【SNSD】 少女時代 120 【鹿はギュリにKO】
214 :
魅せられた名無しさん:
★「日本兵に強姦された。母親は恐怖でアゴが外れ、失禁した」
「南京大虐殺事件の証言を聞く会」が7日、東区馬出の県教育会館であり、日本兵に強姦(ごうかん)された黄恵珍さん(86)が、心に傷を負って歩んだ苦難の道のりを語った。
現職の航空幕僚長が日本の侵略を真っ向から否定する論文を書くなど、負の歴史から目をそらす動きへの危機感からか、300人収容の会場がいっぱいになる聴衆が集まり、 黄さんの訥々(とつとつ)とした語りに耳を傾けた。
日本軍が中国の首都、南京を陥落させた1937年12月13日、黄さんは15歳で、両親と兄の4人で暮らしていた。
一家が住むわらぶきの集落にやってきた日本兵は、近所の80代の女性の肩口をいきなり日本刀で切りつけ、 その家の50歳くらいの女性を中に連れ込んだ。
しばらくして外に出てきた日本兵は、今度は両親から黄さんを引きはがすように屋内に引っ張り込み、無言のまま黄さんを押し倒して強姦した。
目前での凶行に母親は恐怖であごが外れ、失禁していたという。
その後、欧米人が南京城内に設定した安全区内に避難したが、ここにも夜中に日本兵が女性をあさりに現れ、4、5人の女性が連れ去られてそのまま帰ってこなかった。
黄さんは18歳で結婚したが、性体験があると知った夫から毎日のように暴力を振るわれ、「汚い、臭い、死ね」となじられた。
義母も残り物しか食べさせないなどつらく当たった。部屋の中に閉じこめられ、夫から革の太いベルトで激しく殴りつけられたこともある。それでも日本兵に強姦されたとは言えなかった。
「その時のことを思い出すと、……どうしても涙が出てしまう」と言葉を詰まらせる黄さんに、聴衆からもすすり泣きの声が漏れた。
結局、夫が存命中は強姦された事実を隠し通し、80歳を目前にしてようやく語れるようになったという。
216 :
魅せられた名無しさん:2009/08/24(月) 19:00:47
【歴史】「11歳の時、日本兵に強姦された」「目の前で日本兵に祖父を刺殺された」 南京事件70年で生存者ら証言★4[12/01]
「心と体の傷が癒えない」南京事件70年で生存者ら証言
「あの時の心と体の傷は決して癒えません」。
旧日本軍による南京の市民らに対する殺害や暴行、略奪などがあったとされる日中戦争中の「南京事件」から、今月で70年。
大阪市中央区のエル・おおさかで1日、この事件の生存者2人の証言を聞く集会が開かれた。
2人のうち、初来日した南京市の張秀紅(ツァンシュウホン)さん(81)は何度も言葉を詰まらせながら、当時の体験や胸中を語った。
声を詰まらせながら体験を語る張秀紅さん=1日午後2時40分、大阪市中央区で
「11歳の時、日本兵が自宅に来ました。私を守ろうとする祖父を銃剣で脅しました」。
張さんは約80人の聴衆を前に、うつむきがちにゆっくりと体験を語り始めた。
「無理やり隣の空き家に連れていかれ、服を脱がされました。両足を押し広げられ、痛さで気絶している間に、強姦されました。気がついた時、下半身は血だらけでした。祖父が泣きながら抱きしめてくれました」
そう話し、張さんは大声を上げて泣いた。 今でも腰や股関節が痛み、しゃがむことができないという。
集会は96年から毎年続いており、今年は東京や名古屋、神戸など8都市で開かれる。
主催する南京大虐殺60カ年全国連絡会の招きに、張さんは当初「日本に行ったら殺される」と固辞。
半年間ほど迷った末に「真実を語りたい」と決意したという。
男性生存者で南京市に住む伍正禧(ウツェンシ)さん(84)は「3人の日本兵が自宅に来て、兄といとこ、叔父の計5人を連れ去りました」と証言。大勢の死体が放置された沼や川を捜したが、行方不明のままという。
その数日後には、若い女性を求めて自宅に押し入った日本兵に、目の前で祖父を刺殺された。
3度目の来日。「南京事件を知らない若い人や、事実ではないと言い張る日本人もいる。私たち生存者がしっかり伝えたい」と語った。
