くるまオタク養成講座V9829;飽くなきボーソー9829;
ツミたちの空力話は実に偏狭だね。
知らんだろ、アラブの王子達がどう空気抵抗を
解決しているか。
教えてあげよう。
高速走行をするときは
前に一台走らすんだ。
↑競輪か!(w
その話なら知ってます。その車の跳ね上げた気流に絨毯を乗せ、空を飛ぶのでしょう?
>>515 私も卑怯道ならば師範代くらいは勤まりますけどゴードン・マーレイのやり方は
洒落にも芸にもなっていないと思います。第一オリジナリティーが無い。
流派が異なるという事もるのでしょうけど。
>>518 実際の効果はどうなんでしょうねぇ?風洞実験の様子等を見た訳ではないのでナンとも・・。
同じ車にスパッツつけた時と外した時と、同じ条件で同じ区間を走らせ、燃費でも出してみないと。
>>517 他にカム理論に忠実に見える車と言えば、現行プリウスとか、アウディA2とか。
http://autotapeta.fm.interia.pl/audi/Audi%20A2.jpg ちょっと古いところではシトローエンGSあたり。
逆に
>>437で触れた62-63年のフェラーリ250GTOなど、見た目には大変空力的と思えますが
前車軸より後方(所謂フロントミド)にV12エンジンを配置する為、運転席は後車軸の直前となり、
当然断面積が最大になる部分は車の後半部となります。
この形状だ最大断面積部からボディー後端までが短いのでなだらかに絞り込むには無理が有り、
雨滴型の最後尾を切り落とす形状には出来ないので、空力的にはあまり好ましくないのだそうです。
最近の車では曲線的なルーフラインの頂点がドライバーの頭上となる辺りよりも明らかに前にあると
見える物が多く、ちょっと無駄に感じる事もありますが、
アレなんかも断面積が最大になる部分を前方に設け、後端部への絞り込み方を緩やかにするという
空力的な工夫という意味合いもあるのでしょうか?
(最近、自分の思いつく事に自信が持てない私 w)
今日の昼間、新幹線が走っているのを見ていて思ったのですが。
最近の新幹線の先頭車両、あのカモノハシのような形状の先端部分。
雨滴型のようになだらかに後端に絞り込むのが空気抵抗軽減のコツなのならば、
アレなんかも先頭車両としてよりも、最後尾車両としてより効果を発揮するのでしょうか?
より雨滴型に近づけるなら、先頭は昔の初期型新幹線で後端は現代の車両にすれば良いのかも。
もっとも中に挟む物があれ程長いと、前後端の改良で得られる効果が全体に寄与する割合など
どれ程あるのかは大いに疑問なのですけれど。
鉄道マニアに尋ねてみたいところですが、空力に詳しい鉄道マニアってあまりいないかも・・。
・・閑話休題。また例によって更なる閑話(w
62-63年のフェラーリGTOの“カムテール+リップスポイラー”を更に判り易い形にして提示したのが
フォード・マスタングに途中から追加されたファストバック・クーペなのではないか?という話の続き。
あの車、
>>473の下の方にリンク貼った写真からも判るように両側面の絞込みは少なく
ルーフラインも直線的で、全体形を雨滴型に近づけようという意思はあまり感じられません。
恐らくは空力よりも、デザイナーの造形センスが生み出した形状なのだろうと思います。
速度規制も厳しく、ガソリンは安価だった頃のアメリカ車ですから、それでも良かったのでしょう。
丁度今月のCG誌の巻頭コラムでゴードン・マーレイが
「形状はその機能に忠実であるべきだ」といった旨の事を書いていますが、
エンジニアである彼の目にはあのマスタングのデザインはどう見えるのでしょうか。
“空力効率と運動性の両立”というカムテール本来の機能に忠実とは言い難いのかも知れませんが
そういう小難しい理屈を抜きにしてデザインされた奔放さこそ、ある時代までのアメリカ車の
通俗的ながらも面白いところだったと私は考えるのですが。
(そんな事言う割りには理屈っぽい文章w)
新幹線で言えばカモノハシの700系は環境配慮型。
静粛性やトンネル進入時の衝撃波対策がなされている。
対して500系は性能追求型で700系より高出力で最高速も高い。
でも先を尖らせすぎて先頭車両の座席数が少なかったり、乗り心地
も悪い(気がする)
700系はカーブでぐにゃぐにゃしてちょっと前のトヨタ車みたい。
空力はともかく初期型新幹線100系は歴史に残るグッドデザインだと
思います。古いドイツのバイクのカウリングそっくりなんですけどね。
榮久庵 憲司さん(工業デザイナー)のキッコーマンの醤油小瓶と並ぶ
エバーグリーンかと。
クルマオタクだけでも病膏肓に入るようなものなのに、
鉄道オタクの領域まで足を踏み入れたら・・・
新幹線、開業当初そのあまりの速度に乗客が不安を感ぢ無ひやうに
