【ネギま!】6番 大河内アキラ萌えスレ6【最下位候補?】
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第一話:
学園都市といえども嫌韓の流れには逆らえないらしい。
ここ数年というもの、韓国人留学生に対する麻帆良学園の空気は次第に冷え冷えとするばかりだった。
殊に竹島問題が沸き起こって以降は、学園のそこかしこで"チョン"だの"キムチ"だのと悪口雑言の数々が飛び交っていた。
また、韓国人留学生達の元来の粗暴な振る舞いはその流れに拍車をかけた。
彼らが学食の並び順を守らなかったり、あるいは静粛な態度の求められる場で馬鹿騒ぎを繰り返したりする度、"これだからチョンは"などと囁かれ、時にはそれを聞きつけた韓国人留学生達との間にトラブルが生じる事さえあった。
とにかく、麻帆良学園における韓国人の評価は最悪に近いものであった。
こうして陰に迫害を受けるようになった韓国人留学生達は徒党を組み始め、一般生徒達の誰もが彼らを敬遠するようになった。
それは学園の空気からは完全に浮いたコミュニティであった。
彼らは仲間内に独自の規律を敷いた。
昼食はキムチ弁当やプルコギなどの韓国伝統料理以外を一切認めず、学食でのランチは堅く禁じられた。
実際には学食で韓国料理を取り扱ってもらえるよう掛け合ってもいたのだが、彼ら韓国人と一般生徒達との間で無用なトラブルが発生する事を怖れた学園側はこれを拒否した。
学食禁止はそれ故の強行な態度であった。
彼らが食事を取り始めると付近はたちまちキムチ臭くなるため、昼食時の彼らの周囲に一般生徒達の姿はなかった。
彼らもその事を理解していたため、昼食を取るスポットは次第に固定されていった――具体的には屋上や体育館の裏など、一般に不良のたまり場とされる場所が選ばれた。
彼らの気質がそれを好んだのかも知れない。
こうして一般生徒達と韓国人留学生達との間に横たわる溝はますますその深度を高めていった。
しかし一方で、そのどちらにも属せないマイノリティもいた――在日韓国人である。
韓国人留学生からは"半日"と罵られ、一般生徒からは"チョンと同じ穴のムジナ"と見なされる彼らは、しかし朝鮮人学校の民族教育を受けていない事も手伝って強烈な仲間意識を持ち得るに至らず、結果として独自の連携が築かれなかった。
少数派は非力である。
彼らはまるで暗がりに潜むネズミの如くそっと息を殺し、日々をただ無力な小人のように過ごしていた。
とは云え、私を始めとする一般の生徒達にとって、彼ら韓国人の存在は所詮対岸の火事に過ぎなかった。
自身の日常の根幹には何ら影響を及ぼし得ない、ある種見せ物的な非日常であった。
「アーキーラッ、どうしたの?窓の外なんてぼぅっと眺めちゃって」
「あ、うん。ちょっとね」
気怠い昼下がりの陽光を浴びて窓辺に佇んでいた私に、学食でいち早くランチを済ませてきた裕奈が声をかける。
教室はまだ人影がまばらで、少数の弁当持参派が思い思いの場所で箸を動かしている以外には目立った動きがない。
普段人一倍騒がしい3-Aに物静かな空気の流れる貴重な時間だった。
私は裕奈に気のない受け答えをし、再び窓の外へと視線を流した。
「なになに?何を見ているのかにゃー、と。――ん、あれって……」
「うん、3-Cの金田さん」
私が金田と呼んだ少女は、校舎脇の花壇のブロックに一人腰をかけて、膝の上に弁当の包みを広げていた。
そのメニューはキムチ、ナムル、チヂミと見事に韓国料理で統一されている。
「金田ってあれでしょー、こないだ在日ってカミングアウトしたとかいう。
なんだっけ、本名はキムなんとか……うわ。
あの弁当の中身、こっちの方までキムチ臭が漂ってきそうだにゃー。
アキラも物好きだね、あんなの見てたって何にもいいことありゃしないよ」
「ん……まぁ暇だったから、何となく」
「ま〜あたしらは部活で結構ハードな思いしてるから、たまには息抜きしたくなる気持ちも分かるけどね。
……んじゃ邪魔すると悪いから、私はちょっと余所まで足を伸ばしてこようかにゃ」
裕奈はおもむろに立ち上がると、もう一度だけ窓の外へ視線を投げかけてから教室を出て行く。
また一人になる。
裕奈はああ言ったが、私は別段気休めがしたくて窓辺からの風景を眺めていた訳ではない。
金田さんの広げていた弁当の中身に興味があったのだ。
私は韓国料理が大の好物だ――が、今の麻帆良でそれを公言するのは少々はばかられた。
一部の嫌韓過激派達に親韓派と見なされかねないのだ。
殊に学園長を祖父に持つ学園の権力者・近衛木乃香と、その側近であり学園生徒きっての武力派でもある桜咲刹那の二人は、
嫌韓過激派達を束ねるリーダー的存在と言ってもよく、この二人に目を付けられようものなら今後の学園生活に支障をきたしかねなかった。
『麻帆良も随分と窮屈になっちゃったなぁ……』
私はほぅ、とため息を吐いて、再び花壇脇へと視線を這わした。
食事を終えてしまったのか、金田さんの姿はもうなかった。
木乃香さんと刹那さんの二人が韓国を毛嫌いするのには勿論理由があった。
