実を言えば、この11部門のノミネートを、
金城武の主演男優賞ノミネートと取り換えてもいいくらいだ。
彼がノミネートされなかったことは、ぼくの最大の無念だよ。
ジョウ・シュンにいつも言っていたけれど、
ぼくは監督として、彼女は主演女優として、どちらも合格だったというに過ぎない。
だが、金城武はこの映画で一番良かった。
「如果・愛」を真に好きで理解している人たちが、最も評価したのは、
決まって金城武なんだよ。
――ピーター・チャン
金城武をめぐって伝えられる話は、みなどこか神話めいている。
蔡康永は言う。
「彼のかっこよさは肝をつぶすほどで、地球人の美しさじゃない。
彼が生涯演技賞をもらえないことだってありうるが、
この容貌があれば、演技なんかもう関係ない。
その顔こそが存在意義であって、
たとえたった1種類しか表情がなかったとしても、何度見ても飽きはしない。
彼はいい男の究極の意味するところだ」
金城武自身もしょっちゅう聞かれている。
きれいで魅力ある男という称号を常に冠されてきて、
才能が軽視されているようには感じないかと。
彼は自分はいい役者ではないと認める。
この誠実さに、質問者はどう言葉を継いでいいかわからなくなる。
「如果・愛」のプロモーションの折、
誰かが「有名な俳優になるには、幸運と努力とどちらが大きいか」ということに触れたとき、
彼はこう言った。「自分はとても幸運だったと前から思っています。
だって、本当に努力していませんから……」
その答えにはいささかも反論めいたところがなかった。
演技に関する話題になると、彼は必ずいつも同じように、
「脚本通り」「監督の意向」という言葉で答える。
「LOVERS」に出演したときには、
「どのシーンも、監督にまずやってもらい、自分は監督のセリフの言い方や
表情をできるだけまねするようにした」と強調していた。
彼は、決してどんな役でもやりこなすタイプの俳優ではない。
本来の持ち味で演じ、人が見る最上のものは彼自身なのである。
しかし、たとえそうであっても、金城武は多くの監督に愛されている。
彼には、彼自身気づいていない演技感覚と魅力があり、
それは口で説明しにくい持ち味だ。
まさにウォン・カーウァイが言っているように
――レスリー・チャンの目には物語があり、トニー・レオンの目には暗い穴がある。
金城武の目には人生がある、と。
だのに、彼は普通1年に1、2作しか映画に出ない。
その基準は、決まって自分の気に入った物語ということだ。
詩人のようなロマンティックな心を備えた彼は、
役にかなりの程度、自分自身の感情を反映させることができる。
敏感な人なら、作品の中に、彼の真実の恋する気持ちを垣間見ることができるはずだ。
また、もしどうにも隠し切れない優れた容貌の持ち主でなかったなら、
金城武には監督の仕事の方が向いているかもしれない。
彼はよく奇妙な空想に長いことふけっていることがある――
「恋する惑星」でパイナップルの缶詰をバカ食いし、
「天使の涙」で死んだ豚にマッサージをするという奇抜なアイデアは、
いずれも彼が提案したものなのだ。
目が覚めたら外は一面荒れ果てていて、地球には自分1人しか残っていない、
という夢をよく見ると、彼は言う。
映画を撮ることも彼の夢だが、いつそれを世に問うのかと聞かれるたび、
笑ってこう答えるだけだ。
「ずっと考え中。多分80歳になったら、よりぬきのバリエーション≠ニいった形に
変わっていて、やっとお目見えできるかも。
出来が悪くても、けったいな畢生の作¥ワぐらいはもらえるだろう」