸べてやれば万事うまくいくというのがMayaのそもそもの設計思想
なのだがMelで足りないところを補う発想がなく、
全てツール側に用意された機能で満足させろという様は、上げ膳据え膳の大名アーチストであり
アーキテクチャとエコシステムがどの様に形作られるかを理解すれば
そのバカ殿っぷりが滑稽に見えるだけである。
アーキテクチャとはソフトの土台であり、エコシステムとはその上に
実装される機能郡、3rdプラグイン、そしてユーザアセット、パイプライン等であり
それに携わる人々やワークフローそのノウハウなど全てを含む。
ツールとは、そのものだけでなく、使い手を含めたエコシステムのコラボレーションが
有って初めて機能するものである。
特に3DCGツールのような複雑なシステムは部分的な機能の優劣はほとんど意味は無く
たとえ優れたツールであってもエコシステムが育たなければ消滅する運命にある。
Gertie the dinosaur 初めて感情のあるアニメーションが作られてから100周年
の2014年は終わってしまい正月を迎えた。
正月番組を見るまでも無く
昔の下積み時代にしっかり芸を仕込んみ人をひきつける話術を持った人間は単価が高いから
テレビ番組にも芸人も番組の質も向上するどころか飽和した後は
許される水準まで劣化させあとはアホ芸人大量投入による並列化処理の波が打ち寄せて久しく
コモディティCPUでも組み合わせればXeon-2687W V3に勝てると言わんばかりに
ただ同然で手配できるシロウト芸人をわんさかひな壇にならべて、それぞれ持ち芸をやらせ
アイドルも昔はウンコしないと信じていたくらい神格化されていたが48多重に並列化すればどこかのコアが
欠けても誰も気にしないしNodeEditorで手元が狂ってAVデビューノードと結合すれば
二度美味しいボーダーレス化の進展である。
高度に人工知能化したコンピュータが人を殺すまで偉くなった2001年宇宙の旅をみてたころまさかの2015年は相変わらず
マウスとコマンドで操作し2019年にはレプリカント作る必要があるはずだがそれどころか
あと100年くらいは自動車からタイヤは無くならない感じで暮らしぶりは実は大して変わらず技術のブレークスルーは
起こらないままCPUもアイドルも飽和し来るべき夢のSF社会ではなくスマホもってアマゾンでポチれる便利な
デジタルネットワーク社会は殆どの仕事を無価値にしていき人間を含めたあらゆる物が
劣化しコモディティ化していくだけというオチであった。
Mayaがこの世に生まれた17年前に3DCGの大きなブレークスルーは終了し
映画に使われるCGにしても相変わらずCGのキャラはすぐに見分けが付くまま
より高度になる道を捨ててよりローコストオペレーションに舵を切り
ハリウッドには不況風が吹き結局昔のミニチュア撮影の味を超えることなく
ハイエンドCGの技術も飽和しコモディティ化に舵を切ったように見える。
そもそも映画産業自体がどの予告編を見ても映画作成エンジンにパラメータを
セットして作成したテンプレート映画ばかりとなり、昔のような物議をかもすこともなく
何年も語り継がれるような作品は無くなりなぜか映画音楽までもがメロディラインを
失い全て同じ曲に聞こえるのも、結局はビュッフェに並ぶ料理は全ての味付けベースは
缶詰に入った赤い色の調味料だったりするわけで、どれを食べても後味が全て同じという
感じでそこには職人のこだわりも前衛的チャレンジ精神も皆無なこれまた
そこそこのクオリティの映画がひたすら量産され食傷気味となる劣化とコモディティ化となった。
