「それは・・・ おれなんかに聞いても分かんないよ。神様だけが知っているのさ。
君が生まれる時も死ぬ時も、人間には分かんないことだよ。
おれはこんなスレが何の役に立つかは分かんないけど、何かの役には立ってるんだよ。
もしこれが無益なら、すべてが無益さ。空の星だって、おれは同じだと思うよ。
こんなスレだって、何かの役に立ってるのさ。アザミ顔のブスでもね」
--------------------------------------------------------------------------
前スレ くるまオタク養成講座Y ”La passione ci guida” 情熱が我等を導く
803resでOn Dead End Street.
5. くるまオタク養成講座X 〜Fun Fun Fun〜
4. くるまオタク養成講座W(;´Д`)棒力教室(;´Д`) 538レスでEND
3. くるまオタク養成講座V9829;飽くなきボーソー9829 568レスでEND
2. くるまオタク養成講座U〜明日無き暴走〜 541レスでEND
1. くるまオタク養成講座 725レスでEND
全て
http://ime.nu/briefcase.yahoo.co.jp/la_croisiere_noireに保存
2
♪サーン!
4 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/06/27(金) 23:30:52 ID:udW7jSmiO
車板有数のハードコアスレッドにようこそ。
前スレ
>>803 mukashinonamaedekaitemasu
フッサール先生にもご無沙汰してます。
今回はヒトケタよりの参加とさせて頂きます。
前スレ落ちたんですか。
>>6 正確にはスレ容量512kbyteオーバーで書き込み不能になりました。
今回は、書き込みの息抜きもかねて充電、雑談、資料置き場として使ってください。
次回、正式に
くるまオタク養成講座 Z 「仲良くしよう」「友達はいない」
とでもスレを立てたいところです。
8 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/06/29(日) 05:50:45 ID:JujUK2gkO
え?ここって第七板ではないの?
9 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/01(火) 20:22:59 ID:1nj03z5XO
少し古いネタですが
4月にトヨタとスバルが小型FRスポーツを共同開発2011年発売という発表がありました
これ、エクシ-ガ発売に先立ち、「ミニバン屋に成り下がった」と言われたくなかったスバルが
水平対向と並ぶアイデンティティー、FFを捨てるという勇み足では?
仮にFRがスポーツカーには適しているにしても
なんでヌバルといひSAABといひシコーキ屋はFFなんでせうかね?
BMWはシコーキエソジソ屋だからともかく。
そりゃ 前でひっぱってもらうという挙動がこのましいからでせうww
さしづめ、ビートル(ぽるしぇ)あたりは震電といったところでせうかww
12 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/02(水) 06:59:00 ID:PsumqraE0
>>9 ウソ書くな
スバルのアイデンティティはシンメトリカルAWDだろ
FFっていつの時代の話だ?
スバルの場合。まずFFが有り、それの発展として4WDが有った訳だし
FRは一度も作っていない筈だし、
今でも4WDでない車も一部残っている筈だし。
FFこそアイデンティティーで、良いのではないか?
FFの洗練には少なからず貢献したスバルなのに、
FFが多数派の今ではその事への評価が低い気がする。
水辺対向など、他への影響の大きさでは大した事は無いところだけが
個性として言われる現状は間違いだろう。
>>12 縦置き水平対抗E/GのFWDという構成のFF−1(スバル1000)
有ったればこその現在のAWDシステムなわけで昭和40年代
前半の話でした。当時としてはチョー先進的な設計なのです。
スバルはFFとRRではないかと。
まあ、そんな瑣末なことは俺は問題にしないけれどw
むしろ、なにが大事かってーと
たとえばECVT >>ジャスティ
たとえばエアサス >>アルシオーネ
たとえばワゴン復権 >>レガシィ
他のメーカーがなかなか踏み入ってこなかった領域がスバルによって
再開発されたところもあり。
まぁ、アルシオーネのエアサスは褒められたもんではありませんでしたがww
へぇ
技術的な部分はそうなのでしょうが
むしろスバルのアイデンティティーって安易に市場に迎合しないで
他社が目をつけないところに新たな商品を提示してきた事かと思います
他所の手垢にまみれたミニバン市場に安直に見えるエクシーガを出すのは自己否定かと
でも、モーターショーに手を替え品を替え何べんも何べんもコンセプトカーを出品してたって事は
よっぽど作りたかったんじゃないのかな。ミニバンの類を。
最初に出品した時点で商品化出来ていれば良かったのかも知れないけれど
市場が収束に向かい、値段で勝負の現状になってから出したのは
印象悪かったかもね。
>>15 ふさセンセ、つうことはヌバルは12ch(現:テレビ東京)だったつうことでせうか。w
スレタイを見るとYMO(イモ)を思い出す。
>>20 あい。そうです。
いくざくとりぃ、でございますw
>>22 えーと、曲だけなら、まあ負けないものはいろいろ在るのですが
ミク嬢はローラもアンドリューもリンもあるのですがいまいち使いこなせない。
あれだけつかえるひとはちょっとうらやましいのであります。
リンドラムがあってもオレンヂ大活躍の京城音楽はミクさんでは困難でせうな。
ぁ、ぃあリンつうのは鏡音リンのはうでしたでせうか?w
さて、前スレは意識的にレーシングカーに話を偏らせたのですが。そこで気にはなっていたものの、
取り上げなかったのが速度記録挑戦車の類。
「自動車の速度記録」とかで検索して得られる以上のこともほとんど知りませんし、
自動車を用いた競技は“走る(加速・巡航)曲がる止まる(減速)”のバランスを競うのが妙味だと思うので
真っ直ぐに走った結果だけの速度記録には、左程の興味も持てないこともあります。
車(記録挑戦車)の方を見ても、ヴィンテッジ期までの“ブリッツェン・ベンツ”とか
有名どころのM・キャンベルの“ブルーバード”やらJ・コッブの“ネピア・レイルトン”までは面白いのですが
ターボジェット推進とかになると、もう何処が自動車と言えるやら・・ですし
ソルトレイク等で出した記録など、地上には違い無くとも路上ですらないですし。
ただ、その時点での絶対速度記録ではない為にWikiの「自動車の速度記録」といったカテゴリーには
掲載されていないものの、30年代終盤にヒトラーの肝いりで、完成したばかりのアウトバーンを用いて
メルセデスやアウトユニオンがGPカーをベースに用いて行ったという速度記録挑戦会等には
一応は公道を用いている事も有って多少の興味も有り。
アウトバーンとドイツ車の両方を国内外に自慢したかったのでしょうが、
38年1月にはこの記録会の最中に突風に煽られ、ベルント・ローゼマイヤーさんっつう名ドライバーが
僅か28才でお亡くなりになっています。その時の記録は430km/hくらいだったそうです。
最高速と言えば、最近では絶対速度とかよりも例のブガッティ・ヴェイロンの400km/h超ってのが
一般には話題となりましたが、実際合法的にその速度を出せるのは世界中で一箇所のみとか。
恐らくは上に書いたローゼマイヤーさんの事故の場所辺りなのでしょう。
400km/hなんてのは(それが可能な車を持っていても)非現実的なモノのようです。
その速度で疾走する事を開発に携わった方は「大変エキサイティングな経験」等と語っておられるようですが
その時の燃費は0.8km/lだとか。
つまり400km/hを維持して一時間走るには500リッターのガソリンが必要。しかしそんなタンクは積んではいない。
こうした事からも、結局はそれが可能な車を持っていてもこの速度は非現実だと思うのです。
>>28 > つまり400km/hを維持して一時間走るには500リッターのガソリンが必要。しかしそんなタンクは積んではいない。
つまり無給油でも400km以上走れる最高速度300km/hの日産GT-Rのほうが結果的に速いということでしょうか。
ドイツに於いてアウトバーンと名付けられた道路は初めて作られた自動車専用道路ではなく、
第一次大戦直後にはAVUS(ドイツ語の“自動車専用通行及び練習道路”の略)と呼ばれた
道路が完成していたそうで。
これは二本の長い直線道路を二つのカーブでつないだ形態であり、当初の予定とは異なって
クローズド・サーキットとしてGPレースも行われていました。
この、アウディのショーカーにも名前を用いられたサーキットをあえて用いずに速度記録挑戦会を行った辺りにも
ヒトラーが当時完成なったばかりのアウトバーンの存在を国内外に誇示したかったという意図が見えます。
例え幾ら直線であってもアップダウンの激しいところや荒れた舗装では記録は伸びませんから。
日本の道路でも北海道辺りにはかなり長い直線が有る筈ですけど、
起伏が結構有るのでそんなに遠くまで見渡せる訳でもなく、長い直線であることを実感出来ません。
私が走った中では秋田県の干拓地、八郎潟の中央を走る農道が全くの平坦という事も有り
長い直線の印象が強いのですが、狭い道幅で当然あんまりバカな事は出来ません。つか、しません(本当)
ところで以前にも触れた自動車史家の折口透さんの著書の中で、
世界初の自動車速度記録挑戦の話が何処かに書かれていたと思ったのですが、
知人に貸したままになっている本の中だったのか、ちょっとその記述を見つけられず。
そこでちょっとうろ覚えの所も有りますが、確かその記録会はフランス・パリ郊外の公園の中の直線道路で
19世紀末に行われ、記録は60km/hくらいだった筈。
当時の興味は「自転車の記録を上回れるか?」みたいなのどかな物だったようですが、
考えて見れば現代の都市部の路上ってのもそれと大差無いと言えるのかも。
「どの位の距離までならば、自転車の方が早いだろうか?」って誰しも一度は(または日常的に)
考えるものでしょう。100km/hが現実に考えられる最大の速度だったりと、都市部の一般路は
自動車黎明期の絶対的な記録と殆ど変り無いもの。
120年の歴史を重ねた結果っつうのは結局そんなことなのか?ってちょっと考えてみたり。
アウトユニオンのレコードカーには先日の形以外にも有り。模型の写真ですが、
http://www.ewa1.com/md/bru108.jpg これは前年型(1937年)のようですが、形の異様さっつうか不気味さで、私はこちらの方が好きです。
これが更に進化して38年となると全体がひとかたまりの流線形となり
http://www.modellismorsm.com/FotoModellini/BM0352.jpg 遥か後のルマンで活躍したポルシェのレーシング・スポーツカーなどを連想させる形となります。
こうした形状改変には元となったPヴァーゲンの設計者であるF・ポルシェ博士がどの程度関わったものか。
初期の356のレーシングバージョンやら、前述のレーシング・スポーツカーやらと
空気抵抗の削減には大変熱心な印象がポルシェ一族やポルシェ車には有るのですが、
その割りには空冷時代の911などのボディー設計は空力には案外無頓着だったように思えるのは不思議?
かつてはレースと並び効果的な宣伝材料として速度挑戦を自動車メーカー自らが盛んに行ったようで、
自動車レースやモータースポーツは「嫌いだ」と公言すらしたヘンリー・フォードさんも
フォード社を立ち上げる前には速度記録挑戦を自らの手で行っており
初期のフォード車の広告には「あの、999号(速度記録挑戦車の愛称)を作ったフォードの設計である」と
掲げていたとか。
一部のハイエンド・スポーツ以外では、異常な高速度そのものが悪であるかのような風潮の現代では
考え難いことと思えます。
昔のジャガーのモデル名のように(SS100とかXK120とか)最高速度を売り物にするような車は
今は殆ど見られません。そうした事が実際には大して意味を持たない事に皆気付いてしまったのでしょう。
また、車の能力が格段に上がり400km/hを標榜するブガッティのような車が出ても、
その速度を出せる場所が無いとか、燃料消費率の面から巡航速度には成り得ないとかで現実的ではなく
既に“最高速度”という言葉自体に魅力は失われているのかも。
そのブガッティにしても、400km/hの時の燃費が0.8km/lとかでは、ガソリン高騰の今だと一時間で10万円分を
消費するという割合。吉原辺りの高級店で二輪車遊びするくらいの勢いでしょうか。
そう考えれば、開発者の方の言われる「エキサイティングな経験」がどんな物か、少し想像が(ry
33 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/13(日) 08:11:36 ID:oaFuNYfxO
時速400キロで一時間継続走行するなんて、現実にはありえないですよ。
>>33 ご本人も28でそう書かれています
…つか、なんつうオチですか、そりゃw
>>33-34 まぁどれくらいの速度でお金が消費されるかって話ですので・・(w
日本にいれば勿論のこと。欧州にいても一般には400km/hどころか300km/hもほとんど縁が無い速度で、
大体、普通の人は200km/h出るかどうかくらいの車を買って、その7〜8割を用いるくらいがいいところでしょう。
この200km/hって速度を最初に公式に出した車は以前このスレでも少し話に出たブリッツェン・ベンツで
http://www.seriouswheels.com/cars/top-1909-Blitzen-Benz.htm 1909年に達成しているそうですが、ガソリンエンジン車に限らなければその三年前に
アメリカでスタンレー蒸気車が200km/hの壁を突破しているとか。
また、列車の記録まで手を拡げれば1903年にはベルリン郊外で電気機関車が210km/hを
記録しているそうですが、その辺はまた別の話。
で、この“ブリッツェン・ベンツ”元々アメリカで速度記録に挑戦した時に付けられた名前
“LIGHTNING BENZ”をドイツ語に訳したものだそうですが、ナンと言っても目を惹くのは
その21リッターにもなる四気筒エンジンでしょう。
前スレで話の中に出た、アメリカのウォルター・クリスティーさんの作った24リッター直四なんてのも有って
四気筒エンジンとしては最大の物と言う訳でも有りませんけれど、
このブリッツェン・ベンツについて詳しく書かれたSCG-47の記事を見ると、ボア・ストロークは
180mmX200mmにもなるとか。
幾らツインプラグとされていても、この大径シリンダーで火炎伝播の問題とかは起きなかったのでしょうかと
心配になります。
その巨大なエンジンを除けば、1400kg程度の車重に200HPで最高速度200km/hちょっとですから
現代の2リッター級サルーンと比較すれば、やや空気抵抗の大きい車体の分だけ
強力な出力のエンジンを搭載して同じくらいの最高速度を得ているくらいの車として
意外に常識的、つか理解出来易いスペックではあります。
が、それにしても21リッター。その当時(20世紀初頭)の技術者の方は容積辺りの比出力なんて事には
まだ無頓着だったのでしょうか??
車は「馬力」で走るのではありません。
車は「トルク」で走るのです。
21リッターのトルクは相当なものでしょう。
馬力=トルクx回転数だから、20世紀初頭の技術レベルでは、
自動車に搭載出来る形の直列エンジンでは四気筒が現実的。
更なる多気筒化、高回転化は困難、又は非現実的?大排気量低
回転高トルクの200馬力を最初から狙っていた。又は他に選
択肢がなかったのでは無いかと思うのですが。ツインプラグも
当時のマグネトー点火システムの信頼性の低さと、気筒容積の
大きさによる火炎伝播スピードの限界を考えれば、高回転化の
為とも考え辛いですし。
>>36 その辺の難しい話は、はっきり言って苦手分野なのですが。
基本的にはそうなのでしょうけれど、今の所、話題にしているのは最高速度ですので、
その車を最終的にどれくらいの速度にまで押し上げられるか
(どれ程の走行抵抗と吊り合せられるか)ってのは仕事量の問題になるのではないでしょうか?
回転の上がらないエンジンはトルクが強大でも仕事量(馬力)が上がらない。
また、高いギア比が与えられないので(オーバードライブレシオでは強大なトルクも減少する)
速度は上がらない。みたいな感じではないでしょうか。
20世紀初頭のレーシングカーと言うと、殆どは四気筒エンジン搭載であったのは確かなようで。
おおよそ1910年代の初頭に至るまではこの傾向が続いていたようです。
転機となったのは恐らく1912年のACF(フランス)GPだったようで、以前このスレの中で触れた
世界初のDOHCエンジン搭載のプジョー(エルネスト・アンリ設計の7.6リッター直8)が
14リッター直4搭載のフィアットを打ち破った時だったでしょう。
これ以来、多気筒の高回転型エンジンの優位が明らかになったようです。
それ以前にも大排気量、大型エンジンであれば常に有利であったと言う訳でもなかったらしく、
4リッター程度のルノーがレースで10リッター超の他車を破り好成績を挙げたり、
また僅か1.3リッターしかないブガッティ“ラ・ピュルサン”が10リッター・フィアットらに伍して上位に食い込んだり
と言う事も有ったようですがそうした小〜中型車も、当然のように四気筒でした。
また、ウォルター・クリスティーさんの作った“ダイレクトドライブ前輪駆動車”も
直列ではないものの24リッターにもなるV型四気筒。
四気筒以上の多気筒エンジンがこの時代に無かった訳でもなく、例えばロールス・ロイスの“リーガミット”
なんて車(1905年)はV8搭載でした。
ところがこの“リーガミット”正確には“Leagal-Limit”を略した愛称で、市内通行に特化して
市街地の制限速度(赤旗法撤廃後の20mph/h)程度を常用速度とした低速車。
多気筒=滑らかな回転フィールという特性は知られていても、
高回転型という考え方は未だ生まれていなかったのでしょうか。
最初に細かいところの訂正。 “Leagal-Limit”→“Legal-Limit”
靴屋さんの名前は“Regal”なんですよね。どういう意味なんでしょう?
さて、レースとは無縁のような印象のあるロールスロイスですけれど、その初期には意外と多くの
スピードトライアルやら何やらに出場し、出来たばかりのブランド名の宣伝に努めていますし、
有名なマン島TT(ツーリスト・トロフィー)レースでは第一回〜第二回に掛けて
初期の4リッター四気筒車を出場させ、好成績を挙げているそうです。
メーカー名の前半部でもあるC・H・ロールス卿は富裕な貴族スポーツマンであり、
自らステアリングを握って数々のレースに出場、当時英国屈指のレーシングドライバーだったそうですから
彼が販売を担当するロールス・ロイス車が競技へ参加するのは当然の流れだったのでしょう。
残念な事にロールスさんはロールス・ロイス社創業後数年と経たない1910年に、もう一つの趣味
(以上のものだった)航空機の操縦中の事故により、僅か34才の若さでお亡くなりになり、
それ以降ロールス・ロイス車は徐々にレースの類に参加しなくなっていったようです。
既に高品質の評価が確立したことや、全てのロールス・ロイス車の設計を統括したヘンリー・ロイスさんが
生産車や航空機エンジンの設計だけで(健康を著しく害す程に)多忙であり、
競技用車両の設計どころでは無かったことも原因だったのでしょう。
そんな事も有ってか、初期のロールスロイスがレースの類に参加させた車というのは
資料に有る限りは生産型そのものか、それを軽くチューンして軽量なボディーを架装したもの。
当時大陸で盛んに作られたレース専用の巨大な怪物車は作らなかったようです。
そうした車を最も多く作ったと思えるのは昨日も名前が出たフィアットのようですが、
これは恐らくフィアットが自動車専業ではなく、より大型の飛行船や定置用エンジンを多く作っていた事と
無縁ではないでしょう。
ロールス・ロイスが航空用エンジンでも成果を挙げるようになったのは第一次大戦からであって
既に無謀な都市間レースの類は禁止された後のこと。
それでも、このロールス・ロイス製の航空機エンジンを用いた速度記録挑戦車は存在しましたが
それはメーカーとは関係は薄い、別の話のこと。
37のレスは
>>36車はトルクで、に対してのチャチャ。
「車はトルクで走る」って云いきってしまうのは、
「ハンドルを切ると車は曲がる」ってのと同じくらいの説明不足だと
思うのです。当時の彼らの目標に対する最適解が21リッター四気筒だ
ったというだけ。もし排気量を小さくすれば高回転が狙えるけれど、
もっと効率の高い点火システムが必要になるし、ムービングパーツの
要求精度は更にシビアになる。又高回転化するって事は減速比の拡大
や減速システムの複雑化を招く。20世紀初頭の機械なんだから19世紀
末の治金、加工技術で作られていると思って間違いじゃないと思うの
だけれど、少し乱暴な考えでしょうか?。
↑ 意味不明な文章で失礼。
大トルク低回転型エンジンと高いギア比と高回転型エンジンに低いギア比の組み合わせ。 どっちを取るか
↓訂正
大トルク低回転型エンジンに高いギア比の組み合わせと高回転型エンジンに低いギア比の組み合わせ。
どっちを取るかは今に至るまで続く問題
また、“サンダーボルト”はジョン・コッブではなく、そのライバルであったジョージ・イーストンの車でした。
43 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/17(木) 00:38:18 ID:ToHM0UzcO
長たらしいレスだが何かの参考書をそのまま写したように見える。
>>41 現代の電制技術なぞ望むべくも無い時代、
フラットトルクの高回転型エンジンなんて夢の又夢。
当然ながら変速機構は必要な訳で、どういう機構にせよ
大トルク低回転型を選んだ方が変速段数を少なくできます。
>>43 「何かの参考書を」むさぼる様に読んで、頭のパズルを
少しづつ埋めながら、色々な経験や他者とのやりとりの
中で、ミッシングリンクを繋いで(本当は車オタの仮面を
被った・・・・オタかも?)「逝ってる氏」の様なオタク
が養成されてゆくのです。
>>43 君の意見はもっともだと思う。
だがね。
今までの書き込みを見ても、「まんまうつし」というのはまずない。
たとえばかの自動車エンサイクロペディア。
あれ、俺は持っているんだが、そんなのはいま、ここには関係ない。
勉強の一つの資料として、いろんな書籍を読み、自分なりの考察を加え、
統計立ててその人なりの答えを出す
その結果が、面白いのである。
視点の違いとか、そのようなことが大事なのである。
言い換えれば、書き込みをする人の、人生の経験の一部を享受し、それに浸り、
それを共有し、それを思考しよう、というのである。
きみがそう思うのはかまわない。
だが、それは>>何かの参考書をそのまま写したように見える。
その「何か」を君にもしらべていただきたい。
しかし、「何か」がなかった場合、君はそれでも同じようなことを言うのであろう。
ならばそれでも良かろう。
しかし、そこに他人から同意を得られる君自体の主体はどこに見受けられるであろうか。
おそらく、それはすごく薄いものであろう。
車オタクとは、他人のパズル、自分のパズル、ともに楽しめる人なのだ。
知識という名のテストをしているわけではないのだから、もうすこし別の楽しみ方を
してみてはどうだろうか?
わーい、フッサール先生にかかるとオイラのオチャラケたレスなぞ
吹っ飛んでしまいましたがな。云ってる事は似たような事なんだけど
やっぱ重鎮には敵いませんな。
47 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/17(木) 03:20:47 ID:JuRgHBaL0
>>43 そもそもこのスレの主旨が「少ないレス数で512KB埋める」だから長たらしいレスなんですよ
↑そう言えば。以前俺、某スレをスペースキーの連打で容量オーバーにした事があったなw
ま、実際のところ。
記憶・うろ覚えに頼って書き込んで、書いた後から気になって調べるって悪い癖(w
が無ければ昨日みたいな間違いもしないんでしょうけれどね。
>>47 そう思う?実は何度か私もそれ考えた(w)
私一人で書き込んでいたら恐らく300レス行かないで終わるのでしょうが、でもそんな放置プレイスレは嫌(w
>>44 そういう意味でしたか。
確かに、例のウォルター・クリスティーさんの作った“ダイレクトドライブ前輪駆動”みたいに
ファイナルすら不要な程のトルクが有るならば、変速機も何も無くて済むのでしょうか。
しかし“過ぎたるはナントカ”で、あまりにも回転の上がらないエンジンでは使える領域(回転数)が少なくて、
結局ピーキーな高回転型と同様に多段の変速機が必要となるかも。その辺の話はまた後で。
昨日間違えた“サンダーボルト”(ロールス・ロイス航空機用エンジン二機搭載のモンスター)を企画した
ジョージ・イーストンさんという方もやはりイギリス人。
こうした冒険好きで、思いついたら行動の素早い人がいるのがイギリス人の面白いところでしょうか。
また、航空機に用いるような大型で高価なエンジンを惜しげもなく用いたスペシャルを作る富裕層のいる一方、
鉄パイプを曲げたりロウ付けしたりして組んだフレームに二輪用とか機械動力用等の
小型汎用エンジンを積んだ粗末な“サイクルカー”を作る
町工場が多く現れたのも同時代(第一次大戦後)の英国。
とにかく自分で企画して作るという事が好きな人が多いらしい国民性が最も盛んにこの時期に現れたのか
珍車奇車の類には事欠かない20〜30年代英国ですが。
富裕階級から一般人迄に共通するのは、以前エロスパ氏も書かれたような“元は何用エンジンでも構わない”
っつうミもフタもないこだわりの薄さかも知れません。
さて、先日ロールス・ロイスの事など少し触れたら、
丁度新型“ファントム・クーペ”日本でも受注開始なんてニュースが今朝の新聞に書かれていました。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/news/20080718/1016786/ 最近のロールス・ロイスのデザインは酷く下品になったと思うのですが、これもまたかなりのもの。
私はこの先、何をどう間違っても新車でロールス・ロイスが買いたいと思う事は無いでしょうし
ロールス・ロイス社がどうなろうと知ったことではないのですが。
全く無責任な外野(にもなれない野次馬?)の一人として思うに、ロールス・ロイスってのは地味で
価格の割りには目立たない控えめな印象を持つくらいが丁度良いと思います。
物騒になる一方の世の中ですし、お金持ちが一般の路上で派手な振る舞いをするのは避けた方が
望ましいとも思うのですが、そんな事も無いのでしょうか。
戦後は他の高級車メーカーが軒並み潰れて、
少し前迄は、高級・高価格の点で並ぶ者が無かったロールス・ロイスですが。
今ではダイムラー・ベンツグループからマイバッハという競争相手も出現。
親会社であるBMWとしては、それに対抗出来るだけの押し出しが必要と踏んだのかも知れません。
しかし、ロールス・ロイスは王道を行けば良いのであって、
自ら対抗馬に身を貶めるような必要など無いと思うのですが、市場はそれを許さないのでしょうか。
元々ロールス・ロイス車ってその成り立ちを見ると、目指したのはひたすらに高品質な車であって、
所謂スノッブな人達が好んで求めるような高級イメージってのは後から生まれたものであり
創業者のヘンリー・ロイスさんが望んだものではないように思えるのです。
最初に彼が作ってロールス卿に見せた試作車が、僅かニ気筒の小型車であったことからも
ロイスさんが最初から高級車市場を意識していたという訳ではなかったことを表していると思います。
大型6気筒車をその主力にして高価格車の市場に進出したのは、
恐らく販売を担当したロールス卿の意向だったように私は考えます。
それに対してヘンリー・ロイスさんという方は、一途に自らの信じる最善を尽くした人だったのではないでしょうか。
先代シルバー・セラフの、
現代の自動車として無理のないプロポーションを備えた高級車らしい格調高さは、
90年代の英国車としてローバー75と並ぶ素晴らしいものだったんですが……
(この時期、ジャガーサルーンは既存モチーフの使い回しでいまいちでしたし)
それにひきかえ、現行ファントムの酷いことといったら……
デザイナーのセンスがないと、伝統のモチーフも醜悪に堕ちるという見本ですな
52 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/19(土) 12:18:13 ID:Ad/4tZzZO
いまのファントムは昔の面影を無理にモダナイズした結果でしょうね。
ま、クライスラー300Cもそこらへんはどっこいどっこいですが。
>>51 ローバー75って、発表された時には強い印象は無かったのですが、
そう言われてみると英国的な感覚も有り、また古臭くもなく良い形だったと思えます。
あれもBMW傘下で出来た形だったのでしたっけ。
>>52 クライスラー300Cは少し品の悪い“悪の華”を思わせるのも味の内って事で良いと思うのですが、
紳士の乗り物である筈のロールス・ロイスは常に品良くあるべきかと思うのです。
さて、ロールス・ロイスの歴史とか成り立ちについては他にいろいろと書かれた物が有るでしょうから
今更此処に書く事も無いでしょうが。
創始者であるヘンリー・ロイスさんという方は、若い頃にはかなり苦労された人だったようで、
それこそロールス・ロイス車の顧客となるような上流階級の人々とは無縁だった筈。
それが40才を過ぎてから自動車の世界と関わるようになると、
一切の妥協を排したその真摯な設計・工作が富裕な貴族だったロールス卿に認められて
一躍上流の人々が競って求める高級車メーカーのオーナー兼主任設計士となったようです。
ところが。私は別にそれの何処が悪いとも思いませんし、真面目に高品質を追求したその姿勢は
確かに尊敬に値する物とも考えますが。
手間の掛かる方法を厭わず、また行程内に数多くの検査を設けて確実さを追求した結果、
かつての自らのような労働者階級で日々苦労する人々には手が届かない値段の車になってしまったこと。
ヘンリー・ロイスさんは本当にそれで良かったのでしょうか?
彼は生前「最も良い物は、最終的には最も安い物につくのだ。値段が忘れられた後も品質は残る」と
語っていたそうですが。その値段が当時のベストセラーだったモーリス・オックスフォードの二十倍ともなると、
例え車が二十倍長持ちしても人はそんなに長生き出来ないと皮肉っぽいことの一つも言いたくなります(w
私の個人的な見方ですが、このロイスさんの「最も良い物は〜」という言葉って
技術者としての一つの理想を追い求めるという多少のわがままを正当化するというか、
自分に納得させるために出て来た言葉のようにも感じるのです。
54 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/21(月) 09:44:07 ID:qhp+AGpQO
たしかにシルバー・セラフは全体的に控え目な印象だったな。ベントレー・アルナージもいまだあのスタイルを使っている。
いっぽう、ファントムの仰々しさこそロールスロイスらしいという向きもいるからねえ。
フィッツジェラルドの有名な小説『グレート・ギャッツビー』にも“黄色いボディーに緑の内装”の
ロールス・ロイスが出て来ますが、当時(20年代)のアメリカ人が好んだロールス・ロイスのイメージってのは
そんな風だったのでしょうか。
高級・高価格な車はやはりそれなりに派手でなければ成功者の証に成り得なかったのでしょう。
キャディラックでもリンカーンでもなく、ロールス・ロイスを買う人にとっては
一目見た時にそれらの車に貫禄負けしてしまうのは大きな問題だったことでしょうから、
ロールス・ロイスの仰々しさという一面はこの頃には既に有ったのでしょうね。
今は閉館中の山中湖高村美術館に所蔵されている、ロールス・ロイスファンタムT
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/324e.jpg?bc7w0.IB5vqHJfXE ちょっとピントが甘いですが(w
この車自体はそんなに派手には感じませんが、実際に路上で見ればやはり結構目立ったでしょう。
また当時マサチューセッツに有ったアメリカ工場製という事も有り(LHD)
アセチレンランプを模したような“太鼓型”のヘッドランプとかホワイトウォールのタイヤ等
細部からは、やはりアメリカ的なセンスを感じます。
もっとも、トヨタ博物館のシルバー・ゴースト
http://www.toyota.co.jp/Museum/data/images/a03_02_5_2_2.jpg 英国でもこんな風にされた例も有る訳ですが、これは普段使いにされた車ではないでしょう(??)
やはり普通は「せっかく高い金払って大きい車買ったんだから、目立たないと面白くない」
って考えるモノなのかも知れませんけど、
それじゃあアルファード辺りに金エンブレム付ける人と考える事は大差無いと思うのですが。
まぁ余計なお世話か・・(w
それにしても、必要以上に目立つ事を嫌う地味で保守的な、しかし立場上安い車に乗る訳にもいかない人は
今のロールス・ロイスがあんな風になってしまった以上、一体どうするのでしょうか?
ベントレーに行くか、それともブリストルに行くのか・・。
ロールス・ロイスの形が下品になった影響を受けて、ブリストルが一躍生産数倍増なんて事になったり・・
(それでも大した数じゃないですが w)
56 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/22(火) 20:45:57 ID:2bhC0KCKO
デイムラーやベントレー・アルナージあたりに乗ってるでしょ。
ベントレーこそ以前のロールスロイスの後継(工場はダービーのままだし)。
そして、今女王陛下が召されるあの、ロンドンタクシーのお化けこそ正統なファントムであります。
57 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/22(火) 21:57:34 ID:2bhC0KCKO
上記訂正します。
(誤)ダービー(Derby)
(正)クルー(Crewe)
例のお化けベントレーは「Golden Jubilee」だかの枕詞だったからたぶん即位50年記念で、LPGかLNGを燃料とするようです。
逝ってるさん、画像をお願いしますww。
まうひとつの75、ローヴァー75は、やはりそれでもアテクシの目からは
やはり”ガイジンが見た英国”に見へます。
中身は兄弟のMG-ZT共々非常に良質の、Zアクスルを持つFFのBMWたる、
そして英車なかんづくローヴァーの伝統である良きドライヴァーズカーであるさうです。
中身の味付けは乗ったことありませんので英国的ドライヴァーズカーであるのか
ドイツ車的良質なのかは分かりませんがそれはともかく形はやはりドイッチャーの思ふ英車、
何が何でも尻下がり風味でなくては英車はいかんのか?w と。
ケツが上がってりゃ何でもイターリャ風味つう困った誤解もありますし。w
英国王室御料車といへばやはり正統はデイムラーでせう。
が、ジャギュアのバッヂエンジニアリングでは・・・。
さりとて例のリムジンでは余りに軽杉る。あれは結婚式場で使ふのが妥当でせうか?w
アテクシは結構嫌ひぢゃ無ひんだけど、王室御料車にはなぁ。
つな訳で品無くケヴァケヴァしくなったロールズですが
これ↓に至る過程と思へば。w
http://www.oto6.free.fr/6roues/6rouesfab.htm
・・お願いされても・・ねぇ・・その車を知らないですから・・RoyalのPhantomですか?
こんなのかなぁ・・
http://www.zappos.com/images/729/7294601/6900-366369-d.jpg じゃなくて
http://www.telegraph.co.uk/motoring/graphics/2004/10/18/rolls21.jpg ふと思ったのですが、英王室カラーって競馬では紫なんですが(騎手の勝負服ね)
専用車の類には使わないのでしょうかね。
ところで、雑誌記事などでロールス・ロイス車の試乗記ってあんまり見ないと思うのですが、
やはり基本的にはドライバーズ・カーではないからって事なんでしょうか。
クーペモデルならそんな事も無いと思うのですが。
昔、CG誌で英国車特集が組まれた時にも、中心に取り上げられたのはヴィンテッジ期のベントレーだとか
60年代頃のアストン・マーチンだとかでした。
博物館などには多くのロールス・ロイスが保存されていていますが、それらが事細かに解説されることは
案外と少ないようです。
大体、ロールス・ロイス車の機構的な特徴って、意外と少なくて。
古いロールス・ロイスについて書かれた記事を捜してみても、如何にそれが信頼性を重視して念入りに作られ
数多くの検査工程を経て組み立てられたかに終始するようです。
だからと言って、手間と時間さえ惜しまなければ誰でもロールス・ロイス並みの品質が達成出来ると
考えている訳ではなく、既存の他社製品に存在した欠陥を鋭く見い出し適宜改良する事に長けた
ヘンリー・ロイスさんの眼力や手腕が有って初めて達成されたものなのでしょうが。
この事が端的に表れていると思うのが、初期のロイス車が装備していたというキャブレターの話。
当時未だ一般的だった表面蒸発型では細かなスロットル操作への素早い反応は望めないことから
後に主流となる霧吹き型が装着されていたそうです。
このタイプも決してロイスさんの発明という訳ではないのですが、既存品に存在した欠点を細かに取り除き
静粛なアイドリングや鋭敏なスロットルレスポンズを可能としていたとか。
ところでこのFAB1、やはり時代がさうさせたのか
だうもアテクシにはBMW3.0csやそれ以上にBMW2000csあたりにも
そしてその大元に思へるシヴォレー・コーヴェアのあの気配を感ぢるのです。
殊に逆スラントのライト付近から側面に流れるアクセントモールの位置関係とか。
しかしそれでも尻下がりにするのは英国人自身が英国的を外国に見せる際にはやっぱり手っ取り早く
つひつひ”フジヤマ・ゲイシャ”的”ガイジンが見た”イメージに乗ってしまふんでせうかね?w
うーん・・・やっぱり其の時代毎の匂いってのは有るみたいで、
旧英資本たる豪州ヴォクスホール・マグナム〔マッドマックス
に出てきた黄色いインターセプター〕なんて豪州アメ車の癖に
そこはかとない英国臭を感じるし、逆に同時期の米資本英国車
は英国人の考えるアメリカナイズみたいな中途半端さが見える。
ところで、我が国産車の匂いってのはどの辺りに在るのでしょう?
皆様のご意見をお待ち致して居ります。
62 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/23(水) 20:41:44 ID:0HMULI1fO
ブリストルなんかアメリカンV8を載せてるけど、それでもまさにブリティッシュそのものですね。国内でしか買えんし。
一方、ファントムやレンジローバーは「英国風」なのかさえ、かなり微妙。ラッパーが乗り回してる時点で、無国籍成金車っつーか…
ロンドンモーターショーでロータスのニューモデル、エヴォーラ(Evora)がデビューしました。
なぜロータスのモデル名のイニシャルはすべて“E”なのか、相当逝ってる氏は当然御存知ですよね?
65 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/24(木) 14:00:30 ID:yIFP2e0lO
車オタクになりたいのですが皆さん車について1日あたり平均何時間勉強してるのですか?
66 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/24(木) 14:12:49 ID:dcDdILtfO
お勉強してなんぼじゃなくて、小さい時の楽しみの延長で乗り物趣味をやってる。好きだから特に勉強なんて思わなくても頭に入るけど、そこから考察に至るには何十年間もの知識や経験の蓄積、周辺分野についての若干の教養も必要でしょう。
>>64 知っているなら書いてよ
スゲー気になるw
>>64 そう言えば以前何かで
「アンソニー・ブルース・コーリン・チャプマンという名前の頭文字がA・B・C・Cと偶然にも順序良く並んでいた為、
最後の「C」を「D」に置き換えて、次に来るアルファベットEから全ての車名を始めるようにした」
って話をチャプマン自らが語ったという話を読んだ気がしますが、これは嘘っぽいですねぇ。
大体、本来の順番はアンソニー・コーリン・ブルース・チャプマンでA・C・B・Cになる筈でしょうし。
他の説を御存知でしたら教えて下さい。
もっとも(教えて下さいと書いておいてナンですが)チャプマン氏、マスコミとかインタビューの類は嫌いだったのか
こういう話となると結構いい加減な事を言っていた気味があり。
前スレでも触れたタイプ25のモノコック構造の発想の基にしても幾つか異なる理由を口にしていたようです。
メーカー名の“Lotus”にしても、ホンダF-1チーム初代監督の中村良夫さん相手に語った話では
「東洋哲学に傾倒していた時期があったので、仏教に縁の深い蓮の花を社名にした」
みたいなことを言ったそうですが、
Lotusは(その実を食すると悩みを忘れられるという)ギリシャ神話上の架空の植物の名前でも有りますし
東洋人相手にウケ狙いを言った可能性も有りそうです。
ちょっと昨日の話の続き。
例えばイタリア人・イタリアのカロッツェリアがデザインした英国車。トライアンフのTR-4でも
アストン・マーティンDB-4GTザガートでも良いのですが。それを見てもやはり我々は
“英国的だなぁ”と思うでしょうか。私は結構そう感じます。
それに対して同じくイタリア人のデザインした日本車。例えばいすゞピアッツァだとかスバル・アルシオーネSVX
“イタリアンデザインだなぁ”と思うと同時に、やはり“日本車だなぁ”と思うのであります。
単に私が先入観でそう感じるだけなのか。それともデザイナー自身が“日本メーカーの仕事”と思うと
その人の思う“日本的”なるものが仕事の中に染み出るものなのでしょうか。
もしも後者であったり、多少なりとも後者のような事があったりとするならば。
こうした外国人がデザインした日本車を見るのが
>>61で言われるような“国産車の匂い”の存在を考えるのに、
理解し易い見本になりはしないでしょうか。
69 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/26(土) 00:10:01 ID:SVJFAPlzO
ブリストルも、ボーフォート、ボーファイター、ブリタニア、ブリガンド、ブレニム、ブラバゾン、ブルドックなどとBがつく車や飛行機が、全てではないが、やはり多いね。
まぁアレでせうな、イターリャのカロッツェリーアがデザインしやうとも
それを生産型に移す際に日本のメーカなら日本のメーカのやり方があって
それが結果日本臭くさせるのではなひかと。
以前、なんかでジュジャーロ御大がSVXの1/1モックアップかなんかを
自ら修正されてる写真を見たことがありますが、
それでも紙上の(今はPCでせうが)デザインを金属等に置き換へる作業の中で
日本なら日本のメーカのやり方・クセが出てくるんでせう。
ましてやジュジャーロ御大のデザインに相当忠実に作ったと言はれる
(ヌバルは相当苦労したさうです、ヌバルだから苦労したのかなんつっては可哀想w)
SVXはまだしもデザイン画は買ってもその通り作ると例によってコストがとか
見切りがとか乗降性がとかあれこれ難癖付けてゐぢり回して変へちゃうのは
良くあることですし。さうなれば自づと日本色は濃くなって理の当然。
ところでブルドック、ぃあこれではソースwブルドッグと言へばアテクシは
ラゴンダを連想しますな。
確かチャールズ皇太子が手を出したとか出さなかったとかそんな話も聞きましたっけ。
まぁこの英国の王子様も、ひと様の国のことはあんまり言へなひにしても、
まう少しシャキッとしてくれんもんだらうかと
タネ無しお世継ぎ無しお下劣大王は思ふのです。w
72 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/26(土) 10:39:23 ID:xyZScsh90
アストンマーティン・ブルドッグとラゴンダ(リトラクタブルライトのやつ)はペキペキの折り紙細工のようなデザインで
まるでアストンマーティンらしくない変な車だったなあw
73 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/07/27(日) 07:57:33 ID:5MZfLI3yO
ウィリアム・タウンズの折り紙細工だろ。あの70年代当時としては前衛的だったわけ。
でも90年代からレトロ・ブームがあって、コンセプト・ヴィニャーレはアールヌーボ調だった。
宇宙船と云われた件のラゴンダに絡めて。
未来的と揶揄される車は数多いけれど、どれを思い返しても
外側が中身を追い越している車が殆どの様です。見方を変えれば
当時の技術を以って作られたドライブトレーンに近未来的なモード
を着せて、作り手の思い描く未来を見せてくれる素敵な乗り物だと
思うのです。中身まで未来的だった、仏蘭西のお洒落な宇宙船は、
当時の技術すらも追い越してしまっていた様ですが。翻って現代の
車は、行き過ぎた無機質さを回顧趣味なボディーで隠してユーザー
に媚びている様に感じます。生産性やら効率を追求する余り、明る
い未来を見せてはくれません。あのラゴンダを腐す人は数多いので
すが、当時殆ど死に体であったメーカーの都合はさておき、カート
の様なふざけたドライビングポジションの、あの車が、愛すべき最
後の仇花ではなかったかとは思うのです。
ラゴンダ(つい“ラ”の字を“la”と入力し“ぁ”と出て来て一瞬悩む w)前にもこの車の話は出ましたが
http://www.ssip.net/upload/aston-martin-lagonda-front-1_126.jpg まぁ、これを見て“英国的だなぁ”“ラゴンダらしいなぁ”と思う人もいないでしょうね。
ついでにアストン・マーティン“ブルドッグ”
http://freespace.virgin.net/roger.ivett/AstonMartinBulldog_1.jpg これも、一体何処がアストン・マーティンなのかと・・。
・・と、言って片付けてしまえば簡単なのでしょうが。
確かに先日触れたような“Knife-Edge”とかを最後に“英国的なる物”って判り易い形では出来なくなって
60年代の英国自動車って、BMCはピニン・ファリーナ。トライアンフはミケロッティにデザインを委ね。
殆ど英国デザインって実体を失っていたような物なのかも。
アストン・マーティンっつうのもイタリア・トゥリング社特許による“スーパーレッジェラ”工法導入とか
ザガート・デザインのDB4GT・ザガート
http://www.autocult.com.au/img/gallery/full/4444.jpg なんてのも有りましたし、イタリアとの縁は深いのでしょうが。
70年代初頭にディヴィッド・ブラウンが経営権を失いDBの文字が無くなった後も
資金難から暫くは新型投入出来ずにいたアストン・マーティン=ラゴンダ社がそれまでの路線と決別し
全く新たな“英国調”を探ったのがこれらの折り紙モデル・・・・だったのかなぁ・・?
ところで、アストン・マーティンと言えば。
その黎明期には先日も航空機エンジンを搭載した怪物の話の中でちょっと触れた
“チティ・チティ・バン・バン”で有名なルイス・ズボロフスキーさんが大株主で
(先日はこの人を英国人のように書きましたが、正確には英国在住のポーランド貴族)
彼がレース中の事故でお亡くなりになった翌1925年に最初の倒産を経験して以来
今に至るまで倒産すること6回、経営者が代わる事数知れず。それでも何とか名前は残り
スポーツカーメーカーの名門として有名な存在で有り続けているって辺りは
デザインがイタリアだろうと、その渋とさは他のどこよりも“英国的”なのではあるまいか?って
拙は思うのであります。
>>76 劇用のアルミ製ワンオフボディで、英フォード・ゾディアックMk.Wをベースに
エンジンは英フォード・エスコートを使ったといわれてます。
でかいゾディアックベースに、1200ccのエスコートエンジンというあたりに
出来るだけボンネットを盛り上げたくない苦労が伺えます。
チティチティバンバン、
書くのも面倒なので日本語表記でチキチキバンバンと書きますが
実走するチキチキバンバンの勇姿。
http://jp.youtube.com/watch?v=bAEODMNa6ZU http://jp.youtube.com/watch?v=ylNwSv6c7m0 ぃあこれはチツ礼w、ぢつはアテクシこの映画なかなかに好きなんで。w
しかしこれが股アストンとは因縁浅からぬ不思議な縁であるます。
この映画チキチキバンバンは当時毎年製作してゐた007シリーズが
製作側のゴタゴタで撮れなかった年の埋め草として製作されたもの。
原作は007同様イアン・フレミング、
プロデューサもアルバート・ブロッコリであるます。
つまり荒唐無稽・奇想天外な装備を持つチキチキバンバンは
同様の装備を持つDB5と同ぢメンツによって生み出されたものであるます。
更に余談、”Chitty Chitty Ban Ban”を”チキチキバンバン”と表記したのは
先日お亡くなりになった水野晴郎先生であるます。
それと007のA・R・ブロッコリ氏、彼のご先祖が品種改良で作り出した野菜が
”ブロッコリ”であるます。
>>77 ありがとうございます。TV番組用にワンオフで作ったんですか。そりゃまたずいぶん贅沢な。
確かにショーカーにしては面が(デザイン、仕上げともに)荒いですね。
>>77 凄いことを御存知ですね。
特別な劇中車・架空の車(キャラ車なんて言い方も有るようですが)の話ってのは、
その内にやりたいなんて以前書きましたけど、考えてみると私はそっちには殆どネタ持っていません。
SFやファンタジーとかはあまり見ないのです。
で、実は「Chitty-Chitty-Bang-Bang」は映画も見ていないですし原作も読んでいないのですが。
イアン・フレミング氏は何故このようなタイトルを用いたのでしょうか?
前にも書いた事が有ったと思いますが、元ネタになったルイス・ズボロフスキー伯爵特製のレーシングカーは
第一次大戦中に流行した艶歌・俗曲から名前を頂いたそうです。
イアン・フレミングさんという方は車に造詣が深かった方のようですから、実車の“チティ”を知らず
歌から直接名前を頂いたとは思い難いところ。
この名前の基になったという歌の方はどんな物だったのか知る由も無いのですけど
最初にズボロフスキー伯がこの歌から名前を頂いたと知った本をはじめとして、後に読んだどれからも
ちょっと下品つか、大人の艶歌みたいなことが記されていたので
あんまり子供も読むような童話に登場する車の名前には相応しくないような感じがします。
そんな訳で、何も資料は無いに等しい中で思うに。
“空飛ぶ自動車→飛行機のエンジン積んだ自動車”みたいな連想でも有ったのでしょうか?
それにしても映画版チティ。あの羽根じゃあ浮力は生じないでしょう(w
さて、オリジナル(実車版)“チティ”のルイス・ズボロフスキー伯爵(ルイ・ズボロウスキーと表記された本も有り)
ですが、先日もちょっと書いたようにレース中の事故でお亡くなりになったそうです。
1924年、モンツァで行われたイタリアGP。アスカーリの駆るアルファ・ロメオP2が優勝したこのレース中に
乗っていたメルセデス2リッターのハンドスロットルにカフスが引っ掛かったのが事故の原因だったとか。
昔のレースでは紳士のスポーツらしく、レーシングドライバーと言えども洒落た格好で臨む方もいたようですが
この人の場合はそれが命取りになってしまったようです。
ズボウロウスキー(こっちの方が多数派の様子)伯爵がカフスを引っ掛けたという“ハンドスロットル”という物。
そう聞いて連想する物は人それぞれでしょうが、実物に接した事のある人の中で多数派と思えるのは
冷間時にチョーク代わりにスロットルワイヤーをちょっと引っ張りアイドル回転を少し速めるってモノでしょうか。
今の燃料噴射装置付きの車では見られなくなった代物。
ちょっと検索してみると、クルーズコントロールの微調整を手許で行うものを、そう呼ぶ例もあるようです。
20世紀初頭の、操作系が統一されていない時期にはスロットルペダルって物自体が無く
手許の調整でそれを行っていた車ってのも結構有ったようです。
二輪のエンジンを流用したモーガン・スリーホイーラーのようなサイクルカーでもそうした例が見られますが
更に有名なところではT型フォードなんかがそうで、エンジン回転速度は手許で調整するのみ。
ステアリングに減速ギアを持たぬモーガンのような車であれば、
元々がバーハンドルでも構わなかったようなものですから持ち替えの必要も無く、
常に両手はステアリングの同じ場所を持っていた筈なのでハンドスロットルでも良いのかも知れませんが
T型フォードではそんな訳にも行かず。しかもスロットルレバーはステアリング中央に有ったようですから
操舵と同時のスロットル操作なんて事はまず無理。コーナリング中は常にアクセル一定。
そんな事では困る。つか、乗り難い事この上ないだろうと思うのですが。
直進&徐行しての右左折しか考えていないようなT型ではそれで良かったのでしょうか。
大体が、ペダルで操作するようにしたところでT型のエンジンってそんなにスロットル操作に微妙に
反応してはくれなかったようですし。
この手のハンドスロットルって物、
霧吹き式のキャブレターが一般化する以前の表面蒸発式気化器の時代の名残りだったようで。
燃料が溜まった容器にアルコールランプの芯みたいなのが刺さって、そこからの蒸気を用いるこの形式では
操作に即応して混合気の濃度を変化させる事など出来ず。
故に操舵と同時の操作が可能な場所にスロットルペダル(又はレバー)を置く意味も無かったようです。
もっともズボロウスキー伯のメルセデスはこの型では無かったとは思いますが。
モデルTのスロットルと点火タイミングレバーは、ステアリングより下です。
ステアリング越しに両指先で調整できますから、同時代の高級車よりコントロールは簡単ですよ。
>>82 失礼。書かれた通り、T型のスロットルレバーはステアリングコラムから生えております。
丁度現代の車のワイパースイッチに近い位置。
T型のコントロール類はかなり変わっていて、現代の普通の車と共通なのはステアリングホイールくらいのもの。
以前、ウチの息子にそれが書かれた本を見せたら
「こんな車、運転出来ねぇ!」の一言。
そうかなぁ・・。TVゲームをしている時の彼を見ると、いくらTV画面の中のみとは言えど、
ゲームコントローラーで全て操作する奴の方が私の目からは余程器用に見えますが・・(w
ところで、スロットル操作への反応が鈍いエンジンで問題なのは、コーナリングもさることながらギアチェンジ。
シンクロ以前のギアボックスでは、回転を上手く合わせないことにはギアは噛み合ってくれませんが
肝心のエンジンがスロットル操作に反応が鈍くては、回転合わせも何もあったものではなかった筈で
ヘンリー・フォードさんが彼のT型に、プラネタリーギアを用いた特異な構造の前進(僅か)二段の
ギアボックスを採用したのも、このギアチェンジの困難が自動車の普及そのものを遅らせていた為で、
今の目からは特殊に思える操作系も慣れれば殆どAT並みだったと言われています。
この事に対して更に根本的かつ有効な対応をしたのが、大西洋を隔てた英国にいた、もう一人のヘンリー氏。
話は
>>59の最後に戻りますが1905年。ヘンリー・フォードさんがT型を産み出す3年前。
ヘンリー・ロイスさんはその試作車にそれまでに存在した気化器の欠陥を取り除いた
精緻な構造の霧吹き式気化器を取り付けることによって、スロットル操作に敏感に反応するエンジンを実現。
それによって初めてギアチェンジ毎の回転合わせが現実的なものとなり、
(これまた精緻に仕上げられたギアボックスと相俟って)
一旦コツを掴めば極めてスムーズなギアチェンジが可能となったとか。
スポーティーなイメージからは縁遠いロールス・ロイス車ですが、
C・S・ロールス卿が最初にロイスさんの試作車で感銘を受けたのは、そのスムーズさであり
それを可能にしていたのは鋭敏なコントロール類への反応だったというのはちょっと意外つうか
興味深い話であります。
手許に二玄社の「世界の自動車・ロールス・ロイス戦前」が有り、作家の高斎正さんはこの本の中で
小林彰太郎さんの用語の用い方の誤りを厳しく指摘されていますが
それでもこの本が良書である事に変りは無いと思います。
で、その本の中でも20世紀初頭に存在した多くの車のコントロール類への反応の鈍さが書かれており。
「当時の自動車のエンジンは定置型パワープラントと大差なく、回転速度はほぼ一定であり
変速はもっぱら野蛮なギアボックスに頼っていた」といった記述も見られます。
ギアボックスを“変速機”と呼ぶこと。また四段・五段と言う他に“四速・五速”という言い方が有る事は
もしやこの辺の名残りではないかと考えたり・・。
現代の車でならば、ギアボックスで変化するのは負荷であって。
速度はその段毎に幅は有っても基本的にはそれに変化を与えるのはスロットル操作であり
“ギアチェンジで速度を変える”という感覚は無いでしょうから、ギアボックスを“変速機”と呼ぶのは
考えてみれば不自然なところではないでしょうか。
それはともかく。昨日も書いたように、スロットル操作に鋭敏に反応するエンジンを得て
当時としては容易なギアチェンジを可能にしたロイス車ですが。
それでも正確な回転合わせが出来なかった時には酷いギア鳴りが伴うシンクロ以前の車であったことに
変りは無かった訳ですから、トップギアの柔軟性を“歩むような速度から最高速迄楽に加速出来る”
といった具合に宣伝していたようです。
そんな調子ですからギアボックスはT型フォードの如く発進用と巡航用の二段も有れば事足りそうなものですが
実際には四段を装備。
「例え使わなくともギアは四段無くてはならぬ」という表面的なスペック重視の顧客が多かった為だそうですが
こうした高級車市場の顧客心理ってのは今でも変らないのかも。
前にも話に出ましたが、レクサスの8段ATなんてのがその例で。
大排気量エンジンの効率向上には確かに有効なのかも知れませんけど、
それ以上に目に見え判り易いスペックを求める顧客層ってのが存在する事から
出来た物ではないかと思うのです。
>>84 ただ、その二玄社の本を読んだところでは
シルバーゴーストを4速OD仕様で発売したら「トップが使えない」と文句が出て
3速直結に変更せざるを得なくなったみたいですね。
それと、モデルTは最高60km/h程度頭打ちだから2段でも良かったでしょうが、
将来の速度向上を考えるとある程度の多段化は必要であったろうロールスロイスの場合、3段、4段は必然だったでしょうね。
シルバーゴーストはデビュー時から最高100km/h以上ですし。
>>85 その話(シルバーゴーストのギアボックス)他の資料にも書かれていて。
初期型はトップがODの四段だったのが、直結の三段+ODという構造を正しく理解出来ぬドライバー層から
「トップの柔軟性が他に劣る」と苦情が来たとかですが。
「だったら四段に入れなければいいじゃん」と思わず言いたくなるところ。
そこで四段目を取り除き、三段型にしてしまったっつうのは恐らくヘンリー・ロイスさんもまた
「そんな風に言うのなら燃費用の四段なんて無くしてしまえ」って思ったのかも(w
結局後期型ではトップが直結の四段にされたそうですが、
「三段では寂しい」「例え使わなくとも〜」って顧客が多かったのか。それとも出力アップに伴い
(前期型は7リッター48HP、後期型は7.4リッターで65HP程と言われています)
クロスレシオ化の必要が出て来た為だったのでしょうか。
ロールス・ロイス・シルバーゴーストとT型フォード。
トヨタ博物館ではこの二台を質と量の象徴として扱っているように
同じ時代に作られていたという時代性を除けば、あまり共通する所はないのでしょうが
敢えて言えば、共にかなりの長寿モデルだったという事があげられます。
設計者は共に元電気技師でヘンリーさんという名前だった訳ですが、二人とも自分の設計したこの車が
“自動車の完成型”と考えていた節があり、基本的にはこれ以上の改良は最早不要と思っていたのか
シルバーゴーストは1906〜1925年T型は1908〜1927年。単一モデルとして生産されました。
その間に作られた数が前者は6,173台、後者は1500万台というのが
何よりも両者の性格の違いを表していて、確かに質と量の象徴なのでしょうが。
T型も良質だったからこそ大衆からの支持を得て、それだけの多数が作られるに至った筈。
昔のロールス・ロイスについては“技術者の良心”という言葉が多く使われますが
時間や手間を惜しむことなく最良の製品を作りたいというのは、ある種の技術者や職人さんにとっては
良心と言うよりも欲望に近いもの。
それにしても、これらの車が生まれて100年経った現代に原型のまま残る個体の数は
当時の生産量から思うとどれ程接近しているでしょう
シルバーゴーストが現在も愛好家の下に多く残っているところを見れば、設計者ヘンリー・ロイスさんの
「最も良い物は、最終的には最も安い物につくのだ。値段が忘れられた後も品質は残る」
って言葉は確かに正しかったのかも知れないと感じます。
・・値段が忘れられたって訳でもないでしょうが・・。
私は少し前に書いたように、この言葉はやや言い訳じみたところが有るように思います。
もう一つ有名な言葉「我々が悪い車を作ろうとも、門番は決してそれを外に出さないであろう」
ってのも同様。
納得行くまで手間を掛けたいってのは、かなりロイスさんの理想つうか欲みたいなところも有ったろうと。
一方、ヘンリー・フォードさんが残した有名な言葉で
“Every time I see an Alfa Romeo pass by I raise my hat"ってのが有り。
手間を惜しまずに作られた優れた車の象徴として、ここではアルファ・ロメオが挙げられていますが、
ヘンリーさんはその姿を見掛ける度に帽子を持ち上げて見送ったとか。
この言葉には、ヘンリー・ロイスさんと同様に手間と時間を納得行くまで使って優れた自動車を作りたいという
真摯な自動車技術者としてのフォードさんの本音が見えるようで興味深いものであります。
ただ、なんでアルファ・ロメオなのかは疑問。優れた車だった事には疑い無いのですが。
戦前のアメリカで、フォードさんが帽子を取って見送る機会は、そう何度も有ったのでしょうか??
