狩猟採集を主体とした縄文時代には犬は狩猟犬として大事にされ、埋葬されていた遺跡
が見つかっていますが、農耕稲作文化を携えて列島へ渡って来た弥生人たちの時代になると、
犬の待遇は激変したようです。犬の種類も違うのですが、埋葬されなくなり、遺跡から見つ
かる骨もどうやら食べられた痕跡が……。
時代が下って仏教が伝わると肉食禁止令が出されますが、それも公の建前のことで、下々
はいろいろな肉を食べていたようです。日本の料理文化が花開いた江戸時代、料理書
「料理物語」には、犬肉の料理方法として「すい物、かいやき」に向いていると記され、
狂歌師、大田蜀山人の『一話一言補遺』の「薩摩にて狗(いぬ)を食する事」の記述では、
犬の腹を割いて米を入れ、蒸し焼きにする「えのころ飯」が紹介されています。どうやら日
本人の伝統が菜食だったというのも怪しいですね。
雄犬の性器と睾丸は、狗腎(くじん)と呼ばれ、酒につけたものを毎日服用することで、
男性は老化が防ぐことができ、回春効果が得られる。
http://machi.monokatari.jp/drift/item_3431.html
23 :
黒ムツさん:2010/09/19(日) 17:39:04 ID:+vf+fhaW0
日本では奈良時代に国家仏教が採用され、肉食全般が禁止されたために、文献上は犬食の風習
も廃れてしまったと考えられていた。民衆の食文化としては犬食が残っていたという見方もあり、
江戸時代に生類憐みの令が出されたのも、浮浪者などが江戸市中でも野良犬を取って食べていた
からだという説もあった。
しかし、江戸時代の武家屋敷の発掘が盛んに行われ、近世考古学の研究が進展するとともに、犬
を食用にしたとしか考えられない、切断され煮込まれた犬の骨格が大量に出土する事例が報告さ
れ、裏では下層民に留まらない広い層にこっそり食用にされていた可能性が有力視されつつある。
本来の犬食は、食用として飼育されたものを食するもので、野良犬を食べるというのは逸脱的と
する見方もあるが、日本を含めアジアでは広く集落や都市内で半飼育、半野良的に犬の群が人間
社会と共存関係にあり、廃棄物処理、よそ者の侵入の警告の役割を担っている状態が、かつては
普遍的に見られた。こうした犬群の一部が、適宜食用とされたのであろう。
http://makurada.com/modules/pukiwiki/881.html
24 :
黒ムツさん:2010/09/19(日) 17:44:41 ID:+vf+fhaW0
安土桃山時代の宣教師ルイス・フロイスは当時の“犬食い”について「日本人は野犬や鶴、
猿、猫、海草を食べる」と書き記しています。さらに「我々は犬は食べずに牛を食べる。
日本人は牛を食べずに犬を食べる」と書かれてもいます。
この頃は犬といえば野山に生息する野犬になっていたものでしょう。犬は飼うものではなく、
捕獲して食うもの、だったということです。そして牛は耕作のためにはなくてはならぬ働
き手、だったから食べなかったのでしょうね。
江戸時代ともなると・・・調理方法も確立されて“野良犬を見かけると、それを食べるた
めに捕まえる”というような記述も多い。
「われわれ若き頃、御當代の町方において犬を見る事は稀也。それは、たまさか見かける
ときは武家町方共に下々の食べ物に犬に勝る物はないため、冬になれば見掛け次第に打ち
殺し、見つけ次第撃ち殺して食べたため也」
http://pub.ne.jp/lost_arrow/?entry_id=514993
25 :
黒ムツさん:2010/09/19(日) 17:55:51 ID:NYcMr6d/0
寛永二十年(1643)、徳川家光の時代に書かれた『料理物語』は、江戸時代初期の代表的な料理
書で、料理材料や調理法を具体的に書いた最も古い書物である。
『料理物語』のなかに「鹿:汁、かいやき、いりやき、ほしてよし。狸:汁、でんがく山椒み
そ、猪:汁、でんがく、いりやき、川うそ:かいやき、すい物、でんがく、いぬ:すい物、かい
やき」と肉料理の仕方を伝えている。かいやきはホタテのような大きな貝殻を鍋にして焼く料理
のことである。跋文の後に食物の格付けが記されており、獣類の中に「中食の分」として「狗
(いぬ)肉」との記述が見られる。
大道寺友山の『落穂集』には、「我ら若き頃迄は、江戸の町方に犬はほとんどいなかった。と
いうのも、武家方町方ともに、下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになる
と、見つけ次第撃ち殺して食べたからである。」と記されている。「犬が居たとすれば、『これ
以上のうまい物はない』と人々に考えられ、直ぐに食われてしまう」ような状況であった。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-35.html
26 :
黒ムツさん:2010/09/19(日) 17:58:24 ID:NYcMr6d/0
肉という形で売らなくても秋田犬の一部血統(例えばヘレンケラーに寄贈されたもの)なん
て食べつくされていなくなったほどです。