意図的に当時の航空機・旅客機に似せた、とか漏れ伺ったことがあります。
醤油瓶のGKの手になるものかだうかは尻ません。w
アテクシGKは大変に尊敬しておりましたが昨今あまり目にしなくなったやうに思ひます、
単にアテクシが気を付けて見て無ひ為でせうか。
今回の来阪の際、岐阜羽島付近でちゃうど新幹線と併走しましたが
まぁ凄まぢひ加速。到底ヌパイダで追ひかけられるものでは無ひ。w
911を持ってしてもだうかなぁ、多分並みの下グレード911では追へ無ひ鴨。
あの区間は新幹線が全開加速する区間らすぃです。
乗ってると体感的には気が付きませんが物凄ひ加速でっせあれは。
>>523 新幹線は間違っても買わないから大丈夫ですw
>>524 GKと言えば超高回転でナナハンキラーのハシリ、RZ−250とかV−MAX
が有名でしたね。
調べてみたら最近では味の素のCookDOくらい…
自動車業界もそうだけど、最近は外部デザイナーの手になっても公表しない
ことが増えていますから作品はもっと多いのかも知れませんが。
トンネル突入時の衝撃波ねぇ。列車には列車の空力って物が有るんですね。
>>524 >物凄ひ加速でっせ ・・って、関西に行くと書き込みまで(w
まぁ、車だけのマニアさんというのもそうはいないでしょう。
私の場合、他に好きな乗り物といえばエレベーターでしょう。東芝エレベーターの有機的な外見とか
繊細な操作感覚が好みです。
ちょっとコーダトロンカで思い出した話。
雨滴型の尻尾を切り落としても、当然の如くそこに気流の渦は発生するようですが、その割りには
抵抗は変らない。これは発生した渦が上手く仮想テールの役割を果たし、その上の気流を後方に
導く為なのではないか?という仮説のもと、60年代終盤の三菱コルトF-2が変った試みを
行っています。
文章だと説明がし難いのですが、砲弾型ボディーの最後部に複雑な形状の蓋をし、
そこに意図的に渦を作る事で仮想ボディーカウルとして空気抵抗を減らそうというものでした。
しかしタイヤむき出しのフォーミュラカーでは既に気流は剥離した後のところですし、
真上にリアウィングも有ってはその効果は判らず。
まぁ、他に応用しなかった所を見ると、あんまり良い結果は得られなかったのでしょう。
ところで、この三菱コルトF-2という車、ロータスのF-1よりも一年早くサイドラジエーターを試みた車。
しかし日本だけで走ったマイナーフォーミュラという事も有ってか、今ではすっかり忘れられた存在。
大体、この会社の「世界初ナントカ」って、信用する人、あんまりいないでしょう?(w
人も企業も、日頃の行いって大事ですよね。
>>525 > GKと言えば超高回転でナナハンキラーのハシリ、RZ−250とかV−MAX
> が有名でしたね。
どっちもそんなに回らないけど。
GKなの?YA-1くらいしか思い浮かばない・・・
RZ−250は「当時としては」超高回転型でした。
その後にはPHASERとか登場してもっと凄かったですけど。
V−MAXは書き方が悪かったけど、超高回転型・ナナハンキラーではないですね。
うむ・・“エレベーターの有機的な外見”に誰も突っ込み入れてくれないか・・。
空力の話の続き。
普段、我々が最も空力の影響を感じるのは直進安定性ではないでしょうか?
勿論空力以外にも足回りのセッティングだの、重量バランスだの様々な要素が有るので
何処までが空力の影響によるものかは誰にも言い切れないのでしょうが。
実際に、揚力の発生が大きい筈の古典的流線形(雨滴型の半分)を基本にしていても
かつてのシトローエンDSは一寸位手をステアリングから離したくらいでは全くナンとも無いほどでした。
これ、なんでも身振り手振りで話さないと気が済まない典型的なフランス人ドライバー対策とか(w
ところで。最近のベンツが以前のような手応えを失くしたとはよく聞きます。
(私はトヨタ化したと言うよりもアメリカ車的になったと感じますが)
その一方、旧型Aクラスのような酷く固い乗り心地で長時間乗りたくないのも有りました。
そうした最近の例でなくとも、デビュー当時の190Eの直進安定性が悪かった事等もよく聞きます。
それこそが例のサッコ・プレートを追加された理由だそうですが、当初の不安定さの理由を
“空力を抵抗値削減に振り過ぎた為”とメルセデス自身が認めていました。
しかし、必ずしも抵抗値を少なくしたら安定性が犠牲になるとは言えない筈。
単に煮詰めが不足しただけの車を発売してしまったメルセデスの詭弁と今も思っています。
旧Aクラスや190などの小型ではない、中型以上のベンツに関しては語る程の経験は有りません
まぁ、あの値段で悪ければ誰も買わないでしょうが、意外にも(?)
