くるまオタク養成講座Y 〜La passione ci guida〜
2 :
2チャンネラーへ :2008/01/04(金) 13:04:00 ID:kO4c3V1aO
「DQN」ってキモヲタ用語使ってる時点でしねよ。マジ生理的に無理〜。あと
>>1 以外にもこのキモヲタ用語を使ってる奴はしね。キモすぎ〜。はぁ〜!この用語使って2チャンネラーの仲間になったつもりですか?ヘドが出るわ!2チャンネラーは現実で存在薄い根暗野郎ばっか
3 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/04(金) 22:05:27 ID:KnjXoWptO
スレ再建乙です。 前回はいままでで最長の出来でした。(まあ、最後は小生ともう一名の方がメーカー名を乱発しましたが)第六次スレも引き続き活発なご議論をお願いします。 まずは、我らが逝ってる先生の巻頭言を賜いたく。
4 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/05(土) 00:03:01 ID:QSBbeIqS0
とりあえず前スレの宿題を片づけて下さい
エロスパ氏、いつもお手間お掛けします。今年もよろしく。
>>3 私、何の先生でもありませんって。“講座”と銘打ってあっても、雑談スレですし。
ところで前スレは最後の方でプロバイダがアクセス禁止されたまま終わったので、
参加出来ないまま幾つかの話が半端に終わった感が有りますが、その中で送迎車の話。
ベージュ東京っつうフレンチレストランが行うシトローエンC6を用いた送迎サービス。
まぁ、そっちの方は別にどうと言う事も無しですが、
あれがもしもドイツ料理店でSクラスメルセデスやマイバッハでは
「幾ら高級を謳うにしても食事くらいで大袈裟な」と思ったかも。
C6ではそう思わないのは、ちょっと特別な食事にC6の送迎ってのが適度なバランスということなのかも。
まぁ、ベージュ東京には縁は無いでしょうが“情熱が我等を導く”特殊浴場の方なら・・(w
川崎、堀の内の場合。送迎場所は何処の店でも同じようで、
その近辺にいると数分毎に送迎らしき車を見る事が出来ます。(何で居るのか?そりゃ勿論 w)
大体店舗からその場所まで車で数分。
例えば往復で10分として部屋数が10で90分の店の客の半数が送迎を利用したとすると結構送迎車は忙しい。
それこそピストン輸送(スマヌ・・)
しかしそれらの送迎車、判で押したように目立たない色の国産中型セダンで見て面白い物では有りません。
「ああいうところはお忍びで行く物。目立つ車など論外」と言う人もいるでしょうが、
日常性から外れた部分を売り物にしている接客業なのですから、
まさかマイバッハっつう訳にも行かないでしょうが、もうちょっと工夫を凝らす店も有ってもいいかも
また、ミニバン型の車の二列目シートを思い切り後ろに下げ、豪華に設えた内装を与えた車で送迎するとか。
これなら見た目には目立たない普通の車。(他人事 w)
しかし風俗業の場合、ミニバンだとデリヘルの(サービスする女性の側を送迎する)車みたいなイメージも有り。
そう考えるとこの業界には昔風のボディー形状ヒエラルキーが未だに生きていると言えるのでしょうか
(スレの最初に書く事かよ w)
6 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/05(土) 05:57:00 ID:lINNaGY8O
所謂高級店でキャディーでの送迎との記載があった記憶。 マイバッハとミニバンの中間項というなら、キャディー・エスカレードやハマーH2(出来れば24〜26インチのラグジー系ホイール装着!)など適度に非日常的な車種はいかが?
7 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/05(土) 06:39:46 ID:QSBbeIqS0
パリダカが中止になりましたよ
8 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/05(土) 06:40:22 ID:QSBbeIqS0
タタがジャガーを買うらしいですよ
9 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/05(土) 08:33:14 ID:lINNaGY8O
タタはランドローバーもセット買いでしたか? MG(中)、TVR(露)、スパイカーF1(印)とBRICsによる英国買いが進んでますね。 そうか、高級ソープの送迎ならば、Pimp仕様のアメ車LUVの他、レンジローバーもええかも。
10 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/05(土) 08:36:52 ID:8fDZwqW50
パリダカが中止かよ 前日に中止発表とかカワイソス
キャリィでの送迎だったらちょっとイヤです
12 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/05(土) 19:26:08 ID:lINNaGY8O
サービスのクオリティを暗示するみたいで、あまりいい加減な車種なら客も嫌がるでしょ。 ソープ板とかで送迎車のチェックをしときますかw
いきなり放置されるのもさすがにナンなので、此処の皆さんがお好きなフーゾクネタ振ってみました(w が、まぁそっち方面の経営者でもないので勿論先が有る話では無し。 “ロールスロイス”なんて店名で国産車用いるのは如何なものか?等と言っても “英国屋”とか“アラビアンナイト”でも日本人が接客していると言う矛盾に比べれば・・ですしね・・。 で、いきなり別な話。 先日、行きつけの古本屋が閉店するとの事で、一応覗いて見たところ 78年朝日新聞社刊“栄光の自動車レース”なる本を発見。新刊時に\13000が売値\3000 閉店特売で更に半額で購入(貴方は家の中を整理する気が有るのかと叱られるオマケつき w) 著者ピーター・ヘルク氏は1893年生まれのアメリカ人画家だそうですので、 私が好きな20〜30年以降の欧州自動車レースの話は少なく黎明期のアメリカのレースが中心の本ですが それ故に私の知らなかったエピソードが多く、最も多く記述の有るドライバーも バーニー・オールドフィールドという具合。色彩豊かな絵画も豊富で結構楽しめます。 こうした都市間レースの絵などを見ていると思うのは、 ダカールラリーなどはこれら黎明期のレースを現代に再現しているような物なのかも?という事。 現代の“パリダカのパジェロ”には、GPレーサーであるF-1との共通点は殆ど感じられませんが かつてそれらは皆一括りに考えられていたのだろうという事が実感出来ます。 更に思うのは、よく“競技車両にとっては記録こそ正義である”という一見明解な言葉も 実は意外に曖昧さを含んでいると言う事。 多くの勝利を重ねた事をもって偉大な記録とするのか。また、打ち負かした相手によってそう考えるか。 時代に恵まれなくて、出場したレース自体少なくとも生産型公道車に多くの影響を与えた車をどう扱うかなど。 “偉大なレースカー”を定義するのは意外と難しい問題を含んでいます。 仮に20世紀末に行われた“Car of the century”に倣い20世紀の最も偉大なレースカーを選ぶとしたならば 何が選ばれたのでしょうか。また設計者部門やドライバー部門はどうなるでしょう?
14 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/06(日) 07:54:50 ID:Tu+XSd2oO
もっとも偉大な、って言うと各人の主観や贔屓に任される部分が大きいです。 (車両・設計者・監督・ドライバー)のセット単位で一旦総合評点→分析しないとややこしい。 このスレを全て充てるか、別スレを立てるかしないと、議論できないと思われ。
15 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/06(日) 15:38:45 ID:Aofc8Ydn0
フェラーリF2004 18戦15勝
16 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/06(日) 15:39:53 ID:Aofc8Ydn0
フェラーリF2002 17戦15勝
17 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/06(日) 15:41:12 ID:Aofc8Ydn0
マクラーレンMP4/4 16戦15勝
18 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/06(日) 23:56:48 ID:zBXAuFlb0
旧スイポ(ノーマルE/G) ニュル24耐 クラス優勝(総合50位/230) ラリー北海道 クラス優勝(WRカーに混じって総合36位)
>>15-17 1000目指します?(w
・・1000迄行く意味が何か有るのならば協力するのですけどね
そりゃそうと、“20世紀の”と昨日書いたのをいきなり無視ですか(w
そのように、勝率を目安に割り切るのであるならば1947年〜51年にかけて35のGPレースに出場し、
31勝したアルファ・ロメオ158-159“アルフェッタ”に勝る物は無いでしょう。
ところが、こうした記録は「どんな相手を負かしたか」に左右される事もまた明らか。
つまり、記録を残した車を評価し、そうした車同士を比較する為には
記録を残せなかった車も同時に評価しないといけない訳で、意外に難しい話になってきます。
また、先日このような記録を見ていて、ふと思ったのですが。
60〜70年代に於いてフェラーリをも凌駕する数の勝利をモノにしたロータスのF-1をどう評価するのか?
これも考えてみると難しいところ。
その勝利の殆どはコヴェントリー・クライマックスやコスワース製の、
多くの競争相手と同じエンジンによって勝ち得たものですが、これをどう思うか。
「エンジンについて多くを語る事が出来ない(この部分は時代の標準であって平凡とさえ言える)のは
他の時代の勝者と比較した時にマイナス」という見方も出来るでしょう。
しかし見方を変えると「それこそシャシー構造や、空力設計の優秀さを表している」とも言えるでしょう。
私一人で考えてもこうした具合になるくらいですから、
>>14 さんも書かれているように、此処で幾ら話したところでまとまる物ではないのでしょうが
GPカー(F-1)限定で上位10台とかを私的に選んで見るという遊びくらいならば出来るかも知れません。
出来たらそれを模型で並べてみたい物ですが、そういう欲を持ってしまうと
“キットが有る事”とか“簡単に出来そうで見映えが良い事”みたいな条件を加えてしまうのかも。
>>17 ちなみに、同シーズンの16戦1勝はフェラーリF187/88Cでしたね
>>16 ウィリアムズFW24とマクラーレンMP4/17が、それぞれ17戦1勝でしたね
>>15 ルノーR24とウィリアムズFW26とマクラーレンMP4/19Bが、それぞれ18戦1勝でしたね
ちなみに、フェラーリF2008がデビューしましたね
>>7 パリダカそのものが無くなるかも知れないらしいですね
ロータスの偉さは、勝利数もさることながら「ロータスF1を嚆矢とする…」と 書かれる機構の多彩さによるのではないでしょうか。 正確に言うとオリジナルは別にあることが多いようですが、取り上げたものはとりあえず 実用化し、一般化して見せるあの技術者魂こそチャップマンの真骨頂かと。
26 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/07(月) 20:26:58 ID:h+AoldPdO
話しは戻るが、古典的なフランス料理店なら、やはりDSあたりでお出迎えして貰えたら最高! それ以上の車種なら、なんか仰々しくなるような。
私が協力するまでもなく1000行けそうですね(w
>>26 前スレでも話に出ましたが「こんな時にはこんな車」
いろいろと備えたレンタカー屋さんとかハイヤー会社とか有ったなら大変楽しいのでしょうけれど、
採算はとれないでしょうねぇ。
例のベージュ東京・C6にしても、シトロエン・ジャポンの広告を兼ねてのものだそうですし。
>>25 昨日も書いたように、ロータスのレースカーが得た勝利の殆どはその時代の標準エンジンでしかなく
その為に“レースカー・オブ・センチュリー”をもしも選ぶにしても、ベスト100には必ず何台か入るでしょうが
“最も偉大な一台”には選ばれ難いと思います。しかし同じ理由からコリン・チャップマン氏は
デザイナー部門かエンジニア部門のどちらかは獲得するのではないでしょうか。
確かにロータスより先に同様のアイディアを試みた車が存在した事も有りましたし
またロータスのレースカーに用いられたアイディアが全てチャップマン氏の物という訳ではないでしょう。
しかし、他のコンストラクターからはロータスのような影響力を持った車は出なかった事もまた事実でしょう。
例えばチャップマン氏がモノコックの25を試みた時、先にジャガーD-type(これは当然知っていた筈)や
ヴォアザン・ラボラトワール(こっちはどうだったでしょ?)が存在したといっても、
実際にレースカーの世界に“革命”を起こしたのはロータス25なのであって
その価値をジャガーやヴォアザンよりも低く見る事は決して出来ないと思うのです。
同様に、三菱コルトF-2がロータス72よりも早くサイドラジエーターを試みたと言っても
(これは恐らくチャップマン氏も知らなかったでしょうね・・)コルトF-2をロータス72より上には評価出来ないと。
まぁ、しかし。前スレで“オタクとマニアの違い”なんて話もありましたけれど。
生産車の方と同様の手順を踏んで“レースカー・オブ・センチュリー”を選ぶのであれば
最初にノミネートされる100台に入るか否かくらいの車に熱中するのが正しいオタク道なのかも。
きのう、マクラーレンMP4/23がデビューしましたね
ちなみに、きのうはルイス・ハミルトンの23回目の誕生日でしたね
ルイス・ハミルトンのカーナンバーは23になりそうですね
MP4/23、23歳、No.23・・・、すべて23とは奇遇ですね
32 :
泉 こなた :2008/01/08(火) 07:47:09 ID:Kqsx1O1j0
あけおめ!!
ベージュ東京、行ったことは残念ながら未だありませんが、 アテクシぢつは微かに縁があります。 一方昨年の会社の忘年会、これが股ベージュ同様アラン・デュカス系の店で 何とか行きたかったものの体調崩し行きそびれたのは非常に残念であるます。 古典的おフレンチ、今はもはやかつての凄みは無くなったとも聞きますが 銀座に”みかわや”つう銘店があります。 10数年前、ぃあまう20年近く前か、アテクシ行きました。 当時既におフレンチもヌーベル・キュイジーヌ旋風に晒され 軽く、そして素材の味をメインに据へる料理ばかりとなっておりました。 同時期に行った今は無きFLOなんか箸にも棒にも掛からんお味、 まともだったのはでんでん虫とテールスープのみでありました。 しかしみかわやは旨ひとか何とか言ふ次元では無ひ、 歴史の重みに圧倒されるやうな古典フレンチの味わひでありました。 もはや「これ旨ひね」などと言ふことすら叶はぬ、 旨いのかだうか判断する能力すら麻痺させる圧倒的な厚みと重さのある味。 そんな店であるました。 塩もバターもクリームも遠慮だの控へ目だのといふ小賢しひ言葉を知らぬが如く 必然と欲望の赴くままに使はれ、分厚ひ歴史の重厚さを口に入れるが如き味。 で、くるまヲタ的ネタはこの店の待合室であるます。 今でもやってるかだうかは尻ませんが、この繁盛店で入店を待つ間 待たされるのは店内ではなひのです。 店の前に停めたジャギュアXJ6のリアシートで待つのでありました。w まぁアテクシも今となってはみかわやクラスへの足も遠のき 昨今のお気に入りは、かのアピシウスの味を作り守り続けた料理長が リタイア後の余生を過ごす為に作った某店であるます。 ここはアクセスも良く、駐車場も安く便利なので送迎などなくとも 自らハンドルを握り出向く訳であるますが。
ふむ・・フレンチの店で待合室がジャガーってのはなんだか・・ですね。 まさか2CVって訳にも行かないでしょうが(w そう言えば何処かで古い2CVのリアシートをそのまま使ったカフェっつうのが有った筈。 料理批評とか自動車の批評ってのは大体その筋の人が、一定のフォーマットの中で行うのが普通。 料理であれば「美味しい」「不味い」で済ますのでは記事にも何にもならないですし、 読む側にも何も伝わらないので「どう美味しいのか」を伝える訳ですが そこに用いられる言葉の種類というのは大体決まっていて、あまり突飛な表現は用いられません。 極端な話が、岡本太郎さんみたいな方がいきなり出てきて 「あぁ、この味は舌に眩しい」みたいな表現をされても、結局何だか良く判らないと。 自動車の批評にしても最近読んだ中では 「この最新のディーゼルには、ガソリンとは異なるコクのようなものがある」なんてのが有りましたけど “エンジンのコクって何??”と思うばかりで何の事やらサッパリ判らず。 “結局のところ、乗ってみないと何も判らない”“実物を見ないと本当の形は理解出来ない” と言ってしまえばそれまでなのでしょうが、 そうも行かない以上は限られた語句の組み合わせでの評価や批評に終始します。 もっともそれが悪いという事ではなく、常に評価の軸が変化していては読む側も他の記事で見た 他の車との比較を行う事もままならなくなります。 しかしそれは自動車の評価方法やら見て乗って感じるモノが常に一定の表現の中に収まる物であることを 意味している訳ではなく(理屈っぽい話だなぁ・・) 時には他の誰にも伝えられない感情を呼び起こす車も存在するでしょう。 以前博物館の中で、ロータス25/33を見たときに私はそんな事を思いました。 格好も良いですし美しく整っている事も確かですが、ジム・クラークが好んだという赤いスウェードの巻かれた ステアリングホイールを目にした時に感じたのは “格好良い”とか“美しい”という感覚とは別種のものだったように記憶しています。
>>17 ウィリアムズが80年代で未勝利のシーズンは1988年だけでしたね
ちなみに、ウィリアムズFW12のエンジンはジャッドV8でしたね
ロータス100Tはネルソン・ピケをもってしても未勝利でしたね
ちなみに、ロータス100TのエンジンはマクラーレンMP4/4と同じホンダV6ターボでしたね
かたや16戦15勝のマクラーレンMP4/4、こなた16戦0勝のロータス100T、ともに同じエンジンでしたね
41 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/10(木) 21:47:36 ID:xvNfaLVyO
ブガッティにも葉巻そのままの形のフォーミュラカーがありましたね。
このスレは大変面白いですね
43 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/10(木) 23:21:21 ID:GVJjIrop0
駄作ロータスの筆頭と言えば80ですかね? グランドエフェクトカーの先駆にして傑作79の後釜にしてアレでしたからw
>>41 葉巻型のブガッティと言うとどれでしょうね・・?
>>43 駄作も多いロータスですが、その中にも見るべき意欲作は有り、前スレでちょっと話に出た76とか
その80ナンかはその筆頭でしょうか。そっちの話も近く触れてみます。
傑作の方の筆頭の一つ。ロータス25にしてもいろいろとケチの付けようは有るモノです。
この車が先鞭をつけたモノコック構造ですが、全てのフォーミュラカーが一気にそちらに宗旨替えした訳でもなく
60年代当時には保守的設計の代表格だったブラバムは皆がモノコック化した後も
小径多鋼管スペースフレームに固執し続け、67〜68年の選手権を勝ち取っています。
また、スポーツカーレースの世界ではポルシェ等は70年代一杯モノコックを採用せずにいましたが
その強さは今更此処に記す必要すらも無いでしょう。
また、ロータス25の成功を見た他のコンストラクターは25の後を追うように、
本家ロータス以上に意欲的なモノコック構造の車を次々とデビューさせましたが、
どれもロータス程の成功を得る事は出来ませんでした。
これらの事を持って“アレはロータスの成果だけではない。クラークが速かったのだ”という人もいるようです。
そんな事を言ったところで、人と車のどちらの功績が大きかったのかなんて証明のしようもありませんが。
ただ、ロータス25がGPであげた勝利19勝は、その全てがジム・クラークによってもたらされたものであること
これは事実ですし(非選手権レースでは他のドライバーも勝利していますが)
ジム・クラークはトラブルさえ無ければ同じ車に乗るチームメイトに遅れをとったことは無かったことも事実。
ただ、ジム・クラークはチーム・ロータスを信頼し、他の車でGPレースに出た事は無かったという事もまた事実。
(スポーツカーレース等は別)
さて“トラブルさえなければ”と言えば・・。
ジム・クラークはGPレースで99戦して25勝(当時の記録)していますが
良く知られているように2位になった事はたったの一度だけ。3位になったのもデビュー年と翌年に3回
残りの7年で3回の計6回有るのみ。
“車さえまともなら、ジム・クラークは無敵だった”と言われる所以がこの辺に有るようです。
さて、F1話でなく申し訳ありませんが、 格の高ひおフレンチが待合に使ふクルマつう御題なら (そんな高級店が道端のクルマ待合所に使はなひって。w) アテクシとしてはファセル・ヴェガであって頂きたひものであるます。 だうせ待合室なら動かなくとも、 エソジソがクライスラーでもそんなの関係ねぇ、オッパッピー、と。 しかし、一方でイタリア料理店の待合にアルファ・ロメオ使はれても困ります。 せっかくの非日常を期待して行ったら毎日毎日乗ってるアルファに股乗っけられても 情け無ひだけであるます。w せめてランチャ、ぃあ同ぢか。 さりとてマゼラーティのリアに押し込まれるやうではこれも股寂しひものであります。 さう思ふとイタリアのクルマっつな主人公は常にドライヴァーズ・シートなのだなぁ、 とつくづく思ふものであるます。XJ6のリアも相当有り難く無ひけどね。w
47 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/11(金) 05:00:53 ID:pmGO0e2lO
エロスパ先生、葉巻ブガッティの資料を検索いただきありがとうございます。 さて確かに、フランスの華美な高級車の最後の開花がファセルでありますが。 生粋のフランスを求めるか、料理屋にいかにも相応しい車は一体何でしょうか?
>>8 > タタがジャガーを買うらしいですよ
それはデイムラーも含めてという事でしょうか。
前スレで「同じ英字綴りのよしみでダイムラーが買い取ってあげればいいかも」と書いた手前もあり
ちょっと気になります。
タタといえば先日、10万円カーを発表したりと俄に注目を集めていますね。
10万円→10万ルピーorz
>>43 > 駄作ロータスの筆頭と言えば80ですかね?
ロータス80が初めて公開された時には前後にウイング類が一切付いていませんでしたね。
その写真を見てF1界に往年の葉巻マシンが戻って来たと思いましたが、実戦ではウイングが付いてしまい
がっかりした記憶があります。
>>45 あぁ、成る程・・。こんなのが有りましたか。葉巻型と言うよりも水雷のようでもありますね。
ところでエロスパ誌の書き込み見ていて思ったのですが、フランス料理を食べに行くのであれば
私の場合、何もあれこれと考える事も無し。自分のシトローエンで行けば良いのでした。
私が気後れすることなく入れるクラスのお店であれば、あの車で充分。
つか、あれ程相応しい車も他にないのかも。
もしもどんなに高級な店にでも、自然体で入れる度量があるのであれば、
それこそDSでもファセル・ベガでもイスパノ・スイザでも良いのでしょうけれど、
今の私がそれに乗ってもコスプレにしかならないような気がします(w
つまり“こんなところに行くのならこんな車”と理想を幾ら言ってみたところで、
自分がその車を服を着こなすように乗りこなせていなければ意味は無いと思うのです。
で、また思うこと。
私などには高級古典フランス料理以上に縁が無さそうなのが日本料理の高級料亭ですが、
もし仮に“フランス料理店ならフランス製高級車で乗り付けたい”と思う人であっても
“和食を味わいに行くのならば日本車に限る”とはならないのではないでしょうか?
私ならばレクサスもセンチュリーにも乗りたくないです。飽くまでイメージではありますが
少し古いロールスロイス辺りが理想。少し前に流れていたキリン生茶のCM
http://www.beverage.co.jp/product/cm/namacya/ こんな感じ。何故か日本車には和風文化を感じません。料亭とかにイメージされる日本文化と
自動車普及以降の庶民的な日本人の文化との間には、大きな断層が存在する気がします
・・と、また理屈っぽい話になってしまいましたが(真面目なのがすぐにバレちゃう w)
ロータスF-1の話の続きはまた明日から。
傑作機25/33も良いですが、それ以上に何故か皆さん気になるらしい(w)駄作機の話でも・・。
52 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/12(土) 00:56:26 ID:KARy+34x0
きのう、トヨタTF108がデビューしましたよ
53 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/12(土) 00:57:11 ID:KARy+34x0
ちなみに、今後の予定も書きますよ
54 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/12(土) 00:57:50 ID:KARy+34x0
1月14日にBMW F1.08がデビューしますよ
55 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/12(土) 00:58:29 ID:KARy+34x0
1月16日にレッドブルRB4がデビューしますよ
56 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/12(土) 00:59:17 ID:KARy+34x0
1月29日にホンダRA108がデビューしますよ
57 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/12(土) 00:59:58 ID:KARy+34x0
1月31にルノーR28がデビューしますよ
58 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/12(土) 01:00:36 ID:KARy+34x0
2月19日にスーパーアグリSA08がデビューしますよ
59 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/12(土) 23:22:48 ID:vPsySkgdO
ロータスのお手軽本をパラパラ見ていても、80についてはスルーされていたり、程々に記述されている程度ですね。 名車ばかりではなく、駄作・失敗作についてももっと語られていいと思います。これらこそ、残されたフロンティアかもね。
61 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/13(日) 01:54:12 ID:FDbt5JHp0
東京オートサロンでルミオン岩佐真悠子スタイルがデビューしましたよ
62 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/13(日) 01:54:58 ID:FDbt5JHp0
東京オートサロンでプリウス由良拓也スタイルがデビューしましたよ
63 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/13(日) 01:55:35 ID:FDbt5JHp0
東京オートサロンでベリーサ着こなしスタイルがデビューしましたよ
64 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/13(日) 01:56:13 ID:FDbt5JHp0
東京オートサロンでCX-7クールスタイルがデビューしましたよ
65 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/13(日) 05:29:40 ID:0mimbFkoO
ここのスレの人って、オートサロンとかオートメッセの展示車には関心があるのかなあ。 カスタムカーのカルチャーなんかよりコンパニオンやキャンギャルの服装のほうがいいけどね。
66 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/13(日) 09:57:54 ID:0mimbFkoO
ところで、産経新聞13日朝刊国際面の『ドイツ車物語』というコラムに、旧東独のリアエンジン・スポーツ「メルコス」や大衆車「トラバント」の復活の話しが書かれております。 ご興味をお持ちの諸兄は是非ご一読されたし。
オートサロン等も興味無くはないのですけれど、 自分の車を改造する気が無い以上は、その興味も限られてしまいます。 コンパニオンさんもねぇ・・。私は女性に関しては全裸フェチですので、服着た状態のままではあんまり・・(w ああいう改造車趣味ってのは、現代版のホットロッドみたいなもので、 その根本に有るのは、やはりアメリカ的なものなのでしょうか。 アメリカ的と言えば、現代につながるレーシングカーのスポンサーカラーっつうのもアメリカ的なもの。 以前にも少し書きましたけど、アメリカ国内のレースではナショナルカラーを用いる意味も無いので F-1などよりも先にスポンサーのイメージカラーに塗られたレースカーが当然のように走っていたようです。 68年に、他に先駆けてスポンサーカラーを導入したのが、 当時最もアメリカのレースに熱心だったチーム・ロータスだったのは当然の成り行きだったのかも。 と、言う訳で強引にロータス56の話の続き。 この車、タービンエンジンの他にも4WDとか楔形ボディーとか、多くの特徴を持っていますが その中の幾つかは70年に登場したF-1、72にも受け継がれています。 例えばフロントのインボードブレーキなど。 4WDの56では当然フロントにもハーフシャフトが存在しますからブレーキのインボード配置もやり易いでしょうが 通常の後輪駆動車72では、インボードブレーキ用の為にのみハーフシャフトを用意しないといけない訳で あんまり合理的には思えません。 しかし、楔形のボディーを実現する為ボディーサイドにラジエーターを配置するというのは 目的は変ってもその後の単座レースカーの多くの標準となり、今では安全性の見地からも サイドポンツーンの規定が存在する為に欠かしようも無い物となっています。 それでも72と56Bが全くの別物である事に変わりは無く、同一年中にこの両方を用いるのは無謀だったようで 70年にJ・リント、72年にE・フィッティバルディを王座に押し上げたロータスがこの年(71年)は未勝利のまま。 チーム全体の足を引っ張ってしまったと言う意味では56Bはやはり駄作と言わねばならないでしょうか。
>>39 ロータスの勝利はロータス99Tが最後でしたね
ロータス99Tは16戦2勝でしたね
ちなみに、ロータス100Tの次からエンジンがコロコロ変わりましたね
ロータス101のエンジンはジャッドV8でしたね
ロータス102のエンジンはランボルギーニV12でしたね
ロータス107のエンジンはフォードV8でしたね
ロータス109のエンジンは無限V10でしたね
75 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/14(月) 14:26:56 ID:44Jph8WGO
なんでティーム・ロータスはそんなに搭載エンジンをコロコロと換えていったんでしょうね。
搭載エンジンが一定出来なかったのには、財政難という事も有ったでしょうし、 エンジンメーカーから見て魅力的な存在ではなかったという事も有ったでしょう。 今でもチーム・ロータスには負債が残っているなんて話も聞きます。 レーシングチームとしてのロータスと、自動車メーカーのロータスカーズが分離したのが何時頃で どのような経過を辿った結果なのかは良く知りませんが、 ロータスが一貫してフェラーリのようにエンジンまで開発出来る規模になれなかった事が根本にあるでしょう。 その為に60年代の3リッター規制の当初には散々苦労しましたし。 タービンエンジンを搭載した4WD車“56B”がF-1の舞台に引っ張り出された理由というのも、 元を辿ればそこに行き着くと思うのです。 67年にコスワースDFVを使うようになってからは、一応エンジンの悩みからは開放され、 ロータスは再び競争力を取り戻して68年には“49”でG・ヒル。 70年には“72”でJ・リントがチャンピオンになった訳ですが その頃には既に他のチームも多くがDFVを用いるようになっていたので 再びDFV以外のエンジンを用意する事で他チームに差をつけたいという思いが出た結果として 71年にもなって3年前のインディー用タービンエンジンカー56を引っ張り出して来たのだと。 4WDのF-1っつうと、60年代終わり頃に幾つかの試作例が有りましたが、 56Bが試みられた71年には既にある程度その効果は見極められた後という事もあり、余計にそう思います。 コリン・チャップマン氏には様々な評価が有るようですが、 こと技術者として優れた人だった事は間違い無いと思うのですが、 そうした中にも欠点が有ったとするならば、才気溢れた人が陥りがちな過ちとして、 研究チームの規模には負担しきれない様々な試みを一気に行ってしまう事でしょうか。 まぁ、そういう人だったからこそ、ロータスチームが エンジンの自社開発にまで乗り出さなかったのは正解だったのだと思うのですが。
>>76 DFVはダブル・フォー・バルブの略ですね
ちなみに、DSGはダイレクト・シフト・ギアボックスの略ですね
DSCはダイナミック・スタビリティ・コントロールの略ですね
DPFはディーゼル・パティキュレート・フィルターの略ですね
81 :
相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ :2008/01/16(水) 00:31:21 ID:AlAe1ryu0
82 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/16(水) 05:50:14 ID:iHOfaDW1O
ローバーの場合、タービン技術はロールスロイスに頼ったんですよね。 ROLLS-ROYCE HERITAGE TRUST ってゆう組織からローバーのタービンカーについての書籍が出ていた記憶。
83 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/16(水) 06:29:09 ID:TSGOf6De0
きのう、BMWザウバーF1.08がデビューしましたよ
84 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/16(水) 06:29:45 ID:TSGOf6De0
ちなみに、1月22日にウィリアムズFW30がデビューしますよ
85 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/16(水) 06:30:29 ID:TSGOf6De0
今年はウィリアムズのF1参戦30周年ですよ
「60年代」「タービンエンジン」と言えば、小松左京の「復活の日」に アルファロメオのタービンエンジン車がちらっと出てきます。 エンジンが破損してもタービンブレードが貫通しない装甲付きコクピットやら 高速走行時は後方排気に切り替えて推進力に利用するアイデアやら 当時タービンエンジン車にかけられた期待と懐疑が見て取れておもしろいです。
>>82 それは初耳。大型エンジンはロールスロイス、小型はローバーっつう分担にでもなっていたのでしょうか。
さて。昨日ちょっと触れたクライスラーのタービンカー
http://www.autodrome-cannes.com/chrysler_turbine.jpg それと、昨日は書き忘れましたが68年頃のアメリカではホーメットTXという名前の車が当時のGr・6
スポーツ・プロトタイプのレースに参戦しています。
http://m.blog.hu/au/autohistory/image/turbina%204/1968%20Howmet%20TX_03.jpg そのエンジン部、戦績はあまり芳しい物ではなかったようです。
http://www.forix.com/8w/altpower/howmet-tx-engine.jpg >>86 さんが書かれたSF小説の中の車の姿は想像するしかありませんけれど、
空想の産物らしく様々な特徴を備えているようですから、
恐らくは既存の自動車の概念から飛躍した形をしている物ではないでしょうか。
しかしこうしてタービンエンジン搭載車の写真を幾つか見ていくと、モノポスト・フォーミュラカーはともかく
他は意外に普通の車の形をしているっつうか、あんまり飛躍した代物では無く
(まぁ、それだけ現実的な物でもあったという事なのでしょうが)ちょっと物足りないような気もします。
もっとも、ローバーBRMの場合等、
自動車メーカーとしては地味な印象しかないローバーと、地味な外見のレースカーばかりを作っていたBRM。
この組み合わせで派手な形、色彩のレースカーが出て来たらそれはそれで可笑しな物でしょうが(w
ところで、このタービンエンジンという物。トルクの発生の仕方は回転速度に反比例するのだとか。
つまりトルクカーブは極端に右下がりで、反面出力カーブはほぼフラット。
ですから基本的には変速機は不要。
また、エンジンブレーキの効果は全く期待出来ない反面、当然ですけれど回転は滑らかで振動も少なく
衝突部分も無い為に機械的な騒音も少ないとか。
・・なんだか、このスレッドでは毎度御馴染みの“あの”ムシュー・ガブリエル・ヴォアザンさんだったら
喜んで飛びつきそうな気がしてきます。
昨年”ファイナル・カット”が公開されたブレードランナーにも ”AlfaRomeo”製のスピナーが一瞬出てきます、 が、どの版でも出る訳では無ひので・・・、どれだっけなあ。 2019年、あと12年後、アテクシもアルファ・スピナーに乗ってうどんを食ってゐるのでせうか? そして元来大食ひのアテクシ、2つくれっつって「ひとつで充分です」と言はれるのでせうか?w 今でもアルファに乗って大阪にうどんを食ひに行ってる訳ですが。w 尤も、先週末は人間犬の再検査で胃カメラ飲んできますた。 まぁうどん2つ食って具合悪くしたときは”わかもと”があるでせう。w
90 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/17(木) 20:01:43 ID:ShiNEiGlO
ペネロープ号みてーw
91 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/17(木) 23:11:21 ID:n/ZBr4Gy0
マツダMPVがマイナーチェンジしましたよ
92 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/17(木) 23:12:09 ID:n/ZBr4Gy0
2列目シートの前後スライド長を80mm延長しましたよ
93 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/17(木) 23:12:45 ID:n/ZBr4Gy0
23Tと23Sに豪華装備満載のLパッケージを新設定しましたよ
94 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/17(木) 23:13:24 ID:n/ZBr4Gy0
23C以外の全グレードに両側電動スライドドアを標準装備しましたよ
95 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/17(木) 23:14:11 ID:n/ZBr4Gy0
アッパーグリルとロアグリルとフロントバンパーのデザインを変更しましたよ
96 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/17(木) 23:14:50 ID:n/ZBr4Gy0
2.3リッター自然吸気エンジン2WD車のトランスミッションが5段A/Tになりましたよ
SF作品中の車ってのは真面目に語られる機会も少ないでしょうが、 現実性の多少とか、そのリアルさについて考えてみるのは面白いネタかも。 でも、マッハ号やぺネロープ号くらいまででしょうねぇ・・。“チキチキマシーン”の“岩石オープン”のように “搭乗者二人が棍棒でお互いの頭を殴り合うと動力が生まれる”なんてのは語りたくない(つか、死ぬって w もうちょっとタービンエンジンの話。 60年代にレースに登場したタービンエンジン車が、どのような計算をもってレシプロ換算されたのか、 詳しい事が書かれた物は意外に見つかりません。 ローバーBRMの場合等は一度賞典外で出場している事から、大体の見当はついていたでしょうが、 インディー500のSTPスペシャルや、ホーメットTX等には不明な部分も多いようです。 それでも或る程度のデータは存在していたのか、インディーでは吸気部分の面積が規定されていて 67年のSTPスペシャルの出力は550hp程度と、この頃最強だったターボ・オッフィーと同等程度。 ホーメットTXの場合は明確な規定も無かった事から、その当時のライバルと同等程度に 出力を迎える事で認可を得るという特例措置が有ったようです。 主催者側からすれば話題作りにもなり、また最新の技術を試みる場を与えるという名分も立ち 理解は得られたのでしょうか。 そうして出力を迎えた場合、タービンエンジン自体には掛かる負担は少ないので耐久性の問題は少なく また、同等の出力のレシプロエンジンと比較すればかなり軽量に収まるメリットが有ったようです。 STPタービンカーのエンジンを例に取るなら110kg程。ホーメットTXに至っては80kg弱。 この頃、軽量コンパクトなレーシングエンジンだったコスワースDFV、3リッターV8が400hp程度で150kgですから かなりの軽量と言えるでしょう。 またギアボックスも不要(インディーカーは皆そんな物でしたが)ラジエーターも不要という事ですから 全体で見れば更に軽量になる筈。 こうした事も有り、インディー500では参加初年度にはゴール直前にリタイアしたものの、 恐るべき性能を見せたタービンカーは翌68年には吸気制限が強化されましたが、 それでも新型ロータス56の威力もあり、トップレベルの競争力が維持されたようです。
98 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/18(金) 07:07:12 ID:16WNNSAaO
ギアボックス不要って? どうやって変速するんですか?
>>87 の後段にあるように、変速の必要はないんです。電気モーターといっしょです。
モーターと違って始動に手間がかかるんで、クラッチは必要ですが。
>>96 私はマツダMPVという車に関しては詳しくないですし、またそれ程興味もないのですが・・
「トランスミッションが5段A/Tになりました」は、「6段A/T」の書き間違いではないでしょうか?
今回、5段A/Tになったという事が本当なら、まさか以前は4段A/Tだったという事ですか!?
2.3リッター車でしたら5段A/Tが当たり前の時代ですから、そんな事は俄には信じられません。
今時、4段A/Tの車は軽自動車やコンパクトカーにしか存在しませんから。
>>98-99 手許に有る自動車史家・折本透さんの書かれた本の中に、65年のローバーBRMのエンジンについて
出力やトルクの数値など少し書いてあるのですが、
それによるとこの車に用いられたタービンエンジンの最大出力は、ほぼ現代の2リッター級市販車並み、
最大トルクは4リッター級のそれに近いとか。
また、最大出力は、最高回転数である40000rpm付近で発生し、その半分の20000rpm時にも
その8割程度が発生。最大トルクはアイドリング時に近い8000rpmで生まれていたそうです。
要はレシプロエンジンと単純に比較は出来ないという事のようで、98さんが戸惑うのも無理はないところかも。
私はむしろラジエーター不要ってのが不思議に思えるのです。
発生する熱量は大変な物だったでしょうから、エンジン自体はそれで大丈夫であっても
周辺機材に悪影響は無かったのかと。
しかし、それはともかくとしてこの特性故にロータス56はそれまでの単座フォーミュラカーとは全く異なる
思い切った楔形デザインを実現出来、その事が後のサイドラジエーター型72の誕生に
大きな役割を果たしたのでしょう。
ところで。この当時のインディーカーは全て左カーブのコースに合わせて車体中心をオフセットする事が
規則で認められていた為に
>>60 のツインリンクもてぎで撮られたロータス56の写真でも
左右のサスペンションアーム長が異なっている事が確認出来ます。
これを更に押し進めて考え出されたのがコクピットサイドにエンジンを配置した
67年のSTPスペシャルだったのでしょうが、
特殊な形状から来る空気抵抗の増大を考えると、これはあまり得策ではなかったのでしょうか。
翌年のロータス56は、厳しくなった吸気制限から100hp近いパワーダウンが強いられたそうですが
それでも競争力は維持出来たというのは、燃費の向上等のメリットだけで生まれた効果だけではなかった筈。
1周約4kmのインディーのコースよりも、もっと小さな1周1マイル(中山競馬場内回りくらいですね)の
オーバルコース等で走らせたならどちらのレイアウトが優位に立つものか、ちょっと興味が沸きます。
そろそろロータスのF-1に話は戻って、また駄作機の話。
順番から行くと、名作72の後継となるべく登場しながら全くモノにならなかた76の話になるのでしょうが、
この車は元々規則改正の煽り等から重量が増してしまった72を洗練させた車を目指したもので
前スレでちょっと話題になった電磁クラッチ付き変速機以外には左程見るべき物は無いと思うのです
http://www.f1journal.com/05-008/1974-1/74_25.jpg ところが、70年代初期のファイアストーンタイヤに合わせて設計された、
72の特徴でもあったフロントのトーションバーサスペンションやインボード配置のブレーキなども
そのまま引き継いだのが裏目に出たのか(73年以降はグッドイヤータイヤ)開発は難航
問題点を洗い出し、解決して行く内に重量は増し、結局のところ72と同じかそれ以上となり
それ以上の開発に意味を見い出せなくなってそこで終わりという情けない車になってしまったのだとか。
私個人としては、76よりもそれに続くタイプ77の方に興味があります。
76年シーズンを戦った77は、一応GPレースで一勝を挙げていますし、しかもそれが日本で初めて行われた
F-1レースであったことから、特に我々日本人には“駄作”の印象は無いのかもしれませんが
その一勝も多分に幸運とマリオ・アンドレッティの頭脳的なドライブによってもたらされたものであり
この時期のロータスF-1マシンとしては、やはり駄作の内に入ってしまうのでしょう。
http://www.isaab.net/upload/Gunnar%20Nilsson,%20Lotus%2077.%20Long%20Bech%201976..jpg http://planetef1.freeservers.com/aero/77j-4.jpg 上はシーズン初め近くの姿で、下は終わり近くの姿。
この車程、一年の内に大きく形を変えた車ってそうは無いと思います。
開発能力に秀でた、経験豊かなドライバー、マリオ・アンドレッティ等、適切な人員補強の効果も有ってか
シーズンが進むにつれ、様々な改良が施されたこの車は徐々に予選位置も上がって行き
最終戦の勝利に結びついた訳ですが、この車の特徴は
当初の売り物だったホールベースやトレッドをコースに合わせて調整出来る事などよりも、
25以来F-1の標準だったツインDチューブモノコックから脱皮して採用した、新形式のモノコックにあると思います。
103 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/20(日) 05:04:19 ID:tBKF410Y0
>>100 「トランスミッションが5段A/Tになりました」は、書き間違いではないですよ
104 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/20(日) 05:06:13 ID:tBKF410Y0
旧型MPVの2.3リッター自然吸気エンジン2WD車のトランスミッションは4段A/Tでしたよ
105 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/20(日) 05:06:53 ID:tBKF410Y0
ちなみに、旧型MPVの2.3リッターDISIターボエンジン2WD車のトランスミッションは6段A/Tでしたよ
106 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/20(日) 05:07:35 ID:tBKF410Y0
旧型MPVの2.3リッター自然吸気エンジン4WD車のトランスミッションも6段A/Tでしたよ
107 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/20(日) 05:08:17 ID:tBKF410Y0
旧型MPVの2.3リッターDISIターボエンジン4WD車のトランスミッションも6段A/Tでしたよ
108 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/20(日) 21:32:43 ID:tBKF410Y0
ちなみに、DISIはダイレクト・インジェクション・スパーク・イグニッションの略ですよ
ロータス77という車、昨日も書いたようにシーズン当初と終わり近くでは全く異なる車のように
大きく姿を変えているのですが、例えば最初はインボード配置であったフロントブレーキ
当時のグッドイヤータイヤとは相性が良くない事は既に判っていた筈なのに、
72以来の設計を変えぬまま使われていました。
77のモノコックはそれまでのツインDチューブ型から、更に進化した所謂シングルスキン型。
モノコックという言葉本来の意味に近づいた形状の物。
この頃レースカーの世界で使われ始めた、蜂の巣状の断面を持つアルミハニカムパネルの存在が
それを可能にしたのでしょう。
従って77のモノコックは、それまでの物に比べて一層スリムに仕上がっています。
(実際には剛性不足であり、実戦を重ねつつ補強されたようですが)
そのスリムなモノコックに例のインボードブレーキは収める空間が無くなり、初期型ではブレーキも露出。
このように、モノコック以外の細かな所を見て行くと、77という車は如何にも急造マシンのような感が有ります。
77の構造を示す絵が無いので、翌年型78と、ついでに79のプレゼンテーション時のテクニカルイラスト
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/5324.jpg?bcplgCIBkMknoF9q http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/e9d3.jpg?bcplgCIBHrLC7leN ウィングカーと呼ばれたこれ等の車では、細身のモノコックが必要とされた事が理解出来ます。
その開発にあたって、77の経験が大きく生かされた事は間違い無いでしょう。
と、言うよりも。
ウィングカーの発想が何時生まれたのか。1975年秋には既に基本的な構想は出来ていたという話が有り、
その開発の為に、一年を実験に費やすつもりで生まれたのが77なのではないか?という想像も出来ます。
75年秋と言えば、翌76年型の開発を始めるには既に遅い筈ですが、例の細身のモノコック等、
ウィングカーを開発する為に欠かせない部分の実験をする為の急造マシンが77だったのではないかと。
そう考えれば、76年シーズン開幕時の如何にも整理されていない急ごしらえ感みたいなものも納得出来ます。
>>104-105 MPVで自然吸気エンジン車の4段A/Tに対し、ターボエンジン車を6段A/Tに多段化しているのは
理にかなった設定ですね。
特にターボラグが大きいターボエンジン車の場合、多段化によりターボラグを回避できますから。
これとまったく逆の例として、930型911ターボがありました。
当時の911の5段M/Tに対し、911ターボは4段M/Tに少段化していました。
あえて少段化した理由は、ターボエンジンの大トルクに耐えられる5段M/Tが無かったからです。
911ターボは低回転スカスカのドッカンターボで有名でしたから、4段M/Tでは乗り難かった筈。
後期型で5段M/Tに変更されたのは当然と言うべきでしょう。
111 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/22(火) 20:59:32 ID:IH3ZKuhxO
トルク重視の大排気量エンジンに多段変速は必要なし。
ボス・ホグは、変速機無しじゃなかったかいのぉ。
>>112 それ、単にハイギアードにすればすむ話。
段数関係ない
なんとも言い難いところは有りますよね・・。
トルクバンド広ければ多段変速機は不要というのも判りますし、
大排気量車の燃費改善の為には常に効率良い制御が必要なので
多段変速機もその一つとして必要という考え方も有るでしょうし。
流れは無視して勝手にロータス77の話の続き(好きにやる以外に知らない私・・w)
模型の写真ですが、77の初期の姿
http://www.hm6.aitai.ne.jp/%7eribechan/7711.jpg ボディー外側に露出したインボードブレーキ(変な言葉・・)が確認出来ます。
これに固執したのは、76年シーズン開幕時に在籍していたR・ペテルソンの好みに合わせたという説も有り。
ハードなブレーキングでコーナーを攻めるスタイルの彼の為に、ホイール内側には納まらない
大径のブレーキを使用する為にはこうするしかなかったのだというのがそれ。
しかし初期の77のあまりの酷さにペテルソンはチームを離脱。代わりに参入したM・アンドレッティが
通常のアウトボード配置への変更を進言したとか。
この他にもフロントに移されたオイルクーラーやサイドポンツーンの形状、また(規則改正の為ですが)
インダクションポッドの形状等もシーズン中、次々と変化して行きました。
そうした改良の中に、ボディー下に吊られたナイロンのブラシ状のサイドスカートも有ります。
60年代アメリカで、それ専用のエンジンまで用意したファンを用いてボディー下に負圧を作った
シャパラルにも存在したこのサイドスカートなるもの、
後になって見れば、勿論これは翌年型のウィングカー78開発に先立つ試験の為だったのでしょうが、
成績が向上していくロータスの秘密に関わるものではないか?という憶測も生まれたようで
目的も良く判らぬままに模倣したチームも幾つか有りました。
76年秋に富士で開催された“F-1選手権inジャパン”のTV中継で、解説者がこのサイドスカートについて
なにやら語っていた記憶が有りますが、内容までは記憶に有りません。
当時中学生だった私にも腑に落ちない、変な事を言っていたような気もします。
いろんな意味で“そういう時代だったなぁ”と、今ではそう思います。
116 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/23(水) 00:31:21 ID:xUOdUKub0
きのう、ウィリアムズFW30がデビューしましたよ
117 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/23(水) 00:32:02 ID:xUOdUKub0
きのう、ルノーR28もデビューしましたよ
118 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/23(水) 00:35:04 ID:xUOdUKub0
あした、ホンダRA108がデビューしますよ
>>110 934型911ターボも4段M/Tでしたね
935型911ターボは5段M/Tでしたね
964型911ターボも5段M/Tでしたね
993型911ターボは6段M/Tでしたね
996型911ターボも6段M/Tでしたね
125 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/24(木) 20:36:06 ID:L4rDSIk8O
1930年代のマイバッハDS8・ツェッペリンは前進・後退とも7段変速だったよ。 8リッターV12気筒なんだが。
マイバッハDS8の変速機については実は不明な所が有り、資料によって様々な事が書かれていたりします。 多いのは4速x2(一時期三菱に有ったような副変速機付き)で同じレシオになってしまう所が一箇所あるので それを一つに数えて-1で7速としているもの。 元になった資料はマイバッハ社自身が当時発表した物の筈なのですが、 何種類か存在した変速機を混乱したまま公表しているらしく、それ自体にも誤りがあるらしいのです。 後退も7速というのもその一つで、資料によっては“後退は2速でバックの最高速度は60km程”としています(w ロータス80の話の続き 恐らく79年の時点で対地効果について、最も多くのデータを持っていたのはロータスだったでしょう。 また、この年のF-1で最も意欲的な設計をされた車がロータス80だった事も間違い無いでしょう。 しかし、路面とアンダーパネルとの関係に理想を追い過ぎたのが失敗だったのではないでしょうか。 対地効果を一定に、かつ最大の効率で得る為には車体下と路面との間隔を常に一定に保つ必要が有る筈ですが 車両姿勢は加減速やコーナリングによって変化するものですし、それを嫌って懸架ばねを硬く締め上げれば 今度は路面の小さな凹凸にも過敏に反応して飛び跳ねる車になり、結局何にもなりません。 それは誰しも判ることであって、当然何処かに妥協点を置く訳ですが、 その妥協点の置き所を当時のロータスチームは理想側に近付け過ぎたのではないかと思うのです。 後に電子制御技術を持ち込んだアクティブ・サスペンションを一度ならず試みた事とか メインモノコックには柔らかな懸架ばね、空力を受け持つボディーには硬いばねを与えた ツインシャシーのタイプ88等。 タイプ80以降のロータスの様々な試みの多くは車体と路面との関係を 理想近くに保持する為の物と捉えられる事からも、そう考えられるのではないでしょうか。 技術的な部分に関しては、私のような素人がそれ以上を考えても無意味でしょう。 それよりも私は、当時のチーム・ロータスの中にいた人々に、3年前の77を粘り強く改良した時のような 良い雰囲気が既に失われていたように思えるのです。 タイプ80が成功出来なかった真の理由はそっちの方にも有るような気がします。
127 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/25(金) 04:01:29 ID:kCnoyyoi0
きのう、ホンダRA108がデビューしましたよ
128 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/25(金) 04:02:33 ID:kCnoyyoi0
ちなみに、RAはレーシング・オートモービルの略ですよ
そこまでして無駄に連投してageて1001まで到達させたいのか 無益で迷惑な馬鹿だ ホンダF1の排気ガスを思う存分吸い込んでしまえ
>>126 空力付加物がバネ上にある限り、最大の効果を発揮できませんよね。
空力付加物はバネ下にあるのが理想で、それを実践したのがロータス88。
チャップマンは88のボディをシャシーだと主張しましたが、いくら何でもそれは屁理屈。
失格になったのは当然でしょう。
>>129 貴方の書込みも迷惑です。
マイバッハの変速機は数種あったかと思ひますが 4段×2(Hi&Lo)=8段変速つう物件もありました。 ある種のプリセレクトタイプっつうかなんつうかつう物件。 これがこのマイバッハ・ツェップV12と同時期の ラゴンダ3リッターにも載ってたものがあるさうなのです。 これの操作はまづフロアのレバーで前進・ニュートラル・バックを選択し それから長短2本のコラム・シフトレヴァーで操作するのださうです。 1速は2本のレヴァーを同時に上げ、2速で短ひはうだけ下げる。 3速は2本とも下げる。4速は短ひはうだけ上げる。 クラッチ操作はこの間不要でエソジソ吸気の負圧によります。 次のギアのプリセレクトが可能で、アクセルを放すと ガラガラガラと音がしてラチェットと爪がギアを食ひ付かすタイミングを決定。 で、どの段に入ってゐてもHi・Loの切り替へは走行中も可能。 で、4速バックも可能で実際100`バックが可能ださうです。 (参照資料:SCG、Ronald Barker氏連載より)
>>129 結構ネタ振り役にもなってくれていますし、いいんじゃないですか?
