若者の車離れ理由は責任やリスクを避けたいから18

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819懐疑派
もはや議論にならんな(笑)。まあ、僕としては擁護派を説得するよりも、「懐疑派」、
つまり、今からクルマに乗ろうか迷ってる人や、すでにドライバーであっても、色んな
不都合を感じながら運転している人たちに、励ましを送れればいいと思ってる。
「若者の車離れ」は、擁護派の言うように、打算的な動機によるのに過ぎないかも知れな
い。ただ、一昔前なら、こんな打算すら生まれる余地がなかったのではないか?
そう思うと、「クルマ社会」とは一時のお祭り騒ぎの様なものだったかも知れないな。
祭りは楽しい。無礼講だ。喧嘩も花だ。辛気臭い顔は野暮だ。日頃の生活で溜まったガス
に火をつけて、飲んで歌って騒げばいい・・・・。だが、やがて宴は終わる。

後の祭りの日常は退屈だ。銭勘定に追われる日々のストレス、喧嘩の絶えない家庭、友達
と飲めば悪口と愚痴ばかり、テレビもネットも心を満たしてはくれない。自分の理解者は
どこにもいないのだ。そして、人は車のハンドルを握る。その中の静かな孤独を満喫する。
行く当てなどない。走ることで何かから遠ざかる。逃避するのは楽しい。俺の意のままに
なってくれるのはクルマよ、お前だけだ。

「お祭り日本の象徴たる『クルマ社会』よ、どうか終わらないで!大人になんてなりたく
 ない。満員電車なんか嫌だ。事故なんて起こさないよ。ゴールド免許も持ってる。
 俺は他の奴らとは違う」・・・しかしアクセルは沈み込んでゆく。死がすぐ隣で、それを
見ている。