“安楽過ぎて眠くなるので、長距離運転の時は要注意”なんて話も聞きます。
もっとも、此処まではメルセデスの知った事ではないでしょうけど(w
>512
>ボディー表面冷却システム
Macchi MC.72を連想した。
↑ そう言えば、以前此処のペーパークラフトで作りました
http://www8.wind.ne.jp/takumi/s079.html 飛行機ならば表面積も大きくて対気速度もありますからイケルのでしょう。
もっとも、このやり方では空気抵抗はどうなるのでしょうか?疑問ではあります。
>>529は、年バレスレにて“長距離ドライブには少し前までのベンツに勝る物は無い”という話が
出た事から思いついた話でした。両方読んでいないと、なんでいきなり空力と無関係な
旧Aクラスの乗り心地なんてのが出て来るのか意味不明の文章で失礼・・。
で、安定性の話。前に話に出た重量バランスとハンドリングの話とも絡みますが、
前輪駆動にすればそれで安定志向になるかといえばそんなに簡単な物でもなく、
前輪駆動であろうがナンであろうが、不安定な物は不安定(何を当然の事を w)
以前にも書いた事がありますが、私が乗った事がある中では初代チェリーとコロナ・エクシヴが
特に不安定に感じた前輪駆動車でした。
とは言え、その不安定な感覚はそれぞれ異なるもので、初代チェリーの場合、
アクセル踏んでいる限りはそうでもないと感じましたが、タックインが唐突で過大であり、
急な制動を掛けるといきなり不安定になったような記憶があります(かなり遠い記憶・・)
その頃は何も判らないで“前輪駆動ってこういうものなのか?”なんて思いましたが、
その後ああいう感覚の車には出会っていません。
今になって思えば足回りの未熟さも有ったのでしょうが、エンジンとギアBOXを二階建てにして
(重心が高まるやり方で)車体最前部に置くというアレックス・イシゴニス式配置が
そうした特性に大いに関与していたのかも知れません。
スエズ動乱を契機に誕生したと言われる初代ミニ、最初からエコノミーカーとして設計された為に
そのボディーサイズは現代の日本の軽自動車枠にもすっぽりと収まる程小さく、
空力を考慮しての絞込みなどは殆ど見られません。
それでも高速で使用される事も多い欧州車ですから抵抗が大きいのは上手くなく、
その為に高さも削ることで前面投影面積を小さくしているのでしょう。
勿論、幅狭い車ですから低重心化は操縦安定性の為にも不可欠であったとは考えられます。
それにしてもこの車の低重心への拘りは冷静に見てちょっと異常とも思えるときが有ります。
ロードクリアランスもギリギリですし、初期の10インチタイヤ等、他に使用している車も少ないので
選択肢も限られてしまうといった具合。実用車としては此処までやる必要があったのか?と。
これは恐らく、エンジンとギアBOXを二階建て構造とする事で、その部分の重心が高くなるという
ネガに気付いた設計者アレックス・イシゴニスの考え出した対策でもあったのではないでしょうか。
横置きエンジンで前輪を駆動するレイアウトの発明者とも言われる事の多いイシゴニスさんですが
ご存知のように現代の横置きエンジンレイアウトの車、実は殆どがミニの数年後にイタリアで
ダンテ・ジアコーザさんがアウトビアンキ・プリムラで試みたエンジンとギアBOXを並列に配置する
レイアウトで作られています。戦前にはドイツのDKWがモーターサイクルのパワープラントを
前後逆に積んだような(資料が少ないので推測込み)車をつくっていますので
イシゴニスさんは横置き前輪駆動の発明者でも無い事になります。
ニッサンが何故初代チェリーでアレックス・イシゴニスレイアウトを採用したのかは判りませんが
初代ミニの本家オースティン(BMC)以外でこのレイアウトを採用した車って意外に少ない筈。
潤滑等の機構的な問題も当然有ったでしょうが、エンジン部分の重心高の問題も
その原因の一部だったのでは無かったのかと思うのです。
>>528 > RZ−250は「当時としては」超高回転型でした。
嘘はよくない。前世代の空冷2st、RD、RGと比べても殊更に高回転型ではない。
> その後にはPHASERとか登場してもっと凄かったですけど。
同じ250ccでも4st4気筒と2st2気筒を比べて何を語りたいのかな。
534 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2006/12/28(木) 01:00:15 ID:tXvE6Wf2O
イシゴニスレイアウトを採用した「意外に少ない例」に、ジアコーザレイアウトの
権化のように扱われているプジョー205が入っている不思議。
>>533 ま、デザインのことを語りたかっただけなのでこのへんで。
>>535 プジョー205が?
と思って調べてみたら、初期型はそうだったんだね
1.9のGTi(エンジンとミッションオイルは当然別)は一時期購入候補だったけど
それは知らなかった
>>535 そう言われてみれば・・。
プジョーは最初のFWD204からイシゴニス派でしたが、エンジンを傾けて搭載して重心下げてました。
104の為に開発したアルミブロックのエンジンは初期の205にも使用されていましたが、
水平近くまで傾けて搭載されていた筈。(もっとも、ジアコーザ型になった後の車もエンジンは傾けて
搭載されていますが)
このタイプ(クランクとミッションがケースを共有)は日本に入って来ていたのでしょうか?
何処でジアコーザ派に主旨変えしたのでしたっけ?
ところで最初に始めた御本人が「このへんで」と書いておられるのに、
蒸し返すような事を書くのも失礼かも知れませんが、昔私もRZは高回転型に感じました。
何故か250よりも350の方がそうだったような記憶が有りますが、低回転域ではまるでだらしなく