さて。手許に幾つかのマリオ・アンドレッティのインタビュー記事が有るのですが、
その中の一つ、キース・ボツフォードという方の書かれた“F1チャンピオン・ドライバー”という本では
彼は“真の紳士であり、一緒にいて楽しい男”と評されています。
そういう人ですからマリオさん、あからさまに誰かに対して悪意の有る事を口にしたりしないようですし
不平不満の類も言わない方のようです。
それでも1976年に77を粘り強く改良した時の事を語る時のようには、80で苦労した時の話は出来ないようです。
77のブレーキをアウトボードに改変するように進言したのは、やはり彼だったようですし
モノコックの補強も彼の意見に沿って行われたようなのですが、やはりモノコックの剛性に難を抱えた80では
コリン・チャップマンはマリオさんの意見に耳を傾けようとしなかったのだとか。
78と79での成功はそうさせてしまったのか、それともマリオさんの方にも3年前のような根気が失せていたのか。
77の時のような粘りをもってすれば80も勝てる車に仕上がったのか?それは誰にも判らない事でしょうし
翌年にも改良型の81で再び失敗しているように、やはり80は駄目な車でしかなかったのかも知れません。
しかし、マリオ・アンドレッティさんのF-1での成績がロータス離脱後は全く冴えかった事も示すように
彼のやる気が既にかつての物ではなくなっていたようでもあります。
当時の世の彼への評価は、チャンピオンの座を勝ち取っても尚、決してその腕前に値する程高くなかった気がします。
事実、時には彼よりもセカンドドライバーの方が速い時も有ったのですから無理のないところも有るのですが
彼程に車の開発・改良に理解が深く、腕を発揮出来たドライバーは他に居なかったと言いますから
もしもセカンドドライバーがレースの場でマリオさんを凌駕する速さを発揮したとしても、
それは半分はその車の開発をしたマリオさんのおかげとも言えるのではないでしょうか。
また、欧州でF-1を戦う前に、既にアメリカでは大スターだった彼には、
当時の周囲の評価も与ええられた報酬も物足りないものだったという事もあったのでしょう。
133 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/26(土) 04:58:33 ID:J7Rn2fwI0
きのう、スズキSX4 WRCがデビューしましたよ
134 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/26(土) 04:59:10 ID:J7Rn2fwI0
スズキSX4 WRCのエンジンは2.0リッター直4ターボですよ
135 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/26(土) 04:59:48 ID:J7Rn2fwI0
スズキSX4 WRCの最高出力は320bhpですよ
136 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/26(土) 05:00:36 ID:J7Rn2fwI0
スズキSX4 WRCの最高トルクは60kgmですよ
137 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/26(土) 05:04:05 ID:J7Rn2fwI0
ちなみに、SXはスポーツ・クロスオーバーの略ですよ
138 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/26(土) 12:39:44 ID:LIksdIq8O
クライスラーにもSRT(STREET RACING & TECHNOLOGY)っつー高性能版が各車にありますよね。 フォードにもSVT(SPECIAL VEHICLE TECHNOLOGY ?) って同様のがあります。 どこもBMW M SPORTS の模倣をしてるんでしょうか。
ああ、そうだよ。
1967年にデビューしたロータス49
http://www.automototrke.net/amt/images/stories/upload/kolumne/Lotus49-clark.jpg 1977年のロータス78
http://www2s.biglobe.ne.jp/~h-oka/home/models/lotus78_4.jpg 10年でこれだけ外見が変化する時代ってのも、もう来ないでしょうね。
78年に79に乗り、選手権を勝ち取ったM・アンドレッティさんのお孫さんが、
アメリカでは既にレーサーとして大活躍されてい程時代は流れているのに、
F-1マシンの方は外見に限ればそれ程変化はしていないような気もします。
大体、レーシングカーが作り手自らの意思によって形状を変化させたのは、
この70年代終盤辺りまでではないでしょうか。
この後は規則の変化が車の外見を変えているという側面の方が大きいように思うのです。
ですから、車のコンセプトであるとか新機軸などよりも、如何に規則に上手く合わせた車作りをしたかが
現代のレースカーではより大きな問題であると。
もしも“歴史上の最も偉大なレースカー”を選定するとき、その車が切り拓いた新たな技術の有無も考慮するなら
規則との戦いがより大きな課題になった時代以降の物は候補になり難いでしょう。
ロータスを率いたコリン・チャップマン氏は、そうした規則を時に裏手に取るような車作りもするという
あまり名誉にならない印象もありますが、規則に縛られて新たな発想を試みる事が出来ない時代になってからは
レースへの情熱も冷え気味になったように感じられます。
先日少し触れた“ツインシャシー”のタイプ88等、確かに
>>130 さんの書かれたように
チャップマン氏の言い分には無理が有るのでしょうが、果たして上手く動作するものだったのか否か、
試みる場を与えてあげたかったとも思うこともあります。
70年代終盤にウィングカーが出た時、本来“可動する空力部品”として即刻禁止すべきだった
スライディングスカートが何故か黙認されてしまった辺りのことを思えば尚更の事。
でも、恐らくアレは、そんなに上手くは機能しなかったんじゃないかなぁ・・って気がする・・。
アテクシ、ぢつはヌポーシつうのは正々堂々正面切って正攻法で戦ふものとは思ってません。w ルールの隙間を如何に狙ふか、それは時に卑怯と言はれませう。 しかし、互角の相手と戦ふときにその雌雄を決するのは ひとつは運、そしてその運を手繰り寄せる戦略だと思ふのです。 相手の隙を突くのが戦ひの定石ならば、戦ふ相手がオフィシャルなら、 ルールなら、その隙を突くのが戦略。 単に脳まで筋肉の筋肉バカでは勝てなひ、それはこのことだと思ふのです。 ま、そこで卑怯万歳wつってもヌルヌルチョソのやうなのは論外ですが。w が、クルマのレースシーンに於ひては、結構このヌルヌルぢみた手が多ひんですなぁ。
>>140 > 70年代終盤にウィングカーが出た時、本来“可動する空力部品”として即刻禁止すべきだった
> スライディングスカートが何故か黙認されてしまった辺りのことを思えば尚更の事。
そう言えばアクティブサスペンションは“可動する空力部品”として93年限りで禁止されましたが
なぜロータス99Tが登場した87年に即刻禁止されなかったのか不思議ですね。
当時のFIAはアクティブサスペンションが“可動する空力部品”だとは思わなかったのでしょうか。
143 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/28(月) 08:50:32 ID:V+c/6ZK20
このスレをROMらしてもらいまふ
レギュレーションの大きな目的は「機会の均等化」にあるわけですから、 アクティブサスのような独占技術が表彰台を独占するのは望ましくない。 しかしながら「お前強すぎるから禁止」とも言えないわけで、そのあたりの事情が 6年の時間差となって現れているのだと思います。
ロータス88登場時の動画だそうです
http://www.youtube.com/watch?v=_fYGRgTEX0U これを見ると、モノコック上に柔らかいバネを介してボディーカウルが載せられた構造が良く判ります。
恐らくダウンフォースが発生するとカウルは沈み、ノーサス状態になってサスペンションアームに
直接力を伝えるのでありましょう。
まぁ、卑怯って言えばそうなのかも知れませんけど、同じ頃にブラバムのゴードン・マーレイがやらかした
60年代のシャパラルそのまんまパクリのファン付き車とか、車検誤魔化し車高調整とか
(ハイドロニューマティック式車高調整で、静止状態の時だけ最低車高規則をクリアー。
走る時には車高を下げる)みたいなミもフタもなさと比べれば、洒落になっているつうか、
頭ひねった痕跡があると言うか・・(でしょ?? w)
一度くらい。つか一年くらいは走らせてあげても良かった気がするのですよね。
で、速すぎたら翌年から規制する。そうでなければ進歩って無くなると思うのです。
>>142 アクティブサスの規制もそういう理由だったのですか。
実は私も80年代からはF-1の規制強化が面白くなくて興味を失ったので、その辺となるとかなり疎いのです。
開発に費用が嵩むというのは確かに大変なところはあるでしょうが、
ああいう技術はもっと研究されても良かったように思います。
目に見える形でフォーミュラカーの技術が市販ロードカーに反映されたのって、ロータス78/79辺りから生まれた
対地効果とかが最後だったように私は感じるのです。
また、規則は外野からも理解し易い単純さも必要だと考えます。
例えば今のルマンでディーゼルが強いのはディーゼルそれ自体の優秀性によるものなのか、
または規則上ディーゼルが有利という事が大きいのか。
近くハイブリッドでルマンに再度挑むというトヨタに勝算が有るならば、それは規則がそうなっているからなのか。
そういうところが判らないままでは観戦の面白さも半減しますし、それぞれの技術の比較にもならないでしょう。
146 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/29(火) 04:09:39 ID:IqR9U6gM0
きのう、シトロエンC4 WRCが優勝しましたよ
147 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/29(火) 04:11:00 ID:IqR9U6gM0
2位はフォード・フォーカスRS WRCでしたよ
148 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/29(火) 04:12:17 ID:IqR9U6gM0
3位はスバル・インプレッサWRCでしたよ
149 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/29(火) 04:13:19 ID:IqR9U6gM0
ちなみに、スズキSX4 WRCは8位でしたよ
トドロキスペシャル T2
152 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/01/30(水) 20:57:04 ID:bfMtQ5HCO
例のシャパラル、いつ見ても、冷蔵庫か洗濯機でも背負っているみたいな感じで、あれが一体何なのか、なんであのような設計になったのか、疑問でした。
>>152 あれって、ボディー下に負圧を生む効果それ自体は比類ない程強力だったそうですが
スノーモビル用だかの2サイクルエンジンをリアオーバーハングに搭載した事が重量バランスを崩し
それもトラブルを誘発する原因になっていたそうです。・・惜しいなぁ・・(w
自動車にウィング付けてダウンフォースを生むというのもシャパラルから始まったものというのが定説で
こういうのに特許とかが認められていたなら、シャパラルを率いていたジム・ホールさんは
かなりな収入を得ていたでしょう(我ながら貧乏臭い発想だな・・w)
もっとも、ジムさん。テキサスの石油王で大金持ちだったそうで、車に全くスポンサーのステッカーも貼らず
ほぼ自前の資金(GMが影についていたとかですが)でレース活動したような方だったみたいですので
今更お金なんてどうでも良かったのかも(言ってみたいな・・そんな台詞・・)
シャパラルは可動式ウィングの先駆者でもあり、ドライバーは左足で(シャパラルはAT)ペダルを踏む事により
ウィングの角度が調整出来る仕組みになっていたとか。
航空機の翼には必ず可動フラップが付いているのですから、ウィングの角度を調整出来るようにするのは
むしろ自然な発想だったのかも知れません。
http://www.autodrome-cannes.com/chaparral-2f.jpg これは欧州のスポーツカーレースに参戦したシャパラル2F。同時期のフォードGTよりも僅かに早く
欧州で勝利を挙げたアメリカ車でもあります。
ところで。以前にも少し書いた話ですが「自動車にウィング付けた先駆者はシャパラル」という定説
間違ってもいないのでしょうが、ちょっと異議も有り。1928年のオペルのロケット推進車なんてのが有って
http://strangevehicles.greyfalcon.us/Pictures/Opel2.png 高速での車体の浮き上がりを防ぐ為にボディー両端に翼がついていますが
ロケットと言ってもロケットエンジンという訳でもなく火薬。つまりロケット花火みたいに制御は全く無し。
ボディーの浮き上がりの原因を推進力の方向が制御出来ない為に考えたらしいオペルの技術陣
翼付けたのは良いのですが、この画像の通り逆翼ではなく正翼。ただしかなり下向き。
航空機が急降下する時の形をイメージしたのでしょうが・・惜しいなぁ・・(w
>>145 > 恐らくダウンフォースが発生するとカウルは沈み、ノーサス状態になってサスペンションアームに
> 直接力を伝えるのでありましょう。
「サスペンションアームに」ではなく、「ハブに」が正しいです。
ハブ(=バネ下)に直接、ダウンフォースを伝えるというコンセプトを実践したのがロータス88でした。
ところで、ロータス88と言えばツインシャシーの事しか話題になりませんね。
F1マシンで初めてカーボンコンポジット製モノコックを採用した事実が忘れられているようです。
尤も、マクラーレンMP4もほぼ同時期に採用していましたが。
>>154 成る程。そう言えば、当時マクラーレンは話題の新素材採用モノコックを自慢し、
見せびらかしていた節があるみたいですが、ロータスの方はと言うと特徴的なシャシーの為も有ってか
秘密主義で通したようでもあります。
その辺が今になって最初に有機複合素材の先駆者としての認知度の差になっているのでしょうか。
有機素材の進化は早いので現代の熱硬化型樹脂をケブラー等の高価な樹脂製糸で編んだ織物に染み込ませ
加熱・硬化させて作られた新世代のモノコックとは同列には語れないのかも知れませんが
シャパラルはモノコックに有機素材を用いたレースカーの先駆けでもあります。
もっともこの時期(60年代)のFRPは未だ未成熟なものでしたから、強度や剛性を充分に得る為には重量も嵩み、
シャパラルも最初の自製設計車2AではFRPモノコックだったのを、次の2Cは軽量化の為にアルミ製にしたりと
結構いろいろと試みているようです。
市販ロードカーでは57年に、ロータスが初代エリートでFRPモノコックを試みていますが、
やはり当時の有機素材は耐久性に問題を抱えており、また品質も安定しなかったようで
次に登場した初代エランでは鋼板製のバックボーンフレームにFRP製ボディーという
先にGMがシヴォレー・コルヴェットで先鞭を付けた
“セパレートフレーム+FRPボディー”という形に落ち着きました。
シャパラルに話を戻すと、この車はレースカーとしては珍しいトルコンAT車ですが、
その為かやはりブレーキでは結構苦労が有ったとかで、例の可変ウィングも減速/制動時には
エアロ・ブレーキとして使う事を念頭に置いて採用されたものだそうですし、
>>153 や
>>150 のシャパラルの画像を見ると判るメッシュのホイールもブレーキの過熱対策であり
シャパラルが他に先駆けて採用したものだとか。
ああいう物にもデザイン権みたいな物が存在するのであれば、
今頃シャパラルのオーナーだったジム・ホールさんは・・(ry
今年のホンダF1チームのテーマは「アース・ドリームズ」ですね
ちなみに、去年のホンダF1チームのテーマは「マイ・アース・ドリーム」でしたね
こうして新旧のレースカーの写真をいろいろと見ていくと、 スポンサーカラー導入後のレースカーの格好の良さってのは否応無しに 車の形と共にカラーリングにも大きく左右されるモノだと改めて思います。 また、昔のそれは車の形そのものが全てであったとも。 さて、もう少しシャパラルの話の続き。 斬新と言うか革新的と言うか。それとも全く好き勝手にやっていたと言うべきか。 次から次へと新機軸を試みたジム・ホールさん率いるシャパラルでしたが、 それが出来たのも、全てはジムさん個人の挑戦心から始まった試みだったからというのは大きいでしょう。 結果を求める会社上層部とか、出資者の顔色とかを全く気にする必要が無かった故に 失敗のリスクを恐れることなく、何でも試す事が出来たのだと。 同時代のコンストラクターは、フォードは勿論フェラーリもロータスも一応は自動車メーカーでしたし マクラーレンとかBRM、ブラバムにしても小さいながら一応レースをビジネスとしていた訳で チームオーナーが石油王で、云わばその趣味でやっていたシャパラルは珍しい存在でした。 ですからその規模は決して大きな物ではなく、例えば66年のルマンなど ワークスや準ワークス全て含めて8台もの大量エントリーを敢行したフォードに対し もう一つのアメリカ車シャパラルはたった一台のみといった具合でした。 様々な野心的試みで後のレースカーに大きな影響を残したシャパラル。 歴史上の偉大なレースカーを選定するならば、当然ノミネートされる資格があるのでしょうが 残念な事にこの車、速いけれど小トラブルで壊れる事が多く、肝心の戦績がパッとしないのは弱点でしょう。 開発や試験走行に時間を掛けられなかった小規模チームの限界でしょうが、 規模を大きくすれば、目に見える結果を出さねばならないところも生じ そうなれば車も手堅くまとめざるを得なくなり、シャパラルらしさは失われていたのかも。 その辺は痛し痒しというところでしょうか。
159 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/02(土) 00:44:10 ID:LjrLT0Ya0
>>142 アクティブサスペンションの他にも、いろいろなハイテクが93年限りで禁止されましたよ
160 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/02(土) 00:44:49 ID:LjrLT0Ya0
ABSも93年限りで禁止されましたよ
161 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/02(土) 00:45:29 ID:LjrLT0Ya0
TCSも93年限りで禁止されましたよ
162 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/02(土) 00:46:08 ID:LjrLT0Ya0
4WSも93年限りで禁止されましたよ
163 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/02(土) 00:46:56 ID:LjrLT0Ya0
ちなみに、4WSを採用していたのはベネトンB193Bでしたよ
>>159 メルセデス・ベンツのアクティブサスペンションはABCですね
ABCはアクティブ・ボディ・コントロールの略ですね
>>160 ABSはアンチロック・ブレーキ・システムの略ですね
>>161 TCSはトラクション・コントロール・システムの略ですね
↑ こんなに頑張らないと1000迄行けないらしいっつうのもナンだな・・。
私のせいなんでしょうけど(w
シャパラルの全盛期と同じ時代を走った欧州の代表的なスポーツ・レーシングカーというと、
此処では何度か触れたポルシェの耐久レースカー。特にその代表格917。
F-1に於けるロータスと並び、先進的な機構の数々を次々と投入して他を圧倒したような印象とは裏腹に、
仔細に見て行くと、案外と保守的で手堅い設計の車でもあります。
http://www.diariomotor.com/imagenes/Porsche_917_04.jpg 例えばその最大の特徴であったエンジンは強制空冷水平対向十二気筒。
冷却の難しさ故に吸・排気弁は気筒あたり各一本。
また、それを載せるシャシーは小径多鋼管スペースフレームというモノ。
この車が登場した1969年の時点では、特に時代遅れでもなかったでしょうが
かといって最先端とも言えない設計だったと思います。
後に登場したCAN-AM仕様ではターボ過給という試みで話題になりましたが、
これも決して最先端だったという訳でもなかったという具合。
決して大規模とは言えない自動車メーカー。しかもほぼスポーツカー専業だった頃のポルシェ社ですから
レースでの結果はそれこそ売り上げそのものに直結するものだったでしょうし、
勝利を最優先する為には冒険を避け、手堅い設計を徹底的に煮詰める事が肝要だと判断したのでしょうか。
それにしても、モノコック構造の純レースカーの登場は82年の956まで無く、それもアルミ製。
(この時点でアルミモノコックというのも、時代から遅れてはいなくとも最先端でも無しでしょう)
逆な見方をするならば、新奇をてらって海の物とも山の物ともつかぬ新機構を試す等は一切無し。
手持ちの技術を極限まで磨き上げて全て詰め込んだやり方には“勝利してこそ参加する意義有り”という
プロフェッショナルの凄みを感じます。
そう思うと、空力やシャシー構造に関してはやりたい放題だった(みたいな)シャパラル等は
アマチュア的にも見えるのですが、こちらも勿論“良い意味での”アマチュア的と言って良い筈。
今では考えられないことですがF1初期のころはシートベルトをしていなかったとどこかで聞いたんですが本当だったんですかね? 何せ飛びだしたほうが安全だと・・
170 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/04(月) 23:23:41 ID:GejYx+B00
その頃ってジェットヘルでもOKだったよな
172 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/05(火) 06:11:27 ID:H7YbdJWkO
(ノ^_^)ノ俺もタッカー・トルペードだあーい好き!
ちょうど過渡期を経験しているもので、シートベルトにはちとうるさい私です。 幼いころ家にあった68年式ベレットにはシートベルトがありませんでした。 父がシートベルト嫌いで、69年に運転席シートベルトの装備が義務化されてから 前年の新古車をわざわざ探して購入したそうです。 また、その次の車、76年式ジェミニは固定式の2点式ベルトに巻き取り式の肩ベルトを 金具で固定する方式のセミ3点式でした。これも3点式ベルトが義務化されたための 経過措置だったと聞いています。 ボルボが世界初だったのは3点式で、シートベルトそのものはフォードだかどこかが 戦前に採用したことがあったような…
>>171-173 画像まで有難いですな
みなさんは最近のF1とかよりもレトロな感じの方が好みなんですかね?
175 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/05(火) 20:06:41 ID:H7YbdJWkO
このモットーは 「温故知新」 なんですよ。
>>173 > 父がシートベルト嫌いで、69年に運転席シートベルトの装備が義務化されてから
> 前年の新古車をわざわざ探して購入したそうです。
何故、前年の新古車をわざわざ探して購入したのか理解できませんね。
その方がシートベルト嫌いでしたら、車にシートベルトが装備されていても着用しなければよいだけの事。
尤も、罰則付きで着用義務化された1985年以降でしたら話は別ですが。
>>173 フォード辺りが戦前にシートベルト付きの車を発売していたかもというのは初耳なのですが、
機械的なものはともかく、この手の物の世界初は調べ難いですね。
タッカー、そして“世界初”でちょっと気になったのですが、
計画ではこの車、全輪ディスクブレーキ付きで生産される筈だったとか。
で、1946〜48年にかけて50台弱が作られた生産型も、その通りに作られていたのでしょうか?
だとしたら、定説上の世界初のディスクブレーキ装備車49年型クライスラーに
僅かに先駆けていることになります。
(以前、このスレで“世界初のディスクブレーキ装備はジャガーDタイプベースのロードカー
XKSSではないか”と書いたのは完全な誤りでしたので訂正します)
話はちょっと脱線しますが、このタッカーという車を計画したプレストン・タッカーという方
映画でも描かれたように(アメリカでは決して珍しい広告の手法ではないのでしょうが)
かなり当時の既製のメーカーに対して挑戦的な態度で挑んだようです。
元オーバーン社で経験を積んだエンジニアを擁して実際の設計は行われたそうですがやはり開発は難航、
特に問題だったのはATだったのだとか。
小メーカーが既存の大メーカーから部品供給を受けたり技術供与を受ける事は珍しいことではなく
タッカーもその開発当時には、既にATを実用化済みだったGMからAT供与を受けるなどの選択肢も
有っても良かった筈。実際に昔はそうしてGM製のATを搭載した車って一杯有ったのですから。
しかし、最初に既存の大メーカーに挑戦的な態度をとってしまってはそうもいかなかったのでしょうし
GM側にしても“誰が売ってやるもんか”と来るでしょう。
まぁ、リアエンジンレイアウトという事もあり、既製のエンジンやギアボックスを外部から調達するのは
難しかったかもしれませんけれど。
タッカーさん自身に有ったと言われる山師的な性分がその成功を邪魔した所も
少なからずあったのかも知れません。
試作車ではコード810の電磁制御式トランスアクスルを利用したようですが、だいぶ苦労したようですね。
179 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/06(水) 00:54:10 ID:qJp4VDDG0
きのう、ミツオカ・ガリュー204がデビューしましたよ
180 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/06(水) 00:55:12 ID:qJp4VDDG0
ミツオカ・ガリュー204のベースはトヨタ・カローラアクシオですよ
181 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/06(水) 00:55:57 ID:qJp4VDDG0
ちなみに、ミツオカ・ガリューVのベースはニッサン・フーガですよ
182 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/06(水) 00:56:34 ID:qJp4VDDG0
ミツオカ・ガリューコンバーチブルのベースはフォード・マスタングですよ
183 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/06(水) 01:15:16 ID:qJp4VDDG0
ミツオカ・ガリューUのベースはニッサン・セドリックですよ
184 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/06(水) 01:15:55 ID:qJp4VDDG0
ミツオカ・ガリューTのベースはニッサン・クルーですよ
アメリカのリアエソジソ車と言へば大GM最後の大冒険、 朝鮮、ぃあ挑戦することを恐れなかったアメリカの最後のクルマ、 そしてそのスタイルは多大な影響を与へスタイル形式として名を残した シヴォレー・コーヴェアがあるでせう。 これに関しては既に何度も断片的ながら書ひてきましたのでここではEとして その後生き残ったRR車と言へばドイッチュのVWやポルシェ、 これは生き残った訳ではありませんが、鉄のカーテンの向こうでタトラ等 なんで寒ひとこばっかなんでせうかね? ぃあ、先日の都内雪の日、何を思ったかそれしか無ひらか 911で出歩くヤシを見かけ、なにも雪の中RRでなくともと思ったもので。 まさか厳寒のドイッチュや東欧ではクーラントも凍る、なんつうことはありますまひ。 ならばもっと寒ひとこのSAABだのVOLVOはだうするのでせうか? その雪道考慮したSAABがFF一点張りとか、アクセルは第二のステアリングと主張し 何をやっても弱アンダーの旧VOLVO(FRの頃)は分かります。 しかしドイッチュ(と東欧)にばかりRRが残ったのはぢつに不思議であるます。
>>178 それは初耳ですが、前スレでもちょっと触れたコード810のバキュームサーボ・リモコン式トランスミッション、
あの車の現役当時の批評でも動作がスローで車全体の印象を悪くしていたそうですから
前に置いて駄目だった物は、後ろに置いても駄目だったんでしょうね・・。
さて、エロスパ氏の書かれた事とも重複する所は有りますが。
タッカー車を生み出した(生み出し損ねた?)プレストン・タッカーという方、アメリカのレース界の大物
ハリー・ミラーさんとも近しい間柄だったとか。
(ミラー社にいた事もあると言う話が書かれた本も有りましたが、その辺は不明)
ミラーさんと言えば、前輪駆動車で何度もインディーを制した、アメリカに於ける前輪駆動の権威の一人。
そして、タッカー車を直接設計したエンジニア、アレックス・トレミュリスという人は、昨日も書いたように
オーバーン・コード・デューセンバーグ(ACD)社の出身とか。
ACD社と言えば、20年代にコードL29、30年代にはコード810と前輪駆動を世に問うた会社。
この組み合わせから生まれたタッカー車がリアエンジンというのも不思議と言えば不思議・・。
同時代の先端ファッションを寄せ集めたようなタッカー車ですが、
リアエンジン車が流行するのは欧州でVWやルノー4CVがヒットする、もう少し後のこと。
大体、小型車向きのこのレイアウト。アメリカン・フルサイズに採用するメリットは何処にあったのか?
生産数が少なかった事もあり、タッカー車の試乗記の類は見た事は有りませんけれど、
単純なスウィング・アクスルの後輪懸架と相俟って、結構怖い車になっていたのかも。
こうした大型のリアエンジン車というと、エロスパ氏と同様、私も真っ先に思い浮かぶのはチェコのタトラですが
アメリカ人のプレストン・タッカー氏がチェコのタトラ、ハンス・レドヴィンカさんに影響されたとも思い難いところ。
http://userpages.umbc.edu/~thuff1/images/hTuckerTorpedo.jpg http://farm2.static.flickr.com/1335/583376100_7ef1fc5824.jpg ・・・・まぁ、フロント中央にもライトを配置した三つ目顔という共通点も有ると言えば有る・・か・・。
187 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/07(木) 06:23:34 ID:5QiZoRw1O
タトラに影響されたのは、むしろイソッタ・フラスキーニ8Cモンテローザ(これまた試作車止まり)なのでは? 勿論、メルセデス170Hやポルシェ博士の子供達(NSU流線型実験車やKdFワーゲン)はRRタトラの親類なのでしょうが。
タッカー氏がきわめてすばやく自動車会社を興せたのは、戦時中の爆撃機工場を 安価かつ居抜きで払い下げてもらえたから、だそうです。
>>177 あまり目立たない物の世界初は、ほんと起源がわかりづらいですねぇ。
私の知る範囲では、以下のものが起源かなと。
オプション=ナッシュ・ランブラー(1950)
標準装備=マンツ・ジェット(1952)
190 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/07(木) 23:18:58 ID:5QiZoRw1O
マンツ、カイザー、ハドソン、スチュードベイカー、チェッカー、ランブラー、ナッシュ、ウィリス… 独立系メーカーが健在だった頃のほうが、アメリカの自動車産業じたいにも活力があったのでは?と思います。
191 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/07(木) 23:33:31 ID:55SQmCvg0
トヨタは販売台数世界一の座を逃したそうで… やはりGMは偉大ですな
192 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/08(金) 22:15:44 ID:o2ex96Ra0
きのう、フォースインディアVJM01がデビューしましたよ
193 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/08(金) 22:16:35 ID:o2ex96Ra0
フォースインディアVJM01のエンジンはフェラーリV8ですよ
>>189 う〜ん・・マンツとは意外な伏兵・・。
その辺となると良く知りませんが、
あれ、イギリスあたりでならば“よくあるバックヤードビルダーの一つ”と片付けられてしまうのかも。
つーか、私はその程度にしか思っていませんでした・・。
さて、先日はタトラとタッカーなんて比較をしましたが、そう書いた私自身、タッカーがタトラに影響されたとは
本気で思っている訳ではないのですが、タトラとか流線形リアエンジン車の話は少し前にも出たので
“またかよ”と思われるかも・・ですから、もうちょっと新ネタ仕込んでから改めて・・。
最近、GMとトヨタの生産台数とか販売数の鍔迫り合い(つか、微増のトヨタと勝手にコケたGM? w)
の話が新聞で取り上げられましたけれど、
ミもフタもない言い方すれば、私個人的にはあんまり興味の無い話であります。
前スレで、シボレーの広告イラストなんて話に触れましたが、
車の前に平気でオーナーでもない(らしい)人物を配置したり、その人物にしても車は全く見ていなかったり。
そういう広告を作ることからも、GMという会社は自動車を道具以上には考えていないように思えるのです。
そしてトヨタというのはGMの行き方を見ながら、細かなネガ潰しをして成長した会社であるとも。
そんな両者、車に特に興味の無いアメリカ人が車を買う時に比較する時の感覚は
仮に“カマロとセリカ”または“コルヴェットとスープラ”とを比較して悩むってのなら、
また少し話も違うのかも知れませんけれど、
我々が携帯電話の料金プラン表を見比べる時のそれと大差ないのでは?
それにしても、かつてのGM(を含むアメリカ自動車界)の絶頂期には景気の良いエピソードが一杯有りました。
その多くは「GMのデザイナーは鉛筆を2〜3回削っただけで捨ててしまった」みたいな莫迦げたものですが、
とにかく豊かであった事だけは確かだったようです。
その点、現代のトヨタが景気良くても、誰も豊かになっていないようなのはナンと言うか・・。
195 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/09(土) 02:29:43 ID:99JJB9mR0
>>194 CHEVROLETをシボレーと書くなら、CORVETTEはコルベットと書くべきですよ
196 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/09(土) 02:30:38 ID:99JJB9mR0
>>194 CORVETTEをコルヴェットと書くなら、CHEVROLETはシヴォレーと書くべきですよ
197 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/09(土) 13:41:49 ID:jXBYk2+jO
どうせなら、[コーヴェット]と表記しろよ。
そう言えば前スレでは“シヴォレー”と表記した気がする。
座右の銘“俺以外は固い事言うな”
プレストン・タッカー氏で思い出した事のついで。
この人、第二次大戦中にはかつて前輪駆動のレースカーを製作したウォルター・クリスティーさんの下で
働いていたのだとかって話を読んだ記憶が有ります。
前スレでもちょっと話に出た、アメリカ最初の前輪駆動車を作ったクリスティーさんですが、自動車製造では失敗。
しかし戦車の設計に転じて世界の戦車設計に大きな影響を与え、
第二次大戦中には軽量で航空機による輸送を前提とした戦車の設計開発に従事したとか。
で、その下で働いたタッカー氏もリアエンジンのクリスティー戦車の影響を受けて
リアエンジン車の開発を思い立ったのであろうという話も何処かで読んだ記憶が有りますが・・
・・ちょっとそれはこじつけに過ぎる気がする・・。
で、例によって此処でまた話は脱線して。
このクリスティー前輪駆動車なる代物
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/50ef.jpg?bcODHJIB.lLeUotK 絵でしか見た事は無く、これはこのスレの最初の方で触れたアメリカ人画家
ピーター・ヘルクさんが描かれたものですが、これを見ても何か自動車と言うよりも“恐ろしい機械”のよう。
この絵に描かれているのはダートのオーバルコース向けにコース内側のタイヤをダブルにした
仕様らしいですが、実際、当時も“まるで野獣のような”と評されたとか。
前スレでも書きましたが、横置き型の前輪駆動と言っても、現代のそれとは全く異なり
“クランクシャフトがフロントアクスルを兼ねる”という、つまりはクランク両端に直接タイヤが付くような
恐ろしい設計だったそうです。
約20リッターにも達する巨大なV4エンジンがバネ下重量となっていたのか
それとも前輪は全く懸架装置を持たなかったのか・・?
↑ などと昨日書いてすぐにナンですが・・。 今日、他の車の資料見ていたら、丁度そのクリスティー前輪駆動競争車について触れた文章がみつかり。 それによれば、横置きエンジンの両端と左右ホイールの間にはコーンクラッチが有ったようで、 前輪懸架はスライディングピラーという、前スレでも触れた生産型と同様の仕組みだった様子。 また、前スレで“デフが無ければ曲がらない筈”と書かれた方もおられましたが、 やはりデフは無かったようです。 と、すると。コーナリング中の左右両輪に出来る回転速度差などは、 全てクラッチの滑りで吸収される事を期待したということだったのでしょうか?・・ナンだか凄いなぁ・・。 ところで、このクリスティー前輪駆動車ですが、肝心の競争成績の方はどうだったのか? 細かな事は不明ですが、アメリカではダートのオーバルトラックというこの車の欠点が最も出難い コース形体にも恵まれて、ある程度の成功を収めたようです。 しかし、その勢いで遠征した1907年のフランスGPでは全くまともに走れなかったとか。 それも当然とも思えますが、つか、楕円コース専用という考えで作られたのではなかったという方が驚き(w 巨大な排気量のエンジンを搭載した車が珍しくなかった20世紀初頭のGPカー。 クリスティーが遠征したという1907年のフランスGPを例にとっても、一位になったのは16リッターのフィアット 二位が13リッターのルノーと言った具合。 この年のGPの規則は100kmあたり30リッターの燃料消費率で770kmのレースを走り切るというもの (3.3km/L)で、特に排気量の上限は定めていなかったようです。 そんな中でクリスティー前輪駆動車の20リッターというのは最大のもので、 その為にこの車は“GPレースに出走した車の中では最大の排気量のもの”という記録にもなっているそうです。 これを上回るのは“ネピア・レイルトン”やら“チティ・チティ・バン・バン”など、 航空機エンジンの類を流用した怪物だけでしょうか。 ところで、幾ら減速ギア無し&巨大なホイール使用とは言え、20リッターもの巨大な四気筒エンジン、 最高速度時のピストンスピードはどんな事になっていたものやら。 それも想像するとちょっと凄い話ではないでしょうか。
ウォルター・クリスティーさんの前輪駆動車、恐らくは構造の簡素化を狙った物だったとは思いますが
幾らなんでも無茶なものでしょう。
あれがリッター3km走ったというのもちょっと意外。
公道用では古くから多くの例を見掛ける前輪駆動車ですが、純レースカーとなると意外に少ないようです。
やはり出力あたりの重量が少ない車では急加速の時に駆動輪に荷重が掛かり難いのが欠点なのでしょう。
とりあえず、思い浮かぶのは第二次大戦前のインディーに活躍したミラーFWD車と
やはり同時期のアルヴィスの一連のレースカーくらい。
戦後には一時サーブが前輪駆動のフォーミュラカーを試作した事も有ったそうですが、
やはりアンダーステア傾向が強すぎてモノにならなかったなんて話もあるそうです。
20〜30年代のアメリカレース界に君臨したハリー・ミラーさんという方、
欧州のGPレースにも何度か遠征しているようですが、さすがにコース状況の違いはナンともし難く
三位が最高成績だったとか。
この欧州遠征に使用された車の詳細については不明な所も多いのですが、
ミラーさんは前輪駆動型にのみ固執した方という訳ではなく、後輪駆動型も常に並行して作ったそうなので
恐らくは主にこちらを持ち込んだ物と思われます。
この時期には単座が許されたインディーに対してGPカーには二座が要求されたそうですので
その規則に合わせた改造は勿論されていたのでしょうが。
ハリー・ミラーさんについては昨年のCG6月号にも書かれていますが、
そこで主に取り上げられているのはリアミドシップ4WDという、彼の最晩年の作品でした。
http://www.khulsey.com/makoto_ouchi_miller_indy.jpeg 1938年に基本設計されたこの車、改良を重ねつつ性能は充分に達したものの
レース以前の不運が重なり成績はあがらず、大戦後の46年にはプレストン・タッカー氏に売られて
“タッカー・スペシャル”の名前でインディーに参加したそうです。
リアエンジン車で市場に参入しようとしていたタッカー氏には、最適な宣伝材料に思えたのでしょうか?
201 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/12(火) 06:20:49 ID:N51Prtgr0
きのう、フォード・フォーカスRS WRCが優勝しましたよ
202 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/12(火) 06:21:25 ID:N51Prtgr0
2位もフォード・フォーカスRS WRCでしたよ
203 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/12(火) 06:22:01 ID:N51Prtgr0
3位もフォード・フォーカスRS WRCでしたよ
204 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/12(火) 06:22:35 ID:N51Prtgr0
ちなみに、スズキSX4 WRCは7位でしたよ
206 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/13(水) 00:57:38 ID:5fxTThjDO
確かに、ラリー車にもFF車が多いね。なんでですか。
207 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/13(水) 05:08:25 ID:an3bX0Y/0
208 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/13(水) 05:09:17 ID:an3bX0Y/0
来年は1月3日から18日に開催されますよ
209 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/13(水) 05:09:53 ID:an3bX0Y/0
スタート地点はブエノスアイレスに変更されますよ
210 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/13(水) 05:10:30 ID:an3bX0Y/0
ゴール地点もブエノスアイレスに変更されますよ
211 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/13(水) 05:11:06 ID:an3bX0Y/0
スペシャルステージでアタカマ砂漠を横断しますよ
212 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/13(水) 07:06:37 ID:5fxTThjDO
それでは「パリダカ」を名乗れませんね。 それとも、パリダカの通過国が安全になるまでの措置なんでしょうか。
>>206 こう言うとミもフタもないかも知れませんけれど、
ラリー車って一応はロードカーの形をしていないといけないので、公道用に前輪駆動型が多ければ、
その時代にはそういう車が多くなるのが自然なのでしょう。
そう言えば
>>185 でエロスパ氏が「何も雪の中リアエンジン車に乗らなくとも」と書かれてましたが
昔の雪のモンテカルロラリーなどで、結構ポルシェ911とかアルピーヌ等のリアエンジン車も活躍していました。
結構駆動力掛かるから行けるんでしょうかね??
さて、まだ続くハリー・ミラーさんの話。
そのキャリアの初期にライバルとして彼の前に現れたのはデューセンバーグ兄弟でしたが、
デューセンバーグと言えば、第一次大戦中にブガッティの並列16気筒航空エンジンを製作して
その影響を受けたという話もあります。
そしてそのデューセンバーグと激しく競い合ったミラー車が欧州に遠征し、今度はブガッティに影響を与えたと。
更に付け加えると、経営不振に至ったデューセンバーグ社を吸収したのは例の“コード帝国”
その社主のエレット・ロバン・コード氏はミラー社のスポンサーの一人でもあり。
この辺は、複雑と言うか(考えようによっては単純と言うべきか・・?)意外に世間は狭かったようです。
1923年、ミラー122後輪駆動型の全体
http://historictraderspoint.org/1923%20Miller%20photo.jpg 前輪駆動型ミラー91
http://www.scaleautoworks.com/millerphoto.jpg http://www.scaleautoworks.com/Car&DriverMiller.jpg 上下二本の1/4リーフで吊られたド・ディオンアクスルの様子がよく判ります。
1934年登場のシトローエン“トラクション・アヴァン”以前の前輪駆動型の定石通りにデフが車体前端に有る配置
前輪への荷重は不足気味だったのではないでしょうか?
それにしても、同時代の欧州のGPカーとはまた一味違った格好の良さではあります。
214 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/14(木) 06:05:27 ID:4FcMY8i/0
1月の新車販売台数ランキングの首位はスズキ・ワゴンRでしたよ
215 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/14(木) 06:06:05 ID:4FcMY8i/0
2位はホンダ・フィットでしたよ
216 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/14(木) 06:06:42 ID:4FcMY8i/0
3位はダイハツ・ムーヴでしたよ
217 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/14(木) 06:07:18 ID:4FcMY8i/0
4位はダイハツ・タントでしたよ
218 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/14(木) 06:07:58 ID:4FcMY8i/0
5位はトヨタ・カローラでしたよ
219 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/14(木) 20:22:37 ID:gi80rv6NO
ところで、このスレに居る人って、SCGが休刊してからは、どんな雑誌読んでるんだろう? あと、逝ってる氏(複数人物?)のネタ元はやはり原書か?確かに、車板の中では内容が最も濃厚な書き込みなんだが。一人にしては凄すぎる。
・・以前他スレで、他のコテさんと同一人物の自作自演を疑われたことはありましたが
複数人物説ってのは初めて読んだ・・。
雑誌の話ってのもその内にやりたいのですけど、車板に幾つか有るマスコミ批評スレッドを見ていると
なんだか感情的な八つ当たりになる気もしますので、入り方が難しいかも。
で・・。明らかに“70年代のロータス”とかよりも反応の薄い“20年代のミラー”の話ですが
一応の区切りをつけておきたいのでもうちょっとだけ。
>>213 に有る後輪駆動型のミラー122。
同時代の欧州のGPカー、例えばブガッティT35とかアルファ・ロメオP2とは全く雰囲気が違いますが
それはまず単座であること。それに加えて腰高に見えることも大きいと思います
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/003/881/22/N000/000/000/Bugatti_T35C.jpg http://news-images.caradisiac.com/IMG/jpg/1/3/6/1/0/alfa_romeo_P2.jpg 単座である事と腰高に見えること。これは密接に関係していて、フロントエンジン後輪駆動で単座を作れば
普通はドライバーの着座位置はプロペラシャフトより下には下げられないので
必然的に複座型よりも着座位置は高くなる訳でしょう。
プロペラシャフトの高さっつうのは、大概は後輪の中央高さにあるデフ中心と
出力側とを結んだところにありますからそこで大体の座面高も決まってしまいます。
重心高を下げるにも空気抵抗を少なくするにも、これは不都合でしょうから、
ミラーさんが前輪駆動を試みた理由のひとつに、当然プロペラシャフトの省略と低い姿勢の実現は有った筈。
また、エットーレ・ブガッティさんが単座を認める規則導入以降も複座型に拘った理由の一つも此処にあるのかも。
(一番の理由は形への拘りだと思っていますけど w)
この問題への解決策ってのもいろいろ有って興味深いのですが、
例えばアルファ・ロメオのヴィットリオ・ヤーノさんははティーポBモノポストでギアボックス直後にデフを置き、
そこから二本のシャフトで左右後輪をそれぞれ駆動、ドライバーはその二本のシャフトの間に低く座るという
奇策を用いています。・・さすがは天才技師・・。
>>220 なるほど、アルファロメオのV字型シャフトにどんなエンジニアリング上の必然性が
あったのか疑問だったのですが、そんな理由があったのですね。
227 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/15(金) 14:10:25 ID:sIY1SLuDO
「おまいらが読んで面白かった自動車書籍・雑誌(洋書含む)」とかいう書評ネタとかもあったらいいんだが。 逝ってるさん、どーよ。
書籍や雑誌ネタは現在入手可能か否かって問題が有って難しいかも。
“ネット上で見つけた面白いサイト”みたいな話も含めて、随時募集中。
>>226 まぁ、実はドライバー足元に出力側(デフ)が有り、あの方式では幾らも座面は下げられないのでしょうけどね。
それでもデフがバネ上に固定されるので、バネ下重量の軽減というメリットも有る筈。
もう少しだけ後の時代、最大重量750kgという規則に合わせて生まれたメルセデスW125の透視図ってのが有り
http://www.khulsey.com/inomoto_mercedes-benz_w125_lg.jpeg 低い位置に置かれたプロペラシャフトとデフを結ぶ部分ははっきりしませんが、
恐らく垂直に置かれた短いシャフトがそこに有るのでしょうか。
いずれにしてもドライバーの座面を下げるのは単座FR車では結構苦労する部分のようです。
それにしても、こうした絵を描く方って凄いと思います。
こW125を含む元のページ
http://www.khulsey.com/masters_yoshihiro_inomoto.html この猪本義弘さんという方の作品、こうしてネット上で何枚かを見る事が出来るってのは大サービスでしょう。
ただ、この手のテクニカルイラスト。
“誰が描いた物か”よりも“描かれた車種”に興味が行ってしまうのは、
苦労して描かれた方には大変失礼なのですが仕方ないところ。
その意味に於いて、芸術家というよりは職人さんの仕事と言えるのでしょう。
この猪本義弘さんの作品だけを集めた画集も出てはいるのですが、
取り上げられている車が私の好みから外れる物ばかりなので入手していません。
喉もとに刺さった小骨のように気になっている事の一つではあります。
以前、別の方が描かれたロータスF-1の透視図ってのも有りましたけれど、
好みの車種ばかりでこういうイラストの本が有れば絶対に買うのですけどね。
>>218 > 5位はトヨタ・カローラでしたよ
カローラは常に一番売れている車というイメージがありましたが、近年はそうではないようですね。
>>229 セダンは売れない時代ですからね。
今週はクラウンがフルモデルチェンジしますがどうなることやら?
カローラはフィールダーとかルミオンも足してるんじゃないですか?
ルミオンは海外でサイオン・ブランドでは? あれもカローラなのでしょうかね。
>>230 20年代のレーシング/スポーツカーは速い物への憧れとか衝動を
何も余計な事考えずそのまま形にしたようで真に格好良いと思います。
公道用となると、空力を意識して複雑な形になった30年代の方が私の好みなのですが。
それはともかく、F-1等の構造図あれこれ
http://www.f1es.com/forophp/viewtopic.php?t=2926&sid=16e30de41b921927fcad84cfd8c62cbd メカフェチな方には結構たまらないのでしょうか?
先日も触れたこの手のテクニカルイラストの日本に於ける第一人者猪本義弘さんという方の画集。
近年のレクサスとかアコードなども収録されているようですが、ああいう車の構造図の需要も有るというのは
なんとなく不思議な気がします。(こう言っては差し障りも有るかも知れませんけれど)
まぁ、私が世間一般からずれているのでしょうが・・。
ところで吸気の温度と言えば。
過給エンジンではインタークーラーで冷却して密度を高めるのが常識化しているようですが、
自然吸気エンジンでも温度の低い=密度の高い空気を吸い込んだ方が良いのは当然。
そこで路面近くの熱い空気よりも、少しでも冷えた空気を取り入れる為に取り入れ口を高い位置に置いたのが
70年代前半に流行した大型インダクションポッド
http://fotos.iher.net/76bra26v%20Laffite%20Ligier%20JS5.jpg ・・って理屈だと私はずっと思っていたのですが、事実はどうなのでしょ??
「高い位置に置いた方が効率良くラム圧が得られる」みたいな記事も何処かで読んだ記憶も有りますが
開口部面積を問題にするならともかく、ラム圧と高さとは関係無い気がするのですが。
しかしこれ(画像は当時最も大型のインダクションポッドを持っていたりジェJS7)
格好良いとか悪いとかはナンとも言えませんけれど、妙に好きだという方も多いようで。
リアウィングに当たる気流を乱すというデメリットも莫迦にならないと思うのですが。
235 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/18(月) 06:19:52 ID:Qt95YeZW0
236 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/18(月) 06:20:35 ID:Qt95YeZW0
ちなみに、ワゴンRはスティングレーも合算していますよ
237 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/18(月) 06:21:12 ID:Qt95YeZW0
ムーヴはラテも合算していますよ
今日新型クラウンがデビューしましたよ。 で、歴代のクラウンは良くも悪くも日本的クルマ作りの象徴のように言われますが、 ここの皆さんはクラウンと言うクルマはどのように思われますか? 敢えて、ここの皆さんの最も関心の無さそうなクルマについてお聞きしたいと思い ます。 私個人の感想としては、欲しいとは思わないけど、無くなったら寂しいなーという所で す。
……このスレの二大巨頭なら 「正直、あの手の国産車には興味が湧かないんですよね」 「アテクシはクラウンコの如きオヤジグルマは好かんのです」 という答えが返ってくると思うが。 話はわかる人たちだが趣味の座標位置がモロにNAVIだから回答の予想がつくw 俺とて個人的に乗りたい車ではないが、あれは既に存在すること自体が様式美であって 日本からクラウンがなくなるということは、アメリカからビュイックがなくなる以上に恐ろしいことだと思う
クラウンがなくなったら、不動産屋は何に乗ればいいんだ? 「『高そうに見えるけどたいしたことないんですよ』と言いながら本当は結構高い」という 微妙な格付けは、日本社会を知り尽くした企業にしかできない芸当だとは思う。
>正直、あの手の国産車には興味が湧かないんですよね 全くその通りです。その通りなのですがクラウソの意味はさういふところでは無ひのです。 先代となったゼロ・クラウソ、あれだうでした? クラウソがクラウソで無くなってましたね。 無くなってはゐなひにしても無くさうといふ意思ははっきり見へました。 それは間違ひです。クラウソは欧州車の後追ひをしてはいけなひ。 それはセルシオやレクサスのすべきことであって、純国内向けの閉じた世界観は捨ててはいけなひ。 戦後の国産自動車黎明期に間違ったアメ車を間違って理解してスタートしたクラウソ、 ブワンブワンでダヨンダヨンが良ひ乗り心地と、 何処踏んでるか分からんハンドリングが軽く扱い易ひハンドリングと主張し それは確かにアテクシや逝ってる師のやうな欧州車至上主義の価値観とは相容れなひものであるにせよ、 そしてそれが間違った理解からスタートしてゐるものであったにせよ それらを磨き上げてきたのがトヨタではなかったのでせうか? その主張が多くの国内ドライヴァーの意識を形作ってきたのではありませんか? 例へ誤った価値観であっても、それを極め磨き上げ、 世間から外れた閉じた世界観の中でもきちんと整合性を与へれば、 それは個性・主張、そして哲学となるのです。 かつてのアルファ・ロメオがさうであったやうに。 日和るなトヨタ、自らの蒔ひた種を信ぢて突き進め。何を刈り取ろうとも。 と書ひて気が付きました、日和ることこそがトヨタの真髄であった、と。w
>>238 NAVIは読んでいませんし、家には小型のトヨタ車も有りますが(w)クラウンって、
「輸入車に乗ると商売相手のところに行き辛い。安い車では世間体も良くないし、ケチに見られそう」
って思うような小企業主の人が、無難な線を狙って乗る車みたいな気がしています。
つか、私の回りには意外とそういう方が多いのです。
ですから“クラウンだけが選択肢としないで済む自由な立場でいたい”という思いが先に来てしまうので
クラウンそのものを色眼鏡抜きで見る事は難しいのです。
ちょっと話は戻って。
第二次大戦前にはミラーやデューセンバーグ等のアメリカ車が欧州遠征をしていますが
目立つ成績というと1923年のフランスGPに於けるデューセンバーグ(ドライバーもアメリカ人ジミー・マーフィー)
くらいのもので、全体的には精彩を欠きます。
第二次大戦後には、50年代始めにブリッグス・カニングハム(カニンガム Cunningham)が
アメリカ製エンジンを積んだスポーツカーでのルマン制覇を目指して活躍しましたが、
残念ながら54年の3位が最高位に終わりました。
その後50年代終わりにはランス・リヴェントロウのスカラブ(Scarab)
60年代にはダン・ガーニーのイーグル(Eagle-Anglo American Racers)70年代にはパーネリ(Parnelli)といった
アメリカのコンストラクターがF-1に挑戦していますが、イーグルが1勝を挙げたのみ。
スポーツカーレースではシャパラルが60年代に2勝した他、フォードがGT40で大活躍しましたが
これは車そのものはイギリス主導と見る事も出来、自動車王国だったアメリカとしては
やや物足りない成績だと思われます。
アメリカ最高峰のレース、インディー500での欧州勢の活躍と比較して見ると尚更の事。
何でも“アメリカで一番なら世界でも一番”と思いたがる(みたいな)アメリカ人には、
これはさぞ面白くないかと言うとそうでもないらしく。
彼等は“アメリカのレースこそ最高なのだから、欧州勢も遠征して来る。こっちからローカル(欧州)に
遠征してやる必要などない”と思っている節が有るのだとか。・・ホントか?
私個人の場合、クラウンで連想するのはこういうものかな。
ttp://www.ne.jp/asahi/no/va/mikawa/asuke/nis05_3033.jpg 他の地区、氏子に負けぬよう、より華やかに、より飾り立てる。
奉納のために参道を進む都合上、大きくすることはできないし
伝統を破壊するデザインもできない。かくして細部は過剰となり
全体(プロポーション)は滑稽に向かう。
他者から「どう見られるか」を気に掛け、他者より「一回り華美」を求め、
そして「過剰なまでのディティール」を与えることにこだわる。
そういう視点からは、クラウンはやはり日本的だと思う。
今回の新型は、旧型ゼロクラでクラウンらしくないと評された素っ気無さ、
あっさりさの部分にこってりと脂身が乗っけられてるね。
・・エロスパ氏の書き込みとか見て思った。 エロスパ氏は車の話で、先ず車そのものを見て考え、 私はその車を設計した人とか乗る人について考える。 前後の流れにはあんまり気を使わない勝手さは似たような物(w
245 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/19(火) 06:45:47 ID:hG3UgNAB0
きのう、トヨタ・クラウンハイブリッドがデビューしましたよ
246 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/19(火) 06:46:40 ID:hG3UgNAB0
クラウンハイブリッドの10・15モード燃費は15.8km/Lですよ
247 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/19(火) 06:47:19 ID:hG3UgNAB0
クラウンハイブリッドのJC08モード燃費は14.0km/Lですよ
248 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/19(火) 20:48:36 ID:OUdKpr8lO
最近、50年のデザインに先祖還りしたようなクラウン?がありますよね。 300Cのレトロの影響でしょうか?
最近w
>>248 トヨタ・オリジン(だっけ?)の事?あれはスバル・ヴィヴィオビストロ辺りの影響ではないかと・・。
今日、昼間クラウン所有の知人に「良い車ですね」と、ごく普通に言って見たらなんとも複雑な顔をされました。
クラウンオーナーってのも意外にいろいろとあるみたいで、
アレが本当に良いと思って乗っているという訳でもない方もいるみたいです。
・・つーか、ねぇ・・。一日の終わりに考えることとして、クラウンってのはワクワク感が無いんですよね。
こう言ってしまえば「結局興味無いんじゃないか」って言われそうですけど。
クラウンの話とかって、車そのものよりも、どうしても車の持つ意味とかに行く気がするのです。
で、昨日の話の続き。
アメリカから欧州に遠征したコンストラクターの多くは裕福な個人の趣味が高じた物
(カニングハムやスカラブ、シャパラル等)
または資金不足に苦しみながらの試み(イーグルやパーネリ等)
フォードをバックにつけてコブラを武器にフェラーリに挑んだシェルビー・アメリカンを除けば
どれも規模としては決して大きい物ではなかったようです。
それも結局はアメリカ人が他所にあんまり興味を抱かなかった事の現われでしょうか。
また、アメリカで最も人気が高いと言われる現代のNASCARにつながるストックカーレースとなると
あまりに特殊で他からの遠征はままならないことも影響が有ったのかも知れません。
アメリカ人からすれば、インディーなどのフォーミュラカーやレーシング・スポーツカーレースは
遠征組が活躍する事もあっても“ホンモノの最高峰”は飽くまでストックカーの激しい競争だったと。
そう言えば、昔の日本。まだスポーツカーらしきものが作られる前。
セダン型の車の中でも大きいクラスのそれを“ストックカーレース”とアメリカ調に呼び開催していましたが
クラウン・セドリック・デボネアにベレルといった地味な車種にカタカナでスポンサー名が書かれた車のレース、
激しいその内容とは裏腹に人気はあまり無かったみたいでした。
タクシー同士の競争見ているみたいだったのか・・不人気だったのも判る気がする・・。
自営業者や中小企業の社長が下手にドイツ製高級車を買うと税務署に目を付けられやすいが、 クラウンだとそのリスクは低くなる、とも言いますな。
ストックカー競走に類する欧州レースと言へばツーリングカー選手権でせう。 どちらも市販車風味のクルマが走る。 しかし現在のNASCARは皮だけ市販車風味で中身は別物。 それはBTCCではなくDTM(デーテーエムねw)のやうなものでありますな。 市販車ベースのBTCCとガワだけ155だったりCクラスだったり、 でも中身は鋼管スペースフレームの専用シャシに専用エソジソのDTM。 アテクシ、基本的にストラダーレとコルサ・スペチャーレの境目みたひなのつうか 両方股にかけたGTA(本物、つまりジュリアGTA)とかTZとかF40のやうなのは まだ嫌ひではありませんが、完全にコルサ・スペチャーレになりきってしまふと だうも興味が失せます。ロードゴーイングの出来なひクルマには興味が涌かなひ。 だからF1にもぢつはあまり興味が涌かなひのです。それよりまだCカーのはうがE。 理由は若干なりともストラダーレ寄りに感ぢるからでせう。 さりとて単なるツルシのクルマのレースっつうのも微妙なとこですが。 それと、逝ってる師の仰る通りで、思へばF1っつなドライヴァー勝負の側面が大きひ。 Cカーレースはよりクルマ勝負の側面が大きく、 その辺も人間より機械そのものに惹かれるアテクシ好みなの鴨知れません。
253 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/20(水) 06:24:50 ID:oWh7ka9x0
クラウンハイブリッドの車両重量は1840kgですよ
254 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/20(水) 06:25:59 ID:oWh7ka9x0
ちなみに、エンジンの最高出力は296psですよ
255 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/20(水) 06:26:37 ID:oWh7ka9x0
モーターの最高出力は200psですよ
256 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/20(水) 06:27:16 ID:oWh7ka9x0
エンジンの最大トルクは37.5kgmですよ
257 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/20(水) 06:28:06 ID:oWh7ka9x0
モーターの最大トルクは28.0kgmですよ
別の板で、「なぜ第二次大戦中のアメリカは優秀な魚雷艇を生産できたのか?」という 疑問に対し、「禁酒法時代の密輸船で培った、軽量高出力艇の技術が民間転用(?) できたから」という回答がありました。 その中で、「陸上にも同様の需要があり、その名残がストックカーレースである」 とのオマケがついていましたが、このあたりどうなんでしょう?