・・そんな事はともかく。
ヘンリー・フォードさんもT型発売以前には様々なクラスの車を試作し、
その中の幾つかは実際に販売もされていて。中には大型高級高価格の物も有り
http://mythicalplace.com/mythicalplace/antique/automotive/ford%20six%20cylinder%20model%20k.jpg T型発売の二年前、ロールス・ロイスからシルバーゴーストが発売されたのと同じ年1906年の“フォード・モデルK”
6気筒エンジンのボア・ストロークは114mmX114mmと、初期型シルバーゴーストと全く同じなのは面白いところ。
しかしこの車、株主でもあったダッジ兄弟からの要求に応じて作られたもので、
フォードさん自らが本当に作りたかった車では無かったようでもあります。
こんなもん、作れと言われれば作れる、というヘンリー・フォードの声が聞こえてきそうですね。
しかもこの時、まだキャディラックには直列6気筒モデルがなかったんですから(有名なV8は1913年の登場)、
フォードの技術力も侮れなかったと言うべきでしょう。
モデルKも遊星歯車2段変速だったのはご愛敬でしょうか。
「999」やモデルT初期形でレースに挑んだ経験もあるヘンリー御大ですから、
硬派なレースカーメーカーの代表だったアルファにシンパシーを感じるのはうなずけなくもないですね。
ジュゼッペ・メロージからヴィットリオ・ヤーノに寄って担われていた1930年代初頭までのアルファは、
構造こそやや複雑ですがスポーツ性は図抜けておりましたから、
ヘンリー老、自分ではもはや作りそうもない種類のクルマだけれど、愛でたくなる存在ではなかったか、と思います。
>>88 そう言えば、前スレではヘンリー・フォードさんの言葉で
「記録挑戦などは飽くまで宣伝効果を見込んで行ったもので、実はレースの類は嫌いだった」
みたいなのがあった事を書きましたけれど、その一方では
「フォード家に生まれし男子、一度はインディアナ・ポリスのペースカーのステアリングを握るべし」
なんて家訓を残していたとかですから、やはり本音の部分では決してレース嫌いなんかでは無かったのかも。
そう思えば、スピードへの憧憬みたいなものをストレートに表現した当時のアルファ・ロメオへ
畏敬の念を感じていたとしても不思議無い気もします。
ところでフォードさんが初めて作った6気筒車・モデルKですが。
ちょっと他では見られない特徴として、一気筒ずつ鋳造したシリンダーブロックを六つ並べて
クランクケースにボルト結合している点が挙げられます。
ヘンリー・ロイスさんが最初に作った直6エンジン搭載車は、その試作第一号車(2気筒2リッター)のエンジンを
三つ並べたような構成としたところ、クランクシャフトの剛性が不足したことから捻り振動が発生。
それに代わる新型・シルバーゴーストではクランクシャフトの太さを見直すと共に、
2X3だったシリンダーブロックの構成を3気筒ずつ鋳造した物を二つ並べる3X2の構成として
エンジン長(つまりクランクシャフト長)を短く抑える工夫がされていたとか。
こんな話を読むと、フォードさんの1X6構成の6気筒車、捻り振動の方は大丈夫だったのか?と
余計な心配をしてみたくなるところではあります。
こうした構成を採ることによって何かを試みていたのでしょうか?
ヘンリー・フォードさんという方、その頑固さが災いしたことも主に晩年には多く有ったようですが、
カタログなどの印刷物上では飽くまでフォード社社長とは名乗らず
“フォード車設計者”と名乗り続けていた辺りには、何よりも一人の技術者としての誇りを持っていたようで
企業家としての評価の方が高い現状を知ったなら、不満と感じるかも知れません。
彼が興味深く見送ったという車が商売敵のシヴォレーではなく、アルファ・ロメオだったというのは
そうしたところにも由来しているのでしょう。
ヘンリー・フォードさん設計のモデルK、短命だった事も有り少数の生産で終わったようですが。
直6エンジン車には良い印象が無かったのか、その後フォード社は傘下に吸収したリンカーンも含めて
(V12は作った事も有っても)かなり長い事直6エンジン車は作らなかったようです。
次に直6車が生まれたのはモデルKからは四半世紀も経った1941年の事。
大小二種類のV8という大衆車にはかなり無理の有る品揃えの、小型V8に代えての登場でしたから
本当に嫌々出したかのようにも見えます。
前スレでも「アメリカはV8の国、イギリスは直6の国ではないか?」みたいなことを書きましたけど
アメリカ初のV8エンジン搭載車は
>>88さんも書かれたGM傘下のキャディラック。
しかしその設計は、当時のキャディラック社社長ヘンリー・リーランドさんがフランスから持ち帰った
ドディオン・ブートン製V8に多くを負っていたとか。
その後リーランドさんはGMの実質的な創立者W・デュラント氏との意見の相違からキャディラックを飛び出し
やはりV8エンジンを搭載する高級車メーカー・リンカーンを創立。
それが経営難からフォードに吸収されて、当時の二大メーカーGMとフォードの両社のトップモデルは
共にV8搭載を売り物にするという事になったようです。
で、フランスではドディオン・ブートン製V8は大成功とは行かなかったようですが、
それを手本にして作られたというキャディラック(&リンカーン)はアメリカで人気モデルとなり
高級車のイメージ作りに貢献。
32年にはフォードが大衆車クラスにもV8を搭載するに至ってアメリカはV8の国となったのだと思われます。
ところで、自動車史家の折本透さんの著書他、幾つかの資料でドディオン・ブートン製のV8を
「史上初のV8エンジン」としているのを見掛けますが、このエンジンの登場は1910年の事とか。
と、すると先日触れたロールス・ロイスの“リーガミット”(1905年)の方が先という事になります。
しかしリーガミットって車について書かれた資料でも
“世界初のV8エンジン搭載車”等としている物って無いようです。
ちょっと不思議。
ロールスのは試作車でしたが(名作・シルバーゴーストの直前に、あんな馬車もどきのヘンな車を考えていたのが不思議)、
ドディオンは一応市販しましたからね。
キャディのV8採用を推したのはヘンリー・リーランド御大の息子ウィルフレッド。
1910年時点で、競合メーカーがどんどん直6を採用する中、高級車の筈のキャディが4気筒のままでは商売に困る。
で、重役陣が直6採用を唱える中、
「今更後追いで直6を採用しても意味がない。高回転に適したV8を採用して、市場に打って出るべきです」
と父を説得。
ヘンリー・リーランドもこれを容れ、かくして1913年の初代キャディラックV8が生まれるわけです。
ピニンファリーナのシャッチョさんが事故で亡くなられたそうです。
ご冥福を。
>>92 事故ですか・・。何があったのでしょう?
>>91 ドディオン製V8をフランスから持ち帰ったのは息子さんの方だったという事なんでしょうか。
以前、このスレでも“世界初のミドエンジン・スポーツは何か?”みたいな話題が有りましたが、
世界初ナントカ何かって話は意外に難しい部分を含んでいると思います。
ロールス・ロイスのリーガミットって車。
>>91さんの書かれたように三台のみの試作で終わったと
二玄社の“世界の自動車 ロールス・ロイス 戦前”に有りますが。
他の資料の中には「一応販売されたけれど、評判良くなくすぐに諦められた」としている物もあり。
(ただし、あんまりアテにならない本 w)
当時、その静粛さから市街地専用として根強い人気の有った電気自動車に対抗して考えられた
“電気自動車にも匹敵する静粛な市街地専用のガソリン自動車”という試みだったようです
元電気技師だったロイスさんは“電気自動車の航続距離を伸ばすのには電池の改良が不可欠であり
それはそんなに簡単な話ではない”と知り抜いていた為に、ガソリン機関を選択した筈。
つまり、複数の都市を結ぶに充分な航続距離を最大の特徴としながら、都市間の巡航走行は全く無視した車(w
ところで、ちょっと気になったので調べてみたら。V8エンジンを搭載した初めての車は
1903年のパリ〜マドリード都市間レースに出場したクレマン・アデールって車だとしている資料が有りました。
この車が製造者自らの手によって走ったものか、他者に販売されて走った物かは不明。
またレース以外には使われなかった物なのかも不明。
“市販車”って言葉自体がどう定義して良い物やら、考え出すと判らなくなりそうなもの。
“売りに出したけれど、売れなかった”ってのも一応は“市販車”って呼んでも良いのでしょうか?
同様に“量産車”って言葉も“量産するつもりだったのに、思った程売れなかった”みたいなのも含むべきか
またレーシングカーとして作られた筈が、公道に用いるユーザーが現れたら、その車は
“純レーシングカー”と呼ぶのは正しいのか(例・ブガッティT35)
全く世の中は難しい事ばかり・・。
キャディラックでドディオン・ブートン製エンジンを参考としながら実際にV8を設計したのは、
これもまた元電気技師のチャールズ・E・ケタリングさんという方と、幾つかの資料に見られます。
やはりその当時は電気系統の信頼性が最も問題だったので、
全体の統括は電気技師畑出身者が行う例が多かったのでしょうかね?
このケタリング(ケッタリング)さん、初期の自動車における点火装置の改良に始まり
自動車用速乾性ラッカー・ペイントの開発、有鉛ハイオクガソリンの開発など、
「一体何屋さんですか?」って言いたくなる程様々な分野に多くの発明を残している方のようですが
エンジンに於いてもキャディラックの初期V8とか、戦後型のハイオク使用を前提にした小型高速V8などに
手腕を揮ったとされています。
中には1923年にシヴォレーが採用した銅の冷却フィンを持つ空冷エンジンのような失敗も有るようですが。
前述したように、元々は電気技師だったというケタリングさんの発明の中で、今の我々に最も縁が深いのは
何と言ってもセルフ・スターターの発明でしょう。
1910年、当時キャディラック社社長だったヘンリー・リーランドさんの依頼により開発され
1912年型に初採用されたというこの電気式スターター。
現代の物とは少々異なって、直列式発電機(ダイナモ)がそれを兼ねるという物で
“ダイナモーター”なんつう呼び方をされる事もあったそうです。
これは一見合理的なアイディアのように見えますが、実際にはいろいろと不具合な点も有ったようで
追従する者は少なく、程なくして今のようなセルモーターに代えられたようです。
それでも自動車に於ける電気式スターターの実用化に先鞭をつけたのが
ケタリングさんの業績であることには変りは無いでしょう。
ところが、実は電気式スターターは19世紀末にM・ジョセフ・ミルさんという方がトラクター用として
既に発明していたとする資料も有ります。
まぁ、そういうことも有っても不思議は無いのですが。その資料で説明と共に書かれていた絵
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__sr_/ae33.jpg?bcguFFJBmrhEGVlT ・・・・何、これ・・??(w
ダイナモーターは、バイクでは後年までかなり使われた例があったようですね
日本製四輪車では、ホンダN360が該当。エンジンがバイク並だからさもありなんw
大型舶用ディーゼルなどになると、圧縮空気始動の事例も多いんですが、
ガソリンエンジンだと大型トラックならともかく、乗用車でセルフスターターとして使った事例は無さそうな気がする……
>>94 > 現代の物とは少々異なって、直列式発電機(ダイナモ)がそれを兼ねるという物で
> “ダイナモーター”なんつう呼び方をされる事もあったそうです。
現代のハイブリッドカーは、スターターと発電機を兼ねたモーターを搭載しています。
もちろんプリウスもそうです。
>>96 ・・あ、そうか・・成る程・・。
・・でも、ハイブリッドカーともなるとエンジン掛けるのが目的でモーター積んでいるって訳でも無いでしょうし、
また話は別かと。
ハイブリッドの話ってのも、いろいろと思うところが有って。例えばその元祖と言われるローナー・ポルシェ
“ミクステ”なんてのは、一体どんな目的の為にそういうレイアウトにしたのか?とか。
私はあれって、全輪駆動にする為にエンジンで発電機回して得た電気でホイール内に置かれた
ハブモーターを駆動する形にしたのだと思うのです。
つまり、走行している内には必ず伸びるチェーンに代えて、ルイ・ルノーさんがプロペラシャフトを採用したように
ポルシェさんは動力の伝達に(元電気技師らしく)電気を使う事を考えたのではないかと。
またハイブリッドと一口に言っても、その組み合わせはいろいろと考えられるものであり、
以前このスレでも触れたガブリエル・ヴォアザンさんが一時期真剣に研究したという、
“エンジンの熱でお湯を沸かし、その蒸気で走る、蒸気とガソリンのハイブリッド”ってのも
ヴォアザンさんの前にも研究された方がいらした様子が有ったり・・。
まぁ、その辺の話はまたその内にまとめて。
で、“その内に”と書いたすぐ後にする話でもないのでしょうが。
>>95さんの書き込み見て、以前由良拓也さんが“人力とエアモーターのハイブリッド自転車”ってネタ(w)を
何かに書いていた事を思い出したり。
エアモーター自体はコンパクトですが効率は大変悪く、その為に大きなエアタンクを必要とするので
乗用車のスターター等には向かないのでしょうが(外付けのポータブルスターターでは昔から有る筈ですが)
由良さんの考えたソレはフレーム内の空洞部分へ圧縮空気を溜め込んで使用するってものだった筈。
更にその話は発展し“サスペンションの動きを空気入れに使えないか?”みたいな事になっていましたが
そんな面倒な事をするくらいならば、圧縮した空気を水と一緒に噴射して
ペットボトルロケットの要領で推進力を得た方が、余程ネタとしては面白いのではないでしょうか。
ロケットと(この場合、何だろう?)のハイブリッド(w
ホイールの回転を動力にしてポンプを駆動し、空気圧を常時一定に保つ自転車
ってのを以前どこかで読んだことがあります。
どういう仕組みか覚えていませんが、リムにゴムチューブを一本貼り付けた
くらいの簡単な機構だったような。
>>98 そう言えば、それ私も何かで見た記憶が有ります。
しかし、自転車のタイヤってそんなに頻繁に空気入れないといけない程すぐに抜けますかね??
減ったって入れるのも簡単ですし、あんまり有り難味が無いように思いました。
キャディラックに話は戻り。
初期の単気筒や直四を除くと、恐らく80年代のシマロン迄V型エンジンに拘ったキャディラック。
そのシマロンも直四はイメージに合わなかったのか後にはV6が標準となったようで、
やはりキャディラックと言えばV型エンジン。その頂点に位置するのは、何と言っても“あの”V16でしょう。
1930年、世界恐慌の翌年に登場したV16搭載車。当時の日本には、この車を買う人はいなかったのか
輸入された記録は無いようですが、現代では少なくとも二台が生存している筈。
その一台はトヨタ博物館に有り。こちらはOHVの前期型。
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=7098 年に500台の限定車だったとは言え、恐慌後の時代ではさすがに買い手も少なかったのでしょうか。
38年型からは部品点数を減らす為にSVに簡略化され、同時に挟角135度という変った角度に
改められているようです。
この後期型は現在閉館中の山中湖高村美術館に収蔵されていました。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/b725.jpg?bcLLwFJBoZecAv42 この車を見た第一印象はとにかく巨大であるという事でした。
これ以上に大きな乗用車は他にも幾つか見た事が有りますが、展示の仕方がそう思わせたのでしょうか。
簡略化してコストダウンした筈も、シヴォレーなら500ドルで買えた時代に8000ドル以上という高価格車。
この後期型は38〜40年の間に僅か511台の生産に終わったそうですから
簡略型の筈もかえって現代では希少な存在となっているようです。
そういう話は別にしても、この手の如何にも過渡期を思わせるデザインの大型車自体が希少でしょう。
山中湖高村美術館の再開館を期待します。
ちょっと、ヒマ人はヒマ人なりに忙しいのでこっちはお休み。
一応保守しとこう。
申し訳ありませんがアテクシも公私とも多忙につきネタお休み致します。
クソ暑いですなあ……お二方ともお盆休み乙です。
クルマのエアコンをがんがんに効かせてる人も多いでしょうが
キャディラックと言えば、世界初のカークーラー搭載という快挙をやってのけたブランドでもありますな
(1940年ですぜ。70年近くも昔……
前年のオールズモビル・パワーグライドATといい、シンクロギアボックスやウィッシュボーンサスといい、
我々のイージードライブ生活の相当部分は、GMが先鞭を付けてくれたんじゃないか、と思われます)
文献を読むと、日本では1950年代末期にトヨペットクラウンにオプション搭載されたのが最初で、
それから10年ばかりの後には、360ccパワーウォーズの始まった軽自動車にも一部にオプションで装備可能になったようです。
思えば恐ろしい話。
「当たり前」となったのは80年代のことですけど、「AT、エアコン、AWD」の「3A」がクルマにここまで普及しまくってるのは
日本ぐらいでしょうね。
貧弱なインフラによる渋滞、東南アジアと遜色ないほどの高温多湿、
山がちな超豪雪地帯の存在&農耕車としての軽トラの存在がそれぞれの原因とはいえ、欧米諸国とは一種隔絶した異様な環境、
そしてアレでナニな国民性の産物でしょうか。
クラウンのデンソー製クーラー、リヤのトレイに当時の家庭用ルームクーラーのような
白いプラスチック製の丸いルーバーが三連装(いや、四連装だっけ)されていて、
トランクはドンとデカいユニットに占領されていました。
1500cc、1.3dで100`も精一杯の車に、当時の馬力を喰うコンプレッサを載せるのは
当時ののんびりした道路の流れだから何とかなったようなものでw
ぃあ弊社は夏休みが無く交代で取るのですが
アテクシ今年はシステム変更の大混乱の真っ只中で夏休み召し上げられてしまひまして★。
その昔、20年か30年ぐらひ前でしたっけ、ポルシェが930や928・924の時代ですから
そんなもんでせうか、ドイッチュからポルシェのディーラ社長が来日したことがあったさうで
シャッチョさん日本では軽の果てまでA/C付ひてるの見て腰抜かしたさうな。
「日本人ってなこんなに金持ってるのか!!」 なにせ欧州ではA/C、クーラなんつな
まづつひ最近まで付ひてなくて当たり前。気候的に要らなひ日が多ひのです。
まぁ昨今は異常気象、猛暑などもあってかサンデンあたりが安く供給するやうになったせひか
付ひてることも多くなりましたが。昔は欧州では需要も少なくA/Cメチャ高かった。
ちなみにアテクシのヌパイダは欧州仕様ですのでクーラ後付けです。w 75は最初から付ひてましたが。
これ股昔々、ロータリー式コンプレッサになる前レシプロ式コンプレッサの時代、
ボルグワーナーあたりのA/Cなんざクラッチが入ったとたん強烈なエンブレかかったやうになったもの。w
当時空調効き膜りで快適この上なかったのはやっぱ大トルクに物を言はせ
イージードライブ命のアメ車でせう。欧米か?wと言ひますが空調大好き米に比べ
欧は気候に因るものが大でせうが空調嫌ふ人も多ひ。
まぁ2gあるうちのクルマどもでさへA/C入れるとコンプレッサの負荷に負けて
歴然とモサくなりますし。www やっぱトルクにもの言はすやうなのでなひと。
ところで農耕車、これが股ぢつにお国柄が出て興味深ひものと思はれますが如何でせうか?
我が国の営農サンバーとお腐卵臭の2馬力、イターリャのAPEあたりに
米国はキャデのピックアップ。www
荷台に載せられるサンバーやAPEやキャデwならともかく
2馬力なんざ肥桶と人が同居するのは平気なのでせうかね?w
さすがおサレなお腐卵臭、田舎の香水の香りに包まれて、でせうか?w
>>104 二馬力に屋根が無いのはソンナ理由が有ったのでつか。
溜めになるスレですね。
↑ そんな訳は無い(w)必要と有ればリアカーでも引くでしょう。
私もあんまりお盆休みとかは関係無いのですけれど、親類の葬式やらでここ数日は多忙でした。
しかし、葬式なんてのは案外と待ち時間ばかり多くて行った先では暇なことも多く。
親類の乗って来た車あれこれ乗り比べさせて貰い、あげくに「いい加減に少しは落ち着きなさい」と
家人に叱られる始末(子供か w)
それにしても、こう暑いと乗り心地云々以上にエアコンが効く事が最も大事(暑いの苦手)
>>102 ウィッシュボーン式の採用については、何時も参考にさせて頂いている自動車史家の折口透さんの著書でも
1934年のキャディラックが最初とされていますが。
これは恐らくキャディラック側がそうしていることからと思われ、ちょっと手前ミソな所も有るように感じます。
アッパーもしくはロワーアームを横置きリーフが兼ねる形のウィッシュボーン式は以前から有りますし。
キャディラックの場合、当時のアメリカ車に流行した乗り心地の改善の為エンジン位置を前進させる必要から
横置きリーフを使えずに上下共にAアームとした物と考えられ、言わば苦肉の策だったのではないかと。
また、そうした事は別にしても上下共にAアームを用いたダブルウィッシュボーン式の採用例としても
同じ頃にはフランスでシトローエンがトラクション・アヴァンの前輪に用いていましたことから
特にキャディラックが世界初を強調する程の物でもないかと思うのです。
しかし、自動車の進化を簡便・快適化と高性能化とに大別した時にアメリカ車が前者の多くに
先鞭を付けたと言われるのには全く同意。
それに対して後者の方となると多くは遅れをとったかに見え、
ディスクブレーキやらターボチャージャー等に至っては、一度は先鞭を付けながらも失敗例とされて
すぐに引っ込め、結局は他に名を成さしめる始末。
やはり、レースに深く関与しなかったこととかが影響しているのでしょうか。
もっとも、ディスクブレーキを市販車で採用した最初の成功例と言うと、これもレースとは無縁な会社
シトローエンのDSでしたが。その辺はアメリカ人とフランス人との運転パターンの違いが表れたのかも。
GMでのウィッシュボーンサスの開発経緯は、かの大経営者アルフレッド・スローンの大著「GMとともに」にも記述されてますが、
開発スタート自体はフォワードエンジン化(フォード流に言うと「センターポイズ」)
の先鞭となったクライスラー・エアフロー出現より早いんですよね。
横置きリーフサスと補助アームを使う独立懸架レイアウトは蒸気自動車のボレーの時代からあったけど、
それを剛体化してコイルスプリングなりトーションバーなりを使うダブルウィッシュボーンとなると、
キャデやトラクシオンの時代まで下った、ということになるんでしょう。
何か不足があれば、たいていのことは排気量アップと大型キャブレター追加、ボディ大型化で補えた最盛期のアメリカ車が、
常にそれに頼り切ったことは、本質的な自動車としての進化を妨げたでしょうね。ただでかいだけで。
乗用車用パワーステアリング導入も巨大化故のたまものでしたし。
それと1920年代から70年代のアメリカ車の場合、実際の発表年が「年式」より1年早いことが多いのは注意した方がいいかも。
文献だと発売年と年式を混同していることがありますんで。
例えばフラッシュサイドを採用したリンカーン1949年式は、1948年5月頃の発売だったと記憶します。
>>108 > 実際の発表年が「年式」より1年早いことが多いのは注意した方がいいかも。
自動車雑誌の実際の発売日が1〜2月早いのと同じようなものですね。
カーグラフィック誌2008年2月号は、実際の発売日が2007年12月であるように。
>>107-108 年式と発表年の違いは私も注意しているつもりなのですが、
そう言われるように、混乱したまま書かれていると思われる資料が多いのは悩ましいところであります。
ちょっと前輪独立懸架の話のついで。以前にも少し有った話ではありますが。
この1933〜34年頃前輪を独立懸架にするにあたり、GMの技術陣が
大型のキャディラックにはダブル・ウィッシュボーンを小型のシヴォレーやオペルにはデュボネ式をと
使い分けた意図は不明(デュボネが大型には向かないのはなんとなく判りますが)ですが
結局、シヴォレーのデュボネ式は失敗作とされ35年にはリジッドに戻されたとか。
ただ、そこで不思議に思われるのが、オペルは37年迄デュボネを続けたこと。
それ以上に英国GMのヴォクスホールでは、本国のシヴォレーがデュボネ式を引っ込めた35年になってから
デュボネ式(ただしコイルを用いたシヴォレーとは異なり、トーションバー)を採用し
戦後50年代初頭迄それを続けた事は更に不思議。
GM技術陣も意地になってたんでしょうかね??
前にこのデュボネ式の話で私が「どんな形なのか判らない」と書いた所、
「ヴォクスホールのトーションバーを用いた物が判り易い」と教えて頂いたので一応、見つけたその構造図
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/853f.jpg?bc8sZHJBsrr9R361 確かに既製のフレームを大改造する事無く独立懸架化するには好都合なようで、
1935年にアルファ・ロメオ・ティーポBをスクデリア・フェラーリが前輪独立に改造した際、
この形式を採用したのも判る気がします。
ところで。実は今日は「アメリカではあまりレースに実績をあげても、車の販売には役立たないのではないか?」
みたいな話を書くつもりだったのですが、それで第一回インディーの1〜2位のマーモンとロジアー
(Lozier=ロジェ?)の事など改めて資料を見たところ、
マーモンは1908年にV8搭載車を売り出していたという記述にぶつかりました。
それならばキャディラックは勿論、ドデイオン・ブートンにも先駆けている事になりますが
なんだかキリの無い話になって来た気がする・・(w
オペルはオリンピアと2.5でデュボネ採用してたんでしたっけ。
で、1938年のオリンピアのモデルチェンジ(エンジンもスタイルも大刷新だからモデルチェンジでいいと思う)と
カピテーンのデビューで、ダブルウィッシュボーンになってたんだったかな。
ヴォクスホールはトーションバー式デュボネだったんでバネ下が普通のコイル式デュボネより軽く済み、
トラブルが少なくて1951年モデルまで延命できたと言います。
独英の子会社で、アメリカ本国より更に小型のモデルにも使って、かつ独英でコイルとトーションバーと違えていたのは、
あるいはGMとしては一種のトライアル的な狙いがあったのかも知れませんね。
そういえば、フィアットも1935年の「1500」でデュボネ使ってて、
これが戦後「1400」にタッチする1950年まで続いてたんですよね……
あれだけ上手い設計のクルマ
(軽量なピラーレス流線型ベルリーナ、OHV6気筒1.5L&油圧ブレーキでMax115km/hは当時としては立派ですな)に
デュボネが付いてるってだけで、何か不安になってくるのは先入観のせいかしら。
デュボネっつなだうもフルトレに操舵の為の横方向作動用リンクが付ひたものに見へますが
さういふ理解で宜すぃのでせうか?
で、フルトレ同様の動きをするとしたらこらアテクシも怖ひ。
Fダブルウィッシュボーン、Rトラニオン式リジッド/ド・ディオンなどと
対地キャンバー角変化を極めて嫌ふアルファ・ロメオに慣れ切ったアテクシにはとてもとても。
尤も今の扁平でショルダーが張って踏面が平らなのと違ひ当時のタイヤは
ショルダーまで丸く続くものだったので
今のタイヤより対地キャンバー角の変化に寛容だったのでせうか?
それでもアルファ・ロメオは戦前のTipo158アルフェッタ以前に独立懸架を試し
結果宜しく無くド・ディオンに切り替へるなどしております。
股戦後の750系100系でも∀型アームでリジッドを吊るRサスと
(これが105系ではトラニオン式になるのですが)ダブルウィッシュボーンのFサスを持ち
それはやがてアルフェッタ/ヌオヴァジュリエッタ/75/90(w)/ES30まで引き継がれました。
まぁ途中6(セイ)ではリアがセミトレつうご愛嬌もありましたが。w
ここで問題は105系まではともかく続くアルフェッタの時代でさへもまだチンチュラートの
半分バイアスのやうなショルダーの丸ひタイヤがなんぼでもあったこと。
これは踏面の形状ショルダーの形状以前に対地キャンバー角につひて
アルファ・ロメオはなにがしかの見解を持ってゐた、といふことなのでせうか?
やはりコーナリング中のスリップアングルの変化が問題とされたのでせうかね。
さて、横置きリーフ改造と言へばアバルトのOT一派、こひつらが股中身はFIAT500なのですが
その横置きリーフのFサスにアッパーアーム追加で見事にダブルウィッシュボーンに化かしてゐます。
シャシ、フロアパンは500/600(シムカ含む)でありながらそれにちょこっと手を加へ
それだけで超一流のレーサーに仕立てる辺りアバルトの魔法なのか
元ネタFIATの潜在的能力の高さに因るものなのか。
113 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/08/17(日) 20:38:47 ID:A13P7jWQ0
6はドディオンアクスルやん
ミッションが前にあるだけやん
>>111 第二次大戦前後のフィアット(つかイタリア車全般)は、三角窓の採用とかコラムチェンジ、
更にはダブルトーンの塗り分けなど、結構アメリカ車に影響されているようですし
デュボネの採用ってのもその一環だったのでしょうか。
もっとも、デュボネ式それ自体はアメリカ人の発明では有りませんけど。
>>112 >フルトレ同様の動きをするとしたらこらアテクシも怖ひ
フロントはリーディングアーム(前向きですから)リアはトレーリングアームの2CVに慣れた人なら平気(w
また2CVって、ソフトなスプリングと低いロールセンターで極端に大きくロールする車でもありますが、
これまた極端に細いタイヤは(或いはそれ故?)案外粘りますし、
何か起こそうとしてもスクラブ抵抗の増加であっさり速度が落ちてくれます(w
それはともかく。アルファ・ロメオも初期の前輪独立型・8C2900(また、その元となったティーポC・GP)では
アウトユニオン流(つう事はポルシェ流)のダブルトレーリングアームで前輪吊っていましたし、
その時代毎のタイヤの影響ってのは結構大きいのではないでしょうか。
更に言えば、この戦前の四独アルファ。後輪はスウィングアクスルでしたし。
今の扁平で幅広いタイヤでは、対地キャンバー角変化を嫌うのが一般的ですが
レーシングカーでもラジアル構造のタイヤが導入される以前(60年代頃迄)は
ある程度のキャンバー変化を許容するつか、むしろ積極的に利用することで、
タイヤをより有効に使おうという考えが大勢を占めていたようでもあります。
“何時も同じところばかり使ってたら勿体無い」みたいなところですかね?
デュボネっつうのは、キングピンより外側にサスペンションアームやスプリングが有り
全てステアリングの度にホイールと一緒に左右へ振れた訳ですから、
ステアリングに変なイナーシャの影響が出たのではないかと思います。
また、キングピンにも余計な負荷が掛かるでしょうから悪路での耐久性に問題が有ったのは当然とも。
戦前の日本のタクシー業界で、デュボネ式前輪懸架のシヴォレーが嫌われ、
コイルスプリングに対する偏見すら生まれたという有名な話もごく当然だったのかも。
>>109 雑誌の実際の発売日が早いのは何か理由があるのかな。
ポルシェは昔から翌年モデルを毎年夏頃に発売していますね。
ナナサンで有名な911カレラRS2.7の実際の発売日は1972年8月でした。
今年も伝統に従い2009年モデルの911(DFI+PDK搭載)をすでに発売しています。
>>115 発明者のアンドレ・デュボネがそもそも金持ちの道楽者で、レース趣味の傍ら考案したものですからね。
走りの性能はともかく、大量生産やハードユースとかまできっちり考えてなかったんじゃないかと。
ポルシェのダブルトレーリングアームみたいな手堅さとは対極ですしね。
しかし、これなら先行したランチアみたいなスライディングピラーの方が良かったんじゃないか、と思うんですが、
なんで曲がりなりにもそれなりに広がっちゃったのか不思議です、デュボネ。
三菱500が遙か後年になってから採用してるのは不気味。
三菱500の場合は、足元の広さを確保したかったんじゃないかと。
見る機会のまずない車ですが、スプリングユニットがAピラー根元方向に向け、
フロア左右空間を狭めないよう巧妙に設置されています。
>>115 いすゞベレットに途中から、リヤがリーフリジッドのB仕様が追加されましたが
あれも、タクシーでのタイヤ偏磨耗やダンパーのオイル噴きが原因でした。
特にトルクのあるディーゼル車は被害が大きかったようで、B仕様発売前に
一度車種廃止にされ、供給がストップしました。
ほお、アペリティフのデュボネとサスペンションのデュボネさんは同一人物でしたか。
酒と車のつながりで言うと、ポール・リカールサーキットはパスティスで有名な
リカール社のオーナー一族の所有らしいですね。
このパスティス、夏の真昼間からちびちび呑むには実に適した酒なのですが、
日本ではあまり(というかぜんぜん)知名度が無く、癖のある香りともあいまって
好まれないのが残念なところ。
124 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/08/19(火) 20:10:05 ID:QMUo9IUoO
デュボネといえば、チューリップウッド製ボディのイスパノ・スイザH6でしたか?
ソーチック製クセニアもデュボネ氏のものでしたか。
年甲斐も無く若い娘と結婚した紳士が、ホテルのバーでにやついていた。
「これから初夜なんだ。ポルトを一杯くれ」
「ポルトはそちらを弱くしますよ。シェリーなら効果がありますが…」
翌朝、彼はげっそりして再びバーに現れた。
「シェリーを一杯、それと部屋にポルトを一瓶届けてくれ」
ポルトとシェリー、どちらもできかけのワインにブランデーを加えて発酵を止めたもの。
ようするに味醂であります。
昔から酒とタバコといえば自動車レースのスポンサーの二大巨頭ですが、考えてみればこれは不思議。
サーキットは(基本的に)禁酒禁煙でしょう。
デュボネみたいな酒、あんまり日本では一般的にならないってのは、
話だけ聞くと養命酒みたいなものを連想する人が多いからでしょうか。
それとも元々、香りの強い飲み物は苦手なのか、以前は紅茶でもアールグレイは不人気だったみたいですし。
>>124さんが言われるソーチック製クセニアっつうのは昨日のスライドドアを持つ車のことで
(こちらもイスパノ・スイザを基本としているそうです)
チューリップウッド製ボディーを持つイスパノ・スイザH6Bってのはこちらのこと(模型の写真ですが)
http://www.craftsmanshipmuseum.com/images/Wingrove20.jpg アンドレ・デュボネさんは第一次大戦では航空機に乗って大活躍されたそうで、
そこで愛用したスパッド機に搭載されたイスパノ・スイザエンジンV8エンジンに深く愛着を感じられたのか
戦後地上に降りてからもイスパノ・スイザを愛用されたのだとか。
この車はデュボネさん自身の考案された全木製ボディーを、第一次大戦時の航空機メーカー
ニューポールが架装したものだそうで、チューリップウッドっつうのは表面に貼られた化粧木(ユリノキ)のこと。
出来上がった当初はフェンダーは木製ではなく、ボディーのみの重量は45kgに満たなかったとか。
大変優雅に見える見事な出来栄えですが、デュボネさんの最大の目論見は“軽量であること”で、
彼はこの車を操縦して24年のタルガ・フローリオに参戦し、タイヤトラブルで後退するまでは
2位につけるという健闘を見せたそうです。
ところでイスパノ・スイザと言えば、GMの大デザイナー、ハーリー・アール氏が
キャディラックのスタイル上の目標とした事でも知られています。
実際、トヨタ博物館に収蔵されている30年型のV16を正面から見ると、そうした事が良く判る気がします。
しかし例の前輪独立懸架の採用と、エンジン搭載位置の前進は、固定懸架のままであったイスパノを
アイドルとする事が出来なくすることでもあったのでしょう。
キャディラックをはじめとする、アメリカ製高級車のデザインが欧州製のそれから離れて独自性を持ったのには
この時代の内容の変化が大きなきっかけとなったと考える事も出来ると思います。
「アクセス規制中」ですと…
(長文書き終えた後でこれが出るとショックが大きい w)
さすがに携帯で長文はきついので保守だけ
あ、一つだけ
先日、
>>119さんが書かれたベレットのオリジナルのリアサスの件、資料によってセミトレとしているものと
ダイアゴナルのスイングアクスルとしているものがあるようですが、
見た目には似てますが、どちらが正しいのでしょうか?
アテクシはダイヤゴナルと理解しております。
べレットBタイプ、うちにあったなあ。
子供でしたからサスの形式までわかりませんでしたけど。
車載工具は未だに現役で、私が使ってます。
うちにもベレBありました。
車載工具は今でも重宝してますよ。
最近の新車は車載工具が付いてないから。
子供の頃、家にあった車と言うと。印象深いのはスバル1000
しかし父は前輪駆動と気付かないで乗っていたそうです
フラットな床で気付かないか?
オタクな性質っていうのは遺伝ではないようですね(w
134 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/08/23(土) 06:23:46 ID:wXNkQfe7O
俺も先般「アクセス規制中」を喰らいましたよ。
他スレで書きまくったのが原因かなあ。
規制解除された模様。
>>134 広告書き込みとか、荒らし行為をした人が同じプロバイダにいた時に、まとめてそのホストを規制するようです。
加盟者の多そうなプロバイダを使っていると、規制される割合も多くなるんでしょうかね?
ところで先日のべレットのリアサスの件。
タイヤが偏磨耗起こしたってのは形式に由来したのでしょうか?
ダイアゴナル・スイングアクスルの車とかは、乗った事も無いので全くどんな風なのか想像もつきません
思い出してみても、スイングアクスル型のリアサスを持つ車って言うと、
昔のVWビートルにちょっと乗せて貰った程度。
幾らダイアゴナル(スイングアームが車体中心に対して45°くらいに付くもの)とは言っても
常にダイアゴナルなロールをする訳でもないでしょうし
また形式が同じならば皆同じ挙動を示す事など有り得ない以上、形式だけで語れることでもないのでしょうが。
“調子に乗っていると、いきなりジャッキアップ起こしてひっくり返る”みたいなイメージの有る
スイングアクスルですけど、昔の細いバイアスタイアの時代にはそれでも良かったのでしょうか。
スイングアクスルに加えて、空冷V8リアエンジンで極端なテールヘビーで知られるタトラ77やその発展型も、
かつてのチェコの名女性ドライバーで時にはかのヌヴォラーリとも互角に渡り合ったという
エリザベート・ジュネックさんは「コツを一旦掴めば、あれ程楽しい車も無かった」と語っていらしたようです。
・・捉えようによっては、素人には物凄く怖い車だという風にも取れますけど・・(w
ところで30年代のキャディラックをはじめとするGM車が、
アメリカ製量産車としてはいち早く前輪に独立懸架を採用したことの理由は、
主にセールス側への配慮と思えます。
アメリカの道路事情や、それに由来する車の使われ方からは、本当は独立懸架にする意味は薄かったと。
あえて独立懸架にする意味(メリット)を挙げるならば、
保守的な英国市場では比較的早く前輪独立懸架を採用したロールス・ロイスの本から見るに
当時大径化したタイヤ/ホイール等に起因するバネ下重量増加が招いたシミー(ステアリングのバイブレーション)
の問題等が有ったでしょうか。
このあたりの発達過程は、アグリーになる以前のアメリカンカーデザインの精髄を見るようで、
当時の経営者とデザイナーたちの見識を感じますね。
ここから1950年代初頭あたりまでが、健全なデザイン精神(そこにスポーティさは薄いですがw)のあったいい時期なのかな。
健全とか不健全とかは判りませんが(w
確かにこの時期にはアメリカ車が世界のカーデザインを牽引していたようで
イタリア辺りと影響しあって近代化を推し進めていたようです。
そういう流れが失われたのは、やはり50年代初頭でしょうかね?
レイモンド・ロウイーさんがスチュードベーカーで活躍されていた頃。
この人自体は元々フランス人だったそうですが、良き時代のアメリカを象徴する名デザイナーでしょう。
戦後のアメリカ車が欧州車へ与えた影響ってのは、デザイン面に限定しても結構数多く有ると思いますが、
クロームメッキの洪水だとか奔放に高くそびえ立ったテールフィンなんかはさすがに敬遠されたようで
そうした、ある意味下世話な感覚が目に余るようになった頃が、アメリカ車が他とは全く異なった
独特な物となった時だったのではないでしょうか。
テールフィンも最初の頃の控えめな物だった頃には、水平基調の全体形を強調する手段として
アルファ・ロメオやメルセデス・ベンツ等にも影響を与えたようですが
50年代後半の凄まじいモノ(w)となると、もう他に追随する者もいなくなり、
アメリカ車のテールフィンは他と隔絶した全く独特な物になってしまったように感じます。
しかし、そうは言ってもアメリカ車マニアさんの多くはこの時期以降の車を愛好されるようで、
確かに他と隔絶している分だけ個性的と言えばこれ程個性的な車達も無い訳ですし。
私もアレはアレで嫌いではありません。
デュオ・トーンの塗り分けなど、アルファ・ロメオなどの欧州車がやると下品にしか見えない物でも
元々の形が派手なアメリカ車では結構サマになっていると思う事も有ります。
最近のアメリカ車は、他に影響を与えるどころかドイツ車辺りに奪われた客層を取り戻そうと
メルセデスやBMWの影響を受けてしまっているかのように感じることもしばしば。
優れた形と思える物も決して無くは無いのですけれど、かつてのように自らがそれを生み出すのではなく
外国人の手によってかつてのアメリカ調を焼き直して貰っているかのように見えます。
言わば、先日エロスパ氏が書かれた「外国人から見たナントカ」のアメリカ版。
アメリカ車に勢いが有った頃ならば、考え難い事態かも。
>>138 50年代後半、やりすぎ状態のアメリカ車には、さすがに他国は追随できませんでしたが、あの時期の
「フェイスリフト一年、ボディ三年」の異様に早いモデルサイクルに、欧州勢が付いていけなかった気もしますw
とはいえ、フォードのレバカールック、シボレーのコルベアルックと、60年代にも影響は続いていたように
思えます。
ここ数年でアメリカだねぇと感じたのは、クライスラー300やダッジ・マグナムでしょうか。
ベントレーを暴走族風にした風情もありますが、あの姿は車音痴の人でもアメリカ車と認識できそうです。
みゅー、ゐろゐろカキたひことがありますが、
余りに忙し杉る。
143 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/08/29(金) 20:49:48 ID:9P48A6u6O
アメ車らしいアメ車?
パッカード・スーパーエイト。
二代目スタッツ。
ハンビー(ハマーの原型)、ヴェクター、ダッジ・ヴァイパーとか。
チェッカー・マラソンなんかもそうかも。
144 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/08/29(金) 21:00:41 ID:9P48A6u6O
まあ、アメリカの自動車会社が生産した、輸出を想定せずほとんど自国消費されていった車なら、まさにアメリカ車そのものだと思います。
イギリスのブリストルなんかもそういう感じですね。
現行のクライスラー300は、やっぱり好きになれないなあ。
先代モデルはまだ見られたけど、現行の押し出しの強いグリルはおげれつで気持ち悪い。
あれこそがアメリカ人にしかわからない魅力なんでしょうか。
「元祖300」なバージル・エクスナーの手になる1955年の300は、
1949年式リンカーン・コスモポリタン、1953年式スチュードベーカー・スターライナークーペと並んで、
私にとっては溜め息が出るほどステキなんですけど。
146 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/08/29(金) 21:15:29 ID:9P48A6u6O
エクスナーがデザイン担当役員だった当時のクライスラーはイタリアのカロッツェリアのギアとジョイントしてましたね。
スチュードベイカーもやや欧州らしさを感じるデザインです。
ただ、エクスナーも50年代末になるとトレンドに乗ってアレなデザインを連発するようになってきますし……
その後の60年代は直線無個性デザインがまかり通るし……
この時代、デトロイトの大メーカーたちがデザイン面で大して熟慮せずにイケイケかましていただけだった事実は、
その後何十年かの時の流れによって露呈していくわけですが
148 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/08/29(金) 22:27:19 ID:9P48A6u6O
そこらへんに、エクスナーがクライスラーを去り、やがてブガッティ101のリデザインや、デューセンバーグやスタッツの再生に手を染める背景があるんでしょうか。
現行300Cのヘッドライトには去っていったエクスナーの思い出がこもってます。
ベレGのダイヤゴナル・スイングアクスルのハンドリングは
”ファイナルオーバーステア”だったとか。
だういふことなんでせうかね、その”ファイナル”っつな?
同様にスイングアクスルでお尻の重ひコーヴェアは唐突にリアがブレークして流れて
それがもっさりしたドアンダーFRに慣れたアメちゃんには危険杉たとも。
ベレGもこのクチだったんでせうか、当時は「日本のアルファ・ロメオ」とまで言はれたさうですが。
ギャランGTOだのセレステだのがみっともなかったのは
やっぱ5ナンバー枠に押し込んで幅が狭くなったこと、
つまり縦横高さの比がおかしくなってたことに因ると思ひます。
クライスラー、今のクライスラーはコスプレカーなどとも言はれてますが
実際PTだの300だのってさう見へます。古き良きアメ車の時代をイメージしたコスプレと。
300はアテクシにはアメ車イメージで作った日本車にも見へます。
多分ベンシのシャシを使った為基本欧州車サイズ、つまりは小振りに出来てるからでせうか。
このコスプレカー、まぁ煮詰まった時代ゆえつう気もします。
アルファ8Cなんか過去のモチーフ、多くをTipo33/2から借りてゐるのがすぐに分かりますし。
他にもまぁ過去の自社製品にモチーフを求めたクルマ増へてますな。
新たな、新時代のデザインつうのが出てこなくなった、出せなくなった、
遂にカーデザインも消費しきっちまったつう閉塞感が過去に退行させるのでせうか。
が、ところでこれもアテクシ過去に何度か書ひたことですが
欧州車アメ車には自社内に求める過去の蓄積がある一方で
常に場当たり的な借り物で”○×風味”ばかりの日本車には食ひ潰す遺産が無ひ。
例へばヌカGなんてR30から34までは誰がだう見てもこれがヌカGつう形があったでせう?
そしてR30は一新したやうに見へて微妙にC210ジャパンの気配を残してゐるし
そのジャパンはC110ケンメリの気配を残してゐる。これが歴代ヌカGを他の日本車とは
いささか違ふ特別っつうか独特の存在にしてゐたと思ふのです。
あのデザインの方向性をEとするか悪ひとするか好きか嫌いかは別にしてですが。
それをいすゞから来たあのをっさんが全部潰した訳です。
或る意味非常に日本車らすぃとも思ひますがね。
アテクシ近年のアメ車デザインでそこそこお気に入りはマスタングです。
あれは誰がだう見てもマスタング(つかムスタング?w)でせう。
まぁ80年代ムスタングをアイドルにする方には異質に見へる鴨知れませんが。
で、ジュジャーロのこれ↓なんか滅茶苦茶Aな、上手ひなと思ふのです。
http://www.2dayblog.com/images/2006_november/mustang_giugiaro_1.jpg だう見てもイタリアンデザインですが(だからアテクシ慣れた安心感と共に良く見へるの鴨)
これ股誰が見てもムスタング以外の何物にも見へますまひ。
>>149-150 今の欧米車にかつての自らの用いたデザインの引用が流行しているのは
顧客に向けてそのブランドの製品であることを強調することによって、
指名買いをして貰えるのを期待しているのではないかと思います。
で、ちょっと思うに。ジャガーSタイプがモデルチェンジしてXFってのが出ましたけれど。
“ジャガーのデザインが好きだ”と思っている方は
昔のジャガー・コンパクトサルーンを髣髴とさせるSタイプから、新型への変化をどう思っているのでしょうかね?
日本車には守り受け継がれるべき日本調というものが無いということに関して、私が思うことは
>>63辺りに書いた通りですが、常に“ナントカ調”であり続けるっつうのは
何時になっても指名買いしてくれる固定客を確保出来ない事にもつながりそうで、
攻勢にある内はそれで良くても守勢に回った時には意外に弱いという事態になりそうな気もします。
ところでファイナル・オーバーステア。
殆どの車は旋回速度を上げていけば徐々にアンダーステアが強まるものの、その勢いで先に前輪が限界を超え
カーブ外側に吹っ飛ぶのは危険ですし、前輪がグリップを失っていては操舵(カウンター)での修正も
不可能ですから“最終的に”先にグリップを失うのは後輪側になるように仕付けてありますから
そうした車は皆、ファイナル・オーバーステアと言って良いのでしょうけれど、
特にそうと強調して言うのは、それまでのアンダーステアが強まりつつある過程から
リアが流れてオーバーステアになる過程への変化が唐突に訪れる車を指して言うみたいです。
そんなところから。先日エロスパ氏は、ロールした時の対地キャンバー変化の大きいフルトレーリングを
“怖い”と書かれていましたが、例えば前輪駆動車の後輪などは
元々駆動力を受け持たないが為に前輪よりも限界を高くし易いという特性が有りますが
レースでもするならば幾らでも限界は高い方が良くても普通は前輪よりも後輪の方が限界が高いってのは
前述したような危険な車となりますので、スペース効率には優れても
キャンバー変化により限界を迎え易いこの形もアリなのでしょう。
確かに限界時の挙動はややトリッキーになりますが、慣れで充分に対処出来る範囲だと思います
(慣れるな w)
フランス調とかイタリア調とか。
まともに考え出すと訳の判らないことになる話ではあります(いきなり結論 w)
例えばフランス車の中のフランス車のように思われていそうなシトローエンの2CVやらDSあたりにしても
デザインを取りまとめたのはイタリア人のフラミニオ・ベルトーニさんでしたし
戦前(30年代)のフランス調の象徴、装飾過多とも言われるフラム・ボワイアンの一派にしても
その中心にいたフィゴニ・エ・ファラシのフィゴニさんもまたイタリア人。
またデザインに限らなくても、かつてのフランスのスポーティーなイメージを代表しているかのような
アメディ・ゴルディーニさんもイタリア人でした。
イタリアに目を向けても、この手の話は結構有るようで、
かのカルロ・アバルトさんはオーストリア出身のユダヤ系だった筈で、ポルシェさんとも浅からぬ仲で
前スレでも話に出たチシタリアのGPカーにも深く関わっていたようです。
では、純フランス調と思われて(いそうな)2CVもフラム・ボワイアンのフィゴニ製ドライエ等も
実はイタリア調だったとは言えないでしょう。イタリアにもああいう形が有ったって訳でもないのですから。
結局の所、デザインした方が何処の出身であろうと何処の国籍をお持ちであろうと、
フランスに住み、毎日そこの空気を吸いそこの風景を見て過せば感性はフランス調になるのかも。
自動車は屋外で使用し、街中の風景をバックに見る機会がもっとも多い物である以上、
デザインスタジオの中でのみ、良く見えるような車を作ろうとしている人もいないでしょうから
毎日見る街の風景はその人の感覚を左右する物だと思うのです。
日本車も、日本調を確立するのであれば外国人に日本調の生活して貰って
日本的なる良さを発見して貰う方が近道なのかも知れないと、ふと思ってみたり。
その場合、世界遺産・日光東照宮とか浅草浅草寺みたいなガイジンさんの喜びそうな所を見せては駄目かも。
意外に日本人には気付かない日本的なる物ってのも有ると思うのです。
例えば白い砂浜に松林の海岸とか。
ああいうのって、人工物一切入れずに写真撮っても日本の風景とすぐ判るでしょう。
車にどう生かすかは知った事ではありませんけど・・
153 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/09/01(月) 07:31:13 ID:s1C7uAHNO
華麗なるフランス料理だって、元を辿ればイタリア料理です。
ドイツ料理から来たフランス料理とかも結構あるようですよ。
今日、昼間仕事の合間に立ち寄った本屋さんで見た模型雑誌で、
丁度レイモンド・ロウイさんの小特集が組まれていました。
アメリカ永住権を持ち、その生涯の多くをあの国で過されたとは言え、元々は先日も書いたように
フランス人だったロウイさん。
その雑誌には特に目新しい事は書かれていませんでしたが、コカコーラのロゴも彼の仕事としているのは
なんかいろんな説があるようなので、断定した書き方だったのはどんな物かとちょっと思ったり。
コカコーラの、あの特徴的なボトルデザインがロウイさんの仕事だと言うのは俗説のようですが、
コカコーラにかなり多くの仕事を残されているように、かなり深い関わりは持っていたようです。
その他にもロウイさんの手掛けた仕事は数限り無く有るようですが、コカコーラとの関わりから
果てはアメリカ大統領専用航空機・初代エアフォース・ワンのペイントまで
“アメリカ的なるもの”と言うよりもアメリカのアールデコイメージそのものをデザインした方が
実はフランス出身だったというのも興味深いものであります。
彼の代表作の一つ、ラッキーストライク(煙草)のパッケージを見ても、
やはりそこに感じられるのは第一印象の強さっつうか押しの強さで、
明解にして鮮烈なそれはフランス製煙草のゴロワーズとかジタンとは趣が異なり
アメリカ製品である事を感じさせます。
そのロウイさんの自動車デザインに於ける代表作・50年型スチュードベーカー・クーペ
http://www.cochassislassies.com/cars/patstude.jpg これはやはりアメリカ車以外の何者でもなく私には見えますが、
これにイタリアのピニン・ファリーナが反応してランチア・アウレリアPF200と呼ばれる一連のモデルへと
発展したというつながりを、故五十嵐平達さんが指摘されたとSCG38号の中で高島鎮雄さんが書かれています。
http://firenze.blog.so-net.ne.jp/blog/_images/blog/_1f0/firenze/8061883.jpg 一方では49年型フォードにも多大な影響を与えたとも言われる、このスチュードベーカー、
やはり本来は“欧州人の目で見たアメリカ”であって、アメリカ人もそれに乗せられたのでしょうか。
155 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/09/03(水) 06:33:39 ID:KhINDgz6O
彼がデザインしたアヴァンティなんか、
「本当にアメリカ車?」
って思うぐらいクリーンで斬新なスタイルなんですけど、スチュードベイカー社亡き後も、80年代末まで生産者が替わり生産されていたぐらいで、アメリカ受けがいいみたいですね。
ニュー・ルックと称した戦後型スチュードベーカー、'50モデルでネクスト・ルックを名乗って
あのスピンナーを付けるまではごく普通のグリルでした。
'50-51のスピンナー付きスチュードベーカーの、下方に向けて絞り込まれてゆくグリルの曲面と
安定感を担保するバンパーの組み合わせには、航空機をアイコンにしたという一面はあるでしょうが、
ロウイが戦前〜戦時に連作した、ペンシルヴェニア鉄道の流線型機関車の方に、より近似性を
感じます。
>>156 一定の魅力はありますが、さりとて外部に移してまでアレほど長寿を保つべきデザインとも思えないんですよね。
ブリストルなんかと同じで。
117クーペみたいなエバーグリーンの要素は薄くて、
おそらくデザインの仕上げでサインを入れたぐらいでしょうが
やっぱりローウィ・デザインの限界なのかな、と思ったりします
・・ネタ部分は綺麗にスルーされている・・(w
>>158 確かにそれ(375MM)でした。有難う御座います。これ、不思議に何時も名前忘れてしまうのですよね。
逆に、何故か400スーパーアメリカは“このフェンダー、何かにコピーされてたような・・”となってしまうのです。
>>157 その辺は私の説明不足でした。高島さんが書かれたのは
「最初・46年にこの戦後型が出た時“Coming or gone?(どっちが前?)”と揶揄されたのに対する回答が
50年型の尖ったグリルで、その時にヒントにしたのがP-38の前半部だったのではないか」
という事でした。
ところでロウイさんと言えば、日本では有名なのが煙草ピースのパッケージ。
今も私の手許に有りますが、例の健康に関する警告文が下半分に書かれているのは興醒めなところ。
警告文を入れる意味は判るつもりですが、その為にデザインを汚して良いものかはまた別の話だと思います。
第一、例外的と言っても良い程強い煙草・ピース愛好者に煙草の害を説いてもあんまり意味も無いかと・・
此処で話はマッハ号に飛び。敢えて真面目にマッハ号のデザインを思うと。
元のアニメのマッハ号は三胴型にコークボトルにテールフィンと矢鱈に豪華なデザインですが、
それでも破綻無くまとめられて大変格好良い車に見えます。
ただ、この車って(数々の秘密兵器は無視しても)何処にもエンジンが積めない形でもあります。
それこそ軽自動車用の直列三気筒でもなければ無理でしょう。
また、この形をそのまま実物に出来ても実際に路上に出る事は何処の国の法規でも無理だと思えます。
その辺がカーデザイナーではなく、アニメ作家さんの考え出した形ということなのでしょう。
何が言いたいかと言うと・・。
乗り物関連にも多くの仕事をされたレイモンド・ロウイさんですが、自動車の専門家ではなかった為に
中身の都合まで熟慮してデザインしたのか?ってのはやや疑問。
従って彼のデザインしたとされる車たちは、どれ程最初のスケッチの印象を保って生産化されたのかは
判らないところでもあります。
もしかしたら実際に世に出たのは“警告文入りのピース箱”みたいな物だったのかもしれません。
161 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/09/05(金) 03:40:01 ID:KIr9/vz4O
自動車デザイナーのあいまいな職業性に起因するのかと思います。
インダストリアル・デザイナーか、エンジニアか、コーチビルダーなのか?
ま、自動車ライターなんかも職業的ジャーナリスト出身とか趣味人の延長とか様々でしょう。
カーオブザセンチュリーのトップ3を見ても、
モデルTとミニは技術屋主導デザイン、DSも技術協調型デザインですよね。
モデルTは「デザイン以前」の車ではありますが、4位の911も社内デザイン、
やはりデザインは技術より先行しちゃいかんのでしょうか。
>>162 自動車を評価するときに外見が中身以上に重要なポイントとなる事はあり得ないのか?って意味でしたら、
本来外見は中身と密接に結び付いているもので、その車の重要な性能の一つであると思いますから
多少の異議も有りなのですが。
中身の変化が外見に及ぶ事はあっても、その逆に外見を変化させる為の中身の進化という例は無いでしょうから
その意味では確かにデザインが技術に先行する事は無いのかも知れません。
その辺、他の方はどう考えますでしょうか?
