マジ議論スレッド

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468猫喪失
>>457
確かに、上記負け犬さんが虐待側の人でなければ、
虐待側には価値観押し付け型の方は見うけられないように思います。
愛誤さんは「世間一般的に正しいことをしているのだ」と勘違い
なさっているゆえ、押し付けがましいことが多いのでしょう。
虐待者はその方なりの価値観で正しいとは思っていても
「世間一般的に正しい」とお考えの方は
あまりいらっしゃらないのでしょうね。

そこで私が疑問に思ったのが、なぜ、
猫虐待者はその方なりの価値観で猫虐待を正しいと思っていても
「世間一般的に正しい」と考えて、猫愛誤のように
強く主張したり他人に勧めたりしないのか、ということです。
現在は犯罪となってしまったから、というのはもちろん
大きい理由と思います。ただ、「世間一般的に誤りで、犯罪」
という烙印はその時点で初めて押されたはずなのに、
実際には犯罪とはっきり明文化される前から、
他者に対し自己主張の強い虐待者、というのは
見たことがないように思います。
だから、虐待は「攻撃性」の表現なのではないか、と思ったのです。
他の原因(社会生活など)での欲求不満の解消などではなく、
純粋に動物としての「攻撃性」を発揮した結果なのではないかと。
前にも申し上げましたが過密な人間社会では「攻撃性」は
敬遠されざるを得ません。
格闘技などでその攻撃性を昇華させることが
現在の社会では推奨されている方法のようですね。
しかし「攻撃性」とはつきつめると「自分以外の他者を傷つけて
より弱らせて、殺すこと」でしょう。
そうすると、「虐殺」が最もその「攻撃性」を満たすことの
できる行為なのでは、と納得がいくのです。
ですが「攻撃性」は現在の社会では敬遠されがちな要素であることが
はっきりしているので、他者にそれを主張する気に
なれないのではないでしょうか。
虐待者は、「人間社会での欲求不満者」と捉えられることが
多いようですが、私はそうではなく、
ただ単に「攻撃性の強い人」なのではないかと思っています。