259 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/20(水) 19:57:02 ID:GDa32G6wO
クライスラーHEMIエンジンのルーツとか、コーヴェット育ての親ダントフの来歴とか、アウトローな匂いがしますね。
成る程ねぇ・・。禁酒法時代に速い車を必要としたギャング達に ストックカーレースのルーツの一端が有る。・・みたいなことでしょうか。 その時代のアメリカの世相の話ってのは面白そうですが、エロスパ氏などはそのハンドルネームだけで “通報しました”ってされてしまうのでしょうかね(w 近代のアメリカ・ストックカーとか70年代のシルエットフォーミュラ、エロスパ氏も触れられたDTM等 ガワだけ市販車に似せた純レースカーという代物、古今のレースカーを比較してあれこれという時には ナンとも扱いに困る物であります。ポルシェ935のように独立した名前を持っていればまた別なのですが。 丁度先日アメリカのストックカーレース開幕戦でトヨタ・カムリが3位入賞なんてニュースも有りましたが あの手のレース、予備知識も無い私如きが見ると一体何が面白いのかサッパリだったりします。 延々と直線が続くようなオーバルコースなど、それがアメリカの公道を模した物に近いと言われても 実際にアメリカに行った事も無い私には感覚的に理解出来ていませんし。 それは恐らく私に限った事ではなく、アメリカでは幾らアレが最も人気が有ると言われても 他の国ではあのような形体で成功を収めているレースはほぼ皆無でしょう。 考えてみれば地域性の強いスポーツってのは結構有るモノで アメフトとかイギリスのクリケット。日本の大相撲。 逆に日本では不人気で知名度も低くても、盛んな国が多いってのもあり、 代表的なのが競馬のトロットレース(繋駕速歩競走)とか。 グローバル化の名の下に、F-1だけが頂点になってしまうのは、幾らF-1が好きな人でも楽しくないでしょう。 また、TV中継で様々なレースが見られるようになるのは大変結構なのですが 全てのレースが“TVサイズ”になってしまい、中継が困難で見るほうも大変な長距離耐久レースが 廃れてしまうのは残念な事だと思います。 地域に密着した、歴史のあるレースは可能な限り元の形を保っていて欲しいもの。
車の改良発展という見地からは、まさに1894年のパリ・ルーアントライアル、 そして伝説の1895年のパリ・ボルドーレースのような長距離公道レース・ラリーこそが 自動車競技の本道だと思うんですよね。 もちろん、ハイスピードでの公道競技は非常な危険を伴いますから、容易でないことは理解できます。 その点では市販車をベースとしたラリー競技が、 自動車競技の中でももっとも現実的な技術開発の実地試験じゃないかと感じます。 競技用車両と実用車との間の技術的乖離は、年々激しくなるばかりですね。
263 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/21(木) 06:06:39 ID:3KPL6qNL0
今年のジュネーブモーターショーは3月4日から16日に開催されますよ
264 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/21(木) 06:07:25 ID:3KPL6qNL0
モーガン・ライフカーコンセプトがデビューしますよ
265 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/21(木) 06:08:05 ID:3KPL6qNL0
ルノー・コレオスもデビューしますよ
266 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/21(木) 06:08:42 ID:3KPL6qNL0
ボルボXC60もデビューしますよ
267 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/21(木) 06:09:17 ID:3KPL6qNL0
トヨタiQもデビューしますよ
昨日書き込んだ後で思ったのですが、アメリカのレースってストックカーレースの由来も示すように
競技者主導型なんでしょうね。
欧州のレースもそうでしょうが、更にその色が濃く、先日書いたアメリカからの欧州遠征組が皆小規模で
(巨大企業フォードを除く)資金には苦労したのも、そうした事の表れかも。
日本のように、まず入れ物(レース企画)が先に出来、小規模なコンストラクターが育ち難い環境にいると、
草レースから大イベント化した欧米のレースの成り立ちは真の意味では理解し難いところかも。
>>262 最後まで生き残った公道レースというと、70年代まで続いたタルガ・フローリオでしょうが
都市間公道レースの名残りを残すものとしては57年まで続いたミッレ・ミリアになるのでしょうか。
その他では、以前このスレでもちょっと触れた事のある54年迄存在した(主に)メキシコを舞台とした
“カレラ・パナメリカーナ”とか。
こうした公道を用いた都市間レース。
如何にも面白そうではありますが、死人が出てしまっては洒落にならないので休止も仕方ないのでしょう。
観客をコース上から遠ざけるのにも一苦労するようですし。
また、現代ヒストリックイベントの形で行われている復刻版ミッレ・ミリアとか“ラ・カレラ”などの
参加車の画像等いろいろと見ても(特に“Carrera Panamericana”)
如何にも“良い子は普段に真似をしないでね”の世界でもあります。
・・もっとも、そこが良いのですけれど・・(w
大体、くるまオタクなんて人種は“良い子”の成れの果てな訳が無いのであって、
何時でも何かしら自分に対する言い訳捜しては、自ら頭のネジを吹っ飛ばそうとしているものでもあります。
“都市間公道レース”とは、なんと甘美な響きの言葉でありましょうか(w
ぢつはアテクシ、ハンドルに対して正直忸怩たる物があり ここ数年来づーっと考へてゐるのです。 っつな、ぢつはアテクシ医者に飲酒止められ数年になるのです。 結石で倒れ、それがきっかけでアレコレ体がガタガタになってる事実が発覚し 先日など胃カメラ飲む羽目に。昨年末辺りから年に数度のごく軽ひ飲酒で胃が痛み 股、昨年の人間犬のバリウム飲みで胃に影が見つかりこらアカン、と。 まぁ悪性のものでは無いとのことでしたが、肝臓といひ腎臓といひ 多分アテクシ、既に一生分の酒を飲み尽くしてしまったのだらうか、と思ふのです。w Prohibition era、”アンタッチャブル”のエリオット・ネスの実像が これ股呆れたことにほとんどアル厨wに近かったらすぃのです。 なんでProhibition eraにアル中になれたのか?www 公道ボーソー、ま、高速とサーキット、 通勤とラリーの区別が付ひてなひと言はれるアテクシですが 思へば今の復刻1,000マイルだってつくづく良くやるなぁと本当に感心します。 1,600`でっせ、1,600`走り詰め、こら現代の快適なクルマでだって充分キツひです。 ましてや当時のレーサーでこの距離走り詰めってな相当に肉体も酷使するでせう。 確かにこれはヌポォシと言はざるを得ますまひ。 かつて、戦前は超高級なヌポォシカァとレーサー、 そして同様に超高級なツアラーばかり作ってゐたアルファ・ロメオ。 今、アテクシ金額度外視するなら最も欲しひ種類のクルマは、 このところのクルマ使用パターンから 都市間高速を快適にボーソー可能な超高速ツアラー、それも2座でEんです、 2座で2人分の荷物の載る超高速GTが欲しひかなぁ、としばしば思ひます。 ガリガリのピュア・ヌポォシでなく本来の意味のグラン・トゥアラーがEなぁ。
>>263 アルファロメオ・アルファ8Cスパイダーもデビューしますね
ロールスロイス・ファントムクーペもデビューしますね
トヨタ・アーバンクルーザーもデビューしますね
フィアット500アバルトもデビューしますね
プジョー308SWもデビューしますね
そんなエロ先生にはアストンマーチン。胸毛は必須の方向で。
アストン。アストンとかジャギュアとかおベンシとかってなアテクシの乗るモノではありません。 これらに乗ることが許されるのは”をぢさま”といふ人種です。 まぁ手の出るものではないにせよアストンはアテクシ一目も二目も置ひております、 例へジャギュアの使ひ回しにせよ、です。 多分アテクシ、英国車といふものはだうにも似合はんでせう、 アテクシ一目も二目も置く英国車は幾つもあります。が、それらからアテクシが降りてきたら、 アテクシが乗り込んだら、やはり異様つうかw若干なりとも奇妙でせうな。 しかも、アテクシチチ毛はありますが胸毛はありません。チチ毛良枝。 それにアテクシ、決してチョゐ不良(ワル)をやぢではありません、 一部には甘ひ物も好きつうことから極悪人といふ説もあり(過去スレ参照)、 一方、自分では”チョゐエロをやぢ””チョゐバカをやぢ”と認識しております。 が、それもかーちゃんに言わせりゃ認識不足、大エロをやぢの大馬鹿をやぢださう。 決してダンディwなをぢさまでも色気のあるチョゐワルをやぢでもなひ、 単なるげふぃんで見境の無ひ変態をやぢ、 そんなアテクシにはギタギタと脂っこくネトネトとエロ臭ひ、 スレスレげふぃんなアルファ・ロメオしか選択の余地は無ひのでせう。
その8Cも大変に興味を持って見ております。所詮マゼラーティの使ひ回し、 確かにさうです。さうですが、 ---------------ここから今日の本題------------------------ 先ほど挙げたアストン、所詮ジャギュアのコンポーネンツ寄せ集めに色を付けた これも8C同様事実さうと言へばさうです。以前の、数年前までのアテクシなら この一言でばっさり切って捨ててゐたでせう。 しかし、このところ、あれ?!と思ふことがありまして、クルマっつな分からんもんだな、と。 この頃、ここ数年来、だうも同ぢコンポーネンツを使って全く別のクルマを作る方法が 確立しつつあるやうに見受けられるのです。 例としてローヴァー75とMG-ZT、言ふまでもなくマークUとクレスタだのチェイサーだの式かと ナメておったのですが、だうも乗り比べた人から聞くと75は良き時代のベンシに酷似、 ZTはまるでBMWそのものなのださうです。まぁ元がFFのBMWとして開発され Zアクスルも持つこのシャシ、BMWそのものつうのは理解出来ます。 しかし、そのコンポーネンツを丸々使ひ、或る意味BMWとは対極の、 飛ばせば意外とチョロチョロする(曲がるクルマはどれもチョロチョロするもんです) BMWとは対極的な乗り味のベンシをだうやって表現したのか?、と。
その秘密はアテクシにも分かりませんが、まぁブッシュの容量を変へバランスを変へ パワステの容量を変へバネレートを変へ、場合によってはバネの長さを変へ それを圧縮して使ったりとかあるの鴨知れませんし、だういふ手を使ってゐるのか。 しかし、何かさういふ”作り分け”のノウハウを昨今の一部のメイクは手にしたやうに思へるのです。 FIATもさうです、プントとイプシロンは全く別のクルマです。 156とテジスはショッキングな程違ひます。 げふぃんな、ぃあ古来wアルファの独特のアジリティを何とか表現しやうと 合成食品添加物で本来の食品の味を出さうと苦慮した跡が見へ見への156が 見事な”をぢさま”の乗るモノに、 ”仕立ての良ひ、趣味の良ひ”ランチャの世界観に支配されてゐるのです。 これがあるから昨今の”作り分け”されたクルマは決めてかかれなひ。 「アストン? 昔のDBならともかくジャギュアにイートン製SCかぃ」 「8C、だうせマゼラーティだもん、カーブでアクセル踏んだらどっかに吹っ飛ぶんだろ」 とは言へなくなってゐるのです。
この萌芽は、思へば多分アテクシ体験してきました。うちの115ヌパイダは93年製、 つまり最後の最後の105系生き残りにして最後の最後の115型です。 この115系ヌパ、出た当初は全く別のクルマ、とまでは行きませんが 相当違ふハンドリングの困った物件でした。 105系ヌパの長い歴史上初めてパワステが付ひたのですが、 これのセッティングが芳しくなかった。本来チンチュラート、 つまりバイアスとラジアルの過渡期のタイヤを想定して設計された足に 現代のショルダーの張ったタイヤが着くことによる操舵感の致命的な欠陥、 それを誤魔化す為に採用されたパワステは軽くすることが本来目的では無ひのです。 舵角にして45度付近でタイヤの踏面が捩れることにより一瞬ステアリングの手応へが無くなり その直後ドシンと強ひ反力を感ぢる、それを消す為のパワステなのです。 これが90〜91年頃のはあたかもトヨタあたりのやうに軽ひだけでスカスカだった。 アテクシが探した最終年頃にはそれが修正され、かなりインフォメーションが増へ センタリング感も明らかになってゐました。 もちろん、丸ひショルダー用シャシに扁平タイヤ履く弊害はそのまま残り 微舵の感応性にやや乏しく、不慣れな人は真っ直ぐ走らすさへ困難つうのは 変へやうもありませんが。 しかし、同一車種で僅か2年かそこらでこれだけ変へられる、 それも明らかに付け焼刃でこれだけ変へられる、それは”作り分け”のヒントに充分でせう。 良ひ方向のみならず、例へばアルフェッタの初期と後期、 北米市場用に過度にコンプライアンス・ステアを重視した変更で アルファらしいアジリティを失った、といふのも反面教師的経験になったでせう。 と言ふのはシャシ使ひ回しの後釜75(こっちはalfa75ねw)は 200`でも矢のやうに(と言ひつつやっぱり少しチョロチョロするんですが)直進し、 且つ、ES30で表現された”ザ・ハンドリングマシン”のコーナリングを併せ持ってゐます。 こんなのを経験してゐると、だうもクルマつう物件は相当に、それは昨今殊更に 意図した”作り分け”のノウハウを蓄積、実践出来る段階に来てるやうに思へるのです。
重箱ですが156〜リブラ,166〜テシスでは。
アッー!っと。w こら失礼! ↑その通りですた。
>>269 近年の復刻版ミッレ・ミリアに於いて、参加者の間で最も人気の高いのはメルセデスの300SLだそうです。
ホンモノのミッレ・ミリアに出場した車の中では最も新しい組に属し、レースカーというよりは
グランド・トゥアラー的性格の強い車であることから、ドライバーへの負担が少ないのがその理由とか。
スタンゲリーニとかアバルトの豆スポーツ等も、見る者からは大変魅力的ではありますが
1600kmをそれで走るとなるとさすがに辛いのでしょう。
さて、作り分けの話は大変興味深いのですが、自ら経験した物というとそんなに多くは無く
限られた範囲でしか話せませんが。
私に最も身近なシトローエンが今は皆プジョーをベースにしていることは皆周知の事実。
しかし、これが乗ってみると意外に違います。気のせいもあるのかもしれませんけど、違う車と思わせる。
特に以前本国でレンタカーで借りた当時の最小モデルはそれぞれ500〜800kmを乗ったのですから
単に気のせいという事もないでしょう。
アチラのメーカーは、それなりの規模にあってもモデル数は少なく、ブランド毎のイメージも確立している事から
バッジだけ違う車を作っていてはブランドそのものの先行きも危ない。
ブランドイメージとは異なる、他社のバッジ変えだけの車は作れないのでしょう。
ところがこれがトヨタとなると、バッジエンジニアリングの車は本当にバッジしか違わない。
それで当たり前という風潮が出来ているように思えます。
それらは選ばれる意味を特に持たない車としか、偏屈な私の目には映りません。
そういう車を買う人は、私等とは車に求める物が異なるのでしょうか?
しかし便利に使える事は私のような偏屈者でも当然求めるのであり、それだけで善しとは出来ないから
あれこれと思うのであります。
もっとも、そうした車でも実際に乗ってみるとあれこれと考えさせられるモノではありますが、
「これに大枚を投じる意味は一体何処に有や・・」「この新奇な機構は現実の役に立つのか?」
等と考えながら走らせる。何と消極的な味わい方ではありましょうか。
トヨタに限らず、バッジエンジニアリングは本来、拡販戦略のための物ですよね。 「実用品に過ぎない、個性の弱いモデルを少数開発し、複数のチャンネルで販売しやすくして、全体の売上を伸ばす」 ための商略でしかない。 「バッジエンジニアリングの対象になるようなクルマを売る事なんて、でかいビジネスの一環に過ぎないんですよ」 ってことでしょうね。 製品の水準は実用品としてのレベルに達していれば、後は名前なんかどうでもいい。 BMCもひどいもので、凡庸なオースチンA55系のバッジとグリルだけ変えて、モーリスもMGもライレーも作ってました。 モーリスはともかく、ほかは内装がちょっと豪華でもあれではひどい。 元の出来がいいADO16系なんかはしっかりチューニングも施してあって、まだ許せましたが。 名門ブランドの名までも凡作車の使い回しに流用したBMCに比べれば、 マークU系3兄弟を展開していたトヨタなんか可愛い物です(あの会社に節操を期待すべきでない)。 チェイサーやクレスタなんて、名前に重みがないからそんな事大視する車ではない。 (イギリス車もどきの「マークU」とか、ヴォクスホールで先例のある名前の「クレスタ」などのネーミングは感心しないけど) だから、 >アチラのメーカーは、それなりの規模にあってもモデル数は少なく、ブランド毎のイメージも確立している事から >バッジだけ違う車を作っていてはブランドそのものの先行きも危ない。 という逝ってるさんの視点は正しいでしょうね。意識して作り分ける努力をしている。 手抜きに陥ったBMCはあんなになっちゃいました。素晴らしいブランド群を粗末にして、ローバーの名を失墜させて…… この前、旧型のコロナを運転して、以前運転した同時期のカローラとそっくり同じ乗り味・操作感だったんで 「ああ、同じ会社の実用車で300cc排気量が違うだけだと、ボディサイズ以外何の違いもないのね」と変に感心しました。
>>282 > ブランドイメージとは異なる、他社のバッジ変えだけの車は作れないのでしょう。
近年のPSAは必ずしもそうではないようです。
例えば、シトロエンC1とプジョー107ですが、これらはトヨタ・アイゴと何ら変わりない車です。
また、シトロエンCクロッサーとプジョー4007ですが、これらは三菱アウトランダーそのものです。
こんな車作りを続けていると、PSAの先行きも危ないかも知れませんね。
いっときツトローエソとぷぅが接近し杉て、 どっちのクルマだか(つかはっきり言ってどれもぷぅ) 分からんやうな事態になったことがありました。それなりにツトローエソらすぃのは クサンティアと残存XMだけっつな事態。あの時の危機感をPSAは忘れたのでせうか? そのぷぅだって505や604の頃と205以降はクルマの方向性が明らかに隔絶してゐますし。
>>283 他でも書いた事ですが、トヨタが目指すのは電力会社とかガス会社のように、
無意識の内に使われる会社なのかも。
その為に必要なのは“ただの消費者”向きの“商品”なのでしょう。
決して悪い意味だけではなく、作っているのは“自動車ではなく、トヨタ車”
>>284-285 安価なモデルってのは何処でも車に左程の興味も無い人が顧客の中心であり、
高額なモデル程、味に拘る意味は薄いのかも知れませんが。C1と107とアイゴ。乗った訳ではないのですが、
試乗記の類など見ると意外に作り分けがされているようです。
車本体の部分の違いは限られた物で、内外装が中心なのかも知れませんけど
買う側にすれば、どれを買うかと選ぶ意味は残されているみたいです。
アウトランダーのOEM車は興味も無いので全く情報を得ていませんが、あの手のニッチモデル、
買う方も「三菱車をシトローエンディーラー通して買う」という割り切りが有ればいいのでしょうか。
さて、ちょっと本筋に戻るというのか脇道に逸れるのか、よく判らないところではありますが。
欧州に挑戦したアメリカのレーシングカー・コンストラクターの話の続き。
(こういう話の方が、やってて面白いのです w)
F-1では成功したとは言えなくとも、その経験からかインディーカーにDFX(DFVの2.65リッターターボ版)を
最初に持ち込んでオッフェンハウザーエンジンを過去の物とするきっかけを作ったパーネリとか
50年代初頭にアメリカ製大排気量エンジンを用いたスポーツカーを作り、
後の多くのスポーツカーに影響を与えたカニングハム(カニンガム)等もそれぞれ面白い所は有りますが
私が興味を惹かれるのは、エンジンまで自製した車でGPへ挑戦した、
ランス・リヴェントロウのスカラブであり、ダン・ガーニーのイーグルであります。
http://www.ultimatecarpage.com/images/large/118-3.jpg これは最近撮られたイーグル・ウェスレイクV12の写真のようですが、
車名ともなったアメリカの国鳥(正確にはハクトウワシ=ボールドイーグル)の嘴に似せたフロントエンド
こうしたデザイン上のお遊びも楽しい、同時代のロータス49などとはまた異なる美し差を持つ車であります。
思へば”哀号〜”っつなヤですな。www
エロ先生にアストンマーチンをお薦めするのは、かの車が意外に「野蛮」だと聞いたから。 一般的に英国人、それもエスタブリッシュメントになればなるほど「紳士」の仮面で 内なる野生を押さえ込むのに必死なのだとか。 そして時々ガス抜きの必要が生じると、スポーツカーをすっ飛ばしたり、ボクシングや ラグビーに興じたり、極地を探検してみたりと、制御された野蛮を身近におかないと 彼らはおかしくなってしまうのです。 そして、「野蛮な英国紳士」の典型と言えば例の海軍少佐(胸毛付き)でありましょう。
ぇえ、アテクシ英国の野蛮さ、英国車の野蛮さは良く存ぢております。 大体ね、女王様を頂き、ヌポォシっつな雨が降らうと槍が降らうと泥んこ遊びかたがた。 アテクシの出トーホグではラグビーが盛んで、授業でもさんざやりましたが これが股ひとさまの顔踏んづけても前進する。w モールとかラックと称して単なる袋叩きのフルボッコ。w なるほど紳士のヌポォシ。w だう考へてもドM、そしてSとMはコインの裏表であるます。 同時に野蛮と勇敢も紙一重であるます。かつて某コテ氏がMGの軽ヌポォシを ”勇敢なハンドリング”と評しました。ぢつに良く分かる。 股、レインジローヴァーのあのインターフェイス感、感触もある種野蛮です。 トラに至ってはバンカラ。アテクシ出身校が股バンカラの極みでして まぁ確かにアテクシ少なからづ野蛮です。 野蛮で暴力的でかーちゃんにもしばしば叱られます。w すっとシッポ巻ひてキューキュー縮み上がる訳ですが。w 運転は言いたかありませんが、若干認めたくはありませんが基本喧嘩腰です。w それでも随分大人しくなったつもりなんですが。w なら英車ドンピシャかと言ふとそこが股困ったもんで、 野蛮ぢんがドーメル生地のピンストライプのスーツに身を包み 身を慎み紳士に化ける、 それがアテクシには出来なひのです。基本的に野蛮シダルマ、 ユーラシアの西の果ての島国でフーリガンなら 東の果てではフーリチンになって大暴れすべきと主張する(ぃあ只今も実践してますw) そんなアテクシがロンドンシチーwに巣食ふ株屋の番頭のやうな格好が出来るでせうか?
確かにローラ・アシュレイのヴィクトリアン調御ドレス(かつての大穴ファッソンみたいの)を着せて着エロ、 それはなかなかに好ましひナイスプレイです、そんなプレイ用御ドレスも仕入れたりしてます。w しかし、自分はやっぱりフーリチンがEのです。w 英国ファッソンは、スタイルは性的なものを、野蛮さと同様韜晦するものであるます。 押し込められた欲望つうのもなかなかに淫靡で宜しひ、しかしアテクシの好みの基本は 過剰なまでにケヴァケヴァ香水の匂ひプソプソのえっちぃおねぃたま・マダムであるます。 をぢゃうさまも良ひですがこれはやはり副食とかデセール、ドルチェであるまして セコンド・ピアットではなひ。デジュネには良くともディネにはもの足りなひ。w さう、英国車にはこの”身も蓋も無ひ性の匂ひ”が希薄であるます。 そこなんだなぁ。 アルファ・ロメオの意外なところは、ぢつはこれ、妙なところで物凄く洗練されてゐます。 ことに旧ひクルマ(FIAT以前)で顕著なハンドリングやスロットル開度と挙動のマナーとか。 野蛮・勇敢紙一重の英車と決定的に違ふのはここなんですな。 これがげふぃんな性の匂ひを撒き散らしながらも首の皮一枚で安物娼婦ではなく 扇情的な御ドレスを纏った貴婦人に踏み止まれるスレスレのエレガンスなのです。 アテクシはそんな女性を前に、黒ひタキシードで自らは背景となり存在感を消し 視姦しながらトラウザースの前を突っぱらかして後で思ひ出しオナPコくよか やっぱフーリチンでハァハァしたひのです。w 思ひ出しオナも嫌ひぢゃ無ひけどね。w
ちなみにガス抜き、アテクシガスはところ構はづ垂れ膜る上に このところ内蔵が悪ひのか加齢に因るものか激しく臭ひ。 寝屁をこひてあまりの臭さに叱られたり布団から蹴り出されることも。w 我慢は体に良くありませんぞ。w
英国のスポーツと言うと、以前にも触れた(それこそ英国だけでしかやっていないらしい)四輪車のトライアル競技
ラグビーにしてもそうですが、泥臭いというよりも泥遊びそのもの。
英国製スポーツカーには、格好の良さの中にも一服の泥臭さが隠し味にあるようで、
以前にもそれを“ダサカッコイイ”なんて表現しましたが、そこが好き嫌いの別れるところかも。
エロスパ氏は”身も蓋も無ひ性の匂ひ”が希薄と書かれましたが、
もしも性の匂いがあるとすれば、それはやはり実直に男性的なるものであり、
エロスパ氏や私が身に着けたいと願うものとは、やや方向性が異なるものでしょう。
(私もまた、ボンド氏よりもルパンに惹かれる者であります w)
>>287 そう言えばアイゴって何語でどんな意味なんでしょうね??
あのチェコ生産車、小さい外形だけの事はあって、中は日本の軽自動車並みか多少マシな程度らしいのですが
欧州の中でも巨人族のチェコ人には狭くないのでしょうか?
日本人も食生活が豊かになった近代には体格がかなり変化して、平均身長も伸びたそうですが
その理屈で言うならば、チェコ人辺りの食生活は、その収入に比べてかなり豊かなのか、
若しくはこの先に生活が更なる改善を見て、dでもない巨人族になってしまうのか?
そうなったら、それこそ小型車には体が収まらないという事態になりそうな気がします。
閑話休題、そしてまた閑話。
元々空間に余裕の無い純レースカーではドライバーが規格外の巨漢だったりするとかなり問題であり
その為、190cm近い長身者だったダン・ガーニーさんなどは結構苦労も有ったようで、
車高の低いフォードGTマークUの運転席側ルーフには、ガーニー・バンプと称する膨らみが有って
彼のヘルメットをクリアさせていたり。
小柄なドライバー、最近では佐藤琢磨氏(164cm程)と、ダン・ガーニーさんのような長身の方が
チームメイトにでもなったなら、デザイナーの方も苦労される事でしょう。
78年のロータス、やや小柄なマリオ・アンドレッティと大柄なロニー・ペテルソンの組み合わせもそれに近く
二人の車はロールバーの高さが異なるなど、見た目でどちら用のセッティングなのかが判ったそうです。
293 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/26(火) 06:11:32 ID:+KniS4dd0
きのう、マイバッハ・ランドレーがデビューしましたよ
294 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/26(火) 06:13:14 ID:+KniS4dd0
エンジンは6.0リッターV12ターボですよ
295 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/26(火) 06:14:16 ID:+KniS4dd0
最高出力は612psですよ
296 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/26(火) 06:14:54 ID:+KniS4dd0
ベースは62Sですよ
297 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/26(火) 06:15:32 ID:+KniS4dd0
価格は90万ユーロですよ
298 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/26(火) 20:10:52 ID:SOtTv8GP0
PF先生がお亡くなりになられたとか・・・
91才でしたか・・。 コンクール等の華やかな席上で微笑む姿があれ程サマになる方も他にいなかったでしょう。 もうそんな写真も見られなくなるのかと思うと淋しい限りではあります。
301 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/27(水) 06:27:33 ID:s4KzNLvC0
今年のジュネーブモーターショーでミニ・ジョンクーパーワークスがデビューしますよ
302 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/27(水) 06:28:04 ID:s4KzNLvC0
エンジンは1.6リッター直4ターボですよ
303 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/27(水) 06:28:39 ID:s4KzNLvC0
最高出力は211psですよ
304 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/27(水) 06:29:14 ID:s4KzNLvC0
最大トルクは26.5kgmですよ
305 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/27(水) 06:29:51 ID:s4KzNLvC0
最高速度は238km/hですよ
ダン・ガーニーさんと彼のAARの話。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%AB_ (F1)
イーグルに関してはこちらにも書かれていますので、一部重複する所も有りますが
AAR、アメリカ国内で活動する時には“All American Racers”であり、欧州F-1で活動した時には
“Anglo American Racers”と名乗っていたようです。
英国のハリー・ウェスレイクさんの開発したエンジンを使用していた関係からでしょうか。
このハリー・ウェスレイクさんという方はあまり良く知らないのですが、
戦前にはジャガーSS100、戦後もオースティンのエンジン設計などで活躍された技術者だったとか。
1967年にウェスレイクエンジン搭載車はデビューした訳ですが、この年はロータス49によって
コスワースDFVが登場した年でもあります。
つまり3リッター規定の2年目、どのチームも新たなパワーユニットを求めてあれこれと試行していた時であり
ダン・ガーニーさんもまた、ロータスのチャップマン氏と同様に
新型エンジンで他に差をつけようと考えたのでしょう。
しかし、ウェスレイクエンジン信頼性は低く、その点ではDFVにはかなり劣った模様。
ウェスレイクエンジンの信頼性の低かった理由などはWikipediaに詳しく書かれていますが、
DFV開発にあたり、実業家の面も持つチャップマン氏が英国フォードから資金を引き出すというような事を
飽くまでレーサーであったダン・ガーニーさんは行えなかったというのが根底に有るのではないでしょうか。
資金の問題はAARに付き纏っていたようで。
大きなスポンサーも無く、自前のエンジンで戦うには莫大な費用が必要とされたでしょうが
いよいよそれも底をつくと、ダン・ガーニーさんはアメリカ国内で
“AARに資金を”とナショナリズムに訴えたキャンペーンを行ったとか。
しかし、F-1GPそのものに関心が薄いアメリカ人達には「何故欧州へ遠征するのか?」が理解されず、
ガーニーさんの挑戦も此処に終焉を迎えることとなったそうです。
ダン・ガーニーさんという方、レースでも駆け引きという事を考えずに常に全力で疾走するタイプだったそうで
そうした真っ直ぐさが此処では仇になったのでしょうか。
>>301 ランボルギ ーニ・ガヤルドLP560-4もデビューしますね
エンジンは5.2リッターV10ですね
最高出力は560psですね
マセラティ・グラントゥーリズモSもデビューしますね
エンジンは4.7リッターV8ですね
最高出力は440psですね
PF先生が亡くなられたか・・・ 憚られるとは言え、小林御大も昨年の体調不良によるコラム休載も考えると どうなっていくのかなぁ・・・などと考えてしまった。 SCGも休刊になったし、今年はいくない事が起きるなぁ
>>313 SCG、休刊の直接の理由とは違うのかも知れませんが、
牧野さんがお亡くなりになったことは二玄社にとって大きな痛手だったでしょう。
しかし、今更ながら。
PF先生は大往生と言っても良いでしょうが、
その半分も生きることなく亡くなられた方を思う無念は、言い表す言葉も見つかりません。
例によって勝手に続けるダン・ガーニーさんとAARの話。
ダン・ガーニーさんとハリー・ウェスレイクさんの結びつきというのはF-1用3リッターV12に限った物ではなく。
アメリカフォード本社が手を引いた後の1968〜69年にジョン・ワイアーチームが水色とオレンジの
ガルフ・カラーで走らせたフォードGT40のシリンダーヘッドにも、ガーニー・ウェスレイクヘッドと呼ばれる
アルミヘッドが使われる等の成果を挙げています。
フォードと言えば67年ルマンでGT-MkWが優勝した時のドライバーが他ならぬダン・ガーニーさんと
AJ・フォイトさんでしたし、その縁は浅からぬ物が有るようです。
また、60年代フォードがモータースポーツに積極的に関与した時、アメリカ国内では当然の如く
インディー500制覇が目標の一つとなりましたが、それにあたってフォード製エンジンを積むシャシーを作り
実戦部隊も担当したのがコリン・チャップマン氏のロータスでしたが
その両者を引き合わせる手引きをしたのもダン・ガーニーさんだったとされています。
このように、ロータス/チャップマン氏と比べてもフォードとのパイプは決して細くはなかったガーニーさんですから
仮に当時の彼がもっと世渡り上手であったならば、
シリンダーヘッドに楕円のフォードのエンブレムが付けられたのはコスワースDFV-V8ではなく
ウェスレイクV12であった可能性も有ったのではないでしょうか?
とは言え。当時フォードがDFVに出資する条件の一つにアメリカ車のエンジンを連想させる
V8の基本レイアウトを要求したなんて俗説も有り。
それが本当ならば、やはりウェスレイクV12では駄目だったのかも知れませんけど。
315 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/29(金) 06:08:20 ID:MmG+epBC0
あした、3月1日はCGの誕生日ですよ
316 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/29(金) 06:08:50 ID:MmG+epBC0
CGは1962年の創刊ですよ
317 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/29(金) 06:09:22 ID:MmG+epBC0
CGは今年で満45歳になりますよ
318 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/29(金) 06:09:54 ID:MmG+epBC0
満45歳の記念別冊が出ますよ
319 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/02/29(金) 06:10:35 ID:MmG+epBC0
記念別冊のタイトルはCG45+ですよ
ダン・ガーニーさんの話の続き 元々は“All American Racers”なんてナショナリズム溢れる名前のチームを立ち上げたように、 F-1GPに於いても純アメリカ製マシーンに拘るのが理想だったのかも知れません。 ところが英国のハリー・ウェスレイクエンジンを採用し“Anglo American Racers”としたのは 主に欧州の各国を転戦するGPの世界では、アメリカ製エンジンを搭載した場合には メンテナンスに不安有りと考えた為でしょうか。 この67年当時、アメリカ製の純レーシングエンジンというとインディー500で有名なオッフェンハウザーの名前が 真っ先に挙げられます。 ところが、このオッフェンハウザーエンジン。30年代のハリー・ミラーさんの設計の流れを汲むという かなり年季の入った代物でした。 当然、改良は重ねられてインディーでは無敵を続けていた訳ですが、 60年代後半ともなるとターボで武装して使用される事が殆ど。4気筒のコンパクトさや簡潔さは魅力であっても F-1のエンジンには向かないと判断されたのでしょう。 60年にはオッフェンハウザーを生んだエンジニアの一人でもあったレオ・グーセン氏が設計したエンジンを積む スカラブがF-1に挑戦したものの、惨憺たる結果しか残せなかったことも、ガーニーさんの頭にはあったのかも。 他ではアメリカ製のレーシングエンジンと言えば、シヴォレーのスモールブロック等 大排気量公道用生産車の流れを汲むものが殆ど。 シャパラルやGT40が参加したスポーツカー耐久レースならばともかく、F-1GPには全く無縁の物。 欧米双方の純レーシングエンジンの様相を肌で知るダン・ガーニーさんでしたから、 アメリカ製への拘りは有っても、此処は英国エンジニアに託した方が得策という判断が有ったのかも知れません。 そうした推理が正しいか否かはともかく。アメリカ製のレーシングエンジンはスポーツカーレースでは 72〜73年にはCAN-AMポルシェ917ターボに完敗。そしてオッフェンハウザーエンジンも70年代半ば以降は コスワースDFVのインディー版DFXに駆逐されてしまった事を思うとき。 ウェスレイクエンジンそのものはガーニーさんの期待に応えられませんでしたが、 ガーニーさんが欧州のエンジニアにエンジン製作を依頼したこと自体は正しい判断だったと思えるのです。
今月のCG、PF先生のコラムと訃報が一緒に載ってる・・・(´Д⊂グスン
>>321 お亡くなりになるその時までジャーナリストであり続けられた。
立派な方だったという事の証でありましょう。
PF先生と言えば思い浮かぶのがポルシェ911。
そのデビュー以来、歴代の代表的なモデルの殆どに乗られて多くの記事を書かれ、
また実際に何冊もの本に文章を提供されている訳ですが。
異例の長寿モデル、ポルシェ911も、最初に発表されたのはPF先生40代半ば過ぎのことであり、
それ以前にF-1GP参戦やルマン制覇などの偉業を成し遂げられていた事を思うと
先生の数多い業績の中では911の変遷を追いかけたことすらもほんの一部。
改めてPF先生が比類の無い存在であった事と感じられます。
さて、もうちょっとダン・ガーニーさんとウェスレイクV12の話。
カール・ルドヴィクセンという方の書かれた“勝利のエンジン50選”って本が有り、
ウェスレイクV12もその中で解説されています。
この本、大変良書では有るのですが、ちょっと高いので気軽にオススメはし難いところもあります。
まぁ、メカ音痴な私なりにその解説を読んで感じた事を言うと、このウェスレイクV12というエンジン、
気筒辺り4バルブ。吸排気弁は狭い角度のV字に配置されて吸・排気効率を高めると同時に
コンパクトな燃焼室を実現している所など、現代の目で見るなら同時代のF-1用12気筒としては、
フェラーリやホンダのV-12と比較しても先進的な設計であったように思えます。
重量が嵩んだことや出力が期待された値に届かなかったことなどは、開発に充分な手間やお金を掛けられない
小規模な製作者の限界だったのでしょうか。
車全体を見れば、イーグルって車は大変良い方向を見ていたように感じられます。
惜しむらくはチームを切り盛りする役目の人材には恵まれなかったことでしょうか。
果たしてダン・ガーニーさんがドライバーを引退し、チームの運営に専念するようになってからは
AARはアメリカ国内で大成功を収めたのでありました。
狭角DOHC、うちの75が狭角+2プラグ、ヌパは通常のものです。 額面上かたや148PS、一方は130PSと若干(補機類の増加で食はれてヌパ120PSとも表記あり) ツインスパークのパワーが増してゐることになってますが・・・、 確かにトップエンドの伸びはTSの勝ち、つかボッとしてると瞬時にリミッター当たります。w が、全体としてツキはヌパのはうがE、ギアリングもあるでせうが何故か20PS前後少なく 100kg程重ひヌパのはうがツキ良く前に出るのです。 狭角DOHCは燃焼室形状を小さく出来、そこに2プラグで高速燃焼可能、 しかもエミッションにも良ひ、と当時のアルファ・ロメオは表明してゐました。 が、狭角だと吸気・排気のマニホールドからポートまでの曲率が大きくなりがちで 給排気効率にはマイナス要因、そこでその部分をストレートにすると エソジソ自体の背が高くなります。ヌパでTSが採用されなかったのはそれでせう。
DOHCエンジンのバルブ挟み角一つを取っても流行とか技術進歩とかは結構有るようで。 以前このスレでもちょっと話に出たように、史上初のDOHCエンジンは1912年のプジョーGPカーに 積まれた物だそうですが、ちょっと気になってそのエンジンについて調べてみたら このエンジンのバルブ挟み角は60度程だったそうです。 それが第一次大戦を挟んで現れた1922年のフィアット804(GPカー)では90度くらい。 フィアットからアルファ・ロメオへと移籍したヴィットリオ・ヤーノさん設計による アルファ・ロメオP2(1923年)では104度と更に広がり、37年のティーポCまでこの形は続いたとか。 話を60年代後半頃に戻すと、英国製の純レース用エンジンであるウェスレイクV12やコスワースDFVでは 30度程かなり狭いのですが、同時期のフェラーリV12やホンダV12は数値は不明ながら カム間吸気レイアウトを採用していた事からも想像出来るように、挟み角はかなり広かったようです。 フェラーリの場合は特に3リッターF-1規定導入当初は気筒辺り2バルブだったのが 思わぬパワー不足に起因する苦戦から3バルブ化→4バルブ化と迷走した様子が有り、 この辺も英国勢と比べるとやや時代遅れであった感が有ります。 もっとも、この頃にはイタリア産業界には労働争議の嵐が有ったそうで、設計陣の責任かどうかは 判らないところも有りますが。 とにかくこのフェラーリV12エンジン、広い角度で吸排気弁が対峙する気筒辺り2バルブという66年当時の設計 第一次大戦直後のフィアットにまで遡るイタリアンツインカムの伝統を受け継いでいたのでしょうか? 果たして4バルブ化された頃には挟み角はかなり狭く設計し直され、カムカバーも一体化して かなり近代化されたようですが、それでもやっと出力はDFVに追いついた程度だったとか。 つまり重い分だけ戦闘力は低かったまま。フェラーリF-1が第一線に返り咲くのは結局のところ 70年の312B型エンジンの登場を待たねばならなかったようです。 しかし、この時期のフェラーリやホンダが採用していたカム間吸気というレイアウト。 幾ら吸排気弁間が広かったと言ってもプラグは中央に置くのが常ですから 結構配置は苦しかったと思うのですが、そういう問題は無かったのでしょうかね??
325 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/04(火) 01:02:50 ID:fkq8xHL20
きのう、シトロエンC4 WRCが優勝しましたよ
326 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/04(火) 01:03:19 ID:fkq8xHL20
2位はスバル・インプレッサWRCでしたよ
327 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/04(火) 01:03:48 ID:fkq8xHL20
3位はフォード・フォーカスRS WRCでしたよ
328 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/04(火) 01:04:10 ID:fkq8xHL20
ちなみに、スズキSX4 WRCはリタイアでしたよ
カム間吸気の狙ひは、アテクシ前述しましたやうに給排気ポートの曲率、屈折の問題と思ひます。 例へば狭角のクロスフローで、ヘッド横にマニホールド付けたら ヘッド内のポート部がバルブ付近で大きく曲がり、或ひは屈折しその抵抗で 給排気の流速が落ちます。 出来得ることならバルブヘッドに対して直角(つか垂直?)にポートを付けたひのですが ステム、エンドを通しここを打って駆動せねばならんのでさうは行きません。 で、若干なりとも角度つける訳ですが、極力真っ直ぐにしたひが為に カム間から突っ込んだのではなひでせうか? プラグ? 整備性さへ考へなければプラグなんざ電線1本ですって。w
それと、フェラーリの場合、意外とあそこは保守的なところがあり まぁ、ラテン車一般にありがちなことですが新奇な機構に飛びつくより 経験と蓄積のある機構をギリギリまで煮詰めて使ふ場合があるやに思へます。 フェラーリはDOHCの採用自体結構遅めでしたし、 4バルブには熱分布の不均等に因る破損等の問題があった鴨知れません。 燃焼室内の温度は当然不均一で、中心部ほど高く周辺部は低ひ。 4バルブの場合、燃焼室に対するバルブヘッドの面積が2(3)バルブより大きくなり (バルブ1本自体は小さくなっても、2本の総面積は大きくなる) バルブヘッドの燃焼室の中心に近ひ側は高温に、周辺寄りは温度が低くなります。 この為バルブヘッドが変形したり破損したりっつなことがあったのでは無ひでせうか?
まぁF-1等純レーシングエンジンの場合、吸気側は単なるラッパみたいなものですから曲率も何も無いでしょうが。 確かにバルブ挟み角が広めの場合はカム間吸気の方が吸気抵抗は少なくなりそうには思えます。 さて“ラテン車一般にありがちなことですが新奇な機構に飛びつくより〜” そう言えばフェラーリよりも更にDOHCの採用に慎重だったのは(車の性格も有りますが)プジョー。 史上初のDOHCエンジン車を走らせた会社。 もっとも、プジョーの1912年のGPカー。プジョー製と考えるよりもプジョーが出資者となり 技術屋集団に作らせた車と考えるべき節もあるようで。そういう意味では後の時代の フォードの名前を冠したコスワースDFVにも共通する所があるのかも知れません。 まぁ、それはともかくレース用としては世界で最も早くDOHCを採用していながらも 公道用としては恐らく(私の記憶では)80年代末に登場した405MI16(及びシトローエンBX16バルブ)まで プジョーにはDOHCエンジン搭載車は無かった筈。(特異なモデルの205ターボ16は一応除く) 余談ですけどこの車、プジョーの方は結局乗る機会無く終わりましたが、 シトローエンBX16バルブの方は乗った瞬間にそれまでのシトローエンとのイメージとの違いに驚きました。 あのサイズとしては軽量なボディーとも相俟って、矢鱈と威勢良く“ぶん回る”エンジン。 つい面白くてアクセル“踏んづける”うちにdでもない速度になる車(w ラテン車の場合、一般的にハイスペックなエンジンの採用には慎重だった理由としては 買う側の方が、我々日本人程スペックへの拘りを持っていない事も有るのでは? ・・つーか、日本人程スペックへの拘りがやたらに強い国民も他にいないのかも。 軽自動車でもDOHCが珍しくなくなった今では奇妙な感じですら有りますが、 ちょっと昔まではボディーに“ツインカム”とか“16バルブ”とか大書してある車って結構有って 馬力稼ぐのに大排気量化する事を軽蔑する風潮すら存在したような気がします。 自動車の運転にに興味を持つような年齢になった頃には、既に実用車でもDOHCが珍しくなくなった世代。 大体まぁ、今の30代前半とかそれより若い人には、そうしたスペックへの拘りって有るのでしょうか??
バルブ挟み角が広いのは、バルブ径を大きく取れるからうれしー!とおもったから。 でもね、燃焼室の面積がおっきくなると、うれしくないってわかったからすたれんよ。 トップフィードは、単なる流行だったみたい。
ぃあ、ファンネルとか吸気管ではなく、シリンダヘッドの各マニホールド取り付け部から ヘッドの中通ってバルブヘッドに至るシリンダヘッド内の管(wまどろっこしひ説明だな)です。 もっと簡単に言ふとバルブヘッド付近の形状ですな、屈折を問題にしてるのは。 DOHCの採用に慎重だったのはポルシェも然りであるますた。 ベンシなんか二転三転してOHC3バルブにしてみたりDOHC4バルブにしてみたりコロコロ。 そのたんびに言ふこと違ふし。w 一方、我がwアルファ・ロメオにとってはエソジソ=DOHC。 なにもバッジ付けたり横っ腹に大書きしたりしてひけらかすまでもなく 当たり前のことでした。w まぁアテクシもご多分に漏れづ、あの珠玉のV6も実際に経験するまでは 「なんでこんな変てこなOHCなんだよ、DOHCぢゃなきゃアルファ・エンジンぢゃねえ」 なんぞとdでもなひことを思ってゐましたが。w 今となってはトップエンドにあまりに比重が置かれ杉たかにも思へる末期のDOHCより ザガートだの164の頃の3リッターOHCの濃密さが良かったやうに思へるのです。
334 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/05(水) 06:21:42 ID:AF8eTy9d0
きのう、アウディQ7 V12TDIクワトロがデビューしましたよ
335 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/05(水) 06:22:07 ID:AF8eTy9d0
エンジンは6.0リッターV12ターボですよ
336 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/05(水) 06:22:30 ID:AF8eTy9d0
最高出力は500psですよ
337 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/05(水) 06:22:54 ID:AF8eTy9d0
最大トルクは102.0kgmですよ
338 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/05(水) 06:23:15 ID:AF8eTy9d0
最高速度250km/hですよ
>>333 ・・あ、なるほど・・。
ところで
>>332 さんが書かれた事とも重複しますが、バルブ挟み角が広いDOHCってのにも利点は有り
フィアットやらアルファ・ロメオの戦前のGPカーエンジン等の場合は最初から過給を前提にしていますから
圧縮比は異常燃焼を防ぐ為に低め。
圧縮比が低ければ燃焼室はコンパクトにしようも無く、狭い角度でバルブを配置するメリットよりも
バルブ径を大きくとれるメリットを選ぶのもアリなのでしょうか。
また、昔のエンジンは回転も上がらず、トルク重視でロングストロークな傾向が強くボアは小さめ。
小さなボアなら燃焼室は自然に小さくもなりますし。
さて、スペックへの拘りが特別に強いのが日本人であるならば。
有るのか無いのか判らないのがアメリカ人でしょう。
NASCARナンかは未だにプッシュロッドを持つOHVでなければならないなんて規則が有るようですし
どうも彼らはプッシュロッドそのものがお好きな様子(w
エンジンのみならず、サスペンションにしても後輪は非独立式の懸架方式の方が好きみたいですし
その辺は保守的と言うか守旧派と言うべきなのか。
そうしたアメリカ人の感覚は我々日本人には理解し難いものでありますが、
以前にも書いたことがあるように、元々日本の自動車文化なる物はアメリカ車によりもたらされたもので
競争競技も最初はオーバルトラックを用いたアメリカ流から始まっている訳ですが、
今やその事を知る人も少なく、多摩川河川敷に残る競技場跡地にもそうと知らせる立て札の一つも無し。
元々“小よく大を制す”みたいなのを好む傾向にあった日本人ですから、アメリカ車が衰退して
欧州的なる物へ嗜好が移るのは自然であったのでしょうか。舞の海vs曙。
流行した漫画などでも、小排気量の非力な車を駆る主人公が大出力にモノを言わせるライバルを
超人的な技量でねじ伏せるというのが一つのパターン化しているようですし。
340 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/06(木) 05:55:29 ID:2dnZ/KhW0
きのう、トヨタiQがデビューしましたよ
341 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/06(木) 05:56:21 ID:2dnZ/KhW0
全長は2985mmですよ
342 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/06(木) 05:56:50 ID:2dnZ/KhW0
全幅は1680mmですよ
343 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/06(木) 05:57:12 ID:2dnZ/KhW0
全高は1500mmですよ
344 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/06(木) 05:57:35 ID:2dnZ/KhW0
ホイールベースは2000mmですよ
>小排気量の非力な車を駆る主人公が大出力にモノを言わせるライバルを >超人的な技量でねじ伏せる タッジョ・ヌヴォラーリでせうか。w ぃあ実際まさにこの通りの事態があったが為に伝説・神話は語り継がれてゐる訳で。 Mantovano volante、天駆けるマントヴァびと。 ヌヴォラーリの魂を宿すアルファ糊の端くれとしてアテクシも 汁かけるフェチ神として画像スキャン投稿にいそしんでおります。w ところで”多摩川河川敷”といふとアテクシ即連想するのは かの有名な”TD4”であるます。まぁ昨年来かなり再開発が進んでおりますが。 それこそ昔は”三業地”なんぞと言はれた場所もあったといふ多摩川敷、 不法占拠チョソブラ、三業地などと同居するレース場ってのが 日本での当時のレースの社会的なポジションを示してゐるやにも思へます。 もひとつところでw、 件の8Cですが、ありゃ困った物件ですな。 トランクと思ったとこはほぼ全て燃料タンク、セレと思った変速機はトルコンATらすぃ。 こらあきまへん。アテクシだうにもあの流体継ぎ手っつ物件の感触が嫌ひなのです。 それと8Cベルリネッタではシート後部に物置きがありますが 8Cヌパイダではロールバーを付ける都合上、シート直後までボディーが来てます。 となると物置き、最低限2人分の2〜3日分の荷物を載せたひこっちとしては こらGTとしては使へんつう判断せねばなりません。 うちのヌパイダだって2人と2人で2〜3日分のラゲージは楽々載るのですが。
>>345 その書き方だと河川敷に三業地が有ったと誤解されそうな・・(w
勿論、そんな事は無く三業地が存在したのは河川敷多摩川スピードウェイ跡から徒歩数分の
新丸子駅周辺です(ローカルな話 w)
興味が有る方は、GoogleなりYahooなりで地図検索してみてください。
東急東横線新丸子駅北北東500m程のところ、東横線線路のすぐ北側「多摩川グラウンド」と表記された辺りに
戦前、ブラッティT35やMG-K3マグネットといったレーシングカーがフォードV8改造レーサーやら
町工場のスペシャルと競った史跡が存在します。
地図上にも現場にも全くそうした表記は無く、ただ石造りの“グランドスタンド跡”が残るのみ。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__sr_/40dd.jpg?bcYmqRIBsvbC82nx 以前にも貼った、東横線車中から撮ったその場所の写真ですがこの写真を撮った日、
新丸子駅周辺に以前見た記憶の有った“三業地”の小さな看板を捜したものの見つけられず。
そうした歴史は失われていくだけなのかと、少し考えさせられたりもして・・。
しかし、三業地と言っても多摩川挟んだ対岸近くには多摩川園遊園地も有った訳で、
別に大人だけの遊び場という訳でも無かった筈。
・・と思って一応多摩川園について検索してみたらWikipediaには
“戦前の一時期は東横映画(東映の前身企業の一つ)に経営が移管され、ヘルスセンター然とした内容となり、
どちらかと言えば子供向けよりは大人の遊園地の趣があったという”
等と書かれていました・・。やはり大人の遊び場だったのか・・
ちょっと車とはあんまり関係の無いローカルな話に脱線しましたので、
カム間吸気のツインカムエンジンの話のついでをちょっと。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/ed0f.jpg?bcYmqRIBRoIcF5B1 67年イタリアGPに優勝したホンダRA300のエンジン。
こうして改めて見ると。カム間吸気でバンク角内排気というのは
モノコックエンドからサブフレーム伸ばしてエンジンを支持するのには都合が良さそうに思えます。
そうした事もこのレイアウトを採用した理由の一つだったのでしょうか。
348 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/07(金) 04:46:46 ID:Lqo+jPLS0
2月の新車販売台数ランキングの首位はスズキ・ワゴンRでしたよ
349 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/07(金) 04:47:11 ID:Lqo+jPLS0
2位はダイハツ・ムーヴでしたよ
350 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/07(金) 04:47:35 ID:Lqo+jPLS0
3位はホンダ・フィットでしたよ
351 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/07(金) 04:47:58 ID:Lqo+jPLS0
4位はダイハツ・タントでしたよ
352 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/07(金) 04:48:23 ID:Lqo+jPLS0
5位はトヨタ・カローラでしたよ
・・芸者遊びには興味も無いですし、恐らくこの先一生機会は無いでしょうが、 やってみたいと思います??芸者さんあげてのどんちゃん騒ぎとか・・。 かつて、多摩川スピードウェイのレースで好成績あげた人達などは、 その晩玉川三業地で大騒ぎとかやったのでしょうかね?? 殆ど資料らしい資料も残っていない、多摩川スピードウェイのレースですが 小回りなオーバルトラックというアメリカスタイルということもあって、 欧州から持ち込まれた生粋のスポーツ・レーシングカーは思わぬ苦戦を強いられたとか。 ギア比が全く合わないので全く力が発揮出来ない上に、簡易舗装のアスファルトが真夏の暑さに溶け出し 大排気量低速型のアメリカ車改造レーサーにまんまとしてやられるなどの屈辱も経験させられたそうです。 「まさか、こんな筈では・・」と、その頃にアメリカから欧州へ遠征したハリー・ミラーさん等とは 逆と言えば逆。同じと言えば同じ(どっちだ w)事を思わされたことでしょう。 ところで。アルファ・ロメオに乗って活躍したレーシング・ドライバーと言えば 誰もが(?)真っ先にその名前を挙げるのは、やはり昨日エロスパ氏も書かれているヌヴォラーリでしょうか。 昔のレースには興味が無い人ならばDTMで活躍したA・ナンニーニ(ナニーニ?)とかニコラ・ラリーニあたり。 またはニーノ・ヴァッカレラかアルトゥーロ・メルツァリオ・・? 私の場合、以前古本屋で入手したCG誌のバックナンバー(71年8月号)で伝記を読んだ アキッレ・ヴァルツィに、ヌヴォラーリにも劣らない興味が有ります。 ヌヴォラーリの有名なエピソードで1930年ミッレ・ミリアの夜間ステージに於いて、 先行車に気付かれぬようにライトを消したまま抜き去り優勝したというのが有りますが、 その時の抜き去られたドライバーがこのヴァルツィ。 ヌヴォラーリと比較しても、その成績は決して劣るものではないのですが、 常に表情を変えなかったという人柄そのままに華々しいエピソードに欠ける為か 現代での知名度はやや劣るようですが 私はどうも、こうした無口で低いテンションの人に惹かれる傾向が有るみたいです。 道理で芸者さんあげての大騒ぎには興味持てない筈(w
アテクシ、げふぃんなドソチャソ騒ぎは大好きですので。w
さて、レーシング・アルファのドライヴァーとへば、
さうですなぁ、アテクシ的にはアスカリ(せがれ)はフェラーリのイメージだし、
ファンジョもベンシとかマゼラーティだし。
やはりここは女性F1ドライヴァーとして現在まで唯1人ポイント保持、
欧州ツーリングカー選手権でGTV6による優勝のレッラ・ロンバルディあたりでせうか。
DTM(デーテーエムねw)のナンニーニ、彼の実家は老舗の洋菓子屋
(そらイターリャに和菓子屋は、さうはありますまひw)であることは知られた通り、
日本にもカフヱやらトラットリーアとして上陸しております。
http://www.grupponannini.it/ 英語ページは看板だけwですので
なを、だうも日本では”ナンニーニ”とイターリャ語式表記をすると
アレッサンドロの姉貴のジャンナ(歌手)を指すやうです。
http://www.giannanannini.com/
数年前に洒落で禁酒したことも有り、宴会は嫌いな私。 ですが、そこはやはり付き合いってモノもあって出席しない訳には行かない時も有り。 “宴席最中は物静かにしているのに、終わると暴れる”という奇妙な評判を頂いておりますが 勿論そんな筈は無し(と、思うのだけどなぁ・・) まぁ、そんな事はどうでも良い(なら書くなって w) 熱心なフェラーリのファンであれば、恐らく“最もフェラーリF-1が似合ったドライバー”と言えば 最も多くの勝利を勝ち取ったM・シューマッハよりもG・ヴィルニューブの名前を挙げるのではないでしょうか。 そのGPキャリアの多くをフェラーリで過し、激しいドライビングで多くの人を魅了した彼は チーム低迷期を支えた功績以上の人気が有るようです。 また勝利以上に大事な物が有ると、あえて戦力の劣るロブ・ウォーカーチームから参戦した “無冠の帝王”S・モスや、既製一流チームのエースに納まらずAARを結成したD・ガーニー等も 残した成績以上の評価が与えられていると思われます。 自動車レースに限らず競技イベントってのはそれ自体がお祭りみたいな物ですから、 その中で中心となる役割を担う競技者とは、文字通りの“花形選手”であるに越した事は無く 実力と共に“華のある”事が求められます。 華がある人は実績も一割から二割は上乗せして見て貰えるようですし、またその価値が有るのでしょう。 一方では無口で真面目そうな人も求道者の趣を感じさせるのか、それも人気の素になる事も有りますが どうも日本以外ではそうは行かない様子。 アキッレ・ヴァルツィという人は、いつでもきっちりと髪型を決め、表情を崩さず無口なままで。 鋭い眼光と口元には煙草を切らさなかったという風貌は人を容易に寄せ付けないところがあり、 また実際に華やかな席を好まず、サーキットに於いては旧知のメカニックとしか会話をしない人だったとか。 それでもレース振りが(同じく物静かな人柄だった)J・クラークのように派手に独走してみせるとか R・ペテルソンのような激しい走り方をする人だったなら、また話も違ったのでしょう。 しかし彼の勝ち方とは、先頭直後をぴたりとマークして最後に抜き去るという作戦によるものであり そんな事も彼の亡き後の知名度に関わっているのかも知れません。
記憶に残る長島さんか記録に残る王さんか、っつなとこでせうか。 或ひは熱血ヴィルヌーヴ(親父)と知性派ニキ・ラウダとか。
王さんて記憶に残らない人なん?