MayaがAutodeskに買収されたときに、当然俺はMayaとMaxの共存関係を述べてきたのだが、
二つを統合してMayaxになるなどと本気で言うやつがいてぶったまげたが案の定今では死語となった。
5年後とか10年後というとMayaxを夢想した様に人々はいまだに過大な技術進歩を夢想しがちだが、
Mayaとは一種のビックバンであり、爆発の後は急速に収縮していくようにこの業界そのものが
もはや最先端頭脳を結集した膨大な投資の集まる場所ではなくただ先人の偉業のしたにぶら下がっている
だけで、今後二度とかつてのようなダイナミズムは発生しないと説いて回った。
つまりもはやMayaによって勝負はついたわけでスカルプトその他技術は周辺事態にすぎない。
このパラダイムを越える劇的な変化の兆候は見えてこない現在、5年後10年後も今とさして
変わらない風景がそこにあるとしたら、腰をすえてMayaのパイプラインを構築できるとぬか喜びしそうになるが
ちょっと手の届きそうな所にアイドルがいて私もなれるかも、CD大人買いしたら自分のものになるかもと
シロートとプロの境目があやふやとなりボーダーレス化はますます進行し
ちょっとした音楽はいまやアマチュアでも安物PCで簡単に作れるようになり
劣化するのはテレビ業界や芸能人だけではなくこの業界も同様であった。
一見さんお断りだったMayaにスクリプトのスの字も知らない連中や
ビンボー学生も無料で使えるからとわんさか土足でやってきて
千と千尋の油屋のごとく全てを飲み込み続ける酒池肉林の宴のそばで
かつてと比較し製作環境コストがもはや参入障壁とならずオペレーションノウハウ
の共有化が容易となった事態に7年前から警鐘を鳴らし、
マウスが摩擦熱で煙を吐くほど素早く操作したところで限界はあり
自らの競争力の源泉はツールのオペレーションではなく、
他者と差別化のために構築するパイプラインであると力説し
単なるGUIオペレータをよしとするXSIファナティックと全面対決をしてきた。
いままではMayaを使うだけで優位性があったとしても
XSIファナティックとの勝負が付いた2015年以降は
Mayaという大きなリング上に皆がわらわら集まって勝負することとなり
事の本質を理解していない単なるGUIオペレータは
シシ神様が仲間を見て嘆いた様に人間コモディティ化した
ローコストな単なる狩られる肉に成り下がるだろう。
俺はHoudiniを常に評価し続けていたが、一方で
>>285 ではHoudiniに対してアーキテクチャ上の問題を提起した。
Houdiniのアーキテクチャはプロシージャルエフェクトツールとしては極めて高い評価を下せる。
しかし「デファクト化した最大の武器である優れたアーキテクチャを持っていない」と書いた。
MayaとHoudiniをアーキテクチャとして比較した場合、Houdiniではデファクトを狙えないと言い換えても良い。
HoudiniとMayaのアーキテクチャを比較する前にアーキテクチャとは何であろうか。
考え方として、DCCを含めて開発するソフトウエアを時系列で遡って行けば見えてくる。
つまり機能やUIは全て削ぎ落とし、最後の骨格として表出するものが、アーキテクチャとなる。
これはデータベース構造と入出力やAPIなどのプロトコルとなる。
ソフトウエアは最初に設計し、そして開発していく。
最初に設計するものがアーキテクチャとなる。
つまり、最初アーキテクチャを設計した時点で勝負はついているという事になる。
Mayaが流行したのはAutodeskの資金力か?
