★呼ばれてなくてもジャジャジャジャーン@ヒョウンカ国沢117★

このエントリーをはてなブックマークに追加
零戦を牛車で運んでいたのは事実。別段秘話というわけでもなく、いくつかの本でも言及されてる。
web上ではttp://www.warbirds.jp/ansq/12/A2003717.htmlなどが参考になる

本で言及された例をあげておく。
ttp://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/atsuta4.htm
>学徒勤労動員の思い出を綴った「飛行機雲の空」という本に、著者高井義弘氏は柳田邦男著「零戦燃ゆ」に
>名古屋市南部の三菱重工大江工場で製造された零戦に関し、「零戦を、ほとんどの場合は牛車で各務原
>(かがみはら)まで、一部は艀で鈴鹿飛行場まで運んだ」と書いてあるのを読んで、次の感想をもらしておられる:
>■それにしてもである。牛に引かれて各務原では、何とも遠い所を御緩りと運んだものだ。大戦争の真最中に、
>飛んでもない能率の悪い事を遣ってたものだ。何故、愛知航空の飛行場にどんどん運んでこなかったのだ。
457456:04/06/25 13:15 ID:28qDomVT
もう一つ。
ttp://www.tkc.co.jp/senkei/9804/interview.htm
>――オビに「異色の太平洋戦争文化人類学!」というコピーがありますが、ご著書の『日本軍の小失敗の
>研究』は実にユニークな視点で太平洋戦争の敗因の究明をしておられますね。非常に新鮮な気持で読ま
>せていただきました。
> それにしても、当時の日本の航空機工場には隣接する滑走路がなく、完成した戦闘機や爆撃機を分解
>して牛車に載せて運んでいたというあの話は、本当なんですか?
>三野 ええ。作家の吉村昭さんなども小説の中で引用していますね。
>――ショックを通りこして、惨憺たる思いがしますね(笑)。
>三野 当時日本最大だった三菱航空機名古屋製作所からしてそうでした。技術の粋を集めて完成した飛行機
>をバラバラに分解して牛車に載せ、岐阜県の各務原飛行場まで約40キロのガタガタ道を運んでいたそうです。
> なぜ牛車かといえば、牛は馬と比べておとなしく機体に振動を与えないからだというんですね。道路を整備
>してトラックで運ぶとか、工場の隣接地に滑走路をつくるとかすればいいのに結局、終戦まで牛車に頼ってい
>たそうです。

元文がこっちに貼ってあったのでこっちで出したが休憩所ネタだったかな...