王さんはGPレーサーに例えるならばJ・クラーク型ではないでしょうか? アキッレ・ヴァルツィという人は、人付き合いも苦手でマスコミのインタヴューにもあまり答えない人だったようで 野球選手に例えるならば、ONと同時期にオリオンズで活躍した榎本喜八選手あたりでしょうか。 「安打製造機」というニックネームを付けられたのはこの榎本選手が最初だったそうですが、 アキッレ・ヴァルツィのドライビングスタイルは「機械のように正確」「時計の如く精密」と言われたそうで その辺も榎本喜八さん的であります。 ヴァルツィとヌヴォラーリは共にアルファ・ロメオチームに在籍していた時期も有りましたが どちらかがエースで、どちらかがセカンドドライバーという待遇ではなかったようです。 今も昔も、仲間同士の競り合いから共倒れになる事はチームにとって最も避けるべきことであるに変りなく 暗黙の了解のような形でチームオーダーが出されることは昔にも有ったようですが 今のGPレースとは異なり、強力なドライバーを何人も抱えていた往時のアルファ・ロメオチームなどでは 勝利を得る機会は各ドライバーに均等に割り振られ、順番は中々回って来ないのが常だったとか。 例のミッレ・ミリアで「ヌヴォラーリがライトを消したまま先行車を抜き去った」というエピソード。 この遠因もチームからの指令にあり、スタート時刻差を保ったままの二人は 互いは見えないまま互角の争いを演じていた訳ですが、共倒れを恐れたチーム側からは 「無理なペースアップは控えろ」という指示が出されたそうです。 そしてそれに従ったヴァルツィは、常に奔放で全力のヌヴォラーリにしてやられたと。 元々群れる事を嫌い、他人に指示されることも嫌いな人であったヴァルツィさんにはこれが面白い筈も無く、 アルファ・ロメオチームから飛び出した原因もこの辺に有ったのでしょう。 そして彼は、同じくチームオーダーの類いを嫌ったエットーレ・ブガッティさんのチームに加わり アルファ・ロメオを敵に回した時期がありました。 しかし結果的にこれは失敗だったようで、ブガッティ・チームでの彼の成績は勝利も多くとも不安定であり やや名声に影を差す結果になったようです。
365 :
酔いどれエロスパ◎〜▽〜◎ ◆cAAK5ejJdg :2008/03/11(火) 00:24:34 ID:rLN81l3W0
ヌヴォラーリのライト消し作戦に関しては これはそれこそウィキのヌヴォラーリ項にも確か要出典で書かれてるやうに 夜明け近くで既にライトの必要が無かった、とも言はれております。 まぁその日その時間、そのときの天候まで分かりませんから何とも言へませんが。 股、これも伝説の人となるとしばしばあることですが 神話っつな往々にして尾ひれが付ひたり、あること無ひことになったりするもんです。 ライト消しも本当の真実は不明のままでせう。 一方、アルファ・ロメオといふクルマには 精密機械のやうなヴァルツィ的人物より派手で情熱的な走りの (平時の彼は物静かな紳士だったといひますが) ヌヴォラーリのはうがイメージ的に似合ふのでせう。 やるとなると周りの目も空気も読まづいつでも何でも全力全開、 これは良くも悪くもアルファ愛好家に共通する気質にも思ひます。 不肖アテクシもこの通りそのクチ、良くも悪くも。w かつて〇沢扱ひだった頃のアルファのカタログに 「アルファ・ロメオはいつも心に残るクルマ作りを目指してきた」っつな一文がありました。 心に残る、それもさうですが心を深ひところから揺さぶる、 そして揺さぶられる快感に全力で酔ひ痴れることが出来る人が アルファ党になってゐったやうに思へるのです。 そんな連中を客にし続けたアルファもこれ股情感を激しく揺さぶるやうな その方面にある種特化したやうなクルマ作りをしてきたと思ふのです。 それは戦前の誂へ超高級車だった頃も戦後の量産メーカになってからも同ぢでせう。 そんなアルファ党の連中が支持するとしたら そらやはりヴァルツィよりヌヴォラーリだったでせう。
あらま、専ブラ使ったらname欄の色ゐぢり忘れたデナイノ。
“歴史上、最も偉大なレースカー”を実際に選ぶ事が可能か否かは別ですが、 各年代の代表的なレーシングカーとか歴史の中に埋もれた興味深いレーシングカー等。 今回のスレでは意識的にレーシングカーの話を続けていますが、 同年代に活躍した名車で、どちらが本当に優れていたのかを比較し辛い例も多く有ります。 その代表的な例が1920年代半ば以降に各地の大レースで覇を競った赤と青。 アルファ・ロメオP2とブガッティT35でしょう。 共に「無敵のレーシングカー」「史上最強のGPマシン」などと言われるこの両者ですが 同じ時代に「無敵」が二つ存在したのは変な話と思われます。 戦後のF-1GPであれば、シリーズポイントの獲得数で比較するのが最も簡単な方法なのですが 第二次大戦前には世界選手権シリーズというものが無く、各メーカーは参加したい時にのみ参加したので 統計というものがそもそも無く、直接対決での勝敗比率などで簡単に見て行けないところがあります。 また、この両者の性格の最も大きな違いはP2が僅か6台しか作られなかったのに対し T35は過給機の有無や排気量その他で多数のバリエーションが有り、アマチュアにも販売され 彼等の手によって各地の様々なレースに参加している事でしょう。 従って、得た勝利の数では当然T35が圧倒しますが、 直接対決の勝敗ではドライバーの技量にもばらつきが大きかったT35をP2が上回ります。 では、ドライバーの技量に差が無ければどうだったでしょうか? ヌヴォラーリと遜色の無い速さを持つ事は、アルファ・チームでの実績で証明されるアキッレ・ヴァルツィが ブガッティに移籍してからの対アルファ・ロメオの成績でそれが或る程度判るのではないか?? ・・と、思って調べてはみたものの・・。 ヴァルツィが移籍したのは31年の事。既にT35はツインカムヘッドを持つT51に進化し アルファの主戦マシンは8C2300モンツァに変った後の事でした。・・惜しいなぁ・・。 しかし33年モナコなど、トリッキーなコースではブガッティのヴァルツィがヌヴォラーリに勝利しているように 良く言われる“ブガッティはやや非力でもバランスに優れていた”というのはどうやら本当のようです。 もっとも、全てはドライバーの腕前が拮抗した上での話でしょうが。
ありゃ。リロードしていなかった。エロスパ氏失礼。 実は例のヘッドライト消灯事件はもう少し詳しく調べると“午前7時頃”としている資料が有りまして それが本当ならヌヴォラーリの策という訳では無さそうなのですが、 それならそれで何故ヴァルツィは気付かなかったか?っつう疑問も残ります。 それこそ真実は闇の中。 ヴァルツィって人は、私が興味を抱く元になったCGバックナンバーの中の短い伝記でも ガッリアテ出身の生粋のイタリア人でありながら、北方欧州人のような冷静さを持つ人と書かれています。 現代のフェラーリでも、ブラジリアンのF・マッサの方がフィンランドの“アイスマン”K・ライコネンよりも 地元での人気は遥かに高いらしいという話も連想させられます。
ライコネン君はねぇ・・・w アテクシ的には飲み屋でフーリチンになって大暴れのライコネン君 なかなか見どころのある奴と評価してるのですが 如何せんアル中の気配さへあるので勝てる状況かだうかは・・・。w アル中のF1レーサーか。w
レーシング・ドライバーっつう職業も極限まで集中力を要求される為か、結構裏では羽目外す人も多いようで(w
まぁ、それが良いか悪いかは何とも言えませんけど・・。
かのアキッレ・ヴァルツィさんも一時期麻薬に手を出し、体調を崩したことがあったそうです。
その理由がまたこの人らしく。
アウトユニオンチームに所属していた35年のトリポリGPでのこと、
チームメイトのハンス・シュトック(言うまでも無く親爺さんの方)と先頭を争っていた時に
「イタリアのレースではイタリア人のヴァルツィを優勝させた方が得策」と考えた首脳陣からの指示で
シュトックがスローダウン。
勝利を譲られたことを後で知ったヴァルツィさんはプライドを傷つけられ、そんな事から麻薬に手を出したとか。
ヌヴォラーリにも劣らぬヴァルツィの戦績の中に汚点があるとすれば、ブガッティに移籍した数年よりも
この麻薬の影響から低迷した30年代後半でありましょう。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/13f5.jpg?bcAKUTIBcQoAV7o9 昨日、
>>367 に書いた33年モナコGPでのヴァルツィとヌヴォラーリの死闘の写真であります。
出展元は例のCG1971年9月号で、そこには
「先行するブガッティT35Bがヴァルツィで追うアルファ・ロメオ ティーポBがヌヴォラーリ」と書かれていますが
ブガッティの方はエンジンフードの穴位置や二つのフューエルキャップからT51で
追うアルファは明らかに8C2300モンツァでしょう。
この年はアルファ・ワークスが財政上の理由からティーポBでのレース活動を一時的に休止しているので
そこからも確かと思われます。
こうして見ると、二輪レース以上にヴィンテッジ期のGPレースは競馬との近似性を感じます。
馬好きだったエットーレ・ブガッティさんがT35のデザインを他のどれよりも気に入っていたというのも
なんとなく頷ける気がします。
また、近年のモナコでM・シューマッハが予選終了間際にスピンしてコースを塞いだなんて事も有りましたが
サイドポンツーンも何も無い、ドライバーの上半身は露出しているも同然のこうした車では
あんな事は恐ろしくてとても出来なかった事だろうとも考えてみたり。
371 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/12(水) 05:19:37 ID:YGsU2H0r0
>>359 ちなみに、6位はトヨタ・ヴィッツでしたよ
372 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/12(水) 05:20:00 ID:YGsU2H0r0
7位はホンダ・ライフでしたよ
373 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/12(水) 05:20:23 ID:YGsU2H0r0
8位はダイハツ・ミラでしたよ
374 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/12(水) 05:20:46 ID:YGsU2H0r0
9位はニッサン・セレナでしたよ
375 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/12(水) 05:21:08 ID:YGsU2H0r0
10位はトヨタ・ヴォクシーでしたよ
>>371-375 なんとなく次の5レスの内容が想像出来るのですけど、先にやっちゃったら叱られるかなぁ・・(w
もうちょっとアキッレ・ヴァルツィさんの話の続き。
晩年(と言っても40代前半)彼は南米のレースを幾つか転戦し、其処で地元の速いけれどもややムラのあった
レーサーと出会ったそうです。
その名はジュアン(ファン)・マヌエル・ファンジオと言い、彼はヴァルツィさんを師と仰ぎ
レース上での様々な駆け引きや操縦について学び、
後に渡欧して歴史上に残る名レーシング・ドライバーとなります。
ヴァルツィさんの方はというと、ファンジオさんが欧州で活躍を始めるのと入れ替わるように、
48年スイスで行われたヨーロッパGPのプラクティス中の事故により他界しています。
49年、アルゼンチン自動車クラブから派遣されたファンジオさん率いるドライバーチームは
彼らに多大な影響を与えた偉大なイタリア人ドライバーを記念して“スクアドラ・アキッレ・ヴァルツィ”と名乗り
その本拠をかつてのヴァルツィさんのガッリアテの家に置き、マネージャーとして招かれたのは
ヴァルツィさんがサーキットに於いてたった一人心を開いたというメカニック、
グィド・ビニャーミさんだったそうです。
こういう具合に、本に書かれた事をさらりと見ていくと、ヴァルツィさんはヌヴォラーリさんとは同世代で
まるでファンジオさんよりも遥かに年上のように思えますが、実際には1904年生まれのヴァルツィさん
ヌヴォラーリさんよりは12才も若く、ファンジオさんとは7才しか離れていません。
今の我々は、活躍した年代でかつてのドライバーの年齢をイメージしてしまいがちですが
結構こうした勘違いしやすい例ってあるみたいです。
例えば50年代に活躍したスターリング・モス。彼と入れ替わるように現れた英国のレーサージム・クラーク
この二人はかなり年齢も離れていますが、
67年にクラークとロータスでチームメイトになったグレアム(グラハム)ヒルは
クラークさんと年齢が近いように思い勝ちですが(私だけ?)実はデビューが遅かったヒルさん
スターリング・モスとはほぼ同世代だったと言う具合。
>>301 ミニ・ジョンクーパーワークス・クラブマンもデビューしましたね
エンジンは1.6リッター直4ターボですね
最高出力は211psですね
最大トルクは26.5kgmですね
最高速度は238km/hですね
そう言えば、クーパーの名前も今やミニの強力版に残るのみで、 一般にはそれがかつてはF-1に革命をもたらしたコンストラクターの名前という事を知らぬ人もいるのかも。 丁度ヴァルツィさんの話も一段落ついたところですので、クーパーの話でも。 一応、クーパーってアバルトとかゴルディーニと同じくメーカーの名前で、 1950年代には世界最大の市販レースカーメーカーだった筈。 (F-3とかの。まぁ、市場自体が大して大きいものでもなかった訳ですが・・) 若き日のスターリング・モスさんとかもそれに乗って育ち、元々はチャールズとジョンの父子が 息子ジョンが乗る為に始めたレースカー作りでしたがジョンもレーシングドライバーの道を諦めて 車作りに専念するようになったみたいです。 F-3、F-2と次々に制覇した彼等がワークスチームとしてF-1にステップアップしたのは1958年のこと。 最初から成功を収め、翌年(59年)から二年連続して選手権を制覇。 彼等の大きな特徴だったリア・ミドシップにエンジンをマウントする手法は他の全てのコンストラクターに 追従されることになります。 と、歴史をさらってみるとそんな感じなのですが。 クーパーが成功した鍵となったミドシップエンジンマウント。それを採用したきっかけは 当時のF-3の規定が500ccで、ノートン等のバイクエンジンを使用するのが常道でしたが、 それにはこの搭載方法が都合良かったからという結構いい加減つか、大雑把な理由だったみたいです。 特にコーナリング性能がどうのとか、駆動力がどうのという理屈は無かったみたいな節もあって それがこの町工場に大きな成功をもたらすと、元がそんなに理論も持たないクーパー父子。 その次のステップに移行する事も出来ず、ライバル達も同じミドシップエンジンを採用するようになると あとはずるずると下位集団に埋没していくのみ。 60年代中盤、1.5リッター規定でF-1が行われていた頃には既に時代遅れな車作りのコンストラクターと 評価されていたようですから、栄光の日々はかなり短かったようです。 なんだか、ヒット曲が一つ出たばかりにそのイメージが強すぎて次の曲が売れなくなった 一発屋と呼ばれる歌手の話みたいなところも有りますね・・。
>>334 アウディR8 TDIルマンもデビューしましたね
エンジンは6.0リッターV12ターボですね
最高出力は500psですね
最大トルクは102.0kgmですね
最高速度は300km/hですね
1960年にジャック・ブラバムの手により、この年の選手権を制覇したクーパーT53の構造図
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/ab18.jpg?bc11oUIBxI.4GWbi 元は英国“The Car”誌に載っていたものだそうです。
クーパーという車はミドシップエンジンマウントを除けば意外に保守的なところがあり、
この図からも、四本のメインとなる鋼管から作られたフレーム構造が判りますが
63年、ロータスがツインチューブモノコックを採用した後にもこのフレーム構造から脱却出来ず
そのせいも有ってか、何処と無くもったりとしたボディー形状のままでありました。
F-1に参戦するまで、クーパーはF-3やF-2で活躍して多くのアマチュアレーサーに愛用されたのは
昨日も書いた通りなのですが、
F-2でも使用されていたのはクライマックス製2リッターエンジン。
それに組み合わされるギアボックスはミドシップ用には当時適当な物が無かったことから、
シトローエン・トラクション・アヴァン用三段を四段に改造して使っていたというのも、
クーパーの企業規模を大体想像させます。
F-1に参戦するに至り、さすがにシトローエン用では間に合わない為に
ZFに特注する事となった訳ですが(59年迄はF-1でも使用していたとする説も有り)
ケチで有名だったと言うクーパー(父)は、それに掛かる費用を出す事を散々渋ったという
エピソードがあちこちに見られます。
ミドシップ・エンジンマウント自体は戦前のアウトユニオンGPカーでも見られた形でしたが
駆動力を有効にリアタイヤに伝えるには最善の方法であっても
アウトユニオンの時代ではタイヤそのものがエンジンに対して力不足であった事から
そのメリットが実際の速さに大きく寄与出来ていなかったのでしょう。
タイヤの進歩と、コンパクトなクライマックスエンジン。
この組み合わせがクーパーには丁度嵌ったのだと思われます。
実際にクーパーの数年前にGPを席捲したメルセデスW196等と比較してみると、
如何にもクーパー車は“ローテク”な感じが否めないのですが、
複雑で強力であることが、即ち速さではない事を実証してみせたという点に於いて
クーパーの功績は後に大きな影響を与えているのでしょう。
カウパー、世間ではだうも”ミニ・カウパー”と 全てのミニがカウパー汁であるかのやうに誤解してる節もあります。 別に全てのミニが我慢汁垂れてる訳ではなく 並ミニとカウパーはヌカGとGT-Rのやうなもの、 一緒くたにしてはいけなひ、と都度説明するもメンド臭く・・・。 アウトウニオンやベンシのバケモノGPカー、1935年ニュルでのドイッチュGPでは 結果TipoB・P3を駆るヌヴォラーリにしてやられる訳ですが その結末は煽りに煽られた先行するベンシが無理して お陰でタイヤが負けてバースト、といふものでした。
クルマヲタを除くと 「ミニ」は世間一般には、自動車じゃなくて エロスパ氏もお好きな若い娘のスカートの方が先に来ますからなあ 「クーパー」という接尾語が付いていると、 定義こそ間違っていてもイパーン人に「自動車」と認識させることはできます しかし、初代GT-R(箱スカ)よりは、眠いが扱いの楽なL20を載せた並のGTの方が 「GT」らしい長距離のイージードライブには向いていたんじゃないか、とふと思ったこの頃。 (確かL20付は3AT仕様もあったような気が……)
アテクシ取り立てて”若ひ”コムスメでなくとも宜しひです、 ぃあ、熟女のミニスカも変態心をそそりますな。w つかね、今や30代が”熟”ですと。 アテクシにとって30代はケツの青ひコムスメです。w 股、ミニも宜しひですが長くてもハァハァな物件はなんぼでもありますぞ。 御ドレスなどそのクチでせう。 カウパー、もしカウパーを付けづクルマであると認識させるなら BMCとかBLとかオース珍とかモーリスとかローヴァーとか さういふ接頭語を付けては如何でせう? ぃあ、余計ヲタ度が上がってパンピーには分からなくなっちまふか。w L-20、ぢつはアテクシ馴染み深ひエソジソであるます。 昔、実家からC31ローレルで東北道をひた走り 実家で使ってなかったエアコンを持ってきたのです。 まぁ正確にはL-20ET、ターボ付きなのですが。 これが股当時らしくドッカンターボで非常に宜しひ。www アテクシの主張として基本的にターボなんつなドッカンであるべき、 フラットなトルクカーヴやレスポンスが欲しけりゃ ハナから大排気量エソジソ積め、と。 と、低圧ターボとかいふ腑抜けた物件見るたびに思ふのであるます。
ミニ=ミニクーパーっつう思い込みをしている人は意外に多いようで。 まぁ、車板に来る人ではさすがに少ないかも知れませんが。 昔、知り合いの女性が「思い切ってミニクーパー買った」と言うので見せて貰ったら 普通の(確かメイフェアとかってグレード名の)ATだったのでがっかりしたなんて事も。 (勿論、メイフェアやATを莫迦にしているのではなく。オーナーさんですらその程度の認識だったことに がっかりしたのですが) F-1の方では最早知っている人の方が少数派になってしまったかのような“クーパー”ですけれど ミニの高性能版でその名前が残っているので、単純な知名度ではむしろロータス/コリン・チャプマンより上かも。 とは言え、クーパーが人名であることすらも知らぬ人が多いのでは、 天国のジョン・クーパーさんにもあんまり慰めにはならないかも知れませんが。 オリジナル・ミニにこの名前が付けられた高性能版が追加されたのは意外に早く、 うろ覚えに頼る悪い癖でいい加減な事書かぬように(w)ちょっと調べてみたらミニ誕生の約二年後 61年のことだったとか。 ミニのA型エンジンはそれまでにもオースティン/ナッフィールド系の多くの乗用車に用いられていたことから チューニング用のパーツその他は豊富に存在し、 クーパーチームも当時1000cc以下で行われていたフォーミュラJ用としてこのエンジンを用いていたそうで、 こうしてチューニングされたエンジン搭載車をメーカー自らが生産するというアイディアも クーパー側から出された(ミニの設計者アレックス・イシゴニスさんとジョン・クーパーさんは知人同士だったとか) なんて事が書かれた本もあるようです。 また、時期的に59〜60年のF-1選手権を連覇して最も勢いが有った時期のクーパーと言う名前を メーカー側も利用したかったという面も有ったでしょう。 それはともかく・・。最初の数行を書いていたときにふと思ったのですが。 オリジナルミニの特徴のひとつ、ギアボックスとエンジンを二階建て構造として潤滑油を共有するという構造。 ATの場合にはやはりエンジンオイルがATフルードを兼ねる構造になっているのでしょう・・ね・・? そんな都合の良い粘度のオイルが有ったものなのでしょうか?
鉄道(ディーゼルカー)用のトルコンを1950年代初頭に日本国有鉄道が開発促進してた時には、 初期型では燃料同様の軽油をフルードに使ったそうです。 (のちにもっと粘度の高い専用フルードに変更していますが) ある程度の粘り気があれば使えることは使えるんでしょうね。
399 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/17(月) 05:05:04 ID:4b0OHfGE0
きのう、マクラーレンMP4-23が優勝しましたよ
400 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/17(月) 05:05:29 ID:4b0OHfGE0
2位はBMWザウバーF1.08でしたよ
401 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/17(月) 05:07:03 ID:4b0OHfGE0
3位はウィリアムズFW30でしたよ
402 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/17(月) 05:07:36 ID:4b0OHfGE0
ちなみに、フォースインディアVJM01はリタイアでしたよ
>>398 成る程。最初からエンジンオイルを使用する事を前提に設定すればナントカなるんでしょうか。
しかしちょっと気になって検索してみると、やはりミニのATは故障も多く、泣き所になっているみたいです。
まぁ、無理してATで乗る車とも思えませんし、AT限定でなければ選ぶ意味も薄いような気がしますが。
ちょっと初代ミニがらみの話に寄り道。
私はこの車には全くの門外漢であり、語る程の体験も有りませんのであんまり大した事も書けませんが。
この車、誕生のきっかけになったのは1956年のスエズ動乱で、
その時配給制となるほどのガソリン不足に陥った英国で「金の掛からぬ車」の需要が生じたことから
生まれたとされています。
誕生時のミニ(当初は二代目オースティン・セヴンと呼ばれた)が幾らくらいだったのか?
ちょっと調べがつきませんでしたが、少なくとも英国で最も安い車と言う訳では無かった事は確か。
「英国で最も安価なサルーン」を作る事には、何故か英フォードが固執していて、
ミニの誕生時期(59年)には、戦前から続くボディー/エンジンをそのまま使った“ポピュラー”が
その位置に有りました。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/5a4f.jpg?bccrSVIBS5ESd31A まぁ、これはこれで今見るとそれなりの味がありますが・・。
だいぶ前にもこのスレで50年代英国小型車の話には触れたことがありましたが、
この英フォード“ポピュラー”まで極端ではなくとも、一般に保守的つか守旧的だったこの頃の英国製小型車
若者(主に労働者階級の)があまり車に興味を持っていなかった(つか持てなかった)故に
このような事態になっていたのでしょうか?
もう少し時代は下り、60年代半ばにビートルズがデビューした頃にも
“Drive My Car”なんて曲が有りましたけれど、同時代にアメリカで流行っていたHot-Rodサウンド
ビーチボーイズの“409”みたいな曲と比較してしまうと
全く垢抜けない、ビートルズの曲の中では駄作と思わざるを得ない出来栄えであり
それを聞くと「彼等はきっと自動車の有る事の楽しさとは無縁であったのだろうな」等と考えてしまうのです。
404 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/18(火) 05:15:48 ID:v0/E5uyn0
6月にアルファロメオ・ミトがデビューしますよ
405 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/18(火) 05:16:13 ID:v0/E5uyn0
全長は4060mmですよ
406 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/18(火) 05:16:37 ID:v0/E5uyn0
全幅は1720mmですよ
407 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/18(火) 05:17:02 ID:v0/E5uyn0
全高は1440mmですよ
408 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/18(火) 05:17:26 ID:v0/E5uyn0
ちなみに、ミトはミラノ・トリノの略ですよ
>>347 遅レスですけど、
新丸子、多摩川園と二子新地、二子玉川園を混同されているようで。
宿場や料亭、避暑地があって栄えたのは二子新地、二子玉川のほうですね。
旧国道246、大山街道沿いはかすかに宿場町・三業地の面影が残っています。
>>409 混同しているという訳でも無いのですが、この話は以前にもした事があったので少し大雑把な書き方でしたかも。
二子新地辺りを中心として昔有った三業地ですが、新丸子、多摩川園の方にも小規模ながら存在したようで
>>347 にも書いたように、少し前まではその名残りが新丸子駅付近にも残っていました。
私自身もその近くに住んでいますので、新丸子辺りにお住まいの年配の方に話を伺ってみたのですが
三業地の記憶は残っていても河川敷の多摩川スピードウェイについて御存知の方は見つからず。
まぁ、現在70代半ばの方でもごくご幼少の頃のこと。
余程の自動車好きな子供でも無かった限りは記憶されていないのも無理は無いのでしょうが。
昨日の話の続き
これも以前書いた事ですが
1958年に出版されたベストセラー、アラン・シリトーの「土曜日の夜と日曜の朝」に出て来る主人公
工場務めの20代前半の青年が稼ぐ給料が週給14ポンド。単純に52倍して年収728ポンド。
年収の殆どに値する金額をつぎ込んでやっと買える車が戦前型そのままの古めかしい物では
当時の英国に暮らしていた労働者階級の若者が車に興味を持てなかったのも無理は無いのでしょう。
この小説の主人公も
「貯金をすればオートバイどころか中古の自動車だって買える」と自らの収入を誇ってはいても
実際にはあまり興味を持っている様子は有りません。
ビートルズの四人は中産階級の出身だったようですが、懐具合は大差無かったのでしょうか。
また、初期のロックンロールにとっては“旧来の価値観の否定”は重要なテーマであり
“旧来の価値観”そのまんまを形にしたような古めかしく大人しい大衆車とは相容れぬもの。
これがアメリカなら話も違い、次々に“旧来の価値観”を否定しまくっていた当時のアメリカ車とか
古い車を若者の価値観で好き勝手に改造するホットロッド趣味なんてのも有り
ロックンロールのテーマにも成り得たのでしょうが。
そうした状況の中。古い価値観にとらわれることなく、また“ホンモノの”アメリカ車の縮小コピーでもなく
ミニは誕生した訳で、この車のヒットした理由の一つにはこうした時代背景もあったものと思うのです。
アルファ水戸、これヌパイダ・デュエット以来久々に公募によって付ひた名称です。 先般この公募がありアテクシも立場上応募し、選考が高次になってからは その選ばれたエントラントに投票もしました。水戸で良かったのなら 真面目にイターリャ語などで考へづ”ドゥラ”とか言っときゃ良かったか?www ま、ダンプとか土方の缶詰とかならミトでもドウラでもハルヒブでもすぐ思ひ付ひたでせうが。www このプント・グランデを使った豆アルファ(たってご時世で上記の通りの外寸) 数年前からちょこちょこリークされておりましたが 「昨今クルマ離れ著しひ若ひ子を取り込む」こと狙ったものだと その開発が漏れ(漏らし)てた頃から説明されてゐました。 クルマ離れは日本に限ったことではなく、欧州、イターリャでも同ぢ。 妙な感傷的エコブームもあるでせうし成熟商品・白物家電化した(盗用多化した) クルマは興味持たれなくなって当たり前、とかもあるでせう。 それと同時に、アテクシ感ぢるのは主要先進国ではもはや成長が天井に近付ひて 若ひ子達がその親世代より物質的・金銭的に豊かになれないことが あまりにも明白になってきた、といふことです。 シナや天竺のやうな後進国は後進だけあってまだ先がありますが 欧米日には先が無ひ。余程のブレイクスルーが無ひ限りまう伸びなひ。 そんな状況でクルマ道楽なんざ考へるさへ愚かなのでせう。 それは上記逝ってる師が述べた戦後英国中産階級の若者の置かれた立場と 同様のもののやうに思はれるのです。
5位はマクラーレンMP4-23でしたね
6位はウィリアムズFW30でしたね
7位はトロロッソSTR2Bでしたね
8位はフェラーリF2008でしたね
>>411 英国病なんて言葉も有りますが、早く先進国になったが故の行き詰まり。
60年前後の英国とは経済的状況は違えど、その中に生きる若者が感じる閉塞感みたいなものは
今の時代にも共通するところがあるのかもしれませんね。
60年代には、それまでの英国車とは全く異なる魅力を備えたミニが自動車業界の変革を行った訳ですが
この車に最初に飛びついたのは中産階級でも、後には高性能版をバリエーションに加えて
当時の若年層にも受け入れられるに至ったようです。
ミニの高性能版と言えば、スペシャリストが作り上げた少量生産車を除けば
一般的に最も良く知られる“極めつけ”はやはり64年に加わった“クーパーS”でしょう。
最強版1275ccのエンジンは70ps迄出力を高められていますが、
これは何故か(?)同系列の2シータースポーツMG-ミジェットに積まれた同じ排気量のエンジンよりも
高いチューニングがなされています。(ミジェットは65ps)
動力性能はスポーツカーの絶対条件ではないでしょうが、車重も10%程ミニの方が軽量であり
それでいて実用性も高いと来れば、普通はこっち選ぶでしょう。
メーカーはどうしてこういう序列にしたのか、ちょっと不思議なところ。
VWビートルやシトローエンの2CVと並び、異例の長寿モデルとなったミニですが、
前の二者と異なるのはその長寿にスポーティーなイメージが大きく寄与している所だと思います。
洗練度や居住性をとれば、後にミニ(ADO15)を発展させて生まれたADO16等の方が優れていたでしょうが
活発さや、ナンと言っても独自性。形そのものの可愛らしさに於いてはミニを超えることはなく
また、ラリーなどでの戦績も当然ミニを上回る事は出来ませんでした。
現代のBMWミニも良い車なんでしょうけれど「随分と大きく立派になってしまった」という声も聞こえるように
「車は小さくて身軽な方が良い」と思う人には中途半端な大きさなのは事実でしょう。
安全性とかの絡みも有るのでしょうが、ミニはやはり
「乗る物と言うよりも着る感じ」であって欲しかったと思っている人も多いみたいです。
ミニ・クーパーSのエンジンは1.6リッター直4ターボですね
最高出力は175psですね
最大トルクは24.5kgmですね
ちなみに、ミニ・クーパーのエンジンは1.6リッター直4ですね
最高出力は120psですね
最大トルクは16.3kgmですね
戦後間も無い頃、フランスでは2CVはまず庶民に受け入れられたのに対して 60年代初頭、英国でのミニは、先ず最初に中産階級やらインテリ層に受け入れられ、 そこから庶民の間にも流行したというのは中々興味深い話であります。 さて。オリジナルミニ。40年を超える長寿モデルと成り得た最大の理由は、その可愛らしい形にあるでしょう。 ところがその革新的な構造や社会的意味については、様々な書物で散々語られていますが あの形は一体誰がデザインしたものなのか。ご存知の方はいませんでしょうか? その特徴に一つである、雨樋を兼ねて外側に突き出された溶接しろ等を見ると あまり職業的なデザイナーの手は入っておらず、設計家や生産計画の専門家等が中心になって まとめられた形のようにも思えます。 また、それ故にその当時の英国製小型車の文法めいた物とは無縁の新しさを身に着ける事が出来たとも。 イタリアでのフィアット500や600が主に主任設計士ダンテ・ジアコーザさんのデザインであり またVW・ビートルがポルシェ博士の流線形理論に沿ってまとめられた形であることも広く知られるように 昔の小型実用車の形には設計家の意思が強く反映されている例は数多く見られます。 そうした流れの中で見ればオリジナルミニのデザインも設計を担当したアレック・イシゴニスさんの 意見を多く取り入れた物と考えるのが自然なのかも知れません。 しかしその一方で道具そのもののようなシトローエン2CVの形が、 実は天才前衛美術家フラミニオ・ベルトーニさんの周到な計算により作られたものであったりという例も有り。 素人目に簡単に推測出来る事では有りません。 ミニの形は一時期日本でもレトロ調の軽自動車とかパイクカーの類に多大な影響を与えましたし 現代のBMWミニが最も初代の血筋を色濃く受け継いでいるのも、そのスタイルでしょう。 ところが。 今日、昼間オリジナルミニと現代のBMWミニが並んで信号待ちをしているのを見て思ったのですが BMWミニのあの形、オリジナルの存在を抜きにして見ても“良いデザイン”って言えるのでしょうか? 考える意味も無いのでしょうが、果たしてオリジナルを知らぬ人にも良い形と受け入れられるものなのか? ちょっと疑問に感じるものであります。
フィアット500のエンジンは1.2リッター直4ですね
最高出力は69psですね
最大トルクは10.4kgmですね
ちなみに、フィアット500アバルトのエンジンは1.4リッター直4ターボですね
最高出力は135psですね
最大トルクは18.3kgmですね
431 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/22(土) 05:39:59 ID:UeaitJWj0
きのう、ヒュンダイ・ジェネシスクーペがデビューしましたよ
432 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/22(土) 05:40:22 ID:UeaitJWj0
エンジンは3.8リッターV6ですよ
433 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/22(土) 05:40:45 ID:UeaitJWj0
最高出力は306psですよ
434 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/22(土) 05:41:05 ID:UeaitJWj0
最大トルクは36.3kgmですよ
初代ミニのエンジン。有名なBMCのA型と呼ばれた四気筒OHVですが、
このエンジンはミニに先立つ事数年の50年代半ばに800cc程度の排気量で生まれて、
当時BMCグループの小型車には多く使われていました。
最終的には1.3リッター近くにまで容量をアップされた訳ですが、
それが可能な余裕を持っていた事が、このエンジンやミニが長寿と成り得た理由の一つでもあるでしょう。
このエンジン、元々が特に横置き、ギアボックスとの二階建てを前提に設計された物でもないので
当時の英国製小型スポーツカーにも多く使われていたようです。
オースチン・ヒーレー・スプライトやMG-ミジェットといったBMCグループ内の小型スポーツカーは有名ですが
ミニ用にギアボックスと一体化した物を利用したミニ・マーコスやミニ・ジェムGT
更にはそれをミドシップに配置したユニパワーGT等、バックヤードスペシャルと呼ばれる類を数えれば
日本では知られていないものも恐らくは有ることでしょう。
そうした中、あまり知られていない(?)物に初期のロータスセヴンも有り。
オプション扱いでは有ったようですが“セヴンA型”と呼ばれて少量が生まれていたようです。
この後ロータスは英フォードとの関係を深め、またBMCはクーパーとの関係もあった事からか
ロータスとBMCの関係は発展することなく、このエンジンを搭載したロータス車も他には生まれていないようです。
(F-J等では有ったでしょうが)
上記ミニマーコスの画像
http://www.rory.uk.com/marcos_gallery/marcos11.jpg ミニ・ジェムGT
http://www.minijem.plus.com/taylorspeed/image1.jpg ユニパワーGT
http://minichallenge.minimania.com/entries/entrypix/LombardJ.jpg ユニパワーGTの全高はロータス・ヨーロッパとほぼ同じくらいだそうですが、やはり寸詰まりな印象。
もしもクーパーとBMC、ロータスと英フォードの関係が無かったとしたら
(ヨーロッパの初期型はルノー16用エンジンでしたが)
ミニのパワーユニットを積んだヨーロッパなんて物も生まれていたのでしょうか?
BMCはブリティッシュ・モーター・コーポレーションの略ですね
ちなみに、DMCはデロリアン・モーター・カンパニーの略ですね
GMCはゼネラル・モータース・コマーシャルの略ですね
MMCはミツビシ・モータース・コーポレーションの略ですね
>>436 そう言えば、MGってモーリス社のチューナーのような存在として後から設立されたように思われがちですが
会社の設立そのものはこちらの方が先なんですよね。
一応整理すると、ウィリアム・リチャード・モーリスさんが自動車販売会社モーリス・ガレージを設立したのが
1910年のこと。自動車メーカー、モーリスを設立したのはその後、1913年だそうです。
それからのモーリス・ガレージの主な業務は勿論モーリス社の整備・販売であった訳ですが
1924年に当時モーリス・ガレージ社の支配人であったセシル・キンバーさんがモーリス車の部品を用いて
スポーツカーを製作し、自動車メーカーの仲間入りをしています。
つまり会社の歴史はMGの方が長く、メーカーとしての歴史はモーリスの方が長いと。
さて、昨日の話の続きのようなそうでないような。
60年代には量産車のエンジン等を用いて比較的安価なスポーツカーを数多く揃えた英国ですが。
そうした愛すべきスポーツカーの類、その成り立ち故に国際的なレースでの成績となると
あまり見るべきものは有りません。
50年代迄はジャガーやアストン・マーティン等が総合優勝を争っていたルマンを例にとって見ても
62〜63年頃にアストン・マーティンがDP212、214と呼ばれる車で参加したものの
リタイアに終わったのが目をひく程度で、メーカー自体がスポーツカーよりも高級車路線に変更していた事も有り
この時代には総合優勝はフェラーリ、フォードといった会社に譲っています。
もっとも、以前にも書いたようにフォードのGT40は英国の血筋を濃くひいた車でありますが。
生産車をベースとした車でのクラス優勝を狙った参加となれば、
MGやトライアンフといった車が散発的に行っていたようですが、
こちらもフランスのアルピーヌやイタリアのアバルトといった車に対しては、やや分が悪かったようです
もっともロータスやBRMをはじめとするコンストラクターのF-1での活躍(エンジンも英国製)も有り
全体的に見れば国際レースでの英国勢の活躍は決して小さな物ではなく、
それは現代に迄続いている訳ですが。
この時代(60年代)耐久レースよりもF-1等のスプリントに英国内での人気が移ったとか、
そんな理由でも有ったのでしょうかね?
442 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/24(月) 05:16:45 ID:dZgSW63n0
きのう、フェラーリF2008が優勝しましたよ
443 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/24(月) 05:17:05 ID:dZgSW63n0
2位はBMWザウバーF1.08でしたよ
444 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/24(月) 05:17:26 ID:dZgSW63n0
3位はマクラーレンMP4-23でしたよ
445 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/24(月) 05:17:47 ID:dZgSW63n0
ちなみに、フォースインディアVJM01は12位でしたよ
今年のF-1はどうなって行くのでしょうね? 昨年同様にフェラーリとマクラーレンの争いに終始するのか、それとも他のコンストラクターが一矢報いるか。 開幕二戦を見た限りではその二つが抜けていて、その両方で二位を得たBMWもラップタイムでは一歩及ばず。 マクラーレンとフェラーリの両者計四台に何か無い限り今の時点では勝ち目は薄いような気がします。 他では台頭して来そうなのはルノーとレッドブルあたりでしょうか。 トヨタは毎シーズン途中から開発が停滞する悪癖が解消されればある程度上位は狙えそうですが 勝ち切るまでの勝負強さは有るモノか? つーか、この会社はことレースとなると何かに呪われたかのように大一番では勝ち切れない 運の弱さがつきまとうように思えます。 かつての“日本グランプリ”で日産に敗れたトヨタ7しかり、 二位は何度も取ったものの最後の最後で勝ち運を逃したルマンしかり。 まぁ、ルマンに関しては強敵のいない時を狙う抜け目無さに欠けていた部分も有るようですが。 最近、IEでは車板が閲覧出来ないので例の“おすすめ2ちゃんねる”も有りませんけど 以前見たときには“トヨタ・モータースポーツの悪行”みたいなスレッドが有ったようですが トヨタという会社、テスト中に起きた事故揉み消し疑惑みたいなのは別として、 またラリーでの部品不正使用なんてのも別として(無理か w) “規則の裏を突く”ような真似はやっていないと思うのですが、どうもイメージが良くないようです。 その手の規則すれすれを行くのはむしろ欧州メーカーであって 一台のみの“市販車”を仕立てた口実のもとにほぼGr・Cカーをそのまま走らせたポルシェに 勝ちをさらわれたりしたのはむしろトヨタの方だったりするのでしょうけれど。 勝つ為には全ての手を尽くすのは悪い事ではなく、規則すれすれは決して規則違反ではないのですが、 視線を合わせ、呼吸を揃えて立ち合い、正面から当たることが“正しい”とされる相撲を 国技とする国で生まれた会社の性分みたいなものでもあるのでしょうか? もっとも一度規則すれすれの手を使われると“そっちがやるのなら、だったらこっちも”と あっさり追従したりするのは、やや情けないところかも・・。
チョンヨタが正々堂々と勝負する訳はありませんて。www ルールの隙間・盲点を突くのは正しひ戦闘行為ですが ルールを破って誤魔化すのは単に見苦しく卑しひだけ、 チョンヨタがどちらかはry。w ところでレッドブル、なんだこれ?とCM見るたび思ってゐたのですが これってジャッキー・スチュワートのジャガー・レーシングの衣鉢を受け継ぎ、 股、同門の赤牛(w、トロ・ロッソ)はG・ベルガーとともに ミナルディを引き継ひだものなんですな。 史上最弱F1チームとして名高ひwミナルディですが アウトデルタを率ひたカルロ・キティがアウトデルタを辞して移ったつうか 協力したのがミナルディ。 はた股、レース場での飯が旨ひことで知られたwミナルディですが 料理人を連れて転戦するシステムを世界で初めて持ち込んだのも カルロ・キティと言はれております。 そんな訳で、昨今アテクシコンビニでレッドブル見つけると 大枚\275出してつひ買ってしまふ。w 翼は授けられたか?w
>>444 ちなみに、4位はトヨタTF108でしたね
5位はマクラーレンMP4-23でしたね
6位はBMWザウバーF1.08でしたね
7位はレッドブルRB4でしたね
8位はルノーR28でしたね
453 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/26(水) 19:56:22 ID:HKZpSwy6O
救済あげ
>>447 レッドブルねぇ・・。高カロリー飲料ですよ。つーか、そんなに元気つける必要が有るのですか??(w
カルロ・キティさんって方、有能な技術者であった事には間違いは無いのでしょうが、
大変な猫好きで(名前もキティちゃん w)野良猫見つけると仕事そっちのけで飼い馴らすのに夢中になったとか
そんなエピソードも有るように脱線癖の持ち主でもあったようです
さて。昨今のF-1ってほぼ規則によって車の概要は定められ。
各チームが腐心するのは“如何に特長のある車を作るか”よりも規則の中で“如何に欠点の少ない車を作るか”
が勝負になっているように思えます。
組織力と資本がモノを言うそんなカイゼンの連続はトヨタの得意とするところに思えるのですが
ことF-1に関しては中々苦労しているようで。
大組織は責任の在り処が曖昧になりがちなのがいけないのでしょうか。
それにしても最近のF-1、一流どころとなれば年間資金は400億円以上なんて話も聞きますが
これでは昔のように一人のお金持ちが個人資金で参加するなんて事は全く不可能なことでしょう。
先日、話に出たクーパーF-1の活躍した時代。
59〜60年の選手権を勝ち取ったクーパーチーム。その回想録の中でジョン・クーパーさんは
「我々はワールド・チャンピオンシップを勝ち取るのに10000ポンドを費やした」と書かれたそうです。
一万ポンド。これも先日触れた59年出版のベストセラー、アラン・シリトーの「土曜の夜と日曜の朝」
その20代前半の主人公のおおよその年収700ポンドと比較するとどの程度の金額か・・。
まぁ、町工場のような規模の会社でもF-1GPに参加出来たのも判る気がします。
もっとも1000ポンドが経費の全てとも考え難いのですが。
クーパーはミドシップエンジン配置を武器に“簡素・軽量”な車を仕立て、
それまでの“複雑・強力”を旨とするフロントエンジン車を駆逐してみせた訳ですが、
そうして技術的な革新も今の時代には期待し難く、小規模なコンストラクターが巨大な自動車会社を
アイディアを武器に打ち破る事はこの先はもう見られないのかも知れません。
今のように、速い車は何処が優れているのか。見た目には理解出来ない時代がこの先も続くのでしょうか?
456 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/03/27(木) 02:39:50 ID:XurPHxaAO
すげ
ジャガー売却ニュース、肝心の車が今後どうなるかですが、
あちこち見て行くと、フォードは今後も“エンジンや主要部品の供給も当面継続する見通し”とかですから
急に変化が現れることも無さそう。
それよりも気になるのは“タタと提携しているイタリア自動車大手のフィアットも、ジャガーに関心を寄せており、
タタ買収後に提携交渉が始まる可能性もある”という一文の方かも。
勝手に続ける、クーパーF-1とかその辺の話の続き。
クーパーが登場した2.5リッターのGPで活躍していた車。フロントエンジン・フォーミュラカーの最終形態
この辺の車ってのも中々の名車揃いで興味深いものであります。
順に54〜55年のチャンピオンマシーン、メルセデスW196
http://georgecushing.net/w196.JPG ランチア(フェラーリ)D50
http://www.ddavid.com/formula1/images/d501.jpg マセラーティ250F
http://www.ddavid.com/formula1/images/mas250al.jpg こうした中でもメカフェチさんの食指が最も動くのは、ナンと言ってもW196ではないでしょうか。
ずっと前に車メ板にあったブリストルスレにも書いた事が有りましたが第二次大戦後には珍しい直列8気筒。
気筒内直接燃料噴射・デスモドローミックバルブ。フロント・インボードブレーキ等特徴的な機構が一杯。
しかし、そうした車そのものの特徴はまた後に回して、凄いのは当時のメルセデスのレース部門のこと。
総勢500人を超えるスタッフが従事していたそうですから、既にその当時に現代のF-1ファクトリー並みの規模。
第二次大戦終盤には連合軍の爆撃により大半の設備を焼失し、大戦直後の役員会議では
「もはやダイムラー・ベンツ社は存在しない」とまで報告書に書かれた惨状から
10年足らずでそこまでダイムラーベンツ社は立ち直ってみせたというのも凄い話でしょう。
しかし、このW196は観客多数を巻き込んだ大事故で知られる55年ルマンの悲劇の影響もあり、
その年限りで参戦を中止しています。
かなり高価についたと思われるこの車辺りが英国の町工場みたいなクーパーから生まれた
四気筒(消防ポンプ用エンジンで知られたクライマックス製)エンジンの車に敗れるなんて事があったならば
それもまた痛快だったでしょうか?メルセデス的には勿論そんな事態にならなくて良かったのでしょうが。
FIAT、現状でさへフェラーリ、マゼラーティ、アルファ、ランチャと抱へ込み だうセグメント分けしてEのか何がなんだかで うっかりするとランチャやアルファは半ば飼ひ殺しかと思ふやうな体たらく、 二転三転の挙句やっとこ微かにそれぞれの方向性と住み分け見つけつつある状況。 大体ヌポォシではアルファとマゼラーティが被り、高級をやぢグルマではランチャとマゼラーティが被り レースオリエンテッドではアルファとフェラーリ(まぁ本家と分家だからこれはこれとして) アバルトは辛うぢて先般やっとこ封印解かれたものの既に実体は無く、 アウトビアンキは何処行ったか分からづ。w ここにジャギュアしょい込んだら、股々ハンドリングマシンでアルファと、 高級スポーツサルーンでマゼラーティと、高級をやぢグルマでランチャと それぞれのセグメント分け住み分けが微妙に異なり微妙に被る 始末の悪ひ状況が更に混乱しさうで心配です。 個人的にはジャギュアはベンシ辺りにやらせて CLSみたひな”メルツェーデス”としてはハンチクなセダンは やめちまったはうがEと思ふのです。それ系はジャギュアのやること。 あの手の実用を少なからづ犠牲にしたスタイリッシュでスポーティなセダンは ”自動車とはメルツェーデスのことである、それ以外は自動車のようなものである” といふメルツェーデス、ベンシの哲学とは相容れなひ筈のものであるます。 そのベンシ、戦後は乗り切ったものの今となって メルツェーデスの文法を捨て、「最善か無か」のイデオロギーを捨て それこそCLSのやうな”メルツェーデスのセダン”では無ひパッケージング文法を用ひるに至るなど ”メルツェーデス・ベンツ”は存在しなくなってしまふとは当時は思ひもしなかったでせうな。
恐らくフィアットはジャガーを傘下に入れるとかは考えていなくて、
ただタタ傘下のジャガーに部品供給などの商売がしたいだけなのではないかと思うのですが。
それでも、マセラーティやアルファ・ロメオと部品を共有するジャガーってのは奇異な感じはします。
と、書いていて思った。フィアットのエンジンやシャシーを用いた車ってのは昔から結構有りましたが
フィアット傘下入りする前のアルファ・ロメオからエンジン供給を受けて作られた車って有りましたっけ?
思いつくのは、一時期モーガンプラス4がアルファの2リッターエンジンを積んでいたくらい。
昨日の話の続き。
メルセデスW196F-1、フロントエンジンF-1の集大成と言っても良いであろう高度な内容を誇りますが
“何よりも先ずエンジンありき”という思想で作られた(実際にはそんな事も無いのでしょうけど)
ように見える車でもあります。
新しい機構も数多く見られますが、その根本に於いては戦前からの
強力・複雑化路線の思想に貫かれたGPカーと考えるべき物だと思うのです。
大体がこの時代に直列8気筒というのも、他には失敗に終わったブガッティT251が有るくらいのもの。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/ed7e.jpg?bcON7YIBHY9M8UoI http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/759d.jpg?bcON7YIBpyX_G9Nf クーパーよりも一足早くミドシップを採用した車ですが、
熟成不足のまま投入された事もあってか結果は残せなかったようです。
話をW196に戻すと、頭でっかちなデスモドローミックDOHCエンジンを70度も傾けて置いた為に
吸・排気管は共に車の右側に有りますが、その為にプラグ交換すらも一大作業となり
メカニックは熱を持った排気管で火傷することも多く。
またその作業だけの為に、右フロントタイヤを外さねばならないと言う有様だったとか。
その癖、直8の長いクランクから来る捩れ振動を嫌ってエンジン中央からパワーを取り出したこともあり
プロペラシャフトは車体左に大きくオフセットしてコクピットを完全に避けて通っていたそうですから
如何に丈のあるエンジンであった事か想像出来るという物。
60年代以降の“シャシー屋さん”が主導権を持って作られたF-1では考え難い特徴ではないでしょうか。
アルファエソジソ供給先、ブラバムの扇風機があるぢゃあなひですか。w あとビッザリーニ氏の試作車とか。w MB・W196もさうですが、ある時期まで基本的にGPカーっつなエソジソありきだったと思ひます。 フェラーリもエンゾ氏はまづエソジソありきの人でしたし。 それがシャシありきに変はっていったのは多分ロータスあたりが出てきて以来、 市販車でもアングロ・アメリカンなんつうアメリカ製エソジソのパワーと扱ひ易さ、 英国シャシの優れた資質をくっ付ければさぞや、つう発想もあった頃と思ひます。 英車は伝統的なものかあんまりエソジソにこだわり無く、 下手すりゃ芝刈り機のエソジソでも使ふ勢ひですから。w シャシの進化はロータス始め英国コンストラクタの影響大とも思ひますし 空力ボディも少なくともF-1に於ひてはロータスがひとつブレイク・スルーをしたでせう。
>>460 レーシングカーは別です(w
それも含めるなら70年頃にはティーポ33のV8エンジンを用いてF-1に出場した車も幾つか有りましたが
元々が耐久スポーツカーレース用エンジン。初めからGP用に設計されたDFVの敵とは成り得なかったようで
特筆すべき成績は残せませんでした。
さて。エロスパ氏の書き込みとも被りますが、クーパー等の英国勢がF-1にもたらした革命とは
“スペックなんてどうあれ、結果速けりゃなんでも良い”っつうミもフタもない考え方を広めた事でしょうか。
59年のクーパーT51を例にとって見るならば、そのスペックは数年前にGPを制圧したメルセデスW196よりも
かなり見劣りするものであります。
エンジンは社外製の4気筒。サスペンションもこの年の物は横置きリーフスプリングだったという具合。
勿論、メルセデスレーシング部門のように各サーキットやドライバーに合わせて
ホイールベースすらも細かく変えるなどの完璧主義などは望むべくも無かった筈。
そんな調子であっても59年には9戦中5勝(勝てなかった内の一戦は当然不参加のインディー500)
と他を圧倒してみせたのですから
それまで「ミドシップマシンはスピンし易い」等と言われ、敬遠されていたのが嘘のように
翌年からは他も皆追随してみせたのも当然のこと。
と、なれば元々がミドシップエンジンとそれに由来する簡素軽量以外に見るべきものも無かったクーパー車が
先駆者の優位を一年しか守れなかったのも無理はないところだったのでしょうが。
しかしクーパーはそれでも二年間に渡り栄光を得られたのですから、幸運であったと思えます。
丁度クーパー車がF-1の世界に革命を起こしてみせた時期に、それ以前の設計思想そのままの車で
GPに参戦しようとしたコンストラクターなんてのが有りました。
当時思い付く限りの高度な内容を持っていたにも関わらずその車は完成した時点で既に時代遅れ。
クーパーF-1よりも明らかに高額な費用を掛けられていた筈も
成績は残す事が出来ぬままに撤退を余儀なくされました。
正に時期を逸した為に歴史に埋もれた車としてしか、現代に記憶されない悲劇。
アメリカ人ランス・リヴェントロウさんの率いたスカラブF-1であります。
フンコロガシ、ツーツーレロレロの片割れは県知事になり 一方のフンコロガシはガダルカナル・タカと改名しげふぃんの王道を歩んでおりますな。 伝説の痴呆ローカル番組であった艶艶ナイト、毎週楽しみにしておりました。 さて、ミッドマウント車のスピンし易さは今でもさうで、操向輪に掛かる荷重が フロントエソジソ車より小さひことに因るものです。RRも同様。 っつか市販ミッドマウント車の多くは事実上RRに限り無く近ひ重量配分となっており 操舵性を如何に”下手糞向きに出来るか”に腐心してゐるのが現状であるます。 RR同様MRっつな原理的には”スローイン・ファストアウト”をきっちりやって 荷重移動を正確にやらなひと曲がってくれません。 FRならばそこのヌイートヌポットが結構広く取れ、ゐろゐろな状況が余りに多様な 公道ボーソーに於ひてはFRが望ましひ、つうアテクシの持論になる訳です。 もちろん、限界的な旋回能を競ふならば重量物がZ軸に最も近く集められ 回転モーメントの小さくなるミッドマウントがベストなのは言ふまでもなく 基本的に平坦・平滑なコースを周回する競技用車両に於ひては 行き着く形態がこれになるのは理の当然と言へませう。
ふんころがしは、ダンカンだな。
あっと、こら股チツ礼、なんか間違ったやうなと思ひつつ読み直してましたが さうでした、訂正恐れ入ります。
実用面から考えても市販車ではミドエンジンっつうのは使い勝手は良くないでしょう。
また、昔と比較すればロードカーとレースカーとの距離が開いた感のある現代ですから
市販スポーツカーにサーキットでの使用を考える必要は薄くなっていると思います。
にもかかわらず、公道用のスポーツカーにミドシップが増えている理由とは何でしょうか?