さて。自動車デザイナーさんって仕事も結構大変なものでしょうが、
とは言え(それを持ってデザイナーさんの存在を軽んじる事は決してありませんが)
職業的デザイナーの作品ではない車ってのも歴史上には珍しくなく。
そんな中にも名車とかデザインを高く評価される車とかが幾らでも有るってのもまた事実。
そうした物の一つのパターンは、設計技術者が外見迄手掛けてまとめあげた物。
かつては大企業の量産車でもこうした物は珍しくなかったようです。
もう一つのパターンは自動車にはあまり縁の無い素人さんのスケッチが採用されたという例。
オーナーになる人が自らコーチビルダーに指示して作らせたボディーを持つ車もこのパターンでしょうが、
そういうのではなくとも、例えば初代ロータス・エリートが
会計士を本業とするピーター・カーワン・テイラーさんっつう方がデザインした物である事が知られています。
http://8000vueltas.com/wp-content/uploads/2007/11/lotus_elite.jpg マッハ号の例ではありませんが、アマチュアであっても格好良い車の絵を描く事は出来るもの。
しかし本職ではない悲しさか、サイドウィンドウまで三次曲面のこの車、窓が開かないそうです(取り外し式 w)
それを承知で生産化したロータスのボス・チャプマン氏もまた大したもの。
「こんなに格好が良いのだから、それくらいは大目に見てくれ」みたいな感じだったのでしょうか。
また、この車の形には空力の専門家フランク・コスティンさんの手も入っているそうですが
「空力性能の為には、窓が開かないくらいは気にするな」
くらいに思っていたのでしょうかね?いずれにしても大企業の量産車ならば考え難いことでしょう。
>その逆に外見を変化させる為の中身の進化という例は無いでしょうから
「このデザインを成立させるために、何とかしてくれ」ならありそうです。
1957年モデルのクライスラー社ラインナップ
ギア-エクスナーの低車高デザインを成立させるためにトーションバーを採用しました。
空調ユニット
昔はエンジンルームにありましたが、空調の重要度アップとAピラーを寝かせたいという
デザイン上の要求があいまって、室内にユニットが組まれるようになりました。
>>163 リトラクタブルヘッドライトは、ある意味「外見を変化させる為の中身の進化」の一例と言えるでしょう。
リトラクタブルと言えば。実は昨日書き込んでいる間、頭の中にコード810/812が有って。
http://dev.motorcarportfolio.net/customer_images/36%20cord%20rght%20frt.jpg この車や、それ以前にコードが発表したL29などは、低い姿勢を実現する為に前輪駆動を採用したと
推測されているようです。(この言い方には納得行かぬところも有りますが、それはまた別の話)
ところが、このコード810/812。走らせた感想が書かれたモノを見るとあまり芳しい事は書かれておらず。
例えば手許にあるSCG07の記事では
「この車の存在意義は、その美しい姿に有り。それ以上ではない」などと書かれています。
やはり見た目の為に中身が有るような車ってのは、その程度でしかないのか?と思い
また、こうした姿勢の車を流行らせる為に前輪駆動が世界中で一般化する事も無かったことから
“外見を変化させる為の中身の進化という例は無い”と考えました。
しかしそうした事とは別に、この車の形は歴史の中で高く評価されていますし、
私もこの形は大変美しいと思います。
その意味ではデザインが技術に先行することが必ずしもいけない事とは言えないとも思います。
理屈っぽい話でしたが(性分でして w)
昨日書いたような、職業的デザイナーの手が入っていない車と言えば、レースカーなんかは殆どがそうでしょう。
その大半は設計技術者が外形まで手掛けた物の筈。
そしてこちらにも車好きなアマチュアがデザインをしたとされる車ってのは有るようです。
前スレで話に出たアメリカの大富豪ランス・リヴェントロウさんの作ったスカラブ
http://files.conceptcarz.com/img/Scarab/58_Scarab_Sports_Racer_DV-05_Amelia_07.jpg このデザインはチャールズ・ペリーさんという熱心な若者のスケッチから生まれたとされています。
ダウンフォースなどという考えが生まれる以前の事とは言え、
リヴェントロウさん自身に効率的なボディー形状という概念が無かったことから生まれたものでしょうか。
アマチュアデザインの悲しさか、この形はリフトが酷く大きく。現代の所有者さんが言うには
270km/h程度では操縦不能となるそうです(怖
「こんなに格好が良いのだから、それくらい気にしない」とは、まさか思わなかったでしょうが(w
昨日書いた事のついでっつうか。
昔の車について触れられた本などでは、前輪駆動車について
「前輪駆動がもたらす低い姿勢」とか書かれているのを見かけますけど、
この言い方にはちょっと引っ掛かる所も有り。
左右前輪の間にデフが置かれる都合上、前輪独立懸架(ド・ディオンという手も有りますが)を採用せざるを得ず
またエンジン、ギアボックス、デフが互いに接近した位置に置かれて長いプロペラシャフトを持たぬ故に
エンジンの出力軸を車軸中心高から大きく変える事は出来ない為に
前輪駆動車は左右前輪の間にその動力系統をまとめて落とし込む必要が有り、
故に低い姿勢とならざるを得なくなると言う方が正確ではないでしょうか。
つまり、前輪駆動にすることで低い姿勢が可能となるような言い方はちょっと違うのではないかと。
勿論プロペラシャフトが無い為に客室床はフラットに出来ますが、
モノコックを同時に採用した34年のシトローエン“トラクション・アヴァン”ではこのメリットを最大限に生かせても
セパレートフレームを持つ同時代のアメリカ車コード810/812のような構造では
その分、床を高くする必要がありますから客室部分の高さは後輪駆動車と変わりなくしか出来ぬ筈。
広く知られるように、前輪駆動はシトローエンの発明ではなく。
量産車に限っても前例はかなりの数が存在しますが、それでも“トラクション・アヴァン”と呼ばれて
前輪駆動型を普及させた始祖のように扱われるのはシトローエンのみ。
シトローエン自身もこの革新的なモデルを作り上げた事を今でも誇りとしているようです。
それに対して、フロントエンジンの後輪駆動車には欠かせないプロペラシャフトを発明し、
長く使う内には必ず伸びるチェーンにとって代えたルノーはと言うと、
今ではそうしたレイアウトの乗用車を作っていないことからその発明者である事を宣伝する機会も無し。
歴史を大事にするのもフランス人ならば、そのしがらみをすっぱり捨てて効率重視を徹底してしまう
そんなドライさを持ち合わせているのもまたフランス人の特性なのでしょうか。
168 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/09/08(月) 05:49:20 ID:5Wim0bUQO
過分に派手な高級車をたくさん輩出したのも、戦後禁止税制でそれらの息の根を止めたのもフランス。
残った小型車のための革新的な技術がどんどん生まれていったのも彼の国。
偉い国であります。
自動車の発明以後、歴史に残る自動車技術を輩出しまくったという点で、1にフランス、2にドイツですかね。
アメリカはマスプロダクション技術とイージードライブ用のシステム、
そして「クルマを売りまくる方法」と「クルマを使いこなす方法」を考えたんじゃないでしょうか。
さすがに実利主義の国ではあります。
しかしコード810・812ですが……
たとえエンジンがライカミングの社外製であろうと、セミオート変速機がナニでアレであろうと、
ワイスジョイントがどうも信用できない完成度であろうと、
ゴードン・ビューリグのリトラクタブルライト付き棺桶スタイルで全てが帳消しにされてしまうところは凄い。
いや、同時期にはボブ・グレゴリーのデザインでもって
「中身の凡庸さはどうでもいい、とにかくこれは名車だ」と言わしめるだけの名声を勝ち得た
リンカーン・ゼファー&コンチネンタルもあるわけで
(あれだけのボディでたった130PSのSV・V12、サスが横置きリーフリジッドでまんまフォード……)
「車なんて格好良ければそれでいいじゃん」
私にはエンジンがどうの、サスペンションがどうのと矢鱈に語りたがるオタク的性分が多分に有ることは
今更否定もしようが無いのですが、一方では冒頭に書いたような単純至極な考え方もまた嫌いではありません。
つか、幾ら凝った高度な内容を持っていたとしても、形に魅かれない車は皆
「格好悪いから嫌だ」と一言で片付けてしまいます。
また、凡庸な中身でも形が良ければ全て許します。
形の良し悪しを決める基準がかなり独善であり、偏ってもいるでしょうが、
これって案外普遍的な感覚なのではないでしょうか?
さて、ロータスの初代エリートやらスカラブやら。
職業的デザイナーではなくっても格好の良い車の絵を描く事は出来るという良い見本でしょう。
しかしさすがにマッハ号のように“何処にもエンジンが積みようがない・・”なんてのは極端にしても
アマチュアのデザインっつうのは何処かで格好の為に実用性を犠牲にしている物でもあるようです。
初代エリートなんてのも、樹脂製ボディーの採用で造形の制限が少ないことから
金属板で作るとすれば手間の掛かる形も問題にならなかったという面はあるでしょうし、
スカラブに至ってはワンオフのレーシングカーでしたから、生産性なんて事は考える必要もなく
自由に出来たことがアマチュアのデザインを採用出来た大きな理由でしょう。
大体“格好の良い車の絵を描け”と言われて、四枚の扉を持つ実用サルーンの絵を描く人は少ないでしょう。
実用車を考える時には、格好の良さとかよりも実用性を第一に考えてしまうもの。
そうでなくてもクーペやロードスターは実用性を考える必要が薄い車種であります。
職業的なデザイナーさんの存在意義をそこに限定するつもりはありませんが、
実用車をちゃんと実用的にデザインして美しく見せられるってのはプロの資格の一つではないでしょうか。
そんな事から、代表作がクーペスタイルにほぼ限定されるレイモンド・ロウイさんのような人は
こと自動車デザインに関する限りは良い意味でのアマチュア的な方であって
それ故に新鮮な視点から戦後の新しい形を構築出来たのではないかと思います。
あんまり理屈っぽい話ばかり続くのもナンですので、先日も触れた模型雑誌に書いてあった事で
ちょっと気になったことなど。
レイモンド・ローウィさん(この表記の方が圧倒的に多数派のようですね)がシェル石油のロゴマークを
デザインした事は良く知られているようですが、現在良くあるガソリンスタンドのレイアウト
給油ポンプを幾つか敷地内に点在させて、平たい屋根で覆うという物。
これは70年代にローウィさんが考案されたものがパターン化して定着した物だと書かれていましたが
そっちの方は全く初耳でした。
・・それ以前のガソリンスタンドって、どんなでしたっけ?
今もポンプ2つくらいの小規模なスタンドでは屋根も無い、なんとなく垢抜けない所も有りますけど
何処も皆、あんな感じだったのか。あんまり記憶に無いです。
ガソリンスタンドと言えば、不思議に感じるのが自動車黎明期の給油事情。
例えば、かのカール・ベンツさんの奥さんベルタさんが夫の発明品の優秀性を証明しようと
二人の息子さんと共に行った“史上初の長距離ドライブ”(1888年)の事について書かれた記事など見ると
“当時、ガソリンスタンド等は当然無く、ガソリンは薬局でベンジンとして売られているのを買うしかなかった”
とか、書かれています。
まぁ、そんな物かと読み過すところですが。ベンジンってしみ抜きとかに使う程度の物でしょう?
いきなり街の薬局で「ベンジン10リットルくださいな」とか言ったら変に思われなかったでしょうか?
つか、そんなに在庫として置かれていたのかも疑問・・。
20世紀初頭迄、ガソリンエンジン車が蒸気機関車やら電気自動車に対して決定的な差をつけられなかったのは
こうしたインフラの問題も大きかったのでしょうか。
当時の電気自動車とかは、航続距離も短くて充電にも時間が掛かる代物だった事は間違い無いのですが
行った先での燃料補給が確実に行える保証も無かったガソリンエンジン車には、
そうした電気自動車の弱点を確実に補って差をつける事が出来なかったのかも。
幾ら性能的には優れていても、それを生かすだけのインフラが整備されていなければ
それを誇示する事も出来なかったと思うのです。
Shellに限らず、ローウィさんの仕事は『レイモンド・ローウィ事務所の仕事』なので
どのあたりまで彼の色が出ているのか、時折疑問を抱くことも。
(Shellを請け負ったのはロンドン事務所ですた)
>20世紀初頭迄、ガソリンエンジン車が蒸気機関車やら電気自動車に対して決定的な差を
>つけられなかったのはこうしたインフラの問題も大きかったのでしょうか。
20世紀初頭、電気自動車が強かったのはアメリカの都市部だったと思いますが、主要客層は
女性、あとタクシー。
「クランク始動しなくてもいい」「ギヤチェンジ不要」「静かで臭くない」
当時のガソリン車で得られない利点は、特に女性にアピールしたようです。
>>172 勿論、電気自動車には電気自動車なりの良さが有ったことが、それなりに普及した最も大きな要因でしょうが、
ガソリン車に“航続距離が長い”“燃料補給が素早く出来る”
というメリットを生かせるだけのインフラが整備される以前には
欠点も目立たなかったであろうと思ったのです。
ところで、私が好きな「長距離走者の孤独」で知られるイギリスの作家アラン・シリトーの作品などを読むと
“不良少年が小銭目当てにガスメーターをこじ開ける”という文が出て来ます。
このガスメーターって物、私も実物を見た事が有る訳ではないのであんまり詳しい事は知りませんが。
ガス灯が未だ一般的だった頃、そこに石炭ガスを供給するガス管の中途に小売用のコイン式メーターが有り
家事に使用する熱源を、主婦等がそこから買っていたようです。
で、以前書いた話とちょっと重複しますが
かつて、悪名高き赤旗令の廃止直後の頃。ダンクレー(Dunkley)っていう自動車メーカーがそれに目を付け
石炭ガス仕様のエンジンを開発。ガス灯の有る所ならば、ガスメーターを用いての燃料補給可能とし、
既に存在したインフラを有効活用してガス欠の心配の少ない車を作ったそうです。
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12332.jpg これ、良いと思うんですけどねぇ・・全く売れなかったとか・・。
現代のLPG仕様車のように、液状で補給するとか高圧に蓄えるとかは出来なかった為に
“一度あたりにほんのちょっとしか補給出来なかった”みたいな不具合でも有ったのでしょうか?
それとも、当時の自販機技術ですから限られた種類の硬貨しか使えず、
“何時でも小銭の心配していないといけない”みたいなことでも有ったのか・・?(w
この形で大失敗した、このダンクレーってメーカー。その後もいろんなキワモノめいた車ばかり作り、
エンジン乳母車なんて代物を最後に1924年に倒産・消滅しているそうです(ヤケでも起こしたんですかね?)
それでもなんだかんだと1896年創業以来、四半世紀は続いたようですが。
自動車史家の折口透さんは、その著書の中で「よく、こんなメーカーがこれだけ続いたものだ」と
酷い事を書かれていますが。・・まぁ、そうだよなぁ・・(w
今でもドイツ語やイタリア語で「ベンジン」は、日本で言うガソリンをさしますね。
逆に「ガソリン」はいわゆるホワイトガソリン、灯油に近いものをさすそうです。
百年以上前の、石油精製技術も低い時代には「揮発成分の多い原油由来の鉱物油」を
十把ひとからげに「ガソリン」または「ベンジン」と呼んでいたのかもしれません。
>>174 そう言われてみれば、以前エロスパ氏(だったかな?)にイタリアやドイツではガソリンをベンジンと言うって
教わったことがありましたが、すっかり忘れていました。
アチラでは日本で言うところのベンジンは何て呼ぶのでしょうね?エーテルに一括りしてしまうのでしょうか。
もうちょっとこの手の話。
SCG02号に昭和初期(1930年代)に三井高公氏を始めとする、当時の自動車愛好家数名が
夏の北陸路をドライブ旅行された時の記録が載せられています。
全て未舗装路。ドライブインもガソリンスタンドも殆ど無い時代の自動車での長距離旅行ってものが
どのようなモノだったのか、その一端が窺えて大変興味深いものでありますが、
やはりガソリン補給は悩みの種だったようで、メンバーの一人だった松平康邦さんという方は
「ガソリンスタンドなど滅多に無かったので、油屋で5ガロン缶で買いました」
と、言われています。
30年代と言えば、幾ら極東・日本でも自動車そのものが珍しいという事は無かったでしょうが
タクシーやらトラックに比べるとオーナードライバーは極端に少なかった頃のこと。
長距離を自動車でドライブ旅行される方は少なかったでしょうし、
走る事以前に車そのものがお好きでなければそうした旅行はする気になれなかったでしょう。
この旅行中にも悪路に根負けしたかのように、メンバーの一人がお乗りになられていた
ライレー・ナイン・サルーンのフロント・リーフが折損するなどの故障も有り、
機械に弱い人には出来ない旅行だった事が感じ取れます。
しかし悪路ばかりだったが故に、その車本来の航続可能な距離に比べて一日に走行出来る距離は
極端に少なかった事が、燃料事情には幸いしたのでしょうか。ガス欠には陥らずに済んでいるようです。
この旅行中の平均速度は19哩/時だったそうで、大体一日の走行距離は100哩程
(英国車ばかり三台での旅行という事も有ってか、距離は全てマイル)
「高速道路ばかり走るドライブ旅行なんて退屈でしかない」なんて事を言う、今の我々のような者には
全く頭の下がる思いのする旅行記であります。
極度に多忙、明日も出社につき一言だけ。
イターリャではベンジンも同ぢくBenzinaです。
つひでにまう一言。
エソジソオイル、かのモービロイルの起源は原油を精製した残滓だったりする訳ですが
つうことは各種油を精製して残ったカス、
つうことはエソジソオイルは言はば”油カス”でせうか?www
みゅー、禁断のB落食材ですな。w
>>175 佐々木烈氏の「日本自動車発達史U」で紹介されている、明治末期の陸軍でのトラック長距離運転試験も凄まじいですよ。
フランス製ノーム・トラックで、明治41年に東京・青森間往復テスト。
クルマが壊れるのはあたりまえ、道路や橋も車重で壊れる! 大河に橋がない、田舎道が狭くてまともに走れない……
道が芭蕉の時代からあんまり変わってないのが凄い。
懲りずに明治44年、大阪の砲兵工廠でドイツ製ガッケナウ・トラックのコピーでトラックを製作してしまう
(当時、日本で一番技術力があったのは軍隊だったんですな)
これを大阪から東京まで、「 中 山 道 」経由で走らせたんですぜ。あの山あり谷あり峠ありの。
東海道は川が増水しているから中山道にする……って江戸時代そのままの理由なのがアタマイタイ。
東海道に自動車通行可能な永久橋整備が進んだのは昭和ヒトケタですから、やむを得ませんが。
ガケから落ちそうになる、山道で滑る、壊れる……15日掛かったとはいえ、東京にたどり着けたのが不思議。
「和田峠絶頂ニ於テ 明治四十四年十月二十五日午前九時三十分」と筆の入った軍人さんたちの集合写真が掲載されてますが、
中山道和田峠は、いま信号で交互通行になってる旧トンネルですら昭和8年開通です。
それ以前の高い山道を原始的トラックで越えたわけで、よくも突破したものです。
179 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/09/13(土) 05:29:50 ID:GcDNfJgOO
油かすはお好み焼きにいれたら美味い。
>>177 潤滑用オイルは揮発性が有っても困るでしょうから、揮発油精製した後の残留物から作っても良いのでしょう。
初期のそれなど、ピストン速度も知れたものでしたでしょうから要求される性能も低かったでしょうし。
ところで、関東で言うところのたぬきうどんに入れるアレ、こちらでは“天かす”って言う方が一般的。
他所では“油かす”って呼んだ方が通りは良いのでしょうかね??
>>178 軍隊さんとなれば、好きでやっているとかやりたくてやっているという訳でもないでしょうから
凄まじいことになるのでしょうね。
馬車の伝統のない日本の道路では、自動車がその地を初めて走った“車両”ってことに
なった所も多かったのでしょう。
日本の国土では、また話も違うのでしょうが、
第一次世界大戦に於いてロールス・ロイス シルヴァーゴースト改装の装甲車の活躍にうたれた
“アラビアのロレンス”がその晩年に、この世で最も欲する物を尋ねられた時に
「ロールス・ロイス シルヴァーゴースト。一生乗れるだけのタイヤをそえて」
と答えたという有名な逸話も、その当時の自動車の信頼性とか道路事情を察すれば理解出来る気がします。
とにかく道なき道に於いて類いない信頼性を発揮できたシルヴァーゴーストには
感動に値する物が有ったのでしょう。
ジープのように元々戦地で用いる事を念頭に作られた車などでは無かったのですから、
戦地を走り回ったシルヴァーゴーストはちょっと意味合いも異なりますが、
昔の自動車旅行は全て冒険旅行とならざるを得なかったでしょうし、それを行ったモータリストのお陰で
現代の我々が快適に走る事の出来る道路の大半は作られたと言えるのでしょう。
それらの冒険旅行の頂点と言っても良いものに、1920〜30年代に行われた
シトローエンの“黒い巡洋艦隊”や“黄色い巡洋艦隊”と呼ばれるものをはじめとする
主にフランス人達が行った数々の探検旅行があります。
いつかは書きたいと思う話ですがシトローエンのそれに限ってもあまりに膨大であり、
畏敬と言うよりも畏怖の念が湧き出て下手に語れない気がしてくるものであります。
なぜかここではなく歳バレスレにリンクされてるのが不思議ですが
油カスっつな天カスではありません。動物の内臓、
多くがホルモンとして流通するぎぅdが多ひやうですが
元々これら内臓から油脂を煮出し搾ったカスです。
今はホルモンを油で煮て作るやうですが。
で、閑話はこんなもんとしてクルマネタは股改めて。w
これから家事労働がありますんで。w
どうも、いずれにしても関東圏では馴染み薄い食材ですね。
さて。毎回脱線に次ぐ脱線で話は進み、スピンオフ形式で進行するスレとなっていますが。
シトローエン他がかつて行った探検旅行の数々については、それ自体の話はいつかその内として。
フランス人たちにとっては、それらは今でも誇りであるようで、
国立自動車博物館の映像コーナーなどでも、繰り返しその時の記録フィルムが流されるなど
彼らが自動車の歴史を語る時には欠かせない一ページになっているようです。
1922年、最初にシトローエンがサハラ砂漠を20日かけて横断したのは当時のフランス政府の要望に
応える形で行われたことであって、シトローエンの広告とかという目的は無く。
アンドレ・シトローエンさんはこの探検を行う事を自らに課せられた義務であるかのように
捉えていたそうです。
丁度その頃には軍用車等の需要から、ラバーベルトを用いた無限軌道(キャタピラー)で駆動する
“システム・ケグレス”を、その名の由来となったエンジニア アドルフ・ケグレスさんから特許を買い実用化。
こうした用途にはうってつけである事を立証するという意味も有ったのでしょう。
結果的には、これを発端とする数々の探検はシトローエンにとっては大きな宣伝効果をもたらしたようで、
サーキットでの華やかな活躍どころか、レースそのものに一切出場したことすらもないシトローエンにとっての
最も華々しい歴史とも言える筈。
しかし、これら単純に成功とか不成功と言うのはどんな物かとも思います。
最大規模で行われたユーラシア大陸横断“黄色い巡洋艦隊”に於いて、シトローエンは
猪突猛進型の経営者、アンドレを説得出来る唯一の存在と言われた重役マリー・アールトさんを失っています。
シトローエンのこうした探検旅行は1934年7月1日から18日間かけて行われた北極圏探検
通称“白い巡洋艦隊”で一応の終わりを迎えていますが、その一週間後の7月25日には破産の危機に面した
アンドレの求めに応じて、会社はミシュラン家からの査察を受けています。
その時、既にシトローエンの主力は“システム・ケグレス”には適さない前輪駆動車へと変っていました。
アテクシ的には
>>178氏のお話がぢつに興味深く、ある種痛快であるます。
馬車の文化つうのか文明つうのかがあり、それは古くはグレーチャ・ローマも時代から
軍用道路として主要街道が整備され、
往々にして今の幹線道路さへそれを踏襲してたりする欧州とは異なり
膝クリ毛が主要な交通手段だった本朝にいきなり欧州文明の最先端持ち込んだ情景。
思へばそれが終戦後まで日本中に残ってゐた筈で、現在のどこへ行っても舗装路があるのは
高度成長期以降の話と思ふのです。ぃあアテクシ5〜6歳の頃なんてちょっと郊外行くと
(まぁ県庁所在地の繁華街のど真ん中に巣食ってたにしても所詮トーホグw)
未舗装路のはうが多ひくらいだった記憶もありますし。
モータリゼーションっつなクルマヲタ的にはつひクルマばかりに目が行きがちですが
道路つうインフラ無くして語りやうが無ひのは言を待ちますまひ。
ツトローエソしかなひならどこでも巡洋艦隊でEのでせうが。w
道無き道を逝く、或ひは膝クリ毛用道路に無理矢理トラック押し込む、
そのこと自体の凄みは敬服に値しますと共に、やはりそれは無理だつうことが
インフラ整備を促進させたことは間違ひありますまひ。
そして高度成長期まで道路整備が遅れたままで済んでゐたつうのは
戦前の日本では国内の物資輸送の主力はクルマではなく鉄道であった、
軍事物資のロジスティックでさへそれで事足りてたつうことなんでせうかね?
はっきり言って、そうです。
日本の鉄道の場合、東海道線などを除いた国内基幹交通の整備は民間にどんどんやらせておいて、
1908年の鉄道国有化でもって丸取りし、以後大正中期までに大体の幹線は整備されてます。
1935年、土讃線が大歩危小歩危をぶち抜けて高知まで通じ、沖縄以外の県庁所在地すべてが鉄道ネットワークに収まってますが、
それを除けば昭和以後開通は、上越線清水トンネルや東海道線丹那トンネルに象徴される大規模バイパスルート建設、
または利益誘導の我田引鉄ローカル線建設がほとんどです。最後の仕上げは昭和17年の関門トンネル開通です。
でもそれまでの間は沿岸航路がありましたんで、鉄道未開通の地域でも海沿いならそちらでカバーできた。
国防面から言うと、沿岸航路で何とかなる部分が結構あったのも確かです。国内だと外敵に備えればいいわけで。
鉄道は大正時代には幹線で最大85km/h〜95km/h許容、
また大正14年の自動連結器標準化と、その後の昭和6年までに整備された自動空気ブレーキの標準装備化で、
技術的には幹線での1200トン牽引が可能になってます。
自動車は輸入か、フォード、シボレーのノックダウンばかり、
耐久性で満足できるレベルにやっとこ達したのが昭和5、6年のスミダトラック、それに続く「いすゞ」あたりですが、
あくまで鉄道の補助としての、トラックとバスの国産化に過ぎない。期待するほどには量産も効かず、値段も下がらなかった。
無論自動車交通への認識がなかったわけではなく、大正末から昭和初めにかけて
主要道路はある程度拡幅され、長大橋や峠のトンネルが作られましたが、しょせん自動車普及が始まった頃の不十分なモノで、
橋は東京・大阪の市街橋を除くと、昭和末期ともなれば大型トラック2台がすれ違えるかどうか、の窮屈な作り、
トンネルはすれ違いも出来ない1.5車線トンネル多数で通過標高も高すぎ、高度成長期にバイパスでの掘り直しを余儀なくされてます。
>>182 > サーキットでの華やかな活躍どころか、レースそのものに一切出場したことすらもないシトローエンにとっての
> 最も華々しい歴史とも言える筈。
ルノーはF1GPレースとル・マン24時間レースに出場してどちらも成功を収めましたし、プジョーもF1GPで
優勝は出来なかったとは言えル・マン24時間レースでは成功を収めました。
ルノー、プジョーと並ぶフランス3大自動車メーカーのシトロエンが、レースに一切出場したことがないのは
実に不思議です。もっとも、近年はWRCで大成功を収めていますが。
>>185 世の中の事、全てそんなに簡単に言い切れるものではないのは承知の上ですが、
敢えて簡単に理由を付けるのであれば、それは創業者アンドレ・シトローエンの考えに基くと言えるのでしょう。
“自動車は距離や空間を時間をもって征服する機械である”というアンドレ・シトローエンの考え方からすれば
数時間から、せいぜい一日程度の瞬発力を限られたコースの中で競うレース競技は興味の対象外だったようで、
数々の探検旅行や“レコードブレーカー・ロザリー”による耐久記録挑戦。
そして大衆車でありながらも高価格な高級車に劣らぬ長距離巡航性能を目指した革新的なモデル
“トラクション・アヴァン”の開発などは全てこの考えの延長で説明出来るものと思われます。
自社製品にスポーティーなイメージを付加する事も嫌ったと言われるアンドレ・シトローエンは
“ロザリー”の名が付けられた一連のレコードブレーカーによる速度記録挑戦にも
当初は乗り気では無かったと言われています。
自動車は遠くへ走る道具であり、個人レベルでの移動の自由の象徴であるならば
同じ所をグルグルと回って作る記録には価値を見い出せなかったのでしょう。
彼が記録挑戦に乗り気になったのは、それが予想外の反響を呼んだことを知り、
耐久ランへと趣旨を変えてからの事だったそうです。
で、戦前の日本に話は移りますが。鉄道網の発達に対して極端に道路インフラの整備が遅れ、
我々のような庶民層にとっては自動車とはタクシーでしかなかった事は、
当時の日本にはアンドレ・シトローエンのように自動車の役割について確たる理想を持つ人が存在しなかった。
そうした事と無縁ではないと考えます。
タクシーとは結局は近距離の交通手段で、一つの都市内をカバー出来れば良いものであり
都市間交通は鉄道に頼れば良いというのが当時の一般的な考えだったのでしょう。
それは個人レベルでの移動の自由を象徴すると言う、自動車の存在意義が理解されていなかった事でもあり
(タクシーやトラックからは自由を感じられないものです)
また、シトローエンが目指した“移動することの悦楽”は一般には未だに理解されていないとも思うのです。
今夜もささっとだけ。
”個”の確立が日本と欧州では異なるのです。
”個”の意識が今の今でも異なります。
だから日本国内のクルマに対する需要の多くが”より自由に、より遠くに”ではなく
ご近所用移動室内になるのです。
>>186 > 自社製品にスポーティーなイメージを付加する事も嫌ったと言われるアンドレ・シトローエンは
ルノーには「ルノースポール」、プジョーには「GTi」や「S16」のように、ルノーとプジョーは
スポーティーなイメージを付加したモデルを数多く発売していますが、シトロエンはスポーティー
なイメージを付加したモデルを発売したことが無いですね。SMにはスポーティーなイメージを付加
しても良かったと思いますが、アンドレ・シトロエンが許さなかったのでしょうね。
>>188 SMはアンドレの死後もかなり後のモデルですが、そうした一面は有るかも知れません。
この話は長くなるので、少し整理して改めてやりたいと思います。
>>187 ささっと片付け過ぎです(w
私も似たような事を考えていましたが、そうでない方には“だから”の一言で片付けられても、
その前後がどう関わり繋がるのか、訳がワカランのではないでしょうか(w
思うに。他の者に運転を任せる交通手段とでは比較にならない程に、自動車を運転しての移動は
自ら判断を下す機会が多くなります。
自らが判断をする機会が多いということは、他人任せで済む事が減る事であって
他人に責任を取って貰える事も減る訳ですから当然自らが責任を負う事が多くなるということでもあり、
それが即ち“個の確立”にも繋がることでもあります。
日本人には、誰かに指示して貰えないと何も出来ないっつうか、指示が無いと不安に感じるという
特性が存在するように思える節が多く有ります。
交差点一つ取っても(例えそれが作られた場所の都合とかが大きいとしても)
自らが判断して行動しないと何も始まらないロータリー式は少なく、
機械に“指示をして貰える”信号式が殆どなのは、そうした事の表れの一つと考えます。
そうした個の意識の未熟さ故に、自らが判断を下して行動する場所は
必要以上のことを考えずに済む慣れ親しんだ範囲に限られる人が殆どとなり、
自動車は移動の自由の象徴という輝きを失い近距離専用の生活道具に用途を限定されるのでしょうか。
そうしたユーザーに対してはメーカーも近距離での使い走りを最優先する作り方をするようになり
長時間の使用には乗る側が耐えられないけれど、乗り降りは容易な小振りのシートをはじめとする
チョイ乗り専用車を用意するようになるのでしょう。
自動車で長距離を移動する事はそれ自体が愉悦に成り得るものですが、
多くの日本人はそうは思ってはいないように感じます。それは上に書いた個の意識の未熟さでも有り、
また移動する事を愉悦と感じさせられない日本車メーカーの演出の未熟さも有ると思います。
>>189 > そうしたユーザーに対してはメーカーも近距離での使い走りを最優先する作り方をするようになり
> 長時間の使用には乗る側が耐えられないけれど、乗り降りは容易な小振りのシートをはじめとする
> チョイ乗り専用車を用意するようになるのでしょう。
もうすぐトヨタが発売するiQのことですね。
>>189 逝ってるさん、クルマからそこまで逆算して文化論を展開させるのは特大痔並に無理があるんではないかと
それに、移動が手段でなく目的となることは、資源枯渇と環境破壊が顕在化している今、もはや正義ではあり得ないと思うのです。
できれば移動せずに済ませたい、けれどちょっとは動かざるを得ない。だから短距離用の経済車に乗る。
こういうユーザーはクルマのために生活しているのではないし、これに対応するメーカーの姿勢は、一概に批判できないと思います。
しかし、移動を目的にしてしまうということは、ある意味タブーだからこそ楽しいのかも知れません。
>>190 そういう訳では無いです(w
増加した重量故に高速巡航での燃料消費率は芳しくない、現代の軽自動車などは
否定的な意味に於いてのシティ・コミューターなのかも知れぬと思う事は有りますが。
>>191 揚げ足を取るように思われるかもしれませんが、自動車で行く必要の無い近距離には自動車は使わない
そういう考え方もまたアリなのではないでしょうか。
今更こう言うのも無理が有ると思われるでしょうが、昨日の書き込みから何を感じ取られても
私は日本人的なるものを、一概に悪いとも良いとも思っているという事は無いのであります。
しかしそれを行使する、しないは別として。移動に限らず人は自由であるべきで
“自由を求める事の自由”については際限はあってはならないと思うのです。
また今の日本のように「車を買う事は産業や経済の活性化の為に良い事でも、それを走らせる事は良くない事」
であるかのように、世界的に見て自国製乗用車を安価に入手出来る事では屈指の国でありながらも
燃料に掛けられた高い税金や高い道路通行費などで、それを走らせるにはこれまた世界でも屈指の
高価なコストが掛かる現状は良しとは思いません。
手許に有る本で「空力とカーデザイン」というのが有るのですが、
元国産車メーカーのカーデザイナーさんが書かれたこの本、
中身は気楽に読まれるような平易な内容なのですがとりとめの無い雑談的な事が殆どで
あまり得られるものは無いと言うか“結局何が書きたかったのだろう”と思うような本でもあり。
(他人のことは言えた義理でもないですけど、私はこれ書いて一円にもなってないのでその点は異なります w)
ただ最後の方で自動車の最終的な目標とは全自動化であり操縦要らずになる事としていることは
印象に残ります
表題である空力もカーデザインも関係無い唐突な結論ですが。それ、電話でタクシー呼ぶのとどう違うのでしょ?
「ジェットコースターには操縦の楽しみは無いが、それでも乗る楽しみが有る」みたいなことも書かれていますが
車好きが手にする本に書く内容としては、挑戦的とも思います。
こういう人がいた日本車メーカーが目指した物は、移動の自由の象徴とは成り得ないことでしょう。
私はジェットコースターは退屈と感じる者でもあります。
>>192 > VTSをしらないの?
確かに「VTS」はスポーティーなイメージを付加したモデルですね。ちなみに「VTR」もそうです。
アンドレの死後から相当な年数が経ち、近年のシトロエンは躊躇なくスポーティーなイメージを付加
したモデルを発売しているのでしょう。
そう言えば、現在のハイドラクティブ・サスペンションには「スポーツ」モードへの切替スイッチが
付いていますが、これもスポーティーなイメージを付加するためですね。
何をもって“スポーティー”と呼ぶかなんでしょうが、
BXの頃にも16valveとか“Sport”なんてグレードはありましたし、GSの頃にも高性能版はありました。
DSやCXはラリーで活躍しましたし、アンドレの時代から圧縮比を高めるなどしたこう性能版は有ったようです。
ただ、GPレースに出場するような車とか、ルノー・スポールの名を冠した一連のスポーツカー、
またアルピーヌのような車をシトローエンが出した事は無いことは確かでしょう
さて、昨日・一昨日と後で読み返してみたら意味不明なところも多い駄文(毎度?w)でしたけど
何度か書いているように、私自身(私名義ではありませんけど)単に楽をする為だけの道具として
小型のトヨタ車も手許に置いていて、有ればそれなりに便利である事も実感しています。
ただ“これに乗れば何時でも好きな時に何処にでも行ける”って気はして来ない。
乗っていてワクワクする事が無いってのも確かで、その分、愛着も湧かない車かも知れません。
また、シトローエンについては幾らでも書きたくなるのですが、
もう一台の、その近所専用車については、何か語れと言われたら正直言って困るようなところもあります。
で、もうちょっとだけこの線で。
少し前に、知人の一人がモデルチェンジして間もないクラウンを買われて、少しだけ乗せていただく機会が有り。
運転した訳ではないので、乗り心地に限った事しか書けませんが、
以前のクラウンとは結構異なりソフトながらもちゃんとフラット感も有る、中々良い印象を受けました。
「なんだか、道路が良くなったみたいに錯覚しそうですねぇ」と言ったのも正直な感想。
しかし、これって実はちょっと問題でもあるかも。
以前試乗したシトローエンC6は走り出した瞬間に「これは凄い!」って思わず口から出たのですが
それとは全く違い、車が良いのか道路が良いのか、本当に判らなくて、乗っていて楽しいと感じません。
良い事は良いのですが、良さの演出が下手なのではないかと思う次第。
一昨日、189の最後に書いた事はこの辺から思ったことでもあります
しかしC6もクラウンも印象を言葉にすれば両方とも”ソフトでフラット”としか言いようもないのですが
受ける印象は全く異なるもの。
乗り心地の話だけ取っても、結構奥は深いものです。
>>195 > 何をもって“スポーティー”と呼ぶかなんでしょうが、
スポーツカー用のエンジンを搭載した車が、必ずしもスポーティーな車とは限りませんよね。
SMはマセラティ・メラク用の4カムV6エンジンを搭載しているにもかかわらず、スポーティーな
イメージが全然無いですから。
メーカー自身がスポーティーなイメージを付加した車を作ったつもりでも、ユーザーがその車に
対してスポーティーなイメージを感じない車もあります。BXの「16valve」や「Sport」などは
スポーティーなイメージをあまり感じません。
シトロエンはスポーティーなイメージを付加した車を作るのがが下手なのかも知れませんね。
作るのがが下手→作るのが下手orz
200km/h出るとかでないとか、カーブをぎゅんぎゅん曲がれるとかより、
定員満載&ラゲッジ満杯で130km/h維持したまま、何時間でも淡々と安定した巡航を続けることができ、
しかも疲労が少なく、燃費も良好、という方がシトロエンらしいですよね。
その点ではCXのディーゼルなんか条件に当てはまるのかな?w
私は以前、小型のシトローエン(その時はサクソ)をレンタルして500km以上を移動した事も有りますが。
昼食の休憩も含めて4時間程で一気に走り切り、全く疲労を感じさせない、
また走る事それ自体が楽しい事は大変印象的であり、
例え1リッター級の小型車と言えども、そういう具合に使われて最も良さが出る物かと感心しました。
>>196 それこそ何をもってスポーティーと感じ、呼ぶかですが。
例えば現代のC4クーペにしても、客室・荷室ともにサルーンと遜色無い容量を確保しているそうで
容量を犠牲にして流麗な形を得ようとしている他社製のクーペとは考え方が異なるようです。
要はスポーティーな車という言葉の意味の捉え方が違うのではないでしょうか。
全てのシトローエン車に乗った事がある訳でもないので大きな事は言えませんが。
見た目には大人しいサルーンカーと左程の違いは無いように思えるシトローエンの高性能版ですが
現代のC4・VTSなどは意外に“ぎゅんぎゅんと曲がる”車でもあるようです。
またBXの16valveは結構な距離を乗ったのですが、シトローエンのイメージを覆すような威勢の良い車で
当時日本製のスポーティーなサルーンとして評価の高かった初代プリメーラ等よりも
遥かに走らせて面白い車と感じた事を記憶しています。
これらのシトローエンの美点として実用性が全く犠牲になっていない事は、容量的にも勿論ですが、
乗り心地の点でも我慢を強いられる事が無いので人を乗せる時にも躊躇しないで済みます。
また走らせるときに於いても、いたずらに足回りを固めることでクローズドコースでの
刹那的なラップタイムを向上させた車とは異なり、
そうした車では接地感が失われる恐れのあるような、路面のうねりの大きなカーブであっても、
全く気にせずにアクセルを踏んづけて行けるという良さも有ります。
ただC4の先代にあたるクサラにも存在したVTSだけはこの限りではなかったようで、
容量を犠牲にしていないことはシトローエンの文法通りだったのでしょうが、
かなり固められた乗り心地で日常の使用には多少の我慢も必要だったそうです。
幾らラリーでの活躍が報じられても、こうした車はシトローエン好きには受け入れられなかったのか
あんまり売れなかったみたいで、私も乗る機会を得られませんでした。
話はアンドレ・シトローエンさんのことに戻り。
彼が尊敬していたと言うか、憧れたとされているヘンリー・フォードさんは
一応表向きは「レースの類いは嫌い」と公言していたようですが、実は内心は別にあったのではないか?
みたいな話は、このスレの前の方に書きました。
アンドレ・シトローエンさんの場合、やはりレースの類いは嫌いと言っていたようですが、
その点に於いては別にヘンリー・フォードさんの真似をしていたという訳でもなかったようです。
若き日には自ら速度記録挑戦車のステアリング(ホイールではなくティラーでしたが)を握ったり
「フォード家に生まれし男子、一度はインディアナ・ポリスでペースカーのステアリングを握るべし」
なんて言葉を残したとされるフォードさんとは異なり、アンドレさんの場合は本当に車の運転自体が
好きではなかったと言われています。
フォード社はヘンリーさん存命中には大規模なレース活動は殆ど行わなかったようですが
アメリカではレース活動があまり宣伝に有効では無かったっつうか、一定規模以上の効果は望めない事が
そうした姿勢を作っていたのだと思われます。
それに対して欧州では、レースでの成功はメーカーにとって結構な宣伝効果が有ったように思えるのですが
時はブガッティやアルファ・ロメオ等、宣伝の為にレース活動を行うと言うよりも
レース活動がしたいが為に自動車メーカーをやっているような会社が高度なレースカーで
GPレースを席捲していた頃。
四気筒SVの1,5リッター級小型車等が主力の大衆車メーカーだったシトローエンが
レース専用に生産型とは無縁の高度な機構を持つ車を開発しても得られる物は少ないと言う判断も
有ったのかも知れません。
シトローエンと広告と言えば。有名なエッフェル塔への電飾文字
http://mardelossargazos.files.wordpress.com/2007/08/tour_eiffel_citroen.jpg 他にもいろいろと、今では伝説的な宣伝広告の数々をアンドレさん自ら考案したそうで、
広告には熱心な会社だったようですが、例の探検旅行にも宣伝の意図は全く無かったとされているように。
宣伝は宣伝であり、レース活動やら何やらといった他の活動を宣伝に利用する事は潔しとしないという
そんなポリシーでも有ったかのように思えます。
201 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/09/23(火) 04:09:37 ID:iZXPKH0TO
ロールスロイス・ファントムのDHCに、ピニンファリーナのバージョン「HYPERION」が公表されましたね。
ディーラーから試乗会の招待状が届いたので新型C5ツアラーに試乗したのですが、意外にも相当
スポーティな車でした。
3リッターV6エンジンは低回転域はトルクが少なくモッサリしていますが、高回転域まで回せば
充分以上にパワフルです。
ハイドラクティブの足はSPORTモードはとても硬く感じましたが、AUTOモードに切り替えても
ほとんど柔らかくならず、もっと柔らかいSOFTモードがあったほうが良いと思いました。
シートもドイツ車かと思う程に硬い座り心地で、もっとフランス車らしいふわっとした座り心地
にしたほうが良かったです。
C5ツアラーはボディデザインはとてもシトロエンらしくて好ましいと思っていましたが、実際に
運転してみたらドイツ車のスポーツワゴンのようで、正直ガッカリしました。
日本仕様よりも本国仕様のC5ツアラーはもっとフランス車らしいのかも知れませんが。
直4モデルの方が優しい乗り心地かもしれませんね。
発売中のCG誌にも、そのような事が書かれていましたが、
乗り心地は距離を重ねる事で変化するかも知れません。
昔の機械式ハイドロニューマティックに慣れた私のような者の場合、他のどんな車に乗っても感じるのが
ブレーキペダルの違和感。
今のハイドラクティブは電子制御できめ細かくダンピングレート等を変化させる為に
ブレーキの油圧を別系統にしていますが(昔のハイドロではリアの油圧と共有の為に、ブレーキを踏むと
油圧が変化することが制御系に誤解を与える為だと思います)
普通のペダルフィールってのが、ハイドロニューマティック特有の硬いモノ踏んづけるみたいな
ブレーキペダルに慣れた私には却って変な感じに思えるのです。
昨日の話の続き。
今ではそうした方は少ないと思われるのですが、昔は自動車レースと言うと事故も多く
死傷者が出る事も少なくなった為にレースと聞くとそっちを連想し、レース嫌いと言う方も多かったみたいです。
以前このスレにも書いた、今年の初めに近所の古本屋閉店セールで安く入手した(w
朝日新聞社刊“栄光の自動車レース”って本の中でも
(この本はアメリカの話中心ですが)自動車の黎明期が終わった頃、各地で
“既にレースは技術向上の為という目的を果たしたと思われ、これ以上危険な行為を続けさせる意味は無い”
といった旨の発言をし、自動車レースそのものを禁止すべきではないかと言う人が存在したことに
触れられています。
想像ですが、ヘンリー・フォードさん辺りがレース嫌いを公言するようになったのは、こうした事とも
無縁では無かったのではないでしょうか。
自動車が飽くまで生活道具であったアメリカに於いてはレースがメーカーの宣伝広告に果たす役割よりも
死傷者が出たときのマイナスなイメージの方が大きいと判断され、それが大メーカーに
直接レースと関わることへ二の足を踏ませたとも考えられます。
勿論、レースから安全装備の数々も生まれ、自動車の安全性は高められたという側面もあり、
今ではそういう事も昔よりは一般へも認知されていると思いますが、
それも事故や怪我人が少なくなってこそのことでしょう。
>>200 > 自動車が飽くまで生活道具であったアメリカに於いてはレースがメーカーの宣伝広告に果たす役割よりも
> 死傷者が出たときのマイナスなイメージの方が大きいと判断され、それが大メーカーに
> 直接レースと関わることへ二の足を踏ませたとも考えられます。
現在のアメリカと欧州のレース事情を見ると、アメリカはIRLやNASCARなど主にオーバルコースで
行うレースが主流です。平均速度はインディカーだと350km/hを超えているので、アクシデントが
発生した場合に死亡する可能性が非常に高いです。
それに対して欧州は、平均速度が低くて安全なサーキットコースで行うレースが主流で、F1GPの場合
高速サーキットにシケインを設けるなど安全対策を進めていて、平均速度はモンツァでさえ210km/h
ほどです。
F1GPでは1994年以来、死亡事故は発生していませんが、IRLやNASCARでは21世紀に入ってからも
死亡事故が発生しています。
アメリカと欧州を比べると、アメリカ人は危険なレースを好んでいるように思えます。
>>206 昨日書いたその辺りの事は主に一世紀も前の話であって、例えば第一回インディーの覇者マーモンも
それを販売に結び付ける事は出来ませんでしたし、
有名なレーサーだったというルイ・シヴォレーの名を頂いたシヴォレーもある程度の規模になってからは
レースとは間を置いているように
昔のアメリカではレースでの名声が宣伝に及ぼす効果はかなり限定されていたと思えるのです。
勿論、60年代にフォードがスポーティーなイメージを高める為に世界中のレースに本格的に取り組み
かなりの効果をあげた事から判るように、現代ではそれもかなり変って来ていると考えますが。
>>205 相変わらずお忙しいようで。
そこで触れられているフラミニオ・ベルトーニさんについては、その存命中にはシトローエン社自身が
あまりデザイナー名などを公にする事が無かったことも有って
我々のような一般のシトローエン好きに知られている事は決して多くはありません。
また、彼がシトローエンと関わった時代にはシトローエンのモデルライフはとにかく長かった事も有って
作品の数自体は意外に少ないのですが、その少ない作品のどれもが伝説的なものばかりでもあり
そうした事がまた彼を神格化しているように思います。
ですから、今月からCG誌上で始まった連載記事・ベルトーニさんの伝記は大変興味深いものであります。
ところで、もしも自動車デザイナーをエンジニア/技術者型とアーティスト/芸術家型とに大別するならば。
本職技術者でありながらも外形デザインまで手がけたと言われるダンテ・ジアコーザさんとか
フェルディナンド・ポルシェさん、またレーシングカー・デザイナーの多くは前者に属し、
彫刻家としても大家と広く認められていたとされるフラミニオ・ベルトーニさん辺りは
後者の代表のように思えるでしょう(でしょ??)
ですが、ベルトーニさんの作品をよく見れば、意外にそうとも言えないように思えてきます。
形状それ自体は天衣無縫と思えても、実は結構その車の機能的な特徴を巧みに表現しているようでもあり。
また、ベルトーニさんの思い描く形を実車に出来たのも、アンドレ・ルフェーブルさん率いる
シトローエンの技術陣だけだったとも思えます。
>>208 > 形状それ自体は天衣無縫と思えても、実は結構その車の機能的な特徴を巧みに表現しているようでもあり。
確かにその通りだと思います。フラミニオ・ベルトーニもそうですが、彼の後継者のロベール・オプロンも
また然りでしょう。GSやCXのボディデザインは、DSやAMI6と同じように天衣無縫でありながら、前衛的
というシトロエンのブランドイメージを決定付けた傑作です。
ただロベール・オプロンの後、80年代のベルトーネが手掛けたモデル以降はシトロエンのブランドイメージ
を更に確立するどころか、むしろ平凡なものにしてしまったように思えます。
シトロエンとしては「ライバルのプジョーがピニンファリーナなら、こちらはベルトーネだ」という安易な
考えだったのかも知れませんが、デザインを依頼されたベルトーネのマルチェロ・ガンディーニにしてみれば
彼の得意なスーパーカーとは対極の、ただの実用セダンのデザインに些か手抜きをした可能性は有り得ます。
BXの直線と平面だけで構成された折り紙細工のようなボディデザインは、マルチェロ・ガンディーニが他の
作品で見せる冴えがほとんど感じられません。
単に直線主流だったあの時代の時流に合わせてシトロエンセダンを解釈しただけ、と
「クルマ通ぶらない、下手にうがって格好つけて見せない」、当たり前の解釈をしてみよう
ってーか、いったい我々に自動車デザインの本質の何がわかるというのか!
ガンディーニ、アテクシぢつは彼の最高傑作は一連のランボル・スーパーカーでも
モントリオールでもストラトスでもディノでもクアトロポルテでもなく
シュペール・サンクだと思ひます。至って個人的な嗜好ですが。
もちろんそこには旧5といふ伏線あってのことつうかその上でのSuper5のあの形、なのですが。
そしてさういふ過去の延長上にある、といふ意味合ひから気に入ってゐるのが
これ股BXであるます。当時直線・平面基調が流行だったかと言へばさうでも無かったかと。
そこへ身も蓋も無ひ直線と平面(つう程直線・平面でもぢつは無ひのですが)で
ツトローエソの、つうよかDSからCX・GS・SMに至る一連のデザインアイコンをちりばめて見せた、
だからこそアテクシのやうな上記一連の連中こそツトローエソでR、と思ってるやうなヤシには
VISAにあってAXに無ひものがBX(特に初期型)にはすべてある、と思はされるのです。
もちろん、もし11CVなどトラクシオン・あぼーんこそがツトローエソでRと思ふ御仁にとっては
これ股別のお話でありませう。
上記ヌーペル・チン毛やBX、共通するのはどちらもテーマとなるモチーフあっての
言はば変奏曲であるます。アテクシ思ふにガンディーニの凄みはぢつはこの変奏曲の冴へにあって
0から作るものより変奏曲に上手さが光るやうに思へるのです。
>いったい我々に自動車デザインの本質の何がわかるというのか!
まさにさうです、
だからこそ我々には本質の周囲をうろちょろする愉しみがあるのです。w
そもそもモントリオールは(ry
さて、上記変奏曲のひとつとしてクアトロポルテ(ビトゥルボ系の掉尾を飾るあれ)も
さうだと思います。あれもなかなかに宜しひですがやっぱヌーペル・チン毛には及びますまひ。
”機能が形状を決定する”、
さう来たらフィルデナント・アレグザンダー・(ブッツィ)・ポルシェでせう。
そして上記標語wはバウハウスのそれでもあります。
が、アテクシぢつはバウハウス、それ程”機能が形状を決定”しちゃゐなひと思ってるのです。
結構デザインが勝って見へる作が多く思へますし、同じことはpdにも言へると思ひます。
機能が形状を決定、それに近ひところで限り無くエンジニアに近いひデザイナーが
身も蓋も無く形を作った例としてアルファTZ系を挙げたひと思ひます。
TZ1こそストラダーレがありますがTZ2は純レーサー、TZ1すら基本はレーサー、
コルサ・スペチャーレであるます。”Z”ザガートの手になるとは言へ
これらTZどもはデザインつうよか競技の道具の中身に合目的的な皮を被せたに過ぎません。
エルコレ・スパーダはデザインといふより単に包皮を中身に合はせ被せただけに思へるのです。
それは一連のZの付くアルファやランチャと比較したら一目瞭然と思ひます。
いろんな話が錯綜しているようですが、とりあえず自分で書きかけた
フラミニオ・ベルトーニさんと、彼の代表作DSのこと。
私がベルトーニさんのデザインがDSの機能や構造を巧みに表現していると思うのは、
その前衛的な中身に劣らず前衛的な造形で、見る者にその革新性を訴えたという点も勿論有りますが
もうちょっと具体的っつうか、細かい話でもあります。
例えばこのDSって車、それまでに存在した革新を自称するどの車よりも革新的でありつつ、
実はそれまでに存在した流線形を自称するどの車よりも古典的流線形(雨滴型)に近いのですが
それを可能としているのがロングホイールベースでリアのトレッドが極端に狭いという
特徴的なディメンションである事は間違いなく、それはバネ/ダンパーユニットが極めてコンパクトにまとめられ
また車軸とそれらを結ぶのが金属アームの類いではなくどんな形状も可能な液体である
ハイドロニューマティックがあって初めて出来た形だと思うのです。
また、このDSの良好な視界の源である細いピラー類や、ホイールアーチの切り欠きの無い
(ビス一本で脱着可能な)リアフェンダーパネル等は、通常のモノコック構造では困難なところで
強固なプラットフォーム上にプレス成形された骨組を溶接で構築するというスケルトン構造と
密接に結び付いている部分でしょう。
このように、DSの細部は一つ一つがその構造や機能に密接に結び付き、それを巧みに表現している辺り
フラミニオ・ベルトーニさんという方、実は大変自動車のメカニズムを深く理解されていたようで
単なる芸術家型とは一線を画す人だったようです。
勿論、こうした細かなことがDSの形状の本質ではなく、機能・構造を余すことなく表現しつつも
説明書を読むような退屈さや説教臭さとは無縁で、あたかも天衣無縫にデザインされたかに見えるのは
ベルトーニさんの器量の大きさなのでしょうか。
それにしても、DSと同時代の車の数々もその時点では最新だったのでしょうが、
前衛と言われたのはDSだけだったでしょうし。また時と共に他は当然最新ではなくなったのですが
DSは半世紀を越えて今尚、前衛であり続けているようで・・全く大した車ではあります。
あれは自動車じゃなくて、天から降ってきた女神様ですからw
某ロンドンのオークションでストラトス・ゼロが出てますなww
ああ、これはなんだ。
この物体は、はたして・・・・。
デザイン論は難しいです。
新幹線ならいざ知らず。
ただ、どいっちゅらんどの考え方を戦車に見てみれば、エロスパ氏の言うところも
わからんでもないのですが、ヤークトパンサーとマウスという成功と失敗の両極端がいるので
自分の中では宗教扱いになっております・・・・。
ストラトス・ゼーロ。登場した時には不評だったのですがね。
車に限らず他のジャンルでも言えることなのでしょうが、前衛作品って最初から前衛として生まれ
時が経過しても前衛であり続けるもの。
つまり前衛ってのはそれ自体が一つのスタイルなのであり、時が経つと共に他に追いつかれて
前衛的と見えなくなる物は初めから実は前衛ではなかったのでしょう。
また前衛であり続けながら古典と呼ばれるに値するのは、前衛的でありながらもそれ相応の完成度を持って
生まれたものだけだとも時々思うのです
ところで、先日の206さんの書き込み読んだ後で思ったのですが(我ながらいろんな事を思う奴だな w)
アメリカ人の中にはレースを娯楽として楽しむ人も一杯いるようで、
最近は欧州型のGP(F-1)レースもかなりそういう傾向を強めていますが
レースの規則も皆、見る側が楽しめる事を第一義として作られているようであります。
単純に見えるオーバルトラックでの競い合いですが、
追い抜きの回数は欧州型レースのそれとは比較にならない程多く、また観客席からコース全てが見渡せるのは
こうした形態の大きなメリットでしょう。
車の話からは脱線しますが、競馬に興味のある人ならば欧州型とアメリカ型の競馬場の形体が
これと似たような違い方をしていることは御存知でしょう。
自然の地形をそのまま利用して、山あり谷ありのコースでタフなレースが行われるのが欧州型で
小回りの楕円型コースでスピード重視のレースが行われるのがアメリカ型。
当然欧州型は観客席からはコースの一部しか見えないのが普通で、
またアメリカ型の方が同じ距離のレースでも早い勝ち時計で決着がつきます。
こういう競走を好むのはアメリカ人の気質の一部なのでしょうか。
で、ついでに日本の競馬場にも目を向けると。幾分一周の距離は長めで、多少の勾配もある楕円コースで、
一見丁度アメリカ型と欧州型との中間にあるように見えるのですが。
これがアメリカ型よりも更に早いタイムで決着のつくことも多いという特殊なコース形体。
太平洋が中心に書かれた世界地図見ていると、日本は欧州とアメリカの間にあるように錯覚しがちですが
やはり“極東”なのだと考えさせられるところ。
”勝ち時計”とか”時計が掛かる”つう言い回しは競馬やらん人には分かり難ひ鴨。
”優勝タイム””タイムが余計かかる”つうことです。
日本の競馬はシルヴァーストーンとかモンザのやうなそこそこテクニカルな高速コースでせうか?
昨今は新潟の直線競馬なんつうヌプリントレースもありますが。
それとだうも欧州競馬は斜陽、今世界で一番強ひのはアメリカ競馬でせう。
欧州式の芝コースではなくダート、それも日本の足抜け悪ひふかふか砂ダートではなく
もっと硬ひ本当のダート。で、日本の競馬も長距離レースが激減して
どれもこれも距離が短くなってきてますな。
馬券場にゐると3分か5分刻みで全国の馬券買はねばならずなかなか忙しひですが
日曜の午後4時までに詰め込めるだけレースを詰め込んで
荒稼ぎしやうといふJRAの魂胆でせうか?w
>>218 アラビアのお金持ちが欧州志向な事も有り、馬産はともかく競走馬の質は欧州が盛り返しているみたいで
欧州が斜陽っつう事も無いと感じます。
しかし凱旋門賞を見に行った事が有りますが、向こうの競馬はレース前のファンファーレも無く
また締め切り何分前なんて表示も無し。
一度は欧州では国によっては普通の(?)競馬よりも盛んと言われる繋駕競走(トロットレース)ってのも見て
馬車の歴史の無い我が国との差異について考えてみたい物(w
話はまた前に戻るようですが、書きかけにしている事に一応区切りをつけておきたいので
アンドレ・シトローエンさんは本当にレースとかスポーティーイメージが嫌いだったのか?