ある程度まで回るといきなりパワーが出て、すぐにレヴリミットみたいな。
つまり、“幾らでも回る”でもなければ“レヴリミット近辺を好む性格”でもない
“低回転域は全く使い物にならない”という消極的な意味での高回転型(w
初代ミニ他で親しまれたBMCのA型エンジンってのも、回転数でパワーを稼ぐタイプの
エンジンだったように思います。レヴリミットそのものは左程高い訳ではなかったようですが、
“良く回る”と思わせる類の。
まぁ、この辺の事は飽くまで感覚の類。よく言われる“スロットルレスポンスが良い”とか
“吹け上がりが鋭い”なんて事も、車自体の重さやらギア比が違えばかなり変わるでしょう。
極端な話、トップギアに入った時のブガッティ・ヴェイロンのW16よりも、無負荷の時の
2CVのフラットツインの方が“鋭く吹け上がる”・・筈。(断言はしない、気弱な私w)
丁度今月のCG誌にカーデザイナーの永島譲二さんが
「カン・ナム選手権に出ていた車一般、実は同じ時期のヨーロッパGr4やGr5レースカーよりも
空力的には一歩進んでいた」
なんて事を書かれています。
まぁ、それも一つの見方でしょうけれど、中には結構何が何やら・・な物も一杯有って、
“あのチームがあんな事やるならば、こっちはこうだぜ!”みたいなノリで無茶やっているとしか
思えないのも・・。
当時“青天井ルール”なんて言われた自由な雰囲気がアメリカ人の気質と相まって
いろんな変り種を産み出したのでしょうか。
そうした物の多くは現代の我々の眼から見てしまえば素人臭く、時には何を狙って設計されたのかも
理解しきれない物すら中には存在します。
しかしそんな中から、シャパラルのようにレースカーの空力に革命を起こした車が出た事。
これもまた事実であり、その意味では永島さんの書かれた事も理解できるのですが。
思えばヨーロッパのスポーツカー耐久レースを席捲したポルシェ917Kも、Dr・ピエヒさん率いる
ポルシェAGが風洞実験を重ねて作り上げたボディー形態を、実戦経験豊富なジョン・ワイヤーが
“大排気量モンスターは、そんなのじゃダメだ!”みたいに大胆に作り変えたものが基本でした。
抵抗削減第一からダウンフォース重視へと空力に対する考え方が大きく変化し
それまでの学究的な考え方での設計よりもレースの現場での発想の方が余程モノを言った。
60年代末期とはそういう時代だったという事なのでしょう。
しかしそうした混乱の時代が長く続く筈も無く。風洞設備すら持たぬ小規模な
レーシングカーコンストラクターの多くは70年代を生き延びる事は出来なかったようです。
さすがにシャパラルはともかく、三菱コルトF-2などを話題にしても興味の有る人もいないでしょうから
この辺で毎度の脱線。
その内に書こうと思っていた話ですが、あちこちでカー・オブ・ザ・イヤーが選出されましたけれど
レクサスは話題になっても本来トヨタの屋台骨支える筈の新型カローラはあまり話題には
ならなかった様子。
キムタクやさんまを主役に据えたCMも、なんだか短期間で終了したような印象しか残っていません。
今回のカローラのモデルチェンジ。レクサスLSの登場の直後だったということ、
これが最も大きな宣伝だったのではないかと私は勘繰っております。
レクサス登場→各種媒体で取り上げられる
→“庶民のささやかな夢”ベンツやBMWとの比較記事があちこちに載る
→そうした雑誌を読まない人も、雑誌広告で“ベンツと比較されるようなのをトヨタが出したか”と思う
→そのトヨタ製品ということで、なんとなくカローラにも箔がついたような気がしてくる
・・みたいな(強引でしょうかね??)
レクサスLSで「おやっ?」と思ったのが、ボンネットフードの開口部がフロントグリルと一体式
ではないという部分。
高級車のお約束はフロントグリルごとガバッと開くのが定番と思っていただけに意外。
もちろん機能性から言えば、フロントグリルはおろかエンジンフードすら開く必要がほとんど
ないのが、トヨタ車だとは思いますが(初代エスティマあたりから?)
トヨタの思惑も世間の趨勢もエンジンルームはブラックボックス化してくるのでしょう。
セルシオ〜レクサスオーナーが自分でプラグの番手を換えるなんて想像し難いですよね。
最近のクルマは専用のテスターがないと基本整備ができないようになってきています。
また、先日会社名義の並行輸入ベンツのスペアキーを作ろうとしたら、正規ディーラーで
ないと作れない。しかも会社の実印と印鑑証明まで要求された。
トヨタのエスティマなんかは専用工具がないとバンパーの脱着すらできないらしいし。
前述のテスターといい専用工具といい、正規ディーラーでないと入手できないらしい
ので、そうやってユーザーを囲い込んで、系列ディーラーの売上げを確保するのでしょう。
>>542 購入時の公的書類に捺印する時は別として、
民間で実印証明まで要求する権利なんて有るのでしょうかね??
>トヨタのエスティマなんかは専用工具がないとバンパーの脱着すらできないらしい
かつてシトローエンDSはボルト一本でリアフェンダーが脱着出来た為に、傷付けたら他の車から
そこだけ失敬する輩が増えたとか。そんなことになるよりはマシかも(w
昨日も書いた事ですが、レクサスって半分はトヨタの宣伝塔だと思います。
国産車の多くはちょっと近所までの買い物みたいな用途に特化している現代ですから
ああした長距離用セダンの市場が幾らも無い事は他ならぬトヨタ自身が判っているでしょう。
それでも3BOX型を最上とする風潮やらそうした車への密かな憧憬みたいなものは
アメリカ車中心だった時代から日本人の心の奥底に刷り込まれていて、
そこを上手く突こうとしたのがレクサスであり、それをアイドル化してカローラを売ろうとする戦略と
私は見ます。
それにしてもモデルチェンジしてすぐに忘れられるカローラってのはどんなものでしょう?
