MaxとMayaの行く末 2

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306名無しさん@お腹いっぱい。
SI終了公式アナウンスを受けて自分の率直な感想。
一言で言えば複雑な気持ち。
本来は大喜びする話だ。
正直言えば、うれしい気持ちはある。これがXSIへ宣戦布告した、そして究極の目的だったからだ。
しかしその気持ちは、EOLが明確化してきたここ数年弱まってきたことは事実だ。
SIユーザへの哀れみの気持ちもあるが、それとは別に、ある種の不安感、喪失感のようなものが生まれてきた。

ライバル関係とは、単純に勝った負けたの世界だけでは語れない。
ライバルを倒すことを唯一の目的として、そしてそのライバルが不幸に陥ったとき、均衡状態が崩れ事態は流動的となる。
ケビンシュワンツは宿敵ウエインレイニーが事故で引退してから、勢いを失ってしまった。

ライバルとは合わせ鏡のようなものであり、映画ダーククリスタルのスケクシスとゲルフリンのような弁証法的な関係性でもある。
ライバルがいるから、がんばれるということを、競技者は知っている。
宿敵だったアイルトンセナとアランプロストは、引退を境にして和解に向かう。

森羅万象の物事は、単体で存在するものではなく、まるでMayaのDGネットワークの様に複雑にからみある。
ライバルの共産主義が廃れ、自由主義が唯一の選択肢となったとき、資本の論理暴走が問題化する。
買収し、ライバルを叩き潰す。これも資本の論理としては正しいが、SIユーザからしたらそれは「資本の暴走」と感じるだろう。
自分たちが正しいと信じている資本主義が、暴走すると自分を苦しめる。
しかし、その資本主義がなければ、ここまで優れたツールは生まれなかった。

半狂乱したXSIファナティックがF**k Autodesk! となじる中で、俺の役割は池に落ちた犬に石を投げるのではなく、
ロープを投げてやり、彼らが冷静に考える方向に誘導してあげることであろう。
Mayaサイドの自分は、手放しでこの事態を喜ぶほど能天気ではない。
目の前にいた宿敵が消えたことにある種の恐怖感を抱くのだ。
ライバル消滅が何をもたらすか、注意深く事態を見守る必要がある。

「勝って兜の緒を締めよ」