そもそも韓国には国家ぐるみでの日本国宝略奪の嫌疑がかけられておりその中に近衛家家宝が数品含まれていた事、
また貴族筆頭名家の跡取り娘たる自覚を内に備えた木乃香さんが近年の韓国による日本への侵略行為めいた蛮行に大変立腹していた事、
更には剣道ひいては京都神鳴流は半島が起源と妄言を叫ぶ彼らを刹那さんが苦々しく思っていた事などが二人の嫌韓感情の根底にあった。
そして、麻帆良にやってきた韓国人留学生達の下品で粗暴な振る舞いの数々は二人の嫌韓感情を更に加速させた。
こうして"麻帆良に韓国人は不要""チョンは学園都市から出て行け!"等のキャッチコピーと共に
嫌韓過激派ネットワークを組織した木乃香さんと刹那さんは、以後急速的に韓国人排除論へと傾いていった。
私は屋内プールに背泳ぎの形で浮かびながら、天井に備えられた蛍光灯の並びをぼんやり眺めていた。
今日の部活はどうも気分がのらない。
大会が近いという訳ではなかったけれど、練習に気は抜けないのだからと気持ちを切り替えようにも、体の方は全くついてきてはくれなかった。
「お前なにとろとろやってるの?」
「あたしらが戻ってくる前に終わらせとけって言ったよなぁ!?」
部室の中からこちらまで届くがなり声が聞こえてきて、私はやれやれと思った。
またいつもの"いびり"が始まったのだ。
「ご、ごめんなさい……あの、でもっ。
これだけ汚れてるとなると、短時間に終わらせる訳にもいかないですし」
「はぁ?
なにそれ、あたしらの使い方がいけないって言いたい訳?
このバカチョンは」
「そ、そうじゃなくってですね……」
私はプールから上がると水を滴らせたまま部室の扉前まで歩き、こんこんと二度ノックして、矢継ぎ早に「入るよ」と声をかけた。
返事は待たない。
"よ"の響きが消える間もなく扉はきぃと押し開けられる。
開けた先では想像と寸分違わぬ、そしていつもと何も変わらぬ光景が私を待ちかまえていた。
「アキラさん……」
先程から怒鳴り声を上げていた二人は私の姿を認めた途端しおらしくなる。
「そこまでにしておいてあげなよ。
それに部室の掃除はちゃんと当番が割り振られているじゃない。
今日は井川さんの番じゃなかったはずだよ」
「あ、いや、済みません」
「まぁアキラさんがそう言うなら……」
何が"そう言うなら"なのか分からないが、二人は自分の非を曖昧に認めると、居心地悪そうにして部室を出て行く。
私は水泳部のホープであるが故に、特に同学年の部員に対しての発言力を有していた。
「アキラさん、ありがとうございます……」
井川さんが申し訳なさそうな声色で頭を下げた。
彼女は元来気弱であったが、だからといって目を付けられるような子ではなかった。
こうしていじめ紛いの事をされるようになったのは、偏に彼女が在日コリアンと知られるようになってからである。
井川というのは通名で、本名は確か――忘れてしまった。
韓国人の名前というのはどれも似たようなもので得てして覚えにくく、また私にとってはどうでもいいことであったから。
「井川さん、気にしてはいけないよ。
非は向こうにあるんだから」
「はい……でも私もいけなかったんです。
皆さんが楽しそうにお話ししている所へ『部室はもう少し綺麗に使った方が』なんて水を差してしまったものだから……」
ふぅ〜、と一つ長い息を吐く。
彼女の言い分に理があるのは確かだけれど、それを振りかざすには彼女は些か受け身すぎた。
それに、目を付けられている以上は注意するにもタイミングを見計らった方が得策ではある。
しかし彼女はどちらかと云えば"空気の読めない"タイプの子であった。
「まぁとにかく、掃除は当番の人に任せておけばいいから。
井川さんも一泳ぎして気分を変えてみたらいい」
「はい……、それでは失礼します」
彼女はそう言ってしずしずとプールサイドへ出て行く。
私は何も、弱きを助けたいだのと云って正義の味方を気取るつもりはない。
今こうやって井川さんに助け船を出したのも、結局は部内の空気が悪化するのを避けたかったからに過ぎない。
他の何にも邪魔されず水泳に打ち込む事ができればそれで良かったのだ。
開いた扉から一陣の風が吹き込んで後、少しの寒気を感じた。
水も拭かずに居たので体を冷やしすぎたかも知れない。
今日はもうあがろうかという気になった。
調子の悪い時に無理をしても、結果はついてこないものだ。
週末土曜の夕食はいつだって楽しみの一つだった。
土日を自宅へ戻って過ごす私に、両親は決まって好物の韓国料理を用意してくれた。
カルビクッパ、チヂミ、ナムル、オイキムチ……幼少の頃からことある毎に振る舞われてきた味は、
美しい思い出と共にいつでも私を柔らかなベッド・シーツのように包み込んでくれた。
そして今日の夕食はいつになく豪勢であった。
我が家のメニューにおけるフルコースといっても過言ではない程だった。
「どうしたの?今日の料理はいつになく豪勢だね」
「うん、まぁ色々とな。
節目にふさわしい料理をと思って、母さんと一緒に頑張ってみせたんだ」
色々?節目?