Mayaですら最初は貧乏な会社の持ち物だった。
資金とは肥料のようなものであり、無ければ育たないが出来の悪い種に撒いても腐るだけだ。
優れた種=アーキテクチャであったので肥料(資金)が撒かれその上にエコシステムが出来上がるのだ。
XSIはしきりと「これから伸びるよ」といわれ続けて10年泣かず飛ばずだった。
それは種=アーキテクチャに問題があったため、肥料(資金)も集まらず、撒いた所で育たなかった。
Houdiniはどうであろうか。
事実を見れば、エコシステムを見ればMayaに随分と差を付けられデファクトを奪われてしまった。
この原因も結局はHoudiniのアーキテクチャということになる。
Houdiniはもともとプロシージャルエフェクトツールに特化した data flow model (DFM)がアーキテクチャとなる。
それに対してMayaはシーンをノードで表現する事に特化したpush-pull flow model (PFM)である。
DFMはコントローラブルなエフェクトを得意としPFMはキャラクタアニメーションを含めた全体を満遍なく得意とした。
Houdiniのように洗練された優れたアーキテクチャを持つツールとMayaのそれと優劣を比較する場合注意が必要だ。
DFMはエフェクト部分についてはPFMを凌駕している部分があるのは事実だ。
だた、ツールとして「生存」していくにはデファクトを握るしかない。
客観的に見ればシェア争いの趨勢が示すようにアーキテクチャを見た場合、Mayaに軍配が上がる。
DFMが得意とする部分をPFMは包含することが出来る。
PFMの最も強い武器は、全てを包含する風呂敷の広さであり、例えばbifrostであろうがnucleusであろうが、これらは
PFMの中の「ラージノード」として組み込めてしまう。
データベース構造とその入出力さえ合えばいいからだ。
Bifrostは通信相手がMayaであることは意識しておらず、MayaはPFMとして「平等に」Bifrostを扱うだけだ。
この仕組みは全てのものを飲み込む間口の広さとなり、極限まで肥大化しつつ、決して破綻することは無い。
>>458 >>470 アーキテクチャなんてどうでもいい。
何故なら、近年の流れは、タスクベースの並列化よりもデータベース(data-based)の並列化だからだ。
一体全体、データベースの並列化の何がうれしいのかというと、GPGPU化したい場合に何であれそれが必要となるのだ。
レンダリングや画像処理ではタイルベースの並列化がもはや常識。
そして今、シミュレーションの並列化及びGPGPU化が着実に進んで来ている。
New PhysX FleX features
https://www.youtube.com/watch?v=1o0Nuq71gI4 NVIDIA HairWorks
https://www.youtube.com/watch?v=VFWr44ZIEZc この流れは確実にリグやモデリングにも来る。既にOpenSubdivで一歩来ている。
対向勢力として、DreamWorksのmultithreaded dependency graphから始まる流れもあるが、これは一時凌ぎに過ぎない。
プリレンダの流れは、リアルタイムの流れに飲まれ、同化される。抵抗は無意味だ。
燃料電池、新触媒、バッテリー技術、色々な新しい技術は
結局エンドユーザに元に製品として実装されてから初めてそれが意味を持つ。
プリウスやMIRAIに実装される新しい技術を実装した車を作るメーカーは世界一の座にあり
技術力、資金力、そして意思を持ったトヨタということになる。
新しい技術、OpenSubdiv よろしい、PhysX 大いに結構だ。
GPGPUが向いている処理もどんどんウェルカムだ。
このように新しい技術がどんどん開発されるなら、エンドユーザにとって受け皿となるのは様々なDCC製品となる。
デファクトスタンダードツールを持ち、かつ資金力もあり開発する意思を持った企業はどこであろうか?
そしてその受け皿となるツールは何だろうか?
3rdベンダーはどの様なツールに対応させたがるだろうか?
ソフトウエアの選定は勝ち馬に乗ること。デファクトを握れるソフトであることが望ましいと何度も書いてきたのは
これらの新しい技術の果実をキャッチできる可能性を高めるためでもある。
そしてそのベースとなるのがアーキテクチャであることは言うまでも無い。
NVIDIA HairWorks はMayaとMaxで利用できる。このどちらも俺が推奨してきたツールだ。
しかし俺が絶対やめとけといってきたXSIの様な負け犬ソフトを選んだら最後、
自分の庭に果実が落ちてくるどころかEOLとなって氷河期のように凍結され、
