日帝の罪業のかずかずを頭におきつつ、台湾のことを考えたい。これほどややこしいものはないのである。
かつて台湾は韓国と同じく日帝の植民地であった。
第二次世界大戦ののち中国に返還されたのだが、韓国と違い現在でも日本を慕い評価するひとびとが存在するという。
これほど不思議な現象もない。一見韓国と同じような道をたどりながら、いったいどこで道をまちがえたのか、そして日帝はこの地でなにをしたのか。
台湾は一八九五年の下関条約によって日本に強奪された。この条約は、清日戦争の結果むすばれたものであったが、非力な日本は連戦し、ほうほうの体ながらどうにか優勢をたもって清国を交渉のテーブルにつけることに成功した。
しかも、自国の下関に李鴻章をよびつけ、交渉が難航すると暴漢をやとってかれを襲撃させて強引に調印させた。
ほんらい、日本は野望をむき出しにして一気に朝鮮半島を獲得したかったのであるが、朝鮮を尊重していた列強の反対にあい、かわりに台湾を獲得したのである。
古来、韓国は「三千里錦繍江山」といい中国文人たちのあこがれの地であった。孔子も「朝鮮は君子の国、わたしもゆきたいものだ」といった。
それに対して、台湾は、「化外の地」とされ、清朝も本腰をいれて統治してこなかった。
列強は、そのような未開地を文化の花咲ける朝鮮半島のかわりとして日本に渡したのである。日本ごとき蛮人には台湾でじゅうぶんだと考えられていたといってもいい。
同じ日帝に虐げられつづけた民族であるのにこのちがいはどうであろう。
なぜ、台湾人は韓民族とちがった行動をとったのであろう。
つまりは、奴隷根性であったとおもわざるをえない。
日帝の強占した時間である五十年と三十六年の差はまことに大きかった。韓民族もあと数十年強占されていれば、民族の精気を完全に絶たれ、そのような奴隷になっていたであろう。
また、日帝の来るまえの台湾には韓国とちがい文明がなかったからでもあろう。文字どおり無識な原住民に対しては、日本の低俗野卑な文化ですらありがたく、それにさからうことなど考えられなかったのであろう。
日本は、半万年の歴史と絢爛たる文化をほこる韓国に対して、倭の劣等感をむきだしにした高圧的な姿勢でのぞんだが、未開地帯の台湾にたいしてはごく自然にいばることができたらしい。