空気のように目立たないで、別に愛着も湧かないという車でなければ買換え需要が無くなるし。
トヨタ自身が困るのでしょうか。
しかしそういう車作りを続けていては、より手軽な軽や自転車にいつかは負けると思うのです。
それにねぇ。
愛着が湧く事。それ以上に重要なものなんて何が有るのでしょう。
ブランド戦略でいうとトヨタって類似企業の松下/ナショナルから随分学んでいる気がします。
これまで松下はテクニクス(オーディオ)オズマ(PA)みたいにいろいろやって
成功したり失敗したりしました。
その中でブランドを確立しつつあるのがパナソニック。
日本よりも米国で認知度が高まり、日本でもちょっとだけ特別なブランドになろうと
しています。
パナソニック製品がナショナル=松下であることは買う人は知っている、だけど
ナショナルブランドよりはちょっとだけお洒落で趣味性が高いと思わせるのが
ブランド戦略の妙というか…。
つまり冷蔵庫・洗濯機のナショナル=トヨタカローラとちょっと特別な
パナソニック=レクサスではないかなと。
トリオ→ケンウッドみたいに元のブランドが消滅する場合もありますね。
>>543 実印と印鑑証明は本人確認のためでしょ。
おろそかにして盗難や詐取に使われたんじゃ、ディーラーが損害賠償責任を負うことにもなりかねないし。
社員の不正行為なんてのもありますしね。
ブランディングについては、大企業ですら金儲けの手段と考えているところが少なくないですね。
本来ならば、顧客満足に対するロングタームでの企業努力の結果が、ブランドの確立へとつながるはずなのですが。
一流ホテルの接客姿勢の猿真似なぞは、ほんの瑣末でしかありません。
それより最低限のコンプライアンスと内部統制を何とかしろ、と。
クレジットカードですら、銀行印と免許証で作れるのにね。
今回の場合、会社名義ってところが微妙なところだったのかも。
高級車をアイドルとして、大衆車を売るってやり方は、恐らくはGMがシヴォレーとキャディラックで
始めた事だろうと思います。両者のデザインに共通性が見られるようになった30年代初頭あたりが
その始まりではないかと。
しかしそういう売り方を始めるよりも前に、キャディラックは既に高級車としてある程度認知されて
いたようですが、トヨタの場合は高級車の方を後から育てないといけない難しさはあるでしょう。
>>544 トヨタと松下の関係って、GMとGEの関係に良く似ているような気がします。
結局の所、トヨタの直接の師匠って生産台数で抜こうが抜くまいがGMなのではないでしょうか。
その失敗も含めていろんな事を学んでいると思う時が有ります。
さて、カー・オブ・ザ・イヤー。(・・って、本来なら年末のネタ w)
これ、受賞してもなんだかあまり縁起の良い賞ではないような気もしますが・・。
実体の無い流行に結構左右される賞のようですので、何年か後に受賞車の顔ぶれを見ると
“あの人は今・・”状態になっている例が多いように見えます。
言わばテツ&トモ、レイザーラモンHG、はなわ、波田陽区・・(w
ついでに、読売新聞が誌上で行った人気投票型のカー・オブ・ザ・イヤーの投票結果
http://www.yomiuri.co.jp/atcars/nichiyou/photo/20061228ni_04.gif 読売新聞ほどの巨大メディアにしては集まった票数が随分と少ないようですし
投票締め切り時点で最も新しかったスカイラインが受賞ってのもねぇ・・。
これって世間全般の、自動車への関心の薄さを表わしていると読めませんか?
確かに日本人はお手本があってそれの改良改善で本領発揮しますからねえ。
ちょっと前のトヨタ車の車名の頭文字がCなのもGMへの憧憬かもしれませんね。
ただ今回のレクサスは「いつかはクラウン」でカローラを買わせる戦略とはちょっと
違う気がしますけど。
頭文字で言えばロータスのE…ロータス・エクセル!おまいはどこの計算ソフト
だよっ!ていう突っ込みも今は昔…
トヨタどころか欧州車も、プラグカバーはずすのにトルクスの雄雌が必要なのが
一般的になってしまいました。だいたいダイレクトイグニッションのコイルをはずす
度胸がある一般ユーザーもいないでしょうね。
>>548 DOHCのV6横置きなんて車では、素人にはプラグ外す事も出来ないのも多いようですしね。
つか、素人には下手に手を出して欲しくないと言っているみたいなのが昨今の流行のようです。
去年出た車の話の続き。
書くタイミングを逸したようですが、秋にカローラがモデルチェンジした直後にテレビ東京の
「ガイアの夜明け」という番組で取り上げられていました。
経済の話題を取り上げる番組でしたので、車自体のことにはあまり触れず。
バックモニターが標準装備とか、ワゴンはワンタッチでリアシートが畳めて荷室が大きくなるとか。
あとは女性セールスマンの奮闘とか、カローラを取り巻く状況であるとか・・。
まぁ、意地の悪い言い方かも知れませんが、カローラという車の事を語るには
その程度で充分なのかも。自動車雑誌ですら、まともに試乗記事を載せないところも多いですし。
見た目の事は、何を言うまでも無く映像で語られているのですから。
前から思っているのですが、車にとってデザインって大事ですよね。
第一印象がどうのこうのなんてのは、結局のところはデザイン次第ですし。
デザインが悪ければ中身が充実していても売れないでしょうし、下手すると気合入れて開発した
新たな技術も、それを搭載した車がデザインで失敗して売れなかったばかりにそれっきりなんて事も。
ちょっと前の事ですが、ホンダが最後のプレリュードで試みた本格的な4WS。
あれ、少し乗った限りでしかありませんが、良く出来ていると思ったのですが、
車そのものが「あの、格好悪いのね」でオシマイみたいな代物だった為か、全く市場の反応も無し。
あの技術はその後一体どうなったのでしょうか?
>>550 五代目にも付いていた筈(ちょっと自信無くなっている w)
発売当時、さかんにTV-CMで4WSが大きく進歩したとアピールしていたので、
興味を持って見に行った記憶があります(四代目の時じゃなかったよなぁ・・)
まぁディーラーでの試乗では後輪が同位相にステアするような無茶は出来ませんでしたが(w
小回りが利くというのは判りました。
誰か身近な人が買わないか?と思って、聞くと皆が口にしたのが昨日書いた
「あぁ、あの・・」という台詞でした・・。
ポルシェも928で試みた後はあまりこの技術には執着しないようですね。
マツダ辺りも一時期結構熱心にやったようですが。
結局のところ後輪操舵を取り入れたところで限界が高まると言うものでは無いでしょうし、
その前の時点での、限界が近い事を運転者に知らせる挙動(多くの場合アンダーステア)が
感知され難くなる事は、むしろ危険とも思うのです。
ホンダは現行レジェンドで異なる形でのアプローチを試みているようですが、
アレならばまた話も違うのでしょう。
ただ重量増が避けられない4WDが前提というのは本末転倒とも思いますが。
ディーラーでの試乗と言えば、シトローエンC6を少し運転させて貰いましたが、アレは凄い。
どれくらい凄いかって、普段ハイドロシトローエンばかり乗っている私が、数メートル走らせただけで
“他の何とも比べられない”って思った程。700万近い値段もむしろ安いと思った自分が怖い(w
レクサスを含むトヨタもベンツも本当にそのクルマが好きで購買した比率は低いと思うのです。
フェラーリも然り。
でもシトロエンC6を新車で買う人はほぼ100%好きなのでしょうね?