まず、いつの時代にもレーシングカーはスポーツカーのアイドルであり、
そのレイアウトを真似するのは常道であること。
もう一つ。つか、それとつながる所も有りますが。
レーシングカー的に低い姿勢を実現する為にはフロントエンジンは不都合っつうところも有ったりするのでは?
>>435 に掲げたユニパワーGTとか、ロータス・ヨーロッパ(初代)フォードGT40等1m程の車高の車って
フロントエンジンでは前が見えなくなって成り立たないでしょう。
ところで先日
>>461 を書いてから思ったのですが。英国人はスペックなどには拘る事なく、
使えるものであれば古くても使うというのは一種の国民性のようなものなのかも知れません。
そんな話で思い出すことの一つに、第二次大戦で活躍した航空機フェアリー・ソードフィッシュってのが有って
複葉・固定脚という見た目には恐ろしく時代遅れで有りながらも(事実時代遅れだったのですが)
ドイツやイタリアの海軍相手に奮戦したとか。
敵国に航空母艦が無く、高性能航空機で迎撃される恐れが無かった事とか、
低速・低性能故にUボート相手の索敵、警戒任務には向いていたとか
活躍出来た理由はいろいろ有るようですが、
“家具工場でも作れる”なんてミもフタも無い理由から生まれた全木製機“モスキート”と共に
如何にも英国的な航空機であると思います。
クーパーF-1にしても、元々はマイナー・フォーミュラに於いて
モーターサイクル用エンジンを使う為に簡単であったなんつう、結構テキトーな理由からミドシップを始めたように
“レーシングカーに革命を起こす”なんて野心は無かったようで、
よく言えばシンプル。口の悪い言い方するならばかなり安っぽいGPカーで参戦しながらも
とりあえず一度は結果を残してみせた辺りは如何にも英国的なチームであり車だったというところでしょうか。
ぇえと、現在米国を中心に車高規制が広まっており 安全対策上極端に低ひ車高のクルマが作り難くなってゐるのです。 その為現在ではミッドマウント車でも結構前の高さがある。 かつての308/328に比べ430どころかF355やその前の348あたりですら 結構な車高があります。
467 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/01(火) 05:22:04 ID:pttVd2Hq0
きのう、シトロエンC4 WRCが優勝しましたよ
468 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/01(火) 05:22:27 ID:pttVd2Hq0
2位はスバル・インプレッサWRCでしたよ
469 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/01(火) 05:22:57 ID:pttVd2Hq0
3位はシトロエンC4 WRCでしたよ
470 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/01(火) 05:23:22 ID:pttVd2Hq0
ちなみに、スズキSX4 WRCは24位でしたよ
>>465 相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ 氏
なかなかに面白い考察でありました。
しかし、当方にはひとつ疑問が生じてしまいました。
ヨーロッパ。
この車が意味するものは、ほんとうは一体なんだったのか。
1mほどの車高の車といえば、われらがセブンはその最たるものではありますまいか。
いや、むしろ、公道を走るレーシングカーそのものと言い換えてもいいのでは。
S1もGT40もむしろ、後方視界というものがまったく考慮されていないうえにGT40に至っては
右ハンドルでありながら右にシフトが付いているという、およそ耐久レースでの乗り降り利便性
よりも操作時の違和感をなくすために割り切ったアメリカの意地が見え隠れする
勝利に対する貪欲な姿勢が見える車では、アレはいったいなんの意図があったのか。
シャパラル2Dもありますが、ミドシップの本質とは、一体なんなのか。
わたしには、「速い車はおそらくこうあるべき」といったあたらしいデザインの車体を取り入れるために
必要不可欠の要素になったからではないかと思っているのです。
デザインにひとつの普遍性、時代性が付いて廻るように、これらの歴史にに縛られてしまった
われわれにとって、「こうあってほしい」という願望が「答えとして」求められてしまっているだけで
真実はもっと単純ではないかとも考えています。
>>466 エロスパ氏
なんていうか、それは直球すぎてww
でも328は1120mm、348は1170mm、マクラーレンF1は1140mm、しかしGT40は1016mm、
おおまか4インチの差とは、ミニスカのひざ上丈なみに越えられないものなのかも知れませんw
アテクシ普段はナックルとかパームボールとか 打ち気をくぢけさすやうなタマばかりですが 玉に突然直球、身も蓋も無くド真ん中に放るっつう配球は お付き合ひ長ひふさ先生や逝ってる師は良くご存知の筈。www
>>471 以前も世界初の量産ミドシップスポーツなんて話で登場されましたし、この手のネタお好きですね。
ところでえぇと・・465は考察っつうか・・、ユニパワーGTの画像を見ていたら
「この車のリアウィンドウ下端にエンジンフードが有るならば、
恐らく此処がオリジナルミニのボンネットとほぼ同じ高さになるのか?」
等と考えている内に出て来た思い付きで、
エロスパ氏に言われるまでも無く初代ヨーロッパやユニパワーGT、フォードGT40等挙げた時には
“一体、何時の時代の話をしているんだ?俺・・”などと思っていたのでした。
しかも、今また思ったのですが、これらの車ってレース用を強く意識しているものばかり。
GT40に至っては全くのレーシングカー。後方視界など規則に沿った分だけ有ればそれで良し。
ですから、低い姿勢の為にミドシップにする必要が有ったように書くのは完全に本末転倒。
例としても相応しくないものばかり(w
それはともかく。ボンネットとルーフが同じ高さでは前が見えないのは当然。
ですからフロントエンジンの車では、低いボンネット(エンジンフード)なくして低いルーフは実現不可能。
そこでオリジナルミニの車高は調べてみたら1350mmとか。
これを前輪駆動のままクーペにしたミニ・マーコスは1340mmと殆ど変らず。
もしもユニパワーGT並みに低くしたなら恐らく前は見えなくなっていた事でしょう。
で、更にフロントエンジン車で車高が低そうな車を捜してみると。例えばフェラーリ250GTOなんかは1245mm。
以前CG誌の記事中で永島譲二さんが「見た目には車高が高い」と書かれていましたが、
レースで必要な視界を充分に考えると、恐らくこの程度になるのでしょう。
他で目立つのはトヨタ2000GTの1160mmとか初代ロータス・エリートの1170mm。
特にトヨタ200GTの場合、そのクラウン用直6にヤマハ製ツインカムヘッドという成り立ちからは
そんなにコンパクトなエンジンとも思えず。よくぞそれだけ低いボンネットが可能になったと思います。
それこそ、かなり無理して低い位置に搭載していたのしょうか。
そう言えば“トヨタ2000GTはオイルパンを割り易い”なんて話を何かで読んだようなうっすらとした記憶が・・
うちの75は正しひトルソーアングルのアップライトな着座姿勢を許す それなりの車高のベルリナですが、なぜか先程帰宅したら 駐車場に入った軌跡にオイルが。w ちきしょうどっから漏れた? で、とりあへづヌパイダに入れ替へますが、 このヌパイダ、今となっては低ひ部類ですが全高は1290_、 元がベルリナ/ベルリネッタとシャシを共用するのでこんなもんなのですが 更にアテクシ、手足縮めてやや前傾傾向のポジションを取り ステアリングを腹の前で抱へるやうに乗るのでダッシュが非常に低く感ぢます。 昔の人はストレートハンドなぞと称してシートバック思いっきり倒して乗ったさうなので それなら普通のクルマと同様にダッシュの高さも感ぢたでせうが。 そんなヌパでもアテクシ、ボーソーの挙句ぢつは2度オイルパン割ったことがあります。w 全高が低ひ=最低地上高が低ひ、では無ひのは言ふまでもなひと思ひます。 ヌパは昔のアルファ・エソジソですのでオイル容量が大きひ。 2リッター4発でぢつに7g近ひ容量があります。 下を覗くと下膨れのやうに広がったフィンを切った アルミの上下(アッパー・ロウワー)オイルパンが見へます。 そしてドイツ車あたりと違ひサスペンションストロークが非常に長ひ。 こらやるときゃやります。w であればいっそドライサンプにしてオイルパン取っ払ふ策なのですが レース車両であれば当然さうなってるでせう。その分エソジソ高は詰められる訳です。 先般発売されたアルファ8Cなどは車高はそれこそ安全規格でそこそこですが 重量物を低く積みたひが為ドライサンプを採ってゐます。
>>474 オイル漏れねぇ・・。まぁ、配管の継ぎ目のパッキン程度で済めば良いのですが。
エンジンの丈を低めるのには、ドライサンプ化が最も一般的な手法でしょうが、
他に良くある方法としてはエンジンを傾けて搭載するというものも有ります。
しかしこれ、横置きエンジンレイアウトであればそう難しい話でもないのかも知れませんが
フロント縦置きエンジンの後輪駆動車でやると結構面倒な話にもなるようです。
先日も触れた1954〜55年のGPを制したメルセデスW196もこうしたレイアウトを採っていましたが
この車は単座フォーミュラカーですからエンジンの出力軸が車体中央からオフセットされても
それはむしろコクピット横にプロペラシャフトを通してドライバーの着座位置を低めるのに好都合であり
左右重量バランスさえ辻褄が合えば良いのでしょう。
しかし二座(以上)の車であればプロペラシャフトを車体中央に通さざるを得ない訳ですから
クランク(エンジン出力)軸が車体中央に無いのは大変困る事になる筈。
また、クランク軸は車体中央に置いたままで大きくエンジンを傾ければ左右がアンバランスな車になる筈。
この時代に市販されたメルセデス300SLが、このようにエンジンを傾けて搭載した車として知られていますが
クランク軸は車体中央に置かれています。
その分、傾斜角度は45度と、W196(資料に拠れば70度とか)程には思い切った角度にはされていないようです。
W196のDOHCデスモドローミックに対して通常のスプリングを用いたSOHCカウンターフローだったり
また300SLは6気筒であったりと、エンジンそのものも簡潔にされていますが
クランク軸位置を車体中央に置いたまま、車全体の左右重量バランスを取れる範囲内で傾斜させるならば
この角度が限度だったのでしょうか。
現代ではこうした車を作るならば、何も直列6気筒を傾斜させて積むなんてことはせずに
迷うことなくV型6気筒エンジンを採用するでしょう。
もっとも、現代のツインカムエンジン。少しくらいシリンダーが傾斜していたところで
大してエンジンの高さを低める役には立ちはしないのでしょうけれど。
いつも楽しく見させてもらってます。 Egを傾けて搭載といえば真っ先にブラバムBT55が思い浮かびますね。
おらは、初代エスティマが思い浮かぶだす。
さてさて、75ですがまづどっから汁垂れてるのかと点検、 明るひところで垂れた汁良く良く見ると若干赤っぽひ。 垂れた軌跡からエンジンベイ内追ふとだうもパワステポンプか? さう言へば思ひ当たる節もあり、とエソジソかけて据へ切りしてみると 案の定PSポンプのホースから汁漏れ発見。w これか。 エソジソ傾けて搭載するにはまうひとつ重要な理由があります。 それは殊に大パワー大トルクエソジソの場合、 トルク反動を逃がす為でもあります。DR30・ヌカRSとかがその例。 なんぼマウントがあるとは言へそれでも影響はある訳で、 それこそうちの75なんぞ左のマウントの消耗が激しひ。 引っ張られて剥がれてしまふのです。 基本的に同ぢエソジソ積むヌパイダはこれ程にはなりませんが。 もちろん、マウントを介さづフレームに剛結するレーサーなんかはEんでせうが それはそれで車体そのものが傾ぐことになる訳です。 そのヌパイダ、これ股エソジソ傾斜させて搭載しております、が、 その傾く方向が左右ではなく前後なのです。 前に7度前傾させてある。理由はボンネットの鼻先が低ひから、です。 この為2つではなく3つマウントがあり、フロントのマウントの消耗が 一番激しひ。うちのはセリエ4ですので電動ファンですが それ以前のファンベルで駆動するタイプだとFマウントが逝って エソジソの前傾が大きくなり杉るとファンがカウルに当たってしまふ。
あー、さうだ、昨夜から書こうと思って忘れてたネタです。 昔、おベンシの最高級車種に450SELつうのがあった時代、 その更にトップに450SEL6.9つう物件がありました。 やうするに本来4.5リッターのとこに7リッター弱のエソジソ載っけた物件。 これがなんとドライ産婦なんですな。アテクシ当時厨棒でしたが それ知って「すげぇなぁ、レーサー並みの高度なチューンか」 なんぞと思っておりました。後になって理由が分かってwww。 6.9のエソジソっつなぢつは元ネタ古ひそれこそグロッサーのエソジソなのです。 当然デカひ、丈も高ひ。そのままでは450のエソジソベイに納まらなひ。 そこでドライ撒布にして丈詰めた訳です。なんだょちぇつまんねぇの。w
>>480 グローサーメルセデスと言うと戦前の直8と思う人もいるかも(いないか w)
勿論、そんな筈は無く63年登場のメルセデス600に始まる90度V8ですが。
この車(600)はエンジン駆動のエアポンプによる車高調整付きエアサスを備えていた筈ですが
450SEL6.9ではシトローエン特許のハイドロニューマチックになっていたので記憶に有ります。
>>477-479 最初から傾けて搭載する事を前提に設計されたエンジンならば、別に問題も無いのでしょうが
元々直立した状態で積む事前提に作られたエンジンを傾けて搭載した場合には
何故か大なり小なり問題が出てくるようです。
477さんが書かれた、ゴードン・マーレイが設計した極端に低いブラバムBT55/BMW等もその一例でしょう。
ところで昨日の話の続きですが、このスレの前の方“可動式空力部品”の話でも少し触れた
1955年のスポーツ・レーシングカーメルセデス300SLR。
形は少し市販型300SLに似ている所も有りますが、中身は全くの別物でGPカーW196の二座版みたいなもの。
つーか、メルセデス社内での呼称W196/110というのが示すように、始めから姉妹車として設計された車で
エンジン排気量(当時のスポーツカーレース規定に合わせて3リッター)等、
細かな部分以外はほぼ共通と多くの資料に書かれていますが
シングルシーターのW196ではプロペラシャフトが通っている辺りに運転席が有ります。
複座型のこの車ではプロペラシャフトは車体中央に有るようです。
当然、エンジン位置か動力伝達系に何か相違点が無ければこういう違いは生まれぬ筈。
SCG誌05号にこの車の詳細が書かれていますが、この部分に関する記述は無し。
エンジンの傾斜角度が57度と、シングルシーターのF-1(70度)とは異なる角度とされている辺りに
その解決策が有るのかも知れません。
つまりエンジン傾斜角度は幾分弱められ(立てられて)、車体中央に寄せて搭載されているのではないかと。
それでもかなり左右重量バランスは崩れるでしょうが。
通常、サーキットは時計回りが多い為に純レーシングカーはRhdで右手シフトに作られる物ですが
この300SLRは上記したようにLhdなのも、この重量バランスの問題が有ったからではないでしょうか。
482 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/04(金) 07:07:36 ID:2kVVex84O
ジュネーブショーにおけるベントレー・コンチネンタルGT・バイ・ザガートに萌えました。 ベントレーとザガートの組み合わせは新鮮。 かつてフェラーリ575やアストンDB7のZを手掛けた原田氏の手によるものでせうか。
>>476 > クランク軸位置を車体中央に置いたまま、車全体の左右重量バランスを取れる範囲内で傾斜させるならば
> この角度が限度だったのでしょうか。
ポルシェ944のエンジンは、928の90度V8エンジンの片パンクそのものと言えますから
傾斜角度は45度となるはずですが、実際は40度です。
やはり車全体の左右重量バランスを取るために傾斜角度を変更したのでしょうね。
片パンク→片バンクorz
>>482 これですか?
http://www.worldcarfans.com/3080303.001/bentley-zagato-gtz 言われてみればイタリアデザインのベントレーってのは珍しいですし、中々格好も良いですねぇ。
これならば口が悪かった(らしい)エットーレ・ブガッティさんも
「ムシュー・ベントレーが作った高速トラック」なんて言わないでしょう(w
それにしても、現代のベントレーとブガッティの関係をエットーレさんが知ったなら・・。
>>483 ポルシェ944なんてのも有りましたね。
あれの前身とも言える924ではシリンダーは直立していたのでしょうか?
メルセデス300SLRで思ったことのついで。
シングルシーターのF-1W196という社内呼称でほぼ通っているように、GPカーには特に愛称を付けないのが
メルセデスの伝統のようです。
それに対してレーシングスポーツの方は、300SLRのように市販型300SLとの関連を感じさせる名前を与え
イメージアップに役立てていたようです。
とは言え、300SLってのも一般庶民には全くの高嶺の花であって。
アレが意味する所は更に安価な190SLのアイドルであったり、メーカー全体のイメージ作りであったのでしょう。
190SLにしたって高価だったのでしょうが。総生産台数は300SLの二千台弱に対して二万六千台程とか。
こちらは基本構造からして300SLとは比較にならないお手軽仕立てで
当時の実用サルーン180を短縮して300SLと等しい2400mmのホイールベースとしたシャシーに
ロードスターボディーを載せただけで、サルーンカーそのままのエンジンを搭載していたこともあり
決して活発でもなかったそうです。
しかしまぁ、もしも今300SLが手に入ったとしてもあれを思い切って飛ばせる人もいないでしょうし
雰囲気を楽しむのであれば190SLってのも結構良いかも。
私は形に限って言うならば300SLよりもこちらが好きだったりします。
最近の円高の影響もあり、アメリカでは中古が500万位から有るようですし・・(そんな金が家の何処に有る w)
486 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/05(土) 19:25:20 ID:FyKfGUoOO
そういえば今般、高価な自動車書籍の出版で有名な英国のPALAWAN PRESSから、300SLの豪華本が発売されるそうです。 例によって限定数出版で、単価が10〜15万円だそうですが。 ガルウィングにご興味のある諸兄にはマストですぞ。
>>485 300SLと190SLの関係って、ローレルとローレルスピリットのようなものですか?
488 :
酔いどれエロスパ◎〜▽〜◎ ◆cAAK5ejJdg :2008/04/05(土) 22:42:08 ID:tIMfK9rw0
ぃんや、ヌカGとラングレーの関係です。w
さて、クルマ話ではなひのですが、遊びに行く先漁ってて
にゃごや一宮の長島アウトレット調べてましたところこんな物件が。
http://www.31op.com/nagashima/restaurant.html ↑ここのお腐卵臭ロールケーキ屋?ロマンドーロールなるとこに
ツトローエソのトラック発見。ぅみゅ、かういふ商売もありか。
なればロメオ2のトラックにネスプレッソ業務用機積んで移動バールはだうでせう?
旧車イヴェントやらオナクラ集会で営業とかもE鴨。
横っ腹にでっかひ四つ葉でも描ひてノルド・カフヱとかクアドリ・バールとかって。w
カフェ(クアドリ)フォリオは既に代官山にあるのでそれに配慮、
まぁアテクシときどき行く店ですからマスターに許可貰ってもEんでせうが。w
ネスプのカプスーラは業務用ロットの仕入れで大体\50〜\70。
普通の喫茶店の珈琲1杯当たり原価約\30前後の倍しますが
1杯\500では高ひ、エスプレッソっつな複数杯飲むのが普通(イターリャでは)なので
\300も高ひかなぁ、ドトール並に\150とかで出さなひと客付かなひかなぁ。
アテクシが客だったら1人で行っても最低3〜4杯、
誰かと行って話し込んだら6〜7杯は飲みますから。
出来れば端数無く\100単位にしたひから\200でだうでせう?
当然パステ(パスタ複数形ながらこの場合”菓子パン”の意味)とか
日本では見たこと無ひ”ロゼッタ”(パリパリ系シュークリームの皮だけみたひなパン)に
ハムとかチーズとか詰めて売るとか。このロゼッタ(小さなバラ)サンドなんて日本じゃまだ
誰もやって無ひでせう、イターリャではよくあるんですが。
いっそ定年後、道楽かたがたこんな商売やったら面白ひでせうか。w
300SLはなぜか部品は出ますが、190SLは部品がまったくと言って良いほど出ません。 ところが、出来の良い190SLレプリカが出来たので、ある種期待しています。 とくにヘッドライトw ロマンドロールはうちのところにあるのもアシュトラックです。 どうも、このフランチャイズは、この車両のレストア費用も含めてのライセンスとなっている みたいですが次回車検以降の整備はそれぞれの独立採算のようで、うちの担当のはけっこう 車検代がかさんだので泣いておりました。 ちなみに、一口カステラの販売で、ダイナベースのデリバンで同じような塗装をしたのがいますが こっちは元気に走ります。2Lのクサレディーゼルですがw
アテクシ、基本的に純正主義者ですが場合によって小改造も考へます。 意味無く買ったそばから改造だとか 改造の為の改造や見てくれの為だけの改造には否定的ですが。 で、75のステアリング、純正は一部破損した為 純正と同径のナルディ・クラシック380φ使ってます。 が、長年乗っててやはり若干スローだな、と。 本来の設計の意図を十二分に知る為に純正を味はひ尽くす、 それもそろそろEかな、と。 ヌパイダのステアリングを巻き直すつもりで借り物に替へたら余りに良かった、 つうのもひとつトリガーになったのですが。 で、今日工場行ってパワステ汁漏れ見てもらってる75のステアリング、 でっか杉るので小さいのにしたいが車検通るのはどのぐらひまでか工場長に聞こうと思ったら 「汁漏れしてるパワステホースの在庫がどこにも無い、そっちのほうが問題だ、 ハンドル大きい小さいどころぢゃない今は。」と叱られてしまひました★。w
先日スカラブF-1にちょっと触れて以来、この車の事が気になって仕方が無い。
http://files.conceptcarz.com/img/Scarab/58_Scarab_Sports_Racer_DV-05_Amelia_07.jpg こちらの58年に製作されたフロントエンジンスポーツカーの方は結構画像も有るのですが
F-1の方はと言うと、結果が残せなかった車という事もあって殆ど見つからず
それでも一つだけ見つけたのがこの画像
http://www.ultimatecarpage.com/images/large/644-1.jpg スカラブを作ったランス・リヴェントロウさんという方、殆どリアル版「こち亀」の中川巡査だったようですが。
それはともかく。
F-1の歴史の中では、このスカラブのように数戦のみの参戦で終わった車やチームは結構有りますが
その多くは別段興味を惹かれるだけの魅力も無くって、せいぜいW12エンジンを積んだ変り種のライフF190とか
日本のマキF-1とか等がタマに話に出て来る程度でしかないでしょう。
ランス・リヴェントロウさんのスカラブも、画像その他資料が大して残っていないのですから
そうした車の一つとして片付けられても仕方が無いところなのかも知れません。
しかし、そう簡単に終えてしまうにはあまりにも魅力的な車でもあります。
資料を見て行くと、このスカラブF-1はメルセデスW196に大きく影響されたと思われる節があり
フロントに搭載されたDOHCデスモドローミックエンジンは水平近くにまで傾けられ
プロペラシャフトは車体左側を通されリアアクスル直前に置かれたギアボックスにつながり
ドライバーは僅かに右へオフセットされた位置に着座して、これを直接操作したとか。
このエンジン、全てアメリカ製にこだわったリヴェントロウさんにとっては当然の事ながらアメリカ製。
最初からスカラブF-1専用に設計された物ではなく
当時インディーで無敵だったオッフェンハウザー(オッフィー)を、その設計者の一人レオ・グーセンさん自らが
大改造を施したものだったそうです。
先日“最初から傾けて搭載する事を前提にしていないエンジンを傾けると不思議と上手く行かない”
みたいなことを書きましたが、このスカラブでも潤滑系等にトラブルが多く、また出力もライバルに比べて
やや低かったとか。
493 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/07(月) 05:34:09 ID:M3m+ZG3B0
きのう、フェラーリF2008が優勝しましたよ
494 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/07(月) 05:34:33 ID:M3m+ZG3B0
2位もフェラーリF2008でしたよ
495 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/07(月) 05:34:57 ID:M3m+ZG3B0
3位はBMWザウバーF1.08でしたよ
496 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/07(月) 05:35:22 ID:M3m+ZG3B0
ちなみに、フォースインディアVJM01は12位と19位でしたよ
昨日書き込んだ後で気付きましたが、50〜60年代のインディーカーではオッフェンハウザーエンジンを
傾けて搭載してプロペラシャフトを車体左側にオフセットするのは常套手段だったようです。
http://ameblo.jp/public/image/displayimage.do?imagePath=/user_images/2e/03/10044245002.jpg もっともこの画像で見られるように、その角度は幾らでもなく。言われて見ないと気付かない程度ですが。
スカラブF-1から思った事の話の前に、一応その時代背景など。
ランス・リヴェントロウさんというお金持ちが自動車レースに興味を抱いたのは1950年代半ばのこと。
アメリカにはスポーツカーと呼べる物が未だ生まれる前の事とあってか、
最初は欧州製スポーツカーを買って各地のレースに参加していたようです。
やがてアメリカ人らしく“純米国製レーシングカーが欲しい”と思うに至り、人材を集めて
ようやくモータースポーツに興味を持ち始めた大メーカー・シヴォレーのエンジン&ギアボックスを用いて
自製のレースカー“スカラブ”でアメリカ国内のスポーツカーレースに参戦するようになったのが58年の事。
一介のアマチュア・ドライバーが殆ど自分専用のレーシングカーを仕立ててレースに参戦する。
お金持ちの道楽と言ってしまえばそれまでなのかも知れませんが、
競技規則はお金で変えられる物ではなく。
その上で堂々と欧州製スポーツカーを駆る競争相手を打ち負かしてみせたのだそうですから、
リヴェントロウさんの車作りへの姿勢や運転技量は確かなものだったのでしょう。
F-1GPへの参戦を決めたのはその翌年。
幾ら最初の車が成功したと言え、車作りもドライバーのレース経験も、
マイナー・フォーミュラの経験も無いままでのF-1参戦というのは後のホンダF-1以上の無謀さでしょうか。
現代ならば、恐らく競技ライセンスが出ない筈。
車作りは難航し、59年シーズンに何度か実戦を経験した後に60年にフル参戦という予定だったのが
結局60年シーズンの開幕にようやく間に合ったのでしたが、
タイミングの悪い事に前年ミドシップのクーパーが圧勝したF-1の世界では急激にミドシップ化が進み
58年迄にあった技術で作られたスカラブF-1は登場したその時には既に時代遅れとなっていたのでした。
>>495 ちなみに、4位もBMWザウバーF1.08でしたね
5位はマクラーレンMP4-23でしたね
6位はトヨタTF108でしたね
7位はレッドブルRB4でしたね
8位はウィリアムズFW30でしたね
こういう話になると、自分以外に一体誰かが興味有るのか?という疑問が有って 今更ながらスレッドの私物化なんじゃないか?とか多少は考えないでもないのですけど・・。 でも続ける(w)ランス・リヴェントロウさんとスカラブの話。 1960年迄はインディー500がF-1GPシリーズの一戦に数えられていたという事は、 当然当時のインディーカーはF-1と同じ車両規則で作られていたということでありましょう。 ただし、毎年もう一戦組まれていたアメリカGPには欧州勢も殆どが遠征したのに対して インディー500の方は全て欠席するのが常であったようです。 他のレースとはあまりにもコース形体もレース距離もかけ離れたインディーですから それに特化した車でなければ出場する意味も薄いと判断されたのでしょう。 またその逆にインディーカーも他のレースへ参加する事はなかったようです。 とは言っても、一応は同じ規則の元で作られた車には違いは無い訳ですから、 理屈上はインディーカーを大改造してGPカーを仕立てることも不可能ではなかったのでしょう。 もっとも多段のギアボックス(インディーカーは2段のみが殆ど)を搭載するスペースも必要ですし エンジンもそのままでは戦闘力は低い筈。ですから結局はインディーカーの手法を大幅に取り入れるにせよ 一から作った車でなければ勝負にはならないと判断して作られたのがスカラブF-1ではないでしょうか。 昨日も書いたように、スカラブF-1はその登場時には既に時代遅れだった訳ですが、 予想以上に苦戦した理由は決してそれが全てだった訳ではなかった筈。 この年(1960年)にもフロントエンジンに固執したチームも無かった訳ではなく、 フェラーリはモンツァで一勝を挙げてすらいます。 スカラブF-1が苦戦を強いられた最も大きな理由とは、経験不足からくる車全体の未熟さであり 更にはその為の重量過多だったとか。 下級カテゴリーやインディーで経験を積んでからF-1に参戦する手順が踏めていれば、 もしかしたらそうした事の多くは回避出来たのかも知れません。 しかし、それが出来るだけの時間は無かったのでしょう。翌61年にはF-1は1.5リッター規定に移行することは 既に決定済みであったのですから。
504 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/09(水) 06:11:07 ID:32NPkFKn0
3月の新車販売台数ランキングの首位はスズキ・ワゴンRでしたよ
505 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/09(水) 06:11:31 ID:32NPkFKn0
2位はホンダ・フィットでしたよ
506 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/09(水) 06:11:54 ID:32NPkFKn0
3位はダイハツ・ムーヴでしたよ
507 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/09(水) 06:12:18 ID:32NPkFKn0
4位はトヨタ・カローラでしたよ
508 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/09(水) 06:12:42 ID:32NPkFKn0
5位はトヨタ・ヴィッツでしたよ
1957年からシヴォレーはコルヴェットに4段ギアボックスをオプション装備出来るようにしたそうですが、 それまでアメリカには乗用車用の4段ギアボックスは存在しませんでした。 ですから当然のように、スカラブ一号車もこのギアボックスをシヴォレーエンジンと共に採用しているそうです。 そしてスカラブF-1にもデスモドローミックに改造されたオッフィー・エンジンと共に このギアボックスが用いられているとか。 ランス・リヴェントロウさんに、どの程度純アメリカ製へのこだわりがあったのかは判りませんが 元々が既製の車を買い求めてレースに参加する事に飽き足らなくなって始めたスカラブでしたから 欧州製のエンジン/ギアボックスを買って、他のコンストラクターと大差のない車で参加するのでは 面白くなかったことでしょうし、それならばシャシーも含めて既製の物を買って参戦する ロブ・ウォーカーチームのような行き方でも良かったのではないでしょうか。 欧州勢が使っていないエンジン/ギアボックスを用いて独自の車を作る事。そこにスカラブの存在意義があるなら オッフィー・エンジンを搭載可能な2.5リッター規定の内に参加するしか道は無かったのだと思います。 そこで58年に発足した新進コンストラクター・スカラブは一気にF-1へ参加することを選んだのでしょう。 つまり、そこには経験を積む為の時間の猶予は無かったのだと。 また1.5リッター規定初年度にはイギリス勢も搭載するエンジンには苦労し、 フェラーリの独走を許したように(この規定への対応がフェラーリのミドシップ化の遅れに原因でしょうか?) オッフィーが使いようもない新規定の下では独自性のある車作りは更に困難を極めることは 容易に想像出来た筈でもあります。 そしてその結果はスカラブにとっては苦闘の連続でしたが、それは仕方のないところではあります。 彼等には時間も無さ過ぎましたし、なによりもクーパーのような “目的(勝利)の為には手段(車の見かけ上のスペック)など選ばない”という レースのプロの発想も無かったのでしょう。 理想主義で固めた高価なスカラブF-1はアマチュア的であり、極めて魅力的でありますが それ故にプロフェッショナルなF-1GPの世界に馴染めぬままに消え去ったのでした。
富士重、軽自動車の自社生産から撤退だそうです スバル360から50年、万物は確かに流転しました
516 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/11(金) 05:21:06 ID:7Wz9psm00
>>514 ちなみに、6位はダイハツ・タントでしたよ
517 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/11(金) 05:21:31 ID:7Wz9psm00
7位はホンダ・ライフでしたよ
518 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/11(金) 05:21:54 ID:7Wz9psm00
8位はダイハツ・ミラでしたよ
519 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/11(金) 05:22:18 ID:7Wz9psm00
9位はトヨタ・クラウンでしたよ
520 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/11(金) 05:22:43 ID:7Wz9psm00
10位はニッサン・セレナでしたよ
話は少し前後しますが、ランス・リヴェントロウさん個人についてはこちら
http://en.wikipedia.org/wiki/Lance_Reventlow 英語しかないので読み辛いのですが、母君のバーバラ・ハットンさんの方は日本語版Wikiにありますので
大体そちらから想像出来るかも。
1950年代に数百ドルもの資産が有った人の生活など、私のような者には想像出来ませんが
資産は有っても何もすることも無い人生っつうのもつまらん物だったのでしょうか。
リヴェントロウさんについて書かれた文章の多くは
「彼は明晰な頭脳と人を惹きつける豊かな教養の持ち主であった」と書かれています。
自分専用のレーシングカーを作ってレースに参加する。
車好きの中には、そんな事を一度は夢想してみた事がある人も少なくないでしょう。
リヴェントロウさんは豊富な資産と魅力的な人柄によってそれを実現出来た数少ない一人であります。
彼がスカラブで行ったこと。それは、その本質に於いては世界中の草レースレベルで活躍した人と同じであり
例えば戦前の日本、河川敷に設置された多摩川スピードウェイでダットサンレーサーと対決した
高速機関工業(オオタ)の大田祐一さんが行ったこととか
また、フィアットのパーツを用いた豆スポーツを仕立ててミッレ・ミリア等に打って出た
イタリアの小コンストラクター達が行った事ともも変りは無いと思うのです。
ただ、リヴェントロウさんは彼なりのスケールっつうか、彼に相応な舞台でそれを行ったのであると。
リヴェントロウさんの前、戦前にはハリー・ミラーさんが戦後はブリッグス・カニングハム(カニンガム)さんが
そして後にはキャロル・シェルビーさんやジム・ホールさん、ダン・ガーニーさんと
アメリカから欧州へ挑戦したコンストラクターは幾つか有りましたが、皆それぞれに彼等なりの舞台を選び
様々な理由から悪戦苦闘して夢破れて去って行きましたが
彼等は皆、自らが可能と思ったからこそそれぞれのカテゴリーを選択したのであり
程々のところで満足して小さくまとまっていたならば、こうして後の時代に語り継がれる事も無かった筈。
一見無謀にも見えるリヴェントロウさん/スカラブの挑戦ですが、
彼のスケールからすればそれも必然だったのでしょう。
↑ 5行目 ×=1950年代に数百ドルの資産 ○=1950年代に数百万ドルの資産 スケールが現れる書き間違いか・・ 更にはリヴェントロウさん 母バーバラ・ハットンさんがお亡くなりになったら数億ドルの遺産を引き継ぐ事になっていたとか。 もう、個人の資産の桁じゃあないなぁ・・
もうちょっと下世話なお金の話。
スカラブF-1は二台作られたのみだったそうですが、それぞれに10万ドル以上の資金が掛けられたとか。
アメリカ一番の高価格車だったリンカーンが6000ドルで買えた時代の話であります。
恐らく
>>454 辺りに書いたクーパー・チームが費やした金額とは比較にならないものでありましょう。
30年代のミラーに始まり、カニングハム、スカラブ、シェルビー・アメリカン、シャパラル、イーグル(AAR)
アメリカから欧州へと挑戦したコンストラクターは幾つか有りますが、
その挑戦は散発的であり、また目指したカテゴリーも様々でした。
ひとつのコンストラクターが活躍することによって、人材が育ち。
それがまた次の挑戦者に役立つという循環が生まれなかったことが、
こうした挑戦者達が夢破れて終焉を迎えざるを得なかった最も大きな理由だったのかも知れません。
ただし。欧州車のシャシーを基本としてアメリカ製エンジンを搭載するという方法を採った
フォードGTやコブラは成功を収めましたが、これらはランス・リヴェントロウさんが夢見たような
純アメリカ製マシーンとは到底言えないでしょう。
このスレの前の方で
“アメリカ人は自国こそがレースの本場と信じて疑わず、他は全てローカルレースと思い込んでいる”
みたいな説があることを書きましたけれど、まんざらそれも冗談でもないようで
アメリカ国内しか知らぬ人と、欧州を知ってしまった人との間に存在する(らしい)大きな断層が
アメリカが国際自動車競走の世界では特異な存在以上に成り得ない理由とも思われます。
元々がイタリア系ということもあり、欧州へとドライバーの立場で挑戦して成功を収めた
マリオ・アンドレッティさんはF-1から引退してアメリカ国内レースに専念することを決めた時
「もう、故郷(アメリカ)で理解されない試みに疲れた」というような発言をされています。
世界チャンピオンに輝いても、自宅に帰れば“元・インディーウィナー”としての知名度の方がはるかに高く
また、最近はアメリカ国内で活動していないと言う理由から“過去の人”扱いさえ受ける事もあったとか。
私等は“欧米”と一括りに言う事もしばしばですが、
アメリカから欧州への距離は、思いのほか大きかったのでしょうか。
いつも自分の好きなように、その時々に興味を持った車の話を大した脈絡も無く書き連ねていますが、
さすがにスカラブF-1っつうのは参加したレースも少ない上に完走したのは一度きりとあって
他に興味の有る人も少ないでしょうから一応このくらいで。
59〜60年シーズンにクーパーがF-1を制して、それまでの強力複雑路線から
車全体のバランスへとフォーミュラカーの在り方も変化していったようです。
シャシー・フレーム構造も戦前のC断面ラダーフレームから閉断面、大径薄肉楕円鋼管と変化したのが
戦後には小径鋼管を用いた所謂スペース・フレームへと進化はしていましたが
60年代のツインDチューブモノコックの登場はそれまでの進化の仕方とは大きく異なるものだったようで
これ以降はF-1の話題というとエンジンよりもシャシーや空力が中心となった感があります。
1.5リッター時代のF-1では小排気量ということもあって、
特にエンジンよりもシャシーの方が話題になる傾向があったようです。
実際には初年度(61年)こそV6のフェラーリが制したものの、
翌62年以降はV8エンジン搭載車が勝利を重ねたように直4や直6といったエンジンが主流だった
2.5リッター時代と比べても多気筒化は進んでいたものの
もう、かつてのメルセデスW196のような“先ずは強力なエンジン有りき”という車は時代遅れと
考えられたのでしょうか。
そんな時代にもそれ以前の複雑・強力路線の名残りを残し、車全体のバランスを欠いた物も幾つか見られます。
フェラーリは1.5リッターフォーミュラの末期にフラット12を試みていますし、
ホンダも特異なV12エンジン付きのRA272で参加しています。
http://www.khulsey.com/inomoto_Formula_1_lg.jpeg 横置きエンジンのシングルシーターと言うと、この車のほかには少し前に触れたブガッティT251くらいしか
思い浮かばないのですが、他にも有りますでしょうか?
二輪の経験しかなかったこの時期のホンダらしいとも言えますが、
如何にも前側バンクの排気管レイアウトなどには無理がありそうで、また整備性にも難があるように見えます
この時代のF-1としては珍しい、アマチュア的な感覚の車のように感じられます。
いつも面白い話ありがとうございます。 F1のEgで奇形といったら BRMの水平対抗16気筒だと思い浮かびますねぇ。 長文を書くスレなのか、 1行事に何か書くスレなんだから わからなくなってんなぁww
>>530 BRMのH16っつうのも無茶な代物ですが、クランク軸二本という車は歴史的には結構あるようです。
ずっと以前、車メ板にあったブリストルスレでもそんな話をした事がありますが。
そうした中には一体のクランクケースで連結されて、一応一つのエンジンらしくまとまった物もあれば
全くのツインエンジンみたいなのも有りで、その境い目がまた難しいところでしょうか。
この話も面白そうなので、資料を捜して明日以降にでも。
で、もうちょっとだけホンダ1.5リッターF-1の話。
ホンダは良く知られているように当初はエンジン供給のみの予定でF-1に参加する予定だったのが
供給先に予定していたロータスから一方的に協約破棄されたことから、シャシーまで含めての参戦となったとか。
試作シャシーの通称RA270っつう車は、エンジンテストが主な目的で作られたものであり、
参考としたのも、当時既に時代遅れだった2.5リッター時代の鋼管フレームのクーパーだったそうです。
(ブラバムとする説もあり)
で、実戦参加の為の一号車・64年型のRA271は、またほとんど一からの開発になったようです。
http://www.on-sky.net/~hs/diary/images/20031101_9.jpg 下は翌65年のRA272
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d8/HondaRA272.JPG かなり一年で洗練された感じはしますが、同時代のロータス25/33等と比較してしまうと、垢抜けない印象。
ホンダは当時、この横置きレイアウトを、運動性に優れると考えて採用したそうですが
確かに長いV12のクランク中央からパワーを取り出してそこにギアボックスをくっつけるには好都合でしょう。
また、多くの他車がギアボックスをリア・オーバーハングに置いていたのに対して
前からエンジン・ギアボックス・デフという合理的な順番に配置し、それを全てホイールベース内に収めています。
そう見て行けば、ホンダの主張も、単に二輪の配置を持って来ただけではないというのも理解出来ます。
・・なのですが・・。モノコック後方のエンジン支持するサブフレームは複雑になるなど
結構大変な事の方が多かったでしょう。
恐らくロータス/コリンチャプマンはこれを見て“協定破棄して良かった”と思ったかも・・。
フェラーリもダブルクランクシャフトのF1用12気筒エンジンを開発していましたね。 尤も、レギュレーションで10気筒に制限された為にお蔵入りしましたが。
オートバイの世界だと、 RGΓ、YZR、KR・・・ 市販車でも、RG500・400Γ、RZV500、KR250なんてのがありましたね。 4stもあったと思いますが、失念しました。 識者の皆様方のフォローをお願いします。
FJ360とかFL500とか軽自動車のエンジン積んだフォーミュラには 「横置きエンジン搭載のシングルシーター」がけっこうあったような。 特殊な例ではありますが。
alfa romeo tipo Aは6C1750のエンジン流用、並列配置、ミッションもそれぞれの エンジンにあり、完全に「ビモトーレ」(ツインエンジン)。 ビモトーレといえばP3のエンジンを2基、車体の前後に配した 其の名もbimotoreというモンスターマシンもありました。
>>535 そう言えば・・それはすっかり忘れていました。
>>536 丁度その話書くつもりで、二玄社の「世界の自動車」から構造図スキャンしていました
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/df5e.jpg?bc9pLfIBy8QaDeL_ この図からも判るように、左右のエンジンは全く結合されていないのですが、
ご丁寧にも右のエンジンは図面を裏焼きにして左右反転して作られていたそうです。
ティーポAは操縦性に問題を抱えており、また8C2300モンツァの活躍もあって短命に終わったそうですが、
このプロペラシャフト2本っつう部分は後のテイーポB(P3)のレイアウトの先駆となったようで興味深いところ。
それはともかく。
クランク軸二本とかツインエンジン車なんてのは、普通はこれのように基本になるエンジンが先に存在して
新型車の開発が間に合わないような時に苦肉の策として出て来るものであります。
66年に3リッターフォーミュラが施行去れた時「1.5リッター時代は8気筒が強かったから
3リッターなら倍の16気筒だろう」みたいに(?)一から設計されたBRMのH16はそういう意味で特殊に思えます。
しかしBRMって、1950年のF-1デビュー作でもいきなり1.5リッター過給機付きV16なんて物を作り
失敗しているように、そういった複雑怪奇な物が好きな体質だったのでしょうね・・。
ところで余談ですけど、昨日も書いたブガッティT45の別の個体、自分で撮った写真
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/3dad.jpg?bc9pLfIBBpU9b.cb スターターハンドルが車体中心からオフセットされているのが確認出来ますが、
ギアで連結されたツインエンジン左側のクランク軸につながっているのでしょう。
(16気筒を人力でクランクするのは大変そうですねぇ)
で、思ったのですが。
アルファ・ロメオティーポAの実車っつうのは写真でも見た事が無いのですが
この車の場合はスターターハンドルが二本ぶら下がっていたのでしょうか??
多分は6C1750と同様、クランク先端に過給機を装備する関係からスターターハンドルの備えは
無かったとは思うのですが、もしも二本有ったなら・・気持ち悪いかも(w
移転?
540 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/04/17(木) 20:55:17 ID:BG7J3nM80
( ゚д゚)
あ、久し振りにIEで書き込んだら名前入れ忘れた。
>>539 有難う御座います。しかし上段のリンク先の画像の車は1936年のティーポC・12Cですね
下段リンク先の方は間違いなくティーポAのようで、
少々不鮮明ですがやはりスターターハンドルの備えは無かったように見えます。
或いは車体先端に見える白く写った部分がハンドルのソケットなのでしょうか?
さて、カムシャフトが二本有って喜ぶ人はいてもクランクシャフトが二本有っても嬉しいと思う人って
そうはいないでしょう(でしょ??)
普通は二基のエンジンを一つにまとめようとするならば、一本のクランクで結合するものであります。
BRMのH16も、別に二本クランクにしたかった訳ではなく、ギュッと密度の濃い(全長の短い)
多気筒エンジンを作ろうとした結果がああなったのでしょう。
その代償として吸排気系のレイアウトが苦しくなるのは仕方ないと考えたのでしょうか。
本家たるBRM自身はこのエンジンを用いては好成績を挙げる事は出来ませんでしたが
供給先のロータスがこのH16を搭載したタイプ43で一勝しています。
もしもBRMがせっかく作ったこのエンジンをもっと粘り強く開発し続けていたならば・・やはり無理?(w
またこのエンジン、当初はF-1用3リッター版の他に当時のインディーの規格に合わせた4.2リッター版も製作し、
ロータス製シャシーに搭載してアメリカに遠征もする予定だったそうです。
もっとも肝心のF-1用が難産していた状況ではそれどころではなく、この計画は霧消したようです。
これもまた余談ですが(まあ、最初から全て余談と言えば余談 w)
60年代にフォードがモータースポーツに力を入れた時。
レーシング・スポーツカー開発のパートナーに選ばれたのはローラでしたが、アメリカ国内での
インディーではフォードエンジンを搭載するシャシー製作を担当したのはロータスでした。
ですから最初に“ロータス・フォード”と呼ばれたフォーミュラカーは63年のインディーカー“29”であり
その辺の事情に疎かった黎明期の日本プラモデル業界では、箱絵は67年のF-1“49”なのに
中身はインディーカーというインチキな外国製キットのコピー品が多く出回ったとか。
この手のツインエンジンつうか二本クランク軸の中でも変り種というと、
前スレでもすこし“怪しいメーカー”のネタで触れた1920〜30年代のフランスで特異な前輪駆動車を
作っていたビュシアリっつうメーカーが企画したTAV16“Doubule huit”(ダブル8)でしょう。
ビュシアリというメーカーについてはSCG01に詳しく書かれていますが
このドゥーブル・ユイについて少し。
一応、プロトタイプは作られたようです
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/38cb.jpg?bc1W2fIBMZMCLWaT これが何故変り種の中の変り種かというと、普通(?)はこの手の代物って例のBRM・H16もそうですが
レース用を前提に作られた物が殆どなのに対して、純粋にロードカーとして企画された物だからです。
レーシングカーの場合ならばともかく、ロードカーとしてはこの手のものって全く必然性が無いと思うのです。
ただ16気筒(ダブル8)というインパクトのあるスペックが欲しかっただけで計画されたのでしょう。
このビュシアリというメーカー、誇大な広告をうつのが大好きだったようで、
やたらに宣伝は魅力的な文句を並べた物を製作していたようです。
しかしその実際はエンジンを自製出来る程の規模でもなく、現実に売られた完成車
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/489c.jpg?bc1W2fIBCaCVZS7l これはアメリカ・コンティネンタル社製のエンジンを搭載していたとか。
ダブル8(ユイ)エンジンは何処から調達する予定だったのか?
試作シャシーに乗っていたエンジンは単なるアルミの箱でしかなかったそうです。
更にはこのビュシアリ社“メルセデスSSKの直列8気筒を二基並べたドリーム・レーシングカー”
なる物まで計画、公表していたそうです。
先日触れたアルファ・ロメオティーポAを拡大して前輪駆動化したような物だったようですが
残された概略図を見ると片方のエンジンはティーポAと同様に全てを逆にして作り直す必要が有ったとかで
このメーカーの手に負える物では無かった筈。
・・それに第一メルセデスSSKの7,2リッターエンジン(二基なら14.4リッター・・w)は直列6気筒ですし・・
全く何処まで本気だったのでしょうか?(w
この手の二本クランク軸エンジンの市販車と言うと思い出されるのは
先日もちょっと名前の出たチゼータV16Tでしょうか。
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=5014 この車も“V16”という響きが欲しかっただけで特に必然性が有って作ったとは思えないのですが、
まぁ、こうしたエキゾティックカーの場合はそんな事は言うだけ野暮という物でしょうか。
で、この車の場合は“V8を二基連結したような構造”と言われる事が多く、
その為に二本クランク軸のエンジンの範疇に入れても良いモノかとも思えるのですが。
この車のシリンダーブロックの写真
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/6b1a.jpg?bc1W2fIBDqEm0e2X V16TのTという文字の由来となった、ギアボックスがエンジン中央に直角に付く構造がよく判ります。
ホンダRA271&272やブガッティT251と同様(ホンダはギアボックスも横置きだったようですが)に
クランク軸が長くなり過ぎるのを避け、しかもギアボックスを車体中心線に置く事が出来る
合理的(?)レイアウトなのでしょう
こうして見ると、仮にクランク軸が中央で分割されていたにせよ
やはりV8X2と言うよりもV16エンジンとして成立していると思えてきます。
当時メーカー自身もV型のDOHCなのですから4カムと言うべきを8カムなんて、
人を混乱させるような呼び方をしていた事から余計に複雑に思われているのでしょう。
今、チゼータはアメリカで再起して少数が生産されているなんて記述も見られますが、買う人いるのでしょうか?
V8を二基連結させて作られた16気筒エンジンといえば。狭角V8を一つのクランク軸で対角させたような
現代のブガッティ・ヴェイロン16.4が思い出されます(これはこれで凄い物ですが)
通常は二基のエンジンを一つにしたような多気筒エンジンと言えば、こうした手法を採るのが常道でしょう。
戦前に存在したV16エンジンはキャディラックやマーモン、またアウトユニオンのGPカー等
皆こうした成り立ち(直8を二つ対角させる)から出来ていたようです。
縦に連結させると言うのはあんまり例が無いと思われ、他ではV16では有りませんが
“かの”ムシュー・ガブリエル・ヴォアザンが作り出した直列12気筒車というのが思い出される程度。
>>544 V16といい、ダブルリトラといい、
その変態っぷりが大好きですチゼータV16T。
貴重な写真ありがとうございます。
実際乗って見るとリヤヘビーでどうしようもないんだろうな・・・ww
>>545 雑誌の試乗記など見る限り、そんなに悪い事は書いてないようですけどね。
エンジンを横置きにしたのは、恐らくその辺への配慮もあるのでしょう。
で、二本クランク軸の話からは外れますが、
ガブリエル・ヴォアザンさんが1936年のパリ・サロンにて発表したという直列12気筒車。
大変残念なことに私はこの車の画像を見た事が無いのですが、この車の作られた狙いというのも
前後方向の重心位置の適正化にあるのだそうです。
意外な気もしますが、ヴォアザンさんは敢えて前後に長いエンジンを作り出し客室内に侵入させることで
重量物(エンジン)をホイールベースの中央近くに置こうとしたのだとか。
言わばこのスレの前の方、タービンエンジンカーの話の中で出たSTPパクストン・スペシャル
http://www.forix.com/8w/altpower/stp-paxton-rear.jpg これと発想は近いものなのでしょうが、エンジン搭載位置を変えるのではなく
敢えて前後に長いエンジンを(わざわざ)作ってそれを実現する辺りがガブリエル・ヴォアザン流なのでしょう
当然(?)試作で終わったようです。
チゼータのような16気筒エンジンというと、ツインエンジンみたいなのも含めて
先日も書いたように8気筒エンジンがベースとして先に有り、それを二基結合させたような物が多いようですが
例外と思えるのがBRMのV16とかH16、それに試作に終わった物も含めるならば
1936年頃にアルファ・ロメオが試作したミドシップれGPカーの162とか、
ポルシェがCAN-AMに本格参戦する時にターボ化された12気筒と共に試作、検討されたというフラット16など。
もっともポルシェの場合は様々なシリンダー数に対応出来る水平対向のメリットを生かして
レゴみたいに(?)付け足し、削減自在に行っていたみたいですが。
航空機用エンジンを搭載したワンオフのスペシャルみたいなのを別とするならば、
恐らくは16気筒が自動車用エンジンとしては最多なのでしょうか。
現代のブガッティ・ヴェイロンの構想が発表された当初は直6x三列の18気筒が計画されていたようですが
結局生産型は(考えようではより複雑な)V8x2の16気筒になったのは記憶に新しいところ。・・惜しいなぁ・・(w
>>549 リンクをクリックすると404になるのですが、何が有ったのでしょう?
さて、前後に二基のエンジンを搭載する2CVサハラ。
なんと、何故か燃料タンクまで前後にそれぞれ専用の物を二個持ち、前席下に配置されているそうで、
最近のホンダのセンタータンクレイアウトの先駆けになってもいます。、
トランクが無いという実用性の欠陥も有りながら価格は通常の2CVの倍にもなったのでは
少数が販売されたのみで終わったのも無理は無いところでしょうか。
メーカー自身も大量に売る気はなかったのか、
砂漠などに使われる事を前提とした特殊車両みたいな位置付けだったようです。
これまで散々この手のツインエンジンに実用上の必然性無しと書いておきながら今更ですが、
この2CVサハラの写真やら、新型ホンダ・インスパイアの広告や新聞記事やらを見ていたらふと思いついたこと。
インスパイアの売り物の一つ、よくある気筒休止システム。
あれって、休止しているシリンダーも燃料が供給されていないだけであってピストンは上下している訳ですから
その間は単なる無用の長物。つかフリクションロスの素(でしょ??)
だったら2CVのフラットツインを二基つないだようなエンジン(GSみたいなものですね)を作る。
ただし完全にはつながないで間をクラッチでつないだような構造にして、断続可能にする。
で、発進加速時にはクラッチをつないだ状態にして4気筒フルに使い、
軽負荷時には片方のエンジンは完全に止めてしまい、クラッチも切っておく。
これなら制御も簡単、振動バランスも考える必要なし。単なる気筒休止システムよりも効果大の筈。
問題は一基のエンジンの中で行うのと異なり、やはりツインエンジンなので
バルブ駆動系とか電装とかも全て二組必要となってコストが嵩むことでしょうか?
幾らガソリン高いと言っても、初期投資を回収出来るのに何万キロ走らないといけないか?って考えれば
やはり意味は無くなってしまうのでしょう。
ホンダの場合、既存エンジンの設計変更でどうにかしてアレを実現したはずです。 エンジンって開発コストがかかりますから、 まずシステムありきでとんでもないことが許されるのはプリウスみたいな特殊車に限られていて 今は先々商品として継続生産していくことを考えないと、 スバルのフラット4みたいに自社の首を絞めることになりかねません。 日産VGのように「ミニバンから高級GTまで」というのも色気がない話ですが、現実との妥協ですね。
訂正 VQ 往年のL型を彷彿とさせる異常な汎用性ですね
時間無ひので一言だけ。 パイクスピークの山登りにツインエソジソのゴルフとか出てました。 あの山登りは標高が高く空気も薄ひのでその手のパワーアップ策もありませうし 所詮ダートなので通常デフ入れて吸収する前後輪の回転差も 問題にならんのでせうか。
>>553 ツインエンジンのカルタスとかありましたね。
あとツインエンジンにしたピアッツァもありましたね。
>>554 お金は人を狂わせますね・・(家人曰く「一度くらい狂ってみたい」ですと w)
>>551 やはりね・・何せ発想の源が2CVサハラですから(w
昔のようにフラットツインとかVツインエンジンが一杯有った頃ならば
そういうのも有っても面白かったとおもうのですが。
ただし、2CVのエンジン。パナールのなどと同様にフラットツインとしては珍しくないのですが
吸排気の流れがクランク軸と平行なのでそのままでは二基つないで四気筒化は出来ませんが。
>>553 >通常デフ入れて吸収する前後輪の回転差
ツインエンジンでスロットルのみリンクさせているのでしたら、
前後輪は機械的に結合されている訳ではないので問題は無い筈(ですよね・・?)
