【SNSD】 少女時代 103 【Genie盗作疑惑】

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536魅せられた名無しさん
1895年(明治二八年)4月17日の下関講和条約調印で、日清戦争は公式に終結した。そして現代の我々日本人は、それをもって、以後日露戦争まで、日本軍の対外的武力行使が中断されたものと思いがちである。
しかし、条約の結果日本に割譲されることになった台湾では、割譲に反対して台湾民主国建国が宣言され、日本軍の占領に対し激しい武力的抵抗が展開された。狭義の日清戦争に引き続いて、講和条約を起点として「日台戦争」が始まっていたのである。

すなわち、下関講和条約直後の台湾については、いわば、歴史認識のエアポケットになっていた。
実際、通史の叙述をみても、講和条約調印で次の話題に移っているものも少なくない。

20年に及んだ「台湾植民地戦争」を3期に区分すると

【第1期】 1895.5〜1896.5 台湾民主国を崩壊させ、一応台湾全土を軍事的に制圧するまでの征服戦争の時期
【第2期】 1897〜1902 日本軍の軍事的制圧下で武装蜂起による中国系平地住民のゲリラ的抵抗がつづけられた
【第3期】 1903〜1915 第2期につづき、台湾における少数民族である山地系原住民に対して軍と警察による包囲網縮小の作戦が進められた

特に第1期は「台湾征服戦争」である。

清軍兵士と異なり、彼ら(台湾の抗日軍)が頑強に抵抗した背景には、台湾に福建省や広東省から移住し、そこに住んでいた原住民を討伐し、苦労して荒れ地を開墾して獲得した土地を守るという意識があったからにほかならない。
その意味では、台湾での戦闘は、正しく日本と台湾との戦争(日台戦争)であり、最初の植民地戦争であったということになろう。