何のことか分からなかった。
何かお祝い事でもあっただろうか。
父と母二人の、あるいは私達家族の記念日?
そう考えて思い返してみても、それらしい物は何一つ浮かんでこなかった。
「まぁとにかく乾杯しよう。
おおい、母さん。
亜里蘭マッコリをもってきてくれないか」
「はいはい……アキラちゃんはオレンジジュースでいい?」
「あ、うん」
母の持ってきてくれたグラスに父がジュースをなみなみと注いでくれた。
「ちょっと、お父さん!溢れちゃうってば……」
「なぁに。
こういう時っていうのはな、いっそ溢れるくらいに注いでしまった方が験がいいんだ」
どうもおかしい。
父も母も、何とはなしに浮き足だって見える。
おかげで私まで落ち着きをなくしてしまう。
「乾杯!」
急にびっくりするような声を父が上げたので、私はグラスを咄嗟にかち合わせる事ができなかった。
「なんだアキラ、乾杯だよ。
ほら、グラスを出しなさい」
「……あぁ、はい」
釈然としないままグラスの縁を合わせる。
チン、と乾いた音が三人きりの部屋に響いた。
父と母はにこにことしながら手製の料理に箸をつけている。
しかし私は、過剰な、一種作り物めいた雰囲気を頻りに感じ取っていた。
加えて、先程の"節目"という言葉がどうにも気に掛かっていた。
今日の御馳走はその節目に合わせて用意されたものだと言う。
そんなにも大切な過去の"何か"を私は思い出せずにいるのだろうか。
あるいはそれは、これからやってくる"何か"なのであろうか。
料理へろくに手を付けないまま、両親の顔色を伺っていると、父がふいに食事を止めて箸を置いた。
それに合わせて母も箸を置いた。
そうして二人は膝に手をついて、真剣な顔をして私を見つめてきた。
急に部屋の空気が変わった。
これからその節目となりうる何かが起こる――そう直感して、私も箸を置き姿勢を正した。
「アキラ、いいか?よく聞きなさい」
父の顔に一片の不安が見て取れた。
次いで、私の胸のもやが一層その濃さを増した。
これは良くない話かも知れない、と腹を据える。
父は一度鼻から深く息を吸い、一拍の間を置いて、こう切り出した。
「お前は、私達は……本当は、日本人ではない」
「――え?……ハハ、何言って……」
本当に何を言っているのか。
「聞きなさい。
アキラも在日韓国人という言葉は聞いた事があるだろう。
父さんと母さん、そしてもちろんお前も――本当は、在日の……韓国人なんだ」
私は急に黙って、父の目を見た。
次に母の耳を見た。
父が嘘を吐く時は決まって目を泳がせるし、母が嘘を吐く時には耳をピクピクとさせる癖があった。
そうして父の目は真正面に私を捉えて微動だにせず、母の耳はピクリとも動きはしなかった。
それで今の話は本当なのだと悟った。
衣服のボタンを掛け違えるような違和感に襲われた。
世界が一度に食い違った。
「いつかは話さなければならないと思っていた。
実は、今日の昼過ぎに民団への加盟を済ませてきたんだが……丁度頃合いだろうと思ってな。
それでお前にもちゃんと話をする事に――アキラ、聞いているか?」
ガラス張りの風景の向こうで、父がこちらの顔を覗き込んでいる。
それをまるで人ごとのように眺めながら――私は、自身の世界の崩壊していく音に、
洪水を流れる芥木の如く飲み込まれていった――