「ボクのツールはMayaより5年は進んでるもん」と数少ない仲間と雪壕の中で慰めあうはめになる。
>>473 アーキテクチャ云々よりも、デファクトスタンダードだから望ましいという方が合点がいく。
アーキテクチャについては疑問ある。
デファクトスタンダードとなる要因としてアーキテクチャがあるって話だよ。
その通り。デファクトスタンダードというのは結果でしかない。
結果だけを見ると見誤る事になるだろう。
単にデファクトのソフトを選べばいいなら誰にでも出来る。
しかし何故デファクトなのか。これからどうなるのか「行く末」を占うことは容易ではない。
なぜならデファクトを取る為のアーキテクチャやエコシステムを含めて総合的な視点が必要になるからだ。
かつてSI3D,LW,Shadeが多くのユーザベースを持っていても今や見る影もない。
つまりある時点で単にシェアが高いソフトを選べば未来が安泰であるわけではない。
「デファクトを握れるソフト」という表現には意味がある。
「握れる」つまり、握ることの出来るソフトとは、将来性を含んで判断するということだ。
俺がMayaを選んだ黎明期のMayaはまだまだ少数派であり、誰も今の様にMayaが
ここまで席巻するとは考えていなかったろうが、「勝ち馬」であるという確信が持てたからだ。
当然、選定理由はその時点でのシェア(デファクト)ではなく、
ソフトのアーキテクチャとエコシステムが判断材料となる。
Mayaは早い段階からすでにハンエンドユーザにおいて十分な実績を見ることが出来た。
つまりこれは種(アーキテクチャ)にくわえて、取り巻くエコシステムが機能していることを意味した。
優れたアーキテクチャがあり、かつエコシステムが機能するのなら間違いなくデファクトスタンダードを握る。
Mayaはファーストバージョンから未来が約束されたソフトであった。
アーキテクチャ上に問題をかかえたXSIは、生まれた時点で既に運命は決まっており、
親切にもユーザにこのソフトは購入するなと警告が出ていた。
それはXSIのパッケージに出てきたフードの男が実は「死神」を意味し、
彼が描く×印はダメ出しを暗喩していた。
>>426 で書いたとおり、オールレンタル化しても既存ユーザのライセンスモデルは維持される。
Adobeに比べればマシだが、今後の新規ユーザはレンタルオンリーになる部分は残念な次第。
とりあえず必要なライセンスがあれば購入しておいたほうが良いだろう。
既存ユーザの永久ライセンスモデルが今後も維持されることを望むしかない。
Autodesk社の方針にリスクがあるとしたら、それはレンタル化への統一とその先にある
オールクラウド化モデルだろう。
スタンドアロンアプリケーションが廃止され、オールクラウド化の完全課金制となった場合、
プロダクションのローカル環境に構築された製作パイプラインが機能不全に陥り
機密データも含めて全てが得体の知れないデータセンター側で保有されあなたの資産は丸裸となる。
それは悪夢としか言いようが無い。
比較スレではBlenderユーザが大暴れしているが、Autodesk社による悪夢に対するけん制として
競合製品にも存在意義が生じてきたのは皮肉な話だ。
>>479 クラウド化に進んでいるというのは正しいだろうね。「Avid Everywhere」のAutodesk版を作るつもりだろう。
最終的には、Shotgun中心のパイプラインのみになると見た。
BlenderもBlenderでBlender Cloudを始めてるし、これは避けられない流れだと思う。
ただ、既にクラウド化やアセット共有が進んでいるので、機密データ云々はやや的外れかな。問題は囲い込み後の価格だと思う。
アセット管理をクラウドでって、ローカルイントラネット環境に
厳重に管理するべきデータは今でもオンプレミスが主流だ。
ハリウッドセレブのヌード流出事故も、ベネッセ事件も、
クレジットカードの流出事故も結局は外部に預けたデータというのは
常に流出されるリスクがあることを意味する。
一度流出したデータは取り返すことは出来ないため、クラウドサービスの利用は
「他人が使うから」ではなく、そのリスクをテクニカル面で
十分に理解したうえでどう付き合うか考えることだ。
これはそれぞれのプロダクションの事情により大きく異なるため
クラウドサービスを使う使わないだけで是非は判断できず
最終的にはそのプロダクションのリスク管理上のセキュリティポリシーに依存する。
ちなみにクラウドサービスを提供しているデータセンターを
見学する機会があれば、そこの運用管理者の体制に着目してみるといいだろう。
まさに珠玉混合、今やテクニカルには核ミサイルの発射手続きなみに、
2人がセットでないと重要なことが出来ないような仕組みはあるが