って辺りの事の続き。
自動車を純粋に人の移動する為の機械と考えるならば。
それを用いての競走が危険を伴う遊びに近いモノであって、人命尊重の見地からは好ましくないというのも
多くの人命がそこで失われた頃には特に有っても不思議は無い物と思います。
自動車好きで、レーシングカーやレース観戦も好きな私のような者とは相容れぬところなのですが
そういう考え方も理解出来なくもありません。
そういう人は、自動車に趣味性を求めず生活の道具と割り切って受け入れていたアメリカに多かったというのも
まぁ、話の筋としては頷けるところで、恐らくヘンリー・フォードさんなどは本来スピード好きな人だったのが
そうした人達の反感を買うような真似は避けたいと、レース嫌いを公言していたのだと推理します。
それに対してアンドレ・シトローエンさんは自分で車を運転する事も嫌ったとされていますから
恐らく本当にレース嫌いな方に属する方だったのだと思われます。
ですが、彼の残した最大の遺産と言っても良いであろう革新の“トラクション・アヴァン”が
一瞬の加速性能や最高速度では大した事はないようであっても、当時の高級・高価格な車と比肩し得る
高速巡航性能や「トラクション・アヴァンに乗れば誰もがGPレーサーのようなコーナリングが出来る」
と当時評されたような低い重心のもたらす良好なコーナリング性能を持っていたように、
高性能が嫌いという事では決して無かった筈。
要は性能の為に快適性や容量を犠牲にしたような印象を自社製品に持たれる事を嫌ったのではないでしょうか。
同時代、フランスには後にフラムボワイヤンと評された特注ボディをカロシェで架装した綺羅星のような高級車が輩出したわけですが、
トラクシオン・アバンはそんなものとは無縁だったわけです。
このクルマの本質的アキレス腱は、時代の制約で未熟とならざるを得なかったフロントのカルダンジョイントだけです。
ジョイント修理さえうまくいけば、あとは地の果てまで走り続けることのできるポテンシャルは、
1935年7月22日から翌1936年7月にかけて、当時56歳だったモンテカルロのホテル経営者フランソワ・レコの手で
1年がかりで達成されたパリ−モンテカルロ往復による耐久レコード
(1台の11CVで1年間で40万km、一日1000km以上を走り続けた)でも立証されているでしょう。
この時、ムッシュ・レコからトライアル車の提供を依頼されたシトロエン社はこれを拒絶(経営破綻の立て直し中だから無理もない)、
レコは自前で市販の11CVを購入し、ルート・ナシオナル7号を毎日果てもなく往復し続けたのです。
レコードを作れる車だ、と喝破して1年無駄にして単身40万kmを乗り潰したレコも慧眼の奇人でありますが、
それに応えた11CVも大したものです。
トラクシオン・アバンは、1934年時点ではおそらく世界の自動車の中でも最高に優れたパッケージングを備えていたと思われます。
スカットルより前のドライブトレーンを完全な一体ユニットにして、駆動系統はその中で完結。
その後は単体で剛性を保てる低床型の客室とリアサスペンションのセクションがあるだけで、双方はボルトで剛結されてるだけ。
思うにこれはまさに牽引式の単発プロペラ機と同じです。
同時代の前輪駆動車の中でも、前輪駆動の可能性を
当時の常識の枠からはみ出すギリギリまで最大限に生かし切った事例だったと思います。
もちろんこれには飛行機屋出身のアンドレ・ルフェーヴルをはじめとしたエンジニアたちの優秀さが背景にあったわけですが、
最高学府出のエンジニアとして素養を十分に持っていたアンドレ・シトロエン(金銭センスは問題だらけであったのですが)が、
この自動車の設計に置ける本質……
徹底して合理化されていて軽量で、居住性とドライバビリティを高水準で満たしながら、
ミドルクラスセダンの枠を出ない価格帯で販売できる実用的な製品であること……
を理解し、ゴーサイン(例えそれが後で自身の命取りになったとしても)を出したことは、偉大な決断であったでしょう。
車を運転しない男にそれができたことが、ある意味ちょっとした驚きでもあるのですが。
アンドレ・シトローエンさんは競馬はお好きだったのかどうかは知りませんけれど、
かなりのギャンブル好きだった事は様々な書物に書き残されています。
大体、企業経営者って仕事そのものがギャンブルだったりして、
余暇にまでは賭け事をしないって人が多いそうですが、この方は全くそうではなかったみたいです。
例のレコードブレーカー・プティ・ロザリーでの耐久走記録樹立の直後に
「一年半以内に、この記録を破ったメーカーには300万フラン進呈する」とかやらかしたのも
そうしたギャンブル好きな一面が出たのでしょうか。
その言葉に挑戦するメーカーは出なかったそうですが、
それから一年も経たぬ内にシトローエン車はモデルチェンジして、記録樹立車は旧型となり・・
アンドレさん自身も宣言した期間の終わらぬ内に、自らの名を冠した会社を手放す羽目になる始末。
思えばこの人、エコール・ポリテクニーク出身の技術屋さんだった筈なのですが
学校の中ではあまりパッとしない成績だったそうです。
自らは直接設計に手を出す事は無かったとされるのは、そんな事もあってでしょうか。
そのアンドレ・シトローエン産の最後の大博打だったかも知れぬトラクション・アヴァン開発と
資金繰りとの際どい勝負の事は以前にも触れた事がありますが、
その無理の皺寄せか、初期のトラクション・アヴァンには結構細かな不具合も多かったようです。
34年〜35年頃にかけて最小型の7の名前が7A.7B.7S.7Cと目まぐるしく変り、仕様変更されたのも
その辺の影響でしょう。
ところで、この車。アンドレ・ルフェーブルさんがヴォアザン社在籍中の31年頃に研究・開発していた車が
その母体となっているとか、また、モノコック構造開発の為に助力も求めたアメリカの鉄道車両メーカー
バッド・マニュファクチャリング社が先に前輪駆動も含めてそっくりな型の試作車を作っていたとか
様々な説があるようです。
前輪駆動もモノコックも既に存在していた事を思えば、それらの先行車も実際に存在したのかも知れません。
しかし、現実に発売して時代の常識を打ち破ってみせたのはシトローエンであり
それはアンドレ・シトローエンさんという人の存在無くしては有り得なかったことなのだと思うのです。
1919年。第一次大戦が終結した直後に発足したシトローエン社ですが、
同じ年に創業したメーカーに、イギリスのベントレーとアルヴィスが有り、翌20年にはアメリカで
デューセンバーグが創業しています。
この頃、欧州各地では第一次大戦中の軍需産業の為に拡大された工場・生産設備の維持が
切実な問題となっていたそうで、自動車産業はそれまでの高価格車を中心とした少量生産型から
大衆向きの安価な大量生産車へと否応無く方向転換するメーカーが続出。
イタリア・フィアットが最初の大衆型“ゼーロ”を発表し、ルノーやプジョー辺りも本格的に小型量産車へ
力を入れるようになったのはこの時期からのようです。
そうした最中に新規参入メーカーを起こしたシトローエンも第一次大戦中の軍需工場を維持し
労働者の雇用を確保するという意味合いが強かったのでしょうが。
欧州に於ける大衆車の市場の規模ってのがその程度のものなのか、この時点では不明瞭だった筈ですから
既に自動車メーカーを始めていた他社とは異なり、
そこ新たにに参入するという決断を下したアンドレさんの目論みはかなりな冒険っつうかギャンブルだった筈。
大戦前に彼はモール社という、当時営業不振に喘いでいたメーカーの経営立て直しに関わることで
自動車産業とも関わりを持っていたそうですが、そんな事から恐らくは
戦後の景気拡大が新たな市場を生むであろう事に確信を持っていたのでしょう。
先日
>>221さんが書かれたように、車の運転を好まぬアンドレさんがトラクション・アヴァンのような車の真価を
理解されたのは確かに不思議な気もしますが。そうして自動車産業に参入したアンドレさんには、
初めから自動車の可能性に独自の見識を持っていた筈と考えるならば、
数々の探検旅行や耐久走記録への挑戦といった行動の延長線上に
革新的な新型車開発があるのも、また必然なのかも知れないと言う気もして来ます。
それに、もしもアンドレさんが企業家としてではなく車オタク的な興味から自動車に関わる方だったならば
同時期に創業した他社のように、無難に既存の市場を狙った高価格な車を少量生産するメーカーを興し
大して特徴の無い中〜大型車で短期間の内に終焉していたのかも知れません。
1919年、シトローエンとほぼ同時に生まれたイギリスの中規模メーカー・アルヴィスは
以前にも少し触れた事が有りますが、シトローエンよりも一歩早く前輪駆動型を試みた会社でもあります。
自動車の歴史について書かれた本の多くは、メーカー毎の歩みを縦軸で切り取って見るという形の物が多く、
同じ時期に生産されていた各車を、その当時に生きていた人がしたように、
価格や試乗記等を参考として直接比較するというのは時代が古い程困難な事だと思うのですが。
このアルヴィスが1928〜30年にかけて生産した前輪駆動型について書かれた資料を見ると、
その当時の前輪駆動車が抱えていた問題の多くがよく判り、
その約5年後に生産開始されたシトローエン・トラクション・アヴァンの開発が難航した理由も
理解出来る気がして来ます。
このアルヴィスと同時期にはアメリカでもコードがL29という前輪駆動型を発表していて
何台かが日本にも輸入されていたそうですが、平坦な土地の多いアメリカで使うならともかく
日本では“急坂に弱い車”というレッテルを貼られたとか。
http://static.howstuffworks.com/gif/1929-1931-cord-l-29-1.jpg 写真で判るように、デフが車体先端に有り、前車軸以前には何も無いというレイアウトで
前輪荷重は不足気味だったのでしょう。
アルヴィス前輪駆動型も何台かが日本に輸入されていたそうで
>>175辺りで触れた北陸路ドライブ旅行で
三井高公氏が使用されたのも、この型だったそうです。
この車、昭和10年頃に東京・月島の埋立地で行われたレースにも出場したそうですが、
当時ステアリングを握ったドライバー氏の言葉によれば
「直進性は良く、低い重心からコーナリング速度は速いが、急制動の時には不安定な挙動を示した」とか。
この当時、既に前輪駆動型の得失はかなり研究が進んでいたそうで
基本的には一般向きの乗用車としては失う物よりも得る物の方が大きいと言われたとかなのですが
実際の車でそれがそのまま言えるか否かってことになるとまた話は別だったようです。
カーブに侵入する時の速度を少しでも誤ると、スロットル操作がハンドリングに及ぼす影響も
かなり唐突に、大きく出た事から“前輪駆動型は素人には扱い難い”という風評も生まれたそうです。
勝手に話は続く。
222で書いたトラクション・アヴァンの初期の不具合ってのは、
昨日書いたアルヴィス等に有ったそれとは異なり走行とは関係の無い
モノコックの壁面が時にドラミングを起こすとか錆びに弱いとかの細かなことで
(買った人にすれば大問題だったでしょうが w)
前輪駆動車のロードマナーは、この車でほぼ完成の域に達したと言っても過言では無かったようです。
アルヴィス前輪駆動型やコード等には全く触れた経験も無いので、大した事は言えませんが
トラクション・アヴァンはほんのちょっとですが経験が有り。
低速で重いステアリングや、ジェット旅客機並みに大きな回転半径ってのは問題かも知れませんが・・
オーナー氏の言葉をお借りすれば
「100km/h巡航は全く問題無いし。真夏の暑い時期でなければ、とりあえずこれで何処にでも行ける」とのこと。
未だ若かった頃のフラミニオ・ベルトーニさんのデザインは、当時の流行っつうか文法の範疇に有り
独立したフェンダーやライトは、この車の生まれた時期を感じさせますが、
中身は遥かに後の車にも匹敵する物だと思います。
このトラクション・アヴァンを出す迄は、シトローエンは欧州の量産車メーカーの中では
決して進歩的という訳では無かったと思います。
それが一気に革新へと進んだ事もあって、他が踏んだ過程を幾つも飛び越えています。
例えば、前輪の懸架方式にしても横置きリーフがアッパー(若しくはロワー)アームを兼ねる形式は
車体中央に駆動系が置かれる前輪駆動とは馴染まないことからか一度も採用していませんし
アルヴィスやコードの前輪駆動型が最初に試みた前輪をドディオンチューブに固定する形も
キャスター角等の調整が困難な事が前輪向きではないと考えられたのか、採用されていません。
また、後の話になりますが。34年のトラクション・アヴァンから55年のDSに、これまた一気の飛躍をするので
その際にもまたこうした事が起きています。例えばDSはダッシュボードに空気吐き出し口を装備した
かなり初期の例(世界初かも?)という事もあり、歴代シトローエンには開閉する三角窓を装備した車は無し。
この頃から、世間の流行とは全く関係が無いというメーカーになって行ったと思われます。
あんまりシトローエンや、そのトラクション・アヴァンについての話ばかり続くのもナンですが。
1920年代には主にドイツ辺りで前輪駆動型を理論的に研究する人が多く出たようです。
その中でも(その人自身はスイス人だったそうですが)後にカム・テールと呼ばれる、断ち落としの割りには
良好な空力特性を持つテールエンド形状の発見をしたことで一般には有名となる
ヴニバルト・カム博士という方が発表した所見はかなり前輪駆動型の得失について
運動面を含めて踏み込んだ内容だったそうです。
佐藤章三さんの著書から、そのカム博士の研究について書かれた部分を見ると
現代の我々が知る前輪駆動の特性の多くは、既にこのカム博士の研究で明らかになっているようで、
この人はまた「馬力・重量比の小さなスポーツ・レーシング型に於いては上り坂と同様に
推進力の不足を招く恐れもあり、前輪駆動向きとは言えない」とも書き、
駆動力を常に確保する為には後輪駆動型よりも大きな前輪荷重を求めて、その割合を
6:4程度かそれ以上を理想としているそうです。
アメリカでの前輪駆動車が
「馬車も馬が前から引くように、前から引っ張った方が安定が良いだろう」みたいな怪しげな理論から
(まぁ、それだけでもないでしょうけど w)主にレーシングカーで発展して来た事とは矛盾するようですが
Stop&Goに近い低速コーナーを持たないアメリカの板敷きオーバルトラックでのレースではまた話も違うので、
1900年代のクリスティーさんとかもう少し後のハリー・ミラーさんの試みもそれなりに納得出来るのですが
欧州でのGPレース界では前輪駆動が、前出のクリスティーさんの遠征や20年代のアルヴィス
50年代のパナール製フラットツインを用いた“モノミール”等
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12373.jpg かなり少ないのも当然でしょうか。
また、このカム博士は自らも前輪駆動車を試作して、その得失を世に問うていますが
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12372.jpg この写真からも判るように、駆動系は全てホイールベースの内に収まっているようで、これで本当に
自身が主張しているような前に60%以上の荷重が実現出来ていたのかは、やや怪しい気もします。
昨日貼った写真の、カム博士の前輪駆動試作車。
以前にも少し触れかけたのですが、ボディー両脇に有るステップボードのような所が
閉断面の角パイプで、そこの部分が主構造となる、言わばツインチューブ型モノコックだそうです。
っつう事は、この形式をジャガーDタイプに20年。ロータス25には30年程先駆けて
採用した車ということになるのですが。恐らく当時、そんな事は誰も気付きもしなかったでしょう。
このように、一旦発明されながらも忘れられて、後に再発明された物ってのも結構有るようで。
迂闊に“世界初のナントカ”って言葉を使うのは怖いところがあります。
カム博士の試作車に話を戻すと。
上記のような構造で、かつプロペラシャフトを持たぬ前輪駆動を採用している訳ですから
床は低くて、全体的にも低い姿勢を可能としている筈。ですが、写真を見る限りはそれ程とも感じません。
事実、この車のエンジン搭載位置はその当時の通常のセパレート型フレームを持つ車と比較しても
大して低くなく、エンジン・ギアボックスから斜めに短いシャフトが伸びてデフに動力を伝えるという
今の目で見れば、前輪駆動のメリットを帳消しにしているような不思議な構成だったようです。
前後の重量配分にしてもそうですが、この辺りは飽くまで前輪駆動型の特性を試みる為の試作車であって
それ以上の目的は持たないという考えが現れた部分でしょうか?
重心位置も含めて、前輪駆動のメリットを全て形にしなければ試作の意味も薄いと私は思うのですが、
メーカーの協力も無しに、現実に形にする苦労を思えば仕方のないところだったのかも。
このカム博士の試作車や、ヤーライ教授の流線形理論の説明に出て来るようなデッサンを見ると
何時でも思う事が有って。
商品としての魅力を考えていないのですから、ある程度は当然とも言えますが
これらの理論的な試作品ってのは何処か説教臭いっつうか、面白味の無い形であります。
売る気が無い為と言うのならばレーシングカーの類いもそうでしょうが、
純レーシングカーには、それ独特の魅力が有るものです。
とは言え・・。一種の兵器でありながら、その形の評価も高いジープも特に良い形とは思えない私は、
こうした形に対する感覚が普通の人とは多少違っているのかも知れません。
そろそろ少し話を変えて。
今日発売の“週刊少年ジャンプ”の中、“こち亀”で(いい年して下らない物読んでますが w)
「自動車やバイクを見て癒されるのは有りだけど、ミリタリー関連見て癒されるってのは
一般人から見るとドン引きですよ」みたいな台詞が有り。
それに対して「戦争とか兵器とかいう考えを超え、造形美として見ているから良い」
みたいな言い分も書かれていました。
で。昨日、丁度ジープの事にちょっと触れたばかりでしたのでそこで(また w)考えたのですが・・。
http://z.about.com/d/trucks/1/0/O/V/42_willys_mb.jpg ジープ自体は確かに良い形だとは思う私ですけれど、これがリンカーン・コンチネンタルや
ピニン・ファリーナのデザインしたチシタリア・クーペ等と共に美術館に展示される程にまで
美しい形とはちょっと思えないところもあります。
「戦争とか兵器とかいう考えを超え、造形美として」見ているつもりではあるのですが(w
ちょっと話は飛びますが、家人はオタク的な人種に一応の理解は有る方のようですが、
自動車とか飛行機くらいまでは、私が模型を弄っていても、まぁその形に気持ちってのも判らなくもないのだとか。
しかし、以前息子がコンビニで買って来た小スケールのミニチュア戦車の出来の良さを
私と二人して感心していたら、かなり引いていました。
私自身も戦車となると、その模型の出来には感心しても戦車自体にはあまり興味は無いので
その気持ちも判らなくも有りません。
子供の頃にタミヤの戦車模型を幾つか作った事くらいは有り、戦車マニアの気持ちも判るつもりですが。
で。ジープがお好きな方がいたら訊いてみたいのですが。
以前書いたように、デザイナーの手が入っていない中にも美しい車ってのは幾らでも有ると思いますが
ジープの形ってのはそうした自然の“自動車美”みたいな物の中で語られるべきなのか?
それとも戦車や装甲車の流れの中に有る物と見た方が理解出来るものなのでしょうか?
もしも後者であるなら、ミリタリー物には興味が沸かない今の自分がジープの造形美を理解出来ないってのも
なんとなく納得なのですけれど。
特にJeepが好きというわけじゃないですが、オリジナルのデザインは凄いと思ってます。
いろいろな角度から眺めすかしてみても、どの位置でも坐りが良く、かつ間延びした部分がない。
個人的には、おっしゃられる自動車美というものがあると思っています。
それともう一つ、良いデザインのモーターサイクルとも共通する部分ですが、停車時と乗車時、
人が乗っていないときと乗っているとき、どちらもしっくり納まるところは脱帽です。
美術館は軽佻浮薄なファッションショーの会場ではありません。
そこが軍服のデザインにこめられた、時代の中の精神・思想のありようを考察する場となってもいいでしょう。
だからジープがコンチネンタルやチシタリアと並んでも構わないし、
むしろあのチョイスにジープを選んだ人の勇気ある見識に敬意を表したいです。
ジープを美しいという表現は語弊があるかも知れませんが、デザインとしてあれほど感心させられるものも珍しい。
他の自動車には小難しい評論がつきまといますが、
ジープは道具としての合目的性をとことん突き詰めた製品として「もう文句の言いようがない」凄みがあります。
オリジナルのバンダムジープから、短期間で姿を変えて出来上がったウイリスMBのスタイルを見ると、
「元々少なかった無駄を、更にここまでそぎ落としたのか」と唸らされます。
その外見に、軍用車両一般にありがちな猛々しさより、むしろ実直な力強さと安定感を感じさせてくれるのも、見事です。
さてデザインを脇に置くと、
頑丈なラダーフレームとリジッドアクスルにトランスファー付きのドライブトレーンと単純な4気筒載せて、
簡易ボディ載っける。これで全輪駆動の万能ミニトラックを作る。
構造が単純ですから、アメリカ式のマスプロダクションシステムがあれば、しのごと言わずに必要な品質満たしてバカスカ作れる。
現に相手のドイツ側が作ったVWのキューベルワーゲンより遙かに多数が生産され、
アイク(アイゼンハウアー)をして「ジープ、ダコタ(C-47=DC-3輸送機型)、バズーカ」をWW2勝利のツールに挙げた製品です。
民生用車両とも違った、身もフタもないまでの現実主義で出来上がった自動車ですが、
あれはあれでアメリカ流の「率直な洗練」ではないかと思います。
61式、74式、90式の3輛の中では、74式が一番好きです。
後方から見るとテスタッロッサの様で格好良いと思います。
次期型の10式が発表される日が楽しみです。
ジープよりも美しい車両は沢山あると思います。
むしろ、ジープよりも美しくない車両は少ないと思います。
95式(通称くろがね四起)のほうが遥かに美しい造形だと思います。
それは個人的感想として読んでおきます。
>>231-232 前段(231)書き込んで暫く経っての後段(232)。無理に場を盛り上げようとしてません??(w
くろがね四起。小松の日本自動車博物館で見たことが有りますが撮った筈の写真が見つからず。
形そのもの以上に、異様に小さいそのサイズが印象に残っています。
さて、オリジナルのジープ。やはりミリタリー物としてよりも、自動車として美しいのだと考える人の方が
此処では多数派だということでしょうか。
しかし他のオフロード車(例えばキューベルワーゲンとか、ランドローバー)と比較しても
このジープの形の評価が高いように思える理由とか、どうもオフロード車全般に理解度の低い私には
よく判らないところであります。
ところで、ちょっと気になった事が有って。トヨタ博物館に収蔵されているのはフォードGPWだった筈と
資料引っ張り出してあれこれパラパラとみていたところ、故・五十嵐平達さんがジープの形について
「A型フォードにも通じるシンプルな魅力を秘めた形」と書かれた一文を発見。
http://yoshi.art.coocan.jp/2.0photo/images/car/vintage/1928ford%20model-a3.jpg 勿論このA型フォード、ジープのデザインと直接つながるところは有りませんが
なんとなく共通する雰囲気みたいなものは(A型がアイドルとしたK型リンカーン以上に)有るような気はします。
実はこのA型フォードってのも私には良い形には見えてもそれ以上には感じられない物の一つなのです。
所謂カーデザイナーの手は入っていなくとも、ジープはやはりアメリカ車の雰囲気を纏っていて
恐らく私は、この時代迄のアメリカ車に有った理路整然とした雰囲気
つまり
>>232さんが書かれたところの“アメリカ流・率直な洗練”に馴染めないのでしょう。
ついでに、昨日書いたどうでも良いような話の続き。
自動車オタクには理解が有っても、ミリタリー物マニアとなると理解出来ないっつう家人に
軍仕様のオリジナル・ジープの写真を見せて
「これが好きだという人は理解出来るか?」と訊ねたところ、全く考える様子も無しに
「そんなこと訊いて、どうするの?」ですと。
別にどうするって訳でもないけれど、そこが大問題(?)なのにねぇ・・。
わたし
>>230ですが、231・232は書いてません(そういうネタ師じゃないですよw)。
ただ、逝ってるさんのカーデザイン・エンジニアリングに関わる思索のポイントが欧州の伝統に置かれていること、
そしてご自身の信じるところの美的感覚を重んじておられることは、理解しています。
それはそれでそれぞれのお考えであると思います。
ただこのスレに出入りする人には、アメリカ的プラグマチズムに共感を抱く向きもあるのではないか、とも考えます。
少なくとも、私はそうです。
くろがね四起は、日本内燃機(くろがね)の創業者にして名設計者たる蒔田鉄司さんの才能や意欲が、
日本陸軍の守旧性や凡庸さでスポイルされ、浪費されてしまった末の、妥協の産物と言うべきものでしょう。
趣味的には面白い存在ではありますし、当時の日本車の中ではコンセプト自体はまずまずまともな方だと思いますが、
日本全体の工業水準の低さや、アジアでの戦いにおける広い戦略的な意味合いという観点からすると
結局ジープのような価値を持ち得なかったのも事実ですし、
蒔田氏自身もおそらく、Vツイン搭載の腰高なミニ四駆車の出来には、満足していなかったんではないかと思われます。
>>235 大変失礼。昨日の後半で“232さんが書かれたところの”ってのは単純な打ち間違いで、
230さん=231-232さんと勘違いしたという訳ではありません。
先日“アメリカ車らしさとは何か?またフランス車・イタリア車・ドイツ車らしさとは?”みたいな話が有って
半端なままで放ったらかしになっていましたが。
私等素人はそれを“中々難しい問題である”みたいにいい加減に終わらせてしまうことが出来ても、
職業デザイナーさんともなればそういう訳にも行かないようで。
丁度最近のCG誌上の連載記事中で、永島譲二さんはフランス車らしさの源の一つを“ムーヴマン”と
表しておられました。つまりは動きの有る線。ラインが単調ではなく、動きがあるという事だそうです。
デザイナーではない、見る側の立場に在る私には、そうした手法としての説明が必要という事は無いので
それを“ゆらぎ”のようなものと以前から考えていました。
直線的であっても曲線的であっても、あえて論理性を感じさせない予測不可能な面や線の走り方。
それが日々不安の中を迷いながら心細く生きる私には、不思議に心地良いところであって、
“理路整然”とか“質実剛健”とは馴染めない理由もその辺に有るのだろうと考えております。
要はアメリカ的なる物に馴染めないのではなくって、
理路整然としているように見える物には馴染めないっつうチャランポランな者なのです。
普通の感覚だとアメリカ車に理路整然って言葉は、それこそ馴染まないと思われる方も多いかも知れませんが。
第二次大戦前のアメリカ車って、意外とそうだったと思います。
東海岸側から文化の中心が分散したように思える戦後は、それが自由奔放って言葉の方が
似合うようになった感が有りますが。
そう言えば、理路整然型デザインの家元みたいなバウハウスがナチスに迫害されて亡命した先はシカゴでしたし。
この調子で四文字熟語を各国のデザイン特徴に当てはめると、フランスは案外“堅実無比”にして“天衣無縫”
イタリアは“清廉明晰”(そんな言葉が有るか?w)とか。ドイツは・・えと・・
日本の場合は客先次第のところもあるので“融通無碍”とか。
・・また変な遊びを見つけた気がする・・(w
一昨日あんな風に書いたものの、人の気持ちっつうのはそんなに単純明解なものではなく
勿論私もその例に漏れず、簡潔明瞭とは行かずに複雑怪奇なところはあり(まだやってる)
理路整然型デザインではあっても初代リンカーン・コンチネンタルなどは大変美しいと思います。
ただし、二段グリルになった42年型辺り迄。
戦後のクロームだらけになった46年型とかになると奇妙奇天烈・・あ、五文字熟語か・・(w
そんな事はともかく・・。
他スレで見掛けた発言で“乗り心地や動力性能がどうあろうと、それは乗っている人にのみ問題なのであり
傍で見る分には、その車の性能で最も重要なのは見た目だけ”みたいな書き込みがありました。
まぁ、ミもフタもない言い方ですが或る程度本当でしょう。
しかし、案外と形の良し悪しを言葉にするのって難しい所があると思うときも有ります。
先日このスレでも“カーデザインの本質”なんて難しい言葉が出てきましたが、
好き嫌いとか先入観を抜きにして、どれだけ形を形のみとして見る事が出来るのでしょうか?
初代コンチネンタルなどは、このスレでも書かれた方がいらしたように、
時代性を考慮してもむしろ凡庸な内容でありながらもその形だけで名車と呼ばれる資格が有るでしょうが
他にそうした例が幾つ有るかと思うと案外少ないような気がします。
私等のような屁理屈・薀蓄好きは得てしてその車の内容・機構を知るが故に
意欲的な中身を持っていたり、走らせての評価が高かったりすると、見た目まで良く見えてしまうってことも
時には有るのかも知れないとも思うのです。
・・と、また変に理屈っぽい話が続きましたが。
例えば最近良くあるレプリカ型デザイン。VWのニュー・ビートルとかBMWミニ、フィアット500等。
これらは内容的には平凡な機構の車かも知れませんが、オリジナルの偉大さを受け継ぎっつうか反映して
それなりの人気が有るようで、また私もそれぞれそれなりに好きでもあります。
しかし・・それこそ、それが先入観って物で、その車のデザインが単独で評価されている訳ではなく、
やはり“如何に偉大なオリジナルに似ているか”の方が問題視されていると思います。
これらの車は、オリジナルの存在を抜きにしても良い形と言えるのでしょうか?
ゼファー&コンチネンタルは、
41年までのボブ・グレゴリーのデザインによる一連の正調流線型も、
42年型のみで希少なゴードン・ビューリグの手になる水平基調のスタイルもそれぞれに魅力的ですが――
あの戦後46年式−48年式のごてごてクロームデザインをぶちかました犯人は誰なんでしょう?
あれが好きだという人がいますが、それはデザインよりクロームメッキデコレーションがお好きなんだと思います。
戦後型リンカーンなら、純粋な美しさで49年式コスモポリタンセダン、
クレバーな実用デザインという見地からは戦後第二次型の52年モデルが好きです。
その後は、56年型がまずまず華やかで評価できますが、でっかくなりすぎましたね。58年以降はもはやノーコメント。
さあ、誰なんでしょう?
グレゴリーは一度辞めたあと、再度請われて44〜46年までフォードに籍を置いていました。
一方、ビューリグはスポット参戦で、正式にフォードに入るのは49年。
ところで61年はどうです?抑制された装飾とデリケートな面構成はなかなか品がいいと
思います。
61年以降のシリーズは、58年からがキャディに対抗したかのような悪趣味路線だったので、
反動でまだしも見られますし、それなりにまじめになったのはわかるんですけど、
結局、60年代アメ車全般の「無個性スタイルで巨大化」路線と軌を一にしたような所もあって、
シャーシ設計を61年から60年代末近くまで踏襲しながら、オーバーハングが際限なく伸びていったのはワケわかりませんです。
あんなにお尻の長いクルマって他にはZILぐらいしか思いつきませんわ。
戦後、クロームだらけとなったコンチネンタル。実際のデザインにあたったのが誰かは知りませんが
1945年9月にフォード社新社長に就任したヘンリー二世の意向も有ったのでしょうかね?
しかし、リンカーン(特にコンチネンタル)はキャディラックとは異なり
何処か亡くなったエドセル・フォードさんの理想とか上品さを残そうとしていた感も有り
56年の二代目コンチネンタルなど、この時期のアメリカ車としては、
その大きさを除けば結構地味で品の良い形だと思います
http://www.classiccar.com/photopost/data/539/56lincoln_continental_mk2.jpg ただ、この二代目以降、エドセルさんが目指した欧州的なGTスタイル
“コンチネンタル・ルック”を追求するという姿勢は無くなり。
リンカーン・コンチネンタルは純粋なアメリカ車としてのみ存在し、その名前は意味を失ったように思います。
初代コンチネンタルもその名前とは裏腹に、その登場時期(40年)には欧州は既に戦時下にあって
自動車デザインも進化が停滞していた事もあり
その形は欧州的をイメージしつつも、実際には他の何処にも存在しないアメリカ独自の進んだ物で
二代目以降が欧州的GTとは全く異なった車となって行く伏線は、当初から有ったとも言えるのでしょうが。
五十嵐平達さんが、その著書の中で繰り返し書かれているように、
初代コンチネンタルはシカゴに追われて来た新バウハウスの影響が強く表れているとかですが
こうした本来ドイツ的とも言えるデザインは、ドイツ本国での受けも良く。
逆輸入されていったのも当然の成り行きだったとも言えるでしょうか。
GM系列のオペルや独フォードがアメリカ型デザインを取り入れたのは当然ですが
かのF・ポルシェ博士のkdf、VWワーゲンTypeT・ビートルがリンカーン・ゼファーの影響を
強く受けたデザインである事を五十嵐さんは強く指摘されています。
そこで、現行のニュービートルに話は飛び。
あんまりこんな細かな事を言う意味は無い事は承知の上ですが。
ニュービートルの形そのものは愛嬌も有り、結構好感を持って見ているつもりではありますが
ゼファーの面影は既にかけらも無く、オリジナルに有った流線形を追求する意思が失われている事は残念で
二代目コンチネンタルと同じ道を辿っているようにも思います。
Wikipediaでシトロエン業界の御大ドクターが70過ぎてKY状態で暴走しているのを見て老害じゃないかと思いました
よりによってDSを名乗っています
何か書き出すと暴走せずにはいられないのはフランス車好きの性でしょうかね?(w
“KY”ってのは如何にも日本的な流行り言葉で、
波風立てずに調和する事を善しとする風潮ってのが前提としてあるのかも。
さて、先日の話の続きですが。
http://www.sweetauto.net/gallery/files/1/1936-Lincoln-Zephyr-1280x960.jpg http://www.bsmotoring.com/bsm/wcms/en/home/classic-drive/lincoln-zephyr_5.jpg こうして改めてリンカーン・ゼファーを見ると、オリジナルビートルが特にその後姿に強く影響されていると
思わされます。
ニュー・ビートルが出た時。世間の多くからは“フロントエンジンで前輪を駆動するビートルなんて”
と言った声が聞かれたようですが、元々この手の車は形を楽しむ物であって
その機構や構造にはあまりうるさい事は言う事も無いと私は思いました。
そう思った理由の一つとして、オリジナルのビートルが元々ハンドリングを味わう車でも無かった事は勿論ですが
フロントエンジン車リンカーン・ゼファーを一種のアイドルとしてデザインされたらしき由来が
頭に有った事も挙げられます。
そして、更に言えば。ずっと前にこのスレの中でも触れた話ですが、
リンカーン・ゼファーは1931年頃にオランダ人のジョン・ジャーダさんがデザインしたリアエンジン試作車
スターケンバーグ(STERKENBURG)から改変を重ねて誕生した車という経緯も有り。
つまり、(乱暴ですけど)この形を楽しむ為にとってはエンジンが何処に有るかは
大した問題ではないとも思うのです。
オリジナル・ビートルは言うまでも無くフェルディナンド・ポルシェ博士の傑作ですが、
ポルシェ博士はアメリカ式量産技術の視察の為にフォード社工場を訪ねた折に、
同じ敷地にあったブリッグス(かつてフォードにボディーを納入していたボディーメーカー)で、
そこでスターケンバーグの試作・研究を続けていたジョン・ジャーダさんのもとを二度訪れ、
「V8エンジンをリアに搭載するのは重量バランス的に好ましくないのでは?」と語られたとか。
そのスターケンバーグがゼファーの基になった事をポルシェさんは御存知だったのでしょうか?
縁ってのは不思議な物だという気がします。
VW・ビートルとリンカーン・ゼファーが似ているという話で。
五十嵐平達さんの著書の中、VW社がアメリカで出した広告の中で「形は醜いけれど」という
キャッチコピーを用いた物が有った事が記されていました。
恐らく、かつてゼファーを受け入れたアメリカ人はその言葉に反発するであろう事を予測して
そんな言い方を用いたのであろうと五十嵐さんは想像されています。
しかし、全てのアメリカ人がビートルに理解を示したという訳ではない事も勿論で
この車の非凡さは認めつつも大戦直後の荒廃したウォルフスブルグ工場を持て余した
接収先のイギリス陸軍少佐アイヴァン・ハーストさんは、視察に来たヘンリー二世を含むフォード社幹部に、
工場設備全てを受け渡して生産を肩代わりして貰う事を提案したものの、
フォード側は“奇妙な車”とその生産設備に“価値無し”と興味を示さず、
その提案を即座に却下してしまったとか。・・あー、勿体無い(w
フォードはビートルの何処が気に入らなかったのでしょうかね?
英・独フォードでは戦前から1リッター級小型車を作っていた事から、そのサイズという事は無いでしょうし
ゼファーをアイドルにしたデザインという事は間違っても無いでしょう。
空冷・水平対向エンジンを車体後部に置くという、フォードの車作りとは全く異なる考え方で作られたビートルが
自社製品のような一般性を持つ事は無いだろうと踏み、
そこに力を入れることはこの先の欧州戦略の為には単なるお荷物にしかならないと考えた。
と、いった辺りでしょうか。
もしもその時、VWを手中に収めていれば戦後のフォード社のみならず、世界の自動車業界は
かなり違う形になっていたでしょう。
結局VWは戦前にオペルでアメリカ式生産管理の経験を積んだハインツ・ノルトホフさんを社長に据えて
西ドイツ連邦政府に返還され、独立企業への道を歩むこととなり
ビートルはアメリカをはじめ世界中に繁殖することになります。
欧州のみならず、アメリカでもこうした小型車が人気を得るとは、ヘンリー二世他当時のフォード社幹部には
予想出来なかったでしょう。
戦勝国アメリカ人にその頃“ダウンサイジング”なんて言葉が思い浮かぶ筈が無かったのはむしろ当然と思えます。
や、戦時中の乗用車生産停止期に想定していた戦後市場のキーワードに"ダウンサイジング"
というのはバッチリと入っていたんですよ。
戦後、民間経済はまず慎ましい所からスタートすると見込んで、コンパクトモデルが開発されていました。
実際は超売り手市場で、戦前のキャリーオーバーモデルに注力することになりましたが。
縮小したマーキュリーのようなデザインの仏フォードヴァデット、あれは本国でお蔵入りになったフォードで、
同じくお蔵入りになったシボレーは南に渡って、豪州のホールデン48-215型となります。
シボレーの方はかなり本気で、デトロイトからエリー湖をはさんだ対岸のクリーブランドに工場を据え、
車名はシボレー・キャデットと決定し、内部に工作機械の設置まで進行したところで計画中断になっています。
>>245 その辺の事は全く知りませんでしたが、言われてみればそれらと前後してカイザーからはヘンリー・J
ナッシュからはランブラーなども出ていますし。アメリカはアメリカなりに小型化を考えていたのでしょうね。
もっともヴァデットをはじめ、これらの車は皆欧州車の基準で考えるならば小型車とは言えぬサイズでもあり
当時のアメリカ人なりのダウンサイジングってのがどういうものだったのかが想像されるようで
興味深いところでもあります。
お馴染みカー・グラフィック誌初代編集長の小林彰太郎さんは、小型車の設計について語るときに
よく”小さな大型車”とか“小さいための小型車”といった言い回しを使われます。
この内“小さな大型”とは、第一次大戦後の英仏などで流行した粗末で野蛮な“サイクルカー”と呼ばれた
車達が、その多くは車輪一個とかデフとかを省略して安価軽量を実現していたのに対して
大型車に有るモノ全てを小型簡易化して余すことなく装備した車を指すようで
具体的にはヴィンテッジ期に登場したオースティン・セヴン等がこれにあたるようです。
これは実用的な小型車設計に於いての初歩的な考え方であり、それに対して“小さいための小型”とは
小型化を実現する為に、小型車なりの柔軟な発想を持つ車のことを指すようで、
小林さんは30年代に登場した初代フィアット500をその始祖としておられるようですが
私はこの車の基本はオースティン・セヴンの発想から大きく出た物とは思い難く
そうした新世代小型車は、第二次大戦前後に設計され、戦後登場したルノー4CVやシトローエン2CV
そしてVW・ビートルなどから始まると考えています。
しかし元々が保守的だったフォードは、第二次大戦後にも尚小型車に対する考え方は“小さな大型”
つまり彼等にとっての通常サイズの車をそのまま縮小して作るもので
その思想はヴィンテッジ期のオースティン・セヴンから一歩も出ていなかったように思えます。
そうした彼等には、新世代に属する小型車ビートルが理解出来なかったのでしょうか。
後にビートルはアメリカでも人気を得ますが、そこで後手に回った事が現代の状況の大元にも
なっているような気がします。
フォードがそれまでの、単に大型を縮小しただけの小型車作りから脱皮し
小型車独自の設計を持つ新世代小型車を作ったのは、1962年のドイツ・フォード“タウヌス12M”が
初めてだったでしょう。
http://photos.passado.com/p02/34/69/d00c1156912c44fa9a351b1b2374dcee_l.jpg フロントに、サーブへ供給された事でも知られる60度V型4気筒の1.2リッターエンジンを積み前輪を駆動し
軽量なモノコックボディーを引っ張るという設計は、
ほぼ同時期にイタリアで生まれたランチア・フルヴィアとも近く
同じく全長の短い水平対向エンジンで前輪を駆動したスバル1000やシトローエンGSに先駆けた物。
元々この車、当時アメリカでも大人気を博していたVW・ビートルに対向する為に
独・英フォードで作られた部品をアメリカで組み立てて販売するという“カーディナル計画”と呼ばれた
プロジェクトから生まれたものだったそうですが
アメリカでの生産は市場調査結果が思わしくなかったことや欧州での部品生産にアメリカ側の労働組合が
強く反対した事などもあって立ち消えになったそうですが、その設計はドイツ・フォード製小型車として
日の目を見て生産化に漕ぎ着けられたのだとか。
ビートルを受け入れたアメリカ人達の間で、こうした車に対する市場調査結果が思わしくなかったというのは
少し意外なところ。
それにしてもこのタウヌス12Mのデザイン。
平凡な内容でも派手で進歩的な外見を纏った車ならばアメリカなどには幾らでも見つかりますが、
その逆に意欲的な内容を持ちながらも凡庸な外見の車となるとそう多くは思い浮かぶ物ではなく、
この車はそうした珍しい例ではないでしょうか。
同じ頃にドイツフォードが生産していた一回り大きいタウヌス17M
http://www.autoweek.nl/images/480/c/50413a33991a2e7c0f34d42f6d8c596c.jpg こちらは卵型をモチーフにした個性的なデザインを持っていたのですが、平凡な中身。
今の眼で見ると。60年代になって英国ではミニのような車も生まれ、
そんな中フォードも進歩的な車つくりの必要性を認識しつつあったものの、
外見と内容の両方に思い切った手を打つ事は出来ずに恐る恐るの改革だったようにも思えます。
それに、前輪駆動タウヌスは、結局技術的には完全な成功作とは言えなかったでしょう。
パッケージングは非常に優秀だったのですが、
あいにくバランサーもない狭角V4特有の振動が実用上のネックとなり、
また12M初期のラジエーターファン省略(電動ファンもありません)もやはり安定した性能発揮には障害となったようです。
ですから後からファン追加してますね。
ヨーロッパ戦略では、GMもフォードも英独が中心なのは同じなのですが、
GMがオペル主軸でヴォクスホールは一種傍系、ついにはただの名前の違うオペルになったのに対し、
欧州フォードの一体化に至るまでのフォードは逆で、ドイツの独立性を徐々に削いで、イギリス主導の設計に傾斜して行ってますね。
タウナス12Mには登場時からバランサーシャフトが入ってましたよ。
保守を通してきた独フォードにいきなり現われた12Mですが、本国フォードが本気になっていた
だけあって機構的に面白いですね。エクステリアだけは面白くないですが。
米フォードではこの車をファルコンの下、ローエンドに投入する予定だったようです。
保守とブランニューの二本立て、シボレーでいえばシェビーUとコルベアの関係でしょうか。
60年代のタウヌス12M.。この車自体の試乗記とかは見た事がありませんが。
このV4エンジンを供給していた、同時期のサーブの事について書かれたものなどを見ると、
エンジン自体の出来は悪く無さそうな印象を受けます。
もっとも、当時のサーブって北欧ローカルな車であったようですから
独特の密閉式冷却系がネックにならなかった分だけ得をしているという面は有りそうです。
外見だけは私も含めて不評ですけれど、当時の眼には簡潔で明解と見えたのかも知れません。
少なくとも、同時期のフォルクス・ワーゲン・ビートルよりも新しくはあったでしょう。
如何にも60年代初期の流行に乗った形だと思います。
しかし、これが問題で。
流行に乗った形って、流行が過ぎ去ると有無を言わせず古臭く見えてしまうという面も有ると思うのです。
そのせいか、このタウヌス12Mは英国から登場したミニに対抗して生まれた筈が、
設計技術者アレック・イシゴニスさんが流行とは無関係に作ったミニとは異なり
発売翌年に生産のピークを迎えた後は、平凡な生産サイクルで終焉を迎えています。
ミニよりも一世代前の設計になるビートルの牙城も崩せずに終わった事にもなります。
此処で話はビートルに戻りますが。
1938年にはKdfの名前で既に完成を見ていたビートルですから、
その形は当然のように30年代の流行を大きく取り入れたもの。
ですから、本格的に量産が始められた戦後には、既に流行からは遅れた形だった訳で
この車の外見が時代の先端だった事は一度も無かった筈。
でも、その事はビートルが長寿モデルに成り得た事の理由の一つでも有ったと思います。
つまり今で言うところの、ちょっとレトロ調で可愛らしい形の車として、流行の移り変わりに左右されなかったと。
先に書いたように、その時々の流行に乗って作られた形はその流行が続いている間は魅力的ですが
大抵は時代が変わると共に魅力を失うものでしょう。
そうならずに長く魅力的に見え続けるかどうか。それが結局は良い形であるか否かということでしょうか。
それ自体が一つの流行となり、長寿モデルと成ったような車は
例外無くそうした時代性を超えられるだけの魅力の有る形だったということと思います。
五十嵐平達さんが1955年に書かれた本でも、ビートルは既に「古くさい形状」と言われていました。
アーウィン・コメンダのてがけたビートルのヤーライスタイルは、
あれはもはや1950年代の時点で古さというものを超越しちゃったんですな。
同じ本で、1932年の初代V8から、1949年の戦後型ポンツーンスタイルに至るまでのフォードのノーズ変更をずらりと並べて、
流線型・フルワイズへの変遷を解説していたのは、面白かったです。
タウヌス12Mの生産終了の場合、60年代のフォードの欧州戦略で、
ドイツでもベーシックモデルはイギリス設計の後輪駆動車であるエスコートにシフトする方針になったのも一因ですね。
確かにオペルが変哲もない設計でカデットを出して成功したのを見ていれば、
基本構想は優れていても問題をあちこちに抱えていてその対処に追われる前輪駆動のタウヌス12M系列を作り続けるより、
スペース効率はともかく一応のレベル、スタイルはデトロイトのテイストも入れてそれなりにキャッチー、
肝心の中身は平凡だが手堅くコンベンショナルで間違いがない初代エスコートの設計図をイギリスから持ちこむ方が有利、
と判断するのも、戦略上の一策でしょう。
>>251 その本は面白そうですが、1955年と言えば日本では初代クラウンが出た年。
そうした、自動車の形について体系的に書かれたものを読む人がどれほどいたでしょう。
多分、売れなかったでしょうね。その頃にそうした活動をされていた五十嵐さんは大した方だ改めて思います。
英・独フォードの一本化の前には、英フォードがドイツ型のV型4気筒を試みた時期とかも有ったようで
65〜66年頃には幾つかのモデルに搭載されて世に出ているようですが、
結局の所はあんまり芳しい事無かったのか、いつしか消えてしまったみたいです。
上級モデル向けにV6を作る時に共通の部品を多く流用出来るみたいなメリットは有ったのでしょうが、
そうした車の市場そのものが、それ程大きい物でもなかった為にそれも生かせなかったようです。
ところでフォードV8と言えば、ストリームド・ラインを標榜して登場した38年型辺りに、
五十嵐平達さんはよく“甲虫型”という言い方をされるようです。
欧州で言うなら、その38年型を縮小して作られたような、独フォードから出た39年の最初のタウヌス辺り。
あんまり良い写真が見つかりませんが。
http://www.autogallery.org.ru/k/fa/fortaunus_rf.jpg 38年頃にはほぼ完成されていたビートルは、本来この辺の世代に属す車と言う事になるのでしょう。
ビートルという、甲虫の名前がニックネームになっていることでもありますし。
VW・ビートルのデザインは251さんも書かれたように、最終的には後にポルシェ356もデザインした事で知られる
アーウィン(エルヴィン)・コメンダさんが手掛けたそうですが。
その原型には多くの車や人が影響を与えたとされ、中にはヒトラー自らがラフスケッチを描いて
具体的な指示を出したなんていうちょっと眉唾な説も有るようです。
ヒトラーに画家志望だった時期が有ったなんて話を聞くと、そう簡単には一笑に付すことも出来ませんが。
前後フェンダーが単純かつ特徴的なアーチ型を描く辺りは、ビートルに影響を与えたとされる
他の車にはあまり見られない部分であって、そうしたところは誰の発案によるものなのかは
今となってははっきりしないことでもあり。様々な伝説やら逸話が語られる素になっているのでしょうか。
>39年の最初のタウヌス
長さを有利に使えるアメリカ車と違って、この時期の欧州車は微妙なデザインが多い気がw
個人的感想では、どことなくのんきなカマドウマのようにも見えて憎めないのですが。
ドイツ本国では、Der Buckel Taunus とあだ名がつけられていましたが、「せむしのタウヌス」
では、日本だとちょっと活字にはできないですねw 無難なところで「猫背のタウヌス」でしょうか。
その昔、私が幼かった頃に実家に有った子供向けの世界名作全集(今はそういう本がある家庭って無さそう)
には「ノートルダムのせむし男」って題名が平気で使われていたように記憶しています。
何時頃からその言葉が使えなくなったのでしょう。
この話はエロスパ氏が何度か他スレで書かれておられましたが、確かに最近は、やりすぎの感も有り。
自動車でも“安グレード”なんて言葉は死語のようで“ベースグレード”になり“大衆車”は“コンパクトカー”
高級感のある小型車ならそう言うのも納得ですが、ただ安いだけ、値段で勝負の車迄それに乗るのは
便乗しているだけではないかとちょっと意地の悪い突っ込みも入れたくなります。
さて。ずっと前に“戦後のパナール”なんて話がいきなり盛り上がったのにもちょっと驚きましたけど
独フォード・タウヌスなんて車の話でレスが付くとも思っていませんでした(w
30年代、特にフォードのデザインは好評だったのか。フォードとは関係の無いルノーも36年型フォードの
フロントエンドをそっくりと頂いているようです
http://images.forum-auto.com/mesimages/401543/1938_Renault_Novaquatre_3.jpg http://www.classicaldrives.com/50226711/36ford_danbury.jpg 他にもフィアットはスチュードベーカーみたいなマスクを作っていますし、捜せば幾らでも出てきそうですが
で、ルノーと言えば(とりとめの無い書き込み w)
第二次大戦後にはビートルよりも僅かに早く対米輸出を始めたメーカーでもあり。
戦後アメリカでの輸入車というと、英国製小型スポーツカーが良く知られるところですけれど
数の上では、半ば当然ながらVW・ビートルやルノー4CVが上回っていたようです。
しかしルノー4CVは(それを継いだドフィンも)常にビートルに次ぐ二位の位置にあり
それを上回る事は無かったようです。
その辺はサイズ的な物もさることながら、アメリカ人の好みに左右された面も大きかったでしょう。
http://www.signstudio.nl/Website-4cv/foto/mijn-Renault4cv01.jpg 戦前とは体質を一新したルノーですが、車のデザインの基礎がアメリカ車の縮小だったという点のみは変らず
これはこれで良い形ですけど、ちょっと損をしていると思います。
ルノーは全米でのディーラーネットワーク整備に掛ける熱心さが、VWやそれを見習った日産に比べて
大きく劣っていたのが、拡販の妨げになった一因でしょうね。
ディーラーを増やすだけじゃダメで、サービス網と言えるモノができてないと商売にならない。
空冷RRで整備性の良い高品質のVW、コンベンショナルな水冷FRでややこしいところのない日産と比較すると、
ルノーはちょっと難があったかも。
大戦直前の初代タウヌスですが、外見こそ流線型になったけれど、中身はまんま在来型の「前も後も横置きリーフリジッド」
なサイドバルブベビーフォードですよね。ボディチェンジだけ。
ドイツの民族系メーカー各社がKdFやメルセデスはじめ四独にまで突っ走り、同じ米資のオペルでさえ前輪独立になってる時世に、
あのスペックで泰然としているところがいかにもフォードらしい。
やっとこ戦後型らしい戦後型になったのは、イギリスからコンサルの設計を借りてきてタウヌスをモデルチェンジした1952年でしたが、
それでもエンジンはコンサルのOHVと違って以前からのSVのまま……いい加減にしろよとw
そうしていい加減呆れられた頃に、
クリフカットアングリアや前輪駆動タウヌスを出してしまうところが、欧州フォードの地力の怖さですが。
まったく話は変わりますが、自動車にラジオが装備されたのはいつが最初で、いつごろ一般化したのでしょう。
あたりまえに考えれば、トランジスタラジオが普及した50年代初頭ですが。
>>256 自動車用として発売されたのは、1930年のモトローラ 5T71 モデルが最初といわれています。
リンク先に画像がありますが、この頃はまだスピーカーとラジオ本体、チューニングダイアルが別体でした。
ttp://www.motorola.com/content.jsp?globalObjectId=8432-10811 現代のようにダッシュボードに組み込む一体型カーラジオは、1936年のGM各車にオプション設定された
AC Delco製が最初だと思われます。
トランジスタラジオは、1952年にRCAがFMカーラジオを発表していますが、市販品としては1955年の
AC Delco製が最初ではないでしょうか。
一般化したのはいつかな? ちょっと漠然としていて答が用意できません。
でも日本ですら、既に昭和30年のクラウン、33年のスバル360などでも、当初からオプション設定でラジオはありましたね。
さすがに40年代に入ってからは基本的に標準装備になりました。
富士通TENのカーラジオなんてのは懐かしい装備ですね。
日本車で最初からラジオ組込設計を想定した最初は、昭和22年のトヨペットSAでしょうか。あれは例外みたいなものですが。
昔のカーラジオのネックはやはり真空管の防震対策と小型化で、トランジスタは1950年代後半以降、相当に効果を発揮しましたね。
・・即答ですね。悩み事が出来たら此処に訊こうかな・・。
と、言いつつちょっと追記。以前にも何処かでこの話をしたような記憶が有るのですが。
CG誌のバックナンバー“1920年代のアメリカ車”特集の中で1923年に
“スプリングス・フィールド・ボディ・コーポレーションがラジオを工場組み込みのオプションとする”という
一文が有って。私が知る限りでは、これがカーラジオについて書かれた最も古い事柄でしょう。
この時代ですから、自動車メーカーではなくコーチビルダーの仕事で付けられたのが初め。
その為、自動車メーカーの記録を辿っても恐らくは出て来ない事かも知れません。
更にその特集を読み進めると、1929年の出来事の中
“多くの車でラジオがオプションとなる”という記述が見られます。
自動車メーカーが純正オプションとしてラジオを用意するようになったのがこの時期で
257さんが書かれたモトローラ社製ラジオは、多分今で言うところの
社外製アフターマーケット用品としての草分けだったのではないでしょうか。
ところでまた話は変わって、手許に(これも)二玄社の世界の自動車・4 “オペル ドイツ・フォード”と
同じく25“ヴォクスホール イギリス・フォード”が有り。先日から何度かモデル登場年を確認したりと
何度か見直しているのですが、この二冊はどう考えてもオペルとヴォクスホール、英・独フォードという具合に
それぞれ一冊にして、出来れば戦後は同時進行で書かれるべきだったと思います。
二冊をバラバラに見ていると時系列が混乱するっつうか理解し辛いので。
分かった上で書いたり読んだりしている分には問題無いと思うのですが、
例えば欧州フォードについてこれまで特に興味も無かった方が
>>255さんの書かれた文を読まれると
1950年代にはドイツよりも英フォードの方が進歩的だったように思われるかも知れません。
でも、その当時(1959年迄)の英フォードの一番安かった車っつうと、こんな風なもの。
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12397.jpg 直4サイドバルブ1.1リッター、前後共横置きリーフの固定懸架・・59年ですよ・・(w
英フォードの古めかしさっつうのも、この時期はかなりの物だったと思います。
まあまあ、単純でタフなことが要求されるコマーシャルシャーシのベースの副産物として
旧型モデルが存続していたと考えれば、さほど不自然でもないでしょう。
ルノーだって、4CVを出してからもブレークやバンなどは戦前のジュヴァキャトル系を1960年まで存続させていたかと。
それにしたって、フォードポピュラーが1959年に至っても前後機械式ブレーキで
基本設計1932年からのキャリーオーバーというのが凄まじい事には変わりありませんが
国土が直接戦場とはならなかったアメリカとは異なり、第二次大戦中とその後の混乱期を挟む
1930〜50年代の欧州車にはロングセラーとなった(なっちゃった?)車が多かったのは確かですけど。
例えばシトローエン・トラクション・アヴァンが、その登場時には革新的な内容を誇り
50年代後半に至っても内容的にはDS以外のどの車にも大きく遅れたものではなかったのに対して
英フォードのロワーレンジを担った車って、その誕生の時点でも既に保守的っつうか守旧派っつうか・・
早い話が時代遅れな設計だったのを、平気で50年代末まで作り続けていたというのが凄いというか・・(w
あまりの人気にモデルチェンジが出来なかったとか、新型を出す余裕が無かったというのならまだしも
フォードの場合は新型を出した時に、旧型のボディーを再利用することで安価な車を設定したというだけ
さすがに59年でこのスタイルはお役御免となったそうですが、この車に積まれていたサイドバルブエンジンは
新型アングリア(クリフカットの)がデビューした後にも、それまでの旧型アングリアボディーに積まれて
“新型ポピュラー”として更に二年を生き延びたとか・・。
まぁ、サイドバルブであろうが何だろうが、スペックが全てではありませんが。
以前にも書いた事が有るように、このエンジンは粘りのあることは比類のないもので(そりゃそうでしょうけど w)
初期のロータス・セヴンの標準エンジンの一つとして、英国でのみ盛んだった四輪のトライアル競技では
かなり活躍したそうです。
で、60年誕生のフォードのニューアングリアですが
http://belletrist.co.uk/blog/wp-content/uploads/2008/06/ford_anglia_1966.jpg 最近ハリー・ポッターの映画に使われて変な人気(w)ですけど、この形ってのも結構微妙ですよね・・。
しかし、このアングリアの形。嫌いかと言えば意外にそうでもなかったり。
何処か頭の中に引っ掛かるっつうか、“これは一体ナンなのだろう?”と思わせる驚きが有ると言うか
・・岡本太郎画伯の世界でしょうか(w
勿論驚きが有りさえすれば、それで何でも許されるってモノではないのですけれど。
そう考えてみると、最もつまらないっつうか駄目な形ってのは単に凡庸なだけの印象に残らない物なのかも。
でも、1930年代-50年代のフォード、シャーシはどうしようもなく旧式ながら
エンジンパワーは概して競合車種をしのいでるんですよね。
フォードV8はシボレーのストーブボルト・シックスを、英フォードはオースチンを、ドイツフォードはオペル・P4やカデットを。
英国フォードの場合、
1950年代のクリフカット型アングリア以前に出た、コンサル&ゼファー(50年の初代と56年の2代、初代ゾディアックも含む)、
そして53年の完全戦後型アングリア&プリフェクト(……エンジンはSVですが)、
これらは、コンサルの機能主義ポンツーンデザインと
マクファーソン・ストラット前輪独立懸架採用以外の文脈では、自動車の歴史ではほとんど言及されませんね。
逝ってるさんの言うように、「凡庸で無難」の極致を行くデザインで、驚嘆すべきものはありませんでした。
それでも、同時代の一部の英国車のように酷く不格好にはなっていなかったのが、デトロイトの血でしょうが。
……ポピュラーは、アレはもう何か超越してますね。
けれど、初代コンサルの影響は、スタイルと技術の両面で各国のFR小型車に相当なものが伝わっていると感じます。
日本でもトヨタをはじめ、富士重のすばる1500や、オオタの末期のセダンに明らかな影響が見られますね。
新バリッラの後継となった1953年のフィアット1100と並んで、
コンベンショナルな設計を用いた小型乗用車としては、コンサルは当時、傑出した存在の一つだったでしょう。
>このアングリアの形。嫌いかと言えば意外にそうでもなかったり。
装飾的なヘッドライトリムやテールフィンを脳内で消去してみると、105E アングリアは
案外さらっと流した柔らかい面で出来ているように思えませんか?