この先、パイクスピークとかドラッグスターのような常識に掛からないようなものを除く競技車両には
恐らくツインエンジンのモンスター等は出て来る事は無いのでしょう。
殆どのカテゴリーではエンジンは一基に限定されている筈。
ただ、そのような条項が付けられたきっかけは、ここ数日に触れたようなツインエンジンのモンスターが
その原因になったという訳では無くって。このスレの前の方“可動式の空力部品”って話の中に出て来た
シャパラル2J
http://www.vicelford.com/gallery/23large.jpg この車が吸着用ファンの駆動にスノーモビル用2stエンジンを用いた事がきっかけだったようです。
で、此処からは何処で読んだか記憶に無いうろ覚えなのですが
後の1978年。ブラバムで同様の試みを行ったゴードン・マーレイが当時のF-1規定“総排気量3リッター”は
仮に補機駆動用にもう一台のエンジンを積んだら、その排気量も含まれるものかと問い合わせたところ
そのような構造は認められないと知り、仕方なく走行用エンジンでファンも駆動する仕組みとしたとか。
でも結局は一戦のみで禁止になってしまうのですが・・。
ツインエンジンとか二本クランク軸の話は一応これくらいにして。
山登りでちょっと思い出したのですが、最後のフロントエンジンF-1マシーンは2.5リッター最後の年
1960年のフェラーリやスカラブではなく、1.5リッター規定初年度に登場したファーガソンP99でした
http://www.f1technical.net/f1db/cars/images/1961/fergusson-P99.jpg この車については前スレでも少し触れた筈ですが、デビュー戦イギリスGPでは奮わなかったものの
雨に恵まれた(?)ノンタイトル戦オールトンパーク・ゴールドカップという一戦では
スターリング・モスの操縦で勝利を飾っています。
なんで山登りでこの車を思い出したかというと、GPレースでは結局この一勝以外では
重量過多とか既に時代遅れだったフロントエンジンレイアウトの影響も有ってか苦戦したようですが
ヒルクライム・イベントでは結構活躍したという話を何処かで読んだ記憶が有ったので。
ヒルクライムってのは60年代頃までは結構人気が高かったようですが、
昔はタフネスを競うという性格が強かったラリーが高速化するとそちらに人気を吸収されたのでしょうか?
最近は大規模なイベントは全く無くなったようです。
それはともかく。
ファーガソンP99という車、何故この時代にフロントエンジンだったのか?というのはちょっと不思議な気がします。
この車の開発の中心となったのは戦前から四輪駆動車の研究を進めていた二人の技術者で
それを戦後、トラクターで有名なハリー・ファーガソンさんがサポートしてGPカーとして形になったとか。
開発された時代から思えばフロントエンジンでも不思議は無いのでしょうが。
しかしその登場時には他のGPカーは全てミドシップ化された後でしたし、
四輪駆動に起因する構造上の問題とも考え難いので。
四輪駆動の単座レーシングカーというと、このスレの前の方で触れたハリー・ミラーさんのインディー・カー
http://www.khulsey.com/makoto_ouchi_miller_indy.jpeg また、試作で終わったようですがチシタリアF-1(ポルシェ360)
http://usuarios.lycos.es/cporschecat/images/porsches/cisitali.jpg とか。
逆にこれ等は時代に先駆けてミドエンジンだったのも興味深いところ。
チシタリアF-1(ポルシェ360)という車、戦後フェルディナンド・ポルシェさんがフランスに囚われの身にあった時 子息のフェリー・ポルシェさん他のスタッフがイタリア・チシタリア社からの依頼を受け 設計・開発したF-1カーでありますが、試作車の完成時には肝心のチシタリア社が資金難に陥っており 実戦への参加は叶わなかったそうです。 昨日も触れたファーガソンP99よりも完成時期は10年以上早いのですが、 ミドシップエンジンなど構成的にはむしろ近代的とすら思えるところも有ります。 フレームの構造にしても多鋼管スペースフレーム構造を時代に先駆けて取り入れており、 基本的には戦前の設計であったこの当時の他のGPカーとは一線を画す物だったようですし。 もっともフェルディナンド・ポルシェさんが戦前最後に設計したGPカー アウトユニオンPヴァーゲンもミドシップでしたし、子息フェリーさんもその設計思想を受け継いで ミドシップの利点をより突き詰めたと考えるのが自然なのでしょうか。 アウトユニオンではコクピット背後にあった燃料用スペースがサイドに移されて、 全体をよりコンパクトに引き締めてあるようです。 F-1の世界で四輪駆動が本格的に研究されたのは60年代末の事でしたが、 ファーガソンP99の場合はエンジンがフロントに有る他は後の四輪駆動試作車達と基本的には同じ構造。 乱暴に言ってしまえば前後を逆にしたような構造を用いたフルタイム4WDだったのに対して ポルシェ360のもっとも大きな違いはドライバーがその路面状況から判断して 自由に4WD⇔2WDを切り替えられるパートタイム式だったことだったようです。 また、更に特徴的だったのは前輪へ駆動力を伝えるシステム一式を取り外し可能としている事で 四輪駆動の必要性の無いと考えられる条件下で行われるレースに於いては それを取り外して軽量バージョンを簡単に作れる構造とされていた事だったとか。 軍用車両等で四輪駆動に経験の深い(そうした事の故に軟禁の身とされたのは皮肉ですが)ポルシェさんと そのスタッフらしい凝った設計なのでしょうが、 そうした複雑な構成から成り立つレーシングカーに成功例が少ないのも事実。 やはりこの車も懲りすぎたが為に完成出来なかった失敗例と考えるべきでしょうか。
ファーガソンP99もそうですが、フロントエンジンの4WD車の場合は
通常エンジン出力の取り出し部分を車体後方に向ける形で配置し、
そこにギアボックスとかトランスファーを置いて前後に出力を分配するものでしょう。
ミドシップエンジンであればそれを前後逆にするのが一般的であり、その為に縦置きエンジンならば
通常の後輪駆動型とは逆向きにエンジンを積み、ギアボックスはその前
つまり車体中央寄りに配置するのが合理的と考えられるようです。
http://www.usuarios.lycos.es/eduardomacri/transparencia_lotus_63_1969.jpg 69年にロータスが作った4WD・F-1“63”の透視図。エンジン前にギアボックスを配置してあるのがよく判ります。
この時期に試みられた他の4WD・F-1試作車も皆こうした構造だったようです。
中には(何故か)コスワースが自ら試作した(設計は少し後にマーチを興すロビン・ハード)物も有り
http://www.forix.com/8w/4wd/mc-sil69.jpg やはりエンジンは前後逆に搭載されているそうですが、この搭載方法だとDFVの特徴である
モノコック背後に直接取り付けて車の構造材を兼ねる事が出来なくなる筈。
それで良かったのですかね??
>>557 でも触れたハリー・ミラーさんの4WDインディー・カーもエンジンの向き同様ですが、こちらは少し変っていて
エンジンからの出力はまずプロペラシャフトでコクピット前部に置かれたギアボックスに伝えられて、
そこからトランスファーを通り後輪駆動用の力はもう一本のプロペラシャフトで後方に送られるという
丁度現代のニッサンGT-Rの構造を前後逆にしたような二本プロペラシャフト構造とされているとか。
で、昨日も書いたポルシェ360(チシタリアF-1)の概略
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/2ab0.jpg?bcJIejIBEjq9_7G8 思えばフェルディナンド・ポルシェさんのキャリア初期に作られたローナー・ポルシェ電気自動車にも
四輪全てにインホイール(ハブ)モーターを持つ物も有ったそうですし
ポルシェ社と4WDの関わりは軍用オフローダーを含めてかなり深いのでしょうが
なんだか今の目で見ると素直ではないと言うか、不思議な物が多い印象が有ります。
そのチシタリアF-1(ポルシェ360)のエンジン画像
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/dd80.jpg?bcnCzjIBd2pSvz6n ビートルや後のポルシェ356のようなトーションバー・リアサスペンションが見えます。
このエンジン、如何にもポルシェ社設計による物らしく水平対向だそうですが
やや意外に思えるのは強制空冷ではなく水冷DOHCフラット12だということ。
出力は諸説あって、この写真の状態(1946年の完成時)で440HPという物も有れば380HPとしている物も有り。
最終的には500HPを予定していたとか。
この数字はかなり楽観的つうか眉唾なところも有り。当時最強だったアルファ・ロメオ158/159が
46年型で275HP、最終型1951年型で425HP(瞬間的には450HPを発揮したと言う記述も有り)だそうですから。
ポルシェ360が目標値としていたという500HPと言えば、
その30年程後に登場したルノー・ターボF-1の公表値にも匹敵する値ということになります。
(一応どちらも1.5リッター過給機付きで条件面はかなり近い)
この大馬力がセレクト式4WDを採用した最大の理由だという事ですが、
それにしても直8エンジンで後輪を駆動するアルファ・ロメオが車重700kg(51年型)と言いますから
この12気筒4WD車の車重は幾ら位になっていたのでしょうか?
ちなみに、戦後GPレーサーのフォーミュラの変遷を追っていくと
47〜51年が過給1.5リッター無過給4.5リッター(比率で見るなら1:3)
混乱期を経て54〜60年が過給0.75リッター無過給2.5リッター(1:3.33)
1.5リッター過給禁止時代(61〜65年)の後が過給1.5リッター無過給3リッター(1:2)
技術の変遷により、過給機付きエンジンの扱いが変化している事も判ります。
70年代にターボ過給エンジンがレースの世界で注目された時、多くのカテゴリーではこれを装備する物は
排気量に係数1.4を掛けるという扱いであったのに対してF-1では2を掛ける扱いであった事から
他に比べて見るならばかなり厳しいようでしたが
F-1規定の変化追うならば、むしろこの時代がもっとも過給機に寛容であったことになります。
恐らく、この所謂3リッターフォーミュラ決定時にはターボ式過給機の登場は考えられていなかったのでしょう。
>>559 ミドのEgからの動力がフロントのミッションへ行き、
そこから四輪へ分配されるというと、フォードRS200と同じわけですね。
>>561 ハリー・ミラーさんが作られたミドシップ・インディーカーの話ですね。
その車(フォードRS200)については知りませんでしたが、捜してみれば意外に有るモノなのですね。
こういう話をしていると時々思うのは“全く新しいレイアウト”ってのは案外有りそうで無い物だということ。
採用する目的とか、細部の成り立ちはそれぞれに異なるのでしょうが、大体は既に先例が有るようで、
それが“世界初のナントカは何か”って話を常に難しくしていると思います。
例えば“世界初のガソリンエンジン・前輪駆動車”と言うと、このスレで何度か触れた
1900年代のウォルター・クリスティーさんが作ったダイレクト・ドライブ前輪駆動レーサー
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/50ef.jpg?bcuAdkIBhNDoUotK と、されている資料が多いのですが。
この車が前輪駆動の特許を取得したのが1904年のことで、そうすると史上初の4WDレーサー・スパイカー
http://www.ebroadcast.com.au/ecars/ClassicCars/PiCs37/Spyker01.jpg 1903年よりも後ということになり
“なんか変な話だなぁ”と思うのが普通(?)でしょう。つか、私も最近までそう思っていた一人なのですが
案の定前輪駆動車には更に先例が有り。1897年にはオーストリアの“graf & stift”車が有りました。
http://members.lycos.nl/tilburg/grafstift.html “グレーフ・ウント・シュティフト”とでも読むのでしょうか?
今も鉄道車両とかトラックのメーカーとして残っているらしいこの会社、
30年代までかなりな高級車を作っていたらしく“オーストリアのロールスロイス”とも呼ばれ
第一次大戦の発端となったオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がサラエボで暗殺された時に
乗っていたのもこの車だったとか。
その割りには現代に於ける知名度は低く、残存する車両も少ないのか検索しても画像も他に無い。
ミステリアスなメーカーではあります。
前輪駆動を手掛けたのはこの一時期のみだったようで、量産市販車として世界初とまでは言えないのかも。
もっとも“ガソリン車”とか“四輪車”に限らないのであれば、有名な18世紀のキュニョーの砲車が
前輪駆動車の第一号という事になるのでしょうけど。
563 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/03(土) 00:44:08 ID:9WQOOFPIO
その
564 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/03(土) 00:52:22 ID:9WQOOFPIO
途中できれてごめんなさい。 その墺国皇太子のG&F車の運転手オットー某が後に、ドイツの名レーサーになったとどこかに書かれてました。
オーストリア出身のレーサーですか。誰でしょうね?
G&F車、もう一枚画像見つけました。全く説明無しですが、これを見ると確かにかなりな高級車だったようです。
http://www.autogallery.org.ru/k/g/30g-sSP8.jpg ちょっと戻って、過給エンジンに用いられた係数の話の続き。
最初に過給エンジンがGPで勝利したのは1923年のモンツァで行われたヨーロッパGPだそうで、
この時のレギュレーションは単に排気量2リッター以下とされており、
それまで出走した例も無かった事から過給機の有無は規定されていなかったとか。
(GPレース以外には出走例有り)
車はフィアット805(直8)。この車は最初から過給機付きを前提として開発されたようで
直接比較すべき過給機無しの車は特に存在しないようですが、
前年に走ったティーポ804(直6)が92HPだったのに対して140HPと公表していたそうです。
この後、リブレの混乱期や所謂750kgフォーミュラ(最大重量750kg)等を経て
38年からのフォーミュラでは過給機付き3リッター、無しで4.5リッター。
戦前一杯は過給機が禁止されたレースを除いては23年のフィアット以降過給機無しの車が勝利した例は無し。
そして戦後は
>>560 に書いた通り。
54年からの2.5リッター規定以後は70年代後半にルノーがターボを持ち込むまでは
過給機付きエンジンの出走例は無かったようです。
54年にメルセデスがW196でGPに復帰するにあたり、2.5リッター自然吸気と0.75リッター過給機付きとを比較した
その結果は当時の技術で2.5リッターエンジンでは300HP程度が可能と考えられたのに対して
0.75リッターでその水準を達成する為には3.5気圧程度のブースト圧が必要と考えられ
それを機械式過給機で達成するには戦前に用いた一段〜二段過給では間に合わず、
またそうして達成しても低速トルクも無く燃料消費過大なエンジンとなる事が予想されることから
結局は過給無しの方が選ばれたとか。
この時代になると、生産型ロードカーでも機械式過給機を備える物は殆ど無かったことから
市販車への技術応用の為も考慮しての事というのは勿論有ったのでしょうが。
圧力の単位ってのは複雑・・つか、いろんなのがあって、資料により使われているのがまちまちで。
しかもレーシングカーに関してのメーカー公表値もあんまりアテにならないところも有って。
ですから
>>560 に書いたアルファ・ロメオ“アルフェッタ”の出力が
例えば51年型では425HP(瞬間的には450HP)と書かれている資料ではこの時の過給圧を3.0kg/cm2と
書いてあり。
また昨日書いたメルセデスが“0.75リッター過給か2.5リッター無過給か”と検討した時の話について
書いてあった資料ではこの辺を“3.5気圧”としてあったり。
こうした事を細かく正確に考えるのはかなり難しいことになります。
それでも一応、1.5リッター過給で4.5リッター無過給(3倍)に対抗するには3.0kg/cm2が必要で
0.75リッター過給で2.5リッター無過給(3.33倍)に対抗するには3.5気圧が必要だったっつうのは
大体筋は通っているような・・。
更に言うなら。ターボF-1の最終年(88年)1.5リッター過給エンジンには2.5バール規制が掛けられても
対抗する3.5リッター無過給(2.33倍)には圧倒的に優位だったのもなんとなく納得出来るみたいな。
・・まぁ、かなり大まかな話ですが。
機械式過給機でも単純に出力だけを見るならばターボに匹敵する効率が得られるようですが、
これを用いて大きな過給圧を得ようとすると駆動ロスも大きく、
過給する為にエンジン回しているような具合になってしまうのでしょうか。
また燃料消費過大となるのは複雑な多段過給では吸気の冷却も間に合わずに
ガソリン冷却に頼らざるを得ないみたいなところが出て来るのでしょうか?
市販車の世界に目を向けると、今や日本車では一部の特殊な車種にしか使われなくなった感のある
過給機ですが。欧州車では結構今でも多くの車種に使われている様子。
特にVWが1.4リッターの小型エンジンに機械式と排気タービン式との両方を組み合わせて
複雑な制御で燃費にも気遣った車を出しているのは興味深いところであります。
つか、あれ程にF-1で猛威を奮ったホンダのターボ技術などは一体何処に行ったのでしょうね?
現代のディーゼルエンジンにも、あの頃の貯金は生きているのでしょうか?
568 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/05(月) 21:03:28 ID:S2SrUftIO
墺帝皇太子の運転手の件、オットー・メルツといふ男なり。 後ポルシェに従ひてダイムラー・ベンツの競技運転手となりし。 かの男、欧州中にて熊と呼ばれ甚だ恐れられたり。
569 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/05(月) 21:05:27 ID:9cHEWonM0
>>566 > 市販車の世界に目を向けると、今や日本車では一部の特殊な車種にしか使われなくなった感のある
> 過給機ですが。欧州車では結構今でも多くの車種に使われている様子。
ポルシェ等の特殊な車を除けば、ほぼすべての欧州車が過給器を使わなくなった時期もありました。
そんな中で、唯一の例外はサーブです。サーブは、世界で初めて普通の量産乗用車にターボを使った
99ターボを発表してから現在に至るまで30年間、常にターボ車をつくり続けています。
エンジンの出力を増大させるためではなく、燃費を向上させるために過給器を使うというコンセプト
の車は近年少なくありませんが、サーブのターボ車は30年前からそうでしたね。
過給器→過給機orz
小メーカーでエンジンバリエーションが限られるが故の苦肉の策という一面もありますけどね……
>>568 オットー・メルツさんですか、その名前は知りませんね。また調べないといけない事が増えましたか。
>>570 サーブもターボエンジンでは老舗の部類ですね。一度運転してみたい車なんですが機会無し。
最近の型ならディーラーに行けば何時でも乗れるのでしょうが(後が大変 w)
やはり興味を惹かれるのは初期型2stとかフォードのV4を積んでいた辺りまで。
・・スウェーデン食わぬは男の(ry
このスレでは何度か取り上げている自動車史家の折口透さんの著書(何冊か有りますが)によれば
史上初のターボエンジン付き市販車は62年のGM・オールズモビルF85ジェットファイアだそうです
http://www.tqhq.ee/img/compact_62jetfire.jpg http://www.tqhq.ee/img/compact_62jetfire2.jpg (余談ですが、この頃のアメリカ車のネーミングは単純明快、景気が良くっていいですね w)
鉄道車両では1920年代、トラック用としては30年代(共にディーゼル)から存在しましたが、
一応、ガソリンエンジンを用いた物としてはこれが最初らしく、欧州で最初とされるBMW2002(74年)に10年以上、
またレース用ターボエンジンの始めとされる63年のインディーカーにも1年先駆けている事になります。
更にその資料を見ると興味深いのはノーマル版(185HP)の圧縮比が8.5だったのに対して
ターボ付き(218HP)の圧縮比は10.5と高く、
異常燃焼防止の為に気筒内へのアルコール/水噴射装置が設けられていたとか。
先に空気のみを吸入するディーゼルでは圧縮時の異常燃焼の恐れが無いことから問題にならなかった事の筈で
ターボ・ガソリンエンジンと言えば航空機の技術だった頃のこと。
航空機の行き方をそのまま持ち込んだのでしょうか。
また、特に資料中には明記されていないのですが長時間連続して使用する事は禁じられていたみたいで、
それに従わずエンジン・ブローさせる顧客が続出した事から僅か二年で消滅したそうです。
>>572 さんの書かれたような事情
(ベースエンジンに排気量増大の余裕が無かった)事から生まれた物のようですが
軍用機のようなメンテナンスを必要とする代物を一般に売り出すのは無理が有ったということなのでしょうか。
ターボチャージャーというと、KKKを最初に思い浮かべてしまう世代w シルエットフォーミュラ(Gr.5)全盛時代のシュニッツァー・セリカLBの影響は否めません。 現状、ギャレット(ついエアリサーチまで付けてしまいますw)、現在のハネウェルですが ここがタービンに関しての殆どの特許を押えてると聞いたことがあります。 ハネウェルの部品関連会社がターボネティクス、 更に技術提携関連で日立、三菱、KKKがハネウェル系統のようです。 IHI(石川島播磨重工)だけは、現状、ハネウェル系統に属さないとも聞かれます。 水冷式冷却、ボールベアリングなどの採用が、自動車用としての進化の証でしょうか。 個人的には、日産のRB20DET以降採用されたセラミックタービンについては、 耐久性に関して疑問視しております。 (このタービン、割れる!という症状により、エンジン内部を完全破壊することがある) 但し、量産車にターボを付け、一般市場化した功績ならば日産L型エンジンとも言われます。 これはターボエンジンでの異常燃焼対策として、ノックセンサーの開発に成功したのが最大の功績でしょう。 飛行機用との大きな違いでもありますが・・・。 (日産のL型ターボエンジンデビューから、来年でようやく30年なんですね。) そういえば最近、シーケンシャルツインターボというのが聞かなくなりましたね。 これも量産車としては、マツダ20B-REWが史上初だったと記憶。 (13B-REWも同時期デビューだから、確証がないw) スバルもBG5レガシィ用EJ20で採用しましたが、 こちらは加給時の段付特性改善が難しかったようです。 実際、私も所有していましたが、最後まで慣れなかったww もう一つ、トヨタのM型ターボ、3T-GTなんかに採用されていた水冷式インタークーラーも見なくなりましたね。 ランエボなどでは、空冷式インタークーラーの前に水を噴射させるウォーターインジェクターなんかも 市販車に採用されたのに見なくなりました。 (昔、ワイパーのウォッシャーを使ってS13に自作したことがある私ww)
>>574 KKKというとポルシェ935、クワトロS1、ベータモンテカルロターボあたりを思い浮かべますw
>>573 > 史上初のターボエンジン付き市販車は62年のGM・オールズモビルF85ジェットファイアだそうです
同時期のシボレー・コルベアにもターボ車がありましたが、それらサーブ99より先に市販されていた
ターボ車はすべて特殊な少数生産車と言うべきでしょう。硬式サイトを見ますと「サーブは、1977年
のフランクフルトモーターショーで、自動車業界初となる一般量産乗用車にターボエンジンを搭載した
モデルを発表、世界を驚かせた」と書いてあります。
http://www.saab.co.jp/pressreleases/pr20080310.shtml 量産乗用車で世界初のターボ車は、サーブ自身も主張しているようにサーブ99だと思います。
硬式サイト→公式サイトorz
578 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/07(水) 00:05:33 ID:wKUSfcls0
スーパーアグリあぼーんw
>>576 何度か書いた事ですが“世界初”の定義ってのは常に難しい物であります。
この場合は何処に“特殊”とか“普通”の境界線を引くのかって問題も有りますし。
とは言え、62年のGMの試みは完全な失敗作と言うか未熟な代物だったようですし、
BMW2002ターボやポルシェ911(930)ターボが“一般的な量産車”と言う人もいないでしょうから
やはり普通乗用車としての世界初ターボエンジン採用車はサーブ99と考えるべきでしょうか。
ターボチャージャーってモノ自体は1905年にスイス人技師のアルフレッド・J・ビュッヒさんが考案しているとかで
その後大きく二つに分かれ、主に欧州でディーゼルエンジンへの応用が研究され
アメリカでは航空機エンジンへの利用が研究されたそうですが、
前者で最も成功したのがドイツのエーベルシュッピヒァー社、後者ではアメリカのエアリサーチ社。
エーベルシュッピヒァーは後のKKK(何でまた、こんな名前に・・)で
ポルシェがCAN-AM用917/10で用いたのも、此処の会社の小型ディーゼル用を基本としたものだそうです。
で、GMが62年に用いたのは第二次大戦後に航空機エンジンがジェット化されるのに歩調を合わせて、
自動車への技術転用を研究したエアリサーチ社製だったようです。
そうした事から、メインさんが書かれたような
“現状、ギャレット・現在のハネウェルが タービンに関しての殆どの特許を押えてる”
という事態になっているのでしょうか。
昨日も書いた折口透さんの著書は、技術的な資料とかではない読み物中心の本ですので
その構成について詳しい事は記されていませんが、過給圧が高まった時にそれを逃がすウェイストゲートなど
後のターボ過給エンジンには必須な機構も未だ備えられておらず、
その為に使用制限が設けられていたみたいです。
以前CG誌の連載記事“スポーツカー・プロファイル”の中でCAN-AM用ポルシェ917が取り上げられた記事を
再読してみると、こうしたガソリン・ターボエンジンに不可欠とされる技術の多くが、この917の開発中から
生まれた物であるように思われます。
と、なると。ポルシェに一年先駆けていた筈のトヨタ7のターボがどのような構成だったのかにも興味が沸きますが
調べてみようとすると意外に資料が少ないのですよね。
オプショナルトリムとはいえ、カタログを指差して買えたわけですから、コルベアやジェットファイア辺りを 世界初としてもいいような気がします。 こいつらのターボは、インマニとキャブの中間という変わった位置にあり、圧縮比が高いのも特徴。 コルベアでは、デトネーションやピンキングの問題もあって長時間の加給はダメだったようですが、 オールズでは、その対策の一つとしてウェイストゲートバルブが装備されていました。 もう一つの対策が、例の水メタノール噴射で、"Turbo Rocket Fluid"(メタノールと水 1:1の混合液)を ターボの手前で噴射させる"Fluid Injection System"です。 GMの初期ターボが短命だったのは、いろいろな要因が重なったからでしょうが、 ・ターボラグ大杉 ・重量配分悪杉(コルベア) ・水メタノールの補充がマンドクサ杉(ジェットファイア) ・オイル管理マンドクセ ・使用制限あり杉(コルベア) ・熱ダレし杉なので、最高速でキャブ仕様に負けて情けなさ杉(ジェットファイア) そしてなによりも致命傷が パワー欲しけりゃ、でかい排気量載せれば済むじゃん
で、コルベアは細々と続いたものの、オールズの方はアルミブロックV8という高コストエンジンが嫌われ、 63年に鋳鉄ブロックの安エンジンに変わるとともに、ジェットファイアも消えます。 そのアルミV8がイギリスに渡ってローバーを始めとした英国車に……と、このあとの話はお好きな方に お任せします。
582 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/07(水) 23:07:29 ID:qFX+cGA7O
モーガン、TVR、マーコス、MGとスポーツカーのエンジンに多用されましたとさ。
先日
>>551 さんがニッサンVQエンジンを“異常な汎用性”と書かれていましたが、
あのV8はそれ以上だったかも・・
>>580-581 成る程、シヴォレーとオールズモビルとでは全く同一という訳でも無かったのですか。
手許の資料ではオールズが先と書かれていたので当然私もそれに従っていましたが、
実際にはどうだったのでしょう。
それにしてもコルベア。(水冷ですけど)V8リアエンジン、スウィング・アクスル。正にアメリカ版タトラ77(w
どんな乗り味だった事やら、乗ってみたいような怖いような・・(w
さて、使用制限付きの過給機と言えば思い出す(?)のが戦前のメルセデスの大型車。
アルファ・ロメオやブガッティなどに装備された過給機とは異なり、
通常はエンジンとはクラッチにより切り離されていてアクセルを全開から更に深く踏み込むことによって
エンジン/過給機間の多板クラッチがつながり初めて利き、出力を高め。
丁度現代のATでキックダウンを利かせたときのように加速力を向上させる仕組みだったとか。
これは当然、当時他のメーカーが行っていたような過給機を気化器とエンジン本体の中間に置き
混合気を圧送するレイアウトでは無理なことであって、
その為にメルセデスは過給機を気化器の上流に置いて、空気をそれに圧送するレイアウトでした。
この事から想像出来るように、戦前のメルセデスは、
過給機を一時的な追い越し加速等に用いるパワーブースターのように考えていたようです。
恐らくは60年代前半のGMもそのようにターボを捉えていたのでしょう。
過給圧などの正確な数値は今判りませんが、1936年から作られた540K
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=7387 これを見ると通常115HPが過給時には180HPと50%以上のパワーアップが可能だったそうですから
かなり過給圧も高かった物と思われます。
あ、書き間違い(つかカン違い)の訂正忘れ コルベアのエンジンはフラット6でした。 この時代のアメリカ車、先日も書きましたがやたらと威勢や景気が良い名前が多いのは良いのですが ターボでもなんでもないのに名前にターボと付くのが有ったり、 なんでもかんでもファイアーってのはさすがにナンですね。
585 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/08(木) 00:49:25 ID:dB+S2vPKO
ポンティアック ファイヤーバード トランザム ターボジェット
586 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/08(木) 21:52:41 ID:m/cJmyid0
28 :Σ(・*・` ) ふっさーる ◆288GTOD/a2 :2008/03/18(火) 21:16:05 ID:dVgnQYbE0
でも切換さんはいい人だよw
俺の知っている人と同一人物なら、すごく丁寧で物腰の優しい紳士ですぞw
おもうに、ハンドル握ると人格が切り替わるんだよw
30 :名無しさん@そうだドライブへ行こう:2008/03/18(火) 22:45:45 ID:E1oSjFtk0
>>28 あんたは国スレで自作自演していた言い訳でも考えてろ。
例によって話はまた脱線し、先日メルセデス540Kについて書いて思ったこと。 この車は30年代のメルセデスを代表する豪華GTなのでしょうが、スポーツカーと言うには程遠く レース等に用いられる事は殆ど無かったようです。 閉断面の強固なフレームに四輪独立懸架のシャシーは先進的でしたけれど、 その直列8気筒エンジンはカウンターフローのOHVに過ぎず、無過給時の115HPという出力は排気量からすれば かなり控えめなもの。 過給時の180HPにしても、ツインカムエンジンを備えたアルファ・ロメオ8C2900やブガッティT57C(3.3リッター)と やっと互角という程度。重量級のボディーを思えば、これでレースに出ようと思う人がいなかったのも 無理は無いところだったでしょう。 そんな事も有って、この車の現役時代(30年代)にはメルセデスはナチス/ヒトラーの後押しも有り 高度かつ複雑な機構を備えたW25等でGPレースを席捲しましたが、 ルマンやミッレ・ミリアを始めとするスポーツカーレースには出場させる車が無く、 GPカー殆どそのままのエンジン/シャシーを転用したスポーツカーを持つアルファ・ロメオやブガッティに 全く対抗する事も出来ずにいたようです。 逆にこれをアルファ・ロメオ側から見れば、スポーツカーレースにも転用することを念頭に置いた ティーポC・8CなどではGPカーに特化したメルセデスW25相手にはGPレースでは苦戦を強いられたという 事でもあったのですが。 GPレースの黎明期、10リッター15リッターは当たり前の恐竜のような車がレースを走っていた時代を別にすると “純レーシングカー”が生まれ、レーシングカーとロードカーとがそれぞれ隔絶した存在になったのは 何時ごろだったのでしょう。 20年代を代表するGPカー・ブガッティT35やアルファ・ロメオP2などには、そのエンジンやシャシーを利用した “ロードカー”が存在しましたし、ブガッティT35等に至っては、そのままロードトリムを装備して 公道を走る方すら存在したようですが、34年からの750kgフォーミュラの時代、メルセデスW25や アウトユニオンPヴァーゲンなどでは考えられないことのような気がします。 恐らくこの辺が“純レーシングカー”という概念の始まりだったのではないでしょうか。
588 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/10(土) 19:47:09 ID:MAQ7GIs2O
540Kってアメリカ受けはよかったんだろうね。 後の時代に、エクスキャリバーはじめ540Kレプリカを手掛けた例が結構ある。
>>588 アメリカ国内の事は良く知りませんが、戦前にはドイツ嫌いな人が多かった様子。
30年代にはアメリカを代表する高級高価格車となるデューセンバーグも、初期にはそのドイツ系の名前から
ドイツ製と勘違いする人が多かったことから人気を中々得られなかったなんて話もあるそうで。
そんな事からか、メルセデス車もあまり売れなかったようです。
勿論、現代では人気ブランドですし540K等の戦前型も派手なデザインが好まれているようですが。
戦後、英国製スポーツカーがブームを起こしたアメリカですが、戦前には自国製車が安価に買える事も有り
輸入車の市場はかなり限られていたような気配が有ります。
それに、ディーラー以外の町工場では整備一つ受けるにも、メートル法加盟国製の車は不利なことが多く
実用に用いるにはいろいろと問題も有ったのでしょう。
20世紀初頭、まだT型フォードも生まれる前。メルセデス(未だベンツと合併する前)は
ロングアイランドに工場を設けて現地生産を行ったそうですが、
そのモデルに用いられたのはインチねじだったのでしょうか?
メートル法とインチ法。このややこしい問題は以前にも何度か触れましたけど、未だに結構困る事も有って。
日本で入手出来る資料の多くは英語から翻訳されたものなので、
細かく読んでいくと電卓が必要になったりすることがしばしば有ります。
このところ話の中心になっている過給機を例にとれば、英語の本では多くが過給圧をpsiで表していて
翻訳もそのままだったりという具合。
更にそれに拍車を掛けるのが「過給機は混合気を0.8気圧で圧送する」等と
大気圧を足していない数字で表記している例とかも有ること(あぁ、面倒臭い・・ w)
最新モデルではどうなっているのか知りませんけど、
少し前には並行アメリカ車を買うとタイヤ空気圧がpsiで表示してあって、調整を頼まれたスタンド店員さんを
困らせたなんて話も聞きました。
最もややこしいのは英国車の資料で、英国自体は結構昔からメートル法に加入している国の筈で
エンジン排気量などはリットルで表記するのにシャシー寸法はインチで
過給機を備える車の場合、過給圧はpsiの表記が殆ど。自分達でも面倒だとは思わないのか・・?
590 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/11(日) 01:07:44 ID:LRhqtOZUO
同じく旧・敵国製のポルシェ356もアメリカでは人気だったし、これもレプリカがやたら多い。
>>589 オーストラリア・ラリーにダットサン210で勝利して凱旋した「ミスターK」片山豊率いるダットサン・チーム。
日産重役陣が「これなら輸出もできるぞ」とはしゃいだら、
チームリーダーの難波氏が「無理です」
重役陣が「なぜだ!」と怒ったが
「部品にメートル規格とインチ規格が混用されていて、
現地での修理には工具がメートル用・インチ用2種必要になりました。これでは世界に売れません」
冷静な返答に一堂沈黙。
オースチンの影響でインチパーツが多く入っていたせいで、
日産ではほどなくメートル規格への統一が図られたとか。
日本は尺貫法を公式規格から排除したのに、アメリカはねえ……
永六輔氏にクルマ作らせたらくぢら尺かね尺振り回して
尺貫法規格のクルマ作ってくれるでせう。w
ちなみに欧州=b法のやうに思はれがちですが、それは大陸だけの話。
英国は、まぁ連中自分らが欧州ぢんであるとは思って無ひつうのもありますが
相当最近までヤード・ポンド法でしたぞ。挙句銭は12進法だったし。w
ダース・グロス法なんざ汁袋業務用とかでしかお目に掛かりませんな。w
過給機の思想と構造に関してはアレコレ書きたひのですが
とりあへづは股の機械に。ゲロンパゲロンナッ!w
http://nihonpowa.skyblog.com/8.html 一種のブースタ↑これEね、ちょっと欲しひ鴨。
40杉ての交尾はキツひのです。w
↑ 要りません(w
またこういうの見ると「日本に行けばこういうの売っている」と思う人とか現れるんだろうなぁ・・
>>589-591 そう言えばイギリスの小説で「パン屋の1ダースは13個」なんて話が出て来たことがありましたが、
他の国でも使われているのでしょうか?
もしかしたらいろんな単位をまぜこぜに使える、英国人はやたらに数字に強いとか。
もっとも、いろんな単位が混在しているのはイギリスだけではなく、
タイヤサイズなんかはその代表ですし、鋼板とかのサイズも尺貫法の名残りなのか
「サブロク・シハチ」などと言うサイズで売られているようです。
サブロクっつうのは3尺X6尺≒914mmX1828mm
何故か鉄板はそうなのに、ステンレス板とかアルミは1mX2mで売られているとか。
厚さも鉄板は1.6mm、2.3mm、3.2mmと半端な数字が並ぶのに対して
ステンレスやアルミは1mm、1.5mm、2mm・・訳判らん(w
話は少し戻りますが、1966年から施行されたF-1の3リッター・フォーミュラは異例に長続きして
F-1のイメージそのものをそのサイズにしてしまった感が有ります。
それに対して、その間にスポーツカー耐久レース車の規則は変化が激しく、
ターボが台頭して来た70年代半ば頃は3リッター規定で、過給機付きには係数1.4を掛けていました。
したがって、過給機付きの場合は2.14リッターが上限。過給機付きは1.5リッターに規制されていたF-1よりは
幾らか規制が緩かったことになります。
熱問題など耐久性に難が有った当時のターボエンジンでしたから、
耐久レースではスプリントレースと比べると幾分規制が緩かったということなのでしょうか。
この時代、76年〜78年にかけてポルシェとルノーがルマンで繰り広げた勝負も印象に深いものですが
ピストンを溶かしたなどのトラブルも多く、正に耐久力勝負になっていたようなところも有ったようで、
他にこれといった車が出ていなかったことに助けられたようなところも有ります。
最近は規則に縛られた部分の大きいことから 新奇な技術がレースで試みられることは以前よりも少なくなった気がしますが、 それでもまずは過酷なレースで耐久性を試す事は、その技術の優秀性のアピールともなり メーカーにとっては多くのメリットが有ると思います。 ターボチャージャーなどはその典型であり、レースで実用化されることから優秀性も一般に認知され またその技術も磨かれたものでしょう。 順番を敢えてつければ、60年代のGMが実用化の先駆けであり、その後インディーカーに そしてポルシェのCAN-AM用Gr・7マシーンでレースに使用されることで洗練されたターボでしたが やはりルマン等の耐久レースにもなると話は別であり、 そうした過酷な舞台で耐久性を実証されないことには通常のユーザーは手を出し辛いもの。 事実、CAN-AMでスプリントレースでの優位は証明済みであっても 70年代半ばのルマンでのポルシェやアルピーヌ(ルノー)の苦戦振りを見れば 「まだ、ターボ車は買うには早いかなぁ」と思った人も多かったことでしょう。 ポルシェを例にとれば、76年に登場した936は2.14リッターに1.4気圧の過給圧を掛けて520HPを得ていたとかで、 当時の自然吸気型3リッター耐久レース用エンジンに比べて10%以上は強力だったようですが、 ライバルであったアルピーヌと合わせて76〜78年の三年間にルマンにはのべ15台を出走させて その完走率は半分にも満たなかったようです。 77年に至っては四台のアルピーヌ勢は全滅、二台出走したポルシェも一台は早期にリタイア 残る一台も終盤に一気筒を失って40分以上をピットの中で過し、ゴール時刻のみを残る五気筒で 這うように走って完走扱いを受けたというもの(それでも総合優勝出来たというのは如何に他に対して 速度差を持っていたかということでもありますが) しかし、新たな技術ってのはこういう過程を踏み、洗練されていく事で一般に受け入れられるものでしょう。 大戦後のアメリカで、ディスクブレーキやターボチャージャーなど第二次大戦中の航空機技術から生まれた 新たな技術が乗用車にも次々と試みられても、やはり一般に定着するには至らず レースの世界での更なる洗練が必要とされたように。
ターボってな最初期はそれこそニトロのやうな瞬間風速用デバイスであったであらうことは 皆さま前述された通りでありませう。 しかしそれが2002ターボや930ターボあたりで知られ出した時期は ちゃうど72〜73年のオイルショックと重なります。 日本で初のターボ車・日産セドグロ430の時には ”小排気量で大排気量のパワーを持つ省燃費効果”を名目に認可を受けた筈。 そんなの嘘っぱちもEとこなのは今でこそ知れたことですが 当時は結構真に受ける人も多かった筈。 言ふまでもなく当時のターボはドッカンターボそのもので2500rpm辺り以下では ヨロヨロよたよたでぢつに使ひ難くそれ過ぎればピューンっつってふけ切っておしまひ。 つまりはやはり瞬間風速用のデバイスの傾向が強く残ったものでした。 股、加給に因る燃料消費の多さもやがて知れ渡り一気にターボ熱は冷めてしまったと。 これが市販車ターボ全盛時代(三菱なんかフルラインターボなんてエバってましたなw)とその終焉。 一方レーサーではターボ域のみを行ったり来たりの使ひ方が可能で (あたかも常にトルクバンドに乗せて走るやうに)ドッカンでもドッカン以降のみ使へるので レーサー用としての全盛期を迎へたと思ふのです。
現代ではターボにしろS/Cにしろ低回転域から効く、それこそ市販ターボ車が登場した頃の ”小排気量で効率を高める”用途に使はれてゐるやうですが これって大きく重ひクルマを小さなエソジソで動かす動かし始め、 そのときに非力な小排気量エソジソではドッコイショになっちまって動きがモサひ、 その手助け用以外に機能しなひ加給にしか思へません。 アテクシの個人的な考へではドッカンこそターボのターボたる所以であって 下からトルク欲しけりゃ大排気量にするべきなのです。 ターボを尻つくしたポルシェも「ターボの効率を上げるには大排気量化だ」と認めてますが それはターボだうかう以前の話だと思ふのです。 小さく軽ひ小排気量エソジソに加給機で小さく軽ひパワーユニットから大パワーも幻想です。 例としてアルファ916GTVのデータを出さうと探しましたがどっか行っちまって見つからづ 具体的な数字が出せづに申し訳無ひのですが4発2リッターターボと3リッターV6では 車重は2リッターターボのはうが重かった記憶があります。これでは何にもなりません。 結局ターボをターボらしくその価値を発揮させるにはドッカンに如何に意味を持たせるか そこだと思ふのです。それを考へると009の加速装置w的用法は優れて正しひ用法と思ふのです。
>>589 戦前〜戦後すぐは工業製品に関して米国は全てに於ひて世界一、それはまがふ事無き事実でありまして
わざわざ高ひ輸送費掛けて欧州からクルマ運んでくる必要が無かったと思はれすのです。
趣味性の部分でも、もちろんアルファ・ロメオやブガッティを愛好する数寄者はゐたでせうが
米国内にもビッグ4に収斂される以前は趣味性高ひ中小のメイクが綺羅星の如く存在し
それらが相当数の数寄者を賄ってゐたと思ふのです。
過去何度かアテクシ話題にした映画”ドイライビング・ミス・デイジー”では
主人公がユダヤ系です。話は戦後間も無ひ頃の米国のどこだったか田舎のはう、
出てくるクルマが股やれナッシュだハドソンだつう。w
で、この主人公(ぃあ主人公は年老ひたおっかさんなのかな)は成功してベンシに乗るやうになるのです。
これには意味があってユダヤ系である彼がスリーポインテッドスターに乗る、
それは自らの出自に別れを告げ、米国田舎の意識の枠から抜け出さうとし
エスタブリッシュメントの趣味人を気取らうとする象徴的シーンなのです。
当時のジュー社会ではスリーポインテッドスターはナチのハーケンクロイツと
少なからづ同意義に見られてゐる面もあったさう。
それはチョンやシナがスリーダイヤモンドに抱く感情も同じものがあると聞きました、
さういふことなのです。
話が若干脱線しましたが戦後期のアメ車は例のブワンブワンでダヨンダヨンですから
ベンシの締まった足さばきハンドリングはガチガチに感ぢたでせうし
それを愛好するっつなやはり少数の裕福な数寄者だけだったんでせう。
ましてや米国田舎ではディーラーも少なく買ふにも整備もままならなかったでせうし。
このやうに旧敵国つう事情とかその製品の方向性とかで
ドイッチュ車はなかなか受け入れられ難かったの鴨知れません。
599 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/13(火) 06:17:11 ID:ZlyAlxNE0
きのう、トヨタ・ヴェルファイアがデビューしましたよ
600 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/13(火) 06:17:58 ID:ZlyAlxNE0
全長は4865mmですよ
601 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/13(火) 06:18:23 ID:ZlyAlxNE0
全幅は1840mmですよ
602 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/13(火) 06:18:47 ID:ZlyAlxNE0
全高は1900mmですよ
603 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/13(火) 06:19:12 ID:ZlyAlxNE0
ホイールベースは2950mmですよ
鉄板で発見。 2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50 女装趣味の鉄オタ 1 :名無しでGO!:2007/05/10(木) 12:32:53 ID:VqgBKMqA0 どれだけいるのだろうか? ■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★ このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 老猫な日々3 [犬猫大好き] ロケット好きのすれ [煙草銘柄・器具] 【ヘヘ】シトロエンCシリーズ Part23【ヘヘ】 [車種・メーカー] ←<<< をひをひwww インペリアルゼブラプレコを語るスレ 3 [アクアリウム] ”ヘヘ”だの”(†|ξ)”だのはやっぱ・・・w アカンでコレは。www つかもっとやれ!www
>>604-605 歳バレに貼るつもりが間違ひました★。
ま、こっちでもEか大勢に影響あるまひ。w
>>605 4月に長い闘病の末ガンで亡くなった本格派の女装鉄ヲタ紀行ライター・日下部みどり子「女史」について
まったく触れていないのは論外だ
というか、単に馬鹿なコテが1匹踊ってるだけのクソスレだな
エロスパセンセも変なスレ見るなよ……
ところで、1950年代から1960年代にかけてのアメリカでのメルセデスディーラーは、
確かスチュードベイカーが引き受けてた筈っすよ。
その影響でローウィにメルセデスもどきの「ホーク」なんか作らせてるし。
>>596-597 ターボと言えば瞬間的なパワーブースターだったというイメージは車以外の所にも残っているみたいで
その為か、我が家の洗面所に有るドライヤーにもターボスイッチボタンが付いております。
見る度「ターボ関係無いだろ」と突っ込みたくなるのは私くらいのもの(w
自動車の方では、あまり最近のターボエンジン搭載車に触れていないので大した事は書けませんが
かなり振る舞いが洗練されて昔のような唐突な段付き加速が味わえる車は少なくなったようです。
まぁ、それも進歩というものなのでしょうかね?プジョーの207GTiあたりに乗ってみたいなぁ・・。
>>607 そう言えば、SCG48号にスチュードベーカーの58年型総合カタログの写真が載っていて
300SLロードスター等のメルセデス車もその中に見られますね。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/2db4.jpg?bc2IFoIBnoTCEwwy 以前、ハリウッドスターと自動車の話の中で貼ったゲーリー・クーパーさんの写真
車は恐らく50年代メルセデスのフラッグシップ300シリーズでしょう。
恐らく50年代半ば頃に撮られた写真と思われます。
メルセデスが何時ごろからアメリカでも受け入れられたのか。具体的な時期は判らないところも有りますが、
300SLが成功する前(50年代中頃)には既に一定の評価が得られていた様子。
ドイツも戦後は変貌を遂げ、かつての敵国製品っつう悪印象も間もなく消え去ったのでしょう。
一度受け入れられれば、案外メルセデスのデザインや堅牢なイメージっつうのは
アメリカ人(特に欧州モノ好きなスノッブ層)には好まれるところがあったのかも知れません。
日本でも戦前には「メルセデスは珍車であった」と
故・五十嵐平達氏が二玄社の「昭和の東京カーウォッチング」に書かれています。
昭和天皇の専用車がメルセデス770だったのは有名ですが
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/a7a0.jpg?bc2IFoIBIGLBd3Hd 当時の富裕層の間で人気が有ったのは宮内庁で使用されていたパッカードだったとか。
それが戦後、1963年。同じ二玄社から創刊されたCG誌創刊号メルセデス特集の巻頭では
如何に巷ではメルセデスの人気が高いかが書かれています。その間に何が変化したのでしょう。
610 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/14(水) 06:27:32 ID:q6k1Y+5X0
4月の新車販売台数ランキングの首位はスズキ・ワゴンRでしたよ
611 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/14(水) 06:27:57 ID:q6k1Y+5X0
2位はホンダ・フィットでしたよ
612 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/14(水) 06:28:21 ID:q6k1Y+5X0
3位はダイハツ・タントでしたよ
613 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/14(水) 06:28:45 ID:q6k1Y+5X0
4位はダイハツ・ムーヴでしたよ
614 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/14(水) 06:29:09 ID:q6k1Y+5X0
5位はトヨタ・カローラでしたよ
>>609 メルセデスと皇室効果といえば、美智子様でしょうか。
皇太子妃発表の日、美智子様を乗せ、正田家前から走り出すメルセデス300cのニュース映像は
何度も流されたので、よい宣伝になったかもしれませんね。
メルセデス人気が出てきたのは昭和30年代前半だそうで、同クラスのアメリカ車より市場価格が
高騰し、高値安定傾向を保ったとのこと。
(当時、外貨事情と産業保護のため官公庁・観光業などを除き、輸入新車が制限され、一般の
日本人は、外国人所有中古車が2年落ちになって初めて購入できる制度になっていました)
別の視点では、アメリカ車が更なる巨大化と行き過ぎた過飾に進み、そして60年式を境に
急激にコンパクト化に向かった時代背景で、ちょうど良いサイズで奥ゆかしく高品質だったのが
メルセデスだったのかもしれません。
その後、輸入の部分自由化がなされたあと、自動車界の話題はまもなく開通する高速道路。
「ロードホールディングが良い」というメルセデスへの世評は追い風になったと思われ。
>>615 昭和30年代というと1950年代半ば〜ですね。メルセデスが戦後型300と220を出したのが51年のこと。
(インチ/メートルと同様に面倒臭い昭和と西暦・・w)
私は以前から「最大公約数的日本人にとっての良い車とは、昔も今も、その名前を知らぬ人であっても
パッカードである」っつう説(珍説?)を唱えておりますが。
日本人にとってのメルセデスは、パッカードなき後のその代用なのではないでしょうか。
一見地味なようで実は結構目立つデザインとか高品質で堅牢なイメージ等、共通するところは多いと思います。
つまり「多くの日本人にとって、戦後のメルセデスは戦前のパッカードである」と。
もっとも、戦後のメルセデス。戦前のキャディラックのような野卑な部分も多少有って。
柄の悪い方々の乗る車にされてしまったのはメルセデス側にも多少の責任も有るのかも。
以前「車と映画」って話で「善玉がメルセデスを使う映画は殆ど無い」って書いたら
ちょっと顰蹙かってしまいましたが(w
さて、メルセデスとアメリカと言えば。
先日も少し書いたように第一次大戦前にはニューヨーク州ロングアイランドに組立工場も作り、
高級車市場へ進出を図ったようですが。
その宣伝の為にか、初期のインディー500レースにも出場を重ね1915年(第5回)には見事に勝利しています。
もっとも、こうしたアメリカのレースへの遠征を行ったのはメルセデスに限ったことではなく
第一次大戦前のインディーは欧州車の天下だったようで、他にもプジョーやドラージュが勝利しています。
また、第一次大戦後にも1939〜40年にはイタリアからマセラーティがインディーに挑戦、連覇を果たしています。
このスレでは何度か「アメリカから欧州のレースへ挑戦した人達の挫折」を取り上げましたが
その逆となれば意外と昔から盛んに行われていたようです。
アメリカ市場への輸出など殆ど行わなかったメーカーであっても、レースとなれば話は別。
アメリカの自動車レースでは高額の賞金が掛けられていたという即物的な事情も有ったのでしょうが、
メーカー自身にも、広告戦略などとは無縁な“競走そのものへの欲求”が
今よりも盛んに有ったように思えます。
622 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/15(木) 14:02:24 ID:+ZLKYuRJO
カローラをバンとコンパクトとセダンと別ければ、 カローラセダンは何台になるのかな? ティアナセダンがかなり売れてるように聞いたけど。
>>622 カローラアクシオは4,179台でしたね
ちなみに、カローラフィールダーは4,235台でしたね
カローラルミオンは2,163台でしたね
626 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/16(金) 06:30:15 ID:NARuoOUQ0
>>621 ちなみに、6位はトヨタ・クラウンでしたよ
627 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/16(金) 06:30:36 ID:NARuoOUQ0
7位はトヨタ・ヴィッツでしたよ
628 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/16(金) 06:30:57 ID:NARuoOUQ0
8位はスズキ・パレットでしたよ
629 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/16(金) 06:31:19 ID:NARuoOUQ0
9位はスズキ・エブリイでしたよ
630 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/05/16(金) 06:31:41 ID:NARuoOUQ0
10位はホンダ・ライフでしたよ
>ID:NARuoOUQ0 朝っぱらから、それが何? ツマンネ
日本人にとって戦後のメルセデスが戦前のパッカードならば、カローラはフォードでしょうか。 ・・何か違う気もするなぁ・・。 先日の話の続き。 自動車メーカーにとってレースとは何かっつうのは、その会社によって様々でしょうが、 単なる広告以上のものには違いないと思います。 特に新奇な技術の採用にあたっては下手な広告よりもレース実績の方が余程商売には役立つでしょう。 先日書いたターボの話にしてもそうですが、GM流に社内だけで研究・開発を行うよりも ルマンなどの耐久レースで成功を収める事で技術そのものも熟成されたようですし、 その熟成の過程をレース結果から広く知らせるという効果が有ったでしょう。 アメリカの自動車会社にしても競技参加がもたらす、その広告的効果には昔から気付いていた様子で 例えばヘンリー・フォードさんが自らの名前を冠した自動車会社を立ち上げるにあたり その前に成功を収めた自作の速度記録挑戦車“999号”の名声を利用して 広告にも“あの999号で有名になったフォードの作った車である”と表示してみたり。 またシヴォレーに至っては自動車黎明期に於けるアメリカの有名なレーサー、ルイ・シヴォレーの名声を 最大限に利用したりと言う具合。 ただ、アメリカの自動車会社が競技参加に消極的という事も無いのでしょうが、 新技術を先ずレースに持ち込んで熟成・洗練を図ったりということは欧州メーカーと比較すれば少ないかも。 多くのアメリカ人にとって、自動車は先ず便利な道具に他ならないことからか レースとは、一般の人から見ればレースは単なる娯楽で、走る車の中身までは気にしないようにも思えますし、 またアメリカ人独特なスポーツの見方ってのが有り 「一人だけ他と異なる道具を用いるのはフェアではない」みたいに思うようでもあります。 そんなことから、アメリカでは最新の技術をまず競技で試みる事が少ないのかも知れませんが その結果50年代クライスラーのディスクブレーキとか60年代GMのターボチャージャーなどのように、 本来アメリカのメーカーが先駆者だった筈が一般の記憶には残らずに、欧州メーカーが最初だったように 多くの人に思われているような例が有ります。なんか勿体無い話。
ターボとか過給機の話がちょっと中途半端だったような気がするので、そのついで。 ターボであれ機械式えあれ。過給圧を高めれば熱の問題が発生し、燃料消費率も悪化するのは同じ事で 競争相手との実力差が大きければ問題も起き難いのでしょうが、 強力な相手と競うならば、それなりのリスクも伴い信頼性を犠牲にせざるを得ないところも有るのでしょう。 72〜73年CAN-AMでは無敵だったポルシェのターボ・エンジンでしたが 76年からの耐久レースでは、同等の実力を持ったルノーを相手とする為に苦労も多かったようで 伝統の水平対向エンジンが一部とは言え水冷化(ヘッド)された仕様が登場したのもこの時期。 やはりピストンを溶かすとかヘッドガスケットを吹き抜いたとかのトラブルが多発したことからの 対策だったようです。 高過給圧のエンジンでは、こうした熱その他の問題が出て来るのは、当然もっと昔から有った事で。 1947〜51年にかけてGPレースを席捲したアルファ・ロメオティーポ158/9“アルフェッタ”を例にとれば 過給圧2.5kg/cm2で275HPとされる47年型では延べ18台が参戦し全て完走しているのに対して 過給圧を3.0kg/cm2に高める等して425(瞬間的には450)HPとした51年型では 延べ34台が出走、リタイアは僅か8台というものの、アルフェッタの歴史上では最悪の確率であるようです。 もっとも、当然この全てがエンジントラブルに起因するものという訳ではないのでしょうが、 悪化した燃料消費率から落すレースも有ったようで。 以前シートベルトとかヘルメットの話から出た51年イギリスGP。エンツォ・フェラーリさんが とうとう常勝アルフェッタを下して「私は母親を殺してしまった」と語ったレースも 実はアルフェッタが一回多く(当時は時間も掛かった)燃料補給を行わねばならなかった為の 自滅という見方も出来ます。 時代は大きく変化して、過給機も進化し。 排気量とかで縛るのではなく、燃料消費率を基準として考え、 使用出来る燃料の量が同一であったなら、過給機付きと自然吸気型ではどちらが有利なのか? 83年から行われたGr・C規定での耐久シリーズはこうした点から興味深かったのですが 結局は電子制御技術のアップデート合戦に終始してしまったのは残念な限り。
熱の問題は非常に重要なものです。
NAでもヘッド周りが特に熱くなるのは断熱膨張に因るものです。
圧縮により圧力の上がった混合気はそれだけで温度が上昇します。
そこに点火・燃焼で温度はピークとなり
それが膨張行程ではこれ股断熱膨張で急激に温度が下がります。
加給の場合加給圧も掛かりますから余計温度上昇は大きくなる。
これが加給エソジソでは圧縮比を下げなひとノッキング起こす元でもあるます。
一方ヘッドやシリンダ上部をなんぼ冷却しても吸気温は下げられませんから
インタークーラで冷却する訳です。
それでもレース用の極限的な状況では持ち堪へられないことも起きる訳で。
アルフェッタでは(これはターボではなくS/Cですが)
この吸気温を下げる工夫と思はれるのはインテーク管の外側のビラビラwぐらひでせうか。
>>230 >>234 あたり参照、画像もあります。
http://www.khulsey.com/inomoto_yoshihiro_alfa_romeo_monza.html
尤もこの時代の8Cでは加給機っつっても上述の如くS/C、 それもルーツブロワ―ですので容積型で内部圧縮は無し。 つまり大気圧以上に加給圧を上げることは原理的に不可能なのです。 ターボチャージャの場合速度型の加給機で内部圧縮がありますから 大気圧以上の圧力もかけられる。ミラーサイクルエソジソで一般に知られた リショルム式(スクリューコンプレッサ)は容積型で内部圧縮があります。 これらの場合圧縮でこれ股上述断熱膨張に因る温度上昇がありますので インタークーラがマストになるのですが内部圧縮の無ひルーツブロワ―であれば そこまでは必要無ひの鴨知れません。 が、シリンダ内に押し込まれる混合気の量自体が増へ当然気筒内の圧力が上がれば 温度も上昇しますからさうなると異常燃焼も発生し易くなり それがアルコールを混合した燃料を必要とするまでになった理由でせうか。
>>639 の絵は8C2300か2600のモンツァ型ですね。
かつての過給機付きエンジンがアルコール混合燃料を必要とした理由には、
当時のガソリンの質の問題も有ることでしょう。
30年代の欧州で入手出来た平均的なガソリンのオクタン価は75程度だったと以前何処かで読んだ記憶が有り
これでは異常燃焼もおき易いのは仕方の無いところ。
そこで先日のメルセデスを例にとれば。
通常のガソリンを燃料とする場合には過給機は15秒以上は連続して使ってはならず、
頻繁に過給機を使用して飛ばす場合にはアルコール混合燃料を使用する事が奨励されていたという具合。
実際にそうした一般ユーザーがいたかは知りませんけど・・。
戦後のF-1ではアルコール混合燃料が許可されていたのか否かを知りませんが、
もしもガソリンに限定されていたとするならば、恐らくは大戦中の航空機燃料の経験等から
鉛のたっぷりと入った、恐ろしく周囲の環境には悪い燃料を用いていたのではないでしょうか。
もっとも有鉛ガソリンが案外と最近まで存在していた欧州のことでもあり、
レースともなれば特殊な燃料を用いるのも手段の内という認識は根強くあったことから
レース用の燃料が無鉛化されたのはごく最近であるそうで、確かA・プロスト辺りが
「最近のレースカーの排ガスの匂いは尋常ではない」といったような発言をしていた記憶もあります。
最近のターボ過給機付きエンジンは市販車のスペックなどを見ても以前のように圧縮比を低くしていませんが
ノックセンサーを含む制御技術の進歩がそうさせているのでしょうか。
また、気筒内直接燃料噴射を用いれば空気のみを圧縮しておいて、燃焼間近で燃料を噴射する事も可能で
圧縮比を低くする必要も無いのかも知れません。
恐らくこういう行程をとれば、燃料の気化潜熱による冷却効果も有効に活用出来るのでしょう。
ところで、アルコール混合燃料と言えば。
ガソリン車だからと言ってガソリンを入れないといけないという法律は無い筈ですから
醸造アルコールを混ぜても揮発油税の脱税にはならないと思うのですが、酒税法に触れるのでしょう。
メタノールなら問題無い筈ですが、エタノールを混合した場合、その辺の扱いってどうなっていたのでしょうね?
