【SNSD】 少女時代 120 【鹿はギュリにKO】
■正義を求めて 元「従軍慰安婦」の手紙
今年4月、政府系財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(「アジア女性基金」)」宛てにフィリピンから1通の手紙が送られた。
それは同財団が旧日本軍によって「従軍慰安婦」にされた人々へ送る「アジア女性基金」からの「償い金」の受け取りを拒否するものだった。この手紙を送ったのはフィリピン・パナイ島のサンホセに住むトマサ・サリノグさん(73)。
92年にラジオの呼びかけに応じて名乗り出たフィリピン人元「慰安婦」の一人だ。「ロラ・マシン(マシンおばあちゃん)」と呼ばれる彼女が求めているのは、「償い金」ではなく、日本政府が法的責任を認めるという、正義の達成である。
砕かれた尊厳
「あれは私が13歳の時でした。夜、私と父が寝ていると3人の日本兵が家にやってきて私を連行しようとしました。止めようとした父は刀で首を切りつけられ私が助けようと駆け寄り抱き起こすと頭が無くなっていました。泣き叫ぶ私を日本兵は容赦なく家から引きずり出しました」
「その後、私は日本軍駐屯所近くの家の1室に閉じ込められ、毎日2人から5人の兵士に強姦されました。自分が正気を失ってしまったと思えることもありました。ただ座って何時間もぼんやりと宙を見つめ、父のことを思い出していました」。
1942年の6月頃、ロラ・マシンことトマサ・サリノグさんは日本兵に拉致され、唯一の肉親だった父親を目の前で殺された。約半年の間、サリノグさんは監禁され「慰安婦」とされる。
兵士の隙を見て脱走したが、別の軍人に捕まり日本軍が撤退する1945年まで性奴隷として虐待され続けたのだった。
尊厳と正義のための苦闘
太平洋戦争時、フィリピンでは日本兵によるゲリラ討伐とともにレイプ事件が多発した。
ルソン島のマパニケ村では男性は拷問のあげくに殺され、女性は現在も生存し被害が確認されているだけでも40人以上がレイプされた。
また、サリノグさんのように拉致監禁され長期間、性奴隷としての苛酷な生活を強いられた女性たちも数多くいた。
元毎日記者の作家・故千田夏光氏の調査によると、マニラだけでも400人以上のフィリピン人「従軍慰安婦」がいたとされる。