ちょうどこの時期、本格的に風洞を通すのが流行った時期でして、ちょっと前に話題に
出たタウヌス17M(P4)も、既存コンポーネンツの流用で速度や燃料消費率を向上させるため
風洞を通しまくってあの卵型を作りました。
そういう点で細部にいろいろ貼り付けて人目を惹いた車より、カタチとしての力はあるとは思います。
>>255 少し前の話題にレスw VWと対米輸出の話が出ていましたが、こんなん拾ってきますた
1960's TV commercials
ttp://jp.youtube.com/watch?v=ijRUrorUB5E 4本詰め合わせの一番最後、2:30からVWのTVCMが始まります。
コンセプトカー風のプラモデルと手だけが映り、各部の優れた機能を説明してゆき、最後にオチがあります。
素敵でしょう、今もっとも先端を行く車です。
四輪独立、トーションバーサス、冷却水が凍る心配のない空冷エンジン、トラクションに優れたリヤエンジン
フロアシフトにバケットシート。
5〜6000ドルもあれば、こんな風にカスタムボディを載せることができます。 もしくは、もう少し見慣れた(ry
北米でのVWが地位を確立できたのは、広告代理店D.D.B.(ドイル・デーン・バーンバック)のニヤリとさせる広告
があったからともいえる気がします。
>>263 そう言えばクリフカットルーフって空力的にはどうなのでしょうか?
通常のルーフエンドよりも不利な気もしますが逆に案外と良かったり・・。
後席乗員のヘッドクリアランスと荷室開口部の大きさとを両立させられるっつうメリットのあるクリフカットですけど
「だったら、ファストバックにした方が使い勝手も空力的にも良いんじゃない?」と思うのが普通なのでしょう。
実際にシトローエンAMIはそういう道を辿った訳ですが・・
http://tintinesque.com/features/archives/CitroenAmi6.jpg http://faimg1.forum-auto.com/mesimages/5663/ami8.jpg しかしさすがはシトローエンというか、ベルトーニさんというべきか。オリジナルAMI6の変な形の度合いは
同じクリフカットのアングリアの更に上を行ってますね・・(でも好き w)
>>264 ビートルの広告はそれをまとめた本も有ったような気がしますが、
最近のCG誌で取り上げられたアメリカに於けるレクサスの広告なども、
結構あの頃のVWの広告から影響を受けているように思います。
丁度VWと対米輸出の話はもうちょっとやりたいと思っていたところで。
ビートルがあれだけ長寿モデルに成り得たのは、アメリカで人気を得た事が結構大きかったのでしょうが、
ちょっと不思議な気がするのは30年代にジョン・ジャーダさんの“スターケンバーグ”をベースとした
ブリッグスの試作車がシカゴの博覧会に出品された折に
スタイルは好感を持って迎えられたのに対して、リアエンジンには大衆は懐疑的だったと言われている事。
で、それを改変してフロントエンジン車リンカーン・ゼファーが出来上がった訳ですが
戦争を挟んで2〜30年の時を経て、アメリカ人のリアエンジン車への見方は変化していたのでしょうか?
ビートルの成功を見て、60年代にアメリカフォードは“欧州製”を強調するような広告と共に
英フォード製のコーティナの販売に力を入れたようです
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12398.jpg 欧州製だし、車の出来は悪くないし、本来アメリカ人が好む筈のフロントエンジン車だし、
サービス・販売網は文句無いし、今風の形でもあるし・・でもビートルを凌ぐ成功は収められなかったのでしょうか。
その辺はいろいろと考えさせられるところであります。
ただ、クリフカットについては、
1950年代までは一般の乗用車市場にファストバック・スタイルへの抵抗感が強かったのも一因かと思います。
機能を考えれば当然ファストバックは合理的です。
しかし、古典的な自動車デザインというのは車体背面は垂直に近く、
テールの外付けラックに別体の箱形トランクを取り付けるか、
もしくはテールを徐々に下部から後方にせり出させて内部をラゲッジスペース化、
最初は車内からアクセス、後には車外にトランクリッドを設けた、という歴史があります。
その最終発展形が3ボックスのノッチバックスタイルで、外観としてはトランクの独立性が強く、
古い時代の外付けトランクの伝統に沿った形態とも言えます。
ファストバックは、ウニベルト・カム博士の着想による理論的な「カム・テール」と、
アメリカにおけるファッションのバリエーションの両面があると思いますが、
結局1950年代に至るまで主流とはならなかった。
1940年代のシボレーやリンカーンなどにはファストバック版があり、1948年のハドソン等はファストバックデザインの傑作と言えますが、
ノッチバック主流の時流には逆らえなかったようです。本格普及もまずは2シータータイプのGTが先行しますね。
そんな状況で、DS・AMIやアングリア、そして一部アメリカ車などのクリフカットやそれに類するデザインは、
デザインアプローチの「妥協」を感じる一面はあるんですね。
フラミニオ・ベルトーニのDSは一種完璧なデザインですが、
もしあれがファストバックだったら、もっと華麗なデザインになったかも知れません。
初代キャロルは、尺度を勘違いしてデザインを間違えるとああなるというサンプルでしょう。
>スタイルは好感を持って迎えられたのに対して、リアエンジンには大衆は懐疑的だったと
ちょうど一年前の1933年に、リヤエンジンの革新的なアレがシカゴで事故を起こしてるじゃないですか。
バックミンスター・フラーのダイマクシオンカー。
その翌年に同じシカゴでリヤエンジン車を発表したら、まだ記憶に新しいから不利ではないかと。
ダイマクシオンは、建築家としての才能はあってもクルマについてはシロウトでしかないフラーが、
「後部エンジンからプロペラシャフト経由で前輪駆動・後1輪操向の3輪車」という異常なレイアウトで、
あの強烈な空力スタイルをやらかしてしまったのがまずかったでしょう。
実は事故を起こした原因は、随行車の絡んだ競合事故で、ダイマクシオン自体の問題ではなかったようですが、
3輪木骨ボディで後輪ステア、重量バランスがおかしくてデッドスペースだらけというダイマクシオン・カーは、
しょせんは門外漢のフラーのアイデアによる孤立した存在でしかなく、
スターケンバーグやタトラT77、リアエンジンメルセデス、そしてKdFに始まる
近代リアエンジン車の本流の系譜とはまったく無縁な、珍車の類であると思います。
ただ、それらの黎明期に「試作珍車」と「次世代型本格的リアエンジン車」の弁別を大衆に求めるのは不可能なことで、
その点で267さんの指摘はいいところを突いているのではないかと感じました。
>英フォード製のコーティナ
VWの場合、
>>264のような広告で、中流以上の知的層が選ぶというイメージを植え付けることに
成功し、その後のカウンターカルチャー時代に幸運にもアイコン的地位を得たのだと思います。
一方でコーティナは、どんな階層が乗る車なのか、ヒエラルキーを提示できなかった弱みがあります。
また、既存販売網に毛色の違う、利益の薄い商品として投入されたことで、積極的に売られずに
終わった不運さもあります。
最初に「だから何?」と言われたらそれきりの、どうでも良いような話(でも私の中では引っ掛かっている事)
少し前に「スイングアクスルのリアサスを持つ車はビートルにちょっと乗せて貰っただけ」
なんて事を書きましたけれど、その車の元所有者さんに最近聞いたところ
「あれはかなり後期の、リアはセミ・トレーリングに改造された型」だったとの事。・・あらあら・・(w
アメリカ人とビートルと言うと私が思い出すのは68年のディズニー映画「ラブ・バック」(Love Bug)
http://ec2.images-amazon.com/images/I/51MQNT09M8L._SL500_AA280_.jpg ハービー君と名付けられた、人格を持つビートルにあしらわれたストライプはドイツ関係無しのトリコロール。
この時代にはもう、ビートルは一種のファッション商品と化していた事の象徴のように思います。
これと対抗する物としては、如何に欧州製を強調してもコーティナは“普通の自動車”然としていて
消費者側は比較対象として見る事も無かったのではないでしょうか。
むしろこのスレでは人気(w)のナッシュ・メトロポリタンの方が対抗馬には相応しかったかも。
http://www.d-b.ne.jp/kitamati/co2/e0932.jpg で、ビートルがそうした自動車とは異なる何かと成り得た原因として先日書いたような
量産が始まった時点で既に外見は流行遅れだった事を思うのです。
ところで最近、ドライブ中にラジオで聞きかじった話なのですが。
メキシコでは未だにタクシーに多く使用されているという空冷ビートル。
2ドアのリムジーネではタクシーとしての使い勝手は悪いだろうと思うのですが、
助手席は外して、後席の乗降性を高めて使われているとか。
このタクシーも環境や安全性の問題から今年度を目処に廃止されるというニュースが流れていますけれど、
ある種の文化財のような形で少数だけでも残すという訳にはいかないものなんでしょうかね?
今はまだ捨てるほど有る実用車でも、意外にそういう車程良い状態で残る事は少ない物。
一時期、中古のビートルをベースにクラシックカーのレプリカを作る事が流行して
ミツオカ辺りもそうした車を輸入していましたが
まさかその頃には誰もメーカー自らが、ビートルのレプリカを作る事になるとは考えなかったでしょう(w
もうちょっとビートルの話。とは言っても、ビートルのような超有名モデルについては語られ過ぎていて
技術的な事やその成り立ちについては、今更私のような門外漢が何か書いても面白い話も無いのですが。
現代の我々にとって、ビートルのイメージというと何でしょうか?
人によっては“二十世紀を代表する名車の一つであり、F・ポルシェ博士の代表作”でしょうし
また、大瀧詠一さんの歌う「雨のウェンズデイ」の冒頭
「壊れかけたワーゲンのボンネットに腰掛けて」に代表される詩情かも知れません。
この歌の歌われた1981年には既にビートルはドイツ本国では生産を終了しており、
時代は前輪駆動車のゴルフへと移った後でしたが、ゴルフを“ワーゲン”と呼ぶ人はいないでしょうし、
此処で歌われているのはビートルに違いないと誰もが思う筈
(タイプU・1BOXの方が海に似合うと思う人もいるでしょうが、腰掛けられるボンネットが無いので却下)
1952年・当時のVW社社長ハインリッヒ・ノルトホフさん自らが二台のビートルを持って
プロモーションの為に来日して以来、日本も多くのビートルを輸入して来た訳ですが
この車が「合理性のかたまり」等と言われて、ライカのカメラやらゾーリンゲンの剃刀と並び
舶来の良い物として扱われた時代を直接は知らない世代の私にとっては
やはりビートルは一種の“Funny-car”(ドラッグ・レースのそれではない)であり
時代遅れでありながら愛嬌の有る車というイメージのものであります。
30年代の流線形を基本とした形は、その当時の小型車としては空力に優れていたものかも知れませんが
その時代の一般層に向けての妥協も当然有り、ボディーから張り出した前後フェンダーを持つ故に
室内幅は犠牲になっている事は言うまでも無く。今の目で“合理性のかたまり”という言葉を用いるのは
かなり無理も有ると思います。
しかし合理的な形を追求するならば、自動車もより小さな表面積で大きな容積を囲む形態に進むのでしょうが
人は通常、特別な質感等といったオマケの付かない単なる球体とか立方体には惹かれないものだと思います。
実用車としての寿命以上にビートルが長寿を得られたのは、適度な無駄を残していた為もあったのでしょう。
先日、初代VW社社長・ハインリッヒ・ノルトホフさんの名前を確認しようと折口透さんの著作
岩波新書「自動車の世紀」をパラパラと再読していたところ。F・ポルシェ博士が理想とする小型車について
語られた言葉が書かれていました。
「私の理想とする大衆車は従来の乗用車の寸法・出力・重量を単に小型化したものではない
(中略)私の言う大衆車とは現行の車にひけをとらない、乗用車としての充分な価値を持った物である
その為には根本的な新しい解決法が必要である」
先日も触れた小林彰太郎さんの言うところの「小さな大型ではない、小さい為の小型車」という考え方
そのものをポルシェ博士が持っていた事が窺えて興味深いところであります。
ところで、その小型車ビートル。後に生まれたイタリアのフィアット500や600、またイギリスのミニのような
決して小型を極めようというような極端な小ささではなく
適度な余裕を持ったサイズを奢られていて、それもまた長寿に貢献したと思われます。
全長4070mm幅1540mm高さ1500mm現代の街中で見掛けても、特に小さい車という印象は受けません。
またエンジンも1.1リッターながら4気筒を持ち最終的には1,6リッターまで大型化出来る余裕がありました
(数値は共に51年型輸出版)
私の部屋の本棚にも、タミヤ製1/24のビートルが一台、同じくタミヤのシトローエン2CVと並んで置かれています。
この二台、模型で見るとそう大きさに差は無いように見え、事実全長で2CVは200mm程短い他は
幅は6cmだけ2CVが狭いだけで車高は2CVの方が10cm高く、ホイールベースはともに2400mmで全く同じ。
2気筒エンジンの為に拡大に限度が有ったことからか、
生産台数の上ではほぼ同時に生まれたビートルには及ばなかった2CVですが
ドイツ製ビートルより十年以上の長寿に至った理由も、その余裕のあるボディーサイズにあるでしょう。
2CVという車(?)軽量で知られますが、初期型で見ればサイズに大差ないビートル(720kg)
の2/3程度の480kg。しかし、これ見方によっては「大きい割りに軽い」ではなく「軽い割に大きい」とも言えます。
何もかも最低限で作られたような2CVが、唯一贅沢をしたのがボディーサイズ。
ですから2CVは小型車という観念以外の何かを目指して設計された物。・・と言えるのかも。
軽量化というのは、いつの時代にも大変な事のようですが、その方法としては
まず、既製の素材を更に軽量な素材に置き換える事。これは当然コストの問題が有ります
次に部品そのものを小型化する事。これもコストは問題ですし、強度が必要な場合は
そちらの問題も出て来るでしょう。
そして、部品点数を減らすこと。これならコスト上も有利。ですから軽量な車では8気筒や6気筒よりも
部品の少ない4気筒が使われる訳で、2CVに至ってはそうした“普通の車”の更に半分の
2気筒しか有りません。
話はまたビートル関連に戻り。
ビートル以前にポルシェ博士は幾つかの試作車を、各メーカーの求めに応じて作ったことは
広く知られていますが、その中に1931年のNSUの注文に応じた“ポルシェ・タイプ32”という車が有り
此処で後にビートルでも使われるトーションバー・スプリングを用いた4輪独立懸架が試みられています。
トーションバーはそれ以前から有った物ですが、それを懸架バネに実用化した車はそれまでに無かったのか
(調べてみないと不明な点ですが)ポルシェ博士はこの年の8月に
“トーションバー・スプリングを用いたサスペンション”の特許を申請しているそうです。
しかしNSUに提示したこのプロトタイプも生産化には至らず。
トーションバーを用いて成功した最初の量産車は、恐らくシトローエン・トラクション・アヴァンではないでしょうか。
つまり、アンドレ・ルフェーブルさん率いるシトローエンの設計陣は、2CV設計の時点で
トーションバーの使用に関してポルシェ博士に勝るとも劣らぬ経験を積んでいた事になります。
しかし、2CVにはトーションバーは”製造コストが嵩む”という理由で採用されず。
代わりにホイールベース間左右に水平に置かれた(本当に置いてあるだけでシャシーに固定されていない)
コイルスプリングを前後の両輪が引き合う、2CVの特徴の一つである前後関連懸架が採用されました。
この方法、トーションバーと同様にボトミングし難いのでソフトなスプリングレートが可能ですが
それ以上に、タイヤは四つでも懸架バネは二つで済むという超経済的な設計。
軽量化の為に部品点数を削減したのか、それとも安く作る為に部品点数を減らした結果が
軽量な車に出来た理由なのでしょうか?
オースティン・セヴンのような“小さな大型”か、ビートルのような“小さいための小型車”か。
歴史上で見ればどちらも貴重なモデルであり、また時代の違いや技術の進化もあり
そこに優劣をつけることは出来ないのでしょうけれど。
やはり私が強く惹かれるのは後者の方で、
大型を縮小した小型は貧乏な感じがしてしまうのは否めないのですが
小さく作る為に知恵を捻った物には独特な凝縮感とか小さい事への誇りが有る物。
2CVは・・また別の物でしょうか。開発コードネームは“超小型車”の筈だったのですが・・。
こう書くばかりでは2CVには不名誉なことばかりなようですが、
必要とあれば思い切り贅沢をしているのも2CVの特徴で、例えば2CV誕生当時のシトローエンの上級モデル
トラクション・アヴァンも3段しか持たなかったギアボックス、2CVでは4段フルシンクロを備えていました。
2CVは、ロールス・ロイス(当時は2段以上にシンクロ)よりも早く4段フルシンクロを備えた車でもあります。
・・非力故に1速を発進専用と割り切れなかったという点は、また別の話(w
ところで小は2CVやオースティン・セヴン。大はブガッティ・ロワイヤルのような“特別な車”を別にするならば
自動車の姿は昔と今とではかなり異なりますけれど、重さは意外に変りのないもののようです。
ちょっと昼間フィアットの本など見ていたので、そこから抜き出すと。
セパレート・フレームを持つ小型車・初代バリッラ(1932年)は標準的な2ドア・ベルリーナで990kg
現代の小型車・新500とほぼ等しいことになります。
途中、技術の進化で軽量化を達成したものの、安全性やら快適性の要求はそれを追い越して
結局は元の木阿弥に戻ったと言う方が正しいのかも知れません。
もっとも物は考えようで、先日「最初のカーラジオ」の話がありましたが
当時のラジオよりも遥かに多機能なオーディオが、現代では遥かに軽量に作られている訳で
そう考えてみれば、最初のコンピューターは(何を最初とするかは諸説有るようですが)
簡単な演算しか出来なかったにも拘らず、真空管数百本を用いて重量は数十トンか
それ以上だったそうですから、
高度な電子制御を幾つも備える今の車は数百トン以上もの軽量化を果たしているという事には・・ならないか・・。
ジャンルは別になりますが、商業ジェット輸送機においては「音速の壁」が立ちはだかっています。
デハビランド・コメットの悲劇を乗り越え、世界のジェット旅客機はボーイング707とダグラスDC-8の誕生によって、
ついに亜音速での大量輸送を可能とする領域に到達しました。
しかし、それ以上となるとコンベア880がやや速くなったか、という程度で、成功には至らず、
無理に音速を超えたコンコルドとコンコルドスキー(ソ連製のパチモノ)は、
「音速越えはとうてい引き合わない」という現実を、世界の航空界にまざまざと突きつけてしまいました。
おかげで一般のジェット旅客機は、もっぱら大型化と経済化、低騒音化に邁進し、
ジャンボ、A380とスケールが大きくなっていっても、実用速度は半世紀に渡って進歩がありません。
多大な費用を伴った無理をおして音速の壁を突破するよりは、その方が利口だとは思いますが。
自動車では既に、一般道で50km〜80km/h、高速道路で100km/h〜130km/hという
実用速度面での足かせが世界的にできてしまってますが(無論アウトバーンの一部など例外はありますが)、
自動車そのものは、さほど高価でない大衆車でも200km/h近い最高速度、160km/h連続巡航可能などは珍しくなくなっています。
ただ、実用品としての座標をどこに置くかという問題は常につきまといますし、
安全性や環境対策、経済性などによる総合的な制約は、ジェット輸送機の「音速の壁」とも違う「バランスの壁」として
現代の自動車開発の前に立ちはだかっています。
1000ccの初代バリッラは油圧4輪ブレーキと全鋼製ボディ装備で最高90km/h足らずです。
その後、ダンテ・ジアコーザ御大のもとで
1937年の「ヌォーバ・バリッラ」、1953年の「戦後型1100」、1969年の「128」と
1000-1100ccクラスのフィアットは進化を重ねていくわけですが、
この過程ではどんどん無駄がなくなっていきます。居住性は良好に、重量は軽く。
車幅が広がったぐらいで、全体のサイズはむしろコンパクトに。
自動車としての性能は上がり、効率は高まっていきました。
ただ、1970年代以降必須となった「安全対策」が響き、以後の自動車はフィアットに限らず、肥大化と重量増加を招くに至ります。
「極限」に到達し得ない「バランスの壁」を、新たなファクターの「安全対策」「環境対策」が生み出してしまったわけですね。
そんなものを無視できるのは、一部の特殊なスポーツカーや高級車だけで、大多数は無闇に「壁」を破るわけには行かない。
技術の進歩で新型車が安易に繰り出されまくっているように見えても、やはり自動車開発の本質的な困難さを感じます。
276-277さんが書かれたように、おおよそ現代の実用速度とか巡航性能って、1930年代半ば〜後半には
既に大衆車でも達成されていたようで。そこからの余裕部分の向上は勿論大きいものですけれど
少し前にトラクション・アヴァンの話の中でも書いたように、基本的には30年代の設計になるこの車が
(特に日本では)一応理屈の上では実用に足りるというのも、また現実であります。
自動車の性能は向上しても、ごく普通の人間が適応出来る速度は時代によって変化しないって事も
そこには有るのでしょう。
さて、そのトラクション・アヴァンによって大衆車の巡航速度を現代レベルに近いところへと
一気に引き上げたシトローエン社ですが、その後に開発された2CVはと言うと
初期型は480kgの車重に対して僅か375cc・9HPのフラットツイン空冷エンジンを備えているに留まり
最高速度は(楽観的に見て)70km/h
1920年代に隆盛を極めたT型フォード程度かそれにやや劣るくらいの動力性能でしかありません。
この事のみを見ても、2CVはそれまでの自動車の歴史の流れの延長上で語るべき車では無い事が
理解出来ると思われます。
その一方、このところ話の中心に有るビートルはと言うと、
初期型ですら最終型2CV程度の動力性能を備えていた訳ですから、
その誕生の時点に於いて比較すべき対象は2CVとかではなく
フィアット・バリッラやオペル・オリンピア、更には英フォード・プリフェクト辺りなのでしょうか。
リアエンジン自体は廃れてしまった技術と言っても過言ではないでしょうし
オペルのモノコック構造など、部分的に見るなら先進的であるところを備えた車も有ることから、
最終的つか、今の目で見てどれが先進的な車であったとかは軽々しく言えぬところもあるのですが
これらの中では限られた条件の中で、最も意欲的に設計された車がビートルだったことは
恐らく間違いないでしょう。
もっとも進歩的であることや意欲的なこと。これらは立派に一つの価値であるとは思いますが、
その一方で手堅く確実な手法で高度にバランスを追求するというのも立派に一つの在り方な訳で。
技術史的には地味になり勝ちな、そうした車のことを考えてみるのも意外に面白いテーマかも知れません。
2CVは廉価を狙ったエントリーカー、VWはアウトバーン走行を前提とした政策的国民車なので
目標がまず違う以上、別物になるのも当然な気がします。
大衆車という言葉自体も曖昧なもので、その単語一つでくくるのは無理があると思います。。
(たとえば戦前の日本で『大衆車』という言葉は、当時の最多量販車である横浜フォードや大阪シボレーを
指す意味合いでよく用いられたわけですしw)
2CV開発スタートの1936年ですと、フランスの路上にはプッシュカー形式(前二輪、後一輪)の貨物自転車や
三輪貨物バイク、第一次大戦後の設計を引きずるサイクルカー、それに類した傷痍軍人用車両(英国でいう
インヴァカー)などがゴロゴロ走っていたわけで、そうしたミニマムな乗り物に快適性を付与し、代替を狙う車と
みれば、2CVのあの妙な成り立ちも納得できるものがあります。
2CVが発売された戦後においても、ルノー4CVと比べたときの落差ははなはだしいものがありますが、
同時期のミニマムな車、ロヴァンやモシェ、ガリなどと2CVを並べてみれば、なるほどと納得できないでしょうか。
>>279さんのおっしゃる通りで、2CVの出現は
日本で言えば1950年代、エンジン付きの軽便な乗り物が、汎用エンジンを鋼管フレームに積んだ零細メーカー製スクーター、
または軽オート三輪か、四輪となるとオートサンダルやニッケイタローのようなちゃちな原始的軽自動車しかなかったところに、
性能レベルが高く洗練されたスバル360が現れて、
全てをひっくり返してしまったのと同じ効果(否、それ以上の効果)があったんだろうと思います。
フランスでの「2CV未満」な簡易車両の奇々怪々さは、279さんのいうロヴァンなどのミニマムカー各車に端的に見られますよね。
しかも1950年代に作られていた、イソ・イセッタやドイツ製のバブルカーに比べると、不出来というかレベルが概して低いようです。
無駄に変な設計になったりして。
日本の雑誌にはイセッタやメッサーシュミットどころか、ハインケルやゴッゴモビル、ツュンダップ・ヤヌスまでが紹介され、
特にドイツ系の各車は格好こそ変だが一応の性能(80〜100km/h巡航可能)はあったことが紹介されてるんですが、
フランス製のバブルカーが詳細に紹介された事例なんて、この10年がところの記憶では皆無ですね。
レベル低すぎて日本持ち込み不能とか、フランスでもよほどタマ数が少なくて話題に上らないとか、そういうことなんでしょう。
だから2CVは、ボディサイズこそ800ccクラスにも比肩する乗り物ですけれど、
実は日本の軽自動車に類する存在だったのが実情でしょう。
日本での軽自動車のエンジンパワーアップ、排気量の550cc拡大に類する措置が、元のボディサイズの余裕で容易に可能だったため
602ccまで排気量拡大されて、他の自動車と位置付けを比較するにはどうすればいいのか判断に苦しむクルマになりましたが。
ビートルは、限られた枠内(この場合はコスト)で既存の自動車を超える性能を実現するために設計された、
小型実用車の本道を行くクラスに属するでしょうね。
以前書いた事のある話も多く「またかよ」と思われる方もおられるかも知れませんが。
第一次大戦後に英仏両国を中心に流行した“サイクルカー”と呼ばれる簡素な車の一群は
英国ではオースティン・セヴン。フランスではシトローエン5CV
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12413.jpg・・じゃなくって・・
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12414.jpg によって、20年代半ばには大部分が駆逐され、その後の第二次大戦後の混乱期には
ガブリエル・ヴォアザンさん設計になるビスクテールも受け入れられずスペインで僅かに作られたに留まったとか。
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12415.jpg そんな中で2CVが何故成功したのか?っつうと、やはりこの車って本来只の戦後耐乏型を目指した物ではなく
5CVでサイクルカーを否定したシトローエン社が、それらとは一線を画すものとして
>>279-280さんの書かれたような高度な設計を持ち込んだ車だったからでしょう。
この車が多数のバックオーダーを抱えていた時期には
“車は必要でも、普通の車は買えない”地方の医師や聖職者に優先的にデリバリーされたという話もありましたが
此処でもシトローエン社自身が2CVは“普通の車”とは異なる物と考えていた事が判ります。
実はサイクルカー大好きな私、つかキワモノ大好きなだけかも知れませんが。
このスレも最初【アミルカー】サイクルカーを語れ【サルムソン】って
スレタイで始めようかとも思ったくらいですが(無茶 w)
第二次大戦後のバブルカーとなると左程でもなく。この時期の“戦後耐乏型”で最も興味深いのは
エットーレ・ブガッティさんの設計されたブガッティT68でしょうか。
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12416.jpg 質素なボディーの中に積まれている直4エンジンは僅か750cc程度で戦争後の燃料不足の世の中を
端的に表現しているようですが、
そこはブガッティらしく、過給機を備えたエンジン全体には美しいきさげ模様が施されています。
この“戦後耐乏型”超小型車を、エットーレさんは何処に売るつもりでおられたのか、
大変興味が有ります
>>279でフランスの際物カーの名を出してしまった行きがかり上、こいつだけは触れておきたいのが
アンテル Inter 175A
http://chavattov.neuf.fr/ リンク先に画像があるのですが、前輪を畳んで狭い所に収納できるという面白い奴。
もうこの特技一つで愛してしまえますwww
古いフランス映画で、クソ狭い路地からプジョーP108(バイク)を引っ張り出してくるシーンがありましたが
そんな場所にも置けるというのが狙いだったんでしょう。
>>282 走る時には前輪を左右に広げるって奴ですね。サスペンションの形式はどうなっているのでしょうか。
こういうのって、狭い所に無理矢理押し込められて、結局は傷だらけになりそうな気もするのですが
どうなんでしょうかね??
さて、先日クリフカット・ルーフの話なんてのが有り。
“3BOXスタイルの成立の話は、またそのうちにやりたい”等と書きましたが。
その時の
>>266さんの書き込みを読んで、私はなんとなく違和感を感じました。
“なんでかなぁ・・”と考えてみると・・。私はビートルとかリンカーン・ゼファーのような流線形の車の後部
ルーフエンドからのラインがバンパーレベルまで一気に下降する形もファストバックと捉えていたのに対して
266さんはそうした形を現代の目で見るファストバックとは異質の物と捉えておられるようなので
微妙に話がそこで噛み合わなかったのだと思いました。
言わばプレーンバックとファストバック。
確かに、今通常にファストバックと言われるような形とは、ビートルの後半部とは結構感じも異なりますから、
この二つは本来別物と考える方が自然なのかも知れません。
これらを一緒くたに考える私の見方ですと、流線形の流行が先ず有って、その後に
>>136辺りで触れた
38年のキャディラック“60Special”が3BOX型を提案したということになりますが
別物と考えるならば
>>266さんの言われたように、ファストバックの流行とは
ノッチバック(3BOX)型の後に来た物と考えるのが妥当でしょう。
ところが、ファストバックとプレーンバックを別物と考えるとするならば、
そこには当然「何処を境い目にするのか?」とか「この車はどっちに属するのか?」
とかのややこしい問題が出て来るでしょう。
例えばポルシェ356とか911。更にはシトローエンBXとか・・。
もしもファストバックとプレーンバックとは別に考えるべきとするのであれば、
私はこれらの車の形は、どれもファストバックの範疇と思うのですが、
逆の事を思う人がいたとしても別段不思議は無い気もします。
・・全く世の中は難しい事ばかり・・
ちょっとヒマ人はヒマ人なりに忙しいので、一応保守だけ。
>>283 空力、または流線型を目的にしてルーフからケツまでなだらかに繋ぐのがファストバックですから、
戦前のエアフローやゼファー、ビートル、タトラプラン、アウトバーンクリエール等々と、70年代に
再度復興したものとは同じだと私は思います。
ファストバックの隆盛と衰微を、また別の視点、シャシーレイアウトから考えると面白いかもしれません。
センターポイズでエンジンが前車軸の上に乗っかった時期、デザインもケツが傾斜を始めます。
1920年代の車の前輪だけをセンターポイズの位置に持ってきた図を想像してみると、後ろがやたら
重ったるくて、やってられないバランスになりませんか?
センターポイズと流線型化は、そう考えると相性の良いものだったのかもしれません。
一方、48-9年式辺りの戦後型アメリカ車を思い起こしてみてください。
ファストバックで違和感なく成立しているのはナッシュやハドソン、一方GM系は今ひとつで3BOXの
方がデザインの収まりがよろしいです。
ナッシュやハドソンとGM系の違いは、リヤオーバーハングの長さ。
センターポイズに続き、オーバーハングのマスをゆったりした振幅=乗り心地の良さに利用するように
なると、ファストバックでは視覚上のバランスが崩れてくるわけです。
>>285 レス頂いておいて大変失礼なのですが、ちょっと私用で色々とあって・・。
恐らく明日辺りにはまた元の調子に戻れるかと思います。
287 :
285:2008/11/10(月) 01:46:30 ID:nN7l2e570
まあまあのんびりと ノシ
掲示板はあまりのめり込みすぎるとアレですからね
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再開(w)・・とりあえずは
>>285さんの補足っつうか、重複になってしまうかも知れませんが。
かなり前の話になりますが“戦後アメリカ製2シーターは何故(コルヴェットを除き)絶滅したのか?”
みたいな話がありまして。その時に作った図を再び
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12426.jpg フォードV8の、上は32年型で下はエンジン位置の前進した後の36年型公式図面のコピー。
今、話題にしているのはセダン(サルーン)型ですが、フォードV8は二座クーペもセダンも
運転席の位置は同じ筈ですので、大体の参考程度にはなると思います。
全体に前のめりな形になった36年型では
>>285さんの言われるように、
後半部がやや冗長に見えるかも知れません。
先の二つを重ねた図・・デザイナーさんの苦労が偲ばれますね(w
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12427.jpg アメリカの基準で言うならば小型車に属するこの車では、この程度で済んでいますけど、
より大型のリンカーン・ゼファークーペではこんな感じになります
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12428.jpg 五十嵐平達さんは、その著書の中でこれを“美しい車だった”と書かれていますが、私にはやはり
バランスを欠いた物に思えてしまいます。
で、以前この話を書いた時には(クーペ型の話でしたので)戦後は2シータークーペは
前車軸よりも後方にエンジンを搭載するスポーツカー型配置のシヴォレー・コルヴェットを除き絶滅したのは
こうした所謂キャブフォワードレイアウトでは、初代サンダーバードのように、
苦労して作っても何処か半端な車という評価しか得られなかったからではないか?みたいな話になったのですが
セダン型も基本的には似たような事が言えると思うのです。
空力的には望ましい筈の雨滴型ですが、人の目で見たバランスとなるとまた話も別なのでしょうか。
30年代に話を戻すと、リアもフロントと同様の横置きリーフだったリンカーンに対して
縦置きパラレルリーフのGM・キャディラックはリア・オーバーハングを削り辛く、そこも3BOXスタイルを
GMが提唱した理由の一つだったのかも知れません。
290 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/11/11(火) 12:12:39 ID:8zv4LT9e0
こんな過疎スレで“知識自慢ごっこ”て虚しくね???
そう言えば、このところ人を呼ぶ努力をしていないな・・。まぁ、こんなネタだと興味の有る人も限られるだろうし
一応、今迄の感じから4〜5人くらいは読んでいてくれる人もいるみたいだから良いか・・。
でも、タマには宣伝がてら、少し他のスレッドを荒らしに行くかな(w
3BOX型サルーンの成り立ちの話。最初に馬車の時代の典雅なボディーを模した、古典的に徹した車の例
1928年頃・ブガッティT41・ロワイヤル“ベルリン・ヴォワイヤージュ(長い名前 w)
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12430.jpg もう一つ、1926年・リンカーン・モデルL ジャドキンス製、英国馬車風のブローアム
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12431.jpg 両者共、この時代としても極端に馬車風を意識したボディーで、後席は完全に後車軸上に有り
ボディー後端は下方に行くに従い、丸みを与えられ前方に向けられています
これがフォードで言うところのセンターポイズ・キャブフォワード化で全体に前のめりになると
ボディー後端も裾をひくように下降する形が主流となりますが、
その頃に盛んに研究されていた流線形空力ボディーの影響つか、流行がそこに役立ったのでしょう。
それに対して、主に実用的な観点から流線形に異を唱えたのが1938年のキャディラック60S
http://autopuzzles.com/Cadillac%20Series%2060.jpg 当時GMはこの形を主流とする意図は無かったのか、38年のキャディラックは
流線形の“Sedanet”も同時に用意しての二本立て戦略をひいていたようです。
しかし、この60Sの斬新さはフォード社社長エドセルさんの興味もひく結果となり
41年にはリンカーン・コンチネンタルクーペ(ほぼツードアセダンと言っても良いでしょう)に結実
http://www.metroccca.org/GC_Car_003-2red41.JPG 戦後型3BOXにつながる・・と言うのが、一部自説も含まれますが定説でしょうか。
此処で話は最初に挙げた馬車風ボディーに戻りますが。
それらの車の後部には、共に小さな(文字通りの)トランクが背負われていますが
この、視覚的バランスの為の小さなトランク。若き日のビル・ミッチェルさんが60Sをデザインした時か、
またはエドセルさん以下のフォード・デザインチームがそれを洗練させた時かに、
恐らく影響を与えていると思うのです。
>>290 知識自慢でもここのコテは記憶してる知識じゃなく本に書いてある事を
ただ書き写してるだけだからな。
カー検1級に合格した奴らはちゃんと頭の中にインプットされてるから
あーいうのを本当の知識って言うんだよな。
定期的に見てはいるよ。
Car検定。・・実はこのスレッドで最初に話題になった時に「あんまり興味無い」とか書いちゃったので
後でなんとなく気が変わって受ける気になった時にも、そう書かなかったし(書く必要も無いですけど)
その後も、落ちたら黙っているつもりだったみたいなのもナンなので、受かっても黙っていました。
まぁ、あれって四択形式の出題なので、うろ覚えでも運次第でなんとかなる事もあります(結構いい加減)
・・せっかくネタ振って貰ったから、ちょっと自慢させて貰お(w
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12432.jpg 先日一級合格時に合格証と一緒に貰ったチタン製プレートですが、何の説明も無く渡されたので
後でCG誌上で知る迄チタンとは気付きませんでした。
デジカメ出すの面倒なんで不精してスキャナーに乗せちゃいましたから、こんな風に撮れましたが
実物は当然銀色金属色です。
しかし私、このスレッドでは「知らなかった」とか「判らない」とか、そんな事ばかり書いている気もしますが
それでも知識自慢とか言われるっつうのも、まぁ仕方ないのでしょうかね。
脱線しましたが、戦後型3BOXボディーの成立の話の続き。
このネタになるとアメリカが話の中心になりますが、ピニン・ファリーナをはじめとするイタリアのカロッツェリアが
戦後型への脱皮に果たした役割ってのも結構大きかったのはよく言われるところであります。
ところが、これらのカロッツェリアの作品は当時(30年代後半頃)の高級車・主にアルファ・ロメオ辺りに
架装されたものですからアメリカ車のようにエンジンは前進位置にはなく、キャビンも当然前進していず
側面形のみを見るならば、古典的なプロポーションを大きく変えてないもの。
乗り心地の向上と引き換えに、ステアリングの応答性を犠牲にすることが許されたアメリカ車とは異なり
やはり欧州製高速・高級車はこの時代でもキャブフォワード化は出来なかったということでしょうか。
それが戦後にはアメリカ型3BOXに近い形を手に出来るようになったのには様々な理由が考えられますが
高速道路の整備等により、スタビリティの重要性が増した事などは結構大きかったのではないでしょうか。
おれは皆さんの書き込みを楽しく拝見させていただいています。
むしろ、自分の知らなかったこととかあると資料を出してきて再確認したりと
楽しみ方や、当時の間違った認識を改めることができて楽しいのですが・・・・。
タイミングが合えば、今やっていることとか、「バイク」のネタなどにも広げてみたいのですが
なかなかww
文章とは、書き手のレベルが高くないと形にならないのは言わずもがなですが
読み手にもそれと同様のものが求められるもの。
自覚が無い人は、ここではほっとけばいいだけですので楽ですが、リアルでそれと接している
人たちのことを考えると、不憫で涙を誘いますw
296 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/11/13(木) 12:54:44 ID:Dk07bnEL0
28 :Σ(・*・` ) ふっさーる ◆288GTOD/a2 :2008/03/18(火) 21:16:05 ID:dVgnQYbE0
でも切換さんはいい人だよw
俺の知っている人と同一人物なら、すごく丁寧で物腰の優しい紳士ですぞw
おもうに、ハンドル握ると人格が切り替わるんだよw
30 :名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/03/18(火) 22:45:45 ID:E1oSjFtk0
>>28 あんたは国スレで自作自演していた言い訳でも考えてろ。
>>295 この度は私の家族や知人一同に大変なお気遣いを頂き、まことに有難う御座います。
・・つか“不憫で涙を誘いますw”・・って、笑ってるじゃないですか(w
なんて事は勿論本気で言ってますけど(w
>文章とは、書き手のレベルが高くないと形にならない
全くその通りで、昨日の最後の部分など、スタビリティの重要性が増す事と3BOX化の流れがどう結び付くのか。
スタビリティ確保に於ける前輪荷重の重要性が、アメリカ車同様のエンジン位置前進を必要とした事等
書き加えていないと何が何やらさっぱりな文章でした。
まぁ、そんな事はともかく(その一言で片付ける w)
46年のスチュードベーカー、49年型のフォードの成功で、
アメリカでは3BOX型セダンの流行は決定的な流れになったようですが。
それに追従しないといけないという理由も別に無い欧州でも、やはりこの形は斬新に思えたのか
また実用的であったことも事実でしょうから、主に中型車以上では3BOX型ノッチバックセダンは大流行した模様。
純粋な意味での最初の欧州製戦後型サルーンというと、多分1950年のアルファ・ロメオ1900辺りでしょうか
http://www.motorimania.it/manifestazioni/auto_storiche/images_alfa_romeo/c_alfa_romeo_1900_21.jpg コラムシフトの採用やら、後期型では俗悪なデュオトーンの塗り分けなど
同時代のアメリカ車の悪影響を受けたと言われる事も多い1900ですが、
やはりこうして見ると単なるアメリカ車への追従とは異なる引き締まった良い形であると思います。
2年程前に発表された49年型フォード
http://www.nashnut.com/archives/49ford.jpg 物凄く大雑把な見方をしてしまえば、同じようなフラッシュサイドのノッチバック型セダンという事は同じですけど
やはりそこはイタリアの場合は早くから新時代型を模索していたから、アメリカの流行にも単に流されるのではなく
更なる洗練を加えた形を生み出せたと考えるべきなのでしょう。
他の国では結構この時代にはおかしなデザインのサルーン型も多かったですし、
見た目には良くとも客室の広さが犠牲となっているような例も見られたようですので、余計にそう思います。
同じイタリアの3ボックスでも、やっぱり1950年デビューのフィアット1400は、日本のオオタPAの親戚みたいな酷い風体で、
これじゃその2年後に出たプリンスと程度が変わらないじゃないか、前輪独立懸架なのに、と、ちとがっかりです。
技術制約と、自国のユーザーがアメリカ流のトレンドについて行けるか確信に欠けたことが、
市場のフラッシュサイド化を1953年以降まで遅らせた事例もありますね。西ドイツはまさにそれ。
西ドイツの場合、爆撃を受けた敗戦国、かつ東西分割で東側の工場が使えない状況が足枷になった面はあるでしょうか。
メルセデスですら170V一本で再スタートを図ったほどgdgdでしたから。
とはいえ、ボルグヴァルド1500のような当時のデザイン水準に達した新型車もあり、戦後になってからフリーハンドで設計
できたマイクロカーでは、ロイトやグートブロート、ハノマークなど、フラッシュサイドですね。
(サイズが小さいから、そうせざるを得なかったという話もありますが)
ドイツのマイクロカーも日本と同じく、物欲しげなアメリカ車風味デザインのものがあったりして微笑ましいもんですw
>>297 >後期型では俗悪なデュオトーンの塗り分けなど同時代のアメリカ車の悪影響を受けたと
ツートーンですが、大戦前からの欧州コーチビルド系(特にフランス)あたりの翻案という流れはないでしょうか?
戦後、フェンダーをキャビンに取り込むにつれ、茫洋としたボディのボリュームに耐えかねたのか、塗り分けた
車が増えますが、こいつらがアメリカ車に影響を与えた気もするんですが。
サイレントシャフトなるモノ装備して「私達のエンジンは何故四気筒か?」等というコピーを用いて
デボネアまで四気筒化したその数年後には「世界最小のV6」を出した三菱しかり(w
欧州等、地震の無い場所で築数百年もの建物に囲まれて暫く過すと、なんだか息苦しく感じて来て、
チョコッと建ててはまたすぐに建て替える。仮設住宅の如き家屋だらけの日本の街並みもまた、
それはそれで軽くていいかな?って気がしてきませんか?
まぁ、帰って来ると「やはり殺風景だなぁ・・」って思うのですが。
私もその一人ではありますが、普段欧州車の欧州車的な良さに触れてばかりいて、
それが自分の中のメートル原器となっていると見え難いのが“日本車は何を目指しているのか”
元々がアメリカ車の行き方に学び、GM的な“計画された陳腐化”を商売の手本にしてきたのが
日本のメーカー。
時には外見を変える為にだけが目的であっても、頻繁に行われるモデルチェンジ。
新型は常に旧型が古臭い物に見えるような形の物でなくてはならぬ・・。
こうしたアメリカ車の行き方を追いかけて来た日本車ですから話は外見に限った事ではなくって、
欧州車の尺度で見てしまえば、幾ら経っても欧州車には追いつかないように見えても当然。
だって、我々が思うような“良さ”なんて最初か追い求めていないのですから。
でも、アメリカ車が勢いを失った現代。大衆車レベルではアメリカ車に追いついているのかも。
トヨタのカムリなんて、我々が乗ると何が良いのかよく判りませんけど、アメリカ人の尺度だと
あれはとても良い車なんでしょう。一時期日本でも売れまくったフォード・トーラスなども
乗ると別にどうという事も無い車に思えましたが、「結局、良い車の尺度が異なるという事か」と
妙な納得をしたものでしたし。
まぁ“技術の日産”と言っても自ら言い出したキャッチコピーであり、先に言った者勝ちみたいなもの。
間違っても“販売のトヨタ”とは言わないでしょう(私が一番酷い事書いているかも w)
インフィニティQ45。これ程オタクの話題にならない車も他に無いかも知れません。
あの車が販売的に失敗した理由を、雑誌媒体等では「保守的な日本人向けではなかった」
等と書かれているのを見た記憶が有りますが、私にはそうは思えません。
インフィニティにしても、その前のレパードにしても、あの頃の日産車は“トヨタ的では無い物”
というだけの消極的な個性化を図っていただけに見えるのです。
挙句の果てには、マイナーチェンジでクロームのグリルを追加。そうして自らを否定してしまっては
エロスパ氏の書かれたように、貯金も何も残る筈は無いでしょう。
そして現代“良い車である前に良いアルファであって欲しい”というアルファマニアは(多分)いても
“良い車である前に良い日産車であれ”と言うニッサンマニアなど(多分)存在しないでしょう。
それもまた、メーカーの貯金の無さの表れなのではないでしょうか。
ベルト類が切れたら、変な事考えないでディーラー、駄目ならスタンドを捜しましょう。
それも駄目なら機械工具のお店を捜し、旋盤やボール番等のベルトに近いサイズが無いか
聞いてみましょう。
実は一回、ハイドロ用ポンプの駆動ベルトを切らして、旋盤用でその場を凌いだなんて事が(w
溶接と言えば、電気溶接とガス溶接。他にも塩ビの溶接(熱風で行う)なんてのも有りますが。
最近はアルゴン溶接が手軽になって、ガス溶接ってのはあまり使われないのだとか。
電源は要らない(当然ですけど)手軽さはあっても、火加減が微妙なので、目盛りで電流が
正確に調整出来るアルゴン溶接の方が良いのだそうです。
私も少し悪戯させて貰いましたけど、溶接トーチは重いし、ガスホースの太さも邪魔だし、
確かにアルゴンの方が使い易いようです。
まぁ、そんな事はともかく(何の話だよw)
ガス溶接に使うアセチレンの炎、見た事が有る人も多いでしょうがかなりの明るさ。
車のヘッドライトも、電気式が普及する前にはアセチレンが一般的だったのも頷けるというもの。
しかし、アセチレンは高圧で沢山ボンベに入れられない(結構すぐに無くなるらしいです)ので
カーバイトを用いたアセチレン発生器(結構危険物)を車に積むのが普通だったとか。
今だったら危険物の取り扱い資格もないと、車を運転出来ないと言う事になったでしょう。
と、判ったような事書いていますが・・。
C2H2(アセチレン)に2個のH2O反応させてC2H5COOH(エチルアルコール)作れない物か・・等と
おバカな事考える私・・(w
七宝焼きのエンブレムの話は以前にも出ましたが、VWタイプT等にもウォルフスブルグ市の紋章を
七宝焼きにしたエンブレムが付いていた筈。
職人さんが手作りした本格的な銀線七宝となれば、やはりそれなりに高価でしょうが、
現代の物価でもピンバッチ等なら千円以下で買える物も多く、特に七宝=高級という事も無いようです。
勿論、樹脂製のエンブレム(それまで用いられた金属製よりも安価に出来る事から採用されたと
思われます)と比べて考えれば、それでも充分に高価なのでしょうけど。
さて、トヨタ2000GT。ダッシュボード等の内装にはヤマハ(楽器の方)の協力があったとか言う話も
何処かで読んだような記憶が有ります。
空力的なボディー形状に見えますが登場当時(65年東京モーターショー)未だトヨタには
自前の風洞設備は無く(導入は70年)実際には勘を頼りにデザインされたのだとか。
そんな事も有って、この車のスタイルはどちらかと言えばエンジニアリングよりも
デザインが主導となって決定されたようです。
とにかく格好の良いGTカーを作りたいという、デザイナーの率直な思いが具現化されたその結果、
言葉は悪いかも知れませんが、あの当時の欧州やアメリカの様々なスポーツカーの
格好の良い部分の寄せ集めのようでもあります。
全体形はジャガーE-typeのようでもあり、カムテールはフェラーリのようでもあり、
中央の凹んだルーフはザガートのそれをヒントにしたようでもあり。
しかしそれが幸いして、アメリカ風でもなければ欧州風でもない形となったと言えるのでしょう。
フロントエンドの処理で破綻が生じて、ヘッドライト起こすと格好悪くなるのと、
スペアタイヤの置き場所等に無理が有るのはご愛嬌でしょうか。
トヨタ2000GT。有名な割りには、これ程実際に運転してどうのという文章を見た事の無い車も
他に無いような気がします。
「室内は狭く(まぁ、当然でしょうね)ステアリングは重く。ワインディングロードの運転は
力仕事であった」なんて事は何処かで読んだような記憶がうっすらと有りますが、
肝心のクラウン用直6をツインカム化したエンジンの感触であるとか、ロータス・エランを
参考に作られたというシャシーの出来はどうだったのか?というような話は
全く読んだ記憶が残っていません。
さて。トヨタが自前の風洞を建設していたという60年代末期という頃は、
今では考え難い、専用のシャシーを用いたスポーティーなGTカーをフラッグシップにしていた事や、
ポルシェよりも早い時期のターボチャージャーを装備したGr・7の開発等。
ある意味ではF-1に参戦している現代以上にスポーティーなイメージの構築に熱心だったように
思われます。
恐らく、エンジニアやデザイナー達は風洞設備の完成を首を長くして待ち、
より一層の高性能車、スポーツカーの開発を夢に見ていたと想像されます。
残念なことにオイルショックや排気規制強化の波が来てしまい、完成した風洞設備は
一般実用車の燃費改善や、低公害車の熱対策に使われる事になってしまったようですが。
このトヨタの自前の風洞。
これが最初に活躍したのは開発期間を考えると計算が合わないと思うところですが、
71年2月に発売された4代目クラウンなのだそうです。
この車、凝った(複雑な)形状のフロントグリルを採用したは良いけれども、
その為にラジエーターへの導風が充分ではなく、オーバーヒートが多発したので、
その後始末で折角の風洞設備は占領されてしまったのだとか。
>トヨタが自前の風洞を建設していたという60年代末期という頃
大人向け雑誌から子供の図鑑にいたるまで、当時やたらと自慢してましたね。
そのときに据えられた風洞は、トヨタ初の「実車をぶち込める風洞」です。
>これが最初に活躍したのは開発期間を考えると計算が合わないと思うところですが、
>71年2月に発売された4代目クラウンなのだそうです。
そのクラウンが71年夏、東京の真夏日にあちこちでオーバーヒートして、官庁などで一気に
信頼を失ったのが皮肉なところでw
さて、風洞といっても木型を入れるような小型のものはそれ以前から使われていたわけで、
トヨタの場合、1965年のスポーツ800は開発時に風洞を通しまくったそうです。
その前年のRT40コロナでは、流体実験(循環水槽のことでしょう)が使われたとのこと。
ホンダでは、1962年のショウに出品したS360/500が風洞を使い、オープン時の風の巻き込み、
フェンダーアーチの開口形状、ヘッドライトカバーなどにその結果が反映されたそうです。
アメリカだと、1950年にはNashが風洞を広告に描いて宣伝キャンペーンをやっていましたが、
日本で初めて風洞に通した車って何でしょうね?
さて、トヨタスポーツとホンダSが、同じ風洞というキーワードで出てきますた。
当時レースで好敵手といわれ、パワーと効率の正反対のアプローチが興味をひいた二台、
トヨタスポーツは、室内高、ヘッドクリアランス、シート幅、ガソリンタンクの大きさなど、当時のFIA規格を
満たしつつ空気抵抗を最小限にするという、レースに勝つことを目標にした風洞の使い方。
一方のホンダSは、輸出商品として大柄な外国人が乗り込め、トランクを持ち、キャビンへの巻き込みを
抑え、タイヤの跳ねるホコリや水しぶきの不快さを避けるための風洞実験。
スタート地点が違う両車は、ずいぶんテイストも違って、それでいてどちらも素晴らしい。
今なら、ライバル車を仔細に検討して似通ったシロモノになるのでしょうが、よき時代だったのかな。
>>300-304は、以前の私の書き込みのコピーですね。何でまた?って思っていたら
何故か結果ネタ振り役になってくれているし・・訳ワカラン(w
しかし、このスレも7スレッド目。3年半もやっているのか。・・・・莫迦だねぇ・・我ながら・・(w
>>305 日本で初めて風洞に通した車。・・さぁ、何でしょうね。日本初って、世界初よりも判り辛いところが有ります。
大体、日本で初めての風洞ってのが何処の物でしょう?
以前ちょっと触れた「空力とカースタイル」って本ではトヨタよりも先の67年に日産では実車用風洞が
稼動を始めているそうですが、それ以前にも大学等の研究設備に風洞は存在したようですし。
軍隊では航空機の設計にも(模型用でしょうが)風洞は有ったでしょうから
“くろがね四起”とか“スミダ六輪車”なんてことは・・ないか(w
ところで、トヨタスポーツ800で思ったのですが。当時(60年代)には800ccって排気量は
FIAのクラス分けの上で不利にはならなかったのでしょうかね?
近年、またいろいろと資料が出て来たこの車も、また機会が有ったら掘り下げてみたいもの。
>>209 デュオトーン(ツートーン)自体はそれこそ馬車の時代から有るようですから、
何に影響されているとか何をもって俗悪とするかなんてのは、本来主観抜きには言えぬところなのでしょうが
その当時のアルファ・ロメオのデュオトーンって、こんな感じですよ(w
http://model-car.jp/pic-labo/limg/m47075.jpg これは歴史に根差したとかではなく、むしろパンクロック的に古典・保守的趣味の否定に回った物と思います。
>>298 1950年のフィアット1400
https://gazoo.com/Meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=7055 写真で見る限り確かにアルファの1900と比べてしまうと何処となく鈍く、はっきりしない形に見えますが
この車の実物を見た事がないので、昨日書き込む時にも少し気になってはいたのですが除外しました。
デザインは巨人・ダンテ・ジアコーザ技師自身だそうですが、後の500や600程の出来には無いかもしれません。
しかし、虚飾を廃したこの初期型は結構好ましく。私には醜いとは思えません。
もっともこの車も最後には(1900となった後は)酷く装飾されてしまったようですが。
アバルト他、多くの手によって様々にチューンされたフィアット600ですが、
サスペンションはそのまま流用される事も多かったようです。
それだけ、オリジナルの設計が優れていたという事なのでしょう。
只、前輪のバネレートを変更しようとすると、ロワーアームを横置きリーフが兼ねるという形式の為に
そう簡単にはいかず、その場合には(増えた荷重に対処するためにか)
通常のダブルウィッシュボーン+コイルに変更されたムルティプラ用のパーツを使う事が流行したとか。
そう簡単に出来る改造でもなさそうですけれど、この場合トレッドも幾らか広くなるので一挙両得(?)
