【日韓】 解放後の韓国に桜を植え続ける日本〜専門家「不順な意図による文化侵略」と批判[04/03]
1960年代中盤以後、国内あちこちで大々的に起きた「桜植樹」に在日韓国人と日本人たちが組織的に介入した事実が明らかにされた。
これらは巨額を投入して日本の桜の苗木を飛行機にのせて運び、寄贈しただけなく鎮海(チンヘ)の場合、日本人植物学者らが以後自発的に何回も訪韓して肥料を与えて成長状態を把握するなど真心を注いだことが確認された。
当時このような桜植樹は、反日感情を刺激して批判的な世論を起こしたことが確認され、解放20余年たってからまた桜を植えることが国民情緒を無視したまま推進されたことが分かった。
慶南鎮海桜の「復活」、汝矣島桜花見通り、日帝時代湖南のお米が日本に運ばれて行った「収奪の道」、全州〜群山間の国道の桜通りなど、かなり多数の国内の桜の木がこのようにして植えられて今日に至る。
このような事実は、当時苗木を寄贈した在日韓国人、担当公務員、郷土史学者たちの証言と取材チームが在日韓国人の知り合いから単独で入手した関連資料などを通じて初めて確認された。
ソウル市、全羅北道、鎮海市、群山市、全州市など該当の地方自治体と傘下機関には関連記録が全くなかった。
これによって「巧みな文化浸透」という指摘とともに、特に日本人たちがどうして韓国に桜を植えたのか、その背景と意図に「歴史的関心」が集まっている。桜植樹が推進された当時、国内では桜の苗木を求めにくかったというのが当時の実務者たちの一致した証言だ。
1945年解放以後日本ミリタリズムを象徴する桜があちこちで切り倒されたためという説明だ。
これに対してファン・ピョンウ韓国文化遺産政策研究所長は
「日本の不順な意図が介入した‘文化的侵略’だ」とし「‘存在が意識を規定する’と言う言葉のように、日本が韓半島内で自分たちの過去 (侵略者としての) 文化的郷愁を具現するための欲望が隠されている」と主張した。
<汝矣島派手な桜の後には…日本 '黒い下心' あったか>