1 :
1:
五代将軍綱吉は”犬公方”と呼ばれるが、それは世にも珍妙な法令「生類憐みの令」を発布して犬を大切にしたからである
2 :
:02/05/07 15:39 ID:L+8dOeA6
ネコ殺しは氏刑
3 :
:02/05/07 15:39 ID:4udn9wXi
彼がなぜ犬を大事にしたかというと、長男が幼逝し、その後子宝に恵まれないのを気にしていた綱吉に隆光という怪僧が「将軍にお世継ぎの生まれぬわけは、上さまが生前多くの殺生をなされたからでございます。
殺生を禁じて生類を憐むならば、必ずお世継ぎができましょう。
4 :
:02/05/07 15:40 ID:4udn9wXi
上さまは戌年ですから、まず犬を大切になされませ」と進言したからである。
隆光の言葉を信じた綱吉は、貞享四年(1687)「生類憐みの令」を発布して犬の保護を命じたが、以後、犬に関する法令を次々と出した。大事にされるので市中に野犬があふれると、大久保や中野に犬小屋を建て、十万余の犬を収容し、専門の役人と医者をおいて保護をさせた。
やがて法令は犬以外のあらゆる生物に適用されることとなり、そのために多くの人々が法令違反で処罰された
5 :
:02/05/07 15:41 ID:YlK28Yg3
で、結局世継ぎはできなかったと。
6 :
:02/05/07 15:41 ID:4udn9wXi
綱吉の小姓の伊東基久などは、頬をさした蚊を打ち殺した罪で流罪となった。
綱吉にとって人間は、生類の中に入らなかったようである。
宝永六年(1709)正月十日、綱吉が逝去すると、すでに江戸城西の丸に入っていた継嗣徳川家宣は、翌日柩の前でこの天下の悪法「生類憐みの令」の廃止を宣言した。
綱吉は「生類憐みの令」を「百年ののちとても守るべきこと」と病床で繰り返し繰り返しその存続を強く頼み望んでいたが、皮肉にも、この宣言は、綱吉の葬式以前の抜打ち宣言であったために、かえって一般には将軍の遺命とさえ受け止められた。
そして犬医者は失業した。当時の狂歌に次のようなのがある。
”心なき身にも哀れは知られけり 犬医者どもの秋の夕ぐれ”
7 :
__:02/05/07 16:14 ID:wKViRVUB
ふうん
後の世で綱吉の評価がどう下されているか 知ってるやろ
ま、クズヤロウということだよな
このスレも同様、クズスレ わかったか? >1
8 :
あふぉ:02/05/07 16:18 ID:piDvd9nB
>7
禿同
9 :
:02/05/07 20:23 ID:Uy4oZrzB
どうだっけ?
10 :
e:02/05/07 20:25 ID:AE9Lb5Uj
∧ ∧ ウゼえ消えろ!氏ね!
/(⌒ ̄⌒ヽ _
/ /ヽ, \ ヽ,,, _ ──__ .' , 、 ∧_∧
/ / ヽ ヽ ヽ,,,,, ―= ̄  ̄ ̄ ̄ /:, ̄.∴ ' ’ , ( )
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\ / ゝ γ__ ,,─'' ―''' ̄ ̄ " . ’ . . ’| y'⌒ ⌒i
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11 :
age:02/05/07 22:05 ID:AmWRB6Om
12 :
:02/05/07 22:10 ID:GZBc5jI1
激しく閉鎖(#・∀・)キボーン
13 :
ゆ:02/05/08 07:37 ID:r/ogJJnL
小泉首相に動物保護法案可決してほしい。
14 :
名無し:02/05/08 09:38 ID:o8AzX3LP
綱吉は偉かった
15 :
:
これはダメだね。
そのときに犬や猫があなたに害をもたらします。とこの時言っていたら
大虐殺になっていたかもしれないジャン