かのヘンリー・フォードはアルファロメオを見かけると帽子を取ると言ったそうですが、
私もC6を見たらこう呟くでしょう。
「やっぱり変…。」
シトロエンを好む人は 『この変態ッぷりがたまらん!』
と思って乗るのか、『これこそが乗用車のあるべき姿!』
と思って乗るのかどっちだ?
個人的にはDSサイズでハイドロ出して欲しいなぁ…と思う。
シトロエンを好む人は 『これこそが乗用車のあるべき姿!』と思いつつ、
その目的を達成するためにメーカーが選んだ手段に一抹の疑念を感じながら乗る、
悩めるインテリゲンツィアではないかと。
またアクセス規制(w
>>552 変・・ですか?
>>554 一抹の疑念ねぇ・・別に感じませんけど・・
>>553 DSサイズならC5でも。
GSかBX、C4サイズと言いたかったのでは?
私なら、もう少し現実的に、C6の技術がC5にフィードバックされたら
荏原の輸入業者ジャベル辺りが入れそうなディーゼル仕様など・・
(目を覚ませと一喝されそう w)
C6、XM以来の久々にツトローエソらすぃツトローエソだなぁと思ひます。
唯一、そして決定的に気に入らんのはモモヒキw(ヌパッツ)付ひてないこと。w
C5はここ暫らくのツトローエソだかぷじょさんだか分からん一派にしか見てくれ見へませんし、
C4はってえとこれでモモヒキ穿いてりゃ幾許かはらしく見へるのでせうがアレだし
決定的なのはワイドラクティーヴで無ひんでせう?
8気筒のフェラーリ、FFのアルファ、金属バネのツトローエソつう括りのものか、と。w
ゴムひものツトローエソは認めます。w
金属バネでもまぁ昔のAX(出来れば5枚ドア)とかVISAとかはまぁキライではありません、
あの手の豆グルマ結構好きなもので。
以前、”盗用多のセールスはアルファ乗り・ツトローエソ乗りには営業しなひ”つうのがありましたが
思へばかつての両社には厳然とした閉じた世界観があってその中だけで商売してたやうに思ふのです。
つまり、その世界観を理解、賛同出来なひ者は最初から相手にしなひ商売。
それでかつては成立してゐた、そしてそれが通用しなくなって潰れwた、と。
元々敷居の高ひ低ひはあっても、それがグローバルな(或ひは般ピーレヴェルに合った)
ものであったかさうでなかったかは別にして欧州車にはそれぞれのメイクスに
それぞれの世界観があったのです。それを押し通せたことがブランドの力を作ってゐった、
そしてそれが失はれ、ブランドは単なる記号に過ぎなくなってゐるのが現代でせう。
中身と世界観、哲学がブランドを作った時代は過ぎ去り、ブランドの記号性が利益を上げる時代。
それは良く言はれる白物家電化と言ふよりファッション・アパレル化です。
成熟商品の方向性として白物家電化とまう一つ、プレミアムな”イメージ”で
利幅を大きく取るブランド記号商売があると思ふのです。
例へば時計、既にとっくの昔に成熟商品化して技術競争の時代は終はりコスト競争すら一段落してゐる。
昨今出てきた自前の極度に凝った機械を積む超高級機は別として
多くのブランドウオッチが中身は皆同じETAの量産機を使ひケースや文字盤、針も
それぞれ専業メーカに委託生産させてます。しかしお値段はブランドで決まる。
アテクシいつも言ふ\100ライターにBICと書くか東海精機と書くか、
18金の皮被せて高級品として中身\100に\1マソの上代付けるか、そんな話です。
その被せる皮や印刷の記号に差別化の面白味を見出す人はそれで構は無ひのだと思ふのですが
そこでダンヒルやS.T.デュポンやカルチェなどの凝った工作と機構を好む人は
排除され、それを望むと法外なほど高額な物しか無ひ、さういふことになってゐるのです。
恐らくクルマといふ商材もこの方向に向かって行くでせう、残るのは安物のカローラに金の皮や
三角の盾やドゥブル・シェブロン付けただけの”コスプレ・カー”と
超高額な凝りに凝った機構を持つ特殊で裕福な世界でもごく一部の顧客パイを食ひ合ふ
さういふ世界のクルマに2極化してゐくのでせう。
せめて三角の盾をつけたミニと呼んでください(´Д⊂
ミニほどご立派なものかだうか。w
つか、今のBMWミニは旧来のミニの思想云々とか、それこそコスプレカー云々は置ひといて
BMW渾身の力を込めた力作であることは間違ひ無ひのです。
FFのBMWとしては他に悲惨な末路を辿ってゐるローヴァー75がありますが
これも3シリーズをFF化することも視野に入れて開発された機構が投入され
Zアクスルも採用されてゐる、この辺のBMWお試しFFは試しの最初だけあって
物凄ひ力を入れて開発されてそれに応へる出来になってゐます。
