428 :
ねこすけ:
「さぁ、早くするんだ」
低く唸るような声に身がすくみあがるのが解った。彼の前に膝間付き、ちらりと彼を見上げてはそのたびに冷ややかな視線に打ち落とされて項垂れる。
彼が強要する行為の先に一体何が待ち受けているのか、それは解り切っていた。
それは、幾度も幾度も繰り返し寝物語に語られる結末。幼子ですら知り得る終焉。
そろりと手を伸ばし、そっと指先が触れればそのたびに怯えるように手を引っ込めた。決断はいつまで経ってもつけることができずにいる。
彼の苛立ちがありありと滲む舌打ちが降ってきて、こめかみを冷や汗が伝い落ちた。
彼が強要するままにこの蓋を取り除けば良い。このパンドラの箱を…。
けれどこの箱の底に『希望』という二文字は残されていると言うのか。
否。
そんなものは有りはしない。
開いたとたんに吐き出される白いものと共に、私のこの世界は閉じる。終わりを告げる。
彼の突き刺さる視線の中、私はただ考えあぐねていた………
429 :
ねこすけ:03/03/18 17:04 ID:ZMT2kZgT
肩にとまってなぐさめるように頬をすり寄せたねこちゃんの、大人の拳ほどある頭にそっと手をやると、ねこちゃんは睫毛を伏せて微笑みを浮かべた。
奴隷に貶め、さんざん嬲り汚した魔族の王がはじめて見せた微笑みを眼にして、黒魔導師はなぜか声をかけるのを止めてその微笑みに静かに見入った。
格子を嵌めこんだ大窓から、満月の青白い光が静かに差し込んでいた。
儚げな憂いを秘めた微笑みだった。諦めと安堵が混ざり合ったその微笑みには、胸の奥を締めつけるような何かがある。
黒魔導師は苛立ちを感じた。ねこちゃんは自分の奴隷であり、その濃紺の髪一本から些細な感情に至るまで、すべてが自分のものだ。
それなのに、アゼルの浮かべた微笑みの意味が黒魔導師にはわからない。
視線に気づいたねこちゃんが顔を上げ、群青と紫紺の眼差しが静かに絡み合う。
「いつ、来て……」
430 :
ねこちゃん:03/03/18 17:07 ID:ZMT2kZgT
捕獲箱を外したのはねこちゃんだった。
禁忌を失くしたかのように快楽に身を任せ、素直に乱れて見せるようになったねこちゃんに、黒魔導師は言葉の拘束を解いていた。
「何を、考えていたのですか?」
独りの時のみ身に着けることを許していた前開きの繻子衣の帯を解き、従順に肌を露わにするねこちゃんに黒魔導師は問うた。
「……なにも」
金属の装飾品だけを身につけたいつものしなやかな裸体を晒すと、ねこちゃんは目を伏せて黒魔導師の足下にそっとひざまずく。奴隷となっても失われない、優美な所作。
その背に残る幾筋ものムチの痕は、すべて黒魔導師が手づから刻みつけたものだ。一度などは薔薇の花束をムチの代わりにしたこともあった。
肌を裂く鋭い棘に、赫く散る花弁と血潮。まだ、禁呪を施して間がなくねこちゃんも強情を張っていた頃。屈辱と苦痛に耐えて翳る容貌と噛み殺してなお漏れる微かな苦鳴に、どれほど心踊らせたことだろうか。
431 :
ねこすけ:03/03/18 17:11 ID:KBn+U6Ve
飼育箱に隠すのなら、あなたの身体にきいてみましょうか?
揶揄する口調で告げる。
「随意に。もとより抗うことなどできぬ身。言えと命じられることと如何ほどの違いがあるとも思えぬ……」
見上げる紫紺の瞳は静謐だ。苦痛も快楽もその身体ひとつに受入れ、奴隷として服従の態度を見せるようになったアゼルは、反抗心を露わにしていた頃よりつかみどころを失ったと黒魔導師は思う。
「自信満々ですね。その自信は一体どこからくるのでしょうか?」
そう、黒魔導師にもわかっている。アゼルは隠し事などしていない。
知りたいのは、もっと……。
「秘め事などできぬ身であること、誰よりも汝れが知っておろうはず。なにを疑う? ……それでもこの身体に聞きたいというなら、ただ従うまで。どちらにせよ、我の応えは変わりはせぬ」
432 :
ねこすけ:03/03/18 17:13 ID:KBn+U6Ve
淡々と口にするその態度が、無性に癇にさわった。なぜか。いや、苛立ちの理由などたいしたことではない。もとより奴隷を打つのにわざわざ理由をつける必要など主人である自分にはないではないか。
その静かな表情を思うさま苦痛に歪ませてやりたいと思うだけで充分のはずだ。
怒りを形にするように、手に責め苛むためだけの冷たい革鞭を具現させる。
「なまいきな口を。このところ寝台での奉仕ばかりで甘い顔をしすぎましたか。何度も気絶するほど躾けてあげたのに、まだ足りていなかったとは……」
黒魔導師の言葉を耳にしたアゼルの頬に微かな朱が昇る。夕べの狂態の名残は、ムチの痕どころでなくアゼルの肌のそこかしこを飾っている。
433 :
ねこすけ:03/03/18 17:14 ID:KBn+U6Ve
「まぁ、奴隷をつけあがらせてしまった責任は主人のわたしにもります。いいでしょう、それほどまで言うのなら、その口をこの手で開かせてあげましょう」
微かに表情を曇らせはしたが、アゼルは抗わない。抗えない。真名を変え、その命令に従うよう強いたのは、誰でもない黒魔導師自身だ。
「お立ちなさい。壁に向かって、こちらに背を向けて。……そう、そのまま。倒れることは、赦しませんよ」
従順に従うアゼルの背に容赦のないムチの一撃をくれた。