エタノールがいかん、酒税法に引っ掛かるつうことは無ひと思います。 酒税法はエタノールを製造することに掛かるのであって 何に使わうが知ったことでは無ひかと。だって注射の時の消毒や ウェットティッシュなんかだうします?w 逆に販売を前提としなひどぶろく祭でも国税庁が来ますし。 尤も、だからと言って焼酎やウオトカを燃料タンクに投入してEつうものでもありません。w まづ第一になによりもったひ無ひ。www 焼酎は甲類で36%、乙類で45%しかアルコールはありませんのであとはあらかた水、 こんなん混合気にしたら大変なことになります。 ウオトカやラムならスピリタスの96度やロンリコ(逝ってる師ではなひw) 151プルーフつまり75.5度とかアブサンの70度とかそんなもんもありますが。 アテクシ大好きな(ぃあ、もはや禁酒強制されて10年近ひか)カルヴァドスで43度、 コーヒーに投入するのが好きなキャプテン・モーガン・スパイスド・ラムで40度。 どの道クルマに飲酒させるのは困難でせう。それならやっぱドライヴァーがry。www まぁ酒の場合往々にして糖分がありますから炭化して焼きつく危険性も大です。 スピリタスの96度は事実上工業用無水エタノールと同等品です。 エタノールは吸湿性が極めて高く100%で精製してもあっといふ間に大気中の水分を吸って 96〜98%ぐらひまで薄まってしまひます。燃料にするなら水抜き剤は必須でせうな。w
ところでF1やインディなどではエタノール燃料の時期が結構あったやうに思ひます。 給油の際に炎上してもエタノールは炎が見へず極めて危険、 実際ピットクルーがエタノール被って炎上して炎が見へづ気付くのが遅れ、 ってな事態もあったと記憶しております。
>>642 出来た物をどう使おうと買った人の勝手だけれど、作るのは勝手にやってはならんっつう事ですね。
酒税法って酒の種類毎に細かく定められているようですが、最初から飲用不可な状態で作れば
“酒”税法の適用外にして貰えないものか・・(しつこい w)
純アルコール燃料は火災が起きた場合に炎が見え難いということですが、
アルコール自体に酸素が多く含まれているために煤(黒煙)が発生し難いという事も大きいのでしょう。
直射日光の当たらない場所で扱う等気を配れば、水で消火可能だそうですからむしろ安全なのかも。
さて、エロスパ氏お気に入り。インテークマニフォールドに冷却フィンの鋳込まれたアルファのエンジン
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/dccd.jpg?bcywDqIBeo2LO850 これは8C2600モンツァの物だそうです。
果たして吸気の冷却にはどの程度の効果が有ったものか。
こうした冷却フィンの鋳込まれた吸気系はメルセデス等にも見られますが、此処まで徹底してはいません。
ブガッティ等を見ても、過給機本体には冷却フィンが見られますが、吸気系統にまでは無し。
GPブガッティの試乗記などを見ると、アルコール混合燃料を用いる事は異常燃焼の防止になるだけでなく
エンジンの作動温度を下げるのにも役立つと書かれた物がありますから、
恐らくはこうした吸気系への冷却フィンの有無とかよりも、気化熱の大きなアルコールを混合することの方が
熱対策としては有効であったということでしょうか。
もうずっと前に一度書いた記憶の有る話ですが。
1931年にメルセデスは純レーシングカーとして、有名なSSKLというモデルを数台作っています。
このSSKL、6気筒7.1リッターに過給機を働かせた時の最大出力は300HPだったそうですが
アルコール混合燃料を用いないとノッキングが酷くまともに走れなかったとか。
それに対して、33年のアメリカ車デューセンバーグSJは似たような大きさのエンジン(過給機付き)で
320HPを豪語しています。(勿論こちらはロードカーですので当然ガソリン使用)
勿論、単純に数値を並べて簡単に言える話では有りませんが、
この時期、欧米間では入手出来るガソリンの質にかなりの差が有ったように思えます。
ところで、このスレの中で何度か触れた戦後のGPレースを席捲したアルファ・ロメオ158“アルフェッタ”
http://www.ultimatecarpage.com/images/large/1106-1.jpg もしも史上最も偉大なレーシングカーを一台選ぶとするならば有力な候補の一台ではありますが
この車、最初からグランプリ・カーとして企画されたものではありません。
この車が誕生したのは第二次大戦前、1937年のことですが。この当時のGPの規定は所謂750kgフォーミュラ。
このアルフェッタは当時のヴォワチュレット(小型車・後のF-2にあたるもの)レース用として開発されたのが
戦後GPの規定が「過給・1.5リッター無過給4.5リッター」と定められたことから
自然にGPカーに格上げされたことになります。
この車、もともとエンツォ・フェラーリさんがアルファ・ロメオ側に小型車レースに出走させる車を求めたことから
企画されたものだそうで。
中心となって設計したのは、かつてP-2やティーポBモノポストを設計して
アルファ・ロメオに第一次黄金期をもたらせた天才技師ヴィットリオ・ヤーノさんの一番弟子
ジョアキーノ・コロンボさん。
この時期、アルファ・ロメオワークスはヤーノさん設計のGPカー・ティーポ12C/1937で手一杯だったのか
実際の製作はアルファ・ロメオの許諾を得たスクデリア・フェラーリ。
アルフェッタが総計何台作られたのかは資料が無いのですが、
少なくとも最初の数台はスクデリア・フェラーリが製作した筈でしょう。
戦後フェラーリは独立して、アルファ・ロメオから引き抜いたコロンボさん設計の新型車でGPに参戦しますが、
ここでかつて自らが製作した(しかも主任設計士の旧作)アルフェッタと戦うという羽目になります。
もっとも、アルフェッタの製作を担当したのがフェラーリだったとは言っても
その当時のスクデリア・フェラーリはアルファ・ロメオの下請け的存在であり、
コロンボさんもまたアルファ・ロメオに在籍中だったのですから仕方のないところではありますが。
そう思うと、51年イギリスGPで初めてアルフェッタを負かした時のエンツォさんの言葉
「私は母親を殺してしまった」っつうのも、単に古巣を負かしたという感慨だけのものではない
結構複雑なものだったように思えてきます。
>>646 ビラビラって言い方はなんとかなりませんかね?せめてヒダヒダとか・・(似たようなモノか・・ w)
さて。日本のスポーツ新聞辺りならば「因縁の対決」とか「骨肉の闘い」などと煽りそうな
独立初期のフェラーリと、その古巣アルファ・ロメオとの闘いですが。
その双方で設計を行ったジョアキーノ・コロンボさんにすればどんな気分だったのでしょう?
自分が設計に携わった車同士がグランプリの世界で覇を競うってのは、
案外技術者冥利に尽きる思いだったのかも知れません。
昔から優秀な技術者はあちこちから引く手数多なもののようで、
コロンボさんの師匠格にあたるヴィットリオ・ヤーノさんにしても、もとはフィアットの技師だったのが
アルファ・ロメオに引き抜かれた人でした。
コロンボさんは更に移籍の激しかった方だったようで、そのヤーノさんがランチアへと去った後に
アルファ・ロメオの主任設計士となったリカルトさんの下、ティーポ158“アルフェッタ”を設計し、
その後アルファから独立したエンツォ・フェラーリさんと行動を共にして
最初のフェラーリGPカーティーポ125をそこで生み出します。
この車自体はアルフェッタを打ち負かすには至らず
“打倒アルフェッタ”はコロンボさんの後にフェラーリの主任設計士となった
ランプレーディさんの手によるテイーポ375の登場を待たねばならなかったのですが
コロンボさん設計のV12はその後も長くフェラーリの主流ユニットとして生き続けます。
しかし47年からアルファ・ロメオがGPへの参戦を決めるとコロンボさんはアルファに復帰
そして51年限りでアルファがGPから撤退すると今度はマセラーティに移籍し
そこでも57年のチャンピオン・マシーン250Fの基礎を築きますが
自らはその前にマセラーティを離れてブガッティ再興計画に参画、直8横置きミドシップのT251を設計という具合。
レースカー専門の技術者というと、古くはアメリカのハリー・ミラーさん。
欧州では“DOHCの発明者”の話で名前の出たエルネスト・アンリさんやマセラーティ兄弟などがいましたが。
一つの職種としてそれを確立した先駆けというと、
このジョアキーノ・コロンボさん辺りなのではないかという気がします。
現代(?、アテクシにとっては20年前までは充分現代w)FIAT一派であれば ニコラ・マテラッツィ氏とかジョルジョ・ピアンタ氏でせうかな。 ちなみに75の前足バネをトーションバーからES30ではコイルに変更したのも ピアンタ氏であるます。
FIAT一派と言っても現代イタリアの自動車業界は殆ど全てがFIAT一派かと。 まぁ、欧米人は昔から移籍や転職には積極的つかドライなようで、 その反面生まれた土地を離れたがらぬところもあったようですが。その辺は今もそうなのでしょうか。 ・・そんな事から、ジョアキーノ・コロンボさんの師匠格・ヴィットリオ・ヤーノさんのことでも。 1891年生まれのヤーノさんがフィアットからアルファ・ロメオに移籍したのは1923年・32才時の事。 この時期のフィアットはGPレースで強く、何人かの優秀な技術者が此処で育っているようです。 そんな中の一人がヤーノさんで、1922年の最強マシーン・804の設計チームに所属したそうです。 一方アルファ・ロメオは1910年の設立以来、ずっと主任設計士を務めていたジュゼッペ・メロージさん設計の P1と呼ばれる車でそれに対抗しようとしましたがこれは失敗。 メロージさんはレースカーの設計には向かないと判断され、ヤーノさん獲得に動きます。 同様の例として1921年の3リッターフォーミュラで行われたGP用マシーン・フィアット802を設計した グイド・フォルナーカさんがイギリス・サンビームに招聘されて1923年にはフィアットとそっくりな車を 設計しているように、この頃は設計者を引き抜く事で他社のGPカーをコピーする事等が頻繁に行われた模様。 この時にアルファ・ロメオが求めたのも、或いはヤーノさん本人というよりも フィアット804その物だったのかも知れません。 それはともかく、ヤーノさんはアルファ・ロメオの求めに応じて移籍後間もなく、驚異的な短期間で 無敵のレースカー“P2”を生み出します。 当然の如く、P2は前年のフィアット804にそっくりな車ではありましたが、そこはさすがと言うべきか ヤーノさんの手によって様々な改良が施されており、30年頃まで長く活躍します。 昨今でもこのような技術者の引き抜きや移籍はよく行われますが、 そこで技術の一部が流出しても影響が最小限で済むように仕事は細分化されているようです。 そうした事を始めたのはコリン・チャップマン氏のようで、例のグランド・エフェクト理論の実験中は 全体を知るのは自らのみとし、他のエンジニア達にはそれぞれ一部のみしか判らぬように工夫したとか。 自らが技術者だったからこそ出来たことでしょうか。
トリノ出身のヴィットリオ・ヤーノさんですが、1923年の初秋にエンツォ・フェラーリさんに説得されて ミラノのアルファ・ロメオへの移籍を決意。 ・・っつうのが定説になっていてあちこちにそう書かれていますが。 これはエンツォさんの自伝他からそうなったようで、間違ってもいないのでしょうが 実際にはそんなに簡単に事が運んだのではないようです。 実はトリノの自宅にエンツォさんの訪問を受けた時、ヤーノさんがした返事は 「アルファ・ロメオ社上層部の者から話を聞きたい」旨のものだったとか。 ヤーノさんよりも7才年下で、当時まだ20代半ばだったエンツォ・フェラーリさんでしたから ヤーノさんにしてみれば小僧の使いに毛が生えた程度にしか見ていなかったとしても不思議は無く その勧誘で簡単に住み慣れたトリノのフィアット社での将来は捨てられなかったのでしょう。 後年、ヤーノさん引き抜きを自らの手柄のように気軽に話すエンツォさんに対して、 ヤーノさん自身は何も語らなかったとか。 もっともこの二人、概ね仲は悪く無かったそうですが。 実際にヤーノさんが移籍を決意したのはアルファ・ロメオ社で 当時競技部門長だったジョルジュ・リミーニさんという方に説得されてのことだったそうですが それはともかく、アルファ・ロメオ社でヤーノさんは次々に傑作を生み出したのですから この引き抜きは大成功だったと言えるでしょう。 アルファ・ロメオの天上の自動車というイメージは、ヤーノさんの作り出したものと言っても過言では無い筈。 ところが30年代も半ばになると、メルセデスやアウトユニオンのドイツ勢がGP界で台頭。 スポーツカーレースではアルファ・ロメオの天下が続きましたが、GPレースでは徐々に劣勢に回り 起死回生を賭けたティーポ12C1937が熟成不足もあり不成功に終わると 当時40代半ばになっていたヤーノさんはアルファ・ロメオ社の中で孤立し始め そんな事も有ってか、トリノのランチアに移籍して行きます。 アルファ・ロメオ社内の事情も有ったのでしょうが、やはりヤーノさんはトリノへの思い深く いつかは帰りたいと思い続けていたのかも知れません。
ヤーノ引き抜きの件もランチャ移籍の件もそれぞれFIATやアルファ内の 社内派閥抗争が影響してるとも言はれます。 大物引き抜きの際にはだうもお家騒動のゴタゴタに紛れてつうのがひとつパターンの模様。w だうも孤立っつうよか、Eときはみんな自分の手柄、都合悪くなると他人のせひつう まぁ今でもどこの会社でもやってることで居心地悪くなったんでせう、 そこにランチャから声がかかったのではなひかと。 なに、アテクシの勤め先でもそのクチ同業他社移籍がしょっちゅうです。定着率悪ひんだ。w ヒューマン・リソースつう資源は使ひ捨て可能で無尽蔵な資源と考へられてる模様。w
アルファの場合、1933年のIRI傘下入り(実質国有化)が一つの転機だったんですかね。 ヴィットリオ・ヤーノがフェルディナント・ポルシェに比べて資質の劣る技術者だったとは思いませんが (ポルシェ博士の多芸多能さは事実ですが) 十分な資金をぶち込めなければ話にならん、ということでしょうかね。
ヤーノさんのフィアット移籍に関しては、36年以来アルファと関係を持ったスペイン人
ウィルフレート・リカルトさんを技術陣の中心に据えようとする動きとか
37年に創業者ヴィンツェンツォさんを亡くし技術的主導者を失ったランチアの都合とか
様々な要因が重なった物のようですが。
技術者は一つ上手く行かない事が有ると、言い訳は許されずに責任だけを押し付けられるってのは
今も昔も洋の東西を問わずに良くあることのようで・・。
ランチアに移ってからのヤーノさんは技術陣のほとんどを配下に収め、
アウレリア他のロードカーに腕を揮いますが、身近にその姿を見ていた人の記述によると
“アルファ・ロメオ時代を知る者には淋しい待遇と見えた”とも書かれています。
第二次大戦中には息子さんを失うなど、不幸な事も多かった様子ですし
仕事を見るならば、何よりもヤーノさんが最も得意としていたGPカーやスーパースポーツが
当時のランチアには作れなかったことは不運だったように思います。
しかし、1954年にランチアがF-1GPに参戦を決めると傑作D50を生み出し
その手腕に全く衰えの無い事を証明してみせたのはさすがと言うべきでしょう。
http://www.ddavid.com/formula1/images/d501.jpg ただ、このD50速いことはメルセデスのW196に勝るとも劣らぬ物があったようですが
当時400人からのスタッフから成るメルセデス・レーシングチームのような規模はランチアには無く
此処でも資金不足や熟成不足から結果は残せませんでした。
更にはランチアの財政危機も有り、D50はフィアットの仲介により当時不振を囲っていたフェラーリに売り渡され
56年シーズンにランチア・フェラーリD50として改良型が選手権を制覇します。
この時、ヤーノさんもD50と共にフェラーリに移籍しますが、既に60代半ばに達していたことからか
その立場は非常勤の技術顧問といったものだったようです。
一応56年のフェラーリ290MMという車がヤーノさんの作品とされていますが、
こうした時期的な事を思うと、どれ程ヤーノさんが関わっていたのかは疑問のあるところ。
それ以上にこのフェラーリ時代のヤーノさんが残した重要な仕事は
オリジナル“ディーノ”65度V6エンジンを最終的に完成させたことではないでしょうか。
フィルデナント・ポルシェ博士とヤーノ技師の違ひ、 ひとつにはポルシェが戦前は設計事務所であって製造メーカではなかったこと、 アルファ・ロメオはそのロメオ部分が国家レヴェルで重要な機械製造メーカであったこと、 ポルシェ博士は小なりと言へども自営の経営者であるのに対し ヤーノ技師はあくまでその組織内の一社員であったこともあるでせう。
ポルシェ博士とヤーノさん。 かなり異なる資質の持ち主だったように思いますが、何故か比較される事が多いようです。 こと自動車界へ残した業績に限って見るならば、ポルシェ博士と比較されるべきは ヤーノさんよりもフィアットの巨人、ダンテ・ジアコーザさんなのではないかと思う事が有ります。 また、業績云々以上に多才振りを語るのであればムシュー・ガブリエル・ヴォアザンが適当かとも。 ポルシェ博士は独立した設計事務所を構えたが為に多才振りを発揮できたと思うのですが もしもそうでなければ、戦争犯罪への加担という汚名を着せられる事も無かったのかも知れず。 何が幸、不幸であるか。何ともいえぬところが有るように思います。 昨日の話の続き。 ディーノと聞くと、かつてフェラーリが生産していたV6エンジンを横置きミドシップとしたロードカーを 連想する方も多いと思うのですが。 この名前は元々1957年に完成し、DINO246F-1とDINO156F-2に搭載された65°V6レーシングエンジンに 付けられた愛称だったそうです。 つまりその名前を持つエンジンが先に存在し、それを搭載する車もそう呼ばれるようになったという順番。 このエンジン、その愛称が示すように前年(56年)に僅か24才で他界した エンツォ・フェラーリさんの子息アルフレッド(アルフレディーノ)さんが発案、 当時の主任設計士だったアウレリオ・ランプレーディさんが具体化したものを、 ランチアから移籍後間もなかったヴィットリオ・ヤーノさんの手によって完成したものとされています。 エンツォ・フェラーリさんにとって、最も信頼厚い設計士と言えばやはりヤーノさんだったそうで 愛息の形見ともいえる、この“宝石のような”としばしば形容されるV6エンジンの仕上げを監修するのは 彼以外に考えられなかったのでしょう。 エンツォさんがその昔、ヤーノさんをフィアットから引き抜いた時の事を自らの手柄として気軽に語ったというのも 考えようによってはヤーノさんを誰よりも高く評価したいた事の表れだったのかも知れません。 並みの技術者であったならば、自慢の種にはならなかった筈ですから。 246F-1は58年にマイク・ホーソーンのドライブでチャンピオンマシーンとなっています。
……ディーノの企画、ランプレディの原設計をヤーノの改良で完成…… 豪華だなこれは エンジニアとしての万能性で言えば、ポルシェとジアコーザの比較は妥当かもしれんね やはりまるまる1世代の違いは大きいけど 一人の技術者の才覚ですばらしいクルマが産まれた時代の人で、 多芸多才という点では、W.O.ベントレーにもっと腕を振るうチャンスを与えて欲しかったなあと思う ベントレー氏って結構芸域自体は広くて、小型車もやってみたかったらしいから
「世界一の高速トラック」を作ったW・Oの設計する小型車・・ 「世界一の小型高速トラック」になったりして・・なんて事は無いか・・(w もうちょっとヴィットリオ・ヤーノさんの話の続き。 ヤーノさんが移籍してからのフェラーリは第一次黄金期とも言える時期で F-1GPでは56、58、61、64年にチャンピオンとなった他、 スポーツカーレースに於いても58年の他60年(ドライバーはオリヴィエ・ジャンドビアンとポール・フレール先生) から65年までを連覇。 以前はエンジン偏重のきらいがあったフェラーリでしたが、空力やシャシーも時代の先端に追いついた結果が この時期に実を結んだようです。 ランチアから移籍したとき、既に60代半ばとなっていて非常勤の役員待遇だったヴィットリオ・ヤーノさんが、 この時期カルロ・キティさんをはじめとするマラネッロの設計陣にどれほどの影響を与えたのかは 今は知る由も有りませんが、その存在は決して小さな物では無かったでしょう。 ヤーノさん自身の事を思うと、かつてフィアットからアルファ・ロメオへ移籍するにあたり 最初は小僧の使い程度に思った(らしい)エンツォ・フェラーリさんに 様々な経緯を経た後に雇用される側となったのは、ちょっと複雑な思いも有ったのかも知れませんが それでもこの二人が概ね仲は良かったと言われるのは 恐らくはエンツォさんの方にヤーノさんに対する尊敬の念が有ったからでしょうか。 また、共に若くして愛息を亡くしたという共通の傷みや、長い間共に過したレースでの苦楽が 二人の仲を親しい物としていたと書かれたものも有ります。 一台のレースカーを設計するとき、エンジンもシャシーも全てを統括して設計する人というのは 現代では考えられず。 その為、単純に時代を超えて最も優れたレーシングカーデザイナーを一人選ぶという事は出来ないのでしょう。 しかしそれでも、敢えて一人を選ぶならば。私は1965年3月、長く続いた気管支炎を癌と思い込み 自宅二階でピストル自殺という悲惨な最期を遂げた、このヴィットリオ・ヤーノさんをおいて 他にはいないと思うのです。
レース用ではなく量産型ストラダーレの世界の人になりますが アテクシ的には立場上オラツィオ・サッタ・プリガつうお方も忘れる訳には参りません。 戦後型4発DOHCの1900からアルフェッタまで彼の手になるクルマは アテクシのアルファ・ロメオに対するイメージそのまま、 アテクシの思ふ純血アルファはかういふものつう形を決めてしまった物件どもであるます。 そしてアテクシの115型は最後の最後の105であるますし アルフェッタをかのルドルフ・ルスカが再構築したヌオーヴァ・ジュリエッタを引き継ぐのが 言ふまでもなく75であるます。つまりうちの2台はどちらもサッタの最後の子供達なのであるます。
>>658 アルフェッタ(勿論GPレーシングカーではなく72年発表のロードカーの方)の頃までサッタさんの時代でしたか。
以前にも話に出たかも知れませんが、このアルフェッタ。特に80年代最終型のV6搭載車
V型6気筒エンジン・ギアボックスをリアアクスル直前に配置した所謂トランスアクスル構造
リアのインボードブレーキなど、1950年にヴィットリオ・ヤーノさんが生み出した
ランチア・アウレリアの特徴を受け継いでいると思われます。
アウレリアは、その初期にはリアはセミ・トレーリングの独立でしたが後にはレーシングカーの経験を生かして
ド・ディオンとなっていますし(もっともコイルだったスプリングはこの時にリーフに変更されていることから
改良かコストダウンか、どちらとも言い難いところも有り)
アルフェッタの方も最初は直4のみだったのが80年代の小改良の時にV6を追加され
結果として更に良く似た構成となって行くのが面白いところ。
ランチア・アウレリアの概要
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=7365 その美しいクーペ(ピニン・ファリーナ)
http://www.oldtimergala.de/content/produktfotos/1186097776LanciaAureliaB20Muel_preview.jpg この車は1953年のニューヨーク・近代美術館(MOMA)で行われた二度目の自動車企画展でも
時代を代表する10台の中に選ばれています。
また、この車(アウレリア・クーペ)は車名に初めてGTの文字を用いた車でもあり、スポーツカーレースでも活躍。
54年に登場したF-1“D50”も、V型(8気筒ですが)エンジンやトランス・アクスル等
アウレリアのコンセプトを発展させた物と考えられます。
ランチア・アウレリアはヴィットリオ・ヤーノさんが去った後もフラミニアへと発展し
70年まで生産が続けられますが、ランチアの主力は後任のアントニオ・フェッシアさん設計による
フラット4、通常のギアボックス配置のフラヴィアや狭角V4で前輪を駆動する小型車フルヴィアとなりましたから
アウレリア/フラミニアの正統な後継は、むしろアルフェッタであったとも思えます。
この頃(70年代初頭)アルファの設計陣には、フィアットの傘下で消えていく
アウレリア系の優れた構成を惜しむ気持ちでもあったのでしょうか。
アテクシも何かにつけ御用達イタリア自動車雑貨店の読み物ページより。 >「1969年の10月24日」と言って、それからしばらく無言だった。 >会場をゆっくりと見渡し、それから続けた。 >ランチアはフィアットの庇護の下に入りました。 ここで語られるのは”502台の栄光のランチャ”ストラトスであるますが 確かにストラトスこそアニェーリのトップダウンで生産されたものの その後のランチャを見るにつけ、 まぁなんとかその本質を忘れまひとする気持ちだけは理解出来るものの 言ひたくはありませんがだうにもやっぱり大型FIATにしか思へなひ面も多々あり。 それは88年のアルファ合意により”FIATの庇護の下に入った”アルファ・ロメオも同ぢで だうにもアルファとランチャは飼ひ殺し状態が続ひてゐるやうに思へて仕方無ひのです。 もちろんFIATの最大の功績はこれら歴史的にも価値あるブランドを存続させてゐる そのことである鴨知れませんしその一点のみなの鴨知れません。
>>660 を読んで思ったのですが、フィアット傘下に入ってからの車とは言え
ストラトスとはエロスパ氏の思うランチアのイメージの中心に近いところに有る車なのでしょうか?
私の感覚ではストラトスはむしろ異端で、ランチアとは瞬発力はそれ程でもなくとも
平均速度は意外に速い車というイメージが有ります。
また、その姿にしても具体的に言えば私の思うイタリアンスタイルには欠かせない退廃の香りが無いと
(何処が“具体的”だ w)
こういう認識の差っつうのはどちらが正しいとかってのは勿論無くって。
それぞれがどのような経緯から車好きになったかとか、何処からそのメイクに興味を抱いたかで
変って来る物でしょう。
極端な例として、実際に日常にアルファ・ロメオを愛用しているエロスパ氏の思うアルファ・ロメオと
自ら所有した事は無い無責任な外野である私の思うそれとでは全く異なって当然。
658でエロスパ氏はアルファ・ロメオのイメージを代表する車として1900からアルフェッタ迄の
オラツィオ・サッタさん時代の車を挙げておられますが
私にとってのアルファ・ロメオのイメージを代表する車と言えば、ナンと言っても8C2300“モンツァ”(w
逆な事はある程度シトローエンに対するイメージの持ちようにも有ることでしょう。
そのような“何を持ってそのメイクらしさとするか”という部分が互いに理解しあえていないと
話をしていても何処か噛み合わないということになりがちなものであります。
・・って、そんなに理屈っぽく書くような事でもないか・・。真面目なのがすぐにバレちゃう
このところ硬い話が続いた事でもあり、そんな事も踏まえて(別に踏まえなくともいいのですが)
先日偶然見つけた、ちょっと面白いWebページを一つ
http://15.pro.tok2.com/~fwkf8336/jidousya/carindex.htm 「なんでこのメイクからこの車種を選ぶか?」「他にもっと有名な車があるだろうに」
等と思う選択も多いのですが、
もしかしたらその国にはそのメイクの実車など殆ど無いのではないかと思うような組み合わせも有り。
妙な勘違いの一種と思って見ればそれもまた面白いかも。
しかしこのHP作った人、全てスキャンで作ったのでしょうか?だとしたら凄い手間でしょうね。
ぃあ、ヌトラトヌはアテクシのイメージ中のランチャからは完全に異端です。 アテクシのイメージするランチャはやっぱりアプリリアとかアウレリアとか フラミニア、先進的な技術と言ふ点でフルヴィア、 FIATの庇護の下wでならトレヴィとか。 飼ひ殺しと言ひつつも現行テジスなんか非常にランチャらすぃ、 ランチャの何たるかを理解してるなぁと思ひます。 テーマはこれ股非常に宜しひクルマなのですが、 そして一見ランチャらすぃ佇まひなのですが何かが少し違ふ。 一方でヌトラトヌやデルタHFやインテグラーレ、037とかは まぁ確かにランチャの一面を良く示してゐるとは思ひますが やはりランチャの本筋は ”をっさんの、をっさんによる、をっさんの為のクルマ”だと思ふのです。w アテクシいつもランチャを表現する”仕立ての良ひ、上質で趣味の良ひ”は まぁ仕立て屋とかそれに近ひをっさんメンズショップの 高価で高品質ながらをっさん臭ひ商品群に共通するイメージを持ってゐるのです。 で、やっぱ個人的にはおエロ気てんこ盛りのアルファ・ロメオが好みなのであるますな。
>>664 やはりストラトスは異端と思いますか。あの車は、ランチアの歴史の中で見てもそうですが
他にもいろんな意味で異端の存在と思います。
また、ラリーカーとして考えても、ラリーの意味を少なからず変えてしまった車ではないかとも。
そのストラトスが積んだエンジン。先日も話に出たオリジナル・DINOユニットの流れを汲む65度V6。
DINOの流れってのもちょっとややこしいのですが
最初に例のオリジナルユニットが有り、DINOとはそのエンジンに対して
発案者の故・アルフレッド・フェラーリさんの愛称を付けた事から始まり
後にそのエンジンを用いたレーシングカーもDINOの愛称で呼ばれることになり
それらが成功したことから、他系列のV6エンジンを積む小型レーシングカーもDINOと呼ばれるようになります。
しかし、ストラダーレ(ロードカー)246GTBのエンジンは、
先に書いたようにオリジナルDINOユニットの流れを汲む65度のV6でしたから
よく言われる「ストラトスのエンジンはフェラーリ・ディーノ“用”のV6」というのは間違ってはいないのでしょうが、
やはりアルフレッドさんへの思いを込めて「ディーノV6」と言うべきかも(そんな事に拘るのは偏屈者だけ?)
このオリジナルDINOユニットの65度という半端に思えるバンク角は他に例が無い物と思います。
本来V6って、4サイクル(クランクが2回転・720度回って一行程)の場合720度を6分割した120度が理想で
60度がその次善策の筈(その辺はあまり詳しくないのですが)
史上初の市販車用V6エンジンで、DINOユニットを最終的に完成させたヴィットリオ・ヤーノさんが
ランチア時代に手掛けたアウレリア用V6もこの60度というバンク角を採用していますし、
フェラーリ自身もDINOユニット以外には60度か120度というバンク角を用いています。
また、このストラダーレ用となったDINOユニットはフェラーリ製の車206/246GTB用も含めて全てフィアット製
当時F-2で使用する為、規定で定められた数を生産する必要からそうされたとか。
エンツォさんはフィアット車にもこのエンジンが用いられる事を不満と思ったいう説も有りますが、
フェラーリのレース活動の為の処置という面もあることから、恐らくそれは無かったものと思います。
666 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/01(日) 08:27:40 ID:HvPXhPtqO
基本合格点85 上位20%の平均点により更に加算、減算あり
>>622 > ティアナセダンがかなり売れてるように聞いたけど。
昔はそこそこ売れていたようですが、今はモデル末期なので芳しくないようです。
ちなみに、先月の販売台数は311台で108位でしたよ。
あした、新型がデビューしますね。
先月→4月orz
ティアナと言えば。
先日V6エンジンの事を書くときに、ちょっと調べてみたら。以前は2リッターや1.8リッター、最小は三菱に
1.6リッターのV6なんて物も有った日本車ですが、今新車で入手出来る最小のV6エンジン搭載車は
ティアナの2.3リッターなのだそうな。
直6エンジンも姿を消しそうな今、2.2とか2.4リッターくらいまでは4気筒が主流となりつつあるようで。
それはそれで良いのかも知れませんが、エンジンにはお金は掛けられない、
つかエンジンは黒子に徹した車が主流の時代を表現しているようでもあります。
もっとも1.6リッター程度に6気筒を採用する意味ってのも大して無かったのは、
三菱からそのエンジンが登場した当時から言われていたことであるのも事実。
V6そのものが目新しかったことと、バブル景気のときの歪んだ価値観を象徴している物の一つかも。
もっとも、小型6気筒の流行ってのはちょっと前の日本でだけ見られたものでもなく
30年代初期の英国でも有ったことのようで、1.2〜1.5リッター程度の小型車に
“ライト・シックス”と称した直6エンジンを搭載して、そのスムーズさを売り物にする車が流行したとか。
勿論、この程度の大きさのロードカーのエンジンに6気筒の意味は無く、
販売戦略上から生まれた流行でしかなかったのは、ちょっと前の日本の状況と同じこと。
しかし、バランスに優れた直6レイアウトは純粋に車そのものを見るならばやはりそれなりのメリットも有ったのか、
そうした中からMG-K3マグネットのような優れたレーシングカーも生まれています。
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/98/82/mgzblife/folder/1453381/img_1453381_42818296_0?-1 30年代半ばに、小排気量クラス(K3マグネットは1086cc)では無敵だったこの車のこととか
イタリア車以外に乗るのは珍しいような印象の有るタツィオ・ヌヴォラーリさんが
この車に乗ったときの話なども面白いのですが、
この車が生まれた背景となった、ライトシックス・ブームというもの。
そのきっかけとなったのは、実はイタリアのアルファ・ロメオに於けるヴィットリオ・ヤーノさんの
初期の生産型車の傑作、6Cシリーズだったのではないでしょうか。
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=7058
>>669 当時はライレーにも「ナイン」の兄貴分の小型6気筒があって、ずいぶんいじられてましたね。
メルセデス170も初代は6気筒。
イギリス車にせよ、メルセデスにせよ、
フローティング・マウント付4気筒が1930年代中期に普及すると一斉にそっちに乗り換えてしまいましたが。
アメ車のV12が一気に滅びて、戦後V8一色になってしまったのと似てますね。
>>669 > 最小は三菱に1.6リッターのV6なんて物も有った日本車ですが、
1.6リッターV6ということは1気筒あたりの排気量は266ccになります。
市販乗用車で1気筒あたりの排気量が最も小さいエンジンはホンダS500でしょうか。
1気筒あたり125ccの4気筒なので、3倍にすると1.5リッター12気筒のF1エンジンと同じですね。
>>670 最初のメルセデス170ってのは実物を見た事が無いのですが、それが4気筒の170Vになったのには
フローティングマウントの採用が密接に関係しているという事ですか。成る程。
>>671 360cc時代の軽には、さすがに4気筒は有りませんでしたっけ?(この辺には弱い私・・)
2サイクルでしたら、フロンテの3気筒が有り。1気筒あたり120cc弱ですから僅かにS500よりも小さい筈。
昨日の話の続き。ヴィットリオ・ヤーノさんのアルファ・ロメオでの初期の傑作6Cシリーズ、
昨日のリンク先のようなスーパースポーツが特に有名ですが、最初はSOHCで過給機も無しの
6C1500から始まっています。
この車はフィアット時代にGPカーの設計から直6の優れたバランスに感銘を受けたヤーノさんが
アルファ・ロメオでの最初のロードカーの仕事を任されたときに
「普通の4気筒車ではフィアット製品と競合することもあり、アルファの独自色を出す為には
6気筒を採用すべし」と上層部へ進言して実現したものだとか。
それがDOHCヘッドの採用や過給機の装備などでスーパースポーツへの道を辿ったのは
アルファ・ロメオ社の体質なのかイタリア人の特性か(w
それはともかく、この車の有り様が英国人達を刺激したことが、30年代初頭英国の“ライトシックス”ブームの
原因の一つでもあったのではないか?と、ちょっと思ってみたり。
もう少し時代は下って34年頃、トライアンフがアルファ・ロメオ8C2300をそっくりスケールダウンしたような
2リッター直8過給機付きの“ドロミテ”(英語風ならドロマイト、37年登場の同名車とは別物)
を試みたように、案外と英国人はアルファ・ロメオがお好きだったようでもありますし。
それは別として。英国人は直6レイアウトそのものが好きだったのではないかと思う節もあります。
確かに捜してみれば例外など幾らでも有るのですが、60年頃迄の英国の代表的な高性能車とか
高級車のエンジンを見ると、他の国に比べて圧倒的に直6の比率が高いような気がしますので。
言わば、アメリカを代表するのがV8ならばイギリスは直6に代表される国である。みたいな。
直6と言えばBMWと連想する人も多いでしょうが、私の場合、その多くは英国車なのです。
>>672 > 英国人は直6レイアウトそのものが好きだったのではないかと思う節もあります。
現在、BMW以外で直6レイアウトの市販乗用車は、英国のTVRだけではないでしょうか。
英国人は未だに直6レイアウトが好きなようですね。
>360cc時代の軽には、さすがに4気筒は有りませんでしたっけ? つ マツダキャロルとB360 四気筒の振動を減衰させるラバーマウントは、1931年モデルのプリムスが"Floating Power"の愛称で採用、 その特許をいちはやく買ったのがシトロエンの例の白鳥マーク"moteur flottant"。 なんでV8より6気筒だったんでしょうねえ、ヨーロッパでも、フォードのV8は生産されていたのに。 もしかすると、ヨーロッパの一般的排気量だと、V8にするには排気量がちょっと少なめだったのかも。 あとは、戦前から『6気筒に乗れたら、人生の成功者だと思っていい』とかいう俗な言葉があったり、 大陸の方ではパワーの目安として、トップギヤのままどれだけスローが効くか、どこまでの山を越えられるか という、ヘンな所で車の性能を誇っていた部分も影響していたのかも。
直6のメリットは完全バランスで振動が少なひこと。 ネガはクランク軸・カム軸が長くなり捩れ振動が出たり捩じ切れwたりすること。 まぁ捩じ切れなんざよっぽどでないと無ひんですが、捩れて狂ひが出ることはあり得ます。 60度V6も1次振動は無ひことになってゐるんですがブロック2ヶが1ヶのクランクケースから生へる訳で 強度的に弱くなり振動が出やすひ。しかし確かに何でディーノは65度なんでせうかね? それを言へば現在のフェラーリ12亀頭も65度、12亀頭は何度でもバランスしますが 65度、”5度”つうハシタはなんなんでせうか? アテクシ今でも基本的に10亀頭だの5亀頭だのっつな邪道と思ってますが 720÷10=72度のクランクが正確に作れるやうになって成立してるんでせうな。 >360cc時代の4亀頭 これは例のクリフ・カットのマツダ・キャロルがさうでした。 唯一の4亀頭つうのを高級で売り出したはEんですが重くなって走らなひ。 バイラルのアルミシリンダブロックを使った4ストOHVで 確かに当時の国産では相当な高級技術でしたが 如何せん他社の軽量な2スト2亀頭とは比べ物にならなひ重さ。 結局これが走りの悪ひクルマつう評価となってしまったやうです。 まぁ当時は軽でも4輪つうだけで相当な高額品。 ”プレミアム軽”も笑ひのネタではなくあり得た時代です。 キャロルはその線を狙ったんでせうがそのマツダらすぃ凝りに凝った真面目さが裏目に出た。
ゑげれすぢんはアルファ今でも大好きですよ。w だって女王様を頂き 雨が降ろうが汁が降ろうがヌポォシはやるドMの変態民族ですから。w さういふ与太はさて置き、実際ペニスの商人セックスピアの頃から ゑげれすぢんは欧州文化文明の発祥地イターリャには深ひ愛着と敬意を持ってゐます。 その典型がヴェローナに舞台を設定したロメオeジュリエッタ。 そんなこんなで今でも英国ぢんはアルファが好きで (英国ぢんのクルマの好みは意外やドラィヴァーズ・カーです。) 右ハンの出来の悪ひクルマに文句垂れ垂れそれでもアルファに乗るバカタレは後を絶ちません。 これが一方イターリャぢんは英国趣味が股大好きで、 紳士服地なんかやたら英国産を有り難がりますし ゼーニャとかローロピャーナとか国産に滅茶苦茶Eのがあるぢゃなひかとアテクシ思ふのですが その生地屋がやたら英国趣味イターリャ風解釈みたひなのを作りたがる。 伊仏などラテンの国ではカフヱやバールは一般ピーポーのものですが サロン・土・手は相当高級でハイソwな店です。
>>673 >なんでV8より6気筒だった
直8は結構有ったのですからV8も有って不思議は無かったとも思いますが、
あのフォードV8はフォードの鋳造技術無くして出来なかったと言われるように、他では(大衆車の値段では)
真似出来なかったようです。中〜上級車であれば話も別なのでしょうが、
全長の短いV8エンジン搭載ではボンネットも短くなり、欧州人の考える高級感の有るプロポーションが
実現出来ないという辺りが、案外欧州車にV8が出なかった理由なのかも。
トップギア云々の話は、アメリカでもパッカード等がそうした事を誇っていたようで、
ロールス・ロイスやイスパノ・スイザ等に限った話ではないようです。
要はシンクロメッシュやATの普及する前の、変速が面倒だった時代の名残りでしょうか。
>>672 直6って、そんなに少なくなってましたか。
少し前までは中型以上に幾らでも有ったような気がしますが・・。
さて、そんな直6エンジンですが。純レーシングエンジンとなれば昔から意外に少なく
特にGP(F-1)カー用としては、ヴィットリオ・ヤーノさんがフィアット時代に関わったというフィアット804とか
57年にチャンピオン・マシーンとなったマセラーティ250Fとかが即座に思い浮かぶ程度。
ところがロードカー用から発展してスポーツ・レーシングカーに搭載され成功した物と言えば話は変わり
古くはヴィンテッジ期にルマンで活躍したベントレー(直4も有りましたが)
50年代のジャガーやアストン・マーティン(これもW・O・ベントレーさんの設計ですが)等が挙げられます。
これらの多くが英国車であった事が、私が“直6と言えば英国車”と連想する理由なのかも。
また、最初に書いたようにV8では高級車らしいプロポーションが実現出来ないってのも有ると思うのですが
何故か直8の高級車ってのが英国ではあまり見られず、20年代末のランチェスターとか
50年代のロールス・ロイス・ファンタムW(僅か18台しか作られなかったという少量生産車)くらいが
例外的に有る程度でしょうか。
直4と直8しか作らず、直6は一度も作らなかったブガッティと並び、私が不思議に思うことの一つであります。
V8以前の米国では直列6亀頭は高級車の証、 おねーちゃんをデヱトに誘ふにも6発ヌカ6wつうのは相当効果があったとか。w 一方米国でのV6はV8以降V8の廉価版的扱ひ。 欧州ではV6っつな高級ヌポォシエソジソの典型みたひなもんで どっかの国のどっかのメイクが高級フォーマルサルーンにV6載っけて 「V6こそ高級車の証」ってCM打ったときにゃアテクシ心底本気でそのメイクの見識疑ひました。w 6発で高級は直6に決まってんだらふ、と。 だって静かでスムースな6発ったら直6しかあり得ません。 V6はクランクもカムも短くふけ上がりも良く活発でヌポォシエソジソには向ひてますが あまり回転上げ下げせづ高速を滑るやうに流すなんつな高級な用途には 振動も大きく本来向きません。 静かでスムースながら各種軸が長く捻じれ易くなり運動物のマスが大きくなって レスポンスが鈍くなりがちな直6がレーサー、コルサ・スペチャーレに向かづ、 一方ロードゴーイング、ストラダーレやそれ系ベースのロードレーサーに 直6があったつうのも上記事情であらうと思ふのです。
博学なみなさんに質問なんですが、 ABS無しの車で200キロからブレーキをめいいっぱい踏むと 本当に即効ロックするんですか? BMWに乗ってる人がABS無しは即効ロックすると言ってるのですが? ロックする場合はかなり速度が落ちてからじゃないんですか? あと200キロからエンジンブレーキをかけないでブレーキのみでの完全停止までの制動距離と、 エンブレプラスブレーキの場合との制動距離ではどっちが短く停まれるんですか? 初心者の質問で申し訳ありません。
車輪が即ロックするかどうかはブレーキロータとパッド(の摩擦力)に拠り、 股パッドを押すピストンの力にも拠ると思ひます。 クルマは車輪がロックしなひと止まりません。 ABSがあらうと無からうと、エンブレ使わうと使ふまひと 最終的には車輪がロックしなひとクルマは止まりません。 しばしばABSは誤解されることが多く、 これは本質的には決して制動距離を縮めるものではありません。 繰り返しになりますが”車輪がロックしないとクルマは止まらない”ことを覚へて下さひ。 エンブレ併用とロックしっぱなしのどちらの制動距離が短ひかは タイヤと路面の摩擦の状態に拠ります。 いっそ横向ひてスクラブ抵抗増大させて止まるか。w 例へばベンシのブレーキシステムではちょっとした緊急ブレーキではABSが作動しますが それこそ欧州ドライブスクールで教へるやうな本格的な緊急ブレーキ、 つまりブレーキペダルを全身の力で蹴飛ばすやうな踏み方をすると ベンシの場合ABSが解除され車輪がロックします。 これはベンシが”車輪がロックしないとクルマは止まらない”ことを 良く良く知ってゐるからです。 それ以前に200`からフルブレーキングするやうな事態を避けることが より優れたドライヴィング・テクニックと思はれます。w
>>680 雨の中でロックしたら危なくないですか?
>>677 フォードV8の量産化はV8ブロックを一括加工可能なトランスファーマシンが実現できたことも大きく影響してます。
当時のヨーロッパでV8使うクラスの車には、フォード並みの規模で量産できるモデルがない。高級車ばかりで。
英独仏のフォードV8とて各国のアッパーミドルクラスに当たるモデルですが、
アメリカ本国で開発されたトランスファーマシンをそのまま踏襲して持ち込めたのと、
トラックなどコマーシャルモデルとエンジンを共用できて
ある程度のマスプロスケールが成り立ったから作れたとも言えますね。
>>674 > つ マツダキャロルとB360
4気筒の360cc軽自動車と言えば、ホンダT360もそうでした。
市販車として日本初のDOHCエンジンであり、おそらく世界最小のDOHC直4エンジンでしょうね。
>>682 その話で思い出したのですが、昨日“欧州ではV8が出なかった”と書いたのは誤りで
“あまり出なかった”と書いたつもりが“あまり”の一言が抜け落ちてました。
独・英フォードのV8モデルを別にしても初期のロールスロイスから出ていた“リーガミット”っつうモデルとか
このスレでは度々登場するタトラ77や87等、少数ではありますがV8モデルは存在しました。
また、フォードV8供給されて作られた英国車にジェンセン・タイプSなんてのも有りました。
http://www.kitfoster.com/images/2006-10-25_Jensen-S-TypeWeb-Large.jpg ・・こんなのは出て来るけど、マツダ・キャロルは出て来ない。私の頭・・(w
それにしても。戦前の欧州にはV12は結構有るにも関わらず、
V8はそれよりも少ない例しか無さそうなのはやはり不思議な気はします。
エロスパ氏が書かれたように、初期の製造者にとって直6クランクの捻り振動ってのは結構難問だったようです。
ヘンリー・ロイス(ロールス・ロイスの)さんもこの事ではかなり頭を悩ませたという話が残っており
晩年に健康を害して別荘で療養しながらの仕事を余儀なくされたのも、
その時の無理がたたったのが遠因という説も有るほど。
当初は異常な振動の理由が突き止められず、それがクランク軸の捩れによる物と判ってからは
様々な対策を採って静粛で振動の少ないことで有名となった“シルヴァー・ゴースト”の成功へと
発展したそうですが、
この時に振動対策の一つとして採用した制振ダンパーをめぐり
先に似たような構造を採ったランチェスターから抗議を受けたとかいう話が
古典車の研究家、佐藤章三さんの著書に書かれています。
結局のところ、長いクランク軸を余儀なくされる直6の場合は本来の計算以上にクランクを太く(重く)
作るしか当時は無かったようでそんな事も純レーシングエンジンに直6が少ない理由のひとつなのかも。
更にクランクが長くなる筈の直8は例が多いのですが、これらはエンジン中央でカム軸の駆動とかを
行っている例が多く、直4を縦に連結したような構造とする事で解決も容易だったのでしょうか。
その為
>>644 に貼ったアルファの直8では、クランクで駆動される過給機がエンジン横に置かれています。
直4+直4=直8、これ系ならチゼータの16亀頭もV8・2ヶです。
かつてアバルトが試作した12亀頭がこれ股V6二重連だったさうですが
レギュレーションの変更で没った筈。
で、コルッチ技師だったかアッビダーノ博士だったか元アバルトの中の人曰く
これが股そのV6同士の繋ぎ目にクラックが入ってだうにも上手く行って無かったとか。
>>681 雨の中200`からフルロックさせる度胸があるならだうぞ。w
昨日貼った画像のジェンセン・タイプSについて少し。
ジェンセンってメーカー、少し前にフルタイム4WDの話でも少し出たと思いますが
元々は30年代から英国でコートビルダーとして始まった会社だそうで、
創業者はアランとリチャードのジェンセン兄弟
このうちリチャードさんという方がフォードの二代目社長エドセルさんと友人同士だったそうで、
そんな縁からか35年にフォードのV8エンジンや足回りの部品を供給して貰い
オリジナルのシャシーにそれらを搭載した車“タイプS”をもってメーカーの仲間入りをしたそうです。
コーチビルダーから発展したメーカーという経緯はジャガーなどとも共通するもの。
またアメリカ製の大排気量エンジンを搭載した欧州車というのは戦後には数多く見られますが
ジェンセンはその先駆け的な存在だったとも言えるのでしょう。
戦後は意欲的なフルタイム4WDのジェンセンFF(ファーガソン・フォーミュラの略)とかも有りますが
今、一般に知られるのはロータスの直4ツインカムエンジンを搭載した70年代のスポーツカー
ジェンセン・ヒーレーでしょうか。
http://static.howstuffworks.com/gif/1972-1976-jensen-healey-and-jensen-gt-1.jpg この車は創業者のジェンセン兄弟が去った後にアメリカ資本で計画されたものだそうです。
で、昨日の画像の車なのですが、これがそのフォードV8を搭載したタイプSとの事なのですが
私は残念ながら実物を見た事も無く、またフォードのエンジンや足回りを流用した車という
機構的には別段面白い車でもないので、少数生産車ということもあり資料も少なく
「これがそうだ」と言われれば信じるしかないっつう、ちょっといい加減なところも有ります。
オリジナルのフォードV8の前輪懸架は、横置きリーフで左右固定のアクスルビームを吊るというもので
エンジンはその真上に置かれている為、一般的な欧州車と比較するとかなり腰高で
ラジエーターは前進位置にあり、ボンネットは短い物
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__sr_/203f.jpg?bcntqvIBRgO5W937 ジェンセンは、かなりエンジン位置を後退させているのでしょうが、それにしてもプロポーションの違いは大きく
もっと長いエンジンを積んだ車のようにも見えます。
ジェンセンにしてもそうですが、車メーカーの創立者には兄弟で始められたという例が矢鱈に多いですね。
しかも三兄弟とか四兄弟なども珍しくない気がします。
もう少し脱線ついでにジェンセンの事など。
戦前のジェンセンはアメリカ車のコンポーネンツを用いたスタイリッシュな車に活路を見い出していたようで
車好きで有名だった俳優、クラーク・ゲーブルさんの為に作ったフォードV8のスペシャルなどは
当時はかなり広く知られたものだったそうです。
また、リンカーン・ゼファーV12を用いたスペシャルモデルも数台製作していたそうで、
これはエドセル・フォードに影響を与えて、後にリンカーン・コンチネンタルにも結びついたとか。
ただ38年に登場したナッシュ・エンジン付きのタイプH等も含めて、
これらはデザイン史には影響大なのかも知れませんが、内容的には見るべき物も無いのか
車そのものに関しての資料はあまり見られません。
戦後もオースティンのエンジンを積んだ車を少量作った他(オースティンA40スポーツの製作も担当)は
殆どがアメリカ製の大排気量エンジンを用いたGTを作り続け、それが災いしたのか70年代の
オイルショックを乗り切れずに倒産。その後も何度か復活と倒産を繰り返しているようです。
一応、最後のモデルは1972年に発表されたジェンセン・ヒーレー(ヒーリー?)でしょうか。
この車は名前からも判るように、オースティン・ヒーレーやヒーレー・スプライトを生み出した
英国の元ラリー・ドライバー、ドナルド・ヒーレーさんを会長に招いて作られたものだそうです。
先日も書いたように、創業者のジェンセン兄弟が会社を去った後にアメリカのディーラーが
オースティン・ヒーレーの後継車を必要としたことから企画された、
最初からアメリカ市場を意識して作られたブリティッシュ・スポーツカーですが、
ドナルド・ヒーレーさんはこの時既に70代になっていたそうで、
かつてデザイナーとしてオースティン・ヒーレーを生み出したネームバリューを買われての起用という
側面も有ったのでしょう。
ドナルド・ヒーレーさんと言う人も、30年代には
>>672 に書いたアルファ・ロメオをコピーした
トライアンフ“ドロマイト”辺りを始め、スポーツカーの歴史には度々登場する方のようです。
689 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/08(日) 11:28:31 ID:XGj2/Q4vO
ジェンセンはビッグ・ヒーレーやヴォルヴォ1800の生産もしていましたか? ポルシェは経営不振だった時分メルセデス500Eを代行生産してましたが、ジェンセンは常時経営がしんどかったようで…。
690 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/09(月) 06:21:03 ID:gL7Tkutr0
きのう、BMWザウバーF1.08が優勝しましたよ
691 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/09(月) 06:21:26 ID:gL7Tkutr0
2位もBMWザウバーF1.08でしたよ
692 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/09(月) 06:21:49 ID:gL7Tkutr0
3位はレッドブルRB4でしたよ
693 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/09(月) 06:22:12 ID:gL7Tkutr0
ちなみに、フォースインディアVJM01はリタイアでしたよ
>>689 ビッグ・ヒーレーの方は判りません。
ボルボの方は確かにボディーを製作していたようですが、元々がコーチビルダー業だったジェンセンですから
案外とこっちが本業だったくらいの気持ちもあったのかも知れません。
オースティン車の組み立てを受注したきっかけってのがおかしな話で、
ジェンセン初の戦後型PW(当初はナッシュ・エンジン搭載)
http://www.jensencars.org/jensen_pw.html この車の設計をオースティンが盗用した事が発覚したことから、
その補償の意味でエンジン供給とオースティン車組立の契約を結んだのだとか。
写真で見る限りは大メーカーが模倣するような、そんな特徴も無い車のようで、
盗用する方もよくワカラン話ではあります。
エンジンを自製出来る規模にない小メーカーの常で、
ジェンセンも経営はいつも苦しかったのかも知れませんけど
それでもコーチビルダーとして始めてから半世紀を続けたのですから、結構マシな方だったのでしょう。
ジェンセンは惜しいところでブリストルやTVR(自製エンジンの道を進んでいるようですが)に成り損ねた
というところでしょうか。・・もっともブリストル等の立ち位置っつうのもかなり微妙ですけど・・(w
直6とかV6の話に戻って。意外に純レーシングエンジンは少ないと先日書いた直6ですが、
その時に挙げたマセラーティ250F以外に無いということは勿論無くって、
英国ではERA(イングリッシュ・レーシング・オートモビル)とかも有り
またマセラーティは戦前750kgフォーミュラ初年度の34年にも6C-34という直列6気筒搭載車を
GPに参戦させています。
他にも捜せば有るのでしょうけど、戦後初期のF-1に参加したタルボの4.5リッター無過給直6とか
MG-K3マグネットなど、ロードカー用を基礎とする物が多い為に
純レーシングエンジンとしては直6ってのは案外少ないと思えるのです。
もっとも、かのコスワースDFV(V8ですが)も
ロードカー用から発展した直4のF-2用エンジンを対角させて生まれたように
“何を持って純レーシングエンジンと考えるか”などと言い出すと、これもまたキリの無い話になるのでしょう。
695 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/10(火) 06:06:43 ID:KqCuV+auO
ジェンセンが淘汰されたのに、ブリストルがいまだに健在なのは、売り方や商品キャラの違いかと。 ブリストルは内需限定生産、直売だった。実用的・控え目なデザイン・性能で「ロールスロイスとアストン・マーティンの隙間」に入り込むのに成功した。
>>692 ちなみに、4位はトヨタTF108でしたね
5位はフェラーリF2008でしたね
6位はトヨタTF108でしたね
7位はホンダRA108でしたね
8位はトロロッソSTR3でしたね
>>695 ロールス・ロイスとアストン・マーティンの隙間・・
・・つーか、多分ベントレー(クーペモデル)とアストン・マーティンの間かも・・
しかし値段的にはブリストルってベントレーと拮抗しているみたいで、最も安価なブレニムVでも約15万ポンド
http://www.bristolcars.co.uk/Blenheim3.htm 大きさはほぼクラウン並みで、かなり地味なスタイルのこの車を(1ポンド=210円で計算して)
3000万以上出して買う人が・・あの国にはいるんだろうなぁ・・多分・・。
ブリストルの生産数って、ここ数年は年間数十台程度で推移しているそうですが、
そんな会社でも一応生き残っていられるのは、かつて航空機で名を馳せたことの名残りなのか
それとも英国という国の特殊性ゆえ・・?