「運転してて楽しそうじゃないと食指が動きません 」っつう287さんの考えはもっともだと思います。
フィアット600の中で考えても、ムルティプラよりはセダン。どうせなら過激にチューンされた奴。
リアのエンジンフードを半開きにして、パウダー・ブルーと赤に塗り分けたようなのが良い。
そう考えるのが正統的ボーソー趣味っつうモノでしょう(w
まぁ、それは冗談(でもないか?)にしても、私もなるべく余計なモノは背負いたくない。
出来るだけ身軽でいたいと考える側の者であります。
でも、そういう事は別にして車そのものの魅力とかを考えてみると、ムルティプラの有る生活ってのも
ナンだか楽しげな気がします。
恐らくあの車が現役だった頃、二〜三列目に押し込まれた子供達の目には、4段MTを駆使して
非力なエンジンをフルに使って走らせるオトーさんの姿はきっと頼もしく見えた事でしょう。
まぁ、現代この車板で散々な叩かれ方をしているのはそうしたオトーさん達の末裔ではなくて
離れかけた家族の関心をお金で買うようにミニバンを選んだとか
(でも、結局子供達はリアシートで携帯ゲーム機に夢中で、運転席は孤独だったり・・)
レジャー道具の置き場所も兼ねてミニバン買ったっつう物置と車の境が曖昧な人とか
そういえば現在はスチール物置メーカーの岡村製作所が作った“ミカド”って車も有りましたっけ)
そんな人達なのでしょうか。
ウィリアムB.スタウトのスカラブ(1935年)は以前流線形の話で出たかと思いますが、
31年のジョン・ジャーダのスターケンバーグとかタトラ77等からの流れで見るべきで
室内空間よりも外見の要求からああいう形になった車と私は考えます。
後ろから見た時の格好の良さと比べると、フロントの方はあんまりパッとしませんねぇ・・。
想像ですけど、ムルティプラの座面が後方程低くなるのは、恐らく畳んで荷室に使う時の使い勝手に
配慮したからではないでしょうか?
また、そこに座る人の快適さを重視するなら確かにリアシートの座面の方を高くするべきでしょうが、
運転する側にすると、そうする事により後方視界が妨げられるというデメリットも有り。
運転席後方に更に二列もシートのあるムルティプラの場合、それを避ける為にわざとああした
可能性も有るかも知れません。
現代のミニバンブームの主流となっているのは、少子化が問題視される時代には過剰な空間、
それに由来する過剰な車重。それに対処する過剰なパワーと、過剰を過剰で塗り潰す性格の車。
そういう連鎖が多くの人から反発を買う理由なのだと私は思います。
実際に幾ら低床・低重心とか言っても基本的に鈍重な性格もあるでしょうし。
また、これはミニバンに限った事では無いのでしょうが、あれこれと進歩した運転支援技術の恩恵で
より安全な運転に集中している人等実際には殆どいなくって、
退屈になった分だけだらけて散漫な運転をしている人が殆ど。
技術に甘えて堕落していく人ばかり多くては、それは進歩とは言い難いのではないでしょうか?
現在ミニバンと呼ばれているのは、昔のフォードの木製ボディーのワゴンとか、
ファミリエールとフランス人達が呼んだ三列シートセダン(バン・ワゴンボディーの流用ですが)と、
マイクロバスとの中間に出来たモノと私は思います。
まぁ、元々が大して変らないもの同士ですけど(w
現代の国産ミニバンの中で見ても、ハイエース等の商用車ベースの車も有れば
セダンをストレッチしたウィッシュとかストリームみたいなのも有り。
前者はマイクロバス寄り、後者はセダン寄りでしょうか。
イージードライブを可能にするデバイス自体は悪くないって思いますし、
トラクションコントロールとかABS等は、むしろ有るべきとも思います。
私が否定的に考えるのは、眠くなるような安楽さだとか運転中に緊張感を忘れさせる物とかです。
例えばATだってそれ自体は悪い物ではないと思いますけど、
意外に多くの人がATのポジションの意味も知らないままに使っている事に驚いた事が有るので
“ATは運転を楽にするだけで、簡単にしてくれる物ではない”って意識を持って使える人でないと
却って危険ですらあると考えるのです。
ついでに屁理屈こねると。
ミニバンのような車ってかなり難しいところがあると思うのです。
定員一杯まで人が乗った時には車高は下がり、その分ロールセンターも下がり。でも重心は上がる。
普通の車以上にロール剛性の変化が激しい車な筈。
それを最小限に抑える為に足回り固めると今度は一人で乗っている時に酷い乗り心地になる。
今度のシトローエンC4ピカソでは車高調整の可能なエアサスをリアに使用しているそうですが
そういう事に気配りしているミニバンってそんなに無いのが実情でしょう。
そういう事も有り、私はやはり「ミニバン型も有っても良いけどあんまり流行して欲しくない」
って思うのです。
実は私の若い知人に
「三人目の子供が生まれたので、三人平等にチャイルドシートに座らせる為にミニバンにしました」
って人がいて。一人で通勤に乗る時等には固い乗り心地に辟易としていたので、そう思いました。
彼の場合は、子供の体重三人足したところで大人一人分にもならないので試しにタイヤの空気圧を
驚く程高かった指定値から常識的な数値まで下げてみたところ、少しはマシになったとか。
彼のように子煩悩で責任感の強い人がミニバンを必要として買うのは良いと思います。
チャイルドシートのメーカーも、もう少し考えて欲しいところですけど。
話は少し変わりますが、現代のようにミニバン型の車が広く受け入れられるようになったのには
一般の人の車を見る目が少し変化した事も有ると思います。
元々日本人はアメリカ車大好き。つか、アメリカ車に憧れる事から自動車文化が始まった国。
現在でもある程度の年配の方に顕著な傾向として3BOX型大好き。つかそれ以外は認めないって人
案外と多いようです。なんだかんだと言いつつも購入する人の平均年齢が60代というカローラが
未だに3BOX型セダンの形を捨てられない辺りにも、それは現れているようです。
この傾向がもっと顕著に有った頃でしたら、現代のミニバンの多くを占める一筆書き、モノフォルムは
これ程迄には市場に受け入れられなかったのではないかと思う事が有ります。
1913年のカスターニャ・アルファを見ても、空力を洗練させる為には、
途中に段の無いモノフォルム型が望ましい事は昔から知られていたようですが、あの手の形状は
多くの日本人が持つ“車らしい形”“格好の良い形”という概念からは外れるものであり、
“1BOX=貨物車・2BOX=貧乏臭い安車”みたいな偏見は根強く有ったようで
その為に四人乗りの最小限界を目指したような初期の360cc軽自動車にまで3BOX型が現れる始末。
幾ら現実の欧米ではそんな事は無いと言われても、そういう傾向は結構最近まで残っていたようです。
そういう傾向に変化が表れたのには、ガンディーニ等がデザインの一連のエキゾチックカーとかで
“モノフォルム=格好が良い”っていう刷り込みがなされたスーパーカー世代以降が多数派になった
今の消費者の年齢構成も一因として有るのでしょうか?
私は結構キューブは好きです。一時期、本気で我が家の近距離用車候補になった位です。
DBは嫌い。“どう違うのだ?”と言われたらナンとも言いようが無いのですけど。
1BOXは、やはりプロの仕事道具ってイメージが有り、好き嫌いがどうのこうのと言うモノではないです。
アレを私用に使う気にはなれません。シトローエンTUB(実物は見た事も無いですが)
これなら別ですけど。(結局シトローエンなら何でも良いの w)
ワゴンはセダンよりも裕福感が有るモノ
そう言われていますけれど、実際にはどうなのでしょうか?
例えばフランスの安価な貨客兼用車(ルノー4とか)を前に「純粋なセダン型よりも裕福感が有る」
とか言われても・・みたいな気もするので。
3BOX型の車が生まれた経緯は以前にも何度か触れましたし、改めてまとめるのも大変ですが
1930年代のアメリカ車のスタイルの変化を追う事で大体理解出来るのではないでしょうか?
特に30年代後半、流線形の流行が最も盛んだった時期。その次を狙って登場したキャディラック
シリーズ75がその発端と考えて良いと思います。
そして40年のリンカーン・コンチネンタルで完成を見る訳ですが、
この種の形、アメリカ人にも大好評だったのは勿論ですけれど別にこれ一辺倒になった訳でもなく
それ以前の甲虫型にも根強い人気が有ったようです。
こうした3BOX型誕生の経緯ってのは丁度日本では輸入が途絶えていた時期に進んだ事も有り
戦後になっていきなり完成形3BOX型を見せられた日本人はさぞ驚いた事でしょう。
そして、そういう経験が3BOX以外は車の形と認めない頑固な層を作ってしまったのだと思います。
・・今でも結構そういう人っていますよね。
トヨタが今でもそういう人狙いでヴィッツの派生車種に、べルタなんて車を出すくらいですから。
大量コピペまで働いて……ここまでこのスレを憎んでいるとは、面白い御仁だw
ちょっと面白い発見がありました。
先日、職場の付き合いで何の因果か軽井沢のレイモン・ペイネ美術館に。
http://www.karuizawataliesin.com/peynet/peynet2004.html みつはしちかこの元ネタみたいな甘口の挿絵画家ですが、それはそれで味もあり
「みつを」記念館みたいな辛気くさいところに連れて行かれるよりはまだいいか、と覗いてきました。
で、ペイネ得意の「恋人たち」シリーズ(キャラクターの着想は1943年にまで遡るそうです)、
実の娘さんから借りだしてきた30枚近い原画の中に、
バカンスに車に荷物を積み込みまくる「恋人たち」と、車のリアシートで寄り添ってうとうとしている「恋人たち」の絵があったんですね。
とてもメルヘンチックなイラストですが、どちらも4ドア小型車。
荷物の山になっている方はフロントのダミーグリル、リアのルーバーの書き込みとボディラインからルノー4CV、
恋人たちを眠らせている車を後から描いた方は、ノッチバックでテールのルーバーがはっきり描かれていて、
おそらくルノー・ドーフィンと推定できちゃうんです。
これだけシンプルなイラストなのに、ちゃんと特徴を掴んで描いてあるのは、大したものです。あなどれませんね。
ムッシュ・ペイネの愛車もルノーの小型車だったんでしょうか? 興味深いところです。
トヨタ・ベルタって車、我が家には小型のトヨタ車も一台有る事から例によって
「こんなの出ましたが買い換えませんか?」って営業の方がカタログ持って来てくれました。
全長4300mmっつう大きさはシトローエンで言うならばGSもBXも凌ぐもので、
当然「そんな大きいのは要らん」となりましたが。
この車の開発コンセプトの中に「セダンこそ車らしい形と考える人は今でも多い」という言葉が有って
イメージキャラクターは鈴木京香さん。
ベルタという車自体には車オタクがあれこれと話題にする要素は殆ど無いかも知れませんが
私には結構考えさせられるモノが有りました。
トヨタや日本人ユーザーにとっては2BOX型のヴィッツはセダンではないらしい事もその一つ。
それと、年齢に関わらず3BOX型こそ車らしい形と考える人が今でも存在するらしいという事。
まぁ、何処の国であろうと3BOX型が好きな人はいるでしょうけど、それは嗜好の問題ってもの。
日本人の場合に限っては嗜好以前の問題として2BOX型ハッチバックには“貧乏臭い”とか
“女・子供の乗る物”みたいな偏見を持つ人がいて、特に女性の場合には2BOX型を薦められると
「女だと思ってバカにしている」って憤慨する人すらいるようです(実際に聞いた言葉)。
こういう人がいるのは、3BOX型が生まれた経緯を実体験としてつぶさに見る事無く
いきなりそれが流行の真っ只中に有ったところから自動車文化をスタートしてしまった
日本のおかしなところであると思います。
つまり、以前に私は日本にATが多い理由として渋滞の多さ以上に戦後アメリカ車によって
初めて一般レベルに自動車文化(らしきもの)が浸透したことを挙げましたが、それと根は同じ。
車にあまり興味の無い女性層の多くには、今でもそうした“3BOX型が車本来の形”という考えが
根強く残っているように思えます。
年配の方が持っているのと同じ保守的イメージでしか無いのですが、
興味が薄い故にそれを訂正してくれる情報も外から入って来ないのでしょう
以前にタクシーの話が出た時にも書きましたがタクシー会社毎のけばけばしいカラーリングが
施されていたりしては見栄えもフォーマル感も有ったモノではないと思うのですけど、それでも
“とりあえず3BOX型なら見栄えが良い”“何処にでも乗りつけられる”みたいに思う人はいるようです。
正に3BOX信仰ですね。
1930年代を体験すること無しに過した事、国情に合わないアメリカ車に憧れる事から始まった事。
この二つが今に至るまでこの国の自動車社会に大きな影響を与えているように思います。
そこから私は“今も昔も(その存在を知らぬ人にとっても)多くの日本人にとっての理想の車は
パッカードなのである”という説を唱えています。未だに誰にも賛同して貰えませんけど(w
現代のドイツ車人気も、実はアメリカ車に元気が無いのでその代わりにドイツ製をアメリカ製代わりに
「如何にアクセル踏まずに走れるか」と使っているだけだと思って見ています。
ところでトヨタ・ベルタですが、あの車と同じように3BOX好きな層を狙って2BOX型コンパクトをベースに
作られた車って、他にもニッサン・ティーダラティオとかホンダ・フィット・アリア等が有るようですが
如何にもとって付けたかのような急ごしらえのデザインで、あまり格好良くはないと思います。
まぁベルタが格好良いか否かは別ですが、元のヴィッツとは全く別物のデザインを用意出来るのは
トヨタの商売規模の大きさ故でしょうか。
それともう一つ。今日「おまいら年齢のバレる発言して下さい」スレの書き込みに
丁度「ティーと発音出来なくて何が悪いんだ」みたいなのが有りましたが、
そういう発音が苦手な人の多くは、恐らく年齢的に3BOX信仰の持ち主と被っていると思います。
そこまで考え“ティーダラティオ”とか“フィット・アリア”なんて(年配の方が)発音し難い車名を避け
“ヴィッツ”なんつうベース車とは無縁の“ベルタ”って言い易い車名を付けたのであれば、
正にトヨタの商売上手恐るべし・・って思うのですけど、実際に其処まで配慮したのでしょうかね??
この初代トヨタ・セリカのリフトバック(LB)
当時流行していたフォード・マスタングのダックテールスタイルを模す為に作られたと思われ、
荷室容量の拡大とか使い勝手の向上はオマケのような物だったのではないでしょうか。
見た目よりも実質を重視したハッチバック型としては、もう少し後にトヨタから出た
カローラ/スプリンターLBの方を挙げるべきでしょう。
こちらはヒンジも外付けにする等して荷室の使い勝手に配慮しつつも、フロントエンドは
先に登場していたクーペ版と共通させる事により、商用バンとの差別化を図っていたようです。
この車は恐らく、MG-B/GTと同じ発想から作られた物と考えられます。
つまりはスポーツカーをベースとしたレジャー向き多目的車。シューティングワゴンの発想。
しかし当時(70年代)の日本には未だこの手の車を受け入れる市場は無く「バンみたい」で終わり。
企画の真意は消費者に充分に伝わらなかったようでした。
3BOX型信仰の強かった頃には、荷室と客室とが一体化する車はワゴンもハッチバック型も皆
「商用バンみたい」と一括りにされていたようでしたし、ハッチバックではなくとも2BOX車は
「軽自動車のよう」と思われていたようです。
そんな中でもホンダの初代シビックなんかは結構なヒット作になったようですが、
現代のフィットのようにカローラの牙城を脅かすには至らなかったのもまた事実でした。
当時のホンダの販売体制と共に、やはり2BOX型への偏見が存在したのだと思えます。
こうした3BOX型セダン一辺倒の傾向に変化が現れたのって何時ごろからでしょうか?
恐らく初代レガシィのヒットでワゴン型が見直された頃からではないかと思うのですが。
その背景には、小型車にも客室部分の小さなシルエットを与えて「高級車のようでしょう?」って
やらかした4ドアハードトップ型の流行が行き過ぎた反動という側面も有ったと思います。
アルファ・ロメオ159はメーカー自らが被らせてしまいましたけどね・・。
こういう、メーカー名と車名と両方書いてもそれだけでは判らないってのが一番面倒です。
まぁ、シトローエンC4と書いて1920年代の1.5リッター級4気筒車を先に思い出す人もいないでしょうが、
トヨタ・カローラとかクラウンなんかは一体今のが何代目なのかも判りませんし、
「ナントカ型のアレ」とか言われても、そのメーカーのマニアでもなければ訳が判らないでしょう。
そう思えばプジョーのモデル名ってのは上手く考えたモノだと思います。
やたらに他と被ってしまうのは問題ですけど。
・・それにしても、確かに908ってのはどんなものか?って思います。
205の上級版に309なんて名前使ってしまったのも、後で後悔する事になりそうですが。
・・案外とプジョー自身はモデルネームにこだわりは薄いのかも?
そう思うとやっぱりポルシェ901を911に変えさせたのはプジョーの抗議であるというのは俗説でしか
ないのでは?(と、また何年も前の話を・・。我ながらいい加減にしつこい・・)
ところでプジョー309と言えば、あれの3ドア版なども(少し強引ですけど)見ようによっては
205ベースのクーペ型ワゴンと見えなくもないところ。
あの当時のプジョーには300番台が品揃えされていなかったので、405との間を埋める意味で
ああいう名前にし、デザインも一からやり直して独立したモデル扱いにした結果生まれた車でしょうが、
世間での評判とは別に、私は意外にあの車のデザインが好きだったりします。
ワゴン型に対する抵抗みたいな物が無くなりつつある今、意外とこの手のクーペみたいなワゴンって
有望な市場ではないでしょうか?それともやはり日本では難しいのでしょうか?
こうした車だからこそ、鮮やかな色を選ばないと。それこそ所帯染みた商用バン(w
ベルト式CVTの発明者は確かにオランダ人のヴァン・ドゥーネ(個人名)さんの筈。
そのヴァン・ドゥーネさんがかつて在籍していたのが、先日触れたオランダの自動車会社DAFで、
50年代末から彼が考案したベルト式CVTを採用した小型車を生産していました。
しかし、この時点では普通のラバー製Vベルトを使用していたので扱えるトルクに限度が有り
(平坦なオランダ、非力なDAF車だから問題無かったのでしょうか)
そこで更なる研究・開発の為にDAF社を辞したヴァン・ドゥーネさんが立ち上げたのが
そのリンク先で触れられている、今はボッシュ傘下のヴァン・ドゥーネ トランスミッション(VDT社)。
ですからリンク先に書かれている
「無段変速機(CVT)用プッシュベルトの歴史は1971年のバンドーネ トランスミッション(VDT社)の
設立と共に始まりました」という記述も決して間違いではありません。
ところで、オランダの自動車会社というと、このDAFの他には1920年代に一旦消滅したものの、
最近名前を復活させてアウディ製エンジンを用いた高価なGTを生産し、
昨年からはミッドランドチームを買収する形でF-1にも参加しているスパイカーが知られる程度。
このスパイカーという車、かつて世界初のガソリン4WD車を作った事で有名なのですが、
他はこれといった印象が無いので“今更そんな名前を復活させる事もあるのか?”とも思いますが
オランダ人にとってはやはりそれなりに懐かしい名前なのでしょうか?
余談ですが(まぁ、全て余談みたいな物ですけど w)
オランダ人程、覚え難く言い難い名前の人が多い国民も他に無いと思います。
その為か、この国の企業や団体名ってアルファベット3文字程度に略された物が矢鱈に多いようです。
やはり、自分達でも覚え難く言い難いのでしょうね(w
間に入れて貰おう…w
ただそれだけw
すいませんがこの大量コピー、ややこしいので止めて頂けませんかね?
>>313 ペイネのイラストにはあまり興味は持てませんけど、
思っていた以上にちゃんとモデルを見て描写されていた方だったのでしょうか。
そうした一見自動車オタク的なるものとは無縁のような絵や映像から、
実物を知る者でないと判らない部分を見つけるってのも結構面白いですね(つか、ある種の習性 w)
しかし、その割りには私の場合、自動車そのものを中心に据えた絵画やイラストには、
あまり興味が沸かない傾向が有ります。
その自動車が売られていた当時の世相を示す広告画などは別なのですが、
自動車の絵を見るのであれば、模型や写真の方が実物を感じられる分更に良いみたいな感じでしょうか。
さて、アルファ・ロメオ1900やフィアット1400辺りの話の続き。
第二次大戦後の欧州は何処の国も酷く疲弊していたようですから、
自動車メーカーもなかなか新型の開発どころではなかったでしょうし、どれ辺りからが真の戦後型なのか
その辺は今やはっきりしない所も有ります。
先日は一応、アルファの1900辺りが最初の純粋戦後型ではないかと書きましたが、
48年秋に発表されたプジョー203等は戦後に入ってから開発が始められた可能性も有り
これが本当の意味での最初の戦後型量産車であるかも知れません。
しかしこの203、デザイン的には今ネタにしている戦後型3BOX以前のアメリカ車を縮小したようなもの
http://members.fortunecity.com/r17ts/peu203black.jpg フォードが戦後型フラッシュサイドの49年型を発表した直後のようなタイミングで登場したこの車を
当時のフランス人はどう見たのかというのも興味深いものであります。
それでも203は売れたようですし、それもかなりの長命でした。
この事から、フランス人達は必ずしも戦後型3BOXのみを良しとしていた訳でもなかった事も伺えます。
203は後に排気量を拡大されて3BOX型の403に成長しますが、
アメリカの後を追ったと言うよりはイタリア調に乗り換えたと考えるべきなのでしょう。
403は特にそう明確にされてはいませんが同時代のナッシュ等と共通する部分の多さなどから、
恐らくはピニン・ファリーナの手によるものと見られているようですので。
孤独なコピペ作業のようですから、IDで専用ブラウザあぼーんすればさっぱりですよ。
1948年のパリ・サロン発表でしたから、203は2CVと同期生ですね。
設計はプジョーらしく堅実でフロントのみ独立。リアがウォームギアなのはこの時代のプジョーの変なこだわりですが。
敢えて複雑な鋳造ヘッドで、一見ターンフローのように見えるクロスフローエンジンを実用化していたのが凄いところです。
車内は1300cc級の割に、ルノー4CVより心持ち広いくらいだったようですが……
デザインについては、ユーザーがついて行けるかという問題もありますから、
フラッシュサイドが1948年時点で実現できなかったのはやむを得ないことかと思います。
403は確かにピニンファリーナのテイストを感じますね。公式には次の404からがピニンファリーナデザインのプジョーですが。
>>321 最近明らかにされた話では、ピニンファリーナとプジョーの関係ってのはモデル単位でのものではなく
ファリーナ・バッジを持つ406クーペのような完全なピニンファリーナデザインのモデルの方がむしろ例外で
プジョーデザインと思われていた車でもピニンファリーナの手が一部に入っていたり
また205のようにピニンファリーナの作品と思われていた車にも、
意外にプジョーの手が入っていたりといった具合だったようです。
そうした関係が始まったのが、多分403からなのではないでしょうか。
昨日の続き。これは想像ですが、1948年に203を発表する直前に49年型フォードを見たプジョー経営陣は
203が短命なモデルとなる覚悟をしたのではないでしょうか?
実際にプジョー203の後に登場した欧州製小型量産車は、軒並み申し合わせたかのように
フラッシュサイド&3BOX型を採用して新しさを打ち出しています。
それが先日も少し話に出た50年のフィアット1400であり、また51年の英フォード・コンサルでしょう。
特にフィアット1400は203とサイズも動力性能も近いもので、
100cc大きなエンジンで100kgと少し重いボディーを走らせる為に、やや燃料消費率は低いものの
3BOX型デザインの恩恵で室内や、特に荷室容量は大きく上回っていたと思われます。
ところが、現代程には各国間の物や人の行き来は活発では無かった頃とは言え、
昨日も書いたように203は決して他に圧倒される事はありませんでした。
その辺はやはりセダン型は3BOX一辺倒になった感のあるアメリカと欧州の異なったところでしょう。
それ故にシトローエン・トラクション・アヴァンは50年代後期まで30年代スタイルのまま存続できましたし
(もっとも後付けのような荷室は追加されましたが)
53年に英国ではMG-ZAマグネットのような車も生まれる事が出来たのだと思います。
http://www.ericfwilson.com/Magnette/images/A4_jpg.jpg ところで、これは余談ですが。203の前輪独立懸架は31年の201C以来続く横置きリーフ使用で、
この点ではコイルを使用したライバルに一見遅れをとっているようですが、プジョー自身は38年の202初期型で
一度トーションバーを試みています。それがすぐに横置きリーフに戻ったのはコストの問題か
それとも、何か他に問題でも有ったのでしょうか?
MG-ZA(&ZB)マグネットは大変美しいサルーンだったと思うのですが、59年にはBMCの車種整理により
ピニンファリーナデザインのMKVになりました
http://uk.geocities.com/tradcarclub/images/MGMagnette.JPG 生産化に至る過程で何か間違いでも有ったのか・・。
ピニンファリーナ側が数合わせに入れたテキトーなデザイン画をBMCが選んでしまったなんて説も・・。
MGマグネット・サルーンは少し高価な車に属したでしょうが、
このところ数日ネタにしている50年代前半の1.3〜1.5リッター級の欧州製小型車は、
幅こそ少し狭いものの、現代のそのクラスの車と全長はほぼ同じくらい。
プジョー203は4350mm、フィアット1400が4305mm、英フォード・コンサル(51年)は4160mm。
現代のシトローエンC4は4260mm、ゴルフが4205mm、カローラセダン(アクシオ)は4410mm
現在、このサイズの車では2BOX型のハッチバックが主流で、3BOX型を残しているのは日本車くらいでしょうか。
かつてはこれらよりも小さな車でも3BOX型が存在しましたけれども、さすがにそのサイズでは主流とはならず
ルノー4とか初代ミニのような2BOX型が主流だった感があります。
現在、4m〜4.5mサイズの車も2BOX型が主流になったのは、こうしたそれらよりも更に小さなサイズの車からの
影響が及んだ物と思います。
この位のサイズでは3BOXノッチバック型サルーンは退潮したとも言えますが、
元々が居住性を求めてのキャブフォワード化であり、荷室容量を求めての3BOX化だった事を思えば
正常な進化と考えるべきなのかも知れません。
つまりプジョー203のようなプレーンバックに角ばったトランクが追加されてフィアット1400的3BOXが生まれ、
それがまた滑らかな線で囲まれて、よりボリュームのある2BOX型となったという具合だと私は考えています。
ほぼ日本車にのみ、このサイズにもノッチバック型3BOXが生き残っているのは、以前にも書いたように
3BOX型の成り立ちを身近に見る事無くいきなりそこからモータリゼーションが始まった為
「これが自動車の基本形」との思い込みの強い国民だからでしょうか?
理由はともあれ選択肢は多い方が良いでしょうから、その点では日本人は少し仕合せなのかも?
この辺の話は私は大好きですので、幾らでも勝手に続けてしまいそうなのですが。
ちょっと間をとって時節ネタ。先程テレビCMで見た話題の新型車トヨタIQで思う事。
この車の最大の特徴は、勿論2985mmと言う短い全長にあるのでしょうが、
これはほぼ360cc時代の軽自動車や1957年のフィアット“ヌォーヴァ500”に等しい物。
二列シートで4人掛けを実現する為の最小限の長さというと、このくらいになってしまうという事でしょうか。
幅はそれらよりもかなり広く、1680mm。
で、欧州でならば駐車スペースを見つけ易いというメリットでそこそこの成功はするかもしれないと思っても、
路上に縦列駐車する事は滅多に無く、また身近に軽自動車という競争相手が有る日本ではどうでしょうか?
価格はベースグレードで軽自動車の最も高いのとほぼ等しく、
エンジンに余裕が有る分だけ燃費は良さそうでも、税金分だけの差が出るかは疑問。
経済的にはやや分が悪いかも知れません。
まだ実物を見ていないので言い切れませんけど、使い勝手は軽自動車に分が有りそうに見えます。
そうなると問題は、こうした極端な小型としては先発の“スマート”と同様に、
これを選ぶ事が賢い選択であると示唆するような“IQ”という名前に共感する人がどれだけいるかでしょう。
しかし前述したように軽自動車と比較してしまえば「これを選ぶ事が何故賢いのか?」
安全装備の数々?リアウィンドウにも付くカーテンエアバックっつうのも
見方を変えればそこに全くスペースが無く、追突時の安全性に問題がある事の証とも思えますし。
・・さぁ?どうなんでしょうかね??
・・と書くと、またトヨタや国産に厳しいみたいに思われそうですが、国産軽自動車と比較しての話ですから。
私が個人的に不満と感じるのは、この車の“小さいという価値”とかが実車の画像からは見え難いこと。
かつて最後期の2CVにあったツートーンカラーの“チャールストン”
http://www.citroen-ca.com/IMAGES/MarketPics/Forza2CV.jpg これみたいな色でも用意してあればかなり印象も違うと思うのですけれど。
つか、いつものトヨタ調の白ボディーがイメージカラーでは、新しさを見い出して貰えないでしょう。
>>324 まぁこのあたり、白物家電的なイメージが外見から見える気がしないのは間違いじゃないような。
パッケージを考えると、わざわざ四人乗りである必要がないんですよね、IQって。
元々欧州でのスマートイーターという重責と、今後の他車種へのメカコンポーネントの流用を考えても、「コレって二人乗りで良くね?」って思う方々は多い気がしますよ。
実際、トヨタの欧州の持ち駒にはアイゴもあるわけですからねぇ……………
はてさて、どう売れるやらw
「車はセダンに限る」というのと同様に、「黄色いナンバーの車には死んでも乗らない」というユーザーも確実に
存在するんじゃないかと思います。
後者は前者と異なり、地域や年代でカテゴライズできないのがやっかいなところ。
かく言う私も後者の傾向はあって、車庫の関係で極小の車しかもてない、しかし軽はちょっと、ということで
フォードKaなんか愛用しております。
>>325 IQ,そう言われてみると、確かに白物家電的ではありますね。しかし、2シーターでも市場が有るのならば
かつて存在したスズキ・ツインがあれ程短命に終わったとも思えず、
やはり一応は4座または2人+荷室っていう形にする意味はあるのでしょうか。
>>326 フォードKa良いですね。前に無印良品から“MUJI-CAR”と称してマーチをベースとしたニッサンとのコラボ車が
出た事がありましたけれど、Kaの方が余程“無印良品車”という感じがします。
私(つか、我が家)は以前、軽自動車を所有した事も有り、特に軽自動車は嫌だという事もありませんけど。
今のところはあんまり軽を欲しいとは感じません。
元々小型車好きですし、大きな車で恰幅良く見られたいとかっていう欲求もありませんが
今の私には軽自動車は魅力的に見えないのであります。
自分は何故小型車が好きなのか?と自ら考えてみると(こういう事、好きだね・・俺 w)
一つには自動車の技術史を見て行くと、小型車を実現する為の技術開発ってのは結構興味深いものであり
そうした“小さく作る為の工夫”に満ちた車には独特な知性のような物が感じられること。
もう一つは、単純に小さい車の方が身軽に感じられることでしょうか。
例えばこのスレッドでは幾度となく取り上げた第一次大戦後の英国製小型車オースティン・セヴン
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12437.jpg 有れば有ったで便利かも知れない物でも、思い切り良く「そんなの要らないよ」とばかりに切り捨てて
小型軽量を実現した形はある種の清々しさを感じさせるものであります。
今の軽自動車って、与えられた枠内にあれもこれもと欲張って詰め込んだ物のようであります。
最大のコストパフォーマンスを求める事、それも確かに一つの行き方とは思いますが
それは私が小型車に求める“不要な物を切り捨てた身軽さ”を追求する事とは相反するものであり、
その為に今の私には現代の軽自動車が面白く感じられないのだと思うのです。
顧客からのの要求に応じていく内に快適性は得られたものの、重くなった晩年のオースティン・セヴンには
本来の魅力は失われたとよく言われますが、私が今の軽自動車に思う事もそれに近いかも知れません。
>本来の魅力は失われた
後年の見地から自動車を批評する際に、
マイナーチェンジに伴って年々本来の設計思想から離れた物となっていった、
という文脈で用いられる「後知恵の定型フレーズ」の感は拭えません。
歴史を振り返る際、当時の人々にはわからなかったことが明らかになってくるのと裏腹に、
「当時のユーザーはそういうものを求めていた」ということもまた浮き上がってくるんですね。
いつの時代も、大衆の大多数は欲張りなものですし、その多くは残念ながらあんまり利口な人たちではありません
(大型スーパーの駐車場を見ればわかります)。
その山となった欲張りに対し、供給側は大量生産による増販を図って、業績の向上を目指すのです。
だからこそ過大なサイズのV8アメリカ車がかつて隆盛を極め、アクセサリーてんこ盛りのトヨタ車が売れている。
50年100年(いや時には500年1000年)のスパンで残る建築物と違い、
はるかに短い期間で消費されていく自動車とは、実にはかないものです。
そういうものを生産販売して企業存続を図らねばならない自動車メーカーの多くにとって、
後年の批評家の酷評など考慮する必要はないのでしょう。
自動車を購入する人々のうち、審美眼や合理主義といったものをもって高みの見物をできる人々などごく少数であって、
ユーザーの大部分はスーパーの駐車場で凡庸な小型車に乗って右往左往するような存在なのです。
>>322 >プジョー自身は38年の202初期型で一度トーションバーを試みています。それがすぐに横置きリーフに戻ったのは
>コストの問題かそれとも、何か他に問題でも有ったのでしょうか?
余談に反応してみるw
ちょっと手元に画像や図がないので提示できないんですが、202のトーションバーサスは異様なんですよ。
普通、縦置きトーションバーなら、Wウィッシュボーンのロアアームにトーションバーの一端が差し込まれてますよね。
ところが202の場合、漢字の"乙"の形をした鋼管の一端にトーションバーが差し込まれていて、その"乙"鋼管の
もう一端にWウィッシュボーンユニットが組まれているんです。
乱暴に例えるなら、現代のWウィッシュボーン車のサブフレームを真ん中でぶった切って、それがトーションバーで
ゆさゆさ動く状態。
そのままだと、上下Aアームはスプリングの作用がなくぶらぶらで意味がなくなります。
で、上下Aアームのピボット部からロッドが出てクランクを形作って作動を規制してます。
"乙"鋼管が路面の凹凸で上下した際、このロッドがタイヤを路面に垂直に保つ役目を果たす・・・(と思われ)
(正直、実物を精査しないことには人間の理解の限度を越えています、これw もっと詳しい方は説明と訂正よろしく)
プジョー社では、202は操安性の問題で横置きリーフに変更したと述べていますが、構造面から見ても、長い"乙"鋼管
による位置決めの曖昧さ、細いリンクでキャンバー変化をコントロールしようとする無謀さ、数多いピボットのフリクションと、
いいことはなかったと思われます。
ステアリングがぶるぶるするシミーや、上下動の激しい路面での追従遅れ、ピボットブッシュの磨耗などあったでしょうね。
>>329 う〜む・・サスペンションの構造を文章で表現するっつうのは、私も経験が有りますが中々難しいもの。
とにかく、複雑かつおかしな構造でモノにならず、すぐに引っ込められたという、
GMのデュポネに近い経緯を辿ったらしいという事は判りましたが。
もし、記憶に有ったら何処で御存知になったのか教えて下さい。
>>328 長寿モデルの場合は常に初期型が最も優れていた物とは限らず、中には後期型が最も優れていると
人気が高い例も少なくは有りませんから、そう一概には言えないところも有ると思います。
また、オースティン・セヴンやら現代の軽自動車などは、小型車が好きだから乗るという人は少数派であって
多くの人は経済的な理由から選ぶものでしょうから、昨日も書いたように
“最大のコストパフォーマンスを求める事”は、ごく普通の“賢い消費者”の行き方として当然とも言えます。
まぁ、確かに趣味性を重んじるならば、賢いという事には何の価値も無いのですが(w
オースティン・セヴンの例は、ユーザーの要求に対して上級モデルを用意出来ずに
重量増を招く改変ばかりが先行してしまい、それに対して動力性能の向上は後手に回り
しかも安易にファイナルの引き下げのみでお茶を濁し続けたことから後期型の人気が低いという事でしょう。
もしも仮に当時のオースティンが、2CVに対するディアーヌやAMIのようなモデルを作る事が出来たが故に、
2CVは2CVのままでいられた戦後のシトローエンのような体制にあったならば
後期型の評価もまた違うのでしょうが。
ところで、先日まで続けていたファストバックやノッチバックの話で、続きをやるのであれば避けて通れない
60年代ファストバック型クーペの代表格の一つに、フォード・マスタングのバリエーションが有りますが
その当時(アメリカ車としては)小型のこの車などは価格や維持費の低廉に惹かれて買う人は少なく
その小ささ故にメーカー側の言う所の“パーソナルカー”として選ばれたようです。
そうした経緯も有り、この車はモデルチェンジの際には「大きくしないで欲しい」という要求が
ユーザー側から出されたそうです。
近年では日本のユーノス(マツダ)ロードスターにそんな話が有りましたが、
その辺は趣味性の強い車であるが故なのでしょうか。
>>330 申し訳ないです。
しっかり理解していないまま文章に落とし込むと、説明どころか怪文書になったようで。
サスペンションの図を見たのは、昭和20年代末頃の古い自動車構造書です。
正直、図ひとつではとても理解しきれませんでした。
本はたぶん、今も家のどこかに埋没していると思われますがどこへ行ったやらw
Webでもいろいろ探してみてますが、なかなか見つかりません。
またどこかで見つけたら貼ります。
>>331 プジョー202って、38年に登場してその年の内に前輪懸架は改変されたそうですから
トーションバーを用いていたのはごく初期型のみのようです。
ですから、その辺の資料っつうとかなり限られるでしょう。何処かからか出て来る事を気長にお待ちします。
ちょっとまた多忙につき、今日は長文無し(w
さて、他の人には「サスペンションの構造を文章にするのは難しい」などと言いつつ、自分でもやってみる(w
トーションバー・スプリングって、コイルとは力の掛かる(受ける)方向が異なりますから、
それ自体はコンパクトな物であっても置き場所は普通に車軸上にする訳にはいかないようで。
その事が良くも悪くも特徴的な懸架方式に結び付くようです。
例えば34年登場のシトローエン・トラクション・アヴァンはトーションバースプリングの採用でも
量産車としてはかなり早い部類に属すると思われますが、
ウィッシュボーン式の前輪懸架の中心に前輪を駆動する為のシャフトが有る訳ですから、
当然そこにコイルスプリングを立てて置く事は出来ない訳で
その事もトーションバーを採用した理由の一つではあるでしょう。
後輪駆動だったプジョーの場合は、コイル式に出来ない理由は無かった筈ですから、
最初からGM式のコイルスプリングでも良かった筈で、トーションバーを採用した意図は不明なところ。
現代では、コンパクトであるという利点を買われてF-1の前輪懸架は多くがトーションバーのようですが
これは1970年に一度ロータスの傑作車・タイプ72が採用した後に一旦忘れられたのが
90年代初頭辺りに復活したもののようです。
ロータスの場合は現代F-1とは異なり、トラクション・アヴァンと同様にフロントのロワーアーム後部付け根から
車体後方に向けて、トーションバーは縦置きにされているようですが。
ロータスが何故トーションバーを使用したのかは諸説有るようですが、
この車はフロントもインボードブレーキでそれ用のハーフシャフトが存在しますから
トラクション・アヴァン同様に通常のコイルスプリングを前車軸上に配置出来なかった事も確か。
最後期型ではコイルに変更されましたが、コイルスプリングは車軸上から外れた変った位置に置かれたようです。
しかしこの車
http://www.pappapirish.com/ronnie_in_the_boot__last_race_for_72.jpg 見た目上の最大の特徴は、やはり薄く鋭い楔形のノーズ形状にあるでしょう。
これを実現する為にも上下方向には場所をとらないトーションバー・スプリングは役に立った筈。
あるいはそっちの方が主な目的だったのかも?
あっ、突如思い出した。
初代CR-Xって、「ロータスF1と同じ形式!」ってトーションバーを自慢してましたね。
確か、トーションバーチューブを二重にして、省スペースを狙った構造だったような。
ちょっと昨日の分に追記
ロータス72の最終型、コイルスプリングに改変されたのはリアのみという記述の有る資料も見つかりました。
フロントもコイルにされていた写真を見た記憶も有るのですが、私の勘違いだったかも知れません。
気にされる方もいないかも知れませんが、一応。
>>334 それって、ホンダ自身が自慢していたのでしょうか?
GPカーとロードカーとでは狙うべき物が全く異なりますから、形式が同じであっても
あんまり自慢にならないような気もしますけど。まぁ、そこは広告、雰囲気重視(w
ロードカーと言えば、最近はあまりトーションバー・スプリングって流行ってないように思います。
もっともアンチロールバーも一種のトーションバー利用と言えば、そうなのでしょうが。
昨日も書いたように、トーションバースプリングは捩れ利用ですから、
相性の良い懸架方式と、そうでない物とが存在するのは仕方の無いところ。
トーションバー・スプリング自体は優れた特性を持っていても、
その採用例の多寡は懸架方式の流行に左右されてしまうのでしょうか。
例えばサスペンション・アームの支点が車体に対して横方向を向くトレーリングアーム式だと
トーションバーも横置きにするのが自然となりますが、
車体中央で左右のトーションバーを分割すると充分な長さが得られない。
かといって二重構造はコストも嵩むし太くもなるし、結局省スペースにもならない。
で、その問題を思い切った構造で解決してみせたのが、御存知ルノー4とその発展型の5。
左右両輪用の横置きトーションバーを前後互い違いに配置した為、右と左ではホイールベースが40mm異なる車。
http://www.geocities.com/richardirl/greenr4_web.jpg これは言うまでもなく、かなり後期の4ですが、こうして改めて見ると現代の軽自動車の主流である
ハイトワゴン型の先駆けにも思えて来ます。そういう意味では発展型の5よりもむしろ現代的なのかも知れません。
実際に近年日本ではTVドラマに使われた事も有って人気になったそうですが、
今見ると“レトロ調”の細部を除けば案外と近代的に思えて来るかも・・?
FRが基本形の小型車規格キャブオーバートラックだと、
縦置きトーションバーでウィッシュボーン、という事例は後年まで見られましたね。
この場合はストラットより高さをとらず、スペースで有利で、乗用車とは逆だった訳です。
日本でのはしりはRRの日野コンマースあたりで、トヨタもパブリカのコンポーネンツを利用したミニエースで採用して、
爾来タウンエースなどでトーションバーを多く使っていました。
トレーリングアーム式自体が流行らなくなってしまった感も強いですね。
前輪駆動だとストラットかマルチリンクなどで凝らない限り、
シンプルなトーションビーム式にしてスプリングはコイルにするというパターンがすっかり定着してしまったようです。
その手法にゴルフで先鞭を付けたのが、
他でもない、トーションバー&トレーリングアームの元祖みたいなビートルを擁したVWだった、というのは歴史の皮肉でしょうか。
トーションバーはねじれを上手く使うのが配置面での難しさですが、
鉄道の台車で車体荷重を受ける「枕バネ」に、横置きトーションバーを使った事例がありまして、
これはスイスのSIG社の考案です。日本では大手鉄道車両メーカーの日本車輌がライセンスを取って少数製造しました。
乗り心地はなかなか良かったようですが、日本では同時期(1960年代)に電車台車にエアサスが普及した影響で、
SIG台車は普及しませんでした。微震動対策やハイトコントロール能力ではエアサスに勝るものがなかった訳です。
初のトーションビームといえば、Audi 50 なわけですが、共通のボディシェルで
後年に登場したVW Polo の陰に隠れ、忘れ去られているかわいそうな存在です。
あの頃のAudiに共通した、すっきりした理詰めなデザインが結構好きです。
この流れだとエロスパのおっちゃんがアルフェッタ〜75の話とES30ではコイルになって
みたいなレスが…こない?
エロスパ氏はまだ御多忙が続いているのでしょうか?体調崩していなければ良いのですが。
>>336 そう言えばトレーリングアーム式も少なくなったのかも。しかし今や多数派のトーションビーム式っつうのも
トレーリングアーム+アンチロールバーの発展(つか簡略?)式みたいなものと認識していたので(大雑把?)
あんまりそう思っていませんでした。
>>337 アウディ50って、日本には導入されましたっけ?翌年登場の初代ポロとほぼ同一のデザインでは
結果的に影が薄くなってしまったのも無理はないところでしょうか。
さて、トーションビームという形式自体は比較的新しいものでしょうが、
それに似た考えの物というと結構昔から存在するようです。
例えば、量産前輪駆動車の先駆け。毎度御馴染みの(w)シトローエン・トラクションアヴァン
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12445.jpg 形式自体は三角形のアームを、左右の短い横置きトーションバーとトレーリングアームで吊った
簡単なデッドアクスルですが、ハブは直接このアクスルに付くのではなくスリーブを介していて
多少のスライドを許す為に、独立懸架的な動きを可能にしているのだとか(そう上手く行くのかな?)
また、以前にもこのスレッドでは話題にした戦後のパナール・50年代の“ディナ”の後輪
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12446.jpg 左右三対(!)のトーションバーで吊った、トラクション・アヴァンのそれから中央の軸を取り払ったような
Vの字型アームですが、ボディーにはセンターの一箇所で固定されるのみで、自在に捩れを許したそうで
ほぼ現代のトーションビームに近い構造と言えるのではないでしょうか?
つか、これってフィアットが一時期用いていたオメガアクスル(エロスパ氏ならこっちに話が行ったかも w)
http://www.geocities.co.jp/MotorCity/5792/y10/sus_dimension_1.jpg これにそっくりでしょう。
オメガアクスルってのも、呼称は異なりますがトーションビーム式と狙いは似ていると思います。
前輪駆動車の後輪懸架ってのは駆動トルクも操舵も無い事から設計自由度は高く、
エンジニアさんにとっては腕の見せ所なのでしょうか?
SZいま治してる。
いやー、雑誌とかとはだいぶ実情は違いますね。
先日貼ったトラクション・アヴァンのアンダーボディーの処理は凄まじいですね。
あれを70年以上も前に作ったアンドレ・ルフェーブルさん以下、当時のシトローエンの設計陣は
天才揃いだったと改めて思います。
ところでトラクション・アヴァン。言うまでもなくフランス語で前輪駆動の意味ですが
シトローエンのモデル名としてはあくまで7とか11とかといった素っ気無いもので、
トラクション・アヴァンとは広告に書かれた言葉がそのまま愛称になったものでしょう。
この車以前にもアメリカのコードとかイギリスではアルヴィスなどの量産車が前輪駆動を採用していましたが、
その愛称からこれが世界初の量産前輪駆動車と思っている人もアチラには少なくないようです。
確かに、それ以前に存在した前輪駆動車とは量産の規模が違いますから無理も無いところ。
この話、先日のトーションビームに於けるアウディ50と初代ポロの話にもちょっと似ていると思います。
最初のトーションビーム採用車がアウディ50だったというのは、実は私は知りませんでしたが
そうした新機構も、デザインがほぼ共通でより量産規模の大きな車(ポロ)が有っては
そちらが世界初のように、後の人に記憶されてしまうのも仕方ないでしょう。
そうした例って結構有ると思います。
極端な話、昔の日本には“自動車はフォードの発明品”と信じていた人が大勢いたとか。
また、近代横置きエンジン前輪駆動車の直接の始祖のように扱われているのはオリジナル・ミニのようですが
今の車の多くはあのようにエンジン&ギアボックスの二階建て構造を採用している訳では無い事から
私はその間にダンテ・ジアコーザ技師設計のアウトビアンキ・プリムラを挟むべきと考えるのですが
オリジナル・ミニは誰もが知っていても、プリムラを知る人はそう多くはないでしょうから
この話を人に言葉で説明するのは難しい事になります。
アウトビアンキ・プリムラも成功したモデルではあったのでしょうが、ミニ程の規模ではなかったのもまた事実。
技術的に見るべき物が有る車なのに、そうした形で今は“知る人ぞ知る”存在になってしまい、
一般の認識がずれてしまったという例。ちょっとジアコーザ技師にはお気の毒な気もします。
丁度手許にアウトビアンキ・プリムラ(プリムーラ)が登場した時のCG誌(66年2月号)が有るのでその一部。
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12447.jpg http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12448.jpg 意外にその紹介記事はあっさりとしたもので、随所に同時代の英国車ADO16との比較が書かれており
それに刺激されての柳の下の泥鰌狙いのように見られている節も有るようです。
特徴である動力伝達系統についてもADO16(アレック・イシゴニス・レイアウト)よりも
簡略な物として見ているようで、その優劣に関する考察などの類も特に見られません。。
確かにこの車、エンジンは53年登場のフィアット1100の物を少し拡大しただけで
その当時既に10年以上も使用されていた、特に何の変哲も無いOHVの直列4気筒。
その配置を除けばまだ当時の小型車には珍しかった四輪ディスクブレーキくらいしか
機械的には目立つ物は無かったようですから、この車がその後に与える影響の大きさには
当時の人が気付かなかったとしても不思議は無いように感じます。
ADO16はエンジン配置の他にも特徴的なサスペンション(液体で前後関連とするハイドラスティック)など
見る物がありますけれど、このプリムラの後輪懸架に至っては透視図にもあるように
簡単極まりないデッドアクスルですし。
むしろ“アウトビアンキ社では、この車を3ドアと称している”と書かれたハッチバック構造の方が
先進的と見られている節もあります。
ところで、この時代のイタリア車は、まだコラムシフトが主流だったようで、
この車も4段コラムを採用しているのが目を惹きます。
解説記事中「この車を右ハンドルに変えるのは無理かも」と書かれていますが、
ギアボックスを進行方向で見て左側に配置している訳ですから、コラムシフトのまま右ハンドル化するには
随分と面倒なリンケージを使う必要が有ると思われますので、その辺が理由でしょう。
まぁ、現代のフロアシフト車でも、そこら辺は結構面倒な取り回しになっているようですが。
その点、縦置き配置の2CVやルノー4のような車ならば、レバー自体は大変長くなりますが機構的には簡潔。
しかしそれも、更にレバーを下に曲げて無理矢理なフロアシフトにしたルノー5まで行くと、
さすがにどんな物やら・・(w
このアウトビアンキ・プリムラって車、アウトビアンキブランドでありながらも
発表当時から親会社のフィアットの主任設計士ダンテ・ジアコーザさんが生みの親であることは
雑誌上にもはっきりと書かれていましたし、またこの車のフロントエンドは当時生産中だった
フィアット1100Dの顔付きをそのまま持って来たような形
http://th.interia.pl/20,b79b947201674307/primula_2_01.jpg http://k43.pbase.com/u41/mbarooah/large/39569532.OR2B6464.jpg 上がプリムラで、下がフィアット1100D
フィアット車との関連を強調する意図が有ったのか、それとも単に適当に作っただけなのか?
1100D自体が、その頃には多く見られた形状の顔付きを持っていましたので
結果として先発の英国ADO16とも似たイメージになってしまった気がします
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=165 この車は後にフィアット自身の名前で登場する128などのモデルの為に、横置きエンジン配置の前輪駆動の
経験を積むのが目的のように作られた車だったようですが、
それにしてもオリジナルなデザインも与える気もなく適当に作られたとは考え難いところ。
・・なのですが、昨日の透視図でせっかくのハッチバック・ボディーなのに床を低くする気も見られぬ
簡単極まりない後輪の固定懸架を見ると、なんだか本当に試験的な意味合いだけで作られた車のようにも・・
・・てな事は無いか・・。
この車は全長3800mm弱と、先日3BOX型サルーンの話で取り上げた車達よりもやや小柄ですが
テールランプ部分を小さくフィンのように立てて、ちょっとノッチバック風に見せているのが
個人的には興味深く思えます。
これも初期のADO16にも見られる処理ですが、あちらはハッチバックではなく、通常のトランク型。
第二次大戦後にフラッシュサイドボディーが広まった時にも、
フェンダーラインの名残りをプレスで残すのが流行しましたけど、
このプリムラやADO16に見られる小さな“ノッチ”もそれに似たような役割のものでしょうか。
見慣れた3BOX型を連想させ、違和感を感じさせない為のちょっとした遊びみたいな。
特に大して理由は有りませんが、普段私はレーシングカーとかメーカー自らが公式に使っている物を除き
“W124”とか“E31”のような形式名つかコードネームで車を呼ぶことは出来るだけ避けています。
しかし昨日のgazoo.comのリンク先にも有るように、6車種もグリルやバッジ(だけではないのですが)の違いで
バリエーション化されたADO16ともなると、そうも行かないところもあります。
これらの基本的プロポーションは、ほぼ同一でしたから
どれか一つだけの名前を取り上げる意味も無いとも思いますので。
ADO16の中で最も人気が高いのはバンデンプラ・プリンセスでしょうか?
私も昔、あの瀟洒な内装に惹かれて本気で欲しかったことがありました。
その時、既に生産中止から十数年経っていても、やはり他に類の無いキャラクターの車とあって
それなりの金額を必要としましたが、一応手が届かない事もなかったので
幾つか中古車屋さんを見て歩いた事があります。二十代の終わり頃。今より老け込んでいたかも知れない(w
最近、近所の修理工場で久し振りに見る機会が有りましたが、やはり良いと思いました。
年と共に凶暴化が進みつつあるので、もう買う気は起きませんけど(w
さて。ADO16は言うまでもなくピニン・ファリーナの作品で、BMCとの最初の作品
>>323に貼った
1.5リッター級MG-MkVマグネット辺りとは比較にならない、優れた形であると思いますが
やはりそこはイタリア調基本であり、細部の仕上げで英国的雰囲気を出してはいても
>>322のMG-ZA(ZB)マグネット・サルーンのような、純粋英国調の美しさとはひと味違うものでしょう。
この時期(60年代)英国的なセンスのサルーンカーと言うと、
ジャガー辺りがその代表格に納まった感がありますが。ジャガーって多分にアメリカ市場を意識した
ちょっとオーバーに装飾した英国調だったと感じる事もあります。
60年代って、クーペに代表されるスポーツカー型には個性的で優れた形の車が
多く生まれた時期だったようですが、セダン(サルーン)型を見てみると、
ファリーナ・スタイルが目立ち、他はやや影が薄かったようにも思えます。
多くのメーカーは3BOX型が一応の完成を見た後に、次の流行を捜しあぐねていたかのようでもあります。
PC規制中につき、一応携帯で保守
>>322で触れたMG-ZA(&ZB)マグネット・サルーンやジャガーの一連のサルーンカーなど
英国車には丸くまとめられたテールエンドを持つ車が多く見られ
以前エロスパ氏が、それを尻下がりスタイル≒英国調と言われていたこともありました。
もっとも、尻下がりなテールエンド処理を持つ車ってのは英国車に限らず見られるもので、
特に60年代後半〜70年代にかけては多く見られたように思います。
例えば1968年のプジョー504
http://motorclassic.at/user/admin/peugeot_504.jpg 日本でも、所謂“ケンメリ・スカイライン”のセダンとか、同時代のトヨタマークUセダン(流線形の)等で
一時期流行した形状でしょう。
これらはMG-ZAマグネット・サルーンのようなラウンド・テールとでも呼ぶべき、丸くまとめられた形とは異なり
アメリカでマスタング等の“ポニー・カー”が流行させた直線と平面基調のクーペスタイル、コーダ・トロンカを
セダン型に持ち込んだものではないでしょうか。
60年代も半ば過ぎとなると、角ばる一方だった3BOX型にも皆は食傷気味となり。
イタリアン弁当箱スタイル(w)ってのも、実用的ではあっても色気に乏しい。
そこでクーペで流行したコーダ・トロンカ(カム・テール)処理をセダンにも応用してみる事が試みられたものの
見慣れた3BOX型からいきなりの変化はやり辛いところもあり。
そこで3BOX型と、ファストバックとの折衷型として考えられたのが、尻下がりなテール形状と思われます。
ところがピニン・ファリーナ中心に作られた504も、テールエンド形状は賛否両論。
やはりナンとも割り切れない形であったようで、あんまりこの流行は続かなかった様子。
どれほどの効果が有ったのかは疑問ですが、本来は空力の為に考え出されたカム・テール。
リア・ウィンドウとトランク部分の継ぎ目にマイナスの角が有るのは本来望ましくも無いのでしょうが
後方視界を得る為の苦肉の策という一面も有るのでしょう。
継ぎ目部分を高い位置にもって行き、本来のファストバック型に近付ければ空力的には望ましくとも
リアウィンドウはテールエンド近くまで延ばさねば、後方視界は上下に薄いものになるので。
あ、書き込めた(w
504ってのは、何と言っていいのか難しい車ですね。
Cピラーが上方ほど太く「見える」ようにリヤウインドウを囲んで強いプレスラインを入れたりと、技は頑張っているん
ですが、そこまでしてあの折れ尻にこだわった理由がわかんない。
あの時代のセミファストバック風味をまとったセダンなんですが、手近に側面からの写真でもあれば
フロントのフード先端からトランク後端まで、定規をあててみてください。
だいたいのセダンで、定規はほぼ水平になるんですよね。
ケツが下がっているように見えて、実は肉が付いたメタボであったと。
1961年から70年までの10年間、わかりやすい例で毎年のポンティアックを追いかけてみると、60年を最後に
テールフィンというアクセントを失い、61年は退化したわずかな痕跡が残ります。
そこから年々、単調なショルダーに盛り上がりが発生し、ふくらんでうねり始め、それに呼応してリヤウインドウも
なだらかに後方へ傾きを増してゆきます。
なにやら、図鑑の挿絵のように、太古の生物が徐々に海から陸に上がっていく進化のようで面白いw
あまりに巨大化し、引きずるような醜悪さまでたどり着いたテールフィンが恐竜のごとく絶滅し、その後しばらくは
いろいろな過渡期的アプローチが発生しては滅び、セミファストバック族が勢いを増して隆盛を極める。
でも、こいつも視覚的マスの肥大化と腰高感の増加でまた滅びちゃった。
ぇえと、とりあへづ生きてます報告として。w
ホンダがF1撤退決定とのこと慶賀の至りです。
動けばあとはだうでもE土方缶詰と冷蔵庫に特化したメイクが
F1出る意味はありませんので。
ケツを下げる理由は
・空力的理由
・視覚的理由
この2つのどっちかだと思うんです。パッケージングの上からはトランク容量が稼げる
尻上がり寿が宜しひ訳ですし。
空力的理由はアルファ・ヌパイダのデュエット、ボートテールのやうな古典的空力理論なのでせう。
そしてそれも排気量拡大に伴う最高速の上昇でリフトが発生し、単なる空気抵抗の低減ではダメ、
リフト・揚力の発生を勘案せねばつう次世代の空力理論になって
しっぽチョソ切られコーダ・トロンカに・・・つな按配でせう。
このときアルファは公式には「をぢゃう品杉るボートテールはげふぃんなアルファ党に嫌はれた、
それとトランク容量の拡大目的」といふ言い訳してますが、アテクシ絶対リフト対策と思ってます。
一方504だのレパード・Jフェリーw(←覚えてますかねこんなのw)なんかは完全に視覚効果でせう。
トランク容量とかパッケージングの上からはハイデッキのはうがEに決まってます。
それを敢へて今更(っつっても504もJフェリーも今のではありませんが)尻下がりにするのは
空力ではなくデザイン要求だと思ひます。
ただ、その出てきた理由付けは正反対と思ふのです。504では前時代からのある種の連続性を模索した結果でせうし、
Jフェリーはケツ高のイタリア調デザインに食傷気味であったことと北米市場の好みです。
アメちゃんがなぜかダラダラとケツが下がってるのが結構お好きなんですな。
あの当時パッケージングからも空力要求からも尻上がり傾向デザインが合理的とされ
ぬこも杓子もそれ系デザインであったことに対するアンチテーゼ・反逆と前述アメちゃん好みとでせう。
>>350 ホンダ撤退っつうのは、ちょっと予測していたところもあって特に驚きも無いのですが、
あのチーム買い取り手が有りますかね?今年の成績も良くなかったですし
また、資金が効率良く使われる体制ではなかったようでもあり。
昨今の不景気で来年のF-1がどうなる事か、暫くはいろいろと動きがあるのかも。
さて、昨日書き込んだ事とは矛盾する事を言うようですが、
今手許に丁度良い写真が見つからないのですが、プジョー504の後姿って、ジャガーのサルーンに
結構影響を与えているような気がします。
ただ、ジャガーの場合、それ以前に有ったラウンドテール(丸くまとめられた形状)からの経験もあり
また寸法やらいろんな事の都合も有ってか、上手くまとまっているのが
プジョー504の場合、リアウィンドウ下端からトランク部分がスムーズにつながっていないような気がします。
後から出たクーペ(&カブリオレ)の方は、かなり綺麗にまとまっていると思うのですが
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Peugeot_504_saloon.jpg http://rallykitcar.net/caravelle/5356112600281132664344634441033888m11.jpg このクーペの方は当時の流行だった一直線ファストバックではないのですよね。
こう見て行くと、504サルーンの場合は、当時のアメリカの流行とは一線を画した物と見るべきだったかも・・。
“ケンメリ・スカイライン・セダン”辺りは、明らかにポニー・カーに追従したクーペ型と
歩調を合わせた物だったのでしょうが。
空力ってのは、風洞試験画像も見られぬ我々のような素人には難しいところが有ります。
勿論一般論として、解説されることにも間違いは無いのでしょうが。
例えばリア・エンジンフード上に小さなスポイラーを備える70年代中期のポルシェ911(73カレラ・スタイルの)等。
アレが付く為に、普通ならリフトは減っても抵抗は増えると考えてしまい勝ちですが、
あのフードを通常型のスポイラー無しの物と付け替えたら、幾らか最高速が低下してしまうのだとか。
しかし(余談ですけど)アルファ・スパイダーはコーダ・トロンカにしてもアルファ・スパイダーのままでしたが
ポルシェ911がリフトを嫌ってコーダ・トロンカにしたら・・変な物になっていたでしょうね。
>>353 BMC1800/エアロディナミカ、こいつの香りがローバーのSD1にありませんか?
