彼女は立ち止まった。
学祭だというのに巡回警備などにまわされ退屈していたため、反応が遅くなっていた。
恐らくもう少し気を抜いていたら気付かなかっただろう。
どこか遠く、感覚の端に…魔力の動きを感じて、神経を集中させる。
「………」
「どうしたの?急に止まって」
後ろを歩く女性が声をかける。二人は揃ってシスターの装束を着ていたが、周りの仮装の中ではそう目立ちはしなかった。
「この感じ…高畑先生?……それに…」
「何かあったのね?」
「お姉様、パトロールを抜けさせてもらえませんか?」
「……理由を話してごらんなさい」
「あの一味…チャオが、動いたみたいです」
「…成程。それなら仕方ありませんね…いいでしょう。命令です、先行して状況を把握してきなさい。
後援を向かわせるよう連絡しておきます」
「はい。では…」
「気をつけてね…美空」
名を呼び終えるころには、もう彼女――春日美空の姿はなかった。
「ぐっ!!」
「ああっ!高畑先生…」
「さすがに頑丈ネ」
「この距離で弾丸の直撃を外すとは…やはり相当な実戦経験を積んでますね」
地下の暗闇の中、銃声が何度も反響している。
高畑は間隙を衝き、休まずに居合い拳を放つが、一つとして当たらなかった。
逆にそのスキに龍宮の手から何かが放たれ、気を抜いた足元に衝撃が走る。
――”羅漢銭”だ。
「なっ!」
高畑が石床に膝を突くと同時に、龍宮は黒く輝く銃口を高畑に向ける。
「残念だたネ。ここまでよく耐えたヨ」
「すみません、高畑先生。恨みはありませんが、仕事ですので」
高畑はここまでかというように頭を垂れた。
それを合図に龍宮の指に力がこめられた…その時。
光とともに、空気を揺り動かす風が巻き起こった。
そして高畑は、放たれた銃弾が眼前で消滅するのを、確かに見た。
「!!何だ、これは!?」
「(僕の魔法じゃない…誰が!?)」
「“アデアット”」
その場の誰のものでもない声がした。
人間大の柔らかな光が高畑と龍宮の間に出現し、何かの姿を為しながら消えてゆく。
…光の中に残っていたのは、3年A組出席番号9番、春日美空の姿に違いなかった。
「春日くん!?」
「春日!?いつの間にここに!?」
「ちょうど今来たばかりよ、龍宮さん。そして…チャオさん」
美空は微笑みを浮かべながら、ゆっくりとチャオに視線を向けた。
「成る程……やはりみそらサン、あなたが“切り札”だたみたいネ」
(切り札?どういうことだ…?)
高畑はあまりの状況に混乱を隠せないでいる。
「私には事情は分からないが…どうするんだ、チャオ」
「見られた以上…まとめて黙っててもらうしかなさそうネ」
「了解」
即座に三度、龍宮の拳銃が火を噴いた。
それぞれ肩に二発、腕に一発、避ける間もなく命中した。
…しかし美空は動じなかった。
突然、風穴の開いた銃創が輝きはじめる。
それは魔力の光だった。
美空の口が、微笑をたたえたまま小さく開く。
「容赦ないなあ、龍宮さん。けど…麻酔弾なんかじゃ無理よ」
「!!な…?いったい、何を!?」
「アデアット!」
その呪文に反応して、輝きが急に強さを増す。
光が消えると…そこにもう、傷口はなかった。
「…!驚いたネ…そこまでやるとは…」
「あれ、このぐらいの情報は調べてあったと思ってたけど」
「春日くん、これは一体…」
「えーと…私の能力みたいなものですよ。特殊な契約と術法を結んでるだけです」
彼女が細かい説明を省いたのは、能力の子細を敵に伝える訳にはいかなかったためである。
大きく言って2つ。
”自身が自身と契約している”こと。
”自身の肉体がアーティファクトと化している”こと。
禁呪とも言われるリスクの強い術法をあえてかけることで、彼女はそれに見合った能力を得たのだ。
もちろん、そんなことを長々と敵の前で説明してやる暇も、義理もなかった。
「まあとにかく、私はこれ以上の暴挙を止めにきただけです。
話し合いですむならそれで良し、無理であれば拘束させてもらうつもりです」
「そんなことはさせないネ…たつみやサン」
再度火を噴く拳銃が、今度は頭をまっすぐに捉えた。
「春日くん!」
「…大口をたたいた割には、あっけなかったな…」
焦燥していた龍宮の顔色がいくらか安堵したが、美空の額が輝き出すのを見て凍りついた。
「…ふう。やれやれ、乱暴ね」
「な…また…!?(今のは実弾だぞ!?)」
痛みすら感じていないようににっこり笑うと、同時にちょうど光が消えた。
額にはやはり傷一つなく、そこには健康的な肌色しか見えない。
「暴力は嫌いだけど、不可抗力ということで。神よ…お許しを。アベアット!」
そう言うと美空の姿は、忽然と目の前から無くなってしまった。
「消え…!?」
「“風花”」
「!!(後ろ!?)」
「…“武装消滅”!」
「なっ!銃が!?」
ケリは一瞬でついた。
美空は姿を目で追われることなく、背後に立っていた。
龍宮の銃が霧散するように消え、さらに反応する間もなく肘打ちを背中に叩き込まれる。
衝撃にたまらず倒れる龍宮。
全身に鈍痛が残り、すぐには立てそうもなかった。
その傍らに、いつの間にかチャオが立っていた。
「さすがネ、みそらサン。武装解除の上位“消滅”。
戦闘に特化した風系魔法…そして“自己契約”に加え自身の“アーティファクト化”。
こんな人がクラスにいたとはネ…」
(流石ね…もう気付くなんて)
美空の表情がにわかに引き締まる。
「ふふ、隣にいたのに気付いてなかったのね」
「魔力が気付かれないほどの実力者だたというコトか。…仕方ないネ」
そこでふと、チャオは龍宮に目をやった。
「チャオ!」
「たつみやサン、お仕事ご苦労ネ。けど…」
にっこりと、傍目には魅力的な笑顔でチャオが応じる。
だが、目は笑ってはいなかった。
「けど…失敗するヒトに用はないヨ」
手の装具が突然唸りを立て始め、共鳴するように龍宮の体が光りはじめた。
「…!チャオ、貴様…ッ…」
龍宮の声が終わるより早く、その姿が消失した。
「超君!いったい何を…」
「大丈夫です、高畑先生。ただの空間転移のようですから」
「!超君も魔法を!?」
「おそらくは…」
暗がりに立つその少女、超鈴音に、高畑は恐るべき威圧感を感じていた。
チャオは美空たちのほうに向かって、ゆっくりと歩を進めてゆく。
「もうワタシひとりで十分ネ…科学と魔法、2つを極めたワタシに敵はないヨ」
「…言ってくれるわね。投降する気もなし、か。
ならば私も、神に代わってあなたを裁きましょう。ご覚悟を」
「ふふ…やってみるヨロシ」
チャオがにわかに歩みを止める。
中距離で対峙するチャオと美空。
地下水道の流れる音が、変わらず低く鳴動している。
(“契約時間”はあと2分…ってとこかな。急がなくちゃね)
美空がチャオを見据えた刹那、互いに強く地を蹴った。
鋭い金属音とともに、目映い閃光が暗い水面に爆ぜた。
(つづく)