ジェンセンの最後のモデルとなったヒーレーは、それまでのジェンセンとは趣を異にする車だったようで、
小排気量のエンジンを積んだ小型スポーツカー。
オイルショックの頃に他の大排気量モデルを見切って、これに集中出来ていたならば、
あるいはジェンセンも生き残れたのかも。
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=1048 でも、最近偶然見掛けたのですが、正直に言ってあんまり格好良いとは思えませんでした。
もっとも、あんまり見た目にはパッとしないところが英国流で宜しいっつう人もいるのかも(w
現代のF-1では多くのコンストラクターが集結している英国ですが、
世界的なレースで一流国になったのはクーパーが活躍した50年代後半以後のこと。
戦前にもルマンでのベントレーとかGPレースで幾つかの勝利を重ねたサンビームなども有りますが
多くは小排気量クラスでの活躍であったり、英国国内を舞台にした勝利であったりと
全体的に見れば、一流国とは言い難かったように思います。
それがなんとなく“かつてはスポーツカー大国だった”みたいな印象が有るのは
戦後のアメリカ市場での、サルーンカー用のコンポーネンツを用いた、比較的安価なスポーツカーの
一連の成功が残像のように有る為でしょう。
ですから、これって英国人自身が持つ“かつての英国車”のイメージとは、かなりかけ離れた物なのだとか。
>惜しいところでブリストルやTVR(自製エンジンの道を進んでいるようですが)に成り損ねた ブリストルともかくTVRになったところでメイクの体をなしてるとは言へますまひ。w TVRだのリライアントだのっつなバックヤードコーチビルダーに毛が生へたと理解して 大間違いはまづ無ひと思ってゐます。ジェンセンもご同様と思ひます。 今は無き、けど玉に生き返る気配だけ漂はす名家の亡霊wリー・フランシスあたりの 生前の頃wとかは立派にメイクと言へたのですが。 まぁかういふ連中が今でもそれこそ亡霊となって彷徨ふ英国は歴史を重視するお国柄でありますし 上は女王様から下はホームレスまで古物に心寄せなひ者はゐなひお国柄でもありますし さういふ特殊な島国事情もあるのでせう。w で、この英国車つう物件、アテクシいつも言ふことですがだうもエソジソにあまり関心が無ひ臭ひ。 芝刈り機のエソジソでもチューンして使ふ状態でw動力が出てればそれでEとしか思って無ひやうにさへ思へます。 イタリアやドイツの「まづエソジソありき」のやうなクルマどもと対照的に 英仏の場合エソジソは単純に動力発生源、 それ以下でもそれ以上でも無ひかのやうに思ってるやうに見へてしまふのです。
703 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/11(水) 08:08:10 ID:Em89uc/F0
5月の新車販売台数ランキングの首位はスズキ・ワゴンRでしたよ
704 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/11(水) 08:08:31 ID:Em89uc/F0
2位はダイハツ・ムーヴでしたよ
705 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/11(水) 08:08:52 ID:Em89uc/F0
3位はダイハツ・タントでしたよ
706 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/11(水) 08:09:13 ID:Em89uc/F0
4位はホンダ・フィットでしたよ
707 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/11(水) 08:09:34 ID:Em89uc/F0
5位はトヨタ・カローラでしたよ
708 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/11(水) 22:30:38 ID:B8/dohWMO
アストンもロールスもベントレーも外資の庇護下にあり、マスプロ化した。 サビルロウの仕立て屋のように昔からの顧客を貴び、敷居が高く、細々と保守的なツアラーを作り続ける、ブリストルこそ、british-gentlemanのライフスタイルそのものである。
709 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/11(水) 23:11:31 ID:B8/dohWMO
売らんかな、という野心で無茶をすればジェンセンみたいに倒産する。 アルヴィスみたいに、高級車生産から撤退したメーカーもある。 ACみたいに辛うじて変わり果てて生き残る例もある。 ブリストルは不変である。
丁度エロスパ氏が年バレスレにYMOの事など書かれているのを見て、以前永島譲二さんがCG誌上で 言われていた言葉を思い出していました。 YMOってのは細野晴臣さんが“アメリカでヒットするレコードでも作ってみるか”っつう思い付きから始めたもので アメリカ人が誤解している日本人像を自らパロディー化して演じて見せたもの。 赤い人民服に中国音階、電子楽器の電子音その無国籍性が可笑しくてウケたのでしょう。 で、永島譲二さんの言葉ってのは “英国自動車界の悲劇は、他所から見た英国車の良さを、そのまま本当の良さと英国人自らが信じて しまった事にその始まりが有ったのではないか”みたいな主旨だったと記憶しているのですが つまりはYMOが本当の日本文化のように勘違いした日本人(そんなのいるのか? w)その英国版の悲劇。 元々無国籍なパロデイーなのに、それに気付かず反芻し、意味も見失って行き詰ったみたいな・・。 ・・と、ナンだか判ったような判らんような話でしたが、閑話休題。また閑話(w 昨日書き込んでから思ったのですが、1959年にはF-1はクーパーが席捲し、 ルマンを始めとするスポーツカーレースもアストン・マーティンが制覇。この頃から英国は国際レース界の 中心となった感が有ります。 その背後には様々な要因も有ったのでしょうが、とにかくクーパーの後を追うように ロータスやローラが成功し、70年代以降もマーチやシェヴロン、GRD、レイナード、ラルト等と レーシングカーを作って売るという商売をする会社が英国には多く生まれました。 この内ロータスなんかはロードカーも作ってそれなりに成功しましたが、 他の多くはレーシングカーのみに専業して、一応ある程度の成功を収めたようです。 こうしたレーシングカー専業会社って50年代まではイタリアに多く見られたようなのですが、 マセラーティがロードカーの会社に転身したのを最後に、(これもイタリアの)ダラーラが台頭するまでは 市販レーシングカーと言うと英国製が殆どだった時代が長く続いたように思います。 しかしこれらの会社が作った車、かつてのマセラーティなどとは異なり、エンジンは買った人任せって辺りは エロスパ氏も書かれたような、エンジンに拘りを持たない国民性も多少は有ったのでしょうか?
>赤い人民服に中国音階、電子楽器の電子音その無国籍性
ぅーみゅ★、逝ってる師もその理解でしたか・・・。
だうもYMOは初期のいはゆる”テクノ・ポップ”と後期の”テクノ歌謡”が
一般には知られ杉る一方、中期のBGMやテクノデリックが知られてなひ。
確かにこの辺はまるで難解な現代音楽のやうでもありますしあまりに実験的杉て聞こへる鴨。
非常にとっつき難ひのだらうなとも思ひますが、ぢつは最も重要な時期がここなのです。
ってな話は歳バレにてと思ふのですが何やら変なのが頑張ってくれててだうも構ひたくなひ。w
ぃあ、暇と気力があれば
”YMOその変遷と意義 〜正弦波からノイズへ、そして商業音楽へ〜”
”テクノデリック 〜テクノの幻覚とリアリティー〜”
”ビートルズからYMOへ 〜実験音楽とポップスの挟間で〜”
とかだらだらと取り留めなく、合間あいまに細野さんのフィルハーモニーや
ユキヒロ氏のニウロマンティックなど挟み脱線しつつ一説ぶたうかとも思ってるのですが
それは再び気が向く股の機械↓ゲロンパゲロンナッにしませう。
http://www.sexmachine123.com/abc/13/sex-machine-01.mpg
確かに、ステアリングを握るデヴィッドシルビアンの姿は想像つきません。
禁ぢられた色彩Forbidden Colorsのデイヴィッド・シルヴィアンもさうですが 扇情のメリークリトリス・ミスター・ローレンスのデイヴィッド・ボウイも 暴威wといふならボーイ・ジョージもどれも股似合ひませんな。w ところで彼らと言へば今日、献血してきましたが >この1年間に次のいずれかに該当することがあった方の献血はお断りしています >A男性の方で男性と性的接触があった ださうですが、 アテクシ数年前おカマ・マンヘルwであんなことやこんなことしたのは時効でせうな。w 一方英国のデイヴィッド君ならユキヒロ氏の代打でタイコ叩ひた デイヴィッド・パーマー氏もゐますが彼がモーホーつう話は聞ひたことありません。w
>>716 その理解っつうか、細野氏が始められたきっかけの話としてそう考えるのであり、
メンバー三人の個性のぶつかりあいが、当初の狙いを超えた音楽性を創造して行った話は
また別として見ないと昨日の話の枠内に収まらなくなるのです。
ビーチボーイズとかを例にして書いた方が実は判り易い話だったのですが、
そうすると今度は私が泥沼にはまる(w
と、言いつつちょっとだけ。
ビーチ・ボーイズってのも長くやり続けている内に“何が何やら”となっているもので、
それこそ“白土三平・カムイ伝状態”若しくは“中里介山・大菩薩峠状態”(w
最初は何がやりたかったのか判らなくなっているものであります。
つーか、実はこのバンドって兄弟とその従兄弟なんて組み合わせで始められたように、メンバーが先に集まり
“何がやりたいか”はその後の成り行きで決まったようないい加減なバンドであり、
デビュー当初のヒット曲数曲だけで忘れられても仕方が無かったようなところが有りますし
また、そうなってしかるべきだったのでしょう。もしもリーダーのブライアン・ウィルソンが天才でなければ。
ブライアン・ウィルソンが離脱し、他の兄弟も相次いで他界した後も懐メロバンドとしてビーチ・ボーイズは
存続していますが。かつての自らのパロディーのようでしかないその姿は痛々しいものですらあります。
ブライアンの抜けたビーチ・ボーイズの歌う昔のヒット曲は只の懐メロであり、その中に有った本質は
既に何処にも存在していないのです。
その“本質”っつうもの。一体何が彼等の本当の良さであったのか。
それをブライアン以外のメンバー誰一人として自ら演奏していた曲の本当の良さ、本質を理解出来ず、
商業的な成功の素になった部分だけに囚われ、再生産してしまったところがビーチ・ボーイズの悲劇。
つまり商業的な成功を彼等にもたらした“ただの消費者”と同じレベルの理解しか自らの楽曲に
持っていなかった事がその後の彼等の姿を痛々しいモノとしていると思えるのです。
・・と書いていて思ったのですが、この例は英国車の悲劇の話とかに用いるよりも
マセラーティの変遷の話に用いた方が良いのかも。
あの会社も兄弟が始めた物っていう共通点もありますし。
私が暴走する際のBGMは、今でも、サムライクイットホットです。
>>719 ビーチボーイズの評伝で、こんな主旨の文章を読んだことがあります。
「ビートルズには2台巨頭と言うべきポールとジョンがいて、隠し球の実力者であるジョージもいた。
凡庸なリンゴ・スターの存在も無難で、マイナスにはならなかった。
4人の思惑がすれ違って解散に至るまで、ともかく音楽と商売が両立した。
ビーチボーイズは、キーマンであるブライアンを除けば、弟たちもイトコたちも特筆すべきものではなかった。
凡庸さが積み重なるとマイナスになる。
ブライアンはあがきにあがいて『ペット・サウンズ』を作り上げたが、
当時の彼を理解しなかった他のメンバーは、ブライアン離脱後
(彼らはブライアンを見放したつもりだったのだが、実はブライアンに見放されたようなものだった)、
結局は過去の遺産の蒸し返しで、『ビーチボーイズ』の古看板を背負って喰っていくしかなくなった。
ポール・マッカートニーは『ペット・サウンズ』の革新性を即座に悟って『サージェント・ペパーズ』に取り組んだが、
後から指摘されて重要性に気付いたようなブライアン抜きビーチボーイズでは、
頑張っても作れる曲のポテンシャルは後年の『KOKOMO』がいいところだった……」
音楽グループを自動車メーカーに置き換えると、ビートルズもビーチボーイズも新興メーカーとして設立され、
イノベーションに富んだ製品を送り出して市場の支持を得たわけですが――
ビートルズは会社が分割されても、開発者それぞれの能力に応じ、独立メーカー(ソロ、ないしはウイングスなど)
として新たな活動範囲を開拓していったのに対し、
ビーチボーイズは量産体制を支えたほとんど唯一の天才開発者が、数年進んだクルマ『ペット・サウンズ』で力尽き、
残った並のエンジニアたちはキープコンセプトで縮小再生産という状態に陥った。
天才開発者は長い休養の末にハンドメイドの独立小規模メーカーに転じ、一定の支持を受けてますね。
自動車メーカーは細かく分割されるケースは希ですし、音楽芸術と工業製品とは決して同列に語れないんですが、
いずれにしても創造するという行為の難しさを感じます。
722 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/13(金) 04:03:16 ID:ZwjORdpk0
>>715 ちなみに、6位はトヨタ・ヴィッツでしたよ
723 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/13(金) 04:03:37 ID:ZwjORdpk0
7位はトヨタ・クラウンでしたよ
724 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/13(金) 04:04:04 ID:ZwjORdpk0
8位はダイハツ・ミラでしたよ
725 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/13(金) 04:04:25 ID:ZwjORdpk0
9位はスズキ・パレットでしたよ
726 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/13(金) 04:04:46 ID:ZwjORdpk0
10位はトヨタ・パッソでしたよ
昨日のエロスパ氏の
>>718 と関係有るような無いような話で
家の前に小さなバラの鉢植えが有って、毎年幾つかの花を咲かせるのが楽しみなのですが今年ももう終わり。
今は代わって百合の花が咲いていて、こちらは家人の方が楽しみにしている様子。
「薔薇好きな夫に、百合好きの妻。そんな偽装結婚みたいな組み合わせで良く俺が生まれたもんだねぇ」
と息子は一人で面白がっている。(バカ)
・・なんて話はどうでもいいのですが(だったら書くな w)
>>721 ビーチボーズで思うのですが、熱心なファン(マニア)が必ずしも最善の理解者とは限らないもので。
それは車メーカーについても言えることなのではないか?って思う事も有ります。
ユーザーが一つのメーカーに惹かれるとき、要因が枝葉の部分であろうと本質に関わる部分であろうと
そんな事は気にしないものであり、時にはそうした者の見方は結構歪んでいる事も有るのではないかと。
また言うまでもなく、車メーカーはユーザーによって支えられているものですが、
ユーザーの意見にのみ媚びて、同じような車をただ時代の水準に合わせるのみのアップデートを繰り返し
作り続けるだけでは先は無いのではないかとも思うのです。
ブリストルとか、或いはモーガンのようになりたいのならそれでも良いのでしょうが。
まぁ、あんまり理屈っぽい話ばかりでも退屈でしょうから、この話はこの辺で。
このスレの最初の方で“史上最も偉大なレーシングカーは何か”なんつう無茶な事を書いたこともあり
今スレでは意識的にレーシングカーの話を中心に書いて来た(つもり)ですが、
その時代毎に様々な事情って物が有る訳ですから、単純に戦歴のみを取り上げたところで
“最も偉大なレーシングカー”を選ぶ事など、当然出来る訳はないのであります。
もっとも何にも縛られる事のない自由な立場の素人の一人として“最も好きなレーシングカー”を
選ぶならば容易な話で、好きな事を勝手に書き散らしていれば良いのですが
全く戦績はパッとしない物を挙げ“なんだよ、それは”と一笑に付されるのも面白くなくって(勝手 w)
一応は“成る程、そう考える人もいるのか”程度には評価されそうな選択をしようと考えると意外に悩むもの。
733 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/14(土) 10:20:13 ID:x6lPjRA1O
いや、ユーザーに媚びるなら原型から変質するでしょう。例えばフォードサンダーバードみたいに。 ブリストルやモーガンの狂信者があるのは何十年も基本的形や手法にこだわる(筋を通している?)孤高からで、別に狂信者には媚びてる必要はないのです。
734 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/14(土) 10:36:38 ID:x6lPjRA1O
作りたいものを作る、自分達の車を必要とする人がいる限り作り続ける、となれば閉鎖的な(緊密な)ソサエティが成立するのは自明。 両社ともたまに独創的なネタを出してくるので、マンネリ化しているわけではなさそうです。
735 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/14(土) 12:42:39 ID:x6lPjRA1O
こういったメーカーはユーザー開拓などしなくても、親子代々等のシンパ層がある程度存在するので、こういった連中を裏切らないで車を作り続けることがメーカー側のスジなのです。
736 :
某スレより :2008/06/14(土) 19:17:42 ID:hkjKfMOBO
えー、モタスポ板にコンストラクタースレを立ち上げたのですが、如何せんネタに尽きてきた感があるといいますか、ちょいとピンチです。 もし宜しければ、その類い稀なる皆様のお知恵を拝借したいなと思いまして参上しました。
便乗、スレ汚し失礼 博学な皆さん暇な時にでも、是非「ミニバン罵倒スレおかわり」大田区縦断ウルトラクイズに 出題側としてでもご参加下さい
さて、アテクシ担当しますアルファ・ロメオ、 これが股ある種の閉じた世界観のクルマであるました。 戦前のGP車を中心とする超高性能コルサ・スペチャーレとスーパースポーツ、 もうひとつの柱が超高級ツアラー。こんなんばっか毎日毎日作っておった訳で 売るはうもかうなら買ふはうもそれ相応。買へるヤシだけ買へっつって売れば 買ふはうも俺様ならではの1台を作れ、な訳です。 今のフェラーリ等クラスの話どころでは無ひ好き放題の世界。
これが戦後、量産車メーカに転向し (それでも2600系など戦前の香り残すものの・・・つう話は股の機械ゲロンパ) それこそオラツィオ・サッタの手になる1900あたりから始まる訳ですが 戦前がアレであったものが突如トヨタ式動けばあとはだうでもEになれる訳が無ひ。 初っ端からDOHCオールアルミ当たり前の量産プレミアムの上に 作るはう売るはうがさうなら困ったことに買ふヤシもそれ相応。 買ふ側としては「アルファだからかういふボーソー用でなければ」要求ガンガンなら 売るはうも「ウチのクルマに乗るヤシならこのぐらひは出来て当たり前」と 一定以上の技量を当然のこととして想定してクルマ作る。 結果出来上がるクルマは一見地味なベルリナすら踏めばケツ出るやうな連中ばかり。 買ふはうもそれを充分コントロールしてボーソー出来る手だれ揃ひ。 かくしてメーカとユーザの相互信頼の元、閉じた世界が形成され 技量とかドライヴィングスタイルで足切りが行はれるやうな状況となっちまった訳です。 しかし、これは際限無ひ拡大消費を前提として要求する量産メーカとしては致命傷なのです。 大衆向け、つまりニッチもサッチも行かなひやうなド下手のクルマ音痴にも売れんことには 販売台数が伸びて行かなひのです。 ではさういふ層に向けてトヨタに三角の盾付けたクルマにしたらだうなるか? これまでの顧客が全部逃げてってしまふ。同時に購買層ってなピラミッドでして 頂点のセッターがゐてその下にリーダーがゐて最下層に一般ピーポーがゐる、 最下層を動かすにはセッター・リーダーが動ひてくれなひとダメな訳です。 三角の盾付けただけのトヨタになったらセッターやリーダーに逃げられてしまひ ブランドイメージが崩壊する。戦前から積み上げてきたブランド資産が無に帰する訳です。 これは出来なひ相談、そこでFIATは悩んでる訳です。 ブランドをブランドたらしめてきた裏打ち、技術的側面は 過去のアルファの凝り膜り捨ててなんとか安く上げたひ、 しかしそればっかやってトヨタになるとブランド崩壊して金が取れなひ。 そこでFIATは今の今も試行錯誤して探り入れてる訳です。
741 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/15(日) 00:41:21 ID:Fc/E2xfnO
エロスパ氏のご指摘の件、エットーレ・ブガッティについてもあてはまるか。
>>733-735 ブリストルやモーガンっつうのは主に規模としての例えであります。
また、そうなりたくてなるのであるならばそれもよきかなと。
もっとも幾らブリストルでも最初から年産50台規模のメーカーになりたかったとは思えませんが。
その話を書いていたときに思ったのはマツダ・ロードスターの事でしたが、
あの車の本質となる部分は変えないでも、見た目くらいはもう少し大きく変化させていかないと
新たなユーザーを開拓する事も出来ず、またあの車のファン(マニア)も簡単には買い換えてくれずに
徐々に販売数は先細りになるような気がします。
旧型のマニアにすれば「余計な手を加えず、何も変えないで欲しい」と思うのは必然でありましょうが
同じ車を何台も乗り継ぐ人ってのもそういる訳でもないでしょうし、
弱点(私はあの車の弱点は見た目に尽きると思っています)は思い切って変える事も時には必要かと
考えるのであります。
勿論話はロードスターではなく他の例え、トヨタ・エスティマでもニッサン・GT-Rでも良いのですが。
さて、レーシングカーの話の続き。
偉大なロードカーとは、圧倒的な性能を持つものとは限らず、沢山の量が売れたことで
我々のような庶民層にも自動車の楽しさを享受させてくれたものという考え方も当然有るでしょう。
また、前世紀の終わりに“カー・オブ・ザ・センチュリー”として選ばれたのもそうした車の代表
T型フォードでしたし他にも上位にビートルやミニ、2CV等の大衆車が選ばれました。
レースカーに於いては数字に残る戦績が全てという考えが当然有るでしょうが、
先頭グループを走る数台のみではレースは成立しないものであり、意外に此処でも
“一杯売れた車もまた、ある意味では偉大であった”という考え方も有って良いと思う事もあります。
市販レースカーってのは小規模なレース活動をするプライベーターが使用する事が殆どですから
一線級の集うレースでの戦績を見てしまえば大した物ではないのは仕方の無いところですが
そうした彼等がいてこそレースは盛り上がるという面も有ります。
そして時には先頭集団に食い込む速さも見せた物。そうした車もまた忘れ難いものです。
>>741 ブガッティとアルファを分けたのは
かたや一民間の自動車メーカ、かたや国家レヴェルの機械メーカの一部門にして
国策会社、国営企業であったことでせうか。
基本的総合的な体力、規模、そして親方三色旗であったことが
アルファ・ロメオを生き残らせ、
それが無かったブガッティを潰へさせたのだと思ひます。
つか、ああいったつうかかういったwクルマを国策として作り続け
挙句税金ブチ込み赤字垂れ流しつつ80年代半ばまで持ったつう時点で
イターリャつう国もdでもなひとこだと思ふのです。
まぁ半分弱w文化財だからね欧州に於けるクルマっつな。
ましてやその歴史を辿れば前々世紀まで遡れる歴史と栄光ある世界的な名門だから
国家予算ブチ込んでもEと思ったんでせうかな。w
潰れさうで潰れなひ、アルファもさうでしたがこのクチには大概裏に軍がゐます。
ポルシェも然り。あそこも何度も潰れかけましたが不思議に潰れなひ。
ポルシェの場合、身内(VW、アウデー)が助けてくれたりつうのもありますが
それと同時にあそこは軍関係の機材設計・生産をさんざやってるんです。
それこそフィルデナント・ポルシェ博士の頃からで、お陰で戦犯になったとかは知られた話。
戦後も、例へばJ隊で愛用ヌイヌ・エリコン社のL90対空機関砲の電源車、
これは単なる電源供給車ではなくアナログ・コンピュータを搭載した
コントローラなのですが、これを設計・製作したのがポルシェ。
アルファも国営時代には航空機エソジソの製造とかFIAT入りまでやってましたし
その手で言へば日産も旧・プリンス(つまりは中島飛行機)の荻窪工場
(現クイーンズ伊勢丹etウニクロww)で航空宇宙部門、
ぢつはJ隊用ミサイルの製造やってました。(これもルノーの傘下に入った時点で消滅)
さういふ軍需産業は簡単には潰れません。
744 :
某スレより :2008/06/15(日) 02:55:49 ID:ER3qzxEqO
>>740 あー、そうです。
各メイクスのコンセプトや後に使われたなど語り合うべく立ち上げたのですが、如何せん過疎気味でして……………(´・ω・`)
で、ユーノスwロドスタwですが これ股日本の911なのではなひでせうか? 911つうクルマ、ヌポォシカァとしては (ポルシェはこれまで只の1回も911をスポーツカーとは思ってませんが) 大間違ひのレイアウトを持ち、GT(ツアラー)としても大間違ひに変はり無く それはポルシェ自身が百も承知なのですが顧客が許してくれなひ。 見てくれも996から一気に変はりましたがそれでも知れたもの、 基本的には63年の901を、更には356、ビートル以来の流れを受け継ぐものです。 傍からはE加減何とかしろよ、なの鴨知れませんがさうでなひと売れなひ、 買ってもらへなひことを何度も思ひ知らされてゐるのですポルシェは。 安物924系はともかくあれだけ優れた928系があの惨状で打ちのめされたのでせう。 まぁだからってボクスターやケイマンはEとしてカイエンはいささか考へて欲すぃ。w 尤も911買ふ層とカイエン買ふ連中は全く別でせうが。 ま、つー訳でマツダもMPV土方缶詰とプアマンズ・アルファだけで無ひ良心を示したひ、 それに賛同する顧客を切り捨てる訳には行かなひ、つうことでせうな。
>>744 モタヌポ板にあるつうのが根本的に難しひところではなひでせうか?
競技ってなだうしても話題が機材より競技者中心になりがちと思ひます。
扱ひ項目が基本的にストラダーレ中心、クルマそのもの中心のアテクシより
逝ってる師が興味持つかな、と思ひますが如何でせう?
747 :
某スレより :2008/06/15(日) 04:36:22 ID:ER3qzxEqO
>>746 あの板の趣旨としてはその気がありましたが、マシンに興味を持っている方々の需要も満たすべきではないかと思った次第で……………^^;
雑談スレでこの提案をして好印象をもらった上で立ちあげた経緯もありまして、ここでネタ切れっぽくてはモタスポの楽しみ方を狭めてしまうだろうと感じ、こちらの皆様のお知恵を拝借したいなと参上した次第であります。
エロスパさん、アルファ関連のお話、私個人としても大変楽しく読ませていただきましたw
>>745 カイエンは……確かにアレは止めてくれ、という気分になりますな。
キャディ名前の馬鹿デカ四駆出すGM並に節操がないというか
(GMは……ああいう会社と思うしかないですね、しょせんアメリカンだし)、
何とも悪い冗談のような感じで、路上で見かけても考えさせられます、カイエン。
マツダは基本ラインナップを、量販価格帯の主要セグメント3種(デミオ、アクセラ、アテンザ)と
それらのプラットフォーム共用による派生型ミニバン・SUVに絞り込んでますね。
軽は修ちゃんから買えばいいと割り切って、無理はしてない。概して手堅い。
ちょっとミニバンの種類が増えてないか、とも思いますが。
(身の丈なりの振る舞いをしないと痛い目に遭うことは、15年前の5チャンネル挫折でマツダ自体がよく知ってると思います)
それでも、国内他メーカーとの差別化のために、「8」とロドスタを上手く使ってますね。
日産が「R」のような悪趣味な「スポーツ」しか作れなくなり、ホンダが四輪ではすっかりミニバン屋になってしまった昨今、
普通にスポーティなイメージを、市場に印象づけられる持ち駒が存在することは、ある意味で優位でしょう。
どうせ昔目論んだアマティの如き高級車生産・販売ができるような「ご立派な」会社じゃありませんから、
昔から定評のあるスポーツカーを企業のイメージリーダーとし、その御利益で
量販モデルを他よりちょっとスポーティなふいんきにして拡販を図るのは、正しい戦略です。
日本でCセグ以上を作れるメーカーがヨタ・ニサーン・ンダだけになっちゃったら淋しいですし、ツダには生き残ってもらわんとね。
日本で「面白いメーカー」(良くも悪しくもアホなメーカー、とも言いますが)の代表だったスバルが迷走したあげく、
軽自動車開発から脱落してヨタの麾下に転がり込んでしまったのを思い起こしながら、そう考えてます。
スバルはこれで必然的に、ニッチでしか生きることの「許されない」メーカーになっちゃいましたね。
(アクセラは外見でプアマンズ・アルファと言われがちですが、実態は走りまで含めてプアマンズ・フォード・フォーカスですな。
プラットフォームは同じだし)
まあ、カイエン叩きっていうのは車板の茶飯事だから、何もここでやらなくてもよろしいかと。 もっとも、あの車の本質はいわゆる「ワーゲンポルシェ」ってことなんですよね。 ようは40年前にやったプロジェクトと同じで、車のコンセプトもまったく同じなんです。 それは「新しい形のスポーツカー」を作ることで、914のときは「ミッドシップオープンスポーツカー」を作って、 カイエンのときは「SUVスポーツカー」を作ったってことなんです。
>カイエン叩きっていうのは車板の茶飯事 ありゃ、さうだったんですか。w まぁ誰がだう見てもっつうことでせうかね。 ワーゲンポルシェ、さう、さうなんですな。 ご同様にアウデー(VW)ポルシェとでも言ふべき924系もご同様。 まぁそれでも古くは914から924系もそこはポルシェ 薄紙重ねるやうに良くしていってることは確かなのですから カイエンもなんとかするんでせう。 しかし根本のSUVであることからは逃れられなひ。 SUVヌポォシつうコンセプト自体の根源的な???からは逃れなれなひので。 昨今BMWのXナンボとかボルボのXCだっけ?とかやれハリアーだムラーノだと そっち系大流行りですがアレ等ってだう考へるべきなんでせうかね? ムラーノに至ってはあの手にあるまぢき秀逸なハンドリングさへ与へられてゐるさう。 カイエンもあの図体であの速度が出てそれをキチンと止められる、その点だけはさすがポルシェ。 だけど車高はそこそこあっても本気のオフローダーには全く使へなひ、 さりとて高速用ファストツアラーとしての資質にも?が付くっつうか それならそれ専用にもっとEのがナンボでもある、一体どっち向いて何がしたひのか? いっそ昔のパンダ・ヨンクwのはうが遥かに意図が明確に思へます。 それとかジムニーとかね。w ぃあ本当に。だって本当にdでもなひとこ走れるもん。 その代わり高速で100`出したら大惨事ですが。w
大体この手の”走りの土方缶””走りの物置””走りの冷蔵庫” とかっつうのの原罪はルノーのエスパスだと思ふんですが あれは本来奇形であって普遍では無ひ筈。そしてそこに価値があった筈と思ふのです。 奇形を普遍にした最初の過ちはトヨタの気違ひ玉子、エスティマでせうか。 さて、プアマンズ・フォーカスですが いっそ本当にフォーカスそのままだったら勝負になったと思ふのです。 某氏から聞ひたところによるとマツダはうっかり”日本向け足いぢり壊し仕様”の 156を本気で研究して、あの間違ったシャシを間に受けたらすぃ。 「あれね、日本向け足いぢり壊し仕様なんで本国の真っ当仕様は全然別物ですよ」 ったらマツダの担当者が絶句したらすぃ。www
マツダは親会社様フォードから「フォード一派のアルファになれ」と指示されて なにせ元来生真面目なとこですので一生懸命やったらすぃ、”股も”ね。w マツダは本当に真面目で勉強熱心なとこです。その真摯な姿勢はアテクシも大変に評価してゐます。 ただ、可哀想なのは田舎のガリ勉であるところ。ガリ勉なんだけど成績悪ひ。w それは持って生まれたセンスの無さ。真面目に一生懸命勉強するんだけど いつも少しピントがずれてる。結果ファミリアはプアマンズ・ゴルフとなり 7はプアマンズ・ポルシェ(FR)と言はれ今度はプアマンズ・アルファだ。 どこまで行ってもプアマンズ、どこまで行っても”MAZDA”を確立できなひ。 8にしたっておフォードさまから「156を作れ」っつはれて 一見2ドアに見へる4ドアつうデザイン・コンセプトをうけとったまではEけど 156の本質の”全然本当のヌポォシドライヴには使へなひけどそれっぽいフインキ” つうところを見落として生半可に7の遺産使っちまった。w で、ハンチク2.75ドアwにそこそこ本気のヌポォシつう良く分からん物件に。 まぁ8の次は無ひでせう、少なくとも今の形態を引き継ぐことはありますまひ。w で、ヌバルですなぁ問題は。アテクシ日本メーカで最もワールド・プレミアムに近ひところにあるのが ヌバルだと期待してゐました。まうおしまひですが。w 独自の技術の一貫した追求、これがワールド・プレミアムになれる資質の”ひとつ”だったのですが そこをヌバル自身が充分に理解してなかった、ヌバル自身が表層的にしか捉へられづ 哲学の深化が無かった、それを正しく発信出来なかった。 結果、付ひたお客は変なヲタだけ、ヲタの偏って誤った理解にヌバル自身が乗っちまった。 惜しひメイクを亡くしたものです。合掌。w
>>745 マツダ・ロードスターって911のようなロングセラーとは意味合いが異なると思います。
もっともポルシェも90年代半ば頃には911にのみ頼り切った状態で危機を迎えた訳で、ボクスターでようやく
それを乗り切ったという経緯も有り、多様な車種を持つことでリスクの分散をして今に至っているのでしょう。
また911に限って言うならば、マンネリ化を極力防ぐ為に2リッター125HP程度の車を
倍近い排気量から三倍の出力を搾り出す車に肥大させなければならなかった訳でもありますが。
ロードスター、今のままではMG-Bにしかなれないと思うのです。
モデルチェンジするならば、少なくとも先代より新しく見せないと意味は無いと思いますし、
時には外見をイタリア調に振るくらいの変化も無ければ飽きられるだけではないかとも感じます。
・・って、実はいっその事限定でも良いから、かつてアルファ・ロメオがジュリア系を素に作った
6C1750GSのレプリカみたいなのでも作ってくれないかと考えたり・・。
そういう時に、復刻する元の形を持たぬメーカーは辛いところでしょうが。
まぁポルシェの場合
「実は元々スポーツカーのメーカーにしたかった訳でもないし。量産するって言っても限度が有るから
利益率の高い車作っているだけだし」みたいに言われればナンとも言えぬところも有り。
私が最近、こんな調子で良いのかと思うのは、それよりもマセラーティだったりします。
戦前はアルファ・ロメオとサーキットに於いて激しく競っていたメーカーであり
戦後はサーキットでもロードカーの市場でもフェラーリと競った会社ですが
今はその二者の間に位置するブランド。
しかしその隙間って棲み分けの為に意図的に作られた物のようで、
アルファやフェラーリがそれぞれ遠慮する事でマセラーティの市場を作っているような感も有ります。
まぁ、今更創業者兄弟の意思に基きマーチとコスワースを一緒にしたようなコンプリート・レーシングカーを
作る会社にするってのは無理でしょうし、それは会社を離れOSCAを立ち上げたマセラーティ兄弟の流れ。
今のマセラーティはオルシ一族に買収されて以後の流れを引き継ぐものなのでしょうが
私には“名前さえ残れば良いものなのか?”って思いはどうしても残るのです。
スバルはどこに行くのかわかりませぬ。 いつか、カムリとフロアパン共通の横置きエンジンレガシィが出そうで怖いw 百瀬晋六氏入魂の水平対向縦置きという扱いの難しい遺産が、その後に名伯楽を得なかったスバルの迷走を招いてる気もする。 ツダの場合、「8」はプラットフォームはロドスタの引き延ばしなんで、存外節約開発なクルマではあります。 ツダ自身、2代目恒次社長と5代目山本社長らの「怨念」がこもった 「大いなるややこしい遺産」たるロータリーを持て余してる気はしますわ。 (こういうエンジンこそ実は前輪駆動車に向いてると思うんですが、 実は美しき失敗作のルーチェクーペ(RX87)以外、マツダではロータリーの前輪駆動の例がない!みんなFR。 NSUなんか華麗な失敗作のRo80を作ってるというのに。デミオロータリーでも造ってくれw) そういえば、カーオブザセンチュリーで数少ないヒトケタ入賞スポーツカーとなったのが、911でしたね。4位? (確か上位3車は 1.モデルT 2.MINI 3.DS だったと記憶。概して実用セダンの方が上位を固めてた)
755 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/16(月) 06:04:02 ID:6RLLolGw0
きのう、アウディR10 TDIが優勝しましたよ
756 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/16(月) 06:04:22 ID:6RLLolGw0
2位はプジョー908 HDi FAPでしたよ
757 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/16(月) 06:04:42 ID:6RLLolGw0
3位もプジョー908 HDi FAPでしたよ
758 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/16(月) 06:05:02 ID:6RLLolGw0
ちなみに、童夢S102は33位でしたよ
そう言えば、去年はルマンのTV中継が無い事で散々大騒ぎしたけれど、今年は全く何も言わなかった・・。
ディーゼル・ターボが強いのか、それとも規則上で優位なだけなのか。
今のルマン等の耐久レースの規則は判り辛い事。
>>754 ロータリーはともかく、水平対向に拘る意味ってあんまり無いような気がしますが。
これまでに拘り続けて来て、今更捨てられないってところでしょうかね??
ロータリーは個人的にはあまり好きになれないのですが、場所を食わないって長所を生かしてもっと汎用車に
使えないものでしょうか。MPVなんてロータリーでも良さそうな気がしますが。
スバルの話。
>>752 でエロスパ氏が書かれた>ヲタの偏って誤った理解にヌバル自身が乗っちまった
っつう一文、先日に私が書いた“熱心なファン(マニア)が必ずしも最善の理解者とは限らないもの”
と同様の意味と思うのですが、スバルの場合はマニアと言われる人の中にも幾つもの派閥が有って
「これこそスバルらしさだ」ってのが全く人それぞれだったのではないか?とも思います。
WRCで活躍するようなスポーティーイメージこそスバルらしさと思う人もいれば
一見平凡に見える小型実用車にも凝った機構を存分に奢ったスバル1000こそスバルらしさの具現と思う人
傑作軽自動車スバル360こそ・・高速ワゴンレガシィこそ・・
それがつまり、スバル迷走の歴史そのものでしょう。
スバル自体はそんな周囲にはお構いなしに(身の丈無視して)常にフルラインメーカーになりたいと言う
儚い夢を追い続けていたからこそ、そうした迷走を続けて来たようで。そうして生まれた中には
“良い車なのかも知れないけれど、煮詰めが甘い”ジャスティやらSVXやらが有り・・。
SVXなんて、格好は良いし乗っても良い車だったそうですが
“燃費がちょっとねぇ・・”とか“外見は良いけど、内装は田舎だねぇ”みたいな事も聞きました。
“凄く良いけど、虚弱体質”で知られたシトローエンSMにも通じる“惜しいクーペ”
で、子供の頃に父が乗っていたスバル1000こそ“スバルらしさ”と思う私は、ミニバン型エクシーガとか
SUV的なフォレスター等作らないで良いから、ランチア・アプリリア的な高級小型車に活路を求めてくれと
思ったりしております。
ヌバル1000〜1100が良ひならヌッドとかヌッド・ヌプリント、 挙句ヨンクが良けりゃ33ヨンクもござひますが。w ま、”レガシィ”は遺産つう意味ですから。 実際あれを開発したとき「これが最後になるだらう」つう意識がヌバル社内にあり (日産が自分のケツに火が点ひてヌバルの面倒見きれなくなったあのとき) それで自虐を込めて”レガシィ”にしたのは一部では有名な話でせう。 今になってそれが本当になるとはねえ・・・。合掌。
761 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/18(水) 06:10:00 ID:jGfvZW1J0
きのう、スバル・エクシーガがデビューしましたよ
762 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/18(水) 06:10:21 ID:jGfvZW1J0
エンジンは2.0リッター水平対向4気筒ターボですよ
763 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/18(水) 06:10:42 ID:jGfvZW1J0
最高出力は225psですよ
764 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/18(水) 06:11:03 ID:jGfvZW1J0
最大トルクは33.2kgmですよ
>>760 私はスッドでしたらシトローエンGSの方が・・(w
今は何処のメーカーも利益率を上げたい一心で、矢鱈にプレミアムを名乗りますけれど、
プレミアム感だの高級感だのっつうのは結構取り留めの無い物だと思います。
平均的な日本人の場合は単純に“ガイシャであれば皆プレミアム”みたいな所も有るみたいな気もしますが。
国産の場合“セダンが売れない”“クーペは全く売れない”と言われて久しいのですが、
これが輸入車となるとミニバン型とかSUV型は大して売れず、セダン型が売れ筋の中心で有り続けているようで
恐らくは「単に道具として使うなら国産で充分に事足りるけど、趣味性を満足させる為に買うならば
生活臭しかない形の車を選ぶのはつまらない」みたいな意識が働くのではないでしょうか。
私はそう考える者ではなく、毎日使うからこそシトローエンでなくてはならぬのですが。
そこへ行くと。今迄セダンとワゴン型中心の品揃えでやって来たスバルってメーカーは、
国産でありながらも海外メーカーに近い目で一般のユーザー層に捉えられて来た会社だったようで
その辺がエロスパ氏も「プレミアムに近いところにあった」と書かれた由縁ではないでしょうか。
ところで。
1930年代の半ば頃のアメリカでは高級車の売れ行きが急激に落ちた事が有ったそうで、
この頃名門パッカードも大型の6.3リッターに対して4.2リッターの小型直8を搭載した中級車120を出し
時勢に対処しました。
http://www.geaaonline.org/05PIC27.JPG この120というモデル、小松の日本自動車博物館に実物が有る筈ですが、
パッカードの名前に恥じぬ上質な仕上げが施されそれなりの売れ行きを示したそうですが、
長い目で見るならば、パッカードの“高級な”ブランドイメージを失墜させる皮肉な結果をもたらしもしたとか。
スバルのエクシーガ。パッカードにとっての120になるのではないか?って気がします。
第一、かつてスバルがオペルからOEM供給されていたトラヴィックと比較しても4740x1775x1660mmのサイズは
400mm程長くそれなりに余裕は有るでしょうが、それ以外に魅力的とも見えず、また新しくも見えないのです。
ま、ワールド・プレミアムになるには独自の機構・技術とセダン型であればE訳ではなくw もっと大事なものがあるんですが。残念ですがそれに気付かづ終わってしまったヌバルには 合掌して冥福を祈るか、レオーネでも掘ってきて道楽楽しむかしかありますまひ。 ところでGS、ヌッド、そしてヌバル1000〜1100。 どれも4発水平対向縦置きFF。GSだけ空冷つう違ひはありますが 揃ってインボードブレーキの採用など今にして思へば凝り膜りです。 しかし、これって存外この時代には これが最も真っ当で正攻法と考へられてたの鴨知れません。
>>766 スバルの落日を淡々と見届けますか。
ヴィヴィオ、面白いクルマだったんだけどなあ。
1970年時点では、ジアコーザ前輪駆動が絶対優位とまでは見られてなかったんでしょうね。
>>765 有名なパッカードの悲劇ですね。
そして戦時体制傾斜の軍需向け設備増強で、ロールスより高性能!なマーリン作ったりして戦後の設備だぶつきに至る。
戦後はモデルチェンジが遅れてビッグ3に後れをとり、過剰品質はコスト高を招き……で、やがてジリ貧になっていった……
リンカーンの場合は、イメージがまったく別でかつ斬新(スタイルだけですが)な「ゼファー」を
高級車本流のKシリーズとは別に出せたこと、
更にそのゼファーをベースにイメージリーダーのコンチネンタルを作ったことで
Kシリーズ生産終了後もブランドの格を保てたことが、ずいぶん効いてるんじゃないでしょうか。
それに、本命の量販ミドルクラスは
フォード系でずっと廉価(V8でも排気量はV12のゼファー並)なマーキュリーを38年に送り出して固めてた。
技術の面では横置きリーフリジッド拘泥のフォードに比べれば、パッカードの方が1948年までは進んでいたと思いますが、
最後には、高級車専門メーカーと、巨大フルラインメーカーの体力の違いがモロに出てしまいましたね。
>>767 高級車の購買層の心理は微妙にクサいところがあって、戦後に拡販路線にシフトした
キャディラックも、一番小さなシリーズ61は頓挫して、その上のシリーズ62がヒットしました。
リンカーンは、49年からの純戦後型で、メトロポリタンはともかくスタンダードシリーズは
マーキュリーとの近似性がきつすぎ、結果的に「数を売らないプレミアム」になりました。
パッカードは、でかい方のOne-Eightyの金型をスターリンに売っちゃったんですね。
戦後型は、中級車サイズのクリッパーとそのV8版とストレッチ版。
それで、中級車の購買層に向けて
「パッカードなんて縁がないと思ってません? 何と2244ドルですぜ」
みたいな、せっかくの高級イメージを自分でぶち壊す各種の宣伝コピーを流した結果がアレで。
770 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/20(金) 21:43:31 ID:R33NIbkuO
パッカード・カリビアンはフツーのアメ車だったもんね。 その頃はもはやスチュードベイカー高級版というレベルだった。 それでもソ連はカリビアンそっくりに最高級車ZIL111を作ってみせた。
771 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/20(金) 21:48:48 ID:R33NIbkuO
GAZチャイカもカリビアンそっくりだったね。
>>768 ロータス88は失敗作云々言う以前の、ただのインチキでしょw
774 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/21(土) 01:32:41 ID:MQF6j+mR0
失礼、sage忘れてました。
776 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/21(土) 16:36:38 ID:9zEXYFhT0
>>769 当時、フルワイズ化直前だった1948年のフォードV8が1500ドル弱だった時代だから、
ヨタで言うと、レクサスをマークXの廉価版並で買える、と宣伝しちゃったようなもんですよね
いや、もっとひどいか
>>776 メール欄に”浮上”入れてる糞コテもいるしw
779 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/22(日) 23:19:05 ID:B/AGJxai0
おっとage忘れたww
本来リアヌポイラーの垂直尾翼は下向きの力を発生させるのではなく
キャビンによって剥離した空気の流れを整流することで
渦の発生、つまり空気抵抗を軽減させる目的なのです。
同様に本来は垂直尾翼のやうな横方向の姿勢安定を目的としたものでもありません。
>>774 のパナールは例外的なものです。
もっとも50年代アメ車の羽は純粋にデザイン上のものであって
カーデザインのアイドルがシコーキ、なかんづく当時最先端テクノロジーであった
ジェット機をモチーフにしたものです。機能的には意味の無ひものですが
それはそれで欧州車にまで影響を及ぼしたことは羽ベンシだの
挙句フェラーリにすらその系統のものがあることから看過できなひものでせう。
781 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/22(日) 23:49:54 ID:B/AGJxai0
>イタリア人のノコギリと大工道具で仕上げたような後付けエアインテークとは好対照w その典型例がF40かと存ぢます。w ぃあ実際さう思ひます。 元が308/328更には288GTOのピニン、その彫刻的なデザインを切り刻んで穴だらけにして そこまでしてロードゴーイングスレスレ可能な本気のレーサーを作らうとした意気込みつうか ある種の迫力を感ぢるものだと思ひます。
784 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/23(月) 05:09:10 ID:etGFBWcq0
きのう、フェラーリF2008が優勝しましたよ
785 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/23(月) 05:09:30 ID:etGFBWcq0
2位もフェラーリF2008でしたよ
786 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/23(月) 05:09:50 ID:etGFBWcq0
3位はトヨタTF108でしたよ
787 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/23(月) 05:10:10 ID:etGFBWcq0
ちなみに、フォースインディアVJM01は18位と19位でしたよ
大王、お久しぶりです。何年ぶりかで覗いてみたら、 懐かしいHNを見かけてディープな話題に飛び込み 参加したくなりました。最近友人のやってるバーで シャパラルネタからスカラブのランス・リヴェントロー の功績や歴史的位置付けについて語り合ってきたばかりなのですが、 そのあたり此処の皆様どのように考えておられるのか、ご意見伺いたく やはり当時のモータースポーツは現代とは違った意味で金持ちの道楽やら 山師の仕事場だったのか。 そのバーにあったスコッチの箱絵になっていたベントレーSpeedSixを思い 出しながら、子供の頃何度も読み返した「栄光のポンコツ車」なる小説に あった世界観を懐かしく思う、最近ちょっと衰えを感じているオイラでした。
>>786 ちなみに、4位はマクラーレンMP4-23でしたね
5位はBMWザウバーF1.08でしたね
6位はレッドブルRB4でしたね
7位はルノーR28でしたね
8位もルノーR28でしたね
795 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/24(火) 22:48:48 ID:mIjGtFcbO
最近二玄社からシャパラル本が出てたね。
>>789 お久し振り。以前ブリストルスレでは興味深い書き込みを読ませて頂きました。
ブリストルスレも、このスレの過去スレと一緒に保存して有ります。
http://briefcase.yahoo.co.jp/la_croisiere_noire ランス・リヴェントロー(リヴェントロウ)さんとスカラブの事は、このスレの
>>497 くらいから少し書きましたが
功績や歴史的位置付けとなると、どう捉えて良いものやら。
最近、競泳用の水着でかなりタイムが短縮された事が話題になりましたが、
スポーツの世界にテクノロジーが大きく関与する事。自動車レースでは当然の事なのでしょうけれど。
で、私は思ったのですが。あの水着を着て泳ぐ選手にとっては泳ぐ事は競技そのものに違いないでしょうが
水着を作る人にとっては水泳という競技に関わっているという感覚はどれ程有ったのでしょうか?
更に言えば、水着があれ程競技結果に直結するのであれば、水着を作る事も競技の一部なのかと。
自動車レースにコンストラクター選手権が掛けられている以上、競技用自動車を作る事は
自動車レースの一部分である事は間違い無いと思います。
設計室で図面をひいている人も、部品工場で旋盤回している人も競技の一部分に参加しているのだと。
仮にコンストラクターチャンピオンシップやチーム賞の類が無かったとしても、
自動車レースではその性格上、車作りに関わる全ての人が競技者で有ると私は考えます。
実際に車を作っている側はどう考えているでしょうか?少なくともエンツォ・フェラーリさんや
マセラーティ兄弟、ヴィットリオ・ヤーノさんといった、このスレで取り上げた人達は皆
車を作る事でレースに参加しているという意識が有った筈でしょう。
英国ならばW・O・ベントレー、セシル・キンバー(MG)、ルイ・コータレン(コータラン サンビーム)など。
ところがアメリカで成功した自動車人には、こうした人はいなかったと思えます。
アメリカ人にとっての自動車の在り方そのものが、そうしたメーカーや人の成功を許さなかったのでしょうか。
そして以前にも書いたアメリカ人の自動車レースに対する意識。欧州人との差異。
こうしたアメリカの風土そのものにスカラブを始めAARやシャパラルなどの挫折の源が有ったと私は思います。
ちなみに、CA1Aもミツビシ・ミラージュですね
CA2Aもミツビシ・ミラージュですね
CA3Aもミツビシ・ミラージュですね
逝ってる氏も御久しゅう。 オイラ思うに、大統領を戴く彼の国の「シビリアンコントロール至上体質」 では、「ディレクターはトップに立てない」「金持ちはプロデューサーに徹し 手を汚すべからず」なんて分業制でも敷かれてるんではないかと疑っています。 もしかしてアメリカ人の屈折したヨーロッパコンプレックスなのかなぁ・・・
802 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2008/06/26(木) 23:30:33 ID:TRDRAzwt0
コテで「ナントカ乗り」を名乗るのは恥ずかしい よりによって、あの菱車のくせに
803 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :
2008/06/26(木) 23:33:00 ID:TRDRAzwt0 全角でサゲても意味ねーしw