悪くない雰囲気の外観なんですが、いざ乗るとキットカーかよと思う大雑把なスキマだらけの内装ですた。
初期のV8 3500には何度か乗る機会があったんですが、日本向け排ガス対策のためかアイドリングが安定せず、
それにあわせてボディに伝わるエンジンの揺れは興醒め物で、しかもリッター5km/lのガス喰いでした。
>>354 その車、私は昔中古車屋さんで展示されているのを見た程度でしたが、そんなに酷かったのですか。
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=934 本来ならばピニン・ファリーナのBMC1800/エアロディナミカって、こっちにつながる物なんでしょうが。
登場したのがGSやCXよりも後になった事も有って、印象が逆になっていました。
またこの頃の(60〜70年代)ローバーって、何故かシトローエンに影響されていたみたいな所も有って、
先代にあたる所謂ローバーP6は“ソリハル(工場所在地名)製DS”なんて呼ばれることもありましたし
このSD1では、シトローエンがスケルトン構造のDSから一般的なモノコックのCXに代わったのに
歩調を合わせるかのように同様の変化をしています。
また、シトローエンのような凝ったサスペンション&ブレーキこそ採用していないものの
リアにはセルフレベリング機構付きのダンパーを採用していたり。
当時(中古車屋さんで見たとき)そうした事が頭に先に有り。
また、まだBMC1800/エアロディナミカの事は知らなかったこともあって「後輪駆動のCX?」みたいに
思ったものでした。
でも(品質は低かったそうですが)このSD1って車は最初からハッチバック(だった筈)で
その点はシトローエンよりも使い勝手は良かったと思うのですよね。
シトローエンの方はと言えば79年にGSがGSAとなるまでは(かなり広かったものの)独立型トランクで、
ファストバック/コーダトロンカのボディー形状のメリットが使い勝手には現れていなかったと思います。
日本人は長くハッチバック型5ドアセダンを“ライトバンみたい”と嫌っていたようですが私は好きです。
欠点は、寒い時期には荷物の積み下ろしの度に後席に座る人に寒風があたることでしょうか。
(まぁ、知ったこっちゃない w)
それに、以前書いた話ですけど、
昔のエンジン止めたままでは車高が下がるハイドロ・ニューマティック車の場合。
停めた時には気付かなかった何かが、後で乗り込む時には障害になってドアが開かなくなる事が稀に有り。
そういうときにはリア・ハッチが非常口(乗る方の)として大変役に立ちます(w
またアクセス規制
長文書き終えた後に、この表示出るとショック大きい(w
最近の不景気で、自動車メーカーは何処も大変なようです。
トヨタでさえも、09年度の生産見通しは当初の20%減になる様子だとか。
アメリカ市場の売れ行き減少は深刻で30%とか40%減などと、信じ難い数字が並びますが
黎明期の生産台数ならばともかく、現代の水準となってからのこの落ち込みはかつてないものでしょう。
1929年の世界恐慌の時は、それを境に自動車の歴史がヴィンテッジ期とポストヴィンテッジ期に分けられる程
車そのものも大きく変化したようですが、今回の不況は自動車自体にも変化をもたらすでしょうか?
それはさておき、先日の続き。
全長4mに満たない程度の大きさの車では日本も70年代の初代シビックのヒット辺りから2BOX型が受け入れられ
それに伴うように、5ドアハッチバック型も抵抗無くなった気がするのですが
当初のシビックもハッチバックを持たぬ独立トランク型だったり、更に小さな軽自動車でも無理矢理な
3BOX型が存在したり、時にはFFファミリアのようなヒット作も有ったものの長続きせず、
日本人には貨客兼用車的なハッチバックセダンというのは意外と抵抗が強かったようです。
4m以上の大きさの車ともなれば意外にトヨタがこの分野に熱心でカローラやコロナに何度か
5ドア型を用意したものの、結局のところは日本では定着しなかったようです。
スバルが初代インプレッサで、5ドア・ハッチバック型にも見える形を“スポーツワゴン”と称して売ったのも
ワゴン型に強いという自社のイメージを利用したものであると同時に
5ドア型は売れないという過去の経験を踏まえたものかと、当時思いました。
この事は、私は何度も書いているようなAT全盛につながる“あまり踏まないのが良い運転”という概念同様、
日本にはアメリカ車が自動車文化がもたらした事の名残りではないかと思います。
そして実際に(5ドア型の)車自体にもあまり魅力的なものが無かったことも事実でしょう。
カローラやコロナの5ドア型は格好もあまり見映えがしませんでしたし。
マツダは一時期、スタイル重視でこの手の車を“5ドア・クーペ”みたいな感じで出していましたが
そのファミリア・アスティナって車(覚えてますか? w)外寸は丁度シトローエンのBXとほぼ等しい物でしたが
それで“どうしてこんなに狭く出来るのだろう”と驚くような代物でした。
358 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/12/13(土) 00:00:50 ID:BdzqEq+h0
まん こいう
あ、今日は書き込めた。なんだか最近調子がおかしいな・・。
いやお帰りなさい。何しろホストがいないとお話が進まない。
中京地区の雇用情勢が一気に悪化したり、いすゞで組合が横断幕張ったり、マツダ減産の影響で生活保護申請者が出たりと、
何とも厳しいものです。これまでの(日本以外の)世界的好景気が異常だった、に過ぎないのですが……
ドバイのバブルも投資急縮小してまして、産油国を狙った欧州の高級車販売も苦しくなるでしょうね。
ガソリン価格の暴落が、一般ドライバーにとってはせめてもの慰めです。
>>355 英国車が軒並みダメになっていった英国病の時代に生まれた「どうもいまいち」なSD1ですが、
不滅の傑作「ソリハル・シトロエン」P6を先代に持つだけに、哀しいですね。
デザインはまずまずですけど、P6のような「いい意味の驚き」がない。
この時代の欧州主要メーカーの車は、ドイツとスウェーデン以外の英仏伊が品質落ち込み著しかっただけに
技術やデザインでは興味深い物があっても、
同時期の無様なデザインの日本車に信頼性や品質で劣っていたというのは、辛いものがあります。
>>357 1970年代あたりの5ドアは、コンサバティブさのもとアメリカのトレンドを追っていたかつての日本では
メーカーにもユーザーにも時期尚早だったでしょう。
FFファミリアは、ゴルフへの知見や自社先代のFR・323系での経験が効いていたんでしょうが、
シビックやFFファミリアより大きいサイズで5ドア、というものは、日本人の感覚だと一気にバンやワゴンになってしまったんでしょうね。
アクセルあまり踏まないのがいい、というのは、急発進急加速を戒める健全な方向としてならいいと思うんですよ。
昔のフランス車の、非力エンジン派手にぶん回す思想ってのも一面では税制によるいびつさですし、
エンジンの高効率な部分を低回転で得て走ろうとするならそれは一つの理想です。
ところがそれなら、小排気量でも低速トルクがたっぷりある、って方向に行ってもいいはずなんですが
(英国車のロングストロークエンジンみたいですが)、
アメリカンV8との感覚的同一化なのか、
トヨタ車に代表されるように「あまり踏まなくてもスロットルがばっと開いて……」っていう
セッティングのいびつさに行っちゃうのがどうも変だ日本車。
>>360 今回の不況はトヨタやホンダなどの日本メーカーすらも
決して常に磐石ではないことを改めて感じさせてくれたと思います。
我々のような素人マニアは、自動車の歴史を技術やデザインでのみ追いがちですが、
過去に消えたブランド、メーカーの数の多さを思うにつけ、経済的なものもまた自動車の歴史の一部であると
考えさせられるものがあります。
ところで、非力なら非力で。また余裕が有るならやはりそれなりに、
アクセルは“踏んづけるモノ”なのがフランス人なようですが(w
その為か、昔から他の国に先駆けてブレーキは進歩が早かったようです。
ヴィンテッジ期辺りから、大衆車クラスにも積極的にサーボ機構を取り入れたのもこの国でしたし
ディスクブレーキを市販車で初めて技術的に成功させたのもフランス車・シトローエンDSと言って良いでしょう。
(市販車として初の採用は49年クライスラー、レーシングカーでは52年のCタイプジャガーが先例ですが)
手許に有る佐藤章三さんの著書にあった話。
戦前、日本にシトローエン車を売り込もうとしたフランス人セールスマン氏がいて、
アメリカ車に慣れた日本人運転手がいつもの調子で走らせてみても、全く非力で坂も登れない。
それを見かねたセールスマン氏「こう使うのだ」とセカンドで一杯に引っ張って走らせて見せたところ
日本人運転手氏は「焼き付きませんか?」と本気で心配してみせたとか。
実はこれと良く似た経験が有って。
昔、例のファミリア・アスティナを愛用していた女性がいたのですが「この車、坂に弱いのよね」とこぼす事しきり。
そんなに飛ばすのでなければ不満も無さそうなスペックなので不思議に思って助手席に座ってみると、
これが全くアクセル踏まない。タコメーターの針は絶対に3000超えない。
キックダウン使えと言うと、今度はエンジン音が高まり「焼き付きそうで怖い」と真顔で言う。
一体何の為のタコメーターなのかと・・(実際、ATにタコメーターって何の為の物でしょ? w)
トップギアでも低回転で急坂を登れるのが「良い車」と本気で思っていたようです。(パッカードか w)
エンジンはレッドゾーンで回し続けなければ壊れやしないけど、
回してもうるさいし、燃料は喰うし、
やっぱりノッキングを起こさない範囲で低回転に抑えたい、という心理はあると思うよ。
「回しすぎるのは無駄、乱暴、危険」という感覚ね。
その辺、逝ってるさんがおっちゃんとか、鉄板の猫が好き♪御大みたいな
見 識 の あ る オ ト ナ な 人 た ち が 仕 切 っ て る 立 派 な 欧 州 社 会www
向きの、選民指向の持ち主でないことを切に願うがw
えーと、エロスパセンセーはああいう人だからトクベツ。イタリアン気取りのイエローモンキーが一人ぐらいいるのも面白いからw
走り屋や自動車ヲタが好む「良く回るエンジン」よりは
トルクの厚い直流直巻モーターのように低速から粘るエンジンこそ、一般大衆の使い道には合ってるでしょー
>>361 其所が大半の日本人の意識なんでしょうね。
機械は丈夫に作ってあるから回せるけど、肝心の運転手が其処までを許容できない。
だもんだからスペックに奢るヤツがいますが(あ、こちらの方々の考え方は否定しませんよw)、肝心要の実性能は見ようともしないヤツが多い。
実際、回し過ぎて壊れるというのは、裏を返せば、その性能なんて耳かき一杯遣えれば御の字ですからねぇ……………
そのお陰か、日本でAMTが乗用車に普及しづらい(トラックはこちらが主流ですけど;)のは、運転啓蒙の不足も原因にあるんじゃないかって思わされてしまいます(こないだのトップギアをみて尚更に感じました)。
まぁコテハンの皆様程見識が有るわけでもございませんのでこのあたりで^^;
昨日
>>361に書いた事以来、私は
「日本人にとっての理想の車は、今も昔も、その名を知らぬ人にとってもパッカードなのだ」
という説を唱えていますが、未だに賛同して頂けた事は有りません(w
例のファミリア・アスティナに乗っていた彼女は、レッドゾーンどころか3000rpm程度が
心理的リミットになっていたような極端な例(でも、意外に少なくないのですよ。こういう人)で、
急坂は低いギアを使うという、自転車でも当然の事も思い至らないって人でした。
(幾ら私が無茶でも、誰彼構わずに“踏め!ぶん回せ!”とは言いませんってば w)
また穏やかな運転自体は勿論良いのですが、
運転中には座禅組んでいる時のように心穏やかになられても咄嗟の事態に対処出来ないでしょう。
また助手席が眠くなるのは良くても、自分まで眠くなるほど心穏やかになられても困ります(w
それに「エンジン音が高まるのは嫌」という理由から、下り坂でもDレンジ固定というのは危険でもあります。
まぁ、何でも程度問題ですね。
ところで、アメリカの影響の話の続きですが。
最初に日本の道路を走った車はフランス車・パナールだったそうですが、
一般には日本にはアメリカ車により、自動車文化がもたらされたことの名残りは様々な形に残っていると思います
しかし、それは飽くまで当時の日本の国情に合わせて輸入・または日本で組み立てられたアメリカ車であり
アメリカ人の好むアメリカ車とは、やや異なるところも当然有るでしょう。
オープン型好みなんて習慣は、時代と共に廃れた部分かも知れませんが、最も日米で異なると思うのは
アメリカ人のツードア(フォード語 w)好みと日本人のフォードア好みってところではないかという気がします。
T型フォードの昔から、アメリカ人はツードアセダンを好む傾向が有ったとかで、その延長にクーペとか
カブリオレの人気も有ったのかも知れません。A型フォード(1928〜31年)が、その生涯を通して
最も多く売れたのもツードアセダンだったとか。
今でも各自動車メーカーのアメリカHPと、日本では絶滅危惧種扱いのクーペ型が結構多く品揃えされていますが
理由はともあれ、とにかく彼等はこうしたツードア型そのものがお好きなようであります。
5ドアについてはちょっと異論があります。
シビック当たりが登場した70年代といえば、荷室にレジャー用品を載せたアメリカ製ステーションワゴン
(サイドに木目調ステッカーが貼ってあるアレです)がTVドラマを通して、「豊かで健全な家庭生活」の
アイコンとして機能していた時代ではないでしょうか。
ですから、日本で2ボックススタイルが普及しなかった原因は別のところに求めた方がよいのでは?
スカイラインからクラウンまでかなりの車にステーションワゴン型ボディが用意されていたことを考えても
5ドアボディが「小金持ちの商売人のためのものであって、都市生活者の自家用車ではない」という
認識が大きかったのかもしれません。
私もガールフレンドの車を運転していて、信号が変わったのにあわせて何の気なしにODスイッチを
切ったら、「壊れるでしょ!」と大目玉をくらったことがありました。
>>365 それは私の書いた「5ドア型が不人気だったのはアメリカの影響」説への異論ですね。
5ドア型が貨客兼用車的なライトバン(日本語だそうですが)を連想させるとかというのも良く聞く話ですが
実は当時(70年代中期というと、私は未だ少年でしたが)、
ワゴンだかバンだかを週末の自家用に使う自営業者の親類が身近にいた事も有って、
ごく普通の車に近い印象を持っていたことから、その辺の感覚ってのはちょっと判らないところが有ります。
セリカ・リフトバックとか、フェアレディーZなど、
3ドアのクーペは当時の若者層に広く受け入れられていたのですから
やはり最も大きな理由は、既製のイメージを覆すだけの魅力を持った車が無かった事に尽きるのでしょうが。
さて、100年も昔に登場したT型フォードの影響が、
この日本に一体どれだけ残っているものかは定かでは有りませんが。
この数日の話に出ている「回し過ぎないのが良い」というのを、あまりにも極端に信じ過ぎている人が多いのは
「低回転型の方が磨耗も少なく長寿命である」と言い切った
(確かに一理有りますが)フォードの影響が先祖代々受け継がれているのかもと、私は思っています。
まぁ、それはともかく(あんまりしつこいっつうのもアレですので w)
これは日本だけではありませんけど、センターライン側に運転席を置く配置が一般的なのもそうでしょうし。
また欧州ではサルーンとかベルリナ・ベルリン等と呼ばれる形のボディー形式をセダンと呼ぶのは
元々セダンという言葉をこの形式に用いたのがT型フォードであることを思えばその代表例ではないでしょうか。
ところがちょっとT型と日本の実情では異なるのがやはり扉の数。
フォードがセダン型と名付けた車の最初は“センター・ドア・セダン”と呼ぶような、左右各一枚のみの扉を
客室ほぼ中央に持つものだったようです。
http://lh6.ggpht.com/_wNnS9sh_wDY/SHWAZRwLa0I/AAAAAAAAEco/3D0XOAX0YEE/DSC04344.JPG この形は横浜組み立てには無かった筈で、後から商品化された(今の目からは)普通のフォードアや
ツードアの陰に隠れて日本では認知度の低い型でしょう。
日本市場の4枚扉好きは何処から始まったものでしょうか?タクシー由来ってのは考え難いのですが・・。
>>365 60〜70年代のアメリカ映画やTVを思い起こしてみても、あまりステーションワゴンの
活躍って印象が薄いのですよ。
ご近所の家を廻って、ピックアップした子供を満載してボーイスカウトや少年野球に
連れて行くといった使われ方の方が印象に残ってます。
日本でも昭和40年代末頃に放送された、リメイク版の名犬ラッシーだと、時折そうした
シーンがあった記憶もあるんですが。
>>366 セリカLBやZは、『セダンより上』という認識が、当時あったからじゃないでしょうか?
実際に、同等のコンポーネンツを使ったセダンより高価でしたし。
逆に5ドアは、『ライトバンのようなもので、セダンより下』という認識があった気がします。
世間様にどう思われるか、そこが車選びにけっこうなウエイトを占めていたと。
いや、4ドアはやっぱりタクシー由来でしょう。法人・営業需要からリア乗降性の良い4ドアが好まれたと見るべきです。
1950年代の輸入小型2ドア車でのタクシー営業は、止むに止まれぬ車両供給事情が原因ですし。
昭和30年代に至るまで、国産2ドアセダンは戦前ダットサンやトヨペットSA、
更にはスバルなど軽自動車やパブリカのような、タクシーに使えないようなクラスの小型車ばかりです。
その後も一部のエントリーモデルなどを除けば、日本では2ドアセダンは大きなシェアを持ち得なかった。
日本の5ドアは、やはりコンパクトカー(スターレットなど)から徐々に普及していく過程を経なければならなかったし、
ホンダのアヴァンシアぐらいになるとやはり日本では理解されなかった。
大排気量車・大型車ほど、既成概念からの転換は困難でしょうね。
T型フォードのセンタードアセダンはヘンリー・フォードが廉価セダン供給の手段として考案した特殊スタイルで、
1910年代のT型を除いてはほとんど波及してません(だからT型でも末期になってからの横浜フォードにはない)。
やはり安くてもあんなレイアウトでは使いにくかった、ということでしょう。
回転の面ですが、日本の道路じゃせかせか加速しても意味無いし、交通渋滞の元になるほど遅くなければ別に構わないでしょう。
3000回転以上で頻々と回しているとてきめんに燃費に響きますし。
もっとも、登り坂でキックダウンさせて速度維持することすら放棄する怯えぶりともなると、さすがに考え物ですが。
トルクコンバータ付き自動変速機は、日本の乗用車ではまだまだ主流であり続けるとも思います。
ぅーみゅ、うちのかーちゃんはやっぱり根本がラテンの女なんでせうなw、
ぷぢょ206遠慮無く回します。まぁさすがにアテクシほどブン回す訳ではありませんが。w
で、日本車が概してブン回すと燃費急速に悪くなるのは、以前にも書きましたが燃料冷却の為です。
尤も昨今悪しきチョンヨタ哲学が欧州にも瀰漫し欧州車でもやるのも出てきましたが。
欧州車崇拝といはれやうとも所詮アテクシアルファ党原理主義北部同盟クンニー派エロリストですのでw
多くの日本車に見られる不満を敢へて書きますが、
ヘッド周り等複雑に水路を設ける、インコネル系等コスト高な素材に
(まぁ今時インコネルなんざメチャ高価な素材でも無ひと思ひますがw)
ソジウム冷却当たり前、みたひなことをしなひ日本車が(勿論ここでGT-Rとかは除外w)
何故カタログ上物凄ひ高スペック記載できるのか?
それは燃料冷却です。安い素材と安い設計低コストで製造出来る設計で作り
コンピュータのマッピングに一言「○○回転以上は燃料ぶち撒け」と書けば出来上がり。
シリンダー内に過剰に燃料を撒き散らし、燃料の気化潜熱で冷却するのです。
当然ブン回せば燃料消費は爆発的に増大し、エミッションにも多大な悪影響となります。
それでもEのです、なぜなら排ガス規制はブン回さづに測定しますし
例え瞬間風速のパワーでもカタログに書くには嘘ではなひからです。
そしてユーザーのほとんどがそこまで回さなひ、
もっと言へば回さなひやうにメーカーが洗脳教育したからです。
レッドゾーンまでブン回はさうと快音こそすれ壊れさうな気配など
微塵も感ぢさせなひアルファやフェラーリ、BMWやポルシェ(個人的にはあの音は苦手w)、
ぃあFIATやらBMCミニ辺りやら2馬力やらですら(各オーナー氏、失礼w)
確かにdでもなひ音は出ますがブン回して今にも壊れさうな音つうことはまぁありません。
一方日本車でこれやると確かに今にも壊れさうな音と振動つうのがしばしば見受けられます。
端っから回してくれるな、つう意図を感ぢざるを得ません。
これも知らづ知らづのうちに回さなひやうに仕向けてゐる証左なのだと思ふのです。
もし、実用一点張りで正直なエコロジーと言ふならその辺になんぼでもゐるクルマに
例へ瞬間風速でも180`リミッターまで届くやうなエソジソ載せたクルマ販売するべきではなひ、
バスのやうにレブリミット2000回転ぐらひでトルクサイドに振った特性のエソジソに
思い切ったハイギアードを組み合はせるのが正しひでせう。
しかし各メーカはそれをやらなひ、そんなん売れなひからです。
目一杯ブン回して使えるものは全て使ひ切る発想ではなく使ひ(使へ)もしなひ
カタログの為のパワーと加速と最高速を売る為のお飾りとして付ける。
買ふはうもそのお飾りに目がくらんで買ふ。さういふことが踏めば壊れさうなエソジソと
踏むと壊れると思ひ満足にクルマ使へないユーザを増やしてゐるのです。
つひでに排気量の割に低回転・大トルク型にエソジソ作ると非常に効率悪くなります。
簡単に言ふと非常に燃費の悪ひエソジソが出来上がります。
適正な排気量に適正なパワー・トルクと適正なギア比を組み合はせれば、
そして燃料冷却のやうな技術的敗北をやらなければ、
ブン回してかっ飛ばして、つまりエソジソを上から下まで無駄無く使っても
もそれほど極端に燃費は落ちづ長距離高速移動などにはこれが最適、
な筈なのです。
ちょこっと上記訂正。
>排気量の割に低回転・大トルク型にエソジソ作ると非常に効率悪くなります。
↑これは正しひ言ひ方ではありませんでした。
同ぢ排気量で例へば280ps規制してトルクサイドに振る、かういふことをやると
効率悪く燃費悪くなる、です。以上訂正します。
>>369 彼女は元々ラテン系だったのか?そうだからこそラテン系の車を選んだのかも知れませんけれど
その逆に車に影響されるって事もあると思いますよ。
それこそ回した時に感触の良いエンジンでなければ、そんな運転パターンにはなりませんから。
確かにアイドリングでは大変静かながらも、回すとガサツな感触を伝えるエンジンって有りますね。
回す気にさせない為かどうか。そこまでは判りませんが。
そう言われて思い出したのが(恐らく)最後のカローラ・レビンの5バルブ型。
リミット自体は高かったものの(この私ですら w)そこまで回す気になれず。
パワーそのものは低くとも昔の2バルブ型2T-Gが懐かしく思えたものでした。
ところで昨日の
>>366の書き込み。書き込んだ後暫くして気付いたのですが、
「日本人に自動車の便利さを最初に伝えたアメリカ車といえばT型フォード」みたいな前振りを書き忘れたので
なんでいきなりT型が出て来たのか、不明っつうか唐突と言うか・・な文章でしたが、皆さんお優しいようで
つか、駄文慣れされているのでしょうか?(苦笑
>>368 トルクコンバーター付きATと言えば。先日も書いた、かつてアスティナに乗っていた方、
今はアウディなど愛用されているのですが。
さすがに今時の多段ATは昔のモノとは異なり空走感も少なく、普段マニュアルばかり乗っている私のような者にも
(操作系以外は)左程違和感を感じさせない、良く出来た物でした。
ところが彼女曰く「いつもアクセル踏んでないと止まりそうになる(速度が落ちる)のがちょっとね」なんですと。
メーカーの人が聞いたら泣くぞ・・(w
4ドア好みはタクシー由来でしょうか?何か他にフォーマル感みたいなキーワードも有る気もするのですが。
もっとも以前にも“フォーマルな場所に乗りつけるにも好都合なのでタクシーは4ドアセダンが好まれる”
みたいな話もありましたし。そうなると、卵とニワトリどちらが先か?みたいな話になってしまうのかも。
最近はセダン型が売れないと言われて久しいのですが。ところが、これが輸入車になると話が変り、
今も或る程度以上の大きさになると4ドアセダン型が売れ筋なようで。これもまた不可解なところであります。
一部のターボ車ならともかく、燃料冷却なんていう本質的に不利な真似を日本車はそれほど広範にやっているものだろうか?
エロスパ氏の知見の出所を知りたいところです。
>>372 そのご婦人、物知らずにも程があって、もはや論外だと思うんですがw
>一部のターボ車ならともかく
その辺ですな。それと一部の高性能を謳ふ車種。
なんぼ乱暴なアテクシでも全ての日本車がやってるとは言ひません。w
ましてやその辺の下駄グルマまで全てやってるとは。w
車種と具体例に関してはチューニング屋とか工場等
コンピュータの中身(ICの中のプログラミング見るやうなとこ)に聞くと分かる場合多し、です。
>>372 >4ドア好みはタクシー由来でしょうか?何か他にフォーマル感みたいなキーワードも
いくつか、理由が積み重なっているでしょうね。
法人、タクシー需要がシェアの多くを握っていた時代、軽や大衆車を除けば4ドアばかりだったので
1.4ドアじゃない車は安っぽいというイメージ
これには、カローラやサニーなどの大衆車の2ドアスタンダードが営業の足に良く導入されていたのも
安っぽいイメージ付けに作用したんじゃないでしょうか。
デザインの面からも、当時の2ドアモデルは後席窓あたりに貧相感が漂っていたものです。
メーカー側も2ドアのセールスポイントを、廉価さと子供がドアを開けない安心感程度しか訴求していませんでした。
当時の感覚では、ドアが二枚少ない、物欲しげな車にしか見えなかったのが正直なところ。
2.窓が降りない
クーラーがぜいたく品だった時代にこれは大きい。
4ドアセダンだと窓が降ろせたんですが、2ドアは前ヒンジで後ろが少し外に開けるだけ。
ギャラン登場前のニューコルトは後窓が降ろせたんですが、4ドアのように三角窓が残り、とても鈍臭いデザインでした。
そして、1600cc級ミドルクラスセダンになるともはや2ドアセダンというのはほとんどあり得なかった。
510ブルーバードでの例が例外的な存在でしょうか。あれはスポーツモデルとしてのキャラが強かったですが。
フランスでは昔から小型でも4ドアが主流、
対するドイツでは戦後しばらく、大衆車では2ドアセダンが結構幅を利かせていたのも面白いところです。
実用性で4ドアが2ドアをしのぐのは言うまでもなく、
スポーツモデル等の例を省くと、構造の簡易さによるコストダウンや軽量化がセダンの2ドア版提示の動機として浮かんできます。
技術の正道から言うと、
やはり4ドアでも2ドアに大きく劣らない強度を確保して製造できることがまっとうなあり方だとは思いますね。
両ドアからリアシートに直接アクセスできるのはやはり大きなメリットでしょう。
1970年代、まだ子供だった頃ですが、2ドアセダンはクーペみたいでカッコいいような気がした反面、
2ドアセダンで事故になって後の席に乗っていたらどうなるんだろう、逃げ出せるのかな?
と子供心に不安に思ったものです。
車板でもAT限定の人の書き込みとかには、酷く感覚がずれたのが有りますが
そういうのを読むと「ATしか乗ったことがないっていうのは、凄い事なんだな」と感じます
>>377 むしろ「AT乗りやミニバン乗りを見くびる事しか能がないお前ら」のほうが、よっぽど感覚がずれている。
>>376 510の2ドアにスポーツモデルとしてのイメージが付いたのは後年のことじゃないのか?
新車時には日本でも海外でも実用車というとらえ方が普通だったはず。
うん。
410系と510系には2ドアセダンがあったけど、あれは当時波に乗りはじめた輸出向け、
そして国内向けには廉価な実用車という扱いだった。
国内ではブルーバード系の2ドアセダンは510で途切れるけれど、海外ではニュー510
(710バイオレット)にちゃんと2ドアセダンが発売されていた。
「めったに後席は使わないし、買い物用のセカンドカーだし」と割り切って車を選べる
ところはいいよね。
日本でショッピングセンターに来るオバサンの軽に、アルミホイールやナビまで付いて
いるのはなんか不思議だ。
>>373 >>377 私等のような偏った者(失礼?)同士の話っつうのは、話している当人達は面白くとも、
多くの人の感覚とは乖離していると思うこともあります。
どの辺が“普通の人”なのかは良く判りませんけど、時々は車に興味のあまり無い人の話も聞いて
頭の中リセットしないと、どんどん変な方向に行ってしまいそうな。
・・あまりにも素っ頓狂な事を言われて混乱する事も多いですが・・。
>>375-376 2ドアはちょっとスポーティーにも見えるけど、一般には廉価版の印象が強いといったところですね。
シトローエンC4の先代モデル・クサラのクーペを思い出しました。
あれ、ルーフラインまでサルーンと共通だったので実質2ドアセダンだったのですが、
そう言うと売れないと思ったのでしょうか。
実際にあまり人気は出なかったようで、C4ではサルーンとクーペとでは大きくデザインを変えてきましたが。
ある程度以上の大きさのサルーンカーともなれば、後席も重視しなければならぬので4ドアが当然でしょうが
それが"4ドアの方が高級”みたいな印象に変化して、小型もそうなったみたいなところも有ったのかも。
“フランスでは昔から小型でも4ドアが主流”っつうのは、確かにそうなのでしょうが時代によって変化も有って。
ルノーを例に取ると戦後の4CVやらR4など、小型でも無理矢理4ドアにしていますが
(R4はそのお陰で後発のフルゴネット版が作りやすかったかも)
R4の発展版である5は最初2(ハッチバックですから3?)ドアのみだった筈で、
後から5ドアも追加されましたが常に売れ筋は3ドアの方だったように思います。
また4が生産中止になった時に代わって登場したトゥインゴは3ドア版のみでしたし。
で、話は冒頭に戻り、特に車に興味の有る訳でもないらしい人の意見。
私自身、別に4ドア好きという訳でもないと思うのですが、乗り継いだ車は4ドア(または5ドア)ばかり。
家人の好みっつうのも有ってのことかと、此処は彼女に“何故4ドアが良いのか?”訊ねてみましたが
(この人、先日のジープの話以来、私が変なモノを買う気になっているのかと疑心暗鬼 w)
「ドアが大きい車だと、駐車場で気を使うでしょ?」と・・。
・・なんか納得・・。
奥さん、身も蓋もなく実用主義な発言。これがふつうの感覚でしょうね。
テリー伊藤が白物家電車を叩いてましたが
半分お遊びで人生送ってられるテレビプロデューサーなんかに、日々の生活に追われる平凡な人の生き方を批判されてたまるか、
という気はしますな。
>>381 「私等のような偏った者」と仰いますが、
>>377さんがミニバン罵倒スレに書き込んでいるレスと
相当逝ってるさんも同じ感覚をお持ちなのでしょうか?
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/car/1195080795/799 799 :名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/12/18(木) 15:10:10 ID:ISK9lsJeO
感心されようが、されまいがミニバン乗り皆、バカで非常識で全裸
近年の国内新車販売ランキングはミニバンが上位を独占している状況が相当長く続いていますから
ミニバンユーザーの比率が多くなり、それに比例して非常識なミニバンユーザーも増えています。
然しながら、善良で良識あるミニバンユーザーは決して少なくありません。
>>377さんは何を根拠に全てのミニバンユーザーを「バカで非常識で全裸」と断定しているのか
是非知りたいものです。確かな根拠も無いのに単に個人的な思い込みだけでそう断定しているのなら
「日教組が強いところは学力が低い」と発言していた某元大臣と同じ思考レベルだと思います。
・・“偏っている”って、そんな意味じゃないですって・・。
自分を“常に公平・中立な人間で、世界の広範に渡る知識を持っている”とか考える筈も無いですし
もし、万が一にもそう思っていたとしても、人前でそんな事書けませんって。
つか、いつもの書き込み見ていれば、私を“偏った奴だな”って思いませんか?
>>382 芸能界の人が遊び半分で生きているというのも偏見かと思いますが(w
先日トヨタIQの話の時、私も“白物家電的”と書きましたが、
考えてみれば家電製品を味気ないものとか、便利ではあっても愛着の沸かない物の例えに使うのは
家電製品に携わる方に対して失礼な話だと反省しております。
それとはまた別として。
テリー伊藤さんの発言の内容を知りませんので、それに対しては何も言えませんが
生活に用いる実用品、道具の類が味気ない物であっても良いとは考えません。
実用性と情緒とは相反するものではなく、むしろ実用性を高める為に工夫を凝らした車にこそ
傑作と呼ばれて独特の情緒を湛えるものが多く存在したことは明らかでしょう。
もしも今、メーカーの人が懸命に努力しているのに数年で忘れ去られる車しか出来ないのであれば
それは力不足と叩かれても仕方のない所とは思います。
数年で飽きられて貰わないと困ると思って味気ない車を作ろうとしているのであれば尚更。
(こういう、変に理屈っぽいこと書く奴って、何処か偏っていると思いません??)
実は今日は丁度ミニバン関連の事を書く気でいたのですが・・。
今のミニバン流行以前にもニッサンから3列シート・7〜8人乗りのプレーリーって車が出ていましたが
技術的に未熟なところがあったとかで、影が薄い存在になっているようです。
で、その“プレーリー”という車名。戦後ルノーが作っていた同様の車に敬意を表して
その名をそっくり頂いたのではないか?みたいな話を以前CG誌上に永島譲二さんが
書かれていた記憶が有るのですが、その記事が見つけられませんでした
http://pagesperso-orange.fr/nationale7/dos/vacances65/images/09-07-rochetaillee3.jpg 永島さんは単に“ルノー・プレーリー”と書かれていたと思いますが、より正確には
“RENAULT COLORALE PRAIRIE”のようです。
テレビプロデューサーなんてのは、大衆をたぶらかして視聴率の上がる番組をでっち上げるのが仕事です。
テリーは自分もメディア露出してあおり役になってます。
その意味ではむしろ、良心的なものづくり、とは相反する手合いの存在ではなかろうかと。
アウトローを気取ったうさんくさいスノビズムの発露に過ぎないと感じます。
かつて戦時中の日本人は「欲しがりません勝つまでは」を強いられましたが
今や日本政府が国民に「内需拡大、どんどん欲しがれ」と旗を振らないと経済自体が回らない始末です。
その結果があの馬鹿馬鹿しいフレーズ「エコ替え」ですね。
大抵の日本国民は必要以上に物を買う余裕もないし、買う必要もないんですが。
プレーリーは、コンセプトは良かったんですが(あの時代にいち早く、しかもピラーレスであんな車を作っちゃったことが大胆)、
未熟さは否めず、当時の日産の技術・デザインレベルではやはり手に余る題材だった感があります。
ぼそ
それでもあの初代プレーリーは開発に10年掛けてるんですよw
388 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/12/20(土) 21:20:51 ID:9XCL8ULv0
28 :Σ(・*・` ) ふっさーる ◆288GTOD/a2 :2008/03/18(火) 21:16:05 ID:dVgnQYbE0
でも切換さんはいい人だよw
俺の知っている人と同一人物なら、すごく丁寧で物腰の優しい紳士ですぞw
おもうに、ハンドル握ると人格が切り替わるんだよw
30 :名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/03/18(火) 22:45:45 ID:E1oSjFtk0
>>28 あんたは国スレで自作自演していた言い訳でも考えてろ。
ふと思ったが、日本でのレクサスはエドセルの茶番の再来かしら?
ニッサンのプレーリーは、車名もプレーリー・ジョイとかプレーリー・リバティ、
最後は単にリバティと変ったのでしたっけ?常に不遇なモデルだったように思います。
・・と、言いつつ・・。知人に最後期モデルのリバティに乗っている人がいますが、
正直言ってあんまり「乗ってみたい」とか「運転してみたい」とか思わない車であります。
初代モデルのピラーレス構造+スライドドアってのは、最近幾つか例が有るようですが、
通常のモノコック構造で実現するとなるとかなりの補強で重量増は避けられない構造でしょう。
開発に時間掛け過ぎ、その間に浮かんだアイディアをあれもこれもと欲張り過ぎたのですかね?
こうした車に限らず、様々なボディー形式やコンセプトで特許が取得出来るのであれば、
最も多くの特許を持つ事が出来るのは、アメリカ車かそれともフランス車になるか。
歴史の浅い日本車はこの点で不利なのは致し方ないところでしょうか。
例えば、先日も現代日本の軽自動車で主流を形成している感のあるハイト型ワゴンの直接の始祖は
ルノー4ではないかといったような事も書きましたが、この説も未だに賛同者は得られません(なんでかなぁ・・)
三列シート車・ミニバン型というのも、呼び名こそアメリカ調ですが今日本で作られているそうした車は
20年代からフランスに存在した7〜8人乗り三列シートのセダン/ワゴン型の
“ファミリエール”が源流となっていると思います。
昨日も触れた50年頃のルノー・プレーリーも日本には輸入されなかったと思われますし、
この手の三列シートのフランス車は日本ではあまり一般的ではなく。
80年代の初代エスパスでいきなり出て来たような感覚も有りますが、
カロシェ(コーチビルド)架装ボディーの時代から、主流にはならずとも常にそのような車は存在したようです。
これはシトローエンCXのワゴン・バリエーション“ファミリエール”
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12463.jpg しかしこれらはトラクション・アヴァンとかCXのように(フランス車としては)最大級の車のバリエーションで
このCXではただでさえ長いホイールベースを更に延長して3m超としたもの。
恐らく、乗り心地に不利なリアホイール上に三列目が配置される事を嫌ったのでしょうか。
>>390 キャトルやファミリアールに始祖を求めるのは難しいんじゃないっすか?
ディメンションからして、キャトルはごく普通の小型車、ファミリアールはやたらと長い。
軽ミニバンの場合、全長に制約があって居住性(特にニースペース)と積載性に難がある。
とはいえ1BOXタイプでは車両価格が高く、安全性と疲労度でビハインドがある。
その中間を取った、美味しいところをセルボベースでお安くまとめ上げたのが、初代ワゴンRの冴えたところではないかと。
キャトルは、後ろにドアをつけた「ちょっと便利さプラス」、ファミリアールは「伸ばせばもう一列シートが付くじゃん」という意味で、
どうにもひねりがありません。
これが、始祖がエスパスだ!といわれれば、まあ何となく納得できるのですが。
>50年頃のルノー・プレーリーも日本には輸入されなかったと思われます
フレガート・プレリは、ルノーを輸入していた共進自動車が扱っていましたよ。
>>390 仰る通りプレーリーはモデルチェンジするたびに車名をコロコロと変えていましたね。
(プレーリー→プレーリージョイ→プレーリーリバティ→リバティ→ラフェスタ)
プレーリ−はセンターピラーを無くしてしまったのが原因で、走行中はボディがぐにゃぐにゃと撓んでしまい
当時の自動車雑誌等で酷評されていました。
プレーリ−とほぼ同時期にデビューしたシャリオは、プレーリ−より遥かに完成度が高かったにもかかわらず
今ではほとんど忘れられた車になっています。
そう言えばシャリオもモデルチェンジするたびに車名をコロコロと変えていました。
(シャリオ→シャリオグランディス→グランディス)
現代のセンターピラーレスのミニバンですが、一見プレーリ−の様にセンターピラーが無いように見えますが
スライドドアの内部にセンターピラーを内蔵しているので、走行中もボディはがっしりと剛性を保っています。
393 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/12/21(日) 06:41:58 ID:xiXcdbNSO
かのブラバム・レーシングの名前が BMWのチューナーというか、メーカーとして復活するそうです。
詳しい方おられますか?
394 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/12/21(日) 06:48:49 ID:l+TZV4/+O
>>393 ブラバムとはまた、古い名前を持ち出したものですね・・。
>>391 やっぱ無理っすか?(w
まぁ、実を言うとミニバンについては、このカテゴリーの定義自体が酷く曖昧なので、
その始祖とか源流とかを言うのもかなり無理が有る話だとは思ってはいるのですが。
昨日のCXファミリアールなどは先代からのホンダ・オデッセイのようですし、
ミニバンの流行に伴い日本にも情報が入るようになる以前から大家族の多いフランス辺りでは
7〜8人乗り型が常に存在したっつうネタが書きたかったのであります。
>>392 シャリオって車も有りましたね。この車にも直接触れた記憶は無いのですが。
80年代は三菱とマツダは矢鱈に車種を増やしていた時期だったような感じが有って、
どれがどの車をベースに開発された物やら、訳がワカランところが有り。
この頃を契機に私は国産車に疎くなったのかも。
シャリオは調べてみたらトレディアがベースだったそうですが、トレディアという車を憶えている人ってのも
あんまりいないでしょうね。
それはともかく。三列シートで7〜8人乗りの車が昔から存在したフランスでも、
今やこの手の車はサルーンカーと共通のイメージを持つワゴン型なのはプジョー308SWくらいで
シトローエンC4グランピカソとかルノー・グランセニックは完全にミニバン型イメージですが
この両者くらいのサイズが、3列シート車としては最低限なのは日本とは異なるところでしょう。
これらの他に、シトローエンC8、プジョー807等と呼ばれるもう少し大きな物もあちらでは売られているそうですが
シトローエンやプジョーで言えば最上級サルーンのC6や607よりも大きな数字を車名に用いている辺り
(お値段がどうなのかは知りませんが)扱いとしては“高級な物”という感じのようです。
C4ピカソにしてもC4シリーズの最上級モデルという扱いのようですし。
以前C4グランピカソが日本に導入された時、シトローエン社の方が
「こうした車は開発に大変な手間とコストが掛かり、その分高価にせざるを得ない」旨の事を言われてましたが
その辺は日本との実用速度や運転のされ方の違いが見て取れるところではないでしょうか。
ミニバンの始祖はムルティプラってことではいかがでしょ?
小型車のフロアを流用し、シートの位置を無理やりずらして三列化。ずばりです。
エンジンの位置を指摘されるとつらいのですが。
>>396 http://farm3.static.flickr.com/2249/2458398919_988c8bb026.jpg このムルティプラ(56年登場)だったら、
残念(?)ながら50年登場のVW typeUの方が先という事になるのではないでしょうか。
http://www.vintagebus.com/gallery/section/image/2100550.JPG ナンとも言えず良い雰囲気。今でもスバル・サンバーをこの車に似せて改造する人が多いのも良く判る気がします。
そう言えば、一時期レトロ調が流行した時に、スバル自身が作ったサンバーのレトロ調仕様車
(ディアスでしたっけ?)のフロント部分はムルティプラにちょっと似ていたかも。
ミニバンには、こうしたキャブオーバー型(運転席が前輪上に有る)からの流れってのも確実にあるでしょうね。
80年代前半頃にも、結構ハイエースなどの1BOXを自家用に使う人もいましたし。
私はその手の車を所有した事は有りませんけど、若い頃に(この言葉嫌いだけど、他に言い様もない w)
当時給料泥棒をしていた会社の営業で、結構ハイエースは運転させられました。
やはりステアする前輪上に座るっつうのは違和感が有るモノですから、
個人用としてはエスパス型がこうした車に取って代わったのも当然と思います。
まぁ、慣れなんでしょうけどね。
以前他のスレッドでコルヴェットを普段の足に使うトラック運転手さんの話ってのを見た事が有りますが、
左後輪直前に座るコルヴェットで通勤し、右前輪上に座る車で仕事するっつう対角線移動。
私ならやりたくない気も・・(w
ところでミニバンって呼び方ですが、クライスラーがこの言い方を最初に用いた車は乗用車ベースだったのに
商用車ベースの大型バンの縮小版のような格好だった為、こう呼ばれたのでしょうが、
それが今に至るまで「貨物車みたい」っつうあんまり有り難くない印象につながっていると思います。
どうせならモノスペースとかMPVとか、別な言い方を広めればよかったのに、とも思います。
それにしても。源流・始祖を捜すといろんな流れが出て来るミニバンですが、
その名称の本家本元は、これに間違い無いでしょう。
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12465.jpg
もうちょっと、この手の話で引っ張りますが。
現代の軽自動車の主流、スズキのワゴンRをはじめとするハイトワゴン型にルノー4が
影響を与えたであろうってのは、実は私自身も本気で言っているようなそうでもないような・・(どっちだ? w)
なのですが。
まぁ現実にはこの手の車の始まりって言うと360cc時代の軽・ホンダ・ステップバンでしょう。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/lc/doctors/waza/080327_02.jpg で、この車はと言えばやはりアメリカ調バンの縮小と思えます。
Cピラーにも窓を設けて6ライト(って言うのかな?この場合)にしている辺りはR4にも似ていますけど
やはりこれは“結果的に似てしまった”のだと思います。
このライフ・ステップバンは生産中止後に人気が出た車だそうですが、ワゴンRが登場した当時
スズキのショールームに見に行ったら、セールスの方が自ら「昔のホンダ・ステップバンみたいなものですね」と
言われてました。
しかし、それはともかく。この形って広さ(容積)と乗用車的雰囲気との上手い妥協点っつうか
ダイハツ・ムーヴのような追従者も生んだように、広く受け入れられるだけの良さが有ったのでしょう。
軽規格一杯まで容積を追求するのであればキャブオーバー型のエブリィとかの方が上手ですし
乗用車ベースでなければと言うのであれば一時期有ったミラ・ウォークスルーバンみたいなのも有ったのですし
ワゴンR登場時にも、同様のコンセプトでミニカ・トッポが先行して有りましたが
結局ワゴンRの1.2BOXとでも言うべき形が最も人気になったようです。
もっとも、皆ワゴンR型になってどれがどれやら判らない現状もどうかと思いますが。
ひねくれモノの私は、一時期ミラ・ウォークスルーバンの購入を検討した事が有ります
(ちょっと欲しくなって試してやめた車って、矢鱈に多いのです w)
確か過給機無しで3ATという非力仕様だったように記憶していますが、第三京浜で向かい風の中
80km/hを維持するのがやっとという有様で騒音は酷く、一気に熱が冷めました。
今思い出すと、アレを買って一体何に使うつもりだったのか?自分でも不思議・・。
単に見た目の可笑しさでウケ狙いがしたかっただけだったのかも。
ちょっと話は変わり。
昨日6ライトという言葉を使った時に思い出したのですが、以前他のスレッドに於いて
「ボディー形式を表すのに英国では4ライト6ライトと横の窓のみを数え、アメリカでは3ウィンドウ5ウィンドウと
後ろの窓も入れるのは何故?」といった疑問が有り。それに対して
「後ろの窓はウィンドウ(窓)ではあってもライト(明かり)取りではないということかも」みたいなことを
示唆されたことがありました。
先日もこのスレッドで「日本で言うガソリンをベンジンと呼ぶ国も有る」と言った話が出ましたが
自動車用語ってのは結構国毎、メーカー毎に違うもののようです。
統一の必要も無いボディー形式なんかはその代表みたいなものでしょうか。
一時期流行った“4ドアピラード・ハードトップ”なんかは、メーカー側の独りよがりみたいな所も有りましたが。
そういう私の使っている言葉(用語)っつうのも、お気付きの方も多いでしょうが、ちょっと変なもの。
例えば「フロントガラス」とか「ウィンカー」のような和製英語は避けるようにしているところが有ります。
“そんな英語は無い”っっつうのが主な理由ですが
“和製英語だろうと、一般に通用しているなら立派な日本語”という考え方も有って当然とも思いますので
他の人が使っている分には全く構わないと思います。
しかし、一回気にし始めると気になるもの。
かといって「ウィンカー」を「ターンシグナル」とか呼ぶのも変に気取っているみたいでて呼び難いところが有り。
で、結局は原語の直訳で「方向指示器」若しくは「合図」と言うようにしています。
また全ての用語を英語で知っている訳でもないので、
うっかりすると「ウィンカー」を「ターンシグナル」と呼んで「フロントガラス」はそのままみたいな
一貫性の無い事になりがちなのですが、それも格好良くない気もしますので「方向指示器」と呼ぶのは
無難なところに逃げているという節も有り。
まぁ、そんな風に言っても自らは気付かぬ内に何処かに破綻しているところは有るでしょう。
それに「フロントガラス」を「ウィンドシールド」の直訳で「風防」と呼ぶのも変に思われそうとか、
どうにも難しい例ってのも意外に多いのです。
本日は一言のみ、
ドイッチュ語でターンシグナルは”ヴィンカー”です。
言ふまでもなく意味は”ウインカー”。
>>399 車と関係ない事なんだけど
メール欄にわざわざ「age」を入力しなくても空欄のままで上がるって知らないの?
つかメール欄に「age」なんか入れてると糞コテだから気を付けてねw
>>400 和製ならぬ独製英語なんですかね?
昨日の話の続き。
日本語で言い表せるものであるならば、何もカタカナ言葉を用いる事は無いっていう考え方もあるでしょうが
ウィンドシールドを“風防”と呼ぶというのは、一般的な感覚だと幌型(オープンカーってのは和製英語 w)
を連想されることでしょう。
しかし古くから存在する言葉を野暮ったいと嫌い、代わりに使うのが和製英語ってのも
なんとなく間が抜けた話のような気もします。
しかし(また w)私自身、このスレの前の方で“ガソリンスタンド”なんつう言葉を用いていますし、
車とは関係無いですが年バレスレで“ボールペン”なんて言葉も使っているように、
和製英語であろうと世間に定着して他に代わる言葉も無いモノは、
用いない事にはどうしようもないところも有ります。・・あぁ、全く悩ましい・・(そんな事で悩むのは私だけ? w)
何度か書いているように、日本ではボディー形式の表現の多くはアメリカ車・アメリカメーカーが
基準となっていると思うのですが、オープンカーとかライトバンなんかは和製英語のようです。
ライトバンってのは日本独特のものでしょうか?ああいうワゴン型を商用に用いる国って他にはあまり無いかも。
小型商用車の場合、大体は先日の“ミニ・バン”のようなパネルバン型を用いる国が多いようです。
個人商店主等が休日には自家用に用いるってことは他所の国ではあまり無いのでしょうか。
このライトバンという呼び方、恐らくパネルバン型を日本では昔“メクラバン”なんて呼んだことから
その対になる言葉のように作られたのではないかと想像しているのですが、
側窓(サイドウィンドウと書くべきなのかも知れませんが、もうワカラン・・w)のみを数える
4ライト・6ライトという英国風の風習に、恐らくは結果としてでしょうが忠実な造語になったのは
アメリカ車が標準だったかつての日本としては珍しいことなのではないかと、ちょっと考えたり・・。
ちなみに、パネルバンという呼び方は一応英語に有るみたいですが、小型商用車は単にバンと呼ぶか
デリバリーバンと呼ぶ方が一般的なのかも。もう、皆ひっくるめてフルゴネットでいいいじゃない・・。
ホンダのステップバンといえば、同じ車名のフォードやシボレーのステップバンがピンと来ます。
乗降の多い短距離戸口配送用として、他にもダッジやウイリス、ディブコ等多くのメーカーが参入していました。
豚の貯金箱のような姿はなかなか可愛いので、一度ググってみてください。
ホンダのステップバンも、乗降に負担にならない着座高、助手席側からも乗降しやすいよう整理された床周り、
伝票等がマグネットで留められるインパネなど、短距離戸口配達用としていろいろ考えられています。
まあ、日本の法規上、本家のミルクトラックのように立って運転するなんてもってのほか、ドアなしも無理という
経緯で、常識的な車の形になったのでしょうが、その使いやすい構成が転じて現在の背高軽になっているのは
納得のいくところです。
ライトバンの件ですが、メクラ(放送禁止w)バンとの対比は無理がありませんか?
『軽量 or 小型』の意味でのライトバンという名前は、英国で使われていましたよ。
戦後なら例えばオースチンA35、戦前ならモーリスなど、さらにローヤルメイル(郵政)や小規模商店が
好んで使っていた、オートバイベースの三輪バンもライトバンと呼ばれていました。
日本でもすでに大正末、のちのダットサンへ繋がるリラー号の車型にライトトラックがあり、その後の
ダットサンやオオタにもライトバンがすでにカタログモデルとして掲載されています。
これらは、通常サイズの車に対比しての、軽=ライトの意味です。
戦前には、配送用にフォードやシボレー、日産80型などのデカいトラックにもバンボディがあって、
それが普通サイズ、それにたいして小さいのがライトバンでしょう。
なお、当時のカタログでは、側窓あり・なしともにライトバンで、パネルバンとの区別はありませんでした。
>ライトバンってのは日本独特のものでしょうか?
各国の古いのをいろいろ調べていると、日本だけ異質ってのはあまりないんですよ。
同じような考えで、同じようなものを作って買っているんだなと、そういう面で「人間、どこでも一緒じゃん」と
納得できたりします。
>>401 彼は“わざわざ”入力しているのではなく、“わざと”入力しているのだろう。
一見、下げで書き込みしている様に見せかけていながら、実はスレを上げている。
上げたいのなら正々堂々と上げればよいのに、彼はコソコソ隠れて上げる卑怯者だ。
>>403-404 明かりのライトじゃなくて軽量・ライトカーの方でしたか。最初に4ライト6ライトの話から入ったので
すっかりそっちに頭が行ってました。
“ライトバン”は和製英語という俗説が誤りだったという事なのですかね?それは納得出来るのですが
用語の問題にとっては、“実は和製英語ではなかった”というパターンが現れた訳で
更にややこしくなったような気がします・・(w
こんな事に頭を悩ませるっつうのは私だけなんでしょうか?
マニュアル・ギアボックスを“ミッション”と呼ぶような、明らかな誤りは知っていて使う人も少ないでしょうが、
このスレッドを見ている他の方はステアリングホイールをハンドルと呼んだり、
ウィンドシールドをフロントガラスと呼んだりするのに抵抗は感じませんか?
また、特に車に興味は無い人を相手に話しているときに“ステアリングホイール”とか“ウィンドシールド”みたいな
本来の呼び方には近くとも、あまり一般的とは言えない用語を用いる事には抵抗は感じないものでしょうか?
まぁ、そんな事はともかく。
“ライトバンとは日本だけのものか”という疑問ですが、私の言葉足らずだったところも有り。
日本で言うライトバンのようなステーション・ワゴンと共用、または見分けがつき難い側窓付きボディーを
商用車にも用いるのは日本だけなのかと思ったのです。
これが例えばフランス辺りだと商用車として登録し、税制上の恩恵を受けるには
パネルバン型が要求されるようです。
個人商店主さんなどが休日の自家用にも使い易い配慮なのか?その辺り日本は規制が緩いと言うか・・。
この為に日本ではパネルバン型というと一時ニッサンから出ていたS-Cargoが有った程度。
この事がステーションワゴン型への偏見みたいな物を生んだという面もあるのかも。
前にもちょっと話が出ましたけど、昔は大小多様なライトバン型・乗用車ベースの4ナンバー車が
各メーカーから出ていましたが、様々な理由から最近ではトヨタのプロボックス/サクシード辺りが有るくらい。
知り合いの勤務する会社では、販売店との付き合いからトヨタ車には出来ないとかで
ニッサン・ラフェスタを営業車に使っているそうです。ライトバン型に拘る社長さんなんでしょうか?
和製英語で「フロントガラス」なら「前のガラス」で感覚的に意味が通じますが、
「ウインドシールド」だと、風を「ウインド」なんて呼ぶのは気取った喫茶かペンション、ないし日本の歌なのに横文字使いたがる奴らぐらい、
「シールド」から運転席前方にあるガラスを連想してくれる人なんてまずいないでしょう。
それに、「ステアリングホイール」より「ハンドル」の方が短くて誰でもわかる。
あまりこだわりすぎると、あからさまなスノビズムになって鼻持ちならなくなるので、昔おられたおっちゃんさんのように嫌味になります。
自分の知識を一般人の前で披見するよりは、当座の用を正しく伝える方が大事なのであって、
日本社会の現実との妥協はどうしたって必要でしょう。
おっちゃんさんは選民主義が鼻について好きになれなかったなあ。
販売店との付き合い、で実情に即さない車選びを強いられるというのも切ないものがありますね。
本当なら営業車なぞ、リース会社も噛ませて何社か相手にして競争で叩く、というのが理想なんですが、
中小オーナー企業はつまらないしがらみがあって大変ですね……
戦後すぐのイギリスで、乗用車への課税が異常にきついので、スポーティモデルでも全然似合わないバンボディを架装、
後部のサイド窓にはベニヤ板を填めて、ナンバー取得後にガラスに入れ替える、というアホらしい真似をしていたといいますが、
それを思うと日本の実情は恵まれているんでしょうね。
>>405 アレってわざとなんですねw
けど普通のブラウザで見てる人は下げレスと区別つかないけど
このスレってみんな専ブラ使ってるから無意味だしww
つかスレ上げる意味ってあるの??
