大阪人は「キタ」「ミナミ」とはあまり言わない 「梅田」や「心斎橋」などと言う
1 :
学生さんは名前がない:
「今夜はキタへ繰り出すぞ」「ミナミでタコ焼き食べよ」。阪急梅田駅を中心とする「キタ」と南海難波駅周辺の
「ミナミ」は、共に大阪を代表する繁華街。しかし、ふと疑問が。なぜ、またいつから、カタカナ表記になったのか。
そもそもキタ、ミナミの範囲はどこまでを含むのだろう。地名の歴史をひもといた。
キタ、ミナミはどこを指すか。国土地理院に聞くと「自治体が決めること」と、つれない答え。では大阪市の判断は?
「法的な位置付けや定義はありません」(都市計画課)
観光ガイドブックを製作する大阪観光コンベンション協会によると「十三をキタに含めることもあれば、
最近注目される天神橋筋6丁目(天六)をキタとは別に取り上げたりします」と西迫登マーケティング総括部長。
人や状況によって範囲が変わる融通むげな地名のようだ。
2つの街の名前はいつ生まれたのか。大阪市史料調査会を訪ねると、古川武志調査員(日本近現代史)が
「江戸時代に遡ります」と教えてくれた。「天下の台所」と呼ばれた大坂の中心は船場や島之内。その北と南に、
商人や武士の遊び場として生まれた街が「北の新地(曽根崎新地)」と「南地(南地五花街)」だった。
北の新地は「北陽」という別名があったそうだ。
ただし「時代によって範囲が違います」と指摘するのは大阪歴史博物館の船越幹央学芸員(日本近代史)。
江戸期の北の新地は現在の北新地とほぼ同じだが、街の発展で梅田や大阪駅周辺を含むようになった。
南地も、元は現在の宗右衛門町や櫓町。「現在ミナミといえば、多くが思い浮かべるアメリカ村などは
含まれませんでした」
表記も時代とともに変わった。古川さんによれば「北陽、南地では読みにくいため、明治時代に新聞や
雑誌で『きた』『みなみ』とルビが振られました」という。後にひらがなだけで表されるようになり、さらに
カタカナに転じたとみられる。
以下ソース
http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH06002_W3A300C1AA2P00/?dg=1
2 :
学生さんは名前がない:2013/03/17(日) 05:06:06.32 ID:+GBpYw9hO
せやな
3 :
ベルトチラ見せ ◆ahLZaLZ7nA :2013/03/17(日) 05:44:48.16 ID:0xZ5mVfzP
確かにな〜
4 :
学生さんは名前がない:2013/03/17(日) 08:42:35.54 ID:3XXNCjxUP
おっさん連中は結構使ってるような?
5 :
学生さんは名前がない:2013/03/17(日) 09:59:57.50 ID:6ADP7ExE0
テレビ以外で言ってる人を見たことないわ
6 :
学生さんは名前がない:2013/03/17(日) 10:01:13.92 ID:wg7ui7zPO
ほんまやなあ
7 :
学生さんは名前がない:2013/03/17(日) 10:13:25.56 ID:8M+11yp20
難波や心斎橋は何がある?
>北の新地は「北陽」という別名があったそうだ。
漫才師の北陽は大阪ではなく埼玉だそうだ
てっきり北陽高校出身だからと思ってたから
9 :
学生さんは名前がない:2013/03/17(日) 10:57:58.39 ID:8veAdgWl0
岡山から関西ちかいな
関西はええところやね
ミナミは難波とか心斎橋あたりをひっくるめて言いたいときに使う
キタは全く使わないな、梅田堂島中之島あたりをキタと言うんだろうがそこは全部ひっくるめて梅田って言ってる
キタとかミナミとか言っているのはオッサンとマスゴミだけw
阿倍野や千日前も死語に近いな。
梅田・心斎橋・難波・天王寺と言う。
阿倍野はハルカスで蘇るかも
キタ・ミナミとしてしまうことで、
大阪にはこの2つしか賑やかな街がないように
印象付ける陰謀かと思ってた
京阪がいっとき京橋をヒガシと言ってたのは全く定着しませんした
16 :
学生さんは名前がない:2013/03/18(月) 00:57:03.15 ID:Ux/liRogP
まだガシ=堺東の方が定着してる
17 :
学生さんは名前がない:2013/03/18(月) 00:59:05.81 ID:1cJxeuQ+0
洛中洛外
>>14 まあトンキンはキタどころか梅田も存在しないかの様に振舞うのが多いですから
キタとミナミしかないどころか、ミナミの道頓堀と通天閣だけだと
その割にはodonaだとか三越伊勢丹だとかを寄越すのは嫌らしいとは思うが
19 :
学生さんは名前がない:
関東のほうの人って
箱根以西には道頓堀しか存在しないって信じてるんじゃないの?