尤も、今回の159だってオリヂナルとは言い難ひとも言へますが
元になったGMプレミアムシャシ、これは相当宜しひシャシです。
それの足回り中心に改造されたシャシは元のシャシとはほぼ別物となってゐます。
アテクシまだ試乗の機会に恵まれておりませんが、本来はそこそこ宜しひ筈。
問題は度の過ぎた重さと
”我々古ひアルファ党がが知る(思ってゐる)アルファの走り方”をするかだうか。
今となっては純血のオリヂナルだけで構成されてゐるかだうか、
何てことは判断の中に入れやうがありますまひ。
思へばかつてのアバルト、この多くはFIAT(そのフランス子会社シムカ)のシャシに
同じくFIATのエソジソ、しかしどれも大幅に手が入れられエソジソなどヘッドはまったく別物、
ことによるとクランクもピストンもコンロッドも別物、
ほぼそのままなのはシリンダのみつう物件でした。ベースはFIATとしか言い様が無ひのですが
モノは全くの別物になっておりアバルトオリヂナルと言っても良ひ程。
望むならここまでやることですかな。
規制解除。
普通のスレは1000近くなると「そろそろだな・・」と思うけれども、このスレは500kb近くなると
そう思う(半分以上は私のせいだろうな w)
さて。>ゴムひものツトローエソ・・・・そんなの有りません(w
シトローエンつうメイクス、変ったモノ出さないといけないみたいに思われている節が有りますが
創業からの最初の15年程は、構造的には全く何の変哲も無い堅実無比な車を作っていた事は
今や忘れられているようです。
つか、現代に至るまで、変ったモノを作ろうとして作った事など一度も無いと思うのですけどね。
よくエロスパ氏が言われる「シトローエンをシトローエンとならしめるもの」とは何かと考える時、
私は“移動の悦楽化”であると思うのです。
柔らかくストロークの有る、しかしコンプライアンスの少ない足回りだとか、切り始め、利き始めの
鋭敏なステアリングやブレーキ。目に心地良く詩的風情に満ちた外見などは
それを実現する手段であり、決してそれ自体が目的と言う訳ではないと考えます。
車は人間の移動の為に存在する道具であるならば、それ(移動)そのものを悦楽とする事を理想に
その為に思いつく最善の手段を講じる事でシトローエンの味わいなるものが成立するのでしょう。
それに対して、移動は目的地に達するまでの手段に過ぎないのであるから
その間は出来るだけ安楽に過ごせる事を理想とするのがメルセデス的なるモノと思うのです。
いわば“移動の安楽化”
シトローエンが理想とするところとは、肉体の疲労を排除しようとする姿勢は共通していても
実は全く異なる物なのかも知れません。
逝ってる師灰汁金につき代わって維持あげ。
ありゃー、こりゃ股失礼!www
>>561 もう今更維持しなくてもそろそろ500kb(w
ところで前スレのサブタイトルに付けた“明日無き暴走”というのは、言うまでもなく
ブルース・スプリングスティーンの出世作の邦題(原題はBorn to run)ですが、
私はこの言葉を聞くとブガッティを思います。
自らが信じる道を脇目もふらずに突き進んだ結果、前輪独立懸架やモノコックボディー、
油圧ブレーキといった新たな技術を全く受け入れる事が出来ず、独善、我流の塊と化し
歴史の中に消えていったオリジナル・ブガッティの退廃的な美しさに満ちた行き方には
“明日無き暴走”という言い方しか言い様が無いと思うのです。
オリジナルブガッティの走りの味わいを語る事は残念ながら出来ませんが、
博物館等でその姿を見る時、ブガッティをブガッティたらしめるものとは
“明日無き暴走”の一言なのではないだろうかと思う事が有ります。
そこで思うのですが「アルファをアルファたらしめるもの」とは何なのでしょうか?
159はどうも不評のようですが、その理由は
“古ひアルファ党がが知る(思ってゐる)アルファの走り方”からかけ離れてしまった事にあるようです。
なんでも開発陣に多くのドイツ人が加わった結果、“乗用車”としては洗練され、
ドイツ車好きには支持される車になったようですが、かつてのアルファの味わいは薄れたとか。
限界そのものの高さもさることながら、その一歩手前のコントロール性に優れたハンドリングとか
低速コーナーの続く峠道よりも、中・高速コーナーの続く道でこそ楽しめる味付けとか、
そういった部分は余所者にも容易に理解出来ますが、それは一体何の為に必要だったのか?
ホンダともBMWとも異なる物が一体何処に存在するのか。またそれは何なのか。
現在のアルファの設計陣に言い表せる言葉が必要だったのではないでしょうか。
>「アルファをアルファたらしめるもの」とは何なのでしょうか?