実際の運用現場は人を減らされ、過重負担の中で結局なし崩しに一人の
人間に裁量が増えてしまいがちだが、まずマネージメント層はそこに気が付かず
結局ベネッセのように外注のSEが簡単にデータを抜き出せる。
どれだけセキュアにしたところで例えばバックアップメディアなんか
ラックの中に数世代格納されているから、悪意ある人間が内部にいた
場合漏洩を防ぐのは極めて困難だ。
セキュリティ担保の為のISOの認証制度があるが、規則と記録があれば監査は素通りし
人が実際にどうふるまっているかまでカバーできない。
ちなみにベネッセ事件をうけたあと内部調査の結果、
原田社長は技術的な対策は十分であったので、人の教育しかないと
記者会見で述べている。
これは悪意ある者が内部にいた場合、対応が困難であることを意味し
そしてまさかサービス提供業者そのものが悪意を持っていた場合、
データは漏洩すると考えたほうが良い。
プライベートクラウドなんてオンプレミスシステムに仮想システム
入れただけでいっちょ前のクラウド名乗ってようするに「クラウド」は
一種の業界が宣伝屋につくらせたバズワードで
AdobeCCがクラウドって単なる従量課金制製スタンドアロンアプリケーション
なんだが「クラウド」=「かっちょいー」=「なうい」とは錯覚もいいところ。
俺は
>>423 で書いたとおり速攻で最終バージョン買い切りでハイさよならだが、
何も考えない連中から絡め取られて永遠の金づるに成り下がった。
フォトショみたいにもう大昔の5.5で完成してイノベーションの
ジレンマになって改悪される一方。
もう売り切りヤーメタと2D系はもはや進歩する余地がほとんどないから
一歩先にクラウドという名前をつけた単なる従量課金制サービスに移行した。
ソフト作る側の立場にたって考えれば明白だが、
スタンドアロンアプリケーションとは割られるわ、
常にバージョンアップしなきゃならないわで割に合わない。
できることならデファクト取ったらあとは金払った人が金払った期間だけ
使わせていつでも水道の蛇口を締める生殺与奪を全て握った状態に
できるならいままでうるさい客にヘーコラしてた力関係が完全に逆転し、
神様はお客様ではなくベンダーだという事をごまかす為に「クラウド」なる言葉で「煙」にまいているわけだ。
ちなみにMSもOSをクラウドという名前でごまかしつつ完全従量課金制のOSにしたがっている。
http://techreport.com/news/27791/microsoft-files-trademark-for-windows-365 WindowsOS含め、あなたのメインPCにインストールされたあらゆるソフト製品が
全て従量課金制になると考えてみれば良い。
たった月10000円でって、こんなのが20個あったらどうなる?
Autodesk社もレンタルプランへ統一したあとに、スタンドアロンアプリケーションを
将来的にはやめて完全なオンラインサービス化をしたいと考えるだろう。
つまりユーザ側はシンクライアントとして何も無く、データセンター側にデータも
アプリケーションも全て存在するASPサービスだ。
しかし処理性能が要求され膨大なレンダーファームやローカルシステムと連携する
パイプラインが必要な3DCGツールにおいてそれが具現化する順番はあらゆる
スタンドアロンアプリケーションが死滅する最後のファイナルステップになるだろう。
つまりそれは相当先の話ということになるから当面心配するべきはここ数年で
進展する寡占化の先にあるレンタル料金ということにある。
寡占化→従量課金制→ASPサービス(クラウド)の流れを志向する
Autodeskを一概に批判は出来ない。
この方向性は経済原理にのっとった動きであり、あらゆるソフトウエア製品で
起きえる。
微力であってもユーザ側で何ができるかを考えることだ。
これについても既に永久ライセンスを持つならば当面心配は無いが、将来的に
それらのライセンス体系の廃止は覚悟しておくことだ。
その場合、レンタルに移行するのか、AdobeCS6のようなファイナルバージョンで
いけるところまで行くか、脱Autodeskとするのか?ある程度
方針を決めておいたほうがいいだろう。
>>486 ほぼ同意。
今後の事を考えるなら、一番の問題はファイルを人質とした囲い込みにあるわけで、
独自ファイル形式の仕様を解析して、オープンソースの入出力コードを強化していくことが、安心並びにAutodeskの抑止力となるはず。
Mayaの独自形式といえば、Maya ASCIIとMaya Binary。
既にcgkitやmayatoolsが一部に対応しているけれども全くもって十分ではないので、心あるMaya使用のスタジオは開発に協力すべきだと思う。