218 :
魅せられた名無しさん:2009/08/24(月) 19:02:10
◆2007年9月2日、姜日出さん(78)が1943年、まだ16歳だった時に「慰安所」へ連行された記憶を語った。
従軍慰安婦問題を学習し、解決を図ろうとする若者のグループ「SALAD」(安部文章代表)が
講演会「消せない記憶」を2007年9月2日、高知市本町4の県民文化ホールで開き、
元従軍慰安婦の韓国人女性、姜日出(カンイルチュル)さん(78)が「若い人たちに正確な事実を知って欲しい」と、当時のつらい記憶を語った。
姜さんは1943(昭和18)年、まだ16歳だった時に「工場で働かないか」とだまされて中国の牡丹江などの「慰安所」へ連行された。
「無理やり連行されたのに、金のためにやっていると言われて傷ついた」などと涙ぐみながら話した。
また、「腸チフスにかかった者は山に連れて行かれ、穴の中で生きたまま焼かれた」などと声を詰まらせながらも強い口調で証言した。
講演会に参加した高知大2年の石本あこさん(19)は「何も知らなかった。これからは資料で調べたりして周りの人にも伝えていきたい」と真剣な表情で話していた。
220 :
魅せられた名無しさん:2009/08/24(月) 19:03:14
▲侵略者の野獣的蛮行
当時、龍井に居住していたカナダの長老派長老教会の医者であるマルティンが書いた延辺惨案"見聞記"が西側各国の新聞に報道され、世界を驚かせた。
そして日本侵略者の野獣的罪行が世界の世論の注目を引くようになった。 "見聞記"にはこんな内容が書かれていた。
"私は10月31日日曜日、北京式馬車で12マイル離れた村に向けて龍井を出発した。10月30日に起った事を調査して見ようと思ったのだ。
その日、日がまだ明ける前に武装した日本軍が里を囲んで積んでおいた薪に火をつけて、家の人々に外に出るように言いつけた。
そして外に出た人々は皆銃殺されてしまった。まだ死んでいない者にはその上に火の付いた食糧を積み上げ、焼き殺した。
近い距離で三回も射撃した後、火の中で生きていて起き上がる者があれば、銃剣で突いた。村の成年男子たちが一人残らず殺される光景を横で見せながら、婦女子たちを強迫して最後まで立たせていた。
私は虐殺されて放火された32の村の名前と情況をよく覚えている。ある村では145人が殺戮された。30名以上殺害された村が多い。
ある村では14人を1列に立てておいて銃殺した後、石油をかけて燃やした。"
日本軍の殺人手段は極めて残忍だったが、延吉県臥龍洞の昌東学校の教師は顔の皮を全部剥ぎ取られ、両眼を繰り抜かれて処刑された。
ある者たちは銃剣に突かれて叫ぶ惨状を見て狂ったように笑いながら喜んだし、2~3歳になる子供を銃剣で突き刺し、子供が叫ぶのを見て手を叩いて喜んだ。
頭道溝では電線を切断したという疑いで12歳の朝鮮族の子供をつかまえた後、何らの調査もなしに首を切って電線に通し、晒し首にして見せた。
延吉県春陽郷(汪清軒蛤莫塘)一帯では罪のない朝鮮人3人をつかまえて、金釘で手の平に穴を打ち付けた後、鉄索で手と鼻を通し、10里余りを引き連れてから銃殺した。
延吉県第3区の男女老人は何の理由もなく射殺され、依蘭溝の12人の朝鮮族は近所の山坂で木村支隊の討伐隊に生き埋めにされたが、翌年春に里人たちが死骸を捜してみたら、いちめんに刀傷だらけだった。
討伐の途中、日本軍は小英子で25人の婦女を強姦、二道溝でも20人余りの婦女を強姦した。日本軍は少女をつかまえるたびに必ず強姦した後、虐殺した。
222 :
魅せられた名無しさん:2009/08/24(月) 19:04:28
日帝が、関東地方で起こった大地震を契機とする、朝鮮同胞たちに対する野獣的な大虐殺という常軌を逸した行為を強行した時から85年になる。
1923年9月1日、日本の関東地方で大地震が起こった時、日本政府は、国民の反政府的感情を別のところに転嫁して、深刻な社会政治的危機を逃れようとして、
