車トリビア

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97名無しさん@そうだドライブへ行こう
江戸時代でも交通事故は起きた。
人が暴走した牛馬に跳ねられ、踏まれるということはたまにあったようだが、
特筆すべきは大八車に人が轢かれるという事例もあったこと。

大八車での死亡事故の場合、牽引していた奴(運転者)は死罪。
安全確保のために一人牽引の時でも随伴者が徒歩(走って付いていく)で付いていなければならなかったが、
死亡事故時はこの随伴者も島流しになったとか。

時代劇の町中のモブシーンで、一人で勢いよく米俵なんか積んだ大八車を引っ張ってるのがいるが、
事実に照らせば命知らずの暴走と言うことになる。

大八車のサイズは意外に小さくて、幅1メートルがとこ、梶棒が長い程度でリヤカーと大差ない。
また木製車輪は車軸で左右連結された状態になっていて、軸受けに当たる部分も今で言う平軸受けに油を付けていたぐらいで、
左右独立回転のゴムタイヤ・ボールベアリング付きのリヤカーに比べると扱いにくい物だった。
それでも100kg、200kg単位の大荷物を積んで平地では1人で牽引できたのだから、
車輪の付いた乗り物が殆ど存在しなかった江戸時代の日本では、数少ない適法車両だった。
この程度の車両でも死亡事故が起きたのだから恐ろしい。
車両通行をほとんど前提としない、徒歩と家畜通行が基本の交通形態だから、歩行者側が反応しきれなかったという面も大きかった。

江戸時代の人気ライターだった黄表紙作家・恋川春町が
「無益委記」(むだいき)というインチキ未来予測黄表紙を1780年頃に書いているが
(未来予測の設定があまりにバカのツボを突き過ぎて、いま読んでも大いに笑える黄表紙だ)、
この中に男四人で大八車を押し引きして走らせ(現実の大八車でも重量貨物や急勾配ではこのような人海戦術を使った)、
オープンなお座席を荷台に設置して、客が三人ばかり乗り込んで飲み食いしながら
「気分がいいな」「尻がガタガタするのが困る」と言っている画が入っている。やってることは人力車と原理的に大差ない。

実のところ、当時の技術でもこのくらいのことはできたのだが、
人を乗せる車という物自体が貴族の牛車などを除いて禁止されていた時代なので、ネタになったわけだ。