>>406 「age」が「AGE」になってるしwww
>>408 半角小文字だと「コソコソ上げている」ように見られるみたいなんで、全角大文字にしてみた(w
メール欄は何も書かなければ書かないで、また「参加者募集」みたいに本来の意図を書いたら書いたで
やはり別な誰かに何か言われるんだろうなぁ・・。もう何度も繰り返したし、知らん(車の話以外は結構飽きっぽい)
>>407 今更弁護する訳でもありませんが、おっちゃんは半分以上はネタでやっていたと思いますよ。
私とは相容れないところも有った人ですが、言いたいことは理解出来たつもりですし
嫌いではありませんでした。
それはともかく、「和製英語も通用すれば立派な日本語」派ということですね。
和製英語と知らずに外国人相手に使ったりしない限りはそれで良いと私も思うのですけど、
言葉の問題っつうのは気取るつもり無くとも、普段読んでいる本や雑誌に影響されている部分ってのも有って
また、気取っているように思われたくないっつう弱気なところも有り。
で、現状、普段は「ハンドル」とも「ステアリングホイール」とも言えずに、「アレ」で誤魔化す私・・。
此処では“シトローエン”なんて今やCG誌でも使われない表記を用いていますが、
どうしても変えたくないところってのも、誰にも多少はあるでしょう(でしょ??)
大きな会社であっても、自動車業界とかに多少なりとも関わりのあるところでは、
営業車の選択に何かしらのしがらみってのはあるでしょう。
昨日書いた会社で、変と思ったのは“なんでラフェスタなの?”って部分です。
週末の自家用とかって事を考慮しないで良いのであれば、あの手のステーション・ワゴン型って
貨物用にはそれ程使い勝手の良いものでもないので、
ニッサンの系列の中にも他に幾らでも営業車向きな車は有ると思うのですが、
どうもその会社の社長さんは「営業車と言えばライトバン型」と思い込んでいるようです。
ルノー・カングーのパネルバン型でも商用車向きに輸入すれば良いのでしょうけど、値段が問題でしょうか。
それに日本では雨の日に便利と、上ヒンジの跳ね上げ型リアゲートが好まれる小型商用車でも
欧州ではフォークリフトの使い易い観音開きが好まれたりと、多少嗜好が異なるところも有るようです。
>>409 その関係なんでしょうね。
セレナの欧州仕様(ミストラルと同じスペイン製)でバンの設定がありましたけど、フルゴネット形状でしたし。
海外向けのアーバン(キャラバン)も現行では日本仕様で設定のない観音開きがあるようです。
ひと昔前の営業車と言えば、ニッサン・エーディー、トヨタ・プロボックス、ホンダ・パートナーなどの
各メーカーの営業車専用4ナンバーバンが主流でした。
でも今はそうとは限らず、ニッサン・ラフェスタ、トヨタ・ヴォクシー、ホンダ・ステップワゴンなどの
いわゆる5ナンバー3列ミニバンをそのまま営業車として使っている会社が多いですよね。
やはりミニバンだと8人乗りが出来るので、何かと便利だからでしょうか?
>>411 どうなんでしょうね?ミニバン型は荷物を積むには、むしろ使い難いと思うのですけど。
不動産屋さんだかが分譲マンションにお客さんを送迎するのに使っているのを見た事が有りますが
ああいう用途には好都合でしょうね。
営業車と言っても人を乗せる車となればまた話は別なようで、前にも話が出ましたが、
特殊浴場のお客送迎車は3BOX型でなくてはならないようで、デリヘルの女の子送迎車はミニバン型が・・(ry
>>410 日本では宅配運送業者さんの発達とかチェーン店化の進行による個人商店の減少、
また軽自動車枠の改訂で軽1BOX型の使い勝手向上など様々な理由からかライトバンに代表される
小型商用車は少なくなりましたが、個人商店が今でも多い欧州地域などではそうでもないようで、
日本には輸入されない小型の商用車が存在し続けているようですね。
商用車専用にデザインされた車が多数派になり、昔のルノー4フルゴネットとかアカディアーヌのような
乗用車版と前半分共通の車が少なくなったようなのは少し寂しい気もしますが
そんなのは私の個人的好みで、世の中が知った事ではないでしょうから仕方の無いところ。
今は中小企業の社長さん辺りが、仕事用のライトバンを週末は自家用に使うなんて時代ではないのでしょう。
物価や収入に対して自動車の値段は相対的に下がりましたし。
多くの社長さん(つか自営業者さんも含む)は、営業用と自家用とは分けて用いているようです。
でも、そうした人達が自家用に使っているクラウンとかも、実は法人名義だったりするってのも
なんだか変な話とは思いますが、税制の事とかはまた別な話。
そういう社長さんの話を伺うと、やはりレクサスよりクラウンのようです。
レクサスには気取った印象が有るのかと思ってもう少し聞いてみると、そういう訳でもないらしく
“やはり車はクラウンで、いつかはベンツが欲しい”という人が多いみたいです。
やはり高級ブランドのイメージが一般に根付くには時間が掛かるということなのでしょうか。
吉原“ロールス・ロイス”ならば高級店の響きがありますけど、“レクサス”が有っても「なんだ?それ」と・・
(こういうオチ好きだねぇ・・俺 w)
あと、営業でも重い荷を運ぶ事態が少ないことや、車検頻度の問題なんかもあるかも。
書類だけ抱えて回るなら別にライトバンである必要もないし、却って人を乗せる機会の多さを重視しているのかな。
ライトバンだとリアはヘッドレストもないぺたんこの三人がけで、座り心地・安全性は論外だし。
>>412 しかしアメリカでは90年代、「レクサス」を名乗るポルノ男優が出たとも言いますからね。
価値観はいろいろw
税務署から目を付けられにくく、顧客のやっかみも受けず、車格の割にはまずまず割安でそれなりの性能ではあり、
何でも付いていて安楽で、日本の小金持ちオヤジ生活には最適なのが、クラウンのメリットですね。
税理士と話して、落としどころを考えながら出費はできる限り経費に載っけて申告する、
そんな季節になってきましたねえ。
まぁある程度はシートアレンジで大体は積めるか
それ以上の積む(仕事が)あるなら、ライトバンなんだろうけど
>>407 >戦後すぐのイギリスで、乗用車への課税が異常にきついので
日本でも物品税の絡みで、同グレードの乗用車とライトバンだと一割以上定価が安かったですね。
大昔の白黒テレビ時代の月光仮面で、佃島周辺を舞台にしたエピソードがありまして(幽霊党の逆襲)
それを観ていると、疾走する月光仮面のオートバイの背後に、戦前型のアメリカ乗用車を4ドアピックアップに
した改造車が映っていました。
戦後、日本に赴任する軍人・軍属などの所有車を本国から日本へ持ち込むサービスがあり、そうした車が市場に
流れてくると、車そのものは古いのでアホみたいに安い。
でも、当時外車を買う層は豪華な新型を求めるので手を出さないし、安い車が欲しい層には3ナンバー大排気量の
税金は致命的。
そこで古い戦前セダンを荷台付きに改造すれば、小規模な商売人さん向けの、安い税金で国産車より信頼性のある
中古外車、その上乗用車気分が味わえる素敵な商用車のできあがり。
そして例えば
かの浜徳太郎氏の所に、アメリカンピックアップ風に改装されたロールスロイス・ファンタムUが流れてくる、
というイヤすぎる事態が起こったりした訳ですね
浜氏のところにあのロールスが引き取られたのは幸運でしたが、
徳太郎氏が「ブガッティもびっくり」のへんてこデザインなカスタムボディを計画していた、と息子の素紀氏がOT誌で書いているのを見て、
「ああ、ボディ乗せ直しするのが息子で良かった」と思ってます。
(いま素紀氏はかなり正調なスタイルのクラシックボディを得意技のFRPで製作中ですね。
お元気なうちに完成することを個人的に願ってます)
戦争直後のイギリスは自動車に関する限り「飢餓輸出」を実行してましたから、
課税率の差は日本の物品税どころでない高さだったようです。
>>418 ああ失礼、記憶違いでした。コロラール・プレリのことを指しています。
>>393 “ベンツ”のチューナーが“ブラバス”
“ベンベ”のチューナーが“ブラバム”
名前が似ているのでややこしいですねw
>>420 ブラバムがF1に参戦していた頃の91年シーズンのドライバーが
マーク・ブランデルとマーチン・ブランドルのコンビでしたね。
姓名の組み合わせがあべこべになりそうなくらい似ていました。
復活したブラバムですがどうやら問題になっているそうですよ。
ブラバム家と何の関係も無い赤の他人が勝手にやっている様で
サー・ジャック・ブラバムはこの件にカンカンに怒っています。
>>422 この辺の事ですね。(なんか、そのまんまなURLですね・・)
http://www.autoblog.com/2008/11/30/brabham-bt-92-debuts-at-essen-sir-jack-brabham-not-so-happy/ 要はブラバムっつう名前を使用する事を許可したのはレーシング・チーム名としてであり、
他の用途には認めた覚えは無い。・・みたいな事でしょう。
ちょっと手元の資料を見ると、69年シーズン限りでドライバーを引退したジャック・ブラバムさん。
その時にチームを共に立ち上げたロン・トーラナックさんにチームを売却。
チーム名をそのまま使用する権利もその時にトーラナックさんに譲渡したのでしょう。
正式なエントラントネームは、ブラバムさん自身がいらした頃は
“Brabham Racing Organization Ltd.”でありましたが、70年からは“Motor Racing Developments”だそうです。
ロン・トーラナックさんという方は、レーシングカーデザイナーとしては保守的な印象が強い人で
それがGPの世界から退いた後に、下位カテゴリー向けの市販レースカーのコンストラクター・ラルトを
成功させる事が出来た要因の一つでもあると思います。
一方、72年にトーラナックさんからチームを買い取った(故・ヨッヘン・リントのマネージャーだった)
バーニー・エクレストンさん体制になってからは当時新進気鋭のデザイナーだったゴードン・マーレイ風となり
新奇な機構を率先して採用するチームとなった感が有ります。
私は世代的にジャック・ブラバムさんの現役当時は知らないのですが、年配のマニアさんの中には
チームカラーの変り様を少し寂しく思った方もいらしたようです。
まぁ、ジャック・ブラバムさんが自身の名前を冠したチームの権利を売却したのも、もう40年近く前のこと。
トーラナックさんに「レーシングチーム以外にブラバムの名前を使用しない」とか
「チームの権利を転売する時には、ブラバムの名前は使用を許可しない」とかはっきりとさせていれば
今回のような問題も起きなかったのでしょう。
自身の名前をビジネスに使うっつうのは、後々に面倒な事が起きる事が多いようです。
私も、もしそうした事業を始め、それを売却するような事があるならば。
その時は慎重に事を運ばねばなるまいと考えます(そんな物、誰が買うか w)
もうちょっと昨日の話の続き。
BMWを素材にしたBT92なる車を作リ、発表したというドイツの会社については全く知りませんので
その辺の事はこれ以上書けないのですが。
恐らくブラバムの名称を、かつてのレーシングチーム債権者から買い取って使用しているのでしょう。
ジャック・ブラバムさんのように、自らの名前を冠した事業を始めたものの、何らかの理由でそこを飛び出し
新たに別の事業を始めた人って自動車の歴史の中には結構いると思います。
今、思い付くのはホルヒ/アウディを作ったアウグスト・ホルヒさんとか
オールズモビル/REOを作ったランサム・E・オールズさん、マセラーティ/OSCAのマセラーティ兄弟など。
この中ではアウグスト・ホルヒさんなど、後から設立した会社にも自らの名前を(本人にすれば当然?)
用いようとしてホルヒ社を相手に裁判まで起こしたそうですが、この裁判には勝てず。
「ホルヒの名前を同業の新会社に使ってはならない」とされ
ドイツ語の“Horch(聴く)”をラテン語にした“Audi”という社名を考案したとか。
この時のドイツの裁判所の判断は、今の私等にはごく当然のものと感じますが(でしょ?)
この事が先例となって、以後は会社を飛び出せば設立主と言えども会社の名前は勝手に使えないし
飛び出されたほうの会社側も名前を変える必要など無いっつうのが一般的になったようです。
ブラバムさんのように“自分が作ったのはレーシングチームであってロードカーのチューナーではない。
故にレーシングチーム名としての用途以外にブラバムの名前は使用出来ない”
(こんな簡単な言い分ではないでしょうが)みたいなのはまた別な話かも知れませんので
先行きが注目されます。
昨日書いたような、ジャック・ブラバムさんのファンだったような人にとってみれば
ロン・トーラナックさん体制で手堅いレースカーを作っていた頃はともかく
“ゴードン・マーレイのブラバム”の印象が強まってあの手この手と風変わりな新機構を試みるようになった
ブラバム・チームっつうのは既にジャック・ブラバムさんとは無縁のものだったのかも。
ですからジャック・ブラバムさんには失礼ですが、
今やブラバムという名前から設立者を思い出す人も少ないのではないでしょうか?
>>421 なぁんかブラバムの話に進んでいるのに、引き戻すようで申し訳ないような。
フロリード(カラベル)風の共進カスタムの鮮明な写真は初めて見ました。
貴重なものを見せていただいて、これだけでご飯三杯はイケそうですw
その写真の背後には、おっしゃるコルベット風の共進カスタムが写ってますね。
ルノー輸入販売の共進と、このタクシー・整備・共進カスタムの共進が同一会社か、母体が一緒なのかは不明です。
(関係者か、当時関東在住だった好き者でないと見当もつかない気もしますが)
ただ、この共進タクシー、ライトブルーのルノーで60円タクシーを営業し、早い時期に無線タクシーを走らせていた
会社じゃなかったかと思います。
もしそうなら、ここは日野コンマースも使っていたので、ルノー輸入と共進カスタムの二つの共進が一緒である可能性は
高いかもしれません。
>>425 >引き戻すようで
まぁ、話題は行きつ戻りつの雑談スレですから(w)
先日のリンク先のブログを書かれた方や「クルマ少年が歩いた横浜60年代」の著者・菊池憲司さんが
その“当時関東在住だった好き者”そのものに該当すると思いますが、
菊池さんも先日の写真には「日野ルノーを扱っていた共進自動車が、4CVをベースに作り上げたオープンカー」
と書かれているのみ。
そう言えばこの両者、共にRhdですし、ベースが日野ルノーである事は間違い無いでしょう。
この「扱っていた」という言葉、販売も手掛けていたという事なんでしょうかね?
ならば、恐らくはこの二者は同一と考えて良いように思えるのですが。
「当時雑誌などにもその名前で出ていた」との事ですが、広告でも出していたのでしょうか?
こうしたルノー4CVをベースにしたスペシャルを幾つかまとめた記事を何処かで読んだ記憶を辿って
捜してみたらSCGの41号に有りました。
海外の雑誌に記載された物の翻訳記事でしたが、さすがにアルピーヌA106やオトブルはもとより、
その他のワンオフに終わったような車の事も幾つか書かれていました。
Rhdの共進カスタムの情報なども、有れば結構喜ぶマニアさんはアチラにはいると思うのですが。
つか、日本の事は全く資料が無いっつうのは寂しい限りに思います。
ですから、共進カスタムがネタでは話の続けようも無いんですよね(w
>>425ですが
>共進カスタムがネタでは話の続けようも無いんですよね(w
ほんとうにスレ止まってるしw
>>427・・・・でしょ?(w
などと言いつつ・・。ちょっと気になった事も有るのでもう少しこのネタで引っ張ってみますが。
この共進カスタムって車。先日も書いたように狙ったところはアルピーヌのようなスポーツカーではなく
オトブルのような、瀟洒なパーソナルカーだと思えるのですが。
その理由はアメリカ車のような外見だけではなくて・・。
例のブログに、共進カスタムはFRPボディーだったらしき事が書かれていましたが、それを信じると
車の構成はスチールボディーのオトブル(この車についてはまた後日)よりも
アルピーヌA106に近い事になります。
そう言えばアルピーヌの創始者ジャン・レデレもルノー・ディーラーの経営者でしたし。
アルピーヌA106の車名の由来はルノー4CVの開発コードナンバー1062/1063だそうですが
1063ってのはラリー用のホットバージョンで、750ccの排気量は同じでも1062の21HPに対して
34〜43HPを発揮するエンジンと5段ギアボックスを持っていたとか(1062は3段ギア)
A106は1062/1063両方の仕様も選べたそうですが、やはり“らしい”のはホットな方でしょう。
日野ルノーは当然1062を国産化した物ですから、共進カスタムもスポーツカー的な外見に似合わぬ
大人しいエンジンに3段ギアボックスだったと推測します。
もう一つ。アルピーヌA106は4CVのフロアパンをそのままに流用し
そこにFRPのボディーを(恐らくはボルトで)結合させていたそうですが、
4CVはモノコック構造でカタログモデルに“カブリオレ”も有りましたが所謂キャンバストップ型で
完全なカブリオレは剛性の都合か存在しなかったようです。
アルピーヌもA106は“コーチ”ボディーのみで、自製のバックボーンフレームを持つ
次世代のA108までカブリオレは無かったのも、この為でしょう。
共進カスタムも、初代ロータス・エリートのような完全樹脂製モノコックの可能性も捨てきれませんが
恐らくは足回りやエンジンの取り付けの複雑を思えばアルピーヌ流にフロアパンは4CVのそれを
流用していると考える方が自然でしょう。
ところが、あのようなオープンボディーですから、ボディー剛性はかなり不足していたと思うのです。
まぁ、あの時代の日本にボディーの強度はともかく剛性を問題にする人もいなかったでしょうが
あはは、ネタを引っぱっていただきましたかw
本国ではルノー4CVがモータースポーツで結構イケルことから、アルピーヌなどなどが生まれ、
一方日本では昭和30年代、個人を中心にしたカスタムカー流行期のベース車種代表ではあったものの、
タク上げが安くベースで手に入る・維持費が安い・メカ系が移植しやすい ところがその理由。
モータースポーツとは関係のないところが、当時の両国の状況の違いでしょうか。
4CVはフロントの足回りはステアリングラックごと外せ、リヤはエンジン・ミッション・トランスアクスルが一体で
降ろせました。 その辺の便利さもカスタムには好都合ですね。
さて共進はどんな物だったのかは謎ですが、当時のカスタムでは平気で縦目セドリックや三菱500の屋根を
切ってオープンボディにしてしまい、それでちゃんとナンバーが取れて街を走れる恐ろしい状態でしたから
ちょっと、現代の常識からすれば背筋にゾクッと来るものもありますねwww
さすがに、工業デザイナーの小杉二郎氏が製作したMK-600は丸パイプで鋼管フレームを組んでFRPボディを
載せていましたから、「自由すぎてカオスすぎ」な時代だったということで。
マニュアル・トランスミッションを“ミッション”と呼ぶのは間違い、と知っている人でも
平気で“FRP”と書いてしまう人がいるのに些か驚いてしまいました。
一応オタクスレを名乗っているのだから、専門用語は正しく。
>>430 繊維強化プラスティックの総称(の略)=FRPっつう認識だったんですが、間違いなんでしょうか?
先日も書いたように、私には結構無知なところも有りますし、思い違いしている部分もあるでしょうから
その都度お手柔らかに御指摘下さい。
ついで。マニュアルギアボックスを“ミッション”と呼ぶのは、その略し方がどうかは別にして
マニュアルである事を指定するニュアンスが無ければ、あながち間違いでもないと思いますが。
先日
>>406で私もそう誤解を招きかねない書き方をしたようですので、一応訂正。
“マニュアル・トランスミッションのみを指す略称としてミッションという言葉を用いるのは誤り”
とでも書くべきだったでしょうか。
さて
>>429 フレーム別体の車ならともかく、モノコック構造でも平気で屋根を切り飛ばしていた時代だったんですね。
例の“クルマ少年が歩いた横浜60年代”って本でも、スバル360をロードスター化した
改造レーサーの写真などが載っていますが、屋根が無ければ視界も良くなり軽量・低重心になると
単純に考えて作ったものでしょうか。
補強がなされていないとすれば、少し経ったらドアが閉まらなくなるのではないか?と心配に・・(w
ルノー4CVって車は何度も見てはいますが、私は直接触れた経験は無いのですが
前輪荷重は不足気味でラック&ピニオンのステアリングはラックの両脇にコイルスプリングを付けて
直進安定性を高めていたとか。逆パワーアシストっつうか、バネ式パワーセンタリング(w
日野自動車でライセンス生産された“日野ルノー”が、当時どれだけの数量を
生産されたものかは知らないのですが、
当時の他社のノックダウン方式生産車と比較しても(安価故?)一般への認知度は高かったようで
山口瞳先生の処女作“江分利満氏の優雅な生活”(1961〜2年執筆)の中にも、
病気にかかったお子さんの許に往診して来るお医者さんの車としてその名前が出て来ます。
山口瞳さんは自動車の運転は全くされない方で、免許も取られず、興味も無かったようですので
全作品中で自動車が車名まで(つか、ブランド名ですが)登場したのは恐らくこれ一度きりだったでしょう。
ぼそっとな
GFRPと書いて欲しいという人もいるのかもしれません。
マニュアル・トランスミッションを”ミッション”と称して
オートマティック・トランスミッション(この手各種総称して)を”オートマ”と称するより
Fiber Reinforced PlasticsをFRPと称するのは妥当と思ひます。
もっと厳密に自動車外装にしばしば用ひられるのは炭素強化FRPだから
CFRPと書かねば誤り、つう訳でもあるまひと存ぢますが。
CFRPやGFRPやら諸々ひっくるめて”FRP”の一言で済ましても
それは一般に流通してゐる語彙としても技術用語としても誤りではなひ、かと。
少なくとも技術系の専門誌は言ふに及ばづそこひら辺のクルマ雑誌等の記事にすら
MTを”ミッション”と書かれてゐるのは無ひ訳で(土窮鼠向け誌は尻ませんがw)
”MTのみ”を”ミッション”と呼称するのと繊維強化プラスティックをFRPと総称するのを
同一視することはありますまひ。
あー、ぃあ、ふさセンセに言はれて気が付きましたが
レーサーともかくストラダーレにはGFRPも多用されてましたな。w
ES30がさうでした。w
つひでにまう一言。
昔のツトローエソのセルフセンタリングもキモかったですぞ。w
なを、逝ってる師の”昔のツトローエソ”はトラクシオン・アヴァンでせうが
アテクシにとってはCX、GS、SM等であるます。w VISAも入れてあげませうか?w
2馬力はエヴァーグリーンチャンネル農林省管轄ですのでこれ股別。w
>>431 > マニュアルギアボックスを“ミッション”と呼ぶのは、その略し方がどうかは別にして
> マニュアルである事を指定するニュアンスが無ければ、あながち間違いでもないと思いますが。
世間では“ミッション”と言えばマニュアル・トランスミッションを指すコトバと思い込んでいる人が
相当数存在する以上、たとえマニュアル・トランスミッションのみを指定するニュアンスは無くとも
やはりトランスミッションを略して“ミッション”と呼ぶのは好ましくないでしょう。
このスレでも
>>429さんのように“ミッション”と書いている人がいますが、このスレをいつも見ている
オタクであれば、それはトランスミッションの事だと理解されるでしょうが、たまたまスレを覗いた人が
車の知識が疎かったとしたらマニュアル・トランスミッションの事と誤解される可能性があります。
もちろん意味が通じれば良いという考え方も一理ありますし、相手の知識レベルよって書き方を変えれば
済む事かも知れません。しかし普段から“ミッション”などと書いていると、そう書いてはマズい時にも
つい“ミッション”と書いてしまって、要らぬ誤解を生む原因にもなりかねません。
この“ミッション”に限らず、少し前に相当逝ってるさんが自動車用語の表記にこだわる信念のような事を
書いていらっしゃいましたが、その意見に対して個人的には大賛成です。
余談ですが、先日、某テレビ番組(あの新車情報の後番組)を見ていたところ、司会の某自動車評論家
(あの岡崎宏司の息子)が、AMGの事を“アーマーゲー”と言ったのを聞いて驚いてしまいました。
多分、彼はAMGの正しい呼び方を知っているはずだと思います。しかしおそらく普段から、あのような
間違った言い方をしているのでしょう。ですから放送という、正しく言わなければならない局面でも
つい“アーマーゲー”などと言ってしまい大恥をかくわけです。
ちなみに、それよりもっと驚いたのは某女性ゲストの激しい劣化ぶりでしたが。
FRPの場合、カーボンファイバーの一般化ってのは遙か後年で、
昔はグラスファイバーオンリーだったわけです。
1950年代の話題でカーボンファイバーの知識欠如が云々されるのは如何なものでしょう。
自動車で言えば、1920年代にはトルクコンバータと組み合わせられたフル・オートマチックの遊星歯車変速機なんて無かったわけで、
そういう時代の自動車でオートマだマニュアルだというのはちょっとずれている。
変速機と言えば基本、マニュアルだったんですから
(もちろん、T型フォードの2段セミオートとか、プリセレクタとかみたいな例外はあったにしても)。
>>436 >某女性ゲストの激しい劣化ぶり
ププン酢臭ひ黒ナイハイの方でせうか?w
え〜と・・。とりあえずはFRPっていう言い方自体は良かったんでしょうかね・・。
昨日もちょっと思ったのですが、陸上競技の解説なんかで棒高跳びの棒を
「グラスファイバー製」なんて言うのはちょっと変なのかなぁ・・とか。
でも、釣竿なんかでも平気でそう表示している例って有るみたいですね。
通じる相手同士ならそれでも良いのか・・あぁ、世の中難しい事ばかり・・(w
>>435 以前のシトローエンのセルフセンタリング。想像混じりですが、
アレは恐らく本来直進状態への復元性に乏しい設定の前輪懸架を補助する役割で作られた物でしょう。
小林彰太郎さんだったかの書かれた文で
“フランス人が最も重視するのはスタビリテ(直進安定性)である”っつうのが有りました。
“彼等は皆話し好きで、しかも身振り手振りが多い所謂仕方話なので、
少しくらいステアリングから手を離したくらいで直進性が乱れては困るのだ”とか
・・ホントかよ(w
>しかも身振り手振りが多い所謂仕方話なので
映画のジャン・ギャバン、そういやあの大きな身振りを真似したなあw
今日は風邪で死亡してるんでさっさと退散w
敵の男から奪ったトラクシオン・アバンを自ら駆って果たし合いの場に赴く。
(吹き替えでなく、ちゃんとギャバン本人がハンドル握ってターン・発進させるディテールが映る、粋なシーン。
11CVレジェかな、軽やかに方向を変え、低い後ろ姿が遠ざかるのもまたカッコいい)
それが手榴弾でやられると、だまし討ちにしてきた敵の三下の乗ったオープンのドライエ135を狙い、
ステン・サブマシンガンの弾丸叩き込んで、三下ども皆殺しにしてから仲間と乗り込み
(シトロエンと共に落命して事切れている自分の手下まで乗っけてやるところが泣ける)、
敵ボスのフォードを追撃しながらステンガンがぶっ放される、
ハンドルを握るギャバンがのけぞっている加速シーン……・
(スクリーンプロセスながら、これまたいいシーン)
全てが終わり、若い情婦と大きなクライスラーで行きつけのビストロに現れ、
そこのテレフォンブースで老眼鏡をかけて電話をすると、答えはあまりに辛い報告……
静かに電話を切る、初老ギャングの背の虚しい淋しさ……
『現金に手を出すな』は55年も前のモノクロ映画ですが、実にいいものです。
ストーリーを知っていても、フランス風ギャング映画らしい元祖「男と男の友情」があり、
それに懐かしい当時のフランス車が走り回る姿が見られるので、何度も見たくなります。
ギャバンは、やはりカッコいい。
感想文を書くのが不得手で、いつも先生から「単にあらすじを書いているだけで、とても面白かったとか
主人公がカッコいいとか、そんな文章ばかり書いていても感想文としてはダメです」と言われました。
先生は良い感想文の書き方を教えて下さるのですが、結局、褒めてもらえるような感想文を書いた事は
一度も無かったです。
>>441さんの書き込みを読んでいて、ふと子供の頃を思い出して苦笑してしまいまいた。
身振り手振り多ひのはお腐卵臭の方ばかりではありません。
イターリャぢんは輪かけて酷ひですぞ。
しかしうちのヌパイダなぞ不慣れな人なら真っ直ぐ走らすさへ困難。w
コバショー御大が「200km/hでもステアリングに軽く手を添へてゐるだけで矢のやうに直進する」
とお書きになってる75だって結構チョロチョロします。
200出せば安定するのかと出してみましたがやっぱりチョロチョロします。w
BMWもポルシェもかなりチョロチョロするクルマですしどっしり動かづ直進するのは
まぁベンシぐらひなもんでせう、つか最初から良く曲がるハンドリングのクルマっつな
チョロチョロするものなんでせうな。
ところで英国のなんつったか、権威ある自動車年鑑の昔の号にFIAT126の直進性評価欄に
”無し”と記載されててひっくり返って大笑ひした記憶があります。
イターリャぢんは同じラテンでもお腐卵臭ぢんと違ひ、両手を離すことは無ひのでせうか?www
以前“映画と車”みたいな話からマガジンハウス刊「sars&cars」という写真集の事を書いた事が有りますが
残念なことにこの本に登場する映画スター(古い言い方 w)はハリウッド・スターにほぼ限定されているので
ジャン・ギャバンさんの姿は、此処では見られません。
普段の彼は、どんな車にお乗りになられていたのでしょうね?
ハリウッド・スターのようなデューセンバーグやパッカードだったら、ちょっと寂しいかも。
“このネタでは話が続かない”と言いつつも、また共進カスタム絡み(w
先日
>>421に貼ったリンク先のブログに“ルノー・フロリードを真似たボディー”云々の文章が有りますが
そのホンモノ(?)のフロリド。つか、”カラヴェル”と改称した後の後期型ですが、
この写真が最もあのブログに有った共進カスタムの写真と角度が近いので。
http://www.renaultcaravelle.com/pix-owners/Docquier67Caravelle.jpg こちらの方が格好は良いとは思いますが・・共進カスタム、そんなに“真似”と言う程似ていますかね??
先日も触れたSCG41号の記事を見ると、このフロリド(カラヴェル)って車の誕生には
4CVベースのスペシャル・オトブルを生み出した同名の人物・会社も関わっていたそうです。
オトブル(車の方)は少量生産車ながら、イタリアのカロッツェリア・ギアのデザインで
実際の生産はパリのカロシェ・アンリ・シャプロンが手掛けていたという豪華な顔ぶれ。
で、ルノーの主力がドフィンに代わった後、それをベースとしたクーペ/カブリオレをギアにデザインさせる事を
ルノーに提案したのがオトブル社だったそうですが、これは結局のところ既にギアを離れていた
元・ギアのデザイナー、ピエトロ・フルアさんが受注し、これがフロリドとなったそうです。
この辺はいろんな資料にそれぞれに矛盾した事が書かれているのですが、
ルノーはそれ以前からギアと取引が有ったのが、フルアさんが個人名を明かしたのでそれがギア&フルアさんの
仲違いのきっかけとなり、ルノーはギアから離れてフルアさんを起用したとなっている物もあれば
フロリドはギア在籍中にフルアさんがデザインしたという物も有り。
いずれにしてもフルアさんがデザインした事に違いは無いのでしょうが、その時期はやや微妙なようです。
先日風邪かと思ったらA型インフルエンザでした。
昨夜はタコメーターが上がって39.4℃まで行きました。罹るとやばいよこれ、気をつけて。
>こちらの方が格好は良いとは思いますが・・共進カスタム、そんなに“真似”と言う程似ていますかね??
真似したかったんだと思いますよ。 でも作ってみたら別物になってたんじゃないかとw
コルベット風の奴も、コルベットを目指したのかFiat 1100 TVなのか、よくわかんない出来ですし。
ここにAAは似合わないんですが、並べるとこんな感じかと
+ +
∧_∧ +
(0゚・∀・) ワクワクテカテカ
+. (0゚∪ ∪ +
/ヽと__)__)_/ヽ +
(0゙ ・ ∀ ・ ) ワクワクテカテカ
(0゙ ∪ ∪ +
/ヽと____)___)_/ヽ + +
( 0゙ ・ ∀ ・ ) ワクワクデカデカ
( 0゙ ∪ ∪ +
と_______)_____)
>>445 その例えは判りません(w)が“作ってみたら別物になってたんじゃないか”ってのは妙に納得。
例のSCG・41にも書かれていますが、オトブルは最初は自社製品の“動くカタログ”として作られた一台が
きっかけだったようですね。
1955年当時・その値段はシトローエンDS19よりも高価だったそうですから、クーペと僅かの数のカブリオレと
併せて100台弱の生産に留まっているそうです。
こういう小型の洒落た車も良いなぁ。と、最近思う私。
トヨタIQやらスマートが、幾ら「これを選ぶ人はお目が高い!」みたいな名前で売られても、
ただ小さいだけでは夢が無いと思いませんか?
ダイハツ・コペンとかスマート・ロードスターってのも有るには有りますが、何か足りないつうか過剰と言うか。
華やかさの演出が足りない気がします。そこが良いって人も当然いるのでしょうけど。
それに軽自動車扱いっつうのは、この手の車にのみ限ればどんなものでしょうか。
遊びの要素が強い車ですから、こういうところで節税とか所帯染みた事を言うのは野暮ってものでしょう。
さて
>>443でエロスパ氏が直進安定性の事等書かれていますが。
この話、以前にも有りましたがその後ちょっと思った事も有って。
エロスパ氏が「チョロチョロする」と書かれたのは、決して直進安定性が「悪い」という意味ではないでしょうし
また本当に「悪い」っつうのとは全く違うと思います。
シトローエンは直進安定性が良いとよく言われますが、勝手に真っ直ぐ進んでくれる物と期待して運転すると
「思った程ではないね」みたいなことを思う事でしょう。
横風やら轍が有ることは素直に運転者に伝えますし、
中立付近に全く遊びが無く、切り始めの反応が鋭敏ステアリングはぞんざいな扱いを拒否します。
逆説的な言い方ですが、だから真っ直ぐ走れるのです。
直進する意思を持つのは飽くまでも運転する側であり、その意思を受け止めるのが車の勤めでしょう。
本当の意味で直進安定性の“悪い”車っつうのは曲がるのが苦手なのと同じ理由(手応えが無い)で
真っ直ぐ走り難い車の事を指すのではないでしょうか。
>その例えは判りません(w)が
いや、フロリドは小顔なのに、共進がおもいっきり横に引き伸ばした顔なもんでw
エロスパ師が書いておられる直進性、路面の荒れでチョロチョロする奴って多いですね。
でも、チョイチョイの修正でトータルで真っ直ぐ走ればまあそんなもんでいい気もします。
ほんとうに嫌な、直進安定性に欠ける車って、リヤサスがよろしくない車だと思います。
ストロークすると変なトー変化をしやがる車は、片輪が路面の不整に入ったらホイールの
上下でわずかに左右へ車を振りたがる。
ステアリング操作していないのに、勝手に変な方向に向かれると気分がよろしくない。
凝ったサスでもアームが短くてスカッフが変わるやつは、横へ平行に持っていかれる動きが
出て、これまた気分が悪い。
まあ、トヨタのビームサスのように、下で何してるかわからなくて、ボディの上屋だけが
コンニャクの上で揺れているような動きをする怪奇物体よりはまだマシですがw
アテクシ思ふに英国の某年鑑の言ふ直進性っつな微舵修正しなくとも真っ直ぐ走るつうことと思ひます。
それがEのかだうかは股別の論になると思ひますが。
クルマつう物件はドライヴァーの意思によって動くもの、その意志にだう忠実に動くかでせう。
その忠実と感じる方向性つうか種類つうかでアルファを好む人ベンシを好む人ツトローエソを好む人になるんでせう。
但しどれを好まうとこれらを好む人は多分に自らの意志が強く反映されることを好む人、
もっと言へば我の強ひw御仁でせうな。w
さいうふ意志を持ってクルマを動かさうとしたとき路面からの情報っつな非常に大切であるますことは
ここにゐる皆様にとっては釈迦に説法と存ぢます。その情報の量とか強弱とか質がそれぞれのメイクで
これが良ひと思ふところがあるでせうし、それがメイクの個性になるのでせう。
さういふ観点から盗用多は一切情報を遮断して漫然と走らすことを良しとしてゐるのだと思ひます。
つまり以前大雑把に書ひて逝ってる師の注釈頂くことになった”個の確立”の話になるかと。
盗用多が受ける理由は他人任せの右顧左眄を良しとしてなんでも他人任せの精神構造に因るのだと
アテクシは断ぢております。
高速でぶっ飛ばすとチョロチョロっつなそのクルマがドライヴァーに与へる情報の量と質に起因するものと思ひます。
ベンシはそれが盗用多寄りで情報くれづ”知らしむべからづ依らしむべき”なのかと言ふと
さうではありません。充分に情報は伝はってきます。ただそれがアルファやBMWや
ポルシェのやうに強ひステアリング反力として表現されてなひだけであるます。
アルファと言へば916系FFがこれ股真っ直ぐ走らすのに往生するやうなクルマですが
これやうちのヌパイダとて”直進する”といふ意志を強固に持ちそれに見合ったステアリング保持とw
スロットルワークをすれば例へ200`でもそれこそ矢のやうに直進します。
これやっても無駄で無意味なヨーが発生するのが真に直進性悪ひクルマでせう。
>>448氏の仰るリアサスが重要は全くその通りでありまして、
過去に某氏が「クルマの後輪はシコーキの垂直尾翼と同ぢ働きを持つ」と仰ったその通りであるます。
もちろん全くトー変化も対地キャンバー変化も無ければEつうもんでもありませんが。
逆にそんなどんなGがどっち向きからかからうとも角度変化の全く無ひサスが作れたら
それはそれで大変なことであるます。w
かつての国産FF黎明期に「駆動しなひでただ荷重を受けて支へて付いてくだけの後輪なら
どんなE加減な足でもE」とばかり滅茶苦茶貧弱な足が付ひてた時期がありますが
あれが一時期までのFFのイメージを決定してしまったやうに思ひます。
今から4半世紀ほど前でせうか、欧州の高速でランチャだのアウデーだの
高速FFの横転事故が多発したことがありましたが、あれはひとつにはタイヤの未熟、
まうひとつにはさすがのランチャ・アウデーでさへもシャシ・サスの未成熟があったと思ってゐます。
同時期からもっと前の国産FFはその点「アンダーパワーは七難隠す」と非力さに逃げ、
実際廉価なチョイ乗りグルマとして販売した為ボロが出なかったのだと思ひます。
もちろん飛ばせば即ボロ出膜りだったのですが。
まぁ、ヌッドつうクルマがあったつう立場上(それでもアテクシ原理主義北部同盟なのでアレですがw)
一応ヌバル1000〜1100は啓典の民として擁護しておきますけどね。w
>>448 まぁ、共進の方が幅広く見えますけど。その辺はレンズ次第のところもありますから。
例の本「自動車少年が歩いた横浜60年代」を見ると、同時期には結構他にもカスタムカーを手掛ける会社が
有ったようですが、資料が残っているものがどれ程有るのでしょう?
そんな物も有ったなら、一度は見てみたいもの。
さて、どうも直進安定性とかの話となるとトヨタ車が良くない見本のように出る傾向があるようで・・。
確かに微小入力はラバーブッシュに頼り。その結果コンプライアンス過大な足回りで
手応えあやしいステアリングっつうイメージがあるような。
実際には全ての車種がそうだって訳でもないのでしょうけどね。
でも、私の記憶にある直進安定性の良くない車というと、やはりトヨタ車だったりするので
あまり弁護も出来ないところもあります。
エロスパ氏が書かれた(以前私も書いたようですけど、忘れた w)
“個の確立”みたいな大袈裟な事では有りませんが、
ATの普及率の高さにも見えるように日本人には機械任せにするのが好きな国民性
(これはこれで大袈裟な話かも w)があるのかも。
で、なければ車線(白線)を読んでステアリングアシストする機構なんて、考えないでしょ?
そういうのを面白がる、言わば“からくり好き”なところがあるように思います。
もっとも機械化好きと電子制御好きとは似て非なるもののような気もしますが・・。
元々が“自動車”なんだから、自動化出来るだけして何が悪いっつう考えも当然有るでしょうが
日本人(アメリカ人もかも)の場合は「人間はミスをする物。それをサポートするのが機械」みたいなところが有り
欧州人はその点「機械は飽くまで人間がコントロールするもの」と思っている気がします。
どっちが良い悪いは別ですが、以前風の強い日に運転させて貰った知人の車で、
メーカー純正のナビが度々「車両のふらつきが多くなりました」と言うのには
「だったら、もっと真っ直ぐ走りやすいように車を作れ!」と突っ込み返したくなりました(w
親切のつもりなのでしょうけれど。あれ、同乗者を不安にさせる事の方が余程多いんじゃないでしょうか?
ラジアルタイア(タイヤと書くべきかタイアか。何時も悩む w)の装着を前提に
サスペンションへ前後方向のコンプライアンスを与えた最初の例は、やはりラジアル発祥の国フランス車ですが
ミシュランを親会社にしていたシトローエンではなくプジョーの404だったそうです。
しかし、私の限られた経験ではありふれたサルーンカー同士を比較した時、
過大なコンプライアンスを最も嫌っているのもフランス車のような気もします。
さて「これがネタでは話が続かない」と言いつつも結構引っ張った共進カスタムの話。
言われて見れば、いろんな車の細部の掻き集めのようでもありますが、
60年前後の日本というのは、全体がそうした時代だったのでしょう。
現在の中国並みにコピー商品も平気で作られていた頃。私が好きなプラモデル界などでは
外国製品をそのままコピーしたキット等も珍しくなかったようです。
そんな時代でしたから共進自動車という会社が、外国製のスポーツカーの格好良く見えるところを掻き集めて
一台にまとめようとした(らしい)のも、今見れば微笑ましいもの。
まぁ、そんな風に商売することの良し悪しはまた別ですけど・・・・。
“格好良い車の細部を掻き集め、一台の車の形にまとめる”と言えば、このスレの前の方でちょっと触れた
日本の“テレビ漫画”(こう言わないとピンと来ないのです w)の登場車マッハ号。
三胴型・コークボトル・テールフィンと何でも有り。
あちらは現実の物ではないのでエンジンが何処にも積めない形状になっても構わないですから
無理無くまとまりましたが、共進カスタムの方は理想と現実の合間で妥協せざるを得なかったのでしょう。
・・テナ事を踏まえて・・。これをどう思いますでしょうか?
http://journal.mycom.co.jp/news/2008/12/03/065/index.html 「アレに似ているのでは?」等の批判は他に任せて。
元々共進カスタムなんて車の事を、何故いきなり思い出したかって言うと。
ルノー絡みともう一つこの車のニュースを見たからでした。
オリジナルの形状をウィンドシールド辺りに“仕方なく”残されたかのようなベース車両が可哀そうな気もします。
>>451 コメントで何度も“世界最高のブレーキ”を豪語していますが、どうやらそれは誇張でも何でもなく
市販車として正真正銘の世界で最も高性能なブレーキシステムを装備しているようです。
メーカーの宣伝に対して相当疑い深い人でも、最大減速Gが2G以上と聞けば納得せざるを得ないでしょう。
おまけに1輪あたり5kgの軽量化も果たしていますし、タイヤは一般用とコンパウンドやパターン等の
構造がまったく異なる、サーキット走行をメインに開発した専用仕様のポテンザRE070Rです。
最大減速Gが2Gというのは、例えばブレーキ性能において評価が高いあのポルシェですら1Gを超えるのが
精一杯という事実を鑑みると、真に想像を絶する減速Gだと思います。
おそらく普通の人がいきなり2Gもの減速Gを体験したら、失神してしまう可能性が無いとは言えません。
なぜなら、瞬間的に脳内の血液が前頭葉に集中してしまい突発的な酸素欠乏症に陥るからです。
月産30台以上は無理との事ですが、この様な乗り手を選ぶ車ならそれでも多過ぎるかも知れませんね。
そう言えば。ニッサンGT-Rって、他の何にも似ていない車だと思います。
つか、他の何かをGT-Rと見間違える事も無ければGT-Rを他の何かに見間違える事も無いだろうと。
最初のプロトタイプが公開された時、確かエロスパ氏が「あの形は理解出来る」旨の事を
書かれていたような記憶が有りますが。私はあの車を街で見掛けると
「この車にデザイナーさんは、いたのだろうか?」と思います。
このスレの前の方で書いたような、レーシングカー等・職業的なデザイナーの関与が薄い車に
近い印象を受けるので。
それにしても、800万円代〜という価格は小さなものではありませんが、その内容や手間を思えば
かなりのバーゲン・プライスの筈。
ニッサンは恐らく、あの車単独では商売をする気はなく。会社全体のイメージアップを担わせた
言わば広告塔の効果を期待しているのではないかと思うのですが、
実際にはこの時代に果たしてイメージアップが出来ているのか、いないのか。ちょっと微妙な気もします。
60年代初頭〜の“ダットサン・フェアレディー”はスポーツカーを日常に使う暮らしを洒脱な物に感じさせ、
スポーツカーをサルーンカー等の生活に密着した実用車に乗る人も憧れる存在にしたのに対して、
現代の新型フェアレディZやGT-Rは汗臭い車のようなイメージが有ります。
映画版“マイ・フェア・レディ”の主演女優・オードリーヘプバーンさんと言えば
「おしゃれ泥棒」でのジャガー・E-typeとか「いつも二人で」のMG-TDミジェット等が思い浮かびますが。
現代のフェアレディーZに彼女は似合うでしょうか?
ところで話はまたがらりと変わり。
先日“日本人は全自動化好きな国民性を持つのか?”みたいな事を書いた後で(またw)思ったのですが
自動車が“自動化”した対象が欧米と日本では全く違うと言う事に気付きました。
“AUTOMOBILE”が自動化(機械化)したものは馬車、つまりは人が制御しなければならない馬ですが、
一見その直訳のような“自動車”が機械化したのは人力車・つまり人。
元々人任せにしていた物を機械化したのですから、日本人が操縦を機械任せにしたがるのは当然なのかも
(一日中、こんなヒマな事ばかり考えている人だと思われるだろな w)
逝ってる氏にお聞きしたいのですが、2ちゃんねらーのくるまオタクには2種類いますよね。
ホンモノのくるまオタクと、にわか知識で知ったかぶってるニセモノのくるまオタクの事です。
逝ってる氏程のハイレベルの知識をお持ちの方なら、この2種類を見分けるのは簡単でしょうか?
>>456 はぐらかすような事しか書けませんが、私も“にわか知識”です。
知ったかぶりはしないようにしていますが、その分「知らなかった」とか「判らない」とか
いつもそんな事ばかり書いています。
敢えて言うなら。
多分10年、20年前だったら、もっと不遜な事を言っていたかもしれません。
世の中は私が知らないことだらけと知っただけ、ちょっと進歩したのかも。
そんな事の例を(?)またひとつ。
先日
>>428で「アルピーヌA106にはカブリオレは存在しなかった」と言い切ってしまいましたが
これは完全な誤りでしたので、此処で訂正します。
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12502.jpg 一緒に写っている男性は、アルピーヌの生みの親で一昨年に惜しくも亡くなられたジャン・レデレさん。
このカブリオレ、資料によって書かれている事がまちまちで“57年に少数が作られた”としている物と
“58年に追加された”と書かれている物が有りました。
アルピーヌと聞くとかなり硬派のスポーツカーという印象がありますが(でしょ?)
可能な限りルノー量産車の部品を流用し、サービス網も利用可能にしたように、
レデレさんの考えるところは、本来は決して日常から離れた競技専用車ではなかったのだろうと思います。
その例と言えるかどうかは判りませんが。
A106のウィンドスクリーンはルノー・フレガートのリア・ウィンドウそのものを流用したものだそうですが、
恐らくそれはこの写真のカブリオレでも同じ物でしょう。
したがって硬派なレーシング・スポーツならばスパイダー(ロードスター)と名乗る方が自然なところを
丈の高い風防を装備していることから、敢えてカブリオレと名付けられたのではないでしょうか。
で、もうひとつ思った(またw)のですが。A106にしても次世代モデルのA108にしても、
同じフランスの会社・プジョーが許可しない筈の“真ん中に0を挟む三桁番号の車名”ですが
最初にAが入れば良いのでしょうかね?それともA106の場合は“正式な車名はA106ミッレ・ミリア”だからで
また“A108は次のA110のプロトタイプのような役割で、総生産台数は24台に過ぎない”からなんでしょうかね??
プジョーさんがナニを判断基準にしているかはわかりませんが、アルピーヌの車名にはまだ謎がありますね。
『初のアルピーヌ、A106はタイプR1060の4CVをベースにしたのが車名の由来、次のA108はR1080のドフィン、
A110はR1100のR8が由来になっている』
こういうウンチクを読んだり、ブログで見かけたりするんですが、どこからこういう話が出てきたんでしょう?
戦後に始まったルノーの形式、Rで始まる四桁数字ですと、R1060は確かに初期の4CVなんですが、R1080は
ジュヴァカトルで、R1100はフレガトに付与された番号なんで、そもそもおかしいんですよ。
>>457 プジョーが“真ん中に0を挟む三桁番号のみの車名”はNGで“真ん中に0を挟む三桁番号を含む車名”はOKと
判断したのなら、例えばディーノ206GTやフェラーリ308GTBなども同様にOKとなったのでしょうね。
ポルシェが356の後継車の車名をプジョーの抗議により901から911へ変更させられたのは有名な話ですが
同じドイツ車でもBMWの501〜3や507などに対してプジョーは抗議をしなかったのでしょうか?
総生産台数は決して少なくなかったのでプジョーが抗議をしなかったとは考え難いのですが。
>>459 実はその話、かなり以前に車メ板に有ったブリストルスレでも出た謎なのですよ。
ブリストルにも401に始まる車名が有りましたしね。
で、其処では私は“広く信じられている、プジョーの抗議で901が911になったというのが実は誤りなのでは?”
という説を唱えました。
何処かで“全く異なる業種の会社から、901という数字(のみ)の使用を認めないという抗議を受けた”
って話を読んだようなうろ覚えも有るのですが、それをちゃんと再発見するか
ポルシェがプジョーに抗議を受けたという証拠が出て来ないとすっきり解明されない謎であります。
>>458 その話(108はドフィンの型式番号由来説)私の手許のSCG13号で吉田匠さんも書かれていて
なんとなく読み流してしまうところでした。
ジュヴァカトルは基本的に戦前に開発されたモデルですが、戦後その番号が付与されたのでしょうか?
恐らくその説は「最初の106の名前が4CVの型式番号由来のようだから、他もそんな調子なのだろう」と
誰かが推測したのが広まってしまったといったところなのかも。
それに、この説では210や220以降のレーシング・スポーツ等、何がベースという事も無い車の名前の由来は
説明出来なくなりますね。
私思うに。三桁番号とかの記号のようなものを、そのまま商品名として用いる自動車メーカーってのは
恐らく車名への拘りが薄いのだろうと思います。
例えばフェラーリの三桁番号車名なんかも一気筒あたりの排気量だったり、排気量+シリンダー数だったりと
結構まちまちなところが有り、いきなり“テスタ・ロッサ”とか“エンツォ”なんて数字以外の車名が出て来たり。
まぁ、そうした“車名への拘りが薄く思える”メーカーの代表が、
歴史的にまるで命名方法に一貫性の欠片も見られないシトローエンなんでしょうが。
他と見間違えようもない個性があるなら、名前なんて大した問題ではないのでしょうか?
もしもアルピーヌ(と言うよりジャン・レデレさん)もまた、車名への拘りが薄い方でしたら
案外108や110と言った車の名前の由来も、聞いてしまえばつまらない事だったりするのかもしれません。
謎は謎のままにしておいた方が良いのかも?(w
>ジュヴァカトルは基本的に戦前に開発されたモデルですが、戦後その番号が付与されたのでしょうか?
ルノーのR型番は、戦後のモデルから始まりましたが、戦前のキャリーオーバーモデルでも大きめの設計変更が
入ると、R型番を与えています。
ジュヴァカトルの乗用モデルは戦後早い時期に退場しましたが、これはR型番が付かないままでした。
一方、4CVやドフィンがRRだったことから残った、フルゴネットやブレクはエンジンの改良、変更の際にR型番が
付与されました。
R1080は、戦前からの6CVエンジンが改良された際、ブレクに付与された番号です。
その後、エンジンが4CVに換装された1953年以降のモデルはR2100、ドフィンの5CVエンジンに換装されて名前が
変わったドフィンワーズはR2101です。
いやあ、全文車ヲタっぽい文章になったなw
>>460 プジョーの抗議で901が911になったという話は、CG誌64年6月号など当時の自動車雑誌の記事にも
書かれていた事なので、プジョーが抗議をしたのは事実だと思います。
シトロエンが車名への拘りが薄いメーカーというのは、モデルチェンジする度に車名をコロコロと変えて
歴代モデルの中で同じ車名を繰り返し使ったことが一度も無いという事からも明らかでしょう。
もっとも、唯一の例外としてC5がありますが。
それと対照的に同じ車名を延々と50年以上も使い続けているメーカーもありますね。トヨタ・クラウンや
ニッサン・スカイラインなどがそうですが、だからと言ってトヨタもニッサンも車名への拘りが強いとも
思えません。なぜなら、例えばスカイラインの場合は海外ではG37という数字と記号のみの車名ですから。
それはともかく、同じ車名を長く使い続けていると特定のモデルをイメージし難くなる弊害があります。
例えばカローラの場合、4代目とか8代目などと言われてすぐにピンと来る人は少ないでしょう。
昔はマニアだけが使っていた車の型式で呼ぶ方法が、近年ではごく普通の人でも使うようになりましたが
そのほうが特定のモデルをイメージし易いというのが理由かも知れません。
そもそも工業製品の中で、商品名として固有名を使っているのは車だけではないでしょうか?
車以外の例えばパソコンや携帯電話、他にも家電製品のすべて等では商品名はブランド名と型番のみで
固有名は使っていませんよね。いっその事、車も型番(型式)のみを車名として使ったらどうでしょう。
そんな事をしたら、何がどこの車の何だかサッパリ分からなくなると言う人がいるかも知れませんが
実はそんな心配はまったく不要です。なぜなら2輪車の世界ではそれが当たり前なのですから。
正直、2輪は車名言われてもさっぱりわからん
>>462 .>唯一の例外としてC5
いや、C3(先代は20年代の小型車5CVの3座型)やC4、C6(共に29年登場)もあります(w
車名のことは、以前にも書いた事が有りますが、確かに同じ車名を延々と使われるのも混乱の素。
(しかし“どうでしょう”って、私に言われても困ります w)
>>461 こりゃまた、凄いことを御存知で(w
もしかしたら“一体何の話だ?”と、思われている方もおられるかも知れませんので一応ルノー・ジュヴァカトル
http://www.automusee.fr/data/classes/voitures/1301679_image1.jpg 登場したのは37年。この頃のルノーは他社の車のフロントエンドをそのまま頂くのが大好きだったようで、
36年型フォードそっくりの車とかも出していますが、この車はオペルのオリンピア辺りに良く似ています。
前に英フォードで“ポピュラー”って名前で59年迄生産された戦前型の話が有りましたが。
貨客兼用車のみとしてでも、60年迄これを生産したルノーってのも大したもの(?)
もっとも、こちらはモノコックに前輪独立懸架と、中身は英フォード・ポピュラー程古臭くはありませんでしたが。
このジュヴァカトル(ドフィンワーズ)が生産を終えた翌年には前輪駆動の貨客兼用車・4が出ていますから
一応この車は4に道を譲って退場したと考えて良いでしょう。
で、4もジュヴァカトル以上の長寿車となり、それが生産を終えた1992年には初代トゥインゴが登場しています。
トゥインゴはドアの数も4とは異なり、性格の違う車に思えますが、
ルノー首脳の一人は以前雑誌インタビューで「セニックやエスパスと構成するモノスペースラインの小型車」
という旨の発言をされていました。
実際にも市場では4の後継と見られ、4から乗り換える年配の方が結構いらしたとか。
ですから、昨年登場した新型トゥインゴは70年以上前に生まれたジュヴァカトルの直系子孫という事でしょう。
その間にフルモデルチェンジは僅か3回(w
ルノーの小型貨客兼用車っつうのは、物凄い長寿車の歴史であります。
さて、先日久し振りにIEでこのスレッドを見たら既に500kb近いのでちょっと驚いた(w
また例によって、少しだけさぼってから新スレッドに行こうと思いますが
勿論このスレッド、私の私物でもありませんので新スレッドを何方かが立てて頂いても結構であります。
その場合、ヤフーのブリーフケースが使用不可になりましたので
新スレッドの1の文章からは、歴代スレッドがそこに保存されている旨のところだけ削除して下さい。
>>463 確かに2輪車に関して大して興味が無い人にとってはそうでしょうね。
もっとも、そういう人にとってはニンジャとかハヤブサとか固有名を使ったとしても結局は同じことで
何が何だかサッパリ分からないのですよ。
さて、巷ではトヨタがついに世界販売台数ランキングでGMを抜いてトップになった話題でもちきりです。
前年はわずか3千台差で惜しくもGMに負けたわけですが、GMが卑怯な手段を使って台数稼ぎをしたので
トヨタが雪辱を果たして77年ぶりにGMがトップの座から陥落するのは実に痛快です。
しかしながら、トヨタが世界一になったという話題よりも、個人的にそれよりも遥かに興味がある話題は
トヨタの社長にあのモリゾウこと豊田章男が就任するという事です。
現在、日本の車メーカーの社長で彼のような車好きはおそらく存在しないでしょう。単に車好きだけでなく
彼はモータースポーツに相当精通していて、自らドライバーとしてニュルブルクリンク24時間耐久レースに
参戦するほどのレース好きでもあります。日本では彼ほどの車好き、レース好きである社長は極めて少なく
あえて他に挙げるならホンダの本田宗一郎ぐらいしか思いつきません。
ホンダと言えば、業績が悪化した途端にさっさとF1GPから撤退してしまった上に、NSXの後継車の開発も
中止する有り様です。大して車好きでもレース好きでもない人が社長だとこうなるという見本です。
トヨタはそんな事はしないでしょう。今後もF1GPを続けるでしょうし、レクサスのスーパースポーツカーも
きっと発売することでしょう。少なくともモリゾウが社長であり続ける限りは。