《朝鮮人らが火を放つ》、《朝鮮人らが井戸に毒薬を入れた》などの謀略宣伝で、民族的敵対感情を鼓吹しながら、在日朝鮮人らに対する無差別的な虐殺を操作した。
当時日帝は、軍隊と警察は無論、《自警団》、《青年団》, 極右翼団体等と不逞の輩まで動員して、朝鮮人たちを老若男女問わず、次から次へ、撃ち殺し、刺し殺し、生き埋めて殺したり、火で焼き殺すなど、身を震わせる蛮行を露わに強行した。
日帝の、この極悪非道な殺戮蛮行によって、およそ2万3000余名の朝鮮同胞らが残酷な死に直面した。
日帝が関東大地震時、強行した朝鮮人大虐殺事件は、わが民族に対する集団的殺戮蛮行のなかの一部に過ぎない。
1926年6月10日の万歳運動と、1920年《庚申年大討伐》、1930年《間島大討伐》時の集団的虐殺蛮行、
徴兵と徴用で戦地と軍事基地建設に強制で引っ張って行き虐殺した犯罪など、日帝が犯した朝鮮の人々に対する大虐殺蛮行は到底数え切れず、
その野獣性と悪辣性において想像を超越する最悪の反人道的犯罪行為、人間殺戮戦であった。
万人の驚愕と憤怒を掻き立てる日帝の、この組織的であり計画的である大虐殺蛮行は、何を持っても正当化出来ない特大型の国家犯罪として、当然に朝鮮民族と人類の良心の峻厳な審判を受けなければならない。
しかし日本は、敗亡後60余年がたった今日まで、朝鮮強占期間の犯した犯罪に対する謝罪と賠償を回避しながら、侵略の歴史歪曲と独島強奪、反朝鮮敵対視政策に狂奔している。
日本右翼らの厚顔無恥で傲慢無礼な捏造は、朝鮮民族に対する冒涜であり、公然たる挑戦である。
日本は、その、どんな狡猾で破廉恥な手法でも、過去朝鮮人民の前で犯した侵略犯罪、反人倫犯罪の責任から決して逃れられない。
日本は、当然、過去の犯罪に対して率直に謝罪、反省して、賠償しなければならず、侵略の歴史歪曲と再侵略野望をただちに止めなければならない。
日本人は、朝鮮を軍事的に不法強占して、朝鮮民族を抹殺しようとした日帝の血生臭い罪悪を必ず決算しなければならない。
■日本人に “処女” を売るタイ人少女たちの悲しみ「相場は11万円」
2009年05月23日07時30分 / 提供:ロケットニュース24
自分の性を自分の意思ではなく、親や環境のせいで売らなくてはならなくなった少女たちがいるのをご存知だろうか?
児童買春のほとんどが悲しい状況で強制的に売春をさせられているものである。特にタイでは、多くの日本人男性たちがタイ人やラオス人の少女を性の対象として買春し、対価として金銭渡しているという。
日本人の売春・買春行為について詳しく知っているという、タイの旅行代理店のタイ人にお話をうかがったところ、非常に悲しい事実が判明した。
タイにはマッサージパーラーといわれる、日本でいうところの性的サービスのあるソープランドのような店があり、多くの日本人観光客がマッサージパーラーを訪れるという。
マッサージパーラーのなかには日本人が多くやってくる日本人御用達のような店があり、そんな店には多くの10代少女がいるという。
「店では18歳と紹介される少女でも、実際は13〜16歳ということがよくあります。日本人たちはそれを知ってて性的な関係を持つ人もいますよ」とのこと。
特に驚いたのが「処女とセックスをしたいという日本人男性もおり、だいたい11万円ほどで処女とセックスをしていくそうです。容姿端麗ならばもっと価格はあがるでしょう」という情報。
日本はもちろんのこと、タイでも児童に関する売春・買春行為は立派な犯罪だ。
なにより、児童に対して性的な関係を持とうとする考え自体が変態行為であり、犯罪行為につながる。
自分にとっては旅の快楽として良い思い出になるかもしれないが、少女たちにとっては悲しみしか残らない。たとえ対価をもらえるとしても、それは彼女たちが望んで手にしたお金ではないのである。
「日本の春休みや夏休みになると、日本の大学生が多くタイで買春をしています。年を通してオヤジといわれる年齢の人たちは少女を買春をしています。」
あまりにも恥ずかしい、日本人の児童買春という変態行為。海外で日本の評判を落とすようなことは慎んでもらいたいものだ。