それは“移動の悦楽化”です。w
やり方やその悦楽・快楽の方向性・種類はツトローエソとは明らかに違ひます。
しかしそれはやはり快楽主義的なものであって、しかもある種性的な、と云ふ類のもの。
移動の悦楽化・快楽化、その中で操作することの愉しみ、高速移動のスリリングな愉悦、
例へ高速でボーソーしなくとも五感にダイレクトに響く扇情的な刺激、
これらのもたらすより本能的な快楽です。それは時に安楽さとは対極にあるものですが
思へば交尾は安楽では無ひでせう?w さういふところなのです。
その為の
>限界そのものの高さもさることながら、その一歩手前のコントロール性に優れたハンドリングとか
>低速コーナーの続く峠道よりも、中・高速コーナーの続く道でこそ楽しめる味付けとか
そしてあの音と振動とか、60年代には既に完成された(固定軸・半固定軸の)世界一と評されたロールや
性的に刺激的な(時に特異な)デザインとかがあったのです。
以前、女性誌で自動車評論家の下畑氏が164のデザインを
「健康的なお色気、などといふものでは無ひ、暴走族のおねーちゃんの金ラメ・メッシュサンダル趣味を
うんと高級に磨き上げたやうな妖しい色香」と書ひておりましたが、ひとつデザインのみならづ
クルマの隅々にまで淫蕩な淫らなほどの快楽の追求が漲る、それが我々の知るアルファ・ロメオだったのです。
欧州の女性用フォーマルウエア、それは時に日本人の目から見ると
売春婦と見分けの付かなひ程の場合があります、アッパークラスの女性のパーティーウエアなど
日本人の目からは悪趣味で淫らにすら見へる程に性を強調する。しかしそれが魅力的と賞賛されたりする。
性的であるとふことは決して悪ではなく、生き物の根幹を揺さぶる魅力であることを素直に認める、
特にラテンの人間が人間であることを認めることが根幹を成す思想では非常に素直に評価します。
アルファ・ロメオの快楽主義的傾向はここに根ざしてゐたのだと思ふのです。
で、何故かつてのアルファ乗りに我々性倒錯者・お変態さま、暴走族一歩手前しかゐなかったのか
自づと答へが出るかと存ぢます。w で、アテクシしばしば言ふ
”アルファ乗りといふのは片輪とかツンボとかオシとかメクラとかビッコとかと同じ
差別用語でR、ポリティカルコレクトな言ひ方では「自制心の不自由な人」「快楽に転び易ひ人」
と呼ばねばならなひ”ってのがご理解頂けるものと存ぢます。w
さすがに上手い事を書かれる・・
>思へば交尾は安楽では無ひでせう(そこに感心か w)
書いている当人達だけが面白がっているような話が続くのもナンですけど(爺臭い書き方 w)
最近、レクサスに限らずプレミアム・ブランド云々っつう言い方を良く聞くような気がしますが
ただ、とにかく利益率の高い、美味しい商売がしたいだけのように見えます。
中には生産規模が“値段で勝負”出来る程には無い為に、そういう形の商売をせざるを得ないという
例もあるでしょうけど。
でもねぇ、此処だけの話。自動車作りはじめて間もない頃には
オースティンセヴンのライセンス生産をしていた会社を傘下に収める事で地歩を固め、
戦後の苦しかった頃にはイセッタのライセンス生産で糊口をしのいでいたBMWが
「我こそは由緒正しきプレミアムメーカーである」みたいなことを言うのは、如何なものか??
等と意地の悪い突っ込みも入れたくなる例も有り。
それらの(言葉は悪いですけど)俄かプレミアムメーカーが提供するプレミアム感と言うのは
確かに判り易いモノではありますけれども画一的であり、あんまり面白くは見えません。
そういう具合では、お金が有ったら有ったで結局のところ
“どの軽自動車が使い勝手が良く、割安感があるのか?”みたいな事と基本的には同じ次元で
“どのプレミアムセダンがより高級感が有るだろう”って悩むだけではないでしょうか?
人によっては、それも楽しい悩みなのかも知れませんけれど、私はそんな事で悩みたくない。
567 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/01/11(木) 12:33:58 ID:JUju5sAPO
>相当の人
一世紀から歴史のあるメーカーなら、大抵トホホな時期があるんだから、そんな意地悪言わない!w
今年のダカールに2CVが出場してたみたいだが、まだ生き残ってるだろうか…
>>567 昨日BMWについて書いた部分を言われているのだと思いますが、オースティン・セヴンやら
イセッタを作っていた頃が必ずしも“トホホな時期”とは考えていません。
当時の一般大衆に、高い技術力で安価に交通手段を供給した事はむしろ誇って良いと思います。
(サヨク系の者ですので w)・・まぁ、オリジナリティが無かった事はアレなんですけどね・・。
さて。プレミアムカー(二昔程前に流行った“ハイソカー”とどう違うのでしょ? w)
私自身はそういう物には無縁な貧乏人ですけど、町工場の経営者さん等に知り合いが多い事も有り、
案外と接する機会は多いのです。しかしそういう人が所有しているのって、実は会社名義の場合が
多いのですよね。
私はどうも性格なのか、経営者さんよりも工場の職人さんやらパートのオバサン達と
仲良くなる事の方が多いので、そうやってお金使わないと損みたいな税制とか、
更には税金を余計に払うのが勿体無い気がする世の中の有り様にはちょっと疑問有りなのですが、
今此処でそれを言っても仕方無いので置いといて・・。
そうした“プレミアムカー”をこれまでのクラウン等に代えて手に入れた人達って、
実は別段車好きということもないようですが、彼等が異口同音に口にするのが
「見えないところにもちゃんとお金が掛かっているねぇ」って言葉。
そりゃ、お値段がお値段ですから。安いのよりも洗練されているのは当然でしょうと思いますが、
そうして作られた凝った機構や、それを支える品質やら生産管理技術。
それで一体何が出来ているのか?そこまでを見ようとする人は皆無のようです。
別に話はプレミアムカーに限った事ではないのですけど。技術の力で何を描くのか?
それこそが本質なのだと思います。
“移動の安楽化”だとか“移動の悦楽化”みたいな、そうした理想に共感出来て、
初めて大枚をはたく価値が有ると。
また、そこまで見ようとする意思が有るか無いのか。そこが単なるスピード好きとかメカ好きと
車そのものが好きな人との分かれ目でもあると私は思うのです。
・・けど、どんなモンでしょ??