沖縄に土着の犬猫がいないのも食べつくしたからです。山猫を食べきった対馬の例もあります。
秋田犬、柴犬、紀州犬、、名目は毛皮取るためだったでしょうが食べる文化はあったようです。
(2000年、沖縄で代々猫の肉を販売していた老夫婦が無許可で売ったというので食肉販売法違
反という事件がありました)
日本では江戸時代から猫肉は食用でした。いまでも表向きは犬猫を食べること、犬に食べさせ
るために猫を飼育すること、猫に食べさせるためハムスターを飼育することは合法です。
http://okwave.jp/qa1763228.html
27 :
可愛い奥様 :2010/09/19(日) 23:50:00 ID:6snakY+10
親戚のおじさんがよく語っていましたが、昔から日本では犬肉はごちそうだったそうです。「精がつく」
と言って、老人、病人、産後の婦人に食べさせたとか。若い娘さんたちは 「ニキビが出る」 と嫌がっ
て敬遠したそうです。
おじさんの田舎ではまわりに朝鮮人の人たちが住んでいましたが、「日本の犬は墓場の腐肉を食べる」
と信じて、食べるのを真顔で諫めたそうです。昔は土葬だから、そういうこともあったのでしょうか。
村の人たちは、「朝鮮人はばかなことばかり言う」 と笑ってとりあわなかったそうです。
どの地区にも他人の犬を勝手に食う人がよくいたそうです。「犬は必ず鎖につなげ。放し飼いにすると、
あのおやじに食われちまう」と親からやかましく言われたものだった、といいます。だから、昔は放
し飼いの犬は殆どいなかったそうです。
犬を食わなくなったのはドッグフードが普及してからだそうです。ドッグフードで育てた犬の肉はガ
ソリン臭くて食えたものではない、いまはよっぽどの悪食家でないと、犬肉は食べない、と顔をしか
めて言ってました。
■ 縄文時代は、土坑底部から犬の全身骨格が出土する例があり、これを埋葬と解釈し、縄文時代
の犬は狩猟犬として飼育され、丁重に埋葬されたとする説が一般的になっていた。
■ しかし近年、通説を覆すような発見があった。霞ヶ浦沿岸の茨城県麻生町(現 行方市)で発掘
調査された縄文時代中期から後期の於下貝塚(おした・かいづか)からは、犬の各部位の骨が散
乱した状態で出土し、特に1点の犬の上腕骨には、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。調
査報告では、当時犬を食用として解体していた事を示す物的証拠と評価しており、日本列島に
おける犬食の起源がさらに遡る可能性が高い。
■ 弥生時代では、遺跡から出土する犬の骨格も縄文期とは異なっている。また現代の日本列島在来
犬のDNA解析によると、北海道と沖縄の在来犬は南方系の系統で近縁だが、その中間地帯の本州、
四国、九州の在来犬は北方系の系統の犬に由来するとする研究結果が報告され、またこの時代は
その犬の解体遺棄された骨格の出土例の報告が多くなる。 (つづく)
30 :
黒ムツさん:2010/11/04(木) 14:08:11 ID:Ceq9h0nS0
31 :
黒ムツさん:2010/11/04(木) 15:38:22 ID:qzb8xwygO
ふうん、興味深いな。
おれは朝鮮人の犬食いや中国の一部地域での猫食いに対して偏見なんて全くないが、
何で日本では(最近の中国や韓国でも)犬食い、猫食いに対するタブー視が生まれたんだろう?
西洋の愛誤連中の圧力に屈しただけかな?
何かがぶつかる音がした。暗闇の中で目覚めた克夫は耳をそばだてた。低く尾を引く唸り声、
この野郎、という人間の声。
母の向こうに寝ている父が起き、障子を開けて縁側に出ていく。克夫も布団を跳び出した。
父は縁側のガラス戸を透かして外を覗いていた。その後ろにしがみついて克夫も覗いた。雪の
なかに棍棒を振り上げた人影が動く。棍棒は何度も振り下ろされ、同時にけたたましい悲鳴が
起きる。克夫は雪の上をのたうつものから眼を逸らすことができなかった。やがてそれは動か
なくなった。
「やっつけたか……」
父はかすれた声で言い、それから便所の電灯を点けた。薄明かりが裏庭一面を白く際立たせ、
雪のなかに横たわる犬の形を映した。鼻の辺りに血が飛び散っている。
「手こずらせやがって」
忠夫の声は白い息になって何度も闇に吹き出した。
>>32 寒いのか怖いのか、克夫の体は震えてとまらなかった。
「バツじゃないよね、兄さん」
克夫は最も気になっていたことを聞いた。忠夫は克夫を見た。それから雪のなかから尾をつ
かんで見せた。黒い犬だったが長い尾がついていた。
けっきょく、黒犬の肉は家族の食卓にのぼることになった。葱(ねぎ)といっしょに煮て、醤
油味がついていたが、克夫の口の中で固い肉の塊はいくら噛んでも柔らかくならず、喉を通ら
なかった。「体があったまるぞ」と父は言い、「食われた魚以上に量が増えた」と忠夫は笑っ
た。母や姉たちも少量だが食べた。また幾らかは隣家の柾屋にも分けられた。
剥いだ犬の皮は板に釘づけにされ、縁側で乾かされた。忠夫は「克夫の外套の襟につけたら
いい」と言った。克夫は声が出なかった。
http://www.ima.me-h.ne.jp/~sano/yamino/onashi.htm